2018年07月09日

埋葬式での珍しい出来事

今日は、私たちの教会のY兄の埋葬式がありました。

場所は、おとといメモリアル・サービスが行われたヌアヌ・メモリアル・パークに隣接した、ホノルル・メモリアル・パークでした。

メモリアルパークの構内に足を踏み入れて、いや、車を乗り入れて、びっくり。日本式のお墓ばかりが並んでいます。(写真は、クリスチャンの方のお墓でしょうか。墓石に「神わ愛なり」と彫られています。)
DSCN2048

そして奥には三重の塔が!お寺だそうです。(写真)DSCN2047

さて、遺族がそろい、式が始まりました。聖書を1カ所読んでから、骨壺(urnと呼びます)に手を置いて、祈ります。祈りが終わったら、係の方が、骨壺をお墓に納める手はずになっていたのですが...あれ、なんか様子が変。

私が祈っている間、ご家族の方が、骨壺に彫られている名前が、Y兄のものではないことに気づいたのでした!Y兄の(もののはずの)遺灰の納められた骨壺は、葬儀屋さんがお墓のところに持参されたのですが、別人のものを持ってきて、Y家の墓石に載せてあったのでした。それにしても、よくぞ気がついてくださいました。このまま、別人の骨壺を中に納めてしまっていたら???

この出来事があり、少しばかり緊張した雰囲気の中で始まった埋葬式が、一気に和みました。「Y兄が、最後に笑わせてくれたのね」なんて家族の一人が言われたので、みんなで「そうだ、そうだ」と。

さてそこで私たちは、少し不安になったのです。「もしかしたら、Y兄の骨壺は、すでに別人のお墓に納められてしまっているのではないか」と。

しかし、葬儀屋さんが、もう一つの骨壺をもって現れ、そこには確かにY兄の名前が刻まれているのを見て、皆、安堵しました。

「それじゃあ、式は、どこからやり直しましょうか?」というざっくばらんな相談をした結果、「聖書の朗読は、もうみんな聞いたから、お祈りからもう一度しましょう」ということになり、そこからやり直し。

たとえ...骨壺を間違えたとしても、イエス様を信じていたY兄が、天国に直行されたことに間違いはありません。いつか、天国でY兄に再会した時、このときの思い出を話し合って、きっと大笑いになることでしょう。

それにしても、忘れようにも、忘れられない埋葬式になりました...。


keikopearl at 20:06|PermalinkComments(0)

2017年12月17日

ランディ・ホンゴー先生、天国に引っ越し

午後、オフィスで週報の原稿を作っていると、電話がかかってきました。「ランディ・ホンゴーが今朝、天に召された...」という知らせを聞いて、「えっっっ」と大声を出してしまいました。

ランディ&ゲイ・ホンゴー(The Hongos)は、ハワイでは有名なクリスチャン・アーティスト。ランディさんのピアノに合わせて二人が奏でるハーモニーは、天国を思わせるものがありました。いつも愛(Aloha)にあふれ、賛美と感謝とユーモアにあふれていた「ミスター・アロハ」ランディさんが、天に引っ越してしまわれたというニュースはあまりに急でした。

ランディさんは、2011年に多発性骨髄腫という血液のガンと診断されました。キモ・セラピーを受けた後、2012年7月に幹細胞移植を受けられ、2014年の11月には、癌は寛解しているという診断を受けられていました。しかし、ガンの治療を受けている間に、腎臓がダメージを受け、人工透析を受けておられたのです。また、2014年の6月には心筋梗塞にもなられましたが、ゲイさんと共に主を賛美する奉仕を続けておられたのです。

Hongos スペシャル礼拝

写真は、2016年11月6日、私たちの教会でのスペシャル・セレブレーション礼拝でご奉仕くださるときのものです。この日は、パールシティの教会の日本語部に専任牧師を迎えて20周年を祝う礼拝がもたれました。The Hongosが賛美をされ、私たちの教会の賛美フラ・チーム(The Heavenly Pearls)がランディさんとゲイさんの歌声に合わせて踊られました。同じ日に、私たちはワイキキでの日本語礼拝をスタートしたのです。いつかワイキキでの日本語礼拝にもランディさん&ゲイさんをお迎えしたいと考えていた矢先の出来事でした。

私がThe Hongosに初めて出会ったのは、1994年秋、カンザスのセントラルバプテスト神学校のチャペルでした。その直前の夏に初めてハワイに行き、カピオラニ病院でチャプレンの実習を1ユニットだけしたところでした。カンザスに戻って、神学校最後の1年が始まったばかりの頃、神学校のチャペルアワー(学内礼拝)の案内が掲示板に貼ってあり、その日の音楽ゲストがThe Hongosとなっていました。まさかこれが、「本郷さんご夫婦」だとは思いもせず、チャペルに入っていくと、そこにランディさんとゲイさんが。お二人も、まさかカンザスの神学校で日本人に会うとは予想しておられなかったようで、「おっ」と思われたそうです。

はじめて聞くthe Hongosのまさに天国のハーモニー。そこには訪ねたばかりのハワイの香りがプンプンと漂っていて、私をHawaii-sickにしたのです。まさにthe Hongosの賛美音楽が、私をハワイに引き戻したと言ってもいいくらいです。

私をハワイに呼んでくださった平谷守義牧師は、今年9月に天に引っ越し、そして今度は、ランディさんも...。とっても寂しい。でも、天国は、ランディさんが引っ越してきて、よりにぎわっていることでしょう。平谷先生との再会もきっと果たされているかな。天国に思いをはせると希望があります。

あとに残されたゲイさんはじめ、ご家族、そしてカリヒユニオン教会ファミリーに神様の慰めをお祈りいたします。





keikopearl at 23:59|PermalinkComments(0)

2017年12月01日

しつこく話を続ける人を止める方法

どうやら私は、母に前にも聞かせたことを蕩々(とうとう)と繰り返し話していたらしい。

いきなり母が、”アイ・リメンバー・イット!”と英語で話し出した(と言っても一文だけ)。

「(英語)合ってる?」なんて聞いてくるので、まあ合ってるのではないのと思っていたら、母がそんなことを言い出した本当の目的は、「そのことは覚えているから、もうその話はやめてちょうだい」ということだったらしい。

それならそれで、「もう聞いたわよ」と日本語で言えばよいものを、"アイ・リメンバー・イット!"ときたものだ。とても記憶力のさえている母であります。

keikopearl at 19:03|PermalinkComments(0)

2017年10月14日

日本で運転!

IMG_2234

このたび、八泊九日で日本に行ってまいりました。主な目的は、青森県八戸で宣教師として仕えていらっしゃるN夫妻の訪問。あとは、横浜の家族と会うぐらい。

N夫妻は、今年5月、おいらせ町におしゃれなカフェをオープンしました。その名も"Welcome Home"
です。フードも、雰囲気も、スタッフも、名前の通りアットホームで、クオリティも高!八戸、奥入瀬方面お出かけの方は、ぜひお立ち寄りください!

私たちが宿泊したのは八戸駅のすぐ近く(というか、駅と同じビル内)にあるホテルでしたが、そこから、N夫妻の住んでおられる八戸市内北部にある町や、カフェのあるおいらせ町までは車がないと不便です。そこで、神様に背中を押されたように感じ、国際運転免許をゲットしました。(実は、二年前、教会の仲間10名で八戸に行った時にも運転を試みたのですが、「くび」にされました。)

八戸で借りた車は、トヨタのヴィッツ。人気車だそうですね。小型車に慣れている私には、とても乗りやすい車でした。

日本だと運転席が逆、ワイパーのレバーはハンドルの左(アメリカと逆)、方向指示のレバーが右になります(アメリカでは逆)。慣れないと、角を曲がろうとする時、ウィンカーを出そうとするたびにワイパーが動くことになります。(二年前に日本で運転した時、よくやりました。そのたびに一緒に乗っている人たちに「またか〜」という顔をされたものです。)

しかし、今回は、おあつらえ向きに、運転初日が雨でした!だからどんなに私が方向指示器とワイパーの操作を間違えても、だれにも何もわかりませんでしたよ。

あと、この頃、物を忘れやすいというのは、この場合プラスに働いたのでしょう。ハワイでの運転の記憶があまり残っていなかったのか、「ウィンカーは右」としっかりプログラムされた模様です。あまり間違えませんでした。(な〜んて思っていたのですが...。)

昨日ハワイに戻ってきて、今日、久しぶりに自分の車を運転したのです。真っ先にやったことは、ウィンカーを出したつもりが...ワイパーが、ぴよーんぴよーんと。ハワイの青空のもと、ウィンカーがしっかり働くことを確認しました!


keikopearl at 15:36|PermalinkComments(2)

2017年07月30日

AAAよりも早く

AAA(トリプルA)とは、日本のJAFのアメリカ版。

車の鍵を車内に残したままロックしてしまった時、バッテリー切れの時など、電話して、駆けつけていただくのが、AAAさんです。

今日、午後4時からのワイキキ礼拝が終わり、ふと扉の外を見ると、パールシティ教会の英語部メンバー、A君が来ています。どうやら、ワイキキ礼拝でギターとベースを弾いてくれたM兄弟と待ち合わせをしたようです。

そのあと、私がワイキキ教会のスタッフの方と話をしていると、「あなたの車、パンクしているよ!」と知らせが届きました。

礼拝後、私があっちに引っかかり、こっちに引っかかりしている間、忠実なスタッフの方たちが後片付けをし、パールシティから持ってきた荷物を私の車に積みこんでくださるのです。わたしも彼ら・彼女らを信頼して、車の鍵をお渡ししておきます。

そのときに私の車のタイヤがパンクしているのを発見してくださったのです。(私だけだったら、まず気づかないで、そのまま運転していたかもしれません...。)

私が駐車場に降りてくるころには、すでにこのAくんが、M兄弟とともに私の車をジャッキで持ち上げ、スペアタイヤに交換してくださっているところでした!実はAくん、この手の作業がお手の物なのだそうです。

私は、自分の車のタイヤがパンクしたという実感もないまま、どんどんとこの修理作業が進められるのを見守っていました...。

M兄弟とハングアウトするためにワイキキに来たはずのA君。しかして、その「正体」は...私の車のタイヤ交換のために神様に遣わされてきた天使だったのです!

帰りの道は、ワイキキ・チーム最年長のE隊長に後ろをついてきてもらいながら、無事にマイカーでパールシティまで帰って来ることができました。ああああぁぁ感謝です!




keikopearl at 21:05|PermalinkComments(0)

2017年07月18日

親切な歯医者さん

今日は、抜歯とインプラントの手術に行ってきました!

実は、先週の土曜日にランチをいただいている最中、歯が一本かけました。「ゴリッ」「なんだろ、この固いものは?」と思ってみると、自分の歯でした!

そしてその歯(#29)は、もともとインプラントの手術を予定していた歯(#30)の隣だったのです。そして、インプラント手術は今日に予定されていたわけです。

土日は、歯医者さんはお休みなので、昨日の月曜日、予約をとって、Dr. Mに午後から#29の歯を見ていただきました。これはもう神経を抜いた歯で、根っこから抜いてしまうしかないということでした。

ところが、普段かかっているDr. Mは、歯の治療・クリーニングはされますが、抜歯やインプラントの手術はされないのです。抜歯とインプラントのためにすでにDr. リーを紹介されていました。今日予定されていたインプラントの手術も、Dr. リーのところで行われたのです。

昨日のDr. Mの話では、かけてしまった#29の方は、「いずれ」Dr. リーに抜いていただかねばということだったのですが、今朝、Dr. Mのオフィスに行くと、#29と#30の両方とも今日、インプラントできるというのです!#29を抜歯して、下の骨の状態が良ければという条件付きでした。処置前に受付でプランA、B、C三通りの見積書をいただきました。

実は、昨日のDr. Mでの診察のあと、わざわざDr. MがDr. リーのオフィスに来られて(お二人のオフィスは、同じビルの中にあります)、私の歯の状態を説明してくださったそうなのです。そしてそれを聞いたDr. リーが、二本一度にインプラントできるように、プランを作り直してくださったということでした!二人のドクターの連携プレイ!神様、ありがとうございます!

そして、#29の下部の骨の状態が良かったため、#29#30両方のインプラント手術が無事に終了いたしました!ハレルヤ!

お祈りありがとうございます。引き続き、顔が異様に腫れないようにお祈りをしていただけたら感謝です。

(手術後の写真は載せません。あしからず。)







keikopearl at 12:31|PermalinkComments(0)

2017年06月13日

ネコは食べない...

今朝の母との対話...

私:「お母さん、卵焼き食べる?」

(解説:今日はお休みなので、珍しく卵でも焼いて食べようと思ったわけです。)

母:「私、朝は和食だから」

私の心の中:「朝は和食だから、何???」

母:「ネコは、食べない」

私の心の中:「ネコは、食べない???」

「私、朝は和食だから」の通訳をすると、「私は、朝は和食だから、卵をご飯に落として食べる。だから、卵は二個は食べない」ということだそうです。

「二個」が「ねこ」に聞こえたというわけで、私の耳がおかしかったのか、それとも母の発音がなまっていたのか、どっちでしょう。アメリカにいるうちに i の発音が、英語的になってきたってことにしておきましょうか。いずれにしても、私の母が猫を食べたりはしないとわかって、安心しました。



keikopearl at 10:32|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年06月06日

「ロコ」度テスト

IMG_1908

アラモアナセンター白木屋内にあるラジオKZOOでのお仕事の前にランチをいただきました。

はじめは、マカイ・フードコートの方に行ってみたのですが、なんとなくカレーが食べたくなりました。それだったら、白木屋のジャパン・ヴィレッジ・ウォーク(SJVW)の方が日本らしいカレーライスが食べられるのではないかと気づいて、そちらへ。

テークアウトでカレーライスを頼みました。

するとまずお店の人は、お持ち帰り用のプラスチック容器にご飯をギューギューと詰め始めるじゃあありませんか。

さらには、そのご飯の脇にマックサラダを載せています。

「これは...プレートランチ風カレーライス!」と気づいたときには、すでにそのご飯の上にふりかけをかけてしまった後でした。はい、「ふりかけ」です。

カレーはまた別の容器に入れて、$5.99也。白木屋JWVにしては良いお値段かと思い、これにしたのです。

でも、これじゃあ「カレーライス」じゃなくて、「ふりかけライス&カレー」じゃないですか。「ありえない!」と憤ってみても、ここはハワイ。

Facebookにも写真を載せたところ、ハワイ在住の友人が一言:「ロコカイン...」(Local Kind) まさにロコ風カレーライス。

こっちの人は、ふりかけが好きみたいです。ポケ丼を買うと「ふりかけ、かけますか?」と聞かれます。

味の方は??? ふりかけライスは「ふりかけライス」、カレーをかけたところは、「カレーライス」としていただいた、まだまだ「ロコ」になり切れない「日本人」な自分を発見しました。皆さんだったら、どうします?

keikopearl at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年05月30日

横浜大空襲の話

http://hamarepo.com/story.php?story_id=4594

今朝、高校時代の同級生のFacebookを読んでいたら、横浜空襲のことが書かれていて、それが1945年5月29日に行われたことを知りました。(千葉空襲のことを昨日ここに載せたばかりでした。)

それで今度は、もう少し横浜空襲のことを調べてみたのです。父は、戦時中は横浜にいたのです。

すると当時のことを思い起こして語られた方の話の中に子安にあった高射砲陣地のことがでてきました。

「子安 高射砲」で調べていくうちに、私たちが子供のころ、夏になると虫取りに通った子安台公園の歴史が明らかになっていました。

子安台公園は、もともとは日本軍の高射砲陣地だったのですね。(お天気の良い日には富士山も望むことのできる高台にあります。)ところが、1950年に朝鮮戦争が起きると、米軍に接収され、今度は米軍の高射砲陣地に。

朝鮮戦争が終わり、1955年、米軍の接収が解除され、高射砲陣地は自衛隊に引き継がれたそうです。さらに1966年に高射砲陣地が廃止され、その後公園として整備されたとか。

私たちが子供のころ、子安台公園を「自衛隊公園」と呼んでいたことを思い出しました。今にして知る事実。

この子安台公園は、私たち兄弟が通った横浜市立生麦中学校に隣接していて、ここを通って新子安バプテスト教会に通ったものです。

さらにさらに...横浜に住んでいたらとっくに知っていたでしょうが、今朝発見したニュース。

http://www.shutoko.co.jp/company/press/h20/data/11/1117/

ひゃあ〜、2008年にこの子安台から日本軍の高射砲陣地時代の高射砲の砲身、砲弾が出土したそうです。(この地帯は新しい道路を建設するためにずっと工事をしていたところでした。)

何も知らず、私たち兄弟は、そんな場所で虫取りをしていたのですね。

さらに今、母に尋ねたところ、今まで知らなかった事実が判明しました。

父の家族は、鶴見区生麦に住んでいたわけですが、父の家族が住んでいた家を含めて、あたりの2,3軒だけが、空襲を受けることなく、残ったのだという話を母は父から聞いていたそうです。神様の憐れみがここにも...。






keikopearl at 09:21|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年05月29日

白内障の手術の記録

この1〜2年ほど、「なんでこんなに目が悪くなったんだろう」と思っていたのです。

検眼医には、「コンタクトレンズを遠近両方にしたため、乱視を矯正できないからだ」と言われていました。

ところが、ある時気が付いたのです。左目を覆うと、右目だけでは、世界がよく見えないということに。Hazy Visionとは、まさにこのこと。

一番不便だったのは、見える方の左目をつむって、目化粧をするとき。だって右目だけじゃ見えないんだもの。(私のアイラインが曲がっていたのは、そういうわけ。え、いつも曲がってるって?)

それ以外には大した不便さを感じることのないまま過ごせたのは、左目の方はコンタクトを使えば、比較的よく見えていたから。

専門の眼科医のところに行き、手術の相談をした時のこと、遠近、そして中間も全部見えるようになるSymphonyという眼内レンズを使うことに決めました。(これは保険ではカバーされません!)

右目の手術をした後、3週間の間隔をあけて、左目も手術をすることに決めました。左目もかなり白内障が進んでいたのです。だから私の世界、暗かったんですね。

両目の手術が無事に終わり、気が付きました。40年近くお世話になってきたコンタクトレンズとはもう「さようなら」だ、と。コンタクト溶液も、コンタクトケースも、これっきり、これっきり、もう、これっきりです!

夜寝るとき、つい習慣でコンタクトレンズを取ろうとしてしまうのだけど、取ろうにも取れません。え、本当にこのままで寝てしまっていいのという思いも、なかなかぬぐえません。

そして私の目に入ってくる世界は再び明るくなりました!水に潜ったときも、目を開けられるんです! こんな日がやってこようとは...。神様、ありがとうございます!私の目の手術のために祈ってくださった皆さん、ありがとうございました!

keikopearl at 19:33|PermalinkComments(0)TrackBack(0)