2017年04月01日

2017年5月1日から新潟県十日町市で地域おこし協力隊として働きます!

ブログ、放置してましたが再開する努力をしてみます。
とりあえずお知らせを。

お知らせしていない方には突然のご報告になりますが、5月1日から新潟県十日町市に地域おこし協力隊として赴任することとなりました。
昨年1月にはじめて新潟を訪れ、雪の中で兎狩りを体験したり、豪雪地帯に移住された方のお話を聞いてから、「こういう生き方もありだよね。」とぼんやり思っていたことが、うっかり実現してしまいました。

これまで地域おこし協力隊は、存在を知っているだけで、失礼ながら「若い人が農業をしに行く」ぐらいの間違った知識しかありませんでした。
十日町の協力隊の方の話を聞いたり、夏に再訪したりすることで、協力隊のほんとうの魅力というのがわかってきて、今持っている自分のスキルでなにかできるのではないかという気持ちが大きくなってきました。

それから、はじめに興味を持った十日町はもちろん、自分の出自である西の方面もいろいろ調べたり、問い合わせたり、訪れたり、イベントに参加したりしました。
協力隊の受け皿である自治体や地域の方々は、その地域でさまざまでしたが、私が何カ所か訪れたて思ったのは、どこに行ってもおもしろいことができるかもしれない! ということでした。

では、なにも寒いのが苦手なくせになにも特別豪雪地帯に行かなくては? と思われるかもしれませんが、これがうっかり、なんですよね。
「うっかり」なんて適当に決めたみたいで、赴任先にも失礼な言い方に聞こえるかもしれませんが、そうではないのです。
こればっかりは、ご縁というか、なにか惹きつけられてしまったというしかないのかもしれません。
ほかの土地も魅力的なところが多かったのですが、十日町の土地、十日町に住む人々の吸引力が少し大きかったのかもしれません。

正直なところ、雪も車の運転も(バイクの免許は持ってたけど車は昨年12月に取ったばかり!)不安だけど、それはなんとかがんばるしかないので、安全にがんばります。

長くなりそうなので、いろんなことはまた改めて書きますね。
取り急ぎご報告。

引っ越しまで一カ月を切ってるのに、まったくなんにも準備してません。
引っ越しのお手伝い、アドバイス大歓迎ですー。
遠距離の引っ越しをしたことがないのでどうしたもんか。
東京に来たときは、乗用車1台で送ってもらったんだよなー(デボネアで
・笑)。荷物ほとんどなかったなー。


十日町から東京はまあまあ近いので、アンサンブルズ東京や配材ナッジナッジ、その他のイベントなどにも極力参加したいです!

地域と都市部をつなげるなにかができたらいいなーと思っています。
新潟、いつでも遊びに来てください!
(まだ行ってないけど)

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2013年12月22日

年の瀬に交通事故にあう。

今年はどこにも出かけなかったので、連休の2日間で長野の大糸線に乗って雪の南アルプスで温泉だー、と暗いうちからはりきって出かけた。
電車の時間が微妙だったので、ちょっと急ぎつつ幹線道路の信号をわたろうとしたところ、青の点滅だったので、もう一方の信号が青に変わるのを待って、ちょっと小走りでわたりかけたところ、「あ、あぶない」みたいな声が聞こえてそちらを向いたら、なんとバイクが突っ込んでくるじゃありませんか。

一瞬、なぜかこれはかわせる! って思って、空手の組み手のごとく、体(たい)をかわしたつもりが…さすがにダメだった。
右からぶつかられて、なぜか右側から転倒。
やっぱり多少反応して体の向きが変わってたんだろうか。
ぶつかられて転倒する何秒かのあいだに、「頭を打ったらやばい」と思ったのは覚えてるけど、あえなくアスファルトとごっつんこ。

しばらく座り込んでたけど、朝の5時半で目撃者もいないし、「逃げられたら困る!」と思ってすぐに加害者を探したり、この電車に乗れなかったらどうするか、とか考えてたりしたので、結構冷静だった。

加害者が「うわー、なんだよ」とかブツブツ言ってるので、「いや、こっちがなんだよって言いたいんですけど」って言っちゃった。
まあ、それ以外は警察や救急車も呼んでくれたし(当たり前だけど)、すぐに謝ってほんとに申しわけなさそうにしてくれたのでOKだけど。

朝の早くから人が歩いてると思わないで突っ込んできたんだろうけど、こっちも青信号が変わったすぐにバイクが突っ込んでくるとは思わないっちゅうの。
バイクといってもカブだったので、それも幸いしてかぶつかったダメージはあまりなかったかもしれない。

救急車で最寄りの病院に搬送してもらって、当直医(研修医って言ってた)が脳障害の反応や手足の可動性などを見てレントゲンへ。
CTと頚部、腰部、上腕、肘、下腿、膝のレントゲンと余分な被曝をしてしまったじゃないかー。ぷんすか。

結果は骨折も頭部の出血もなく放免となった。
でも、最後に出てきたちょっと年配の当直医の感じの悪いことと言ったら。
救急の当直が大変なのはわかりますけどね。
特に脳外科とか(研修の先生、疲れた顔してたもんね)。
ああいうタイプの医師ばっかりに当たったら医療不信にもなるかも。
時間外診療は、そういう意味でも、どうしても行かなくちゃいけないとき以外は行かない方がいいと思う。
救急の先生たちが大変なのは、ほんとにわかる。
わたしも軽症で救急車乗ったのが申しわけないくらい(今回は頭打ってたのでごめんなさい)。

朝、家を出るとき、ドアの鍵を閉めてから、ふと思いついて折り畳み傘を取りに戻らなかったら、もう一方の青信号の点滅を無理矢理わたっていたら、もう1本前の電車に乗るか別の路線にしようかとも思ってたので、そっちにしていたら事故には合わなかった。
これまでもちょっとした選択で、たまたま事故などに合わなかっただけなんだろうなあ。
きっとたった数秒のこと。
人生なんてそんなものかもしれないよ。

頭のたんこぶがだんだん痛くなってきたし、旅には行けなかったけど、幸い打撲程度ですんだ。
おかげで、また少し「生きる」ということについて考えさせてもらった。
1年経って、いいことも悪いことも、いろんなことがもとに戻ろうとしてる。
わたしは、ほんとにこの1年、いい出会いをしてラッキーな選択をしてきた。
今回のことは、そんな自分に奢ることをせず、もう1度、自分がするべきことを考えなさいという戒めだったのかもしれない。

大怪我して、下着泥棒に入られて、1週間腎盂腎炎で入院するっていう2000年もあったけど、今回のしょんぼりなできごと続きも、これで打ち止めとなりますように!
いや、きっと打ち止めに違いない!

さて、やっぱりどこかに行きたいので、明日日帰りで湯沢あたりに行こうかなあ。

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2013年11月24日

2013.11.22 歌舞伎「伊賀越道中双六」@国立劇場。

友人のお誘いで、ひさしぶりに歌舞伎を観た。
すっごい前に京都の南座で市川猿之助の宙乗りを観たのが初めてで、2回めは、これもずいぶん前で、飲みなかまに歌舞伎の女形をやっている子がいて、彼女、じゃなくて彼の舞台を観に行った。
今日は3回め。
真ん中の前から5番めというステキな席で観劇させてもらって感謝。

演目は「伊賀越道中双六」。
伊賀上野の鍵屋の辻というところであった敵討ちのお話。
ここって、実家から車で20分ぐらいのところなんだよね。

写真

四幕あって、そのうち三幕は敵討ちの話だけど、一幕は、(まったく関係なくはないけど)そこからちょっと離れた人情話。
ふたつのお芝居を観たような感じだった。
敵討ちも派手でおもしろいけど、人情話は結構好き。
いつだかお正月のTVで「文七元結」をやってて、すごくよかった。
今は亡き、勘三郎さんだったな。

最初のうちは、サラリーマンNEOのサラリーマン歌舞伎とか、グルーブ魂の「中村屋」を思い出して、観てても笑いそうだったんだけど、さすがに三幕めくらいからは慣れてきた。

歌舞伎って、突然踊りだすミュージカルと同じようなおかしみがある気がする。
お芝居もデフォルメされてるし、立ち回りになると急にスローモーションになったり、見得を切るところなんかはかっこいいんだけど、ちょっと滑稽。
鳴りものや唄いもカタルシスに向けて、どんどん盛り上がっていく感じがいい。

と、正しくない見方かもしれないけど、歌舞伎はちょっと楽しかったので、また観たい。
今日は仕事を早退して行ったけど、もうちょっと遅い時間の公演にしてくれないと、働いてる人は観にいけないよね。

くだらなくておもしろいので「中村屋」↓



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2012年05月12日

2012.03.20 地域の物語 その7_稽古2(自主練)。

3/10に台本ができあがって、3/25に本番ってよく考えたらすごい短期間!
15人いて、みんなそれぞれ見せ場があるから、極端に誰かに負荷があるというのはないけど、たぶん普通の演劇じゃ考えられないんだろうなあ。

この時点では、まだ気づいてなかったけど、このメンバー、10代から50代までいるにも関わらず、なんかあんまり壁がない。
意識を高く持てる人たちがたまたま集まったのかもしれないけど、進行スタッフの人たちの力も大きかったんじゃないかと思う。
全員がフラットな位置にいられるような雰囲気をつくってくれた。
毎回スタッフの進行で、最初にゲームみたいなことをして、気持ちと体をほぐすんだけど、いい大人がイスとりゲームとかして楽しくやれるって、ある意味すごい。
そしてブラインドサッカーのWS、あれすごく効果的だった気がする。
相手を信用して伝えるっていうことを体と空気感で理解できた。

この日は有志が集まって自主練習。
WSなので、「発表会」といったところなんだろうけど、今思えば、どこかそれだけで終わらせたくない、っていう感じが全体にあったと思う。
かといって、誰かが熱血漢だったり、ポジティブ一辺倒だったりするわけでもなく、自然といいものをつくろうとしてたんじゃないかな。
バランスがよかったんだよなあ、いろんな意味で。
私は、もう自分がどういう「お母さん」になっていいか、まだこの時点でさっぱりわからなかったので、とにかく稽古がしたかった。
あと、ここに関わる人たちと会ってたかったのかも。

で、この日、稽古にきたことで演出の瀬戸山さんからこのお芝居の「お母さん」のヒントをもらって自分がどうすればいいかがわかった。
なんだろう、このわかるという気持ちよさって。開いた。
今までなかったものが、自分の中から生まれた感じ。
でも、これってひとりでは思い至らなかった。

わかったようなことを言うと、お芝居で誰かを演じるって、他人(共演者や制作者、役柄の人物)の視線から自分を見ることじゃないんだろうか。
それだけじゃないし、他の人にとったらそうじゃないかもしれないけど、私はそう思った。

で、この日も飲んだね、たぶん。





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2012年05月10日

2012.03.17/18 地域の物語 その6_稽古。

台本が完成して、本格的な稽古に突入。
私の出番は主に前半で、台詞もそんなに多くないのでと高をくくっていた。
というか、「お母さん」というのがどういうものかわからないんだよね。
他の人も五男とか六女とかにはなったことないだろうけど。
しかも、このお母さん、お母さんっぽくないっていうか、ひとりでしゃべってひとりで完結してるっぽいので、家族とのかかわりがよくわからない。
たぶん、天然で迷惑なお母さんなんだろう、ってことくらい。
終盤で、過去の世界でお父さん(私の役からいうと旦那)とそのお母さん(現代の世界では亡くなっていないけど、子どもたちにとってはおばあちゃんってことね)に会うシーンがあるんだけど、そこでもお母さんはおいてけぼり、というか出番なしで、ちょっとさびしい。
ていうか、お母さんって父方の家族からしたら、すごく疎外されてるのね、って思った。

みんな、ひとり二役で、人との会話や絡みがあって、それがすごく楽しそうなんだけど、私は人と会話するお芝居がなくて、なんかつまんない。
ひとりでしゃべって完結するって、結構つらい、というか、自分で完結させなくちゃいけないので、ずーっとわからないまま二日間を終えたんだったよ、そういえば。

稽古は通し中心で技術さんに通しを見てもらったり、どんどん進んで行く。
まあ、そんなに深刻ではないものの、なんとなくどうしていいかわからない感じがもやもやっと。
でも、初めての体験はおもしろい。

今回、このWSに参加して、飲み友だちができたのは結構ステキなことだったかも。
飲みましたよ、この週も。
震災以降、ずいぶん引きこもってた。
なんだか、目に見えるものが変わってしまったみたいで。
見えるものは変わってないんだけど、自分がダメになったんだろうけどさ。
少しずつ、戻ってゆく、や、変わっていく自分に気づくのはもうちょっと後なんだけど。




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2012年05月09日

2012.03.10/11 地域の物語 その6_台本できあがる。

1週間あいて、3/10、台本の半分ができあがってきた。
前回の終わりに、家族ものというのがおおまかに決まって、自分がどの役をやりたいか、という希望を募っていた。
できれば、変な妹役(現実は長女なので)をやりたかったんだよな。
そのときに誰も母親役をやりたいという人がいなくて(現実に母をやってる人はやりたくないのかも)、誰がやるんだろうと思ってたんだけど、じゃあ、まー、気が進まないけどやろうかな、と思ってあとで立候補のメールを送った。
私は母親にもなったことないし、実は先入観があって、母親とか主婦というのが苦手だ。
だから、実は気が進まなかった。
かなりのあいだ、しっくりこないまま稽古してた。
これが、本番に近づくにしたがって、気持ちが変化していくのだが。

お話は、13人家族(犬含む)が、過去に失踪したお父さんを探しに行き、変わらない何かを見つけて現実に帰ってくるというタイムスリップもの。
そこに、取材したエピソードをちりばめてあって、とてもわかりやすい台本。

この日は、前半を読んで、なんとなく動きをつけて通すということを何度か行う。
私は、舞台といえば幼稚園の頃、舌切り雀の雀役をやって以来なので、とりあえずついていくのみ。
プロとしてだったり、市民劇団だったり、ワークショップだったり、様々だけど、舞台を経験した人が半分以上いたので、その人たちに自然に引っぱられた感じでなんとか台詞をしゃべってみるけど、ただしゃべってるだけだったな、私。
この日も飲んだんだっけ、飲んだよね。

3/11は残り半分の台本ができあがってきて稽古。
人と絡むお芝居がなくて、ちょっとさびしい。
会話があるお芝居は楽しそうでうらやましい。

この後、しばらくしっくりこない感じが続くんだけど、それがだんだん変わっていくのですよ。

3/11は14:46にちょうど休憩時間だったので、あるメンバーの提案で黙祷。
朝まで、今日で1年だ、この時間には何をしててもあの瞬間を思い出さないと、って思ってたのに、私はすっかり忘れてた。
提案してくれてありがとう。
ほんとに私ってダメだ。
このメンバーであのときを思い出せたのはよかったよ。

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2012年05月08日

2012.02.25/26 地域の物語 その5_取材3。

最後の取材。
九品仏の商店街を訪ねるチームと二子玉川の玉電の廃線後をたどるチーム。
私は廃線のノスタルジーに惹かれて二子玉川に。

二子玉川の駅を降りて、昔は花街だったというあたりへ行ってみるけど、ビルに改装された料亭が1軒残っているくらいで、そんな雰囲気は残っていない。
少し歩くと、昭和の匂いがする商店街があったので、最初に見つけた和菓子屋さんで話を聞く。
玉電(多摩川の砂利を運んでいたので、砂利電と呼ばれてた)が廃線になるいくらか前に大田区から越してきたとのこと。
今でこそ、渋谷と同じようなファションビルがあって、「素敵な街」の代表になってるけど、当時は田んぼや畑ばかりだったらしい。
お芝居のひとつのエピソードにもなる貴重な話を聞いて、砂利電の軌跡を見るために商店街をゆく。

玉電の跡は昔のようすを見る影もなく…ステキな遊歩道になっていた。
もちろん線路なんて残ってない。
きれいにペイントされたレールが遊歩道のガードレールとして使われていた。
でも、ここに一両立ての電車が通っていたと想像することはいくらでもできる。
ほんとにそうなのかわからなかったけど、今はバスの停留所になっているそこが玉電砧線の駅だと確信した。
駅の亡霊がそこにいた気がする。
今は誰もいないけど、かつてひとがたくさんいたような、そんな気配がある。
きっとここだ。
(あとで調べたらそうだった)

その後、過去の地図で調べた多摩川べりの飛行場跡に行ってみた。
今は飛行場でもなんでもないけど、そこは新聞社の取材のための飛行機の発着所だったと聞いた。
そこにも飛行機の亡霊が飛んでいた、かも。


日付変わって翌日。
九品仏と二子玉川のチームがそれぞれ、取材した内容をまとめ、それを元に30分ほどで10分程度の即興のお芝居をつくるという無茶なテーマ。
でも、これが意外とおもしろかった。
即興でお芝居をつくる。
これ、そんなん無理、って思ったけど意外とできる。
この頃は、ずいぶん自然にまとまってきてたので、意志の疎通も快適。
お互いがお互いを信頼しかけてきた頃なので、意見がいろいろ出てきても、ひとつひとつを否定することなく、うまく取り入れていくことができて気持ちよかった。
これが普段の仕事でできたらいい仕事できるだろうなあ。

九品仏チームはノスタルジックを軸に置いたオーソドックスな小演劇。
私のいた二子玉川チームはちょっとシュールで幾何的な感じで。
どちらも個性があっていいと思った。
よく30分くらいで考えたよなー。
でも、第三者に伝わるとしたらわかりやすい前者の方がいいね。

実は私は、このWSに参加するとき、取材をしてそれをカタチにすることに興味があって、自分が演じる、っていうとこにそんなに興味がなかった、っていうか実感がなかった。

でも、本番はこれからだったのだ。
次は進行役であり、演出家の瀬戸山美咲さん(ミナモザ主宰)が台本を書いて演じる、というステージに進んでゆくのです。

そして、この日は痛飲したような気がする。
(この日だっけ?)
ここから「痛飲物語」が始まったのであったよ…

砂利電のレールを使ったベンチとガードレール







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2012年05月07日

2012.02.18 地域の物語 その4_ブラインドサッカー。

WS、5回め。
この日は、少し取材やお芝居から離れてブラインドサッカーのワークショップ。
ブラインドサッカー選手のハジ(寺西一)くんが進行役。
この日まで、ブラインドサッカーというスポーツがあるなんて知らなかった。
アイマスクをして健常者と障害者が同じフィールドに立ってサッカーをするというもの。
少しだけビデオを見せてもらったんだけど、驚くくらいすごい。
アイマスクで目が見えないから、音に誘導されてゴールにボールを蹴り込むんだけど、子どもたちに見せると、「見えてるんでしょ?」って言われるくらいだそうだ。
私も見えてると思ったくらいだよ。

私たちもアイマスクをして何も見えない状態で、男性と女性に別れるとか、血液型で別れるということからやってみたけど、とにかく見えないから声(情報)を出し合って、同じ条件の人が集まるわけだけど、このとき、私は声だけで集まってもものすごく不安だった。
なので、「誰?」って相手の名前を確かめたり、とにかくそこにいる人に触れてみる。
それが誰かわかると安心するし、人に触れるとそれだけでホッとする。
もともと真の暗闇(目をつむってもあいても同じ暗さの暗闇)がものすごく苦手なので、アイマスクをしてどこに誰がいるかわからないのが怖かった。

8人くらいが紐を手にもってアイマスクをして四角形や三角形をつくったんだけど、これがまったくうまくつくれない。
こうしたらいいんじゃないの?っていうアイデアは出ても、それを全員に言葉で伝えるって目が見えていれば簡単だけど、言葉だけだとほんとに伝わらないことがわかった。
この紐を使ったゲームが、舞台のステキな演出につながったんだったね、そういえば。

相手の声や出す音の誘導通りに、ゴールに見立てた場所にサッカーボールを蹴ったり、走ったりということをやったけど、最初は何をやるのにも怖かったのに、だんだん相手を信頼することによって、少しずつ思い切った行動ができるようになっていった。

わかるように伝える努力、信頼してもらえるような努力、聞こうとする努力、信頼しようとする努力…そういう気持ちが、ひとつひとつゲームを重ねて行くうちに自然とできるようになっていた気がする。
これって、やろうと思ってもなかなかできない。
話す、伝える、確認する、触れる、信用する、漫然と生きていて、できてたようでできてなかったことだった。
今回、このWSのチームはとてもまとまっていて、楽しかったしやりやすかったのは、そういう人たちが幸運にも集まっていたのかもしれないけど、ブラインドサッカーを体験することで気づいたこともあったんじゃないかと思った。

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2012.02.11 地域の物語 その3_取材2。

次の取材は街に出て突撃取材。

まずはたいてい、毎回、演劇的にからだを動かす。
何かテーマを決めて、それを自分のからだを使って表現する。
たとえば、「公園」とか「江戸時代」とか「旅」とか「動物」とか。
なんだそれ、そんなのできないって思うけど、これが意外とできるし、同じテーマで違う人がやると全然違うものができておもしろい。
公園のブランコひとつだって全然違うつくり方ができる不思議。
人はそれぞれほんとに違っておもしろいと思えた瞬間。
誰といっしょにやるかでも全然違うしね。

そして取材は、「資料調査」「三茶から緑道を通って目黒川(フィールドワーク)」「三軒茶屋(採話)」の3チームに別れて行った。
私は話を聞きたかったので、「三軒茶屋」チームに。

三軒茶屋はまだまだ昭和の風情を残している路地や商店街が多い。
茶沢通りを入り、しばらく行くとある下谷商店街。
今では数件のお店を残した小さな商店街だけど、当時はとてもにぎやかで、“三茶のアメ横”と呼ばれてたとか。
個人商店もまだあるけど、やっぱりスーパーには勝てないね、と言っていた天ぷらのお惣菜屋さんの天ぷらはとてもおいしかった。
スーパーも利用するけど、やっぱりこういうお店の手作りの味には勝てないよなあ。

戦前から営んでいる炒り豆屋さんの90歳はとうに超えてるかと思われる方にも話を聞いた。
みんな、あのあたりの商店は、葦の生えた原っぱ(海じゃないけど海っ原と呼んでたらしい)から葦をとってきて、ヨシズをつくり、お店の境界にしていた話を何度も何度も懐かしそうに話してくれた。
「オリンピックの頃は…」と聞いてもヨシズの話に戻ってばっかりだったけど、きっとその頃に深い深い思い出や思い入れがあるんだろうと思った。
その後、1964年からやっているという栄通りの「セブン」という喫茶店(カフェではない)でお茶を飲んで取材のまとめ。

ここでも、あったもの、なくなったものを語る人の表情は、せつなさと笑顔とくるくる変化する。
きっと私たちも何十年か後、同じように誰かになくしたものの話をすることもあるだろう。
そのとき、今の時代のことを笑顔で話せるだろうか、とふと思う。
原発事故による放射性物質を何十年、何万年も先まで触れてしまう残してしまったのは今生きている私たちだ。
いや、事故がなくても処理もできない原子力のゴミをもうすでに残してしまってるのか。
このWSにかかわって、そんなことをずっと考えてる。

そして、取材を終えて交流会という名の飲み会。
数人のチームに別れて行動していたので、だんだん打ち解けてはきたものの、まだどことなく、お互いを探り合っている感じ。
でも、やっぱりお酒を飲むとほぐれるね。
その後、飲み足りなかったり、さびしがりの人が集まって二次会に。
(ここで、誰がお酒好きか判明して、その後……)
私も行きましたよ、もちろん。

下谷商店街









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2012年05月06日

2012.01.28/02.04 地域の物語 その2_取材と振り返り。

WS、2回め。
この日は、世田谷に住む年配の方々7人にインタビュー。
最初にまたゲーム的にからだを動かして取材の打ち合わせ。

東京オリンピックで移転を余儀なくされた三軒茶屋の写真館や古くからある名画座のご主人、
世田谷の鉄道の歴史、文学とのかかわり、住宅、道などそれぞれについて調べているスペシャリストの方々、
パブリックシアターができる前にそこに住んでいた方など世田谷に縁のある方にきていただいた。

私が担当したのは、世田谷の鉄道や文学とのかかわりについて調べている方だった。
最近は電車の音が変わってしまって情緒がなくなったという話から、高架になって踏切がなくなっていった話など。
踏切は、危ないとか長時間開かないとか問題もあるけど、あれは「人の何かをとめるもの」として人にとっては物語的に必要だったんじゃないかというような話は興味深かった。
確かに踏切って、物語が生まれやすい。
踏切が開いた向こうにいる誰かって、それだけで物語。
あと、線路保線工の唄がどこにでもあったとか。
その土地の特徴を歌詞に取り入れて、何人かで線路を整備しながら唄うんだって。
労働歌。

そして下北沢の話。
下北沢は下宿がたくさんあって、学生たちが下駄を鳴らして歩いてたらしい。
今と聞こえてくる音が全然違ったんだろう。
北沢川が暗渠になる前は洋菓子工場があって、バターのいい匂いが漂ってた(森茉莉の小説にもそれらしいことが出てくるそうです)とか、メンマ工場があったなどなど、今の下北沢の顔とは違うものが見えた。

この日は2時間を費やして、それぞれの人がそれぞれの人の人生を聞き取っていた。
なくなった何かを語る人たちの表情は、とてもせつない瞬間もあったけど、すごく楽しそうな表情とくるくる入れ替わった。
偶然でもなければ、知らない人の人生を垣間見るなんてことはないので、とても貴重な経験だったと思う。

翌週には取材内容をフィードバックして、それぞれが壁新聞に。
できればもっと時間をかけて1冊の冊子にしてもいいくらいの内容だった。
それは私の得意分野だったりするんだけど、今回はこれをお芝居にして演じるという未知の世界。
これがどうお芝居というカタチになるのか、この時点では誰もまったく想像がついてなかった。

でもひとつわかった、私たちは市井の人の人生を伝えてゆく使命を帯びてしまったのかもしれない。

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2012.01.21 地域の物語 その1_はじめまして。

何かをはじめるときは、いつも思いつき。
おもしろそうだからやってみようって思ってやるのが、いちばんおもしろい。

世田谷パブリックシアターの演劇ワークショップに参加した顛末記です。
1964年という年を真ん中に据えて、地域の人たちに取材をして、ひとつのお芝居をつくるというもの。

1月の初回には顔合わせ。
まずは名前を覚えるために、たっぷり時間を使ってゲーム的に自己紹介。
前にも1度だけ参加した演劇的なワークショップもそうだったけど、最初ってゲームのように進めるのが多いんだろうか。
大人になってから、そういうやさしい自己紹介みたいなのってあんまりやらないから、最初は引き気味だったけど、あとで考えるとこれがあったから、名前やその人の雰囲気がわかったかも。
そして、からだを使って簡単な表現をしてみたり。
これは慣れないとちょっと照れくさくて難しい。
でも、これできないとお芝居なんてできないよね。

その後、1955年と2011年の地図を床にならべて比較してみる。
これはすごくおもしろかった。
あきらかに、なくなったものと、足されたものがわかる。
二子玉川に飛行場があったなんてまったく知らなかった。
幹線道路もできる前だ。
大きな道路ができて街が様変わりしたようすが、ひとめでわかった。
大人たちが床にはいつくばって、ああでもないこうでもないと地図をながめるのもおもしろかった。
机じゃなくて床っていい。
寝っ転がって見たっていい。
数時間前までは知らない同士がなんとなく地図をながめてるって普通じゃやらないもんね。

それでもまだまだお互いさぐりあいな感じ。
さて、次はどうなりますか。

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2012年05月02日

20120425 自慢の息子/サンプル@駒場アゴラ劇場。

ぬめりを感じたお芝居だった。
そして、どうしようもなく気色の悪いお芝居だった。
でも、その気色の悪さはちっとも嫌いじゃない気色悪さ。

例えば、映画やお芝居を観たとき、なんかイヤなんだけど、でも嫌いになれない愛すべきキャラクターっている。
自分の国をつくった男と母親、現実世界から逃げたい兄妹、妄想の女、得体の知れない男。
でも、このお芝居の登場人物って誰ひとり、そういう人物がいなかった。
それは、たぶん、どの人物も自分のなかにいるような気がしたから。
思い込み、妄想、逃げ、愛しかた…
好きじゃないけど嫌いじゃない、愛せないけど嫌いにはならない。
それは自分だからかもね。

小劇場の演劇ってたとえば映画なんかより使える空間は狭いのに、自由度が高いものだと思う。
その分、その作品に対する個人の感想もさまざまだし、人と同じように「わかる」必要もない。
でも、どこか落としどころを見つけたいと思うのが人の性だと思うので、どうにか見つけようとする。
(わかる、というのとはまた違う)

最後の場面、「私はどこにいるの?」という狂ってしまったかのように見える母親のひとりごとに、得体の知れない狂言回し役の男が冷たく、何気なく答える。
「どこにでもいますよ」
この場面、怖かった。
この男が「正の国」の神か悪魔じゃないか、と思った。
狂気の世界で見つけようとする細い糸のような希望。自分勝手な希望。
それは、ここにもあそこにもある、のかもね。
なんてところが私の勝手な落としどころ。

演出に使われていた布が、海になり砂漠になり、洗濯物にもなり、人の皮膚にも胎内にもなるのがおもしろかった。


途中のシーンで「正の国」の住人になるために、豆腐を順に回し食べするシーンがあるんだけど、後日、別なところで、福島県のお通夜で参列者が豆腐を回し食べするという話を聞いた。
あのシーンってそこから来てるんだろうか、と先に知ってたらアフタートークで質問したかったなあ。
あ、アフタートークは長塚圭史さんがゲストで、なかなかにおもしろい話が聞けましたよ。




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2012年04月13日

2012.04.13 銀河鉄道の夜/青年団@駒場アゴラ劇場。

原作:宮沢賢治 作・演出:平田オリザ

「銀河鉄道の夜」を子どものころ読んだとき、なんだか怖いような気がしてあまり好きでなかったように思う。
それとも、子どものころに1度も読んだことがなかったかもしれない。
私がはじめて「銀河鉄道の夜」を好きになったのは、原画で別役実脚本、ますむらひろし原案のアニメーションを観てからだった。

青年団版「銀河鉄道の夜」はフランス国立演劇センターから依頼を受けて、フランス語でつくられた児童劇の日本語バージョン。
ストーリーは原作に忠実で、ところどころに平田オリザの解釈が散りばめられている。
ジョバンニのアルバイト先は活版所じゃないのね、と意外と瑣末なところに気をとられたりして。
活版所なんてわかんないもんね、今。

とても印象的だったジョバンニの台詞。

「宇宙はどんどん広がっていく。だから人間はいつも一人だ。
つながっていても一人だ。
人間は、生まれたときから、いつも一人だ。
でも、一人でも、宇宙から見れば、みんないっしょだ。
みんな一緒でも、みんな一人だ。
カンパネルラ! またいつか、どこかで。」

この部分は原作にはない。

どこまでも一緒に行こう、
僕たちはいつも一緒だ、
ふたりならどこまでも行ける。
そう言い続けていたジョバンニも、本当はそんなことはできないとわかっていた。


人は必いつか誰かと別れなければいけないのは誰でも知ってる。
またいつか、どこかはないということも知ってる。
だけど、あなたもわたしも、やっぱりどこかでつながっている。
たとえひとりだとしても。
またいつか、どこかはやっぱりあるのかもしれない。
あると思った方が楽しいじゃないか。

5人の女性の役者さんで演じられたこのお芝居、ジョバンニ役の役者さんが見事に “少年” でとてもよかった。

keiko_flash at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)お芝居 

2012年04月12日

夏天の虹・みをつくし料理帖(第7巻)/高田 郁。

6巻が出たときに、同じ作者の「銀二貫」で興味を持って初めて読んで一気に読み通した。
上方の少女・澪が、事情と哀しみを携えて、大店の料理店のごりょんさんと江戸に出てきて女料理人として料理の腕を磨く話。
本格時代小説好きの人には物足りないかもしれないけど、料理と人の心の描写は出色。
澪たちを取り巻く市井の人々の描き方も魅力的。
飯屋の主人、下足番の娘、吉原の花魁、その花魁を大切に思っている吉原の料理人、長屋の夫婦、戯作者や版元など常連客、手伝いの腰の曲がったお婆さん、ライバルの大店の店主、澪の心のよりどころとなる武士、などなど。
この小説は “喪失とどう向き合って強く生きていくか” ということが大きな命題になっていると思う。
それぞれの登場人物たちが持つ悲哀や痛みが、毎回ないまぜになってずしりと響いてくる。
澪は、どうにもならない哀しみや痛みを、自分も成長しながら周囲の人々と協力して、料理で癒していく。
哀しいできごとが起こっても、どうにか次にむかっていく方法をみつけていく姿は、無条件に読者にも力を湧かせる。

今回の「夏天の虹」は、失ったものが大きすぎて、読後もこちらが立ち直れない感じだけど、1年後に
出版される次号では登場人物たちの生き生きした姿がみたい。
と思わせるほど、ここに出てくる人物たちが他人と思えなくなってしまったのだ。

あらすじは書かない。
騙されたと思って読んで欲しい本。
わくわくして。

夏天の虹―みをつくし料理帖 (角川春樹事務所 (時代小説文庫))
夏天の虹―みをつくし料理帖 (角川春樹事務所 (時代小説文庫))
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keiko_flash at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)読書 

まずいスープ/戊井昭人。

「まずいスープ」「どんぶり」「鮒のためいき」の短編3本。

「まずいスープ」は、どうしようもなくまずいスープを残して失踪した父親の話。
「どんぶり」は無職のいいおとながアルバイトをさぼって競輪に行ってうっかり当てて、彼女に天丼をごちそうして、その丼茶碗に飛び込んできたハエと、ジミヘンの曲にまかせて同化しちゃう話。
「鮒のためいき」は、風邪で寝込んだ女のところに “このフナですね、あなたのことを、ちょこっと好きだった、松風ひろしげ君なんですよ” と言って、見知らぬ男がやってきてフナを置いていかれる話。

どれもわりとダメなおとなばっかり出てくる話。
「まずいスープ」は主人公も従妹のマーも、まあだいたいダメなタイプの人間だけど、それ以上に父と母がどんどんダメなおとなになっていくので、ダメじゃなくみえてくる。

“人生に潜む哀しさと愛おしさを、シュールな笑いとリアリズムで描いた” って文庫の表4には書いてあったけど、シュールっていうより全然普通にリアルな笑いを感じますけどね、私は。

何より会話がリアルだ。
「私、○○したわ」とか「きみは○○じゃないか」とか「あなた、○○よ」みたいな古い文語体の小説もお芝居もうんざりなのですよ。

そういえば、なんかタコがあちこちに出てくる。
あ、あきるのでやったお芝居もタコが出てきたね。

鉄割アルバトロスケットの公演に誘いたい人に、まずこの小説を読んでもらおうと思う。
いや、どうだろう…。

まずいスープ (新潮文庫)
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keiko_flash at 02:11|PermalinkComments(0)TrackBack(0)読書 | お芝居