今年の夏は

わわわ、気が付けばもう9月も終わろうとしています
夏の記録を残そうと途中まで書き進んでいたこのブログも、忙しくて途中で止まったままでした。

で、今日、少し開いた時間があるので今から書き加えます。

今年もお盆休みは仕事でした。
でも定休日に中国から友達家族が日本へ4年ぶりに来たので、2日間、一緒に過ごしました。

友たちと言っても彼女ドンドンは息子と同じくらいの年齢です。彼女が九州大学の大学院で勉強していた時に、時々家へ泊りに来ていました。
そして、彼女のご両親も私の家に滞在し、横浜の中華街などへ一緒に行きました。

A24C77E4-DB30-4B63-9612-5562BFCED7AA帰国後4年という歳月があっと今に過ぎて、久々の日本と、彼女が結婚して、子供が生まれたので、子供を見せに来てくれました。
アンティアンはドンドンにとってもよく似た子で、まだ2歳前ですが、賢く、気の優しい子で学校で教鞭をとっているドンドンの代わりに、普段はご両親が面倒を見てくれているそうです。
だから、とても落ち着いた子でした。
ドンチャおじいちゃんとワンシャおばあちゃんはとても気の優しい人柄で、ドンチャは私と同じ年齢で、私が中国成都へパンダの赤ちゃんを抱きに行った時も、色々お世話になりました。
ドンチャは大学で教鞭をとっていましたが定年退職をしワンシャも同じ大学で職員として働いていましたが、定年退職をして、孫の面倒を見ています。 
さて、アンティアンは、私と手をつないで「ケイコネェネェ」と呼んで慕ってくれました。
可愛いアンティアンです。

B883DC00-9350-4FED-BCA5-8BF76441F1D3相模大野の駅に迎えに朝行きましたが、懐かしいドンドン家族が見えた時、涙が溢れてしまい、ドンドン、ドンチャ、ワンシャと抱き合って再会を喜びました。
そして、すぐにアンティアンに手を広げておいでをすると、物おじせず、すぐに私の腕の中に来たアンティアンでした。そして、もうずっと以前から時々一緒に過ごしているような雰囲気で、英語が分からないアンティアンですが、一緒に歩いて駐車場へ向かいました。
ドンドン家族は驚いていました。そして「子供はすぐ分かるんだね、ケーコが良い人だって!」と言ってくれましたが、子供には人気のある私です。

それから、私の自宅へ行き荷物を置いて、一息してから、ランチを食べにいつもの農場レストラン・モナの丘へ行き、オーナーの桑田さんに紹介し、ランチをゆっくりいただきました。
本場のカレーと出来立ての野菜をたっぷり食べて、みんな喜んでくれました。でもどの料理もアンティアンにはちょっと辛すぎでした。 ごめんね、アンティアン

それから、3か月前から予約を取っていた藤野芸術の家へ向かいました。
ドンドンファミリーは車中、爆睡でした。 成都から昨日付き、東京のホテルで1泊して、朝こちらへ来たのでみんな疲れていたんだと思います。
さて、ドンドンはアーティスティックで絵を描いたりするので、この工房で思い出つくりに何か制作したら、素敵な思い出の品物ができると思い、この場所を選びました。
我が家には、彼女が描いた絵が3枚飾ってあります。

だからとっても喜んでくれました彼女は、アンティアンに万華鏡を作り、ワンシャはぐい飲みグラスにサンドブラストで猫のモチーフを刻みました。後半は私がお手伝いをして作りました。

作品は動画で撮影したので、ここでご紹介できません。
9EFBC75E-35FA-4982-9BAF-DCB9AF988DEF823BA489-7709-47FC-829E-E55C2CCAC495夜は予約をしておいたお食事をいただきながら、お疲れ様、そして幸せな再会に乾杯をしました。和食のコースは、美味しいと言ってくれたので良かったです。

ここはホテルも含まれていて温泉もあり、アメリカ人の家族や学生たちとも一緒でした。

私たちは早めのお食事をのゆっくりしてから、夜は温泉に入りました。
アンティアンは初めての大きなお風呂に興奮していました。
とっても楽しそうにはしゃいでいました。
アメリカ人の家族と温泉で一緒になり、アンティアンはその家族の4歳6歳の女の子たちとの入浴にかなりはしゃいでいました。 初めての大きなお風呂! ちなみに中国はシャワーです。

AC98A030-5554-4B0A-B193-8302F983A250B8DE3330-534C-4508-B46D-5766DA3E2A8F9CA2E77B-7317-4014-B662-CF79643658D8翌朝はバイキングの食事をいただきました。

その後、また工房で、アンティアンはうちわへのお絵描きをしました。


どんどんは素敵なママになりました。

思わず、彼女に、出会ったときはナイーブな少女だったけど、すっかりママになったわね。そして落ち着いた素敵なママね。と伝えました。

6E1373D6-9A2E-4306-8447-8D8F8D96EC36午前中、工房で過ごしてそれから相模大野へ帰ってきました。
ドンチャの中華が食べたいとのリクエストに応えて、中国人の方々がやっているレストランへ行き、遅いランチをいただきました。

ドンチャは、いつも感謝の気持ちがいっぱいで食べられないほどの料理を中国語でオーダーし、ドンドンに注意をされていました。(笑)
私が成都に行った時も、毎晩いろいろな違った中華料理の店へ連れて行ってくれました。その時は、ドンドンファミリーの友達たちも一緒でしたが、頼み過ぎに、ドンドンの注意がありました。

父親と娘の関係を見ながらどこの国でも同じだねとほのぼのとした思いを感じていました。
私の父も、いつも多めにあれこれ注文していました。そして私に「そんなに食べられないから~」と何度も言われていました。
ドンチャとワンシャは、以前より英語が分かるようになっていて、私の説明や言葉に直で返してくれましたが、言葉が通じなくても、どの国の人たちも心は通じると信じている私です。
目を見ればその人の心が見えます。純粋でまっすぐか。 逆に言葉で心を隠すのも人ですが、ずっと見ていいれば分かります。
色々な国にいる私の友達は、みんないい人たちです。人種を問わず、年齢を問わず、思いやりがあり、人としての節度がある人達です。彼らもまた、私が日本人だからと言う見方をせず、人としてつながりを持っています。
ですから、そういう友達に出会えたことを宝物に感じます。  父親の思い、母親の思い、家族の思い、みんな同じですね。

さて、7月の定休日はドンドンたちと、そして8月の定休日は、アンちゃんと富士登山に行きました。
アンちゃんも中国からきて、日本の大学で学び、現在は福祉施設で働いています。
お互いの家も近いので、時々一緒に温泉に行ったりお食事に行き、色々なお喋りをしています。

E0F6D507-0FF9-4A3B-9BB6-8B3BA276FC5497862BE2-1D5D-418B-9EE4-9A386318CA03私は3度目、アンちゃんは初めての富士山です。

初めての時は御殿場コース、二度目は富士宮コースで、今回は須走コースでした。
完璧な山女スタイルのアンちゃんと、即席山女の私。トレーニングウエアでの登山でした。
私は、これを最後にしたいなと思っていました。


朝は6時10分に家を出て、御殿場インターを降りて、8時頃には須走口5合目まで車で行きました。途中でコンビニにより、水7本、おにぎりなどを購入!
駐車場に車を止めて、そこからバスで登山口まで行きました。バス代は意外に高かったです。
登山口で入山料1000円を支払いました。このお金は富士山の整備費になるそうですから、これは当たり前だと思いました。

C06A4AC3-02AE-4254-AA72-77974EACF02E6218DB64-9441-4337-A4FD-7FB6A55E097A出発前から、酸素ボンベを買ったり、レッグウォーマー、手袋を買ったり、おやつをバックパックに詰めて二人とも小学生の遠足のようにワクワク。

2度目の時に、一気に登ったので、高山病で頭が割れそうな頭痛と吐き気に襲われたので、今回は酸素ボンベを持っていきました。

5合目登山道入り口のお店でアンちゃんは帽子を忘れたので富士登山の傘を購入。
そして私たちは、ランチ用のおにぎりも購入しました。登り始めはちょっと涼しかったですが、すぐに物凄く蒸し暑くなりました。

5A63AADE-AF09-4280-9A64-D5B5B059C268946816D5-B238-4118-8FE6-E5672A1484FB00A2F736-5628-411F-A038-7884A1E97053登山道の横を見ると下山ルートの砂走のコースが見えました。

途中、熱中症にならないように何度も水分補強をし、こんなに体力がないのかな?と思うほど、休憩を取りました。

4E9027DF-B23E-4F2C-A30F-DCB3CF54D63B2EAC3EC3-4A3D-47FA-B3A9-2E31A3D4A6EF09140A6A-56C6-4D7A-856D-F6A25ACDE2F4途中、前回のようにラッシュのようにたくさんの人たちと一緒になると言うことはなく、のんびり上ることができました。

途中で早めのランチ、おにぎりを食べ、おやつを食べ、本当に小学校の遠足のようでした。



11BE1104-4495-4697-BDF6-F7FCB8F64BCFF654676B-BE41-42DB-8841-74C939EFC3D3317786CA-23B7-44B8-90D2-59F2A8D2DFD8






予約した7合目の太陽館は、食事が美味しいとの口コミがあったので、そこに泊まることにし、かなり早くついたので、太陽館でのんびりして5時からの夕食を楽しみに待ちました。

E675FC56-112C-4C17-8F19-AA09F7ED619A5時からの夕食は、次のグループのために、30、40分で席を交代です。

夕食後、外には夜登山の人たちが休憩したり、太陽館で一泊する人たちが、暮れていく夕日の美しさに見とれていました。
美しい夕日でした。


7時にはみんな寝袋が置いてある自分たちのスペースに入り、眠りにつきました。
私たちも眠りましたが、私は1時間して汗をかいて目が覚めてしまいました。Tシャツとハーフレギンズになり、寝ようとしましたが眠れずに、モソモソ、隣のアンちゃんを起こしちゃいけないナと思い、
起き出して外へ出て下界を見たりしましたが、寒くて外にいられずまた寝袋スペースに戻りました。
すると、体中が痒くて、よくみると何かに噛まれていました。
え?! ダニ?   もうなかなか眠れなくなりました。

眠れずにモソモソしながらまた起きようかと思っていた時に、夕食を食べた部屋から灯が漏れ、スタッフの人たちが集まってお喋りをしているのが聞こえてきました。
そこで、仲間に入れてもらおうと思い切ってその部屋に行き、「汗をかいて目が覚めちゃったので、お喋りの仲間に入れていただけますか?」と聞くと、
「もちろんいいですよ~~~」とスタッフたちの声が返ってきて、お酒を飲みながら話しているその輪に入れてもらいました。
すると、数人が「このチーズに海苔を巻いて食べると美味しいですよ、どうぞ、どうぞ」と言ってくださり、ウイスキーも進められましたが、「いえいえウイスキーはちょっと・・・」とお断りして、ワンカップの日本酒が売っているからと言うことでしたので、それを購入し、仲間に入れていただきました。

皆さんどこからいらしているんですか?  都内、鹿児島、順番に教えてくださり、「奥さんは?」と女将さんに聞かれて相模原ですと答えると、「近い!近い!」と言われて、そこからそれぞれの生きてきた仕事の話や人生の話をみんなでお喋り。
興味深いお話でした。 個人情報もあるのでここには書きません。^^
9時から11時までの2時間、お酒を酌み交わしながらの会話は楽しかったです。
最後に、夜景や星が綺麗だという話から、外に誘っていただき、一緒に下に見える町の夜景を眺めました。
冷たい空気に包まれ、雲の隙間から見下ろした町の明かりは、赤や黄色や青色がちらちら揺れて見えました。
町はまだまだ眠らずに、色とりどりの光を放っていました。
下に見える町。  ちょっと不思議な気持ちでした。アニメの世界にいるような、もし魂が上に上がって下界を懐かしく見下ろす記憶があったら、きっとこんな感じなんだろうと思いました。

そして、そのまま上を見上げると、遠くや近くに、小さな星粒や大きな星粒が空いっぱいに散りばめられて輝いていました。
こういう星空を満天の星と言うんだろうと思いました。澄み渡った空気の中で、冷えていく身体を両腕で抱えながら、抱きしめながら、しばらく見上げていました。 こんな風に満天の星空を見上げたのは何十年振りだろうと思いました。
そして、思わず「わ~~~綺麗~~~」とつぶやくと、
「本当はもっときれいなんだ」と男性スタッフさんが言いました。 ちょっと誇らしげに自信をもって言い切ったので、その言葉はそのまま私の心にしみました。
「そうね、きっともっと綺麗な星空なんだろうな」
きっと彼はもっともっと綺麗な星空を、この山小屋から見上げているんだろうと納得しました。
彼に「ありがとうございます」とお礼を言って、アンちゃんが眠っているところに戻ると、爆睡中のアンちゃんの寝息が聞こえてきました。

さ!心が綺麗に洗われたわぁ~  うんうん!私も爆睡しよ~~と!
そして疲れ切った子供のようにすぐ眠りにつきました。


け~こさん、けいこさん、ご来光ですぅ~ 見れなくなっちゃいますよぉ~起きなくちゃ間に合いません~
  と微かな声が耳に届き、飛び起きました!

「OK~,OK~起きるわ~・・・・」寝ぼけた目を開けて、すぐに外に出ました。

9B7C0149-AB07-4802-BB05-2B672419F1B131BA4C47-204B-4DCF-8B5D-8B690A18E08964D0F8EC-52C1-4AD1-9F89-6838BE484D6C384DA9D5-8A0C-425D-9151-A888B0901B08






4D9FCA2D-5BE8-4E58-8F82-87162CA7C4F31A14D773-A246-4003-A824-552F26ED9DE8F2E0C5DF-23FD-464E-8A5D-DDE2F7BE248E88C2321D-C15D-49F5-96D0-339F6B188C1F







ご来光を見つめながら「アンちゃんが素敵な人と結婚できますように」と拝みました。

朝ご飯は、鮭、焼きのり、みそ汁、お漬物などの、伝統的な日本の朝ご飯でした。
それをいただいた後、急いで身支度をしてまた登り始めました。

9F016BD7-5BA6-4881-A24D-F725741E536F8FBADCA1-150A-4216-A58C-0819EF53DD66A42E73DA-C054-41CA-AC1A-881FD4427C679792D2DD-7A18-4BB3-85C7-CD58A7840AD21565188A-887D-4A14-BF69-E128DE90FEC3









ところが登り始めると偏頭痛が始まり、私はギブアップ!

24B8EFD8-EF19-4CE9-9E53-7CD26F22EA285BB2D4D7-A879-4E32-915D-BD66076434A66EF07E60-58E8-4162-B361-8902FCC49995アンちゃんも膝が痛くなって下りは大変そうでした。


初めて登った時に、私は下山はランニングで下りました。それを思い出しながら、年齢を感じながら下りました。
BDF77EE2-80CE-4268-A488-E89555ACE7CFF17229D4-BA1D-44E0-B217-B9D275BEC01070432C12-C40E-4173-B875-3C0CEE9134281F153295-78C4-48FF-9DF1-4E46C43D7ED8






途中で一休みをしたときに、ゼリーを食べて元気も貰いました。
下に町が見え、何だか俄然元気になった私、アンちゃんは膝が痛くてゆっくり下りました。
99C56192-A27B-4508-9DD5-EAC9DD2EA76E18C5B49D-A1E5-4C45-A429-C0EC138AD7A290F6C9BE-FACE-49A6-98C8-C2D91C8EA762D58C95E9-9D11-415C-B779-1B15D1675017








下るアンちゃんの後ろ姿が可愛かったです。
6合目でモーニングコーヒーを飲み、冷えた体を温め二人でテンションが上がりました。
F2FEB821-66AD-4784-A961-6B708FE4460E77623640-D0F9-40DA-B6B2-C398B33A9A64687CA001-7BD6-4AD8-A01E-45F3AAE8B19E3B9FE9A4-47E7-4CF4-AF02-60F428878E00









可愛い笑顔のアンちゃんです。
8A3DB764-ECEB-4616-A415-DB26C9015389455CCF9E-EA70-4383-973D-3F00E024B68C この日、下山して海老名インターでランチを食べ、それから温泉に入ってから帰宅しました。

ダニに刺された13か所の痒い思い出と、アンちゃんは膝の痛みと、私たちは2週間くらい悩まされました。

もう、当分いいかな?
綺麗な星空と神々しいご来光の景色を胸にたっぷり貯め込みましたから。

今回の写真は、私の携帯が壊れたので、アンちゃんの撮影した写真です。 どれもとっても綺麗に撮れていました!

今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ3

この日も朝早く起きて、朝食をとってから、ローカルなバス路線を使って7つ星ホテル:THE EMPIRE HOTEL&COUNTRY CLUB(エンパイアーホテル アンド カントリークラブ)へ見学に行くことにしてバスのロータリーへ歩いていきました。

このバスロータリーは、ガソリンと言うかオイルの匂いが漂っていました。
アジアの貧困に苦しむ国にあるバスロータリーと雰囲気が似ていて、バスはボロボロでやっと走っているようにロータリーに次々に入ってきました。
でも、どこで待てばいいのか分からずに駅構内に行き尋ねると、「57番すぐ来るから」と言われて屋外で待ちました。
20分くらいすると57番に、アフリカで乗ったようなバスが到着しました。
エアコンなし、窓開放、シートは破れていました。 ドライバーの男性が駅構内の売店にアイスコーヒー(?)を買いに行ったので、追いかけて行って再度行き先と時間を確認。

苛立った感じで「すぐ出発になるよ」という感じの返事が返ってきました。
ガソリンの臭いのバスに乗り込み20分くらい待ちました。 その間に女性の車掌さんが焼きそばを買ってきてバスの中で食べ始めました。
食べている車掌さんに不機嫌そうな運転手さん、バスの代金は多少吹っ掛けられても、仕方ない状況でしたが、どちらにしても安かったです。地元の人達は、料金を払っていないようでした。
「ううううんこれも無料なのね」と感心しました。

時間を見たら9時10分くらいでした。
やっとバスが走り出しました。エンジン音はグアングアンガーガーと言う音を出しながら、ロータリーから出て、町の中の坂道を上り始めました。
それから15分くらい走って、途中で道の横に立っている女性を乗せました。

IMG_0210IMG_0237IMG_0188IMG_0207IMG_0257








あっという間に町を抜け、高速道路のような道を走り、それから政府が用意した家が立ち並ぶエリアにはいりました。
IMG_0281IMG_0230IMG_0226IMG_0186IMG_0178









IMG_0250IMG_0202高級住宅街も遠くに見えましたが、政府で働いている人たちが住んでいるそうです。

道路では警察の検問がありましたが、路面バスはノーチェックでした。

ガーガー、グアングアンと言う音を立てながら高速道路を走り、途中で、家の前で待っている人、道で待っている人のところでバスが止まり、その人たちを乗せて、また走りだし、広い美しい道に入っていきました。出発して45分以上も掛かって到着でした。


綺麗に整えられたホテル&カントリークラブのアプローチに入ると、7つ星ホテルを初めて見ることにワクワクしました。

IMG_0201IMG_0193ポンコツバスがエントランスの前に停まり、私たちだけが降りました。

エントランスホールにはバカラのシャンデリア、床も壁も大理石。

息子のkaiが帰りのタクシーを予約しておいたほうが良いんじゃない?と。

さすがいつも用意周到の提案です。

そこで、レセプションのカウンターに近ずくとマネージャーらしき男性が笑顔で来てくれ、「タクシーを予約したいの」と言うこと「お部屋の番号は?」と聞かれ、「いえいえ、見学に来ただけです」と答えると、「タクシーですね。何時にしますか?」と笑顔と柔らかな対応が返ってきました。
時間を告げてお礼を言い、建物中を中の見学を始めました。

一挙公開です。クリックして拡大して見てください。
IMG_0269IMG_0187IMG_0197IMG_0183IMG_0211









IMG_0253IMG_0248IMG_0215IMG_0176IMG_0251








大空間、大理石、チークやアイアンウッドの内装品。
IMG_0274IMG_0184IMG_0219トイレの鏡の前のガラスのカウンターを支えるハイヒールは、ちょっと違和感がありました。








kaiが今回の費用に2万円をプラスしたらここに泊まれたんだよと。
毎回、親子旅行は息子が企画予約をするので、お任せです。
「え?!じゃ一泊くらいすれば良かったんじゃない?」と私。
「ここは町から遠いでしょ、だからここでのんびりするんだったらいいけど、今回はいろいろな予定を入れ方ら町の中心じゃないと動きにくいからね」と。
な~~~るほど。
そうね、そうね、ゴルフやプールやビーチでのんびりこの中ですべて過ごす人にはいいわね。と会話しながら
ぐるぐる回りました。
カフェで冷たいものでも飲んでゆっくりしたいなと思いましたが、庭がすごいんだよと言うので、庭に出てきました。
IMG_0195IMG_0232IMG_0245IMG_0224IMG_0179









綺麗に手の行きとどいた庭、プライベートビーチ、いくつもあるプール、
庭をカートが走っていきます。
散歩コースはホテルの全体が見えるように海の先に東屋がありました。
そこまで歩いて行き、気持ちいい風に吹かれながら、しばらくお喋りをしました。
このホテルは国王の別荘で、国賓を招待したり、サミットのような国際的な会議などにも使われるんだよと、kai.

IMG_0280IMG_0262IMG_0259IMG_0256









IMG_0189「私たちは、のんびり過ごすことより、アクティビティが充実している方がいいから、ここに泊まらなくてよかったね。」
「ここは新婚旅行や退職後にのんびり過ごすにはいいけど、退屈するでしょ?」とkai.
「そうねそうね」と私。
20分くらい涼しい風に吹かれ東屋でお喋りして、きっとすぐ飽きると思った親子でした。


庭から建物に入り、また散策。

IMG_0181IMG_0255IMG_0229IMG_0180IMG_0218









所々に海を見下ろせるラウンジがあり、また各部屋のドアは素晴らしかったです。

IMG_0169IMG_0213IMG_0234IMG_0231IMG_0236








IMG_0242IMG_0204IMG_0209IMG_0244IMG_0260








このホテルの中を歩きながら、「7つ星と5つ星の違いは何?」と自問し続けた私です。
こういう高級ホテルは、世界にいろいろあるし、何が違うのかしら???
ホテル内部のショップでいろいろなものを見て回っていたら時間が無くなり、コーヒーも飲まずに、エントランスに戻ると、
到着時にタクシーを依頼したマネージャーが来て、笑顔で「タクシーですね。もうしばらくお待ちください。次回はぜひお泊りください」と言いながら「どうぞこちらのソファでお待ちください」とソファに腰かけて待つように促してくれました。
私も「そうですね。次回はぜひ泊まります」と彼に返事をしました。
「本心、一度は泊まってもいいわね、2万UPだけなんだったら」と思いました。

息子がポツリと「7つ星の違いは、たくさんいるお客の中で、俺たちを覚えていて、依頼されたことも覚えていて、俺たちが見えたらそばに来てこうやって話すことが、そういうところが違うんじゃない」と。
中で働いているスタッフたちは、すれ違う時にみんな笑顔でした。
サービスの違いなのかしら?う~~~んそうかもね。暖かさが感じる対応に痛く感心した親子でした。
ドバイのホテルも見ないといけないかな?なんて思いました。

エントランホールのソファに座って待っていると
笑顔でマネージャーさんが「タクシーがきました。あちらです」見送ってくれて、
IMG_0265IMG_0278中国人の女性タクシードライバーさんのタクシーに乗り込み、町までは20分かかるか、かからなくらいで帰ってきました。

中国人の方がたくさんタクシードライバーとして働いているそうです。

IMG_0261IMG_0228IMG_0194IMG_0174IMG_0216









ホテルに帰える前に、ホテルの反対側にあるマーケットに寄りました。
IMG_0173IMG_0225IMG_0200IMG_0171IMG_0227









野菜は日本とほとんど同じでした。人々は親しみやすい笑顔で迎えてくれました。

ホテルに帰り、シャワーをして、帰宅の準備をして、

IMG_0243IMG_0254夕方の閑散とした空港に着きました。

空港のラウンジで夕食をいただき、帰国の途に着きました。

社会福祉が充実しているこの立地な国の人たちは心に余裕がある表情をしていました。犯罪がほとんどないそうです。

教育費も医療費も掛からない未来に不安がない国。のんびりした人たち。久々にそんな人たちと触れ合いました。
そして、
今年も無事に親子の時間が持てました。
息子との思い出の中には交わした言葉が残っていると思います。母や父が私の中に残してくれたたくさんの思い出と、言葉が生き生きと生き続けているように、彼の中にも生き続けて欲しいと願っています。

さ~~~て、来年はどこかしら?
母は楽しみに待っています。

おわり。





今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ2

IMG_0119翌朝も早起きして6時半に朝食をとり、7時15分にホテルにお迎えのマイクロバスに乗って約10分で水上タクシー乗り場(バンダル スリ ブガワンのレジデンシージェッティ)まで行きました。途中でイギリス人の大学生の女の子二人をピックアップして、一緒のツアー参加となりました。

動画で撮影しましたが、物凄いスピードでボートは川を上っていきました。広い川幅のところや、ボート2隻がすれ違うギリギリの幅の川、カーブに差し掛かるとボートは水しぶきを上げる水面ギリギリまで近く傾き、外国人の私たちだけが歓声?悲鳴?を上げていました。
地元の人たちとの乗り合い水上タクシーなので、乗り慣れている人たちは、朝が早いので眠ったりしていました。

English girlバンダル スリ ブガワンのレジデンシージェッティで、その日のスケジュールをフィリピン人のスタッフから聞き、約1時間弱でテンブロン地区バンガーへ到着しました。

水上タクシーの駅を出ると車が待っていましたが、とりあえず荷物を車に入れ、その小さな町の資料館へ案内されました。
この日のガイドさんは、英語を話すガイドさんを依頼しました。
ブルネイの学校では3から4か国語くらいは勉強できるそうです。
ですから子供たちは、母国語、地元の言葉(家族の中で話す)、英語、中国語など話すそうです。
日本語も勉強できる環境があるそうで、選択できるそうです。 教育が重要と考える国王の方針だそうです。
羨ましい~~~~~
IMG_0054IMG_0073IMG_0041IMG_0156IMG_0097








IMG_0043IMG_0072
そして 下記ウキペディアから、日本とブルネイの関係についての抜粋






☆☆☆

第二次世界大戦が始まり、ブルネイを支配していたイギリスを日本軍が排除した結果、 1942年から1945年の終戦まで日本の戦時統治していた。

詳細は『ブルネイの歴史#日本の統治

終戦後

日本はブルネイから1969年に石油の輸入を、1972年に天然ガスの輸入を開始した。 1983年5月、日本の総理大臣として初めて中曽根康弘がブルネイを訪問し、日・ブルネイ友好議員連盟が結成され、翌6月、ブルネイに日本政府による事務所が開設された。 1984年1月にイギリスより内政を回復し、独立したブルネイは、その年の4月、日本と国交を結び、ハサナル・ボルキア国王が国賓として日本に招待された。同年6月にバンダルスリブガワンに日本国大使館が設置され、9月に東京にて、日・ブルネイ友好協会が結成され、1998年には、ブルネイに、ブルネイ・日友好協会が設立された。 1989年昭和天皇崩御の際には、ハサナル・ボルキア国王は大喪の礼に参列し、1990年の今上天皇即位の礼の際にも、参列した。1996年皇太子夫妻が初めてブルネイを訪れた。2011年東日本大震災の際には、日本は、ブルネイ政府から100万米ドルの寄付や、民間から多数の支援を受けた。
☆☆☆

日本円も使われていたそうで、資料館には使われていた日本円が展示されていました。
東日本大震災の際に、100万ドルの寄付をいただいていたことなど知らなかったので、ガイドさんから伺い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

IMG_0084IMG_0162小さな町の資料館で昔の暮らしを知り、それから車で30分くらい走り、バタンデゥリのレインフォレストロッジへ着きました。

モーニングティーをいただきながら、安全に関する説明を受け、今度はロングボートに乗り、ウル・テンブロン国立公園へ向かいました。
30分弱で着きました。

ロングボートのドライバーは、私の後ろでボートに入った水を時々手桶で一生懸命かきだしていました。
息子と顔を見合わせて、「オイオイ大丈夫なの?」と目でつぶやき合いました。

IMG_0090IMG_0104IMG_0154IMG_0045long boat








国立公園センターにて入園の手続き、記帳を済ませ、
キャノピーウォークへトレッキングでした。

狭い川幅をボートがスピードを落とさずに船底をバンバンと叩きながら、水しぶきを上げて走る爽快感とスリルで、息子は歓声を上げていました。

IMG_0125IMG_0155IMG_0205IMG_0059IMG_0273








キャノピーウォーキングはジャングルの中を約2時間弱かけて登りました。
車が入ってこれないジャングルで、細い階段や道を所々にある東屋で水分補強と呼吸を整えながら、ゆっくり登りました。物凄い蒸し暑さでした。熱帯雨林の気候と森林保護くとして守られているエリアです。

1800mの高さですが、単管足場材を組んで作った塔です。
ガイドさんの話によると6年かかったそうです。 ジャングルの自然を壊さずに、人の手で材料を少しずつ運び、組み立てたそうです。

足場に乗り慣れている私ですが、ちょっとゾクっとしました。他の人たちは上まで登れない人もいました。

下りも時々休みましたが、割と早く下ってきました。
それからロッジでランチをいただきました。地元の料理5種類が出ましたが、どれも美味しかったです。

skywalk
その後、滝、川遊びをして、ロッジにあるスカイウォークにも挑戦しました。
イギリス人の大学生たちは、このロッジにお泊りコースで、ここでさよならをして、
私たちは、また長い時間をかけてホテルまで帰りました。


ガイドさんが、私が家やコニュニティーに興味がると話したところ、地元の文化に染みついているロングハウスと言う集落とその家があるからと言って、帰り道に連れていってくれました。

IMG_0235IMG_0271IMG_0249横に長く、その中にそれぞれの家族の玄関があり、その奥に各世帯のリビングやキッチン、寝室が作られているそうです。

集落の家は、家族が増えるたびに横に増築をし、ドアを作り、その奥に、その家族の居住空間を増築していくそうです。

この広い空間は共有スペースで、ここで子供たちは一緒に遊んだり、上の子から勉強を教えてもらったり、祭りや葬式、いろいろな行事に使うそうです。
なんだか、話を聞きながら素敵なコミュニティーの文化だなと思いました。
それぞれのロングハウスには、村長さんがいて、その人たちはその集落で尊敬されている人たちしかなれず、権力をふるうこともないし、揉め事は、話し合いですべて解決しているそうです。

IMG_0238IMG_0166ロングハウスの前庭も広く、ごみ一つない、共同の住居集落でした。

共有スペースの床のタイルです。
アジアのどこかの国で見たような記憶があります。

共有スペースの掃除も整理整頓がきれいにされていました。

穏やかな民族性を感じました。こういう形態のコニュニティーは、素敵だなと思いました。


車でバンガーに着き、そこからまた水上タクシーで1時間弱走り、バンダルスリブガワンへ戻り、そこからまた車でホテルに戻りました。
ホテルに帰ってきたのは夕方5時半くらいだったと思います。

それから、一休みして夕食のために繰り出しましたが、まずは散策。
IMG_0186IMG_0187IMG_0190IMG_0191IMG_0192








ホテルがリニューアルした為か、息子Kaiだけwifiが使えずに、ホテルの近くのケンタッキー・フライド・チキンの店のあるショッピングモールに入りWIFIに繋いでいろいろな作業をしなければなりませんでした。
私のiphoneは問題なくつながっていたので、フードコートでの食事は嫌でしたが、私たちは日本でも両替が難しいブルネイのお金を両替を少なくしていたので、キャッシュの持ち合わせがなく、一皿の焼きそば?をつつましく親子で食べました。
「わ!いっぱいの掛けそば!?」
カードの使えるレストランへ行こうと言いながらも、重い腰が上がらず、彼の作業が終わるまで待ちました。
なんだか少しお腹に入ったので、もう食べる気がせず、何か買って帰ろうということになり、
スーパーマーケットを見つけて入りました。

ところが、ここもカード使えず、キャッシュのみと言うことで、今度はキャッシュディスペンサーを探して、キャッシュを引き出し、スーパーマーケットに戻り、果物、ヨーグルトなど買い、ホテルに戻りました。

Kaiも私も食が細く、特に夕食は普段あまり食べないので、一皿の焼きそばを分け合って済みました。
「カードが使えないんだからしょうがないよね」「かなりつつましい夕食だね」と笑い合いながら食べましたが、店の中には誰もいませんでした。

翌日は世界で2つしかない7つ星のホテルを見学に行きましたが、ブルネイの裏側をちょっと垣間見た日となりました。

つづく










今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ1

2018,6月の終わりから7月の第1週目の週末まで、マレーシアのコタキナバル、そしてブルネイへ行きました。

コタキナバルまでは、朝成田から出発してその日の夜10時半ごろに着きました。クアランプールからの飛行機の出発が遅れて思ったより時間がかかりました。
コタキナバルホテルに滞在し、翌日は早朝からキナバル自然公園へ車で向かいました。

IMG_0035IMG_0014キナバル山の麓まで車で2時間くらい走り、一休み。
そこから頂きを眺め、それからまた車でキナバル山への登っていきました。

30分くらい登り、車を降りて、キナバル公園へトレッキング。

息子が日本語を話すガイドさん(首狩り族の子孫だそうです)を、この日はつけていて、植物や歴史について説明してくれました。
マレーシアにある日本のある銀行の駐在員をしている若者2人と一緒のツアーへの参加でした。

ランチの時に、マレーシアの経済状況、日本から来る退職者たちの生活について、お喋りが弾みました。
現地に住んでいるからこそ見える現実的な話は、面白かったです。
夢のような暮らしを想像して日本から来るたくさんの人たちが、うまくいかずに帰国しているそうです。
そうですよね。初めて海外暮らしが、そんなに甘い訳がないと思いながら聞いていました。

海外暮らしの経験がある人だったら、多分楽しめるかもしれません。物価は安く暮らそうと思えばできるが、自分で食材や地元のレストランでの対応ができないと言うことは、難しいですよね。

さて、自然公園の中では、ジャングルの中で暮らしていた首狩り族の生活や植物の話がメインでした。
IMG_0027IMG_0024IMG_0013IMG_0028ミッキーマウスの顔の形に似ていると子供たちには人気があるそうです。
名前を忘れましたが、首狩り族は昔、この木の実をろうそくの代わりに使っていたと言うことで、ライターで火をつけて見せてくれました。小さな炎が燃えていました。

籐の籠を作る蔓(つる)で、ジャングルの中で、ターザンのようにぶら下がり木から木へと移った話は子供は同じだなと思いました。 首狩り族の戦いは、トップの人の頭を切り取り持ち帰ることで、他の人たちを無駄な殺し合いから守るためだったそうです。そこから首狩り族と言う種族の名前ができたそうです。

IMG_0009IMG_0161IMG_0120IMG_0144







この公園の中には、有名なつり橋が4つあり、それを渡りながらかなり上まで登っていきました。
途中で豪雨に見舞われましたが、子供のころ、雨を浴びながら、雨を楽しんだ気持ちを思い出し、メンズ3人とガイドさんが嫌がる雨を、「きゃ~~~~楽しいぃぃぃ~」と一人ジャンブルの中で叫んでいました。

麓へ帰るとポーリン温泉があり、そこで温泉に入る予定でしたが、現地の家族連れたちでいっぱいでしたので、ぬる~~~い足湯に少し入っただけでした。

夜、ホテルに帰ってから、ちょっと一休みして夕食に外出しました。
IMG_0150IMG_0078IMG_0148IMG_0163IMG_0160IMG_1252IMG_1253IMG_1255


















息子リサーチの有名はレストランへ行きましたが、中国語しか話さない女性の呼び込みに促されて、まず食材を選ぶエリアに行きましたが、中国語は全く分からず、しかたなく違う店で食材を選び、料理方法も選択し、やっと料理の注文ができました。
広い市場風の建物の周りに食材を選ぶ店が並び、中心にはステージがあり、首狩り族が鳥や獣を毒矢で狩猟した様子のダンスや火を噴くパフォーマンスのショーが演じられていました。

夕食後は、近くのナイトマーケットへ行きました。平日の夜、10時前だったので、多くの店は閉まっていました。

翌日は、コタキナバルの街中を散策。

IMG_1258IMG_1259IMG_1267ホテルは中国にあるような巨大ホテルに滞在でした。

日本人は会いませんでした。






IMG_1262IMG_1264IMG_1265ホテルの周りにはマーケットがあり、ショッピングモールが3つくらいありました。
でも、そのモールの中の店の多くは閉まっていたりして、閑散としたモールもありました。

こういう状況から経済の状況が見えますね。

海の近くのレストランは、かなりの高額で、貧富の差が垣間見えました。
IMG_1269IMG_1270IMG_1271
午後4時過ぎのフライトのために空港へ行き、ラウンジで遅いランチを取りました。
機内食は、最低な味で、食べれるものがないので、ラウンジでの食事がとれて良かったです。





夕方17:30くらいにブルネイ、バンタルスリブガワンエリアに到着。

IMG_0052IMG_0058IMG_0110IMG_0068IMG_0080

IMG_0091IMG_0137老舗のブルネイホテルは、改装しモダンなデザインにリニューアルしたばかりだそうです。

久々にモダンなデザインのホテル滞在でした。
オレンジの差し色とブルーがきいていました。





IMG_0115IMG_0106IMG_0101夜、街中を散策。 安全面には問題がないとの情報でしたので、親子でフラフラ街中を散策しましたが、ホテルの近くにある黄金のモスクがライトアップされていました。
湖の中に浮かんだ輝いている建築物は、雨の中でしたが、非常に美しかったです。

モスク周りが公園になっていてごみ一つ落ちていませんでした。
国民から尊敬と愛を受けている国王がそういう政策を出しているそうです。

石油で潤っている国、ブルネイは、学費(大学まで)、一生涯医療費、所得税など一切無料だそうです。所得税も無料?信じられない!の言葉しか出ませんでした。

IMG_0145IMG_0093モスクの中には入れませんでしたが、入り口の近くに集まっていた男性たちに写真を撮らせて欲しいとお願いすると、「いいよいいよ、入ってきなさい」と言ってくれたので、入り口から写真を撮りました。

真っ白い壁と天井、金の装飾が美しかったです。
この美しが、貧しい人たちの犠牲の上に建ったものでないことを祈ります。



翌朝は、早くから・ブロン国立公園へ向かうために港へ向かいました。
つづく

日々を丁寧に生きること

最近、年齢を重ねて特に思うのだが、生きている時間を大切にしたいと思っています。

衣食住は、この仕事に就く前からこだわっていますが、特に子育て中は無添加の食品にこだわり、酵母パンを作ったりしていました。子供のスモックやズボンは大人の古くなったトレーナーを切り手作りし、仕事をずっとし続けてきましたが、住む空間も空気も綺麗に保ちたいと日々駆け足で走り抜けました。 帰宅後、夕飯を作り子供たちをお風呂に入れ、本を読んで寝かせ、その後洗濯を始め、夜干しをし、休みの日には趣味の洗濯を思う存分し、庭の木々、花の手入れをし、食材の買い物をし、デッキを作ったり、よく働いたと自分でも感心します。

休みには、かなり頻繁に友達を招いて、庭でバーベキューをしたり、春夏秋冬の休みには海、スキー、温泉を年間少なくても4回は、子供たちと行きました。

子供たちが独り立ちして自分の時間ができた今でも、手作りの料理にもこだわり続けていて、その時間は充実しています。休みの日の家中の拭き掃除後の気持ち良さを、母が言っていた通り感じている自分がいます。

一つだけあんまり好きじゃない事、それは服などを買いに行くことです。時間がもったいないので、必要だと思う物を最短距離と時間で購入する。何かのついでに目に留まったときに購入するという生活で、衣替えの時に捨てるものを必ず見つけて思い切って捨てると言うことをしています。
無駄なものは持たないと言うことを心掛けていますが、それでもいろいろ溜まっていきます。
日々の掃除、洗濯、料理をしっかりすることは、丁寧に生きると言うことと母から教わったと思います。働く姿でそれを伝えてくれました。

さて、そんな生活が日々流れていますが、カンボジアの孤児院の子供の一人が今、日本で働いていて彼に会ってきました。

IMG_0964IMG_0965名古屋の会社で働いているリスからの連絡で、今百合丘に出張で来ていると言うことだったので、仕事が終わった後、車を走らせ、百合丘まで向かい、夕ご飯を一緒に食べました。

22歳になったリスは、一生懸命日本語を勉強しながら名古屋の塗装会社で働いています。

シャイで言葉数が少ない子だったけど、質問攻めの私の言葉に、日本での仕事は楽しくて、社長さんはいい人。日本に来るのに50万円かかったので、今少しずつ返していること、自炊していること、彼の兄弟は8人いること、貧しいかったので親が孤児院のスントンさんに連絡して自分が孤児院に入り、学校へ通ったことなど片言の日本語で話してくれました。
そして愛の素が大学の学費を送っていたチュンライも6月か7月には日本に来ること、出張は6月末で終わること、チュンライは結婚して子供が二人いること、彼が日本に来たら彼も奥さんたちもさ寂しい、、、等々、あっという間の時間が過ぎていきました。

リスが、孤児院での思い出話をしはじめて、
私が教えた「友達を描こう」という授業で、仲良しの友達同士二人組になってお互いの顔を描く授業をしたとき、彼が「あなたを描きました。」と言ったので、私も彼を描いたことを思い出し、「そうねそうね、私はリスを描いたわね!それからサッカーでヘディングした時にリスと頭とおでこがぶつかり、私のおでこに大きな大きなたんこぶができたの覚えている?」と聞くと笑いながらうなずいていました。おでこに手をやり「こんなに大きかったね!あのたんこぶ!」
「あんな大きなたんこぶできたの初めてだったのよぉ~。でもぶつかった時に、君が心配してソーリー、ソーリーと何度も言ってくれたわね。優しい子だったわね」と言うと嬉しいそうな笑顔が返ってきました。

それから他の日本人は覚えていないけど「あなた、覚えている。忘れない」と言ったので、可愛すぎて「ママも覚えているわよ、リスのことも皆のことも」と言いました。
それから、他の友達のこと「スレイレン?ソムナン?チャック?セイハ?スレイモン?リナ?・・・」名前を挙げるとリスもそれぞれとの出来事を思い出したようにゆっくりうなずきながら笑いました。
最後に、彼はちゃんとした留学研修生証明カードを見せながら、後2年でカンボジアに帰るので、頑張りますと何度も言っていました。

孤児院の子供とこんな風に日本で会うことを全く想像したことがなかったので、不思議な気持ちで彼と会いました。小さかった彼が22歳の大人になっていたことにも驚きましたが、片言の日本語での会話ができたことにも、嬉しさと感慨深い時間でした。
一端にビールやカクテルを注文したリスは、日本に来る前にバーテンダーをしていたので、カクテルを作れると自慢気に言っていました。私は心の中で「大人ぶっちゃってぇ~」と微笑ましく聞きました。
そして、6月中にまた会うことを約束して、その夜はさよならをしました。

リス、私の生活は忙しくて君にいつ会えるか約束ができませんでした。でも会いましょうね^^6月末までには。


本当は、4月が誕生日の友達が忙しくて時間が取れずにお祝いするのが遅れていました。
でも、先日の水曜日に、彼女を相模湖駅でヒップアップして藤野芸術の家へ行き、サンドブラストをプレゼントしました。
形残る思い出の物がいいなと思っていたことと、私が以前作ったワイングラスを来客に割られてしまったので、補充のために作りたいと思っていたので、誘いました。
何かをオリジナルプレゼントは、書:短歌を差し上げただけでしたらいい機会になりましたと、彼女が言っていました。

IMG_1017IMG_1018IMG_1020友達が送ってくれた薔薇の写真をモチーフにしてその場でラインをカッティングしてオリジナルデザインのワイングラスを作り、贈りました。

彼女はご主人と自分のビールグラスを、作りました。

芸術の家には、たくさんの種類のシールがあり、それを貼地「切り取ればできるようになっています。
IMG_1107IMG_1108そこで彼女が選んだのは、フェニックスのシールをご主人に、そして自分用には可愛い花のシールを選んでそれを貼ってサンドブラストで削りました。

フェニックスの後ろには小さなエンジェルを貼り削りましたが、彼女が削り、黒い汚れのようなものが付いていたので、二人で変ね~???

私も「可笑しいわね~、何????この黒い物、私の方の機械でやってみるわね」と言って彼女から受け取り、私も削ったので削り過ぎてしまいました。

もう何度も来て作っているのに、削り過ぎるという危うい間違いを起こしてしまいましたが、それでも出来上がった彼女作の夫婦グラスと私作のワイングラスに大満足してくれたので、思い出に残るプレゼントになり、とっても嬉しかったです。

カッティングしているときは、お喋りな二人が物凄く集中していたので、無口になりとっても静かでした。


さて、先日、貸している家の外装工事を始める前に、自分で作ったデッキを壊すことにして、朝10時から12時半くらいまでかかって、腐ってしまったデッキの解体工事をしました。
またその日、軒天の補修も下職さんの石井君に依頼して直してもらいました。

IMG_1049IMG_1048モモンガか何か動物が軒天をかじって穴をあけていましたので、そこを切り取り、新しい軒天を貼ってもらいましたが、石井君が軒天を直して間に、
子育てをしたこの家を現在は貸し出していますが、貸す前に毎年11月の連休に塗装というメンテンンスを自分でしていました。
そして、もう何年も補修やデッキ作りは、プロの力を借りながらも自分で作ったデッキでした。

腐っている部分は3枚ほど、手でバリバリとはがせましたが、しっかりついている部分がほとんどでしたので、のこぎりで切れ目を入れて、バールを釘のところに差し込み、金槌でバールを叩き、バールの上部を足で押してはがしていきました。
IMG_1052IMG_10563.9mのヒノキ材を貼ったので、途中で切らないと1枚では剥がしにくかったので、そうしましたが、先日ろっ骨を痛めたので、かなりきつかったです。
殆ど剥がし終わり後、2,3枚残しで軒天張りの作業が完了した石井君にバトンタッチし、私は軽トラに廃棄処分の木材を積み込みました。

さすがの石井君は、電動丸鋸で一瞬に切り込みを入れてはがして完了しました。


それから、市内のごみ処分場へ持ち込む前に「まあさの家」でランチを食べました。

IMG_1059IMG_1060彼も若い時から知っていますが、もうすっかり大人になり、自分の会社を持っています。

金髪だった髪は結婚して子供が生まれ黒髪に、そして初めて会った時から8年、いつも変わらずに丁寧な対応です。
素敵な青年になりました。

ちなみにランチはオムライスにコーンスープ、サラダでした。デザートはラムレーズンのアイスクリーム。
美味しかったです。いつもながら食べ終わってから「あ!!!!写真撮るの忘れちゃったぁ~」
です。

ですから、ご紹介できずに残念です。

さて、日本では、自分で家をメンテナンスすることはできないと思っている人が多いですが、エジンバラに住んでいるとき、リバプールに住んでいるとき、近所のおばあちゃまたちは、自分でガレージドアを塗るとか、階段を塗るとか、いろいろやっていました。
可愛がって綺麗に住むということへの意識が高かったと思います。日本でも、そういう意識が育つといいなと思います。
それも自分の人生を丁寧に生きることにつながるんだと思います。

そして日本では、年齢を気にする人が多いですが、私は仕事で現場からの廃材の運搬もしますし、自分できることは自分でやろうと思っています。
要は気持ちだと思っています。やろうとする気持ち。得意不得意はありますが、子供たちにやる前に諦めないでと言っていたので、その私がそういう態度は取れないと思っています。
信頼は、行動からです。

お母さん、私は日々の生活を丁寧に生きていますか?

やってから物を言いなさいと言っていた両親の言葉は、私を強く突き動かしていますが、生活の一つも丁寧に生きられない人が何を言っても絵空事、重みがないこと、身の丈の生活をしっかり自分の足で立ち、続けていくこと、継続は力なりと言っていた言葉が、一ヶ月前に過ぎた母の日から、父の日を迎える今、そっと思っている私です。
























生きている時間


2月、3月と私のライフワーク(NPO法人愛の素・AINOMOTO    http://ameblo.jp/ainomotoainomoto )のカンボジアの養護施設の子供たちの教育支援の決算月で、事業報告書等の作成をし、提出しました。英語学校に行き始めた新しい3人の女の子たちは、みんな素直でまっすくに生きています。
Hoeun Athida, age 16years old,IMG_0615小さい時から見てきた子たちが、訪れるたびに大きくなっていき、今ではすっかりティーンエイジャーになりました。
施設を出て働いている子たちからかかってくる電話はFacebookでの電話です。今の生活について話してくれます。
そしてfacbookで、いつも「Thanks Mom」と書いてきます。  何をしてあげたわけではない子たちから「ママありがとう」の言葉。
 
でも、それを見るたびに、8年間、継続は力なり、と手探りだけど頑張ってきてよかったと思います。

彼らの学費は、フォスターペアレントさんたちからご支援をいただき、学校に通うことができていますが、国からの補助も得られないカンボジアの養護施設は、フン・セン大統領とその身内による独裁政権と共に、私腹を肥やす政府役人たちは、自分たちばかりが良い生活をすることに夢中です。
時々、言葉を失い、無力感に襲われますが、現在9人の子供たちの学費をおくっていることを考えると走り続けないといけないと思います。

そして愛の素には新しいメンバーが増えました。

IMG_0605IMG_0607IMG_0608IMG_0604竹田悦子さんからご連絡をいただき何度かお会いして、いろいろお話してメンバーになってくださいました。

可愛い圭君は、歯が生え始めたようで、私の指をカミカミ。

悦子さんはアフリカ支援をしていた方です。現在中学校の英語の先生です。
彼女と日本と海外での人の生き方の違いや価値観などについて話、アフリカもひどいけどカンボジアの子供たちの方が、酷さの質や内容が違っていますねと言われ、いつ会っても興味深い会話ができ、時間はあっという間に過ぎていきます。

檜山さん1哉子さんも今年に入ってからメンバーになってくださって、そしてフォスターペアレントにもなってくださっています。

私の仕事を通しての出会いですが、長いお付き合いをさせていただいています。
福祉のお仕事をしていらっしゃるので、日本の社会が抱えている老人問題、子供たちの問題にも問題意識が高くて、話をしていると私が気が付かなった置き去りにされている老人たちの生活の様子など知ることができ、未来に、カンボジアの子供たちに日本に来てもらい助けてもらうこともあるかもと思いっています。
愛の素もいつか、そういう仕事を子供たちと広げることができたらと願っています。

125899IMG_0591ロザリンは、カンボジアで子供の養護活動をしているNGOのデボラからの紹介で出会いました。彼女は日本人の建築家のご主人と、お子さんが2人と日本人に住んでいます。
お休みに日に、二人で美術館周りをしながら、お喋りをして、お互いの人生や子供たちの人生やなどをお喋りして、すっかり仲良しになりました。新しい出会いでした。



さて、それから
時々、保育園からの同級生から、庭で咲かせている様々な花の写真が送られてきます。輝いている花たちを見るたびに、いつも元気をもらいます。
そして、友達のその気持ちに心が温まります。最近送ってくれた美しい花たちを公開しますね。
気品がある花、可憐な花、、、、どの花も生き生きとその美しさを放っています。

IMG_0700IMG_0701IMG_0707IMG_0708IMG_0709IMG_0710IMG_0711IMG_0882
IMG_0883IMG_0884

















先日の休みにケリーとシドニーをランチに招待しました。ケリーとシドニーは、ママと娘。
ランチは、サラダにサーモンパスタ。いつもの簡単ランチです。   ごめんね。
IMG_0676IMG_0682IMG_0679ケリーがキャラメルケーキを焼いてきてくれたので、ソイカプチーノを作って美味しくいただきました。

シドニーは、とっても落ち着いている子で、彼女と私の夢が同じだったことに、2人でウンウン分かる、そうだよねと、喜びを分かち合いました。ちなみにその夢は馬を飼って乗ることです。
いつかそんな暮らしをしたいと願っている二人です。

 私は、今、愛の素ができる現地での経済的自立支援を探っていますが、先日いつもご協力をいただいている花咲爺様のお宅へお邪魔して、養蜂事業の調査結果のお話しを伺いました。
IMG_0683ひょんなことから、養蜂事業に目をつけて、経済的自立をの展開を
計画中で、リサーチ中です。
ですから、花咲爺様が養蜂をされている方にお会いして下さった結果のお話を伺いに鎌倉まで行きました。

花咲爺様には、いつも、暖かな視線で見守ってくださっていることに感謝しています。




IMG_0688先日、アメリカやカンボジアにご一緒した田中さんご家族から、連絡があり、息子さんの誕生日と私の友達のアンちゃんの誕生日を一緒にお祝いしましょうとお声をかけていただきました。




IMG_0691IMG_0687今はアンちゃんも田中さんご家族と友達になりました。
メニューは、私が伝授したタコスでパーティー~~~





IMG_0695IMG_0694新緑の美しい季節に、お庭でランチパーティー。

このエリアに引っ越してきて以来、庭でのパーティーができなくて、心が緑を求めていましたので、癒されたランチタイムでした。






547816114.61441IMG_0862先日の母の日には、上の子からお花が届きました。

下の子は、仕事が忙しい中、来てくれ、夜は近場の温泉で日ごろの疲れを取りました。 
翌朝、朝ご飯の後に、今年の親子海外旅行はどこにする?との会話になり、そして数年前の台湾への親子旅行の思い出話になりました。

大雨の中を1本の傘を差しながら延々と続く海岸線通りを歩いて見たかった建築のある場所へ行ったこと、途中の美術館が閉まっていたこと、
あの時、地図を見ながら「近いから歩こうよ」と言った息子の言葉を信じて歩き始めて、でも歩けど歩けどたどり着かず、橋を渡るときにビショビショに濡れて、海から押し寄せつ海水に打たれ、途中の休憩する東屋で休憩しても、濡れて、そこからまた歩き、向こう岸の町にたどり着き、歩くのをやめてバスを捕まえてバスに乗ったら、遥か遠かった目的地。  
目的地に着いたら雨が上がり、今までの豪雨は何だったの?と、二人でぽか~~~~んとしてしまったことを思い出し、大笑いしました。

仕事の大変さや忙しさから痩せている息子の身体を気に病んでいる母です。
野菜を食べている?運動はしている?今付けた体力は、残るのよ。。。なんて言っていますが、クレー射撃、付き合いゴルフを趣味にしている息子に必要なのは、しっかりした運動なのにと心の中でつぶやく母です。彼の一番の趣味は、温泉で癒されることですが、おじいちゃんみたいだから、まず身体鍛えて欲しいと願っています。
まだまだ温泉巡りをするには若過ぎますよ~~~と心の中で叫んでいる母です。(でもそうしないと乗り切れないのかな?とも思っています)

それから、先日、休日を利用して、愛の素のメンバーのこうこさんを訪ねました。
こうこさんから、愛の素の活動に興味のある人がいるからぜひ紹介したいと以前から言われていました。
彼女は宝塚に住んでいますが、いつも彼女がこちらに来て活動の手助けをしてくれます。
私は初めての宝塚でした。
ホテルは400年以上の宝塚ホテルに滞在しました。素敵な歴史のあるホテルで、あと二年したら解体されるので、違う場所に現在建築中です。

翌日は、姫路城へ足を延ばす予定でしたが、宝塚近辺も面白くて、姫路城は次回にしました。
宝塚劇場を見学し、天海祐希さんが行き付けだったお好み焼き屋さんでランチをいただき、その後、手塚治虫記念館へ行きました。
息子が大好きだったブラックジャック。私が大好きだったアトム、リボンの騎士、ジャングル大帝レオ、どれもこれも子供の時に夢中で見た漫画です。可愛いキャラクターたちに出会い、生きているような気さえしました。
偉大な手塚さんの品位と人間性が伝わってくる記念館の中で息づいているキャラクターたち。どの子もみ~~~んな大好きでした。子供の時のワクワク感が蘇ってきた時間でした。

IMG_0848IMG_0845IMG_0821IMG_0822IMG_0823









IMG_0830IMG_0832IMG_0836IMG_0837IMG_0841








IMG_0840IMG_0843


館内を興奮気味に見て回った私です。
そんな様子をこうこさんが「良かったわ、こんなに喜んでくれて」と言っていましたが、こうこさんといっしょに歩く街中や紹介された人たちにお会いするできたこと、一緒にビールを飲みながらお食事すること、どれもこれも楽しかったです。
私たちは同学年。
愛の素の活動も、一緒にもう長いです。彼女は立派なお母さんで、4人の子供を育てました。
その愛情をたっぷり受けて育ったお子さんたちは、皆さん立派に育っています。
それは私とって尊敬です。

さて、その後は高級住宅街のあるエリアが、息子さんが通った高校の上にあるからと言うので、そこにも行きました。
建築の勉強です。
行きは歩いて公園を通り抜け、住宅がある山まで登って行きました。
IMG_0893
新緑が萌えていて、公園では学校の遠足で来ていたたくさんの子供たちが歓声を上げながらお弁当を食べていました。

美味しそうなお弁当と子供たちの明るい元気な声が響き渡る公園で、私もつられて木登りをしようとしましたが、登ぼれませんでした。
やっぱり足場とは違う~~~。


生きてる時間は思ったよりずっと短くて、私の1時間、1日、そして1年は、忙しく過ぎていきます。
どの人にとっても同じように時間が過ぎていきます。

仕事での新しいお客様との出会い、そして完成、その後の長いお付き合い、それだけではなく生きている時間の中でいろいろな人たちと出会いが重ねられていきます。
それはどれも自分を見つめる、貴重で大切な出来事です。

出会った素敵な人たちは、私の心の中に、一瞬や長いお付き合いの中で、思い出を綴ってくれます。

緑が萌えている木々を見上げながら、風の音が通り過ぎていくのを聞きながら、光の中でお喋りを交わしている小鳥たちの鳴き声を聞きながら、空を見上げて洗濯物を干しながら、
出会った人たちとお喋りをしながら、一緒に汗をかきながら、

生きている時間は重なっていきます。

ありがとうの言葉が暗くならずに汚れずにそのままで進んでいくように生き続けたいと思っています。













恒例の親子温泉旅行

今年も1月の終わりに、お正月は毎年海外の私のために息子が誘ってくれる温泉旅行に行きました。
前夜に研修がありその足で来た息子と、朝はちょっとゆっくり目に起きて、彼が大好きな修善寺の菊屋さん(https://www.hotespa.net/hotels/kikuya/)へ向かいました。

ちなみに彼はこの老舗旅館は好きすぎて10回以上行っているそうです。古い建築が大好きで落ち着くそうです。
私は確か3回目だったと思います。初めて来たときと二回目は虹の郷へホタルやライトアップされた景色を見に行きました。
また、菊屋さんは夏目漱石が療養した旅館ですが息子は、おばあちゃんの家みたいで落ち着いていいよねと。
木枠のガラス戸や廊下などの古さがちょっとだけ似ているだけですが、小さな子供のころ夏休みに滞在した時の思い出と重なって、懐かしい素敵な思いに浸れるのかなと思っています。

到着後は、ウエルカムティで迎えられます。
IMG_9911






今回のお部屋は、
IMG_9914IMG_9915IMG_9916IMG_9917IMG_9920









IMG_9918IMG_9921IMG_9919IMG_0010








職人さんの手の味わいがたっぷりの手すりなども、やはり暖かさと落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。



IMG_9923IMG_9924IMG_9925IMG_9926IMG_0009










私たちの部屋の前の廊下と階段には、こんな手摺が。
そして到着後、部屋で一休みしてからいつもだったらすぐにいろいろな種類の温泉があるので、まずは温泉にへ入りますが、

この日は、かなり早く着いたので、修善寺や竹林の道へいつものように散歩に出ました。
IMG_9929IMG_9931IMG_9932IMG_9933






IMG_9930IMG_9935IMG_9936IMG_9937IMG_9939








あれれ?以前来た時は、こんなお坊さんの像があったかしら?

IMG_9941IMG_9942IMG_9943面白い顔のお坊さんたちの像を見て回りました。
「あ!いるいるこんな顔の人ぉ~」

それから、鐘を横目で見ながら
31日に来て除夜の鐘を突きたいね、今あそこへ行って突いたら怒られちゃうかな?
と子供のようなことを言う母。
息子はちょっとあきれ顔でしたが、やってみたら?
誰かが飛んできて怒られるよ、やっぱりね。
と。

そりゃそうだよねぇ~時間も決められているだろうしねと、当たり前の会話を交わしながらお参りした親子でした。

IMG_9945IMG_9948IMG_9949IMG_9952









Kai君が道で日向ぼっこをしていた猫ちゃんを撫でて癒されていました。
母は「病気があるかもしれないから素手で触らないほうがいいわね」と、冷めたことを言いました。
猫からの病気で亡くなった方がいたニュースを見たばかりでしたから。

IMG_9953IMG_9954IMG_9956IMG_9958IMG_9960









梅がもう春を呼んでいました。
Kai君がこっちのほうがきれいに撮れるアングルだよと。
真っ青な空と梅、綺麗でしたぁ~。

それから温泉にゆっくり入って、夕食をいただきました。
IMG_9964IMG_9965IMG_9966IMG_9967







日本のこういうプレゼンテーションには、いつも感心します。 
IMG_9968IMG_9969IMG_9970IMG_9971






ちょっと残念だったのは、味付けが濃くなっていたことです。
IMG_9972IMG_9973IMG_9974IMG_9975







IMG_9976これが夜のコースでしたが、いつもと同じで食べきれない量でした。

翌朝、カフェで前にいた中年の姉妹のお姉さんが”味がちょっと濃くなかった?”と話していました。始めてご家族みんなで来て、”呑み助がほとんどだからそれで良かったんじゃない?私はおいしかったよ”と妹さん。

そうかぁ~飲む人は、ちょっと濃い味がいいのねと一人納得して話を聞いていました。
でも菊屋さんは、やっぱり素敵な旅館です。現在建て替えに進んでいるそうです。すべてが新しくなったらちょっと残念ですね。

IMG_9978IMG_9979IMG_9985IMG_9986IMG_9990









こういう文字のデザインも味があります。
IMG_9991IMG_9992IMG_9993IMG_9999IMG_9995









部屋のネーミングもいいですね。
IMG_9987IMG_9988IMG_9989IMG_9980






IMG_9981IMG_9982IMG_9983IMG_9984






息子曰く、時々ここにきてリラックスをしないと身体と心が持たないよと。
そうね~そういう時間を持てることに感謝です。

IMG_9994IMG_9996IMG_9997IMG_9998IMG_0001









IMG_0002IMG_0003漱石が滞在したころから変わっていない創りに歴史を感じます。
夕食後はTVを見ながら眠っていました。
そしてKai君に”夜泣きそばの時間だよ”と起こされ、
恒例の夜泣きそばを食べましたが、Kai君のを少しもらいました。

それから、日ごろの疲れをとるかのように朝まで約7時間半爆睡でした。
良く寝るなぁ~といつもながら感心します。



IMG_0004IMG_0005IMG_0007IMG_0008







夜、二回朝二回、温泉に入り、11時にチェックアウトしました。

IMG_0011いつも幸せな時間をありがとう。
今回は、小田原の新幹線乗り場で、kai君は慌てて乗り込みました。
じゃぁ~ねぇ~と手を振ってホームへ走って行きました。

あれれ、どこかで一緒の写真を撮ろうと言っていたのに、、、、。

思い出の二人の写真を撮っていませんでした。
ラインで、またいつでも撮れるでしょと。

そうだけどぉ~。。。。

ま、感謝感謝です。

イタリア・アルベロベッロの旅 最終章

IMG_2167旅は建築だけではなく、生活、そこに生きる人たちの人生、文化、歴史、価値観など、そして裏側に潜む問題、経済状況、犯罪、社会問題、教育問題などなど、知りたい事にばかりで、いつも時間は足りません。
そこでの出来事や考えた事、感じた事、出会った人たち、見た物全てが記憶に刻まれ、訪問や滞在した55以上の都市や国々での景観や経験は、きっとどこかで今の私を作っていると感じています.
また、それらすべてが私が手掛けるデザインや建築に向かう姿勢や引き出しにしまわれていて、いつでもだせる状況を生んでいると感じています。

日本の価値観が世界各国の価値観にはならない事は、初めてアメリカに行ったときにしっかり考えさせられたし、それは目を開かせてくれた事実でした。

だから
色々な国に行っても、誰にあっても、まず知りたいと言う思いがあり、自分の考えや感じた事をしっかり伝え、コミュニケーションを通して理解し合えることへの努力を、まずしようと思っています。それが本当のつながりを生み出し、生き抜く力になる事を実感してきました。
目をそらさずに人や出来事に向かい合って、正直に、そして人は理解し合えるという根底にある思いを失わずに、でも時には毅然とした姿勢が必要な時もありましたが、みんな愛する人や家族への思い、悲しみは同じように悲しみであり、幸せは同じように幸せでありました。
歴史や文化、価値観が違っても人は同じようなことで嬉しいし、幸せだし、悲しいし、辛いし、そしてその乗り越え方が文化、習慣、歴史、環境などに影響された価値観によって違うこともありますが、前を向いて生きることの素晴らしさに動かされる気持ちは変わらないと思っています。
また、甘いと言われてもそう信じたいです。

この旅の間、夜は部屋でゆっくり過ごすことができ、色々なことを考える時間を持てました。また立ち寄ったレストランでの対応等について価値や習慣などについて考えることが多かったです。

IMG_2145お一人様は嫌な顔をされるレストランで、ゴジゴジでゆでられていないパスタをゆでて欲しいと作り直しを依頼し待っている間、その時にかかっていた音楽は郷ひろみの哀愁のカサブランカでした。
あれれ?どっかで聞いたことがあるメロディ。。。なんだったかしら? 
あ~~~ヒロミ・ゴーの曲だ!と思いながら、向上心について考えていました。
この町に住む洋子さんが言っていたように、ここに住む人たちは、面倒くさいという表現が生活習慣に染みついていて、日本の競争社会の中で切磋琢磨しながらより美味しい食事を提供したいと追及し競争社会に勝ち抜いていく道しかない日本社会の中で戦っているレストランと、茹でられていないパスタ麺を面倒くさいからとさっさとだしてしまうことが許されている社会。
どちらが、生きやすいかと言えば当然、後者の方で、できれば何も考えないで変化もなく過ごしていくことの方が幸せなのかも知れないのかもと思いました。

でも私はそういう社会では生きられないな、世界一と言われる日本のサービス社会の根底にあるのは、おもてなしの気持ちから発展した文化、習慣だと思うけど、同じような価値観が世界の国々に当然ないのは当たり前だけど、食べる人の気持ちを考えて作る気持ちは持ってほしいと思っちゃいました。

この日、この食事の後に、また町を回りましたが、頭の中では”哀愁のカサブランカ”が流れ続けていいました。


IMG_9693今回のアルベロベッロは、とっても見たかった、滞在したかった町でしたが、建物以外かなりがっかりすることが続きました。

31日の夜、外でドンドン壁を叩く音を聞きながら、怖さをかき消すためにワインを飲みながら、デザインのTV番組にも飽きてTouTubeで音楽を聴き始めました。

現在の玉置浩二のメロディや、EXILE ATSUSHIのオーマイリトルガール、最後の雨などの歌を聞き、ふっと本物と偽物について考え始めました。

時間があるってこういう時間を持てるんだなとも、しみじみ感じました。
 
二人の歌を聴きながら薄っぺらな歌、ドラマが嫌いだとまた改めて思いました。
本物には、純粋さがあり、それは厳しさと責任の重さがあり、自分だけが純粋だと思っているような薄っぺらさではなく、自分もしっかり傷つく覚悟と強さと人を傷つけることから逃げずにしっかり向き合う純粋さだ上っ面の綺麗事はすぐ禿げるななどと思っていました。
 こういうラブソングやドラマなどで、「君を守る」と自分の力を過信して簡単に言う安い男、守られたいと虫のいいことを思い過信するバカな夢をみる安っぽい女たちのことが頭に浮かびました。
愛は作り事じゃない。本物は厳しさがある。
歌に対する真摯さが伝わる。
厳しさが伝わる。
嘘やごまかしのない強さ。
だから、ATSUSHIの愛燦燦の歌が心に伝わって来て、はじめて愛燦燦という歌をじっくり聴きました。
また、歳を重ねた玉置浩二のメロディ、
”・・・・あの頃は、何もなくて、それだって楽しくやったよ、 メロディ~いつのまに 大切なものなくした・・・”
心に染み入る二人の歌を始めてしっかり聴き、そしてこれは本物ねと。
 彼らを知らないけど、歌に対する真摯さだけは伝わってきて、その生きざまには人に対しても嘘や作り物でなく真剣に向かい合ってきたんだと感じました。
だった一つでもそういう物を持っている本物の美しい心を感じ、ちょっと酔って眠りました。

恐怖と闘いながら、ワインと二人の歌に微睡ながら、考えたこと、しっかり心に思い出として刻まれたと感じました。

2017年31日の夜、新年のご挨拶をラインで送り、「あら?父が亡くなったのにご挨拶はいらなかったのね」と気が付き、日本の常識さえ身についていない自分に苦笑しました。

それから、また爆睡。アルベロベッロに来てこんな時間が持てたこと、ちょっと嬉しく感じながら素敵な歌に包まれて眠りました。

翌日のランチは、

IMG_2162IMG_216326632391-BC0E-4B1D-B026-8DB5A4DD55C5IMG_2161









IMG_21648日間の滞在中に
お一人様を歓迎して迎えてくれた二つ目のレストラン。
スタッフも素敵な笑顔と私のオーダーへの対応もとっても良かったので、チップ弾みました。




そして、帰国の朝、5時にお迎えのタクシーが来て1時間かかってバーリまで行き、チェックインをして、予定時間より少し遅れて出発をして、確か2時間~2時間半くらいでミラノに着きました。

ミラノで乗り換えだったので、チェックインカウンターに行くと私の飛行機は、到着した空港からは出発せずに、ここからバスで1時間離れた空港から出発だと言われました。

きゃ~~~あと3時間半はあるけど、バスの乗車ホームを探しながら空港の外でキョロキョロ。バスの出発時間も調べなくちゃと思いながら、バス停を探し始めました。

すると、お客をキャッチする身体の大きな45,46歳くらいのタクシードライバーが寄ってきて、どこへ行くの?
その空港は遠いし、バスはすぐには出ないと言いました。
「いいの、いいのバス停を探しているから」と断ってキョロキョロ。
「距離もあるし渋滞になったらバスは進みずらいよ」と、また言ってきたので「じゃ、タクシー代はいくらなの?」と聞きました。
飛行機に乗り遅れたら大変だと焦りが出てきました。

1時間のタクシー代は、アルベロバットからバーリまでのタクシー代を考えると片道75€と思っていましたが、45€だと、そのドライバーは言いました。
「じゃ、45€ね!絶対にそれ以上は払わないわよ」と約束をして乗り込みました。道の状況もよく分からないので渋滞にはまったら遅れるから3時間を切ったので急いで決断したほうが良いと思いました。

ドライバーはすぐに車を出し走り始めました。
そして1時間ミラノってこんなに離れた空港もミラノ市内なの?と思いましたが、バーリから私が乗った飛行機はミラノの隣のベルガモ市郊外にあるオリオ・アル・セーリオ空港に着いたので、ミラノのアルペンサ空港へ行かなくればならなくなったようでした。
雪が山々を覆い、いくつかの町の中心を通り抜け、本当に1時間かかってアルペンサ空港に着きました。

料金を払おうとしたら、ドライバーが急に「168€だから」と言いました。
荷物を先に下ろし、私の荷物を握りしめたドライバーと、車外で「いやいやあなたは45€って約束したじゃない!」と押し問答。
近くにいたイタリア人家族のお父さんらしい人に助けて視線を送っても薄笑いしか返ってこず「あ~~~やられているんだな、でも自分には関係ないことだから面倒なことに首を突っ込むのはやめよう」
そんな表情で、私を見ていました。

何度も押し問答して、結局150€を払いました。
ホテルの予約したドライバーも片道75€、迎えと送りで150€を払いました。でもそれはホテルの利益が乗っているからで、このドライバーがまたセーリオ空港に帰り、多く見積もったとしても45€で、往復90€でいいのに。。。。
約束は45€!どんなに言っても荷物を渡してくれず、早くチェックインをしないとと言う焦りもあり、結局150€を払いました。
車内でイタリアの政治について聞いた時に「自分は右翼で、戦争難民の受け入れを拒否したいから、今度の選挙で、拒否している右翼政党に投票する。イタリアの政治は右翼化していて、とっても嬉しいよ」と言った男。イタリアの貧困、中国人や中国企業への依存、日本のサッカー選手、色々な話題を話して楽しそうだった男。
でも、お金に汚いイタリア人が立っていました。
コインランドリーもそうでしたが、お金に汚いイタリア人が多いと今回の旅では思いました。
数年前にローマに滞在した時は、ポンペイへのツアー(イタリア語、英語のみ)のガイドさんは、「日本人が好き、日本人の勤勉さがあったらイタリアの経済は、こんなに悪くならなかったし、経済も復活するのに」と言っていましたが、彼女やローマの人たちは、良い人たちばかりででした。
そんな思い出を胸に旅をしたアルベロベッロ、そして経由したミラノ。

でも、それは歴史的な建物に覆われ、旅人を餌食に成り立っていました。
きっとそれは、貧しさの中で、観光客が来始めて、日銭が入る生活が始まり、その経済的な流れに喜び、戸惑い、どうやって受け止めるかの節度がないままに、今この時を過ごしているんだと思いました。

でも、イタリアへは、後10年は行かないと最後に心に刻んだ旅でした。

救われる思いは、レッチェで出会った子供たち。人生にどう立ち向かって行くのか、手探りしている子供たち。
彼らの優しい瞳だけが、今回の素敵な思い出となりました。
それと私が滞在したトゥルッリのあるエリアの入り口にあった八百屋さんの正直さに救われた旅でした。
道を聞けばよく教えてくれるお年寄りたち、どこの国も同じです。

でも、アジアの貧しい国々へは何度も行っていて、ストリートチルドレンや、騙そうとする人たちにはたくさん会いましたが、アジアのような貧困さよりはずーっと裕福なアルベロベッロ、ミラノで、心の浅ましさ、汚さが見え、やっぱりちょっと傷ついて帰国した私です。

アルデベルチ イタリア







イタリア・アルベロベッロへ4

€写真はクリックすると拡大します。

IMG_2117
IMG_2118IMG_2119後半の4日間は、この町をもっと深く調査しようと思い、連日朝食後に部屋に戻り、ジョギングの服装に着替えて走り出しました。






IMG_2144IMG_2147

30日は、まずは町の中心にあるホテルのレセプションへ行き、コインランドリーの場所を聞きました。

そのレセプションからランドリーの方向へ走り出すと、私の後から走る足音が聞こえてきましたが、気にせず進みました。
バタバタバタバタ。

Yの字の分かれ道を右って言ってたよねと立ち止まり、レセプションのマネージャーが言っていたブルーの看板をキョロキョロと探していたら、昨夜、レッチェから帰る道でフェスのゲートにいたおじさん、と言って45,6歳の男性が、私のすぐ横に息を切らし、かがみこみました。

ギョ!何?
すると彼がニコニコと満面の笑顔で見上げて笑いかけてきました。
え?私をレセプションからつけてきたの?。。。 
その瞬間、彼に無言で一瞥をして余裕を見せて走り出しました。
「ついてこれるんだったらついてきなさ~い、そんな走りじゃ私についてこれないから」と内心思いながらもビビっている様子を見せたくなくて、余裕を見せて走り出しました。

IMG_2140日本人の女の子たちは海外でただ日本人だからと言うことで人気があるのを、勘違いして「わ、私モテてるぅ~」と笑顔で隙を見せ、ついて行ったりして犯罪や騙しに合っています。いい人じゃない?と軽く思うのも要注意です。
どの国の人ともしっかり向かい合って話す強い姿勢をかもし出さないと危険な目にあいます。勘違いの日本人女性が多いので、世界に出た時は、より一層注意が必要です。時に若い子の中には、本当に勘違いをして浮かれている子をたくさん見てきました。 ですから、無意識にこういう時の目線の強さと姿勢をはっきり表現することが身についている私ですが、日本の女の子や女性たちにも、そういう自分を守る術を身につけて欲しいと思います。

さて、変なおじさんを置き去りにして、町の中を走る抜け、坂道を下り、坂道を上り、町の外れまで来てブルーの看板を見つけられずに、きょろきょろしていると、向こうから60歳くらいの女性がIpadのチラシを手に歩いてきました。

IMG_9582IMG_9583「すみません、コインランドリーを探しているんですが、ご存じですか?」と聞くとイタリア語と笑顔で「ごめんなさい、英語が分からないの」と返ってきました。多分。
そこで、ジェスチャーでコインを入れて服をぐるぐる回して洗う動作をして最後に「コインランドリー~」と言いました。
すると彼女が笑顔で「ついてきて、一緒に行ってあげるわ」とイタリア語で言いました。、多分(笑)
そして一緒に歩き出し、裏道からランドリーまで連れて行ってくれました。
ランドリーまでの道のり、彼女が持っていたチラシを指して「Ipad?, Iphone?を買いに行く途中なの?」と聞きました。
IMG_9584IMG_9586すると、全く分からないイタリア語で、でも多分「このチラシ?! ただちょっと見に行くだけなのよ~」と言っているかな?と思いました。チラシをカシャカシャ音をさせて振りながら、ぞんざいに扱い、その後も多分「でもIphoneもipadもどんどん新しい物が出てきてついていけないわ、でもそうそろ買わなくちゃと思っているの」と、多分(笑)言っているようなと気がしました。
イタリア語が分からない私に向かってイタリア語でずーっとお喋りを続けながら案内をしてくれた女性に、
「ごめんなさい、イタリア語が分からないの」と苦笑すると彼女もイタリア語で苦笑しながら「私も英語が分からないの」と。多分ね。(笑)
二人で顔を見合わせてクスッと笑い合いました。 心温まる時間でした。

IMG_9588IMG_9591ランドリーの店内で、使い方を教えてくれた彼女に、「今は洗濯物持っていないの、このジョギングの服を汗をかくから後で洗いに来たいの」と告げるとシーシーと。

それから彼女と抱きしめ合ってほっぺにお互いにキスをして手を振り合って別れました。
よし!これで洗濯ができる!と嬉しくなり、(何しろ趣味は洗濯ですから)また走り出しました。

IMG_2141IMG_2157モンティエリアのマリアさんと洋子さんのお店に行く予定でしたので、コインランドリーから町の端を走る道路に出て、街の反対側をぐるっと回って土産物店が並ぶモンティエリアの階段を上り始めました。
すると、さっき追いかけてきた男性がハーァーハァーと息を切らして、急に私の横に現れ、苦しそうにしゃがみ込み、私を笑顔で見上げました。

IMG_2158IMG_2159ゲゲゲ!ついてきたの!
何か言いたそうにしたので、一瞥をして、「そんなに苦しいんだったらなんでついてくるの!」とちょっと馬鹿にした目線を送り、また走り出し、
日本のTVにも出ていたモンティエリアで有名なマリアさんの店に入りました。
入った途端に、彼女に3日前に来た時にまたくるって約束したら来ましたよと言うと、屋根に上がって見て行ってねと。
IMG_9610IMG_9605
屋上に上がらせてもらい景色を堪能しましたが、
先日伺ったときも同じこと言って屋上を見せてくれて、そして「私は日本へ何度も言っているのよ。白川郷とアルベロベッロは姉妹都市で、白川郷の土産物も売っているの。女優の弾***サンもここへ来たのよ」と全く同じ説明を写真を見せながらしてくれました。
日本人が大好きよと。


そして一緒に写真を撮って、こっちからとこっちからと両方から撮って紹介してねと、娘さんも言い出し、撮りました。

IMG_9604
それから商魂たくましく土産物を進められました。やや、閉口気味でしたが、自分への記念のお土産に3回吹くと幸せが来るのよと言う説明に押されて、鳥の笛を購入。

アーティストが作っているのと言う説明にも心引かれちゃいました。
日本円で約5110円、高いけど、もう二度とこないこの町の思い出には丁度いいかなと思いました。


それから洋子さんの店に寄りました。イタリア人の背の小さなご主人が店の前に近ずくと「洋子います、洋子います」と日本語で連呼。
彼女もTVのドキュメンタリーで紹介され、この町で暮らす日本人ですが、彼女にいろいろな質問をしたくて寄りました。
ご主人は私より背が低く、洋子さんは163cmくらいですらっと痩せ型の女性でした。そして洋子さんも屋上に上がって景色を見て行ってと進めてくれましたので、上がらせてもらいました。(facebookには動画で上げてあります。)

まず、レッチェで見た10歳くらいの子供たちの喫煙いついて、問題はないの?と質問をすると、それは個人の問題でしょ!とばっさり。  いやいやそうだけど、学校とか両親とかはどうなのかしら?と聞くと、そういうことについて何も言わないわ、だって個人の問題で学校教育でするのは勉強でしょ!と。そして親もそれは個人の問題だから言わないわと。
なるほど、そういう価値観ね。

それからずっと気になっていたレストランでのおひとり様お断りの対応について、聞くと、それは当たり前でしょうね、一人より一度にたくさんのお客さんが入ってお金を落としてくれた方が面倒じゃないし、一人でテーブルを取るのは、嫌がられるのは仕方ないとの事。
なるほどね。だから断られたり、露骨に一人だというと嫌な顔されたんだと納得。

彼女が、イタリア人の義母との関係を話だし、人生の先輩だし、この国の文化伝統を知り尽くしているから従っているわと。綺麗好きで掃除は徹底的にするのが奥さん、お母さんの務めだから、それにも従っていると。
でも自分の息子のガールフレンドが、息子に対して失礼な態度をとるのはムカッとするわと。そんな時は、はっきり言いたいけど、控えめに言っていると。
イタリアのお母さん、主婦は、家を守ってなんぼだという価値観があるから、お母さんに逆らうなんてできないわと。
なるほど。そういう価値観ね。

彼女の店、このトゥルッリも改築した時、世界遺産だから勝手に改築できなかったけど、職人さんに彼女がここに壁、ここに窓ねと一つ一つ説明したのに、全く違って作ってあったことや、職人が来ないからどうしたかと連絡したら「今日は仕事する気がしない」と言われたと。
ある時は材料がないからできないと言われ洋子さんが一緒に買いに行ったこと。だから建築に詳しくなった事。何にも知らなかったのに!と、

ここには「面倒くさい」と言う方言があり、その文化習慣が染みついていると。
やっぱり。。。。

私がレストランで体験したことや感じたこと、「なにか面倒くさがっている。。。仕事をすることに対して向上心がないの?」と言う思いは当たっていたとはっきり彼女から伝えられました。

毎日を唯々、決められた仕事を楽にこなして人生に変化を持たずに、一日5時間だけ働いで同じような日々を過ごしていくことが一番いいという価値観。

「勉強して何かのスキルを身に付けたいとか思わないの?」と聞くと、全く思わない人たちばかりよ。そういうことは面倒だから、したくないという価値観だとの事。

こんなにも違った価値観の中で生きて、人生を過ごす。それも幸せなのかもしれない。。。
彼女と一時間も立ち話で子育て、日本文化とイタリア文化、息子さんの教育、私の息子の事や、仕事の事などいろいろ話しました。

それから、遅いランチを食べにレストランを探しに、また走り出しました。
IMG_2122IMG_2123IMG_2124



レセプションの後ろにあったレストランに入ると、若い女の子のウェートレスがにこやかに迎えてくれました。
初めて笑顔での受け入れでした。
お隣の人たちが食べているリゾットが美味しそうだったので、同じものを下さいと言うと、笑顔が返ってきて、良かった、嫌な顔されないかったわとほっとしました。
このレストランは初めて美味しいと思いましたが、よくよく後から味を思い出すと対応の良さで美味しいと思ったけど、日本で食べるリゾットの方がやっぱりレベルが上かな?と思い直しました。
それから、またジョギングで反対側を回りました。
小さな路地まですべて制覇して、それから
家に帰りシャワーを浴びてからまた中心まで歩き、コインランドリーへ向かい洗濯をしましたが、ランドリーの人が洗ってあげるから大丈夫よと言うので洗濯機に洗濯物を一緒に入れました。
料金は洗濯2ユーロ、乾燥2ユーロと洗濯機に明記してあるのに、コインがない私に7ユーロだという女性。
やれやれ、お金に汚いなと思いながらもまぁ~いいかと払いました。
(実は翌日も8ユーロを払わせられました。自分で洗剤も購入し、2ユーロも入れたのに、あと6ユーロだと言われ、「いえいえ私はもう2ユーロを入れたからと説明し、洗濯機にも2ユーロ投入の表示が出ているのに、言い張っている女性に、お手上げでした。)

洗濯乾燥とかなりの時間、1時間以上かかりましたので、
帰宅が8時半ごろになってしまって、時々、後ろをチェックしました。
あの変な人がついて来ていたらと思うと内心怖かったので、まっすぐには帰らずに道を巻きながら家に帰りました。

その夜は、写真の整理と持ってきた3冊の本を読み切らなくちゃとならない思い持ってきた本を読み、ラインで家族や友達にメッセを送りました。

しばらくすると外で、ドンドンと壁を叩くものすごい音がして、それが30分くらい続いたのでレセプションに連絡しましたが、返事はありませんでした。

怖かったのでIpadで音楽を聴き、ワインをグラス一杯飲みながら、「本物と嘘物、本物の生き方、嘘で作った生き方」について考えて、頭の中の考えをまとめ整理してから眠りました。
聞いていた音楽が本物と嘘物、二人の異なるシンガーの生きざまから見える本物と嘘物を感じ、その理由を整理してなるほどねと納得してから眠りにつきました。

IMG_9592IMG_9594IMG_9595翌朝も、朝食後着替えをしてまた1時間町を走り抜けました。

じっくりと家をや店を観察しようと決めて回りました。


不動産屋さんの場所も教えてもらい3店舗回りましたが、昼間は開いていないのでスタッフと話すことができませんでした。
夜は、前夜の音の恐怖があり、暗くなる前に帰ることに決めていましたが、朝、レストランへ行く道で、また追いかけてきた男性が、付いて来て投げキッスをしてきたので、
「いい加減にしなさい!私を何歳だと思っているの!」煮えたぎる怒りと、貴方には全く興味がないから失せろ!と言う強い軽蔑の視線を送り睨みつけました。
イタリアに来てから迎えのタクシードライバーには、歯の浮くようなお世辞を何度も言われ、イタリアのこういう文化はそれこそ面倒臭いとイライラがマックスでした。


IMG_9597IMG_9598IMG_9600IMG_9593








この日のランチは、レセプションで美味しくて有名な店を教えてもらいました。

IMG_2136IMG_2137トゥルッリ ガーデンと言う名前で、私のトゥルッリへ向かう角にありました。

店の中には家族ずれと韓国からの学生たちが大きなテーブルを占めていました。

遅いランチを楽しんでいるようでしたが、私が、また一人で入ったので、本当に面倒くさそうでした。


IMG_2138IMG_2139一人だと悪いと思い、サラダにワインにメインのパスタを頼みましたが、頼む前に、「どのくらいのサイズですか?」と聞くと、返事が返ってこず、もう一度聞くと5,6個の包み込んだパスタだよと返事。

やれやれここもなの?
結局食べきれずに残しました。
そして
態度の悪いところでは、チップななし!

食べれない子供たちが世界中にたくさんいるのに、残すことへの罪悪感があり、聞いているのに、、、、
お金にならないお客さんは面倒だという態度に、正直辟易していました。
そして味だって美味しいわけじゃない。。。。アルベロベッロのこういう態度は、何だかがっかりしていました。

それから、部屋に戻り、本を集中して読みました。

IMG_9596IMG_9630IMG_9631IMG_9632IMG_9633








IMG_9634IMG_964231日の夜もランドリーに行き、洗濯を早めに終わらせて帰宅しましたが、お店が開いていました。
ここへきて初めて開いている店舗、ショッピング通りの店店を見ました。

最もその時間に、私が町をうろつかないからなのですが、31日なので人通りが多かったです。



IMG_9648IMG_9643夜はTVでcasa desgin style と言う番組を流しっぱなしにしていました。
それはインテリア、アーティスト、家具、建築家、コーディーネーターたちの仕事ぶりを紹介する番組でしたから。






1日は、店も閉まっているとの事だったのでメールを送ったりラインを送ったり、調べ物をしたりして部屋で過ごしました。




IMG_2148IMG_2149IMG_2152トゥルッリの中が暗いので、初めてドアについているもう一枚のドアを開けてみました。

なるほどね。ここを開ければ明るいのねと、今までちょっと怖くて開けれなかった窓を開けて、その明るさを実感しました。。




それからランチに1時くらいに出ました。

IMG_9635IMG_9658ドアなどの写真を撮りました。







IMG_9639IMG_9641IMG_9649IMG_9650IMG_9651








ご自由にご覧下さいと英語日本語で書かれた看板があり、中を見せてもらいました。
IMG_9652IMG_9653IMG_9654IMG_9659










今はアルミの玄関ドアに交換されてる家が多かったです。
IMG_9660IMG_9661IMG_9662IMG_9663IMG_9664









IMG_9665IMG_9666IMG_9667IMG_9675IMG_9676








IMG_9677IMG_9674IMG_9673IMG_9683









IMG_9684IMG_9685IMG_9669IMG_9682









IMG_9686IMG_9688近くの八百屋さんの果物はとっても安かったです。
夜ご飯はランチでお腹がいっぱいで、果物・ヨーグルトなどで済ませました。




1日の夕方、夕日がとってもきれいだったので町に出て、眺めました。

IMG_9689IMG_9691IMG_9692雲の流れとともに一瞬で形を変えるサーモンピンクの空。

この町のどこかの誰かさんも、
今この瞬間に、この空を見上げて
綺麗ねと思っていると思いました。

洗濯物を取り込む、お母さんかな?
友達とフッドボールをして家に向かって歩き出した男の子かな?

息子たちを育てながら、何度も見上げた空。
夕暮れ。
こんな空を、スペインのサンタンデールでも日本でも見たわねと思い出しました。

文化も違う、歴史も違う、人生も違う、
ここに住む女性の中に、子どもの中に、きっと今、この瞬間にこの空を
見上げている人がいると感じていました。

地球は小さな星です。一人の人生も小さいです。
帰国を迎え、2018年、
私はどう生きるの?
と問いかけながら見上げたこの空とこの日を忘れないと思いました。

つづく

















イタリア・アルベロベッロ3 出会い

レッチェのゴシック建築は、パリのノートルダム寺院やミラノのドゥオーモ大聖堂などを見ているので期待外れで、コロシアムはローマのコロッセオよりかなり小さくて、でもここで殺し合いを観覧すると言う野蛮な歴史があったと思うと、変な気を感じました。急いで、ゴシック建築を見て回り、

IMG_2103IMG_2100そそくさと駅に向かい、アルベロベッロ行きをチェックすると出発まで約1時間もあり、駅構内にはベンチもなく、店もスナック類と水のような飲み物類などしか売っていないちいさな売店(?)しかなく、カフェもない。。。。。

仕方ないからプラットホームに出てベンチに座って待とうと思いました。

私が乗る電車の出発ホームは一番奥の端っこ。


IMG_2101IMG_2105わわわ、ベンチもない。。。。。
しばらくホームの真ん中で立って待っていましたが、乗り降りの乗客の邪魔になるので、ホームの端っこへ移動して待ちました。

でも、やっぱり1時間、立ったまま待つのは疲れちゃうなと15分くらい待って思い直し、キョロキョロ。

あ!あった!
隣の隣のホームに小さな木製のベンチが一脚。   
地下通路から改札に向かうホームの手前にあるベンチに座り,その日に撮った写真のチェック初めましました。
すると、ベンチのあるホーム、私のすぐ目の前に鳩が二羽降り立ち、水たまりの水を美味しそうに飲み始めました。見ているとあーーーー喉が渇いたぁーーー   うーーーん美味しい---と言っているような表情で二羽 の鳩が水溜りの水を飲み続けました。くちばしですくっては空を見上げゴクゴク。 喉を通る水の音が聞こえてきそうでした。

それを「可愛い~、美味しそうに飲むのね」と思いながらじっと見ていました。
すると、そこへ4人のティーンエイジャーが近づいてきて、その中の小さな女の子が私に向かってイタリア語で何かを言いました。
きっと可愛いねと言ったと思ったので、「Cute?...Cute!」可愛い?、、、、可愛いね!とその女の子を見て言うとニコッと笑顔が返ってきました。

貧困の国、格差が蔓延している国では、こういう若い子たちが犯罪を犯す可能性が高いので、他の男の子たちの目、表情をチェックしました。
みんなちょっと寂しげで、でも人懐っこい表情をしていました。一人だけ、ウロウロ動き回りちょっとイライラ感が出ていました。
そのイライラ感は、自分の人生、生活、未来への不安を感じていて、ちょっと怒りが入っている瞳かな?と思えました。
スコットランドのエジンバラに住んでいるときに鋭い表情の子供たちの目に出会っています。またベトナムやイタリア、ローマで、スリを働く子供集団にも会っています。今まで被害にあったことはありませんが、貧困に苦しむ人たちが多い国では、ちょっと危険な目をした子供や大人たちがいます。この列車の車窓から駅にたむろしていた10,12,13歳くらいの子供たちが数人集まってたばこを吸っているの何度か見ました。いっぱしの大人のような態度で、肩をすぼめ手のひらで風を防ぎながらライターの火をもらいあう子供たち。ちょっと荒んだ光景でした。

IMG_2106IMG_2107でもこの子達は、荒れた目をしていませんでした。
人懐っこそうに話しかけてきました。
「ジャポネ?」  シーシーと返事。
皆な身長が小さく、157cm弱の私がまっすぐに立つとどの子よりも大きかったです。
女の子が私たちはピッコロ 、小さいのと言いました。

左の男の子と女の子が兄弟、左から二番目の子が18歳でシェフの見習い、一番右の子がうろうろしながら落ち着きのない子で、この4人は10年前から友達だと言っていました。
お互いに自己紹介をしあいましたが、もうみんなの名前を忘れてしまいました。
シェフの子は、Leandro Vigilia で彼とはfacebookでつながりました。

女の子がスマホの翻訳機能を使って、私に質問し、私の質問の単語をそのアプリを使って理解し、理解できたら大喜びをするという子どもたちでした。
何故ここにいるの?仕事は何をしているの?何歳?色々聞かれましたが、シェフ見習の子のガールフレンドをみんなで迎えに来ていること、たばこは10歳から吸っているのと自慢げに話してくれました。

そして女の子は、私の仕事を聞いて、親指と人差し指、中指をすりすりさせて手の候を見せて「big money?」と聞いてきました。大人のようにそんなジェスチャーをして目をキラキラさせて給与のことを聞いてくる女の子が、可愛くて、ちょこっと吹き出してしまいました。
そしてあなたは可愛いわねと思わず言うと、4人の子供たちがみんな嬉しそうな笑顔を見せてくれました。
皆の妹と言う感じです。
日本でシェフはビッグマネーを得られる事や、私には息子がいて、きっと私はあなたたちのグランマ(おばあちゃんね)と言うと、皆ニコニコと笑顔でした。
息子は何歳なの?と聞いてきて説明をすると、うなずいていました。
4人の子たちの目が温かくて優しさに溢れていました。
私も日本は好き?何が好き?などと聞きましたが「てんぷら」と返事。
鮨は?と聞くとちょっと表情をゆがめて生の魚は食べれないと。
ドラゴンボール?マリオ?と聞いてカメハメハーーーーと手の中に気を集めて投げる格好をするとみんな大喜びでした。
彼らにイタリアの料理は好き?と聞かれて好きよ、でも日本のイタリアンの方がおいしいかも?東京では世界の料理が食べれるのよなどなど、話すとうん、いつか行ってみたいと。
OK、いつか来たら東京を案内してあげるわねと私。
心から、この子達が日本に来た時、案内してあげたいと思いました。そして「私が死ぬ前に来てね」と言うと、みんなちょっとクスっと笑いましたが、すぐ真剣な顔で「日本は高いでしょ?」と。私が思いっきり「ノ、ノ、ノー」と言って食事もホテルも安いわよ。もし来たら泊めてあげるわね」と言うと、ちょっと信じられないけど嬉しいと言う顔をみんなしていました。
この子達はシェフ見習のリンドロ(?)をとっても尊敬していました。ちゃんと仕事をしている事、自立していること、それはみんなのあこがれのようでした。彼らと会話の中でそれが十分すぎるほど伝わってきました。

親たちが失業したりして貧しい生活の中、きっとこの子達は4人で支え合ってきたんだと強い絆を感じました。

イタリア語話せるの?と聞かれて「4つしか分からないし話せないの」と言うと、4つだけ!!!!!とみんな驚いて、旅は大丈夫なの?と聞かれて、
「大丈夫よなんとかなってるわ」と私。
「どれくらいいるの?」
「10日間の旅ね」
「4つの言葉は何?」
「シー、グラッチェ、ティアーモ、チャオ」と指を折って数えながら4つの言葉を言うと、女の子とお兄ちゃんも指を折りながら私の言った言葉の後から同じ言葉を言って最後に4つの言葉しか話せないのに旅をしているの!と翻訳アプリを見せてまた言いました。
私もちょっと大げさに目をばっちり開けて「シーシー」と笑いながら自慢げに言うと、皆大笑い^^

それから帰りの電車は大丈夫なの?とかいろいろ聞かれて、私はアルベロベッロまで帰るけど大丈夫よと答えると、

お兄ちゃんが私の電車の出るホームに走って行って、何やら黒人の男の子と話して戻ってきました。
そして、一緒に来てとジェスチャーで言うのでみんなにチャオ・アルベデルチと挨拶してホームまで行きました。
すると、お兄ちゃんは黒人の子を指してイングリッシュと言うので、
その子に英語話せるの?と聞きました。すると彼は母国語が英語だからと。

そうです。お兄ちゃんは私の帰りを心配して英語を話せる子を探してくれたんです。
途中の5駅まで彼と一緒に帰れるから大丈夫だよと、どうやら言っているとの事。
私は、その優しさに思わずお兄ちゃんを抱きしめて「グラチェ」と言いました。
IMG_2108IMG_2110君は本当に優しいのね、ありがとうと英語で言って黒人の子Gyan Simonに通訳して伝えてもらいました。

それから、他の子もホームに呼んで、記念撮影をしfacebookのメンセンジャーを交換しました。

それから、いつか日本に来ることを待ってるわね。と言って別れました。
こういう出会いは、旅の中で一番嬉しい出会いです。彼らの一人でも英語が話せたら彼らの生活、人生を聞いてみたかったです。


それからシャイなギャンと一緒に電車に乗りました。
ギャンがちょっと恥ずかしそうに黙って私の前に座っていましたので、どこの国から来たの?何歳?仕事は?
と質問しました。
ガーナから来たギャンは20歳、サッカー選手だと言う。 わ~~~凄い!と言うと、「そんなにすごい選手じゃないんだ」と、恥ずかしそうに言いました。
「でもそれが仕事でしょ!だったら凄いわ」と言うと小さくうなずきました。
あんまり根掘り葉掘り聞くのもシャイな子にはきついをよねと思い、その後黙りました。

しばらく沈黙が続き、彼が恥ずかしそうに、小さな声で、周りに聞こえないように「ヤギの肉を買ってきたんだ。臭くない?」と彼の足元に置かれたビニール袋を目で追いながら言いました。
「大丈夫よ、全然臭くないから、」と言うと
ヤギの肉は日本では食べるの?と。
「ヤギはあまり食べないけど羊は食べるわ。子羊もね。と私。
するとほっとした顔をして初めて笑いました。
子羊は美味しいわよね~、と私。
このヤギの肉は今夜のパーティーで食べるんだと彼。
家族と一緒なの?そうなのね~、家族も来ているのね、ガーナから。  じゃ、寂しくないわねと私。

それからバックに入っていた日本から持ってきたキャンディーとグミとクッキーを彼にあげました。
食べてみて?日本のお菓子を食べるのは初めてでしょ?
うんとうなずきながら手渡したグミを彼が食べました。
私はどう?美味しい?と聞きました。
ギャンがうんうんとうなずいて嬉しそうでしたので、じゃ、他のも食べてみてと進めました。
ミカンの飴をなめて、「これはこっちでも同じ味だ」と。
そうなのねぇ~とうなずく私。

それから、聞きたかったことの一つの質問を彼に尋ねました。
「ここへ移民してきて一番難しいことは言葉と仕事を得ること?」と。
彼は私と同じような言葉で同じように一番難しいことは言葉と仕事を得ることと言いました。
私は「よく分かるわ、私はイギリスに住んでいた時に、同じような経験をしているの」
イギリスに住んでいたの?    そうそう、もう20年も前になっちゃうけど。
それから、
でも、さっきあの子たちとイタリア語で話していたじゃない?だから言葉は大丈夫そうじゃない?と聞きました。
いやまだまだなんだと。
移民してから2年が過ぎて生活は大変そうな様子がヒシヒシと伝わってきました。
そうなのねぇ~、そして仕事を見つけるのはとっても難しいそうね?この国の失業率は高いから。ガーナと比べたらどっちが大変なの?仕事を見つけるのは。
と聞くと、まだこっちの方がまだいい。ガーナはもっと苦しいからと。
そうかぁ~。。。
ガーナからきた20歳の若者は目を伏せました。

それから沈黙が続きました。
でも彼を元気付けたくて「素敵な服ね!オレンジとトップのジェケットがとってもお洒落で似合ってわ!」と言いました。
彼がほっぺを赤らめて「ありがとう」と恥ずかしそうに笑いました。
でももっともっと元気付けたくて「本当よぉ~すっごく素敵!似合ってるわ!」と、もう一度力を込めて言いました。
すると彼が本当に本当に嬉しそうに「ありがとう」と言いました。

良かったわほんの少しでも喜んでもらえてと心の中で思っていました。

IMG_2111それからキョロキョロして彼が「僕の駅は次だから、降りるね」と。
OK ありがとう~。助けてくれたありがとうと言うと、facebookのメッセンジャーを交換しようと。
OKOKそれから交換をして降りていく彼を見送りました。

この国の裏側には、貧困問題があります。若者たちが仕事をしたくてもできない状況があり、また移民者たちにも厳しい状況です。

日本の経済が壊れる、先送り先送りされている借金問題の深刻さに、まだ気が付いていない多くの日本人がいます。
IMG_2115また、移民者受け入れの世界最低レベルの日本。人口が減っているにもかかわらず、滅びに向かっている日本ですが、ここで出会った学校へ行かない、行けない子供たち。仕事が得られない若者、それを思うと帰りの電車で暗い気持ちになりました。

暮れていく空を車窓から見ながら、「どうぞ、今日出会った子供たちが幸せな未来をつかめますように」と心から、心から願っていました。
後、20年、30年、世界はどうなっているんだろう?

今朝、たった一人で心細さでいっぱいだったアルベロベッロの電車の駅には、人がいました。
駅からは歩いて10分くらいで家に着きました。

その夜29日が最後のフェスの夜でした。私のトゥルッリのエリアの入り口にはゲートがあり、チケットを見せないと家までは帰れません。
説明してもトウセンボをするおじさん。
バックからチケット出して見せると態度急変でOKOKと。(でもこのおじさん、翌日からストーカーになりました!)

私の家へ向かう道にはたくさんの観光客がツアーに参加し、あっち、こっちのブースには人が集まっていました。

夜は、外から聞こえてくる人々の声や、フェスの音楽やツアー参加者たちの話声が微かに聞こえてきましたが、ゆっくりシャワーを浴びて、本を読んで眠りにつきました。

つづく







イタリア・アルベロベッロへ2~レッチェへ

翌日は、快晴!トゥルッリのとんがり屋根の横にある小さな窓から射す光に飛び起きました。
IMG_1956朝食をいただくために急いで支度をして向かいました。
ごみ収集のおじさんに会いましたが、3輪車の小ささにビックリ!こんな車は子供のころに日本では走っていましたから。





IMG_1957IMG_1958家を出るとちょうど前の家がリモデリング中!

わわわ、モルタルをこねてる!と言うことで、作業している方に、その材料はモルタル?と聞くと英語が分からないと言いながらも「モルタ~~~ル」と返事が。
中見ていい?と聞くと、強面の一人のおじさんがダメとだめ!と。
他の二人のおじさんたちは「いいよ」と言ってくれたのに、・・・

イタリア語が話せたら、私の仕事を説明したいけど、話せないので、渋々諦めました。滞在中にまた、いつか見れるかもしれないからと思いながら、レストランへ向かいました。

IMG_1964IMG_1965IMG_1966古いフィアットや、転びそうにガーガーとエンジン音をたてながら、何だかやっと走っているような三輪車を数台見ました。お花屋さんの前の道に停まっていたので、気兼ねせずに撮った車の写真です。

他でも古い自動車をたくさん見ましたが、古いものを大切にしている事がよく分かりました。



IMG_1967IMG_1968IMG_1969IMG_1970






快晴でしたが、北風が下から吹き上げてきてとっても寒かったです。
朝食後、モンティエリアへまた行きました。

IMG_1971IMG_1973IMG_1972天辺にある聖アントニオ教会の写真を撮るのを忘れたので、もう一度行き、中へ入ると、座っている男性がいてお金を頂戴、頂戴と何度もジェスチャーで訴えかけてきました。
敬虔な信徒さんたちの優しさに訴えている様子。身なりは小綺麗でしたので、私も他の人たち同様にスルーしました。
(ちなみに貧しい国、海外で出会うストリートチルドレンには、お金ではなくお菓子を買ってあげることにしています。 お金は親たちの酒代やドラッグに変わってしまうことが多いので、子どもたちに直接あげられるものにしています。もし出会ったらそうしてあげてください。子供たちの喜ぶ顔に出会えます)
アルベロベッロではストリートチルドレンは見ませんでした。

その後、教会の前の道を下がって行き、下の道を歩いて回りました。
IMG_1976IMG_1977IMG_1980IMG_1983この日もぐるぐる回って町中を歩きました。

路地や大通り、町の外側を回っている道も少し歩いてみました。
一般住宅を見たくて探しました。


IMG_1989IMG_1990IMG_1991倒産したホテルや人が住んでいない家もたくさんあります。

滞在中に不動産屋2件を回りましたが、その話は、また後で、ここに記したいと思います。


ランチは、またまた食べれない量で、一人のお客様はどうやら嫌らしく、滞在中7件のレストランに断られました。
だから入ると、ワインは?と聞かれるので、毎回注文をしました。

IMG_1986IMG_1987IMG_1988こんなに残してごめんなさい。私は小さいから食べられないのと笑いながら言うと、笑ってくれるウェイターさんもいれば不愛想な人もいます。

でも笑ってもらえるとその笑いにちょっと救われた気持ちでした。





IMG_1992IMG_1993IMG_1994IMG_1997IMG_1998









新しい低層共同住宅を発見。 前面に停まっている車はアウディ・ゴルフ・ベンツ・フィアットなど、格差社会が見えました。

そして現在建築中の現場発見!
IMG_1999IMG_2001IMG_2002柱・梁は鉄筋コンクリート(?)多分。
外壁や床・間仕切り壁は空気の層があるブリックです。

カンボジアやイギリス・アメリカなどで見たブリックは穴が大きいですが、この小さな穴のブリックは初めて見ました。

道の舗装状態は悪いです。

こういうところに国も貧困さがでます。アルベロベッロは田舎の観光地で世界遺産になっているので最近は観光客が多いけど、イタリアの貧しさとこの町の貧困さは、レストランと土産物屋さん以外は、厳しいと感じました。

IMG_2005IMG_2008高圧洗浄で外壁を洗っていました。これもきれいになって観光客のホテルになるようです。

イタリアの失業率はとても高く(11%以上、日本は2,9%くらい2017年8月現在)、数年前にローマに滞在しているときにタクシー運転手のおじさんから、息子たちはイタリアで生活できないからアメリカやイギリスに住んでいるとのことでした。
またポンペイへ行った時のイタリア人ガイドさんの話で、イタリア人が日本人のように勤勉だったら、イタリアはこんなに貧しい国にならなかった、日本人を真似するべきと言っていました。
ホテルのレセプションで、「政治的な問題や経済問題はどういう状態?」と質問した際に、「年が明けて選挙があるから、やる気がない役人ばかりです」と返事が返ってきました。

一日5時間しか働かない、土産物店と数軒のレストラン以外、気が付けば店も閉まっている時間で、
カフェも閉まっていておまけに、スタンドカフェのみ。
街角のカフェでのんびり人間ウォッチングをしながらwifiを使ってメールやSNSやネットを開こうと思っていましたが、そういう店は町中探しても探してもなく、朝、出社前にスタンドカフェに寄って仕事に行くという事らしく、スタバやゆっくり座れるカフェがなく、またwifiがないという返事で、結局滞在していているトゥルッリの家に帰って作業をすると言うことになりました。
こんな時じゃないとできないIpadやIphoneの写真の整理や、溜まっている本読みなどを連日少しずつしました。

そして、下調べをしたゴシック建築の町、レッチ(Lecce)ェへ3日目に行くことにして、翌朝早朝6時過ぎに出る電車で片道3時間かかるらしいので、TVのCASA DESIGN STYLE(カーサ デザイン スタイル)と言うリフォームやアート、陶芸、料理や建築家やアーティストのインタビューなどを紹介しているチャンネルを観て眠りました。
滞在中は、イタリア語が分からないので、このチャンネルと音楽番組のみでしたが、ちょっと羨ましいなといつも思うのは、日本にはこういう生活に密着したチャンネルがないことです。

翌朝、5時に起きてシャワーをして買い貯めしてあるヨーグルトとバナナ、リンゴ、オレンジ、そして前日買っておいたパニーニの半分を食べて、アルベロベッロの電車の駅に向かいました。

IMG_2012IMG_2015真っ暗でだれ一人歩いていない道を速足でトットコトットコと地図を見ながら歩きました。

外灯がなく暗くて、かなり心臓はバクバクでしたが、坂道を降りていくとぼんやりした明かりがついた駅が見えました。
良かった!あれだわ!小さなドアが一つついている入口を開けて入ると、駅員室の中に、一人の駅員さんが窓口に背を向けて座ってPCで何かしていました。

Hi good morning と声をかけると振り向きました。そして、レッチェへ行くチケットを下さいと言うと、何かを面倒くさそうに言っている。。。。
え?分からない。。。そこでIpadで昨夜写真に撮った電車のタイムスケジュールと地図を見せて、またレッチェへ行きたいのと言うと、英語が話せない職員のおじさん、本当に本当に面倒くさそうに外に出てきて、壁に貼られた電車の時刻表を指さしながらまた、何かを言っている。。。。
そしてすぐまた室内に入ってしまって、背を向けて何かを始めました。

実は、私にとって海外でこんな風に扱われたのは珍しく、大概ニコニコと対応してもらうことが多かったので、びっくりしてしまいましたが、聞くしかない!と腹をくくってもう一度聞きました。
IMG_2020IMG_2019さっきおじさんが射していた電車のタイムテーブルをIpadで撮って、それを小さな窓口から見せながら、アルベロベッロからレッチェへ行く電車の時刻を指しながら6:55?と聞くと、NO~~NO~と言っている。。。。

そしてまた出てきてくれて二つの時刻表を交互にさして何かを言っている。マルティナフランカを連発するおじさん。そしてまた言い終わるとさったと入室、。。。。かなり苛立っている!

でも、私は行くと決めたから、ここで諦めるわけにはいかない!と思い、
OKay! もう一度! 彼に向って
マルティナフランカ(Martina Franca)? と聞くとシーシーと返事!
OKAY!!!まずマルティナフランカに行くのね?と英語で聞くとシーと返事。
どうやってそこまで行くの?と聞くとバ~ス、バ~スと連発。
Okay!バス乗り場はどこ?と聞くと椅子に座ったまま、腕を上げそっちだよと。そして半円を描いた腕と共にまた何かを言っている。。。
え?どういう意味?
私も同じようにおじさんが射している方に腕を上げ、あっちね?!と。
なんだかおかしくなって吹き出しそうになった私。笑わないようにコラえる私。でもおじさんイライラマックス!

でもおじさんまた面倒くさそうに、それでも外へできてくれて駅前のYの字の右側の道をさしてこっちの道を行って1ブロック目の右側だと言っているよう。。。そしてまた半円。???

でも、とにかくおおおおお、シーシーと返事する私。
そんなに怒らなくても、へへへと可笑しさをコラえて返事をして、とにかく行ってみるしかないと思い向かいました。雨の降る真っ暗な道を歩きながらひとり言
「あ~~~なたね、そんなに面倒くさがらなくてもいいんじゃない?なんども出てきて説明してくれたのはありがたいけど、一回目でゆっくり向かい合ってくれたら、何度も出てこなくてよかったのに、、、そして勤務時間中にネットでな~~~に見てるの!そりゃあ~~~なたの時間を奪ったかもしれないけど、ね、それはあなたの仕事でしょ?」と。デビ夫人みないな”あ~~~なたね”のアクセントをつけて、言ってみて、ひとりクスクス笑っちゃいました。

IMG_2024角を曲がったところに女性が一人立っていて、どうやらバスを待っている様子。
しばら彼女の横でちょっとほっとして待っているとバスが来て、その女性は乗り込みました。
私は彼女に続き、ドライバーにマルティナフランカ?と聞きました。

ドライバーは、NO NOと言ってすぐ発車してしまいました。
ポツンと取り残された私。   え~~~どこから乗るの?どこ~~~~?とひとり言。。。

よし!探そう~と反対側にGSの横かな?バスの駅をイメージしていたので横にある広場に行きましたが、どうやら病院の駐車場らしいのです。
そこでGSの建物に入って聞こうと思って入ると、おじいさんたちが奥の方で4,5人お喋りしていて、私を見るとこんな時間に何なんだ?といぶかしげな顔をして見ました。

IMG_2021IMG_2022おおっと!あそこで聞く勇気はないなぁ~と、。。。とにかくバス出発の55分まで20分くらいあるからカプチ~ノを飲んでから聞こうと思い、注文しました。

するとちっちゃなおじいさんが入ってきて私を見ました。
「よし!この人ね!」と思い、マルティナフランカ?バス?と聞きました。
すると、おじいさんが「おいで」と言って雨の降るGSの前のバス停に連れて行ってくれました。
「な~~~んだ、さっきのバス停の反対側ね~、あ!そうか!駅員さんが半円を描いて何か言っていたのは道の反対側と言う意味ね!」と気が付きました。
やっと言っていた意味が分かって可笑しさマックスになった私です。


そしてバス停で待っていると51分にバスが来ました。 え?早い!イタリアなのにこんなことあるの?と思いながら待っている間にボールペンで手のひらにMartina Franca=マルティナフランカと書いた文字をドライバーに見せながら聞くとシーシーと笑顔の返事。

イタリアでもこんなことあるのねぇ~早く来て早く出ちゃう~  でも あ~~~良かった!早めにバス停で待っていて!乗り遅れなくって!とほっとしていました。

バスには誰も乗っていなくて私一人。
ドライバーのすぐ後ろの席に座って暗い雨の町を抜けていく車窓から見えるくらい景色を見つめていました。

するとニコニコしながら運転手さんが「ジャポネ?」と聞いてきたので「シーシー」とお返事。
「ビューティフル 僕は日本人が好き」と英語で彼が言ったので、
「あなたは日本人が好きなのね~」と。日本?日本人?どっちが好きなの?と聞きましたが英語が分からない様子なので、「日本の文化が好き?」と聞くと「シーシー」と。そして彼がまた「I love ジャポネ」と言ったので、日本人を代表して「グラッチェ」=ありがとうと言いました。

他愛無いイタリアでよくある会話が何度か行ったり来たり、でも彼の誉め言葉が退屈なので、「私、レッチェに行くの、ゴシック建築を見たいの。電車でね。でもどれくらいかかるの?」と言うと、
何やら驚いた様子。
そしてどうやらこのバスはマルティナフランカの電車の駅には行かないと言っているみたい。。。
えぇぇぇぇ じぁ、このバスはどこに行くの?さっき手のひらを見せてマルティナフランカ?と聞いた時、シーシーって言ってたじゃない!?と心の中で呟きながら、頭の中で「どうしよう?どうする?」と自問自答。

困った顔をしている私に、このバスは電車の駅には行かないけど、・・・と彼も困った顔。
心細くて無口になった私の頭の中は「、なるようにしかならない、ここまで来たら駅は歩いてでも行けるよね」と。
それからしばらくするとバスは町に入りました。
彼に「マルティナフランカ?」と聞くとそうだと。
とにかくマルティナフランカまでは来たのね!じゃ停まる所で停まってから考えようと思っていたら、彼の運転するバスは町の中へ中へと走りました。
それからバス停前で停まり、「ここで待っていたらバスが来るから、」と片言の英語で言ってくれました。私は「レッチェ?トレイン?」と聞くと笑顔で「シーシー」と。

どうやら彼は私のバスが来るバス停への道に回ってくれたようで、「大丈夫、5分で来るから待っていて」と何度も言ってくれました。
私も「グラッチェ、グラッチェ」とお礼を何度も言いながら降りました。
息子と同じ年位のドライバーさんは人のよさそうな笑顔を見せてバスのドアを閉めながら何度も手を振ってくれました。

ほつんと暗い街のバス停に降り立った私は、人懐っこいドライバーさんが運転するバスが角を曲がって見えなくなるのを目で追いながら
5分ね、5分ねと時計を見ました。

しばらく待っているとちょっと生活にくたびれた感じの女性が道の反対側を歩いて通り過ぎていきました。
「あぁぁ起きている人いるんだね」とちょっとほっとして、「そうだよねだって7時過ぎているんだもんね」と思ってバスが来るの待ちました。
5分はあっという間に過ぎ、またまた不安になりましたが「ここはイタリア!もしかしたら私がGSののバス停で乗るはずだったバスが来るのかもしれない。。」そんなことを思いながら10分が過ぎ、
それからしばらくして若者が一人、私の前を足早に通り過ぎて行きました。坂道を上がってくる彼の表情を見ようと目を凝らしました。
50以上の色々な国や都市に行っているので、こういう時に必ず顔をチェックする習慣がついています。
それは危険か危険じゃないかを確認するためです。
OKAY! 彼は大丈夫ね。強盗をするような顔じゃない。。。。。危険をキャッチする臭覚は、以外に鋭くて危険な目には今まで一度もあったことがない自分の臭覚を疑いながらも、毎回信じてよかったと思う私です。
また、現地に住んでいるように小さなバックパックを背負っているだけでし、その町に住んでいる東洋人面をしています。

それから5,6分してやっとバスが来ました。また手のひらをマルティナフランカ?トレインステーション?と聞き、シーシーと返事をもらいそそくさと飛び乗り、10分くらして駅に着きました。

電車の駅の改札でレッチェと言うと、女性の駅員さんが「それ電車、もう出発!」とイタリア語で叫びながらホームを指をさしてながら、走って出てきてくれました。

急いで!急いで!(多分)と叫びながら電車の近くまで来てこれよ!これ!(多分)と言っているようでした。
IMG_2031IMG_2033私もかなり慌てて指さしながらレッチェ?とまた聞きましたが、
私より後から乗りそうな人が後ろに見えたので乗る前に写真をパチリ!
2両編成のローカル線で、かなり汚い電車でした。

チケットはアルベロベッロのイライアラおじさんから購入してありましたが、改札を通してないからどうなるんだろうと思って乗っていると、走り出してしばらくすると車掌さんがきました。


IMG_2034IMG_2037ニコニコ笑顔で、レッチェでパチンと改札でしてねと、どうやら言っているらしく、私も「シーシー」とお返事。

それから、往復チケットを購入したけど大丈夫でしょ?マルティナフランカ ツゥ レッチェ?  レッチェ ツゥ アルベロベッロ?と聞くと「シーシーと。
いろいろな国でコミュニケーションは、人たい人の関係なので言葉が通じなくてもなんとかとれるので、一度も心配したことがありません。
難しい会話以外だったら、心配はいりません。

IMG_2039それでもコトコトコトコト、かなり遅く走る電車は3時間かかってレッチェに着きました。
シートは、板の上にビニール製のクッションシートで、長い時間はきつかったです。
でも、タイからカンボジアへ向かう電車は板張りのシートでしたから、それから比べたら、いいねと汚れた窓枠とガラスを見ていました。

レッチェまでは長い長い3時間でした。

レッチェの文字が見え、電車から降り、改札らしいところもなく人もいないので、チケットにパチンと切り込みを入れられず、そのまま駅舎から出ました。

IMG_2041駅前は、広い道路が中心に向かって真っ直ぐに進んでいました。

この町で、今回初めてホームレスを見ました。(ローマにはたくさんいました)
そして、中心に向かうまっすぐ伸びた道路の右側を中心に向かって歩き始めると眼光の鋭い移民者らしい人たちが所々にたむろしていました。

NYのハーレムみたいだと感じ、危険かも?と思いバックパックを前にかけ直し足早に歩きました。

1ブロック、2ブロック、3ブロックとまっすぐの道を進みましたが、前夜に読んだこの町に訪れた旅人のブログを思い出し、この道をまっすぐ行って突き当ったら左ねと思いながら信号待ちをしていました。
すると、ちょっとおしゃれで小綺麗な身なりをしている37,8歳の男性が横に並びました。
「すみません。英語話しますか?」と聞くと「ほんの少し」と。
私もほんの少しですからと言うと笑ってくれました。
ゴシック建築のある中心に行きたいので、道を教えてくださいと言うと、一緒に行ってあげますと言って連れて行ってくれました。
IMG_2042IMG_2078IMG_2079IMG_2043









中心まで行く道は、これで安心ねと思い、私はゴシック建築を見に来たのと彼に言いいました。この町はたくさんあるんでしょ?と。
するとちょっと誇らしげにそうそうたくさんあるからと言って、広場まで連れて行ってくれ、私がツーリストインフォメーションへ行きたいのと言うと、広場に入ったすぐ右側にあり、彼が笑いながら「そこにあります」と。
広場の中心で、ぐるぐる周りを見回している私を待っていてくれ町を案内してくれるという彼に「大丈夫、一人で大丈夫」とお礼を言ってインフォメーションセンターに入りました。
地図を購入後、センターの横にミュージアムがあったので、歴史を知りたいと思い入りました。
IMG_2047IMG_2048IMG_2066IMG_2069








でも入った博物館が、コピー品ばかりで、またガイドさんが、イタリア語しか話せずに、まったく分かりませんでした。

ジーザスの首をを切って持っている女性像の意味がわかりませんでした。
始めて見ました。調べるのに時間がかかりそうです。

IMG_2074IMG_2075博物館を出るとにぎやかな音楽が流れてきて、パレードが広場に来ました。

子どもたちを連れた家族がパレードの後ろをついて来ていました。
木製のキリンや像などを木製の滑車が付いていてそれを男性たちが力いっぱい押していました。
パレードの参加者に「これは子供のお祭りですか?」と尋ねるとそうだと。

子どもたちはペロペロキャンディーのような飴を舐めながら歩いていました。
コスチュームを着た大人の女性にキャンディーをあげるわと差し出されましたが、子どもたちにあげてねと言ってお断りしました。

IMG_2080この広場の横の道を入って、ランチを食べました。
もう、気兼ねせずに食べられる量のも注文しました。



ジェノバのパスタとカプチーノをいただきました。 でも残した私です。
やっぱり日本のイタリアンの方がレベルが高い!
美味しいイタリアンは日本で!

一挙にゴシック建築を見ながら、奴隷同士や奴隷と猛獣を戦わせた競技場のある広場まで行きました。

IMG_2083IMG_2084IMG_2085IMG_2087IMG_2088










IMG_2089IMG_2090IMG_2091IMG_2092IMG_2093









人間は残酷です。戦うの見て、死んでいくのを見て楽しんだんですから。
IMG_2094IMG_2096IMG_2097IMG_2098IMG_2099












これらを一気に見て回り、3時間以上かかるアルベロベッロまで帰るので、急いで駅に向かいました。暗くなったら危険なので、いそいそと駅に向かいました。

今度はちゃんと直通で帰れるかしら? 一日朝と午後それぞれに2本くらいしかない電車の発車時間が分からないから、まず駅まで行って調べようと思いました。

後で、イタリアに住んでいる日本人に聞いたら、レッチェは学生の町だとの事。
これも調べたいと思ったことの一つです。

駅で電車を待っていた時に素敵な出会いがありました。 忘れられない出会いでした。
次にこの思い出を記録したいと思います。

つづく



イタリア・アルベロベッロへ1

四年前にイタリアへ行ったときに、12月31日、1月1日に行く予定だったアルベッロへ今回はピンポイントで行きました。

その時は、31日、1日は電車が動かないと、駅にチケットを買いに行った際に聞かされ、えぇぇぇぇ電車が動かないってあるのぅ?! と、かなり驚かされ、ひとり言のように「あり得ない!あり得ない!あり得ないようぉ~。。。。」と。
でも、どんなにつぶやいても動かず、泣く泣く諦めたアルベロベッロでした。


と言うことで、建築が観たかった、知りたかったトゥルッリ(1635年に築、石積みの住宅群)に滞在することにしてTrulli Holiday Resort(トゥルッリ ホリデー リゾート)を予約し、フライトを探して予約をして、やっと見れるとかなりワクワクしていました。

imageIMG_1806成田からローマ12時間半、待ち時間3時間半そしてローマからバーリ2時間のフライト、バーリからアルベロベッロ車で1時間。合計18時間半。
アルベロベッロでホテルのレセプションに寄り、チェックインをして私の部屋と言うか家のトゥルッリまで行き、説明を受けてた時は、真夜中12時を過ぎていました。
朝起きて一日が過ぎ、26,7時間でやっとベットに入ることができました。

暗くて細い道を入り、一通の多い街の中をくるくる回ってたどり着いたトゥルッリで、どこをどう通ったのか分からず、いつも迷子になる自分を思うと、かなり心細かったです。 また地図を渡され早口で朝食はここへ行って鍵を見せて、8時から10時までであとは閉まるからと。

えぇぇぇ地図! かなり不安でしたが、とにかくシャワーを浴びて、眠りにつきました。
IMG_1808IMG_1809IMG_1810
IMG_1811翌朝、9時20分過ぎにだったと思います。飛び起きて急いでレストランまで地図を見ながら向かいました。




IMG_1812IMG_1813レストランまでの道、独特のトゥルッリと住宅街を写真に収めながらこっちね、こっちね、と指をさしながら歩きました。

これがトゥルッリ♪見たかったトゥルッリ♪とウキウキでした。



IMG_1817IMG_1818IMG_1819
レストランは、町の中心の大きな広場の角。私の家から歩いて5分も掛かりませんでした。







IMG_1820IMG_1821IMG_1822IMG_1823朝食はかなり充実していて私には十分でした。

木の枝に照明!
なかなかやるなと感心。





お店の開店時間が午前中2時間半、午後と言うか夕方から2時間半。
レストランは開いているところもあれば閉まっているところもあるそうで、朝食の後、スーパーへとにかく行き水とヨーグルトは買わないと!と、道行く人にスーパーの場所を聞きました。

二人目で英語を話すおじいちゃんに会い、そこだよと途中まで連れて行ってもらい、水などをまずは確保。

B54DF588-58EC-45B0-92F9-8FAB6BD4480CIMG_1826IMG_9723家に帰るときに、この住宅街一体で、住人たちがワイワイ言いながら何やら準備していました。
夕べ到着後にレセプションでいただいた4日間のフェスティバルチケット。
このエリアで昔の生活を再現したフェスが行われるとの事だったので、その準備をしているんだとすぐ理解しました。申し込みをしてツアーに参加できるとの事でした。
道のコーナーや家の前にいろいろなブースを作っていました。

ピッザ?と聞くとホーカッチャと返事が返ってきました。
IMG_1827IMG_1828IMG_1825若者から年配まで、みんなでいろいろお喋りしながらブースを作っていました。

日本で言う自治会の行事のように、みんなで参加している感じでした。


英語を話しますか?と聞くと、一人の子が少しと答えてくれたので、今夜の準備をみんなでしている事などを確認できました。
そして写真をとってもいい?と聞くと、皆がワイワイ言いながら集まってくれました。毎年こんな風に地元の人たちで観光客相手にフェスを開いているとの事。
アルベロバッロ内のこのエリアは、ピッコラエリア、土産物店が並んでいる有名なモンティエリアは大通りを挟んで反対側です。
ですから25日から2日までの滞在期間中、地元の人のように家から出て何かをして帰宅すると言う感じで過ごすことができました。
D0C46A9D-3818-48E7-84E9-F6E106147B2FIMG_1827IMG_1829選んだトゥルッリは生活や建築をチャックするには抜群のロケーションでした。


でも、同じような道がたくさんあって、レストランから帰る道を間違えて、くるくる迷ってなかなか帰れませんでした。

自分の不甲斐なさに、やれやれとため息をつきながら、やっと戻りました。
私の家は49番と番号がありますが、違う通りにも43,45、があり、きっと次だわと思いながら進むと50番、え!えぇぇぇぇなんでないの!???と。ちゃんと帰れるのかしら?レセプションもどこにあるのか?地図にマークしてもらったけど、。。。。。
でも、1時間ぐらい迷ってレストランのある角を見つけて、そこから記憶をたどり、そうねそうねパニーニのお店が角にあって、その先の角には小さな八百屋さん。これを左に見ながら来たわよね。と逆に進みながら歩きましたが、その先がY地に分かれていて、さっきはこっちを通って行きつかなかったから、今度はこっちに進もうと進みながら、こんなの見たわね、この家も見たわねと言いながらやっと帰ることができました。
疲れ果てベッドにバタンと倒れ込んだ途端に、ドアをノックされ、飛び起きると、女性の声が。
ドアについているガラス部分を隠しているもう一枚の木製ドアだけを開けて、外を見るとシーツなどを抱えている女性が立っていました。

3A92DB0C-DC78-40AB-B767-7ADFD945DDA03CDD5FD4-0212-4873-88C4-465094BA24B47E54DFCA-0893-4E94-9332-F13406ADB3E6C03F2226-83A7-4D18-B667-EC54F0B1CDE0なるほど、ルームクリーニングなのね。とほっとして開けると、電気ホットやカップやトレー、スプーンを持った女性も洗われて、部屋にセッティングをして行きました。
バスルームの掃除をしてくれた女性にチップをあげて、日本から持参した日本茶を入れて、一息。
昨夜はベッドメーキングもされていなかったので、自分でしてから寝ましたが、ホテルからの対応に対するアンケートのメールが届いていたので、お茶を飲むこともできない、ベットメーキングも自分でしたと返信したので、翌朝のすぐの対応!  
IMG_9576IMG_9577IMG_9579IMG_9580良かったわ。とこれまた一息。
イタリア料理に飽きたら日本茶と年越しそばを食べなくちゃと持参したカップ麺・緑のたぬきも食べられなかったら、かなりテンション落ちるわと思っていたので、あ~~~ほ~~~~んと良かった!と声が出ていました。

それから、地図とにらめっこ!朝間違えた道を検証して、これから行く場所を決めて、

OK!OK! モンティエリアに行こうと決め、とにかく小さな町みたいだけど、有名な土産物店が並ぶテレビでも見たトゥルッリ街へ行かなくちゃと家を出たのはもう2時半を回っていました。
IMG_1836IMG_1838IMG_1847モンテエリアへは歩いて5分も掛からず、
さすが26日のボックスデイは人手が少なく、また曇り空でとっても寒かったです。気温をチェックしたらアルベロベッロは最高で7度、8度と。

下に降りて大通りを横切りモンティエリアに入り、一番上まで登っても10分。

IMG_1845IMG_1833IMG_1834一番上には聖アントニオ教会がありました。








IMG_1835IMG_1840IMG_1841IMG_1842IMG_1843









IMG_1844IMG_1846聖アントニオ教会の前には小さな公園があり、そこにはリサイクルボックスがありました。

あまりにも小さな町で、モンティエリアは、すぐ見終わってしまいましたので、一度反対側のレセプションのあるエリアに行こうと決めて、戻りました。



IMG_1850IMG_1852IMG_1854IMG_1856朝食を食べたレストランのある広場はモンティエリアから上がったこの広場の角にあります。
そこからまっすぐ通っている道を北側に進むと「あ!あった!ホテルのレセプションが」と、これまたほっとして、
真正面に見える聖メディッチ聖堂(正式名は聖メディッチ・コズマ・エ・ダミアーノ)へ。

ちょうど教会の鐘が鳴り始めて、晴れて眩しいくらいの青空の小さな町の空を鐘の音が覆っていました。
この教会は、どこからも見える!これをランドマークに散策すれば問題ないねと確認しました。
IMG_1860IMG_1863その後は、聖堂の裏にあるトッルッロ(トゥルッリの複数形らしい)・ソヴァラーノ(1744-1809年築)へ行きました。博物館になっていて昔の生活が観れます。

この建築は、トゥルッロ建築で2階建て住居。高さ14mあり12の円錐形の屋根があり、技術的に大きな発展があり、空積み建築の原型を保ちながら主要な壁を覆うようにローマンアーチで支えられています。



IMG_1864IMG_1865IMG_1866IMG_1867IMG_1868









IMG_1869IMG_1871IMG_1872IMG_1873IMG_1874









IMG_1875IMG_1876IMG_1877IMG_1878IMG_1879









IMG_1880IMG_1881









エス・デザインのfacebookにもご紹介しましたが、(下記抜粋)

このトゥルッリの構造は石の組積造で、現在はセメントをつなぎ材として使っていますが、建築当時から長い間、モルタルや木材の使用を禁じられていたので、大きな石を積み上げ、隙間に小石を充填して作られていました。
1635年にアクアヴィーヴァ伯爵が自身の邸宅を建てた際に、パン窯、粉挽き屋、巡礼者達の宿、礼拝堂(聖メディチ聖堂、昨日鐘がなっている教会の動画でご紹介)など 建築を命じ、農民達に土地を与え、セーメントを使わずに建てたトゥルッリには免税の措置をしたらしいのです。
その理由は、国王の視察訪問を予知した伯爵が一夜のうちに壊し、住民達を遠ざけ、視察が終わるとまた、建て直し、領土拡大を図るためだったと。
だからモルタルの使用を禁じたんだそうです。この組積造の職人さん達は、円筒形の高さ2メートルの壁の上に円錐形の屋根を石をずらして積み上げて独創的な構造と安全性に富んだ建築を生み出し、歴史を重ねてきています。
壁の厚さは約800-900mm寒い冬❄️に、洞窟にいるような暖かさを保っています。


さて、その後地域資料館へ行きましたが、この建物は家からレストランまで帰る道のパニーニを売っている店のある小さな広場の家へ続く道沿いにありました。
な~~んだ、ここだったのね、と。
IMG_1883IMG_1884IMG_1885IMG_1886IMG_1887









この資料館は、日本語の本を売っていましたので、購入し、お腹が空いたの遅いランチを食べにまたモンティエリアに向かう大通りに戻り、レストラン探しをしました。

IMG_1889IMG_1890大通りに面した屋外のテーブルに座ってメニューを見ると、キャ!価格が高い!

このプラスチック容器に入ったパスタとワインで日本円で2,211円!
それにホークなどもプラ!

観光客は馬鹿にされてるなとしみじみ思いながら空腹を満たし、人でにぎわい始めた暮れていくモンティエリアへもう一度人間ウォッチングに行きました。

IMG_1891IMG_1892IMG_1893IMG_1894IMG_1895









IMG_1896IMG_1898IMG_1899IMG_1900IMG_1904









IMG_1905IMG_1906IMG_1907IMG_1908IMG_1909










IMG_1910IMG_1912IMG_1914IMG_1915








そして私の滞在しているピッコラエリアに戻るとナイトツアーが始まっていました。
IMG_1920IMG_1922IMG_1923この昔の生活の再現フェスは食べ物、衣装、生活スタイル、すべて忠実に再現されているとの事。

小さなドーナツのような揚げパンを見て「これは何?」と聞くと食べて、どうぞ、どうぞと言いながらくださいました。

う~~~ん、まずい!
でもグラッチェとお礼を言いました。

IMG_1927IMG_1930IMG_1947トゥルッリ職人さん、布屋さん、パン屋さん、ホーカッチャ屋さん、色々なブースにはそれぞれが配置されていてイタリア語で説明したり、ダンスを踊ったり、商売の様子の寸劇をしたり、
面白かったです。
可愛い女の子が手を振ってくれました。



IMG_9567IMG_9568IMG_9569いくつもの20数名くらいのツアーグループがガイドさんの説明を聞きながら、そのブランチを回っていました。

残念ながら私はイタリア語、全く分からず、踊りや地元の人たちが演じる寸劇のレベルの高さ、表情や声などから想像していました。


一通り、全部を回って家に帰りシャワーをしようと思い、ふっと気が付いた壁!
IMG_1916バスルームと寝室を分けている壁は下地は石膏ボードで仕上げは石の模様の漆喰と気が付きました。

なるほどね。
今は、こうやって仕切っているのねと。
これは今の日本でもしていると思いました。

そして、何キロくらい歩き続けたのかな?と思いながら疲れ切ってこの日も爆睡でした。

つづく。

最近の私、休みと仕事とLife work

早いものですねぇ~、昨年の暮れから一月初め掛けカンボジアシェムリアップに教育支援に行き、その後ノルウェー、」ウズベキスタン、そしてカンボジアの子供たちの教育支援の為のチャリティーライブの準備に追われ、仕事も同時に3件進め、走り続けて気が付けばもう12月になってしまい今年も終わろうとしています。


でも、その間、友達とブドウ狩りに行き、11月の終わりに昇仙峡に行きました。

IMG_8681 IMG_8689日差しが強くて日焼け対策をしていきました。

生まれて初めてのブドウ狩り! 友達は何度も来ていると言ってテキパキ!





IMG_8682 IMG_8683 IMG_8683 IMG_8692






私たちは巨峰を選びましたが、1房を食べただけでお腹がいっぱいになりました。

IMG_8694 IMG_8695 IMG_8699 IMG_8705 IMG_8708








サンシャインマスカットをお土産にして、連日粒が大きいので少しずつ楽しみながら食べました。
1房の大きさに、びっくりです!

息子にお誕生日を祝ってもらいましたぁ~~~~~♡♥💛
橋本にある予約制の懐石料理です。

いつもながら、日本料理の美しさは、やっぱり世界に誇れるとしみじみ実感します。
IMG_1727 IMG_1728 IMG_1731 IMG_1732 IMG_1733









IMG_1734 IMG_1735 IMG_1736 IMG_1737 IMG_1738









IMG_1739 IMG_1740 IMG_1741 IMG_1742 IMG_1743








毎年親子で思い出つくりをしているので、欲しいものはないからプレゼントはお食事でいいからと。

静岡からわざわざ来てくれてお食事をして翌朝、新幹線で帰った息子です。
ありがとう。母からのプレゼントは、オソロのサングラスとケースでしたが、私の兄お勧めの軽いサングラスでした。壊れるまで思い出を共有でしょ。

仕事では、会社のfacebookにも公開しましたが、ビックサイトの展示会へGO
展示会ではいつもカーテンの制作を依頼しているめいくまん、の鈴木さんに会い、インスタ用に設置された壁を使って、写真を撮りました。
もっともインスタは忙しいのでしていませんが。。。
2017-11-17-15-32-46 2017-11-17-15-34-58 2017-11-17-15-35-31 2017-11-17-16-44-02 2017-11-17-17-26-17








傘で空を飛んだり、チョコの壁を登ったり、エンジェルになったり、歩き疲れた展示会場の一角で、ちょっと一休みしました。
帰り、お台場の観覧車が綺麗な雪の結晶のようにライトアップされていました。

2017-11-28-13-49-47 2017-11-28-14-34-57お休みの日に、愛の素の活動を日ごろから支援してくださっている支援隊長の花咲爺様にプロジェクターの操作をお願いしましたので、その打ち合わせに来ていただきました。
いつも鎌倉から来てくださり、時間がない啓子さんだからと私の都合に合わせて下さっています。

人の心の優しさや暖かさをいつも感じさせて下さる花咲爺様です。
申し訳ないほどのお食事でしたが、時間いっぱいに使って写真の整理と動画選びをご一緒にしました。  ありがとうございますの言葉しかないです。

それから、お友達が誕生日に昇仙峡とぷくぷく温泉のバスツアーをプレゼントしてくれました。
彼女は何度もバスツアーに参加しているので、今回もテキパキ。いつも自分の車で行ってしまう私は、初めてなのでワクワクでした。
バスツアーの楽さもたっぷり知りました。
ハーブ園にGOoooooooooooo
2017-11-29-10-31-11 2017-11-29-11-03-01 2017-11-29-10-31-37 2017-11-29-11-02-50








蘭やポインセチア、見たことがないハーブなど見ました。

2017-11-29-11-03-25 2017-11-29-11-06-32私の顔より大きな柑橘系の果物や、エンジェルの翼の形をしたアメジストの原石。

ちょっと暗いですが、アメジストからエネルギーをいただいた(?)私です。

ここでオーガニックハーブで作った化粧品を二つ購入してから昇仙峡へ向かいました。なかなかのハードスケジュールでしたが、温泉では町を見下ろしながらゆっくり入浴してから帰宅しました。


2017-11-29-11-05-28 2017-11-29-13-27-30 2017-11-29-13-28-15 2017-11-29-13-29-30 2017-11-29-13-29-49









昇仙峡は水晶が取れたそうで、どの土産物店も宝石がメインで売っていました。

2017-11-29-13-32-41子供たちが小さなとき、今から30年ぐらい前に一度来たことがありました。
その時とは、すっかり変わって観光客を見込んでのお店が立ち並んでいました。

でも滝の音は、なんだかいつも心が洗われるような気持になるのは修行僧たちの荒行のイメージがあるからかしら?




それから美術館へ
2017-11-29-13-51-13 2017-11-29-13-53-51 2017-11-29-13-54-39 2017-11-29-13-54-50 2017-11-29-13-55-01









2017-11-29-13-56-33 2017-11-29-13-57-15 2017-11-29-13-57-35 2017-11-29-13-58-02山下清の作品も展示してありました。








2017-11-29-13-58-30 2017-11-29-14-02-44彼に見えた世界をほんのちょっと垣間見ることができました。
自然や人の生活への暖かさを感じました。

そして、子どものころから好きだった竹久夢二のコピーを久々見ました。


彼の絵の中の女性たちから、母の若いころの可憐さを感じるので、大好きでした。


2017-11-29-14-02-52 2017-11-29-14-02-58 2017-11-29-15-04-30 2017-11-29-15-05-25






2017-11-29-15-10-11 2017-11-29-15-10-29一本の木から虎や龍を彫り込んだ作品なども、外国からの観光客には受けていました。


宝石で埋められた庭をガイド付きで見て回り、その後宝石を買うことになるであろう店内へ。


なるほど、バスツアーとはこういうことなんだなと思いました。
メインの温泉は、露天風呂が気持ち良かったです。♪
ブドウ狩りに来た時に、車尾走らせながら下から見えたぷくぷく温泉です。「あ~~~あの時の温泉ね~」と友達と話ながら、暮れていく街を見降ろしていました。

それから、私のlife workの愛の素の活動で、相模原市民活動サポートセンターへ

さがせんチャリティーのリーフレットを持っていきながら、受け付けてくれたスタッフの皆さんです。

相模原市内には、びっくりするほどたくさんの市民活動をしていることを知りましたが、このサポートセンターに行くと、いつも必ず何か良いアドバイスなどをいただけます。

でもこの日伺ったのは、FMさがみ83.9MHzの朝の帯番組で、地道に活動しているボランティアを番組の中でご紹介して下さると言う企画があるので、その番組に出演依頼をしに行きました。



と言うことで、

FMsagami11月21日、9:10から出演し、愛の素のチャリティーライブの告示と愛の素の活動についてお話しする機会をいただきました。

実は2000年に帰国してから約2年、仕事をしながら日曜の夕方18:00~19:00までの一時間番組を持っていましたので、久々のラジオを通してのお喋りでした。
ラジオDJの竹中さんからお久しぶりですと挨拶があり、楽しい時間をお過ごしながらも、活動内容やチャリティーの宣伝をさせていただきました。
ご協力に感謝申し上げます。

この他に、4ヶ月の間大学生のサークルや大学に訪問し、休み返上で宣伝に動き回りました。
夜も連日、いろいろな人たちと会い、ネットワークを広げました。

一番大きな出会いは、県央福祉会(http://tomoni.or.jp/index.html)の理事長や職員の方、そして理事長付きで尚且つ、もざいくハウス(https://ameblo.jp/mosaiclife/  https://www.facebook.com/mosaiclife2014/ )の代表の林さんでした。

2017-12-06-15-04-17 2017-12-06-15-04-38県央福祉会のすぷらにて、林さんと。

実は、愛の素の活動が私一人にかかっている現実を抱えながらNPO法人の登録をとりましたが、模索しながらの活動内容は、カンボジアの子供たちが抱えている貧しさと社会的問題は解決されず、やっといただいた寄付を送り続けることに疲れ、そして一人で動いていてる活動に疲れ果て疲弊していました。


2017-12-06-15-08-34 2017-12-06-15-08-39 2017-12-06-15-19-23
ですから、「できることをできるだけ」と自分に言い聞かせながら、また無理しないことが長い支援活動につながると言い聞かせながら約7年間続けてきました。

仕事が終わって帰宅すると疲れ果てていて、もうIpad もメールもlineもfacebookも、何もチェックせず、昼間の仕事をしながらの活動時間のみにする!と決めて動いていました。
それは、心と身体と頭を休めたいと言う思いからでした。
現地から何度も届く子供たちの米代がないというSOSに苦しみ、それはかなりストレスになりました。
実際、仕事をしながらやり続けることは、仕事だけでも大変な時が多々あり、時間的にまた心の疲れもあり大変です。ですからそういう線引きは必要だと思っていました。

でも、林さんのフットワークの良さに目を開かされ、
愛の素と言う特定非営利活動法人を立ち上げたのは私ですから、まだまだ休んでいる時間はないと思い直した年になりました。

2017-12-16-13-39-28 2017-12-16-13-39-44 2017-12-16-13-40-30 2017-12-16-13-40-41






12月15日、愛の素チャリティーライブ&トークショーです。 2017-12-16-13-40-50





時々、カンボジアの子供たちの話をすると「余裕とお金があるからできるのよ」と他人事のように言われますが、カンボジアの孤児たち、貧しい村の中でお風呂に入ることもできずに真っ黒に垢が貯まったままの小さな子供たちがたくさんいる現実や、親たちは仕事にも付けず、怠けることが習慣のようになって、酒におぼれ、子どもには食べるものを与えられず、大人たちも苦しみの中にいて、子供たちはシンナーを吸い空腹を紛らわせる現実を見るとカンボジア政府の問題で、私たちには関係ないとは言えないとしみじみ思います。
同じ時代に生きている人間同士、カンボジアに進出したベトナム・中国・韓国、そして日本の金持ちたちから建材を買い入れたり、安い賃金で働かせながら企業が日本経済の一部を動かしていることを見ると、私たちの生活は、貧しい国の人たちからの搾取で成り立っていると感じることがあります。

一人の大人として、この世界に生き、生かされていることへの感謝や責任をできるだけ果たすことは、必要な事で、自分だけが良ければいいという価値観が蔓延しているこの世の中で、地道にボランティア活動をしている人たちの活動に目を向け、心を開き、人生を全うすることに人としての本当の美しさがあると思っています。
🌟左から三ツ矢くんと、菅野さん、次はアンちゃん、三枚目は私のお客様のS様、そして桜美林大のカンボジア支援をしているちょんれーんのみなさんと。🌟

ですから、来年はもう一歩、踏み出して、時々弱音を吐きながらも、進んでいけたらと思っています。
www.facebook.com/ainomotoainomoto  
2017年、12月16日、そんなことを感じながら仕事の合間に、これを書きました。
このチャリティにご協力いただきました高橋秀明会計事務所の皆様、ちょんれーんの皆様、菅野ファミリーの皆様、そしてシンガーソングライターの三ツ矢君、そして兵庫からいつも来て助けてくれるメンバーのこうこさん、 たくさんの方々にご協力いただきましたこと、心よりお礼申しあげます。
さて、仕事に戻りま〜す🎵

え?!これってさぼりになっちゃうのぉ~~~  てへっ







シルクロード、ウズベキスタンの旅3

IMG_2008IMG_2009初めに、写真はクリックすると拡大します。

さて、翌朝も慣れない早起きをして、朝食をいただきまたエクスプレス列車に乗り、2500年の歴史ブラハへ向かいました。





IMG_2010IMG_2013IMG_2015IMG_2017








IMG_2018そしてまず、ホテルに荷物を置きに行きました。IMG_2030

私が好きな素材感と職人の手と歴史を感じる建物でした。
中庭があり、そこから各部屋に入れる動線です。





IMG_2031IMG_2032IMG_2033IMG_2034IMG_2035








IMG_2037IMG_2040IMG_2041IMG_2039バーには日本酒がありました。








IMG_2042IMG_2043荷物を置いてから、ランチを食べに行きました。

真っ白な外壁、内壁、天井のインテリアに、アンティーク風の照明器具が付いていました。

私も時々使う照明器具で、中国で作られているものです。
中国で作られ、ヨーロッパ・アメリカ・アジア・ロシアなどで売られています。
IMG_2045IMG_2046IMG_2048IMG_2049








伝統的な織物のテーブルクロスに、伝統的なお食事。お皿も伝統的な絵皿です。

IMG_2050IMG_2051私たち親子は、揃って食がそんなに太くないので、実を言うと何だか、暑さと、毎回同じようなメニューに目で見ただけで胸までうっぷと来るくらいのお食事でした。

でも来たからには、頑張って食べようと試みた親子でした。


IMG_2053IMG_2055IMG_2056IMG_2057









ランチ後は、
IMG_2058IMG_2059IMG_2061IMG_2063IMG_2066








IMG_2068IMG_2072IMG_2073IMG_2074IMG_2079









IMG_2075IMG_2076IMG_2077IMG_2081







IMG_2080IMG_2082このテラコッタのおじいちゃん人形をお土産に買いました。

今、家のTVがおいてあるガラスのテーブルの上にちょこんと立って、笑っています。

愛嬌のある可愛いおじいちゃんです。




小さなホテル建設現場を見学させてもらいました。壁の断熱はその厚さで生み出していましたが、屋根断熱は、かなりお粗末な工事でした。
気温が40度以上になるのに、断熱材を入れずに高い天井つくりをすることで、熱を遮断するという考え方でした。
IMG_2099IMG_2098IMG_2100IMG_2101IMG_2103








IMG_2104IMG_2105路地を歩いていて発見したスサを入れた昔ながらの土壁の塀。


この日は一日、日干しレンガの建築物を歩いてみて回りました。、アルク城・パラハウズモスク・イスマィール・サーマーニ廊などを、回りました。

その途中で結婚式に行く家族とご近状の方たちに出会いました。
動画でその様子を取りましたが、花嫁へのプレゼントを次々に抱えて行進していきましたが、ラッパと子供たちが叩くカスタネットの音が、ガンガン響いていました。

IMG_2107IMG_2109IMG_2119IMG_2121IMG_2122








お土産物屋さんが並ぶバザールへ連れて行ってもらい、息子のkaiは、有名なハサミと大皿を購入しました。
私は、冬はきっとかなり暖かいだろうと思えた毛皮の帽子を被ってみましたが、購入はやめました。
息子は、美人さんのお土産物の売り子さんと記念写真を。
IMG_2123IMG_2124IMG_2126IMG_2128









夕食はサンセットが見えるレストランへ。
IMG_2133IMG_2135足元に香取のスプレイをシュッシュとまき、落ち着かない夕食をいただきました。

でも夕日は綺麗でした。向こうに見えるのは光塔です。




IMG_2139IMG_2140IMG_2141IMG_2142IMG_2143









IMG_2144IMG_2145
ワインをグラス1杯だけいただき、ホテルに帰りましたが、中庭は雰囲気があって、良い空間でした。


日本の家にも、こういう雰囲気のある広い中庭が作れたらいいなといつも思います。


この日も親子で爆睡でした。
翌日も、日干し煉瓦の建築物を見に行きました。
マゴキ・アタリ寺院・ウルグベク・カラーンモスク、リャビハウズなどなど、盛り沢山で覚えきれないほどでした。

IMG_2146IMG_2147IMG_2148IMG_2149IMG_2151









IMG_2153IMG_2154IMG_2163IMG_2164









IMG_2165IMG_2166IMG_2167IMG_2173IMG_2176









IMG_2177IMG_2178IMG_2179IMG_2180









IMG_2181IMG_2197城の大きさにびっくり! 城の大きさを伝えたくて走り出した私の木陰で休んでいたおじさんたちが息子に、お母さんは何しているの?と聞いたそうです。






IMG_2199IMG_2200IMG_2201IMG_2202






この頃から、息子に異変が起きました。乾燥と暑さと食べ物で気分が悪くなり、顔色が真っ青に!

IMG_2203IMG_2204IMG_2205IMG_2207






それでもやめようと言わない息子はちょっと苦しいそうでしたが、見て回りました。
IMG_2208IMG_2210IMG_2213IMG_2214IMG_2226








メドレセ(神学校)は、現在も使われていますが、観光客が一部見学出来るように公開しています。
IMG_2228IMG_2229IMG_2230IMG_2231









身内の期待に応えて一生懸命勉強した子供や若者たちの姿が、この回廊を歩きながら見えたような気がしました。
IMG_2233IMG_2234IMG_2239IMG_2240








IMG_2252
IMG_2240IMG_2241IMG_2251小さな路地を通った時に、伝統的なパン屋さんを見つけ、その作り方を見せていただき、思お土産に購入しました。



ホカッチャ?のようなパンです。

IMG_2256IMG_2257IMG_2259IMG_2260IMG_2261








IMG_2262IMG_2263IMG_2264IMG_2265









ランチで、さっき買ったパンをいただきましたが、焼き立てなので美味しかったです。
それから、ホテルに帰り、高速列車:アフラシャブ号でタシケントまで帰り、空港へ向かいました。

IMG_8483IMG_8484乾いた空気と物凄い暑さと、羊の肉料理と、歴史的な建築物の数々と、(レギスタン広場、シャヒジンダ廊群、ビビ、ハニム、モスク、グリアミール廊、アルク城、バラハウズモスク、イスマィール、サーマーニ廊、マゴギ、アタリ寺院、ウルグベク、メドレセ、カラーンモスク、リャビハウズ等)見た数は、多くて、名前と建物が思い出せないけど、一年の一度の親子旅行が終わりました。

疲れ切ったKaiは体調を崩しての帰国、心配しながら帰国後に体調を崩した私、いつも元気なのにこんな旅の終わりは初めてでした。

でも、いつまで続けられるか分からないけど、今年の思い出つくりも終わりました。
ふっと乾いた空気や夜空に浮かんだ月の美しさを思い出します。

気が付けばもう12月、仕事と愛の素の活動に追われてあれよあれよという間に一年の終わりを迎えました。

さてさて、来年は、どこ行こう?
残せるものは思い出だけですから。

母のいろんな顔や話したことを忘れないでね。
今年もありがとうね、Kai君。



シルクロード、ウズベキスタンの旅2

スペイン製の高速列車、アフラシャブ号に乗り爆睡をしている間にサマルカンドに着きました。
この日は、朝からハードスケジュールでした。乾燥した空気と、物凄い暑さで、購入したミネラルウォーターは、すぐになくなり何度もなんども購入しました。

IMG_1689IMG_1688
初めに行ったのは、ティムール朝の君主だったウルグ・ペグによって1420年代に建設されたウルグ・ペク天文台です。

偉大な天文学者であり、学問を重視した偉大な君主だったようです。
最盛期は70人くらいの天文学者たちが働いていたそうです。
建築物は全長11mあり、建設当時は地震から守るために3層構造で、地中に設置されていたそうです。
半径40.4mあり、当時は最大で全高は21m、敷地は南北170m、東西に85m。太陽の高天頂と赤緯からの距離を用いて毎日の正午を正確に出していたそうです。
IMG_1690IMG_1691IMG_1699IMG_1715









IMG_1721IMG_1722IMG_1724IMG_1725









IMG_17261449年に保守的なイスラム教信者によって破壊され、この天文台が発見されたのは1908年で、それまで地中に埋まっていたそうです。

この時代に太陽年の長さを365日5時間49分15秒に決定したそうですが、実際の誤差は25秒で、コペルニクスによる計算の+30秒より、誤差が小さかったとガイドのノルディさんは力強く力説してくれました。
日本との学問、生活、どれをとっても進んでいた時代が明らかに有ったことは、やはりすごいと思いました。

また、ウルグ・ペグは赤道の傾斜角も計算していて23.52度は、コペルニクスや他の天文学者より精確で、それは現在までも続いているとの説明に、息子と一緒に「う~~~ん、すごいね」とつぶやきました。

それからガイドさん手配の車に乗り、アフラシャブの丘にあるシャーヒズィンダ廊郡に行きました。
ティムールの関係者のお墓が連棟されていて、青のタイル・モザイク・テラコッタなどで外壁・内壁を飾られている建物は、美しかったです。

IMG_1727IMG_1730IMG_1732IMG_1734IMG_1737









IMG_1737IMG_1739IMG_1740IMG_1742IMG_1743









IMG_1744IMG_1745IMG_1746IMG_1748IMG_1749









IMG_1751IMG_1752IMG_1753IMG_1754IMG_1756










IMG_1757IMG_1761IMG_1762IMG_1763IMG_1772









IMG_1780IMG_1781IMG_1782IMG_1783IMG_1785









IMG_1786IMG_1784IMG_1787IMG_1788IMG_1789









IMG_1790IMG_1792IMG_1793IMG_1794IMG_1795









IMG_1796IMG_1797IMG_1798IMG_1799IMG_1800









IMG_1802ウズベキスタンでは日本人が愛されているとのことで、どこへ行ってもウェルカムで迎えられ、またじーっと見つめられました。

ノルディさんから、この墓群にまつわる話を聞きましたが、それは676年に預言者ムハンマドの従兄のアッパースがイスラム教の布教のためにサマルカンドに来ていて、翌年、礼拝中にゾロアスター教徒に襲われて首を切られたそうです。でもアッパースは何事もなかったように礼拝を終え、その後自分の首を拾い、井戸に潜っていき、彼はそこで永遠の命を得、イスラムが危機に合うと助けに現れると言われているそうです。
人々は、二度、このシャーヒズィンダ廊郡に礼拝に来るとメッカに行ったことと同じ
みなされるので、ここに来る人たちが絶えないそうです。
今も信仰心の厚い人たちがお参りに来ています。
ノルディさんに何段あるか数えて上がってくださいと言われ、長い長い階段を上がっていきましたが、帰りの段数と違う人は、良くないと言われ、ちょっとドキドキでした。

それから、また車で裏通りを抜け、路地を抜けて、とりあえずランチになりました。

IMG_1804IMG_1806IMG_1807IMG_1809IMG_1810








なかなか小洒落たレストラン・オアシスに連れて行ってもらいました。
トイレのタイルの写真は必須だと思いパシャリ!

IMG_1811IMG_1812羊の肉料理でしたが、写真撮り忘れました。
パンは一般的なパンで、どの家庭でも食べているパンで、またスープはカボチャのスープでした。







ランチ後は、また車で、レギスタン広場へGO~

ティラカリ・メドレセ モスクとして使われていたそうです。 今は結婚の写真撮影の場所になったり、観光客が訪れています。
IMG_1816IMG_1817IMG_1819IMG_1822









IMG_1823IMG_1824IMG_1825IMG_1826IMG_1827









IMG_1830IMG_1831IMG_1836IMG_1837IMG_1839








遠近法を用いてマルク見えるようになっているそうですが、丸にしか見えませんでした。金箔と青のコントラストは目を見張るほど綺麗でした。
やはり宗教的な建築物は、異次元の世界を見せるために、どのようは宗教も同じだなと感じながら見ました。

IMG_1840IMG_1848IMG_1847IMG_1844








IMG_1849IMG_1850IMG_1852IMG_1853








この広場の中にはモスクで勉強する学生たちの寮がありました。現在も使われていますが、昔使われていた寮を公開しています。
ノリディさんが、日本と同じに炬燵が有ったんですよ!それにロフトも!と。

IMG_1854IMG_1855IMG_1862今は土産物屋さんも入っている建物があり、土産物をしっかり買っちゃいました。
と言うよりは買わされちゃいました。





いつもだったらこういうところでは買わないのに、何故か、息子と一緒にいると、ここで買わないと買う時がなくなるんじゃないかと心配になり、高額の土産物を買う羽目になりました。
画家が直接売っている絵画を数枚購入でした。

それから歩いて、ビビ・ハニムに行きました。
このモスクは、ティムールの妃がインドから凱旋帰国するティムールを驚かそうと思って建てたものですが、ティムールが帰国するまでに完成が間に合わない状況を抱えてしまった妃が、建築家の誘惑に負けて頬にキスすることを許してしまい、帰国したティムールに知られ、建築家は死刑、妃も突き落とされて殺された説と、一生黒いベールで顔を隠して生きた説など多々あるそうです。

IMG_1856IMG_1857IMG_1859美人の若いママと可愛い子どもに出会い思わず写真に納めました。

ドレスもきれいでした。





IMG_1876IMG_1879IMG_1880IMG_1883モスクの中庭には、説教台がありますが、巨大な大理石でできていてオスマン・クラーンという最古のコーランを置いたそうです。






それからシヤブ・バザールに行きました。

IMG_1886IMG_1888IMG_1889IMG_1902








現在の庶民生活を垣間見ることができました。
IMG_1907IMG_1910IMG_1911IMG_1913









レギスタン広場の一角にはシェルド・マドラサ、グリ・アミール廊などが点在しています。
それを回りながら、青のタイルも、廊もどれも同じように見えて「え?また同じような建物?」と飽きてきました。
そして行くところ、行くところには土産物を売る店が並び、売り手につかまると言う感じでした。

IMG_1914IMG_1915IMG_1916IMG_1917IMG_1918









IMG_1921IMG_1922IMG_1923IMG_1924IMG_1925









IMG_1926IMG_1927IMG_1928IMG_1930ホテルに送ってもらい一休みしてから、ノルディさんの家へ夕食にご招待されて行きました。






彼の奥さん(右・となりは兄嫁)は、18歳の奥さんで、それは一般的だそうです。

IMG_1932IMG_1933IMG_1931外壁の工事がまだ終わっていないそうです。

兄家族、弟、親たちと同居で、家の後を継ぐのは一番下の弟だそうで、日本の逆だそうです。

お父さんは亡くなり、お母さんは今モスクワへ旅行中との事でした。



IMG_1934IMG_1936IMG_1937IMG_1938









IMG_1939IMG_1942奥さんたちが腕を振るってくれた料理が並びました。
この国は男尊女卑の習慣がまだ残っているそうです。

私は外国人だからお兄さんたちと対等に話しても大丈夫で、また日本人だから、特に良いとの事。
ビールやお酒を飲む女性はあまりいないそうです。



偶然に私が持って行った日本からのお土産の髪飾りがとっても喜ばれました。
IMG_1940IMG_1941IMG_1943IMG_1944








IMG_1946子どもたちも柿ピーを大喜びで食べていました。
IMG_1957IMG_1948IMG_1966IMG_1968









IMG_1990IMG_1991IMG_1992IMG_1993IMG_1994









ちびっ子たちが、私に伝統の帽子を被ってみてと言って、はしゃぎ回るので、リクエストに応えて被りましたぁ~。
可愛い子どもたちでした。

車のドライバーさんが、夜のレギスタン広場が美しいからとホテルに帰る途中で寄ってくれました。
IMG_2004IMG_2006IMG_2007
満月とともにライトアップされた青いタイルとドーム屋根。

本当に美しかったです。





この夜は、勿論ヘトヘトで爆睡した親子でした。
お休みなさい、お月様。
つづく
記事検索
プロフィール

あくびちゃん

タグクラウド
QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ