ひとり言

2012年07月15日

2007年11月3日に取材でお会いした際にご一緒に撮影させていただいた渡辺謙さんとの写真をある占い師の方が盗んで、あたかもご自分がご一緒だったかのように、書かれていて、相談者の方を募集しているとのコメントを頂きました。

私のブログ:http://blog.livedoor.jp/keikomc/archives/51088963.html?1342330666

「福井の母が霊視で解決します」と言うタイトルで相談者を募集しているブログ:
http://ameblo.jp/guri42gura/entry-11301768710.html

とっても許せないのが、「特別なご招待です」今月の2012年7月13日掲載)と言って、ご自分が有名人と知り合いかのように書き、人をだましてることです。

コメントの書き込みができないようになっていて、とても卑怯なやり方です。

どうぞ騙されないでください。

この方は、「自分に嘘をついているかを見極める」と言うタイトルで、前のブログに書いています。

欺瞞と詐欺を行っている方が、こう言うことを平然と書かれていることに、驚き!許せない気持ちでいっぱいです!
詐欺師
有罪です!

相談者の方を騙していることを謝って、正しい道を進んでいただきたいです!

本当に、許せないことで、怒っています!

警察に相談しようと考えています。

追記
21:56
警察に届けてきました。
ブログは削除されていますが、プリントアウトしたブログを証拠のために下さいと言われたので届けました。

また何かあったらすぐにご連絡くださいとのことでした。

それから、ある方からそのブログを残すブログ魚拓をいただきました。

ありがとうございました。
ここにそのURLを公表します。
http://megalodon.jp/2012-0715-1015-10/ameblo.jp/guri42gura/entry-11301768710.html 




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2010年02月03日

月曜日の夜は、すっごい雪でしたね。

打ち合わせから帰宅後、門を開けて庭を見ていたら、

見る見るうちに真っ白に染まっていきました。

雪2

見上げた真っ暗な空からは、

ふぁらふぁらと

ふぁらふぁらと雪が

ほっぺにも、

肩にも、

唇にも落ちてきました。

だから、口を開けて雪を食べてみました。

雪1

 

少しずつ、雪に被われていく庭はとっても綺麗でした。

 

 

翌朝は、雪3雪4

 

 

 

 

 

 

7cmも積もった庭と、雪で重そうに垂れ下がった枝が通路を塞いでいました。

お洗濯ものを干しに庭へ行ったら、小さな若草色の目の周りが白い鳥が、ミカンを、必死でついばんでいました。

私が近寄っても、気がつかないほどでした。

でね、ほら、こんなに食べちゃいました。

めじろ?空っぽです。

どのミカンも空っぽです。

美味しかったんだと思います。良かったね

 

昨夜は、急に昨夜から始めることになった外国人に日本語を教えるボランティア活動をしました。

中国人のコクくん(谷 祖文)に日本語授業をしました。

「へぇ〜谷なんだぁ〜」と私が彼の苗字をみてつぶやくと、

「くん です。・・・私若いから」とニコニコ笑顔で言うので、

「OK!そうだよね。コクくんだね。」

それが授業の始まりでした。

9月22日に来日する前に2カ月、そして日本の会社で、研修生として働いて3カ月。

彼の日本語はすごいです。

私の話がほとんど理解できました。

クラスでは、他の3人の先生たちが、それぞれ担当の生徒に教えていました。

ボランティアで皆さん教えていて、教師を退職なさった方々が多いようです。

授業は、あっちの机からも

こっちの机からも、

楽しそうな会話が聞こえてきました。

コク君は、この言葉の発音ができない、難しいと言いながら、ノートに”せん”を書いたので、

「じゃぁ〜言ってみて?」と言うと、

舌を噛みながら「then」と言いました。

日本人には難しい英語の発音と同じです。

何度か”せん”のお手本を言ってみてると、

彼、せんと言えました

すごいよ!上手よ!と褒めると

すっごく嬉しそうな笑顔になりました。

1時間半の授業を終わらせ、日記を書くことを宿題にして、授業を終わりにしました。

金曜日の夜も、教えることにしました。

彼が「楽しいぃぃぃ」って言ってくれたから、まずは良かったかな

こうやって、このブログにいろいろな出来事や思いを綴ってきましたが、

もうすこしで、許容量がいっぱいになって、もう書けなくなります。

今、続けようか?どうしようか?迷っています。

今まで、読んでくださった方々、ありがとうございました。

 


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2010年01月22日

今年に入って休みにいろいろなことをして過ごしています。

まず、お相撲を観に行きました。

チケット下さったYさん、ありがとうございました。

友達も大喜びでした。sumou1

朝青龍の旗は、その日の強い風に勢いよくなびいていました。

 

 

 

 

sumou2sumou4

 

 

 

 

フィリッピンから来ていたお友達も喜んでいきましたよ。

sumou3朝青龍や琴欧州の取り組みは皆で力が入り、歓声を上げちゃいました。

 

 

 

 

 

帰る時には、お土産もたっぷりいただき、友達は本当に、何度も、何度もありがとうと言ってくれました。

そんなに喜んでもらって、・・・・私のお陰じゃないのに・・・・。

でも、幸せそうな彼女たちを見ていたら、誘って良かったと思いました。

それから、

out御殿場のアウトレットへも、数日後に行きました。

富士山がくっきり、とっても綺麗に見えました。

夏に、あの天辺まで行ったんだと思うと、不思議な気持ちでした。

富士登山は苦しかったけど、素敵な思い出と出会いがありましたから、そんなことも心いっぱいに溢れてきました。

 

toki1帰りには、時の栖にも行きました。

ず〜〜〜と行きたいと思っていた場所でした。

 

何万個と言うイルミネーションのアーチのかかった遊歩道を歩き、途中でおでんを食べ、帰りには出口近くのレストランで、皆で乾杯をしました。

 

 

toki2toki3

 

 

 

 

フィリッピン人のマービックとバンビは、日本の寒さに震え上がっていました。暗くて二人が見えませんが。。。。

この日は特に寒かったです。

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星の王子様と一緒に

 

帰り、私は道を間違えて、何度も同じインター入口を行ったり来たりしちゃいました。

助手席と後ろの友達3人は、疲れ切って眠っていました。

寒〜〜〜い我が家に戻ってからも、うちの寒さに震え上がっていた彼女たちでした。でも、翌朝はみんな元気に起きて、3人はサンリオへ、私は仕事へGO

水曜日の休みは、久々友達のCさんが来て一緒に津久井城跡のハイキングコースを歩きました。

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Cさんは、時々携帯カメラに景色を納めながら、”気持ちがいいねぇ〜〜〜”と。

良かったyasumi3

 

 

でも、

冬休み中何度も、そして先週も歩いたり、走ったりしたのに、1時間半かかって帰宅したときには、足がかなりパンパンに張っていた私です。

体調が今一つだったからかなぁ〜???

そして、夕方、Cさんとの会話から、今までず〜〜〜〜と買うのをためらっていたホームベカリーを、勇気を出して買いことに決めて、買いに行きました

全粒粉と胚芽を入れて作ったブラウンブレッド

しっとりしていて、なかなかの上出来だと思いましたが、家族の評価はいまひとつでした。yasumi4

でも、私としては、初めてで、これだけできたら上出来と、自分を慰めました。

それに、高いお金を出してブラウンブレッドを買わなくてもいいんだぁ〜と思うと、

嬉しかったです。

皆さんは、どんな休日を過ごしていますか?

 

 

 

 

 

 


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2010年01月19日

最近観た映画の中で、これはお勧めしたいと思う映画をちょっとご紹介します。

まず、This is ENGLAND

これは1983年のイギリスを舞台に、シェーン・メドウズ監督の少年時代の自伝的映画です。

労働者階級のティーンエイジャーたちが、仲間を求めてつるみ、音楽でつながり、仲間意識を燃やすことで、生きて行く時間を探りながら大人になって行くストーリーです。

主人公のショーン11歳はシングルマザーに育てられ、学校で流行遅れのベルボトムのジーンズを穿いていることでいじめられ、帰宅する途中で、つるんでいるはみ出した10代の青年たちのグループのボスに慰められ、それをきっかけに、その仲間に入り、いろいろな経験をします。

自分を受け入れてくれる年上の仲間たちに可愛がられ、その中で、仲間一人ひとりの性格を見つめ、それぞれの生き方に触れ、自分の意見を生みだしていきますが、周りに振り回されずに自分の意見を言えるショーンの強さは、年上の青年たちにも、ある種の尊敬が生まれます。

その時代には、イギリスのナショナリズムの活動も拡大する傾向にあり、地域では小さな集会が開かれていて、その集会に、ショーンと数人の仲間も参加します。

ショーンは、イギリスと言う国のために死んだ父を誇りに思うあまり、排他的で人種差別的で黒人やイギリス人以外はイギリスから排除するという偏ったナショナリズムの右翼団体に誘われ、彼らに利用されそうになります。

しかし、誘った青年は、あるきっかけにより彼の根底にある黒人差別意識が吹き出し、黒人とのハーフの仲間を狂ったように殴り続けて殺してしまいます。

友達の死を見たショーンは自分の欲しい世界は、彼らとは違うという事に気が付き、自分の人生を歩き始めます。

自分を持った少年が、何かをふっきったように、靴を海に投げる最後のシーンは、歩きだす予感を感じさせ、何か確実な勇気を、私に与えてくれました。

現実の中での悲しみを背負いながら、生きて行こうとする11歳の少年の目の輝きの中に、人生の重さを感じます。

ぜひ、観てみてください。

”3:10 to YUTA”=日本語タイトルは”3時10分決断の時”主演はラッセル・クロウとクリスチャン・ベイルです。

yutaクリスチャンが演じる父親ダンは南北戦争で片足が不自由になり、干ばつに襲われ、妻と息子二人と苦しい生活の中で、どうしたらいいか?どうしたら生活が良くなるか?ともがいていました。

 

 

 

貧しさに疲れたダンの妻は、夫のふがいなさを不満に思い、そして14歳の長男も貧しい生活の中で、農場の立ち退きを強いる地元の有力者に、自分の農地へ流れる川の水をせき止められても、どうすることもできない足の悪い父親に対して、しだいに尊敬する気持ちがなくなり反抗的になっていました。

そんな家族の思いに気が付きながらも、どうすることもできない現状を抱えていたダンにとって、何かを変えるチャンスを探していました。

そんな時に、銀行強盗のベン・ウェイド(ラッセル・クロウ)を護送し、ユタ行きの列車に乗せるという仕事を受けるきっかけを掴みます。

彼は、家族と農場を守るために、たった200ドルで、その仕事を引き受けます。

でも、引き受けた護送する強盗犯のベンは、早打ちで、間違いを起こした部下をも、ためらいもなく殺す非情な心の持ち主でした。

身勝手で非情なべンは、小さな子供のころに、駅で母親に捨てられた過去を引きずりながら生き、その悲しみと怒りに、心を埋め尽くされていました。

しかし、護送する間に、少しずつ、ベンはダンの父親、そして男としての生き方に心を動かしていきます。ダンのたった200ドルのお金を得るために、自分の命をかけて家族を守ろうとする男の生きざまに、やがて尊敬が生まれます。

一方、ダンはお金のためだけではなく、妻や息子へ、夫・父親としての尊厳の回復のために、ベンの護送を引き受け、命をかけてその仕事をやり遂げ、死を迎えた瞬間に、息子に伝えたかった自分の生きざまが理解された事を見届けます。

ベンとダンとの間に生まれた尊敬と友情のようなものが、晴れ渡った冬の夜空に冷たく輝く星のように崇高なものに感じました。

ダンの父親として生きざまには、尊厳とはどういうものか?と言う問いかけが観終わった後に、きっとあなたに迫ってくると思います。

私だったら、彼と同じ生き方を選ぶだろうか?苦しくても尊厳のために死を選ぶだろうか?

・・・・そうしたいと思う私がいます。

でも、・・・・?

そんな問いかけを自分にしている私がいます。

最後に”AVATAR"です。

AVATAR

もうコマーシャルできっと何度も観ていると思うので、印象的なシーンは観ていると思います。またアカデミー賞を取ったとか?ニュースでやっていましたね。今日。

 

この映画の監督は、あのタイタニックを創った人でジェームス・キャメロンです。

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基本のテーマは、魂や精神性を無視し、力で奪うことの醜さや愚かさが描かれています。

 

 

アメリカがアメリカネイティブインデアンを殺し、土地を奪い、民族を抹消したように、魂を大切にして生きているアバターを最新の武器で殺していくそのやり方は、正にアメリカの力にものを言わせて、他者を排除し、コントロールしようとする考え方が描かれていました。

また、愛のテーマは、

タイタニックでは、命をかけて愛する人の命を守ることが描かれていましたが、このアバターでは、愛とは、愛する人の世界で生きること、を描いていました。

心の擦れ違いがあっても、お互いを見つめ合うことで、さらなる理解が生まれ、

どんな問題があっても、最後は、愛する人のそばにいてその人が住む世界で生きて行くことが、

純粋で、

それが本物の愛だと伝えていました。

アバターの世界で生きることを選ぶ主人公の勇気ある愛の深さと重さに、ただ涙するばかりでした。

辛い時、

悲しい時、

苦しい時、

そして楽しい時、

どんな時も、そばにいて愛する人を守ってあげられますか?

そんな問いかけが心の中に生き続けています。

きっと、これからも私に問いかけ続けると思います。

愛にまつわる一つの真実を、しっかり伝えてくれた映画でした。

 

 

 


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2010年01月06日

クリスマスの10日前から、プレゼント作りを開始し、作り上げたプレゼントは、もう皆に届きました。

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絞りのTシャツ2枚

P1マフラーp2

 

 

 

 

黒とグレーのベースに赤、青、緑、紫、黄色が散りばめられていて、観た瞬間プレゼントしたい人にぴったりだと思いました。

p6ちょっとあまった毛糸で耳カバーの帽子(?)と言うかヘアーバンドと言うか?

作ってみました。これは自分用です。

 

p5そして、ちびちゃんたちにも、お揃いの帽子とマフラー

 

あんまり上手じゃないけど、一生懸命作ったからね

 

to Kaiそして最後にクリスマスには遅れちゃったけど、やっと作り上げて、贈りました。

 

 

連日連夜、ひたすら作ったので、目を使いすぎて、目の血管がピチっと音を立てって切れました。

今年はちょっと苦しい経済状態の中で、プレゼントを考え贈りました。

皆大好きで暖かいと言ってくれたので、ホッとしています。

ただ、相変わらず休み中もプランを考えたりしたので、目を使いすぎて、切れた血管は治っていませんが、喜んでもらったから嬉しいですね。

でも確か、去年もみのもんたさんの取材をしたときにも、切れていたような・・・。

赤い目をした私ですが、どうぞ、驚かないでくださいね。

休み中、皆さんはどう過ごされました?

私はDong Dong(ドンドンと言うニックネームです)と言う中国人の留学生とそのボーイフレンドのFranta(フランタ)が26日から2日まで泊まっていましたので、賑やかなお休みになりました。

nabeparty5nabeparty4

 

 

 

26日は友達も来て6人で鍋パーティーをしました。

25日のランチに、食べきれなかったクリスマスディナー用のホールドチキンも加えて、楽しい時間を過ごしました。

Dongたちは、日中は自分たちの東京見物のために、外出したので、その時間は、城山や津久井湖に連日ウォーキングやジョギングをして、暖かな冬休みを過ごしました。

tsukui1城山のハイキングコースです。

家から近いので、この山道を登り、津久井湖苑池へ下ります。

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tsukui3tsukuiko1

 

 

 

 

今年は連日快晴で、ジョギングするには良い日ばかりでした。

tsukuiko2

走りながら、自分を見つめて、一年を振り返り、これからの一年に、どう向かい合うか?

そんなことを考えていました。

 

 

 

 

夜も2度ほど運動公園まで行きました。

これからの自分は?

これからの自分は?

とそのことばかりを考えながら走りました。

そして31日から1日にかけて、Dongたちと高尾山へ行きました。

Dong1Dong2

 

 

 

 

 

 

私たちは良い友達になれそうです

まだ日本に来て3カ月の彼女です。

彼女の正直な心が大好きになった私です。

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夜景がとっても綺麗でした。

 

Dong&Frentamatane

 

 

 

 

 

 

2日の朝、彼女たちは福岡へ戻って行きましたが、短い時間の中で、一生懸命生きている私たちの心が触れ合って、

たくさんの事を話し、泣いたり、笑ったり、しました。

愛に迷い、戸惑う二人ですが、二人がいつも幸せなことを、心から願っている私です。

本物の愛と純粋な愛

何が本物で何が純粋なのか?

すべてを許し受け入れる愛

なかなか見えないけど、

人生をかけてお互いに見つけられたらと思う私です。

愛を育ててまた二人で来てね。Dong Dong

 

 

 

 

 

 


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2009年12月20日

letter to my firends

この場を借りて、何人かの友達にお手紙を書きます。

では、まずぅ

ケンブリッジに住んでるひとみちゃん、お元気ですか?

今年の4月か5月くらいにお電話をいただいたときは、Kai&Seanとお食事中で、ゆっくりお喋りできませんでした。

ごめんね。

そしてあの時聞いた、ひとみちゃんの電話番号のメモを無くしてしまって、電話ができずに、今日まで来てしまいました。ごめんね。。。。。

メルアドも分からずに、でもこのブログを読んでくれていると言ってたので、ここに手紙を書きました。

話したいよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

また連絡ちょうだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜い

日本に、今年は帰ってくるのかなぁ?。。。。。?

連絡待ってます。

Cさん、いただいた可愛いNew pink boots(ピンクブーツ)、履いてますよぉ

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ほ〜〜らね、こんな感じ

どうですかぁ?

履きこなしていますか?

かなりビビッドカラーですが、大好きです

あ・り・が・とぅ

 

そして、Kai〜

君が買ってくれた黄色のブーツ、

ほらね、

bu-tuこんな風に履いてるね。

黄色のパワーストーンとコーディネートして、君のお勧めで一緒に買った黄色の携帯も胸ポケットに入れてね

このブーツも大好きだよ

ブーツすっごく可愛いよね

あ・り・が・と

離れているからなかなか会えないけど、このブーツを履くたびに君にありがとって言っています。

届いてるかな?この母の気持ち。。。

最後にもう一度、

ひとみちゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん、

電話ちょうだいねぇ、待っています。

 

 


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2009年12月13日

まだ、明け始めたばかりの朝市の中、準備も終わった後に、コーヒーが飲みたくて、コーヒーショップを探しながら、市の中をちょっと歩いてまわりました。

hana1hana2

 

 

 

 

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お花屋さんには、蘭や今まで見たことのない花が溢れていました。

ichibaやっと少し明けてきた朝市の風景です。

ダイヤモンドヘッドの近くで毎週末土曜日に開かれる朝市は12時までなので、明るくなると、人がどんどん流れ込んできました。

ハワイに行かれたら一度足を運んでみてください。

回りながら、すっごくたくさんの種類の焼きたてのパンを売っているパン屋さんがあり、オリーブの入ったパンを買いました。

そして、その夜は、アントントンの誘いで、彼が待ちに待ったDJ−Tがクラブに来るから、行こうと言われて、

ジェネレーションギャップがあるから、どうかなぁ〜と返事をすると、彼が

”そんなことないよ!行こうよ!”とSeanと私を何度も誘ってくれたので、行きました。

Seanはダンスがすっごく上手だから、彼の顔を見ていたら行きたそうで、でも”keikoが行きたくなかったらいいよ、行かなくても”と言いましたが、

いえいえ、私もDJ−Tに興味がいっぱいそれにハワイのクラブってどういう感じかなぁ〜〜〜って、これまた興味津々だったので、

DJ−Tが来る時間が1時だということだったので、1時に3人で行きました。

アントントンやSeanはいつも行っているらしく、何人かの友達に会い、紹介してくれました。

入場料は、予想の5倍で$25、お酒も$16/2グラス日本と同じくらいなのかしら???

確かにDJ−Tはすっごく上手で、エキサイトしました。

私はどんな音楽のジャンルも聴くので、久々発散した楽しい時間をすごしました。そして、明け始めた静かな町を歩いて帰ってきました。

車もほとんど通っていない町の中、

ちょっと冷たい空気が身体を包み、運動をしたあとのように気持ちいい満足感と疲労感が心と身体を覆っていました。

帰宅後は爆睡し、

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夕方から、DJ−Tがビーチパークでパーティーしているから行こうと、またアントントンに誘われ、行きました。

彼がDJ−Tです。

 

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さすが2晩も同じように踊って過ごすのは、大人の私にとっては、飽きてしまって、

お腹もすいたので、”まだいる”と言うアントントンを残して、

 

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イタリアンレストランで食事をしてから、

映画を観に行きました。

見た映画は英語がわかりやすいという事とSeanが面白そうだという事で”NINJA"を観ました。

刀で首や身体を切るアクション物で、時々飛び上るほど怖いシーンもありました。

まぁ〜Bムービーですが、ショー小杉が出ていて、忍者の掟が閉鎖的・権力的・暴力的で、う〜〜〜んどうして?

と思う内容でしたが、ハッピーエンドで、きっとこれがヒットしたら2,3と創る気があるんじゃないかとそうできる創り方でした。

翌日の夜は、Zachたちが来たのでお食事を創りました。

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左からマチアス・ザックの恋人ケービン・そしてザック、です。

ザックたちに会うのは、前回来たときに彼らのアパートでプールとジャグジーに、入った以来。皆で抱きしめ合って、再会を喜びました。

相変わらず、元気で可愛いザックと男っぽいマチアスでした。

翌日はハワイ大学のキャンパスを見学したり、ギャラリー・建築館・図書館で一日過ごしました。

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ハワイ大学のキャンパスを公開します。

 

 

 

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茶室と日本庭園があります。

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ジョン・F・ケネディーの劇場です。

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学内のカフェやレストランでSeanと待ち合わせをしてランチを食べました。

久々学生気分を味わいました。

 

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建築館です。

Seanの説明で、

4面のガラスから差し込む光が時間によって紫と緑のなり、中庭にそれぞれの色を落として、すっごくきれいな建物だよとの事だったので、

待ちましたが、この日は突然の豪雨があったり、小雨が降ったり、陽がさしたり、と、

くるくる天気が変わりましたから、なかなか4面からの色を観ることができませんでした。

図書館でPCを開き書き物をしていたら、ザックに偶然会い、エリオットやアーロンとサトコサンにも会いました。

一日を図書館で過ごしていたら、

イギリスにいたときも同じように過ごしていたことを思い出しました。

そして、

学生に戻れたら、

もう一度、こう言う時間を過ごせたら、

過ぎた時間が取り戻せたら、

と、ちょっと思ってしまいました。

でも、過ぎた時間があるから、今の私がいるんだと思います。

お仕事の買い付けはできませんでしたが、たくさんの人に会い、それぞれの人生を垣間見て、

元気を充電した私でした。

 


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2009年12月10日

今回は、アイアンのタオルリングやドアハンドルやトイレットペーパーホルダーなど、良いものがあったら購入しようと思ってかなり意気込んで行きました

でも、ネットで調べてたくさんのところに電話をしても、扱っていない店が多く、フェンスや門扉などの大物ばかりで、予想以上に見つからずがっかりしてしまいました。

でも、忙しくいろいろなことをした1週間でした。

まずは、感謝祭のパーティーに誘われたので、アボガドや卵を入れた巻き寿司を創り、Sean& Antonと一緒にアーロンのサンクスギビングホームパーティーに行きました。

kannshasai10アーロンとサトコサンです。

アーロンの家は、高台にあり、

反対側にある家々のたくさんの光が川のように見えるすっごく素敵なバルコニーのある家でした。

でも、その夜は、強風が吹き荒れて、バルコニーには長い間いられないくらい寒かったです。

kannshasai1皆で持ち寄った美味しそうなお料理で、テーブルはあっという間に、埋め尽くされました。

 

 

kannshasai2kannshasai10

 

 

 

 

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皆でゾンビの真似をしましたが、こう見ると左端のアントンがすっごく怖かったです。

kannshasai3Antonアントンと私

私は彼にぴったりなニックネームをつけました。

アントントンです。可愛いでしょ!?彼はゲイですから、可愛い感じがぴったりです。

kannshasai9

彼女たちは可愛いゾンビでした。

 

 

 

kannshasai9

Seanのちっちゃな口、ちっちゃな顔・・・それに比べて丸い顔の私、腕なんかもしっかりしすぎちゃっているし・・・なんとも言えないですね

彼が日本にいたとき、

一緒に買い物に行ったときなどに、時々、

ジョニーデップに似ていますねって声を掛けられていました。

そうです!かなり似ていると思いませんか?

kannshasai7

ライオンキングになったアントントン

イギリスではゲイの人が町を歩いていると殴られたりすることもあります。TVの中では認められていても、実社会の中では認められないていない気がしました。

私が知っているアメリカでは、Zachもそうですが、学生たちの中ではごく普通に友達関係を作り、自然に人間関係ができています。

日本では、まだそんなにタレント以外は、身近で認められていないと思うので、こうやってみんな自然に自分たちが生きる世界を認め合うという精神は、アメリカの良いところだと、しみじみ思いました。

でも、学生たちの世界だからなのかなぁ〜???・・・

まだまだ見えてる部分が少ない私ですから、自分の見方に自信がありません。

kannshasai6酔ったアントントンです。

 

 

 

kannshasai5ちょっぴり酔ったSeanくんです。

3人で夜道を歩いて帰ってきました。

星がチラチラ輝いて、月が夜道を照らしてくれて、

スカーフがひらひらなびく風の強い夜でした。

怖がりの私は、風の音にビクビクしながら、二人と腕を組んで必死で歩きました。

感謝祭にはターキーを食べるのが習慣ですが、アーロンがベジタリアンと言うことらしく、ターキーはなかったです。でも、私はターキーがあんまり好きじゃないから、たくさんの初めて食べるベジ料理を、ワクワクしていただきました。

翌日は、minipe(?だったと思います)と言うちっちゃな車を借りました。

minipe

 

この車で町の中を通り向け、ドライブをしましたが、

ちっちゃすぎて坂道では、パワー全開にしても、スピードが出ないし、

おまけに音がかなりうるさくて、走りすぎる私たちを通行人がみんな笑いながら見ると言う、かなり恥ずかしいものでした。

でもゴーカートで街中を走っている感じでした。

夜にSeanの友達のスチーブのライブがあるという事で、チビカーで行きましたが、

その前に、行列ができていた中華レストランンでお食事をしました。

チャイニーズレストラン

私のお腹にはアメリカンサイズの食事は多すぎて、何度来てもアメリカでは一皿さえ食べれません。

どうして、こんなに多いんだろう・・・

メキシコ人の労働者たちに支えられているアメリカの食生活は、無駄と低賃金の過重労働と肥満が蔓延していると、思う私です。3皿頼んだお料理もかなりの量を残したので、ドギーバック(持ち帰り用に包む)にしてもらいましたが、帰りにすっかり忘れてしまった私たちでした。

そして、ライブ

ライブ3

エイミー・ワインハウスにメイキャップを似せたボーカルの女の子。

声のパワーは、すごっくありました。

 

ライブ3

彼のギターは、すごかったです。

弾きながら、自分の世界に入っていましたが、でも、上手かったです

 

 

 

 

ライブ4そしてSeanと彼の友達スティーブです。彼はドラマーです。

いつもニコニコしていて、左手の揃えた指先をコチョコチョと折り曲げる可愛い挨拶が独特の彼です。

 

 

 

ライブが終わってから、スティーブがアパートに遊びに来て、朝の3時まで、音楽を聴いたり、お喋りをしました。アントントン・エリオットット(本当はエリオットですが、私がつけたニックネームはオットットをプラス)は、眠っていましたので、3人で静か〜〜〜〜にお喋りしました。

そして1時間だけ眠ってから、4時に起きて、Seanのアルバイト先に一緒に行きました。

”今日は車があるから少しゆっくり起きれるから良かった”と喜んでいたSeanですが、まだ明けない朝に、ビィ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜とすっごい音を張り上げて走るチビカーは、眠っている人に迷惑だろうなぁ^^^と気が引けた私です。

でも、市場近くの人も家もないところでは、すっごく気持ちよかったです。

Seanが薄着で寒さに震えながら運転してくれましたが、私は一人ヘラヘラ楽しくって笑っていました。

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彼のアルバイトは市場で、はちみつ売りです。

私もテーブルにはちみつを並べたるのを手伝いました。

 

hachimitu3

レイとキャサリンです。

彼らのはちみつは日本でも有名なはちみつらしいのです。

夜が明けると日本からの観光客の人たちがたくさん、次から次へと来たので、私も売り子(?)さんとしてお手伝いをしました。

経験したことのない仕事に、夢中になった私は通行人に声をかけ、次々に売っていきました。・・・実を言うとかなり売ったようです。

キャサリンが私の営業力を褒めてくれて、”啓子の好きなものを言って”と言ってくれて、お土産にシナモンはちみつなどなど、いただいちゃいました。

本当に、かなり楽しかったです

hachimitu4彼はブライアン。

味見用のサンプルを次々に来るお客様のために創り続けていました。

 

hachimiti5

明け始めた朝市は、朝日から生きる力が溢れるように、市場で働く人たちに活気を注いでいました。

 

 

 

hachimitu6

レイ・彼は有名ははちみつ博士らしいのですが、私は全く知りませんでした。

はちみつを買いにいらした日本人の方たちが、教えてくれました。

Rhea's Hawaiian Honey

1349 Mokolea Drive

Kailua HI 96734   

今、毎朝彼らからいただいたはちみつをパンにのせて食べています。

シナモンとはちみつ、マカデミアナッツがミックスしたかなり濃厚な味です。

お勧めのはちみつになりました。

hachimitu7

Seanも私も次々に来る日本人のお客様たちにてんてこ舞いでしたが、

1時間の睡眠時間も吹っ飛ぶくらい夢中で働きました。

 

働いている彼を残し、

私はチビカーの返す時間に追われて、

一人で、皆の目が一斉にうるさい音の発信元の私に向けられる中、注目をあびながら、ガードマンには親指を立てられニコっと笑われ、

恥ずかしくって逃げ出すようにワイキキへ向かった私でした。

minipe2

道を間違えたけど、やっとたどり着いた私は、

やっぱり一人でヘラヘラ笑っていました。

 

 

つづく・・・・

 


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2009年11月18日

誕生日の数日前に、友達がバルサミコソースのステーキとパスタがおいしい大好きなレストラン、リトル・ツリーで私の誕生日をお祝いしてくれた。

毎年、彼女のプレゼントは心がこもっていて、今年は、淡水パールとアメジストをピンクゴールドの鎖でつないだ彼女のハンドメイドのネックレスが2本と可愛いフラワーアレンジメントでした。

プレゼントプレゼント4

 

 

 

 

 

 

大好きな黄色と淡いピンクや蘭があでやかで、それでいて可愛いアレンジでした。

プレゼント2プレゼント3

 

 

 

 

 

 

短いほうは、ピンクゴールドのチェーンにアメジスト&淡水パール、

長いほうは、ピンクの淡水パールの間にゴールド、アメジストの間にはピンクの淡水パール。

何度か作り直して、納得のいくものを作ってくれた彼女のこだわりがちりばめられたネックレスです。

いろいろ探し回って、やっと見つけて作ってくれたネックレスです。

世界でたった一つのプレゼントに、彼女の優しさが伝わってきます。

手作りのバックも、もう何個もいただきました。それに彼女のジュエリー選びのテイストは抜群に良くて、彼女からプレゼントのイヤリングは、誰からも褒められ、大好きで、大好きで、すっごくお気に入りでいつもしています。

忙しい仕事の間に、時間を作って東京から1時間半くらいかけて来てくれる彼女に

本当に、ありがとう、です。

それから、丁度誕生日が会社の定休日と重なったので、仕事に出てから、浜松まで車を飛ばしました。

Kai14時にはもうすっかり暗くなっていて、冷たい雨が降っていた昨日。

3時間くらいかかってやっと着きました。

 

息子のKaiを浜松駅のショッピングモールで待ちながら、可愛いブーツを見つけました。ピンク色を左足に履き、それからこの黄色を右足に履いてみて、どっちもいいなぁ〜と見ていると、Kaiが丁度来たので、

”ねぇ、ねぇ〜どっちがいいと思う?”と尋ねると、

”黄色でしょ!そのピンク、あんまり良い色じゃないよね”と。

kai12

”そうだよね〜〜〜〜”

・・・・・・

そう言いながら彼の顔を見つめたら、

”えっ?それって俺にプレゼント催促ってこと?”と。

へらへら、にこにこ、そしてまたへらへらの私。

彼の顔がうんとうなずいた気がしたから、

”えっ〜、いいの?!”と、私。

ニコニコしながら、Kaiが

”いいよ。”と。

心の中で、そんなつもりじゃなかったけど、

えへへ、あ・り・が・と!かいくん

と言った私です。

Kaiは良いよと言うとさっさとレジに行って、お金を払ってくれました。

それから、彼が予約してくれていた近くの日本料理店へ。

kai2店員さんが地場の野菜と魚を持ってきてみせてくれ、Kaiが

”じゃぁ〜金目の煮つけと、お刺身の持ち合わせと・・・”をオーダー。

 

kai3kai5

 

 

 

 

kai8

そんなに、たくさん食べれない私なので、

雑魚と豆腐のサラダでお腹がいっぱいになっちゃいました。

いつもはサーロインステーキを食べるんだけど、前から一度、牛タンを食べたかったら、今日は食べようと、彼が言い、牛タンを食べました。厚い牛タンにちょっと驚きでした。

Kaiお勧めの濁り梅酒をいただきながら、自分のことばかり話していた私です。

小さいときに、すっごくおしゃべりで、ちっとも静かにしてくれなかったKaiに

”Kaiく〜〜〜ん、お願いだから、ちょっと黙っていてくれるぅ?”って言ってしまったこともありました。

でも、今は逆です。いつも私のおしゃべりのほうが多くなりました。

kai7

Kaiとこんなふうに、いつまで一緒にお酒を飲んだりお食事したりできるんだろう?

ちっちゃな手で私の手を包んで、

”はは〜愛してるよ”

”はは〜可愛い”

って言っていたKaiが、こ〜〜〜〜んなに大きくなりました。

辛い時も、いつも支えてくれる彼です。

時々、二人で話すとき、気がつくと1時間ぐらいになっているときもあります。

お互いの仕事、悩み、今考えていること、政治、人生、いろんなことを話し、時間は、あっと言う間に過ぎて行ってしまいます。

”ぎぃえ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜、もう1時間も話してるよ”と言って慌てて切りますが、電話を切ってから、いつも思う事、

それは、楽しい時間をありがとう、です。

・・・突然ですが、

kai9レストランのトイレの壁は珪藻土でした。

おまけに、藁も練りこんでありました。

なかなか素敵なトイレでした。

 

 

 

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レストランを出るとき、ほっぺたを赤くした私と、クールなKaiくんです。

 

 

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帰りに温泉に行こうか?どうしようか?と迷いに迷って、

疲れたからもう帰ろう、そしてゆっくりしよう

と、彼のアパートへ帰り、”ウサビッチ”のDVDを観て、それから、二人とも爆睡しました。

 

kai13

そして、今日は快晴でした。気温も暖かくて、自宅に帰る途中のドライブインで、コーヒーを飲みました。

車から茶畑が見えました。

 

静岡まで3時間の旅は、非日常の楽しい時間でした。

帰宅すると、お花が届いていました。

kai13

笑ちゃんからおめでとうの言葉ととも”人生楽しんじゃってください”というお茶目なメールを昨日貰いました。

伸ちゃんから、”まだまだ先がある人生を身体に気をつけて”とメールが届きました。

 

Seanから、

OTANJOUBI OMEDETOU!!!!!!!!!!!!!
 
CHUUUUUU~~~~~~
 
kyou, Kai to tanoshinde ne! 

と、昨日メールをいただきました。

Dからは前日から何度も電話を、そしてDの妹からはいつも思っているよと。そして彼女の娘からもお祝いのメールが届きました。

そして、毎年、必ずメールをくれる中国の学生Kevinからも、心と身体を気遣ってくれるメールが届きました。暖かくて優しい言葉で埋められていました。

もう帰国して9年が過ぎたのに毎年、おめでとうとメールをくれる彼。ほんの僅かな時間しかいなかった中国なのに、彼の深い思いやりが心を毎年暖かくしてくれます。ありがとうねKavin. I miss youです。

それから、Zach,Molly,Geb,

皆にありがとうです。

こんなに輝いている秋の日に、私を支えてくれる人たちにありがとうを贈りたいです。

人はみんな孤独の中に生きています。

だからこそ、大切にしたいなと思います。

 

 


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2009年11月04日

何度、この光と風をこんふうに感じたんだろう。

ga-beraバルコニーや窓手すりに干した布団を、パンパンと叩きながら、身体に暖かく注ぎ込まれる太陽の光

朝夕、すっかり冷え込んできた冷たい空気の残りが、差し込む陽の暖かさとともに、ときどき身体に風となって通り過ぎて行く。

向こう側に見える大山も朝の透き通る空気の中に、何年も同じような秋の日をみせてくれている。

こんなふうに、毎年変わらない穏やかな秋の日を感じる日があって、通り過ぎて行った歳月や毎年重ねられた思い出の一瞬一瞬が、ふっと思い出されて、・・・・・

人生は、こういう日の積み重ねで過ぎて行くんだと、感じた日だった。

 

昨日は、第一火曜日だったので、全国的な休日と仕事の休みが重なったので、

月曜日の夜に、ちびちゃんたちと彼らのママのEちゃん迎えに行きました。子供たちが眠った後、Eちゃんとワインを飲みながら朝2時半くらいまでおしゃべりをしました。

彼女に”私のような生き方がしたいです”と言われ、”本物”を求め”純粋”に生きることは、傷つくことが深くて大変なんだよねと話ながら、、そういう生き方しかできない自分の子供っぽさが嫌いになる時があると話しました。

Eちゃんも迷いながら人生を生きているんです。でも、いろんな思いをこうやって話せることはEちゃんにとっても私にとっても良いことだと思います。

そして、

秋C&G&K

早いもので、Cちゃんは6歳です。

Gちゃんは3歳です。

け〜こママ〜、遊ぼうぉ〜

かくれんぼしよう〜

本読んで〜、リクエストは次から次へとたくさんです。

時々喧嘩するちびちゃんたちは、心が満たされなくて拗ねてみたり、八つ当たりをしたり、喧嘩をしたり、笑ったり、泣いたり、二人で本当に楽しそうに遊んだり、忙しいです。

C&K時には、叱ることもあるけど、でも、抱きしめると心が伝わってきます。

何を怒っているのか?何が欲しいのか?

子供だからってなんでも許せないことを伝えると、素直に聞いています。

人はみんなそれぞれに心があって、いろんな風に感じることが伝わると、もう仲良し。

 

前の晩から泊まりに来ていたちびちゃんたちは、朝からすっごく元気で、け〜こママと呼ぶ声は止まりません。

だから、お昼前にみんなでプールに行きました。

プールでは、Cちゃんはスライダーにすっかり夢中で、はじめは怖がっていたけど、一度すると、もう止まらなくなりました。

何度も、何度も、滑り、そして流れるプールではもぐったり、エネルギーの塊があっち、こっちに弾けているようです。

Gちゃんはわたしの背中にしがみついていましたが、ビート板につかまって足を動かすことを教えると楽しそうにやっていました。

偶然に行ったプールでしたが、20周年記念のフェスティバルが開催されていて、ビーチボーイたちと女性一人のシンクロが行われていて、ストーリーはラブストリーとコメディーで構成されていました。

ちびちゃんたちは、まったく興味がなかったですが、ちびちゃんたちのママのEちゃんと私は、たくさんの観客たちと、同様、子供たちの面倒を見ながら、時々見入ってしまいました。

2時間半ぐらいプールですごし、

すっかりお腹がすいたので、帰りにランチを食べました。二人とも、すごい勢いで食べていました。

朝食は、Eちゃんと私に何度も”ちゃんと食べてね”と言われても食べなかった二人ですが、たくさん遊んだ後は、言われなくても食べるんですね。

子育てで、きっとこう言うことは重要だと思います。無駄な言葉掛けが多くなる日常の中で、本当に大切なことを伝えて育てることが重要だと思いながら、食べっぷりの良い子どもたちを見ながら実感しました。

誕生日C&G家へ帰ってきてから、Cちゃんのちょっと早めの誕生日をお祝いするために、

ラ・フランスのイチゴのケーキを買い、ハッピ〜バ〜スディ〜ツ〜ユゥ〜と歌った後に、おめでとうと言ってお祝いし、それからいただきました。

Cちゃんが”プールは楽しかった”と何度も言ってくれたので、楽しい一日をプレゼントできて、け〜こママは良かったと思いました。

家まで送っていく途中の車の中で、すっかり疲れた二人は、夢の中へ、

子供は、あっという間に育っていってしまうことを感じた一日でした。

だからこそ、大切に楽しんで子育てをしたほうがいいんんだなとも、しみじみ感じた一日でした。

そして、今日も昨日と同じように冷たい風の中に、暖かな秋の日差しがたっぷり注ぐ日でした。

午後に、韓国の友達キムさんと電話でおしゃべりをし、彼女に空白の時間を感じさせない会話が成り立つ私たちの関係や、”純粋に生きようと戦っているけ〜こさんのイメージが私の中にある”と言われ、”私たちは年の差を超えて共通しているのはそういうところだね”と励ましあいました。

それから、週一いっしょにジムへ行っている友達のCさんが久しぶりに家へ遊びに来て、”純粋さ””正直さ”についておしゃべりしました。

充実した会話でした。

庭を見れば、

木や花は、もう冬に向かっています。

shirakaba白樺はすっかり葉を落として、庭中を覆い、庭は腐葉土状態です。

 

 

 

 

 

2009,11,3mikan今年のミカンは数が少ないですけど、大粒です。

きっと、甘くなる前に、鳥たちが食べてしまうでしょう。

 

 

09秋桜春、小さな花をたくさんつけて、髪が風になびくように風に揺れていたしだれ桜の葉も、見上げれば空が見える程、もう、こんなに寂しくなっています。

 

 

 

 

パンジーパンジー2

 

 

 

 

パンジー3パンジ−4

 

 

 

 

先週植えたパンジーは、花弁をいっぱいに広げて秋の日差しを浴びています。

雪が庭を覆う季節は、必ずやってきて、そしてフリージアが芽を出し春も必ずくるんですね。

変わらない景色と繰り返される季節の中で、

去年の11月からの出来事を思い出して、

自分を見つめている私です。


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2009年10月20日

少し前に、ウルヴァリアンX-MEN ZEROを友達と観た。

いつも、仕事帰りの夜9時過ぎからレイトショーで観るので、MOVIXの外にある大戸屋で夕食をすこし慌てて一緒に食べてから、観る。

e3怖がりの私は、こう言う映画を観ると、何度も座席から15cmくらい飛び上がってしまう。

隣に座っている友達は、落ち着いてビクともせず観ているから、きっと私が飛び上がるたびに、そう言う私に驚くのかも?と思う。

そして、

突然来るドキッとするシーンのたびに、飛び上がるから、観終わった後はかなり疲れてしまう。

でも、その反面アデノラリンがでるので、ちょっと興奮した楽しさが、観終わった後に体中に溢れて、スカットした気持も残る。

それは友達も同じだったようで、二人で

”あ〜〜〜〜〜面白かったねぇ〜〜〜”と、映画館を出て、顔と声を合わせて言ってしまったくらいだ。

でも、

実を言うと、こう言う娯楽映画は、メッセージ性が浅いと言うか、たくさんの人たちに人気が出るように一般的な価値観を芯にして作られているから、観終わると、”あ〜〜〜〜面白かった”で終わってしまう。

そして、X-Men 1,2のほうが私として好きだ。

自分と違う人種を差別をする人間の気持ちの部分や、それと闘う仲間との心の触れ合いやジェラシーなどが、思ったより細やかに描かれていると感じたからだ。

今回のZEROはX-Menのルーツを描いているのだが、一人狂った軍事科学者と、彼に操られる人々の状況と、・・・独裁者と化した彼との戦いが中心で、最後のシーンは、彼を産んだアメリカの軍隊が意思をコントロールされ、ただ歩き続けている彼を逮捕すると言うシーンで終わっている。

それは、アメリカの軍隊は、やはり正義を守ると言うメッセージがあるように感じられ、ちょっと安っぽい終わり方だな、この終わり方は子供にはいいかも知れないと思えた。

ただ、私には彼の意思をコントロールして歩き続けさせた超能力者にも、人の心をコントロールすると言うことへの怖さを感じるのだが。

e2でも、命を奪うわけではないから可愛い復讐の部類に入るのだろう。・・・多分・・・きっと。

 

 

それから

先週友達とATOMを観たが、この映画は、幼稚園児から小学生、中学生位までには、良い映画だと思った。

e4ストーリーは子供向けで、愛されない子供の心の悲しさと、それを克服して友達を作り、人間のために自分の使命を見つけ、ヒーローになり、みんなに愛されると言う幸せを最後は掴み取るATOMの姿は、きっと、子供の心に響き、勇気を与えると感じた。

そう言う私も、最後は、ホンのちょっぴり、ウルウルしてしまった。

子供の頃観たアトムが、こんな風にアメリカで製作され映画になって、まったく違ったアトムとして、私たちの前に現れたけど、これは、これで子供たちに観せたいいい映画だと思う。

お子さんが小さい方は、ぜひぜひ一緒にご覧になってみてはいかがでしょう。

最近は、フランス映画やドイツ・イタリア映画のDVDを良く観ているが、久々アメリカ映画で、これは良い映画だと言葉を失ったものがある。

大好きな女優メリル・ストリープとジャック・ニコルソンの演技に、観終わった後に、何を、どう、言っていいのか、もう言葉も出ないくらい、そしてその映画の深さに、心が一時戸惑い、さまよってしまった。

日本語のタイトルは”黄昏に燃えて”・・・制作は約20年前くらいの作品で、ホームレスのカップルの愛とそれぞれの生と、過去の死に取りつかれた男とアル中の女が静かに死を迎える話だ。

M&J

二人には、それぞれに元野球選手、元ラジオピアノ歌手と言う華やかな過去がある。

男は自分の不注意で22年前息子の命を奪ってしまったことで、家族を捨て、ホームレスになり、時々臨時の仕事にありつきながら生きている。

また彼はスト破りの仲間に投石をして死なせてしまい、その亡霊や自分に関わった人達の死の亡霊に付きまとわれている。

女は酒に溺れて、ピアノ歌手の職を失いホームレスになるが、今は体の中に腫瘍を抱えている。

気位が強く、でも家族から追い出され傷ついた心を引きずって生きている。

この二人は9年間、それぞれを尊重しながら、助け合い、相手を思いながらホームレス生活を続けている。

激しい気性の二人だが、心の中にはお互いを思う気持ち、愛がある。

ある日、

男は屑屋の仕事を手伝いながら家族が住む通りを通る。

それは家族に合う決断をするきっかけになり、彼は捨てた家族に会いに行く。

妻と息子は、彼を温かく迎える。娘は恨みをぶつけるが、やがて彼を許す。

その間に、

女は拾ったお金でホテルに入り、風呂に入り、過去の持ち物に囲まれながら、ホテルの部屋で男を待ちながら息を引き取る。

家族を捨てた男と家族に捨てられた女は悲しみでつながっている。

男は家族のもとへは帰らず、ホテルで彼を待っている女の元へ。でも、そこで女の安らかな死顔を見つける。

彼が息子を事故で殺してしまった自分を許せず、家族を捨てたこと。

捨てられた妻は夫の悲しみを理解し、彼を許し、彼を受け入れること。

そして本当は娘も父を20年近くも待ちつづけていると言うこと。

妻や家族を本当は愛しながらも家族の元へは帰らない彼。

自分を愛してくれる心が壊れた女を守る彼。

そしてその女の死によって、家族の住む町を出て行く彼の気持ち。

愛する息子の命を奪った自分を許せず家族を捨てた男には、自分優先の我儘で責任感のない男の姿が、そこにはあるが、彼の悲しみの深さを思うと、それも仕方のないことだと思える。

そんな夫を許し、彼の悲しみを理解する妻の愛は、清らかで温かくて深い。

また自分の辛さから逃れるように家族を棄てた父親を受け入れる息子と娘の父への愛も、悲しみと優しさに溢れている。

生きている辛さやまとわりつく悲しみの中を生きながら、アル中の女の面倒を見、仲間のホームレスを大切にする彼の優しさは、生きる悲しさを知ってる人だけが持つ優しさだと思う。

愛とはなんだろう?

家族とは何だろう?

生きることは、それだけでなぜ悲しみが漂っているんだろ?

でも、こんなに深い愛にたどり着いた人たち。

妻の優しい笑顔と孫の明るい部屋を思い出しながら、男はその町を出て行くというラストシーンだが、

彼の悲しみと虚しさが心に残った。

でも、町を出て行く彼には、きっと、

自分がいなくても暖かな家族を作ってくれた妻への感謝と、自分をいつでも受け入れてくれる妻の”慈悲深い愛”があることを知った安堵感があるのではないかと思った。

それを胸に抱えながら、

これからも、生き続けなければならないと言う現実に向かって、新たに歩きだしたような気がした。

 

ほんの少しだけ、心の中に、安らぎを持って町を出て行く男のラストシーンだった。

メリル・ストリープとジャック・ニコルソンの演技、特にメリルの演技は、目だけで演じられる女優だと、いつも思う。

この3本の映画のなかでは、一番のお勧めです。

 

 

 

 

 

 


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2009年10月07日

姪のYちゃんが9月に結婚しました。

今時、珍しいかなりの派手婚でした。

minnade1式の前に、待合室で、左から

姪のEちゃん(Yちゃんの姉)父・私・甥の奥さんMちゃん&甥のKくん・兄の奥さんのMさん。

我が家のテーブルは、みんなそれぞれが好き勝手にお喋り。相変わらず賑やかでした。

くんちゃん夫婦&弟

兄夫婦・弟(左)私がマイブームだからと言ったポーズを3人がとってくれてハイポーズ

いつも乗りの良い家族です。

そして弟とは、かなり仲良しの私です。

何かあれば、1時間ぐらいお喋りをしています。

今、彼は高校生の娘を筆頭に小学生の息子、娘まで4人の子育て真っ最中!

難しい年頃なので、時々私のアドバイスが必要です。自分の失敗を含めていろいろ提案しています。

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兄夫婦とEちゃん。去年のK君の結婚式以来、久しぶりに会う彼女ですが、来年は彼女の結婚式が待っています。・・・すっかり綺麗な女性になりました。しっかり者のEちゃんです。

兄は、いつもお喋りで、鋭い冗談を連発するのですが、この日は、朝から静かでした。

兄嫁のSさんには、いつも感謝です。実家に帰るたびに私の好きなものを作って待っていてくれます。父の面倒も本当によく見てくれています。

でも、Sさん曰く、”おじいちゃんは片付けをやってくれたり、経済的にも助けてもらったりと感謝しているの”と。

そんな風にお互いに感謝し合っているからこそ、良い関係ができているんだと思います。

futari主役の二人

きらきら輝いていたYちゃん。

可愛いものが大好きなYちゃんらしい、可愛い結婚式でした。

minnnade2kunchan

 

 

 

 

兄のKちゃんが、私のキャメラに即反応・・・乗りの良さでは、なかなかの家族です。

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愛を誓い合った二人。

バージンロードを兄と歩いてきたYちゃんは、ちょっとにこにこ。それに引き替え兄は之繞な顔で、娘と歩調を合わせて進んできました。

白のドレスが、本当に似合っていました。

 

 

futari3

にこにこ、そして大きな笑いが飛び交った楽しい式でした。

幸せな二人を見ているだけで、なんだかこちらも幸せになります。

きっと結婚式は、周りの人たちにも幸せを分けるためにあるんだと思います。

futari4futari5披露宴で。

 

 

 

たくさん続いたスピーチも、皆さんかなり面白かったです。

二人の仕事関係の出席者の方たちは、我が家のキャラが霞んで見えるほど、個性豊かな方たちばかりでした。

そして披露宴の間に、何度も可愛いキャラクターたちの出演に会場も大盛り上がりでした。

futari6テーブルを廻って挨拶にきた二人。

”頑張れ”と我が家族のテーブルからも声がかかり、

ありがとうと言いながら

ほ〜〜〜〜ら、こんなに素敵な笑顔が

これからは夫婦と言う人生が始まったばかりの二人。

可愛い二人の未来が穏やかで、優しいものでありますようにと思うばかりです。

chichito

二人が父を”大好きなおじいちゃん”と言いながら迎えに来てちょっとだけ一緒に歩きました。

戸惑いながらも嬉しそうな父でした。

Yちゃんたちが小さかった時、歴史を知るようにと一緒に広島へ連れて行ったりした父でした。

そんな父を、とっても大切にしてくれる姪&甥です。今度はSくんと二人で大切にしてね、Yちゃん。

 

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最後に兄もSさんも、そして新郎のご両親もYちゃんの手紙に泣いていました。

その手紙は

”お父さん、お母さんへ

今日が来るのがこんなに早いとは思わなかったかな?お父さん、お母さん29年間ありがとう。

うちの家族はおじいちゃん以外みんなB型で、とても賑やかな家でした。みんながみんな好きなことを言っていて、居心地が良くて、**銀行に入行して、初めて家族のもとを離れた時、家族の温かさ、ありがたさを感じました。

今も居心地が良くて、しょっちゅう帰ってるね。今はSくんも一緒に行くことも多く、いつまでたっても大好きな家です。

お母さん

お母さん、いつも、いつもありがとう!

お母さんは常に家族がどうして欲しいかを考えてくれてること、すごいなぁと思います。

学生の時も、社会人になってからも、たっくさん話を聞いてくれたり、おいしいご飯をつくってくれてありがとう。お母さんみたいにすぐにはなれないと思うけど、私も家族をしっかりサポートできるように頑張るね。

今日、こうして祝福を受けてSくんと結婚できること、本当にうれしく思っています。お母さん産んでくれてありがとう!

今日から2人で頑張っていきますが、まだまだ分からないことばかりです。今後も人生の先輩として色々教えてね。

お父さん

お父さんには、小学校入学前から中学3年生まで勉強を教わっていました。

授業参観にも、よく来てくれましたね。

北原塾は週3回、1回90分と大変だったけど、お父さんが先生じゃズル休みもできず、頑張った記憶があります。勉強の楽しさを教えてくれたのはお父さんです。

ありがとう。

今考えると、家にいつもお父さんが居てくれるのは、ありがたいことだったんだなぁと思っています。

家に帰ると”ゆっみん”とお父さんが言ったら”ダッド”と言って抱きつくとか、毎月のお小遣いは作文を書かないともらえないとか、フシギなルールがたくさんあったけど、今はいい思い出です。生意気な事を言ったり喧嘩もたくさんしたけど、お父さんの娘で良かったよ。ありがとう!

そして、これからもSくんのことを私同じように可愛がって下さい。

今日までありがとう。

そして、今日からまたよろしくお願いします。

Y”

わが家族の兄夫婦・弟夫婦そして姪&甥夫婦、私たちは皆で泣いていました。

去年は甥のKくんとMちゃんの手作り感いっぱいの暖かな結婚式がありましたが、その時もK君のスピーチで、みんな号泣でした。

私の兄弟はみんな泣き虫です。そしてYちゃんが言うように、集まってもお互いに好き勝手なおしゃべりをして、すっごく賑やかです。

Yちゃん&Sくんの結婚式は出席人数は約100人くらいで、ケーキも2mぐらいもあった派手婚でした。

でもYちゃんたちは出席者全員のテーブルに置かれた名前のカードの中に、それぞれに向けてのメッセージや感謝の言葉を添えました。

式の朝方までかかってそれらを書いたそうです。

そう言う心配りはYちゃんらしいです。

そして出席者全員に配られた披露宴の式次第の中にも、出席者がそれぞれどういう人たちか、みんなが分かるように紹介文を書いていました。

きっとS君と二人のそれぞれ分担して、それを書いたんだと思います。

それらすべてが温かくて、派手婚の悪いイメージは全くありませんでした。

それはYちゃん&Sくんらしい行き届いた、そして遊び心のあるメルヘンな結婚式でした。

最後に、お料理を紹介

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これに、イカ墨のバケット・蟹のブレッドがありました。

 

 

 

結婚は、家族や周りの人たちにも一緒に人生を共に歩いて行くことを公表し、社会的にも夫婦としての顔を持つことです。

生まれた愛を、しっかり育てて、命が尽きるまで、二人で手をつないで一緒に、苦しい時も悲しい時も、そして幸せの瞬間を重ねていって欲しいです。

お互いを大切に思える二人でありますようにと、祈っています。

おめでとうね。Yちゃん。ず〜〜〜と幸せでありますように、ケイコおばちゃんはいつも祈っています。


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2009年10月03日

チケットを予約した日に、仕事が終わってから実家に向かい、朝からジョギングなんかしゃっちゃって、実家でのんびりして夜のフライトを待ちました。

そして空港へ

ところが

空港でチェックインをする際に、”えっ?パスポート・・・えっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜忘れているぅ・・・何やっているんだろ、私って

パニック状態の私、今まで何度も海外に行っているのに、こんな間違いをするなんて泣いても泣ききれないほど情けない自分に腹が立ちました。

で、その日のフライトをキャンセルして、又津久井まで車を走らせながら、翌日のフライトの予約の手配をしました。

が、8時までにお金を払ってくれないとチケットを購入できないと言われ、間に合わない

それに、ESTA(アメリカ入国の際には、インターネットで事前入国手続き)の手続きが必要だと始めて聞かされ、えっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

それもやってないようぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜と

半べそをかきながら旅行代理店と連絡をなんどもやり取りしながら、やっと翌日のフライトを確保。

新宿で高速を降り、歌舞伎町を走り、代理店に駆け込み、フライトの代金を払い、それからまた高速に乗り車を走らせ、津久井へ戻り、

2階へ駆け上がり、パスポートを取り、また車を走らせ、新宿に向かい・・・・

大変な夜になりました。

結局実家に戻ったのは朝の2時くらいでした。

そんな大変な出来事を乗り越え、やっとたどり着いたハワイでした。

何やってるんだろ・・・私って・・・初めてでした、こんな間抜けな事をしでかしたのは。情けない自分に、唯、気持ちが落ち込みました。

ですから、

一日遅れで出発した私は、もうすっかり疲れきって飛行機に乗り込みました。

  

空港についてタクシーでワイキキにある自炊が出来るコンドミニアム(イリマホテルの中にあります)へ向かいました。コンドは長期滞在者や家族連れが利用するのは安上がりです。でも、コンドを予約したのは始めてでしたから、どんなかなぁ〜?とちょっとドキドキ、・・そしてウキウキ。

コンドに向かうタクシー中で、韓国から26年前に移って来たタクシーの運転手さんと、話が弾み、彼がツアーガイド宜しく”ここは植物園です””ここは美術館です”と説明してくれました。

H4

こう言うときに、地元の人から情報を貰うのは大切なので、タクシーに乗るたびに、

あれこれ、あれこれ

話をしながらいつも情報集めをします。

裏の情報も大切なので、日本の経済の話からハワイでのホームレスの方たちの状況なども伺いました。

公園にたくさんの方たちがいて、違う島から来た人たちが多いとか。

彼の言葉尻からホームレスは厄介者だよと言う価値観が伺えました。

きっと、彼はタクシーの運転手と言う仕事を長い間していて生活が成り立っているから、弱い人の状況が分らないのかな?と思いながら話を聞いていましたが、

コンドに着く少し前に、私の意見を柔らかく話しました。

”今は、特に仕事をしたくても仕事が得られない人もいる社会だと言う事と、彼らがすべて悪いわけじゃない”と私は思うの、と。

コンドの前で車を止めてから、彼は、ニコニコしながら”そうだね、その通りだね”とうなずいでくれました。

それから

お部屋に入って、片付けをして、ちょっと一眠り。

ドアチャイムで起こされて、ドアを開けるとSeanが

薔薇

汗をいっぱいかいてこの花束を抱えて満面の笑顔で立っていました。

授業が終わって、キャンパスからバスを間違えて1時間半ぐらいかかってたどり着いたとのこと。

その間に花屋さんを探し回り、やっと見つけて、それから歩いてやってきたらしいのです。

重いPCや教科書・文房具が入ったバックパックを背負って、

笑顔とは裏腹にちょっと苦しそうな彼でした。

H1

*コンドのバルコニーから見える青い空と、

時々吹く風は、”これこそが休日だ”と思わせてくれました。

 

少し休んでから、Seanが3人とルームシェアをしているアパートへ行き、ルームメイトに会い、お喋りをしました。

お友達はみんな学生で、それぞれがリビングでPCを床において向かい合って、キーボードをパチパチ叩きながら、時々お喋りしていました。

皆に紹介され、それからエリックと私の仕事の話や彼も日本に来た事があると言うので、その時についての話などをしました。

男の子の学生達のルームシャアは、息子2人がいる私には想像ができましたが、みんな時には激しく議論や口論を交わしながらも、良い関係を作る努力をして向かい合っているようです。

そして、お互い助け合いもしているようです。・・・きっと社会に出る前に数人で共同生活をするのは、人との関係をどう作るか?などを考えたり経験したりするのに、良いチャンスだと思いました。

それからSeanと大型スーパーへ買出しに行き、買ったたくさんの食糧を抱えてタクシーで、コンドまで帰りました。

コンドに着くと、Seanの様子が変で、具合が悪そうで、おでこに手を当てるとすっごく熱くて、高熱が出ている様子。

おまけに目は潤んできていて、息使いも荒くて、彼は倒れるように座り込んでしまいました。

それから、彼が喉も痛いと。

”インフルエンザだと思うから医者に行こう”と言いましたが、少し休めば直ると思うから大丈夫と。

それから、帰国前日まで、彼の看病をしました。

死にそうに弱っているSeanを見ていたら、心配で不安で放っておけませんでした。

話すのもやっとで、呼吸も荒く、1日、そして翌日も、そしてまた翌日もと眠リ続ける彼でした。

高熱は続いて、ちっとも下がらず、私の不安は募るばかりでした。

でも、週末になってしまい病院がお休みになり、もう腹をくくって看病するしかありませんでした。

それでも少し回復の気配がしだして、昼は少し熱が下がり、でも夜にはまた高熱がでると言う状態の繰り返しでした。

3度の食事で栄養とビタミンを取れるように食事を作り、Seanも頑張って私が作ったものを食べて、そしてまたベッド倒れこむように眠りました。

そんな数日を過ごし、

月曜日に、やっと少し話せるようになったSeanは”ごめんね、ありがとう”と何度も言いました。

私は、眠り続ける彼の横で、本をタップリ読み、のんびり過ごしましたから、”いいのよ、日焼けもしないし、こんなに何にもしないでのんびりする事はないんだから”と。

月曜日は、まだ弱っている彼を大学までタクシーで送り、帰りは運動不足なので、散策も兼ねて歩いて帰ってきました。

H2H3

 

 

 

 

ワイキキビーチから2本入った大通りにそって流れる川縁を歩きながら、

”まぁ〜直って良かったね”とひとり言を呟きました。

でも、帰国前夜には、コンドの隣りのアパートに住んでいるZach&ザックの恋人・マティアスを誘って皆でカレーを食べました。

やっと元気になったSeanも加わって、私が創ったカレーを”ケ〜コがつくったお料理はなんでも美味しいよ”と皆言いながら食べていました。

それから、Zachたちのアパートにあるジャグジーとプールに皆で入り、皆でちょっと大はしゃぎしました。

今回はZachたちやSeanのお友達にも会い、スキューバーや山登りなどをする予定でしたが、看病ですごした休日は、

パスポートを忘れた事から始まり、きっと一生忘れららない休日になりました。

 

夕暮れ

*帰国した日、実家の前にある教会に、ピンクに染まった夕暮れが見えました。

子供の頃、教会の庭はすっごく大きく感じていました。

夕暮れに、お母さんが

”ご飯よぉ〜〜〜”と呼びに来るまで、かくれんぼ・砂場遊びなどしていました。

今見ると、数歩で端から端まで歩ける程の庭です。

でも、唯一小さな十字架が、その頃と変わらずに棟の天辺に、今もそそりたっています。

長くなりましたので、結婚式のお話は次に、・・・

つづく・・・

 

 


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2009年09月23日

今日は、高尾山口にあるトリックアート美術館へ友達が行きた〜〜〜いと言ったので行ってきました。

何度も高尾山へは行っていますが、その度にちょっとひなびたその建物を横目に通り過ぎていました。

でも、きっと大したことはないんじゃないかなぁ〜と思いながら

入ってみると、えっ  え えっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

と、友達と二人で目を見張るばかりでした。

トリック1トリック2

 

 

 

 

 

 

トリック3

壁に描かれた絵に手や足を伸ばして、それを写真に撮ってみると、

あれ〜〜〜〜〜?

本当に立体的に見えました。

象にぶら下がって、嬉しいな

 

 

トリック4

友達と、順番にいろんな絵にイメージを膨らませてポーズを取り合って

”きゃ〜〜〜〜〜〜〜〜ワニに足を食べられちゃう〜”

 

トリック5

細い橋を怖々渡りましたぁ

 

 

 

トリック6

ライオンの体になってしまって、

ガルルルゥ

でも、前足はまだ人の手です。私の後ろからスフィンクスも覗いていました。

 

 

 

トリック7トリック8

 

 

 

 

雲の上を飛ぶように歩きました。

torikku9

クジラを背負って、

よっこらしょ

かなり重かったです

 

 

 

とりっく10

本当は私、魔女なんです。ほらね、顔しかない

 

 

 

トリック11

ドアチャイムが鳴ったので

ドアを開けたら、小さな動物たちが、遊びに来てくれました。

みんな、友達。。。

 

 

 

トリック12

さぁ〜トミーのお誕生日パーティーに行きましょ。

お兄ちゃんのパトリックと手をつないでね。

あららら、ケイト

ちょっとよだれが出ちゃっているぅ〜〜〜。

 

 

まだまだ沢山の面白い絵がありました。

友達と”きゃ〜面白いぃぃぃぃ”と歓声をあげて、次から次へといろいろな絵に入り込みました。

二人でドレスを着たり、ゴリラに食べられちゃったりもしました。

友達の顔はお仕事の関係でここに写真は公表できませんが、十分楽しんだ私たちです。

最後にトイレへ寄ったら

トリック13

えっ、

トイレの壁から子犬が、ね、禁煙の札を下げて顔を出しました。

可愛い

 

 

 

そして、

トリック14

トイレの鏡の後ろから、

お茶目なアインシュタイン博士がのぞいていました。

博士ぇぇぇぇぇ

覗いちゃダメです

 

 

沢山面白い絵がありました。

友達と”思ったよりすっごく楽しかったね”と何度も言いました。

彼女が”ケ〜コさんだから、こんなに楽しかったと思う、だってこんなのぉって言う人が多いから”と。

いえいえ、そう言う貴方だって、ね。

子供の心を持って楽しんだ私たちです。

 


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2009年09月22日

昨日、逗子の家のN様と外構工事の最終打ち合わせをしました。

で、お仕事のお話は充分させていただいたのですが、

N様から、素敵なプレゼントをいただいちゃいました

N様と

以前、私のニックネームが、あのハクション大魔王のアクビちゃんと言う事を、お喋りの合間にお話してあったらしく、

とっても可愛いアクビちゃんのストラップ&ボールペンを、一生懸命ネットで探してくださったということで、

ほら〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

んなに可愛いアクビちゃんをいただきました。

akubichan2

”マックニールさんに、似てるぅぅぅぅっ”とおっしゃっていただいたんですが、

実は何故、アクビちゃんというニックネームかというと、

目が”どんぐりまなこ & ほっぺがぷくっ”と下のほうで膨らんでいるのと、

上半身が細いのに、

うぅぅぅぅん お・し・りが大きい所なんです

それとアクビちゃんのオシャマな性格らしいのです。

でも、こんなに可愛くはない私ですが、このニックネームをいただいてすっごく嬉しいです。・・・でもこのニックネームを頂いたのは、随分か・な・り〜前ですが。

さてさて、メロンに乗ったアクビちゃんは北海道限定とのこと。

メロンも大好きですから、このアクビちゃんを仕事の合間に見つめて、

”ふふふ、 可愛い〜”と一人にんまり。

それから、akubichan1

akubichan3

 

 

 

 

 

 

ボールペンのヘッドでゆらゆら揺れて、へへへ、ふふふ

と笑っているアクビちゃんを、もったいなくて使えない気がしましたが、芯を取り替えられるとのことなので、今、使っています

彼女を見ていると、心が癒されます。

お忙しい中、ネットでやっと見つけてくださったN様の気持ちと重なって、

更に、ほんわか〜、ふんわり〜

”守り神になってくれると思います”とおっしゃってくださった優しさにも、心が温かくなって、

彼女を見るたびに、その言葉を思い出しています。

そして、今まで使っていたアクビちゃんのマグカップも、

”あ〜〜〜〜仲間が増えたぁぁぁ”と喜んでいるように見えます。

ほらね

akubichan4

 

 

 

 

3人のアクビちゃんが揃って、私のデスクの上はちょっと賑やかです。

”ねぇねぇ あたしね・・・”

”へへへ、そうなんだぁ〜”

そんな会話が聞こえてきそうです。

 

アクビちゃん、これからも

私を守ってね

よろしくね

 


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2009年09月08日

始めに、明日から1週間、海外に出ますので、お知らせします。

海外からブログをUPできたらしたいと思っていますが、どうなるかなぁ〜?

さてさて、では最近のプライベートでの私は、

中学生の時に家庭科の授業で習った、絞り染めをしてみました。

TVを見ながら、またお友達とお喋りしながら、チクチク・チクチク絞り柄を縫いました。Tシャツ1枚を縫う時間は20分ぐらい。

そして染めは30分。

染め上がった物を洗って、干して、・・・乾いたら糸を切って、出来上がり。

shibari1

紫色ですが、夜に蛍光灯の下で撮影したので、色が紫に見えないのが、ちょっと残念。

でも、ハートの形が可愛いかなぁ〜?と思っています。

後ろも同じです。

shibori

それから、もう一色は、赤。

左下横には、2重丸。

両袖には2本のライン、そして、真ん中は色を薄め燃える太陽をイメージしました。

色が派手な赤なので、やり過ぎないように糸目を少なくしました。

ピッピー調のデザインがまた流行っていますから、昔を思い出して作って見たと言うところです。

また、最近あんなに苦いからと食べられなかったゴーヤに、はまっています。

毎晩サラダにいれていますし、チャーハンや焼きそばに入れても食べています。

”苦さが病みつきになるよ”と言っていた友達が言うように、

苦さが好きになっちゃいましたぁ〜。

食べながら、そして”ビタミンが多いからぁ”と、皆にお勧めして、健康オタクっぷりを発揮しています。

それから、最近また数十年ぶりに電子オルガンを始めました。

思ったより指が動かなくて、・・・”こんなはずじゃなかたのに〜”と、ちょっと焦っています。  ボケ防止にいいんじゃないかなぁ〜?と思っています。

息子Kaiが子供の頃大好きだった”ルパン3世”の早いリズムとワクワクするようなメロディーをいつか、かっこよく、弾いてあげたいと、密かに思っています。

それから、

スケボーも、先日、パークに練習に行ったらボードが私の頭の後ろすれすれに飛んできて、

周りにいた人たちに、”危な〜〜〜い!”と言う叫び声をあげられちゃいました。

スケボードが落ちた後も、廻りから”大丈夫ですかぁ〜?”と聞かれ、

周りの叫び声の意味も分らずに、本人は”エッツ?”と。

でも、見ていた人たちが駆け寄ってきて”頭の直ぐ後ろを飛んで落ちたんですよ。当たってないですか?”と心配されちゃいました。

でも、私は”はぁぁぁぁ・・・そうですかぁ〜”とキョットン、キョトン。

でも、そのお陰で危険地帯発見!です。

ですから、それからは場所を変えて練習しました。

でも、

これも、ううううううううううううううんなかなか上手にならな

 

そんな、日々の中、

昨日、出社する前に、デッキに置いておいた2年前にいただいたハイビスカスの大輪が太陽に向かって、花びらを開いていました。

haibisukasu

17cmぐらいはある花びらが、

驚くほどの明るい色で、

元気良く思いっきり開いていました。

 

その思いっきりの良さに、

眠い目も、意識も、シャキーン

妙に元気付けられた私です。

ハイビスカスが一つ咲いただけで、こんなに嬉しいなんて・・・。

そういう自分に、ちょっと驚いた朝でした。

でも、ちっちゃなお花から元気を貰うってありますよね?

 

 

 


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2009年09月02日

朝食を取ってから一時間くらい、のんびり、まったりしてから、ジョギングにでました。

今日は朝から霧雨が降っていて、ちょっと肌寒かったので、少し厚着をして走り出しました。

いつも同様、走りながら、いろいろなことを考え、整理をしました。

今取り組んでいるプランの事、

人生のこと、

生き方のこと、

人との関係、

何が本物で、何が嘘ものなのか?がクリアによく見えてきました。

走ることは、ネガティブな気持ちを捨てることができる時間になります。

弱い自分を見つめる時間になり、

でも、自分を見つめながら、

私を取り巻く人たちを見つめながら、それぞれを分析し、整理し、

小さな霧雨の雫を全身で受け、走り続けると、やがて気持ちはポジティブに変化して行きました。

霧雨1花の苑池にでる道。

 

春は桜でいっぱいになる道。

 

 

 

霧雨2

この東屋で、晴れた日には、遊歩道へ向かう人、帰る人が、休みます。

 

 

 

 

 

霧雨3

城山遊歩道から津久井街道へ下りて行く道。

もう、桜の葉が落ち始めています。

秋は、少しずつやってきています。

 

 

 

霧雨4

津久井街道から、津久井湖を見たら、向こうの山には、雲が下りていました。

富士山へ登った時と同じ景色に見えました。

 

 

それから、

 

帰ってから、ゆっくり、たっぷりお風呂に入って、頑張った自分を労わりました。

午後は、ノースフォークと言う映画を観ました。

津久井湖は人工ダムですが、このノースフォークは、ちいさな町の名前で、ダム建設のために、立ち退きを強いられた人たちの人生の話です。

自分をエンジェルだと信じている病弱な小さな男の子は、養子に迎えてくれる夫婦を待ちながら、死んでいきます。

神が告げてくれるまで、この町を出ないと言う信心深い一人の夫と二人の妻たちは、ダムの底に沈んでしまう自分たちをノアの方舟を作って待ちます。

 

エンジェルになった男の子の死には、辛い気持ちになりましたが、宗教が人に与える影響を、深く考えさせられる映画でした。

そして、SeanとSkypeで話しました。

S&K8月1日に空港で、彼が撮った写真です。

こう言う発想が面白い彼ですが、

この写真、すっごく大好きです。

窓から、何かを見つめているようで。

Seanは、

今日大学で勉強したコンピューターの計算のシステムについて、説明してくれましたが、途中までしか分かりませんでした。

それから、今日、お母さんからおじいさんがお亡くなりになったと、電話を受けたことを話してくれました。

きっと、彼のお母さんは、辛いと思います。

私の母が亡くなってからもうすぐ13年が過ぎますが、悲しみは癒えることはないです。

ただ、母が言ったこと、母の行動、母の思い、

そう言うものが、心の中で、どんどん大きくなって、

ちいさな出来事や母に似た人を見たときや、何かにつけふっと母を思い出す日々を過ごしています。

だから、それをSeanにメールで送りました。

彼のお母さんの悲しみが少しでも慰めになればと思いました。

悲しみは癒えることはないけど、思い出や存在はどんどん大きくなるからと。

今日は、ちょっと寒いですね。

もう、秋が、本当に来ているんですね。

あなたは、どんな日を過ごしましたか?


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2009年08月25日

Seanと電話やメールで、彼が帰国後もよくお喋りをしてます

オレゴンへ帰ってから、キャンプ&川降りをして、彼の顔は日焼けで顔の皮がムケムケ状態に。足はまっかっかのローストビーフ状態に。

彼から、鼻を中心に顔をアップで撮った写真と痛々しい真っ赤な脚の写真が届いたときには、写真を開いた途端に、吹き出しちゃいましたぁぁぁ。・・写真は公開しません。可哀想ですから。

そして、彼が”ひどいよぉぉぉ〜。痛いしぃぃ”と、言う声を聞いて、

”真っ赤なお鼻のトナカイさんは〜〜〜”と、思わず歌っちゃいました。ごめんねSean

でも、今はそれも落ち着いて、オレゴンのお家からハワイへ戻り、昨日月曜日から授業が始まったとのこと。

彼のタイムスケジュールは数学で埋め尽くされています。

そして、

大学のお手伝いのアルバイトも、以前と同じで、数学の問題が分らない人への特別個人授業だそうで、教える事が好きだし、上手なSeanには、持って来いのアルバイトも、また始まります。

それから、今日も”納豆買いに行ったよ”と、

nattoudonSeanのスペシャルぅぅぅ納豆丼です。

トマトと生卵が入っているところが、スペシャルぅぅぅぅですね。

納豆が大好きな西洋人は、あまり私の周りにはいませんでしたから、彼が大好きと言った時には、かなりびっくりしましたぁ。

でも、カツ丼・親子丼、丼とつくものは、何でも好きな彼です。

そして、この新学期から、彼は初めて友達とアパートを借りる生活が始まりました。

電話で”すっごく大きいよ”と、声を弾ませて話す彼。

”布団を買いに行かないといけない。何もないから・・”と。

帰国する少し前に、アパートを一緒に借りる友達がいなかったら、ビーチでテントで暮らすからと言っていた彼でしたが、

”ぇぇぇぇ〜シャワーは?”

”お食事は?”

”インターネットは?”

”病気になったら?”の私の質問に、完璧心配ないお返事が返ってきました。

でも、良かったね素敵なアパートが見つかって。

apa4

窓から見える景色が、羨ましい限りのハ〜ワ〜イ

です。

 

 

apa1

自転車で大学まで通うそうです。

ハワイのアパートは賃料が高い!

11万だそうで、それを3人でシェアするそうですが、・・・ ちょっと高すぎです。

今都内のシェアは、2万ぐらいですからね。

でも、彼のアパートの

apa3

おおきなリビングには陽がたっぷり

あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁぁぁぁっぁ

私も学生に戻りた〜〜〜〜い

 

apa1

時々、インターネットが繋がらないのが、ちょっと問題だけど、彼はこれから約一年、このアパートで、どんな風に暮らすのかな?

 

このキッチンで納豆丼を作ったり、

納豆丼を食べたり・・・うぅぅぅん、元気に頑張って欲しいです来年の卒業まで。

そして、日本に帰ってくるのを、心待ちにしている私です。

それから、

22日の夜は、モーリーが中国から帰って来て、24日にNYに帰るから、その前に”けいこに会いた〜〜〜い”と連絡があったので、

仕事が終わった後、彼女とYukiと3人で焼肉を食べに行きました。

Y&M&K

モーリーは、地震の後の救済事業のボランティアをするために中国へ行ったそうです。

そして、中国語をかなり覚えて、また地方の訛りまで覚えて帰ってきたと、中国人のYukiが爆笑していました。

Yukiからは、日本でのアルバイトの話を聞きました。

日本のオヤジたちが”馬鹿!”と彼女に言うそうです。

でも、彼女は”いいんだぁ〜私は馬鹿だから”と元気に笑い飛ばしていました。

でも、

そんな話を聞いていて、悲しくなりました。

お酒を飲んだオヤジ達が、彼女の日本人らしくない行動や言葉を聞いて、そんなことを言っていることに、憤りを感じました。

でも、Yukiの力強い言葉と笑い飛ばす元気さに救われた思いがしました。

それから、3人で、これからの未来についてお喋りしました。

モーリーは中国が大好きだから、また行きたいと。

そしてYukiは奨学金を貰ってアメリカの大学院で更なる勉強をしたいと。

みんなの未来が、開けて、夢が実現する事だけを、祈っています。

また、いつか何処かで、会えたらいいね。モーリー

Yukiとは、また会えるね。まだ日本にいるからね

彼女が、”何かあったらいつでもお喋りしよう。女同士で、分かり合えると思うから”と。

ありがとね、Yuki.君の暖かな心が大好きです。


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2009年08月13日

12日はKaiの誕生日。

数日前の仕事帰りに、プレゼントを選び、10日の夜届くように手配しました。

私にとって、プレゼントを選ぶのは、相手の好みを思いながら、そして気に入ってもらえるかを想像しながら選ぶので、そう言う時間はかなり楽しい時間になります。

で、今回は、

以前にプレゼントしたたくさんのネクタイが”もうかなり弱っているぅ〜”とKaiが言ったので、

ネクタイにしました。

今まではピンク・青・クリーム色など、柄もいろいろなものを選びましたが、今回も、今までにない色をと、思い、

グリーンやグレー・パープルも含めて選びました

ネクタイ

Kaiからの電話で、”自分では選ばない色だね”と。

”そうそう、でもグリーンも爽やかに感じがするし、グレーやパープルも夏らしくて、きっとKaiに合うと思うよ。少し大人っぽいネクタイもこれからは着こなせるようになったほうがいいんじゃない?”

そう言うと、クスクスと笑い”うん、ありがと”と。

そんな会話をした月曜日の夜でした。

でも、11日の朝、大きな地震があり、今もニュースで、そのひどい被害の状況が伝えられています。

朝起きると、寝不足の目に携帯メール着信のサインがピカピカしているのが入ってきました。

ぼぉ〜〜〜〜としながら開くと、

Kaiからのメールでした。

”今のところ問題ないから”と、綴られていました。

それからTVのニュースで、震源地が静岡だと知った私でした。

早速、静岡に住んでるKaiに、メールで”何か被害はあったの?”と送りましたが

”大丈夫だよ”との返事に、

良かったぁぁぁと胸をなで下ろしました。

今月の終わりに一緒に箱根の温泉に行こうと、ホテルを取ってくれたのに、仕事で行けなくなり、残念で、寂しいです。

今度はいつ行けるのかな?

先週の休みは、庭の手入れをDと一緒にしました。

彼が”木を切るから、庭がひどいでしょ”とず〜っと言っていたので、一気に終わらせました。

門へ上がる階段もこざっぱりしました。niwa

草と源平菊と落ち葉で覆われていた階段が、すっかりきれいになりました。

桜や要や、琵琶・キュウィ・さざんか・椿・みかん・姫シャラ・銀木犀・などなど、木々の枝を切り落とし、

鬱蒼としていた庭に、注ぐ日差しの量が増えたような気がしました。

今年はもうこれで庭の手入れはおしまいにしたいです。

金曜日は友達が泊まりに来てくれて、久々楽しいお喋り。

そして、

今日は、昨夜から泊まりに来ているEちゃん、Gちゃん、Cちゃんと、近くのプールへ行きました。

pool2pool3

 

 

 

 

pool4かわいいちびギャング君です。

 

 

 

 

 

pool8pool7

 

 

 

 

スライダーの上から見下ろすプールには、お盆休みになったので、たくさんの人がいました。

今日は、ず〜〜^と続いた雨が、カラッと上がり、向こう側に見える森の木が、夏の空に映えていました。

夕方はお友達が来て、今年のボランティア活動について話したり、今考えていることや未来について話したり、それからお寿司を食べに行きました。

 

そして、Seanが帰国して10日が過ぎ、

楽しかった思い出が時々蘇ってきます。

このプールにも先日一緒に来ました。

何気ない日々の中で、

キャンプにも行き、富士山にも登りました。クラブにも行きました。仕事の帰りにジムでバトミントンも何度もしました。彼のおかげでスケーボ〜やチェスも始めました。

朝ごはんを食べながら、交わした会話や、毎朝学校への道のりで、交わした会話や何色のガムを選ぶかのゲームをしたことや、毎晩たくさんのDVDを観たことや、映画にもよく行きました。

そんな日々の中で、いろいろなことを話しました。

短い期間でしたが、ぎゅっと詰まった4か月が、

ふ〜〜〜と消えて、今はまた仕事に追われる日々を過ごしています。

去年は目と鼻の間にできた”しこりちゃん”の手術で夏が過ぎていきました。

でも、今年2009年の夏は、仕事に追われて過ぎていきそうです。

 


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2009年08月03日

4か月は、本当にあっという間でした。

私の休みのたびに、二人でいろいろなことをしましたが、7月に入ってからも時間を惜しむように、いろいろなことをしました。スケボー・バトミントン・ショッピング・etc

この日の休日は異常に暑くて、プール1家の近くのプールへ。

午前中の家事を終わらせて、3時間くらい、プールで遊びました。

このポーズは、Seanいわくイケ面君だそうです。

 

 

 

プール2

コーディネートしたわけじゃないのですが、偶然二人の水着は黒&白

わずか3時間でかなり黒くなった私です。

 

 

 

 

また、二人で、HACHIの試写会へ。

HACHI2

新宿を歩いていて見つけた靴に座ってと言ったので、座った私を彼が携帯電話でパチリ。

彼にも座って貰って、私が彼を撮りました。

 

こう言うポーズの発想が、面白い彼です。

 

 

HACHI1そして、始まる前にお食事をした時に、

”ちょっと待って、親父になるから”とSeanが言い、

ほら、ね。

十分親父です。

 

 

それから、映画に。

Hachi

始まる前にSeanが泣かないようにと、私にプレッシャーを。

でも、そう言った彼も映画のラストシーンでは泣いていました。

勿論、私は声をすすって泣いてしまいました。

ただ、単純にHACHIの純粋で誠実な愛が美しい映画でした。

人もこう言う誠実さと純粋さが大切だと胸に迫ってきました。

帰りに、素敵な映画だったねとSeanと何度も言いあいました。

29日の水曜日は、彼にプレゼントの短歌を作り書き上げました。

それを読んだ、Seanが泣き出し、ず〜〜〜と我慢していた私も泣き出してしまいました。

ありがとうと言う彼の言葉に、寂しさがいっぱい詰まっていて、何度も泣いてしまった私です。

帰国前日の31日は、お土産を買いたいと言うことで、下北沢へ。

そこで、前回来た時と同じように、彼がピスタチオのジュースをおごってくれました。それを飲みながら、シッピング

下北沢3

私たちは帽子が大好きで、ショッピングに行くと、必ず帽子屋さんに寄ります。

そこで、

いろいろ被ってはパチリ。

ちょっと個性的なデザインです。

 

 

下北沢1彼は、これを買いました。

パーティー用?・・・それとも・・・?

でも、似合ってる

 

 

 

下北沢2

いろんなサングラスもトライしました。

これはかなり、似合っていました。

CoolなSeanです。

シッピングをすべてすませ、これで帰国準備OK。

 

 

夜はパッキングのお手伝い。

息子のKaiが電話でSeanに”また帰って来てね”と言ってみたいで、Seanが”うん、うん、帰ってくるよKai!"と言っているのが聞こえました。

その後、Kaiが私に”泣かないようにね”と言ったので、”泣いちゃうよ”と答えた私です。

そして、

荷物が片付いていく中で、鍵を返してくれた彼が、また涙目でありがとうと言ったので、私たちは、また泣いてしまいました。

8月1日は、午前中に携帯電話の解約に行ったり、荷物を郵便局から送ったり、

それから市役所に国民健康保険の解約に行ったんですが、

二人で”えぇぇぇぇ土曜日は開いてな〜〜〜い”と。結局、手続きは私が後日することに。

頼りにならない私です。

それから、空港へ

空港には4時半ぐらいに到着。

でも、急に夜7時25分の出発が9時5分に変更になり、

空港で、チェスをして待ちました。

でも、2回とも、私の負けです。・・・やっぱり勝てないなぁ〜Seanには。。。。。

昨日はちょっと寒くて、ロビーの中はエアコンが冷えすぎていて、寒くなった私、

S&K81

ちょっとプルプルしちゃいました。

そこで外へ出て第二回戦のチェスを。

でも、暮れ始めた空港は

ここも寒くて、震えちゃいました。

きっと、寂しさに震えていたのかも知れません。

 

そばで飛行機の離発着を見ていた親子ずれに、記念の写真を撮ってもらいました。

これで、しばらくは会えないんですね。

楽しかったね。

私たちは、お互いに何度もそう言い、

そして、またありがとうと言い合いました。

narita

すっごく気があった私たちでした。

来年日本の大学院へ行く予定のSean。

出発ロビーで、

私を抱きしめながら、

”行ってきます”と言って、入口へ入っていました。

何度も振り返る彼が、やがてボディーチェックで見えなくなりました。

でも、数分後、

チェックを終えた彼が、入管ロビーへの階段を降りるのが目の前に見えました。

ガラス張りのロビーから、彼が目の前を下りて行くのを、泣きながら見送りました。

涙で、彼の顔が見えなくなるので、一生懸命目を開いて、Seanを見つめました。

彼が、涙ぐみながら何度も投げキッスをして、

それから見えなくなりました。

 

 

 

 

 

 


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2009年08月02日

先週の休みの日に、Seanから”お別れコンパがあって、僕を誘わないで、け〜こは来ないの?と、け〜こを誘ったよ”と言われたので、ザックやユキ&モーリーたちにもさよならが言えると思い、行くことにした。

前回は、桜美林大学のメンバーが企画した江ノ島のクラブに行ったので、留学生や日本人学生と知り合いになっていたので、

その夜も、

”またお邪魔しちゃいましたぁ〜〜”と、挨拶しながら、みんなに交じって参加しました。

お別れコンパ9

ザックが会の始まりの挨拶をしました。

楽しかった日本での日々と他の学生たちへの感謝とお別れの挨拶でした。

 

 

 

 

お別れコンパ1テーブルが2つに分かれて、こちらは顔見知りのメンバーが。

 

 

お別れコンパ2

モーリー&ユキ&け〜こ

久しぶりの再開を喜んだ3人でした。

 

 

お別れコンパ7

居酒屋にいる酔っ払った親父になろう〜〜〜とモーリーの提案で、

すっかり、親父気分の3人です。

 

 

お別れコンパ4お別れコンパ5

 

 

 

 

 

 

ユキと、ハイポ〜〜〜ズ

お別れコンパ8モーリーは、この後、胸にお手拭きを入れて、胸を大きくして、

それを見たザックも真似て大きくして、

二人とも大きくなった胸を掌に乗せて、ゆすったので、

みんな、涙が出るほど笑いました。

お別れコンパ3

Seanと私も親父真似。

彼のバンダナが後ろにずれて、おでこを出して、

私は酔った目を真似てみました。

 

お別れコンパ6

ちょっと酔ったSeanです。

 

 

 

お別れコンパ10仲良しの私たち。

 

 

 

この後、ザック・モーリー・ユキ・マティアス、そして私たちは、みんなにさよならをして先に帰りましたが、

さよならが寂しいモーリーは涙でお別れしていました。

淵野辺の駅でモーリーとザックと別れた私たち。

私は彼らに何度も投げキッスを送ってさよならをしました。

そうだよね。モーリー、4か月は短いってザックもSeanも言っていたけど、短すぎるよね。

みんなを見ていて、充実した留学生活をしているのが、よく分かりました。

それぞれが、また、みんなに戻って来るねと約束をしていました。

戻って来てね。

ザックはJET(Japan English Teacher)で、Seanは日本の大学院へ

未来に向かって進みます。

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年07月28日

以前、富士山に登りたいと言っていたSeanと富士山を目指したときは山開きもまだで、おまけに雨で、何も見えずに帰宅しましたが、

先日の休みに、一番ハードな御殿場口コースから、頂上目掛けて登りました。

御殿場口には駐車場があると言うだけで、そこから登る事にしたのですが、普段坂道を登る事すら嫌いなのに、延々と続く坂道に、ただただ苦しいだけで、何度もギブアップしたい気持ちに襲われていた私です。

fuji15合目の上にあるレストランから、見上げた富士山は、雲行きが怪しそうでしたが、まだ、どれだけ苦しいかが分らなかった私は、

”いよいよだね”とショーンと意気揚々でした。

 

双子山双子山

登り始めて直ぐ左側に見える双子山の横の道を登るのでさえ、息苦しくて、

ただ”ハッ〜〜ハッ〜〜〜”と荒い息使いを聞きながら登りました。

足は砂利道に沈み、滑り、足を捕らわれて、なかなか前に進みませんでした。

fuji2

何度も何度も、休みながら、やっと双子山を下に見たとき、

こんなに青い空が見えて、雲を下に見ることができました。

 

8合目8合目に着くころは、もう泣きたいほど歩くのが嫌でした。

*Seanが撮った写真です。

でも、15分か20分登っては、5分の一休み。

それを何度も何度も繰り返し、まだまだ先が見えない

道を、時々上を見上げて、ため息を付きながらも、弱音を吐かずに、黙々と登りました。

そして、山小屋にたどり着いたときは、もう一歩も歩くのが嫌になっていました。

そこで、始めの山小屋で”支払いをビザでお願いしたいのですが?”と尋ねると、現金だけだと断られてしまい、”どうしようか???”と、途方にくれてしまいました。”今夜は、もう歩けないし、眠るところがなかったら、私たちは、どうしたらいいの?下の店で、ビザが使えると聞いたのにぃ〜〜”泣きたい気持ちになりました。

でも、Seanが”上まで行って今夜降りてこよう”と言いだし、

私は”もう歩けないよ”と疲れきって言いました。

そこで、もう少し登って次の山小屋に聞いてみようと、また登り始めました。

でも、直ぐ上に見える山小屋には、なかなかたどり着かず、970mの距離が恨めしかったです。

やっとの思いでたどり着いたfuji9

砂走館の石田さんには、

後からの現金書留でいいですからと言われたときには、もう嬉しくて、嬉しくて、

涙がでそうでした。

情けない顔をしていた私を見るに見かねて、オーナーに聞いて下さったんです。

優しくて温かくもてなしてくださり、たくさんの宿泊客と全く同じに接してくださって、

本当に、言葉がないくらい感謝です。

下山する前に、いろいろお話を伺いお喋りをしたことも、素敵な思い出になりました。

私たちが一番ハードなコースを始めてなのに選んだことや、山小屋での2ヶ月間の仕事の楽しさ、毎日、宿泊客のお食事作りやお布団を干したり、一瞬に変わる富士山の自然の中で、平日はのんびり過ごす事ができることや、お菓子に飢えている事や、・・・

そんなお話を伺いながら、こう言う時間を人生の中に取り入れることも、人の心を優しくしてくれるのかな?なんて思いました。

でも、石田さんは、その笑顔から、きっと普段も優しいんだと思います

それから、私たちは6時半前に夕食を頂き、6時半には、もう爆睡してしまいました。

眠る前に、ご来光をと予定していたのに、起きたのが2時15分。

もう遅すぎました。

そこで、また眠ってしまった二人です。

山小屋は皆で雑魚寝ですが、隙間風と砂が入ってきて、眠れないかもしれないという思いもあったのですが、

疲れきっていた私達は、深い眠りに入ることができました。次に目が覚めたのは、4時過ぎでした。・・多分???

目を開けた向こう側には、開けられたドアから、今まで見たこともないくらいの明るさの朝日が煌々と輝いていました。

その光に強さに、目が開けられませんでした。

薄目を開けた向こう側に、天上の世界かな?と思われる光が差し込んでいました。

そこで、目が開けられないので、また眠りました。

それから2時間半くらいして、やっと目を覚ました私達です。

よく眠った目をこすりながら、

朝食を済ませ、直ぐに頂上目指して、登り始めました。

でも、昨日の登山による痛みで、足が思うように進まず、10分登っては休み、20分登っては休み、またそれの繰り返しでした。

でも、今度は砂地・砂利ではなく溶岩の道でしから、少しは楽でした。

それでも、プルプル震える足と、息苦しさで、小さな子供のように、少し進んでは休み、また少し進んでは休み、それを繰り返しました。

そして、やっとたどり着いた

fuji3S&Kfuji4S&K

 

 

 

 

頂上下の鳥居で、

”やったね!!!”と、二人で顔を見合わせました。

気温は5℃くらいで、寒くて、強い風に、時々飛ばされそうになりましたが、やっとたどり着きました。

fuji6噴火口富士山の噴火口跡には、雪がありました。

 

 

 

fuji5S風の中に立つSean

”やったね!”それしか言えない私たちでした。

でも充実感でいっぱいでした。

Sean の夢が叶った瞬間でした。

頂上の郵便局から私達はそれぞれの家族に葉書をだしました。

頂上で願うことは、家族が幸せでありますように。

ただそれだけでした。

fuji7観測所後。すっかりさび付いていました。

 

 

 

 

 

帰り道は、途中から霧雨

fuji10霧1

 

前がまったく見えない濃霧でした。

そして、くだりの砂走りの道は、足が食い込み、

滑りようにリズミカルにシャキシャキと言う音を立てて降りる事ができました。

fuji11

靴の中が砂利で、あっという間に埋まってしまい、何度も靴から砂利を出さなくてはなりませんでしたが、

下る速さと、スキーのように滑る速さで、心が弾んで

楽しかったです。

登るときの、あの苦しさが嘘のようでした。

fuji12S&kiri

Seanが霧に中で、”け〜こはどこぉぉぉ?〜〜〜”と言いながら、デジカメムービーを撮っていました。

私も同じように、デジカメを構えて、彼を撮りました。

 

K・Sean下る途中で一休みの私。

死んだ人のように顔が真っ青でした。

 

 

Seanが撮ったすばらしい写真を一挙公開

雲Sean

白雲Sean

 

 

 

 

青雲Sean下界Sean

 

 

 

 

 

 

写真家Seanの撮った写真は、私が撮ったものより、

雲泥の差で、すばらしいです。

帰りに、Seanが”日本に来て、今回が一番楽しかった”と言いました。

私も、彼がいなかったら、富士山に登ろうなんて思いませんでした。

だから、二人で顔を見合わせて、

”楽しかったねありがとう

と、言い合いました。

日本に住みながら、今まで一度も思ったことがなかった富士登山。

登る苦しさと、助けていただいた石田さんの温かさと、手を引いて登ってくれたSaenの手の暖かさと、弱音を吐かずに登った自分に、

ありがとう

です。

Seanに素敵な思い出を作ってあげられたこと、良かったです。

帰国の日が迫っている彼が、

帰ったらブログに書く事が溜まっているぅぅぅぅと。

それを読むのを楽しみにしている私です。


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2009年07月15日

先週の火曜日はお休みだったので、午後お台場へガンダムを見に行きました。

ガンダム4子供たちが小学生の低学年の頃、外出し夜の帰宅になった時、

時々通る道の横に、

暗闇の中に赤くピカピカと点滅するはるか見上げる鉄塔がありました。

そこを通るとき、

”あぁぁぁぁ!ガンダムだぁ”と、突然叫び、点滅するライトをあたかもガンダムの眼が光っているかように指を指して、車内で退屈した様子の子供たちを驚かせていました。

はじめは、暗闇の怖さに目を必死で凝らして見上げ

”母ぁ〜〜〜〜、何処?  ・・・どこにいるの?”と、訪ねた息子たちでしたが、

”あぁぁぁぁ今日もいる!私たちを守っていてくれてるね”と、通り過ぎながら、毎回言う私の言葉は、段々驚きも恐さもなくなり、”母ぁ〜〜〜また創り話をしているぅ〜”と、なってしまいましたが、

子どもたちは覚えているのかしらん?

でも、そのガンダムが実物大だと言うことで、期待して行きました。

ガンダム1ガンダム2

 

 

 

 

 

 

そびえ立つガンダムは18mだそうですが、

ショーン&ケ〜コは、ガンダムはもっと大きいイメージがあったので、ちょっとがっかり。

ガンダム3一般公開前でしたが、人がたくさん来ていて、

話し言葉を聞いていたら

中国人、韓国人、英語圏の人、フランス人等々、どうやら待ちきれないファンのようでした。

みんなキャメラを構えて、いろんな角度からパチパチ写真に収めていました。

 

ガンダム5

私も俄かキャメラマンになって、下から彼を撮りましたが、そびえ立ちながら、私を見下ろしているガンダムが実際にいたら、どうなんだろうと思いました。

 

この兵器は?・・・どう言うポジションで日本にいるんだろう?・・・・?

 

 

ガンダム6

彼に登ろうとしている私です。

ショーンが芝に寝ころびながら、私がガンダムと同じ大きさになるように、下からのアングルで撮ってくれました。

 

 

 

ガンダム7

ガンダムは潮風公園の中に立っています。

潮風公園は、リバプールのマージーリバーにちょっと作り方が似ていて、懐かしかったです。

でも、こんなトリックな置物はありませんけど、ね。

shiokaze1

海岸沿いをちょっと歩いて、

この橋を渡ると、

 

 

 

 

ガンダム8

ヨーロッパの公園をコピーしたような公園がありました。

小さな子どもたちが、水遊びをし、その様子をのんびり見つめているママ、パパ。

子供をほったらかしにして、ベンチで眠っている母親。

そして、お友達と来ている数組の若い母親たち。

 

彼らの話声と子供たちの歓声は、静かな公園なかで、その日の強風に吹き飛ばされて、聞こえませんでした。

空は真っ青に晴れていて、髪が全部後ろに持っていかれるくらいの強風でしたが、気持ちよくて、ショーンも私も睡魔に襲われてしまいました。

”ベンチでお昼寝できたらいいのにね”と、ベンチを探しましたが、良い場所が見つからず、・・・お台場へ戻って、ビールを飲みながら夜のガンダムライトアップを待ちました。

odaiba

暮れていくお台場で、世界のビールの中から選んだ小瓶を1本飲みながら、

いつもは向こうのレンボーブリッジを走りながら、こちら側を見ているのに、

こうやって、反対側から、ライトアップされたレインボーブリッジ観るのは、のんびり違った雰囲気で素敵な時間でした。

涼しい風を感じながら、忙しく過ぎる生活の中で、こういう時間が私を生き返らせてくれていると感じていました。

ちょっとだけビールで浮かれ気分になった私たちは、再びガンダムへ

ガンダム9目が光り、顔が左右に動き音楽が流れると、そばに立っていたガードマンの人に聞きていましたから、期待して行きましたが、・・・

やっぱりちょっと期待外れ・・・でした。

昼間、ガードマンの人に、

”あのぉ〜ガンダムのテーマソング、燃え上が〜れぇ〜燃え上が〜れぇって曲も流れるんですか?”

と、歌って聞いてみたのに、

”いやぁぁぁぁ、イメージの音楽だけです”と、

言われた通りでした。

でも、暗闇にそびえ立っているガンダムは、

強そうで、今にも動きそうで、私たちを守っていてくれる気がしました。

帰り道、私の頭の中では、勿論

燃え上が〜れ

燃え上が〜れ

ガンダムぅぅぅぅ

がクルクル回っていました。


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2009年06月30日

27日の夜は、Seanの誕生日パ〜ティ〜を開きました。

アメリカでは21歳で大きなパ〜ティ〜をするそうで、誕生日は30日でしたが、お友達が来れる日と言うことで、土曜日にしました。

夕方、お庭を

sbk1こんな風に飾り付け

BBQの準備をしました。

先週Seanがテーブルや椅子を洗い、私が庭の草を刈り、ちょっとは見られるようになった庭です。

sb13sb14

 

 

 

 

 

 

で、私達ナリン・ゲイブ・ショーン&ケイコは、後から来るザックたちを、駅の改札口前で待ちました。

この誕生日の招待客は、マスク着用をお願いしました。

だから、私とショーンは先日下北沢まで買いに行ったバイキンマン&ドキンチャンのマスクを付けて待ちました。

ナリンはハンズで2千円以上も払ったそうで、・・・ごめんね

ゲイブは百円ショップだそうで、・・・良かった

sb1s/k

 

 

 

 

誕生日のケーキはチーズケーキにささくらんぼをのせました。

皆でハッピバースデ〜ツゥ〜〜〜ユ〜〜〜〜と歌って、クラッカーを鳴らして、21歳のショーンをお祝いしました。

アメリカでは21歳からお酒が飲めるそうです。

ザックからのリクエストにより、キラーに変身した私です。

sb2

怖さが足りないけど、殺人鬼に見えますか?

 

 

 

sb4ショーンの鼻の頭、ほっぺ、鼻の穴の中まで、チーズケーキをお祝いなので、詰め込んだ私です。

この彼の顔、喜んでいるでしょ

 

sb5

モーリーにも、

 

 

 

sb6sb7

 

 

 

 

ザックにも! 

こんな顔をしていますが、ザックは”もっとここにも”と言ってから、写真に納まるポーズを作っていました。私がいじめているのではありません。

かなり喜んでいましたぁ

sb8ゲイブが家の中をツア〜したいと言い、みんなでツア〜をしました。

階段を下りるときにショーンにおんぶ

重くないのに、重そうな表情・・・

ザックも”僕にもおんぶさせて”と言ったので、

sb9

ほら。。。。。

 

 

 

 

 

そして、y/kユキです。

彼女は中国人ですが、名前に雪が入っているので、ニックネームは雪ちゃんです。

ザックは彼女を”妹”と呼びます。

 

sb/y&k

ユキは日本語&英語がペラペラ。

帰るときに彼女は”I love you,Keiko"

なんて言って帰って行きました。

とってもキュートで頭のいい子で、元気の塊みたいに元気な子で、またいろいろ気がついて、この日の夜は、助かりました。・・ありがとね。ユキ

そして、m

モーリーです。

背が高〜~~イ彼女はスレンダーな身体に、足が超長〜〜〜〜い面白くって元気いっぱいで、明るくって、

キュートな子です。

ザックは彼女の事を”矛盾がいっぱい”と笑いますが、

それも、面白いところだと思います。

sb10

彼女に私の黒い髪を乗せてみました。

なかなか似合っているでしょ?

 

 

sb11g/k

 

 

 

 

そして、ゲイブ

彼のリクエストに答えて、彼とおそろいの帽子を被り、”こう言うポーズをとって”と言う彼に従い、ハ〜〜〜イポ〜〜〜ズ

彼の冗談は、かなり深くて鋭い突っ込みをモーリーにしたりしますが、彼の頭の中を覗いて見たい気になるくらい不思議系なので興味が湧きます。

でも、彼に

”ケ〜コは素敵ね”と褒められちゃったりして、ちょっとウカレ気味の私でした。

お酒も殆ど飲まないのに、ウカレることが出来るのはちょっと才能かな?なんて思ったりもしますが、でも、みんなで楽しい夜でした。

y/z/ssb/ksb/k2

 

 

 

 

sb3

 

 

 

 

左の端っこにいるのがタイ人のナリンです。シャイな彼ですが、日本で政治経済学を日本語で授業を受けているそうです。

日本に来てまだ4年目だそうですから、大変な勉強とプレッシャーの中で、頑張っていると思うと、応援したくなります。・・・息を抜きながらやってねナリン

ザックがゴーストになって、

sb17sb18

 

 

 

 

怖がりに私は、・・・・・。

 

そして、ゲイブが

g/k

この白い煙をどう思う?って尋ねました。

思わず、ただのキャンドルを消したときにでる煙でしょって

言いたかったけど、

彼のつぶらな瞳を見ると言えずに、

”うん!怖いねぇ〜〜〜〜!”と、答えた私です。

BBQの火をおこしたり、焼き物を手伝ってくれたり、優しいゲイブです。

そんな、こんなで、

楽しかったショーンの誕生日パーティーでした

皆が帰った後に、ショーンが何度も、何度も

”ありがとう、ケイコ”って。

そんなに言わなくてもいいのに。

さっきも、

その前も言ってくれたでしょ。

だから充分です。

21歳のお誕生日おめでとうね、ショーン

一緒にお祝いできて楽しかった。

来年は、どんな誕生日を迎えるのかな?

毎年、素敵な誕生日を過ごす事を願っています。

そして、

そんなショーンは

先週は帰省したKaiと将棋を夢中でやっていました。

二人とも、将棋やチェスを

長~~~い時間、

黙ったまま、

静かに

対戦し続けていました。

対戦後は、ニコニコ笑って、お喋りして、

そんな二人を見ながら、

気が合っているんだね、と思いました。

そういう私も挟み将棋で、1時間ぐらいは

対戦してもへっちゃらです。ショーンには2対1で勝っていますが、私達3人の共通点は、

どうしたら相手を読み、勝つかを考えながら進めるのゲームを楽しいと思うところです。

ショーンが”Kaiは将棋が強い・・・・”と、呟き、Kaiが”ケイコもショーンとチェスをしてあげたら”と。

嫌々、チェスは頭を使いすぎるから、ごめ〜〜〜ん。

休みに頭使いたくな〜〜〜い。

そう思う私です。

Sean&Kai&Keiko

私達の未来は、どうなるのかな?・・・・?・・・・・

そして、ザック・ユキ・モーリー・ゲイブ・ナリン

みんなの未来は?・・・・・?・・・

みんなの未来が、

心穏やかで、満ち足りる事を祈っています。

みんなの未来に

乾杯

輝いて欲しいと願っています。

 

 

 

 

 

 

 

 


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2009年06月29日

先週、息子Kaiが週末に帰ってきました。

Sean&Kai&Keikoで、”愛を読む人”=”The Reader"を3人が観たいと思った映画でしたので、観に行きました。

愛を読む人

悲しくて、嗚咽してしまいました。

 

その前の週には、

ターミネーター4”タミネーター4”をSeanと観ましたが、ドキドキ飛び上がるシーンは多かったですが、印象に残るものは、私にとっては

なかったです。

 

でも、

”愛を読む人”は、一人の女性が文盲を隠しながら、戦争の中、そして一人の女性として人生をどう生きたか?と言う事が描かれています。

15歳の少年を愛し、少年との一瞬の愛の中で、何を見たのか?

・・・・・それは、今も私に問いかけてきます。そして、きっと貴方にも、問いかけてくると思います。

単純に仕事を求めたために、ナチに加担する結果になってしまった自分の人生と、

少年を愛し、

少年に愛された事を、

たった一人で、

自分に正直に、全うする生き方に、

潔い本物の輝きがありました。

彼女の無学さの中にこそ、本物がありました。

老いて再び少年に会い、

自分の手で自分の人生を終わらせる道を選んだ彼女の気持ちには、

戦争犯罪への加担を懺悔し、自分を許さない揺ぎ無い強さがありました。、

少年を愛した事を、輝いたまま終わらせる深い愛がありました。

残された少年に傷を残す事になるのかな?と言う問いかけが湧いたけど、彼女の気持ちを彼も理解し、自分の娘に、儚かったけど本当に愛した瞬間があった自分の人生について話す最後のシーンは、

納得のいくものでした。

二人で育てる事ができる愛と育てる事ができない愛があることが迫ってきます。

一般的な夫婦や恋人同士の愛とは、全く違った愛です。

貴方はどちらの愛を求めますか?

それから、

ミッキーローク主演の”レスラー"THE WRESTLER"です。

一つの生き方を全うすると言うことは、こんなにも悲しみに満ちていて、キラキラ輝いているんだと言う事を、見せてくれた映画でした。

最後のシーンでは、何本かの涙が静かにスーーーーっと、流れました。

彼の生き方を理解できない娘に、

尊敬できる生き方だよと伝えたいと思いました。

もう少し早く、ストリッパーの彼女が、自分の気持ちに素直になっていたら、彼の最後は、きっとこんな形で終わる事はなかったと思えました。

でも、

母が昔よく言っていた言葉で、

”人は生まれたときから、誰も知らないけど運命が決まっているんだよ。何時死ぬかは、もう決められているんだよ”と言っていたように、

彼の人生の終わりがこう言う形だってこと、

最後には、誰にも止められない事だったと思えました。

それは、自分の世界で生きる事と戦い続けた一人の男が、

輝きながら消えていく光のような最後でした。

ジャンプしたレスリングシューズが放物線を放ちながら、画面から消える瞬間は、

悲しくて、

ただ悲しくて、

彼の生き方が美しくて

美しくて、

自分の生き方に

問いかけてきました。

私はどう生きればいいんだろう?

どう生きれば、本物になれるんだろう?

この2本の映画の二人の主人公のように、死を持って輝きを増す生き方が本物だとしたら、

私はどう生きたらいいんだろう?

何が欲しいの?

と問いかける自分が

残ったまんま、

今も問いかけ続けています。

 

 

 


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2009年06月19日

毎晩、少しずつ書き進めているこのブログを、いい加減に終わらせないと、と思いながら、今朝やっとUpできます。

 

さてさて、それでは、書き進めた日記を・・・

先週は高尾山へ行きました。

takao1takao2

 

 

 

 

 

 

かなり蒸し暑かったんですが、山頂まで一気に登りました。

Seanは仏像に興味津津で、

takao3

ほら、こんふうに夢中で写真を撮っていました。

 

時々、仏像の表情を真似して笑わせてくれました。

 

 

 

takao4

登る途中で、記念写真を。

 

 

 

 

 

takao5takao6

 

 

 

 

 

 

彼が撮った天狗の像、このままポストカードにできそうです。

takao7生憎、曇りだったので、富士山は見えませんでしたが、

”きれいだねぇ〜、”と日本の山の景色にうっとりしながら、この写真を撮っていました。

 

takao8

帰り道は、まったく違う道で帰ろうと言い、

違うコースを降りて行きましたが、

途中から、彼が行き止まりと書いた看板のある道を見つけて、

”こっちのほうが近道だから、こっちへ行こう!”と言いだし、

”だめよ、行き止まりで、入っちゃだめですって書いてあるでしょ!”と、言ったのに、

”大丈夫よぉ〜、つながっているのを見たよ”と。

”でも、熊やイノシシが出るから、やめよ”

そんな押し問答を繰り返し、

結局、彼がドンドン進んでいくので、

諦めて一緒に行きました。

山道をどんどん進んで、上がったり下がったりしながら、歌を歌ったり、子供のころの話をしたり、

40分ぐらい進むと、

はるか先に一人の男の人がいるのが見えました。

私たちが近づいて行くと、

”おぅぅぅ、驚いたぁ〜〜〜〜”と、飛び跳ねて私たちのほうへ振り向きました。

私は”すみません。この先を行くと高尾山入口の駅のほうへでますか?”と尋ねると、

”この先は行き止まりだよ。俺はここは庭のように分かっているから、行けるけど、道がないから行けないよ。でも、突き当ったら人が通れない細い、細いけもの道があって、それを上がったり、下がったりしたら下にでるから、川に沿って右に待って20分ぐらい歩くと駅のほうに行くよ”と。

”ありがとうございました”と言い、Seanと顔を見合わせると、彼が目で”その道を行ってみよう”と訴えていました。

私の目を見てから、すぐに彼は”ありがとうございます。僕たちはそこへ行ってみます”と、

きっぱりと、しっかりと、すっきりと、言い放ちました。

そして、私の手を取り、進み始めました。

だから、私は腹をくくって進むしかありませんでした。

・・・でも、ちょっとだけドキドキ冒険に出る子供のような気持ちになりました。

3m幅ぐらいの山道をそれから15分ぐらい進むと、さっき出会った方が言っていた通り、道が突然になくなってしまいました。

えっ本当だぁ〜〜〜〜

行き止まりの道の横に人が通れるか通れないくらいの30cmの道があると言っていたのに、その道がどこにあるか、見つかりませんでした。

ないねぇ〜ど、ど、どうしよう・・・と思いながらも目を凝らして見ると、ホンの少し、木がかき分けられたうさぎのような小さな動物が通れるくらいのけもの道らしきものが行き止まりの道の横の崖に沿ってありました。

ま、まさか、これじゃないよね?????

でも、それしか進めそうなところが見つかりません。

じゃ〜、もうこれを進もうと、腹をくくった私が先頭に立って進み始めました。

木で覆われた穴のような道を”滑るから通れないよ”と言われたとおりに、つるつる滑りながら、がけっぷちを恐怖で震えながら、肩幅もない道を上がったり下がったり、

ただ

ただ、進み続けました。

熊が出たら?

イノシシが出たら?

猿が襲ってきたら?

いろんな怖い想像が頭をかすめて行きました。

その恐怖心は、考えれば考えるほど大きくなり、その大きさに比例するかのように私の足はどんどん  

ドンドン、

どんどん前へ進んで行きました。

Seanが”keikoは早いね〜”と後ろのほうで言う声が2度ほど聞こえましたが、4,5度後ろを振り返った程度で、ひたすら前へ道らしき道を探しながら、進むことで精いっぱいでした。

冷たい汗をかいて、40分ぐらい歩き続けると、突然、先の見えない道がぱっと終わりになり、目の前に2mぐらいのアスファルトの道路が見え、ジャンプして飛び降りると、老人ホームの横に出ました。

”やったぁぁぁぁぁ!でたぁぁぁぁぁ!”

と、思わず声に出して叫びました。

良かったイノシシに会わないで。

熊にもサルにも襲われなくて。

そして

もし、何か動物に襲われていたら新聞に載っちゃうよう  なんて言いながら必死で歩いた山道の景色は、忘れる事が出来ない思い出になりました。

こうやって、子供の頃からの、海外でのたくさんの小さなシーンが思い出の中に、刻まれてきたんですね。

そして、これからもそうやって刻まれていくんだろうと思います。

大通りを駅に向かいながら

冒険を成し遂げた子供のように晴々とした気持ちでいっぱいになりました。takao9

Seanが撮った山道で出会った毛虫くんです。

彼がスーパーミクロで撮った写真です。

 

子供の時にした冒険をちょっとだけ、思いだした私です。

冒険をした後で、お父さんに迎えに来てもらったっけ。

そして、昨日はサクランボ狩りに山梨まで行きました。

お昼過ぎに出発して3時くらいに着きましたがこっちで雨が降り出したので、雨に濡れる覚悟をしていたんですが、

すっかりあ・お・ぞ・ら♪

高速道路も空いていて、

初めての経験にふわふわ、

のんびり、

へらへら、

さくらんぼをとりました。

白根の高速出口の真正面に”フルーツ5中込”さんがありますが、こちらは紹介がないと入れないとのことで、お友達の中野さんに紹介していただきました。

さくらんぼ1さくらんぼ2

 

 

 

 

珍しい5つ子ちゃんです。

さくらんぼ3Seanがスーパーミクロで撮ったさくらんぼ。

 

ピカピカ輝いていて

可愛いでしょ?

すっごく甘かったです。

さる1さる2

 

 

 

 

 

 

猿顔のSeanです。

さくらんぼ4私たちは、あんまり食べないので、おもち帰りにしました。

これは¥1500です。

 

さくらんぼ5

おもち帰り品を手に、記念写真です。

時間制限が全くないので、のんびりとれました。

 

空から射す柔らかな光と爽やかさ風が吹いていて、穏やかな楽しい時間になりました。

 

 

さくらんぼ7オーナーの中込さんご夫妻です。

アメリカへホームスティを2度ほどなさっているそうで、

ご主人のお話は、フルーツ5の歴史やアメリカでの経験や、短い時間でしたが、たくさんのお話を伺えました。

おしゃべり上手な中込さんのお話は尽きることなく、もっと、もっとお話を伺いたかったんですが、帰る時間に追われてしまいました。

”フルーツ5”に行きたい方は、ご連絡をください。

さくらんぼ8

高速道路での帰り道で、Seanが撮った空です。

雲の切れ間から太陽の柔らかい陽が射しこみ、幻想的でした。

この空を日本語でどう表現するの?

と聞かれた私ですが、一言では言う言葉がないなと思いました。・・・私の語彙が貧しいのかなぁ〜?でも、一言では言えなかったけど、違う言葉で表現した私です。

彼が”えぇぇぇ〜〜〜そんなに長いのぉ〜〜”と。

詩的(?)に、文学的(?)に、主観的に、

表現してみた私です。

初めてのサクランボ狩りはこうやって終わりました。

休日を家事と初めての経験と言う充実した時間で埋めていくのも、これぞ、休日って感じです。

 

 

 

 

 


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2009年06月05日

スケボ〜買っちゃいました。

左膝の靭帯2本を昔スキ〜で壊してから、スキ〜はもう長い間、行っていませんでした。

で、身軽に出来るスケボ〜をSeanコーチの元、始めました。

で、買ったスケボ〜は、最近頑張っている自分へのご褒美も含めて、

ほらね、

スケボ2

かなり大人ぽくって、

建築デザイナーらしい建物のボードにしました。

 

 

スケボ4

勿論、黄色は重要ですね。

 

 

 

スケボ3ローラー(?)部分は、黒&黄色です。

 

 

 

スケボ1プロテクター

 

 

 

 

ヘルメットも黄色が欲しかったんですがなかったので、車と携帯の色と同じ、赤にしました。

これで、準備は完了したので、先日パークデビュ〜をしました。

少しずつ、少しずつ、体がバランスを覚えていく様子が、自分でも感じました。

ターンが出来るようになるように夜の9時まで、ご飯も食べずに夢中でやっちゃいました。

Seanコーチは、ただ見守るだけで充分です。自分の体で覚えていく事が必要なので、彼には、自分で滑って楽しんでねと言い、体重の乗せ方や、手や腕のバランスの滑り方を自分の世界の中で、ゆっくり検証しながら、滑りました。

まだまだ、ターンなど全然出来ませんが、そのうちに克服したいと思っています。

休みの前の夜、火曜日は、Seanの友達Zackをお食事に誘いました。

久しぶりにキャンドルを立てて、賑やかなお食事になりました。

みんなでちょっと酔って、何を話か、もう思い出せないくらいですが、楽しかった事だけは、思い出せます。

翌日は近くのアスレッチックへ歩いて行き、

Z&K

アス1

アス2

 

 

 

 

アス3アス4

 

 

 

 

子供のように遊びました。

近くにいた子供達が「何で大人なのに遊んでるの?」と聞いてきましたが、

「大人も遊んでもいいんじゃない?」と言うと、

ちょっと不思議そうな顔をしていましたが、私たちの楽しそうな遊び方に興味津々

で、周りをウロウロ。

そこで、Seanがハッキーサックを彼らと初めて、子供大好きZackも加わって、男の子4人で遊んでいました。

その後、アスレチックの公園の下にある城山の資料館へ行き、

あらら、

鎧1伝統的な和室を見て、

変な顔をして写真に納まりました。

 

 

それから、

また、あらら、

鎧2鎧3

 

 

 

 

鎧を着せてもらえると言う事で、Sean&Zackは、すっかり侍気分でした。

鎧5

着せてもらう間に、もう

その気になっているSeanでした。

 

 

 

 

そして、ほらね、

鎧4

彼の目を見てください。

キラリ光る戦う侍です。

 

 

 

 

鎧6ポーズも決まっているでしょ?

さすが、日本文化:アニメ・ゲーム・言葉が、大好きとあって、様になっています。

 

思わず噴出しちゃいました。

目が、目が本気でしたぁ〜〜〜〜。

 

そして、ほら、Zackもね、

鎧7

真剣そのものぉぉぉ

光った目が、

ちょっと怖いくらいですが、

彼は、優しくて、穏やかです。

 

 

鎧8皆から兄貴と呼ばれている彼は、誰とでも仲良くなれる楽しい性格です。

 

体がすっごく大きくて、お喋りさんで、可愛い性格です。

そんな、Zackの真剣な顔を見るのは、初めてでしたぁぁぁ。

 

そして、夜、ソフィアとラッセル・クロウの”消されたヘッドライン”を観に行きました。

思ったよりず〜〜〜〜と面白い映画でした。・・・お勧めです。

でも、最近観たDVDの印象のほうが強く残っています。

以前も借りたのに、初めだけ観て、怖くて観れなくなった”アメリカン クライム”

を、もう一度借りて、最後まで観ました。

実際にあった出来事の映画化です。

その酷さに目を背けたくなるシーンもありますが、人はこう言う酷いことを、戦争の中でなく、個人レベルでもする、と言う事実を突きつけられます。

社会的な環境と親の意識とシングルマザーの怒りと、そういう全てが子供達に影響を与え、一人の少女を虐待し殺すと言う現実を生み出し、

問題の深さと大きさを突きつけられます。

お勧めの映画ですが、目を何度も覆い、嗚咽した映画でしたから、私にとって、かなりショックでだった事は確かです。

全ての状況に対する悲しみだけが残りました。

でも、”あやかちゃんやゴウケン君事件”を含めて、人はこう言う事をすると事実を知るべきだと思いました。

最後に暗いお話になってしまいましたが、人生の時間は止まらないので、

こう言う現実にも目を向けて、何が大切かを考える時間も、大切だと思いました。


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2009年05月29日

水曜日の休みの朝、ショーンから数学のテキストブックを見せて貰いました。

数学2微積分学の論理的な考え方を理解するためのテキストブックだそうです。

多分(?)・・・私の理解が正しければ・・・・

分る人にはわかり、分らない人には分らない(全く当たり前の事ですけど)論理学でしすから、この式を見た方で、分る人がいたらコメント下さいませ。

彼の説明はとっても上手なので、数学の苦手な私でも概念的なイメージが伝わってきました。

数学3

10円玉と100円玉を使って、説明してくれました。

ショーンの顔は、数学の論理が頭の中をぐるぐる廻っているようで、数学の話になるとキラキラ輝きます

また、時には、私にどうやって伝えようかと真剣そのものです。

先日も球体の体積の出し方の裏付けについて、学校へ向かう車の中で、訳の分らない数式を書いて、最後に「ほらね4分の3πでしょ」と言っていましたが、見たこともない数式で証明されても、わっかりませ〜〜〜ん、でした。

また、先日、彼が日本語でメールを書いた際に、日本語のチェックをしてあげたのですが、彼は数学のレベルが高くて、一年間先に進めずに、待たなければならなかったと書いていたので、思わず”なるほど”とうなずいてしまいました。

・・・ちなみに、最近ショーンと私の間でこの”なるほど”と”っすか〜”が流行っています。

”なるほど”を3回言うと、”なるほど”の重さがなくなるので、重さがない”なるほど”を言いたいときは、ワザと3回言います。

言われたほうは、”馬鹿にしているんっすかぁ〜〜〜”てな、感じで”っすか〜”を使います。

今、一言一言に”っすっか〜”を付けて会話しています。

私の日本語ですと、ちょっと女っぽくなってしまうので、男の子っぽく話す話し方を言い合っています。

今朝もジュースを飲んで一言”うまいっすねぇ〜〜”

”そっすかぁ〜”

そんな感じです。

ですから、私は時々”オレサァ〜・・・・”なんて話したりしています。

数学1で、難しい微積分学の論理を休みの朝に、しっかり講義された私の頭は、

”それは、うんうん、イメージはできる”ぐらいの理解度でしか、ありませんでした。

考え方を数式に表していく彼の説明を聞きながら、ただ単に方程式の計算に摩り替えてしまう理解度しかない私には、やっぱりイメージができるくらいが精々でした。・・・・1時間ぐらいの講義で頭はすっかり疲れてしまいました。

そこで、ショーンがスケボーをやってみる?と。

無理無理・・・・完全に全く絶対に無理ぃぃぃぃ

でも、彼の熱いプッシュに押されて、

やってみようかな?と、思い、家の前の道路へGO

不安定なボードに乗るなんて、”もし転んで指を怪我したら、仕事ができなくなっちゃうし〜〜〜。指だけじゃなくて頭でも打ったり、骨を折ったりしたら・・・た・い・へ〜〜〜んだから・・・・”とブツブツひとり言。

でも、彼が「ここに前足を乗せて、後ろ足はこうやって・・・」と言いながら見せてくれたので、イメージが直ぐに伝わってきました。

彼の教え方がとっても分りやすくて、

何処にどんな風に乗って、どう漕ぐか?体の位置はどこか?バランスはどうとるのか?

3回目ぐらいには、ボードに乗って滑ることができました。

足の裏にボードが吸い付いたように、ボードの端と端を交互に持ち上げたり、つま先の上にひっくり返したボードを、ひっくり返し直してボードの上に飛び乗ったりと、

次から次に技を教えてくれました。

風を切って滑るのは、自分のスピードではない違った世界のスピードで自分が動いている楽しさを感じました。

「乗れたね嬉しいぃぃぃ、・・・楽しいねぇスケボー〜〜〜って

子供のように喜んでいる私を、プロフェッサーサンホード君がニコニコ見ていてくれました。

以前から気が付いていたんでけど、

ショーンは人に物を教えるのがとても上手です。

イメージを伝える言葉を選ぶのも、論理的に伝えるのも、すっごく上手です。

だから、彼は素敵なプロフェッサーになれると実感しています。

ハワイ大学では、教授のお手伝いで、数学の分らない学生に、ゆっくり教えてあげる仕事をしていたそうです。

分らなかった学生が”分った!”と言ってくれるのがすっごく嬉しいし、遣り甲斐があると言っていました。

人に物を教えると言うのは、才能がないとできない仕事だと思います。

自分だけが分っていても、人に伝えたり、教えたりする事が上手に出来ない人はたくさんいます。・・・

そういう私も、その部類です。

頭の中で、かなり整理をしないと分りやすく伝えられないので、彼は注意深く言葉を選びながら話します。

かなりの集中力で、集中し、言葉を発している彼を見ると、本当にそう思います。

さて、スケボーがちょっと乗れるようになったので、スケボ〜が欲しくなりました。

仕事帰りに、スケボーパークで一滑りな〜〜〜んて、なかなかいいですよね。

イメ〜〜ジばかりの私です

ですから、「じゃぁ〜買いに行こう!!!!」とハッキーサックを少ししてから、家を出ましたが、スケボーショップは、残念お休みでしたぁ

 

そこで、コストコの燐りの大型スポーツ店まで

でも、そこには安いおもちゃのような物しかなく、彼のお勧めの物はありませんでした。

でも、お店の中に、

k1

ムース君(?)がいました。

いやいや、トナカイ君(?)

あんまり可愛くてついつい、抱きついてしまいました。

☆ショーンが彼の携帯でパチリ

k2

写真が横っちょでごめんなさい。

どうやって直すか分りません。

いろいろやったんですけど・・・

 

s1

最後にグズリー(?)に彼が抱きついたので、私もパチリ

 

ショーンの閉じた目は、ママに抱きついた赤ちゃんのように、安らかな表情をしていました。

 

 

スケボーを買えなかったけど、

近日中に、すぅぅぅ〜〜〜〜〜っとスケボ〜で滑る私の勇姿を、UPできたらと思います。

で・き・た・ら・・・・・いいなぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜。

 

昨夜は雨の音を聞きながら、深い眠りに付きました。

風の音は嫌いです。

でも、

しっとりと

ゆっくりと

庭から聞こえる木の葉に落ちる雨の音は、

安らぎを与えてくれました。

そして、今日も雨

オフィスの窓から見える雨を見つめながら、

仕事の気分転換に、このブログを書きました。

さぁ〜、また仕事全開で頑張ります

 

 

 


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2009年05月26日

24日、25日と潮が一番引く日だからと、24日の日曜日に潮干狩りに行くと言うお誘い(?)に参加して、雨の中行ってきましたぁ〜。

潮干狩りは子供の頃以来なので、私はもちろんウキウキ。ショーンもウキウキ。

声を掛けてくれたのは、いつも私の現場の基礎工事を担当してくれている神奈川県NO1の信和土建さん。

ショーンも私も朝が苦手で、15分遅刻をしましたが、待っていていただいてほっとしましたぁ〜。

潮干狩り1参加したメンズです。

なんだか気合入っていますよね。

船橋まで車を飛ばして行きましたが、何処なのか?いま一つ分りませんでしたが、みんなのやる気マンマン振りに圧倒されましたぁ。

S夫妻

信和さんご夫妻です。

遊びは命がけと言う信和さんに、”ハイハイ”と着いて行くお茶目で可愛い”お嫁ちゃん”です。

私は彼女の事をそう呼んでいます。

やんちゃ坊主の旦那を、せっせとお世話する女房といったこの二人。見ているだけでなんだかほのぼのとしてきます。

乱暴な言い方をするけど、実はあったかハートの優しい彼は”遊びは命がけ”と言う哲学を持っていて、いろいろな遊びに熱中しています。

この日、お嫁ちゃんが着ている長靴のついたパンツとコートは、この日の為に、彼がお嫁ちゃんに買ってあげたものです。

ほらね、素敵なカップルでしょ

潮干狩り2

これが潮干狩りの格好か?と思われる格好で、海を目指してぐんぐん歩く変(?)な集団ですが、みんなのニコニコ笑顔を見れば分るでしょ?

でも、なんで脚立なんか持ってくの?って思いますよね?

脚立は重要なんですねぇ〜。この潮干狩りには。

と言う事が後で、よく分かりましたが、防波堤から海に入るためなんです。

潮干狩り3

有料の潮干狩り公園ではなく、2kぐらい先の無料エリアまで延々と歩きました。

が、振り合えると、

向こう側に船橋の町が見えました。

 

この付近では、中国人の方が大粒の牡蠣を山のように取っていましたが、それを横目で通りすぎ、外海まで行きました。

貝

この大きなほうの貝です。

 

 

 

くらげくらげもいました。でもお借りした腿まである長靴のお陰で、安心して貝とりができました。

 

 

お嫁ちゃん1お嫁ちゃん2

 

 

 

 

 

 

お茶目におどけて見せてくれたお嫁ちゃんです。

この表情を見るだけで、楽しさが伝わってくると思いますが、私は写真を見ながら、今クスクス優しい笑いに包まれています。

かっわいぃぃぃぃいでしょ

そして、ショーンも夢中でした。

Seanほ〜〜〜〜ら、なかなか様になっているでしょ

彼もかなりたくさん取ってくれました。

 

 

一方私は、潮干狩り5

やるぞ!と、気合を入れ、

必死で取り組みましたが、なかなか取れず、

となりでとっていたおじさんが、見かねて、

大きな貝を採っては、何度も”はいあげるよ”と言ってくれました。

その度に「ありがとうございます」って言いながら、自分の不甲斐なさを感じていた私ですが、心の中で、ホンのちょっとだけ「う〜〜〜ん、ちょっとラッキーかな?・・・貰っちゃって!」とも思っちゃいました。

姉さん被りも結構、板に着いているのに、成績は良くなったですが、家族が少ないので、充分でした。

ショーンのお陰とおじさんの協力で、我が家の分だけでも8,9k弱はあったかな?

そして信和さんは、120、30kぐらいは取ったと思います。

目をキラキラさせて遊びに夢中になっている子供のように、深い沖へ行き8、9cm、10cmぐらいもある貝を取っていました。

海から車までの帰り道を、60kぐらい入るリュックサックに貝を入れ、背負って、もう〜〜〜〜ダッシュで車に帰ってきた彼の顔をみたら、

正に”やんちゃ坊主”の顔でした。

でも、みんなの顔もやり遂げたと言う満足感でキラキラ輝いていました。

潮干狩り5

遊びも真剣に、夢中に、

そして時には命がけで、

と言う信和さんの生き方は、情熱的です。

そういう彼ですが、基礎工事の際に蟻んこがコンクリートを流す際にいると、「蟻んこにも命がある。自分では何も言えない命だから、助ける!」と言うモットウの元、蟻んこを逃がしてから、コンクリートの打設をする人です。

弱いものをいたわる気持ちが、お嫁ちゃんと「ツ~と言えばカ〜」で、二人とも小さな命を大切にして、生きています。蟻んこの命までも大切にするそういう優しさは、普通、なかなか持てないと思います。だから、私は尊敬しています。

帰りは一時間で帰ってきましたが、ショーンも私も車のバックシートでスースー深い眠りにおちいり、気が付いた時は、もう町田でした。

貝を積み込み自宅へと帰る途中で、

ショーンが穏やかで満足した顔で、

「楽しかったね」と。

 

その晩、

私は勿論、

ガーリックとレモンのワイン蒸し・酒と醤油の焼き貝・澄まし汁、そして生ハムとスモークサーモンの生春巻きも作り、日本酒と共に「超〜〜〜〜〜美味しいぃぃぃぃ〜」と、一口食べては言いながらいただきました。

あまりの美味しさにお酒が進み、ワインも空っぽにして、

久しぶりに酔った私ですが、ショーンも酔って、

私達はケラケラ大笑いをしたり、

ショーンが踊りだして、私にも一緒に踊ろうと言い出して、

彼、すっごくダンスが上手で、彼がステップを教えてくれたんですけど、難しすぎて踊れない私でした。

でも、リビングで、所狭しと

大はしゃぎしちゃいました。

ショーンのダンスは始めてみたジェネレーションギャップを感じる踊りでしたが、

すっごくクールでした。

手とステップと肩と体と頭と、

全てで表現し、音楽の一フレーズ毎に、決まる動きにはメリハリがあって、

音とリズムとにぴったり隙間もないくらいにあった動きでした。

「すっごい!」としか、言いようがありませんでした。

でも、踊りの違いにジェネレーションギャップを、しっかり感んじた私です。

それでも、楽しい一日に、感謝した私達です。

美味しいご馳走に、感謝です。

ありがと、信和さん

 

 

 

 


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2009年05月21日

午前中、庭の草刈をしたり、家事を一気に終わらせて、午後は、29.5度もあったので、毎年行っている”Keikoの秘密の場所”と勝手に命名している川へ行きました。

毎年、友達と訪れる青野原にある川で、まず渓谷に降り、それから川を渡って奥まで進み、誰もいないちょっと砂地のある川で、飛び込みも出来る場所です。

毎年、このブログに書いているので、知っている人は知っている場所です。

kawa2

川から見上げた空は、去年と同じように、真っ青でした。

”綺麗でしょ?日本の風景も”とショーンに聞いたら

”そうだね、すっごく綺麗”と。

でも、水が冷たすぎて、泳ぐ勇気のないショーンと私でした。

kawa1川の中州で、叫ぼうとしているショーンです。

 

水が透き通っているのが見えるでしょ?

 

kawa3

飛込みをする砂地の反対側の山です。

でも、お腹まで川に入ったら、もう、呼吸が出来ないくらい冷たくて、冷たくて、

結局二人とも一度も泳がずに、

水際や、砂地で、ピチャピチャ子供の水遊びみたいに遊びました。

 

kawa7ショーンが棒切れの上に石を二つ重ねたので、”じゃぁ〜石積みゲームをしよう!”と提案。

 

 

 

 

 

kawa8

 

石が積めないからって、葉っぱを挟んだ私の葉っぱの上に、更に葉っぱを乗せようとした彼ですが、

こんな遊びをしたのは、先生をしていた頃と子供が小さかった頃ですから、もう、随分昔です。

でも、神経を指先に集中させて、指の震えを押さえて、

暫し、興じたこの遊びも、思いのほか楽しかったです。

kawa4可笑しな顔をして写真を撮ろうと、

彼は私の帽子に噛み付きながら、シャッターを、パチリ!

私は可笑しな顔をする前に、写真に納まってしまいました。

kawa5

それから、彼がクルクルカーリーヘアーを全部前に持ってきて、鼻だけが見える恐怖のゾンビを演じ、私は、思わずニコっと笑ってしまいました。

確かに、ゾンビみたいです。

 

それから、冷たい水を掛け合ったり、腕相撲や引っ張りっこゲームをしたり、

子供遊びを次から次にしました。

それから、ちょっと疲れたので、ママはお昼ねをしました。

kawa9

寝転んで見上げた空。

木漏れ日から見える青い空と緑の葉っぱ、

乾いた風に葉が揺れ、

それを見ているだけで、”生きていて良かった”と単純に思いました。

 

 

青い空の透明さの美しさを見上げながら、生きている事の幸せを感じていました。

kawa10

だから、

ショーンに「こんなに綺麗だから、これだけで生きていて良かったと思うのね」

と言葉にしてしまった私です。

 

ショーンがちょっと不思議そうに、不安げに、

私を見ました。

人の幸せは、一瞬一瞬の小さな出来事の中にあります。

だから、風を感じ、穏やかにのんびり、空を見上げて時間を過ごす事ができる、この一瞬は

それだけで、幸せでした。

死んでしまったら、この空を見れないのです。

「お母さんにはもう見ることが出来ない空だけど、

私は、今見ています」・・・そう呟いていました。

そして、

ショーンの不安げな瞳に、思いっきりの笑顔で「大丈夫、変な意味じゃないから」と答えた私です。

でも、その後、

ショーンもすっかり深い眠りに陥っていました。

30分位して、

彼を起こしたら、

「もっと、眠っていた〜〜〜い」と、ちょっと駄々っ子のように言っていましたが、

「もう、4時半を過ぎちゃったぁ〜お布団を干してきたから、早く帰らなくちゃ」とママはテキパキテキパキと帰り支度をしました。

帰る私たちを、

kawa6

赤とんぼが見送ってくれました。

青い体で赤い細い羽根のトンボが3匹いました。

こんな綺麗なトンボをはじめて見ました。

 

帰り道、

ショーンが「楽しかった!ありがと」って言ってくれました。

(いつも感謝の気持ちを素直に言葉にしてくれるショーンです。日本の子供達はこう言う習慣が、あんまりないよね。大人がしてくれることは当たり前のように、思っているし、Thank youの文化薄いと思います)

 

「うん、そうだね、ショーン、私も楽しかったこう言うお休みはショーンがいなかったら持てないから、ありがと

そうな風に言い合い、見つめ合い、ニコッと微笑みあい親指をこんなふうに立て合った私達です。

でも、ふっと思いました。

私はこんなふうにショーンと子供っぽい遊びをすることに、何の抵抗もないのです。それって、私が幼稚って事?・・・・

かな?

 

 

 

 

 


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2009年05月19日

GWはお休みが取れなかったので、15日16,17日と休みを取り、Seanが行きたいといっていた富士山へGO・・・これはSeanのちいさな夢です・・(日本にいる間に富士山に登ってみたいと言う願いなので叶えてあげたいと思いました)

で、まず、

Seanの午前中の授業が終わってから、静岡にいる息子Kaiの所へ出発しました。

思ったより空いていて2時間ぐらいで静岡に着いてしまい、仕事中のKaiを待つために、サービスエリアでホッキーサック(Hockey Sack)で一汗かきました。

ホッキーサックとは、弾まないボールを足の両サイドや甲で受け、それを二人でやる場合は、お互いに相手へ足でボールを投げ合って、受けあうと言うスポーツです。

友達5人ぐらいで輪を作ってやると楽しいそうですが、二人でやったので、かなりハードで、

そして難しいスポーツでした。

初めてやったので、なかなかできずに、タダタダボールを追いかけ、タダタダ汗をびっしょりかいた二人です。

それから、

車に乗り込み、”汗くさ~~~イ”と、言い合い、再びKaiのいる磐田まで出発しました。

磐田に着いても、まだ時間があり、アパートの駐車場で、またホッキーサックをしたりスケボーをしたりして、Kai を待ちました。

私は、久々息子に会うので、綺麗で素敵なお母さんに(?)すこしでも近づくように、ヒールのサンダルにスカートに着替えて、

曇り空、暮れて来た駐車場で、ショーンのスケボーを見たり、ホーキーサックをして待ちました。

30分ぐらいすると

スーツ姿のKai君が向こうからニコニコしながら私達のいる駐車場へ向かってくるのが見えました。

私は、走り出して、Kaiに抱きつきました。

暫く見ないうちに、また大人の顔になっていたKaiです。

それから、「ちょっとここの所仕事が忙しくて、帰りが遅くて部屋を掃除する時間がなくて、ちょっと汚いんだよね。だから待っていてくれる?」と。

「じゃぁ、手伝うから」と私。

急いで、二人で掃除をして、ショーンを部屋に招き入れました。

それから、3人でスーパーへ

Kaiはお料理が上手

だから、Seanがキムチ鍋が好きなので、作ってねと彼にオーダーして作ってもらいました。

Kaiの作ったキムチ鍋は美味しいとSeanが言ってくれてKaiも嬉しそうでした。

私はワイン、Seanはビール,Kaiはお酒類がそんなに得意じゃなので飲まずに、

3人で、お喋りしながらお食事をしました。

Seanはちょっと始めは緊張気味でしたが、Kaiの笑った顔を見たら緊張もほぐれた様子でした。Kaiの笑った顔は目がお月様みたいになって私にそっくりです。

翌日は雨

仕方ないので、富士山には行かず、浜松のガーデンパークへ行きました。

ka&S1

ちょっと緊張が残っているSeanです。

 

 

 

Ka&kaKe&S1

 

 

 

 

酷い雨で、そして寒かったです。

ame

パークの中にあるタワーの展望台からは、雨に包まれた町しか見えませんでした。

 

 

ガーデンの中を歩きながら、

S&ka&keK&S&K

 

 

 

 

 

 

写真を撮っても、なんだかいまひとつ盛り上がりにかけて、

「この公園は晴れていたら綺麗だろうね」「植物に興味がある人にはきっと楽しい場所だね」とKaiが言い、

お花の名前当てクイズをだしても、盛り下がりました。

でも、私にとっては、世界の庭と言うタイトルでいくつかの国の庭創りを見ることが出来ました。

で、面白いものだけ一挙公開です。

itariatosukana

 

 

 

 

 

 

イタリア・             トスカナ

ameria

ガゼボが可愛いです。

アメリカの庭です。

 

 

igirisuイギリスのコテージ&庭

伝統的なわらぶき屋根のコテージです。

 

 

hgure-tosazaranndo

 

 

 

 

右側は雨にぬれたクッションがちょっと寂しげでしたが、グレートサザランドと言うタイトルの優秀作品でした。

keniya

このケニアのフェンスは使えると思いました。

森に行って枝を落として、フェンスを作る!

自然の感じが出ていていいです

 

taiタイの家です。

 

 

屋根と破風のデザインが面白いですよね。

高床式で、きっと鼠や雨の侵入を防ぐ為だと思いながら、見ていましたが、

Sean&Kaiは、あんまり興味がなさそうでした。

pakisutanパキスタンへは行ったことがないので、はじめて見ることができて面白かったです。

 

 

それから、日本三大砂丘のひとつだからと、言う事で砂丘に行きました。

umi2

umi

 

 

 

 

 

 

Seanと私は綺麗な石を見つけました。

何処まで続く砂丘を見てKaiと「千葉の九十九里に似ているね」と。

私だけが、海だぁぁぁぁとはしゃぎ、走ったり、石を海に投げつけて3段投げに興じたり、海草を拾って「ショーンこれ、今夜の味噌汁ね」と言ってみたり、

していましたが、

そんな私を目を細めて、ニコニコしながら

大人っぽい目をしながら私を見つめていたSean&Kaiでした。

雨だからね。・・・・しょうがないよね。

hana1hana2

 

 

 

 

砂丘にあった小さな花。

雨に打たれ、強い風の中、

花びらをプルプル震わせて咲いていました。

頑張っているね、そう言ってあげたくなりました

その夜、Kai&Seanは将棋・チェス・カードで対戦をしました。

将棋を教えて欲しいと言うSeanにKiaが教えてあげ、スコットランドにいたときに覚えてチェスをKaiも久々やり、二人とも、楽しそうでした。

ゲーム好きの二人の対戦は緊張感と楽しさが漂っていて、見ている私も楽しかったです。

私がSeanに挟み将棋を教えてあげましたが、これも夢中になったSeanです。

それから、カードを3人でしました。

Seanに教えてもらい、新しいゲームを覚えたKaiです。

ちなみに私はこのゲームを先日Seanに教えてもらっていたのですが、かなり数学的な遊びで、頭使います。

SeanもKaiもこう言う遊びが好きなタイプなので、ゲームを通して、一緒に笑い、楽しくお喋りした二人です。

ママを挟んでちょっと兄弟が微妙な感じでしたが、やっと仲良しになれた気がしました。

そして17日は、もっと酷い雨

それでも、行こうと言いSean&Keikoは富士を目指しました。

Kai君は体調が思わしくなく、行きませんでした。ゲームをしながら飲んだお酒がいけなかったのかなぁ?(Sean,夏にまた行こう!と言っていたKaiです)

と言う事で、私達は

5合目まで車で行きました。

でも、

ほ〜〜〜らね、やっぱり雨と強風で、

何も見えず、

fuji車の窓を強く叩く雨音と雨の粒を、暫く見ていました。

雪も所々残っていて、

気温は7.5度

 

二人で土産物屋さんへ駆け足で行き、雨に濡れ、車に戻っただけでした。

そこで、自宅へ向かう帰り道、

秦野の道を走っていたら”スポーツパレス”の看板発見

でも、通り過ぎたので、思い切ってUターンをさせてパーキングにIN

助手席で眠っていたSeanが目を覚ましたので、

”Seanバッティングしたことある?”と聞いて、子供の頃あると言う彼にやってみたい?と更に聞いて、

”うん、面白そう”と言ったので、”じゃぁ〜〜やろう?!”

それから、ソフトボール80k、軟式野球80kをそれぞれに50球ほど打ちまくり、

それから、ピッチングコースがあったので、ピッチング、と言うかキャッチボールを30分して、

それから、ピンポンを30分

またまた、汗臭くなった二人です。

が、良い汗をかいて、気分爽快!でした。

富士山には登れなかったけど、Kaiとの対戦が楽しかったといってくれたSeanです。

Kaiも「ケイコ、良かったね、ショーンで」と言ってくれました。

でも、

昨夜からちょっと疲れたのか体調が思わしくない私です。

だから、昨夜Seanに

「明日の朝、起きれないかもしれないからアラームをセットしてくれる?そして、もし、私が眠っていたら、起こしてね」と頼みました。

いつもどおり6時半に起きたら、階下で物音。

あれ、もう彼、起きているのかな?と思いながら下へ行くと、

そうしたら、彼、15分も先に起きて、カプチ〜ノを作り、メロンとキィウィを切り、朝食の準備をしていてくれました。

キッチンで立ちながら準備をしながら「大丈夫?」と私に聞く彼の笑顔と言葉が

・・・Seanの優しさが体中にじんわり染み込んできました。

勿論、食事後に、ありがとうと言って彼を抱きしめました私です。

心が温かくなって、

涙がこぼれそうになりました。

Seanで良かった。Love you Sean.

人の本当の優しさはこう言うときに伝わります。

 

 

 


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2009年05月14日

昨日は水曜日で仕事がお休み。

午前中は、いつも通り、洗濯・掃除に追われ、午後ショーンが会話の練習を2人1組ですることになっているので、2時間ぐらい大学に行きました。

その間に、芝刈り機が壊れてしまったので、新しいものを購入したり、ちょっとお買い物をして彼を待ちました。

それから、雑用をず〜〜〜んぶ済ませてから、二人で相模湖までドライブ

相模湖へは行ってみたいと言っていた彼ですが大学の後で”ケ~コは何したい?”って聞いてくれる優しいショーンです。

そして、

お休みは、お休みらしく過ごす事に、最近はすっかりはまっている私です。

夕方4時15分ぐらいに足こぎボートを借りて、5時までだからと、必死で対岸の鳥居のかかっているところまで、ボートのペダルを漕ぎました。

相模湖1

湖にかかっている鳥居が見えますか?

 

かなりの距離があるんですが、”あそこまで行こう!”って、言うので、ちょっと時間が心配だったのですが、行ってみました。

相模湖2

お茶目なショーンです。

 

 

 

彼はどんな大人になるのかな?

面白くて、興味深くて、スマートな彼です。

相模湖3

私も必死で漕ぎました。

この腕の力こぶ(?)

を見れば、分るでしょ?

頑張るゾぉ〜〜〜

 

 

向こう岸に着いたら、彼がボートを止めて、山に登ろう!って言い出して、

蚊がいるし、登れる道もないので、始めは嫌だったんですけど、トムソーヤになったつもりで、木を掻き分けて、45度ぐらいの山を登りました。

でも、行けども、行けども上にはたどり着かず、

”ショーン、もう、帰ろう?・・・”と弱音を吐いた私です。

相模湖4

ボートを漕ぎながら後ろを振り返ると、暮れ出した夕日が見えました。

私がアラスカで見た景色にちょっと似ていると話、彼が、オレゴンの山はもっと低いからと言い、

蒸し暑いのとペダルを必死で漕いでいるで、汗をかきまくり、”今日のエクササイズはいらないね”と。

それでも、

時々吹く夕暮れの風に、うぅぅぅんすっずしいぃ〜〜〜〜と、言い合いました。

彼からこの日新しい表現を教えてもらいました。

彼は頭が良くて細かな事にうるさいから、彼のママが彼を”スマート アース”と呼ぶそうです。スマートは賢い・アースはお尻です。

そうです。彼はいつもかなりの分析力で分析し、それが正しいのです。

そして、小さなことでも、気になったことを言葉にして言ってくれるので、私はそういう子が大好きだから、彼を面白いと思っています。でも、彼は友達といるときに、自分が面白くないかな?友達は楽しいのかな?って不安になるそうです。

”そんなことないよ。君は面白いよ。ショーンが好きよ”と言うと空かさず、”何処が?”と。

”君はファニーだし、興味深し、スマートだから”と答えた私に

ニコッと笑って”ありがと”と。・・・もっと自信を持ってもいいのにね。

そう思うと、彼に自信を付けさせてあげたくなりました。だから、小さなことでも褒めてあげようと思っています。

でも、何でも話してくれるようになった彼、すっかり気心を理解し合った私たちです。

そして、

いつも言葉の話になり、お互いに一生懸命説明し合い、理解して、でも数日するとその言葉を忘れてしまって、またあの時に話したあの言葉は何だっけ?と思い出す為の会話が始まり、

そして、”あぁぁぁ、そうだね。そういう意味だね。”てな具合になります。

時々思い出せない彼は、悔しくて”ダーミット!”とか口走ります。

私も、最近は若者言葉のスラングを覚え始めています。

それも、また楽しいです

相模湖6

ボート乗り場に向かって漕ぎながら、

相模湖は、韓国の人たちを強制労働で連れてきて、作った湖と言う話をしてあげました。

たくさんの方が亡くなったので、毎年、有志が追悼会をしています。

そんな話は、全く知らない彼に、説明する度に、彼が”酷いね。可愛そうだね”と悲しげな表情をします。

そういう純粋な彼も可愛いです。息子Kaiともいろんな話をするけど、彼とも、こうやって社会的なこと、人生、仕事、戦争などについて話すことは、楽しいです。

そして、夜は友達Cさんも来て、楽しい夕食になりました。

野菜切りをショーンに頼むのに、”ショーン、泣きたいでしょ?お願いね”と頼むと、ニコッと笑って、”うん!”とお返事。

たまねぎを切りながら泣いている彼が、可愛そうになり、”OK,OKもういいね”と。

でも、みんなが手伝ってくれたので、すっごく早く夕食の準備が出来ました。

食事中は、

日本の教育について勉強している彼の分析について、3人でディスカッションをしたり、現状を話したり、スコットランドでの私の息子達の経験を話したり、教師達の状況を話したり、

楽しいお食事になりました。

そして、

Cさんが”ホントに楽しかった!”と言ってくれたので、私の心も幸せでした。

帰る彼女の笑顔が輝いていて、見送りながら、心が温かくなりました。

それから、食事のときにカクテルを飲んだので、歩いてTSUTAYAまで行きました。

暗闇が怖いのに、ショーンが近道しようと通り抜け禁止だった道をずんずん進んで行ったので、仕方なく付いていきましたが、急勾配の山道を、彼が携帯のライトを照らしてくれ、私は暗闇の道が見えずに目を見開きながら、ショーンにつかまって下って行きました。

蛇が出ないかと冷や汗をかきながら、やっとの思いで下の道まで出ました。

それから、帰り道では、口で音を創りラップの演奏を二人でしました。彼はやりなれていて、とっても上手でした。

それから、また帰り道でも、彼は”近道がないの?こっちは近い?”なんて言いながら暗い山道を登ろうとするので、

”ショーン、そっち行けないの!方向が反対!”

”大丈夫だよぉ〜こっちへ行こう!”

”違うの、君は私の家が何処にあるかを知らないでしょ?私は知ってるの!だからこっち!”

”け〜こは弱いね”

”いいから、こっち!”

”あれは何?”

”あれはお寺!”

”じゃぁ〜墓があるでしょ?”

”あるかどうか、知らない!”

”行ってみよう!”

”だから、行かないの!”

男の子特有のちょっとした意地悪だけど、

お墓なんか絶対に行きたくないので、彼を引っ張ってお寺を通り過ぎました。

帰宅した時には、冷たいような熱いような妙な汗をかいていた私です。

だから、

ショーンが宿題をやってる間、

久々、キャンドルを灯してワインを飲みながらお風呂に入りました。

楽しい食事と適度の運動と、こんなに、心も体も(ペダル漕ぎでかなり疲れました)心地よく疲れたのは、久しぶりでした。

子供が増えると、きっとこんな風に時間が過ごせるんだろうと思いました。子供達が巣立って、こう言う時間を過ごす事がなくなって、もう随分時間が過ぎた気がします。

ショーンと他愛もない遊びをしたり、お喋りをしたり、私は彼のために洗濯や食事を作り、それは楽しい時間です。

te1te2

 

 

 

 

この間、彼から教えてもらった手遊びは、

右と左の手をこんな形を創り、交互に形を変える遊びです。

これが全くできない私ですが、彼は簡単に左右の形をリズミカルに変えることができます。

それに器用な彼の手は

スパイダーハンドスパイダーハンド2

 

 

 

 

こんな形も出来て、

始めてみたときははちょっと気持ち悪いと思いましたが、楽器を弾くのにきっと、柔らかな指はいいんだろうと思いました。

だから、

”スパイダーハンド”と命名しました。

彼から突然、

”けーこ、これできる?”と聞かれるたびに、

挑戦して、やってみる私ですが、

変わったスキップも口ラップも手遊びも、

出来ない私です。

でも、新しい音楽を聴き、子供のように遊んだりする彼との時間が、すごく楽しいです。

ありがとショーンで良かった

そう思う今日この頃の私です。

 

 


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2009年05月12日

9日土曜日の仕事帰りに、ショーンが時々スケートボードをする公園で、彼のスケートボードをしているところをパチリ

風を切って目の前を走り抜ける彼のその目のなかには難しい技に挑戦する輝きが溢れていました。

SS1ss2

 

 

 

 

ss4ss5

 

 

 

 

たくさんのボーダーたちがみんな楽しそうに走り抜けていきました。

ショーンも私の目の前にシゅ〜〜〜〜っと近づいてきては遠のいて行きながら、、また挑戦

ss6ss8

 

 

 

 

彼みたいに出来たら楽しいだろうなぁ~~~って、思いながらも、転んだときの怖さを考えると、出来ない   っと思いました。

学校の帰りに、彼はこの公園でスケボーをしながら私を待っていてくれるときがあります。丁度、駅近なので、いつも帰りが遅い私を待つ彼に、悪いなと思いますが、ショーンが「大丈夫だよ。楽しんでいるから」と言ってくれます。

そして迎えに行くと「お腹すいたぁねぇ〜」と二人で言い合って、それから、殆ど毎日いろいろなレストランで食事をしてから帰宅する私達です。

週に1,2回しか家ご飯を作って上げれない私です。

でも作ると「け〜こはいつも作るとおいしいね」と言ってくれる優しいショーンです。

ありがとね

10日は急に打ち合わせがキャンセルになったので、イアンから頂いた”えのすぱ”の無料入館券2枚を持って、江ノ島までGO

お昼頃出発したのに、藤沢の市内から江ノ島への道が渋滞。もう直ぐそこに江ノ島があると言うのに、なかなか進めずに、「どうしたのぉぉぉぉ」っと。

お腹も空いて、喉も乾いてきて、一体何時に付くんだろうと思うと、二人とも疲れてしまいました。

そんな時、バイクが横をスイスイ、私達を追い越して行くのを観て、

「ショーン、カウボーイのように縄を投げて彼らを捕まえてにこの車と交換してくださいって言おうか?」とか、

「水を買ってきてくださいって頼もうか?」とか、

「でも、首にかかっちゃったら死んじゃうね」とか、馬鹿な話をして、二人ともヘラヘラして気を紛らわしました。

そんな時、

パーティーの話になり、私が会社のパーティーで猫の耳のヘアバンドをした事を話したら、彼も友達とロボットになるパーティーをしたとのこと。

そこで、「じゃぁ〜今度、何かになるパーティーをしようか?}と言う話になり、

「じゃぁ〜ゾンビはどう?」と彼が言ったので、急にやる満々になった私です。

招待者はみんなゾンビ

おまけに、私の家は駅から離れた自然環境に恵まれた住宅地の、丘の上のはずれ。

ゾンビパーティーには、夜など持って来い!って感じです。

晴れた夜は星がいっぱい見え、風が吹けば、雑木林の木々が音を立てて揺れ、高台なので、台風のときはひゅ〜〜〜ゴォ〜〜〜って音がします。

うん!持って来いだね

そこでどんなゾンビがいいかな?って聞くと、

彼は、緑の色だといいました。

私は緑は典型的なゾンビだから、もっとオリジナリティーのあるゾンビにしたいね。ゾンビは血の色が付いているのは、大体決まっているから、私は私の色、黄色と青にしようかな?と。

どんなコスチュームにするか?

指の肉は垂れ下がっているほうがいいねとか、

私はゾンビ映画を観ると怖いので、殆ど観た事がありません。だから、ゾンビのイメージがなかなか湧かないとか、

でも、話し合いながら自分がゾンビになっていく事を想像したら、二人とも楽しくなりました。

お互いの顔を見合わせながら、ショーンは私が、私はショーンがゾンビになった事を想像したら、可笑しくなってきて

クスクス笑ってしまいました。

今、彼の誕生日パーティーをゾンビパーティーにしようと、密かに考え始めています。・・・きっと、楽しいと思います

そして、クイズをだして、それぞれのゾンビはどうしたら殺す事ができるか?と言う質問を作り、答えられなかったら、罰ゲームで、ゾンビダンスを踊ることにしようかな?・・・うん!そうしよう!

そして”ゾンビの私は、ど演歌が流れたら死ぬのね”と彼に言ったら、彼が爆笑

でも、

そんな話で盛り上がったのも、長持ちせず、江ノ島への橋を渡るのに、かなりの時間が掛かって、結局4時ごろに付いた私達でした。

えのすぱ1

右後ろがえのすぱです。

 

 

 

 

 

えのすぱ2

夏のように暑かったので、私はサンドレスで。

駐車場に車を止めた後、直ぐにランチを取りました。

さざえのつぼ焼きと、2種のシラス丼とシラスと鯵の丼を、一気に食べましたが、ショーンはさすが、さざえは、顔をちょっとしかめていました。

子供の頃、海にお父さんが連れて行ってくれたときに、いつも食べたつぼ焼きは、私にとっては、懐かしい味なのねと説明しましたが、

彼にとっては、生臭く、噛み切れない変な食べ物だと思います。でも、彼は、どんなものでも、食べてみると言う姿勢があって、今一番食べてみたいものは、蟻んこだそうです。・・・・だってプロテインがいっぱいでしょ?!って。

うぎぇ〜〜〜〜気持ち悪いぃぃぃっと、私。

蟻んこを食べた事を想像して、私が「だって、ショーン、頭と体と足がぷちぷち、口の中でつぶれるんだよぉ

「大丈夫、すりつぶしたら?」

「だめだめ、ペーストになっちゃうから」

「じゃぁ〜炒ってから擂る!」

「そして、ご飯にかけるの?・・・・う〜〜〜ん、それだったら、ちょっと食べれそうかな?・・・・イヤ!無理

こんな、他愛のない会話もしました。

Dがときどき「け〜この想像力豊富は、すごいね」と言いますが、

こんな話でも、いろいろ想像する、想像力・妄想力は、クリエイティブな仕事をする人には、必要だと思っていますが、・・・さて、どうかな?

やっとたどり着いたプールから海を眺めながら、

久々心が落ち着き、のんびりしている自分を発見しました。

えのすぱ3えのすぱ4

 

 

 

 

温水プールから沈む夕日を、二人でのんびり、寄り添いながら見つめ続けました。

目の悪い彼に、遠くのものを指して「あれ見える?」「さぁ〜何人いるでしょうぉ〜?」とクイズだしたり、

「こんなに穏やかな休日を過ごして、幸せだと思うのね。でもあの太陽を、イラクでも見ている子供達がいて、戦争下で苦しみの中にいると思うと、なんだか、罪悪感があるね」と言うと、

突然、彼が、

「そうだね。け〜こは本当はやりたいことがあるんでしょ?」と。

ショーンはいつも鋭い質問をすることに、最近、気が付き始めた私です。

そして、いろいろな分析は、かなり深くて、いつも私も「そうだね」と納得してしまいます。

だから、最近、私は、「Sean,you are alwayes correct. 」=君はいつも正しいぃぃぃ

と、つい、言ってしまいます。

そして、その言葉を合言葉のように、今使い始めています。

えのすぱ5

駐車場が9時半には閉まってしまうと言うことで、少し急いで車を出しました。

月がすっごく大きくて、月の周りがぼや〜って笠を被っていましたのを、ショーンが気づいて、「ほら、月がすごい」と言ったので、

駐車場の横の、防波堤兼遊歩道(?)で、

えのすぱ6

おおきな月をバックに写真をと、と、思いました。

が、

写真では、ちっちゃな点でしか、なくなってしまいました。

 

 

 

 

えのすぱ7

泳ぐ魚です。・・・イメージだけ。

 

それから、

 

 

 

sango”モアナマカイ珊瑚礁”でカレーを食べました。

先日現場の調査に来たときに、立ち寄った際には、混んでいて諦めたレストランンですが、夜もちょっとだけ遅かったので、直ぐに入れました。

 

生ハムぴり生ハムのピリ辛サラダ:じゃがいもが美味しかったですぅ

ショーンはいつも、おいしいと私を見て、ウインクしたり、眉を動かしたり、目を閉じたりして

「ううう〜〜〜ん、お・い・し・いぃぃ」と言います。

一口食べて「うぅぅぅぅん」と唸った彼です。

それから、

かじきのサクサクフライ。

さくさく

レタスに包んで食べるのですが、サクサク感とサワークリームが絶妙でした。

これもまた、一口食べて、

「うぅぅぅん、お・い・し・いぃぃぃ」と、目を細めて言っていました。

メインは、彼はラムカレーで、私はビーフカレー。

でも、私にとって、これはアメリカンサイズで大きすぎて、5分の1しか食べられませんでした。

おまけに、かなり辛くて、辛いもの好きのショーンのお皿に、私はカレーをどんどん、運び入れ、彼に食べてもらいました。

ほら、このサイズです。

ラムカレービーフカレー

 

 

 

 

皆食べれるのかなぁ〜?本当に?・・・?

S&K

無残に残った私のカレーのご飯。

どうやっても食べれませんでした。

そして、食事の途中で、

眠くなった私です。

でも、運転をして帰らなければならない道のりを考えると、

ちょっと、辛いものがあり、

思わず「ショーンが国際免許、持っていたらなぁ~~~~」と、ぼやいてしまいました。

すると彼が「ごめんね」と。

嫌々、ママが運転して帰ります!

そうは言ったのですが、帰り道、本当に眠くって、眠くって

眠さを紛らわせるために一生懸命、必死で、お喋りをしたのですが、

自分が何を喋っているのか?分りませんでした。

おまけに、酔ったように口が廻らず、どこかに車を止めて眠りたかったです。

どうしていいか分らなかったです。命を預かっているので、絶対に事故はできないので、本当に、必死で目を開けていました。

暫くしたら、ショーンが突然、友達の可笑しい話をし始めてくれ、

友達の恥ずかしい出来事(ここには書けません)に、大笑いをしました。

それから、今度は、ショーン自身の面白い、恥ずかしい出来事から始まり、お互いの恥ずかしい出来事を告白し合いました。

二人ともその出来事の可笑しさに眠気もすっ飛び、大笑いし続けて、事故もせず家にたどり着いた私達です。

疲れたけど、こんな過ごし方が、きっと休みの日の過ごし方なんだとしみじみ思いました。

いつも家事や取材のお手伝いや、健康管理のためにジムに行ったりで、一日があっと言うのに終わってしまって、

なんだか、時々、こう言う時間の過ごし方でいいのかな?もっと違う過ぎし方をしたいと思っていました。

海外への旅行を待ち遠しく思いながら、日々の暮らしを過ごし、

年に数度の海外旅行で非日常を過ごす。

そんな過ごしかたじゃなくて、一週間がもっと、変化に富んだものだったらと。

だから、ショーンが来てから、いろいろな所へ連れて行ってあげたいと思い、行動範囲が広がりました。

ショーン、君が来てくれたから、休日と日常が、こんな風にはっきり別のものとして、捉える事ができるようになりました。

穏やかな君と、社会的なことや人生の事(まだそんなに深くないですが)なども、少しずつ話せるようになりました。

新しく出会った人への分析や気持ち・一人の人としての価値観が、素直に、温かくて優しい子だと思います。

君の考えや、思いが生活の中のいろんな所で、見え、聞こえ、感じられます。

そうやって、着実に、確実に、大人になっていっている君の未来は、きっと素敵な未来だと思います。

数学の博士になること、祈っています。

うん、

大丈夫、君はなれるから。

 


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2009年05月06日

今年も、GWは仕事をしました。

新しい出会いがあり、これから進んでいく仕事にイメージが膨らみ、「あ〜したい。こ〜したら素敵な空間にあるんじゃないかな?」

そんなことを思いながら、忙しく過ぎて行ったGWでした。

でも昨日は、笑い上戸の二人で映画を2本も観に行きました。

ショーンのお勧めの”スラムドック&ミリオネア”は、本物の愛とはこういうことだねと、信じるとはこういうことだねと、単純に納得させられてしまう映画でした。

その背景には、宗教の違いにより迫害され、母を殺され、貧困の中で、必死で生き抜いてきた兄弟が、それぞれ違った生きる世界を選び、

それでも、最後は、

弟を裏切った兄も、自分の命をかけて、弟の幸せと夢を叶えるために、自分の命を捧げ、本物の愛を見せてくれました。

ラストシーンは、インド映画の定番の音楽とダンスシーンで、実を言うと、それは必要じゃない気がしました。・・・そう思ったのは、私だけかな?・・・・

Dが”け〜この好きそうな映画だよ、・・・きっと大好きな映画だと思うよ”と言っていたけど、現実性の高い社会状況などは、かなり興味深いかったです。

でも、最初に観たのは、

ジュリア・ロバーツの”デュプリシティ”で、なんだか、観た価値がなかったです。

と言う事が、

観終わった後の、笑い上戸二人の感想でした。

それでも、笑い上戸の二人で過ごした時間は、楽しくって、

シネマに向かう車の中で、

私が、

”この間ね、朝一番に3階に入って、照明をつけたら、電気ポットのスイッチが勝手に入って、シューシューって音がして、”何ぃどうしたのぉ〜!”って怖くなって、早く誰か来ないかな?って思っていたらクリスが来たのね。

だから彼に、”ポットがね、ポットが勝手に湧き出したのぉ”って言ったらね、

彼が”それはとく子さんだから、節約のために一番高いポットを買ったんだよ”って言ったのね。

それを聞いたら、もっと怖くなって”えぇぇぇぇ どうしてそんなこと言っているの怖いから止めて!”って言ったのね。

それでも彼が、”だからとく子さんだから”ってまた言うから、かなり怖くなったの。

だって”便所のよしこさん?・・・?っていたでしょ?”私、それと同じ様な事を彼が言っていると思ったの

そう言った途端に、彼女がげらげら笑い出して、

「マックゥ〜〜〜〜おかしい!マックがぁ”便所”なんて言うなんてぇ〜〜」と、涙を流しながら笑いはじめて、

ハンカチで涙を拭きながら苦しそうに笑っている彼女を見たら、私も急にくすぐったくなり「だってぇ〜〜〜、あったでしょ?便所のよしこさんって言う怖い話がぁ・・・」って言いながら、もうお腹が痛くて言葉にならないくらい笑い出し、

二人とも、笑いすぎて痛くなっているお腹を押さえながら、そして涙を拭きながら

しがし、笑い続けてしまいました。

そして、彼女がまた「マック〜、それってトイレの花子さんだよぉ」って言ったので、またひぃ〜〜〜くっくくっくと、お腹が痛くて痛くてたまらない程、二人で笑い続けました。

 

その後、やっと笑いの波が引いたので、

冷静に、

「どうしてそう思ったかと言うと、クリスがね、この間11時過ぎまで仕事していたら、私の部屋の横の通路の先にある避難階段のドアが急に開いて、外の車の通る音と風が入ってきたんっですって。だからあぁあぁイアンが脅かそうといたずらしているんだなって思って、席を立ち、ドアのところまで行ったんですって。

そしたら、鍵が閉まっていたんで、”あぁぁ誰かはいってきたけど、俺は霊感が全くないから気がつかないから、また出て行ったんだと思うよ”って、言ったのね。だから〜〜〜、すっごく、怖かったの〜〜〜」と、釈明をした私です。

こんなふうに、私たち笑い上戸二人は、時々お腹が痛くなるほど、どうでもいいことで笑ってしまう二人です。相乗効果があって、ちっちゃなことでも、顔を見合わせた途端に、吹きだしたり、笑っちゃったり。

そんな彼女が”まっくぅぅぅぅぅへ〜〜〜ん”っと言いながら笑いだすと私たちの笑いは始まってしまいますが、二人とも映画ホーリックと言う共通点があります。

そして、今日は、心の弱い部分も全部さらけ出せる友達がランチに行くねっと言って来てくれました。

バナナケーキを焼きながら彼女を待ち、ふわふわカプチ〜ノを入れて焼き立てを食べました。

彼女の気持ちが少し落ちていて、そんな彼女を見たら思わず

「大丈夫よ、大丈夫よ」と言いながら抱きしめてしまいました。

彼女の辛さが和らいでくれたらいいのに、と思いました。

それから彼女の心の痛みが痛いほど伝わってきて、私の痛みも彼女だから包み隠さず話せることもあり、何を迷って何を信じていて、何を考えているか、どこまで自分を分析しているか、

素直にいろんな思いを話せるのは、彼女だからで、

彼女にたくさん助けられてきました。

私には宗教はありませんが、彼女はクリスチャンです。

でも彼女の純粋さと正直さは出会った時からず^^^^っと変わらずにいてくれるので、

そう言う彼女を信じている私です。

長いお喋りの時間を過ごしながら、辛い時に寄り添いあえる関係を大切にしたいと思いました。

素直に一緒に涙を流しあえる関係です。

今日もいっしょに泣きました。

そして、

”私たちはいい人だから、大丈夫よ”と言った私の言葉で笑いだして、

そうやって、泣いたり、笑ったり、分析したり、相手の言葉をしっかり受け止めて、自分に問いかけたり、

こういう純粋な時間を、本当に大切にしたいと思います。

人は誰でも、必死っで立っている時があります。

人は誰でも、時には寂しさの中で生きています。

だから、人の痛みに共感して、本当の優しさを見つめ続けて、自分も本物になれるように、生きていきたいと思う二人です。

だから、感謝です。

生きている時間の中で、そう言う時間を一緒に過ごせること、そう言うあなたに感謝です。

今年のGW最後の日は、雨の音を聞きながら、周りの人に感謝している私がいます。


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2009年05月01日

火曜日の夜は、クリント・イーストウッドのグラン・トリノを友達と一緒に観てから帰宅しました。

水曜日は休みだからと久しぶりに日本酒をショーンと飲みながら、帰宅後もDVD”マンデラの名もなき看守”DVD2

を観ました。”うぅぅぅんうっれしいぃぃぃ〜〜〜明日はオヤスミダァ〜〜〜”と叫びながら。

グラン・トリノのエンディングで、嗚咽してすっかり心が疲れてしまったので、頭を切り替えたくて観た映画でしたが、主人公が少しずつマンデラを支持していく心の移り変わる様子や、それに伴って変化して行く生き方に、ほっとした。何が真実で何が真実ではないか、と言う事を、見る目を持つ事の大切さを感じさせてくれたいい映画でした。

でも、その映画を観ながら日本酒の小瓶を開けて、何十年ぶりに、ちょっと酔った私でした。

映画を観る前に、カクテルを2杯飲んでいたので、きっと酔ったんだと思います。

家で、安心したからかな?Dがワイングラスいっぱいで楽しくなる私に”け〜こは簡単で良いね”ってよく言っていましたが、最近は飲む事もなくなっていたので、アルコールに、めっきり弱くなった私です。

だから、翌日は、少し二日酔いでした。

朝から頭が痛くて、朝風呂に入ってもすっきりせず、一気に家事をこなしても頭痛が治らず、薬を飲む羽目になってしまいました。 (あんなに少ししか飲んでないのに・・・。)

でも、折角の休みなので、今日こそは、ショーンにホームスティの思い出創りをしてあげようと決めていたので、数日前から約束していたクライミングの体験にお昼過ぎに行きました。

S1会社と家の真ん中あたりにあるクライミング場(?)。

ず〜〜〜と前から、やりたいと思っていたのですが、Dはやりたくなさそうだったので、やらずにいました。

でも、ショーンと一緒に帰る途中で、彼もその建物を見て”やりた〜〜〜い”って言ってくれたので、”よし!じゃぁ〜今度の休みにやろうね”と約束をしていたので、二人ともワクワクしながら挑みました。

若い子は、こう言う乗りには、付き合いがいいよね!

そして、彼は身が軽いので、一気にスイスイと登っていき、いとも簡単にこなしました。

S2

途中で、彼にカメラ目線を要求してパチリ

 

 

 

 

 

S3

2度目はピンクのテープを狙って登ってくださいと言われ挑みました。

 

これがなかなか難しかったです。

 

 

 

私は、やる前に、きっと自分の重さを自分の腕で支えられないに決まっていると思い込んでいましたが、

K2それが、日頃ジムで鍛えた(?)成果か、足場を登っているせいか、以外にすんなりできました。

 

 

 

 

 

K38mの高さまで、登ってから降りてくるという単純なことなのに、すっごく楽しかったです。

 

 

 

 

 

K4ほら、こんなに小さくなった私を見たら、きっとその高さが想像できるでしょ?

やっぱ、普段、足場に乗っているからかなぁ〜〜〜???

高いところへ登る怖さはありませんでした。でも、ロックがつかめずに落ちたら怖いな?と思うと、ちょっとだけ怖かったです。

 

 

それから、交通情報をチェックして、以外に空いている首都高の情報を貰い、

”じゃぁ〜お台場まで、車を飛ばそうか!?”

”うん!いいね!行こう!!!”

と言うことで、お台場へ。

石川のドライブインで遅いランチを取り、(レストランで、またまた、日本語と英語のお勉強の会話に火が付きましたが、それからまたGO

S4レイボーブリッジ&ショーン

”かあさんに送ってあげてね。この写真”と言って撮りました。

S5

 

 

 

 

S6

自由の女神だよショーン。アメリカだけじゃないのねなんて言ってから、この銅像が来た由来を説明してあげました。

彼は彼女の足の立ち方が気になったようで、

”足は何処にある?”と、チェックし、”あっ、あった!こうやって立っている”と。

面白い事に気が付く彼です。

ちなみに私は”彼女、妊娠しているみたいじゃない?”と。

”あっ、そうだね”

S&Kなんて他愛もない会話をしました。

そして、これぞ、記念写真だね!と言いながら、でも”変な顔してね”の要求に、ちゃんと応えてくれたショーンです。

彼のお茶目な顔、可愛いでしょ?ハンサムボーイのショーン君です。

二人の友達が彼を”ショーンはジョニー・ディップに似てる!”なんて言ったので、ショーンは”そんなことないよ〜〜”と。

でも大学でも3人に言われたそうで、”ショーン、大学で、もてるんじゃない?”って聞いたら”ううん、そんな事ないよ”と言っていましたが、そんなことはありで持てている様子です。

そんなハンサムボーイの彼ですが、先日、二人で横浜まで行った時、彼が電車の窓に写る自分の顔を

ぐちゃぐちゃに動かしていろんな顔をして、私を笑わせてくれました。口をへの字に曲げたり、まゆを動かしたり、

そして寄り目をしたり、くるくるカリーの髪をぜ〜〜〜んぶ前に持ってきて、口だけ動かしたり、次から次へと可笑しな顔を作って笑わせてくれました。

電車の中で、”じゃぁ〜、これできる?”と彼が私に聞いてへんな顔をし、私も”うん!出来るよ”とか、”それはできな〜〜〜い”とか、言って、彼の可笑しな顔を真似てみたり、

私たちは、まるで4,5歳の子供のように、電車の中で、変な顔を創っては自慢しあい、私は涙が出るほど笑いました。

あんまり大きな声で笑ってしまった自分に驚いて、周りを見回して、子供のように遊んでいる自分と周囲を気にせずに笑っている自分が恥ずかしくなりました。

でも、そうやって笑わせてくれるショーンは、”ママ〜〜〜、僕こんな顔できるよ”って言っているようで可愛いです。

さてさて、そんなショーンとお台場では、ジョイポリスに行きました。

彼は”ゲームが好き”っと言っていたので、きっと喜んでくれるかな?と思ったので、お台場まで車を飛ばした訳です。

でも、周りを良く見ると、若いカップルや女の子のグループばかり。

えっど、どうしよう ママと一緒じゃ、きっと彼、恥ずかしいでしょうと、初めて彼の気持ちが気になりました。

だから、少し距離をとりながら行動しました。いつもの私だったら遊ぶときは、夢中で遊ぶので、周りの目など気にせず、楽しむんですが、・・・。

でも、彼はそんな事気にならない様子。

私達がしようと並んだアトラクションの列の前に、いつも4人の女の子達がいて、

その中の一人の女の子が、私を下から上まで、ジロリと見たので、

”きっと、彼女、何よ、このおばさん、貴方の来るところじゃないでしょ!それに、そんなハンサムボーイを連れて、何!”って見たんだと思い、余計に彼に悪い気がしちゃいました。

翌朝、車で大学まで行く途中で、彼が

”け〜こ、昨日は楽しかった、ありがとう”って言ってくれたので、私も正直に

”ショーン、はずかしかったでしょ?ママと一緒みたいで?”と言いました。

すると彼が、

”えぇぇぇ、そんなことないよぉ〜。楽しかったよぉどうしてそれを言うの?”って聞くので、前にいた女の子にジロリと見られた事や、日本では大人がそうやって遊ぶ事は少ないから、変に見られちゃうこともあるのねと説明したら、

彼が

”だって、あれは子供じゃなくて、大人が遊ぶためにできたでしょ!”と。

そうだよね、うん、そうだよね。

日本人の価値観は、時々変だ、と。

でも、彼がニコニコしながら”ホントゥに楽しかったよ”と、言ってくれたので、若い子から年齢差別の視線を浴びた悲しさと、ショーンの優しさで、ちょと胸が詰まりウルウルしちゃいました。

でも、楽しかったって言ってくれた彼の言葉を信じています。

帰ってきてから、彼はちゃんと宿題を済ませ、それからヘトヘトで眠りに付いた私達です。

そして作晩は、宿題を済ませてから、またまたDVD”Boy A”を観ました。

DVD1

ショーンが見終わってから”悲しかった”と言いました。

それは、本当の人の優しさや理解とはなんだろうと思う、考えさせられる映画でした。

更生し、人生を創りなおそうとした青年が、結局世間の冷たい目にあい、自殺をすると言う本当に悲しいイギリス映画でした。

見終わったのが1時半でベッドに行ったのが、2時。

朝、ショーンは”あぁぁぁ学校に行きたくないぃ〜〜〜。眠いよ〜”と。毎晩”今夜は早く眠ろうね”と言いながらもDVDを観てしまいます。

でも、

明日から7日の朝まで、彼は京都、広島へ小旅行。

ちょっと寂しい私です。

 

 

 


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2009年04月23日

Sean(ショーン)が来てから3週間が過ぎました。

大学へ行く朝、ドアをノックすると”おはよう〜〜”と寝ぼけた声で返事が返って来て、それから、10分ぐらいすると、爆発頭の彼が階段を降りてきます。

カーリーヘアーの彼は、その髪をとかさずに、バンダナを巻いたり、キップやハット被ります。

最近は、以前だったら考えられないくらいに早起きの私も、髪をとかさずに、相変わらず仕事に出ますが、

二人で”大丈夫””大丈夫よ”と言い合って、お互いの爆発頭を認め合っています。

低血圧の二人ですが、朝ごはんの時から、何気ない会話の中で、英語と日本語のチェックや勉強が始まり、

時々、お互いに一生懸命自分の知っている単語を使って説明したり、例を作って説明したり、辞書を引いたりして、ボキャブラリーを増やしたり、言い方を練習したりしてます。

Dはせっかち&忙しいので、なかなかこんな風には、お互いの語学能力を高めるという事にはならずに今まできたので、

”あぁぁぁ勉強している”って感じが日々していて、すっごく楽しいです。S1学生に戻ったみたいに、二人で辞書を引く喜びを感じています。

それも、極普通の暮らしの中の、一瞬一瞬に、

”えっ!それってどう言うの?”なんて言いながらできるので、苦にならずにやっています。

Seanがウルトラマンのお面を被って写真をイラスト風に作ったものです。(*彼のPCにあったデータの中からピックアップしました)

それから、

水曜日の私のお休みに彼も授業を取らずに開けてくれたので、バトミントンをしたり、買い物に行ったり、火曜の夜は遅くまでDVDを観たりしていますが、

そんな中でも語学の勉強を、気が付くとしている私達です。

でも時々彼が、彼の専攻の数学の問題を出してくるので、戸惑ったりしますが、彼から数学の考え方などを教えてもらい、”へぇ〜〜〜〜そんな風に考えるの?”と驚かされたり、教えられたりです。

先日も0から1の無限と0から無限までの数字はどっちの無限が大きいか知ってる?と聞かれ、

同じでしょ?!と答えたのですが、

彼によると0から1までの無限のほうが大きいそうで、その理由は0から1までは分数だからだそうで、なんとなくイメージとしては理解できたのですが、

私の数学のレベルでは、きちんと理解できませんでした。

でも、そういうことを考える時間を持てることが、すっごく新鮮で驚きで、楽しいです。真剣にそう言う事を考えたのは、高校生以来ですから。

S2

このイラスト風な写真も、

アート的で、上手いなって思いました。

PCを使ったこう言う遊びは、自分のアートの感覚をどんどん開いてくれる遊びだと思いました。

絵を描いたり、音楽を作ったり、そういう時間を楽しむことを充分に出来るのは、やっぱり学生のときしかないので、そういう彼の時間を、一緒に共有していると、遊び心が豊かになっていく自分の感じます。

S4

これも一緒にPCに写しながら撮った写真ですが、

何だか、自分じゃないみたいだし、自分の中の違う部分が現れたようで、

自分を被写体として捉えても、とっても興味が湧きました。・・・ちょっと悲しみが出ている私の顔を、はじめて客観的に見ることが出来た気がしました。

そして、

PCのS3スクリーンの中心でシンメトリーになるこのプログラムは、メンインブラック出てくるような宇宙人に変化していく自分の顔を、

いろいろ創れるのですが、

殆どの場合は、

”ぎぇ〜〜〜気持ち悪いぃぃぃぃ

と言う顔に変化しました。

人の顔をシンメトリーにすると、いつもの見慣れた顔ではなくなるんだと思いました。

完璧シンメトリーがきっと美人だったり、ハンサムだったりするのかな?

そういう見方があると思いますが、

やっぱり人は、完璧じゃないから面白いし、味があると思うので、この遊びは、そんな事を感じさせてくれました。

(Seanが創った素敵な写真をまたこの日記に加える予定です)

こんな遊びは、彼が来なかったら全く知らなかったので、

”うぅぅぅん、面白い”としか言いようがありません。

さて、さて、一昨日の夜は、ソフィアと一緒に3人で、映画”ミルク”を見に行きました。ショーン・ペンの演技はやりすぎた感じがなく、すばらしかったです。

Seanとソフィアとそんな話をしながら帰ってきましたが、ガン泣きのソフィアに、相変わらずちょっとだけウトウトしてしまった私ですが、観る前に、Seanに起こしてねってお願いしてあったので、ウトウトしたら、チョンチョンっと突っつかれ、しっかり見ることが出来ました。・・・良かったぁ〜〜〜。いつも疲れすぎている私です。

それにしても、ゲイの開拓者のこの映画と大好きな”ブロークンバックマウンテン”は大好きな映画です。

そして、昨晩も、彼はホームワークを、私はプランニングを、ダイニングテーブルで一緒に夜1時半までしちゃいました。

7時半ぐらいに携帯屋さんから帰ってから、テーブルを囲み始めたのですが、

途中で夕食を挟みながらも、二人とも一生懸命やりました。

それでも、長い時間が掛かったのは、ときには彼の宿題を手伝い、時には彼のバンドの歌の内容についてお喋りしたり、また数学の質問なったり、

したからで、

でも、そういう時間が二人とも楽しくて、時間があっと言う間に過ぎていってしまう毎日です。

宿題をしながら聞いた彼の好きなグループ"OK GO"の曲の中に、とっても悲しい歌があって、

Seanが

”この歌詞は悲しいよぉ。悲しすぎるよぉ〜〜。君が死んでから長い時間が過ぎたから、もう君の顔を思い出せないって言う内容だから。ず〜〜〜と一緒にいようって言ったのにって”

”悲しすぎるよ”と、何度も言う彼に、

彼の説明で想像が頭の中いっぱいに広がり、

思わず

”おぉぉぉSean、止めて。本当に悲しすぎるから、今聞きたくないよ”と、本当に、泣きそうに悲しくなってしまった私です。

そんな私を見たSeanが、ちょっと意地悪ないたずら小僧のように、ニヤリっと笑って私を見たので、

男の子は、いつもこういうちっちゃないじめをちょっとするんだなって思ったりしました。

確かに息子Kaiもちょっとするね、こう言う事。。。。。

彼といっしょにDVDを観る時、Kaiといっしょにこうやってソファにダラッ〜〜〜っと横になりながら観たなって思い出します。

友達のように話、友達のように一緒に過ごし。

でも、Kaiが巣立っていったように、

7月末には、Seanは、ハワイへ帰って行きます。

それを思うと、こんなに仲良しにならない方がいいのかな?

もっと距離を持っていたほうが寂しくならずにすむのかな?

なんて、今、時々思います。

この間も友達Mが泊まりに来た時に、彼に

”ケイコはショーンが帰ったら寂しがるよ。ショーンカンバックってメールするよ、きっと”

なんて言っていました。

今、ちょっとそれを思うと、寂しくなりますが、この時間を大切にたくさん楽しもうと思います。

また彼にも楽しい思い出を作ってあげたいと思います。

今日も、1時限と5時限、6時限の授業だから、間に時間がありすぎるからランチを一緒に食べようと言う事で、

ランチタイムに会社まで来ると言う彼。

今も電話でスケボーパークから会社に行くのに少し遅れるちゃうけど大丈夫?との電話。

こんなに仲良しになっちゃって、時々彼のことも心配です。

大学で友達を作っているのかな?ちゃんと。?????

一緒に過ごす時間が多すぎないかな?・・・彼から友達を創る時間を奪っていなかな?・・・  いやいや大丈夫!彼、飲み会にちゃんと行っているし、ね。

なんて一人でちょっと心配しています。

Seanも寂しがりやさんで、そしてママが大好きな子だから、きっと私とお喋りしたりすることは、ママと過ごす時間に似ているんだと思います。

かぁ〜さんのサラダよりケイコのサラダのほうが美味しい、とか、

かぁ〜さんのポタージュスープに似ているぅ、とか、

言いながら、私の料理を食べていますし、アパートは一人だから嫌だと言う彼は、寂しがりやなんだと思います。

時々Kaiに甘えて電話をしている私ですから、

そう、私達は仲良し&寂しがり屋です。

 


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2009年04月17日

14日は、ショーンと彼の友達のザックがカラオケに行きたいと言ったので、行きました。

ショーンはバンドを組んでいて、リードボーカルだそうで、さすが上手かったです。

S7O大学の歓迎パーティーで、右側はザックです。

人なつっこさと無邪気さいっぱいのザックは高校生のような可愛さがあります。

 

S&Z&K

カラオケの前に、カレーが食べたいと言うショーンとザック。

ザックは初めて本格的なカレーを食べたそうです。

ちなみに、ショーンは最高辛さの激辛を平然とこの日も食べてました。

私は中辛を、汗をかき、ほっぺを真っ赤にして食べました。

それから、カラオケへ

私は、歌が下手なので、カラオケは実を言うと行かないんです。

だから、karaokeクリス&イアンを誘いました。

クリスの声は、かなり素敵です。優しさと甘さを感じさせてくれます。

イアンは顔の公開できませんが、彼の声も若さいっぱいで、本人は歌が嫌いですと言うのですが、

彼もかなりの上手さで、私は、二人の歌に聞きほれるばかりでした。

S&Z&K2

ザックは、僕はヘタだからと言っていましたが、楽しそうに、次から次へと歌っていました。

ショーンは、さすがバンドのボーカル

ロックやポップやバラードも歌ってくれました。

クリスとイアンと私はタンバリンにマラカスを振って、時々イェェェェェ〜〜〜と声を張り上げ、

楽しかったです。

イアンは、タンバリンを振りながら歌ってくれて、ショーンたちを盛り上げてくれました。

クリスとイアンに”私だけでは連れて行けないから、付き合ってね、お願い”ってお願いした甲斐がありました。

二人ともお疲れ様でした。ありがとさん

最後は皆で抱き合ってさよならなんかしゃっちゃいました。

私は、好きな歌をかなり聞かせてもらってすっごく楽しかったです。

 

S8その夜、帰ってきたら、数日前はこんな風に満開だった我が家の枝垂れ桜が、雨に打たれ、

 

 

翌日は

門の階段には、shidare1

花びらが雪のように積もっていました。

これを観ながらショーンに”桜吹雪”と言う言葉を教えてあげました。

 

shidare2

もう、こんなに散ってしまった

桜です。

 

でも、風に揺れて、その細い枝は、柔らかになびいています。

 

 

16日は、調査をする為に鎌倉まで車を走らせました。

yuigahama1懐かしい鎌倉高校前を通り、由比ガ浜、材木座を通りました。

ここは思い出の地です。

 

初恋の人が住んでいた材木座、

結婚を申し込まれたJJと一緒に来たレストランの前も走り抜けました。

そして、教育の仕事をしているときに、子供達と来た鎌倉高校前の海では、サーファーがたくさん海に漂っていました。

レストランでランチをしようと思い、を走らせたんですけど、

入ったレストランは、20人以上が待っていて、

”仕事に来たんだから、急がなくちゃ”と思い直して、海沿いのファーストキッチンに入りなおして、

まずいエビバーガーを食べました。かなり最悪でした

でも、窓から見える景色は最高!!!!で、

enoshima

ほら、江ノ島が遠くに見えました。

若いとき、

毎年、真っ黒に日焼けしてヨットをやったり、泳いだり、

本当に良く遊びました。母には”女の子がそんなに焼いたら、後で後悔するからね”と言われ、今、その重さが分ります。

ランチの後、

enoden

現場に向かう途中の、踏み切りで

江ノ電が通り過ぎていきました。

カールのおじさんが、手を上げて

”おぉぉぉい”と言って通り過ぎて行きました。

思わず、”おじさぁぁぁ^^^ん”って言ってしまいそうになりました。

 

inamuragasaki稲村ガ崎の駅の横を通ったのですが、

昔と変わらない駅に、ちょっと驚いてしました。

 

 

懐かしさの中で、いろんな思いが心に溢れました。

人の

悲しみは、どうやって癒えるのでしょうか?

昔言えなかった言葉を今だったら、言える気になるのは、

きっと、遠い昔の思い出が、切ないからなのかも知れません。

ごめんねJJ。

いつか会いたいな、また。

どうでもいい冗談で、意味もなく笑ったあの日のように、

また笑えるね、きっと。

そうだといいな。

 


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2009年04月10日

4月2日から、アメリカからの留学生Sean(ショーンと読むそうです)がホームスティしています。

初めての夜は、Dと一緒に、いつものレストラン:リトルトリーで歓迎しました。ステーキのバルサミコソースに”おいしい〜〜〜〜”と感激してくれました。

翌日の夜は、ギリシャ人のニッキーが企画した写真家達のスライドショーとパーティーに行きました。外国人特派員クラブのホールで行われたパーティーは、興味深かったです。ニッキーは日本のファッションショーやその裏側の写真を、見せてくれました。

やくざの刺青だけを撮影しているキャメラマンの写真もかなり面白かったです。

niki&me

Niki&私

彼女のヘイアスタイルもかなりファッショナブルに変身していました。

 

N&S

このパーティーに誘った、友達の中野さん(私と同じ仕事をしています)

と、

奥に写っている人は、いつも私の現場を撮っていただいている新澤キャメラマンです。

 

Sean&me

そして、初登場のショーンです。20歳の彼は息子みたいに可愛いです。

彼は、

ハワイ大学で微積分学を勉強しているという事で、彼の勉強の内容をPCを見ながら説明してもらいましたが、数式の意味が全く分りませんでした。

ショーンが来て、もう一週間が過ぎましたが、私たちは、朝に、夜に、何気ないお喋りに中で、日本語&英語の勉強をしてます。

また、一緒にDVDを観たり、バトミントンをしたり、お買い物をしたり、Kaiと一緒にした事を、彼と一緒に、今しています。

何だか、母、全開の私です。

mannkai

桜が6部咲きの4,5日の相模原の桜祭りでは、中野さんに面倒を見てもらいながら、建築士会のブースでお手伝いをさせてもらい、

”いらっしゃいませぇ〜〜〜〜”の呼び込みを一生懸命してくれたみたいです。

sakuramaturi1

残念ながら、私は仕事でしたから、出店で買ったランチを二人で食べただけでした。

 

 

S+sakura1

そして休みの日に、彼の外国人登録証の申請に、市役所へ一緒に行きました。

 

”ショーン、この桜と君の写真を、君のママに送ってあげたら?”と、言って、

この写真を撮りました。

彼は日本語でお母さんを”かぁ〜さん”と言います。

その言い方が、優しくて、可愛くて、聞くたびに、胸が温かくなります。

”かぁ〜さんがぁ〜、にわとりを飼っていてぇ〜・・・・”

こんな感じに話してくれます。

S+sakura2

ハンサム君でしょ?

夜は、彼のPCにあるカメラに自分達の顔を映して、いろんなデフォルメをして一緒に遊びました。

面白い顔を創ったり、芸術的にしてみたり、イラスト風にしてみたり。、漫画チックにしてみたり、

楽しかったです。近日中に公開したいと思います。

この写真は、きっと彼のかぁ〜さんととぉ〜さんが喜ぶんじゃないかと思います。満開の桜がバックですから。

ショーンは来る前からメールで、”花見がしたい”と言っていたのに、私は土日が仕事なので、叶えてあげていないんですね、彼の夢を。

ごめんね

Dも忙しくて、今、考え中です。どうしようかな?って。

S+K

かぁ〜さんに,この写真を送ってね。

安心させてあげようね。

って、言ったら

”はい、そうします”

ですって。

 

先日も一緒に温泉に行ったんですが、

”気持ちよかったよぉぉぉ”って。

初めての経験と美味しい食べ物ばかりで嬉しいって。

 

そして、昨日は、shiroyama1城山に上りました。

可笑しなポーズを決めてねって言ったら、

ほら、こんなポーズ。

 

 

 

 

shiroyama2

 

今度は二人で決めてみました。

昨日は25度もあったので、二人とも汗をびっしょりかきながら、頂上に上りました。

 

 

 

帰り道で、

桜満開のshiroyama 3津久井湖を見下ろしながら

ショ〜ン、かぁ〜さんにこの写真も送ってね

って、言って撮った写真です。

 

 

さてさて、

息子が一人増えた気がしている私です。

昨日の夜は、お友達のタイ人の誕生日だったので、彼は、かなり飲んで楽しそうでした。

キムチ鍋を食べたよ。・・・美味しかった!

納豆も食べたよ・・・・美味しかった!

えぇぇぇぇ〜納豆、食べられたの?すごい!

女の子は来なかったよ。どうしてかなぁ〜?なつみちゃん可愛いよ。でも来なかった。

男の子ばかりだから、怖いのよぇ〜〜〜。・・・・でしょ?

そうだね、怖いよぉ〜

 

英語と日本語が混じった会話を交わしながら、

お喋りする楽しい時間です。

スケードボードをする彼の写真も近日中にUPします。

ちょっと親ばかになっている私ですか?

 


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2009年03月23日

20日、私がいる開発事業部の窓の外に、曇り空と冷たい風の中で、ちょっと震えながら小さく開き始めたたった一つの桜を見つけました。

桜1

周りの蕾は、まだぎゅっと閉じているような様子で、

開き始めた桜に

”君って勇気あるね。”と言っているようでした。

開き始めた小さな桜は

”ちょっと怖いけど、外の世界が観たくて開いてみたよ。・・・・やっぱりまだ寒いね。でも、君たちも開いてご覧よ。一緒に下を通る人間を観ようよ。きっと明日は風も太陽も暖かくって、生きてる事を感じれるから。・・・ねぇ〜みんな、目を開けて

そんな事を言っているような気がしました。

桜2

ちょっとの晴れ間には、

クスクス笑っているような、

”一人ぼっちはつまらないよぉ〜。一緒に歌おうよ、お喋りしようよぉ

そんな事を言っているように聞こえました。

21日は打ち合わせで、百合丘まで行きました。

百合丘は23歳から29歳まで住んでいたところです。

駅前の道を線路沿いに新宿の方へ歩いて行く坂道には、あの当時と変わらない桜並木が残っていて、

見上げたら、もう花びらがたくさん開いていて、桜餅色に枝も葉も染まっていました。(桜餅の美味しい季節、形容できる言葉がこんな言葉でしかなくて、食いしん坊がバレバレですね)

桜3

その頃は障害のある子と健常児と言われる子と一緒に育つ施設、

そして仕事を持っているお母さん達を支持するための長時間保育の施設、

健康にこだわった自然食の食育の施設、

そして自由に教育の仕方を考え、実行できる誰にでも開かれた施設、

を目指した小さな保育施設を百合丘・高石で運営していました。

会社から緑山スタジオの通りを抜け、鶴川の三輪を過ぎて王禅寺から高石への裏道を、記憶をたどりながら車を走らせたら、24、25年前の細い裏道がまだありました。

上の子が1歳を過ぎた頃、三輪に引っ越してからは、電車で息子を抱えて通いました。

ある雪の日、水色のそりを抱えて、電車の乗り、いつものように百合丘の駅で降り、

それから彼をそりに乗せました。

きっと喜ぶと思ったのですが、息子は不安気でちょっと怖がり、硬い表情をしながら、ちっちゃな手のひらでそりの両サイドの縁をぎゅ〜〜〜〜と握りしめて、私を見上げていました。

”ゆっくん、ここをギュっと掴んでるのよ。じゃないと、ど〜〜〜〜んって落っこっちゃうからね”

そう言う私の言葉を聞きながら、不安げに見つめていた息子でした。

でも、元気を出すように、”よ〜し、じゃぁ〜出発!”って声を掛けて坂道を下りました。

一瞬だけ恐怖に引きつった彼ですが、見る見る内に、ニコニコと笑顔になり、そのうちにきゃっきゃと声を上げました。

ホント言うと、母は自分が滑って転ばないように必死だったんです。

でも、雪の楽しさを息子に伝えたくて、頑張ってそりを引いたんです。

桜並木の坂道を下って、それから、またかなりきつい勾配の上り坂を、彼がはち切れそうな笑顔で乗っているそりを”よいしょ、よいしょ”と掛け声をかけながら、一生懸命引っ張って園まで行きました。

帰りも同じように下って、登って、汗をびっしょりかいて、電車で帰りました。

ふぉわふぉわと湯気を立てている生まれたての息子を、園の子供達と一緒に育てた日々が蘇りました。

春、子供達と散歩に出ては、ヨモギを積んで、ヨモギ団子を作り、

つくしんぼや雪ノ下を積んでは、天ぷらにしたりして給食でいただきました。

ケーキ屋つっくん、美容室のあっちゃん、工務店のつよしくん、精神病院のケースワーカーのひかるちゃん、兄弟で来ていた良平君とまやちゃん、静かな、静かな帰国子女のあやのちゃん、・・・たくさんの子供達の顔やそれぞれと過ごした日々が昨日のことのように、思い出しました。

また、冷たい風が吹く3月、春の日差しが射した日は、

急に

”今日は海へ行こう”と、子供達をつれて鎌倉高校前の海まで行き、潮風にあたりながら、波打ち際で遊ぶ子供達を見守ったり、砂山を作ったりして遊びました。

帰りの電車では、みんなが眠ってしまい、一人はおんぶ、一人は抱っこ、あいたもう片方の手は、5歳児の子の手を握り、ヘトヘトなって帰ってきました。

でも、電車の中で、眠り込んだ子供達の寝顔を見ると、どの子も充分遊んだ満足そうな穏やかな表情をしていました。そんな顔を見ながら、

「私も春の日差しの中で、波の音を聞き、柔らかで穏やかな陽射しを浴びて一日を過ごしたなぁ〜」って幸せを感じました。

小さな、小さな出来事の一つ一つが思い出されて、

今ここに、こうしている”私の人生 ” を思いました。

あの頃、今日の自分を想像すらできなかったです。

スコットランドのホリールードパークの丘の上に立ったとき、

デジャブのように”前にここに来た事がある”と感じ、また

”私の前世は、ここに居た”と変な核心みたいなものを感じましたが、

今、こうした人生を過ごしていることは、あの頃、全く見えませんでした。

帰り道、住んでいた三輪の家から大通りに出る道で渋滞にハマってしまいました。

すると、3角公園でいっしょに遊んだ近所の子供達の事も思い出し、息子に電話しました。

すると、「えぇぇぇぇ〜覚えてないよぉ・・だって俺赤ちゃんだったでしょ!」とクスクス笑っていました。

「そうだよね。覚えているはずないもんね。」

私と一緒になんでも覚えていて思い出を共有できるような気がしたけど、・・・

無理だよね。赤ちゃんだったんだもんね。

夏の暑い陽射しの中、水遊びをした事、近所の子たちと一緒におやつを食べた事。

22年の歳月が一瞬に消えてなくなりました。

そんな思いが胸いっぱいに溢れて、

なんだか、悲しくなりました。時間の早さと、人生の過ぎていった速さと、その中で、生きてきた私の人生の速さを思うと、

涙がこぼれてしまいました。

おまけに、車に録音した数少ない日本の音楽の中から、流れてきたのは、

竹内まりやの人生の扉でした。

「春がまた来るたび ひとつ年を重ね

目に映る景色も 少しずつ変わるよ

陽気にはしゃいだ 幼い日は遠く

気が付けば五十路を 越えた私がいる

信じられない速さで 時は過ぎ去ると知ってしまったら

どんな小さなことも 覚えていたいよ

I say it's fun to be 20

You say it's great to be 30

And they say it's lovly to be 40

But I feel it's nice to be 50

満開の桜や色ずく山の景色を

この先 いったい何度 見ることになるだろう

ひとつひとつ人生の扉を開いては感じるその重さ

ひとりひとり愛する人たちのために生きてゆきたいよ

I say it's fun to be 60

You say it's alright to be 70

And they say still good to be 80

But I"ll maybe live over 90

君のデニムの青が褪せてゆくほど 味わい増すように

長い旅路の果てに 輝く何かが 誰にでもあるよ

I say it's sad to get weak

You say it's head to get older

And they say that life has no meaning

But I still belive it's worth loving」

http://www.youtube.com/watch?v=hlPANJyLp9Y

今日、3階の窓から見えた桜は

桜4

3日前は一つだけだったのに、

 

 

 

桜5

あっちと、

こっちと

 

開き始めていました。

 

冬は少しずつ遠ざかり、

一日、一日と

この桜に観るように

春は来ているんですね。

最近、

私は一人の人が人生の中でできる事は本当に限りがあって、

出会う人にも限りがあって、

行く場所にも限りがあると感じています。

何を選んで、

どうやって生きてきたか?どう生きるのか?

その重さを痛いくらい感じます。

”生きた証”を自分の中で、確認したいと思います。

結局人は、小さな限られた世界でしか生きられないんだなって思います。

生きた証を確認したら、もう思い残す事はないだろうと思います。

貴方は、どんな人生を生きてきましたか?

貴方にとって生きるとはどんな意味がありますか?

桜の儚さと毎年咲く命の継続に、

そんな事を感じている私です。

 


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2009年03月19日

17日はお休みだったので、以前からやろう!やろう!と思いながら

、”寒すぎるぅ〜”と、伸ばし伸ばしにしていた自宅の洗面所・トイレ・脱衣室の壁を珪藻土で塗る作業を、Dと一緒に完全に終わらせました

ビニールクロスが張ってあった壁のクロスを剥がし、裏紙を出来るだけ取り除き、それから珪藻土を塗りました。

珪藻土1

まだ乾ききっていない珪藻土ですが、

ほら、

先日村田左官さんに伝授していただいた甲斐もあり、

”まぁ〜いいでしょ、自宅だから・・・”と思える出来でした。

高い部分はDがせっせとやってくれました。

脱衣室は色が足らなくなり、2色で仕上げましたが、Dが”変だよォ~、同じ色で塗ろうよ”と言ったのですが、どうしても、一日で終わらせたかったので、

”いいよぉ〜、じゃぁ〜波の模様にするから、Waveね。”

そう言って塗ったのですが、出来上がった壁を見てDが

”やっぱり、変だよぉ〜・・・”と。

”でも材料もないし、もういいの・・・”

でもね、ほら珪藻土3

まあまあでしょ?!

 

 

 

 

 

村田さん、どうですか?ちゃんと終わらせましたよ

珪藻土2

こんな格好で、職人さんみたいに、テキパキテキパキ。

26年過ぎたボロ家も

少しは見れるようになりました。

4月からハワイ大学の留学生を受け入れるので、

ちょっと、綺麗にしたいな

って思っていたので、とにかく終わってホッとしました。

おまけに、17日は20度を越す温かさで、仕事も楽でした。

テーブルの上のスイトピーもすっかり春らしくて、ドレスのフリルのように可愛いく風に揺れていました。

庭花1

汗ばむ日差しの中

庭に出てみたら、

 

 

庭花2庭花4

 

 

 

 

庭花3庭花5

 

 

 

 

庭花6庭花8

 

 

 

 

デイジーや水仙やスノードロップ、そしてパンジーも

嬉しいそうでした。

庭花9サクラ

 

 

 

 

ほら、太陽に向かって花びらを広げて、生きている力をいっぱい、表しています。

ちっちゃな花にも、命を感じます。

春を感じます。

庭花10

門の上に垂れ込んだ枝垂桜は、まだ、蕾さえ膨らんでいませんが、

桜の開花宣言後2週間を過ぎる頃に、毎年

満開になります。

もう直ぐだよ。

そう言っているように、幹や枝から声が聞こえてきそうです。

庭では、鶯の”ホーホケキョ”と鳴く声が響いています。

今年も彼はやってきました。

毎年、私も庭に出て”口笛で”ホーホケキョ”と吹いてみて、彼を驚かせるのですが、

今年は、庭の花見月や白樺や桜に止まるのをそっと見守ろうと思います。

きっと、毎年彼は

”変な鳴き声の奴がいるぞ!、何処にいるんだ?”って思っていると思います。

木の枝に止まって、キョロキョロ見回している彼を見るのは楽しいのですが、

きっと、不安だろうなぁ〜って思うから、

今年はやめておきます。

夜は、満天の星に覆われました。

☆

 

暗闇の中で、青空が見えるのが分りますか?

 

 

月

晴れた夜は、こんなに綺麗に青い空が見えます。

 

人は一生のうちで、何度

空を見上げるのでしょうか?

イギリスにいた時、中国にいた時、

サンフランシスコにいた時、

スペインにいた時、

いろんな空を思いだします。

その時々で見上げた空を心に留めて、私の生きている時間が過ぎて行っています。

 

そして、戦争の中で、この同じ空を見上げている子供達がいて、

悲しみに暮れる母親がいて、

それぞれの人生がこの星空の下にあるんですね。

後どれくらい、私は空を見上げるのかな?

何処で見上げるのかな?

どの国で?

見えない人生を進みながら、人は皆生きているんですね。

貴方は、空を見上げる事がありますか?

さて、最後に

素敵なプレゼント(写真)を贈ります。

南大沢を車で走っていたとき、見かけた結婚式場の夜景は、その街にふさわしくないくらいに明るく輝いていました。

南大沢1

 

 

 

 

南大沢3

 

 

 

 

 

 

南大沢2

あんまり綺麗だったので、

車を止めて、カメラに収めました。

ロンドンやフランスに行ったとき見たような、

そんな建物が、ライトアップされていました。

さてさて、

取り留めのない日記になりましたが、

今日はこの辺で。

 

 

 

 

 

 


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2009年03月04日

映画三昧”7つの贈り物・オーストラリア・チェンジリング”

昨日はお休みだったので、友達と映画を2本観に行きました。

雪が降り出した休日は、映画が一番ですよね。

と言う訳で、観たのは、

ウィル・スミス”7つの贈り物”  7つの贈り物

 

 

 

ニコール・キッドマン”オーストラリア” です。

オーストラリア

 

 

 

先週は”チェンジリング”を観ました。

チェンジリング

 

 

 

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この中で、一番好きだった映画は、

アメリカ警察がメディアを通して市民にでっち上げた情報公開をした実態と警察に異議を唱えたからと言って精神病院へ送り込むという”権力の乱用”や警察の不正に対して市民運動にまで発展した事実に基づいた内容を描いた”チェンジリング”でした。

突然居なくなった息子を必死で探す母親の深い愛と、欺瞞に満ちた警察と闘い勝利すると言う社会的な問題と帰ってこない息子を生涯探し続けると言う悲しい現実に、胸がいっぱいになりました。

さっすがクリント・イーストウッド監督だと思う映画です。

アンジーのマスカラが流れて真っ黒い涙を流すたくさんの場面と、やせ細った彼女の顔や身体は、痛々しくて、

それでも、必死で生きている、

生きなければならない、

生き続けて息子を探し続けなければならない母親の愛に、

涙はとまりませんでした。

その次に好きだった映画は、”7つの贈り物”でした。

ウィル・スミスの”幸せのちから”での演技で、彼の今までにない演技力に心が動いて彼は好きな役者の一人になりましたが、

”7つの贈り物”の予告編を観ていたら、これもきっと涙を誘う映画で、ウィルがこれでもかぁ〜と言うように、優しい人として描かれているのかな?と思っていたので、公開直後は観たいとは思わなかったのですが、

いえいえ、そんな単純な事ではなく、

彼の罪悪感が、自分の命と引き換えに、7人の人たちに新しい人生を与えると言うお話で、

私だったら、

こんなに潔く自分の人生を犠牲にできるのか?と自問することになり、

今も自問し続けているくらい、良い映画でした。

彼の自分の過失に対するお詫びと責任の取り方に、

うぅぅぅんとうなってしまっています。

その透きとおった冷たい清流のような清くて潔い人生の終わらせ方は、私に”死の美学”を突き付けてきます。

こう言う人生の終わり方を、いつかはしたいなと思わせてくれた映画です。

そして最後は、オーストラリアです。

オーストラリアは大作でしたが、ニコール・キッドマンの演技が光り、ヒュー・ジャックマンのナルシストっぽい自己満足気の表情や表現は、ラブシーンでもつい吹き出してしまいました。

かなり陳腐なシーンも多くて、次のシーンはこれね!と読めてしまい、ニコールや少年や彼のおじいさん以外は、光っていませんでした。

ストーリーもアドベンチャーラブロマンス・戦争のシーンと取り留めもなかった気が、時間とともにより明らかになる映画です。・・・私にとってはですから、好きな方にはごめんなさい。

でも、原住民とのハーフの子供や黒人の人たちへの差別的な社会背景は、よく描かれていました。

また、

一つだけ、勇気をもらったのは、ニコールが演じた女性の生き方です。

人生に立ち向かう人としての強さ

愛している人に対しての自分を曲げない女性としての毅然とした強さ

ゆるぎない信念

こんなふうに生きられたら、心は輝き続けて、人生に後悔はないと思えるんじゃないかな・・・

と思いました。

日本のTV番組は、あんまり面白くないから、毎晩DVDを観ていますが、

映画や本は、

違う人の人生を、

一瞬、生きることができ、

感じることができ、

時には、価値観を変えるくらいのものもあり、

”考える”ことをさせてくれて、

心を豊かにしてくれる

私にとってはなくてはならないものです。

 

映画が終わったのは11時5分でした。

映画館の外に出たら、まだ雪が降っていました。

友達を家まで送り、映画から自宅に帰ってきたら夜中の12時近くでした。

雪はさらさら、さらさらと降っていて、

暗く寝静まったご近所の中で、我が家の庭のライトだけが煌々と光っていました。

一つ一つ大きな牡丹雪になって落ちてくる

この美しい雪を留めておこうと、写真を撮りました。

雪1

夜のバージョンにカメラを合わせたのでシャッタースピードが遅くて、手ブレが出てしまい、こんな写真になってしまいました。

 

 

へたくそですね。本当に

 

雪2

でも、庭の木の幹や枝に振りかぶった雪を

貴方に見せたくて、

 

 

yuki 3

映画とは全く関係がないんですが、

みんなが寝静まった真夜中の静寂さと

さらさらと聞こえる白さを共有できたらと思います。

 

 

 

yuki4yuki5

 

 

 

 

 

 

どうやら、明日の夜も雪模様のようです。

雪は、心を綺麗にしてくれるような気がするのは私だけですか?

雪が降るといろんな思いを棄てて、

ただ真っ暗な夜空を見上げて、

ほっぺや髪や肩や身体を、さらさらと真っ白に染めてくれる雪を感じるのが好きです。

毎年、雪が降ると、必ず、そんな思いになり、

一人、庭に出て、

手のひらに雪をのせて、

解けるのを見つめる変な行動をする私です。

昨夜、Dが”これはね、アイルランドより寒いよ”と言いました。

でも、寒くても雪だったら、許せるのは、私だけですか?

映画も雪も、私にとって、心を見つめる時間を与えてくれる大切なものの気がします。

 

 


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2009年03月01日

Dは今またアイルランドへ帰っていますが、明後日の朝、日本に帰国します。

彼は、数年前に二人で行ったリムリックへダブリンから列車で行き、それから、今度は一番下の妹ヌーラの所で、一日彼女の子供達と一緒に過ごしました。

リムリックはご存知の方もいると思いますが、フランク・マコートの自叙伝の”アンジェラの灰”の舞台になった町で、彼が生まれてから少年時代を過ごした所です。

原作は翻訳もありますし、映画にもなっていますので、ぜひご覧になってください。私の大好きな本です。

貧しくて、雨と暗い空ばかりのリムリックへ私達が行った時も、冷たい雨が降り、車を止め、シャノン川にかかる橋を歩いて渡りながら、原作を思い出していました。

リムリックからのDの電話では、リムリック大学のキャンパスの中に、シャノン川が流れていて、川を挟んでリムリックとシャノンの境界があり、橋がここにもあって、すっごく綺麗だよと。

”写真を撮ってね”と頼むと、”カメラを忘れたよぉ〜”と。

それから、ヌーラの家からの電話では、グレースが”は〜い、けいこぉ〜、グレースだよぉ〜”と可愛い声で、お喋り。

私を呼ぶ声も話し方も、本当に可愛くって、彼女の声を聞きながらよだれが出そうでしたぁ

先日帰った時は、Dを間違えて”け〜こ〜、けぃこ〜”と何度も呼んだそうで、Dが”僕は誰?僕はけぃ〜こじゃないよ”と彼女に言ったら”ちらない”と言われてしまったそうで、でもすっごく可愛かったとディビ〜。

久々、ヌーラの長女のBJと電話で話しました。

去年帰った時には、もうすっかり綺麗なティーンエイジャーになっていましたが、今年の九月から大学へ行く予定の彼女は、もう大人です。

初めて出会ったときは、まだ小さくて、弟のマシューは生まれていませんでした。

BJに日本へは来てと誘ったら、友達と夏はスペインに行くから、との事。

電話の向こうからDが”ノ〜ドラッグだって”と、叫んでいましたが、JBは、クスクス笑いながら、”NO~"と。

帰るたびに、BJとマシュ〜、それから弟ショーンの娘タラ、弟ビンの子供達、アナやディラン・・・子供たちはドンドン大きくなって新しい命も生まれ、家族は増えて行きます。

でも、BJとマシューは特別で、いつも帰るたびにしっかり抱き合って、再会を喜んでくれるので、Dにとっても私にとっても、一番付き合いが長い子供達ですし、彼女達に対する思いは、心の中に思い出とともに一杯詰まっています。

時間が止まらずに進んでいる事を、子供達を見るたびに思います。小さな女の子だったBJがもう大学生です。

Skypeで顔を見ながら話したかったのですが、それも出来ずに、またカメラもないので、一年で、更に大人になったBJを見れませんでした。

マシューは友達と出かけていて、お喋りはできませんでしたが、彼も、もう青年に代わっていく年頃です。

今回は、5日で帰国するDですが、Dからの電話で、月日の早さに、なんだか、しみじみしてしまいました。

でも、今回彼は、BMWを借り、ヌーラも運転したそうで、一緒に楽しい一時を過ごしているようでした。

帰るたびにいろいろな車種をレンタルして、楽しんでいるDですが、ちょっと心配している私です。

私の車を2度、かなり酷い状態にぶつけてくれたので、事故だけはしないでと、帰って来るまで心配が膨らみます。

彼がいない間、ここでも雪が降ったことはもう電話で話しましたが、冷たい雨が続いていて、イギリスやアイルランドみたいです。

帰ってきたら、日本の冬は完璧といつも言っているDですから、きっとがっかりすると思います。

私がDと一緒にアイルランドへ帰ったのは去年の3月の終わりごろだったので、もう一年が過ぎようとしています。

BJは大学生です。次はマシューです。

そうやって子供達は未来に向かって進んでいくんです。

私も未来に向かって進んでいかなくっちゃ!

 

 

 

 


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2009年02月26日

先日、仕事帰りに、ブラット・ピット&ケイト・ブランシェット主演のベンジャミン・バトン数奇な人生(The Curious Case of Benjamin Button)を観ました。

 

簡単なストーリーで先が見えてしまう面白さは、あまり感じませんでしたが、この映画に込められたメッセージは大きかったと思いました。

内容は、(本当は書かないほうがいいと思いますが、単純な展開ですから書いても影響はないと思いますので書きますね)

 

80歳の身体で生まれ、母親は彼を出産した際に亡くなり、父親は老人の顔と身体を持つベンジャミンを生まれて直ぐに、老人のケア施設の玄関前の階段に捨ててしまう。

そんな彼を施設で働く黒人の女性は愛情一杯に育てる。

身体は年寄りだが心は子供の彼は、その施設におばあちゃんに会いに来た可愛い女子の子と出会う。

 

そこからベンジャミンの彼女を愛し、愛し続ける人生が始まるのだが、彼は18歳で独立するために施設を出て、漁師として働き始める。

 

そこで出会うボートの船長の生き方に触れ成長していくベンジャミン。数年後、パールハーバーの攻撃を受けて、船長が自分の船を出し戦争に参加することを決め、ベンジャミンも戦争に参加する。ところが、船は攻撃を受け、船長は亡くなり、彼の“死”によって、死というものが、どういうものか?を理解していく。

 

若い身体とそれに見合ったバランスの取れた精神的発達を迎えた青年となった彼は、再び、施設に戻る、そこでまたより美しく成長した彼女に出会い、お互いに惹かれあっていることに気が付き愛し合う日々を重ねる。

ベンジャミンにとっては、子供の頃からあこがれていた彼女との夢のような愛の日々を過ごし、幸せで満たされていた。

 

が、ある日彼女は、自分のダンサーとしての未来の為に、彼を捨て出て行く。

 

数年後、ダンサーとして成功を手に入れた彼女の公演先に、突然会いに行ったベンジャミンは、彼女に冷たくあしらわれる。

 

彼女は自分の成功を手に入れることに夢中で、彼との事はもう過去の事として葬り去っていた。恋人と一緒にタクシーに乗り彼を置いていってしまう彼女を見送りながら、彼は心の中で、別れを告げる。

 

その数年後、フランス公演に来ていた彼女が、ある日車にはねられて足を怪我して入院する。

そこへベンジャミンは、彼女をケアするために現れるが、もう踊れなくなった彼女は、彼に八つ当たりをし、彼を追い帰す。

 

それから十数年が過ぎ、

彼女はダンス教室を開き、夫とローティーンに成長した一人娘と、普通の母親として暮らしているところへ、ベンジャミンは突然、彼女に会いに行く。

 

ベンジャミンは、更に若返り、すっかり中年になった彼女を愛しそうに抱きしめるが、彼女は“こんなに歳を取った私を・・・・”と呟く。

 

ブラピの肌の艶や張り詰めた皮膚はCGだそうですが、美しかったです。

そして、彼女の歳を重ねてきた顔には、しわが刻まれていましたが、魅力的な中年の女性になっていて、きっと、こう言う感じに彼女は歳を重ねるんだろうなとすごく現実的な感じがしました。

自分の人生を選び取り、生きてきた強さがにじみ出ていて、80年代にこう言う生き方を選んだ女性は、現代の女性そのものだと思いました。

 

彼は、家庭を築いている彼女の前から、静かに姿を消し、3,4歳の子供の戻ったところで育った施設に戻る。

 

 

それから、老人になった彼女が、彼が育った施設で老後を過ごし、赤ちゃんに戻っていく、アルツハイマーになった彼の最後を看取ると言うストーリーですが、

 

この映画を単純に話すと、彼女はベンジャミンを愛しているけど、男性のように野心に燃え、戦いながら成功を手にし、事故による挫折し、落ち着いた生活を手に入れ、愛し続けてくれたベンジャミンと出会った施設で彼の最後を看取るということですが、

 

ベンジャミンが生涯をかけてたった一人の女性を愛し続けた物語としても作られていて、それは女性が望んでいる理想の愛され方で、たった一人の人にそういうふうに愛されたいという形があると思いました。

 

数人の知り合いに観た感想を聞くと、何かすっきりしない感じがしたとの事でした。

 

あんなに愛してくれたベンジャミンなのに、女性の我がままさが不愉快だったと言った意見もありましたが、

 

私は、純粋な愛は、きっとベンジャミンの中で、昇華し、彼の人生を満たしていたと思いました。

 

彼女も、本当の愛の重さと純粋さを彼の中に見出したから、彼の最後を看取ったんだと思いました。

 

だから、観終わった後は、そんなに見えなかったいろいろなメッセージが、時間が過ぎる中で、じんわり伝わってきた、良い映画でした。

 

ある説によると、男性は一人の人を愛せるのは、精々3年から5年だと動物学的・生物学的な分析があるらしいのですが、

またある男性が同じ事を言っていましたし、彼は自分の寂しさを埋める為に、目の前の女性で埋めたと言っていましたが、そうではない男性にもいますから、きっとそれは人によるのだと思います。

 

以前、ロシアで第二次世界大戦後、捕虜になった日本人の男性が、日本にいる奥さんと子供を思いながら、捕虜解放後、ロシア人の女性を愛して人生を作っったのですが、

やはり、日本の奥さんと子供の事が忘れられずにいたある日、日本の奥さんが彼を探している事を知り、また夫の帰りを持ち続けている事をしり、日本へ帰ると言う実際にあったお話が、本とTVドラマになり放映されていましたが、その奥さんの純粋で、ひたむきな愛こそ、本物だと思いました。

 

女で一つで子供を育て苦しくても、寂しくても待ち続けた奥さんの姿はベンジャミンに通じるものがあると思いました。

ロシア人の奥さんは、彼の幸せの為に、彼が日本に帰ることを、彼の幸せと日本の奥さんと子供の事を思い、”貴方の人生に入ったのは私ですから、日本へ帰ってください”と、言い、泣きながら別れるのですが、どちらにしても、この二人の女性の生き方には、本物の純粋な愛があると思いました。

 

その本を読んだ事を思いだしましたね。この映画の後。

 

でも、アカデミー賞には、ちょっと足らない感じした。

 

次は、”チェンジリング”をご紹介したいです。

 


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2009年02月19日

17日に佐渡ケ嶽部屋の琴欧洲の取材に行きました。

松戸市にあるので、2時間ぐらかかって、やっと着きました。

もうすでにぶつかり稽古をしていて、緊張で力士達の顔は、皆張り詰めていました。

琴欧州&琴光喜大関琴欧洲と大関琴光喜のぶつかり稽古です。

頭と頭、肩と肩がガッツンとぶつかる音が静かな土俵部屋に響き、身体がぶつかるたびに赤く染まっていきました。

真っ赤な顔しながら土俵の際で倒されたりするその様を見ていたら、私の体も緊張で強張り、時にはどきっとして、一瞬身体が飛び跳ねたりしちゃいました。

koto時には琴欧洲が後輩に”そうじゃないだろ、左の足を前に出して、こうやって・・・”と見本を見せて指導していました。

 

 

 

 

股割り

一通りぶつかり稽古が終わると整理体操のように、股割りをみんなで声を掛けながら行っていました。

身体が硬くて全然前にいけない新入りさんにも、琴欧洲が笑いながら助言していました。

彼の優しさがにじみ出ていました。

歌5訓

その後、校歌のような部屋の歌をみんなで歌い、5訓を唱えました。

 

 

5訓5訓とは、

1、はいと言う素直な心

1、すみませんと言う反省の心

1、おかげさまでと言う謙虚な心

1、私がしますと言う奉仕の心

1、有難うという感謝の心

です。

唱えながら確認していました。

ちなみに琴欧洲は、この意味と歌の意味が分ったのは入門2年が過ぎたときだそうです。それまで何を言っているのか全く分らなかったそうです。

掃除

それから番付けの低い力士達が土俵の掃除をし、水を撒いて、土俵を後にしました。

 

 

 

 

 

親方&琴光喜

親方と琴光喜が稽古後、何かを話していました。

琴光喜の緊張が伝わってきました。

 

 

 

 

手形

後援会の人たちに上げる手形をおおきな和紙に5人の力士がつけ、100枚くらいある和紙を一人がリズミカルにめくりながら、取り終ったら、

手形をとっていた力士が琴金丈(23歳)の胸にも、手形をつけたので、カメラを向けると、お茶目な彼はニコッと笑って、同行したカメラマンやDのカメラにも、嬉しそうに収まってくれました。

黒縁の眼鏡の力士もはじめて見ましたぁ。

 

おっぱい

更にお茶目な力士琴渡辺は、私達の方へ、この胸を見せつけながら、近寄ってきたので、パチリ。

右と左の乳首にかかれた顔の表情を観てください。

面白いでしょ!?彼は18歳です。

髪結い

お稽古が終わってお風呂に入ってから、髪結いです。

始めに琴欧洲、次に琴光喜が髪を結ってもらい、その後、順番に結って貰っていました。

ぐいぐい引っ張られて、髪が抜けるんじゃないかと思えるくらい、引っ張りあげてから結い上げていました。

 

 

笑顔琴欧洲の取材開始です。

取材慣れした感じでしたが、始めはちょっとだけ緊張した様子でした。

Dの質問も、今回はストレートで、

相撲界のベッカムと言われていますが、それはどんな感じですか?

”どうして、ベッカムなのか分らない。日本人は比べるの好きだね。自分は自分だから”と、ちょっと憮然とした様子でした。

私が”ベッカムも琴欧洲もハンサムだから、そう言われているんです”と付け加えると、”ハンサム言われると嬉しいね、そっちのほうがいいね”と。

なるほど、なるほどですね。

 

入門後、差別されたか?

”差別は何処へ行ってもあるでしょ”と。

いじめはあったか?

オフレコにしてとの事だったので、ここへは書けませんが、”自分はあまりされなかったけど、ある力士は・・・・びっくりしたよ〜と。

マリファナは?

”家の部屋は、特に厳しいからね。そんなもの見たこともないし、やる人の気持ちが分らないよ”と。

ガールフレンドは?

ニコニコと笑顔がこぼれてしまった琴欧洲、かなりの間があり”う〜〜んノーコメントだね”と。

Dと私は、”いるいる”と顔を見合わせ、また彼を見たら、また笑顔。

うん!間違いなし

今の相撲界で一番強いのは朝青龍でしょ?

”朝青龍が一番じゃないでしょ、5回連勝している白鵬翔もいるし・・・”と。

空き時間は何するの?

”都心まで行くだけで一時間かかるし、帰るにも1時間かかるし、休み時間は3時間だから、何処へも行かないよ。この辺には何もないからゲームしたり、本を読んだり”と。

そうです。この部屋の周りにはコンビニさえなくて、普通の住宅街と畑があるだけなんです。

駅に降り立ったとき、タクシー乗り場があるだけで、店の一つもなかったので、驚きました。

琴&kそれから、私の質問は、朝青龍は苦手ですか?特に緊張しますか?と尋ねました。

”誰と組んでもいつも緊張するよ。朝青龍だからってことはないね”と。

納豆がまだ嫌いか?とか、本は日本語のものを読むのか?とか、尋ねたら、彼は苦笑いしながら”本はリラックスするために読むのに、日本語を読んだらもっとストレスになるよ”と。・・・ごもっともです。

204cm145kgの彼と並んで彼を見上げたら、顎の下しか見えませんでした。

Dが琴欧洲に私を抱き上げて?と言うと、琴欧洲が”ごめんね、3歳までなの。4歳ですか?”

と穏やかに笑いながら私を見下ろしたので、思わず、

”ハイ!4歳です!”と答えてしまった私ですが、

彼が”あぁぁぁ、じゃ4歳は無理です”と。

噴出しちゃいました。

でも、素敵な思い出になりました。

琴負けず嫌いのDも、彼の燐りに立ったら、自分の小ささに、ちょっとジェラシー。だから目一杯背伸びをして、つま先立ち。185cmのDだってかなり大きいですが204cmの彼の横に立つと、小さく見えました。

ほ〜らね、こんな感じ。

優しい琴欧洲は、ちょっと下を向いて身体が小さくなるように心配りをしてくれました。

 

 

ハンサムB

ハンサムで優しい25歳の琴欧洲は、もうじき26歳になるそうです。

大体息子と同じ歳です。

笑った顔が、可愛くて、子供のころの彼の顔を直ぐ想像できます。

子供のころの顔をそのまま大人にしたような、人懐っこい柔らかな表情で、目がキラキラしていました。

 

相撲界のしきたりやこの相撲の世界は我慢だけだよ、でも日本が好きと言った彼は、引退後は?と言う私の質問に、”まだ引退の事より、これからの場所をやるだけ”と。でも引退した後は親方になる事もあるよと。そういう道も考えられると言いました。

それから日本の母親たちをちょっと批判

”日本のお母さんは子供に何もしなく言いって言うけど、だからハングリー精神がないよ、みんな。上を目指す気持ちがないと何もできない”と。

それを聞きながら、やっぱり勝負の世界で生きているんだなと思いました。

ハングリー精神を持ちながら育ち、日本に来て、大関までにのし上がった事の隠れた苦労や努力が言葉の端端に感じられました。

でも、その言葉と裏腹に、柔らかい笑顔がとっても印象的な琴欧洲でした。

 

 

 

 

 


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2009年02月12日

先週末、息子のKaiが帰ってきました。

水曜日から金曜日まで研修が横浜であったとのことで、金曜の夜、駅前で待ち合わせたら、かなりお疲れモード。

3日間の研修でへとへとに疲れきった若い戦士のようでした。

車に乗ると大きなため息を付きながら”あぁぁぁぁ〜疲れたぁ〜”と、まず一言。

”ホント、へとへとって感じだね。でも今日から2日間休みでしょ、エネルギーを蓄えられるでしょ?”

”そうだね。”

と、それから、サバイバルな子カ〜リ〜を待って、3人で焼肉を食べに

Dは、焼肉を食べないので、いつもKaiが帰宅したときだけなので、久しぶりです。

そんな、焼肉にウキウキ、

そしてKaiが帰ってきたことでニコニコ、

更にカ〜リ〜も来た事でヘラヘラ。

Kaiとカ〜リ〜は、初対面でしたが、Kai曰く、自然体の子だね、け〜こが好きなタイプだね、ぶりっ子じゃなくてと。

更に、

娘と息子

”け〜こは、娘が欲しかったんだから、良かったね。娘が出来て”と。

そうです。私は娘が欲しく、Kaiがお腹にいるときには、詩麻(しま)ちゃんと上の子と一緒に、呼んでいたんです。

それが8ヶ月のときに、医者から”詩麻ちゃん?あぁぁぁあ、お母さん、ここに突起物があるからね・・・・”と言われ、

男の子と判明。それ以来、女の子が欲しいとず〜〜〜〜っと思っていました。

だから、カ〜リ〜に出会えたこと、お喋りすること、今、楽しんでいます。

女性の生き方は、まだまだ難しい時代だと感じることがあります。だから、本音で、いろんな事をお喋りできる年齢の離れた友達も、いいもんだなと思います。

23歳になったばかりのカ〜リ〜ですが、私達、自分が傷ついても人を許す立場で、人と向かい合いたいと思うところが似ています。でも、彼女は一人っ子で育ったからか、一人の強さを持っていて、ワイルドで、私とは全く違っていて、私も見習わなくっちゃとも思います。

Kaiは細かなことにも気を配れる子で、抜けている私を、時々親のようにお世話してくれます。

Kaiとカ〜リ〜は全く性格も生き方も違いますが、それぞれにどんな人生を歩んでいくか、楽しみです。

土曜日の夜はKaiが、”最近二人でのんびり、ゆっくりいろいろ話してないから話そうね”と言ってくれていたのに、

私は、疲れて、KaiとDVDを観ながらウトウト、ホント、疲れたサラリーマン、そのものでした。

でも、焼肉はKaiのおごりでしたから、土曜の夜は、リトルツリーでいつものコースをご馳走し、ペチャクチャお喋りをしました。

息子と、仕事のこと、未来のこと、旅行のこと、考え方について、といろいろなテーマで話す事は楽しく、いつの間にか、そんなに大人になったんだなぁ〜と思います。私より、ず〜〜〜と大人だなって思う考え方に、時々驚かされます。

 

翌朝は、いつものように、駅まで送って行き、抱きしめあって、

”じゃぁ〜またね。行って来ます”

”Kaiくん、じゃぁ〜ね”と。

横断歩道を渡る彼の後姿を見ると、切なくなりますが、

それと同時に、”頑張ってるね!誇りに思うよ”と、嬉しさもあり、母としてはちょっと複雑です。

でも、カ〜リ〜もKaiも素敵な人生を歩んでくれたらいいなぁ〜っと、思います。

 


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2009年02月05日

夫Davyは、今アイルランドです。

"ロンドンに着いたよ"と朝方電話があったのは、もう一週間前です。インフルエンザでタミフルを飲みながら、の出発でした。

それから「マンチェスターエアポートに着いたよ」と、電話があり、

「相変わらず暗くて、寒いよ。これからバスでリバプールに向かうね」

マンチェスターエアポートは、私たち二人のたくさんの思い出が詰まった空港です。

私が、日本とリバプールを年5,6回行き来していた時、何度も泣きながら別れた空港です。

そして、出迎えたDavyと、何度も抱きしめあった空港です。

そんな思い出を思い出しながら、暗くて冷たい風の吹き付けるマンチェスターの空を思い出しました。

そして、リバプールで持ち家のチェックや管理会社への訪問等を済ませ、アイルランドへ。

ダブリンで数日過ごし、「すっごい雪が降っているよ。風も強いし暗い空ばかりで、さっすがアイルランドって感じだよ」と。

それから、妹ヌーラの住むカーバンへ。昨年の12月に生まれたアーロンに会いに行きました。

「すっごく可愛いよ。写真を撮ったからね」

それから、アーロンのお姉ちゃんのデジーが電話で「ハイ、け〜こ、私には弟のアーロンがいるよ〜」と。彼女はまだ3歳。それから犬のことも弟と言ったので、”犬でしょ”と電話の向こうでDavyの声が。

出来たての弟にちょっとやきもち焼いたり、可愛がったり。

可愛い声で、お喋りしてくれるデジーの顔を思い出しました。

子供達に用意したキティーちゃんのお箸やスプーンやスリッパをとっても気に入ってくれたとの事。・・・良かった

それから、ナーバンの弟ショーン夫妻とお父さんに会いに

冷たい雨と立っているのもやっとの強い風と、暗い空。

それからまたダブリン戻ってきたと一昨晩、時々咳き込みながら話すD。

「毎日、酷い天気で、け〜こは住めないよ〜」と。

中国でも、彼は「け〜こは住めないかも?汚いから」と言っていたけど、毎朝、ブリーチで床掃除をして、肝炎予防をしたり、学生達と深い交流を持ったり、結局順応したのは、私のほうだったのに。

でも、出発前、体重が10k近く落ちた彼。

主食の「ジャガイモをタップリ食べて、少し太ってね」と言うと、ちゃんと食べているし、少し太ったかな?と。

2月の2週目にはリスボンで行われる会議に出席して、帰国します。

その後は11月、12月に連絡し、1月に最終確認して受けてもらいことになった琴欧州の取材が待っています。

彼に会うのをちょっと楽しみにしている私です。お相撲さんに会うのは子供の頃以来です。

 

と言うことで、

体調を崩し体重も減った(良いダイエット?)私のことを含めて、

「でぃび〜ちゃんは元気?」といろいろな方に、いろいろなご心配をお掛けしていますが、

少しずつ、元気に向かっています。

 


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2009年02月02日

友達と、仕事帰りのmovixへ行く途中、007とマンマ・ミーア、どっちにしよう?と、話し合った結果、

私達に合っているのは、マンマ・ミーアでしょぉと即決定

お腹がぺこぺこな私達は、

映画が始まる前に、お食事、お食事と、

和食のレストランヘ、いそいそ、早歩き。

レストランで、まず彼女が頼んだのはグレープフルーツサワー。そして私はグラスワインをと。

「えっ、マック〜眠っちゃうんじゃないのぉ〜」と、空かさず突っ込まれ、

「へへへ、そうね、そうね、じゃぁ〜ワインじゃなくて、同じものを、お願いします」と。

そこらから、一口飲んでは、へらへら、へらへら

二人とも笑い上戸なんです。

どうでも良いようなことに、くすくす、くすくす、

「こんなに少ないアルコールで、こんなに楽しくなっちゃうんだから、私達って、安上がりでよね」、なんて言っては、また、コロコロ、コロコロ

ガラス張りの窓際で、

「外から見たら、きっと私達って、動物園の動物みたいに見えるんじゃないの?、みんな、見ながら通っているぅ〜、ほ〜らね」と、目を大きく開けて彼女を見ると、

「動物え〜〜〜ん?、・・・・・・そうかもぉ〜」と、訳もなくまたクスクス。

そして、映画が始まる前に、飲み物を買おうと、シネマのドリンクスタンドへ。

私達の前の人がスムージーを頼んだので、スタンドのスタッフがテキパキテキパキ動き、スムージを作る機械のスイッチ・オン

すると、グワン グワン グワン グワンと、ものすごい音がシネマのホールに響き、

思わず、私は、立ったまま頭をグワングワンとつられて動かしたくなっちゃって、

キョロキョロ後ろを振り変えると、暗い顔をして立っている女性が、直ぐ後ろにいました。

だから、友達に「あっ、頭が廻っちゃう〜・・・つられちゃう〜〜〜〜」と言いながら、足をそろえて、頭だけをぐるんぐるんと回してみせると、

彼女も

ぐるんぐるんと頭を回しだし「つられちゃう〜〜」と。

二人でスムージーの機械が廻る音にあわせて、頭をぐるんぐるんと回しながら、

ケラケラ、ケラケラ。

映画が始める前に、もうちょっぴり、疲れちゃいました。

後ろを振り返ると、さっきの女性は、暗い顔で、変わらずに立ち尽くしていました。・・・・無力かぁ〜。。。。。

と言う事で、(?

今日はマンマ・ミーアのご紹介をしようと思っただけなのに、

前が長くて、すみません。

でも、そんな乗りで観たミュージカル:マンマ・ミーアは、ついつい

一緒に踊りだしたくなってしまう、

歌いだしたくなってしまう映画で、時には笑い、時には母の娘を思う気持ちにウルウル泣きました。

そ・し・て、ABBAを好きな人だったら、きっと、もっと、もっと楽しいのかも?

館内は、時々笑い声が遠慮もなく響き、私たちも遠慮せず、声を出して笑ってしまいました。

シングルマザーと娘とのお話ですが、それに、娘の父親と思われる3人の男性との再会と、最後はハリウッド映画らしいハッピーエンドで、人生のパートナーと結ばれ、娘は広い世界に飛び出していくと言うお話です。

ABBAの歌の歌詞が翻訳されていて、「この曲って、こんな内容だったの?」と驚くようなものや、これもABBAの曲なんだぁ〜と思ったり。・・・(知らないのは私だけ?かも。。。)

テンポも速く、眠気もなく、

最後まで観て、

帰りは、二人で、ルンルン

心が軽くなるハッピーエンドは、

メリル・ストリープが、映画の中で結ばれる元007俳優ピアーズ・ブロスナンのへたくそな歌声と共に、

私達に、未来は楽しい事が待っているからねと、・・・楽しかったでしょ!と

単純に、

伝わってきました。

映画館を出るとき、

「あぁぁぁぁ面白かったね」と

思わず顔を見合わせた二人でしたぁ。

<a href="http://movie.goo.ne.jp/contents/movies/MOVCSTD13222/index.html" title="マンマ・ミーア! - goo 映画" target="_blank">マンマ・ミーア! - goo 映画</a><br>

 

 

 


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2009年01月31日

最近観て良かったと思ったDVDは”悲しみが乾くまで”:ハル・ベリー主演です。

突然の夫の死で、どうやって生きて行っていいか、分らなくなってしまう一人の若い母親の再生を描いたものです。

いなくなった夫に触れたい、つながりたい、と言う思いから、ドラッグに溺れる夫の友達を、家の離れに招きいれ、ドラッグからの立ち直りを援助しながら、時には彼を憎み、時には彼に救われ、子供達と共に夫の死を受け入れていくストーリーです。

でも、陳腐にならない結末で、ハル・ベリーの目で表現する孤独感や悲しみが突き刺さるように伝わってきて、すごい役者さんだと思います。

ちなみにドラッグに溺れる友達は、現在公開中の”チェ28歳の革命””チェ39歳 別れの手紙”の主人公を演じたベニチオ・デル・トロです。

そう言えば、

MOVIXで先日”チェ28歳の革命”を観ましたが、

実を言うと、途中で、コックリ・コックリ。

おぉぉぉぉっといけない!と思い最後はしっかり観ましたが、そこまで引き込まれるタイプの映画ではなかったのかな?と。。。。。

また、一昨日の夜は、"Dinner with friends"ディナー ウズ フレンドを観ました。

夫同士、妻同士が友達の2組の夫婦は、独身時代からの友達で、それぞれが結婚し子供が生まれ、お互いに深い交流を持ちながら、一つの家族のように子供同士も育っていく。

ある日、いつものように、食事に友達家族を招待する。

ところが、招いた友達の夫は、出張で来れないと言っていた友達が、突然泣き出し、”夫は若い女と浮気をして、突然離婚すると言い出し出て行った”と泣き崩れる。

 

とっても仲が良かった2組の夫婦と、それぞれ4人の関係に変化が現れ、今まで見えなかった物が、4人の関係の中に見え始める。

人生を一緒に重ねてきたと思っていた価値観が壊れた2組の夫婦。

全く違う顔を見せる離婚を選んだ元夫婦。

もう一組の夫婦も、倦怠期を迎えている自分達の関係に不安が膨らむ。

しかし、

そんな中で、夫婦で話し合うことを選んだ夫婦。

新しいおもちゃを選ぶように、新しい女性を選んだ友達を、

「積み上げたブロックを完成したからといって、一気に壊し、また新しく積み上げる遊びを繰り返す子供のようなで許せないと思った」と妻に話す夫。

愛を育てるとはこう言うことで、

愛を育てられる人とは、

こう言う人で、

夫婦の交わす習慣の中で、お互いを見つめながら大切に思う関係を築きながら、日々を重ねていく道を選んだ夫婦の

柔らかな結末に、

これが本物の愛だと思った。

”言葉で愛している”と言うことより、お互いの心を大切にすると言うことや相手を思いやる事は、

当たり前だが、

難しくて、

でも、

いつも、妻に何かが足りない、何かが足りないと思い、新しい女性との人生を選んだ男性は、

きっと、自分を一番優先したい人で、

何時までも、心の隙間を生めることが出来ないと思った。

 

そんなことをしみじみ思わせてくれる映画だった。

今夜は、Movixに友達と行く約束をしています。

マンマ・ミーアを観ようかな?なんて話しています。

 

 

 

 

 

 


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2009年01月23日

彼女は22歳、もう直ぐ大学卒業で23歳になるそうです。

ひょんな出会いがあり、今週の火、水のお休みには、家に泊まりに来て、一緒に城山へ登りました。

彼女は一年間を、オーストラリアでワークホリデーをして過ごしたそうで、

でも、どんな風に過ごしたか?

その一つの経験を聞いて、ビックリ

 

ある日、オージーのボーイフレンドとオーストラリアの近くにあるちっちゃな、ちっちゃな島で待ち合わせをしたので、先に行って待っていたそうなんです。

道路もない、車もない、一軒のゲストハウスとホテルがある本当にちっちゃな島で、です。

船が着いて、海岸で待っていた彼女。

やがて日が暮れだし、たった一人ぼっち。

行くよって約束したボーイフレンドは、暗くなっても来ない。

どうしよう・・・お金もない・・・知り合いもいない・・・・

海岸に、ただ、ただ、立ち尽くしていたそうです。

やがて尿意をもよおし、茂みの中へ。

そして再び海岸へ出てきたときに、

見上げた夜空には、真っ暗な中に、満天の星が輝いていたそうです。

その大きく輝く星やちっちゃな星に埋め尽くされた夜空を見上げて・・・・

”えっ!・・・あたしやっていけるかも?・・・・”

と、思ったそうなんです。

これだけ聞いても、すっごいとしか言いようがないでしょ

それから、ホテルの人に助けを求めるわけでもなく、一人テント暮らしを始めたそうなんです。

そ・れ・も・3ヶ月も

食べるものがなくて、ココナッツを割って食べていたそうです。

でも、やがてゲストハウスのクリーニングやココナッツを割って、旅行客に振舞ったりする仕事を時々ゲットして、生きつないだそうです。

また、ある時は、

一人で途方に暮れていたら、老人が声を掛けてくれて、老人が持っている船で一緒に暮らしたりしたそうです。

すごい・・・尊敬しちゃう

私には、絶対、絶対、できない 事です。

彼女の生きる力とその行動力に、・・・・・  脱帽です。

 

そして、お休みの日に、Kaiくんから”今ね、ラジオでケ~コの好きな竹内マリアの曲が流れていたから、電話してみた〜”と、電話があり、

彼に、彼女のことを話し、

二人ですっごい子だねぇ〜と、二人で感心しまくりました。

そして、そうやって電話をくれたKaiくんにも感謝です。

いつも気にかけてくれてありがとね

そして、

 

暗い夜が嫌いで、怖がりの私にとっては、

彼女の生きる力を貰わなくっちゃ、ね  と、思います。

 

 

 


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2009年01月22日

一昨日と昨日、今日と、もう3日間も暗い日が続いていますね。

寒さもぐんと増してきて、庭の枝垂桜が震えているようです。

 

こんなに暗い日が続いていると、アイルランドの暗い空を思いだします。

ディビ〜のお父さんは、北アイルランド(イギリス)と南アイルランドの国境線の近くにあるちっちゃな町、Clones(クローネス)に、一人で住んでいます。

アイルランドに帰るたびに、必ず泊まりに行くのですが、弟ビンの結婚式に出席する為に帰った数年前も、

いつものようにお父さん:Ollie(オリー)の町クローネスで、一晩過ごしました。

オリーの家は、クローネスの町の中心の広場から4方に下る坂道のレナード(だったかな?)と言うホテルを背に右の道を下り、左に曲がり、また坂道を登って行った住宅が並んだ行き止まりの道の奥から5,6件手前にあります。

住宅のスタイルは、デタッチドハウスと言って、それぞれの家が1棟の建物の中並んでいて、それは5,6軒から20軒ぐらいの場合もあり、それ以上の家が含まれている場合もあります。

それらは同じ間取りで同じように前庭があります。

でも、それぞれの家は違う色で外壁を塗ったり、屋根や窓枠の色や玄関ドアが違っていたり、窓から見えるカーテンのデザインや色も違います。

オリーの家の前庭には、芝が植えてあるだけで、小さくて低いアイアンの門扉を開けてそのまま、真っ直ぐに進むと玄関ドアです。

茶色の無垢の玄関ドアは、13年前に初めて訪れたときから、何度か塗り替えられていますが、オリーがいつも手入れをしていることが、何時行っても分ります。

玄関ドアを開けると左側がキッチン・ダイニング、右側がリビングになっていて、2階には3ベッドルームがあります。

玄関ホールには、初めて訪れたときにプレゼントした、私が書いた水仙の絵と短歌が飾られています。

冬の寒い日、オリーはチャコットを暖炉に入れて部屋を暖めています。

結婚式の数日前のあの日もオリーの家へ泊まりました。

ダブリンから車を走らせて2時間半から3時間はかかる彼の家。

そして、夜はいつも必ず皆が集まると行く、町の中心にあるホテル&パブへ飲みに行きました。

その帰省に同行した友達のMも一緒でした。

そして翌朝は、結婚式に出席のために、またダブリンへ帰る日でした。

出発のために、玄関ドアを開けると、目が開けられないくらい空気がキラキラ輝いて、その向こうには深い青い空が広がっていました。

下に見える公園の赤や黄色や青の遊具も、町の外れの丘に聳え立っている教会も、見下ろすクローネスの町も、ちっちゃな、ちっちゃなダイヤモンドの粒が太陽に反射したように、

キラキラ、キラキラ

輝いていました。

空気はシーンと凍っているのに、太陽の陽の光の温かさで、

柔らかく感じるほどでした。

輝いている空気の一粒一粒を、目に、頬に感じ、手のひらで掴みたくて、両腕を広げ、手のひらを空に向けてみました。

手のひらなんかには乗らないんです。

ただただ、きらきら輝いていて、

・・・・・・

知らないうちに涙が溢れていました。

こんなに、輝いている空気を、生まれて初めて見たんです。

だから、

”ディビ〜、これ、何?”と、

後から荷物を車に積もうと出てきた彼に聞きました。

すると彼が、

”えっ!どうして泣いてるの け〜こ?”と、涙が溢れている私を抱きしめました。

”だって、ディビ〜・・・こんなに綺麗な景色を見たことがないの。見て、これ、見てあの空。見て、こんなに輝いてる、・・・・・・この光は、・・・・何んなの?”

 

”空気が凍っているんだよぅ〜・・・・それで泣いてるの君?”

そう言って、笑ったディビ〜。

友達のMも、なんだろうと?と思っていたと思います。

でも、それがダイヤモンドダストだって、

後から知りました。

いつも行くクローネスは曇っていて、暗い空に覆われていました。

だから、今日みたいな日は、

あの日の

ダイヤモンドのように輝いたクローネスを思いだします。

 

 

 

 

 

 


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2000年にイギリスから帰国後、建築デザイナーとして仕事をし、健康にこだわったデザイン性豊かな家創りに挑戦し続けている私Keikoが一人の時間の中で生きること・愛・仕事について、つぶやく独り言のページ開設です。

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