営業という仕事の価値観の持ち方

帰国後、20年が過ぎましたがずっと思い続けている事柄があります。

私の仕事とは直接的に関わってはこないのですが、不動産を扱っている社内的な仕事のポジションにいる営業部の仕事について、見てきて思うことで、

不動産営業というのは、「売ってなんぼだ」という古くからの価値観があって、これは資本主義経済では当たり前のことで不動産営業だけではなく、この世の中の販売に絡む仕事をしている会社、経済を動かしている会社すべてに当てはまることですが、みんながその価値観にとらわれて、営業成績の良し悪しで、その人の価値が決まるような価値観は、どうかと思っています。

営業成績の悪い人は、それを負い目に感じて、自分は頑張っているというアピールや言い訳ばかりする人になったり(それはあなたの会社だけですと言われそうですが、本題はそこではないので、そこはスルーさせていただきます 笑)、成績の良い人は、悪い人を見下し、それが上司だったりした際には、内心人として馬鹿にしているから、関係が上手くいかず、その上司はその見下されている気持ちがわかるので、教育という大義名分の下でいじめっほいことをしたり、両者にとって良いことが一つもない状況が生まれ、負の連鎖内で両者共苦しんだりするケースもあります。
部下の場合は、今はパワハラなんてことが言えますが、以前は言えずにその傲慢さに唯々耐えて、心身ともに壊すということになったりします。

経営者側からすると営業成績の良い人材は、絶対的に欲しい人材なので、成績重視での優先が生まれ社内的対応の差別化が生まれ、強いてはそういう人材に何も言えなくなる可能性があります。

頑張っているアピールばかり、言い訳ばかりの人は、どうしたら現状から抜け出せるのか?と分析したり、いろいろな方法を探ったり試したりという努力をせずに、自分の努力不足を会社批判にすり替えたりもします。

営業成績の良し悪しに捕らわれると、人としての生きる姿勢を見つめることをせず、自分はこれでやってきたのでこれでいいんだ、これが一番とあぐらをかいていきます。
人としての謙虚さに欠け、そして自分が逆のポジションになった時に、信頼もなく、なす術もなくなります。

自分はそんなふうに思ってもいないという声が聞こえてきそうですが、深く見つめるとそういう価値観が根付いていることに気が付きます。

結局この価値観には限界があると思いますし、努力をしないことが一番、良くないと思っています。小さなことでもいいから努力し続ける事、いろいろ試してみる事が必要だと思います。

努力をしていたら、そこに人間的な尊敬が生まれるし、障害がある人にも、人種が違っても優しい社会になると思います。

息子たちには、そういう価値観を持った人、そして社会を求めてほしいと思います。

いつかはっきり文字にして息子たちに伝えたいと思っていたことです。

今朝、仕事始めに九州の豪雨災害で家を失った人、命を失った人、そしてわずか3歳でネグレクトで餓死した子の命について、スタッフと話し、そういう話ができるスタッフで良かったと思いました。

IMG_2984亡くなった方々のご冥福をお祈りします。







世界中がコロナに支配されて

今日は7月3日。都内ではコロナの感染者が再び増えつつあり、近県の千葉、埼玉、神奈川県でも増えてきています。

やっとジムも再開されて、約数週間前からまた行きはじめ、3.5KGも増えてしまった体重を落とさなければと、数少ないスタジオスケジュールを見つめて、頑張って週4日、1つのプログラムに参加して、ジムのお友達と再会を喜び合っている矢先に、感染者増大のニュースが連日、TVで流れています。
ホストクラブやキャバクラからの感染者数が増えて、この世界の裏側が垣間見えている。

パーソナルディスタンスや消毒、マスクが必須の世界に変わってしまい、そのニュースの間に、人種差別・レイシズム問題がアメリカでは拡大し、世界中では子供への虐待や夫婦間のDV問題と、連日本当に見たくないニュースが、延々と流れています。

IMG_3318この子供たちのように人種差別がなく、ただただ友達、楽しく過ごすことができる友達としてみんなが成長したら、きっと世界は平和で優しい世界になると思います。


さて、通常でしたら、この時期に海外へ飛び出していますが、それもできずに、会社と家の往復、週1日の食材の買い出しは以前と変わりませんが、買うものだけを買って急ぎ足でスーパーを駆け抜ける生活。
家事や料理、アイロンがけも済ませ、以前と変わらずに、休みの日のルーティーンで11:00~11:30くらいには完了し、外出は、ほとんどない生活をしています。

IMG_2694IMG_3302IMG_2428そうすると、ポカーンと時間ができて、普段できないいろいろな事をして充実した時間に変えています。
バルコニーで、簡単なパニーニを作ってランチをいただいたり、キャンドルを灯して夜空をみて、友達へのメールの返事を書いたり、


夜空をまじまじと見つめるなんて、忙しくてできないと思っていましたが、
できるということに気が付きました。

IMG_3306IMG_3304IMG_2699IMG_3309ランチを食べたり、夕涼みをしたりしながら、前の公園の木々のおしゃべりに耳を傾けたり、小鳥たちの歌を鑑賞したり、
借りている本を読んだり。

そんな時間が生まれたのは、引っ越して以来で久しぶりでした。

IMG_2427ameIMG_3320いつも時間に追われているように帰宅する道で、
車を止めて空の写真を撮ったりしましたが、
空に心奪われて、瞬時に変わっていくその様に見入ってしまいました。

昼も夜も、空は、美しいんですね。
雨の日でも、風の日でも、空は美しいんですね。


先日も蚊取り線香を焚いて、雨の歌に聞き入ってしまいました。動画で撮影した雨ですが、ここでは静止画でしか公開できないので、イメージしてみていただけたらと思います。雨が樹木の葉っぱに落ちる音が素敵に聞こえてきます。


さて、ジムが再開されてからは、公園までのジョギング&ウォーキングには、行っていません。
きっと公園内の樹々や花たちも季節が走るように過ぎていく日々の中で変化していっていると思います。 
菖蒲園は、今が花盛りでしょうか? 見に行く前に、花の季節が終わってしまうかもしれません。。。


11210412_10153056517410829_5640563046300341566_nお休みの日の中で、充実した時間を過ごしたくて、お料理も気が付いたら何か作っています。
これは数年前に長野から取り寄せて作った赤のルバーブのジャムですが、今年は、モナの丘で緑のルバーブが売られていましたので、緑色のルバーブジャムと季節が終わってしまったのにリンゴが食べたくて輸入品のリンゴを購入したら、かなり酸っぱいかったので、それもジャムにしました。

IMG_2970IMG_2971小分けにして冷凍保存して、毎朝パンに、バターとジャムをつけて「う~~~ん美味しい~~~~」と自己満足しながら食べています。

先日のお休みにはしそジュースと万能だしを作りました。

左側が緑のルバーブジャム・右側がリンゴジャム(冷凍にしています)




IMG_2940IMG_2941IMG_2942IMG_2944甘さ抑え目の夏の飲み物です。
元気がなくなった時に、飲むとすっきりします
冷蔵庫に入れて冷やしています。






万能出しは、
IMG_2945IMG_2946IMG_2947IMG_2948昆布は刻み昆布をブレンダーで引いて、鰹節はプライパンで乾煎りしてから手もみして、煮干しは頭と内臓を取り除き、乾煎りして、ブレンダーで引き、最後にこれらを混ぜて、
ジップロックに入れて冷蔵庫へ。




IMG_2952この日のランチは、そうめんにこの出汁粉をかけてゆずを刻んで乗せて、めんつゆをかけて、おかずは、イワシが安かったので、イワシのかば焼きを作りました。質素ですがとってもおいしかったです







IMG_2979IMG_2980春、夏、秋と毎朝、時々お昼も飲んでいるスムージーは、元気の源です。 どうぞ、チャレンジしてみてください。 マンゴーやブルーベリーなどを入れるととっても美味しいです。


このコロナで人生が変わってしまった人たちがたくさんいると思います。
生きるすべを無くした方々、コロナ詐欺や命を失った方々、社会に目を向けるとたくさんの辛い出来事が蔓延しています。 昨日から熊本や鹿児島では豪雨による災害が人々の命を奪っています。温暖化の問題も深刻です。。。

私の生活は以前とあまり変わらないようですが、世界が大きく動いている中で、何が大切なのかを見つめることができる日々を過ごしています。

料理を作ったり空を見つめたりできる平和と幸せを感じながら、生きてる時間を大切にしたいと思います。


次の世代に幸せが手渡しできることを祈っています。










在宅ワーク日とお休みに

2020年5月は在宅勤務が3日ありました。コロナの自粛を受けての在宅勤務です。

こんなことは一生の中で初めてでしたが、それは日本だけではなく世界中の人たちがそうした時間を過ごしています。
世界中が色々な形に変化していくコロナヴィルスへの薬の開発が必須となり、連日TVでは、感染者の数がニュースやワイドショーで取り扱われ、それに関連し起こった事件などで、どのチャンネルも時間を埋め尽くされて行っています。

20日過ぎからは、会社は通常勤務に戻りましたが、私は以前も書きましたが、休みの日には外出自粛で家にいましたので断捨離や片付け、掃除をし、人がいなくなった公園までのジョッギングを日課にし、

IMG_2385IMG_2386在宅勤務の日は、一石二鳥と思い、仕事関係のチラシ配りを始めました。 時間がもったいないので、有効に使いたいと思い、パンフを作成し、いろいろなエリアにポスティングしています。
(この写真は、配り終わって帰宅するときに立ち寄ったお寺さんです。)

それも、なかなか楽しいウォーキングです。知らないエリアを地図を見ながら2時間半、休憩をはさみまた1時間。 このエリアを制覇しようと、心に火をつけ撒いています。  心の中で、「どうぞ素敵なお客様との出会になりますように」と願って郵便受けに入れていっています。
「 どうぞ、こんな仕事をしている会社ですのでよろしくお願いします」と思いながら配っています。

IMG_2387時々お庭で何かしている方に会うこともあり、そういう時は「こんにちは~どうぞこちらを読んでいただけますか?」と声をかけて「は~い、ありがとうございます。」とお返事をいただいて、また元気になり走り出します。
そんなやり取りも楽しいです
なんでも楽しむことがストレスを抱えずに進むことだと思っています。
ちなみに私は、サバイバルキャップにマスク、サングラス、衣服はスポーツウェアにランニングシューズですので、ちょっと怪しい感じですが、コロナの影響で、この服装もすんなり受け入れていただける状況です。



さて、前回、母について少し書きましたが、母の日までにはと思い続けていた母の着物の再生を水曜日の休みの日に朝からしました。

IMG_2500IMG_2501総縛りの絹の着物を午前中に解いて、午後はそれをサンドレスにしました。
軽くて気持ちの良い肌触りです。

これでお母さんの着物を無駄にせず、蘇らせました。
まだまだたくさん残してくれた着物を、これから少しずつ再生させたいと思っています。



IMG_2505IMG_2506また、カンボジアの孤児たちの教育支援のボランティア活動のメンバーから送られてきた菊芋の苗も植え、プランターにししとう、ピーマン、赤とオレンジ色のパプリカも植えました。初めてのことですが、とっても楽しみです。

菊芋は菊芋三兄弟と呼んでお世話をしています。
ししとうはシーちゃん、ピーマンはぴーちゃん、パプリカはどっちが赤でどっちがオレンジかわからなくなってので、パプ~と呼んでいます。

野菜に名前を付けるようでは、かなり危ない状況かな?なんて思ったりもしていますが、何しろ初めてのプランター菜園ですので、成長が楽しみです。

IMG_2589IMG_2595先日は家の中にいて「ビビビ~、ビビビ~」と鳴き続けている声があまりにも大きくて20分くらい鳴き続けていたので、
「なんだろう、何処で鳴いているんだろう?」とベランダのドアを開けたら目の前のお洗濯物のタオルの上にちっちゃなちゃっちゃな小鳥ちゃんがちょこんと止まってじっと私を見上げていました。
つぶらな瞳でじぃ~~~っと私を見つめるその瞳にキュン死してしまった私です。
そして、どうしていいのか分からずにパニック。どうやって助けていいのか分からずに、オロオロ。
「どうしたのぉ~?迷子になっちゃったの?色々話しかけてもちっとも怖がらずに目を見つめる小鳥ちゃん。
まだ雛のようで、頭の両サイドに産毛がふわふわと立っていて、私を母親と思って(?)見つめてきました。
「どうして助けていいか分からないよぉ~・・・」色々話掛けましたが、私がオロオロして右に左に動くのを、一生懸命に頭を動かして追ってきました。

そして、先日は母の日には、上の息子からブリザードフラワーが届きました。
お正月に来た時に、ソファでゴロンしていた息子と一緒に撮った写真です。
可愛いアレンジに嬉しくて、早速飾りました。
ありがとうね~。
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下の子とは、毎年そろそろ海外旅行に行く時期です。
それが恒例の親子行事で、プレゼントですが、今年は行けませんので、「仕方ないね」と話しています。
さてさて、今年は海外へ行く日が来るのかしら?????  気長に待ちましょうと思っています。

でも、自粛生活で、普段できないことがたくさんできて楽しい時間も増えました。

IMG_2367カンボジアの支援をしている子供たちとの楽しいおしゃべりの時間も、メンバーたちと一緒にできました。
いつもは、私だけですが、今回は、みんなが自粛していて時間ができ、カンボジアの子供たちは学校へは行かずに自粛生活で、全員、院内で毎日過ごしていました。(5月23日現在もまだ学校へは再開されずにいるとのことです。)


一人ひとりと、メンバーとお話しできるチャンスは、こういう時にしかできないことなので、「ソムナン、ご飯は2杯までね~」とか言ってみんなで大笑いしました。本当に本当に楽しいおしゃべりの約2時間でした。 現地ディレクターのスントンさんが経済的自立のために始めた養鶏事業の様子も見れて、メンバーもちょっと安心しました。 みんなで、成功を祈り、支援活動をしていますが子供たちの笑顔に元気をもらったメンバーたちでした。しばらく現地に行けなかったメンバーは子供たちが大きくなったこと人も驚いていました。

支援活動とは、時々なんだろうと考えます。 私は10年前に出会ってしまった子供達を過酷な状況を見捨てることはできないという理由だけで支援活動を立ち上げ10年間が過ぎました。

時々「啓子さんは時間と経済的に余裕があるからできるのよ~」と言われることもたびたびです。

でも、私の生活は、この自粛生活に入って約3か月以外は、毎日駆け足で過ぎていきます。
必死で仕事をし、自分の生活を作り、時間もお金もありませんが、子供達を助けるために何ができるんだろうと思い続けて、それを少しずつ形にしてきています。村にいる置いてきぼりにされた子供たちはまだ、まだたくさんいます。真っ黒に汚れた顔や身体で、差し上げた少しのクッキーを握りしめて、「オックン、オックン」と小さな声でありがとうを満面の笑顔で言ってくる子供たちに「こんな小さなことしかできなくごめんね」と心が痛みます。キラキラ輝いて瞳が汚れなく育ってほしいと願っています。

「米がない」と現地からのSOSが届くと、必死で支援金を集めて、現地に送金しています。
小さな活動ですが、現在はフォスターペアレントが子供たちについてくださって、学費の支援活動は、少し落ち着いてきました。
でも新しい子供が保護されたと聞けば、フォスターペアレントを探さねばと、頭の隅っこに置きながらの日々を過ごしています。
世界には、学校にも行けず、親が突然いなくなったしまった子供たちが、たくさんいます。 戦争下の子供たちの状況はもっと酷い状況です。この世の中の出来事は自分に関係のないことではないと思っています。私たちの生活を支えていることや、つながっていること、関係していること、すべては私たちに関わってきているんだと、年を重ねてしみじみ思います。  自分の生活だけにしか目が行かなかった若い時、年齢を重ねてもそういうことに目が行かない人は、たくさんいます。でも、目を開けばこの社会、世界を作っているのは、自分なんだと気が付きます。  都合のいいことだけを見たいのが人間ですが、その甘えは、やはり自分勝手だと思うのです。
自分ができる事でいいから、またそういう子供たちがいる事にも目を向けられる大人でありたいと、私は思っています。

さて、また自粛生活の話に戻りますが、IMG_2600大好きなムーミン&ミーの生地で丁寧な縫い方でマスクを作ってくれた会社のスタッフのお姉さんに感謝です。

自分で作ったマスクより、はるかにかけ心地が良く肌に優しくて、顔の形にぴったりで、大好きなミーやムーミンの可愛い柄で、とっても嬉しいです。

連日、お洗濯しながら使っていますが、不織布マスクよりは肌も荒れずにすっかりお気に入りになりました。

こんな風に、自粛生活の中でマスクを作ったり買い物を何度もせずに料理もいろいろ工夫している方々には、やっぱり人としての信頼が持てますね。

さてさて、そんな生活の中でジムにも行けなくなったのでぷくぷくと体重が増えているのでジョッギング&ウォーキングは休みの日の日課になりました。
そんな時に、移り行く季節をしっかり感じることができます。
2月の中旬から始めましたが、先日の休みも公園まで走りました。
その時に、出会うお花たちに心を癒されています。

IMG_2621IMG_2630公園には、曇り空の日は人がほとんどいません。

唯々風が木々を抜け、葉の音を聞かせてくれます。
空を向けていく音を聞かせてくれます。

その音に体中の意識が集中すると、自分の体の中までも通り抜けていく風を感じます。
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公園内、公園までの道。 たくさんの花が咲いています。

IMG_2633IMG_2635IMG_2636水草や咲き始めた紫陽花が夏が近づいて来ているのを感じます。

ぜひ拡大してみてください。どの花も個性的で美しいです。





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綺麗なお花たちをご紹介できたでしょうか? ここのところの2回分に出会ったお花たちです。

そして、次の休みには何をしようかと思っています。
IMG_1284IMG_1290IMG_1296今年のバレンタインディー作ったドライイチジクを入れた生チョコの写真ですが、クリームリキュール(ベリーズ)が残っているので、また生チョコでも作ろうかと思っています。

仕事の合間にちょっと食べると俄然元気が出るチョコです。



仕事のパンフレットは1400枚を印刷会社に依頼したので、出来上がってきていますので、それも配りたいと思っています。

こんな時間を過ごしながら日々が過ぎていくことに感謝です。 生きていますね~










母の日に思うこと

IMG_2310*写真はクリックすると拡大していきますので、ぜひ、拡大してみてください。樹々の生命力や小鳥たちのさえずりが聞こえてきます。

さて、今年も母の日が近づいてきました。 母は72歳で突然この世界から別の世界に行ってしまいました。

心の準備もできずに居なくなった母を思い、癒えない悲しみは深くなり、いつも母を思い続ける日々を過ごし、何となく心の中の母に、話しかける日々が何年も何年も続きました。

このブログのページにも、何度も母のことを書きましたが、今、やっと普通に母のことを話せるようになりました。

で、いつもながら母に感謝することばかりですが、その一つ、それは、母の生い立ちや母自身の子供時代の話をしてくれたことです。それらは母自身の経験から生まれた人とのかかわり方や、その分析です。

母は養女として育ちましたが、自分の本当の兄や妹たちは大学病院の医者と裁判所の書記という仕事に就きました。
でも、母は養女になった家で学校にも行かせてもらえず、妹や弟たちの面倒をみる辛い思い出の中で育ちました。
でも、母から6人いた弟や妹たちの悪口を聞いたことはありませんでした。
また、弟・妹たちのお世話が大変だったとも聞いたことがありませんでした。

IMG_2311母は長女として弟、妹をとっても可愛がっていたようです。
それは弟、妹たちが大人になった時に、彼らから聞かされた事実でした。みんな母を頼って私たち兄弟が子供のころ、我が家に一緒に住んだ時期がありました。
そのおばさんやおじさんたちを、私や兄弟は母が呼ぶようにかっこちゃん(和子おばさん)ひーちゃん(弘子おばさん)ちーちゃん(千代子おばさん)あっこちゃん(敦子おばさん)まさみちゃん(まさみおじさん)かずちゃん(かずおおじさん)と呼んでいました。

かっこちゃんは、おしとやかで優しさが見じみ出ている女性で、結婚式の写真はとっても美しく、子供ながら「かっこちゃん綺麗」と思っていました。

ちーちゃんは、テキパキしている女性で、歯に衣着せぬ女性で、いつも楽しいお喋りで、元気をもらいました。

ソフトボールをしていたあっこちゃんに影響されて、私もソフトボールを高校時代部活にしていました。そのしっかりした女性の姿勢がキラキラ輝いて見えました。

ひーちゃんは、末っ子らしい甘えんぼさんの性格に子供ながら可愛いなと感じたりしていました。

まさみちゃんは、母の仕事をずっと一緒にしてくれていて、給与を払っていました。

かずちゃんは、一番短い期間、うちに一緒に住んでいましたので、当時は若者というのはこういう人いを言うんだと思ってみていました。

みんな母を”姉さん、姉さん”と呼んでいました。

叔父、叔母たちから聞く母の話から見えたのは母への感謝でした。

母は実の妹も可愛がっていて、大人になって裁判所で働くようになってから、我が家によくお遊びに来ていました。
彼女は笑い上戸で、母の冗談や私の冗談にも涙を流しながらケラケラコロコロと笑っていました。
母と私も笑い上戸で、笑い出すと中々止まらずに、3人で泣きながら笑ったことを思い出します。

そんな母ですが、私が大人になりかけたときに、ちょっと心が痛くなる思い出話をしてくれたことがありました。
それは母が初潮迎えたときに、養子先の母、(私にとっては祖母です)が汚いものでも見るような眼をして、そのように言われ、扱われたとの話してくれました。その話をしながら母の目は悲しみでいっぱいでした。
私は祖母にその理由を聞く機会はありませんでした。

それ以外は、学校に行きたくても行けなかった、子供がたくさんいたから行かせてもらえなかったということはよく言っていました。
だから私が学校を休みたいというと、ただ行きなさいとしか言わない母でした。
きっと母から見たら「何贅沢を言ってるの!学校に行きたくても行けない人がいるのに!」と思っていたのだと思います。私のわがままや気弱な弱気な気持ちは一切受け付けてもらえませんでした。  またそういう時代だったのでしょう。

そんな母でしたが、養子先のお母さんとお父さん(祖母、祖父)の面倒もよく見たと思います。 私は子供のころ、祖母と祖父が大好きで時々お泊りに行っていました。 
何故かというと叔母さんたちと過ごす時間が好きで、いろいろな大人と過ごす事は、私にとっては興味深い時間でした。      小学校6年生、中学生になった私は、3回くらい自転車で祖母の家に向かいました。
IMG_2314驚いたお祖母ちゃん、お祖父ちゃんでしたが、私にとっては、ただ単に私の兄たちがやったことを真似しただけでした。
兄たちが帰宅後に話していた、祖母たちが喜んでくれた話や自転車で行く道での大変さの話がとっても魅力的でした。
何か大変大きなことでもしたような充実感たっぷりの顔をしていた兄たちでした。
だから私も大冒険がしたくて行きたくなり、3度ほど挑戦し得意になって帰宅した私でした。

でも、帰り道暮れ始めた道に心細くなり、必死で自転車をこぎました。
心の中では半泣き状態でした。「負けるな!自分でやると決めたんだぞ!」と言い聞かせながらやっとの思いで帰宅したことを思い出します。

だから、今も夕暮れに暮れていく空を眺めると、何故か心細さと物悲しい思いになります。
と同時に、子どものころも感じた地球という星のエネルギーも感じます。
帰宅する自分の背中に受けた真っ赤にめらめらと燃えていた夕陽。
それは自分の手に届かない大きな大きなエネルギーでした。

子供のころの思い出や焼き付いた映像は、きっとこんなふうに死ぬまで生き続けるんだろうと思います。

こういう時に、いつも「お母さん!お母さんもこんな夕陽を見たことある?」と聞きます。
「こんな夕陽を見て、何を思ったの?」と聞きます。

きっと母の人生の中にも、こんな夕陽を見たことはあるんだろうと思い、一人納得をします。

以前にも、ここに書きましたが、母の数少ない学校での自慢話は、書道が好きで書初め大会のときに、父兄や全校生の前で、先生に言われて講堂の舞台の上で書を書いたことです。

高揚しほっぺを赤く染めた母が、小さな体で大きな筆を力いっぱい動かして書を書いたその時の気持ちが手に取るように伝わっていました。
恥ずかしがり屋さんの母が精いっぱい頑張って書いた力強い書を、私も見たいと思いながら話を聞きました。

学校へ行きたくても行けない人がいる事、貧しさは恥ではなく、学力の低さは人間性に関係ない事、人を見る時に心を見なさいと言い続けた母の思いは、私が人に対する判断の指針になっています。

母が私達、兄弟にあなたの生き方や考え方を語り継いでいないことに気が付いた6,7年前から、私は自分の大きな過ちに気が付き、時折話すことにしていますが、それは全然足りません。
子供のころから伝えていたら、こんなに風に焦らなくてよかったと思います。

あなたのこと、そして私の父のこと、そして私が感じたこと、考えたこと、もっともっと話してくるべきでした。

子供に残せるものは財産ではなく、生き様です。

この世界の中で生き続ける力です。 
二人の息子たちは、独立し、今のところ自分の人生をしっかり生きています。

でも、私の祖母、祖父、母、父の人生の話を伝える時間は絶対的に必要だったと思っています。
小さな身体で、お店を切り盛りしながら、美味しい食事を作り、クルクルを動きまわり掃除をし、洗濯をし、休む暇もなく動き回っていた母の生活を思い出します。

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IMG_2341IMG_2345 萌えだした緑色の季節の中で、
お母さん、あなたが楽しみに育てていた色とりどりのジャーマンアイリスの季節が来て、

私はお母さんを思いながら、コロナに負けるなと呟きながら一人走り続けています。

今は、子供たちにも会えませんが、電話ではちょっとおしゃべりをしています。
友達にも会わずにいます。

そして、
いつも忙しく仕事をしてきた私の時間、子育ての時間、毎年母の日が近づいてくると、母を思い、子育ての反省をしている力不足の私です。

2020年コロナウィルスで5月末日までの自粛となった今、休みは誰にも会わず、暮れ始める時間にほとんど人のいない公園までジョギングをし、体力をつけています。

また、元気でみんなに会えますように


2020年思い出に深く刻まれ続ける春

今日は2020年4月16日木曜日。 ひと段落した仕事の手を止めて1月の後半からのコロナヴィルス上陸と今までの経過や、現在の日本の状況について考えています。

IMG_1536IMG_15321月3日から中国、武漢滞在の30代の日本人男性がコロナヴィルスにかかり6日に帰国し、感染はないとされていたらしいが、クルーズ船ダイヤモンドプリンセス号に乗っていた人たちが同船者の中国の人たちからコロナが感染し、連日ニュースでその状況が公になり、現在は、東京都内がロックダウンする必要があるが法的な効力がないからそれはできず、自粛という形で呼びかけられ続けています。
公立学校は2月中旬ころから休校になり、3月も16日くらいまで休校になり、卒業式ができない学校や4月を迎え入学式が簡素化され、都内の感染者が連日増え続けている中で、緊急事態宣言が出されました。海外の様子を以前からチャックしていましたが、医療崩壊が起き、亡くなられた方々がたくさん出ていましたので、日本にも起こるだろうと日に日に意識は高まってきました。

中国で始まったコロナ問題で、中国が大変な時に、中国人のお友達に連絡をして「マスクを送ってあげたいけど、今日本でも手に入らないの」と告げました。そうです。二月の2週目には、もうマスクの入手が難しくなり始めていて、ドラッグストアを梯子しても見つけられませんでした。すると彼女から「日本から大量のマスクが送られてきて、本当にありがとう」と連絡がありました。 
この時は、日本人の優しさを誇りに感じました。
スペイン人のお友達からは、心を癒してと火が灯ったキャンドルの動画とメッセージが届きました。
アメリカ人のお友達からも、気を付けてStay homeと連絡が入りました。
NYでは何十万にも感染者が出て医療崩壊、イタリア、スペイン、いろいろな国の状況は命に優先順位が付けなくてはならない状況下で、医療従事者たちの悲鳴と苦しみが今も伝わってきています。


会社では、アルコール除菌液の設置を2月17日からすることを提案して正面入口と裏入口に設置し外出の際はマスクを!とドアに張り紙をして徹底させました。

それは移すのも移されるのも責任が伴うからです。仕事をしていたらいろいろな人たちに会いますので、その責任の重さを自覚する必要があると思い、知り合いの人たちにはその思いを告げました。
軽い気持ちでいる事への無責任さはお年寄りや子供達、病気のある方々の命を奪いかねないことを伝えました。そして、除菌、手洗い、マスクを徹底してもらうようにしました。

そんな中、仕事は来客者も減り、休みの日は外出を控えているので食糧の買い出しぐらいで、家で過ごす時間ができました。

IMG_2082家の中で普段できないことを片付けていくことを決めて断捨離を始めましたが、暮れに断捨離をしたので、捨てるものも少なく、あっという間に終わりました。この猫耳が付いたヒョウ柄のルームウエアはもう10年以上着て生地が薄くなったので、愛着がありましたが、思い切って捨てました。
夏の衣類は、カンボジアの子供たちに持っていき、自分のクローゼットにあるのはカンボジアで購入した1枚3ドル(350円)くらいのTシャツやスカートばかりになりましたが、それで良しとしました。

IMG_1952IMG_1947クローゼットやキッチンの片付けなどもして、休みのたびに仕事場へ持っていくお弁当の作り置きはいつもと変わらずにしていますので冷凍庫がいっぱいになってしまいました。
美腸スープを作ってみたり、お肉を焼いて、お魚を焼いて、麻婆豆腐作って、毎週色々作り、もう冷凍庫が何も入らないほどいっぱいになりました。ですから、15日の休みは何も作らず、14日の夜に竹の子の混ぜご飯を作っただけでした。




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先週は、買ってずっと終いっ放しのミシンを引っ張り出してハンカチでマスクを作りました。

IMG_1985IMG_1986IMG_2084手持ちのマスクに合わせて大体これぐらいだろうとチョキチョキと
切ってひだを作って両サイドにゴム通すスペースを縫ってゴムを通して出来上がり!です。あまりにも簡単なので、マスクが切れたら縫おうと、心の準備をしました。

花粉症なので1月に不織布マスクを買ってありましたが、コロナの問題がいつ収束するのか、分からない状況が続いているので、不織布マスクの内側にティッシュを入れて2日使うようにしていましたが、画期的なことを発見をし、今は仕事用にはキッチンで使う不織布の生ごみの水切りネットを切って内側に入れて使っています。不織布マスクと同じ素材ですから呼吸も楽です

ピンクのガーゼとタオル地のハンカチは、ジョギングをするときに呼吸が楽で、肌にも優しくてとっても良かったです。

マスク造りは、する前からできないとか、得意じゃないからとか言うのは、責任感の無さだと思っているので、見通しが立てたことで安心もできたので、良かったです。ちなみにハンカチと髪をまとめるゴムでも簡単マスクができます。 それも他人に移さない、移されないということへの責任感の問題で、おしゃれじゃないとかいう問題ではないと思っています。可愛いハンカチで簡易マスクを作り、不織布を間に挟んだら良いと思います。 ヴィルスプロテクトスプレーやアルコール除菌スプレー(これも不足していますが・・・)を吹きかけたらかなり効果があると思います。


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そして、もう一つの休みの日課になったことは、約1時間半のジョギングです。。
桜が咲き始める前から走り始めましたので、桜を見たり、お花を見たり、空を見上げたり。

人間社会はコロナで大変な状況下にありますが、変わらずに命をみなぎらせて空に向かって咲いている花や、燃え出した緑や空の色に心を奪われて見とれていると、エナルギーを感じます。
夕方に家を出て相模原公園まで、水道みち・緑道を走ります。

B6B84139-B04C-4C3B-B7BA-AC3CF1A243270D3D22DB-4A19-48B8-BDD2-F1B5A2FEC0BD人もまばらですし、公園内も夕方は子供たちがちらほらサッカーやバスケをしています。犬の散歩も人もちらほらです。
夕方はきっと、もう家路についた人たちがいて、空いているんだと思いました。

ここからは変わっていく花や木々の様子をお送りします。
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A64EDC28-547A-4F70-85FD-09EDC8D7B795EE303206-3554-4164-A5F7-EB1E8A2010ADIMG_1390IMG_1736仕事が終わった後に、市役所通りの桜が綺麗だったので、1時間のジョギングも始めました。
仕事が終わってからなので、無理をせずに夜のジョギングは連日ではなく、しています。

夜の桜も幽玄です。
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ジョギングをしながら撮るのは、ちょっとお休みができて無理せずジョギングできる秘訣かもしれません。

IMG_1957IMG_1958そして、先日のSuper moonは、写真だけ撮りました。

その大きさと輝きに見惚れてしまいました。

美しかったですね。




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IMG_1965IMG_1970IMG_1972花の明るさを見ると思わず、「可愛い~」と言葉が漏れてしまいます。





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そして、志村けんさんがコロナでお亡くなりになられたニュースを見て、YouTubeやテレビで過去の番組の紹介がされていて、かなりショックを受けました。
そんな時に、私は元気を得るためにも走りますが、自分の完全防備の格好に頭の中で、この日は「そうです!私が変なおばさんです!」という言葉がぐるぐる回っていました。
IMG_1982IMG_1983アラスカに行ったときに生前の父のために買ったお土産のハットをかぶり、サングラスにマスクで走っていますから。


そして、一週間ごとに変わっていく木々や花の様子に、生きていることを体いっぱい、心いっぱいに感じ帰宅します。



IMG_2086IMG_2087IMG_2091もう、新緑が萌え始めています。

沈む夕陽に向かって走ると、太陽から「がんばれ~」と言われている気になります。

そして私は太陽に向かって「ありがとう~~~」と呟きます。

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IMG_2095北風が冷たかった夕暮れは、スコットランドに住んでいた時に家の前に見えたHolyrood park(ホリールード パーク)の丘に向かって走った時やリバプールに住んでいた時に走ったSefton Park(セフトン パーク)の光景を思い出しました。綺麗に整備され整えられた公園は、日本との違いを知り、驚きましたが、今、相模原公園を走りながら、あの時に見た木々の大きさや木々の間から差し込む太陽を見て、ふっと「あ~~~同じだぁ~」と思いました。
透き通った空の青さも同じように見えました。イタリアのポンペイで見た冬の空の青さと同じです。

IMG_2096IMG_2116沈んでいく太陽を背に受け、伸びた自分の影に、分からないけど「ありがとう、生きてることにありがとう」という温かな気持ちで満たされて帰宅しました。

これから、いつまで続くか見通しが立たないコロナヴィルスと戦うために、責任を果たす為に最大の努力と自己管理をしようと思っています。

2020年の春は、生涯で忘れられない春になりました。

アウシュビッツへ息子と

二つの現場が一段落したので、以前から行きたいと思っていたポーランドのワルシャワ・アウシュビッツへ6月終わりから7月の第一週にかけて行ってきました。
イギリス在住の時には「ケイコは行かないほうが良いんじゃない?」という言葉があり、行きそびれていました。
それは悲惨な歴史の現実を受け止められないのでは?辛すぎて悲しすぎてかなりのショックを受けるからやめた方が良い」との身内の提案に従って行きませんでした。

でも、ずっと心に引っかかっていいました。

カンボジアのポル・ポト政権下で虐殺されたたくさんの知識人、子供たち、高齢者の方々障害者の方々の悲惨な歴史を目のあたりに見たのは約10年前で、その後カンボジアの孤児たち・貧しい子供たちへ教育支援活動を開始しましたが、人間の狂気、支配、欲、権力維持、洗脳等々、一人一人は優しかったりしても家族まで裏切り、権力に従い、考える能力が奪われるという状況下で自分を見失い、コントロールされ、非道になっていくのも人間なんだと思い知らされました。

戦争経験のない私、私たちはそう言うことを知る、見つめる、勉強する機会は少ないので、自ら動き知る必要がある、もしくは責任と言っても良いくらいのことだと思い続けてきました。
戦争経験のある家族が亡くなり、広島・長崎の原爆被害者の方々のお話を伺う機会も年々少なくなりつつある昨今、高校生にはぜひ知ってもらいたいと思ってきました。それは平和への願いを行動に変えるきっかけになると思ってきました。そう思い続けている自分自身がまず見なければ、しっかり受け止めなければならないとも思っていました。また、アウシュビッツも閉鎖に向かているとの噂も聞き、早くしなければとも思っていました。

たった一人のごく普通の人間が生きていく中でできることは、本当に小さくて、それを見たからと言って何ができる訳でもないけれど、ちょっとだけ先を歩く人間としてまずは目に焼き付けることくらいはできるだろうと、そして、「もう一人の人間として受け止められる強さが持てたんじゃないか?」と時々自問自答していました。

そんな時に、毎年恒例の親子海外旅行の計画をそろそろ立てようと、息子に「今年はどこに行こうか?」と話したら、「アウシュビッツどう?」息子があっさり「行かない?」と言ったので、「え?どうして母が行きたかった場所って知っていたの?」と思わず言葉が漏れました。
ワルシャワの建築とショパンミュージアムなどもあるから、「いいねいいね!」と即答でした。

と言うことで、息子企画のアウシュビッツ弾丸ツアーをしました。

行きのプライトは、機内で具合の悪い人が出て「ドクターはいませんか?」という機内放送があり、ロシアの小さな空港に不時着し、現地ドクターが来るのをなかり待ち、その後治療を開始し、数時間待ち、その方が入国の手続きが済み、警察官・ドクターと共に降りて行き、ワルシャワに着いた時は、クラクフへのプライトの出発時間はとうに過ぎてしまっていました。
もう乗れないと心配していた息子は、クラクフ行きのフライトも2時間半遅れていると知り一安心をしたようで心配顔から笑顔も出て、私たちはラウンジでゆっくりしようと思いました。

ラウンジで待っている間にお食事をしようとソファーに座って一息つきましたが、
そこへテーブルの上を片付けに来てくれた女の子が近寄ってきたので、ありがとうと言いたくて息子にポーランド語でありがとうはなんていうの?と聞くと「スパシーバ」と返事が返ってきました。
すっかり信じて満面の笑顔で「スパシーバ」と放つと、反対側のソファーに座っていた若者とその家族?が吹き出して声を上げて笑い出しました。その若者は顔を真っ赤にしながら笑い転げるという感じでした。

私はオロオロして息子にスパシーバは何語?と聞くとロシア語だよと。。。 あんなに満面の笑顔で彼女に言った言葉はロシア語だったなんて!!! からかったのぉ~~~
ラウンジのスタッフの女の子も笑っていました。。。。。そして小さな声でポーランド語でありがとうはなんて言うの?」と英語で彼女に尋ねると、dziękuję za(ジェンクーイェン・ザ)と彼女もはにかんだ小さな声で答えてくれました。

旅ってこういう笑えるエピソードが生まれます。そしてそれは顔を赤くした自分と反対側で笑い転げた若者たちと、息子の飄々とした声と顔と共に忘れられない思い出となりました。

時々、今まで行ったたくさんの国々や都市、場所、そして出会った人たちとの出来事、ハプニングは忘れられない思い出となって心に刻まれていることに気が付きます。人と話していて思い出すことがたくさんあります。
そして息子と行ったいろいろな国々での思い出を彼に話すと、「思い出を美化しすぎだよ~」と呟く息子です。 でも「思い出は美しいほうが良いし、母の中では、そういう風に刻まれているの」と答える私です。
目に焼き付いた美しい景色や出来事、、、、、いいんじゃない?!その気持ちは幸せ感になり、その話を他の人たちに話すときに、その時に感じた可笑しさだったり、美しさだったり、ちょっとムッとしたり、悲しかったり、そういうその時の感動や心の動きだったりが、目の前の景色や光景と共に蘇ってきて、、、そんな思い出があって良かったと思う私です。


さて、本当は5時半くらいに到着する予定でしたが夜の10時半くらいになり、タクシーを拾い、ホテルへ向かい疲れ切って眠りました。

翌朝はホテルからタクシーにて記念碑まで行き、現地の日本語学校(SUNSTAR School of Japanese)の開設者・講師をされている兵頭先生と彼の教え子のパトリシアに一日案内をお願いしました。
パトリシアは日本に三度来日している子で、、ミスコンで準優勝した19歳の超美人さんで、日本語はペラペラでした。
IMG_5273IMG_5274IMG_5274ポーランドの日本語を勉強している若者たちは何を考えているんだろう?どんな文化の中で生きているんだろう?と興味があったのでできたら交流をして情報を得たいと思って、兵頭先生に依頼しましたが、パトリシアはシャイな子で、あまり自分からは話さず、こちらの問いかけにはニコニコしながら答えてくれました。


先生曰く「一見大人しいけど頑固者」とパパのように話してくれました。

まず案内して下さったクラクフ・プワシュフ強制収容所の跡地。
今は公園のようになっていてそこを歩きながら兵頭先生は一生懸命たくさんのお話をしてくださいました。

IMG_5530膨大な敷地内にたくさん建っていた収容所。この収容所の外れに映画シンドラーのリスト(SHINDLER'S LIST)の中で登場している実在した冷酷なSS将校アーモン・ゲート少尉(レイフ・ファインズ演じる)の家が残っていてバルコニーから、その日の気分で収容所内にいる人たちを狙ってゲームのように撃ち殺していくシーンがありますが、その将校の家もあり、現在は不動産屋の社長が住んでいるとのことでした。
その家を見ているときに、ちょうどその人が高級車に乗り帰宅したので、私たちは足早にその場を去りました。

*下記、ウキペディアより
シンドラーのリスト』(: Schindler's List)は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年アメリカ映画。日本での公開は1994年2月。配給はUIP

第二次世界大戦時にドイツによるユダヤ人の組織的大量虐殺(ホロコースト)が東欧のドイツ占領地で進む中、ドイツ人実業家オスカー・シンドラーが1100人以上ものポーランド系ユダヤ人を自身が経営する軍需工場に必要な生産力だという名目で絶滅収容所送りを阻止し、その命を救った実話を描く。ホロコーストに関する映画の代表的作品として知られる。原作はSchindler's Ark トマス・キニーリー著

IMG_5532IMG_5531この映画は数回観ていましたので、それぞれのシーンを思い出しながら跡地を回りました。
ここはアウシュビッツの第一収容所入り口です。

1940年5月20日、ドイツ国防軍が接収したポーランド軍兵営の建物をSSが譲り受け開所。約30の施設から成る。平均して13,000 - 16,000人、多いときで20,000人が収容された。被収容者の内訳は、ソ連兵捕虜、ドイツ人犯罪者や同性愛者、ポーランド人政治犯が主となっている[注 13]。後に開所する「第二強制収容所ビルケナウ」や「第三強制収容所モノヴィッツ」を含め、アウシュヴィッツ強制収容所全体を管理する機関が置かれていた。

入り口には「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」の一文が掲げられている。「B」の文字が逆さまに見えることについて、SSの欺瞞(ぎまん)に対する作者(被収容者)のささやかな抵抗と考える向きもあるが、実際にはこの書体は当時の流行であった。10号棟には人体実験が行われたとされる実験施設が、11号棟には逃亡者や収容所内でのレジスタンス活動を行った者に対して銃殺刑を執行するための「死の壁」があり、そのほかには、裁判所、病院などがあった。収容施設は、女性専用の監房、ソ連兵捕虜専用の監房などといった具合に分けられている。また、アウシュヴィッツ最初のガス室とされる施設が作られたが、後に強制収容所管理のための施設となった。戦後、ガス室として復元され、一般に公開されている(ウキペディアより)

この日は乾いた熱風が吹いていました。
収容された人たちもこの暑さの中で水も貰えずに、そしてたくさんの人たちが死んでいったことを想像すると、風の中に悲しみを感じました。
焼け付くような陽射しと暑さ、真っ青な空と風に舞う乾ききった土埃が、建物の間を抜け、空に舞い上がっていく様は、気持ちが重くなり言葉もなくなりました。

丁度この時期は、フランスで熱中症のためにたくさんの死者が出たとニュースで言っていた時期でした。

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IMG_5537IMG_5538IMG_5539IMG_5541この壁の前にユダヤの人たちは立たされ、弾がもったいないと言うことで縦にならばされて1弾で何人まで殺せるかなどというゲームされながら銃殺されていったそうです。

着ていた衣類、靴、カバンに詰め込まれた衣類、持ち物はすべて奪われ、裸にされ、障害のある人たち、反ドイツ政府のドイツ政治犯も含めて殺されて行きました。レイプされた少女たち、お腹をえぐられた妊婦たち、虐殺されたたくさんのこどもたち。

小さな目が、この窓から空を見上げて、恐怖と悲しみに包まれていたことを思うと、喉の奥がヒリヒリと渇き、呼吸が重くなりました。

そして、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』(日本語訳:人生は美しい、原題:La vita è bella、英題:Life Is Beautiful)は、1997年イタリア映画ロベルト・ベニーニ監督・脚本・主演作品。第二次世界大戦下のユダヤ人迫害(ホロコースト)を、ユダヤ系イタリア人の親子の視点から描いた作品である。 (ウキペディアより)

この映画の中の小さな男の子の映像が、小さな靴や衣類、そして死んでいった子供たちの写真を見て、重なって見えてきました。
あの建物の角を父親は笑顔を見せながら曲がって行き銃殺されたんだろうか?(この映画はフィクションですが、きっと同じように生き延びた小さな男の子がいてパパが殺されるのを感じながらも声を潜めて生き延びたんだろうか?と思わずにはいられませんでした。
兵頭先生から聞くお話は聞くのがやっとで、私自身の心は重く言葉は消え去り、暑い空気が充満した建物内部を視察し終わった時は、疲れ切っていました。
収容所の周囲に張り巡らされた有刺鉄線の二重の壁に、死を覚悟で飛びつき、死んでいった人たちやこの地で亡くなった人たちの魂が乾いた空に漂っているような、そして今のこの世界で生きている私に「今の時代で良かったね。人間のむごさを知ってください」と問いかけてくるようでした。

ここに残っているガス室は閉鎖され見学ができませんでしたが、それを聞いて何だかほっとした気持ちでした。
詳しく見たい方はこちらをご覧ください。https://maemuki.me/auschwitz1

それから、ショッピングモール内で涼み、簡単なランチをいただいてから、もう一カ所の収容所へ向かいました。

それはあのシンドラーのリストでも出てきましたが、列車に詰め込まれたユダヤの人たちが到着した場所ビルケナウ収容所です。

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(アウシュヴィッツ ビルケナウ きょうせいしゅうようじょ、ドイツ語: Das Konzentrationslager Auschwitz-Birkenauポーランド語: Obóz Koncentracyjny Auschwitz-Birkenau)とは、ナチス・ドイツ第二次世界大戦中に国家を挙げて推進した人種差別による絶滅政策(ホロコースト)および強制労働により、最大級の犠牲者を出した強制収容所である。収容された90%がユダヤ人アシュケナジム)であった。アウシュヴィッツ第一強制収容所は、ドイツ占領地のポーランド南部オシフィエンチム市(ドイツ語名アウシュヴィッツ[注 1])に、アウシュヴィッツ第二強制収容所は隣接するブジェジンカ村(ドイツ語名ビルケナウ)に作られた。周辺には同様の施設が多数建設されている。ユネスコ世界遺産委員会は、二度と同じような過ちが起こらないようにとの願いを込めて、1979年に世界遺産リストに登録した。

被収容者増を補うため、1941年10月、ブジェジンカ村に絶滅収容所として問題視される「第二強制収容所ビルケナウ」が開所。総面積は1.75平方キロメートル(東京ドーム約37個分)で、300以上の施設から成る。建設には主にソ連兵捕虜が従事したとされる。ピーク時の1944年には90,000人が収容された。そのほとんどはユダヤ人であり、このほかに主だったものとしてロマ・シンティが挙げられる。

アウシュヴィッツの象徴として映画や書籍などで見られる「強制収容所内まで延びる鉄道引込み線」は1944年5月に完成。被収容者から猟奪した品々を一時保管する倉庫や病院(人体実験の施設でもあったとされる)、防疫施設、防火用の貯水槽とされるプールがあった。ガス室は、農家を改造したものが2棟と複合施設(クレマトリウム)が4棟の計6棟があったとされるが、これらは被収容者の反乱や撤退時に行われた何かしらの証拠隠滅を目的とした破壊により原型をとどめていない。収容施設は、家族向けの監房、労働者向けの監房、女性専用の監房などに分けられており、1943年以降に建てられた南側の収容施設(全体の3分の1程度の棟数)は、湿地の上に満足な基礎工事もなく建てられており、特に粗末な作りであったと伝えられている。ここには主に女性が収容された。
(ウキペディアより)

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収容所の建物の大半は壊されていましたが、ガス室(見学不可)や人体実験の棟、幼稚園棟などが残されています。生き延びたユダヤの人たちは、老朽化した建物をそのまま保存したいとの意向で、補強材の支えによって、辛うじて建っている状態の木造建築物ー収容所が数棟のみ残されていました。

この駅に運ばれた来たユダヤ人たちを分別ごみのように振り分けていったドイツ人医者。

右か左かで生か死かが決まり、死の列に送られた人たちは、髪を切られ、シャワーと言われる部屋に送り込まれ、天井に空いた穴からガスが送り込まれました。

死体を運び出す人たちもユダヤの人たちの中から選ばれた人たち(自分の命を守ろうとした人たちがドイツ兵の傘下で働く道を選び、収容された人たちを監視し、報告し、卑屈に生きる術の中で生き延びていくが、いつ殺されるか分からない恐怖は、他のユダヤ人たちと同じだったと想像ができる)

地下に入り、独房や死体を運ぶ部屋(トロッコのようなレールの上を走る滑車が付いた小さな箱で運び出したようです)などを見て回りましたが、息苦しくなり、胸を何か重いもので押されているような状態になりました。悲しみ苦しみながら死んでいった人たちの魂があるとしたら、その数千、数万の魂たちが暗い地下室や廊下に漂っているような気がしました。

毎日毎日山のような死体を運び出す作業をする人、ガス室に誘導する人、恐怖でおびえる人たち、重労働に耐えながら生きようとした人たち、、、。

アウシュビッツでは人体実験を重ね、そのデーターを細かく分類し、分析し、人間が恐怖を感じる実験や、肉体的、精神的なたくさんの非道な実験や残虐行為は、単一民族主義の演説の上手い、たった一人のコンプレックの塊の思想から生まれたものでした。

日本人も戦争中にサリンの人体実験や、侵略した国での残虐行為をしています。戦争をした国、している国では、どの国も、どの国民も人を殺し残虐なことをしています。
悲しみや怒りは悲しみと怒りを生みます。

支配、権力、単一民族主義、単一宗教主義、利害、人は過去から学ばなけらばならないのに、たくさんの国や人たちが現在も全く変わらずに差別や偏見や戦争下の中にいます。またこれから戦争が始まりそうな危うい状況下の国もあります。

兵頭先生が言っていた言葉が心に問いかけています。
ポーランド人はドイツに対して戦後補償を要求していません。日本人もアメリカに原爆の補償を要求していませんね。

ドイツ人は自らの過ちを恥、歴史の中の悲惨な出来事を生んだアウシュビッツ収容所を公開しました。
アンネ・フランクの日記は、そしてスティーブン・スピルバーグ監督の「シンドラーノリスト」やアルベルト・ベニーニ監督の「ライフイズビューティフル」などのノンフィクション、フィクションの作品は、私たちに問いかけています。

戦争は、人間を狂わせてしまいます。

2019年の終戦記念日が近づいてきていますが、そんなことを思い、今の社会、世界を作っている一人の大人として自分に問いかけています。


昨年の暮れからの4ヶ月

2018年から2019年の暮れとお正月は25年ぶりに日本で過ごし、新年を迎えました。

そして、休みになった25日の朝からまずクローゼット内の大掃除に入り、
心の中で 断捨離~断捨離~と唱えながら、ここ数年使わないもの、着ない洋服などをバンバンごみの袋に入れ、カンボジアの子供たちに持っていく夏服2袋の準備をしました。私のTシャツ、ジーンズなど、こんなに今は着ない物があったんだ~と感心するくらいありました。
クローゼット内の引き出しの中の、靴下は夏用、冬用、ドッド柄と他の柄、タイツ、夏、冬パジャマ、ガウン、スカート、シャツなど、全部を整理しました。

どんどん出し始めると、なかなか気分がいいものです。

そして、衣替えの度に断捨離をするので、そんなにないはずと思っていましたが、大きなごみ袋3袋の衣類関係が出ました。 靴も処分しました。
玄関横のクローゼット内には買い置きの洗剤や雑貨なども再度綺麗に分けて収納しました。

3日間は、キッチンの食器キャビネット、食品庫、洗濯機クローゼット、窓・網戸掃除、そして、玄関に正月飾りをして、大掃除は終わりました。

いつもは水曜日の定休日の休みに1ケ月前ごろから始めますが、3日間でどこもかしこも綺麗になり、気分は最高になり、実家に帰りました。


実家では、一泊しましたが、姪っ子が子供たちを連れて帰っていたので、久しぶりにお喋りしたり・・・
IMG_3118IMG_3120IMG_3121IMG_3122真央ちゃんと散歩に出て、懐かしい小学校まで行ったり、閉まってしまったコンビニを覗いたり、1時間ちょっと遊びました。

姪っ子家族はアメリカに赴任していて帰国したばかりでしたので、真央ちゃんと何だか気が合う。
はっきり自分の言葉で自分の意見を言える子なので、私もいろいろな質問をして、とっても会話が楽しかったです。そして次から次へといろいろな歌を楽しそうに歌っているhappyな子です。
IMG_3125下の子の健斗君も、happy babyです。
お喋りもいろいろしてくれて、会話が楽しいのは、他の姪っ子、甥っ子たちもそうでしたから、きっと親譲りなんどと思いました。

だからその子供たちも、お喋りがしっかりできて、楽しい会話ができるんだと思いました。  ま!自分の身内だからとひいき目に見ているのかもしれませんが、、、

子供たちの考えていることはとっても想像力があります。会話ができるようになると、子供の想像力に引き込まれます。

暮れとお正月は、息子たちと過ごしました。

IMG_3139イギリスに住んでいた時、この子は中学一年生で、地元の有名中学に入り、いじめられました。
無口でおとなしい子で、自分を表現するのがあまり上手ではなく、イギリスの学校での「自分のことは自分で伝えることは当たり前」という習慣に戸惑い、さらに無口になりました。
でも今は、自己表現ができるようになり、帰国後嫌いだった外国人の人たちとも飲み屋さんで楽しくお喋りしているということなので、安心しています。優しい子で、子供のころは「怪我していたんだよ~」と言って瀕死の子犬を連れ帰ったり、友達を自分より優先する子でした。それは今も変わりません。
そして、照屋さんは変わらずです。帰るときにハグしようとする私に照れた顔で笑いながら「いいよぉ~」と言います。感情が豊かな子です。優しさが優先して、気を使う息子です。1月2日に髪を緑に染めて家に来たことには、ちょっとびっくりしましたが、仕事に差し支えなく、自己表現の一つだと思えば、何も言わなくてもいいだろうと思う母でした。


IMG_3154下の子は、しっかりし過ぎで母は子ども扱いです。でも、年1回の海外親子旅行、年2回の温泉旅行など、誘ってくれるので楽しみにしています。私の通常の海外旅行では、割と行き当たりばったりですが、彼が企画する旅行は、かなりハードスケジュールですが、いつもとは違った充実の旅になります。今でも忘れられないのはモンゴルの遊牧民のゲルに泊まり、草原を馬を走らせたことです。朝ゲルのドアを開き目の前に広がった景色美しさも言葉を失うくらいでした。 息子曰く「いつも思い出を美化しすぎ~」と。 そして母は心の中で呟きます。 「思い出は美化して心と脳裏にイキイキと生き続けたほうが幸せでしょ?!」と。彼との旅行は、彼にすべてお任せで、海外の地下鉄も彼の後について歩くだけなので、とっても楽です。

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ebi毛蟹スペアリブ暮れに一緒にアメ横に行き、エビを買い、彼が
美味しく焼いてくれました。
私が持って行ったスペアリブと蟹は蟹しゃぶと毛蟹は蒸して食べました。蟹しゃぶの出汁もとっても上手に作ってくれました。ナマスもお口直しに作って持っていきましたが美味しいと言ってました。
私が圧力鍋で作ったリブも美味しいと言って食べてくれました。
翌日は初詣に行きました。

上の子にもカニ料理とリブなど、同じものを作って一緒に食べましたが、食べた後、疲れているのかソファでごろりとなり、気が付くと眠っていました。 
そして5日は、愛の素の新年会を開きました。こうして2019年の数十年振りに日本で向かえるお正月は過ぎていきました。

そして、また、思い出が美化されるのかしらん?と呟いた私です。

それからあっという間に3月になり、下の子がいつも誘ってくれる修善寺の湯回廊 菊屋さんに行ってきました。

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息子は、この夏目漱石が病に伏せた古い旅館が大好きで、年間何度も来ていますが、日本らしい落ち着きと昔の職人が手を尽くして作った造作品が、素敵だと言います。彼は私とは全く違った仕事をしていますが、この古さがおばあちゃん家のようで懐かしいと言います。子供のころ、毎年春、秋に温泉に連れて行っていたので、身体にしみこんでいるのでしょうか?・・・

さて、修善寺の駅では、アニメのフェスか何かとしていて駅にイケメン君がいました。
E3B1E7EB-F335-4436-94CF-1291F23E933Fこんなハンサムボーイの駅員さんがいたら、かなり驚きますね。78C2525A-ABA1-4C86-A12C-1F361EE5CAFB

駅の横の空き地では、地元の食べ物屋さんや高校生たちが出店を出していました。

たくさんの人たちで溢れかえっていました。

お部屋に入ってから、夕食まで時間があるので、恒例のお散歩をしました。修善寺の町は小さくていつも散歩するところは同じですが、桜が綺麗だろうと歩きました。
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竹林の道で空を見上げると、葉の振れから風の音が微かに見えました。
静かでした。見上げた遠くの空は、綺麗に晴れていました。






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息子がそっと花びらが良く見えて写真に写るように傾けてくれました。

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「食べちゃうぞぉ~~~」と。
でも、どなたかの庭のお花ですから、食べずに匂いを嗅いだだけです。


0CB18955-FEDA-454E-9FB8-BBC8B157298859DD6A8C-BBCB-469D-857E-A967E4845DD6BEBA0DBB-6DBF-421A-A431-D453D42C2805花粉症の親子です。

帰りに蜂蜜を買って宿に帰りました。

お楽しみの夕食のメニューは





81EE508C-2508-4761-8106-E2FF06DC33491DDB9BA8-48F2-436A-9578-475F6731ED9A私も息子に誘われて4,5回来ていますが、いつも個室です。
お庭を見ながらの食事は、やはり日本を感じます。

実は、私はどの国でも暮らせる気持ちがありましたが、最近は、この和食文化と温泉がない国では暮らせないかも???と思い始めてきました。 



CEB80A21-C12A-43AF-AE61-E9B10D0745FE153A80C8-13EE-419D-AE80-EE6DF605931C3206A56E-C2B2-4D5E-8736-F01B3D4D9A2C571A5759-4828-4FF5-8C42-2107C5A571853EE987A4-42E4-466B-A41F-6E4E5E6EC35F









926CCD01-0773-4699-A621-5F94C1BA8633DF61A613-C64E-4AE3-A301-0F19386C56CF203643A4-9404-41FF-A62E-6BB3B138334B09D2AA2E-9751-4168-9EEF-2BADDA0FDB81








0B288A88-9CAE-4BE5-A40D-CC9773E8D32A4E1A2DB5-F0D9-44D2-8B39-11B7DD0BF00F7EDE5BB0-7287-4E67-9FB0-AF804D925C7Cいつも食べきれずに後半は、残すことが多かったのですが、初めて完食をしました。

最近、良く動いているので、身体が欲しているんだと思いました。

「体は何をするのも基本だから鍛えてね」と、身体を壊していた息子に話し、それから現在の仕事のこと、人材の事、経済的な流れ、これからの仕事の事や未来の生活など、いろいろ話しました。

お酒を飲まない息子ですが、一般的に父親が息子が成長したら一緒に酒でも飲みながら話したいと言いますが、私たちは母と息子であり、父?と息子でもあるなと感じています。

私は、私の母のように子供たちに事細かく色々言いませんが、お互いに一人の人間としての会話はします。
私が美術館巡りをしていて、海外で飛行機の乗り遅れたりして「母乗り遅れちゃったぁ~。。。自分が心配」とちょっと甘えても、「でも必ずどうにかして帰ってくるでしょ、基本的に心配してないよ」と言います。
「ははは、そうだね。でも母本気で自分の頭の中を心配したのよ」と。

私は息子たちに小さなときから独立心を持つように心がけてきたと思います。
私の父が良く言っていましたが「 獅子が子供を谷底に落とし、這い上がってくるのを待つよう」に、言葉では言わなくても「つべこべ言っている間に、調べて前へ進みなさい」と言う姿勢を示して基本的には厳しい母だったと思います。でもその反面、母のように大変だったら心を休めないと、いつも思っています。それも真実です。
唯問題から簡単に逃げずに、問題は何なのか?自分は精一杯やったか?の姿勢は、伝えてきたと思います。
生きることは大変だけど、楽しみもあるでしょ?! たった一度の人生を充実させて生きて欲しいと願っています。

そして大人になった彼らが、自分の世界で一生懸命に生きている事に感謝しています。

そして、新幹線や電車の情報などはいつもラインで送ってくれて「これで来てね」「これで帰るんだよ」と子ども扱いして言う息子になりました。
一緒の時は、色々なことに気を回してくれる息子です。
友達によく言われます。「啓子さん、日本でお母さんと一緒に旅行に行ってくれる息子って珍しいのよ~。いい息子さんだね」と。

色々な時に支えてくれた息子たちです。私の真っ直ぐな生き方が時には、彼らに負担をかけたと思います。
4BCA8253-7F6C-4EA5-9FAE-1A2BFC1B940CF6189FBC-2084-4B07-8A15-BA2AAC6FAADAでも、こうして2019年の4月、桜が満開になったこの季節に、こんな母だけどこれからもよろしくねと思っています。


さて、今年、君たちの人生が充実し、素敵な春、夏、秋、冬になることを
心から、心から願っています。

桜はやっぱり日本人にとって特別な花ですね。

2018,11月そして12月に

11月は私の誕生日の月。
最近は歳を取るので嬉しくはないのだけれども、お祝いされないのも寂しいのです。
でも、若い友達たちには気を使わせるので私の誕生日は、教えずに年齢だけを教えています。誕生日おめでとうのお祝いの言葉やメールを送らなくちゃとか、あ!忘れちゃったから謝らなくちゃ!とか、そういうことでなるべく気を使ってもらいたくないのです。

でも、古い友達は知っていて、誕生日の朝に4人からお祝いの言葉が届いていて、一人から綺麗なバラの花束の写真と子供のころのほっこりする思い出話が届きました。

その思い出話の始まりは、地元の食料品店でエプロンをした小学5,6年生の女の子が真剣な顔で食材を選んでいて、その姿が眩しくて大人びていて、それが恋の始まりだったと書かれていました。
他の人の話だと思って読んでいて、「あら、可愛い子ね、お母さんの代わりにお料理するのかしら」思っていたら、そのエプロンをした子は、私だったとの事。
子供のころの思い出話は、いつも大爆笑か、星のように遠くでキラキラする輝きとほんのちょっとの悲しさがあります。その悲しさは生きてきた時間の寂しさなのかもしれません。

仕事に追われ、地元の友達にも会う機会もありませんが、朝から心がほわっとその思い出話をどこか他人事のように、本の1ページを読んで、素敵な思い出ねと心を温めて出社しました。


2000年に帰国後、毎年中国の広東工業大学で教えていた時の学生からも「啓子先生、誕生日おめでとう」と届き、近況を知らせてくれます。私の息子より大きな子ですが、いつも心に停めてくれて思ってくれる彼の優しさに、本当にいい子なんだと思います。彼が色々悩んだ時に、真剣に考えて、心配をしましたが、今は幸せを見つけたとの事。 あ~~~やっぱりね!だって素敵な子だから幸せになるって分かっていたと彼に返事をしました。来年、彼は奥さんを連れて日本に来ます♪♪♪  ずっと来たかった日本にやっと来るのです。私は、今からもうワクワクしています。きっと素敵な大人になったことでしょうね。


それから、一年に一度お互いの誕生日にしか会えませんが、会えば近況の話がさく裂する友達。

その友達と、相模湖のプレジャーフォレストのマッスルモンスターに挑みたいという私の希望を叶えて一緒に行きました。私たちはこういうことへのノリが良く、「うん、いいねいいねやろうよ!」と。
IMG_2777IMG_278010時半くらいに着いたのに、その日は埼玉県民の日と言うことで、たくさんの人達で溢れていて、マッスルモンスターの予約時間が4時と言う状態でしたが、私たちは、待つ!挑戦する!
と、決めてランチを食べたり遊園地や観覧車に乗って時間つぶしをしました。



IMG_2781IMG_2782挑戦する前は、「幸福の鐘は鳴らそうね」
「あの自転車にも乗ろうね」
当然のように意気揚々でお喋り。

紅葉で染まり始めた相模湖を見下ろしたり、遊歩道を歩いたりして、快晴の空に感謝しました。

マッスルモンスターでは携帯による写真撮影が禁止されていて、写真を撮ることはできませんので、幸福の鐘の一本の梁に恐れ戦き腰が引けてる様子や、自転車には足が届かず諦めた様子等々、公開しません。

そしてあっという間に暗くなり、リフトで降りてきましたが、イルミネーションが綺麗でした。
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IMG_2788IMG_2791お互い忙しい私たちは、会って楽しんで、次の誕生日まで、また変わらない日常に帰っていきます。
毎年、こんな風にお互いの誕生日をお祝いしますが、こんな風なアクティビティに付き合ってくれる彼女は、エネルギーの塊です。


彼女からのプレゼントはドット柄の晴雨兼用のジャンプ傘でした。
IMG_2827雨に濡れると色が変わるのよ!ケーコさんドット柄好きだから、見つけた時はすっごく嬉しかった!と。
プレゼントは、相手を思い浮かべながら選ぶ楽しみがあります。私は買い物が好きじゃないけど、プレゼント選びは、やっぱり楽しいし真剣になります。
彼女もそういう、まっすぐで温かい気持ちで探してくれたんだと思うと、傘をさす日が楽しみだし、幸せを感じます。
先日の雨に日にさしたら、赤、青、緑、黄色など色が変わって、楽しい傘に変貌しました。
暗い雨の日が楽しくなりました。


息子からは、「何食べたいの?」と。「お肉~~~~~」と答えると
「じゃ予約するね」「(*・ω・)(*-ω-)(*・ω・)(*-ω-)ウンウン♪
と1週間前に約束。

夕食の前に30分くらい時間があるからとドームシティまでタクシーでGO
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綺麗なイルミネーションとジェットコースターの音と悲鳴が響き渡り、アミューズメントでは、親子がボートに乗って光の川を下っていました。

IMG_2814IMG_2825ショッピングモールで「何か欲しいものある?」と聞かれて、「そうね仕事用の靴かな?」と。
私の買い物は、とっても時間が早いです。一目で選ぶので、この靴を選んで、ありがとう~~~~と。

彼も薄手のコートを探していたけど、結局ないので、翌日木更津のアウトレットへ行きました。

レストランの予約時間が迫ってきたので、またまたタクシーでGO 都内は初乗り460円!安~~~い!
焼肉屋さんは美味しいと評判のお店。

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こういう時は、彼はすべてをしてくれます。
私は小さな子供のようにただ待っています。
そうすると良い焼き具合の肉たちが目の前のお皿にチョコン、チョコンとのいいタイミングで運ばれ、私はそれを唯々美味しいぃぃぃと言いながら食べるだけです。
胃が小さいので、すぐにお腹がいっぱいになってしまう私は、「わ!もう食べられない。。。」とつぶやきます。
IMG_2820IMG_2821IMG_2822すると息子は、最後に冷麺は食べようよと。
私はライスも冷麺も食べられず、
苦しくなったお腹を抱えて歩いて彼のマンションに帰りました。

ちょっと冷たい空気が、赤くなったほっぺたに気持ち良かったです。


翌日は、アウトレットまで電車で GO

そして、アウトレットでは、時間と待ち合わせ場所を決めて解散!
私は、息子がプレゼントで買ってくれた靴を履いてショッピング。

IMG_2826現場でも打ち合わせでも掃ける靴は便利なので、ドット柄のこの靴を購入。
息子もコ-トとパンツを2本購入。
久々に打ち合わせ用のコートも買いました。

家族の誕生日は、今年もこうして過ぎていきました。


来年は、どんなふうに過ぎていくのかな? きっといつもと同じようにバタバタ過ぎていくんだろうと思います。





今年の夏は

わわわ、気が付けばもう9月も終わろうとしています
夏の記録を残そうと途中まで書き進んでいたこのブログも、忙しくて途中で止まったままでした。

で、今日、少し開いた時間があるので今から書き加えます。

今年もお盆休みは仕事でした。
でも定休日に中国から友達家族が日本へ4年ぶりに来たので、2日間、一緒に過ごしました。

友たちと言っても彼女ドンドンは息子と同じくらいの年齢です。彼女が九州大学の大学院で勉強していた時に、時々家へ泊りに来ていました。
そして、彼女のご両親も私の家に滞在し、横浜の中華街などへ一緒に行きました。

A24C77E4-DB30-4B63-9612-5562BFCED7AA帰国後4年という歳月があっと今に過ぎて、久々の日本と、彼女が結婚して、子供が生まれたので、子供を見せに来てくれました。
アンティアンはドンドンにとってもよく似た子で、まだ2歳前ですが、賢く、気の優しい子で学校で教鞭をとっているドンドンの代わりに、普段はご両親が面倒を見てくれているそうです。
だから、とても落ち着いた子でした。
ドンチャおじいちゃんとワンシャおばあちゃんはとても気の優しい人柄で、ドンチャは私と同じ年齢で、私が中国成都へパンダの赤ちゃんを抱きに行った時も、色々お世話になりました。
ドンチャは大学で教鞭をとっていましたが定年退職をしワンシャも同じ大学で職員として働いていましたが、定年退職をして、孫の面倒を見ています。 
さて、アンティアンは、私と手をつないで「ケイコネェネェ」と呼んで慕ってくれました。
可愛いアンティアンです。

B883DC00-9350-4FED-BCA5-8BF76441F1D3相模大野の駅に迎えに朝行きましたが、懐かしいドンドン家族が見えた時、涙が溢れてしまい、ドンドン、ドンチャ、ワンシャと抱き合って再会を喜びました。
そして、すぐにアンティアンに手を広げておいでをすると、物おじせず、すぐに私の腕の中に来たアンティアンでした。そして、もうずっと以前から時々一緒に過ごしているような雰囲気で、英語が分からないアンティアンですが、一緒に歩いて駐車場へ向かいました。
ドンドン家族は驚いていました。そして「子供はすぐ分かるんだね、ケーコが良い人だって!」と言ってくれましたが、子供には人気のある私です。

それから、私の自宅へ行き荷物を置いて、一息してから、ランチを食べにいつもの農場レストラン・モナの丘へ行き、オーナーの桑田さんに紹介し、ランチをゆっくりいただきました。
本場のカレーと出来立ての野菜をたっぷり食べて、みんな喜んでくれました。でもどの料理もアンティアンにはちょっと辛すぎでした。 ごめんね、アンティアン

それから、3か月前から予約を取っていた藤野芸術の家へ向かいました。
ドンドンファミリーは車中、爆睡でした。 成都から昨日付き、東京のホテルで1泊して、朝こちらへ来たのでみんな疲れていたんだと思います。
さて、ドンドンはアーティスティックで絵を描いたりするので、この工房で思い出つくりに何か制作したら、素敵な思い出の品物ができると思い、この場所を選びました。
我が家には、彼女が描いた絵が3枚飾ってあります。

だからとっても喜んでくれました彼女は、アンティアンに万華鏡を作り、ワンシャはぐい飲みグラスにサンドブラストで猫のモチーフを刻みました。後半は私がお手伝いをして作りました。

作品は動画で撮影したので、ここでご紹介できません。
9EFBC75E-35FA-4982-9BAF-DCB9AF988DEF823BA489-7709-47FC-829E-E55C2CCAC495夜は予約をしておいたお食事をいただきながら、お疲れ様、そして幸せな再会に乾杯をしました。和食のコースは、美味しいと言ってくれたので良かったです。

ここはホテルも含まれていて温泉もあり、アメリカ人の家族や学生たちとも一緒でした。

私たちは早めのお食事をのゆっくりしてから、夜は温泉に入りました。
アンティアンは初めての大きなお風呂に興奮していました。
とっても楽しそうにはしゃいでいました。
アメリカ人の家族と温泉で一緒になり、アンティアンはその家族の4歳6歳の女の子たちとの入浴にかなりはしゃいでいました。 初めての大きなお風呂! ちなみに中国はシャワーです。

AC98A030-5554-4B0A-B193-8302F983A250B8DE3330-534C-4508-B46D-5766DA3E2A8F9CA2E77B-7317-4014-B662-CF79643658D8翌朝はバイキングの食事をいただきました。

その後、また工房で、アンティアンはうちわへのお絵描きをしました。


どんどんは素敵なママになりました。

思わず、彼女に、出会ったときはナイーブな少女だったけど、すっかりママになったわね。そして落ち着いた素敵なママね。と伝えました。

6E1373D6-9A2E-4306-8447-8D8F8D96EC36午前中、工房で過ごしてそれから相模大野へ帰ってきました。
ドンチャの中華が食べたいとのリクエストに応えて、中国人の方々がやっているレストランへ行き、遅いランチをいただきました。

ドンチャは、いつも感謝の気持ちがいっぱいで食べられないほどの料理を中国語でオーダーし、ドンドンに注意をされていました。(笑)
私が成都に行った時も、毎晩いろいろな違った中華料理の店へ連れて行ってくれました。その時は、ドンドンファミリーの友達たちも一緒でしたが、頼み過ぎに、ドンドンの注意がありました。

父親と娘の関係を見ながらどこの国でも同じだねとほのぼのとした思いを感じていました。
私の父も、いつも多めにあれこれ注文していました。そして私に「そんなに食べられないから~」と何度も言われていました。
ドンチャとワンシャは、以前より英語が分かるようになっていて、私の説明や言葉に直で返してくれましたが、言葉が通じなくても、どの国の人たちも心は通じると信じている私です。
目を見ればその人の心が見えます。純粋でまっすぐか。 逆に言葉で心を隠すのも人ですが、ずっと見ていいれば分かります。
色々な国にいる私の友達は、みんないい人たちです。人種を問わず、年齢を問わず、思いやりがあり、人としての節度がある人達です。彼らもまた、私が日本人だからと言う見方をせず、人としてつながりを持っています。
ですから、そういう友達に出会えたことを宝物に感じます。  父親の思い、母親の思い、家族の思い、みんな同じですね。

さて、7月の定休日はドンドンたちと、そして8月の定休日は、アンちゃんと富士登山に行きました。
アンちゃんも中国からきて、日本の大学で学び、現在は福祉施設で働いています。
お互いの家も近いので、時々一緒に温泉に行ったりお食事に行き、色々なお喋りをしています。

E0F6D507-0FF9-4A3B-9BB6-8B3BA276FC5497862BE2-1D5D-418B-9EE4-9A386318CA03私は3度目、アンちゃんは初めての富士山です。

初めての時は御殿場コース、二度目は富士宮コースで、今回は須走コースでした。
完璧な山女スタイルのアンちゃんと、即席山女の私。トレーニングウエアでの登山でした。
私は、これを最後にしたいなと思っていました。


朝は6時10分に家を出て、御殿場インターを降りて、8時頃には須走口5合目まで車で行きました。途中でコンビニにより、水7本、おにぎりなどを購入!
駐車場に車を止めて、そこからバスで登山口まで行きました。バス代は意外に高かったです。
登山口で入山料1000円を支払いました。このお金は富士山の整備費になるそうですから、これは当たり前だと思いました。

C06A4AC3-02AE-4254-AA72-77974EACF02E6218DB64-9441-4337-A4FD-7FB6A55E097A出発前から、酸素ボンベを買ったり、レッグウォーマー、手袋を買ったり、おやつをバックパックに詰めて二人とも小学生の遠足のようにワクワク。

2度目の時に、一気に登ったので、高山病で頭が割れそうな頭痛と吐き気に襲われたので、今回は酸素ボンベを持っていきました。

5合目登山道入り口のお店でアンちゃんは帽子を忘れたので富士登山の傘を購入。
そして私たちは、ランチ用のおにぎりも購入しました。登り始めはちょっと涼しかったですが、すぐに物凄く蒸し暑くなりました。

5A63AADE-AF09-4280-9A64-D5B5B059C268946816D5-B238-4118-8FE6-E5672A1484FB00A2F736-5628-411F-A038-7884A1E97053登山道の横を見ると下山ルートの砂走のコースが見えました。

途中、熱中症にならないように何度も水分補強をし、こんなに体力がないのかな?と思うほど、休憩を取りました。

4E9027DF-B23E-4F2C-A30F-DCB3CF54D63B2EAC3EC3-4A3D-47FA-B3A9-2E31A3D4A6EF09140A6A-56C6-4D7A-856D-F6A25ACDE2F4途中、前回のようにラッシュのようにたくさんの人たちと一緒になると言うことはなく、のんびり上ることができました。

途中で早めのランチ、おにぎりを食べ、おやつを食べ、本当に小学校の遠足のようでした。



11BE1104-4495-4697-BDF6-F7FCB8F64BCFF654676B-BE41-42DB-8841-74C939EFC3D3317786CA-23B7-44B8-90D2-59F2A8D2DFD8






予約した7合目の太陽館は、食事が美味しいとの口コミがあったので、そこに泊まることにし、かなり早くついたので、太陽館でのんびりして5時からの夕食を楽しみに待ちました。

E675FC56-112C-4C17-8F19-AA09F7ED619A5時からの夕食は、次のグループのために、30、40分で席を交代です。

夕食後、外には夜登山の人たちが休憩したり、太陽館で一泊する人たちが、暮れていく夕日の美しさに見とれていました。
美しい夕日でした。


7時にはみんな寝袋が置いてある自分たちのスペースに入り、眠りにつきました。
私たちも眠りましたが、私は1時間して汗をかいて目が覚めてしまいました。Tシャツとハーフレギンズになり、寝ようとしましたが眠れずに、モソモソ、隣のアンちゃんを起こしちゃいけないナと思い、
起き出して外へ出て下界を見たりしましたが、寒くて外にいられずまた寝袋スペースに戻りました。
すると、体中が痒くて、よくみると何かに噛まれていました。
え?! ダニ?   もうなかなか眠れなくなりました。

眠れずにモソモソしながらまた起きようかと思っていた時に、夕食を食べた部屋から灯が漏れ、スタッフの人たちが集まってお喋りをしているのが聞こえてきました。
そこで、仲間に入れてもらおうと思い切ってその部屋に行き、「汗をかいて目が覚めちゃったので、お喋りの仲間に入れていただけますか?」と聞くと、
「もちろんいいですよ~~~」とスタッフたちの声が返ってきて、お酒を飲みながら話しているその輪に入れてもらいました。
すると、数人が「このチーズに海苔を巻いて食べると美味しいですよ、どうぞ、どうぞ」と言ってくださり、ウイスキーも進められましたが、「いえいえウイスキーはちょっと・・・」とお断りして、ワンカップの日本酒が売っているからと言うことでしたので、それを購入し、仲間に入れていただきました。

皆さんどこからいらしているんですか?  都内、鹿児島、順番に教えてくださり、「奥さんは?」と女将さんに聞かれて相模原ですと答えると、「近い!近い!」と言われて、そこからそれぞれの生きてきた仕事の話や人生の話をみんなでお喋り。
興味深いお話でした。 個人情報もあるのでここには書きません。^^
9時から11時までの2時間、お酒を酌み交わしながらの会話は楽しかったです。
最後に、夜景や星が綺麗だという話から、外に誘っていただき、一緒に下に見える町の夜景を眺めました。
冷たい空気に包まれ、雲の隙間から見下ろした町の明かりは、赤や黄色や青色がちらちら揺れて見えました。
町はまだまだ眠らずに、色とりどりの光を放っていました。
下に見える町。  ちょっと不思議な気持ちでした。アニメの世界にいるような、もし魂が上に上がって下界を懐かしく見下ろす記憶があったら、きっとこんな感じなんだろうと思いました。

そして、そのまま上を見上げると、遠くや近くに、小さな星粒や大きな星粒が空いっぱいに散りばめられて輝いていました。
こういう星空を満天の星と言うんだろうと思いました。澄み渡った空気の中で、冷えていく身体を両腕で抱えながら、抱きしめながら、しばらく見上げていました。 こんな風に満天の星空を見上げたのは何十年振りだろうと思いました。
そして、思わず「わ~~~綺麗~~~」とつぶやくと、
「本当はもっときれいなんだ」と男性スタッフさんが言いました。 ちょっと誇らしげに自信をもって言い切ったので、その言葉はそのまま私の心にしみました。
「そうね、きっともっと綺麗な星空なんだろうな」
きっと彼はもっともっと綺麗な星空を、この山小屋から見上げているんだろうと納得しました。
彼に「ありがとうございます」とお礼を言って、アンちゃんが眠っているところに戻ると、爆睡中のアンちゃんの寝息が聞こえてきました。

さ!心が綺麗に洗われたわぁ~  うんうん!私も爆睡しよ~~と!
そして疲れ切った子供のようにすぐ眠りにつきました。


け~こさん、けいこさん、ご来光ですぅ~ 見れなくなっちゃいますよぉ~起きなくちゃ間に合いません~
  と微かな声が耳に届き、飛び起きました!

「OK~,OK~起きるわ~・・・・」寝ぼけた目を開けて、すぐに外に出ました。

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ご来光を見つめながら「アンちゃんが素敵な人と結婚できますように」と拝みました。

朝ご飯は、鮭、焼きのり、みそ汁、お漬物などの、伝統的な日本の朝ご飯でした。
それをいただいた後、急いで身支度をしてまた登り始めました。

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ところが登り始めると偏頭痛が始まり、私はギブアップ!

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初めて登った時に、私は下山はランニングで下りました。それを思い出しながら、年齢を感じながら下りました。
BDF77EE2-80CE-4268-A488-E89555ACE7CFF17229D4-BA1D-44E0-B217-B9D275BEC01070432C12-C40E-4173-B875-3C0CEE9134281F153295-78C4-48FF-9DF1-4E46C43D7ED8






途中で一休みをしたときに、ゼリーを食べて元気も貰いました。
下に町が見え、何だか俄然元気になった私、アンちゃんは膝が痛くてゆっくり下りました。
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下るアンちゃんの後ろ姿が可愛かったです。
6合目でモーニングコーヒーを飲み、冷えた体を温め二人でテンションが上がりました。
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可愛い笑顔のアンちゃんです。
8A3DB764-ECEB-4616-A415-DB26C9015389455CCF9E-EA70-4383-973D-3F00E024B68C この日、下山して海老名インターでランチを食べ、それから温泉に入ってから帰宅しました。

ダニに刺された13か所の痒い思い出と、アンちゃんは膝の痛みと、私たちは2週間くらい悩まされました。

もう、当分いいかな?
綺麗な星空と神々しいご来光の景色を胸にたっぷり貯め込みましたから。

今回の写真は、私の携帯が壊れたので、アンちゃんの撮影した写真です。 どれもとっても綺麗に撮れていました!

今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ3

この日も朝早く起きて、朝食をとってから、ローカルなバス路線を使って7つ星ホテル:THE EMPIRE HOTEL&COUNTRY CLUB(エンパイアーホテル アンド カントリークラブ)へ見学に行くことにしてバスのロータリーへ歩いていきました。

このバスロータリーは、ガソリンと言うかオイルの匂いが漂っていました。
アジアの貧困に苦しむ国にあるバスロータリーと雰囲気が似ていて、バスはボロボロでやっと走っているようにロータリーに次々に入ってきました。
でも、どこで待てばいいのか分からずに駅構内に行き尋ねると、「57番すぐ来るから」と言われて屋外で待ちました。
20分くらいすると57番に、アフリカで乗ったようなバスが到着しました。
エアコンなし、窓開放、シートは破れていました。 ドライバーの男性が駅構内の売店にアイスコーヒー(?)を買いに行ったので、追いかけて行って再度行き先と時間を確認。

苛立った感じで「すぐ出発になるよ」という感じの返事が返ってきました。
ガソリンの臭いのバスに乗り込み20分くらい待ちました。 その間に女性の車掌さんが焼きそばを買ってきてバスの中で食べ始めました。
食べている車掌さんに不機嫌そうな運転手さん、バスの代金は多少吹っ掛けられても、仕方ない状況でしたが、どちらにしても安かったです。地元の人達は、料金を払っていないようでした。
「ううううんこれも無料なのね」と感心しました。

時間を見たら9時10分くらいでした。
やっとバスが走り出しました。エンジン音はグアングアンガーガーと言う音を出しながら、ロータリーから出て、町の中の坂道を上り始めました。
それから15分くらい走って、途中で道の横に立っている女性を乗せました。

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あっという間に町を抜け、高速道路のような道を走り、それから政府が用意した家が立ち並ぶエリアにはいりました。
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IMG_0250IMG_0202高級住宅街も遠くに見えましたが、政府で働いている人たちが住んでいるそうです。

道路では警察の検問がありましたが、路面バスはノーチェックでした。

ガーガー、グアングアンと言う音を立てながら高速道路を走り、途中で、家の前で待っている人、道で待っている人のところでバスが止まり、その人たちを乗せて、また走りだし、広い美しい道に入っていきました。出発して45分以上も掛かって到着でした。


綺麗に整えられたホテル&カントリークラブのアプローチに入ると、7つ星ホテルを初めて見ることにワクワクしました。

IMG_0201IMG_0193ポンコツバスがエントランスの前に停まり、私たちだけが降りました。

エントランスホールにはバカラのシャンデリア、床も壁も大理石。

息子のkaiが帰りのタクシーを予約しておいたほうが良いんじゃない?と。

さすがいつも用意周到の提案です。

そこで、レセプションのカウンターに近ずくとマネージャーらしき男性が笑顔で来てくれ、「タクシーを予約したいの」と言うこと「お部屋の番号は?」と聞かれ、「いえいえ、見学に来ただけです」と答えると、「タクシーですね。何時にしますか?」と笑顔と柔らかな対応が返ってきました。
時間を告げてお礼を言い、建物中を中の見学を始めました。

一挙公開です。クリックして拡大して見てください。
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大空間、大理石、チークやアイアンウッドの内装品。
IMG_0274IMG_0184IMG_0219トイレの鏡の前のガラスのカウンターを支えるハイヒールは、ちょっと違和感がありました。








kaiが今回の費用に2万円をプラスしたらここに泊まれたんだよと。
毎回、親子旅行は息子が企画予約をするので、お任せです。
「え?!じゃ一泊くらいすれば良かったんじゃない?」と私。
「ここは町から遠いでしょ、だからここでのんびりするんだったらいいけど、今回はいろいろな予定を入れ方ら町の中心じゃないと動きにくいからね」と。
な~~~るほど。
そうね、そうね、ゴルフやプールやビーチでのんびりこの中ですべて過ごす人にはいいわね。と会話しながら
ぐるぐる回りました。
カフェで冷たいものでも飲んでゆっくりしたいなと思いましたが、庭がすごいんだよと言うので、庭に出てきました。
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綺麗に手の行きとどいた庭、プライベートビーチ、いくつもあるプール、
庭をカートが走っていきます。
散歩コースはホテルの全体が見えるように海の先に東屋がありました。
そこまで歩いて行き、気持ちいい風に吹かれながら、しばらくお喋りをしました。
このホテルは国王の別荘で、国賓を招待したり、サミットのような国際的な会議などにも使われるんだよと、kai.

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IMG_0189「私たちは、のんびり過ごすことより、アクティビティが充実している方がいいから、ここに泊まらなくてよかったね。」
「ここは新婚旅行や退職後にのんびり過ごすにはいいけど、退屈するでしょ?」とkai.
「そうねそうね」と私。
20分くらい涼しい風に吹かれ東屋でお喋りして、きっとすぐ飽きると思った親子でした。


庭から建物に入り、また散策。

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所々に海を見下ろせるラウンジがあり、また各部屋のドアは素晴らしかったです。

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このホテルの中を歩きながら、「7つ星と5つ星の違いは何?」と自問し続けた私です。
こういう高級ホテルは、世界にいろいろあるし、何が違うのかしら???
ホテル内部のショップでいろいろなものを見て回っていたら時間が無くなり、コーヒーも飲まずに、エントランスに戻ると、
到着時にタクシーを依頼したマネージャーが来て、笑顔で「タクシーですね。もうしばらくお待ちください。次回はぜひお泊りください」と言いながら「どうぞこちらのソファでお待ちください」とソファに腰かけて待つように促してくれました。
私も「そうですね。次回はぜひ泊まります」と彼に返事をしました。
「本心、一度は泊まってもいいわね、2万UPだけなんだったら」と思いました。

息子がポツリと「7つ星の違いは、たくさんいるお客の中で、俺たちを覚えていて、依頼されたことも覚えていて、俺たちが見えたらそばに来てこうやって話すことが、そういうところが違うんじゃない」と。
中で働いているスタッフたちは、すれ違う時にみんな笑顔でした。
サービスの違いなのかしら?う~~~んそうかもね。暖かさが感じる対応に痛く感心した親子でした。
ドバイのホテルも見ないといけないかな?なんて思いました。

エントランホールのソファに座って待っていると
笑顔でマネージャーさんが「タクシーがきました。あちらです」見送ってくれて、
IMG_0265IMG_0278中国人の女性タクシードライバーさんのタクシーに乗り込み、町までは20分かかるか、かからなくらいで帰ってきました。

中国人の方がたくさんタクシードライバーとして働いているそうです。

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ホテルに帰える前に、ホテルの反対側にあるマーケットに寄りました。
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野菜は日本とほとんど同じでした。人々は親しみやすい笑顔で迎えてくれました。

ホテルに帰り、シャワーをして、帰宅の準備をして、

IMG_0243IMG_0254夕方の閑散とした空港に着きました。

空港のラウンジで夕食をいただき、帰国の途に着きました。

社会福祉が充実しているこの立地な国の人たちは心に余裕がある表情をしていました。犯罪がほとんどないそうです。

教育費も医療費も掛からない未来に不安がない国。のんびりした人たち。久々にそんな人たちと触れ合いました。
そして、
今年も無事に親子の時間が持てました。
息子との思い出の中には交わした言葉が残っていると思います。母や父が私の中に残してくれたたくさんの思い出と、言葉が生き生きと生き続けているように、彼の中にも生き続けて欲しいと願っています。

さ~~~て、来年はどこかしら?
母は楽しみに待っています。

おわり。





今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ2

IMG_0119翌朝も早起きして6時半に朝食をとり、7時15分にホテルにお迎えのマイクロバスに乗って約10分で水上タクシー乗り場(バンダル スリ ブガワンのレジデンシージェッティ)まで行きました。途中でイギリス人の大学生の女の子二人をピックアップして、一緒のツアー参加となりました。

動画で撮影しましたが、物凄いスピードでボートは川を上っていきました。広い川幅のところや、ボート2隻がすれ違うギリギリの幅の川、カーブに差し掛かるとボートは水しぶきを上げる水面ギリギリまで近く傾き、外国人の私たちだけが歓声?悲鳴?を上げていました。
地元の人たちとの乗り合い水上タクシーなので、乗り慣れている人たちは、朝が早いので眠ったりしていました。

English girlバンダル スリ ブガワンのレジデンシージェッティで、その日のスケジュールをフィリピン人のスタッフから聞き、約1時間弱でテンブロン地区バンガーへ到着しました。

水上タクシーの駅を出ると車が待っていましたが、とりあえず荷物を車に入れ、その小さな町の資料館へ案内されました。
この日のガイドさんは、英語を話すガイドさんを依頼しました。
ブルネイの学校では3から4か国語くらいは勉強できるそうです。
ですから子供たちは、母国語、地元の言葉(家族の中で話す)、英語、中国語など話すそうです。
日本語も勉強できる環境があるそうで、選択できるそうです。 教育が重要と考える国王の方針だそうです。
羨ましい~~~~~
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そして 下記ウキペディアから、日本とブルネイの関係についての抜粋






☆☆☆

第二次世界大戦が始まり、ブルネイを支配していたイギリスを日本軍が排除した結果、 1942年から1945年の終戦まで日本の戦時統治していた。

詳細は『ブルネイの歴史#日本の統治

終戦後

日本はブルネイから1969年に石油の輸入を、1972年に天然ガスの輸入を開始した。 1983年5月、日本の総理大臣として初めて中曽根康弘がブルネイを訪問し、日・ブルネイ友好議員連盟が結成され、翌6月、ブルネイに日本政府による事務所が開設された。 1984年1月にイギリスより内政を回復し、独立したブルネイは、その年の4月、日本と国交を結び、ハサナル・ボルキア国王が国賓として日本に招待された。同年6月にバンダルスリブガワンに日本国大使館が設置され、9月に東京にて、日・ブルネイ友好協会が結成され、1998年には、ブルネイに、ブルネイ・日友好協会が設立された。 1989年昭和天皇崩御の際には、ハサナル・ボルキア国王は大喪の礼に参列し、1990年の今上天皇即位の礼の際にも、参列した。1996年皇太子夫妻が初めてブルネイを訪れた。2011年東日本大震災の際には、日本は、ブルネイ政府から100万米ドルの寄付や、民間から多数の支援を受けた。
☆☆☆

日本円も使われていたそうで、資料館には使われていた日本円が展示されていました。
東日本大震災の際に、100万ドルの寄付をいただいていたことなど知らなかったので、ガイドさんから伺い、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

IMG_0084IMG_0162小さな町の資料館で昔の暮らしを知り、それから車で30分くらい走り、バタンデゥリのレインフォレストロッジへ着きました。

モーニングティーをいただきながら、安全に関する説明を受け、今度はロングボートに乗り、ウル・テンブロン国立公園へ向かいました。
30分弱で着きました。

ロングボートのドライバーは、私の後ろでボートに入った水を時々手桶で一生懸命かきだしていました。
息子と顔を見合わせて、「オイオイ大丈夫なの?」と目でつぶやき合いました。

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国立公園センターにて入園の手続き、記帳を済ませ、
キャノピーウォークへトレッキングでした。

狭い川幅をボートがスピードを落とさずに船底をバンバンと叩きながら、水しぶきを上げて走る爽快感とスリルで、息子は歓声を上げていました。

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キャノピーウォーキングはジャングルの中を約2時間弱かけて登りました。
車が入ってこれないジャングルで、細い階段や道を所々にある東屋で水分補強と呼吸を整えながら、ゆっくり登りました。物凄い蒸し暑さでした。熱帯雨林の気候と森林保護くとして守られているエリアです。

1800mの高さですが、単管足場材を組んで作った塔です。
ガイドさんの話によると6年かかったそうです。 ジャングルの自然を壊さずに、人の手で材料を少しずつ運び、組み立てたそうです。

足場に乗り慣れている私ですが、ちょっとゾクっとしました。他の人たちは上まで登れない人もいました。

下りも時々休みましたが、割と早く下ってきました。
それからロッジでランチをいただきました。地元の料理5種類が出ましたが、どれも美味しかったです。

skywalk
その後、滝、川遊びをして、ロッジにあるスカイウォークにも挑戦しました。
イギリス人の大学生たちは、このロッジにお泊りコースで、ここでさよならをして、
私たちは、また長い時間をかけてホテルまで帰りました。


ガイドさんが、私が家やコニュニティーに興味がると話したところ、地元の文化に染みついているロングハウスと言う集落とその家があるからと言って、帰り道に連れていってくれました。

IMG_0235IMG_0271IMG_0249横に長く、その中にそれぞれの家族の玄関があり、その奥に各世帯のリビングやキッチン、寝室が作られているそうです。

集落の家は、家族が増えるたびに横に増築をし、ドアを作り、その奥に、その家族の居住空間を増築していくそうです。

この広い空間は共有スペースで、ここで子供たちは一緒に遊んだり、上の子から勉強を教えてもらったり、祭りや葬式、いろいろな行事に使うそうです。
なんだか、話を聞きながら素敵なコミュニティーの文化だなと思いました。
それぞれのロングハウスには、村長さんがいて、その人たちはその集落で尊敬されている人たちしかなれず、権力をふるうこともないし、揉め事は、話し合いですべて解決しているそうです。

IMG_0238IMG_0166ロングハウスの前庭も広く、ごみ一つない、共同の住居集落でした。

共有スペースの床のタイルです。
アジアのどこかの国で見たような記憶があります。

共有スペースの掃除も整理整頓がきれいにされていました。

穏やかな民族性を感じました。こういう形態のコニュニティーは、素敵だなと思いました。


車でバンガーに着き、そこからまた水上タクシーで1時間弱走り、バンダルスリブガワンへ戻り、そこからまた車でホテルに戻りました。
ホテルに帰ってきたのは夕方5時半くらいだったと思います。

それから、一休みして夕食のために繰り出しましたが、まずは散策。
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ホテルがリニューアルした為か、息子Kaiだけwifiが使えずに、ホテルの近くのケンタッキー・フライド・チキンの店のあるショッピングモールに入りWIFIに繋いでいろいろな作業をしなければなりませんでした。
私のiphoneは問題なくつながっていたので、フードコートでの食事は嫌でしたが、私たちは日本でも両替が難しいブルネイのお金を両替を少なくしていたので、キャッシュの持ち合わせがなく、一皿の焼きそば?をつつましく親子で食べました。
「わ!いっぱいの掛けそば!?」
カードの使えるレストランへ行こうと言いながらも、重い腰が上がらず、彼の作業が終わるまで待ちました。
なんだか少しお腹に入ったので、もう食べる気がせず、何か買って帰ろうということになり、
スーパーマーケットを見つけて入りました。

ところが、ここもカード使えず、キャッシュのみと言うことで、今度はキャッシュディスペンサーを探して、キャッシュを引き出し、スーパーマーケットに戻り、果物、ヨーグルトなど買い、ホテルに戻りました。

Kaiも私も食が細く、特に夕食は普段あまり食べないので、一皿の焼きそばを分け合って済みました。
「カードが使えないんだからしょうがないよね」「かなりつつましい夕食だね」と笑い合いながら食べましたが、店の中には誰もいませんでした。

翌日は世界で2つしかない7つ星のホテルを見学に行きましたが、ブルネイの裏側をちょっと垣間見た日となりました。

つづく










今年の親子旅行コタキナバル・ブルネイへ1

2018,6月の終わりから7月の第1週目の週末まで、マレーシアのコタキナバル、そしてブルネイへ行きました。

コタキナバルまでは、朝成田から出発してその日の夜10時半ごろに着きました。クアランプールからの飛行機の出発が遅れて思ったより時間がかかりました。
コタキナバルホテルに滞在し、翌日は早朝からキナバル自然公園へ車で向かいました。

IMG_0035IMG_0014キナバル山の麓まで車で2時間くらい走り、一休み。
そこから頂きを眺め、それからまた車でキナバル山への登っていきました。

30分くらい登り、車を降りて、キナバル公園へトレッキング。

息子が日本語を話すガイドさん(首狩り族の子孫だそうです)を、この日はつけていて、植物や歴史について説明してくれました。
マレーシアにある日本のある銀行の駐在員をしている若者2人と一緒のツアーへの参加でした。

ランチの時に、マレーシアの経済状況、日本から来る退職者たちの生活について、お喋りが弾みました。
現地に住んでいるからこそ見える現実的な話は、面白かったです。
夢のような暮らしを想像して日本から来るたくさんの人たちが、うまくいかずに帰国しているそうです。
そうですよね。初めて海外暮らしが、そんなに甘い訳がないと思いながら聞いていました。

海外暮らしの経験がある人だったら、多分楽しめるかもしれません。物価は安く暮らそうと思えばできるが、自分で食材や地元のレストランでの対応ができないと言うことは、難しいですよね。

さて、自然公園の中では、ジャングルの中で暮らしていた首狩り族の生活や植物の話がメインでした。
IMG_0027IMG_0024IMG_0013IMG_0028ミッキーマウスの顔の形に似ていると子供たちには人気があるそうです。
名前を忘れましたが、首狩り族は昔、この木の実をろうそくの代わりに使っていたと言うことで、ライターで火をつけて見せてくれました。小さな炎が燃えていました。

籐の籠を作る蔓(つる)で、ジャングルの中で、ターザンのようにぶら下がり木から木へと移った話は子供は同じだなと思いました。 首狩り族の戦いは、トップの人の頭を切り取り持ち帰ることで、他の人たちを無駄な殺し合いから守るためだったそうです。そこから首狩り族と言う種族の名前ができたそうです。

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この公園の中には、有名なつり橋が4つあり、それを渡りながらかなり上まで登っていきました。
途中で豪雨に見舞われましたが、子供のころ、雨を浴びながら、雨を楽しんだ気持ちを思い出し、メンズ3人とガイドさんが嫌がる雨を、「きゃ~~~~楽しいぃぃぃ~」と一人ジャンブルの中で叫んでいました。

麓へ帰るとポーリン温泉があり、そこで温泉に入る予定でしたが、現地の家族連れたちでいっぱいでしたので、ぬる~~~い足湯に少し入っただけでした。

夜、ホテルに帰ってから、ちょっと一休みして夕食に外出しました。
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息子リサーチの有名はレストランへ行きましたが、中国語しか話さない女性の呼び込みに促されて、まず食材を選ぶエリアに行きましたが、中国語は全く分からず、しかたなく違う店で食材を選び、料理方法も選択し、やっと料理の注文ができました。
広い市場風の建物の周りに食材を選ぶ店が並び、中心にはステージがあり、首狩り族が鳥や獣を毒矢で狩猟した様子のダンスや火を噴くパフォーマンスのショーが演じられていました。

夕食後は、近くのナイトマーケットへ行きました。平日の夜、10時前だったので、多くの店は閉まっていました。

翌日は、コタキナバルの街中を散策。

IMG_1258IMG_1259IMG_1267ホテルは中国にあるような巨大ホテルに滞在でした。

日本人は会いませんでした。






IMG_1262IMG_1264IMG_1265ホテルの周りにはマーケットがあり、ショッピングモールが3つくらいありました。
でも、そのモールの中の店の多くは閉まっていたりして、閑散としたモールもありました。

こういう状況から経済の状況が見えますね。

海の近くのレストランは、かなりの高額で、貧富の差が垣間見えました。
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午後4時過ぎのフライトのために空港へ行き、ラウンジで遅いランチを取りました。
機内食は、最低な味で、食べれるものがないので、ラウンジでの食事がとれて良かったです。





夕方17:30くらいにブルネイ、バンタルスリブガワンエリアに到着。

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IMG_0091IMG_0137老舗のブルネイホテルは、改装しモダンなデザインにリニューアルしたばかりだそうです。

久々にモダンなデザインのホテル滞在でした。
オレンジの差し色とブルーがきいていました。





IMG_0115IMG_0106IMG_0101夜、街中を散策。 安全面には問題がないとの情報でしたので、親子でフラフラ街中を散策しましたが、ホテルの近くにある黄金のモスクがライトアップされていました。
湖の中に浮かんだ輝いている建築物は、雨の中でしたが、非常に美しかったです。

モスク周りが公園になっていてごみ一つ落ちていませんでした。
国民から尊敬と愛を受けている国王がそういう政策を出しているそうです。

石油で潤っている国、ブルネイは、学費(大学まで)、一生涯医療費、所得税など一切無料だそうです。所得税も無料?信じられない!の言葉しか出ませんでした。

IMG_0145IMG_0093モスクの中には入れませんでしたが、入り口の近くに集まっていた男性たちに写真を撮らせて欲しいとお願いすると、「いいよいいよ、入ってきなさい」と言ってくれたので、入り口から写真を撮りました。

真っ白い壁と天井、金の装飾が美しかったです。
この美しが、貧しい人たちの犠牲の上に建ったものでないことを祈ります。



翌朝は、早くから・ブロン国立公園へ向かうために港へ向かいました。
つづく

日々を丁寧に生きること

最近、年齢を重ねて特に思うのだが、生きている時間を大切にしたいと思っています。

衣食住は、この仕事に就く前からこだわっていますが、特に子育て中は無添加の食品にこだわり、酵母パンを作ったりしていました。子供のスモックやズボンは大人の古くなったトレーナーを切り手作りし、仕事をずっとし続けてきましたが、住む空間も空気も綺麗に保ちたいと日々駆け足で走り抜けました。 帰宅後、夕飯を作り子供たちをお風呂に入れ、本を読んで寝かせ、その後洗濯を始め、夜干しをし、休みの日には趣味の洗濯を思う存分し、庭の木々、花の手入れをし、食材の買い物をし、デッキを作ったり、よく働いたと自分でも感心します。

休みには、かなり頻繁に友達を招いて、庭でバーベキューをしたり、春夏秋冬の休みには海、スキー、温泉を年間少なくても4回は、子供たちと行きました。

子供たちが独り立ちして自分の時間ができた今でも、手作りの料理にもこだわり続けていて、その時間は充実しています。休みの日の家中の拭き掃除後の気持ち良さを、母が言っていた通り感じている自分がいます。

一つだけあんまり好きじゃない事、それは服などを買いに行くことです。時間がもったいないので、必要だと思う物を最短距離と時間で購入する。何かのついでに目に留まったときに購入するという生活で、衣替えの時に捨てるものを必ず見つけて思い切って捨てると言うことをしています。
無駄なものは持たないと言うことを心掛けていますが、それでもいろいろ溜まっていきます。
日々の掃除、洗濯、料理をしっかりすることは、丁寧に生きると言うことと母から教わったと思います。働く姿でそれを伝えてくれました。

さて、そんな生活が日々流れていますが、カンボジアの孤児院の子供の一人が今、日本で働いていて彼に会ってきました。

IMG_0964IMG_0965名古屋の会社で働いているリスからの連絡で、今百合丘に出張で来ていると言うことだったので、仕事が終わった後、車を走らせ、百合丘まで向かい、夕ご飯を一緒に食べました。

22歳になったリスは、一生懸命日本語を勉強しながら名古屋の塗装会社で働いています。

シャイで言葉数が少ない子だったけど、質問攻めの私の言葉に、日本での仕事は楽しくて、社長さんはいい人。日本に来るのに50万円かかったので、今少しずつ返していること、自炊していること、彼の兄弟は8人いること、貧しいかったので親が孤児院のスントンさんに連絡して自分が孤児院に入り、学校へ通ったことなど片言の日本語で話してくれました。
そして愛の素が大学の学費を送っていたチュンライも6月か7月には日本に来ること、出張は6月末で終わること、チュンライは結婚して子供が二人いること、彼が日本に来たら彼も奥さんたちもさ寂しい、、、等々、あっという間の時間が過ぎていきました。

リスが、孤児院での思い出話をしはじめて、
私が教えた「友達を描こう」という授業で、仲良しの友達同士二人組になってお互いの顔を描く授業をしたとき、彼が「あなたを描きました。」と言ったので、私も彼を描いたことを思い出し、「そうねそうね、私はリスを描いたわね!それからサッカーでヘディングした時にリスと頭とおでこがぶつかり、私のおでこに大きな大きなたんこぶができたの覚えている?」と聞くと笑いながらうなずいていました。おでこに手をやり「こんなに大きかったね!あのたんこぶ!」
「あんな大きなたんこぶできたの初めてだったのよぉ~。でもぶつかった時に、君が心配してソーリー、ソーリーと何度も言ってくれたわね。優しい子だったわね」と言うと嬉しいそうな笑顔が返ってきました。

それから他の日本人は覚えていないけど「あなた、覚えている。忘れない」と言ったので、可愛すぎて「ママも覚えているわよ、リスのことも皆のことも」と言いました。
それから、他の友達のこと「スレイレン?ソムナン?チャック?セイハ?スレイモン?リナ?・・・」名前を挙げるとリスもそれぞれとの出来事を思い出したようにゆっくりうなずきながら笑いました。
最後に、彼はちゃんとした留学研修生証明カードを見せながら、後2年でカンボジアに帰るので、頑張りますと何度も言っていました。

孤児院の子供とこんな風に日本で会うことを全く想像したことがなかったので、不思議な気持ちで彼と会いました。小さかった彼が22歳の大人になっていたことにも驚きましたが、片言の日本語での会話ができたことにも、嬉しさと感慨深い時間でした。
一端にビールやカクテルを注文したリスは、日本に来る前にバーテンダーをしていたので、カクテルを作れると自慢気に言っていました。私は心の中で「大人ぶっちゃってぇ~」と微笑ましく聞きました。
そして、6月中にまた会うことを約束して、その夜はさよならをしました。

リス、私の生活は忙しくて君にいつ会えるか約束ができませんでした。でも会いましょうね^^6月末までには。


本当は、4月が誕生日の友達が忙しくて時間が取れずにお祝いするのが遅れていました。
でも、先日の水曜日に、彼女を相模湖駅でヒップアップして藤野芸術の家へ行き、サンドブラストをプレゼントしました。
形に残る思い出の物がいいなと思っていたことと、私が以前作ったワイングラスを来客に割られてしまったので、補充のために作りたいと思っていたので、誘いました。
私のオリジナルのプレゼントとして、書:短歌を差し上げただけでだったので、今回はいい機会になりましたと、彼女が言っていました。

IMG_1017IMG_1018IMG_1020友達が送ってくれた薔薇の写真をモチーフにしてその場でラインをカッティングしてオリジナルデザインのワイングラスを作り、贈りました。

彼女はご主人と自分のビールグラスを、作りました。

芸術の家には、たくさんの種類のシールがあり、それを貼地「切り取ればできるようになっています。
IMG_1107IMG_1108そこで彼女が選んだのは、フェニックスのシールをご主人に、そして自分用には可愛い花のシールを選んでそれを貼ってサンドブラストで削りました。

フェニックスの後ろには小さなエンジェルを貼り削りましたが、彼女が削り、黒い汚れのようなものが付いていたので、二人で変ね~???

私も「可笑しいわね~、何????この黒い物、私の方の機械でやってみるわね」と言って彼女から受け取り、私も削ったので削り過ぎてしまいました。

もう何度も来て作っているのに、削り過ぎるという危うい間違いを起こしてしまいましたが、それでも出来上がった彼女作の夫婦グラスと私作のワイングラスに大満足してくれたので、思い出に残るプレゼントになり、とっても嬉しかったです。

カッティングしているときは、お喋りな二人が物凄く集中していたので、無口になりとっても静かでした。


さて、先日、貸している家の外装工事を始める前に、自分で作ったデッキを壊すことにして、朝10時から12時半くらいまでかかって、腐ってしまったデッキの解体工事をしました。
またその日、軒天の補修も下職さんの石井君に依頼して直してもらいました。

IMG_1049IMG_1048モモンガか何か動物が軒天をかじって穴をあけていましたので、そこを切り取り、新しい軒天を貼ってもらいましたが、石井君が軒天を直して間に、
子育てをしたこの家を現在は貸し出していますが、貸す前に毎年11月の連休に塗装というメンテンンスを自分でしていました。
そして、もう何年も補修やデッキ作りは、プロの力を借りながらも自分で作ったデッキでした。

腐っている部分は3枚ほど、手でバリバリとはがせましたが、しっかりついている部分がほとんどでしたので、のこぎりで切れ目を入れて、バールを釘のところに差し込み、金槌でバールを叩き、バールの上部を足で押してはがしていきました。
IMG_1052IMG_10563.9mのヒノキ材を貼ったので、途中で切らないと1枚では剥がしにくかったので、そうしましたが、先日ろっ骨を痛めたので、かなりきつかったです。
殆ど剥がし終わり後、2,3枚残しで軒天張りの作業が完了した石井君にバトンタッチし、私は軽トラに廃棄処分の木材を積み込みました。

さすがの石井君は、電動丸鋸で一瞬に切り込みを入れてはがして完了しました。


それから、市内のごみ処分場へ持ち込む前に「まあさの家」でランチを食べました。

IMG_1059IMG_1060彼も若い時から知っていますが、もうすっかり大人になり、自分の会社を持っています。

金髪だった髪は結婚して子供が生まれ黒髪に、そして初めて会った時から8年、いつも変わらずに丁寧な対応です。
素敵な青年になりました。

ちなみにランチはオムライスにコーンスープ、サラダでした。デザートはラムレーズンのアイスクリーム。
美味しかったです。いつもながら食べ終わってから「あ!!!!写真撮るの忘れちゃったぁ~」
です。

ですから、ご紹介できずに残念です。

さて、日本では、自分で家をメンテナンスすることはできないと思っている人が多いですが、エジンバラに住んでいるとき、リバプールに住んでいるとき、近所のおばあちゃまたちは、自分でガレージドアを塗るとか、階段を塗るとか、いろいろやっていました。
可愛がって綺麗に住むということへの意識が高かったと思います。日本でも、そういう意識が育つといいなと思います。
それも自分の人生を丁寧に生きることにつながるんだと思います。

そして日本では、年齢を気にする人が多いですが、私は仕事で現場からの廃材の運搬もしますし、自分できることは自分でやろうと思っています。
要は気持ちだと思っています。やろうとする気持ち。得意不得意はありますが、子供たちにやる前に諦めないでと言っていたので、その私がそういう態度は取れないと思っています。
信頼は、行動からです。

お母さん、私は日々の生活を丁寧に生きていますか?

やってから物を言いなさいと言っていた両親の言葉は、私を強く突き動かしていますが、生活の一つも丁寧に生きられない人が何を言っても絵空事、重みがないこと、身の丈の生活をしっかり自分の足で立ち、続けていくこと、継続は力なりと言っていた言葉が、一ヶ月前に過ぎた母の日から、父の日を迎える今、そっと思っている私です。
























生きている時間


2月、3月と私のライフワーク(NPO法人愛の素・AINOMOTO    http://ameblo.jp/ainomotoainomoto )のカンボジアの養護施設の子供たちの教育支援の決算月で、事業報告書等の作成をし、提出しました。英語学校に行き始めた新しい3人の女の子たちは、みんな素直でまっすくに生きています。
Hoeun Athida, age 16years old,IMG_0615小さい時から見てきた子たちが、訪れるたびに大きくなっていき、今ではすっかりティーンエイジャーになりました。
施設を出て働いている子たちからかかってくる電話はFacebookでの電話です。今の生活について話してくれます。
そしてfacbookで、いつも「Thanks Mom」と書いてきます。  何をしてあげたわけではない子たちから「ママありがとう」の言葉。
 
でも、それを見るたびに、8年間、継続は力なり、と手探りだけど頑張ってきてよかったと思います。

彼らの学費は、フォスターペアレントさんたちからご支援をいただき、学校に通うことができていますが、国からの補助も得られないカンボジアの養護施設は、フン・セン大統領とその身内による独裁政権と共に、私腹を肥やす政府役人たちは、自分たちばかりが良い生活をすることに夢中です。
時々、言葉を失い、無力感に襲われますが、現在9人の子供たちの学費をおくっていることを考えると走り続けないといけないと思います。

そして愛の素には新しいメンバーが増えました。

IMG_0605IMG_0607IMG_0608IMG_0604竹田悦子さんからご連絡をいただき何度かお会いして、いろいろお話してメンバーになってくださいました。

可愛い圭君は、歯が生え始めたようで、私の指をカミカミ。

悦子さんはアフリカ支援をしていた方です。現在中学校の英語の先生です。
彼女と日本と海外での人の生き方の違いや価値観などについて話、アフリカもひどいけどカンボジアの子供たちの方が、酷さの質や内容が違っていますねと言われ、いつ会っても興味深い会話ができ、時間はあっという間に過ぎていきます。

檜山さん1哉子さんも今年に入ってからメンバーになってくださって、そしてフォスターペアレントにもなってくださっています。

私の仕事を通しての出会いですが、長いお付き合いをさせていただいています。
福祉のお仕事をしていらっしゃるので、日本の社会が抱えている老人問題、子供たちの問題にも問題意識が高くて、話をしていると私が気が付かなった置き去りにされている老人たちの生活の様子など知ることができ、未来に、カンボジアの子供たちに日本に来てもらい助けてもらうこともあるかもと思いっています。
愛の素もいつか、そういう仕事を子供たちと広げることができたらと願っています。

125899IMG_0591ロザリンは、カンボジアで子供の養護活動をしているNGOのデボラからの紹介で出会いました。彼女は日本人の建築家のご主人と、お子さんが2人と日本人に住んでいます。
お休みに日に、二人で美術館周りをしながら、お喋りをして、お互いの人生や子供たちの人生やなどをお喋りして、すっかり仲良しになりました。新しい出会いでした。



さて、それから
時々、保育園からの同級生から、庭で咲かせている様々な花の写真が送られてきます。輝いている花たちを見るたびに、いつも元気をもらいます。
そして、友達のその気持ちに心が温まります。最近送ってくれた美しい花たちを公開しますね。
気品がある花、可憐な花、、、、どの花も生き生きとその美しさを放っています。

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先日の休みにケリーとシドニーをランチに招待しました。ケリーとシドニーは、ママと娘。
ランチは、サラダにサーモンパスタ。いつもの簡単ランチです。   ごめんね。
IMG_0676IMG_0682IMG_0679ケリーがキャラメルケーキを焼いてきてくれたので、ソイカプチーノを作って美味しくいただきました。

シドニーは、とっても落ち着いている子で、彼女と私の夢が同じだったことに、2人でウンウン分かる、そうだよねと、喜びを分かち合いました。ちなみにその夢は馬を飼って乗ることです。
いつかそんな暮らしをしたいと願っている二人です。

 私は、今、愛の素ができる現地での経済的自立支援を探っていますが、先日いつもご協力をいただいている花咲爺様のお宅へお邪魔して、養蜂事業の調査結果のお話しを伺いました。
IMG_0683ひょんなことから、養蜂事業に目をつけて、経済的自立をの展開を
計画中で、リサーチ中です。
ですから、花咲爺様が養蜂をされている方にお会いして下さった結果のお話を伺いに鎌倉まで行きました。

花咲爺様には、いつも、暖かな視線で見守ってくださっていることに感謝しています。




IMG_0688先日、アメリカやカンボジアにご一緒した田中さんご家族から、連絡があり、息子さんの誕生日と私の友達のアンちゃんの誕生日を一緒にお祝いしましょうとお声をかけていただきました。




IMG_0691IMG_0687今はアンちゃんも田中さんご家族と友達になりました。
メニューは、私が伝授したタコスでパーティー~~~





IMG_0695IMG_0694新緑の美しい季節に、お庭でランチパーティー。

このエリアに引っ越してきて以来、庭でのパーティーができなくて、心が緑を求めていましたので、癒されたランチタイムでした。






547816114.61441IMG_0862先日の母の日には、上の子からお花が届きました。

下の子は、仕事が忙しい中、来てくれ、夜は近場の温泉で日ごろの疲れを取りました。 
翌朝、朝ご飯の後に、今年の親子海外旅行はどこにする?との会話になり、そして数年前の台湾への親子旅行の思い出話になりました。

大雨の中を1本の傘を差しながら延々と続く海岸線通りを歩いて見たかった建築のある場所へ行ったこと、途中の美術館が閉まっていたこと、
あの時、地図を見ながら「近いから歩こうよ」と言った息子の言葉を信じて歩き始めて、でも歩けど歩けどたどり着かず、橋を渡るときにビショビショに濡れて、海から押し寄せつ海水に打たれ、途中の休憩する東屋で休憩しても、濡れて、そこからまた歩き、向こう岸の町にたどり着き、歩くのをやめてバスを捕まえてバスに乗ったら、遥か遠かった目的地。  
目的地に着いたら雨が上がり、今までの豪雨は何だったの?と、二人でぽか~~~~んとしてしまったことを思い出し、大笑いしました。

仕事の大変さや忙しさから痩せている息子の身体を気に病んでいる母です。
野菜を食べている?運動はしている?今付けた体力は、残るのよ。。。なんて言っていますが、クレー射撃、付き合いゴルフを趣味にしている息子に必要なのは、しっかりした運動なのにと心の中でつぶやく母です。彼の一番の趣味は、温泉で癒されることですが、おじいちゃんみたいだから、まず身体鍛えて欲しいと願っています。
まだまだ温泉巡りをするには若過ぎますよ~~~と心の中で叫んでいる母です。(でもそうしないと乗り切れないのかな?とも思っています)

それから、先日、休日を利用して、愛の素のメンバーのこうこさんを訪ねました。
こうこさんから、愛の素の活動に興味のある人がいるからぜひ紹介したいと以前から言われていました。
彼女は宝塚に住んでいますが、いつも彼女がこちらに来て活動の手助けをしてくれます。
私は初めての宝塚でした。
ホテルは400年以上の宝塚ホテルに滞在しました。素敵な歴史のあるホテルで、あと二年したら解体されるので、違う場所に現在建築中です。

翌日は、姫路城へ足を延ばす予定でしたが、宝塚近辺も面白くて、姫路城は次回にしました。
宝塚劇場を見学し、天海祐希さんが行き付けだったお好み焼き屋さんでランチをいただき、その後、手塚治虫記念館へ行きました。
息子が大好きだったブラックジャック。私が大好きだったアトム、リボンの騎士、ジャングル大帝レオ、どれもこれも子供の時に夢中で見た漫画です。可愛いキャラクターたちに出会い、生きているような気さえしました。
偉大な手塚さんの品位と人間性が伝わってくる記念館の中で息づいているキャラクターたち。どの子もみ~~~んな大好きでした。子供の時のワクワク感が蘇ってきた時間でした。

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館内を興奮気味に見て回った私です。
そんな様子をこうこさんが「良かったわ、こんなに喜んでくれて」と言っていましたが、こうこさんといっしょに歩く街中や紹介された人たちにお会いするできたこと、一緒にビールを飲みながらお食事すること、どれもこれも楽しかったです。
私たちは同学年。
愛の素の活動も、一緒にもう長いです。彼女は立派なお母さんで、4人の子供を育てました。
その愛情をたっぷり受けて育ったお子さんたちは、皆さん立派に育っています。
それは私とって尊敬です。

さて、その後は高級住宅街のあるエリアが、息子さんが通った高校の上にあるからと言うので、そこにも行きました。
建築の勉強です。
行きは歩いて公園を通り抜け、住宅がある山まで登って行きました。
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新緑が萌えていて、公園では学校の遠足で来ていたたくさんの子供たちが歓声を上げながらお弁当を食べていました。

美味しそうなお弁当と子供たちの明るい元気な声が響き渡る公園で、私もつられて木登りをしようとしましたが、登ぼれませんでした。
やっぱり足場とは違う~~~。


生きてる時間は思ったよりずっと短くて、私の1時間、1日、そして1年は、忙しく過ぎていきます。
どの人にとっても同じように時間が過ぎていきます。

仕事での新しいお客様との出会い、そして完成、その後の長いお付き合い、それだけではなく生きている時間の中でいろいろな人たちと出会いが重ねられていきます。
それはどれも自分を見つめる、貴重で大切な出来事です。

出会った素敵な人たちは、私の心の中に、一瞬や長いお付き合いの中で、思い出を綴ってくれます。

緑が萌えている木々を見上げながら、風の音が通り過ぎていくのを聞きながら、光の中でお喋りを交わしている小鳥たちの鳴き声を聞きながら、空を見上げて洗濯物を干しながら、
出会った人たちとお喋りをしながら、一緒に汗をかきながら、

生きている時間は重なっていきます。

ありがとうの言葉が暗くならずに汚れずにそのままで進んでいくように生き続けたいと思っています。













恒例の親子温泉旅行

今年も1月の終わりに、お正月は毎年海外の私のために息子が誘ってくれる温泉旅行に行きました。
前夜に研修がありその足で来た息子と、朝はちょっとゆっくり目に起きて、彼が大好きな修善寺の菊屋さん(https://www.hotespa.net/hotels/kikuya/)へ向かいました。

ちなみに彼はこの老舗旅館は好きすぎて10回以上行っているそうです。古い建築が大好きで落ち着くそうです。
私は確か3回目だったと思います。初めて来たときと二回目は虹の郷へホタルやライトアップされた景色を見に行きました。
また、菊屋さんは夏目漱石が療養した旅館ですが息子は、おばあちゃんの家みたいで落ち着いていいよねと。
木枠のガラス戸や廊下などの古さがちょっとだけ似ているだけですが、小さな子供のころ夏休みに滞在した時の思い出と重なって、懐かしい素敵な思いに浸れるのかなと思っています。

到着後は、ウエルカムティで迎えられます。
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今回のお部屋は、
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職人さんの手の味わいがたっぷりの手すりなども、やはり暖かさと落ち着いた雰囲気を感じさせてくれます。



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私たちの部屋の前の廊下と階段には、こんな手摺が。
そして到着後、部屋で一休みしてからいつもだったらすぐにいろいろな種類の温泉があるので、まずは温泉にへ入りますが、

この日は、かなり早く着いたので、修善寺や竹林の道へいつものように散歩に出ました。
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あれれ?以前来た時は、こんなお坊さんの像があったかしら?

IMG_9941IMG_9942IMG_9943面白い顔のお坊さんたちの像を見て回りました。
「あ!いるいるこんな顔の人ぉ~」

それから、鐘を横目で見ながら
31日に来て除夜の鐘を突きたいね、今あそこへ行って突いたら怒られちゃうかな?
と子供のようなことを言う母。
息子はちょっとあきれ顔でしたが、やってみたら?
誰かが飛んできて怒られるよ、やっぱりね。
と。

そりゃそうだよねぇ~時間も決められているだろうしねと、当たり前の会話を交わしながらお参りした親子でした。

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Kai君が道で日向ぼっこをしていた猫ちゃんを撫でて癒されていました。
母は「病気があるかもしれないから素手で触らないほうがいいわね」と、冷めたことを言いました。
猫からの病気で亡くなった方がいたニュースを見たばかりでしたから。

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梅がもう春を呼んでいました。
Kai君がこっちのほうがきれいに撮れるアングルだよと。
真っ青な空と梅、綺麗でしたぁ~。

それから温泉にゆっくり入って、夕食をいただきました。
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日本のこういうプレゼンテーションには、いつも感心します。 
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ちょっと残念だったのは、味付けが濃くなっていたことです。
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IMG_9976これが夜のコースでしたが、いつもと同じで食べきれない量でした。

翌朝、カフェで前にいた中年の姉妹のお姉さんが”味がちょっと濃くなかった?”と話していました。始めてご家族みんなで来て、”呑み助がほとんどだからそれで良かったんじゃない?私はおいしかったよ”と妹さん。

そうかぁ~飲む人は、ちょっと濃い味がいいのねと一人納得して話を聞いていました。
でも菊屋さんは、やっぱり素敵な旅館です。現在建て替えに進んでいるそうです。すべてが新しくなったらちょっと残念ですね。

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こういう文字のデザインも味があります。
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部屋のネーミングもいいですね。
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息子曰く、時々ここにきてリラックスをしないと身体と心が持たないよと。
そうね~そういう時間を持てることに感謝です。

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IMG_0002IMG_0003漱石が滞在したころから変わっていない創りに歴史を感じます。
夕食後はTVを見ながら眠っていました。
そしてKai君に”夜泣きそばの時間だよ”と起こされ、
恒例の夜泣きそばを食べましたが、Kai君のを少しもらいました。

それから、日ごろの疲れをとるかのように朝まで約7時間半爆睡でした。
良く寝るなぁ~といつもながら感心します。



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夜、二回朝二回、温泉に入り、11時にチェックアウトしました。

IMG_0011いつも幸せな時間をありがとう。
今回は、小田原の新幹線乗り場で、kai君は慌てて乗り込みました。
じゃぁ~ねぇ~と手を振ってホームへ走って行きました。

あれれ、どこかで一緒の写真を撮ろうと言っていたのに、、、、。

思い出の二人の写真を撮っていませんでした。
ラインで、またいつでも撮れるでしょと。

そうだけどぉ~。。。。

ま、感謝感謝です。

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