2012年02月05日
ガチな宴会、PSG感謝祭!
まずは、カメの子パンについて
goennomotoさん、
その通り!メロンパンです。
しかも、亀の子。
かわいいですよね。
好本さん、
そうですね、人の感性というものは限りないもので、
神の御加護とはこういう「細部」にこそ宿るのでしょう。
彼らが一生懸命作ってくれただろうと思うだけで、胸一杯の感謝です。
さて、子供とのだんらん編
goennomotoさん、
そうやろ〜、ええやろ〜、
子育ては苦労以上に返って来るものが多いですね。
子供ってあったかいんですよ。
大人にはないあったかさがありますね。
好本さん、
そうですよね〜、へろへろになる前に、人生の素晴らしさを見出したい。
それが、気がつくといつもへろへろになっちゃってるんですよ、私。
今週は特に悲惨で、この子供との団らんの後、月曜日にはインフルエンザを発症しつつ、東京出張。
即タミフルを飲んだものの、悪寒でダウン。
その翌日には、大阪で枚岡神社詣で(この話はまたの機会に)
その翌日には、赤穂で「おとなの学校塩屋校」開校式出席。
もうだめ〜と思いつつ、中一日空けて、箱根での経営者ミーティングに出席。
翌日の今日はPSG感謝祭でした。
また、へろへろ(笑)
山村尊子さん、
お風呂もいいですよね。
冷水、私もやってますが、最近さぼりがちだったので、徹底させよう。
家族って心の底からの癒し。
子供が小さいとお目目がくるくるしそうになるけど、後になったら懐かしいですよ。
ササトミさん、
ありがとう、気を使ってくださって。
こちらこそ、これからもよろしく。
ももかさん、
そう、帰る場所。
人間には帰る場所が必要なんだってしみじみしました。
akioさん、
心の不調を感じ取るのは大切ですね。
私なんて、多分、ほぼ完全にマスクしてしまっているので、
結構難しいのかも。
私の場合、
「やりたくないことを無理やりやらせれている」わけではなく、
「やりたいやりたくないも解らないくらい突っ走っている病」なんだと思います。
性分ですから、、、
さて、今日は年一回のPSG感謝祭を熊本で開催。
最初は内部の新年会だったのですが、あまりに宴会芸が面白いので、
これをぜひ多くの方とシェアしたく、感謝祭として日ごろお世話になっている地域の皆様を
ご招待するようになったのです。
今年も気合い入ってましたよ〜。

これは宴会芸第一位を取った、「おとなの学校本校」男性スタッフによる
東方神起のダンス。
70年後、年をとった彼ら(ここでは杖をついている)が、
おとなの学校の音楽の授業で、昔懐かしい東方神起のダンスを踊るという設定。
杖を投げ捨て、切れのあるダンスを披露して、堂々の第一位を獲得。
踊り終わった後、また、杖をつきながら、「さ〜今度はくもんに行かなきゃ~」とやって爆笑。

これは筋肉自慢の子たちによる、アームレスリングの決勝戦。
左の子が優勝しました。
だって、格闘技のプロテスト合格の実力ですもん。
まあ、盛り上がった、盛り上がった。
皆、ステージの袖にかぶりついて、黄色い(もとい、シルバーな)声援を送り、
大騒ぎでございました。
若いっていいなあ。
うちは宴会芸も、ですが、仕事と遊びは両立するものだと思っていて、
遊びの企画も充実しているんです。
ヨサコイは要介護高齢者も一緒に頑張るし、
スポーツは、ミニバレー、ソフトボール、ボーリング、卓球と年間行事満載。
最近は、「逃走中」もやるんですよ。
携帯で連絡を取り合い、
ミッションこなした瞬間に追手が来て、つかまってしまうくらいの本格派。
子育て家庭向けの日帰り旅行、妙齢(!)の女性向けの日帰り旅行もあります。
あと、まだ、あるけど、もう書けない。
仕事をガチでやろうと思ったら、遊びもガチでなきゃ。
この宴会芸のすごさを見ると、良かった、まだ、余力あるじゃん、と思えるし、
うちの連中はなんてすごいんだろうと感動するし、
アームレスリングでほとばしる汗に、妙齢の女性たちも超ホット。
ああ、極楽でございます。
宴会のシメは最近、「全力少年」(スキマスイッチ)を皆で歌うようにしています。
積み上げたものぶっ壊して、まとわりつくものはらって!
って、
私たちにぴったり!
子供たちに癒され、スタッフたちとホットになり、
また、全力疾走する日々です。
2012年02月02日
これはなんだ?
2012年01月29日
家族が一番〜さみしい時の処方箋
未来創造プロデユーサーって、いいですね。
そうなれると本当に良いと思います。
「色」、、、、
沢山あって、パカチコしちゃって、それが集まったら、
きっと、大きな光になるような気がします。
色は光の分光ですから。
それが神の遊びなのかも。
まあ、遊ばれちゃいましょう。
goennnomotoさん、
武内宿禰と神功皇后は、私もご縁を感じる神(元人間だけど、、、)です。
この神気の意味するところは、結構意味深であるような。
それにしても、確かに本殿に何もない神社は多い気がします。
本殿がダミーで多くの人を引きつけて、
本当の神気に近づけないようにしているのかもしれないと思うほどです。
さて、実は私はここのところ、「うつ」状態でした。
でも、多分周囲の人は全く私がうつだとは気付いていないと思います。
だって、普通に仕事しますもん。
それくらいは出来るんです。
人間、努力って美しいと思う。
私は、ずーっと前から、そううつに近い精神状態〜循環気質であり、
季節によっては、気分が動揺するのです。
ですから、内観をすることで自分を見つめ、
自分の心の状態、それから導き出される脳の状態を学ぼうとしてきました。
それで、随分心のコントロールが出来るようになったのです。
特に今の私を支えているのは、「薬草茶」でして、
(阿蘇薬草園のもの)
随分気が楽になりました。
ところが、この数日、夜は眠れず、昼間移動中に爆睡。
朝からへろへろになって起きる状態が続いていました。
いよいよ、昨晩は午前3時近くまで眠れず、友人に泣きのメールを入れる始末。
そういえば、昨晩は東京でした。
今年実動し始めたら出張が多く、疲れ果てているのだと思います。
今日も朝から東京→熊本で打ち合わせ→北九州で会合出席→夜10時に熊本帰宅。
もうへろへろ。
やっとこ、家で、久々に娘たちとダイニングテーブルにつき、だらだらとテレビを見る。
お菓子と果物とお煎餅と野菜ジュースとのんある気分。
そしたら、二女が言う。
「私、こういう家族だんらんがすき〜!癒されるぅ。」
この言葉と、家族だんらんで、気分が整いました。
普通の生活がある。
それが一番。
2012年01月26日
取り急ぎ地震雲について
また、コメントへのコメントは次回しますね。
取り急ぎ、今、気になること。
関東での地震が噂されているそうですね。
ちなみに、私の感覚では、先週末は危ない感じがしましたが、
過ぎたんじゃないでしょうか。
地震雲ですが、
これくらいは、結構出ていますよ、最近は。
先週末の地震雲の感じで、震度5くらいです。
おととい、福島で震度5弱が出てましたね。
地震雲は、かなり遠くの地震でも見えます。
それだけ、磁力の影響は広範囲だということです。
だから、関東で地震雲を見たから、
関東で地震があるわけではありません。
また、マグニチュード7クラスだと、
空が割れたか?くらいの
インパクトある地震雲です。
そういうのが今出ているわけじゃありません。
今日熊本のスタッフが東海での地震のうわさが広まっているというので、
上記のように諭しました。
ちなみに、
九州の皆様は、今足元をかためたほうがいい。
私も含めて。
自分の足元は自分で守るしかないのです。
続きを読む
2012年01月17日
未来地域ケア研究会〜私の経営実践の場
好本さん、
いっぱいコメント感謝!
「エゴの大きな役割は、肉体保護昨日と自己実現願望の2点」
なるほど、、、、
物質的価値観のゆがみが迷宮を創り出したというのも、なるほど、、、と
思いつつ読みました。
私も、迷宮に張り込んでいるのかもしれません。
なんとなく、自分でそれを楽しんでいるのかも。
AKIOさん、
お母様が要介護5とのこと。
大変難しい課題ではありますが、人は最期の一瞬まで、
自己実現し、命を輝かせる可能性を持っています。
身体が動かないと、決して見た目にはかっこよくは見えませんが、
純粋な自己実現は、要介護高齢者になってからこそ可能になることなのです。
社会的事情もおありでしょうから、ゆるりと生きるのがよさそう。
goennomotoさん、
幣立神宮に行かれたのですね。
あそこには、「高天原」があると言われています。
高天原の見える場所まで行くと、ガスッった空気の向こうに阿蘇の風景が見えて、
人はこの妖しくも荘厳な風景を高天原と思ったのだろうと想像できます。
あとひとつある高天原は奈良県御所市にあり、
高天原の遥拝所は、高千穂のくしふる神社にありますね。
どれも素晴らしい場所です。
さて、娑婆っていうか、シュラバンバな毎日、皆さまお疲れ様です。
私もシュラバンバな日々を送っておりまして、エゴに押しつぶされそうな日々です。
結局エゴなくして生きることのできない身ですが、
少しでもきれいでありたいものです。
この週末、私は石川県能美市というところで、医療介護の仲間の会、
「未来地域ケア研究会」に参加してきました。
「西日本若手医療経営者の会」も同時に開催。
とてもよい勉強会でした。
仲間の発表を聞きながら、そして、経営手法のワークショップに参加しながら、
本当にこの会を立ち上げて善かったと自分で感動しまくっていました。
今から5年前、長野県佐久市の黒澤先生と一緒に、
「似た事業展開をしているから二法人で一緒に勉強会をしよう」と
話したのがきっかけでした。
それから徐々に会に見学に来ては、参加する法人が増えていきました。
年1回。
どの法人もとても真面目なので、勉強になりますし、スタッフにも大変善い機会となっています。
今回は、芳珠記念病院の仲井先生が幹事で、昼は勉強しまくり、夜はカニを食べまくり。
充実した会でした。
私はどんなことも「場」だと思っています。
このブログも「場」。
色んな人が自由に自分の意見を言えればいい。
そして、色んな知が集積し、影響しあって、個々に新たな境地に達すれば、
めっけもんです。
研究会も「場」そのもの。
私にとってこの未来地域ケア研究会は、質の良い仲間の集まる場です。
質の良い、とは、粛々と実践していく人たち。
どんなことも人のせい、国のせいにすることなく、自分の努力を続けて行く人たちのことです。
過去と他人は変えられないけれど、自分と未来は変えられる。
だから、前を向いて、仕事する。
私は最近、自分のエゴで疲れます。
でもね、しょうがない。
それが娑婆で働くということです。
仕事を進めていくには、エゴがいっぱいになります。
エゴでいっぱいの人を使って、成果をあげるべく働けば、
結局は日々エゴでまみれます。
エゴが嫌いなエゴはそれで疲れ果てますが、
このブログでの色んな意見交換、実際の友人との会話などを通じて、
「ま、いいんじゃないの〜。」と思うようにもなり、
迷宮に迷い込むのもまた楽しからずや、と思うのです。
願わくば、「迷宮ラブソング」的に、
「迷う時強くひいて」くれる彼がいればいいんだけど。(笑)
(すみません、つまらないオチで)
2012年01月11日
エゴ亡きエゴを使って生きる
最近、コメントも色々頂いて、感謝です。
答えがあるわけではないので、色んな意見を合わせて行くことで、
ある種の方向が見えてくるのかもしれませんね。
では、コメントにコメント。
akioさん、
この「生まれる前に自分で選らんてきた人生」についても、
いっぱい、話してみたいですね。
この視点を書いた「生きがいの創造」も読みましたね〜。
一時期、ハマリましたよ。
3年前、この本を人からもらって、急にビビっときて、
大学通じて無理やり飯田文彦さんにアクセスしたりして。
あ〜、簡単にかけません。
日本の医療関係者ね、、、、
ひとりひとりは一生懸命なんですよ。
ただ、金銭感覚はないなあ、、、、
好本さん、
御自身のブログでのコメントありがとうございました。
丁寧な分析に、自分自身でも、おおおおおと考えました。
細かなことは、また、このブログで。
FBから、
横山さん、
人生って本当に色んなことがある。
自分じゃどうにもならないことも。
ただ、運命論者じゃないんですよ〜、私。
これをどう書いたものか、、、、
運命って「決められてる」感がありますよね。
それとも違う。
自分で明らかに切り拓いていってる。
でも、選んでるかっつうと、、、、って話なんですよ。
ああ〜、うまくかけない、、、、((+_+))
上田さん、
その時は意外と一生懸命、ってことなんだと思いますよ。
そういう感じ。
その時のことって、リアリティなかったりする。
過酷な人生でも。
実は、私の友人Yさんが、メールでコメントしてくれました。
彼は、自分が自分の息子の剣道での勝利を親としてサポートするため、
近辺の掃除など、「子供が勝つため」に一心にやった、とのこと。
子供の勝利を願ったため、とはいえ、
その周囲が清掃され、きれいになったのは、事実です、と。
そして、二宮尊徳の「二宮翁夜話」を引用されています。
天道とは、自然そのもの。
だから、善悪の区別はない。
それに対し、人道には、分別〜善悪がある。
では、人道〜ま、ある意味エゴな道が自然に従うものになるには、
中道がよい。
中道とは、水車のようなもので、
水車は、どっぷり水に浸かったら、動かない。
よい塩梅で水につかっているのが良い、という。
長い文章でしたが、めっちゃ縮めて書くとこんな感じだと思います。
これは、私の前回のブログ、そして、それを好本さんが御自身のブログで
解釈してくださった、
「エゴある人の使い方」そのものかも。
エゴある人を使うのと、自分の使い方は同じなんですね。
だって、自分だって、エゴがいっぱいですもの。
沢山のコメントを頂き、さらに知識も頂き、すっごい勉強になってます。
「私はこの人生を選んでいない」は、結構誤解を生む表現だったな〜。
でも、それで色んな角度からの見方を集められ、感謝です。
「私はこの人生を選んでいない」
しかも、
「一生懸命だけど、頑張っていないのがいい」
うぎゃあああ、さらにややこしいですかあ。((+_+))
エゴあると頑張っちゃう。
私の友人に、いつも挨拶が「がんばろうね」って人がいて、
でも、いつも「それはエゴだろう」って、エゴは大嫌い。
私の大好きな人なんだけど、
頑張ろうはエゴから生まれるんじゃないかという私の解釈は、
その方には解ってもらえそうにありません。
私は「エゴ」を完全否定しているわけじゃないんです。
だって、多くの人は、Yさんの言う通りにエゴで頑張り、結果を出すのですから。
それでいいんですよ。
「世のため人のためにおれは頑張るんだああああ」
みたいな話はエゴ丸出し。
それはそれでいいんじゃないかと。
ただ、私が最近、感じている自分の境地には、
「オレ」が徐々に減っていってる感覚があるんです。
「オレ」=「エゴ」が減ってきたほうが気持ちいい。
それを体感しているんです。
そして、自分の人生を振り返ってみたら、「無我夢中」に走り続けた私の人生には、
「自分で選ぶ」という余裕はなかったな、、、と。
最近、「魔法のお片づけ」にどっぷり浸かってまして、
(さすが、120万部売る本は違います)
年末年始、ず〜っと、お片づけ。
実は、自分の生活そのものが、自分の仕事の仕方に反映するという、
今更、あったりまえなことに気付いた(気づかされた)のです。
今までいっぱいモノが詰まっていた戸棚は、お気に入りのものをディスプレイする余裕が。
お歳暮と子供用のお菓子でごった返していた台所も、
ほとんどものの無い状態に。
そうしたら、以前は一緒に料理しても、まな板ひとつ洗わなかった娘たちが、
それを洗って戸棚にしまうように!
びっくり、、、、、\(◎o◎)/!
人生もそうなのでしょう。
すっきり、きっぱり。
モノが部屋から無くなっていくにしたがって、自分が軽くなっていくのが解るのです。
あ、ほんとに1キロくらいやせましたし。(笑)
私は今、真剣に「おとなの学校」を世界中に広めたいと思っています。
それは、ここで、人が亡くなるまで「純粋な自己実現」をしているのを見たからです。
「最期の時まで意欲的に生きる」とは、こういうことなのではないかと。
これは、人の生き方を変えられるのではないか。
年を取り、要介護になったら終わり、認知症になったら終わりではない。
要介護になっても、認知症になっても、
いや、だからこそ、「純粋なる自己実現」が可能になるのではないかと。
彼らの姿にエゴはないのです。
その純粋さに心打たれたのです。
それを一人でも多くの人に伝えたい。
ま、これをエゴだと言えば、エゴかもしれない。
でも、これを知った人たち、見た人たちは、本物の自己実現を体験できるかも。
そう思うと、いてもたってもいられない。
とにかく、伝えなければ。
そうすると、自分の小ささが身にしみるんです。
もっと、沢山の人に、もっと広くと思うけれど、力不足。
そう思っていたら、とにかく、「切る捨てる決める」だろうと思ったのです。
自分をそうやって軽くして、もっともっと人間として成長しなければ、と。
私はそれを選んだのか、、、、
うーん、、、、選んだ感じがないのは、いつものように「一本道」しか見えないからでしょう。
そして、私は軽くなっていく。
事業って大変なことがいっぱい。
エゴもいっぱいいっぱい。
スタッフが増えたら、その分エゴが増えるわけです。
エゴはエゴにしか反応しない。
私にエゴがなければ、エゴに反応して怒ったりしないはずなのに、
やっぱり、うなっちゃう私がいる。
だから、軽くしたい。
エゴを無くしたいという(これは完全に)エゴなことを思うのです。
始まりはエゴ亡きエゴでも、この道を歩んでいけば、美しい境地に達することができるような
気がするのです。
あ〜〜、解っていただけましたでしょうか。
また、コメントくださいまし。
2012年01月05日
エゴ亡き世界の向こう側へ
「私は人生を選んでいない」に
引っかかってくれて、ありがとうございます。
この話を少ししようかな、
中野さんの話ともつながりますので。
中野さん、
「人生の意味や目的は自我が作り上げたもの」
いやあ、いいフレーズですね。
この話を今回はしてみたいと思います。
前回のブログはツイッター、FBでお知らせしなかったので、
意味が通じない方は、是非、前回のものを
お読みください。
世の中を見ていて、ふと思うことがあります。
なんつーか、
皆さん、人生を選んでいるわけです。
エゴっていうより、選ぶ余裕が不思議。
私には残念ながら選ぶ余裕などなく、
目の前の課題を必死に乗り越えてきたんです。
私は確かに元お嬢様ですけど、
別にそれを選んだわけじゃないし、
必死に働いていたら、がっつり女経営者になっちゃったけど、
それも選んだからじゃない。
必死だったからこれしかできなかったんです。
私にはこれしかできなかった。
32歳で母を亡くして、何も解らずに必死だった。
気がついたら、
手助けしてくれた弁護士とできちゃってて、
子供を3人も産んじゃった。
合計4人の子持ちのシングルマザーになって、
それでも、馬車馬みたいに働いたんです。
何が怖かったって、この国の医療福祉施策は
将来のことどころか、足元の予算もめちゃくちゃ。
怖くて仕方なかったですよ、ずっと、17年間。
しかも、この状態なのに、
「もっと診療報酬、介護報酬を出せ」
と言っている医療福祉介護関係者を見ると、
私はもっと怖くなった。
自分の給料が赤字国債から出ているのに、
どうしてこの人たちはこんなこと言えるんだろう。
私は、「くもの糸」にぶらさがっている気がしました。
この糸はいずれ切れるだろうし、私も振り落とされる。
今はある意味諦めモードで、
この国以外のどこかの国で仕事をしたい。
これも、やむにやまれない気持ちであって、
選んでるって感じじゃないんです。
ところがですねえ、外見では、そうは見えない。
よくやるよねー、とか、決断力あるよねーとか
言われると違うな〜、、、と。
いよいよ、独裁者の姿も見え隠れするこのごろ、
そろそろ、日本人は気づいたほうがいいと思う。
それはさておき、
私はこの人生を選んでいない。
これしか、なかった。
中間生の記憶(?)からいっても、
私は常に戦闘要員だったようなので、
これからが旬なんですけどね。
それを選んだのは私じゃない。
と、思う。
随分前に「神々の沈黙」というジュリアンジェインズの本をご紹介したと思います。
そこに書かれていたように、
「もくもくと、なすべきことをなして来た。」
神の命ずるままに。
周囲からはそう見えなくて独善的だと思われてきたかも。
それでも、
声に従い、見えるものを作ってきました。
そこにはエゴは無いのです。
あ〜、意味通じてますでしょうか。
エゴで考えたことと、エゴ亡き世界はまさしく次元が違うんです。
ところが、どうにもこうにも、人はエゴで考える。
そういう人には私の話は通じない。
で、最近ちょっとトライしていることがあります。
エゴな人のエゴを使うのです。
彼らをエゴ亡き世界に連れて行くことは出来ません。
でも、エゴ亡き仕事をするのに役立てることは出来る。
その人のエゴな目標と私のエゴなき目標を一致させてやるのです。
そうすれば、
その人は喜んでエゴイスティックに動くんです。
エゴという枠から出たくない方とはこうやってお付き合いしています。
でも、そもそも、次元が違うので酷く疲れる。
お互い、分かり合えるはずもない。
そこで、今年の目標、「切る捨てる決める」が
必要になってくるのです。
もっと、私自身もエゴを捨てなければ、
エゴな人のエゴに引っかかってしまいます。
人間は同じ質のものにだけ、反応するんです。
だから、人のエゴで疲れるということは、
私がエゴイスティックだということ。
それにたまに気づいて、はっとするわけです。
さて、今年、私は人生の目標も書き換えました。
これは私のエゴ作ったものですが。
「完全なる自由」
私のエゴはこれを求めて邁進する。
すべては良くなる。
完全なる自由に到達出来るとは思わないけれど、
それに限りなく近づけば、
それは、バガヴァッドギーターのさらに向こうにあるものなのかも
しれません。

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