2012年01月31日
1001
去年は、仕事が少なかった。だからというわけではないが、小さなインテリアの仕事や石巻工房の立ち上げには結構な時間がさけたことはむしろ良かったとするべきだろう。必要があって、最近竣工したアパートのリノベーションについての文章をちょうど書いたので、それをここに掲載したいと思う。これからこれを英語にするわけだけど、面倒になって半分くらいの文書になってしまう。いかんなー。。。ちょっと脱線。プロジェクトの英訳は大事だという話がある。たとえば僕の事務所のウェブは、75%は海外からのアクセスだ。だからといって海外プロジェクト目白押しなんてことになればいいが、そうは簡単にはいかない。けれども常にそんなチャンスはあるんじゃないかと思っているし(待っていればいづれは・・)、そこを拡げていかなければいけないという危機感は常に感じていることも確か。友人の二俣さんは、むしろ海外からの話のほうが面白いし、自由度があるという。それはうらやましいなーと思うから、やっぱり英訳は大事だなと改めて思う。
話をもとに戻す。
1001という仕事についての前置き。この仕事はもちろん僕やクライアントの経験や知識が積み重なってできた仕事だけれど、僕はここで何かをつかんだ気がしていて、僕にとっても大事な仕事になりそうな気がしている。それは、僕が家具というものを真剣に取り組んできて、同時に建築やインテリアの仕事をしているわけだけど、そのスキルを生かしきれたような気がしているからだ。徹底してつくらないと見えてこない世界がここにはあって、その不純物のなさと、それによるタフネスの獲得はこれからもしばらく僕のテーマとして続いていくと思う。

photo:Takumi Ota
_____________________________________________________________________________
1001
1001は、東京都心にある50m2強という小さなアパートのリノベーションプロジェクトである。クライアントは音楽とワインをこよなく愛する夫婦であり、家というよりはそうした環境を楽しめるホテルが理想であるという話からスタートした。大きな課題として彼らが所有する大量なレコードやCD、そして漫画や本、洋服をいかに収納するのか、限られたスペースの中で必要な機能を納めていくことであった。同時にリノベーションプロジェクトでは常に求められることだが、もともとの躯体が持っている可能性ををいかに引き出すかいうことを詰めていった。
まずは塗り重ねられた分厚い化粧をはがし、スケルトンにする。そこへ必要最低限のベッドとクローゼットをコンパクトに収めるために、鉄とガラスで丁寧につくられたパーティションと引き戸でスペースを確保した。あとの必要なファンクションはすべて家具で構成。それらの家具は、キッチンやソファーに至るまで材料こそ違うが、デティールや色のつながりを検討しながらデザインを決定していった。家具の寸法は、出来うる範囲のなかで十分な大きさ確保することを検討した。小さなスペースだからこそ、使用する家具は大きさを確保するべきだと考えたのだが、こうした寸法は我々とクライアントの経験的な寸法によるものである。使用するマテリアルは40年以上前の躯体の力強さにも静かに呼応するように検討し、色は濃いブルーを壁紙と家具に使用しているが、既存のコンクリートのグレーとの馴染みの良さを何度も確認し決定した。さし色として赤い照明をダイニングテーブルのために選んだ。ルイスポールセンのPH5であるが、その小さな照明の美しいデティールと既存躯体のコントラストがよりその美しさを強調させている。収納は、クライアントの山のようなCDや本をとにかく飾れるように検討したが、結果として想像以上の物があり収めることができなかった。近々棚を増設する話にはなっているが不思議と今のままでも収まっているようにみえる。
最初のミーティングで私はクライアントの話を聞きながら、いつもの話をしている。「空間はタフであるべきだ。」と。キティーちゃんの一つや二つ、棚からあふれたモノたちによって壊れてしまうような空間ではなく、それでも凛とした強さをもつ空間が生活に自由を与えるのではないかという話だ。この空間にはそんな強さが作れたのではないかと自負している。

photo:Takumi Ota
話をもとに戻す。
1001という仕事についての前置き。この仕事はもちろん僕やクライアントの経験や知識が積み重なってできた仕事だけれど、僕はここで何かをつかんだ気がしていて、僕にとっても大事な仕事になりそうな気がしている。それは、僕が家具というものを真剣に取り組んできて、同時に建築やインテリアの仕事をしているわけだけど、そのスキルを生かしきれたような気がしているからだ。徹底してつくらないと見えてこない世界がここにはあって、その不純物のなさと、それによるタフネスの獲得はこれからもしばらく僕のテーマとして続いていくと思う。

photo:Takumi Ota
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1001
1001は、東京都心にある50m2強という小さなアパートのリノベーションプロジェクトである。クライアントは音楽とワインをこよなく愛する夫婦であり、家というよりはそうした環境を楽しめるホテルが理想であるという話からスタートした。大きな課題として彼らが所有する大量なレコードやCD、そして漫画や本、洋服をいかに収納するのか、限られたスペースの中で必要な機能を納めていくことであった。同時にリノベーションプロジェクトでは常に求められることだが、もともとの躯体が持っている可能性ををいかに引き出すかいうことを詰めていった。
まずは塗り重ねられた分厚い化粧をはがし、スケルトンにする。そこへ必要最低限のベッドとクローゼットをコンパクトに収めるために、鉄とガラスで丁寧につくられたパーティションと引き戸でスペースを確保した。あとの必要なファンクションはすべて家具で構成。それらの家具は、キッチンやソファーに至るまで材料こそ違うが、デティールや色のつながりを検討しながらデザインを決定していった。家具の寸法は、出来うる範囲のなかで十分な大きさ確保することを検討した。小さなスペースだからこそ、使用する家具は大きさを確保するべきだと考えたのだが、こうした寸法は我々とクライアントの経験的な寸法によるものである。使用するマテリアルは40年以上前の躯体の力強さにも静かに呼応するように検討し、色は濃いブルーを壁紙と家具に使用しているが、既存のコンクリートのグレーとの馴染みの良さを何度も確認し決定した。さし色として赤い照明をダイニングテーブルのために選んだ。ルイスポールセンのPH5であるが、その小さな照明の美しいデティールと既存躯体のコントラストがよりその美しさを強調させている。収納は、クライアントの山のようなCDや本をとにかく飾れるように検討したが、結果として想像以上の物があり収めることができなかった。近々棚を増設する話にはなっているが不思議と今のままでも収まっているようにみえる。
最初のミーティングで私はクライアントの話を聞きながら、いつもの話をしている。「空間はタフであるべきだ。」と。キティーちゃんの一つや二つ、棚からあふれたモノたちによって壊れてしまうような空間ではなく、それでも凛とした強さをもつ空間が生活に自由を与えるのではないかという話だ。この空間にはそんな強さが作れたのではないかと自負している。

photo:Takumi Ota
2012年01月09日
去年、そして今年
仕事始めは、5日からだったが、6日に出張がはいったこともあり、なんとなく今日までお正月気分がうまく抜けない。今日は休日なのだからそれはそれでいいのだろうが、僕はワークホリック気味で働いているほうが精神安定上いい。何度も言うようだけれど僕は働きものではない。勤勉でもない。どうやら仕事をしていたいということだけのようである。落ち着かないのである。こんなボスではいっしょに働く人はさぞかし迷惑だろう。最近あからさまにその逆風を感じて、いやいままで感じてこなかったほうが鈍感というべきなのだろうが、反省するどころか開き直ってそれでもベストな方法を探るということで貫き通そうと決めた。僕らにとっての仕事はベストでなければクライアントに対し申し訳ない。そのための手段はやはり考え続けるべきだ。ともに働く人たちにとってはマジかよというタイミングで話をひっくり返さないといけないこともある。もちろんそうしないに限るが、残念だがいい仕事にはほとんど常に生みの苦しみがある。それはボスだけのみならずともに働く仲間たちも残念だけれどともに経験するしかないのだ。いままでそうだったからこれからもそうなのだろう。
さて、新年の抱負のまえに昨年の話。震災に対して僕らのような職能をもつ人間の多くが無力感を感じたはずだ。なぜって、我々が構築してきた都市が一瞬にして消え去ったのを目撃してしまったのである。さらに最も重要な人命を守ることができなかった。だから僕はテレビとiphoneから流れるタイムラインから目を離すことができなかった。できれば夢であってもらいたいと思った。結果、100年分とも言われるがれきが生まれた。クリーンなエネルギーだったはずの原発は廃炉するために数十年かかるといわれ、とてつもなく大きなエリアが人が住めない、あるいは住居を建設してはいけないエリアとなった。収入よりも国債のほうが多い日本の財政の中で、いったいどう復興させるべきなのか、復興させたその都市はいったい持続できるのかという問題も同時に考えざるえなかった。しかしながら大きすぎるフレームで考えていると途方にくれるしかない。そんななかで、4月に被災地に行った。クライアントが呼んでくれたのである。そこでは泥カキのボランテイアがひたすら泥をかいていた。そこから始めることはいかなる未来をもっているとしても正解なのだ。むしろそこかれしか始まらないということは皆わかっていた。ガレキや泥の撤去を手伝いながら、いったん大きく広げたフレームをコンパクトに街や個人というレベルで考えてみることにした。そこには具体的な解決すべき問題とその方法論が転がっていたように思えた。だから、僕は、僕にとってのクライアントを手伝うということからはじめて、自分たちで直せる、考えられる、作れる範囲からはじめて見る、やってみるというスタンスが生まれ石巻工房が生まれた。何度も書いていることだけれど、僕はボランテイアも寄付もほとんどしたことがない。今回石巻工房という形で被災地に関わるというのは、僕の善意というよりは職業的な意地のようなところもあるし、実際職能が役に立つというのは何ともありがたい話なのである。実は物作りのスキルもさることながら、ゲリラ的に物をつくるスキル、すなわち僕が数度自分の事務所を大変安いお金で作って来たというスキルが実は役にたっているのだけれど。石巻工房のゴールとしては小さな産業であり、ユニークな町工房として数年、いや十数年と持続していければいいなと思っている。その存在がきっと町づくりには結果的に大きな役割を果たすのではないかという思いを持ちつつ。
さて僕の本業、仕事はどうだったかというと、はっきりいって数は少なかったけれど、その分時間をかけて仕事ができたし、石巻での仕事もしっかりやれたというのもある。思えば、様々な理由でキャンセルもあったけれど、去年の状況を考えれば致し方なしだろう。傾向としては圧倒的にリノベーションの仕事が増えているという印象だ。問い合わせも含め、今後の僕らの仕事の中心になってくる可能性も高い。住宅や集合住宅の仕事はなくなりはしないが、その中心が大きく動いているということだ。家具に関して言うと僕にとっては元年というべきだろう。実際家具の仕事は十年以上やっているわけだけれど、いわゆるメーカーといっしょに家具を作ることになり成果がでたのは正直去年からだ。日本のメーカー二社と海外メーカー二社。そして石巻工房から。:)今年はそれらをどう育てていくのか、広げていくことが出来るのか、ゆっくり考えていきたい。
というわけでスムーズに今年の話。
今年は去年のリバウンドというべきかしっかり仕事がありそうだという印象。もともと仕事をとるために営業活動らしいものなどしたことがないというか、どうやっていいかよくわからないけれど、営業しないといけないという気分にならないですむのはありがたい。目の前にある仕事をしっかりやりながら、石巻工房やそのながれの中で生まれた被災地で僕ができることをやりつつ、せっかく形になりつつある家具の仕事も軌道にのせようと思う。そういった意味で今年も勉強が必要だし、やることはたくさんある。そういえば、賞という賞にほとんど縁がなかった僕だけれど、昨年2ついただいた。両方ともモダンリビング賞で、誰かにモダンリビング建築家だねといわれた。これは新建築建築家というものがあって、その対義語の一つだそうだ。僕自身どこかのmediaに肩入れすることなくやっているつもりだけれど、雑誌、媒体というものは人がかわると方針が変わるし、あまりそこで一喜一憂する必要はないのだということがわかって来た。ただ、応援してくれる編集者とは長い付き合いになるはずだから、そこだけは押さえておくべきだ。物作りは孤独との戦いでもある。孤独に耐えられなくなったときに伴走者がいるにこしたことはない。
というわけで、大変長くなってしまったけれど、去年の今年のなんとなくの総括と抱負である。
さて、新年の抱負のまえに昨年の話。震災に対して僕らのような職能をもつ人間の多くが無力感を感じたはずだ。なぜって、我々が構築してきた都市が一瞬にして消え去ったのを目撃してしまったのである。さらに最も重要な人命を守ることができなかった。だから僕はテレビとiphoneから流れるタイムラインから目を離すことができなかった。できれば夢であってもらいたいと思った。結果、100年分とも言われるがれきが生まれた。クリーンなエネルギーだったはずの原発は廃炉するために数十年かかるといわれ、とてつもなく大きなエリアが人が住めない、あるいは住居を建設してはいけないエリアとなった。収入よりも国債のほうが多い日本の財政の中で、いったいどう復興させるべきなのか、復興させたその都市はいったい持続できるのかという問題も同時に考えざるえなかった。しかしながら大きすぎるフレームで考えていると途方にくれるしかない。そんななかで、4月に被災地に行った。クライアントが呼んでくれたのである。そこでは泥カキのボランテイアがひたすら泥をかいていた。そこから始めることはいかなる未来をもっているとしても正解なのだ。むしろそこかれしか始まらないということは皆わかっていた。ガレキや泥の撤去を手伝いながら、いったん大きく広げたフレームをコンパクトに街や個人というレベルで考えてみることにした。そこには具体的な解決すべき問題とその方法論が転がっていたように思えた。だから、僕は、僕にとってのクライアントを手伝うということからはじめて、自分たちで直せる、考えられる、作れる範囲からはじめて見る、やってみるというスタンスが生まれ石巻工房が生まれた。何度も書いていることだけれど、僕はボランテイアも寄付もほとんどしたことがない。今回石巻工房という形で被災地に関わるというのは、僕の善意というよりは職業的な意地のようなところもあるし、実際職能が役に立つというのは何ともありがたい話なのである。実は物作りのスキルもさることながら、ゲリラ的に物をつくるスキル、すなわち僕が数度自分の事務所を大変安いお金で作って来たというスキルが実は役にたっているのだけれど。石巻工房のゴールとしては小さな産業であり、ユニークな町工房として数年、いや十数年と持続していければいいなと思っている。その存在がきっと町づくりには結果的に大きな役割を果たすのではないかという思いを持ちつつ。
さて僕の本業、仕事はどうだったかというと、はっきりいって数は少なかったけれど、その分時間をかけて仕事ができたし、石巻での仕事もしっかりやれたというのもある。思えば、様々な理由でキャンセルもあったけれど、去年の状況を考えれば致し方なしだろう。傾向としては圧倒的にリノベーションの仕事が増えているという印象だ。問い合わせも含め、今後の僕らの仕事の中心になってくる可能性も高い。住宅や集合住宅の仕事はなくなりはしないが、その中心が大きく動いているということだ。家具に関して言うと僕にとっては元年というべきだろう。実際家具の仕事は十年以上やっているわけだけれど、いわゆるメーカーといっしょに家具を作ることになり成果がでたのは正直去年からだ。日本のメーカー二社と海外メーカー二社。そして石巻工房から。:)今年はそれらをどう育てていくのか、広げていくことが出来るのか、ゆっくり考えていきたい。
というわけでスムーズに今年の話。
今年は去年のリバウンドというべきかしっかり仕事がありそうだという印象。もともと仕事をとるために営業活動らしいものなどしたことがないというか、どうやっていいかよくわからないけれど、営業しないといけないという気分にならないですむのはありがたい。目の前にある仕事をしっかりやりながら、石巻工房やそのながれの中で生まれた被災地で僕ができることをやりつつ、せっかく形になりつつある家具の仕事も軌道にのせようと思う。そういった意味で今年も勉強が必要だし、やることはたくさんある。そういえば、賞という賞にほとんど縁がなかった僕だけれど、昨年2ついただいた。両方ともモダンリビング賞で、誰かにモダンリビング建築家だねといわれた。これは新建築建築家というものがあって、その対義語の一つだそうだ。僕自身どこかのmediaに肩入れすることなくやっているつもりだけれど、雑誌、媒体というものは人がかわると方針が変わるし、あまりそこで一喜一憂する必要はないのだということがわかって来た。ただ、応援してくれる編集者とは長い付き合いになるはずだから、そこだけは押さえておくべきだ。物作りは孤独との戦いでもある。孤独に耐えられなくなったときに伴走者がいるにこしたことはない。
というわけで、大変長くなってしまったけれど、去年の今年のなんとなくの総括と抱負である。
2011年11月22日
スタッフ/アルバイト募集
急に世の中が動きだした感じがします。
ここ1年近く3人体制で動かしていた事務所ではありますが、
やりたいことや、仕事のクオリティーを上げていくためにもう一人スタッフ、
あるいは常駐に近いアルバイトに来ていただきたいと思っています。
僕らと一緒に仕事をしたいと思っている人で、事務所のクリエイティビティーに貢献できると
思う方、あるいは貪欲に学びたいと思っている方、e-mail, info@keijidesign.com
にまずはPDFにてポートフォリオやその意気込みを教えてほしいと思います。
私たちの仕事はwebsiteをご覧ください。
http://www.keijidesign.com/
業務としては、建築は、集合住宅、住宅。
インテリアは、オフィス、店舗。
あとは、家具のデザインもいくつか。
英語ができる方はクライアントが外国人であったり、家具のメーカーとのやりとりやメディア対応などで
大変助かります。
経験がなくても、伸びしろがありそうだと思った人といっしょにやってきました。
数年働いた後、独立したり、結婚したり、別の事務所にいったり様々ですが、
ここで学んだこと、建築の考え方、ものづくりについての知識は、
決して無駄にはならないと思います。
能力給
週休二日
朝9時から夜7時
フロムエーのようで恥ずかしいのですが。。。
僕が言うのもなんですが、設計事務所にしては働きやすい職場だとは思います。
設計事務所にしては :)
それではよろしくお願いします。
芦沢
ここ1年近く3人体制で動かしていた事務所ではありますが、
やりたいことや、仕事のクオリティーを上げていくためにもう一人スタッフ、
あるいは常駐に近いアルバイトに来ていただきたいと思っています。
僕らと一緒に仕事をしたいと思っている人で、事務所のクリエイティビティーに貢献できると
思う方、あるいは貪欲に学びたいと思っている方、e-mail, info@keijidesign.com
にまずはPDFにてポートフォリオやその意気込みを教えてほしいと思います。
私たちの仕事はwebsiteをご覧ください。
http://www.keijidesign.com/
業務としては、建築は、集合住宅、住宅。
インテリアは、オフィス、店舗。
あとは、家具のデザインもいくつか。
英語ができる方はクライアントが外国人であったり、家具のメーカーとのやりとりやメディア対応などで
大変助かります。
経験がなくても、伸びしろがありそうだと思った人といっしょにやってきました。
数年働いた後、独立したり、結婚したり、別の事務所にいったり様々ですが、
ここで学んだこと、建築の考え方、ものづくりについての知識は、
決して無駄にはならないと思います。
能力給
週休二日
朝9時から夜7時
フロムエーのようで恥ずかしいのですが。。。
僕が言うのもなんですが、設計事務所にしては働きやすい職場だとは思います。
設計事務所にしては :)
それではよろしくお願いします。
芦沢
2011年11月15日
design week-工房
2週間早かった。10月末からあっといまの11月半ばである。このままではあっというまに年を越す。そうなってしまうまえに、備忘録。10月末には、commoc+mafiの展示があった。僕は双方に深くかかわっているので、会場構成と家具をひとつつくった。mafiとしても、commocとしても多くのお客さんをつかんだとは思うけれど、僕自身のプロトタイプ、commoc+mafiは、可能性というところで完成度をあげるにはあと2ステップは必要だった。いつまでたっても家具は本当に難しい。commocだけでなく、duendeからも折角商品がでたので、売り込みだとおもって、いくつか知っている海外のお店にメールをうってみたりしたけれど、取り扱いたいが、日本から商品はその流通が問題だという。小さなメーカーが、世界で勝負するうえで、そのようなことをいかにクリアしていくかは大きな課題になっていると思う。さらに英語という壁があって、思ったよりも根が深そうだ。僕もそこにコミットしていきたいけれど、本業は建築の設計であり、家具の設計である。本業がおろそかになっても仕方がないというのもありつつ、ここにチャレンジするべき何かを感じているのも事実・・。
今回のデザインウィークにおいて、二俣さんとのトークは思わぬ収穫だった。case realというチームを率いる二俣さんのことは当然よくしっていたのだけれど、まさか僕のことを知っているとは思いもよらず、さらに対談の相手に選んでもらったわけで、とても光栄なことだ。彼の仕事の幅はとても広い。それはジャンルだけではなく、コストという意味においてもだ。そして、どの仕事にもピーンと張りつめた空気を感じる。ぬかりなし。いかにラフな仕事であっても彼の仕事だとわかる緊張感だ。とてもきちんと考えられていることに尊敬もするし、おこがましいが共感もする。美意識といってもいいかもしれない。僕は彼の美意識が好きなのだろうと思う。
もうひとつ、今年のデザインウィークがいままで違うことは、ここ数年でコミニケーションをとってきた海外からのデザイナーたちとこの時期に東京で交流をもてるということがわかったことだ。僕は海外にいけば、思う存分ゲストとしての立場に甘んじてちゃっかり泊まったり、遊んでもらったりしているが、当然のこととして、彼らが日本にくれば僕がそれをやるべきなのだ。そのルールがなくなってしまったら、旅行はさみしいものになっていくだろう。
今回わかったことの一つとして、積極的にデザインイベントに関われば、それはそれなりにバックがある。なるほど。来年もぜひそんな風に積極的にかかわっていこう。。。
最後に、石巻工房について。
昨日からハーマンミラー本社から屈強の男たちと、グラフィックデザイナーチームが石巻入りしている。ベースとなったのが、石巻工房であり、松竹というわけだ。場所があり、機能をあたえ、適切な人材がそこにいれば、何かが起こる。実際石巻ではそのようにしていくつも出来事が起こってきた。松竹の阿部さんは誰よりも先に4mの津波にたえ、キッチンを復活させた。だから今、フル稼働しており、ハーマンミラーチームの胃袋を満たし、キッチンカーでラーメンを200杯売り、さらなる店舗展開が待っている。復興バーは、あの小さなお店に20人が入り、壁に穴が開いていた。そして石巻工房も、なんとか維持させてきたことで、今回のハーマンチームが工具の増強や様々な可能性をみせてくれている。東京の家具会社からの発注も来た。いまの工具がなければ受けれなかっただろう。僕は工房が、そのような場所をつくることのお手伝いをすること、そしてDIYそのものの精神が少しずつでもあのエリアに浸透していくことができるのではないかと思っている。あのような状況化で、どのような活動も答えなどわからずに動いている。わかるわけがない。正解などない。きっと間違いもない。最近そんな間違いを一生懸命揚げ足取りするひともいる。でも誰がそれを間違いだって断定できる?僕は、その間違いが間違いにならない可能性のほうが大きいと思っている。これは直観の域をでないけれど、ミスキックだってときにスルーパスになるように、犬もあえうけば棒にあたるように。工房を被災地につくることは、いままでの答えからすると程遠い。だからこそ、僕は答えに近いんじゃないかと思っている。

今回のデザインウィークにおいて、二俣さんとのトークは思わぬ収穫だった。case realというチームを率いる二俣さんのことは当然よくしっていたのだけれど、まさか僕のことを知っているとは思いもよらず、さらに対談の相手に選んでもらったわけで、とても光栄なことだ。彼の仕事の幅はとても広い。それはジャンルだけではなく、コストという意味においてもだ。そして、どの仕事にもピーンと張りつめた空気を感じる。ぬかりなし。いかにラフな仕事であっても彼の仕事だとわかる緊張感だ。とてもきちんと考えられていることに尊敬もするし、おこがましいが共感もする。美意識といってもいいかもしれない。僕は彼の美意識が好きなのだろうと思う。
もうひとつ、今年のデザインウィークがいままで違うことは、ここ数年でコミニケーションをとってきた海外からのデザイナーたちとこの時期に東京で交流をもてるということがわかったことだ。僕は海外にいけば、思う存分ゲストとしての立場に甘んじてちゃっかり泊まったり、遊んでもらったりしているが、当然のこととして、彼らが日本にくれば僕がそれをやるべきなのだ。そのルールがなくなってしまったら、旅行はさみしいものになっていくだろう。
今回わかったことの一つとして、積極的にデザインイベントに関われば、それはそれなりにバックがある。なるほど。来年もぜひそんな風に積極的にかかわっていこう。。。
最後に、石巻工房について。
昨日からハーマンミラー本社から屈強の男たちと、グラフィックデザイナーチームが石巻入りしている。ベースとなったのが、石巻工房であり、松竹というわけだ。場所があり、機能をあたえ、適切な人材がそこにいれば、何かが起こる。実際石巻ではそのようにしていくつも出来事が起こってきた。松竹の阿部さんは誰よりも先に4mの津波にたえ、キッチンを復活させた。だから今、フル稼働しており、ハーマンミラーチームの胃袋を満たし、キッチンカーでラーメンを200杯売り、さらなる店舗展開が待っている。復興バーは、あの小さなお店に20人が入り、壁に穴が開いていた。そして石巻工房も、なんとか維持させてきたことで、今回のハーマンチームが工具の増強や様々な可能性をみせてくれている。東京の家具会社からの発注も来た。いまの工具がなければ受けれなかっただろう。僕は工房が、そのような場所をつくることのお手伝いをすること、そしてDIYそのものの精神が少しずつでもあのエリアに浸透していくことができるのではないかと思っている。あのような状況化で、どのような活動も答えなどわからずに動いている。わかるわけがない。正解などない。きっと間違いもない。最近そんな間違いを一生懸命揚げ足取りするひともいる。でも誰がそれを間違いだって断定できる?僕は、その間違いが間違いにならない可能性のほうが大きいと思っている。これは直観の域をでないけれど、ミスキックだってときにスルーパスになるように、犬もあえうけば棒にあたるように。工房を被災地につくることは、いままでの答えからすると程遠い。だからこそ、僕は答えに近いんじゃないかと思っている。

2011年10月29日
なぜかたくさん喋ることになりました。
毎年デザインウイークには、なんらかの形で関わったりしてきたけれど、今年は不思議なことにいっぱいお話をする機会をもらった。こんな口べたな男になにを喋らすのかと思いきや、二つは石巻工房について。二つはデザインについてお話することになっている。実際しゃべりすぎだろう。それがどんなことを巻き起こすのか、あるいは何も起こらないのかわからないが、まあとにかくひとひとつじっくりと取り組んでいくほかない。
11月1日 tide hall midtown
ちょっとうれしかったのは、福岡、東京で活躍している二俣公一さんに対談相手としてお声がけいただいたことだ。僕は昔から二俣さんがつくる物たちに勝手にシンパシーを感じていて、うまいなーと遠くから見ていた。特に材料の使い方や、素直な構造に(構造といってもいわゆる建築構造ではなく)ちらちらと仕事をみさせてもらっていた。彼のオフィスも僕と同じように仕事の幅が広く、いや僕と同じといっては失礼だろう。プロダクトやインテリアに関しては何枚も上手だ。彼の仕事のざーっと眺めてみると、コストの幅があることに気づく。時にはDIYでやったような仕事もある。ところがすべてに彼の意識が行き届いていることにデザイナーであれば気づくだろう。それは金物の選択ひとつ、ビスの打ち方をみてもだ。だから物として成立するという感覚があって、すごく簡単なようにみえて誰もが、そしていつも出来る技ではない。プロであってもだ。せっかく呼んでいただいたので、その辺りのことを聞いてみたいし、対談のあとは将来のビジョンについても聞ければ聞いてみたい。
11月2日 orie gallery
トラフの鈴野さんとcommoc ×mafi の展示会にて対談。
僕もこれは聞き手まわったほうが敵はすくないな。彼とは本当に長いつきあいだけれど、いま彼は大企業から、興味深いcreativeな会社までtorafu に仕事を頼み、そして頼みたいと思わせるチームである。数々の実績もさることながら、鈴野さんのひょうひょうとした、そしてさらっと不思議なところに答えを作り出してしまう魅力をきちんとききだそう。
10/30日
tide hall
明日。。石巻工房について長岡勉さんと。
11/4日
axis
石巻工房について。対談。
石巻工房については、話すと長くなるので、また別のブログにて。
まず最初にいわなければいけないことは、僕は善人ではないということ。
このプロジェクトのスタートも継続へのモチベーションも含めて。
そろそろ電車にのって石巻へいくので、このへんで。
11月1日 tide hall midtown
ちょっとうれしかったのは、福岡、東京で活躍している二俣公一さんに対談相手としてお声がけいただいたことだ。僕は昔から二俣さんがつくる物たちに勝手にシンパシーを感じていて、うまいなーと遠くから見ていた。特に材料の使い方や、素直な構造に(構造といってもいわゆる建築構造ではなく)ちらちらと仕事をみさせてもらっていた。彼のオフィスも僕と同じように仕事の幅が広く、いや僕と同じといっては失礼だろう。プロダクトやインテリアに関しては何枚も上手だ。彼の仕事のざーっと眺めてみると、コストの幅があることに気づく。時にはDIYでやったような仕事もある。ところがすべてに彼の意識が行き届いていることにデザイナーであれば気づくだろう。それは金物の選択ひとつ、ビスの打ち方をみてもだ。だから物として成立するという感覚があって、すごく簡単なようにみえて誰もが、そしていつも出来る技ではない。プロであってもだ。せっかく呼んでいただいたので、その辺りのことを聞いてみたいし、対談のあとは将来のビジョンについても聞ければ聞いてみたい。
11月2日 orie gallery
トラフの鈴野さんとcommoc ×mafi の展示会にて対談。
僕もこれは聞き手まわったほうが敵はすくないな。彼とは本当に長いつきあいだけれど、いま彼は大企業から、興味深いcreativeな会社までtorafu に仕事を頼み、そして頼みたいと思わせるチームである。数々の実績もさることながら、鈴野さんのひょうひょうとした、そしてさらっと不思議なところに答えを作り出してしまう魅力をきちんとききだそう。
10/30日
tide hall
明日。。石巻工房について長岡勉さんと。
11/4日
axis
石巻工房について。対談。
石巻工房については、話すと長くなるので、また別のブログにて。
まず最初にいわなければいけないことは、僕は善人ではないということ。
このプロジェクトのスタートも継続へのモチベーションも含めて。
そろそろ電車にのって石巻へいくので、このへんで。
2011年10月13日
あなたがアーキテクトなら・・
archdialyという建築の紹介ブログを見ていたら、
When you’re an Architect
という記事があって、英語だったこともあってあまり深く考えずざざっと楽しく拝見した。
アーキテクトである限りのがれられないものが、ここには列記されている。
まあ、アーキテクトに限らずデザイナーと読み替えることもできるものも多いのだけれど、
まあそうだなと思うことが多く、facebookによると結構な共感を呼んだテキストになったようだ。
ここに書いてあることをいちいち翻訳したり、解説するつもりはないけれど、
僕なりに建築という世界にはいってから妙な癖や実は自慢したいけれど、決して称賛にあたいしない
特技や嫌な思い込みがあって、10個だけつらつらと書いてみようと思う。何度となくこのような文章は書いてきた気もするけれど、まあよし。そしてあえて、アーキテクト一般そうだというような書き方をするが、もちろん僕の私見、もしくは想像である。
10 architect's real voice
1:
おそらく多くのアーキテクトは、骨の姿を想像している。電車の窓から家の風景が軸組みの家にみえたり、コンクリートのラーメン構造だったりしているのである。時には人の骨も姿も想像している。
2:
さわらないと気が済まない。さわったり、たたいたり。スイカじゃないんだからと何度となくいわれる。あ、パイプなんだ!とか、無垢だ!とかひとり喜んでいる。それは推理小説をとく鍵になるから。そして家に帰ってから手をあらわない!と家族に非難される。
3:
アーキテクトが3人もあつまって町にお出かけすると、様々なものにうっとおしいほど触ったり、ひねったり、叩いたり、さらに細かいデテールの議論をしている。これは推理小説の鍵の切れ味について競いあっているわけだ。
こんなことをするのは only architect ..と蔑まされたりする。
4:
背後をチェックする。表面にはあらわないものの仕組みをしるために背後をかならずみる。時にはベンチの背後をのぞくために、大きく腰をまげ覗き込む変なやつ。で、背後をみて納得し、今日も勉強になったと思っている。
5:
貧乏人のくせに好きな建築の話になるとよろこんでタクシー代をはらって終電をのがす。
6:
多くのアーキテクトが自分の仕事はおもったよりも評価されていないと不服におもっている。
7:
何でもできる、つくれるが、案外建築以外は中途半端。
8:
給料、もしくは報酬は安すぎるとおもってはいるが、仕方がないとも思っている。
9:
失敗したときに、自分のお金で直したいという衝動にかられるが、直すために借金をしないとできないことが発覚して、必至にリカバリーする戦術をたてる。
10:
他人より人生を楽しんでいると思い込んでいるが、自由時間がとことん短いことに気がついていない。
When you’re an Architect
という記事があって、英語だったこともあってあまり深く考えずざざっと楽しく拝見した。
アーキテクトである限りのがれられないものが、ここには列記されている。
まあ、アーキテクトに限らずデザイナーと読み替えることもできるものも多いのだけれど、
まあそうだなと思うことが多く、facebookによると結構な共感を呼んだテキストになったようだ。
ここに書いてあることをいちいち翻訳したり、解説するつもりはないけれど、
僕なりに建築という世界にはいってから妙な癖や実は自慢したいけれど、決して称賛にあたいしない
特技や嫌な思い込みがあって、10個だけつらつらと書いてみようと思う。何度となくこのような文章は書いてきた気もするけれど、まあよし。そしてあえて、アーキテクト一般そうだというような書き方をするが、もちろん僕の私見、もしくは想像である。
10 architect's real voice
1:
おそらく多くのアーキテクトは、骨の姿を想像している。電車の窓から家の風景が軸組みの家にみえたり、コンクリートのラーメン構造だったりしているのである。時には人の骨も姿も想像している。
2:
さわらないと気が済まない。さわったり、たたいたり。スイカじゃないんだからと何度となくいわれる。あ、パイプなんだ!とか、無垢だ!とかひとり喜んでいる。それは推理小説をとく鍵になるから。そして家に帰ってから手をあらわない!と家族に非難される。
3:
アーキテクトが3人もあつまって町にお出かけすると、様々なものにうっとおしいほど触ったり、ひねったり、叩いたり、さらに細かいデテールの議論をしている。これは推理小説の鍵の切れ味について競いあっているわけだ。
こんなことをするのは only architect ..と蔑まされたりする。
4:
背後をチェックする。表面にはあらわないものの仕組みをしるために背後をかならずみる。時にはベンチの背後をのぞくために、大きく腰をまげ覗き込む変なやつ。で、背後をみて納得し、今日も勉強になったと思っている。
5:
貧乏人のくせに好きな建築の話になるとよろこんでタクシー代をはらって終電をのがす。
6:
多くのアーキテクトが自分の仕事はおもったよりも評価されていないと不服におもっている。
7:
何でもできる、つくれるが、案外建築以外は中途半端。
8:
給料、もしくは報酬は安すぎるとおもってはいるが、仕方がないとも思っている。
9:
失敗したときに、自分のお金で直したいという衝動にかられるが、直すために借金をしないとできないことが発覚して、必至にリカバリーする戦術をたてる。
10:
他人より人生を楽しんでいると思い込んでいるが、自由時間がとことん短いことに気がついていない。
2011年09月16日
Shelf
様々なことが同時に動き出しているとき、多くの人たちは、実はお手玉といっしょで落ちてくる玉から順番に拾い始める。だから忙しい人に仕事を頼む時、その落ちっぷり、その速度といまどれくらい地面に近づいているかをプレゼンテーションすると案外ぽっとやってくれる。
これはあたかも人の話のようだけれど、実は最近の暇アピールを連呼していたら、暇じゃなくなってきて焦りはじめている。まあ仕方がない。働かざるもの食うべからずなのだ。そういっても仕事のような仕事じゃないようなことのほうが多いんじゃないか?
・・ともかく、今日はshelfの話をしたい。というのも9/25日からAXISで「人づくりシェルフ展」が開催されるゆえ。
このプロジェクトが外部のデザイナーを巻き込むようになってから3年間、がっつり僕は関わってきた。もっというと、人づくりプロジェクト、新人の教育のためのプロジェクトについて最初に丹青社さんから相談があったときに、「シェルフ展にしましょう!」と何の気なしにぺらっとしゃべった。そして本当に「シェルフ展」になったのだ。そんなわけでまず、なぜシェルフなのかという話をしたいと思う。
協力デザイナーにはデザインする上でいくつかのルールをつくろうという話がまずあった。小さすぎないこと。つき板、もしくは無垢材と金属を使ってほしい、できれば金属と木材が面になるようなデザインをしてほしいということだ。これは何をいっているかというと、店舗の設計と施工の多い丹青社さんにとって、そこがデティールの胆であり、二大マテリアルというわけだ。いずれにしてもその二つのマテリアルを駆使してつくるという意味において、「shelf 」は王様だろう。次にそのうち展示会をやれるといいねということもあった。そこでのテーマが、「金属と木材が面になる什器展」では様にならない。しかも協力デザイナーがそれなりに意欲的に独自のテーマもって挑めるものにしようということになって、「棚」では限定的すぎるから「shelf 」ということになった。そして「shelf 」展なわけだ。
これが「bench」や「tabel」ではここまでのバリエーションはでてこなかっただろう。
新人デザイナー、制作担当は、デザイナーがなげかけるコンセプトに基づき、だれも作ったことのない「shelf」に挑むわけだが、家具とはいえ、ビックプロジェクトになる。「どんなshelfですか?」と新人君がきけば、デザイナーは森羅万象、壮大なストーリを語りだす。(もちろん、僕の家にたりない家具をさ・・と素朴な人もいる。)これらは全て新人君の勉強となり、アイデアを具現化していく上で、スキルや新しい技術をしることとなり、これは丹青社の引き出し、新人君の引き出しになっていくという仕組みだ。
今回僕がつくったのは下記。
3年間、ほぼ一貫したコンセプトをShelf に対してぶつけている。
boxinbox




去年
slybox

一昨年
drawershelf

これはあたかも人の話のようだけれど、実は最近の暇アピールを連呼していたら、暇じゃなくなってきて焦りはじめている。まあ仕方がない。働かざるもの食うべからずなのだ。そういっても仕事のような仕事じゃないようなことのほうが多いんじゃないか?
・・ともかく、今日はshelfの話をしたい。というのも9/25日からAXISで「人づくりシェルフ展」が開催されるゆえ。
このプロジェクトが外部のデザイナーを巻き込むようになってから3年間、がっつり僕は関わってきた。もっというと、人づくりプロジェクト、新人の教育のためのプロジェクトについて最初に丹青社さんから相談があったときに、「シェルフ展にしましょう!」と何の気なしにぺらっとしゃべった。そして本当に「シェルフ展」になったのだ。そんなわけでまず、なぜシェルフなのかという話をしたいと思う。
協力デザイナーにはデザインする上でいくつかのルールをつくろうという話がまずあった。小さすぎないこと。つき板、もしくは無垢材と金属を使ってほしい、できれば金属と木材が面になるようなデザインをしてほしいということだ。これは何をいっているかというと、店舗の設計と施工の多い丹青社さんにとって、そこがデティールの胆であり、二大マテリアルというわけだ。いずれにしてもその二つのマテリアルを駆使してつくるという意味において、「shelf 」は王様だろう。次にそのうち展示会をやれるといいねということもあった。そこでのテーマが、「金属と木材が面になる什器展」では様にならない。しかも協力デザイナーがそれなりに意欲的に独自のテーマもって挑めるものにしようということになって、「棚」では限定的すぎるから「shelf 」ということになった。そして「shelf 」展なわけだ。
これが「bench」や「tabel」ではここまでのバリエーションはでてこなかっただろう。
新人デザイナー、制作担当は、デザイナーがなげかけるコンセプトに基づき、だれも作ったことのない「shelf」に挑むわけだが、家具とはいえ、ビックプロジェクトになる。「どんなshelfですか?」と新人君がきけば、デザイナーは森羅万象、壮大なストーリを語りだす。(もちろん、僕の家にたりない家具をさ・・と素朴な人もいる。)これらは全て新人君の勉強となり、アイデアを具現化していく上で、スキルや新しい技術をしることとなり、これは丹青社の引き出し、新人君の引き出しになっていくという仕組みだ。
今回僕がつくったのは下記。
3年間、ほぼ一貫したコンセプトをShelf に対してぶつけている。
boxinbox




去年
slybox

一昨年
drawershelf

2011年09月13日
ボディーブロー
今後の活動ならびに下準備、そして他様々な情報収集のため先週の水曜日、木曜日で石巻入り。見違えるほど町はきれいになっているけれど、逆に本来の復興に時間がかかりそうだということも同時感じてしまう。町に人が戻ってくること、町として機能させるまではやはりなんらかの仕掛けが必要だろうと痛感する。その仕掛けは単発ではだめだという人もいるけれど、その単発をつなげていくことでもいいんじゃないかと最近思っている。つなげていくことで、それは線となり、いずれ面となって空間へとつながっていくんじゃないかと。ボディーブローはいっぱつでは効かないが、地味に打ち続けると体力をうばい、ときにはダウンすらとれることもある。小さな活動をボディブローにたとえることもできそうだ。
ベンチ、テーブルをつくったときにお世話になった石巻工業高校へあいさつから始まって、石巻マルシェとは成立するのかという話を会議を工房で。誰にむけてマルシェをやるのか、いったいそういったマルシェを開催してどれだけ人がくるのか、そのあたりの戦略を練り上げる必要があるという話になった。お魚王子の発案で魚屋として出店するのみならず、牡鹿半島の漁師、漁場をめぐるツアーとあわせて計画しようということになった。彼がすばらしいのは、すでに彼が築いているネットワークの中で、ツアーが組めてしまうところにある。旅行会社、ツアーに参加してくれるであろう人たち、そしていかにそのツアーを成功させるかという勘所まで押さえている。脱帽。そのあたりは彼に任せて、僕らは阿部新前のマルシェ予定地における後方支援をしていこうと思う。
同時に、石巻西高校の美術の先生とお話。彼女は、仮設住宅支援を地元で精力的に活動している。生徒に対する熱意や、今回の震災後の彼女自身の役割、やりがいも感じているようで、本当に素晴らしい。ハーマンミラーの活動にむけての準備や、協働できること、継続して活動していく方法を考えていこうという話に。
そんな会議のあとは、石巻のお寿司屋さん、日本酒バー、そして最後に復興バーへ。これがなかなかどうして楽しい。コストパフォーマンスもさることながら、日本酒も地元のバーでのむと、おそらく保存状態の良さもあるとは思うが、実にうまい。魚はいうまでもなく・・。宿も復活しつつある石巻にぜひ多くの人に行ってもらってお金を落とすこと。それを町の人は望んでいるし、あきらかにお金のおとしがいのある町だと思う。
写真は、昔の復興バー/今の復興バー。super robot作、松竹号。グラフィックは
room composite http://www.room-composite.com/ 津波を被った錆びだらけになったテーブルの修復。藤森泰司さん。工房でつくったテーブル&ベンチ。もはやこのスペースのインフラ。





ベンチ、テーブルをつくったときにお世話になった石巻工業高校へあいさつから始まって、石巻マルシェとは成立するのかという話を会議を工房で。誰にむけてマルシェをやるのか、いったいそういったマルシェを開催してどれだけ人がくるのか、そのあたりの戦略を練り上げる必要があるという話になった。お魚王子の発案で魚屋として出店するのみならず、牡鹿半島の漁師、漁場をめぐるツアーとあわせて計画しようということになった。彼がすばらしいのは、すでに彼が築いているネットワークの中で、ツアーが組めてしまうところにある。旅行会社、ツアーに参加してくれるであろう人たち、そしていかにそのツアーを成功させるかという勘所まで押さえている。脱帽。そのあたりは彼に任せて、僕らは阿部新前のマルシェ予定地における後方支援をしていこうと思う。
同時に、石巻西高校の美術の先生とお話。彼女は、仮設住宅支援を地元で精力的に活動している。生徒に対する熱意や、今回の震災後の彼女自身の役割、やりがいも感じているようで、本当に素晴らしい。ハーマンミラーの活動にむけての準備や、協働できること、継続して活動していく方法を考えていこうという話に。
そんな会議のあとは、石巻のお寿司屋さん、日本酒バー、そして最後に復興バーへ。これがなかなかどうして楽しい。コストパフォーマンスもさることながら、日本酒も地元のバーでのむと、おそらく保存状態の良さもあるとは思うが、実にうまい。魚はいうまでもなく・・。宿も復活しつつある石巻にぜひ多くの人に行ってもらってお金を落とすこと。それを町の人は望んでいるし、あきらかにお金のおとしがいのある町だと思う。
写真は、昔の復興バー/今の復興バー。super robot作、松竹号。グラフィックは
room composite http://www.room-composite.com/ 津波を被った錆びだらけになったテーブルの修復。藤森泰司さん。工房でつくったテーブル&ベンチ。もはやこのスペースのインフラ。





2011年09月02日
石巻工房 WEB
先日石巻工房の会議を事務所で行いました。世の節電にかこつけて30度をこえる熱帯夜の中、弊社では節電というより節約、節欲によりエアコンはついておりません。汗をふきながらのミーティングです。内容は、のちほど詳しくお話します。
工房会議の前は、ハーマンミラーさんとも打ち合わせをいたしました。ハーマンミラー本社から10数人を超える屈強アメリカ人の職人、デザイナーが石巻での復興活動を約10日間行うのですが、その際の日本側パートナーとして石巻工房が選ばれました。(アクシスの佐野さんのご尽力いただきました。)いったい我々のようなモノをデザインをする人間が職能を生かしていかに復興の手伝いをいかにするか、効果的なことができるのか?非常に難しい問いです。様々議論をしていくなかで、ハーマンミラー日本法人社長である松崎さんから、いいお話を聞かせてもらいました。
「小さな産業をおこすつもりで、いっしょにやっていきましょう。」
なるほどと思いました。このセリフのキモは、「小さな」です。小さくてもいいんだと思うことで、少なくとも始めること、スタートすることは出来そうです。「東北の復興」などとフレームを広げすぎてしまうと、何をやっていいのかわからなくなります。そのくらい自体は複雑ですし、被害をうけたエリアは尋常ではないくらい大きいわけです。そこにポツンと一人の人間が立ち向かうとなると途方もなく無力さを痛感してしまいます。小さくてもいい、その小さなことがつながって大きくなることもあるに違いないと、そう信じること、そしてスタートすること、これが復興支援をつづけていく鍵なんだろうと改めて思ったわけです。
これから、雑談ページや、石巻工房のページでは、小さな野望や、小さな約束をいくつかしていきたいと思います。うまくいかないこともあるでしょう。ときには、野望(小さな)はかなえられるかもしれません。そして小さな産業をおこすこと、小さな革命がおこること、小さいけれど復興の足がかりが、石巻工房からうまれることがあるかもしれません。そんな出来事をどうか見守ってください。
先日のミーティングに話を戻します。
多くのデザイナーからの支援をいただき、また様々なメーカーさんなどから資材や道具の提供をすでに受けております。そうした材料や道具、そして現地でのパートナー、工業高校建築部の生徒、美術部の生徒などといっしょに、いくつかプロジェクトを起こしていきます。そしてそれらはある程度の量がまとまった段階で、ゆるく製品化していくことをたくらんでいます。なぜなら、参加していただいている仲間のデザイナーはそれができるほどに、十分に優秀であるという自負があります。工房の向かえにある被災した建物1階をショールームにする計画がでています。また商品は、協力していただけるメーカーさんや仲間を通して市場におくりこみながら、同時に仮設住宅や必要としている人たちへと供給されていきます。
そんな話を食事をしながら打ち合わせいたしました。
石巻工房は小さな産業をめざしていきます。
ps
表題にあるように、石巻工房はWEBSITEができました。
工房会議の前は、ハーマンミラーさんとも打ち合わせをいたしました。ハーマンミラー本社から10数人を超える屈強アメリカ人の職人、デザイナーが石巻での復興活動を約10日間行うのですが、その際の日本側パートナーとして石巻工房が選ばれました。(アクシスの佐野さんのご尽力いただきました。)いったい我々のようなモノをデザインをする人間が職能を生かしていかに復興の手伝いをいかにするか、効果的なことができるのか?非常に難しい問いです。様々議論をしていくなかで、ハーマンミラー日本法人社長である松崎さんから、いいお話を聞かせてもらいました。
「小さな産業をおこすつもりで、いっしょにやっていきましょう。」
なるほどと思いました。このセリフのキモは、「小さな」です。小さくてもいいんだと思うことで、少なくとも始めること、スタートすることは出来そうです。「東北の復興」などとフレームを広げすぎてしまうと、何をやっていいのかわからなくなります。そのくらい自体は複雑ですし、被害をうけたエリアは尋常ではないくらい大きいわけです。そこにポツンと一人の人間が立ち向かうとなると途方もなく無力さを痛感してしまいます。小さくてもいい、その小さなことがつながって大きくなることもあるに違いないと、そう信じること、そしてスタートすること、これが復興支援をつづけていく鍵なんだろうと改めて思ったわけです。
これから、雑談ページや、石巻工房のページでは、小さな野望や、小さな約束をいくつかしていきたいと思います。うまくいかないこともあるでしょう。ときには、野望(小さな)はかなえられるかもしれません。そして小さな産業をおこすこと、小さな革命がおこること、小さいけれど復興の足がかりが、石巻工房からうまれることがあるかもしれません。そんな出来事をどうか見守ってください。
先日のミーティングに話を戻します。
多くのデザイナーからの支援をいただき、また様々なメーカーさんなどから資材や道具の提供をすでに受けております。そうした材料や道具、そして現地でのパートナー、工業高校建築部の生徒、美術部の生徒などといっしょに、いくつかプロジェクトを起こしていきます。そしてそれらはある程度の量がまとまった段階で、ゆるく製品化していくことをたくらんでいます。なぜなら、参加していただいている仲間のデザイナーはそれができるほどに、十分に優秀であるという自負があります。工房の向かえにある被災した建物1階をショールームにする計画がでています。また商品は、協力していただけるメーカーさんや仲間を通して市場におくりこみながら、同時に仮設住宅や必要としている人たちへと供給されていきます。
そんな話を食事をしながら打ち合わせいたしました。
石巻工房は小さな産業をめざしていきます。
ps
表題にあるように、石巻工房はWEBSITEができました。
2011年08月27日
小旅行
最近ふと思い出してツイッターにも書いたのだけれど、絆をとりもどすのに小旅行をくりかえすのががいいという話を、数年前クライアントから聞いた。設計やデザインの仕事は、どうしても長時間労働や出張とセットになりがちで、つい家族との時間がないがしろになってしまう。だからこそ時々思い切って旅行に行って、しっかりとコミニケーションをとれという話だった。
よく考えてみれば、多くのロードムービーでも、いざこざを抱えたカップルや家族が旅を通して共に成長し、絆を取り戻していくというパターンは数多くある。朝から晩まで、そして様々なハプニングを共に乗り越えながら時間を過ごすその濃密さこそが重要だということなんだろうと思う。
今回僕が思い切って家族を連れて海外旅行にいったのはそういった思いがあった。いけるというチャンスをのがしたら次はいつくるかわからない。9歳と4歳という娘たち、彼女たちのその瞬間をいっしょに過ごしたい、そして自分もできれば楽しみたいなと。実は去年あたりから僕はいやというのほど海外に行っていた。それを望んではいたけれど、実際そうなってみるとこれはこれで案外きつい。飛行機は深夜だったり、早朝だったり。時差ぼけあり、つい外食中心になるから金銭的にも、体力的にもきつかった。それをパパはいいなーと言い続けてきた家族。大変なんだといっても信用してもらえない。3年前に家族でタイに来た時のことはもう忘れているのである。
今回、それなりに長くマレーシアに滞在して、確かに家族のきずなは深まったような気がしないでもない。勝手な妄想に過ぎないけれど、すこしパパを見直したということもあるんじゃないかとほくそ笑む。ホテルのマネージャーとのケンカ腰の交渉。タクシードライバーとのバトル。様々な危機(といっても大したことはないけれど)乗り越えるパパがウルトラマンにみえたんじゃなかろうかともほくそ笑む。それは大げさだったとしても、普段はなかなか見せることのできない姿をみて、何かを感じたことはあっただろうと思う。いや、これも親の勝手な妄想かな・・。
もうひとつ。あえて今回小旅行を海外にしたのは、長期間の旅行となると実は国内よりも海外のほうが安いという一番の理由はさておき・・・、島国日本に住む子供たちに日本以外の国、日本以外の常識、食べ物、言葉、空気を感じさせたかったこともある。僕が初めて海外にいったのは20歳の春。そのショックはいまも忘れられない。別にショックをやわらげたいわけではなく、僕ら以上に彼らの時代は世界へでていかなければいけない時代だろう。何もしらないよりも、それがタイであれマレーシアであれ、知っているほうがよかろう、知らないよりは。
そんなわけで、家族での海外旅行。
一人で海外に行くよりも楽しいことも沢山ある半面、バカンスというよりはなかなかハードな日々でもあったなと・・。おぼれないように、となりにはりついて海水浴にプール。後ろをついてきてるか、パスポートは、チケットは、飛行機は、ごはんは・・・。それでもまた来年いければいいなとは思うのだけれど。

上陸!
よく考えてみれば、多くのロードムービーでも、いざこざを抱えたカップルや家族が旅を通して共に成長し、絆を取り戻していくというパターンは数多くある。朝から晩まで、そして様々なハプニングを共に乗り越えながら時間を過ごすその濃密さこそが重要だということなんだろうと思う。
今回僕が思い切って家族を連れて海外旅行にいったのはそういった思いがあった。いけるというチャンスをのがしたら次はいつくるかわからない。9歳と4歳という娘たち、彼女たちのその瞬間をいっしょに過ごしたい、そして自分もできれば楽しみたいなと。実は去年あたりから僕はいやというのほど海外に行っていた。それを望んではいたけれど、実際そうなってみるとこれはこれで案外きつい。飛行機は深夜だったり、早朝だったり。時差ぼけあり、つい外食中心になるから金銭的にも、体力的にもきつかった。それをパパはいいなーと言い続けてきた家族。大変なんだといっても信用してもらえない。3年前に家族でタイに来た時のことはもう忘れているのである。
今回、それなりに長くマレーシアに滞在して、確かに家族のきずなは深まったような気がしないでもない。勝手な妄想に過ぎないけれど、すこしパパを見直したということもあるんじゃないかとほくそ笑む。ホテルのマネージャーとのケンカ腰の交渉。タクシードライバーとのバトル。様々な危機(といっても大したことはないけれど)乗り越えるパパがウルトラマンにみえたんじゃなかろうかともほくそ笑む。それは大げさだったとしても、普段はなかなか見せることのできない姿をみて、何かを感じたことはあっただろうと思う。いや、これも親の勝手な妄想かな・・。
もうひとつ。あえて今回小旅行を海外にしたのは、長期間の旅行となると実は国内よりも海外のほうが安いという一番の理由はさておき・・・、島国日本に住む子供たちに日本以外の国、日本以外の常識、食べ物、言葉、空気を感じさせたかったこともある。僕が初めて海外にいったのは20歳の春。そのショックはいまも忘れられない。別にショックをやわらげたいわけではなく、僕ら以上に彼らの時代は世界へでていかなければいけない時代だろう。何もしらないよりも、それがタイであれマレーシアであれ、知っているほうがよかろう、知らないよりは。
そんなわけで、家族での海外旅行。
一人で海外に行くよりも楽しいことも沢山ある半面、バカンスというよりはなかなかハードな日々でもあったなと・・。おぼれないように、となりにはりついて海水浴にプール。後ろをついてきてるか、パスポートは、チケットは、飛行機は、ごはんは・・・。それでもまた来年いければいいなとは思うのだけれど。

上陸!
2011年08月14日
10年
夏休みまでが前半戦だというイメージがあるのは小学生からのくせが抜けてないせいだろうか。決算を7月末にしたせいもあるかもしれない。いや、建設業において休みといえば盆と正月くらいしかないからか。とにかく前半戦が終わった。
震災の影響なのか、業界のシュリンクがそもそもの原因なのか多くの設計者が動き始めているようだ。アジアに動き、別の業界へ動いている。こんな時代だからか、ヘッドハンターというやからに初めて接触された。生き残るところは生き残るのである。知り合いの弁護士事務所は、震災後多くの会社が撤退、縮小をしたため、信じられないくらい忙しいという。ヘッドハンターは、そうした企業へ人材を移動させていく。僕はまじめに設計を、住宅を作るということを独立してから10年やってきた。これからもそうだろう。住宅を作るのは楽しい。設計全般楽しいのだけれど、石を投げたらあたるほどいる設計者に対して、クライアントがこちらからはまったく見えない。そんな世界において、これからの事務所は仕事の柱を何本か持つというのは必然だと思ってはや10年。家具のデザインを始めてから10年。やっとビジネスになってきたのだけれど、何事も時間がかかるのだなとしみじみ。
中国にいった人たちも、こちらからは華々しいニュースばかりのように見えるけれど、当然競争があり、また数年は不遇の時代もあっただろうと想像する。動き出すのは早ければ早いほどいいが、来週に結果がでるものでもない。ただ動き出さなければ何も始まらないのだ。
手前味噌になるが、10年やってきて仕事を認めてもらえるという嬉しいことも増えてきた。10年の蓄積が形になってきたということだ。
動き出す、それはとてもいい。
でも形になるのは、10年後。だからいまを一生懸命にやるしかない。でも動かないと10年後の未来は暗いかもしれないのだ。
震災の影響なのか、業界のシュリンクがそもそもの原因なのか多くの設計者が動き始めているようだ。アジアに動き、別の業界へ動いている。こんな時代だからか、ヘッドハンターというやからに初めて接触された。生き残るところは生き残るのである。知り合いの弁護士事務所は、震災後多くの会社が撤退、縮小をしたため、信じられないくらい忙しいという。ヘッドハンターは、そうした企業へ人材を移動させていく。僕はまじめに設計を、住宅を作るということを独立してから10年やってきた。これからもそうだろう。住宅を作るのは楽しい。設計全般楽しいのだけれど、石を投げたらあたるほどいる設計者に対して、クライアントがこちらからはまったく見えない。そんな世界において、これからの事務所は仕事の柱を何本か持つというのは必然だと思ってはや10年。家具のデザインを始めてから10年。やっとビジネスになってきたのだけれど、何事も時間がかかるのだなとしみじみ。
中国にいった人たちも、こちらからは華々しいニュースばかりのように見えるけれど、当然競争があり、また数年は不遇の時代もあっただろうと想像する。動き出すのは早ければ早いほどいいが、来週に結果がでるものでもない。ただ動き出さなければ何も始まらないのだ。
手前味噌になるが、10年やってきて仕事を認めてもらえるという嬉しいことも増えてきた。10年の蓄積が形になってきたということだ。
動き出す、それはとてもいい。
でも形になるのは、10年後。だからいまを一生懸命にやるしかない。でも動かないと10年後の未来は暗いかもしれないのだ。
2011年08月12日
石巻マルシェ
8/9日。石巻の夏は東京よりもすごしやすい。が、流石にこの日は暑かった。久しぶりの来石といっても川開きのあと、10日ぶり。石巻マルシェの話をすすめることをメインにいくつかの野暮用のために来石。日帰り弾丸出張の予定ではあったが、石巻の夜は楽しい。その誘惑にまけて宿泊に変更。(朝すこし遅刻したことも関係あり。)
この日誌をすすめるまえに、
まず、石巻マルシェ構想についてお話しなければいけない。実はマルシェ構想は震災前からあった話である。阿部新旅館前の丸光デパート跡地をつかってのマルシェ構想。場所はこのあたり。
今回の石巻マルシェ構想は、阿部新旅館解体跡地をつかってすぐに始めよう!という話にお手伝いしたいと名乗り出たわけだれど、もともとの構想がいかなるものであったのか、あるいはいまも進行している丸光デパート跡地での構想はどのようなものなのかは知る必要がある。最終的には石巻中心市街地にとってのいい市場をつくることが第一義なのだから。
よって、石巻マルシェに関わっていくであろうメンバー、阿部新、松竹の阿部久利さん、仙台のオークレット佐藤さん、町づくりマンボウの尾形さんと会議をすることになったわけである。(その後、お魚王子こと、三陸おさかな倶楽部の店主
津田さんもネット上にて参加。)
会議の結論は、すぐやる派の私と、佐藤さんが来月頭からまずは阿部新跡地でマルシェをはじめるたい!という話。そしてマンボウ尾形さんの長年の構想である丸光デパート跡地をいかに進ませていくかという2つの話となり、プロトタイプを阿部新で、丸光案は引き続き交渉や資金関係をあらっていくということになった。そして今もネット上での会議を進行中である。
というわけで来月頭からえいっとスタートするマルシェ。
阿部新跡地、解体されて建物は半分になってしまった松竹ではあるけれど、そこがstand up weekの中心地であり、今回マルシェのプロトタイプがつくられる。転んでもただでは起きぬ。久利さん、すばらしい。
もうひとつ。ゲストハウス構想のためにいくつかビルを視察。これも直感の域をでないが、東京に戻った後、アイトピア通りcoopの撤退後のビルをつかわせてもらうのがいいのではないかと思案を続けている。
夜は、浪漫邸(石巻グランドホテル1階、)にて、阿部久利さん、豪太さん、真野研の京子さん、2.0のメンバーで日本酒を堪能。何を話たか覚えていないくらい白熱する話あり、笑い転げる話あり。オーナーの明さんからシャンパンはないけれど、泡の出る日本酒はあるよということでふるまわれた日本酒でほろ酔いのまま阿部新ドミトリーで就寝。
石巻の夜は涼しい--けれども熱い町になることに願いながら。

稼働しはじめた松竹(阿部新)のキッチン。

石巻工房、道具箱。購入したり、いただいたりの工具と備品。これだけあれば大概の大工工事は可能。

バックパッカー用、あるいは短期ボランティア用のゲストハウスにコンバージョンをタクラミ中

プロショップまるか。すでに機能しているお店。

おまたせしました。もう営業してますよ。

工夫しています。

ロゴデザイン、老若男女、みんなが楽しめる市場のためのロゴ。すばらしい。:DRILL DESIGN

阿部新跡地のマルシェ構想プラン。9月頭に営業開始。週何回にするかをこれから・・。
この日誌をすすめるまえに、
まず、石巻マルシェ構想についてお話しなければいけない。実はマルシェ構想は震災前からあった話である。阿部新旅館前の丸光デパート跡地をつかってのマルシェ構想。場所はこのあたり。
今回の石巻マルシェ構想は、阿部新旅館解体跡地をつかってすぐに始めよう!という話にお手伝いしたいと名乗り出たわけだれど、もともとの構想がいかなるものであったのか、あるいはいまも進行している丸光デパート跡地での構想はどのようなものなのかは知る必要がある。最終的には石巻中心市街地にとってのいい市場をつくることが第一義なのだから。
よって、石巻マルシェに関わっていくであろうメンバー、阿部新、松竹の阿部久利さん、仙台のオークレット佐藤さん、町づくりマンボウの尾形さんと会議をすることになったわけである。(その後、お魚王子こと、三陸おさかな倶楽部の店主
津田さんもネット上にて参加。)
会議の結論は、すぐやる派の私と、佐藤さんが来月頭からまずは阿部新跡地でマルシェをはじめるたい!という話。そしてマンボウ尾形さんの長年の構想である丸光デパート跡地をいかに進ませていくかという2つの話となり、プロトタイプを阿部新で、丸光案は引き続き交渉や資金関係をあらっていくということになった。そして今もネット上での会議を進行中である。
というわけで来月頭からえいっとスタートするマルシェ。
阿部新跡地、解体されて建物は半分になってしまった松竹ではあるけれど、そこがstand up weekの中心地であり、今回マルシェのプロトタイプがつくられる。転んでもただでは起きぬ。久利さん、すばらしい。
もうひとつ。ゲストハウス構想のためにいくつかビルを視察。これも直感の域をでないが、東京に戻った後、アイトピア通りcoopの撤退後のビルをつかわせてもらうのがいいのではないかと思案を続けている。
夜は、浪漫邸(石巻グランドホテル1階、)にて、阿部久利さん、豪太さん、真野研の京子さん、2.0のメンバーで日本酒を堪能。何を話たか覚えていないくらい白熱する話あり、笑い転げる話あり。オーナーの明さんからシャンパンはないけれど、泡の出る日本酒はあるよということでふるまわれた日本酒でほろ酔いのまま阿部新ドミトリーで就寝。
石巻の夜は涼しい--けれども熱い町になることに願いながら。

稼働しはじめた松竹(阿部新)のキッチン。

石巻工房、道具箱。購入したり、いただいたりの工具と備品。これだけあれば大概の大工工事は可能。

バックパッカー用、あるいは短期ボランティア用のゲストハウスにコンバージョンをタクラミ中

プロショップまるか。すでに機能しているお店。

おまたせしました。もう営業してますよ。

工夫しています。

ロゴデザイン、老若男女、みんなが楽しめる市場のためのロゴ。すばらしい。:DRILL DESIGN

阿部新跡地のマルシェ構想プラン。9月頭に営業開始。週何回にするかをこれから・・。
2011年07月25日
石巻工房
石巻工房について少しだけ書いておきたい。
何度となく書いているけれど、いつも中途半端だったからきちんとまとめてみたい。まず僕は石巻にクライアントがいた。昨年とてもお世話になったクライアントである。彼が震災後に呼んでくれた、だから震災後早い段階で被災地に乗り込むことになった。それが全ての切っ掛けである。途方もない被害状況のなかで、僕はまず彼がお店を再開すること、彼らの住まいを確保すること、それにエネルギーを注ぐことに決めた。僕一人だけではお手伝いできない、だから嘗ての仲間super robotもいっしょに来てもらった。彼らは去年、クライアントのお店の家具工事とサイン工事をお願いしていたし、ボスの細川さんは阿部さんのお姉さん、そして旦那さんのジョフレーを良く知っていたから工具一式つんで現地にいった。
掃除がメインだったけれど、工具があることでいくつか直していけるなという思いはあった。と同時にクライアントが自らの住まいをボランティアセンターのごとく部屋を開放してくれた。実はそれがあとで大きな違いをうむことになるわけど、それはまた別の機会にお話したい。
そんなこともあって、旧北上川から近いエリアは壊滅的な被害をうけていただけれど、工房的な機能をもったスペースが近くにがあれば、復興のスピードも随分違ってくるんではないかと、ぼんやりと思っていた。そんなときに津波の被害をうけながらも、震災後早々に再オープンしたというお店の話を聞いた。オーナーはインパクトドライバーを片手に自分で直したと誇らしげである。
設計事務所やデザイン事務所では当たり前のような気もするが、自分たちで簡単な家具をつくったり、展示会のブースをつくったりする。一つの理由は、実はそのスキルがないと、自分の仕事を発表することのハードルが高すぎるのである。プロに頼むほどコストをかけれないのだ。そしてモノをデザインすることと、自分で何かを作ることの関連性があることを彼ら、僕はしっている。そうした経験を踏まえて、石巻旧市街において、あと1年、2年はDIYのスキル、デザインのスキルが大きくこの町に影響してくるはずだという直感があった。それでも工房の話をしたときに、結構な賛同者がいてくれたことは本当にうれしかった。
デザイナーが社会とどう関わっていくのか、そういった議論がここ数年多かったのも幸いだったと思う。自分のデザインは社会に役に立つのだろうか?と多くのデザイナーが自問自答をしているなかで、震災がおこった。そんなタイミングだったからこそ震災後デザイナーは様々な動き方をした。僕もその様子を眺めていたし、手伝ったりもした。僕の手伝いの全てがうまくいったとは言えないけれど、そこでジタバタしたことで様々なことが見えた。何しろ初めての経験である。良くわからないからこそ、初めて被災地にいったときは、シャベルと長靴、そしておいしい夜ごはんを抱えていった。体を使うしかないと思ったから。状況が落ち着きつつあると同時に、先ほども書いたように、工房をつくったらいいんじゃないかとピーンときた。すくなくとも、僕が石巻にいったときには必要な施設だったし、それがあることで僕の出来ることが格段に増えるという自信もあった。
では工房をどうつくるか?実はその時点ではなにも考えてない。それどころか、工房ができるとして、それだけでいいのか?とさらに欲張って考えていた。5月に石巻にいったときに、注意深く町を眺め、人の話をきいていたときに、僕のクライアントがぼそっと呟いた。「この町には教育が必要だ。」ここでいう教育とは、様々な意味を含んでいたのだけれど、僕は教育という言葉を真に受けて、石巻の学校を調べた。石巻工業高校に建築学科がある。彼らは大学に行く人も、大工になる人もいるようなユニークな学科だった。思い付きでこの学校とまず協働しようときめた。彼らが復興の担い手だからだ。直接彼らの手によって復興させていくわけである。彼らといっしょに何かをつくる、つくることで教育的なこともできるんじゃないかと。特になんの当てもなく。工房と教育をつなげようと、ただそう思ったのだ。
そんな無謀な話に地元の人が動いてくれたのと、先生の昔の職場でのネットワークによって話はなぜかトントン拍子にすすみ一緒にベンチを作ろうという話になった。話はここから動きだす。いや動かさなければいけなかった。実はこの時点では何もない。場所もない、木材もない、そしてお金も。あわてて助成金の申請や、工房の確保、木材の提供先さがした。こうした本来であれば複雑な状況も、わりと短時間でクリアできたのは、震災復興という状況による。皆支援という方向に向いていたから。そうこうすることで、なんとか高校生とのワークショップができることになったわけである。
工房での仕事はなにか。まずは工房の整備が必要だった。津波の圧力によってひんまがったシャッターをきり、新たに扉や窓をつくりなおすこと。工房内のガラクタの解体、作業テーブル。そして高校生とは屋外用のベンチを大量につくった。テーブルも。お祭りのための射的台も欲しいとの要望があったりして、つくったりもした。
結局ベンチ、テーブルはあわせて45台。やればできる。そんなどうでもいい格言を思い出した。
道具を借りに来る人たちもぼちぼち増えてきた。改装につかうもの、解体につかうもの、また作業そのものが楽しくて遊びにきてくれた地元の人たちもでてきた。この工房ではいまベルギーの若い建築家による都市計画を考えるワークショップをやっているが、来月には東北大の学生によるワークショップ、獅子舞をつくる職人、アメリカの家具の会社が復興支援のベースとしてここを使いたいと話がきている。
そして僕は、この工房の機能をさらに充実させて、工具や道具を増やし、コミニケーションの拠点とすると同時に、今後復興するうえで必要な支援をしていきたいと思っている。石巻マルシェをつくろうという話があって、そのプロジェクトをいかに進めていくか考えている。工房では、そのブランディング、プログラム、DIYでできる全てのことを支援していくつもりである。いずれにしても、快適で豊かなマルシェをつくっていきたいので、ただやさいや魚が集まったというものではない、生き生きとしたマルシェにしていきたいのである。どこか車で買いに行くよりも、よっぽど魅力的な、そして遠くからわざわざこのマルシェを楽しみにきてしまうようなそんなスペース。工房にあつまったメンバーであれば僕はできると確信している。



何度となく書いているけれど、いつも中途半端だったからきちんとまとめてみたい。まず僕は石巻にクライアントがいた。昨年とてもお世話になったクライアントである。彼が震災後に呼んでくれた、だから震災後早い段階で被災地に乗り込むことになった。それが全ての切っ掛けである。途方もない被害状況のなかで、僕はまず彼がお店を再開すること、彼らの住まいを確保すること、それにエネルギーを注ぐことに決めた。僕一人だけではお手伝いできない、だから嘗ての仲間super robotもいっしょに来てもらった。彼らは去年、クライアントのお店の家具工事とサイン工事をお願いしていたし、ボスの細川さんは阿部さんのお姉さん、そして旦那さんのジョフレーを良く知っていたから工具一式つんで現地にいった。
掃除がメインだったけれど、工具があることでいくつか直していけるなという思いはあった。と同時にクライアントが自らの住まいをボランティアセンターのごとく部屋を開放してくれた。実はそれがあとで大きな違いをうむことになるわけど、それはまた別の機会にお話したい。
そんなこともあって、旧北上川から近いエリアは壊滅的な被害をうけていただけれど、工房的な機能をもったスペースが近くにがあれば、復興のスピードも随分違ってくるんではないかと、ぼんやりと思っていた。そんなときに津波の被害をうけながらも、震災後早々に再オープンしたというお店の話を聞いた。オーナーはインパクトドライバーを片手に自分で直したと誇らしげである。
設計事務所やデザイン事務所では当たり前のような気もするが、自分たちで簡単な家具をつくったり、展示会のブースをつくったりする。一つの理由は、実はそのスキルがないと、自分の仕事を発表することのハードルが高すぎるのである。プロに頼むほどコストをかけれないのだ。そしてモノをデザインすることと、自分で何かを作ることの関連性があることを彼ら、僕はしっている。そうした経験を踏まえて、石巻旧市街において、あと1年、2年はDIYのスキル、デザインのスキルが大きくこの町に影響してくるはずだという直感があった。それでも工房の話をしたときに、結構な賛同者がいてくれたことは本当にうれしかった。
デザイナーが社会とどう関わっていくのか、そういった議論がここ数年多かったのも幸いだったと思う。自分のデザインは社会に役に立つのだろうか?と多くのデザイナーが自問自答をしているなかで、震災がおこった。そんなタイミングだったからこそ震災後デザイナーは様々な動き方をした。僕もその様子を眺めていたし、手伝ったりもした。僕の手伝いの全てがうまくいったとは言えないけれど、そこでジタバタしたことで様々なことが見えた。何しろ初めての経験である。良くわからないからこそ、初めて被災地にいったときは、シャベルと長靴、そしておいしい夜ごはんを抱えていった。体を使うしかないと思ったから。状況が落ち着きつつあると同時に、先ほども書いたように、工房をつくったらいいんじゃないかとピーンときた。すくなくとも、僕が石巻にいったときには必要な施設だったし、それがあることで僕の出来ることが格段に増えるという自信もあった。
では工房をどうつくるか?実はその時点ではなにも考えてない。それどころか、工房ができるとして、それだけでいいのか?とさらに欲張って考えていた。5月に石巻にいったときに、注意深く町を眺め、人の話をきいていたときに、僕のクライアントがぼそっと呟いた。「この町には教育が必要だ。」ここでいう教育とは、様々な意味を含んでいたのだけれど、僕は教育という言葉を真に受けて、石巻の学校を調べた。石巻工業高校に建築学科がある。彼らは大学に行く人も、大工になる人もいるようなユニークな学科だった。思い付きでこの学校とまず協働しようときめた。彼らが復興の担い手だからだ。直接彼らの手によって復興させていくわけである。彼らといっしょに何かをつくる、つくることで教育的なこともできるんじゃないかと。特になんの当てもなく。工房と教育をつなげようと、ただそう思ったのだ。
そんな無謀な話に地元の人が動いてくれたのと、先生の昔の職場でのネットワークによって話はなぜかトントン拍子にすすみ一緒にベンチを作ろうという話になった。話はここから動きだす。いや動かさなければいけなかった。実はこの時点では何もない。場所もない、木材もない、そしてお金も。あわてて助成金の申請や、工房の確保、木材の提供先さがした。こうした本来であれば複雑な状況も、わりと短時間でクリアできたのは、震災復興という状況による。皆支援という方向に向いていたから。そうこうすることで、なんとか高校生とのワークショップができることになったわけである。
工房での仕事はなにか。まずは工房の整備が必要だった。津波の圧力によってひんまがったシャッターをきり、新たに扉や窓をつくりなおすこと。工房内のガラクタの解体、作業テーブル。そして高校生とは屋外用のベンチを大量につくった。テーブルも。お祭りのための射的台も欲しいとの要望があったりして、つくったりもした。
結局ベンチ、テーブルはあわせて45台。やればできる。そんなどうでもいい格言を思い出した。
道具を借りに来る人たちもぼちぼち増えてきた。改装につかうもの、解体につかうもの、また作業そのものが楽しくて遊びにきてくれた地元の人たちもでてきた。この工房ではいまベルギーの若い建築家による都市計画を考えるワークショップをやっているが、来月には東北大の学生によるワークショップ、獅子舞をつくる職人、アメリカの家具の会社が復興支援のベースとしてここを使いたいと話がきている。
そして僕は、この工房の機能をさらに充実させて、工具や道具を増やし、コミニケーションの拠点とすると同時に、今後復興するうえで必要な支援をしていきたいと思っている。石巻マルシェをつくろうという話があって、そのプロジェクトをいかに進めていくか考えている。工房では、そのブランディング、プログラム、DIYでできる全てのことを支援していくつもりである。いずれにしても、快適で豊かなマルシェをつくっていきたいので、ただやさいや魚が集まったというものではない、生き生きとしたマルシェにしていきたいのである。どこか車で買いに行くよりも、よっぽど魅力的な、そして遠くからわざわざこのマルシェを楽しみにきてしまうようなそんなスペース。工房にあつまったメンバーであれば僕はできると確信している。



2011年07月15日
職人的な勘
最近、リノベーションの依頼が多くなった。リノベーションの仕事は(リノベーションに限らないが)、ノウハウとして書けないノウハウがあるような気がする。
ある程度機転を利かせないと解けてこない。ざっくりと書くと、一つはプラン的な処理であり、一つは設備的な思い切りである。クライアントとのやりとりのなかでのヒントやコストなどの観点から、分析するまでもなく、ピーンときたものがだいたい答えになる。
この手の勘は、ピアノの練習といっしょで、続けることで磨く、そして維持できる勘のようなものだなつくづく思うけれど、いってみれば職人的な勘なんだろうと思う。
職人さんに質問すると、とても歯切れよく、間髪いれず返答が返ってくる。(ときにして
彼らは出来ることを出来ないともいう。それは職人の職業的な、すなわちお金があわないと
判断したときだ。)実はそこには膨大な量の体で覚えた知識が一瞬にして結びつきあい
返答しているのであろう。
よく建築の仕事をうまくなりたければ辞めないことだ、とはいうけれど、
つまり職人としての勘を磨けということなんだろうと思う。
ある程度機転を利かせないと解けてこない。ざっくりと書くと、一つはプラン的な処理であり、一つは設備的な思い切りである。クライアントとのやりとりのなかでのヒントやコストなどの観点から、分析するまでもなく、ピーンときたものがだいたい答えになる。
この手の勘は、ピアノの練習といっしょで、続けることで磨く、そして維持できる勘のようなものだなつくづく思うけれど、いってみれば職人的な勘なんだろうと思う。
職人さんに質問すると、とても歯切れよく、間髪いれず返答が返ってくる。(ときにして
彼らは出来ることを出来ないともいう。それは職人の職業的な、すなわちお金があわないと
判断したときだ。)実はそこには膨大な量の体で覚えた知識が一瞬にして結びつきあい
返答しているのであろう。
よく建築の仕事をうまくなりたければ辞めないことだ、とはいうけれど、
つまり職人としての勘を磨けということなんだろうと思う。
2011年07月14日
ジャンプ
何かをデザインする行為を編集作業だという人がいるけれど、このマジックワードには根本的な欠落を抱えている。確かに編集的な側面はいなめない。つまり、状況を整理し、整頓していくという行為は、デザインを作っていく上での作業、そのほとんどだ。僕も建築を設計することはパズルを解くようにプランを解いていくという話をしていたことがある。それはどこか建築も編集だといってしまっているに近いところがある。それだけでは足りない。何が必要か?建築の設計、あるいはデザインの詰めをやっていく上で、大きなジャンプが必要だと思っている。そのジャンプがなければそのデザインは実はあっというまに消費されてしまうとすら思う。ところがそのジャンプは実はあまり上手に説明できないことも多い。言葉だけで組み立てていくデザインの危うさは、こうしたジャンプを否定してしまう危険性もある。
ジャンプのない、つまり詰めがあまい何かは、最後のジャンプをだれかにみすみすあげているようなものだし、僕の嘗てのプロトタイプをながめても、そのジャンプがないものが結構ある。残念。
条件の整理、コスト、マテリアル、すべて整ったうえでの、大きなジャンプ。そのジャンプをあえて具体的にいえば、素敵な偶然、もっと具体的にいえば、やはりオリジナリティーということになるのかな。
「オリジナリティーはない。」というマジックワードもあるけれど、おそらくクオレパトラの時代から同じようなことが語られているような陳腐な話だろう。このように、そこに頼りたいひとが頼る便利なワードが無数にあって、ついそこにもたれたくなる気持ちはわからなくもない。
とはいえ、僕はやっぱり「ジャンプ」を見てみたいし、ジャンプの生成過程、生みの苦しみは必要なんだろうと、そう思いながらうまくいかないプロトタイプをみつつ、ため息。昼ごはんにしましょう。
ジャンプのない、つまり詰めがあまい何かは、最後のジャンプをだれかにみすみすあげているようなものだし、僕の嘗てのプロトタイプをながめても、そのジャンプがないものが結構ある。残念。
条件の整理、コスト、マテリアル、すべて整ったうえでの、大きなジャンプ。そのジャンプをあえて具体的にいえば、素敵な偶然、もっと具体的にいえば、やはりオリジナリティーということになるのかな。
「オリジナリティーはない。」というマジックワードもあるけれど、おそらくクオレパトラの時代から同じようなことが語られているような陳腐な話だろう。このように、そこに頼りたいひとが頼る便利なワードが無数にあって、ついそこにもたれたくなる気持ちはわからなくもない。
とはいえ、僕はやっぱり「ジャンプ」を見てみたいし、ジャンプの生成過程、生みの苦しみは必要なんだろうと、そう思いながらうまくいかないプロトタイプをみつつ、ため息。昼ごはんにしましょう。
2011年07月11日
デザインをディベロップさせるワークショップについて。
いったい何から書き始めたらいいのかわからないほど放置してしまったのけれど、皮肉なことに書きたいことが沢山あったにも関わらず、放置してしまったわけだ。これは決して書く時間がなかったわけではなく、書く気分に何故かならなかったわけである。モノ書き気分には斑がある。
さて、前のエントリーを読むと、おおー、まだ出張中ではないか。
なんと、ずいぶん昔のことに思えるだけに残念でたまらない。いったい何しにいったの?と
家族やスタッフの目を逸らすためにも、まずは出張の核について書きたい。
今回の出張は、家具メーカーが主催するワークショップに参加するためである。
ワークショップといっても、お互いに持ち寄ったアイデアをデベロップするためのワークショップで、
一般的なワークショップとはやや状況が異なる。世界中から集められたデザイナー10組強、
ブラジル、香港、スペイン、ポーランド、US・・。英語の喋り方も違えば、ジョークも違う。
アメリカ人のジョークはあくまでブラックだ。遠くで大人たちが集まっているのを見て、
僕らが何をしているのかと話ていると、
”Sacrifice a child! ” 子供をいけにえにしているのさ。
そんな具合。
すでに各デザイナーが用意した案をもとに、2日間のディスカッションを行い、
最終日に、皆でプロトタイプを作る。プロトタイプを作る工場があり、大凡のことはなんでも出来るという
素晴らしい環境。実際、あの短時間でよくもまあ、あれだけのものをみんな作るよな・・。
流石はなれている。かく言う私も、日曜大工は得意中の得意であって、
ここでは若干鼻が高かったことだけは付け加えておきたい。ただ作るというスキルにおいて・・。
様々なバックグラウンドを持ったデザイナーを呼んだ経緯は、家具のビジネスにおける
世界戦略が第一。次に、各々のデザイナーの生まれ育った環境、ライフスタイルが違うことから、
そこからの発見的な視点を披露させて、各々分析することによって、
モノの強度を生みださせようというアイデア。あるいは信念。
僕はこうした思いこみは、嫌いではないけれど、
ともすると、あるアイデアを 強引に説得させるための道具として便利に使われてしまう危惧もあったし、
実際そう感じることもすくなくなかった。
しかしながら、個性的で、優秀なデザイナーが悩みながら答えに近づいていく様は、
なかなか共有できる話ではないだけに、ゾクっとすることもあったし、
彼らの話かたや、スマートさから学ぶ部分も多く、僕にとってはとても勉強になったと言える。
例えば、一人のデザイナーがこういう。
「スマートになりなよ。製品化されなかったら誰の得にもならないんだ。」
当たり前の話だが、個性的なデザインで知られる彼女が、(僕はあまりしらなかったんだけれど。)
コスト意識が非常に高く、無駄と思えることを一切デザインに盛り込まないあたり、
やっぱりさすがだと思った。また、彼女がワークショップの間、相談相手として選んでいたのは、
隣にいるデザイナーではなく、その会社の開発の人間がメインだった。
彼女はスマートである。
肝心な製品化は、随分先の話だし、なかなか毎回ハードな宿題を出してくるわけど、
投資額から考えれば、まあそのくらいのプレッシャーはいたしかたなし。
いずれにせよ、コミニケーションスキル、プレゼンテーションスキル、
そんなことが一気にためされる3日間。面白かったと総括するには、
あまりにも疲労困憊であり、濃密であり。この年になって、この手の経験(集団生活のような・・)
をさせてもらったことはありがたかったと言える。
次回は、出張前後について。
さて、前のエントリーを読むと、おおー、まだ出張中ではないか。
なんと、ずいぶん昔のことに思えるだけに残念でたまらない。いったい何しにいったの?と
家族やスタッフの目を逸らすためにも、まずは出張の核について書きたい。
今回の出張は、家具メーカーが主催するワークショップに参加するためである。
ワークショップといっても、お互いに持ち寄ったアイデアをデベロップするためのワークショップで、
一般的なワークショップとはやや状況が異なる。世界中から集められたデザイナー10組強、
ブラジル、香港、スペイン、ポーランド、US・・。英語の喋り方も違えば、ジョークも違う。
アメリカ人のジョークはあくまでブラックだ。遠くで大人たちが集まっているのを見て、
僕らが何をしているのかと話ていると、
”Sacrifice a child! ” 子供をいけにえにしているのさ。
そんな具合。
すでに各デザイナーが用意した案をもとに、2日間のディスカッションを行い、
最終日に、皆でプロトタイプを作る。プロトタイプを作る工場があり、大凡のことはなんでも出来るという
素晴らしい環境。実際、あの短時間でよくもまあ、あれだけのものをみんな作るよな・・。
流石はなれている。かく言う私も、日曜大工は得意中の得意であって、
ここでは若干鼻が高かったことだけは付け加えておきたい。ただ作るというスキルにおいて・・。
様々なバックグラウンドを持ったデザイナーを呼んだ経緯は、家具のビジネスにおける
世界戦略が第一。次に、各々のデザイナーの生まれ育った環境、ライフスタイルが違うことから、
そこからの発見的な視点を披露させて、各々分析することによって、
モノの強度を生みださせようというアイデア。あるいは信念。
僕はこうした思いこみは、嫌いではないけれど、
ともすると、あるアイデアを 強引に説得させるための道具として便利に使われてしまう危惧もあったし、
実際そう感じることもすくなくなかった。
しかしながら、個性的で、優秀なデザイナーが悩みながら答えに近づいていく様は、
なかなか共有できる話ではないだけに、ゾクっとすることもあったし、
彼らの話かたや、スマートさから学ぶ部分も多く、僕にとってはとても勉強になったと言える。
例えば、一人のデザイナーがこういう。
「スマートになりなよ。製品化されなかったら誰の得にもならないんだ。」
当たり前の話だが、個性的なデザインで知られる彼女が、(僕はあまりしらなかったんだけれど。)
コスト意識が非常に高く、無駄と思えることを一切デザインに盛り込まないあたり、
やっぱりさすがだと思った。また、彼女がワークショップの間、相談相手として選んでいたのは、
隣にいるデザイナーではなく、その会社の開発の人間がメインだった。
彼女はスマートである。
肝心な製品化は、随分先の話だし、なかなか毎回ハードな宿題を出してくるわけど、
投資額から考えれば、まあそのくらいのプレッシャーはいたしかたなし。
いずれにせよ、コミニケーションスキル、プレゼンテーションスキル、
そんなことが一気にためされる3日間。面白かったと総括するには、
あまりにも疲労困憊であり、濃密であり。この年になって、この手の経験(集団生活のような・・)
をさせてもらったことはありがたかったと言える。
次回は、出張前後について。
2011年06月18日
景色の残像
一日中太陽がでている。
暗くなる前にねて、明るいうちに起きた。不思議な気分。まるで転寝のような・・。といっても眠りこそ深かったもののおそら(3−4時間の睡眠。まあ、旅行中はそのぐらいでも案外気をはっているので大丈夫。)
実際の仕事であれば最低5泊6日ということであるが、時差ぼけ解消や、見たかったものやお誘いもあり何泊は増やすことにした。仕事もおちついているからちょうど良いかと。学生のときに、何度かまとまった休みをつかってアジアに旅行にいったのだけど、あの当時その時間がどれほど貴重で、もう二度とやってこないかもしれないものだったかは今になってようやくわかる。
旅行は、いけるときに、えいっと無理やりいくものなのだ。旅行とはいえ、たかが10日だ。長い人生においては一瞬のようなものだけれど、されど10日。旅行の準備や、仕事の準備は万全なものとはいえない。実はいまさらながら後悔しているわけだけれど、覆水盆にかえらず。前にすすむしかなかろう。
出張前にいった石巻は、またさらに活気を増していた。とはいえ、町に多くの人が出歩いているということではなく、復興したお店の中の話だ。特に金曜日の夜はお店にはいれなかった。需要と供給のバランスの問題であるし、ボランティアが少しずつ減っていく冬になるとどうなのかはわからないと、時代屋というお店の店主曰く。残念だけれどその心配は的中してしまうかもしれない。その不安な状況をいかに変えるということは、かつてのように地元の人たちがいかにお金を使える状況をどうつくっていくか、もちろん外からの支援もそこに加えていくしかないだろう。震災ごみ置き場が移動したこともあり、町の中はすっきりした印象があるが、いまだ被災した車や家が手つかずの状態。すこしずつやっていくほかないだろうし、僕もできることを石巻でお世話になった人とはじめていこうと決意。
僕はこう考えることにしている。僕が知りあった石巻の人といっしょに打開策を考えていくことは僕の新たな責任だと。子供を育てることや、様々なルールを守ること同じように。そしてこれほどまでに、貴重であり、意義深い経験もないだろうとも。
旅行に来てはいるけれど、なんとなく心を日本においてきたような気分なのは、半分は石巻の景色のせいだろう。どこか石巻の景色と、旅先での景色を比較してしまう自分がいる。そんなことしても何の意味もないことではあるのだけれど。そしてラブアンドピースな川沿いの炊き出しや、店主の人柄にすいよせられて満席になっている不思議なカフェでの経験が石巻の復興におけるヒントなのかもしれないなとボンヤリおもったり。なんの根拠もなく。
とりあえず、今日はここまで。
暗くなる前にねて、明るいうちに起きた。不思議な気分。まるで転寝のような・・。といっても眠りこそ深かったもののおそら(3−4時間の睡眠。まあ、旅行中はそのぐらいでも案外気をはっているので大丈夫。)
実際の仕事であれば最低5泊6日ということであるが、時差ぼけ解消や、見たかったものやお誘いもあり何泊は増やすことにした。仕事もおちついているからちょうど良いかと。学生のときに、何度かまとまった休みをつかってアジアに旅行にいったのだけど、あの当時その時間がどれほど貴重で、もう二度とやってこないかもしれないものだったかは今になってようやくわかる。
旅行は、いけるときに、えいっと無理やりいくものなのだ。旅行とはいえ、たかが10日だ。長い人生においては一瞬のようなものだけれど、されど10日。旅行の準備や、仕事の準備は万全なものとはいえない。実はいまさらながら後悔しているわけだけれど、覆水盆にかえらず。前にすすむしかなかろう。
出張前にいった石巻は、またさらに活気を増していた。とはいえ、町に多くの人が出歩いているということではなく、復興したお店の中の話だ。特に金曜日の夜はお店にはいれなかった。需要と供給のバランスの問題であるし、ボランティアが少しずつ減っていく冬になるとどうなのかはわからないと、時代屋というお店の店主曰く。残念だけれどその心配は的中してしまうかもしれない。その不安な状況をいかに変えるということは、かつてのように地元の人たちがいかにお金を使える状況をどうつくっていくか、もちろん外からの支援もそこに加えていくしかないだろう。震災ごみ置き場が移動したこともあり、町の中はすっきりした印象があるが、いまだ被災した車や家が手つかずの状態。すこしずつやっていくほかないだろうし、僕もできることを石巻でお世話になった人とはじめていこうと決意。
僕はこう考えることにしている。僕が知りあった石巻の人といっしょに打開策を考えていくことは僕の新たな責任だと。子供を育てることや、様々なルールを守ること同じように。そしてこれほどまでに、貴重であり、意義深い経験もないだろうとも。
旅行に来てはいるけれど、なんとなく心を日本においてきたような気分なのは、半分は石巻の景色のせいだろう。どこか石巻の景色と、旅先での景色を比較してしまう自分がいる。そんなことしても何の意味もないことではあるのだけれど。そしてラブアンドピースな川沿いの炊き出しや、店主の人柄にすいよせられて満席になっている不思議なカフェでの経験が石巻の復興におけるヒントなのかもしれないなとボンヤリおもったり。なんの根拠もなく。
とりあえず、今日はここまで。
2011年06月06日
いつ大人になるのか?
先日、内輪での内覧会があり、オーナーがパーティーを開催してくれた。
オープンハウスでは通常、子供お断り、白い手袋、スリッパが定番だが、ここでは、子供たちや犬が走り回り、生まれて間もない子供がかわるがわる大人たちにだっこされている。石屋さんは、当然のごとく3本立ちの胡蝶蘭を手に持ち、家具屋や金物屋さんが子供たちに作った家具を自慢する。そしてソファーでゆっくり話しこむ人がいると思えば、カウンターからはなれずワインをがっつり飲む人もいるし、屋上のソファーで寝てしまうのではないかとおもうくらいにくつろぐ姿もあった。
僕とクライアントは、この家でパーティーをしたときに、人々はどこで何をするのかをよく語り合った。内覧会と普通のパーティーでは微妙に違うとはいえ、まるで今日という日をまっていたかのような空間とのなじみのよさにほくそえんだ。少々手前味噌になるが・・・自慢話はここらへんにしておこう、つまらん。
パーティーで人の動きをみながら、おそらく外国人中心のパーティーであればまた違うのだろうなと思った。他人を紹介する文化があまりない日本では、パーティーはあまり人が交わらない。このような内覧会において、僕がひとりでマドラー役を買ったとしても限界があるから、途中であきらめた。お酒のせいもある。ただ楽しむことにした。せっかくの機会をオーナーにいただいたわけだ。楽しもう。。そこでひとつの楽しみ、いままでにない楽しみ方に気づいてしまった。元スタッフの子供はまだうまれて間もない。新生児である。新生児はかわいい。この事実にきづいてしまったのである。
今日という日の9年前。長女が生まれた。朝、5時ごろ破水した妻をタクシーにのせて病院へ急いだ。13時間の苦闘のすえ、おぎゃーと出てきた娘をみて、うれしさと不安な気持ちがいりじまじった不思議な気持ちだった。僕はついに人の親になったのだという責任の重さ。会社をやめることを決めていたし、世の中は不況街道まっしぐら、今ほど悪くなかったにせよ、これ以上良くはならないという重たい空気感もあった。その複雑な気持ちを抱えたまま、僕は近所のバーにいった。僕が最初につくった仕事、bar orangeである。偶然にも近所の病院だったから、歩きながら、考えながら、そしてもっと考えたくてお酒を頼んだ。おそらく、ミモザ、シャンパンにオレンジシュースをわった飲み物を飲んだ。これはおごってもらったのだと思う。何を話したかは覚えていない。おそらくたわいもない話をしたに違いない。生まれたよ、おめでとう、つかれた・・。
いつ、男たちは大人になるか?という話がある。20歳?いや、結婚?いやいや。生命保険だよという話がおちなのだが、案外間違っていない。仮に命を失っても守るものを持つという責任こそ、大人という理不尽きわまりない世界なのだろう。それは妻であれ、子供であれ、会社であれ。(もちろん、様々なことで男も、女もおとなになるということは百も承知でそのうちの一つの例だけをとりだしているにすぎないけれど。)
新生児がかわいくみえるようになったこと、それは僕がその理不尽な責任感にようやく身を落ち着けることができ、かつ、ひょとしたら僕の次の新生児はこないのかもしれないという余裕からくるのかもしれない。それはちょっとばかり残念なことだけれど、親が孫がかわいいのはその責任から開放されているからということと少し似ている。落ち着いて、純粋に、新生児をながめられるようになってしまったというべきか。
実はちょっと前に一つ年をとった。そのせいもあって、年齢ということに関してちょっと感傷的になりすぎている可能性大。
オープンハウスでは通常、子供お断り、白い手袋、スリッパが定番だが、ここでは、子供たちや犬が走り回り、生まれて間もない子供がかわるがわる大人たちにだっこされている。石屋さんは、当然のごとく3本立ちの胡蝶蘭を手に持ち、家具屋や金物屋さんが子供たちに作った家具を自慢する。そしてソファーでゆっくり話しこむ人がいると思えば、カウンターからはなれずワインをがっつり飲む人もいるし、屋上のソファーで寝てしまうのではないかとおもうくらいにくつろぐ姿もあった。
僕とクライアントは、この家でパーティーをしたときに、人々はどこで何をするのかをよく語り合った。内覧会と普通のパーティーでは微妙に違うとはいえ、まるで今日という日をまっていたかのような空間とのなじみのよさにほくそえんだ。少々手前味噌になるが・・・自慢話はここらへんにしておこう、つまらん。
パーティーで人の動きをみながら、おそらく外国人中心のパーティーであればまた違うのだろうなと思った。他人を紹介する文化があまりない日本では、パーティーはあまり人が交わらない。このような内覧会において、僕がひとりでマドラー役を買ったとしても限界があるから、途中であきらめた。お酒のせいもある。ただ楽しむことにした。せっかくの機会をオーナーにいただいたわけだ。楽しもう。。そこでひとつの楽しみ、いままでにない楽しみ方に気づいてしまった。元スタッフの子供はまだうまれて間もない。新生児である。新生児はかわいい。この事実にきづいてしまったのである。
今日という日の9年前。長女が生まれた。朝、5時ごろ破水した妻をタクシーにのせて病院へ急いだ。13時間の苦闘のすえ、おぎゃーと出てきた娘をみて、うれしさと不安な気持ちがいりじまじった不思議な気持ちだった。僕はついに人の親になったのだという責任の重さ。会社をやめることを決めていたし、世の中は不況街道まっしぐら、今ほど悪くなかったにせよ、これ以上良くはならないという重たい空気感もあった。その複雑な気持ちを抱えたまま、僕は近所のバーにいった。僕が最初につくった仕事、bar orangeである。偶然にも近所の病院だったから、歩きながら、考えながら、そしてもっと考えたくてお酒を頼んだ。おそらく、ミモザ、シャンパンにオレンジシュースをわった飲み物を飲んだ。これはおごってもらったのだと思う。何を話したかは覚えていない。おそらくたわいもない話をしたに違いない。生まれたよ、おめでとう、つかれた・・。
いつ、男たちは大人になるか?という話がある。20歳?いや、結婚?いやいや。生命保険だよという話がおちなのだが、案外間違っていない。仮に命を失っても守るものを持つという責任こそ、大人という理不尽きわまりない世界なのだろう。それは妻であれ、子供であれ、会社であれ。(もちろん、様々なことで男も、女もおとなになるということは百も承知でそのうちの一つの例だけをとりだしているにすぎないけれど。)
新生児がかわいくみえるようになったこと、それは僕がその理不尽な責任感にようやく身を落ち着けることができ、かつ、ひょとしたら僕の次の新生児はこないのかもしれないという余裕からくるのかもしれない。それはちょっとばかり残念なことだけれど、親が孫がかわいいのはその責任から開放されているからということと少し似ている。落ち着いて、純粋に、新生児をながめられるようになってしまったというべきか。
実はちょっと前に一つ年をとった。そのせいもあって、年齢ということに関してちょっと感傷的になりすぎている可能性大。
2011年06月02日
Co-work Co-design Co-project
建築の仕事をしているとあたりまえだけど、
Co-work 協働すること、(Co-workやCo-projectが一般的なワードではなさそう・・。)
Co-design 共にデザインすること、そしれそれらを統括していくこと、
こうした話が舞い込むことが多くなった。
それなりに大きなプロジェクトになってくると個人の力では突破できないことが
多くなってくるわけで、(当然のこととして。)いかに協働するかがもとめられてくる。
だからといって、個人の資質は問わないわけではなくて、
むしろ、バルセロナのごとく個人のスキルも非常に高いので、
全体の質も上がるというベストアンサーから、
統括する人間が、ぐいぐいひっぱっていき、結果的に優勝みたいなケース、こちらもベストアンサー。
僕がたぶん学生のときに、Linuxがいかに始まり、widowsをおびやかすにまでいたったかという話の顛末を日経新聞でよみ(すでに情報としてしったのは遅かったわけだけど。)いたく感銘をうけてそのシステムではなくて、オープンソースについて興味をもった。といっても僕のいけないところで中途半端にしか調べていないから、感動を拾い読みしているにすぎないのだけど。
いまでも良く覚えているのは、Linuxの成功、それはもちろん敵が強大であったことはモチベーションとしてあっただろうけれど、主催者からのお礼のメールではないかといわれているということだ。
いまそのソースを探ろうとgoogleで調べたけれどでてこないので、あくまで僕の記憶の中での話。
他言無用。
さて、ここでいうところのお礼のメール。
これこそが、Co-work Co-design Co-project における潤滑油であり、これがないと
キーキー摩擦音がしはじめてついには動かなくなる。
これは、僕がいくつかの展示会の立ち上げを手伝い、ミッションインポッシブルかと思われた
建築の現場を(といってもたかがしれているんだけれど。今思えば。)着地させて、
子供たちの教育に試行錯誤したことによる実感。
お礼のメール。あるいは、感謝の言葉、そして、ポジティブにその意見について共に考えていくこと。ときにはポーズでもいい。かならずしもはっきりと意見を却下することや、自分の意見がいかにすばらしいからといって、遠まわしであってもぶっ潰すような物言いはマイナス。
これが大事なんだけど、デザイナーや建築家ってやつは・・。
はい、すみません。僕も未熟なもので。
とここまで書いておいて、
ピラミッドのごとく、一人の独裁者的なリーダーシップによって成し遂げられるものもあることはたしか。
こちらは、途中でバタバタと脱落者が・・。
Co-work 協働すること、(Co-workやCo-projectが一般的なワードではなさそう・・。)
Co-design 共にデザインすること、そしれそれらを統括していくこと、
こうした話が舞い込むことが多くなった。
それなりに大きなプロジェクトになってくると個人の力では突破できないことが
多くなってくるわけで、(当然のこととして。)いかに協働するかがもとめられてくる。
だからといって、個人の資質は問わないわけではなくて、
むしろ、バルセロナのごとく個人のスキルも非常に高いので、
全体の質も上がるというベストアンサーから、
統括する人間が、ぐいぐいひっぱっていき、結果的に優勝みたいなケース、こちらもベストアンサー。
僕がたぶん学生のときに、Linuxがいかに始まり、widowsをおびやかすにまでいたったかという話の顛末を日経新聞でよみ(すでに情報としてしったのは遅かったわけだけど。)いたく感銘をうけてそのシステムではなくて、オープンソースについて興味をもった。といっても僕のいけないところで中途半端にしか調べていないから、感動を拾い読みしているにすぎないのだけど。
いまでも良く覚えているのは、Linuxの成功、それはもちろん敵が強大であったことはモチベーションとしてあっただろうけれど、主催者からのお礼のメールではないかといわれているということだ。
いまそのソースを探ろうとgoogleで調べたけれどでてこないので、あくまで僕の記憶の中での話。
他言無用。
さて、ここでいうところのお礼のメール。
これこそが、Co-work Co-design Co-project における潤滑油であり、これがないと
キーキー摩擦音がしはじめてついには動かなくなる。
これは、僕がいくつかの展示会の立ち上げを手伝い、ミッションインポッシブルかと思われた
建築の現場を(といってもたかがしれているんだけれど。今思えば。)着地させて、
子供たちの教育に試行錯誤したことによる実感。
お礼のメール。あるいは、感謝の言葉、そして、ポジティブにその意見について共に考えていくこと。ときにはポーズでもいい。かならずしもはっきりと意見を却下することや、自分の意見がいかにすばらしいからといって、遠まわしであってもぶっ潰すような物言いはマイナス。
これが大事なんだけど、デザイナーや建築家ってやつは・・。
はい、すみません。僕も未熟なもので。
とここまで書いておいて、
ピラミッドのごとく、一人の独裁者的なリーダーシップによって成し遂げられるものもあることはたしか。
こちらは、途中でバタバタと脱落者が・・。
2011年05月30日
折り返し地点
年齢的に人生の折り返し地点を迎えた。なんとなく人生を75年くらいだろうと(左利き短命説もあるし。)踏んでいたところもあるから、そろそろ引き算で人生を考えようと思った誕生日の朝。
月曜日だから事務所の掃除から始める。めずらしいことに、入口のドアで2人のスタッフと同時に扉をあけることになった。こんなこと始めてだ。いま事務所は、商品化前のプロトタイプ達や、嫁ぐまえの本棚や、作りかけのプロトタイプ、そしてミスをしてしまった家具、でごったがえしている。動かすと先月痛めた腰を再発しかねないから、若いスタッフに動かしてもらう。が、彼が非力のため(事務所生活をはじめてから非力になったか・・。)手伝わざるえずに、腰をいたわりながら、重たい棚を動かす。
ショップスペース構想は、311の震災によってプライオリティー変更によって先延ばしになっているが、まずはこれらの嫁ぎ先や取り付けをしてしまわないと・・。
引き算で人生を考えるといっても焦る必要もなしと考えている。つまりこれからは大きい仕事をするのだ!と意気込んだところで、仕事は鼻息とは比例しない。落ち着いた日々なのであれば、いままでまいた種をどう育てるかを考えることもありだろう。
被災したクライアントとともに、そのお店と周辺の町について、ゆっくりとしかし確実に未来を考えていくことも今年の大事な仕事。あれやこれやといろいろあるけれど、順番にしか物事をかたづけられないわけで、机に順番につみながら片づけていくほかない。
この折り返し地点において、ふと思ったことをつらつらと書かせていただきたい。
週末からぼんやり思っていること。震災の話。
震災がらみで、東北に対して何ができるかという議論を様々なところで聞く。そしてアクションをどう起こしたらいいのか良くわからないという悩みを聞く。と同時に、現地ではいくらでも支援が必要だというような話がある。答えは、実際現地にのりこまずともいくらでも支援する方法があるし、行けばそれはそれなりにあるということ。前提条件なしに、どちらがいいとか、何がベストだとか、そういった議論は不毛だろう。僕はたまたまクライアントがそこにいたから、現地に入り込みやすかったし、情報も入ってくる。よって今のところは僕ができることは何かということも割と明快にみえる。さて、今後起こりうる問題を誤解を恐れずに、そして自戒をこめて・・いくつか列記する。すでに行動を起こしている人たちが、偉そうにその行動について語りだすこと。何も出来ないと思いこんでしまっている人たちが、震災そのものを無視することで自分とは関係ないことにしてしまうこと。そして時間がたつにつれて関心がうすれていくこと。これからの被災地との関わりは、毎日の生活の中で、日常の中で、言い方が正しいかどうかわからないがroutinとしてとらえるべきだろうと思う。コンビニでお釣りを募金すること、東北の観光地に遊びにいくこと、アクションを起こしているひとを盛り上げること、これらを日常にしていくことが大事なんだろうと思う。そして長いスパンで支援していく必要があることをアナウンスし続けることだろう。これは、アクションを起こした、あるいは関わった人の仕事であるし、被災地の方々の仕事でもある。
アクションを起こしている人は、多くの人が東北にいかに関わりやすく状況を整えるか、そこにエネルギーを注ぐタイミングだろう。。出来るだけ多くの人をその関わっているプロジェクトに参加を促すこと、それは無関心を退ける唯一の方法ではないだろうか。
いま石巻では、現地での若い力が結集しつつあって、過去の石巻<未来の石巻ということを目指して
活気づいてきている。僕が関わっているところ以外にもそうした動きがあるのだと思う。
それらをネットワークさせていくこと、お互いにがんばろうと盛り上がっていけば、ひょっとすると
ひょっとするかもしれないと思っている。
僕はその状況を俯瞰しながら、どう動けば、なにを動かせばベストパフォーマンスとなるのかを
にらみつつ、駒として動きつつ。クライアントによるおいしい石巻の海の幸をいただくことを待ちつつ。
月曜日だから事務所の掃除から始める。めずらしいことに、入口のドアで2人のスタッフと同時に扉をあけることになった。こんなこと始めてだ。いま事務所は、商品化前のプロトタイプ達や、嫁ぐまえの本棚や、作りかけのプロトタイプ、そしてミスをしてしまった家具、でごったがえしている。動かすと先月痛めた腰を再発しかねないから、若いスタッフに動かしてもらう。が、彼が非力のため(事務所生活をはじめてから非力になったか・・。)手伝わざるえずに、腰をいたわりながら、重たい棚を動かす。
ショップスペース構想は、311の震災によってプライオリティー変更によって先延ばしになっているが、まずはこれらの嫁ぎ先や取り付けをしてしまわないと・・。
引き算で人生を考えるといっても焦る必要もなしと考えている。つまりこれからは大きい仕事をするのだ!と意気込んだところで、仕事は鼻息とは比例しない。落ち着いた日々なのであれば、いままでまいた種をどう育てるかを考えることもありだろう。
被災したクライアントとともに、そのお店と周辺の町について、ゆっくりとしかし確実に未来を考えていくことも今年の大事な仕事。あれやこれやといろいろあるけれど、順番にしか物事をかたづけられないわけで、机に順番につみながら片づけていくほかない。
この折り返し地点において、ふと思ったことをつらつらと書かせていただきたい。
週末からぼんやり思っていること。震災の話。
震災がらみで、東北に対して何ができるかという議論を様々なところで聞く。そしてアクションをどう起こしたらいいのか良くわからないという悩みを聞く。と同時に、現地ではいくらでも支援が必要だというような話がある。答えは、実際現地にのりこまずともいくらでも支援する方法があるし、行けばそれはそれなりにあるということ。前提条件なしに、どちらがいいとか、何がベストだとか、そういった議論は不毛だろう。僕はたまたまクライアントがそこにいたから、現地に入り込みやすかったし、情報も入ってくる。よって今のところは僕ができることは何かということも割と明快にみえる。さて、今後起こりうる問題を誤解を恐れずに、そして自戒をこめて・・いくつか列記する。すでに行動を起こしている人たちが、偉そうにその行動について語りだすこと。何も出来ないと思いこんでしまっている人たちが、震災そのものを無視することで自分とは関係ないことにしてしまうこと。そして時間がたつにつれて関心がうすれていくこと。これからの被災地との関わりは、毎日の生活の中で、日常の中で、言い方が正しいかどうかわからないがroutinとしてとらえるべきだろうと思う。コンビニでお釣りを募金すること、東北の観光地に遊びにいくこと、アクションを起こしているひとを盛り上げること、これらを日常にしていくことが大事なんだろうと思う。そして長いスパンで支援していく必要があることをアナウンスし続けることだろう。これは、アクションを起こした、あるいは関わった人の仕事であるし、被災地の方々の仕事でもある。
アクションを起こしている人は、多くの人が東北にいかに関わりやすく状況を整えるか、そこにエネルギーを注ぐタイミングだろう。。出来るだけ多くの人をその関わっているプロジェクトに参加を促すこと、それは無関心を退ける唯一の方法ではないだろうか。
いま石巻では、現地での若い力が結集しつつあって、過去の石巻<未来の石巻ということを目指して
活気づいてきている。僕が関わっているところ以外にもそうした動きがあるのだと思う。
それらをネットワークさせていくこと、お互いにがんばろうと盛り上がっていけば、ひょっとすると
ひょっとするかもしれないと思っている。
僕はその状況を俯瞰しながら、どう動けば、なにを動かせばベストパフォーマンスとなるのかを
にらみつつ、駒として動きつつ。クライアントによるおいしい石巻の海の幸をいただくことを待ちつつ。