父の日を前に

大正11年生まれの父は今年の3月5日で、95歳になりました。

お腹が痛いと言って入院した約2年前、ただの便秘だったにもかかわらず、夜ベットから出て自分でトイレに行こうとした父をベットに手足を縛り、睡眠薬を投与して夜中にトイレに起きないようにした病院の対応は、最悪でした。
その説明も、一人で勝手にトイレに行こうとして、看護婦さんが気が付き、ベッドに戻ってと言っても「自分でトイレに行けますから」と言って指示に従わないから、縛りました。薬も起きないようにたくさん投与しましたと言うものでした。
ケースワーカーをしている友達に今年になって尋ねたら「病院は人手が足りないから、勝手にトイレに行って滑って転んだりしたら病院への責任を問われるからそうするのよ」と言う説明でした。

私たち兄弟、家族は、看護婦さんの指示に従わずベットに立ち上がるという説明受け、足が悪いのに立ち上がる訳がない、何か変だ、でも何が何だか分からない状態でした。
父は人に迷惑をかけるのが好きではないので、できることは一人でなんでもしようと生きていました。
それまでの父は庭の掃除やごみの処分、木の枝の選定など、一人でしていました。
母が亡くなってからは、お湯飲み茶わんをかたずけたり、食器を洗ったりもしていました。
会話も普通に冗談を言い、難しい社会問題についても会話し、元気にくるくる動き回っていました。
木の枝を選定している際に梯子から足を滑らせ、入院したこともありましたが、その際も会話ができました。

でも、今回は入院してすぐに口が回らなくなり、意識がいつ行っても朦朧としていました。目は虚ろで、いつ行っても眠ってばかりいました。

どう考えても病院の言っていることは変だと感じ始め、足を痛めている父が一人でベットに立ち上がることはできない状態なのに、「ベットに立ち上がり危ないんです」と言う病院の説明を、日を重ねるごとに信頼ができなくなり、兄二人と弟に、「退院させよう、違う病院へ移そう」と言い続けました。

「自宅介護で、デイサービスに通ってもいいんじゃない?」「いや~親父は、そういうところへ行くのいやなんじゃないの」などなど、兄や弟と話してもなかなか良知が明かず、とりあえず、私がまず市に相談に行って、などなどいろいろ調べ、兄弟たちに提案しました。

IMG_8005そして、約2か月後やっとナーシングホームに移りました。
それから、月一で父のお見舞いに二番目の兄、くんちゃんとみち子さん夫婦と一緒に行き、車いすを施設からお借りして実家に外出をするということをしてきました。
二番目の兄家族は千葉に住んでいて、父のお見舞いは、いつも彼らを迎えに行ってからホームへ行きます。

私一人では、抱えきれない父を、兄嫁のみち子さんが、介護の仕事をしているので、要領よく車いすに座る介助をしてくれたり、車に乗り降りの介助をしてくれるので、とても助かります。

実家では、一番上の兄の奥さんの静子さんが、「おじいちゃんは水ようかんが好きだから」と言って、いつも用意して待っていてくれます。
父はそれを美味しそうに平らげて、犬のこうちゃんを抱き、撫で、それから移動で疲れるのか横になって眠ります。

3月の父の誕生日前に行った際に、来月は桜を見せてあげるねという約束をしていたので4月の初めの休みに施設を訪れましたが、その日は冷たい風が吹いていて、到底外には連れ出せませんでした。
兄夫婦とランチ後に爆睡している父の寝顔をみんなで見て、「今日は寒いし眠っているから、起こすの可哀そうだね」と言って、その日は帰ってきました。

ですから、今週の水曜日のお休みの日に、約1ヶ月半ぶりに行きました。
ナーシングホームに移ってから父は会話もできるようになり、よく外に散歩に行こうと言ったり、会話もできるようになりました。

24日に迎えに行った時は、スタッフの方々から、「最近は自分で食事をしなくなってしまいました」と聞かされ、やせ細った父に驚きました。

約2週間前に食欲が減退している父の脳に問題があるのかをチェックしてもらいました。
そして、問題はないとの回答を脳スキャンの画像を見せていただきながら受け、兄たちと安心しました。、脳の萎縮はなく、認知症ではないという状態もよく分かり、本当に良かったと思いました。
ただ、自分で食事をする、自分で立ちあがるなどの行動意欲がなくなってしまった原因が分かりません。
父の知り合いが父を訪ねるとしっかりと目を開き、毅然とした態度で向かい合っていますというホームのスタッフからのお話に安心しましたし、みち子さんへの感謝を話したり、お茶目に私を脅かしたりしました。

久しぶりだったので「私はだ~れか分かる?」と尋ねるとフルネームで「きたはらけいこ」とニヤリと答えました。

その後に、私を見て
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手をこんな風にお化けの真似を3度も脅かしました。
私は思わず「な~~~にぃ????それ」と尋ねましたが、その後は知らんぷりの父でした。

父は、私が小さかった時、夜になるとよくお話をしてくれましたが、、お話の最後はいつも怖いお話になり、私を脅かすというパターンが繰り返されました。

そのたびに最後は母に泣きつきながら「怖い話するぅ~お父さんが」と告げ口をすると、母が父に「夢でうなされるから」と窘めてくれました。

さて、そんな実家に父を連れ兄夫婦と一緒に帰った水曜日でしたが、いつものように兄弟と兄嫁たちを囲んで、大爆笑が起こりました。

笑い上戸の私たち兄弟、妹は、子供のような冗談で涙を流しながら笑います。

一番上の兄が左側の歯が奥から数本抜けていて、父と同じようになっていたので、私が大げさに「何言っているのか分からないぃ~ふぁふぁふぁって抜けてるぅ~」と笑いながら言うと
くんちゃんが「話にならない。歯なしだから話にならない」と親父ギャグを言って、笑い出し、涙を流しながら大笑いを一番上の兄と一緒に始めました。
兄が「ふぁふぁふぁ」と何を言っているか分からない言葉をわざと発して、「ここから音が漏れるんだよぉ~」と右手で左側の歯が抜けたほうを覆いながら、歌舞伎役者のように何度も同じしぐさをしてみんなを笑わせました。

二人で同じように同じ言葉を繰り返し大笑いし、涙を拭いていました。

私はあまりのバカバカしさに「ねぇ~なんで一番上の兄貴なのに、髪が黒くて、薄くならないの? ホント、気が楽にできているからだよねぇ~」と、言うと、
くんちゃんが「うちの家族はみんな若く見えるのは遺伝子のせいだよ」と、嬉しそうに言いました。そして「まぁ~うちはみんな楽天的だからじゃないのぉ~、そうだよ、」と。

母が時々私たちに「上を見たらきりがない、下を見たらきりがない。人生ケセラセラだよ」と言っていたねと兄が思い出し、話し出したので、
そうだね、そうだったねと。

そして私たち子供には「貧乏な人を笑うんじゃない、学力のレベルが低い人を笑うんじゃない」と言うことをよく言っていました。養女になって苦労した生い立ちから生まれた言葉でした。
そんなことで人の価値は決まらないという教えでした。

父は噓をつくことを徹底的に許しませんでした。清く生きるという教えでした。

そんな教えを私たちは時々思い出しながら人生を重ねています。


そして、静子さんが作った杏仁豆腐とお茶をいただきながら、私たちは思い出話をしました。
私が、今日迎えにいったらお父さんがこんな風にお化けの真似をして何度も私を驚かせたんだよぉと兄たちに言うと、
二人の兄が、それは「啓子に会えて照れていたんだよ。嬉しかったんだよ」と。

私は「えぇぇぇぇ、そうなのぉ~?意味が分からなかったわ、突然そんなことしたんだもの、ね。みち子さんも見てたでしょ~」とみち子さんを見ると笑いながらうなずいていて、

彼女と二人でうんうんとうなずきながら「何だったんだろうねぇ~?」「何が言いたかったのかしら?」と。

でも、兄たちが言うように「久しぶりに会ったので嬉しくて照れ隠しだよ」と言う言葉が、今はよく分かります。

そうだよね、1か月半ぶりだもんね、と。

内心、古い男性は、言葉で言わないで、そんなことで表現するの?と思いながら首都高速を走りながら帰ってきた私です。

兄たちとの会話は、子供のころ父は私に「女の子でも何でもできるんだよ」と育てたのに、母が亡くなるまでは、家事一切手伝ったことのなかったよねぇ~。
私はよく父に「お父さん、自分のお茶くらい自分で入れなさ~い」とか言われていたけど、そのたびにニヤッっと笑ってごまかしていたよねぇ~とか、
母が養女に出された先の兄弟、姉妹をここで(実家)で受け入れ、花嫁修業や人との付き合い方などを学ばせてから、みんな結婚し、独立していったねと話をしました。

そして母の生家の姉妹も受け入れていたこと、私たち子供が4人もいたのに、大変だったけど、受け入れて独立できるまで家にいたよね、みんな。と昔を思い出して、そんな会話をして帰宅しました。

自分の兄弟、姉妹を大切にしたけど、母のたくさんの兄弟、姉妹たちも受け入れていたよねと。

やせ細った父の身体をみち子さんが、お姫様抱っこして実家に買っておいてある車いすに座らせてくれるその姿に、胸が熱くなりました。
みち子さんが、父の足を触って「わ、こんなに痩せっちゃって。。。。」とつぶやいた言葉が、私の心の中で、ぐるぐる回っていました。
そしてみち子さんが風で乱れた父の髪をそっと撫でて直してくれるその優しさに、胸が熱くなりました。
本当の娘のように、父に接してくれる兄嫁たちに感謝の気持ちでいっぱいです。

私は、兄が酔って起こしたいたずらを思い出し、「あれは、何したかったのぉ?」と大笑い。
くんちゃんも「兄貴が***して持ってきたあの***は、ずっと庭の横に置いてあったよね」と大笑い。

でも、酔っていろいろないたずらをした兄を一括した父は厳しい父でした。
父も母も口癖は「まっすぐに生きなさい」でした。

母が私たちが若い時によく「うちの子供たちが誰一人として道を外さなかったことは、奇跡だね」と言っていましたが、それほど、父は強くて厳しい人でした。基本を曲げない人でした。でもお茶目でもありました。

大人になってから、家では威厳のある父が実は友達同士の間では、酔って腹踊りをしたことがあるという話を聞いた時ほど、驚かされたことはなかったと、私が話すと、兄が「あれでなかなか面白かったんだよ」と。

眠る前にしてくれた指人形のお話も、詩的で独創的でした。
でも、反抗期の私は口もききませんでした。父の矛盾が受け入れられずに。

そんな時、母は私に「人は白と黒に分けられないこともあるんだから」と、窘めてくれました。
そして、私を溺愛をした父が、私に「けいこは***小町で可愛いから、誘拐されちゃうからお祭りは行っちゃいけない、***に行っちゃいけない」と言っていました。 
それを聞きながら母は、父と私に「どれだけ親バカなの」と言い、私に自分を客観的に見ること、父から見たら私は可愛いけど、一般的にはそうでもないんだという事実を伝えてくれました。
その反面、父は中身を磨きなさいともよく言っていました。
そのお陰で、そういう意識を私たち兄弟にしっかりと植えつけました。

今思うと、父は私が、「友達の**ちゃんと**ちゃんと***ちゃんと一緒にピクニックに行くから迎えに来てね」と頼むと、夕方車で迎えに来てくれて、友達をみんな家まで送ってくれました。
友達のうちに遊びに行きたいと言うと、車で連れて行ってくれました。
私を大切に思ってくれていたんだと、よく分かります。

思い出話は涙をながしながらの大笑いと腹痛に終わりましたが、
いつも集まると、言いたいことを言いあって、喧嘩したり笑いあったり、相変わらずしています。

きっと、どの家族も一緒だと思いますが、特別にうちの家族は楽天的だというくんちゃんや兄、そして弟との会話は、いつも大笑いで終わりますが、それはみ~~~んな、父と母のお陰です。

母が私を生前、「あら、極楽とんぼさん」と呼んでいましたが、極楽とんぼに育ててくれてありがとうと心から思います。

そしてみんな涙もろいお年頃になりました。
笑い上戸の上に、涙もろくなったので、母の話をしながら兄弟で泣き笑いをするときがあります。

どんな状況の中にも、毅然と生きようとする父の姿に、清く生きる姿勢を見せてくれてありがとうございます。あなたの生きざまは立派ですと言いたいと思います。

来月は、いつ会いに行けるかな?
またお茶目にお化けの真似をして、私を笑わせてくれますか?
お父さん。






















カンボジアの孤児たちのフォスターペアレントに

IMG_7448私は、毎年、1,2回カンボジアのシムリアップにある身寄りのない子どもたちを保護し育て、学校に通わせている養護施設(CPCSO=カンボジアの貧しい子どもたちを支援する会)へ訪問し、音楽(リコーダー、ピアニカ、日本の歌)絵画、料理、文化(書道)、運動などを支援者方々と一緒に、そして時に一人で教えに行っています。

立ち上げたボランティ活動組織、設立後7年目を迎えました。

そして、学費をもう数年間送り続けています。米代も送っていますが、支援金不足で送れない時もありますが、ボランティア活動のメンバーも増え、メンバーや支援者の方々の協力を得て、愛の素は昨年、”特定非営利活動法人 愛の素・AIOMOTO”の登録をしました。

これまでの活動の様子は、動画を含めて公開しているfacebook( https://www.facebook.com/ainomotoainomoto/)
や、ホームページとして作成している アメブロ
( https://ameblo.jp/ainomotoainomoto/entry-12270340387.html?frm_src=thumb_module )
( https://ameblo.jp/ainomotoainomoto/entry-12271514526.html?frm_src=thumb_module )
にてご覧になっていただけます。

現在、6人の子供たちの学費援助をしていますが、フォスターペアレントの募集を始め、やっと6人の子供たちの教育費の目途が立ちました。 ペアレントになっていただいた方々には、本当に感謝しかありません。


院内には約40名の子供と近隣の村には子供たち140人が、まだ支援を待っています。

親に捨てられた子、親が亡くなってしまって一人で生きていかなくてならなかった子、保護された子供たちの生きていた状況を知ると、言葉がありません。

IMG_7684愛の素の活動の様子を時間のある時にぜひ、覗いてみていただけますか?

壮絶な環境で生きている子供たちに会うと、日本で目的もなく楽に生きようとしている人や、自立もせず親や異性に寄生しながら生きている人をみると、生きてることに心から感謝しているこの子達の本当の純粋さに、心が打たれます。必死で生きている子供たちの健気さに、涙があふれることがあります。 


ですから、自分の人生を切り開こうと頑張っているこの子達をちょっとでも手助けできたらと思っています。

私がちょっと疲れた表情をしたりしていると「け~こさん、はい」と言って椅子を差し出してくれる子供たちの暖かさや優しさは本物で、その心の美しさに触れると自分の心も美しくなります。

子どもたちに出会えたことに、本当に本当に心から感謝です。

望まないのに逆境の中で生きざるを得なかった子どもたちは、初めはいろいろな問題を抱えて保護される子もいます。
怠けたり、嘘をついたり、盗癖があったり、いじめたり、でも、他の子と一緒に生活しながら、学校に行き、未来を見つめるチャンスを得て、いろいろ考え、感謝が生まれ優しい子どもに変わっていきます。

愛の素は子供たちを直接支援をしている小さなNPOです。

ですから、力不足で時々自己嫌悪に陥ります。
でも、やり続けることに意味があると言い聞かせながら、今日まで来ました。

IMG_7818この子どもたちの未来が、開けて、自立できるお手伝いをぜひご一緒にしませんか?

フォスターペアレント、大、大、大募集です♪♪♪

また現地滞在(施設に泊まって)ボランティ活動にご興味ある方も、大々的に募集しています。






IMG_7815昨夜は上の息子が母の日のプレゼントのカーネションを持ってきてくれました。
水道の栓がついたちょっと変わったお花を彼が選んだとのことでしたが、ピンクと赤のお花が混ざっていて可愛いです。

水曜日のお休みに、私はいろいろなお料理を作り置きしていますが、下味をつけておいたアサリのパスタとシソとにらの餃子で迎えました。 私は仕事が終わってからなので、「簡単なものしか作れないからね」と言っていましたが、
「これ、美味しい♪」と食べていました。
パスタは初め薄味だと言っていましたが、塩分の取り過ぎはダメよと、食事と運動と睡眠は、しっかりとってねと、母の顔で言った私です。

可愛いお花をありがとう。

施設の中で生活しているの子供たちの中には、全く身寄りのない子供もたくさんいます。
息子たちのように、こんな風に帰る場所のない子、お母さんの手料理を食べることのできない子、私に経済力があったら、たくさんの子供たちを学校に行かせてあげたい、一緒に食事をし、未来について語り合いたいと思います。

今年の訪問は、多分暮れになると思いますが、ぜひご一緒しませんか?

素敵な思い出と、貴重は経験が待っています。








野点のお茶会に

22日の土曜日は、現在建築中のケンジントン・ハウスのオーナーT様の庭で一品持ち寄りでランチをいただいた後に、野点のお茶会が開催されました。


IMG_1061IMG_1063先日の世田谷でのウォーキングに出会った日本のIT会社で仕事をしている日本語がペラペラのベトナム人のトゥアン君、中国のウイグルから日本語の勉強に来ているサワティ君、そしてインドネシア大使館でご主人が働いているメイラさん、(ちなみに彼女は以前インドネシアのTVのニュースキャスターだったそうです。娘さんは早稲田に通っています。)そしてアメリカ人のジェニファーを誘ってお茶会に参加させていただきました。

T様のお茶の生徒さんはアメリカ人のジェニファー、ナオミ、そしてその家族の皆さん、それから日本人の数人の女性の生徒さんたちとそのご家族、ご近所のご家族、たくさんの人数でした。
IMG_1065IMG_1066IMG_1067IMG_1068メイラとサワティ、トゥアンです。

オレンジの着物を着ているヤングレディは、6年前にT様からご紹介されてからお付き合いしているIさんの娘さんです。彼女の隣に着物着ている女性がIさんです。


IMG_1069IMG_1071IMG_1072T様ご夫妻です。      私の友達のジェニファーです。

彼女は、やはり日本文化に興味があって、T様にいろいろ質問していました。

ランチの前に、T様の提案で参加者は皆さん自己紹介をしました。

穏やかで、そして楽しい自己紹介の時間でした。

また、お茶をいただいた後に、Tさまが印刷物を用意してくださっていたので、お茶碗に書かれた小野小町についてなども、印刷物を渡しながら説明してくれました。

私は、私の友達たちにお茶の歴史や背景について、ぜひ説明してくださいとT様にお願いしましたが、とても丁寧に、そして流暢な英語で説明していただいて、友達はみんな喜んでいました。
もっともT様の準備が万全だったことが、一番でした。

そして25,6名の参加者が変わり番にお茶をいただきました。

練り物とお干菓子で2服いただきました。

私は朝から16穀米に黒ゴマ、昆布を入れて炊き込んだご飯を稲荷寿司にし、ツナとリンゴとアボガドのサラダを作り、それから6年振りに着物を着ました。
野点で略式のお茶会だと言うことでしたので、小地谷紬にちりめんの帯の着物を着ました。
昔は5分で着ることができた着物を帯だけに15分もかかってやっとの思いで結びました。
やっぱり着慣れていないと、こういう時に四苦八苦するんだと、しみじみ思いました。

これから、時々は着物でお出かけもいいかなぁ~なんて思いましたが、大股歩きの私が歩くと、絹のシュ、シュと擦れる音が大きな音で漏れるので、うううううん、やっぱり忙しい生活だし、やめようとすぐに思い直しました。

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IMG_1098IMG_1099IMG_1100ジェニファーがお点前を披露しました。








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IMG_1121IMG_1126IMG_1131ジェニファーのお点前も完璧でした。
ナーバスで、手が震えたと言っていた彼女ですが。素晴らしかったです。







IMG_11333時少し前に終わりましたが、経験できないお茶会参加にメイラとトゥアン、サワティはとっても喜んでいました。
彼らから楽しかったの言葉をいただき、私も幸せでした。

それから彼らを駅まで送り、その後私は会社に戻って仕事をしました。

皆さんの写真を撮ることや、ちょっとのアシストをさせていただいた日でしたが、自然豊かな日本の庭で、こんな風にお茶をいただけて、楽しい時間をいただきました。







誕生日のお祝いと北鎌倉、東慶寺、円覚寺

4月初めの定休日に、友達の誕生日をお祝いするために、久々に夕食のお料理を頑張りました。
彼女とは約17年のお付き合いになりますが、いい時も悪い時ものお付き合いです。
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thumbnail_IMG_7452夜は、春巻き、なます、エリンギのホタテ風焼き、煮物、もやしの胡麻和え、メインは鳥肉のパリパリ揚げ卵とじを作りました。

翌朝は、アボガドと鮭とリンゴのマヨ乗せトーストと、フルーツの盛り合わせとバナナと小松菜の豆乳スムージー、トマトときゅうりのサラダを作りました。

この日は、彼女のリクエストに応えて大山登山をしました。


花粉症の二人ですが、まだ寒いから花粉がないねぇ~なんて会話をしながら登りました。
私は昨年の11月か12月の初めにニコールと初めて登っているのですが、雪が残っていて今回は頂上までは登れませんでした。

おまけに私は車に携帯を忘れてきてしまったので友達が撮ってくれた写真をUPします。

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thumbnail_IMG_7459thumbnail_IMG_7465thumbnail_IMG_7463この日は暖かくて、でも雪の匂いのする風が吹いていて、「心がリフレッシュするね」と二人で何度も言っていました。

汗をかいた体にちょっと冷たい雪の風が本当に気持ち良かったです。
でも、4月に雪が残っているなんて知らなくて、運動靴で登った私たちです。



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山から下りてきて遅めのランチは、有名は山菜カレーをいただきました。

美味しかったです。でもご飯の盛り付けが山になっていて、笑っちゃいました。

この後は、また別の茶屋に入り、彼女はアイスクリームとお団子を食べ、私はニコールと来た時も食べたモツの煮込みを食べました。
車の運転が待っているので、飲めないねぇ~と、つぶやきながら。


21日は、オリジナルデザインのドアやサンドブラストなどの制作を依頼しているスティーブの娘さん、藍ちゃんが東慶寺のギャラリーで個展を開いていると言うことで、見に行きました。

IMG_0979彼女の作品です。








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北鎌倉の駅は、19歳の時に降り立った駅で、それ以来来ていませんでした。その時は、雪が降っていて私は白のフード付きの細身のロングコートを着ていました。
その時の寒さだけが思い出され、駅をいろいろ見ましたが、記憶の彼方に行ってしまっていて、こんなに明るい駅だったかしら?とちょっと戸惑いました。

ギャラリーでたくさんの絵を見てから、東慶寺を散策しました。
こんなときじゃないと見れないだろうと思いましたので、ゆっくり見て回りました。
東慶寺は昔離婚できな女性たちが逃げてきた駆け込み寺です。
逃げ込んでやっと心安らかに生きる人生を見つけられた女性たちの思いが深く沈んでいるのかな?と思いながら見ましたが、桜が終わり萌えだした緑に包まれた境内は、柔らかな生命力に溢れていました。

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藁ぶき屋根の中門は、時を重ねた美しさがありました。

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IMG_0999IMG_1001庭の美しさも日本独特の苔の美しさも、心が洗われるようでした。








IMG_1002IMG_1003IMG_1005それからランチを近くのレストランでいただきましたが、ちょっと贅沢にワインとチーズの盛り合わせもいただきました。

自分にご褒美ねと心の中で呟きましたが、「どんだけご褒美上げるんかい!」と言う突っ込みも聞こえてきました。



IMG_1009IMG_1010鴨の燻製の地場の野菜つけ麺は美味しかったです。




ワイン・各チーズ、レーズンの産地の説明がありましたが、覚えられませんでした。でもチーズとレーズンとワイン、そして鴨の燻製はとびっきり美味しかったです。

駅までの道に、円覚寺があったので、まだ時間的に余裕があったので、「よし!ここも見よう!」と強く心に決めて、見ました。
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建築も庭園もすべて美しかったです。「もう、これはちゃんと時間を割いて見に来ないといけないな」と思いながら見て回りました。
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近くに?に住んでいながらこれらの美術品を見に来ていなかったことに、改めて「何やっているんだろう、今まで!見に来るべきだよね!」と自分を叱りたい気持ちになりました。

IMG_1041IMG_1042IMG_1043翔子さんの書もありました。IMG_1044









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言葉もなく、ただただ命があふれだした緑の木々を見つめていました。

それから帰社して、3時半くらいには通常の仕事に戻りました。
こんな時間は、やっぱり必要だねとしみじみ感じた半日でした。













交際交流 in 世田谷

先日、三軒茶屋駅から豪徳寺、そして松陰神社まで歩く国際交流のウォーキングアクティビティーに参加しました。
thumbnail_IMG_7339 裏道や商店街を歩いたので、参加者の方々と楽しくお喋りしながら、いろいろな国の方々と交流を持ちながら歩くことができました。

途中で見つけた枝垂れ桜です。
日当たりの良い遊歩道の脇に、こんなに開花していました。
海外からの参加者の人たちも、桜にはかなり興奮して「美しい~」と連発していました。



歩くこと約1時間で豪徳寺に着きました。

thumbnail_IMG_7340 thumbnail_IMG_7342 日本企業で働いている3人のベトナムの若者たちです。

IT関係の仕事をしていて、日本の生活は楽しいと言っていました。
トゥアン(私の横の男の子)は日本語が完璧!ペラペラでした、女の子たちは、日本語勉強中で、英語での会話もできないので、片言の日本語でお喋りしました。

私がベトナムに行くんだったらどこがいいの?と聞いたので、
ベトナムに行くんだったらダナンがいい、でもパクチーを食べれないとベトナムでの
食事は、ちょっと困るかも?と。
でも、私はホーチミンに2001年か2002年に行っているので、食べ物は大丈夫よぉと。
トゥアンによるとベトナム人も新婚旅行に行きたい場所はダナンで、ビーチが綺麗ということでした。
今年の息子との旅行の行き先を、まだ決めかねているので、ダナンを調べてみようと思いました。
みんな20代前半の若者でいい子たちでした。

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この日、私は豪徳寺が招き猫の発祥の地と言われているのを初めて知りました。

thumbnail_IMG_7349 thumbnail_IMG_7350 thumbnail_IMG_7356 ウキペディアに書かれていますが、この日のコーディナーターの方の説明も同じでした。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%AA%E5%BE%B3%E5%AF%BA

招き猫発祥の地とする説がある。井伊直孝が猫により門内に招き入れられ、雷雨を避け、和尚の法談を聞くことができたことを大いに喜び、後に井伊家御菩提所としたという[2] [3]

豪徳寺では「招福猫児(まねぎねこ)」と称し、招猫観音(招福観世音菩薩、招福猫児はその眷属)を祀る「招猫殿」を置く。招猫殿の横には、願が成就したお礼として、数多くの招福猫児が奉納されている。ちなみに、招福猫児は右手を上げており、小判などを持たない素朴な白い招き猫である。
以上ウキペディアから。

奉納されている招き猫の多さにびっくりしました!
thumbnail_IMG_7351 thumbnail_IMG_7353 thumbnail_IMG_7354 台湾人のチュァユーが撮ってくれた写真です。
彼女も日本企業で働いていて、今日本語猛勉強中だそうです。

私も台湾人の友達二人がいて、彼女たちとの思い出や出来事を話しました。

日本企業で働き、お金を貯めてフォトジャーナリストの夢に向かって世界一周旅行に旅立ち、北欧から回ったイスラエルの山道で、足を滑らせ、突然天に上がってしまったゆーちんとの思い出を私は話しました。
その思い出は、私の心に深く、深く生き続けていて、彼女が旅先から送ってくれた私が行きたかった場所の写真や、美術館で観た私に似ている像の写真をはがきにして、啓子を思い出して元気をもらったよと書かれていて、その葉書が彼女が亡くなってから1か月くらい後に届いて、泣き崩れたしまったこと、今も深い悲しみだと話しました。  でも、彼女は自分の夢に向かって進んでいたとも話ました。

ゆーちんは有名な大手日本企業に働きながら、仕事の中での差別に苦しんでいました。その苦しみを話したくて私の家に何度も泊まりに来ましたが、チュァユーは、そんな問題ないのかな?と思い、彼女に日本で働くのは楽しい?と聞いたところ、「はい、楽しいです。日本語も勉強中ですから」と。
「良かったわ」そんな会話を交わしました。

そして、今建築中のKensington Houseのデザイン・建築を依頼していただいたTさんが今月開催するお茶会に興味があったら来ない?と誘いました。
すると「はい!行きたいです!」と、即答でした。

スェーデン人のジェニーは日本人の男性と結婚していて英語教師をプライベートの学校で教えているそうですが、彼女も日本語が話せました。
豪徳寺の中には三重塔があり、招き猫の彫刻が真正面についていました。

thumbnail_IMG_7359 thumbnail_IMG_7360 thumbnail_IMG_7363 小さな白い彫り物が招き猫です。

私は、中国人の友達が来るたびに持ってきてくれたいろいろな小さな招き猫の置物があり、現在5個あるので、その友達として小さな、小さな招き猫を記念に買いました。

それから、参加者役50人くらいは通訳の方に促されて井伊直孝のお墓の見学をしました。
thumbnail_IMG_7365 このお墓の珍しいデザインは、屋根がついていることです。
初めて見た墓石でした。





そこから歩いて区の自治センターまで行き、ランチタイムでしたが、私はイギリス在住の際に時々作っていた鮭と玉ねぎ、リンゴ、レタスのマヨのサンドイッチにアボガドも入れたビックサンドを作って持っていきましたので、数人とシェアしました。
Tさんは、巻き寿司を作って持ってきてくださったので、サンドイッチとシェアしました。
それから、松陰神社まで、また歩きました。


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豪徳寺、そして松陰神社と寺と神社の両方を訪問し、その違いをバイリンガルに説明を受けました。
外国人の参加者はみんな、興味深く聞き入っていました。 私は、ちょうどその時、建築を見て回っていましたので、聞き逃してしまいました。

thumbnail_IMG_7371 一番奥にあるこの鏡のことについても説明があったと思いますが、スピーカーから流れてくる説明を離れたところまで、聞こえてきましたが、建築の目が行ってしまい、今思いだそうとしても細かな説明は全く思いだせません。

でも、鏡はそこにありのままの自分を映し出すもの、自分を見つめるものとしてあるという説明をされていたようでした。

ネットで調べたら、こんな文章を見つけました。

 神社に鏡があることは、外なる神さまを拝んでいるようにみえて、実は鏡に映った内なる
 自分自神を拝んでいるということに気づけば、自ずと拝み方も分かってきます。

 要するに、発した祈りが、そのまま自分に返ってくるということですから・・・

   無理ある祈りには、無理なる人生が・・・
   笑顔で祈ると、笑顔の人生が・・・
   不満の祈りには、不満の人生が・・・
   感謝の祈りには、感謝の人生が・・・

 と、いって、本音ではない祈りをしても、自分の神さまを通じて、神社の神さまにも情報が
 漏れており、すべてお見通しなので嘘は通用しません。


と書かれていました。
うむうむと読んでちょっと納得。そんな風に考えて自分と対峙する習慣を持つことはいい事ねと。

thumbnail_IMG_7373 thumbnail_IMG_7375 thumbnail_IMG_7374 神社内には、吉田松陰のお墓もありました。

豪徳寺と松陰神社は、因果関係が深いですが、外国人の方々はそのお話を興味深く聞いていました。

吉田松陰が開いた松下村塾の模造建築物がありました。

下記ウキペディアより
松陰神社について

東京都世田谷区若林に所在する。旧 社格 府社。付近には 国士舘大学 (世田谷キャンパス)や世田谷区役所がある。 東急世田谷線 松陰神社前駅下車。

鎮座地にはかつて長州藩主の別邸があった。松陰が 安政の大獄 で刑死した4年後の1863年文久3年)、 高杉晋作 など松陰の門人によって小塚原回向院 にあった松陰の墓が当地に改葬された。1882年明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建された。現在の社殿は 1927年 から1928年にかけて造営されたものである。

松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文木戸孝正 山縣有朋桂太郎乃木希典 井上馨青木周蔵などの名前が刻まれている。 松下村塾 を模造した建物、頼三樹三郎広沢真臣 らの墓もある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが、明治元年(慶応4年)、木戸孝允がこれを修復整備した。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。また、敷地に隣接する形で 桂太郎 の墓もあるが、案内が不十分なこともあり、参拝者は少ない。桂自身の遺言により、この地に埋葬された。

ともに松陰神社がある縁から、1996年に世田谷区と萩市は友好都市提携を行っている[1]。1992年より世田谷と萩では商店街などの民間交流がはじまった [1] 。若林では「萩・世田谷幕末維新祭り」が開催されている[1]

なお、徳富蘆花の「謀反論」でも書かれているが、谷を挟んだ向こう側には 豪徳寺 がある。豪徳寺は吉田を刑死させた安政の大獄を起こした 井伊直弼 菩提寺である。


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藁ぶき屋根の下地が見える模型がありました。

数年前に松山に行った際に、文化財に指定された藁ぶき屋根の家を見学に行き、藁の葺き屋根の葺き替えに2千万かかるから個人ではできないと言うお話をオーナーに伺いました。
そんな話を思い出しながら、数人の日本人の方とお話しました。

まず藁が手に入らない、職人さんがいない、と言う理由が高値の原因ですが、囲炉裏でいぶされて虫も来なくなり、梁も炭化されて空気の清浄効果(?)もあると言われていて、断熱効果が高いのは、通気がとれて空気の層ができるからだと、説明させていただきました。 イギリスやアイルランドにもある藁ぶき屋根の家は、やはり高価で、今も価値が高いけど、職人さんは、日本よりいると思います。
伝統と良いものが残り受け継いでいく文化は、やっぱり素晴らしいと思います。
外壁と床下の断熱をしっかりしたら、素晴らしく住みやすい家になると思っている私です。
いつか、私も藁ぶき屋根の断熱効果の高い家をリノベーションでも新築でもしてみたいと、憧れています。

thumbnail_IMG_7378 さて、この日出会ったインドネシアの大使館にご主人が勤務していてマイラさんと早稲田大学に通っている娘さんのインドネシア人親子もお茶会に参加したいということで、誘って良かったと思っています。
彼女たちとは、三軒茶屋の駅で朝、出会ってすぐにお友達になりました。

また、ウィグル地区から来ている青年も、ぜひぜひ参加したいとのことで、楽しみにしているとラインで言ってきました。

彼とはウィグルの社会情勢について話しましたが、英語は殆ど分からないので、もっか猛勉強中の日本語で会話しました。でも、公安(中国の警察)の取り締まりが厳しくてネットもできない状況だということを聞いて、18年前に中国の広州工業大学で教えていた時と変わらないんだと実感しました。でも私は学生たちとの心温まる思い出があります。だから学生たちはみんな一生懸命勉強し、素敵な思い出があるのと話しました。
ただTVの検閲も思い出し、またクラスで社会問題についてディスカッションができなかったので、その話もしました。  やはりまだ国家権力・公安の力は、恐怖なんだと思いました。

その他には、タイ人の女性と話しました。また数人の日本人の方々と話しました。
楽しい興味深いお喋りとしました。
インドネシアやタイにも何度か行っているので、そんな話で、弾みました。

Tさんから「北原さんは今日一日で全員の外国人と友達になるんじゃない?」と言われましたが、日本語を勉強している人たち、そしてたくさんの国の人たちの文化や人間性に興味がある私としては、話すために参加したので、機会があればどんどん話そうと思っていました。
そして、友達になった人たちは、ニコっと笑顔で向かってくる人たちばかりなので話さない訳にはいきませんねと。

私はどんな人でも心をまず開いて向かい合います。だから、イギリスに住んでいるときも「ケイコは出会う人達とすぐ仲良くなれるね。僕には話してくれないけどケイコにはよく話していたね」と良く言われました。

そんな時、こちらが心を開いて向かい合っているからだよねと答えました。

でも当然、相手が開かない場合は、それ以上は人間関係は深くなりません。そして、時々、まっすぐに生きていることの強さや正直さが、取り繕ってその場で適当なことを言う人や嘘をつく人たちには、怖いと感じられるかも知れないと思う時があります。
その生き方の大切さや大変さ、厳しさの両方を背負って生きていくことが私の生き方だと思うし、上っ面の優しさも優しさの一つだけど厳しい中にこそ、本当の優しさがあると思っているので、自分が正直に向かい合って厳しい状況に対峙しなければならないことも多々ありますが、逃げずに頑張って向かいあってきました。

また、私の行動が日本人ぽくないことで誤解を生むことが日本に帰ってきてからは、多々ありました。
イギリスに住んでいるときに結論を先に言うことが大切で、その理由を後から説明することと、よく注意されました。
私が先に説明から入ると何がポイントだか、分からないよと言われました。
ですから、まず結論があって、その後に説明。その習慣が身についているので、そういう展開で話をすることは、日本人にとってはストレートすぎると言われます。


そんな話を帰宅する電車の中で、Tさんと話しました。
こんな会話も正直に向かい合っているからすることだろうなと思いました。

お茶会を楽しみにしている出会った人たちと、またお茶会で会うのを楽しみにしている私です。










パリの家=La Logement de Paris

このブログに、仕事のことを書くのは久しぶりになります。Facebook に現場報告を上げるようになってから、このブログには仕事の件は控えてきましたが、今年の1月26日に、お引き渡しをして完成披露パーティーにご招待をいただき、とても楽しい時間をいただき、工事期間中の思い出とともに、記録し残しておこうと思いました。

*すべての写真はクリックすると拡大します。

DSCN3569昨年の5月頃だったと思います。
バリアフリー、ホームエレベーター設置等のリフォームでお話をいただき、リフォームをしても高低差の問題がすっきり解決しない旨をお伝えするとわずか2週間くらいでお住まいの近くに約75坪の土地をご購入したと連絡をいただき、約1か月で地鎮祭・地盤調査、そして1か月を迎えた7月30日には、上棟を迎えましたが、その間に、照明器具・外構工事のデザインをし見積もりもまとめ、建築費と付帯工事を含めた予算を組み、全職人さんたちとの工事工程会議を開き、輸入材に発注をし基礎工事に入り、検査を受け、迎えた上棟でした。

2N7A00592N7A0395プランは初めのプランで気に入っていただきましたので、すぐに実施設計に入ることができましたが、仕様内容の打ち合わせをお客様のY様とし、その後、各業者さんたちとの打ち合わせを重ね、見積の手配をし、上がってきた見た見積書の内容を確認し、数社と相見積書を取り、中途半端な妥協をせずに、ご予算内にまとめました。

もの凄い忙しさでした。 

2N7A05702N7A0580そして現場に足を運びながら、各職人さんたちと打ち合わせをし、確認し、工事の手配し、走り続けた6か月でした。

55坪のパリの家には床暖房、サーキュラー階段、珪藻土、輸入のベランダ手摺や門扉、エコキュートなどの設備があり、そしてご要望にあった天井の高さを取るための天井デザインを作っていくために、埋め込みエアコンや2階のキッチンの給排水の配管など、現場で大工さんや電気、水道屋さんとの打ち合わせを重ねました。
そして、それらすべてがすっきり予定通りにまとまり、完成を迎え、次には外構工事のシャッターボックスを収めるゲートのデザインやご要望に合わせて庭のお手入れが楽なデザイン、3台収容可能な駐車スペースの現場打ち合わせは、Y様のご要望に合わせ、そしてご確認していただきながら完成を迎えました。

2N7A05842N7A0590Y様ご夫妻のご要望のテイストは、お会いしている中で、これだろうというものが伝わってきて、ご提案させていただいたものがお気にめして下さったのは、とっても嬉しかったです。
いつもたわいない会話の中に、お客様のご要望が詰まっていて、私に伝わってきますので、そういう時間はとても大切です。

プロのキャメラマンに撮影を依頼していますが、その写真をここにすべて公開します。

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玄関の床は大理石・他の壁天井は珪藻土です。
トイレ、洗面・浴室はブルーがお好きなので、ブルーを差し色にカラーデザインをしました。
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ダイニングの椅子の差し色は床に合わせてブラウンとオレンジです。

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2階のLDKの照明器具はスワロスキーです。陽が差し込むとキラキラとした光を拡散させてくれます。

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照明をつけた夜も落ち着いた暖かさを感じる素敵な空間です。
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2N7A04142N7A0474各個室には、十分なクローゼットを設けました。






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吹き抜けには、イギリス人アーティストに制作依頼したシュウメイ菊のモチーフのサンドブラストの窓をつけました。
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思いっきり楽しみながら作り上げた現場です。







そして完成後にホームパーティにご招待をいただきました。

CIMG1888CIMG1908Y様ご夫妻です。可愛い奥様とカリスマ性のあるY様は、ご家族と過ごしていらっしゃるときは、とっても楽しい遊び心をお持ちでした。
忘年会のDVDを見せていただき、ぴこ太郎の衣装を着てPPAPを踊るY様や、ご家族皆さんが、面白い事や楽しいことがお好きなんだと実感しました。



奥様の妹さんがフラダンスを踊り、いらした方々の心を癒し、妹さんの娘さんがバイオリンを弾いて素敵な演奏を披露してくれました。

CIMG1891CIMG1892CIMG1893新築祝20170212行きつけのお寿司屋さんの出張出前があり、美味しいお通しやお煮つけ、お寿司を皆さんでワイワイ楽しくおしゃべりしながら、冗談を言い合って、いただきました。



CIMG1898CIMG1903CIMG1902バイオリンを披露してくれた小さな可愛いアーティスさんとパパです。

愛があふれたご家族の様子を見ていて、私たちも心を温めました。





IMG_7052IMG_7054IMG_7055浴室からは坪庭をご覧になっていただけますが、木の成長をもうちょっと待っていただけたらと思います。

表のシンボルツリーは花水木です。

ご家族の皆様が、パリの家に集まり、素敵な思い出を重ねていってくれたら、嬉しいです。
シンボリツリーや坪庭の木のように、まだ小さくて思い出のページは開いたばかりですが、これから立派なシンボルツリーに育ってくれると思います。
また、坪庭のもみじも枝を垂らして色を変えて四季を重ねていってくれると思います。


まあさの家のケーキ、そして息子と

IMG_7288昨日の午後、久しぶりに約3年前にデザインと建築を賜った「まあさの家」に行きました。
ランチをいただいているお客様がいらして、ゆっくりお話はできませんでしたが、久々にいただいたホームメイドのチョコレートケーキとラムレーズンのバニラアイスクリームは、絶品でした。

地元酪農家さんから届く濃厚な牛乳(さらっとしているのに濃い甘さを感じます)と、割るとこんもりと盛り上がるこだわりの卵で作るアイスクリームやケーキは、他では食べられない味です。

https://tabelog.com/rvwr/006558173/rvwdtl/B255236766/

現地農家さんから野菜を購入してつくるお料理は、地元に根付いていて、新鮮な野菜をたっぷり食べられます。今はワカサギのから揚げや、鹿やイノシシの御料理などもあるそうです。(イノシシや鹿の料理はまだ食べていませんが、予約を入れて食べに行きたいです)

ぜひ、相模湖、三ヶ木、青山方面に行かれた時は、お立ち寄りください。オーナー兼シェフの飯田さんもイギリス・リバプール在住経験があり、会うと思い出話をしたりします。

夜は、研修で帰ってきた息子とフレンチディナー。
帰宅途中の古淵駅近くにあるフレンチレストランですが、予約を入れて初めて行きましたが、音楽はキャロル・キングがかかっていて、落ち着いていました。
家族連れや女子会、何かのサークルのメンバーのグループで賑わっていました。

IMG_7294Kai君がお料理をオーダーする前に、お店の人に「ワインは何があります?」と聞いてくれましたが、私が「白のシャルドネでいいわ」とオーダーし、お料理も「今日のお勧めは?」と、すべてKai君にお任せでした。

4時くらいに「まあさの家」でいただいたチョコレートケーキとアイスクリームでまだお腹が空いていなくて、少しずついただきました。

IMG_7289IMG_7290お通しは、フレンチ風茶碗蒸し:ダシが聞いていてとびっこのプチプチとぴったりでした。

今日のお勧めのマグロのカルパッチョ。
トマトの酸っぱさと合っていました。




IMG_7291IMG_7292IMG_7295テリーヌには、クルミが入っていてコリコリとした触感がとっても良かったです。

サーモンの包み焼は、私が作ったものと変わらずでしたが、食材のサーモン、それ自体が美味しかったです。
最後にフレンチなのにアラビアータをオーダーしましたが、二人とも東て食べられませんでした。

日本酒をお代わりしましたが、私が本田真凛ちゃんのフィギュアスケートをTVで観たくて、kai君が「ゆっくりでいいよ」と言ってくれましたが、そそくさと車に乗り込み、彼女のスケートを観ながら帰宅しました。

結果発表を家の駐車場で車を止めて二人で観て、悔しそうだね、どうしてもロシアの子には勝てないね~などと話してから入室。

Kaiが、「頑張っている子は、応援したくなるね」と。
「そうだよね~、一人で戦っていて、相当頑張らなくちゃいけない世界だし」
「まだ15歳だしね」

IMG_7293母もそうやって戦ってきたのを知っているKai君ですが、今年の親子海外旅行は、ベトナムにしようか?と話し合っています。

私はホーチミンには行っていますが、ハノイには行っていないので、行きたいなぁと思っています。


今日もある取得講習会に参加の彼ですが、夜8時まであるそうで、明日も参加して、火曜日から仕事に戻ります。

身体には気を付けて、身体を鍛えて、心と身体を健康に保って、人生を作って行ってほしいと願っています。





春、はる、♪

昨年の12月26日出発で恒例のカンボジア、シェムリアップの孤児院(CPCSO  https://www.facebook.com/cambodianpcso)での教育支援活動(特定非営利活動法人 愛の素・AINOMOTO   https://www.facebook.com/ainomotoainomoto )現地滞在から帰国後、お引き渡し物件が完了し、次の物件、3階建てファミリー向けアパート、イギリスのブリックを一部使用したデザインが始めりましたが、仕事の様子はhttp://www.facebook.com/es-design.architect/ にて、現場からのレポートを紹介していますので、そちらをご覧ください。

最近は、
J1 愛の素の活動として、少し動ける日があり、いつもご支援をいただいている農場レストラン・モナの丘 (http://www.monanooka.com/wp/?page_id=9)のオーナーの桑田さんにお会いしながら、友達のジェニファーとランチをいただきに伺いました。

いつもあたたかく迎えて下さる桑田さんですが、「元気の秘訣は黒ニンニクだよ、このアフォエンもいいんだよ」と開発販売をしている商品の効能など、一生懸命に説明してくださいました。
ジェニファーは、最近友達になりましたが、フェミニストで、同年齢で、いつも答えは明確で、瞬殺と言う言葉があるので瞬答?と言う言葉を一つ造語して、表したいと思っています。
瞬答ができるということは、常日頃、そのいろいろな事柄に対して考えていて、今はこういう答えが自分の答えとしてもっているからできることだと思っています。
そして、常に冗談を言って笑わせてくれます。
ご主人は、エンジニアだそうですが、暖かくなったらバイクでツーリングうをしようと誘われていますが、「え!バイク持ってないしぃ~、、、」と言うと「私の夫の背中につかまって行こう」と言われました。
驚いて噴き出しちゃいましたが、「オッケーやらない前に断るのもなんだし、一度はやってみようかな?」と、今は思っています。

ニコールがアメリカに帰国してから、「keikoにぴったりの友達になると思う」と紹介されましたが、今までに出会ったことのないタイプのキャラクターです。

そして、帰国したニコールから、帰国前に見つけた仕事がぴったりの仕事で、キャリアになるし、やりがいがあり、職場は面白いとメールが届きました。帰国前に、スカイプでの面接を何社も受けて、やっと納得いく仕事を見つけ、それをゲットした彼女は、新たしい人生を走り始めました。
現在、アメリカの経済状況が良くないので、なかなか面接が通らず、何度も失意に陥りましたが、私が帰国後に年齢的に厳しく、履歴書を送っただけで、「うちは40歳までです」と断られ、だから2000年当時は年齢差別が実際にある日本の状況に、普通に持ち合わせる自信すらなくなりそうだったけど「仕事に対する熱い思いが面接を通すから」と彼女に伝え、彼女はまだ若く、やる気も十分だから、きっとうまくいくと確信していると何度も伝えました。

また、自分のキャリアアップやスキルアップを図ることの大切さを私たちはよく話しました。
自己投資はいろいろなことを我慢してでもしなればならない時があると思うし、人生は思ったより短いから、時間を無駄にできないし、若さはその大変さを乗り切れるし、そして、彼女はきっと素敵な仕事が見つかると確信していると話しました。
だから、新しい生活と仕事に燃えている彼女からのメールは、心から嬉しかったです。
そして心の中で「ほら、やっぱりゲットできたでしょ♪、」と不安そうな彼女の顔を思い出しながら、そしてきっと今はキラキラ輝いている彼女の顔を想像しながら、心が弾みました。
きっと今日もバリバリ働いていると思います。人生は一期一会。彼女との出会いも別れも、そして一緒にいろいろなことをして楽しんだことは、良い思い出になりました。彼女の思い出の中に、変わった日本人のkeikoとの出会いが真実を語り合う友として残ってくれたら嬉しいと思っています。

ジェニファーとの思いで作りは、まだ始まったばかりですが、人として興味深い彼女です。
会った時の会話は、なかなか難しいサブジェクトばかりです。
先日もお休みの日に、彼女が日本の宗教に興味があるといっていたので、鎌倉の「おてらカフェ」で待ち合わせをしました。

愛の素の活動へのご支援をいただいている花咲爺様(ニックネームです)から、孤児院への支援の件で、お話がありますと連絡いただき、お住まいの鎌倉まで行きました。

2017,3,1J カフェで写経ができることを調べ、ジェニファーに一緒にやらない?と進めました。
花咲爺様も参加することになり、3人で、写経をに挑戦してみました。

花咲爺様もfacebookにて、その様子を詳しくご紹介していますので、ご興味のある方は、こちらをご覧ください。
https://www.facebook.com/hideo.ishihara.3?fref=nf&pnref=story

カフェで、
クリスチャンの彼女からの質問は、仏教の各派の違いについて、仏教と神道の違いについてでしたが、仏教の各派の違いについて英語で内容を説明するのは本当に難しかったです。 カフェのお坊さんのお話を聞き、どうやって説明したらいいんだろうと絶句した瞬間が何度もありました。
私の英語力では宗教的な専門用語も分からず、いやいや根本的に宗教哲学をほとんど知らない私が説明できるはずもなく、お坊さんの説明を易しい言葉で説明しようとしても無理があり、力不足を痛感した日になりました。

でも、日々これ勉強なりですね。
ジェニファーが私に日本の宗教に興味があるといわなければ、こういう機会を設けなかったし、午後の空いた時間にわざわざ鎌倉まで私と一緒にお茶を飲もうと来てくれ、夜の7時には横浜に行かなければならない忙しさの中で来てくれたことこに感謝します。
突然、始めた会った花咲爺様との会話も、お互いにフレンドリーに対応してくれ、ジェニファーも花咲爺様も、充実した時間だったと言ってくれたので、良かったです。
大人同士は、無駄な気を遣わずに済むので、感謝ですね。

2017,2,22 IMG_7125 それから、2月の終わりの週末に、愛の素のメンバーの亨子さんが息子さんの結婚式前 に、会いたいねと言って相模原まで来てくれました。
仕事中なので、ランチを一緒に食べて愛の素の活動内容について話し合いました。

兵庫県から時々来てくれる彼女ですが、愛の素の活動に「フォスターペアレント募集」を入れることを話し合いました。

彼女からの要望で、一人の子供の学費の援助をしたいので、学費がしっかり学費として使われるように、現地と確認してから、定款にそれを盛り込むことにしました。

中身の濃い話し合いは、ランチをしながら楽しい会話とともに、あっという間の1時間でした。

先月は、28日しかないにもかかわらず、プライベートは忙しかったです。
休みの日に、友達の新築祝いに都内まで行き、彼女の家に一泊しました。
優しいご主人と仲睦まじく暮らしている友達です。結婚前から 時々私の家に泊まり、ワインを開け、楽しい時間を過ごす友達ですが、もう17年のお付き合いです。

thumbnail_IMG_7157[1] 翌日は、近くの池上本願寺に彼女と一緒に建築様式を見に行きました。
実物は、建物の中に保管されていました。

こういう建築を考えるオリジナリティーに脱帽です。

それから、一緒に横浜のキリンビール工場へ

2017,2,22bee 2017,2,22beer 彼女は公職についているので、写真は公開できませんので、私の写真のみです。

ビールが無添加でできていると初めて知りました。



2017,2,22b1 2017,2,22be ランチを工場の敷地内にあるレストランで取りました。

見学は無料、運転しない人はビールが飲める!

と言うことで、海外からのゲストを連れてくるのは、いい場所だねと。


残念ながら私は運転なので、飲めませんでしたぁ~。

kirin 帰りに、貯金箱になるという写真入りのビールボックスを作成して、(ちなみにこちらも無料)帰ってきましたが、今、机の上で小銭を入れています。




箱いっぱいに小銭が貯まるのはいつかな?と思いながら、仕事に疲れた時に、のぞいています。


そして昨日、
愛の素の活動に協力してくださるというNPO法人「 おもちゃの病院 さがみはら」 さんが100個以上ありますと子供たちに分けるおもちゃを持ってきてくれました。
http://www.sagami-portal.com/hp/dnt10031/

thumbnail_IMG_7217[1] thumbnail_IMG_7218[1] ボランティア団体のミーティングでの出会いが形になりました。
わざわざたくさんのおもちゃの中から、小さくて軽いおもちゃを選んでくださって、お持ちいただいたことに感謝です。

たくさんあり過ぎて保管に困るとおっしゃっていたので、ではカンボジアの村の子供たちにいただけますかとお願いして、「喜んで、ご協力しますよ」と言ってくださって、私の会社まで持ってきてくれました。
ありがとうございました。


2月に2か月ぶりに父のお見舞いにも行けました。
少ない休みを使って会いに行きますが、

父は年々可愛くなっていきます。
おやつの時間に、どら焼きを頬張り、一口があまりにも大きかったので、私が「ねぇ、大きすぎない?」と聞くと「ははは」と笑って、リンゴジュースを飲みました。そして最近は戦争の時のことをよく思い出すんだよと言った父です。

だから、もうすぐ桜に季節だねと言いました。すると嬉しそうにうなずいていました。
それから私たちに「私の誕生日は3月5日だからね」と。
その日は、来れないねと兄と兄嫁のみちこさんと一緒に話しましたが、「仕事が一番だから」と言う父の言葉は返ってきませんでした。 でも説明するといつもうなずいて、そうだねと言う父です。

それから、私にテーブルの反対側に座っていた看護婦さんを右手を開いて指しながら「あの方はどなた?」と、尋ねたので「看護婦さんでしょ。」と言うと「あ~そうだね、いつも大変お世話になっているんだよ」と言って彼女に微笑みながらお辞儀をしました。
そして「ありがとうございます」といつものようにお礼を言った父でした。
兄のくんちゃんが「親父~随分丁寧じゃないの?」と言って笑わせました。父も笑っていました。

でも、私の記憶の中の父は、晩酌しながら丁寧な言葉で話していました。 私が家族の中でたった一人の女の子だったからかも知れないと、今思います。

前に座っていた看護婦さんがマスクを外して顔を見せて「みんな同じマスクしているし、ピンクのユニホームを着ているし、体格も同じくらいだから、分からなくなりますよね~」と。

父の記憶が遠くに行ってしまわないように、会うたびに願っています。
実家に車いすを購入して置きました。
桜を見せてあげたいと思います。

今度はお花見に行こうね、今日は寒いから暖かくなってからねと言うと、「うん、そうだね」とうなずいた父でした。
基本をずらさない頑固な父でした。

自分の中のその血に時々、手を焼く私です。でも、それも私なんだと思います。

子供のころ、毎年お花見の季節に、「もう公園のソメイヨシノが咲いたね」と言っていた父と、3月の終わりにお花見に行こうと思います。

季節は休みのたびに、物凄い速さで過ぎていくと感じています。











息子からの誕生日プレゼントは

11月の終わりに、休みとれるの?と息子から電話。
「誕生日でしょ、菊屋さんに行く?」「もちろん行くぅ~~~」休みにガンガン仕事をして日曜日、お休みして修善寺へ行きました。


大好きな菊屋さんです。^^http://www.hotespa.net/hotels/kikuya/index.html
新幹線で、旅気分を味わいながら行きました。
カンボジアの子供たちに新幹線の動画を駅から送りました。未来に希望をもって、いつか日本に来てほしいと願っています。

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着いてから、お食事までの間、ちょっと散歩をしました。

IMG_0533IMG_0534kai君と一緒に行ったモンゴルで自分の買った、ウールの帽子を被っていきました。

桂川沿いを歩き、竹林の小道、修善寺回廊は、前回も歩いた道ですが、指月殿(暗殺された源頼家の冥福を祈って実母、北条政子が建てた経堂。お堂の中心には鎌倉期の作品である釈迦如来坐像が安置され、静岡県の文化財に指定されている。指月殿の横には源頼家の墓がある。 )まで歩きました。

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ちょっと変わった母と一緒に、いつもいろいろお喋りしながら歩く息子です。
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修善寺の前の通りは人で溢れていました。紅葉の季節だからねとうなずきながら菊屋さんまで帰ってきました。






それから、温泉に入り、お食事をいただきました。
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いつも日本料理の繊細さと美しさに心から楽しみ、海外ではこんな風に落ち着けないなと思います。
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IMG_0556二人でちょっと違ったメニューをいただき、シェアしました。いつも食べきれない量です。
食べきれないねぇ~と、毎回言い合っている小食の親子です。

ランチは、しっかりいただけるのに、・・・

お食事をしながら「虹の郷がライトアップしているので、行く?」聞かれて、「行く行くぅ~~~」と一つ返事。
忙しい私は何も調べずに、ただ、息子とのんびりできればいいなと思いながら、小さな旅は殆ど体一つで出てきますから、そういう情報は、とっても、とっても嬉しかったです。

しっかり者のkai君に任せておけば、そこは大丈夫といつも信頼しています。

苦しいお腹を抱えて、運動がてら送迎バスが出るから、それで行ってもいいし、タクシーで行ってもいいし、と。
バスで行っても数分だからと言うことで、バスで向かいました。

IMG_0570IMG_0574以前は昼に来ましたが、今度は夜の虹の郷でした。
子供のように、ウキウキ、まったく逆になってしまった親子です。

ライトアップされた紅葉は、何とも言えない美しさでした。
日本人が四季に心を動かされ、感動し、人生を重ねて感じるという文化は、独特で、息子曰く、「日本人で良かった」と感じる時間です。

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ipadで撮ったので、あまり美しく撮れていませんが、この美しさを共有できたら嬉しいです。
IMG_0597IMG_0602コスプレの撮影会があったようで、たくさんの女の子たちが、漫画の主人公になっていました。







IMG_0603IMG_0604IMG_0605彼女たちと一緒に写真を撮らせていただいたら、
kaiが離れたところから「ありがとう」な~~んてお礼を彼女たちに言っていましたが、それを聞きながら、「やれやれ、いつから私を子ども扱いしているのかしら?」とちょっと不思議な気持ちでした。
面白い経験でした。それぞれにアニメのキャラクターの名前を言われましたが、全く分かりませんでした。



IMG_0610IMG_0611IMG_0615ホテルに帰ってから、また温泉へ、そして足裏マッサージを受けました。

最高の夜でした。


翌朝も温泉へ、GO
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やっぱり古いものの中に、変わらずに美しく輝くものはあります。
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9時過ぎに朝食をとり、その後書家の金澤翔子さんのギャラリーへ行きました。

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静かに息をしている庭園や木々、建物を見ながら、

IMG_0644ギャラリーへ足を踏み入れましたが、彼女の純粋で力強い言葉や書を見ていたら、感動で泣いてしまいました。

隣に座っているkai君に、「母、感動して涙が出っちゃう」とつぶやきました。





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芸術は心を磨くと思います。彼女の無垢さが眩しかったです。

IMG_0675IMG_0676http://kanko.city.izu.shizuoka.jp/form1.html?c1=9&c2=1&c3=1&pid=3952
彼女のギャラリーは新井旅館の中にあります。
この旅館も建物は素晴らしかったです。






翔子さんの書を見てから、新幹線のある小田原まで帰ってきてから、ウナギを食べて、帰宅した私たちです。
IMG_0678新幹線のホームで、「keikoはこっちだからね、俺はこっちだから、keikoのほうが先に来るよ、」と、子供のように私に言うkai君とハグして新幹線に乗り込みました。

走り出した新幹線の窓から、ホームを見ると、kai君が小さく手を振っていました。
私も小さく振って「じゃ~ね、ありがと」と口を動かしました。

ホームに立ちながら見送っているkaiも、「じゃぇ~ねぇ」と口が動きました。

小さなとき、仕事をしている私に電話をかけてきて「おやつ、もっと食べていいですか?」と聞いてきたkaiくんに、「夕ご飯が食べれなくなるから、チョコ三つでおしまいよ」と告げました。
お皿におやつを用意しておきましたが、足りないと時々電話がかかってきました。

そして、「みっつだけよ」という私に、元気よく「はい!」了解しましたとばかりに、元気に明るく返事をしていました。

それから、「じゃ、kai君が先に切ってね」と言うと「母から切って」と。二人で「先に切って」「ううん、先に切って」と電話を切るのを惜しむ恋人同士のような会話をしていました。
そして、最後は「じゃ、一緒にね、いちにのさんで」と言って、切ろうとするのですが、お互いに、どっちが先に切るかを待っていました。
切らないお互いの様子に笑いながら、「ほんとのほんとの最後ね」なんて言い合っていました。
疲れた仕事の合間に、ほんの短い会話でしたが、心があったかくなる会話でした。

そんな小さなkai君が、私を子ども扱いして、ホームに立ちながら手を振って送ってくれました。
涙があふれてきて、思いっきりの笑顔で、泣き顔を隠しました。

ありがとう。思い出はいっぱい詰まって、いいことも悪いことも、いつも支えてくれたkaiです。
kaiの心が幸せで満たされることだけを、いつも願っている母です。



楽しい仲間たち

9月のカンボジアから帰国後は、かなりの忙しさで、仕事に走り続けました。

でも、そんな中でも、私の家には、いろいろな人が良く来てくれました。

今のところ、ボランティアのメンバーが一番多いのですが、海外からのゲストもボランティアで受け入れることもあり、それでも今年は忙しく、オーストラリアからの1家族のみを受け入れました。(その様子は、以前このブログに書きましたが)

また時々、このブログに出演しているアメリカ人のニコールとは、ランゲージエックスチェンジをしているので、週1回、彼女は家に来ていますが、私たちはお互いの言葉を教えるというより、今はタダタダお喋りをしていて、時にはランチの時に来て、翌朝帰ることもありました。話すことがたくさんありすぎて、お喋りが止まらないニコールですが、お互いに年齢の差を超えて、良い友達になりました。


IMG_6286 こうこさんは、カンボジアの孤児たちの教育支援をするためにボランティア組織、愛の素を立ち上げてから、一年後くらいから支援をいただき、もう5年以上のお付き合いです。

彼女は、応援しているシンガーソングライターの子が、都内でライブショーがあるときに来て、一泊して帰りますが、その際に、愛の素の活動の内容を話したりしています。

また、三宅島に住んでいる娘さんに会いに行くときも兵庫から来て、一泊して行きます。
こういう時じゃないと、顔を合わせて活動について話し合えないので、いつも忙しく走り続けている私の生活ペースに合わせて、一泊の滞在でも来てくれます。

11月は私の誕生日でしたので、毎年お互いの誕生日を祝いあう16年来の友達も、シャンペンを持ってお祝いしに来てくれて、一緒に近くの温泉に行き、朝の3時ころまで楽しいお喋りをしました。

それから、

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愛の素のメンバーの早紀ちゃんは、2年のカンボジアで"ホームスティー&スタディーツアー"の企画を展開しながら、孤児院の子供たちにボランティアで日本語・英語を教えていましたが、とりあえず一旦帰国をし、日本で仕事をするために、就活を展開するために、名古屋から上京し私の家に、この2か月で数回来て滞在していきました。彼女の素晴らしい行動力と能力で、もちろん就活成功を収めて、来年からは都内で働きます。
私も近くに行動力のあるメンバーが来てくれるので、力強いです。

滞在中の休みの日に、シャンペングラスのサンドブラスト製作を一緒にしました。素敵な思い出の作品になり、喜んで持ち帰った早紀ちゃんでした。
IMG_6651 IMG_5485 一緒に、「まあさの家」でランチをとり、また「モナの丘」のオーナーの桑田さんにも会いに行きました。

まあさの家のオーナーの飯田さんと、この日はゆっくりお喋りができなかったので、また来年に、会いに行きたいと思います。



11月の休みには、ニコールと一緒に大山に登りました。
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彼女も帰国前には、大山に登りたいと思っていたそうで、紅葉の綺麗な季節を二人で、たっぷり楽しみました。
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登山中、トランプとヒラリーの大統領選後の状況について話したり、就活している彼女の仕事のことについたり、アメリカの経済状況について話したり、充実した会話をいつもできるので、彼女との会話は、面白いです。

その日は、早紀ちゃんもいましたが、彼女は面接で都内に行っていたので、残念ながらいっしょに行けませんでした。

私は、夜、久々鍋を作りました。このマンションに越してから初めての鍋です  でも美味しかったです。
鶏、タラ、サーモン、牡蠣、ハマグリなどを入れたので、自然のだしがたっぷりでました。
お鍋は簡単な夕食ですが、なかなか食べごたえがありますね。

IMG_6532 IMG_6533 それから、ニコールと早紀ちゃんが誕生日をお祝いしてくれ、一緒にイタリアンレストランでお食事をした夜もありました。

早紀ちゃんは、気を使って可愛いケーキを買って帰ってきました。
カンボジア帰りで、お金がないのに、気を使わせちゃっいました。
可愛いケーキを一緒に食べて、可愛いお祝いをしました。

家族や中国の大学の教え子、知り合いからもメッセが届き、一年に一度の誕生日の夜は、あたたかな気持ちで過ぎていきました。

そして、11月の最後のイベントは、一年前に立ち上げたバトミントングループの忘年会でした。
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現在メンバーは17名です。
肩こりが酷いので、左右で打つというプレイで肩こり解消を目指して立ち上げましたが、
日によっては、休む時間もなく今度は右で、今度は左でとプレイをすることになります。
やり初めは、左が打てず、変な格好になるので、お腹が痛くなるほど笑い転げてプレイをしていました。

でも、今ではみんなかなり上達してしまい、おでこでシャトルを受けたりすることもなく、またサーブが打てずに何度もなんどもやり直すこともなくなりました。

ですから、もう試合形式で、プレイをしています。最近ではポイントを取るとそれぞれに好き勝手なダンスをして喜びを分かち合っています。

仕事も年齢も関係のない交流です。
それは、それぞれが抱える仕事のストレスを解消するには、ひったりの運動?遊び?だと思っています。
立ち上げたときの目標というかポリシーは、国籍、年齢、職種、性別、経験、未経験にこだわらず、イコールの関係で、ただただ楽しむ、笑うでした。
そして、その目標、ポリシーはかなえられています。

毎週参加できる人、できない人、仕事の状況により変わりますが、それでも長くこのグループを続けたいと思っています。

愛の素は、この活動を通してメンバーが成長しあえたらいいなという思いも含めて立ち上げました。お互いをしっかり見つめ合い、手探りのボランティア活動ですが、その中でも、成長し合えるような関係を作り上げたいと思っています。
お互いの意見をしっかり聞きながら、また人生で困ったことがあったら、お互いに支え合う関係になれたと思っています。
なぜなら、メンバーはみんなピュアな心の持ち主だからです。尊敬と、愛を基本に向かい合うということで結びつき、継続は力なりと、地道に一歩一歩進めていきたいと思っています。
来年も、そうやって活動していくつもりです。

バトのメンバーは、仕事以外の関係ですが、一年の活動を通して、気心が知れてきました。
力関係などなく、こちらも純粋に遊ぶという関係ですから本当に楽しいです。
21歳から上は63歳まで、このグループも楽しい仲間に育っていってほしいと思っています。

中島みゆきの歌「糸」の歌詞のように、「なぜ、めぐり合うのかを私たちは、誰も知らない、いつめぐり合うのかを私たちは、いつも知らない」のように、偶然出会った人との関係を、輝くかせるかは、それぞれにかかっています。
だから、輝かせて行きたいと思っています。



次回は、息子からの誕生日プレゼントと題して、一泊の旅について書きたいと思っています。














リフレッシュ

カンボジアのボランティアを終えて帰国した翌日から、現場廻りと、次のプランや、契約の準備などで忙しくしていました。
image1日あったお休みは、父のお見舞いに行き、この日も日帰りで、バタバタと忙しかったです。
 足を悪くし、ほとんど歩けなくなった父は94歳です。
数年前まで一緒に犬の散歩に行っていた小学校までの道を歩いて、散歩に行こうよと兄嫁のみち子さんと一緒に歩き出し、公園の横を抜けたところで、父が急にもう帰ると言い出し、よく散歩した公園の中を通って帰りました。

 みち子さんは、毎月一回の自宅帰宅に、兄と一緒に付き合ってくれています。
介護の仕事をしている彼女のお手伝いがないと、私一人では父を抱えることができません。
だから、心から感謝しています。

さて、 土曜日の午後は、息子と箱根湯本で待ち合わせをして、月の宿 沙らhttp://www.hotespa.net/hotels/sara/
でリフレッシュ。

IMG_0422IMG_0423エントランスには、大きなお月様が、情緒たっぷりに設置されていました。
Kaiが今度の旅館は、和モダンだからね。建物は期待しないでねと、言っていたので、期待していなかったのですが、お部屋にも、前回の米屋さん同様に、陶器の露店風呂がついていました。
(米屋さんは檜風呂でしたが)

露天風呂の外には、川が流れていて、水の流れの勢いの良さとその音が、周りの音をかき消していました。



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夕飯は、何のコースがいいの?と聞かれていたのですが、彼のお勧めの牛しゃぶをいただきました。
電車で行き、箱根湯本の駅から、10分てこてこ歩いて向かいました。
土曜日とあって、たくさんの人が、商店街を埋めていました。

IMG_0428IMG_0429到着後、「夕飯の前に温泉入ってきたら?そのほうがゆっくりできるよ」と言うKaiのお勧めに従って、すぐ温泉に入り、5時半から予約したお食事に行きました。

プレゼンテーションの美しさは、やはり和食が一番と思うのは、私だけでしょうか?
器の美しさと季節感と、繊細さと大胆さと、豊富な味の違いと、どれをとっても、うなずくばかりです。




IMG_0431IMG_0433IMG_0434 マツタケのお吸い物は、今年の初物でした。








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IMG_0440IMG_0441IMG_0444 私は白ワイン・梅のカクテルをいただきました。


いつも食べきれないのですが、今回も食べきれないねと話しながら、仕事、家族、Kaiが始めた新しい趣味の話、そしてカンボジアの子供たちの話などをして、2時間のお食事は、あっという間に終わりました。



夕食後は、しばらくベットでごろごろして、苦しすぎるお腹を休めてから、再度温泉に入りました。

温泉は、期待しないでねとKaiに言われましたが、「いえいえ、非日常だけで、嬉しいです」温泉の壁のモチーフもお月様でした。

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IMG_0454屋外の温泉につかりながら、雨の音を聞き、「生きている間に、お母さんも、連れてきてあげたかったなぁ~」と、しみじみ感じました。ちっちゃな身体と可愛い笑顔で嬉しさをいっぱいに表して、きっと喜んでくれたと思うと、連れてきてあげれらなかったこと、「ごめんね」としかいいようのないさみしさでいっぱいになりました。

私も、後、どれくらい、こんな風に、葉を打ち鳴らす雨の音を聞き、落ちてくる雨を見上げることができるんだろうと思うと、タダタダ生きていることに感謝する気持ちでいっぱいになりました。

最近、私が仕事をし続ける意味があるのか?と、迷うことが多くなった今日この頃、お客様に喜んでいただいている笑顔を見るたびに、まだ頑張ろうと言い聞かせる自分がいます。
走り続けること、たくさんの場面で内側で戦い続けることには、重い責任が圧し掛かっています。
正直に向かい合って、喜んでいただけること、満足をしていただけることだけを追い求めて、仕事をしていますが、職人さんたちの調整をしながら、それぞれができるだけ良い環境で仕事ができる状況を作り出し、でも、へらへらと笑っていられないことも多いので、時にはしっかりと伝えなくてはならない場面も多く、そのたびに心は疲れてしまいますが、それは私の仕事ですし、お客様もそういう私を信頼してくださっていると思うと、ポーカーフェイスで乗り切るしかないし、それは私の責任でもあります。
一つの職種の職人さんだけを優先する訳にはいかず、それぞれの言い分を聞いて、その調整をし、その状況に理解を示すことなく、自分だけの仕事の都合だけを優先させる職人さんには、時には母のように、説明し、理解を求め、完成に向けて、協力し合っていきます。

このやり方でいいのだろうか?と何度も何度も自問自答し続け、今日まで来ましたが、喜んでくださっている客様がいらして、そこに答えとやりがいがあるので、時々疲れた心を、家族に会い、友達やカンボジアの子供たちの輝いて瞳に癒されて、まだ頑張れる、求めていた答えは、まだ見つからないから、がんばれと言い続ける自分と対峙し続け、また走り続けます。

IMG_0447夜11時前に、Kai君に起こされて、「夜泣きそばの時間だよ。食べに行く?」と。

「母は食べられないから、眼だけがちょっとだけが味見したいだけだから、Kai君の分だけ頼んで、一口だけちょうだい」と。

ところが、魚ダシのあっさり味の夜泣きそばを一口食べたら、美味しくて、今日だけだからと自分を甘えさせて、結局、食べてしまいました。
「明日歩くしね~」と言い訳をしながら食べた夜泣きそばは、格別でした。

IMG_0457IMG_0458IMG_0459翌朝、早速温泉に入り、屋上の庭園に行きました。

霧雨が降っていたので、山が雨に霞んでいました。
でも、湯上りの火照った体には、とっても気持ち良かったです。
バラが咲いていて、これから迎える冷たい季節の前に、気品を放ちながら咲いていました。
中学校の生徒会長だったO君から、時々届く彼が作っている綺麗な薔薇の花の写真に、感謝を込めて、この写真を送りました。
早速彼から、彼が趣味で作っている同じ薔薇の写真が届きましたが、手入れが行き届いている彼の薔薇のほうが、立派で、気品があり、美しかったです。薔薇は、特別の気品と強さと華やかさがありますね。

今、私の家には、黄色の百合と白の小菊が、秋の初めを漂わせてテーブルの上で咲いています。 花はやっぱり心を癒し、華やいだ気持ちにさせてくれます。

9時からの朝食は、箱根モザイクの重箱に入っていました。
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木の生み出す、柔らかさ暖かさを十分に生かしたモザイクは、職人さんたちの技が輝いています。


日本の職人さんたちの繊細さも、世界に誇れるといつも思います。
こんなモザイク柄の中には伝統が詰まっていて、建築にも生かせると感じます。



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朝食時にすっかり足が冷えたので、お部屋の温泉に入りました。


チェックアウトの11時にあっという間になってしまい、
湯本の商店街でお土産を買い、小田原城に乗ってから帰ろうと、スケジュールを決めて温まった体で、元気いっぱいに旅館を出発しました。

IMG_0473IMG_0474湯本の富士屋ホテルの前で、人がたくさんいたので思い出の記念写真を撮りました。

「ねぇ~ねぇ~Kai君、母、やっぱり老けたね~」と、写真を見ながら言うと、

「うん、そうだね。」と。
そこは、やっぱり「いやぁ~まだ全然老けてないよぉ~」」でしょ! やっぱり息子なんだからと、内心思いましたが、「ま、事実だからそうだよね~」と、納得。

小田原についてから、電動自転車を借り、お城まで行きました。
一緒に町の中を走りながら、何度も「ねぇ~楽でしょう?」と聞くKaiに「本当!楽ちんだね!難しくないし」
そうです。初めて電動自転車に乗りましたが、初めの一踏みで勢いがついて、とっても軽くて楽で、楽しかったです。
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お城では、図面と模型をじっくり見て、小田原城の歴史のDVDを見ました。

政権争いの戦いは、形こそ変え、昔も今も変わらずに続いていて、世界で戦争がなくならないことを考えると、人間は歴史から学ぶということは、難しいんだなとしみじみ感じます。
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朝の雨模様は、すっかり上がり、青空と暑さが戻ってきました。
城を後にして、清閑亭まで、また風を切って走りました。

IMG_0491IMG_0494IMG_0495欄間には千鳥のモチーフが切り抜かれていました。

こういう100年以上前の建物は、懐かしさを感じさせてくれます。

海風が通り抜ける和室に座り、お抹茶をいただきました。




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IMG_0500IMG_0496襖の引手は、引くのがもったいないくらい美しかったです。









IMG_0501IMG_0502IMG_0511IMG_0512建具の絵も、繊細な色使い、細かな表情、とっても素晴らしかったです。

この建具があるだけで、家の価値が、芸術性が上がると思いました。

家の中に、アートがあるいうのは、それだけで、品格が上がりますね。
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青い空と庭の緑の木々や芝生を見ながら、心地よい風が通り抜ける和室に座り、お抹茶をいただきながら、「冬は、かなりの寒さだね、この家。この家の断熱性能を高めるには、さてさてどうしようかな?」などと、お喋りしました。

お抹茶は、とっても美味しくて、まだ息子たちが小さかった頃に、一緒にお茶のお稽古に行っていたとき、ちょこんと座って和菓子をいただき、次のお抹茶を、神妙な顔で待っていた可愛い息子たちの顔が、目の前のKaiの顔と重なりました。

ありがとう~、癒しの時間をありがとう。Kai君。
ある占いによるとKaiはソールメイトだって!
親子なのに!って驚いたけど、いろんな話をよくするし、海外への一緒に付き合ってくれるし、
やっぱり、魂の友達なのかなぁ~?

愛してるよ!

小田原の駅で、ハグして「じゃ~またねぇ~、次は来月?」という私の言葉に笑顔で答えて、彼は新幹線に乗っていきました。








 

9月になるのに、母の日のプレゼント

忙しくて、すっかりご無沙汰になってしまったこのブログ。
季節は、朝夕涼しくなって秋の気配を感じる今日この頃です。

今日は久々に五月に息子から貰った母の日のプレゼントについて書こうと思います。プレゼントは、週末を使っての南伊豆への 温泉旅行でした。
私のリクエストは、伝統的な古い旅館で、建築が見れるところでした。

そこで、彼から熱海で待ち合わせして、南伊豆へ行きましたが、今回は初めて電車で行きました。
南伊豆の米屋さんです。http://toshinan-komeya.jp/
こんな風に、忙しい時間の中で、一緒にゆっくりとした時間を過ごすのは、最高の幸せです。


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到着後すぐ、お抹茶と和菓子でウェルカムドリンクをカウンターでいただきました。

夕食のメニューを一挙公開しましたので、ぜひ行ってみてください。

お食事は、かなりおいしかったです。

お部屋にも、露天風呂がついていて、素適なお部屋でしたが、大きな温泉のほうが、やっぱり入りごたえがありました。
お部屋の露天風呂は、檜の浴槽で、かけ流しです。
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2016-06-04-21-33-382016-06-04-22-43-302016-06-04-22-45-23そして、お夜食は、さっぱりとした夜泣きラーメン




夕食が食べきれなかったので、眼だけが食べたくて行きましたが、もちろん息子が食べましたぁ~。



2016-06-04-22-45-582016-06-04-22-51-102016-06-05-09-01-492016-06-05-09-03-412016-06-05-09-05-56










朝食も、種類が豊富で、最高でした。
その後、{東海館}の建物を見に行きましたので、建具や照明器具等、味のあるつくりでしたので、
ここにご紹介します。

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百日紅の変木など使って、味のある左官壁が作られていました。
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2016-06-05-11-37-202016-06-05-11-37-30kaiがふざけて、子供のころはよくこんなことしたよねぇ~と、頭を変木に突っ込んでいました。

そうそう、大変だったよねぇ~。小さい頃はやんちゃで!
じっとしてないし! でも、吹き出しながらやれやれって感じだったね。
と。




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彼も、こういう古い建物が好きで、落ち着くよねと。

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私も、デザインやおさめ方を食い入るように見続けていました。こういう時間も、最高に充実した時間です。
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自然にあるままに、おさめようとした昔の人の好みは、日本のわびさびにつながりますね。

私からは全く想像できないと思われてしまいがちですが、こういうところに、いろいろなヒントがあります。
目から入った美しさは、消えないものなので、海外の町の中でも、海外の美術館でも、たくさんの人が生み出した美は、生きて続けていると感じます。
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美しいとしか、言葉がでません。

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もっとも、今、このような物を作り出す職人さんが、いなくなってしまいました。また、いてもかなりの高額な手間代がかかり、普通のご家庭では取り入れられません。
でも、小さな部分に古い伝統のデザインをアレンジして生かしたいと思う私です。

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2016-06-05-12-23-092016-06-05-12-21-032016-06-05-12-21-45大広間に芸者さんと宴会の社長さんたがいたので、ちょっと入れてもらいました。


本物みたいでしょ?!




2016-06-05-12-23-562016-06-05-12-24-08天井の高さも、いいですねぇ~2016-06-05-12-24-32










2016-06-05-12-24-432016-06-05-12-24-542016-06-05-12-25-082016-06-05-12-30-252016-06-05-12-32-40









2016-06-05-12-33-042016-06-05-12-33-302016-06-05-12-36-572016-06-05-12-40-492016-06-05-12-41-17








2016-06-05-12-47-43母の日のプレゼントとして、このプレゼントは最高に素敵でした。

時々、一緒に温泉に行き、海外に行き、そんな時、ふっと思い出すのは、

庭に作った大型プールに入り、「もうお昼寝の時間だから、本読みを始めるから上がっていらっしゃい」と言った私の言葉に、

 
「やーだ」と言ってプールの中に座り込み、

知らんぷりしてさっさと上がってしまった私と上の子が、二階の窓から、下をそっと覗くと、ウソ泣きをしながら、指の間からこちらをちらっと見て、声を少しだけ大きくしてハスキーな声で
「え~~~ん、え~~~ん」とウソ泣きをし続けた可愛いkaiくんです。

上の子は、汗をびっしょりかきながら、弟を背負って友達の家から帰ってきたことがありますが、その優しい可愛い顔が、浮かびます。

何でもないときに、ふっとそんな子供たちの思い出が蘇ってきます。

そんな思い出は、心をふわっと温めてくれます。

私は今も走り続けていますが、思い出はたっぷりと詰まっています。

後、どれくらい詰まっていくのかな?

車を走らせながら、美しく輝く木々や、色を変える空に、感動し、空の母に「お母さん、見てる?」「見えてるでしょ?」と心の中でつぶやきます。

私がそこに行っても一緒にこの風景を見たいし、息子たちも私の言葉や、顔を思い出してくれるといいなと心から思います。

息子たちも、生きている時間を大切に、充実した時間を過ごしてほしいと、願っています。

それが一番の母の願いです。

韓国へ3(宗廟)

imageimage門兵の交代の儀式がありましたが、どの国も大体同じ感じですね。








imageimageimageimage遅いランチ(キムチチャーハン)を食べてちょこっとのんびりしました。

チャーハン作りのパフォーマンスがありましたが、そんなに
驚く程の事もなく、ただ、チャーハンはおいしかったです。


imageimageimageそれから、電車に乗ったか、歩いたか、すっかり忘れてしまいましたが、もう一つ手t物を見に行きました。

ゲートがあるこの建物は、初日にキムさんと一緒に行った北村韓屋村(북촌한옥마을)の近くだった思いますが、まったく地理的な場所がわかりません。

でも、デートスポットになっているらしい丘の上まで登り、夜が綺麗らしいよという息子の説明に、「うう~~ん想像できない・・・」と感じていました。
でも、日本人の学校の先生らしきニトリ旅の女性に会い、写真を撮ってもらいました。

ソウルの地下鉄は、かなり便利です。毎回チケットを買いますが、デポジットを払うので、下車した際にお金が戻ってきます。

imageimageimage有名なタッカンマリのお店まで行きました。

さっすがKai君です。

会社の先輩の女性たちから仕入れた情報を生かしていろいろなお店に連れて行ってくれました。




imageimageimageimage食後、明洞まで電車で帰ってきてから、カジノ見学に行きました。
中国人の人たちが多かったです。

しばらく見学してからホテルに帰りましたが、帰り道、ソウルタワーが綺麗に見えました。




imageimage翌朝は、朝食からガッツリ系の食事をとり、ロッテデパートでショッピングをしました。








その後、電車に乗り、世界遺産の古宮・宗廟へ

無形文化遺産を見に行きました。


ユネスコ事務総長が任命した国際審査委員会で2年ごとに決定する無形文化遺産は、言語や文化、音楽、踊り、伝統遊び、神話、儀式、習慣、工芸など、口伝えや無形文化財が消滅するのを防ぎ、保護するために選定しています。韓国では「宗廟祭礼および宗廟祭礼楽」(2001年)、「世界無形遺産に登録されています。



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静寂な空間に歴史の王と妻が眠る宗廟。
Kai曰く、静かで落ち着くでしょ? ここはパワースポットなんだよ。感じるでしょ? と。

確かに静寂な空気が流れていました。
でもパワースポットというエネルギーは、私にはよく分からず、「え?そうなのぉ~、何か全然感じな~い」と言うと、彼が、
「ねぇ~ホントに感じないのぉ~?俺は、すっごく感じるよ!」と。
「ねぇねぇ、何処からから来るの?そのエネルギーは?」
「地面からも、空気の中からも、ガンガン来てるよ」と。
「えぇぇぇぇ 本当にぃ~~~?」ニヤリ

町の中にありながらも、し~~~んとした静寂は感じてました、そして確かに空気は澄んでいるよねと、思いましたが、

その静寂感がパワースポットの所以?

鈍い母は、一人ニヤニヤ、内心信じられな~~~いと。
二人で、のんびり庭園を一周しながら、おいしい空気をいっぱい吸い込みました。
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この中庭で、開かれる「宗廟祭礼および宗廟祭礼楽」の様子の写真が展示されていました。
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王妃が亡くなって、それを弔うために、王が建てたこの宮殿には、確かに愛がいっぱいあふれている感じはありました。

心が温かくなる感じです。 これがここのエネルギーだとしたら、素敵です。

imageimage庭園を一周し、それから、また明洞に帰りました。

この料理の名前すら、もう思い出せませんが、美味しかったことだけ、思い出に残りました。






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明洞のメインストリートで、思い出の記念写真を撮りました

2016年、4月30日から5月3日
今年の親子海外旅行も、これで終わりです。
昨年は台湾、その前はモンゴルでした。

休みが中々合わない親子ですが、こうやって一緒に行けることに、感謝です。
長い休みが取れない息子に合わせていつも駆け足の旅ですが、続けられるうちは、続けたいと願っています。

でも、もう近場は、なくなってきました。 来年は、どこになるかしらん?

日本の息子と母親の関係は、大人になるとこうやって旅に出ることは、皆無だと思いますが、仕事に、プライベートな話に、社会的な話に、いろいろ話せる関係に、感謝しています。

ま、Kaiくんからしたら、世話のかかる母だと思っているかもしれません。
でも、思い出綴りは、もうしばらく続いて欲しいなぁ~

韓国へ2(朝鮮王宮)

2016-05-01-09-29-182016-05-01-09-30-37翌朝、ホテルを出て歩き出すとデモをしていました。

何んのデモなのかを聞きたくて数人に尋ねましたが、後尾にいた人たちの誰も英語が分からず、結局は何のデモなのか分からず終いでしたが、思えば4月30日から5月4日までの旅でしたから、多分メーデーのデモだったのしょう。

楽しそうな音楽に惹かれて、突撃インタビューをしました。

いろいろな国ん行くたびに、観光客では見えない社会の裏側に興味のある私ですが、そんな様子を、ちょっと離れたところから、見ていた息子でした。

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朝ご飯は、Kai君が、お肌ぷるぷるになるよと、連れて行ってくれた明洞のサムゲタンの有名店。

さっきKaiと話していて彼に「キムさんと一緒に行ったでしょ、明洞餃子の有名店」と言われて、
行ったことすら覚えていなかったのですが、お店の写真を見て、「あーーー行った」と思いだしました。
852bdb93_align=_left_Myeong-dong-25並んでも絶対食べたほうが良いといわれている明洞餃子。

この写真と同じ席に座りいただきましたぁ
私たちは10分ぐらい並んでから入れましたが、出たときは、ものすごい列ができていました。
3dc600e1確かこのスープもいただきました。
ソルロンタン(?) 名前を覚えていませんが、。。。

親子旅行の時は、船頭は二人いないほうが良いと思っていますので、ほとんどkai任せです。
私はただ一つ、古い建築を見たいということだけ、言ってありました。
特に食べ物は、私が選ぶ店は、はずれが多くて、彼のリサーチに任せて安心です。

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その後、カフェでカプチーノをテイカウエィして、すぐ近くの明洞大聖堂(1898年5月完成)へ行きました。
韓国はクリスチャンが、意外に多いので、驚きました。
この建築を見ると、住んでいたリバプールの大聖堂を思い出しました。
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このリバプール大聖堂は1904年に建築が開始され、1978年に完成しましたが、私がいた1996年頃は、この横の坂道を自転車で下り、リバプール・ジョンモア大学に行き、そして買い物にはボールドストリートに何度も向かいました。
ゴシック建築様式のリバプール大聖堂は、61mの長さがありイギリスで一番大きな教会ですが、この明洞大聖堂は、規模は小さいのですが、きっと韓国のカソリックの人たちの心のよりどころになっているんだと感じました。
この日もたくさんの人が、お祈りをしていました。

話は、ちょっとそれますが、リバプール大聖堂の横を、ある日通った時に、派手な衣装と化粧の老女に会いました。 彼女は何か私に怒鳴ったんですが、訛りのひどさと私の英語力の低さに、何を言っているのか分かりませんでしたが、後で彼女が娼婦だと聞かされ、かなり驚いたことを思い出しました。
教会の影に、昼間から立っている娼婦さんの人生を想像して言葉もなくなったことを思い出しました。

さて、それから午後は、景福宮へ電車を乗り継いで行きました。

2016-05-01-11-29-22光化門2016-05-01-11-41-172016-05-01-11-42-46

朝鮮王朝の王宮の

景福宮です。







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建築の写真をご紹介します。
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私にとって、垂木や棟や屋根のおさまり、柱と壁、天井のおさまり、どれをとっても興味があります。

色使いも面白いです。


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2016-05-01-12-01-552016-05-01-12-03-47やはり昔の韓国人も日本人と同じように背が低かったようですね。
この通用門の低さを見てください。

私の身長が157cm弱ですから。






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広大な敷地に回り切れないほどの建物がありました。
ものすごく暑い日だったので、結局は全部を見れませんでした。
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2016-05-01-12-13-362016-05-01-12-18-522016-05-01-12-22-042016-05-01-12-24-17美しく管理された庭や沼や建物。

絵はがきになるアングルがいたるところにもありました。






2016-05-01-12-30-102016-05-01-12-30-20ここは図書館です。
勉強をされた建物です。





2016-05-01-12-39-052016-05-01-12-39-312016-05-01-12-40-002016-05-01-12-55-26机の上には、花が活けられていました。

かなりモダンな生け方でしたから、昔の生け花様式ではないようです。




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つづく

韓国へ

この数か月の忙しさは、特別でしたが、今、やっと時間が少しでき、ブログや会社のfacebook等、本日UPできました。

この間、完成引き渡しの物件、都内のNYスタイルのリノベーションは工事は、約2か月で完了させ、また、新しい大型プランから始めり、その現場も始まりました。(こちらの現場の様子は、これから少しずつfacebookやブログにてご紹介していくつもりです)仕事の帰宅時間は遅くなり、休日の出勤も続きましたが、それでも何とか乗り切り、明日は、新しい現場の上棟を迎えます。


でも、そんな中GWには息子と韓国の友達に会いに、息子から母の日のプレゼントで、伊東の温泉・米屋さん(http://toshinan-komeya.jp/)にも一泊でしたが行き、

そして父のお見舞いにも月1回は行くことができました。

今日は、韓国からの旅の様子を記録に残したいと思います。

仕事用のfacebookを作成したので、仕事に関するお話は、なるべくfacebookでしようと思います。
このブログを始めた頃のように、息子たちに、このブログを残すという初めの状態に、戻ろうと思います。

韓国は、近すぎて今まで一度も空港から出たことはありませんでした。カンボジアへ行く途中の乗り継ぎに、止まることばかりでした。

image2016-04-30-12-24-05羽田空港からの出発で、息子は空港で、お腹をすかせた私が注文をしたパニーニを、まずはパクリ!
羽田は、おいしいお店が多いですね。
去年、台湾に行ったときも、羽田からだったので、羽田になじんできた親子です。

入管を出ると、チョゴリを着た女の子たちのお出迎えがありました。


今回はまず、昔一緒に仕事をしていたキムさんに会う約束をしていました。
彼女も建築をしていたので、建築的に面白いところへ連れて行ってと頼んでおきましたから、彼女と会う楽しみと建築を見る楽しみで、ワクワクしていました。




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彼女が、明洞のホテルに迎えに来る前に、ちょこっと散策しようと、明洞をブラリ。
どこへ行ってもその区の人たちの生活が見えることに興味がある私ですが、明洞が韓国の人たちの生活とどうつながっているのかを垣間見ました。

明洞は日本の原宿のようで、観光の人と店のスタッフで溢れかえった場所でした。

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キムさんが、ホテルに来てから、私たちは、彼女の案内で、古い建築街に行きました。
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今回、話に夢中で、彼女の後姿しか撮らず、帰ってきてしまいました。

ま~、近いからいつでも行けるので、また行ったときに、今度は、おしゃべりばかりではなく、思い出の写真を撮らなくちゃ!


15,6年ぶりに会った私たちは、時間を超えて、昨日まで一緒に仕事をしていたように、仕事のことや以前一緒に働いていた会社のこと、人、そんな話でに夢中になりました。
私は、その会話を交わしながらも、古い建物に目を奪われ、建物をキョロキョロ。

写真を撮りまくる私をキムさんが、「北原さんは相変わらず2016-04-30-16-21-082016-04-30-16-21-182016-04-30-16-23-312016-04-30-16-26-442016-04-30-16-26-58だね、」と言いながら大笑いしていました。










古い建物の建具のデザインや職人さんの技は、日本では、最近みられなくなったものばかりでした。

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もっともこの感想は、キムさんには言えませんでしたが。

彼女は中国と比較されるのが嫌いなので。

2016-04-30-16-54-032016-04-30-17-37-512016-04-30-17-42-392016-04-30-17-49-28








彼女は、今、明洞から電車で1時間半くらい離れたところに住んでいます。

そして、明洞に来るときは、ギャラリーに来る時が多いと言って、その時に寄るカフェがあるからといつも行くカフェに連れて行ってくれました。

2016-04-30-17-49-012016-04-30-17-49-15そして3人、それぞれにハーブティーを注文しておしゃべりは続きました。

Kai君は、私とキムさんのおしゃべりを邪魔しないようにと、「俺、ちょっと通りを散策してくるから、keikoたちは、ゆっくりおしゃべりしていたら」

と言って、カフェから出て行きましたが、

3,40分後に帰ってきたときも、まだまだおしゃべりに夢中で、キムさんと私は、すっかり夜になるまで、おしゃべりしちゃいました。
Kai君が気を使って待っていてくれたことにも気が付かないくらい、本当に夢中でず~~とず~~とおしゃべりしていました。

それから、彼女を送りながら駅に向かう途中で、韓国の人が食べる夕食をレストランで、一緒に食べました。

ここでも、写真を撮るのを忘れて、おしゃべりしてしまいました。

11時過ぎに彼女を駅まで送り、別れましたが、キムさんが「北原さんのほうが、韓国に来ることが簡単なんだから、またすぐ来てね」と。

次は、いつ会えるかな? 楽しみに待ちたいと思います。
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