2017年11月04日

大沢誉志幸さんには、
俺自身それほど入れ込まなかったけれど、
初期の作品は好きで、カセットに録音し長らく聴いていた。

勿論、カセットテープは既に紛失、
あっても今更ラジカセで聴くこともないだろう
聴こうと思えばネット動画などで検索可能だが
手元に初期作品を置いておきたく、1枚目をアマゾンで購入。

「まずいリズムでベルが鳴る」

大沢さんの野獣ボーカルにクールで過激な音、
80年代のあの時代にピッタリはまった感じがよい。
歌詞も適度に色気があり俺の趣味とも妙にマッチング。

まずい











木崎賢治さんの
プロデュースに演奏がエキゾティクスの面々。
(他に白井良明、ペッカー、松武秀樹のお三方も参加)
なんとなくジュリーっぽいのだ。

化粧を施したレコジャケの御本人のビジュアルも
ジュリーを彷彿させる雰囲気。

おまけに5曲目(レコードではA面ラスト)、
「キッスはそこまで」、なんて寸止め的な曲があり、
ジュリーの飛び切りポップでお洒落なコーラスが楽しめるのが、また良いです。

ほぼほぼ、
銀色夏生(作詞)、大沢誉志幸(作曲)、大村雅朗(編曲)の創作チーム、
83年6月発売。・・・とくれば、
83年5月発売と録音時期も重なる、連想ゲームで、
「晴れのちBLUEBOY/出来心でセンチメンタル」か。
渡辺音楽出版、強力バックアップかしら。
1曲目に収録の「e―Escap」の冒頭の音と、
ジュリーの「出来心でセンチメンタル」の最初の音が、
全く同じく聴こえるのは、何か意図的なものでしょうか?

で、最近コレ読んだ。↓
「作編曲家 大村雅朗の軌跡 1951-1997」

大村氏の生涯の功績を、
生前関わりのあった音楽関係者、
業界人の証言で構成された本。
どうしても聖子ちゃんの仕事などが中心の話題になるけれど、
非常に興味深く読んだところ。

大村氏のジュリーとの仕事(編曲)はそう多くない。
前述のAB面の2曲と「女たちよ」(83年)全曲、
遡るところ78年の「真夜中の喝采」。以上。
78年は職業編曲家として駆けだしの頃、何故ジュリーの隠れた一曲を?
当時のジュリーのメインアレンジャーは船山基紀さん。

船山さんも大村さんも、
ヤマハ音楽振興会と関係の深いお二人のようで、
おそらく先輩、後輩のような感じで、邪推ですが、
ジュリーの仕事を大村さんに一曲回したのかもしれません。

onnna











共通点が多い「女たちよ」と「まずいリズム〜」。
プロデュースは木崎賢治さん、
アレンジは大村雅朗さん、
ミックスは飯泉俊之さん、
演奏はエキゾティクス(白井さん、ペッカーさん、松武さんまでもが重複)、
発売は83年。水と油のような内容だけど、表裏一体、
過激な音づくりは共通している。

前述の本の中に、
木崎さんの証言が掲載されている。
「「女たちよ」は記憶から抹消したい。後戻りが出来なかった」と。
え〜〜〜〜〜っ! そっ、そうなの?
びっ くり ぎょう てん! → くり びつ てん ぎょう!
(10月9日の札幌公演でのジュリーの発言から)

keinatumeg at 15:11コメント(0)80年代のジュリー 

2017年10月26日

50周年記念ツアーが大盛況の沢田研二。
気をよくしたジュリーは、50周年裏50曲ツアー決行!
初日が開幕、セットリストが明らかに。

00 I am I(俺は俺)(OPはB面、CM、有名曲)
01 美しき愛の掟
02 花・太陽・雨
 (ご挨拶)
03 モナリザの微笑
04 銀河のロマンス(妥当なザ・タイガース、PYG選曲)
05 俺たち最高
06 死んでもいい
07 あなただけでいい
08 白い部屋
09 ロンリー・ウルフ
10 まごころよりどころ(まさか!?のグレースとデュエット)
11 あの日は雨
12 背中まで45分
13 アトン・モア(フランス生活長いさかい…)
14 涙色の空
16 立ち止まるなふりむくな
15 さよならをいう気もない
17 胸いっぱいの悲しみ
18 カサブランカ・ダンディ(39.0万枚)
19 魅せられた夜(34.5万枚)(今回の大ヒット曲?連発コーナー)
20 WHEN THE LIGHT WENT OUT(イギリス生活長いさかい…)
21 女神
22 True Blue(目玉のひとつ、ココロ期連発!)
23 恋なんて呼ばない
24 光ある世界(会場中、低音コーラス)
(MC)
25 Muda(ムーダ)
26 Stranger-Only Tonight-(目玉のひとつ、クリス・クリングル期!)
27 恋のバッド・チューニング
28 酒場でDABADA
29 恋は邪魔者
31 あんじょうやりや
32 太陽のひとりごと
33 AMAPOLA(客席の湯川れい子さん感涙)
34 耒タルベキ素敵
35 オーガニック・オーガズム
36 DOWN
37 3月8日の雲
38 三年想いよ
39 どん底
40 ISONOMIA(50周年シングルは当然の選曲)
41 シー・シー・シー
42 おまえがパラダイス
43 オリーヴ・オイル
44 きめてやる今夜
45 世界はUp&Fall
46 渡り鳥はぐれ鳥
47 Hello
48 Pleasure Pleasure
49 そっとくちづけを
スクリーン上映:渚のラブレター
 (EDENスタジオ(倫敦)での加瀬邦彦氏とのツーショット写真も登場)
(MC)
50 いくつかの場面(締めはやっぱり)

最高!
なんとなく対になっている曲構成。
これでも演やらない曲があるなんて…。


keinatumeg at 21:02コメント(0)おまけですう。 

2017年10月10日

未完ですがアップです。
中〜後半あまり書けてね〜。っうか忘れてて書けね〜っ!
後日加筆予定。

楽しみにしていました、
50周年記念 シングル50曲。
北海道はまだ先、と毎年思っていると、案外公演日はあっという間。
しかし今回は随分前より指折り数える毎日。
3日前よりシングル曲集をCDで聴きながら、
子供のようにワクワクしておりました。

公演当日は祝日、体育の日
この時期にしては比較的暖かく、
快晴ではないものの、お出かけ日和な天候。
札駅から地下鉄でニトリ文化ホールまで行くつもりだったが、
気分を変え散歩がてら徒歩にて会場まで。15:30会場のところ、
15:40丁度良い頃合いに会場前に到着。開演は16:00。

何気に目にした
ファンブログ等でライブ内容などは多少承知。
演奏曲目など全体像は知らないまま。

会場前のBGMは、
ジュリーが歌う英語の歌。
自席を探したり、知り合いとのご挨拶に夢中で、
どんな曲が流れていたのかは実はよく覚えていないのだ。
♪LONG AGO AND FAR AWAY、は聴こえた覚えがある。
ジュリーバカを自認する俺だが、
お恥ずかしながら70年代後半に録音の、
英語詞曲は自分の中でよく整理出来ていないのだ。
ただ、開演ブザー後には、♪俺とお前、が流れたのは確か。

場内暗転、スクリーンが下り、
幼少のジュリーが映し出され会場が沸くも、
その後の写真や映像には、会場中がじっと見入っている感じ。
いちいち歓声が上がったり…という場内ではありません。
最後に最近?のジュリーが映し出され、
会場のお客を少し落とした(?)ところで、
ずずんと50周年マーク。
無題

ステージ後方のミラーボールの光がスクリーンに投射、
お祝いムード高まる演出。

スクリーンが上がると、
ジュリーや演奏メンバーが既にスタンバイ。
ステージ後方にセットされた
ミラーボールやライトの類に、まず目を奪われる。
装飾なしのシンプルなステージが近年の傾向だったので、
久し振りのセットに特別感と期待感に胸ドキでした。

〇 あなたに今夜はワインをふりかけ

前奏を5回、溜めに溜め、
今回の50曲にノーカウントのこの曲でスタート。
オマケとはいえ、これ程、幕開けに相応しい華やかな曲は他にありません。
且つ、しっかりB面だけれどシングル曲。

1 君だけに愛を
2 自由に歩いて愛して

高音が辛そうな箇所もあるものの、
ジュリーは喉の調子もよいようで、
髪の毛の長さも、俺の職場の上司?くらいになっております。

(ご挨拶)
・ お待たせしました、札幌です。
・ 沢田研二50周年記念ライブにお越し下さりありがとうございます。
・ ひと口に50年と言っても長うございました。
・ タイガースから50年、こ〜んな姿になってしまいましたーっ(と笑わせる)
・ 今も沢山のお客さんの前で歌えることを幸せに思う。
・ ありがとうございます。(丁寧な御礼を何度も、体を中央、左右に向けお辞儀)
・ メンバー紹介をして、最後まで上機嫌でお届けします!

3 僕のマリー
4 青い鳥
5 greenboy

冒頭からシャツは第1ボタンを既に外していたと思うが、
5曲目で既に上着を脱いだ記憶(曖昧)。
00年代の重要シングル曲の配置も興味深いところ、
タイガース時代を総括、青二才だったと締め括りか?

6 あなたへの愛
7 許されない愛
8 追憶
9 サムライ

7曲目の最後の咆哮がロングトーンで破壊的。凄すぎる。
9曲目の前には、スタンドマイクを後方より引き寄せ、マイクを差し込む。
この一連の動きもサムライという演目の一部なのだ。
短剣を顔の前で鋭く光らせた、あの仕草で曲が終了。

10 君を真実に愛せなくては他の何も続けられない
11 ス・ト・リ・ッ・パー
12 ヤマトより愛をこめて
13 モナ・ムール・ジュ・ヴィアン・ドウ・ブ・デュ・モンド
→メルシーボクボク、
フランス生活長いさかい(あやしい関西弁で御礼)

10曲目は生で初めて聴く。1分強くらいの演奏?短け〜っ!
11曲目では弦楽器隊が前方に出てきて、依知川、沢田、柴山で横揺れ。
12曲目では原曲に忠実なピアノとギターが印象的、ドラムはサビ繰り返しから。
13曲目ではステージ後方の黒い幕が上がり、
白い壁面にブルー?グリーン?のライトが当たり、
爽やかな演出。
ジュリーもステージ上をまるでパリの街を散策するように左右に歩きながら。
最後は、自分が立つステージを指さし、僕はここにいるよ。というようなポーズ。

14 明日は晴れる
15 コバルトの季節の中で
16 君をのせて
17 憎みきれないろくでなし

心憎いばかりの配置の14曲目、
15曲目のエイトビート前奏から美メロへ
そして美声は16曲目にさらに深まる感じ。余韻に浸る俺は
17曲目のギターの切り込みに我に返り、
セクシーなジュリーの仕草に昇天の連続。ギターソロで潔く終了。

18 時の過ぎゆくままに
19 勝手にしやがれ
20 愛の逃亡者
→サンキューサンキューベリーマッチ、
イギリス生活長いさかい(あやしい関西弁で)

この前半に2曲続けて大ヒットを持ってくるとは。
どちらの曲も何度聴いても、イントロだけで、心の琴線が毎回震えます。
いよいよCO-coLO期に突入。

21 アリフ・ライラ・ウィ・ライラ
22 STEPPIN’STONES
23 CHANCE
24 ラヴ・ラヴ・ラヴ

ここで短いMC
・ 時はあまりにも早く過ぎ行く…、
 サ・タイガースのラヴ・ラヴ・ラヴでございました。(格調高い感じで)
・ この曲で24曲目が終わりました。
・ ともかく50周年、50曲やろうと。
・ フルサイズではなく、短く、短く、フルサイズで演っていたら帰れません。
・ 出来るだけ短くして、50曲を貫徹しようと。
・ お言葉に甘えて25曲目をお届けします。

イントロあてクイズ的なところも。
22曲目であればコード感で直ぐ、ああっと気付いたのだが、
アレンジをまったく変更してきた次曲のイントロあては
難しかった(25曲目は灰ダイと何故か知っていたが)。
必ずしもアレンジする事が是でないけれど、
CO-coLO期の曲はアレンジ変更もありですね。
曲が完結しないで現在もウネウネ動いているのが、
CO-coLO時代。

25 灰とダイヤモンド
26 LOVE(抱きしめたい)
27 TOKIO
28 ウィンクでさよなら
29 危険なふたり
30 ダーリング
31 麗人
32 SPLEEN 〜 六月の風にゆれて
33 きわどい季節
34 鼓動
35 忘却の天才
36 ポラロイドGirl
37 Pray 〜 神の与え賜いし
38 un democratic love
39 こっちの水苦いぞ
40 ISONOMIA
41 シーサイドバウンド
42 おまえにチェックイン
43 サーモスタットな夏
44 晴れのちBLUEBOY
45 6番目のユ・ウ・ウ・ツ
46 愛まで待てない
47 ROCK’N ROLL MARCH
48 そのキスが欲しい
49 永遠に

後半の比較的最近の曲達は、
頻繁に演奏される曲や、
演奏の間隔が空くにしても鉄板の曲達。
シングル満載の記念ツアーではあるが、
良い意味で最近のライブに参加しているような気分にも。
こういう欠かせない曲達が、
現在のジュリーを確実に創ってきたのだなあ、
と感慨深くも思う。

フライヤー

手拍子でアンコールまで繋ぐのかと思いきや、
スクリーンがするすると降りてきて‘渚でシャララ’の上映。
曲に合わせて手拍子する人、
映像に見入る人、
疲れて目を瞑る人、それぞれの時間。
コミカルに編集された映像は、
大いに楽しませてくれました。
途中、加瀬さんの左右を
ジュリーが挟む映像も登場し、心憎い演出。

スクリーンが上がると、
シャララダンスの最後の型を取っているジュリーが
ステージにスタンバイ。
・ 皆さん、笑って頂けたたでしょうか?

(タイガースの頃)
・ 41年上京、昭和42年2月5日「僕のマリー」でデビュー。
・ 既に売れていた訳ではない。
・ 1月の日劇ウェスタンカーニバルで日増しに声援が大きくなるのを体感。
・ 新宿ACBや池袋ドラムなどジャズ喫茶が凄いことに。
・ 出演が決まると女学生が押し寄せ、信じられないくらい。
・ 皆さんも元女学生でしたね。
・ 僕なんてそんなにカワイイものじゃない。自分で言うのも何だが、磨かれていくもの。
・ 2枚目「シーサイドバウンド」が売れて、あとは売れて、売れて。
・ 4年間では、トッポが抜け、シローが入り、ピーも抜けたいと。
・ 誰か新メンバーを入れるのかと思っていたが、解散だと。
・ 僕に何の相談も無しにですよ。
・ リードボーカル、リードタンバリンでありながら、別の桟敷にいた。
・ サリーは岸部修三グループ、タローはアルファベッツ。
・ シローもちゃっかり、ブレッド&バターと組むと言っている。
・ 僕だけ何にも決まっていない。
・ 事務所に行き、誰か声をかけてくれないか、待ちの状態であった。
・ 僕はもともと自主性がなかった。誘われれば人に付いていく危ない男だった。
・ 子供の頃も、文吉なんて呼ばれて、年上の人に付いてパチンコの球拾い、
・ 京都大学の兄ちゃんに連れられ、霞網漁のメジロを捕まえに行ったことも。
・ タイガースの時もメンバーにひょいひょい付いていった。
・ 沢田が入ればルックスでは日本一とか仲間内だけで言っていた。
・ 僕なんて別の桟敷にいるから、そんなに甘くないでと。
・ 売れて本当にそうなっていくから。驚き、桃の木、山椒の木。
・ 4年間スゴイ経験して、さあ解散と。
・ 事務所に居ると、他の班のヒトや布施さん担当のヒトから、
おうジュリー!なんて声はかけられるが、何のサゼスチョンもない。
(PYGへ)
・ そのうちサリーが陳信義などとのロックバンドの思惑が外れた。
・ 今度はイギリスのブランドフェイスのようなスーパーグループだと。
・ 真似っこだ。それがPYG。
・ サリーからも加入を頼まれた。それで、よせてぇ〜、よせてぇ〜と。
・ 結局、掛け算にも足し算にもならず、割り算になってしまい、商業的に失敗。
・ 僕にとってその時期はすごく勉強になった。
・ 堯之さん、大野さんとも巡り合った。ショーケンや大口ヒロシとも。
・ いろんな血が混じり僕の中でシャッフルされた。
(ソロ歌手として)
・ その頃、独りで歌うとフルバンドで歌わされた。
・ アンプやエレキでやってきて、フルバンドなんて寂しくてしょうがない。
・ 素っ裸になったようなもの。あの頃は脱いだら、たいしたモノだったと思うよ。
・ 結局、井上バンドと一緒なら、いいと言った。
・ ソロ1曲目は「君をのせて」。そんなに売れなかった。
・ 布施明さんが歌うような歌い上げる曲。
・ 今となっては大事な曲だが、蝶ネクタイで歌うような曲で嫌やった。
・ ただ元タイガースということで、そこそこ人気はあった。
・ 「元タイガースのジュリーこと沢田研二」と犯罪者のような言われ方。
・ 2曲目「許されない愛」がヒット。歌唱賞の5人の中に選ばれた。
・ 歌が上手いなんて言われたこともない、針の筵(ムシロ)だった。
・ 歌唱賞には演歌系は入れないとの空気も。曲がヒットしたからこそ選ばれたのだと思う。
(ソロ、その後)
・ その後の事は皆さんご存知の通り。何を言っても自慢話になる。
・ 70年代はまあ凄かった。80年代は青色吐息。
・ 80年代は落下傘など何でもやった。やることが生き延びる道だと思っていた。
・ 90年代は、さあ大変。お池にハマってさあ大変。
・ ああでもない、こうでもないと道を探った。
・ 一本道を歩んだように見えるが、実際は、せいぜい80年代まで。
(道を探る)
・ 90年代、00年代は今から思うと大変だった。
・ どうすればお客が来てくれるか一生懸命だった。
・ 殆どの人はテレビに出た方がよいとの意見。結局、売れる人は売れている人。
・ テレビに売れている人が出演しないので、売れてない人にも声がかかる。
・ テレビ局は売れている人と売れていない人では扱いが違う。
・ テレビに出ると終日かかる。それで、2曲程度しか歌えない。フルサイズでもない。
・ 今日はここまで49曲歌っている。通常でもライブでは25曲歌える。
・ 遠方の人はテレビで観たいというが、年に1度札幌に来ているでしょ。
・ テレビでは「勝手にしやがれ」と「時の過ぎ行くままに」ばかり求められる。
・ 意見は言えば通るが、次回はテレビ局の意見を通さねばいけない。交換条件だ。
・ あの「サムライ」ですらテレビの世界では忘れ去られていく。
・ もうジレンマに陥ってしまう。
・ 尾崎紀世彦さんの曲で思いつくのは何ですか?「また逢う日まで」しかないでしょ。
・ 原因はテレビでそれしか歌わせてくれないから。もっとヒット曲が沢山あるのに。
(現在、未来)
・ 自分は地方へ行って沢山の曲を歌いたい。
・ それで、自分はライブが好きなのだと、遅ればせながら気が付いた。
・ 還暦の数年前に、もうジジイになるので好きな事だけやらせてくれと言った。
・ 後は余生、終活、間口を狭めた。最後の花火としてドームをやった。
・ ドームが成功、週刊誌や新聞がいろいろ(好意的に)書いてくれた。
・ それでまたチョット人気が出てしまった。69歳の現在まで、何だかんだここまで来た。
・ 9年経って50周年。おまけに一年後は70歳。この巡りあわせは何?
・ 次は79歳、60周年。出来ると思いますか??(最大級の拍手)
・ いやね、僕は大丈夫でも皆さんの事が心配です。
・ 今後5年くらいは行けるかもしれないが、その後はもう勢いでしかない。
(締め)
・ こうして元気で迎えられるのも、熱いご支援の賜物。
・ 今回から入場料8000円、申し訳ございません。ご祝儀ということで。
・ これからもよろしく、よろしく、よろしく、よろしく。
・ お互いに元気でいましょうねと誓い合ったところで、今回の御挨拶とさせて頂く。

以上のようなことを、
面白おかしく、且つ熱っぽく語ってくれました。

50 いくかの場面

最後の締めはこの名曲。
シングルではないけれど、50周年のツアー締めには
これ以上の選曲はありません。
ここ暫く演奏される機会も多く、
正直「またあ?」という事も無いわけではない。が、
やはり名曲、名唱。
会場がジュリーの声に包み込まれる至福の時間でした。

公演時間は2時間45分くらい。

久し振りに出待ちも。
裏口にぴったり横づけされたバスがやがて出ていきます。
バスに向い手を振るファンもおりましたが、
窓にはフィルムが貼られ、実際ジュリーが乗っているかは分かりません。
その後、会場裏の通り挟んだ向かいの駐車場にて、
知人の車に乗り込もうとした、
俺の前に、駐車場の機械にコインを入れようとしている
大山さんがおりました。
声をかけると、気さくに御対応して下いました。

今回はシングル曲ばかりでの構成。
意識はどうしても70〜80年代の‘あの頃’のシングルに想いが行きがち。
実際、この俺がそう。
でもどっこいジュリーのその後がまた連綿と続いており、
それ以降の曲も相当数あることを・・・改めて実感。
50年、相当に深いです。

それにしても
今度こそ聴ける、と思った、あの曲もこの曲も、
またまた戦力外となり、
この先、もう聴く機会もないのかも…
という厳しい現実も。やっぱり。
フルコーラスが無理なら、ワンコーラス…いえ、
せめてワンフレーズでも口ずさんで頂けないでしょうか。

裏50周年記念とでも称して、
家でひっそり聴こうかな。


keinatumeg at 22:33コメント(0)10年代のジュリー 

2017年09月18日

初ライブは79年夏、地元で。
ほとんど記憶になし。喉が渇いたーーっ、とコカ・コーラのCMソングを披露。
覚えているのはこれだけ。

それから5年の空白があり、
次のライブは、84年7月11日。ノンポリツアー、地元で。
5年間の空白…まだ子供だし、田舎だし。しょーがねーや。
この頃になると記憶もおぼろげながらもはっきりしてくる。

俺は高校一年生。
この頃、末の妹が長期入院。母親も付き添いで病院に泊まり込み、
家の中もかなりバタバタしていた。
俺も家と学校と病院をぐるぐる廻る毎日。
そんな中、ジュリーのコンサートの話は言い出し難く、
ましてや「行かせてくれ」と言い出すには勇気が必要だった。

ジュリーが来る。観たい。…とは言い出せず、
公演日が極めて近くなるまで、親には「行きたい」とは言えなかった。
でも、観たいものは観たい。結局、親に言ったんでしょ。覚えていないけれど。

チケットは小遣いで買ったものか、
親に買ってもらったものか覚えていないけれど、
おそらく、家庭内がバタバタしていたので、
不憫に思った親がチケットを買ってくれたのだと思う。3800円だった。

公演間近に購入した割に、
ポツンと空いていた5列目を手に入れ、
端っこだったけれど、とても嬉しかった。
ジュリーの近くに行きたい!この気持ちは当時と現在も微塵も変わらない。

公演当日は父親に送迎してもらった。
公演会場の釧路市民文化会館は、
実家からは子供の足では、少し遠いいのだ。

新作「NON POLICY」は聴かずじまい、
レコードは会場で買い求めたのだが、新曲を演奏されてもよく解らず。
※そもそもツアー開始も発売前から
レコードを買うと、ポスター4枚貰えた。現在も大切に保管している。
シングル「どん底」の販売促進用、
ベスト盤「ROYAL STRAIGHT FLUSH[3]」の販売促進用、
新作「NON POLICY」の販売促進用、
日産ブルーバードの販売促進用(お前はスーパージェネレーション!の頃)、
以上の4枚。

ライブの内容などは、
このブログのあちこちに書いたので割愛するが、
端の席だったので、横顔のジュリーと、
興奮した客達が自分の席から離れステージ前に押し寄せたこと、
そしてステージに手を差し伸べる彼女たちにジュリーがタッチしながら、
ステージを縦横に動いていたこと。
印象的なこの出来事は再度書いておく。

公演が終わり、
中学校の教員だった父親が車を運転、迎えに来てくれたのだが、
会場からの人波に卒業生を見かけたらしく、
「夢見るような目をしていた」と感想をポツリ。
印象に残る一言だ。

購入したツアーTシャツをよく着ていた。
ピアノ教室のレッスン室で撮った写真にも、
そのTシャツを着ている自分がいるし、学生服の下に着て高校に通った。
部活の先輩は、
何のTシャツ?とプリントを覗きこんだりしていた。
誇らしかったが、なんだが恥ずかしかった。

IMG_1454












シワシワでボロボロ…申し訳ない
IMG_1453












Tシャツは、
洗濯するたびに、実家のベランダに吊るされた。
風に煽られては、ベランダの手摺にへばり付いていた。
手摺の錆がTシャツにくっつき、
錆の跡が現在も残ったまま。取れないんだよなあ。生活臭が充満。

・・・・

この年の12月に、
地元で、大好だった佐野元春さんのツアーを観る。VISITORSツアー。
ジュリーファンで元春ファンという典型的な男子。

その84年7月の
ジュリーのライブを思い起こすと、
まだ幼い自分というイメージと一緒に思い出し、
一方、12月の元春のライブを思い起こすと、
少し成長したのか、大人になった気分の自分としての
記憶で蘇るのだ。

何故だろう。

keinatumeg at 17:26コメント(0)80年代のジュリー 

2017年09月10日

俺には自分で創ったメロディーがある。
その曲が長年、頭の片隅にあり続け、
ふとした瞬間に、度々口ずさむこともあった。

導入部からサビにかけ、
これがなかなかのメロディー、
そしてサビには御丁寧にも
ちょっとした歌詞までついているのだ。

こんな素晴らしい旋律を創り上げるなんて
俺は天才ではないか…なんて、思ったりしたものだが、

実はこの曲、
寺尾聰さんの「HABANA EXPRESS」だということが、
最近、気が付いたのだ。
いや、薄々感づいてはいたのだけれど(苦笑)

81年当時、
この曲が収録されたアルバム「リフレクションズ」を、
同級生に借りたことがあり、
その冒頭1発目のこの曲の、そのメロディーと歌詞の一部が
忘れずに記憶の断片として、
俺の頭の中にこびりついていたのだ。

この「リフレクションズ」、
その筋では、日本のAORの最高峰などと、名盤の誉れ高く、
そっち系も嫌いではない俺は、
手元に置いておきたい作品として、長年、密かに購入したいと思っていたのだ。
しかし、いつでも買えると思い、
ついつい後回しになってしまい数十年、最近、ようやく手に入れた。
しかもレコードで。このレコードというのが渋い。
夜、お酒を静かに楽しみながらレコードに針を落とすのは最高だよね。

無題

寺尾聰さんといえば、「ルビーの指環」、
老若男女誰もが知っている超ビッグヒット。
TBSザ・ベストテンでは12週連続第一位の大記録樹立。
歌詞が秋冬の印象なので、
同番組では、81年秋から暮れにかけての第一位独占!と思っていたが、
勘違いで、同年、夏季を中心とした第一位でした。
まあ一年中、大ヒットのロングセラーという印象ですが。

ジュリーでいうと、「渚のラブレター」の頃。

ところで、
次曲「ストリッパー」は、同番組で第二位まで上昇。
てっきり一等賞は、「ルビーの指環」に阻まれたと思い込んでおりました。
この曲に阻まれるのなら仕方ないよな〜と。
勘違い。マッチの「ギンギラギンにさりげなく」でした!
‘ギンギンのジュリー’と言われた頃ですが、
‘ギンギラギン’には敵わなかった、ということか。
なお、同番組で、「TOKIO」も第二位止まり。
最高位にはクリキンの「大都会」が君臨しており、さすがに、
これには歯が立たなかった。

70年代後半の大ヒット期から
少し過ぎた時期であった頃だからこそ、
唯一無二な「ストリッパー」と、
電飾でインパクト大の「TOKIO」の第二位は、本当に大健闘。
そういう意味では「おまえにチエックイン」の第二位は、
大・大健闘で、ちょっと予想外でした(笑)

当時のシングル曲は、
楽曲そのものを楽しむだけではなく、
ライバル曲との順位争いもまた、お茶の間を賑わし、
次の日の学校の話題のタネでもありましたよね。

やっぱりシングル曲って、特別だよね。
現在、シングル曲で構成されたツアーを敢行中のジュリー、
50周年記念LIVEですが、
ファンにはもちろん、
お茶の間で家族揃って歌番組を見ていた世代にも、
誠に結構な御祝儀です。
来月の札幌公演も今からとても楽しみであります。

ちなみに、
冒頭話題の「HABANA EXPRESS」、
エキスプレス 繋がりで、
同じ81年作品、ナベサダの「ORANGE EXPRESS」も、
大好きな俺です(笑)
無理矢理ジュリーの話と結びつけてしまった感が・・・
強引だったかしら。

keinatumeg at 16:42コメント(4)80年代のジュリー 

2017年07月17日

兎に角、
子供の頃からジュリーに憧れる俺。
その髪型もしかり。

ガキの時分から、
48歳の現在まで短髪にしたことがない。
常に前髪を掻き上げられるような、長さにしている。
なぜならジュリーが短髪ではない(一時期を除く)からなのだ。

ジュリーに憧れ、
一歩でもジュリーに近付きたい、
そんなピュアで美しいファン心理が根底にあるのだから、
仕方がない。
残念ながら顔は違うが(悲笑)。
どうぞ笑っておくんなまし。

坊主頭が義務付けのクラブにも所属したこともない。

中学生の頃は長めの髪の毛を、
生徒指導の先生にいつも咎められていた。
働く現在は、髪の毛のせいか、若造にみられ、
若干舐められ気味の所もある。

近い将来やりたいのが、
頭髪を真っ白く染め抜くこと。
髪の毛があるうちにこれは是非やってみたい!

中途半端に白髪になるのなら、いっそのこと、
FRBのイエレン議長のような美しい白髪(はくはつ)が理想。

ジュリーも95〜96頃に一時、真っ白く染めていたことがあるでしょう。
あれがもぉ、格好良くてねえ。
憧れておりましたよ。

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96年1月11日日刊スポーツ
DORA制作発表
白髪ジュリーがもお最高!

音楽劇の役どころでジュリーは、
丸刈りにした。案外よく似合っている。
さすが元がいい方は何をやっても似合ってしまうということか。

最近、
北海道でも猛暑日が続き、さすがに長めの髪は鬱陶しい。
マルガリータもいいなぁなんて思う今日この頃。
潔く丸刈りにすれば、
なんだか自分も前向きに変化出来るのではないかと
考えてしまう。

全国ツアーが開始されたが、
2〜3曲格好良く歌った後の冒頭のご挨拶で、
斜に被った帽子をおもむろに摘み上げて、
丸刈りだよ〜ん、なぁんてお道化るのかしら?
ネタバレ禁止期間に突入してしまった俺は、
暫くはライブではどんな状況なのか知る由もありません。

もぉ少し、この髪の長さでいようか

keinatumeg at 20:19コメント(2)10年代のジュリー 

2017年05月03日

風薫る五月、よい季節ですね。
中学生の娘は、来週、修学旅行。
2泊3日の日程で京都方面を巡るとのこと。
旅行の準備に余念がありません。

思い起こせば、
俺の中学生時代の修学旅行は道内をバスで巡りましたよ。
だいたい道東の中学校は、洞爺湖方面、
最終日は札幌で自由行動!というパターンが多いのかな。
都会でクリームソーダの財布を買うという行動が中坊の憧れ(笑)。
今では飛行機で道外研修だもんなあ、時代は進化しているよね。

俺も高校生の修学旅行となると、
津軽海峡を青函連絡船で渡り、いい日旅立ち・国鉄で本州を縦断し、
京都方面へ行って、仏閣巡った。86年の秋の頃。
記憶にあるのは久ぶりに阪神がリーグ優勝し、
阪神VS西武の日本シリーズの最中の修学旅行でしたね。
真弓、掛布、バース、岡田の時代、懐かしいなあ。

京都での夜の自由行動では、
宿に近い新京極(そこしか行くトコない)の中古レコード屋で、
何を血迷ったのか、『JULIE 此舛△訐捗奸戮鮃愼したのだ。
わざわざ荷物になるものを買うこともないだろうにさぁ。
さすがジュリーのお膝元・京都では、中古レコで‘沢田研二コーナー’は充実。
エサ箱には、帯付きの美品が多く、興奮でうっすら汗ばむ俺。
当時は未聴の73年ロンドン録音の作品を購入するに至るのだ。
購入したレコードも帯付きでキレイなものでした。
レコードを小脇に抱え、
京都〜東京、そして上野から夜行寝台で青森、
青函連絡船、そして北海道へ無事生還。

こんな古いレコードをスキ好んで買うのは
俺ぐらいしかいねぇだろう、なぁ〜んて思ったけれど、
今考えると、86年当時はまだ、
発売から12年しか経ていなく、
全然、最近じゃぁ〜ん、て感じ。

その『JULIE 此舛△訐捗奸戮離譽魁璽匹梁咾蓮
エアメールの封筒の端をイメージしたデザインで極めて秀逸なもの。

obituki
痺れるデザイン、もぉ〜完璧

さらに帯には、切手(ジュリーの顔)に、
スタンプ(「KENSINGTON 22AUG 1973」)が押されているデザインで、
※ 1973の「3」はかすれておりよく見えぬ…
ジュリーからの便りが、新作としてロンドンから届けられましたよ、という、
ジュリーより愛を込めて的な
物語性がそこに生まれておるのですよ。
船旅の曲なんぞも収録されておりますしね。

未聴の他のアルバムも中古レコに並ぶ中、
そんな『JULIE 此舛△訐捗奸戮梁咾魎泙瓩謄献礇吋奪箸
デザインに惹かれ、修学旅行とはいえ、なんだか旅情をそそられた気分になり、
結果、購入に至る俺の心理状況だったのでしょう、きっと。


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25周年記念:91年盤
金文字にキラキラ感再現

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05年盤、デジタルリマスター
金文字にキラキラ感なし

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14年盤、SHM-CD
金文字にキラキラ感なし。

96年盤(30周年記念)は所有なし。キラキラ感どお?

それから約20年後、
07年「生きてたらシアワセ」ツアーでのこと。
2着目の衣装が、旅のトランクをあしらったものでした。
それを脱ぐと、ジュリーは白っぽいジャケット姿となります。
襟端などにはフランスの国旗を彷彿させる、
あのエアメール風のデザインが刺繍されておりました。
それを見た瞬間、
俺はすぐに、高校の頃の記憶、というかあの頃の匂いを、
ふと鼻腔に感じたような、そんな、どこかくすぐったいような気分になり、
思わず涙腺が緩んでしまいました。ぐすん。
ところでさぁ、このツアー、札幌に来なくてね〜、
澁谷の初日と二日目を観に、東京まで出かけましたよ。

林真理子さんの短編「ジュリーの薔薇」。
修学旅行で訪れた京都、
タイガースのジュリーが大好きな少女。
ジュリーの実家の前まで足を運んだものの、
何が出来るというものでもなく、
思わず庭に咲く一輪の薔薇の茎を折り持ち帰る。という
少女の切ない心理状態がよく描かれた作品でした。

読んだのは随分前のことなので、
この短編のシチュエーションが修学旅行だったのかどうか・・・
記憶が妖しいのですが、
修学旅行繋がりで、ふと思い出しました。

兎にも角にも、
娘には、生涯思い出に残る、
素敵な修学旅行であって欲しいと
願うばかりです。



keinatumeg at 11:49コメント(6)トラックバック(0)70年代のジュリー 

2017年03月12日

後だしジャンケンな発言で御免なさいだが、
全編震災以降の曲で占めるコンサートはいずれやるだろうと。
ジュリーならきっとやるぞと。
ただ、この年明けのタイミングとは、想定外というか、
考えもしていなかった。
記念イヤーが続くここ1〜2年で、
やるなら、現在(いま)しかないもなぁ。

そして月日は流れ、弥生3月。
あれから6年が経過、今年も、
被災地への祈り、反原発の新曲が店頭に並ぶ時期に。

沢田研二50周年!記念シングルの発売!!

ISONOMIA






ISONOMIA
2017.3.11発売
COLO−1703

今回はCDシングルで2曲入り。
ギターとボーカルがユニゾンしつつ曲が進行の「ISONOMIA」。
ジュリーの声はいつも以上に力強く、希望が感じられる。
ギターとコーラスの壁の中、力強いジュリーの声は、
我々を何かに駆立てるものがある。

2曲目「揺るぎない優しさ」というタイトルに惹かれたが、
曲調は近年よくありがちな感じ(かな?)。

4曲入りだと、
様々なタイプの曲が収録され、好みの曲があるものだが、
2曲だとそうともいかず、
自分の好みとしては、
ジュリーの円熟の美声が堪能できる
前作の方がいいかなあ。

10日金曜日に、
仕事帰りに札幌駅直結のショップで購入(店頭に6〜7枚並んでいた)。
車中で何度もリピートさせ聴きまくり、
3月はジュリーの新譜の季節だなあ、と妙な季節感を感じていたのだが、
自宅にて手からCDケースが滑り落ち、
ガシャーンなんて音をたてて、さっそくケース破損。
新譜の季節などではない!もっと別のところに思いを馳せろ、と
割れたケースに、ジュリーの怒りを感じています。

今回は作曲、編曲、ギター演奏と
大活躍の白井良明さん。少々お久ぶりでしょうか。
白井さんといえば、先日、ムーンライダーズのサイン入りのポスターが、
タワーレコードの抽選で当選し、届いたばかり。

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懸賞で当選するなど(応募もしないが)、我が人生、ほとんど経験なし。
すこぶる嬉しいです。

そろそろ、
ジュリーのフルアルバムが聴きたい、
年齢を重ねたジュリーが歌う色気のある曲が聴きたい。
そんな贅沢を言ったら、ダメでしょうかね。
ジュリーが我が国の状況を、
歌う気持ちにさせる、また歌わざるをえない、そういう現状を憂いながらも、
震災がなくとも、ジュリーなら、
政治にモノ申したり、環境保全などのテーマを
きっと取り上げているに違いないと、
根拠のない確信があるのも事実です。


keinatumeg at 17:51コメント(0)トラックバック(0)10年代のジュリー 

2016年11月01日

勝手にレビュー、Jewel💎Julie編。
全くの後追いの身、語る資格なし。でも語りたい。
まったく主観、申し訳ない。

とって付けたようなアルバムタイトルに、
ケバく着色された妖艶なジャケ(猫ジャケは可愛い)、
ストレスすら感じる誤植だらけの歌詞カード。
(うれしい豪華絢爛極彩色新聞の封入)
しかし、
青く、甘く、やんちゃなジュリーが確かにここに存在する。
往年のファンの方達の心の中に息づくジュリーは、
まさにこのアルバムのジュリーではないのかと。

74年発表のソロ8枚目(ライブ盤含)は、
井上バンドとの貴重な成長の記録。スタジオ録音盤。
政治の季節が終焉、
熱い議論を繰り返した老成した若者達も、
よりパーソナルに向かう、そんな70年代。
そんな世相を反映しているのか、君と僕だけといった、
空気感がアルバムに充満。
妖艶な雰囲気のジャケとその内容はストレートには結び付かない。

兄貴達と、
ワイワイ楽しく録音している弟分ジュリーが目に浮かぶよう。
作詞、作曲、アレンジ(ラスト曲を除く)ともに井上バンド。
井上バンドと作り込めば、作り込むほど、派手さが薄まり、
普通の兄ちゃんが歌っていますよ〜的な地味目な方向へシフト。

jeweljulie





ポリドール
最高位2位 18週ランクイン
売り上げ:7.5万枚
74.9.10発売 MR2258

A面は内省的なトーンで統一されているのだが、
B面途中よりエネルギーが大きく外に発散、振幅が激しくなる印象。
ラストは浮きまくる「追憶」のロングバージョン。
そこが原因?初聴の時は散漫な印象も。とはいえ、
バンドアンサンブルの素晴らしさ、
「ママとドキドキ」、「四月の雪」、「ジュリアン」といった好ナンバー、
特に、その後、長く演奏される「お前は魔法使い」が収録されるなど
初期の代表作的な位置づけにある。

A1 お前は魔法使い
A2 書きかけのメロディー
A3 親父のように
A4 ママとドキドキ
A5 四月の雪
B1 ジュリアン
B2 衣装
B3 ヘイ・デイヴ
B4 悲しき戦い
B5 バイ・バイ・バイ
B6 追憶

「お前は魔法使い」で幕開け〜「バイ・バイ・バイ」で本編ラスト、
アンコール曲で「追憶」・・・と聴くと、まるで1ステージを体験しているよう。
ジュリー自作もランクアップした感あり。
男声コーラスもうれしいのだ。
沢田研二と井上堯之バンド、もう昇天。

小学三年生の頃(77年)、
レコ屋でこのレコードを初めて見つけ、
そのジャケに「わっ!気持ちわりい〜」なんて思ったのが懐かしい思い出。

アルバム発売に先駆けること、
日比谷野音でのオープニング後、
7月末より一か月間、ジュリーロックンツアー74。
レコードの帯には「全国縦断コンサート記念盤」の文字が。
そう、現在までも続くネバーエンディングツアーの幕開けは、
この作品からなのだ。

keinatumeg at 21:58コメント(0)トラックバック(0)70年代のジュリー 

2016年10月09日

いつもあやしい天気、
最近めっきり出不精で、会場まで行くのも面倒臭い。
こんなに平常心で当日迎えるのも、やはり特別な日。
セトリも知らぬまま(一部を除いて)、
いざ、ニトリ文化ホールへGO!ポケモンは探しません。

平成28年10月8日、un democratic love
沢田研二の北海道札幌市での公演当日。

17:00開演のブザー
ステージ上の暗闇に人影が登場。

1.ポライドGirl

総立ちで自分も立ち上がる。
すぐに靴から脹脛にかけて下半身がバリバリ状態に。
上半身は曲に合わせて揺するも、
バリバリの下半身は不動のままに。靴の踵が減るのも嫌だし。
両腕を突き上げてのオイッチニー、の動きも全くやりませんでした。
よい事を思いつく。
靴を脱ぐことにしたのだ、これだと若干下半身への負担は回避できそう。

今回、ジュリーは安定性抜群。
ハラハラする場面は一度もありません。
あわわわ…と歌詞間違えの場面も全くなかった(ような気が)。

2.渚のラブレター

・お待たせしました札幌で−す。ようこそお越し下さいました。
・雨が降るかどうかの天候の中、かくも盛大に、会場一杯のお客さん、ありがとう。
・メンバーはお馴染みのメンバーでございます。(依知川さん復帰し初めての札幌よ)
・去年の9月25日(の札幌ライブ)、覚えておいででしょうか。
・ガラガラの声で誠に申し訳ございませんでした。
・本日は見違えるような声でございま〜す。

3.世紀の片恋
4.感じすぎビンビン
5.彼方の空へ

腰まで届く勢いの長髪の依知川さん、
立てた銀髪がロカビリー野郎のストレイキャッツ柴山さん、
見るからに堅気の人ではない感じビンビン。そんな二人と交わる真ん中のジュリー、
もぉ貫禄十分、髭、恰幅ともにマフィアの親分さん。

6.カサブランカダンディ
ジャケット脱ぎ後、暫く抱えながら歌う。
細かなパントマイムが随所に登場。
間奏のペットボトル投げキャッチ後、
いたたた・・・と、腰痛ポーズには俺も笑い。

7.君をのせて
サビで♪あっあ・あ〜とスタッカート気味だが、
変わらぬ美声に、盤石な安定感。
曲終了時は、近年よくやる、足をクロスしオーバーなお辞儀。

8.アルシオネ
後半は顔を紅潮させ、めっちゃ熱唱。
今回の見どころのひとつか。
銀次さんのブログで演奏を知ってしまった曲だが、
個人的にも最近最評価する曲。

9.届かない花々
10. 我が窮状
臨時国会開会中でもあり、
いつも以上に力強い感じ。♪あり得ない ♪信じよう の部分、
太文字だった。

メルシーボクとジュリー、そして、感謝の意らしい意味不明なドイツ語??
メンバーをひとりずつ振り返りながら、
・ピアノ、コーラス、コーラス、アーンド、コーラス、と紹介。

・3月11日に発売の新曲です。
作曲したメンバーをひとりずつ紹介し、
・作詞は・・・「むふふ」と含み笑い、独占禁止法を無視し作詞を独占しております。
・札幌も乾燥しており、紅葉ももうすぐ、秋を飛び越え冬がやってくるという感じ。
・被災地に向け、震災をテーマにした曲を高らかに歌いたいと思います!
わりと軽い感じで今年の新曲の演奏が始まる。

11. 犀か象
12. 福幸よ
途中、はっきり“再稼働”と発音。
歌詞を追っていたら、俺自身あまり乗り切れず、皆にかなり遅れること手拍子。
会場のライトユーザーはどう反応した?響いてる?

13. Welcome to Hiroshima
14. un democratic love

15. 若者よ
イヌ?サル?ニワトリ?モンキー?動物の鳴き声だらけ。
ドラムセットの裏まで走ったのはこの曲だっけ?
8曲目より、なんとなくジュリーの主張がほのかに漂うセトリだニャ〜。

16. マッサラ
出ました!後半2曲目くらいに登場する自己陶酔曲。
俺にとって少々ダルい時間。
ブレイク部分で曲終わりと勘違い拍手の人、多数。

ところで、
ニトリ文化ホールのステージは
ステージ、プラス、オーケストラピットに蓋をした部分と広いのだ。
逆に言えば、1列目からもステージで歌うジュリーが遠いいのだ。
それとステージから左と右までかなり行ける横壁に沿った部分で構成される。
この曲までのジュリーはステージのみで歌い、動き、
けっしてオーケストラピットまで出てこない。
そして、いよいよ・・・

17. お気楽が極楽
18. TOKIO
この2曲では蓋したオーケストラピットまで出てきての歌唱。
でも決して、手の届くような客のすぐ前までは来ない。
触れることは絶対出来ない。さすがジュリー計算済みなのだ。
そしてそこまで出てきて歌ったのはこの2曲のみ(だったと思う)。
今では、ステージ横に長くせり出した場所には、
数年前から行かなくなってしまっている(期待はしているが)。
♪「お」気楽が「ご」クラクと、「お」と「ご」を強調、
TOKIOの間奏では陸上のやり投げの動きをスローモーに。

19. 緑色のkiss kiss kiss
歌詞にはしっかり「さっぽろ」と。やっぱりうれしい。
少々曲に収まりにくそうな「さっぽろ」ではありましたが。
♪さっぽろの隅で〜、♪さっぽろの空から〜。
ジュリーは前奏と間奏で、セカンドライン横揺れ手拍子を客に促す。
最期はブルージィー感たっぷりに、
ラブ、アンド、ピース!!と連呼。聴きどころのひとつ。

20. ヤマトより愛をこめて

本編終了。アンコール!

Tシャツ







イラストであれ、どうであれ、
御本人の顔がプリントされたTシャツはうれしい。


・ありがとーっ×4
・今日、なにか私、悪いことでもしたでしょうか?
・いつになく会場が静かなような・・。(そんな事はないでしょう)
・それは、(客席の皆さんが)齢をとったせいでしょうか?

(プロ野球のはなし)
・私は日ハムは嫌いじゃありませんよ。
・もともと阪神ファンですが、東映フライヤーズも好きだった。
・東映フライヤーズは今の日ハムです。
・今日から2位、3位でクライマックスシリーズやってますよ。
・いいですね〜、高見の見物は(左団扇の仕草で)。
・ソフトバンクがずっーと一位で。福岡では何て言われているか分かりませんよ。
・福岡は、北海道とえらい違い。正直、諦めていたでしょ?優勝なんて。
・阪神なんて、今年、何位だったのですか?
・なんと言ったって、中田。いい感じよね、アイツ。勿論、大谷君も凄いね〜。
・ソフトバンクに悪いくらいの勝ち方。
・中学まで野球をやっていて言えることだけど、すごいよね。
・高校野球は年寄がやっているイメージだけど、孫のような選手のイメージ。
・待っている間にコンディション崩さないようにしないと。
・阪神も、リーグ優勝して待っている間(クライマックスシリーズ)にくたびれた。
・くたびれて日本シリーズであっさり負けたことも何度か。
・日ハムの選手に待ちくたびれないように言っておいて。
・広島と日ハムの日本シリーズが日本人には一番おもしろい。

(過去映像について)
・私も今年、49歳になりましてね。実年齢は68歳ですが。
・レコードデビューして49年が経過。
・札幌に居ては私の活動分からない?テレビに出ない、出るとしても昔の姿で。
・TBS系の安い番組、安住さんの司会の(昔懐かし映像番組)。
・出たがりの人ばかり番組に出て2コーラス歌っている。
・それ以外の人は映像承認許諾。何秒、何十秒とか。
・勝手にしやがれ、なんてイントロ割愛。いきなり♪壁ぎわ〜から。ア〜ア〜まで行きつかない。
・演歌系の人が出てて。同業者とはいえ眠くなりますよ。
・番組を観てた人が言うには、セットも金をかけていないって。
・昔のヒット曲を流すのは、ある意味面白いよね。「えっ、これ、誰〜っ?」って。
・「えっ、これ、誰〜っ?」に、私も当然入っているひとり。(会場、大爆笑)
・映像使用許諾、私はいっさい断らない。
・あれは証拠映像として、とっておいて欲しいのよね。
・自分で言うのもなんですが・・・。(昔は美しかった、というようなポーズ)

(還暦ドームの想い出について)
・長くやっていると、やってくる記念の年。
・イベントは25周年の時。還暦では、大阪ドームと東京ドームで。
・2時間そこそこでやるのではなく80曲演奏した。
・人が考えつかないような事をやる。
・人には絶対やらせられないが、自分でやると言えば、やったらいい。
・ここだけの話だけど、手を抜けばいいんだから。
・還暦の大阪ドームが先。東京ドーム公演まで3〜4日間あいた。
・NHKで東京ドームで映像を撮ると言ったので、大阪で喉をつぶさないようにした。
・それがかえって、「肩の力が抜けていてよい」と。何が幸いするのか分からない。
・最初の曲なんか口先だけで歌うとか。客に気付かせぬよう手を抜いているワケ。
・そういうことが、長くやっていると出来てしまうのよ。
・15時からスタートし、夜8時、9時まで、音を出してよい時間までやった。
・昼間こられない人、逆に夜まで居られない人も。ありがたい話。
・チケットは12000円!誰が来るんですか、一体?80曲で1曲あたりいくら?
・週刊誌、スポーツ紙から、けなされなかった。ジュリー凄いって。
・見出しに、“ありがとう、サンキュウ、ありがとう〜ね〜”って、どの紙も。
・その見出しは正確ではない。その後の客は、どう御礼を言うか確認しに来ていた。
・ありがたいことに、その後、ちょっと人気が出た。
・いかにもオタク系の人、駅や飛行場に色紙を持って現れるようになった。
・おっさんやおばちゃんも。暗黙のルールを知らない人たち。
・ズカズカ寄ってきて、サインくれと。ヤダというと、ええじゃないですかと。
・お前売るやろ。というと、スーッと離れていった。
・そういう人が現れるのは、ありがたいような、ありがたいような・・・、ありがたくないとは言えないよね。
・ドームがあったからこそ、次の年から今まで8年間持った。
・50周年の来年、70歳の再来年、乗り越えられれば、また人気でるかも。
・次は60周年と80歳。70周年と90歳・・・。いつまでもヤメへんがな。
・来年、再来年はイベントやりますからね。今からいろいろ考えている。
・還暦の時は、同じ年齢の泉谷しげるが、池袋のオールナイトの映画館で60曲演奏。
・同じ事をするのは嫌だという、とても良い性格な自分。
・88曲やろうと思ったが時間オーバー。だからといって午前10時からでは、いつセッティングするのだ!ということに。結局80曲に落ちついた。
・休憩もいっぱいとらないと。球場はトイレが沢山あるとはいえ、5〜10分では。
・羞恥心のない女性は「はい、ちょっと、ごめんなさいね」なんて男子トイレに。乙姫なんか使っちゃってね。
・ドームでの休憩は20分間。
・外野のバックネットのあたりからエレベーターで休憩場所に降りていくのだが、時間がかかった。
・休憩場所に着くと、もう次の用意。パンをかじりながら、またステージへ向かった。

(イベント・健康について)
・さすがに体力が落ち80曲は無理か。
・寄る年波に比例したモノの考え方をしているが、普通の事をやるのはシャク。
・シャク、シャク。私は借家ではありませんが。
・シャクだべ?あずましくないべ?(北海道弁を巧みに使用)
・イベントは怪我や風邪が怖い。このような段差とか(ステージ上の段差を指して)。
・段差とは落差のこと、ダンサーではありませんよ。
・自転車もこわい。50歳過ぎたらチャリンコは乗るものではない。
・広い北海道といえども、自転車が通れるような道は少ないでしょ。
・平衡感覚あり、足が長く、両足が地面につくような人でなければダメ。
・後ろからフラフラして「どいて〜、どいて〜」と。降りなさいよ、と言いたい。
・酒も飲まなくよい日は飲まないようにしている。
・休肝日なんてヘッと思っていた。そういう人間だった。
・煙草は50歳でやめた。酒を美味しく飲みたいと思ったらやめられた。
・昨年のコンサートは風邪をひいた。
・河内長野でライブの後、シャワー浴び(シャワー浴びポーズ)髪を乾かさないまま、神戸へバス移動。エアコンも効き過ぎており、結局風邪をひいた。
・健康に気を付けて、来年、再来年を乗り越えたい。
・イベントには、是非、駆けつけて欲しい。
・もちろん、ライブで札幌にも来られると思う。
・健康管理にお願いをして、本日の私の挨拶に代えさせて頂く。

以上のような話を、22分程度、面白おかしくされ、メンバー紹介へ。
場内は、へぇ〜とか、ほぉ〜とかの相槌や、爆笑の渦となったり、
拍手喝采に包まれたり。

それでは、皆さん、よろしゅ〜ございますか、おまけです。と、アンコール曲。

AC1 サムライ
AC2 コバルトの季節の中で
AC3 ス・ト・リ・ッ・パ・ー

全体通じて重たい選曲が多く感じるも、
コバルトのような曲は、気持ちも晴れやかに幸福感に満たされる。
最期の大サビでは、♪「あ」、「な」、「たぁ〜を」とスタッカート。うん?

今回は、
王道のシングル曲(やや変化球もあり)+ 伝達したい事が滲むジュリーが好きな曲。
そして、もう一度言います。
ジュリーは安定性抜群!!!
その分、ライブならではの緊張感が、聴きて側の俺になかったのも事実のような気が。

皆さん、来年、再来年のイベントに参加できるよう、
明日からも健康で行きましょう!
ジュリーありがとう。

keinatumeg at 22:50コメント(6)トラックバック(0)10年代のジュリー 

2016年08月16日

煌く星を仰ぎ見るような涼やかな曲、
飲み干した強い酒に咽かえるような湿度の高い曲。
ひと夏の出来事へ妖しく誘う艶っぽい曲、
自ら蒼い風となり高速で疾駆する曲。

数あるジュリーの曲でも夏を感じる曲が好き。

無意識の鼻歌もそんな夏の曲が多いのですが、断然多いのが、
ソングカレンダー8月の歌、「Sweet Surrender」。
あまりに好きすぎて、本日、このブログに、満を持しての再登板となりやした。

ああ、なんて優雅で狂おしいのだっ!!

魚のように華麗に、そして優雅に泳ぐ、
水着の美女に、プールの水面を通して太陽のひかりがゆらゆら眩く…
このイメージは何度夏を超えようと不変です。

以前にもこのブログで、
ミュージックテープとCD盤では曲の導入部の長さが違うなどと
重箱の隅を突いてみたのですが、読み返すと、顔が火照ります。
曲の素晴らしさに比して、どうでもよいこと。

作詞の原由子さんは、
ソングカレンダーのオーダーに2曲用意したとのこと。
1曲はこれで、もうひとつは言葉数の少ない童謡調の歌詞だったとジュリーの弁。
納入の際には作詞のみならず曲もついていたとか。

TBS「沢田研二ショー」でサザンと共演した際(83.7.31放送)の、
濃い目のメイクでこの曲のパフォーマンスするジュリーの格好良さ。
真紅の帽子とピンク(紫?)のチークが堪りません。

また、84年ツアーでの演奏。
前曲「How Many“ Goodbye”」が終わり、
打ち込みを駆使したEXOTICSの演奏が始まり、
やがて長いラテン風味な演奏に繋がり、そしてこの曲のイントロに雪崩こむ。
そしてジュリーの堰を切ったようなボーカルが被さる瞬間。
いつ思い出しても鳥肌モノ。

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↑その84年ツアーの北海道新聞紙上での広告(の切り抜き)、よくとっておいたな〜
↓そしてそのツアーでの僕のチケット(釧路市での公演)S席3800円です。

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その艶やかな歌詞や曲調は、
化粧品のCMソングなんてピッタリ。
マリンブルーのシャドウとか、
ローズカラーのルージュとか、
モデルの美しさを更に惹き立てることでしょうね。
当時は化粧品のCMソングから大ヒットとなった曲も沢山在りました!

先月下旬よりツアーも開始され、
各地域でジュリーの歌声が清涼剤となっていることでしょう。
ここ北海道でも暑い日が続きます。
ネットで購入のコーラ味のシロップのカキ氷で、
短い夏を堪能したいと思います。

keinatumeg at 15:23コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年07月04日

1991年10月11日、
25周年記念武道館コンサート‘ジュリーマニア’、
一夜限りのスペシャルな夢のような宝石の時間。

25







武道館での記念コンサートがある事を認識したのは、澤會のインフォでのこと。

武道館という大きな器をお客で満杯にするのは、
その時に旬に売れているアーティストだという、
当時の俺の固定観念でして、
ヒットチャートから遠のき久しいジュリーが、
武道館をやる、というのは軽い衝撃で、ジュリー大丈夫?と僭越ながら思ったもの。

しかし、そんな俺の心配なんぞ木端微塵に吹きとばす程、
杞憂に終わりましたね。ほんと。素晴らしいコンサート!!

ジュリーの人気の凄さ、
というより、ジュリーを支持する人達の熱度がどれだけ凄いのか、
今イチ状況が掴みきれていなかったのですよ、当時。田舎の大学生の小僧には。
ネットの普及も、もう少し先のことだし。

入場券が、会場で、25周年メモリアルチケットに交換出来たそうだが、
一体どんなものなの?

大変有り難いことに、
コンサートの約一月後、11月13日に、
BS特番「美しき時代の偶像」で、
いち早くその模様が放送(後でビデオも発売)され、
コンサートに行っていない俺も、まるでその場にいたような気分になったものだ。
また、そのBS特番では、
コンサートのドキュメントも盛り込んだ‘素顔のジュリー’が放映、
裏から表から、前から後ろからどうぞ! 2度美味しくコンサートを楽しめました。

当日は、「雨の中有難う。足元の悪い中、来てくれて有難う」と
ジュリーの御挨拶にもあるように、
台風の接近による、あいにくの雨模様でしたが、
武道館のステージ上は、
拡大ジャズマスター、ホーンセクション、コーラス隊をも率いるジュリーは、
まさに歌謡界の帝王、帝王降臨祭の様相。

ヒット曲を適度に配し、
タイガース、PYG、ソロ、さらに、
近年のお気に入りのこだわりの楽曲で網羅したセットリストは、
当時考えられる限りのベストな選曲。

冒頭「アイ・ビリーヴ・イン・ミュージック」での、生涯現役歌手宣言に始まり、
アコースティックで魅せる「時の過ぎゆくままに」。
※アンプラグドが流行ったのはこの頃だったかしら?
ストーンズのスティールホイールズツアー(89年)での、
巨大な空気入り人形の記憶も新しい、
どでかいLの字がステージ両脇に登場する「ラブ・ラブ・ラブ」など、
見どころ満載。
※個人的には、ドでかいLの字は、イマイチ…。

コンサート前半は静のジュリー、
後半はバンドメンバー入り乱れてステージを縦横無尽に闊歩する姿は、
まさに王様たちの華麗なるお戯れ。
前半の「静」、後半の「動」の、そのコントラストが素晴らしい。

25








アンコールで演奏の「月の刃」がCDではカット。
気のせいかしら、曲の後半、演奏がずれるような場面(?)があり、
そんな事に起因するのかしら。
本来、アンコールが3回あったものを、
まるで2回のアンコールだったような編集がなされており、
まったく残念。
俺的には、「月の刃」で、
剣を自ら胸に突き刺すような仕草をするジュリーが、
この1991年の全ての活動のハイライトに思えてしまうのです。
過去の自分を殺して、
更に次のステージへ前進していく儀式のようで。

前述のBS特番での「素顔のジュリー」での、
都内のスタジオでのリハーサルシーンでの壁に貼られたセットリストには、
気になるお前、熱いまなざし、のタイトルも見受けられますが、
実際は演奏されたのでしょうか?

俺が今までの人生の中で、
時間が潤沢にあった大学生時代。
その頃、この映像を死ぬほど繰り返し観ましたよ
現在もまったく色褪せることのない、素晴らしい25周年記念の武道館ライブ。
後半は少々お疲れの表情も見せますが、
まだまだお若い!

ところで、どこぞの会社か忘れましたけれど、
この映像がカラオケに使用されていますよね。
ジュリーの曲を歌うと、このライブの映像が流れ、
おっ!本物、本物、などと反応する一緒に行った会社の連中に、
いちいち受け答えするのが、とっても面倒だったのを思い出します。
今じゃほとんどカラオケには行かないけれど。

あの時、デビュー25年周年。
さらに、それから25年。ジュリーの辿った道程を、
パタンと折ると、丁度真ん中に位置するのが、この武道館ライブ。
素晴らし過ぎて眩暈を覚えるとともに、
ジュリーマニアなんてタイトルを付けて、
手の中でファンを軽く遊ばせているような醒めたセンスに、
ジュリー一流のあざとさを感じます。

keinatumeg at 10:02コメント(0)トラックバック(0)90年代のジュリー 

2016年06月12日

高校卒業の87年春から2年間、
俺は親元を離れ、札幌で大学浪人を経験。
下宿生活を送りながら、予備校に通った。

同じ高校を卒業したメンバーも大勢いて寂しくはないし、
様々な人達とも出会い、それはそれは有意義な時代だった。
それなりに遊びもしたが、
比較的真面目な生活を送った方ではないかと振り返る。
勉強さえしていれば誰にも何も言われることがない、
今思うと贅沢な時期である。

下宿の玄関に、「ドアをキチンと閉めて下さい」と張り紙があり、
「キチンと」の「キチン」は片仮名ですかぁ、と
何故か強烈な記憶に残る。おばちゃんはご健在か?

音楽業界では、
前年頃より新しい音楽媒体であるCDが一般的になりはじめ、
ラジカセ機能にCDプレーヤーが付いた、CDラジカセが発売。
僕は下宿の部屋に、そのCDラジカセを持ち込んだ。
初めて買ったCDは、萩原健一「Straight Light」、
次は、南佳孝「Vintage」。
南さんのCDはレコードより曲数が多く、
さらにラストにはたっぷり波の音が収録され、お得感満載だった。
ライブではレコードの事を「ビニール」と表現していたのが印象的。

そんな折、
購入したのがこのCD。87年冬頃と記憶する。
2作品をひとつにパッケージ化(2イン1)した商品である。

2in1








いくつかの場面/思いきり気障な人生  
87.12.1発売
ポリドール H5OP−20207〜20208

CDの帯(?)には、
‘超ビックセラーズ!代表的な2枚のアルバムをパック!’とあり、
ジュリーには、もっと一杯スゴイ作品があるのになぁ・・・と感じたものだが、
まあ、それはさておき、
世間一般的に代表的な2枚のアルバムが、
気軽にCDで聴くことが出来ることは有り難く、とても重宝した。
ジュリーの全作品がCDで聴けるのは、まだ先の事。

西日の差し込む下宿の部屋で、
2作品がパッケージ化されたCDを繰り返し聴いた。
実際は孤独ではなかったが、孤独な気分を演出するには申し分のない内容で、
時代はバブル期に突入するも、
まさに青春セピア色。浪人時代の気分が濃密に充満している。
5000円の出費は、当時、相当痛かったと思うが、
金がないと言いながら、5000円のCDが買う事が出来た俺は、
実はバブルだったのかもしれない。

あれから30年が経ち、
現在、2イン1のこのCDから、
「いくかの場面」、「思いきり気障な人生」を聴くこともないし、
ファン同士で話題にすることもない。

しかし、浪人時代の気分を呼び起こす、
愛しい忘れ形見のひとつであることは間違いがない。

keinatumeg at 17:54コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年06月05日

ただ一度だけ、
ジュリーファンを辞めてしまおうかと思った事がある。
80年秋、俺が小学六年生、「酒場でDABADA」の頃。

フジテレビ「夜のヒットスタジオ」でこの曲を歌うジュリーを観ていた俺に、
親父が一言「いやらしい歌だな」と言い放ったのである。
そう直球で言われてしまうと、
テレビで歌うジュリーをまともに観ることが出来なくなり、
また家族の誰かから不快な一言を発せられるのが、
怖くなり、ドギマギし、もぉ面倒臭くなってしまったのだ。
同じ頃、担任の女の先生が、
松田優作の「探偵物語」を「やらしい」と言っていた。これは蛇足。

さらに70年代後半の曲と比較し、
なんだか「普通の曲」に聴こえたのも事実で、
妙に小さくまとまった感じだな〜と、子供心に感じたのだ。

そんな事が重なって、
ジュリーファンでいるのも、もおいいかなぁ、と。

秋発売のシングルなので、
各音楽賞にノミネートされるも、
中ヒット止まりで、地味な印象は拭えず、
今年はご遠慮しますぅという気分だった。
あくまでも大ヒット曲で堂々とレコード大賞を争って欲しい!と
お節介にも思ったものだ。

DABADA
作詞:阿久悠
作曲:鈴木キサブロー
編曲:沢健一
最高位14位、登場週数14週
売上:14.4万枚
55.9.21発売
ポリドール 7DX-1015


楽曲そのものは、
完全無欠の歌謡ロック(褒めています)。
酒場と墓場を洒落るなど、なかなかのセンス。
レコードジャケットでマスカラをつけ髭を濃く見せる少年Aと呼ばれた奴は、
ワザとだらしなく衣装を着崩すも
品が良くて相変わらずの格好の良さ。
間奏でのオールウェイズとのパフォーマンスにもドキドキ、
気障で艶っぽいジュリーと
いかにもフツーな感じの沢健一さんのモジャモジャ頭が、
絶妙なバランスで印象的。

7時を過ぎたら/この顔に/ブルーの影が出て
ああ、なんて魅惑的な歌詞なのだろう。
酒と煙草と香水の匂いが漂う、夜の世界。
金と欲望が渦巻く、普通じゃない大人達の危ない時間を
垣間見るような・・・そんな、いかがわしさを湛えたイメージ。
性悪女、なんて言葉を初めて知りましたよ。
文化放送「ミスDJリクエストパレード」では、
「体に悪い事」をテーマにした曲のベストテンに、
「スモーキンブギ」などと一緒にランクインされていたなぁ。

ジュリー御自身、
あまり思い入れもないのか、その後、歌わなくなってしまった。
2000年頃の正月ライブで、全然演奏されないシングル曲を、
敢えて演ってみました的なノリで演奏した数曲のうちのひとつ。
DABADAは、2002年正月、ガスガスの声の時ですね。
そうして、またしても封印され現在に至る。

発売当時、シングル盤も欲しいと思わず購入せずで、
1年後発売の『ROYAL STRAIGHT FLUSH[2]』を買ったら、
B面2曲目に収録されており、それで暫くは満足。
それから何年も経過、札幌のレコード屋で、
ひっそりと売れ残るシングル盤を偶然に発見。
新しい音楽媒体であるコンパクトディスクとレコードが、
店頭に一緒に並べられ売られていた頃なので、87年頃かと。
何故、今更「酒場でDABADA」が中古レコ屋でもないのに売られているのかと、
相当な違和感を覚えたものだが、
なんだか居た堪れなくなり600円を支払い、
結局、まともに購入した。
レジの若い女性店員が、レコード番号等をメモしようとしたが、
隣にいる店長であろう男性店員に、そうすること止められていたのを覚えている。
既に売り上げを記録する必要もない時期であったのだろう。

おそらく、
冒頭に記した「いやらしい曲だ」と、身近な人間に言われた事が、
心的ストレスとなり、ジュリーから無意識に、
遠ざかりたいと思ったのではなかと推測する。
結局、ジュリーファンを辞めずに、現在に至るが、
CDで曲を聴く度に、
この曲の持つ、いかがわしさ(言葉が適当かどうか迷うところだが)が、
ふんわり覚醒され、
とっても。ざわついた気分になるのだ。

keinatumeg at 00:03コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年05月15日

ブレバタの音楽が好きな人は、かなりの恋愛上級者。
〜と、ブレッド&バターの近年のCDに寄稿文が寄せられており、
そおっかぁ〜俺は恋愛上級者なのかぁ、と独り悦に入りニンマリの自分。

まあ、それはさておき、

岸部四郎さんはどうしているだろう?
そんな事をぼんやり考えながら、
大好きなブレッド&バターの作品を繰り返し聴いている自分。

「ムーンライト」は、シローとブレバタが残した唯一のアルバム作品。

ムーンライト

そもそも
水と油のような交わりようのない世界に存在の両者が、
何故、合流したのかは、
「ヤング720」に音楽担当として出演の岩沢幸矢さん(ブレバタ兄)が、
同番組のフアッション担当のモデルのヒロ(シローのガールフレンド)を介して
シローと知り合ったのが切っ掛け。
田園コロシアムのライブで、
シローが歌うドノヴァンの「ラレーニア」でバックを務めるなど、
両者は急激に接近し、一時同じマンションに住んでいたことも。

タイガースでは弾けないギターを持たされ、
補欠メンバー的な扱いにも不満も溜まっていたであろう
シローさんの知的音楽欲求と、嫌みのない澄んだ高音が、
ブレバタのコーラスワークと融け込むのはある意味必然ともいえる。

ブレバタはポリドールに移籍し、
71年4月にはシングル「野生の馬」(名曲!「花・太陽・雨」と発売同日)、
72年8月にはシングル「バタフライ」発売。
アルバムは岩沢二弓さん(ブレバタ弟)の交通事故もあり、
長期にわたり制作され、72年3月に発売されている。

内容は、
CSN&Yをやりたいという両者のとおり、
コーラスワークを聴かせる内容で、
シローさんの持ち味である高音を最大限生かす内容。
ただそこにタイガースの匂いを汲み取ることは皆無で、
極めてブレバタ色が強く、ブレバタの単独アルバムといってもよいのでは。
シローさんがメインボーカルを受け持つ曲も11曲中3曲程度。
しかし、そもそも現地でヒッピー文化を体感したシローさん的には、
おおいなる音楽的要求が満たされたことや、
自由の利かない大芸能界の中でのひと時のガス抜きにもなったのではないかなあ。
内ジャケの写真など、まさにウッドストックの雰囲気だし。
表ジャケには畜舎の豚が撮っており、ブタさん繋がりでPYGを意識?
※デザインは廣野展生さんで、ジャケの白い部分は豚の毛だとか。

ミュージシャンも凄いぞ、これ。
林立夫、
後藤次利、
加藤和彦、
石川鷹彦、
駒沢裕城、
近田春夫、
山内テツ、
原田祐臣、
鈴木茂、
柳田ヒロ、
矢野誠(敬称略)  など。
プロデューサーは渡辺音楽出版の木崎賢治さんで、
もしかして木崎さんがメインで携わる最初の作品?

さて、シローとブレバタは、
フリーやビー・ジーズ、BBキングの前座を務めたことも。
フリーのコンサートでは空き缶を投げつけられたとかで、いやはや勇ましい時代です。
その後、シローさんは(ナベプロの思惑どおり?)司会業などの
タレント活動が忙しくなりブレバタとは袂を分かつことに。
実際に3人で活動した期間は半年程度のよう。
ブレバタのポリドール最後のシングルはブレバタ単独名義で「今はひとり」。
まだ、伝説のカフェ、ブレッド&バターの随分前のことですよ。

ちなみにブレバタは札幌でのライブの際、
開演時間が30分間違えた遅れた時間で印字されたチケットを購入した俺のために
開演時間を30分遅らせてくれたうえ、
俺を会場の外で待っていてくれたことも。

71年1月、ザ・タイガース解散。
サリーとジュリーはPYG、タローはアルファベッツ、
シローはブレッド&バターと合流し、かつみさんも含め、
元メンバーが音楽面で自己主張しあった短くも輝いた時代があったのだなぁ。

keinatumeg at 18:45コメント(2)トラックバック(0)ザ・タイガースおまけですう。 

2016年04月29日

加瀬邦彦さんが亡くなられて一年、
ジュリーと加瀬さんとの最後の蜜月「JULIE with THE WILDONES」。
我々ファンにとっても宝物の歳月、
一周忌にちなみ、最近のようで懐かしいあの頃を振り返りたい。

そもそも加瀬さんのジュリーとのジョイント構想の具現化はこの頃?
ジュリーの還暦ドーム(2008年11月29日、12月3日)が大成功に終了した時期?

2008年
12月15日 加瀬、沢田 銀座で食事、日本酒グイグイ
12月26日 都内某ホテル 内田裕也、加瀬、沢田「きめてやる今夜」打合せ

2009年
2月16日 加瀬の新車‘ミニクーパークラブマン’に沢田乗る
2月22日 「きめてやる今夜」リハ終了。沢田、加瀬の車で横浜に帰る
2月25日 渋谷CCレモンホール「きめてやる今夜」加瀬プロデュース
2月27日 神戸国際会館こくさいホール「きめてやる今夜」加瀬プロデユース
6月28日 横浜・馬車道近くのイタ飯屋で「来年のお楽しみ」を話す
      ※加瀬さんが「オリコンで1位をとろうよ!」と持ち掛けたのはこの日?
7月26日 立川市民会館で沢田ライブ。加瀬観覧、「横浜で食事」の約束
8月3日  沢田、加瀬 横浜で食事(前日のこと?)
10月13日 加瀬ハンドマイクで「気になるお前」歌う。ドラマーはGRACE、ケネディハウスで
11月11日 加瀬、沢田 しゃぶしゃぶ食べる(ジュリー子供の頃に行った店)
※ 以上、加瀬さんのブログより、でした!

11月13日 東京中日スポーツ「GS復活 ジュリーwithワイルドワンズ」!!!

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2010年
1月4日〜 TBS「ひるおび」エンディングテーマ「渚でシャララ」
2月8日  NHK「SONGS」収録
2月10日 シングル「渚でシャララ」発売、オリコンデイリー17位
2月11日 シングル「渚でシャララ」、オリコンデイリー10位
2月18日 シングル「渚でシャララ」、オリコンウィークリー24位
2月20日 シングル「渚でシャララ」、カウントダウンTV 20位
2月25日 フジテレビ SMAP×SMAP収録
3月1日  フジテレビ SMAP×SMAP O.A
3月13日 朝日新聞Be 1面、3面写真インタビュー記事
3月23日 鳥のヘッドギアと衣装、銀座山野楽器店に展示(〜26日)
3月24日 アルバム「JULIE with THE WILDONES」発売、オリコンデイリー13位
※ クレジットに加瀬邦彦、木崎賢治、三浦徳子の名前ありで、うれしかったなぁ。
3月25日 アルバム「JULIE with THE WILDONES」、オリコンデイリー28位
3月31日 アルバム「JULIE with THE WILDONES」、オリコンウィークリー28位
3月31日  NHK総合「SONGS」O.A
4月7日  NHK総合「SONGS」O.A
4月9日  テレビ朝日「徹子の部屋」O.A
5月8日  渋谷CCレモンホール、僕達ほとんどいいんじゃあない ツアースタート
       ※ 追加公演を含め全国ツアー29公演。

ざっと書き出してみたけど、
まだまだツアーのリハやプロモーションビデオのカメラ撮りの日時、
RECの日時など知りたいことだらけ。
どうぞ皆さんで加瀬さんとの日々のあれこれを加えて欲しい。

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2011年
9月21日 朝日新聞「人生の贈り物」にて
 あの頃「恩返し」(裕也さんとのライブも含め)と言ったのはおごりだった、
とジュリー。

そんなに謙虚にならなくとも、
加瀬さんは、とってもうれしかったと思うし、
僕達もうれしかったよ。ほんと。

keinatumeg at 19:55コメント(0)トラックバック(0)10年代のジュリー 

2016年04月10日

『最 悪』

得意のさえない中年男役。
零細町工場「川谷鉄工所」の経営者という役どころ。

大まかなあらすじは、
近隣との騒音トラブルや銀行融資ドタキャン騒動、銀行強盗などに巻き込まれ、
遂には強盗指名手配犯になってしまう、
中年男の悲哀を描く人間ドラマ。少しコミカル。
ドラマでは49歳の設定だが、
当時ジュリーは52歳の頃。肌もつやつやしている。

2001年3月30日(金)、
BS−i(現在の名称はBS-TBS)で放映のテレビドラマ。
監督 大森一樹、原作 奥田英朗「最悪」。
収録は2000年5月〜6月頃(澤會インフォによる)。

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前年の12月開始のBSデジタル放送、
従来のアナログ放送と比較して高画質・高音質での映像が楽しめると、
とても丁寧に作成されたものと思われ、
テレビドラマのカテゴリーとするのは、
とても勿体ない。

極めて最近の出演作との認識だが、
16年も前の作品とは驚き桃の木山椒の木
当時はBS放送を観ることの出来ない環境だったので、
DVD発売にあわせて楽しく鑑賞したものだ。

個人的に人間群像劇は大好でき、
併せて「さえない中年男」を演ずるジュリーをこよなく愛する俺は、
リボルバー(88年)
幸福な市民(89年)、
総務課長戦場へ行く(94年)など、
80年代後半〜90年代前半のドラマや映画は、
俺にとって最高のエンターテイメントの極みである。

撮影時期は世紀末、放送時期は新世紀という
‘センチュリー橋をまたいだ(♪愛だけが世界基準)’時期にあり、
前述の期間より後の時期に当たるが、
この「最悪」も最高のエンターテイメント。
(放送時期は21世紀はじめTVに出まくった時期ですね←その後、沈黙。)

まず主人公のいで立ちが、
首に巻いた汚れたタオルに作業服という、
いかにも町工場の親父のイメージそのものだが、
長髪姿がいかにも「大スター沢田研二」であり、もうジュリーそのもの。
そのいかにもジュリーが、
髪を振り乱し慌てふためき情けなく咆哮しながら、
画面いっぱいドタバタするものだから、もぉ堪らない。
(↑これが嫌との女性ファンも確かに存在?)
見かけはジュリーだが、
連想するジュリーのイメージとは対極のかけ離れた演技がサイコー。

これ、沢田研二の最後の長髪時代ですよ(現在のところ)。
雑誌「音楽倶楽部Vol.3」(2000年秋号)で、
最新作「キタルベキ素敵」について語るジュリーの頃だよね。

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共演陣もなかなかで、
奥さん役が角替和枝さんという庶民的さもいいし、
もう一人の主人公ともいえる西田尚美さんは、
華奢でカワイイけれど既に不思議な風格があり、怪演という感じ。
この後、西田さんとはホラーコメディ「カタクリ家の幸福」で再び共演だが、
コメディー繋がりで、NHKのウッチャンのコント番組でもう一度共演したらどおか?
そんなわけないか。

エンディングでは、
作業服に大洋ホエールズの帽子を頭に載せて登場。
しかも緑色にオレンジのつばの「マルハ大洋」だ。
本当に小技が効きすぎて涙がでちゃう。誰の趣味なのだろうか。
無事銀行より融資を受け、導入した最新機械「トレパン」を前にしながらも、
結構ヒマそうな姿は、フン!と鼻で笑えるし、少しホロ苦感もある。

エンディングテーマとして流れるのは、ザ・タイガースの名曲。

カメラが引いて町工場が小さくなり、
町工場や銀行を中心に悲喜交々ドラマが繰り広げられた町全体が映し出され、
やがて白っぽい空が画面一杯に広がる。
町工場の経営者 川谷信次郎、
いや、長髪の沢田研二に最後まで応援し続けた俺も一緒に
その空に「青い鳥」をつい探してしまうのだ。
…とまあ、それくらい感情移入をし、見終った頃は疲労困憊状態だった。

あまり話題に上らなかった記憶で、ちょい残念。

keinatumeg at 10:55コメント(2)トラックバック(0)00年代のジュリー 

2016年03月26日

気持ちのよい昼下がりに、
ふと、ラジオから「un democratic love」が流れてきたとしたら・・・
あら?ジュリーの声、やっぱり素敵ね〜。
これは最近の曲かしら? なんて、そんないい感じになるかもしれない。

聞き流す分には、君の愛は、と繰り返す、
ジュリーが歌う最近のラブソング。以上。

それくらい突き抜けてしまっている。
怖いもの無し。
苦悩や葛藤、悲壮感は微塵も感じられず、
変わらぬ艶のあるジュリーの声に、むしろ気持ちがよいくらい。
素敵すぎ、痛快すぎ。というのが、5年目の新作の感想だ。

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un democratic love
 un democratic love
◆(々よ
 犀か象
ぁWelcome to Hiroshima
〜平成26年(2014年)8月6日『平和への誓い』より
2016.3.11発売 COLO−1603

3月11日は出張中で、
次の日に急いで最寄りのCD店に車を飛ばした。
貪るように聴き、久し振りのベースの生音に酔う。
歌詞にダブルミーニング(親父ギャグ?)を探してみたものの、
案外ストレートな物言いで、ジュリーも気持ちよさそう。
あっかんあべ〜って放言したのは、
今年?去年の正月だった?記憶が曖昧だけれど、
まぁそんな事はどうでもよい。

昔、広島平和音楽祭で、
茶目っ気たっぷりに「ヘイ!ミスターハリウッド」を歌ったジュリー。
現在は朗々と ♪Welcome to Hiroshima と歌うジュリー。
震災テーマは不変だが、より大きな平和を訴えることがジュリーの最たる形なのか?
高速で過ぎる時間の速さに、驚きと寂しさ、なんとも複雑な感情を抱く俺。

とにかく、
こんなに素敵過ぎる歌声を響かせ、
バンドアンサンブルの極みを提供し、
シニカルな歌詞を痛快過ぎるくらいに聞かせる‘沢田研二’の存在。
北海道新幹線開通のニュースに盛り上がる青海鼠より、
雪解けの土から白い花を咲かせるクロッカスに、
一縷の希望を感じる俺の心情と妙にシンクロするのだ。

keinatumeg at 18:07コメント(0)トラックバック(0)10年代のジュリー 

2016年03月06日

女性ファンが圧倒的なジュリーだけど、
果たしてこの曲は誰をターゲットにパフォーマンス?
流行りのニューウェーブ好きのお兄ちゃん?もう怖いもの無しといった感。
大衆に広くアピールの「TOKIO」の次シングルとして、
派手派手路線は継承だが、さらに偏執狂的で‘ほとんどビョーキ’な派手さは
こちらに軍配。

楽曲は極めて緊張度が高く、一瞬のスキもない。
‘バッド・チューニング’は、当時、新鋭のコピーライターだった糸井重里さんの造語。
この辺り著書「ペンギニストは眠らない」に書いていた記憶もあるが曖昧。
ストレートなロックンロールでありながらも、バッチューな楽しい仕掛け満載で、
「面白い事もっとやろうよ〜」との加瀬さんの顔が浮びます。

BTジャケ




売り上げ 17.2万枚
最高位13位、ランクイン15週
作詞 糸井重里、作曲 加瀬邦彦、編曲 後藤次利
1980.4.21発売
ポリドール DR−6410

カラコンに話題は行きがちだが、
囚人服を模した衣装、ネオン管を入れた透明ギターやマイクスタンド、
破られるセロファンのジャケット、
ヒールにまで銀粉を仕組んだ靴に至るまで小細工満載、
定着したオールウェイズとの一体感も含め、
まさに‘ジュリーはいつも楽しい驚き’どおりで、
楽しい仕掛けがいっぱい。

歌うジュリーも、
両手で血液を送り出す心臓(ポンプ)のような仕草をしたり、
愛の電波をビンビン飛ばしたりと・・・
とってもチャーミング。

阿久−大野の王道歌謡とも違う路線に舵を切り、
ニューウェーブを意識したイメージの打ち出しは、向うところ敵無し。
小学六年生の俺もワクワクしたものだ。
一方、80年は売上的にやや下降気味、
やっぱ前の路線の方がいいんじゃないの?
ギミックに走りすぎているんじゃないの?とガキながら余計な心配も。

この時期、
胃潰瘍でダウン、入院、療養で一か月。
新曲キャンペーンなどもキャンセルになった。
TBS「ザ・ベストテン」初ランキング(赤丸付急上昇)時も、療養中で出られず。
抜歯直後のRECでは、譜面に血が飛んだとの伝説も。
お酒はロックンツアーの最終日(8月24日)までお預けだったとか、

個人的な思い出は、
発売と同時に入手したおねだり成功体験、
ジャケにK・Sとイニシャルがデザイン、俺と同じと密かにほくそ笑んだこと、
ジャケの黒とピンクの組み合わせが妖しくていいなあと思ったこと、
我が故郷の釧路市にもツアー、町中の電柱に告知ポスターが括り付けられていたこと、
※もう釧路には来ない!とジュリーが言ったとかいう噂も流布。
修学旅行の晩、同級生の前で歌った恥ずかしい記憶などなど。
その修学旅行で観た「ザ・ベストテン」でもランクイン、
クリスタルキング「蜃気楼」がプールサイドからの中継で、それが所以か、
バッド・チューニングには、湿度の高い真夏のプールサイドのイメージもある。
同時に小学六年生の自意識過剰な自分の、
嫌〜な気分も皮膚感覚として蘇る。 

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結局、売り上げは、
前作「TOKIO」(34万枚)に遙かに及ばず。
(案外TOKIOも認知度の割に売れてない?)
どうしても前曲の二匹目のドジョウを狙ったような、
マイナスイメージがあることもまた事実。
ポップアイコンとしてのジュリーは頂点を極めたが、
ズレてるほうがいい、と歌ったジュリーは少しずつ大衆の求めるもと、
乖離していくことに。

パラシュートの影に隠れがちなバッチューだが、
ジュリークラッシックとして
世間の認知度ももっと高くてよいハズ。
なんだかんだ言っても、大好き!恋のバッド・チューニング。

keinatumeg at 15:12コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年02月28日

島根県のジュリーファン、こんにちは!
先週、仕事のため、3泊4日で島根県に 行きました。

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羽田経由で、出雲縁結び空港に降り立ち、
レンタカーで中山間地を駆け抜け、雲南市、飯南町、邑南町・・・

島根県に来たのに、
日本海もほとんど見ずに、山ばかり走りましたが、
北海道にはない、山間の里に広がる集落を見ながら、
日本古来の歴史、文化、伝統、この国の成り立ちにロマンを感じました。

さて、島根県といえば、
ジュリーが89年11月12日(だっけ?)に出雲大社で結婚式を挙げましたよね。
最近のように感じますが、25年が経過、四半世紀前のこと。

その頃、大学一年生の僕は
「彼は眠れない」の派手なジュリー復活に心躍らせていた時期で、
結婚というプライベートには興味がなく、すっかり家庭にも普及しきったビデオに、
ワイドショーを録画するような事もなく、
スポーツ新聞を買い込む事もありませんでした。

10月11日 アルバム『彼は眠れない』発売
10月13日 沢田研二LIVE IN 東京ベイNKホール 「ジュリー大好き!!」
書き込んでいるこの日程を追うだけで、
自分自身パワーが蘇る感じですね。

いろいろあった時期からも、
既に暫く経過していた時期で、
マスコミもバッシングみたいなことはなかった記憶です。
偶然目にした、遠方から撮られた結婚式の様子も、
バブル期の派手婚が流行る中、
とても質素で、穏やかな雰囲気に好感を持ちました。

11月28日、東京・赤坂の全日空ホテルでの披露宴で、
沢田中沢田中沢田中沢田中沢田中沢田中沢田中・・・とプリントされた
手拭が配られたという話を聞いたことがあります。

89年後半は、
「ポラロイドGirl」や「彼は眠れない」での
躍動感に溢れたジュリーを思い浮かべる一方、
(ヒットチャートへの期待もありました)
結婚式での穏やかな表情のジュリーが懐かしく思い出されます。

ジュリーに感化され(?)、
ハワイでの自分の結婚式も、一番ひなびた雰囲気の教会を選び、
一番シンプルな黒のモーニングをレンタルしました。
今でも、あの選択に満足しています。

島根では、益田市で知り合いと合流し、益田ナイトを過ごし、
最後は、萩・石見空港から帰路に。
高級魚‘のどぐろ’も美味かった〜〜。

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本当に地元の方にはよくして頂き、
すっかり島根県のファンになって帰ってきました。
大好き!島根。しまねっこ!

keinatumeg at 17:41コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年02月11日

TBSラジオ
NISSANミッドナイトステーション 沢田研二 夜はきままに、の
目玉コーナー。
俺も雑音に悩まされながら聴いたのが懐かしい。

著名な女性が歌詞を提供し、
ジュリーがそれに曲をつける、というラジオ番組の中の企画。
毎月1曲ずつ発表、曲が溜まった83年3月にカセット発売、
それが『JULIE SONG CALENDER』。

2月の曲が、「裏切り者と朝食を」。

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作詞は、少女漫画の大御所 里中満智子さん。
作曲は、もちろん我らがジュリー。
編曲は、EXOTICSのバンマス、吉田健さん。

82年4月から毎月始まった曲づくりの企画も、
83年の年が明けてからは、なんとなく、軽くこなし感もあり、
俺的には、印象薄な感じも否めなく、
1,2,3月の曲は、どれも、愛着が薄い。
逆に最近は印象薄な故に気になる存在にもなっているが。

前奏が長い。約60秒もある。
感想も40秒程度もある、
最後もファイドアウトまで約60秒ある。
5分少しの曲の半分以上が演奏のみだ。

初めて聴いた83年1月も、イントロがなげぇ〜な〜、と退屈。

有りがちなタイトルに、
男女の寒々しい関係が極めて暗く描かれる。
モノクロのイメージ。
殺人事件でも起こりそうな雰囲気だが、
勿論何も起こらず、淡淡と時間が過ぎていく歌世界。
心理サスペンス的な展開。
もう一度言うが、何も起こらない。
俺も少々暗い気分になる。
カセットテープで発売された際に、
冒頭1曲目がこの曲で、軽く驚いた記憶がある。

間奏などで連発される「犬の遠吠え」は吉田健さん。
全編で流れる武川雅寛さん(大動脈解離からの復帰には泣けた!)のバイオリン、
西沢幸彦さんのパンパイプの音色。曲のイメージにドンピシャで、
頭から離れない。

ところで、この企画、
健さんのアレンジ曲が13曲中、8曲を占める。
他は、柴山さん2曲、西平さん3曲、健さんのアレンジ曲が極めて多い。
RECも、健さん主導で進められたと思われ、
圧倒的に健さんの存在感が際立つ。
本当はもっとEXOTICSのメンバーそれぞれが、
均等に曲を受け持つ予定だったのかも。

この頃、健さんと武川さんは、
お二人で「ゴー・パッション」なるユニットを組んでおり、
仕事的にも特に親密だった時期と記憶する。
ジュリー関連の仕事でも、健さんアレンジ曲には、
印象的な武川さんのバイオリンを聴くことが出来る曲がいくつか存在。

83年発売、
沢田研二初のプロデュース作品として
誉高いEXOTICS『LIBRALY』(CD化まだ?)。
メンバーそれぞれ曲を分担し、その担当曲を主導。
吉田健さん担当、ボーカル曲は次の3曲、
A1「MISTY MISSY」(武川バイオリンあり)
A5「ANABAHEBAK」(アラビア語満載の風変わりな曲)
B1「LE CALNAVAL」(野宮真貴さんデュエット曲、武川トランペットあり)

A面5曲目の作詞が、これまた里中満智子さん。

ジュリーレーベル

俺が想像するのは、
ラジオ番組の企画時、里中さんに詩をお願いした際に、
納品された歌詞が「裏切り者と朝食を」と、
もうひとつが「ANABAHEBAK」ではなかったのかなあと。
英語(9月)、イタリア語(12月)もやったので、
今度はアラビア語でいってみよう!なぁ〜んて。
結局、ボツになり、それを健さんがとっておいて、
EXOTICSのアルバムに流用したのではないのかなあ。
RECが83年8月〜9月であり、時期的にも、
おかしくはない、と思うのだが。
まあ、想像の範囲ですけれど。

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1月は、年明けのすがすがしさ。
3月は、残雪も春めくワクワク感。
対して、2月は、まだ雪深く気温も低い。どちらかといえば気分も重たい。
重い気分は、ソングカレンダーの2月の歌の暗さにも起因?もしかして。
ジュリーの2月は、近年は音楽劇のお稽古かしら。

曲は「♪裏切り者と朝食を/裏切り者と朝食を」と繰り返し終了。
主観で進む曲が、最後は突然の客観視。
曲を聴く者の世界観と同一化して終わる。

そして、いつも連想してしまうのが、
怪奇漫画「エコエコアザラク」の最後の一コマ。
美少女の主人公、黒井ミサが、
一話毎に黒魔術を操る不気味な物語が展開する。
そして物語の最後の一コマが、毎回、
主人公が「エコエコアザラク エコエコザメラク」と黒魔術の呪文を唱えながら、
何事もなかったように、その現場を立ち去るシーンで終わるのだ。
まるで他人事のように・・・客観視。

そのシーンが、この曲の最後とダブっちゃう。

裏切り者と朝食を
裏切り者と朝食を
おほほほほほほほ・・・(黒井ミサの美しくも不気味な笑い声)

keinatumeg at 16:18コメント(1)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2016年02月05日

時はあまりにも はやく過ぎ行く
喜びも悲しみも すべて つかのま 

何なのだろう、この歌詞を見ただけで、
万感込み上げ涙ぐみそうになる自分は。
これは決してコンサートラストに歌われるという、
この曲のもつ特殊性だけからではないだろう。
妙に沁みちゃう感があるのだ。
俺も歳をとったせいなのか、
この平易な言葉に、何故これほどまでに、
胸に沁みてしまうのか。安井かずみは天才なのか。

でも、俺の中の「安井かずみ」は、現役感はない。
ジュリーに歌詞を書いた時代は既に遠い過去であり、
加藤和彦関係の仕事しか、ほぼしていない80年代だったからだ。
同窓会タイガース「ライラ」も、
久し振りのタイガースなので、所縁の人が特別に歌詞を書いた。
そ〜ぉんなイメージだ。

ジュリーファンになった頃は、既に阿久悠さんだったし、
彼女の書いた曲を後追いで聴く耳には、「昔の歌」という感じだった。
何より巷には刺激的な言葉が散乱し、
普通の言葉で綴られる彼女の歌詞は「普通」に思えた。

お金持ちのおばさま、
それが俺の安井かずみ像だったワケだが。
冒頭の歌詞はもちろん、胸に沁みいるフレーズが、
最近、いくつもあったりするのだ。

泣かないで 可愛い人
愛を胸に どこまで 旅を続ける
そのはずだったのに (遠い旅)

過去をひとつ 残し
今 旅にでる    (旅立つ朝)

書き出すときりがない。

ZUZU














婦人画報で2010.10〜2012.7までの連載をまとめたもの。
ジャーナリストの島崎今日子さんという方が、
1回ごとに証言者を立て、そのヒトから彼女に関する証言を引き出し、
歌詞を盛り込み、エッセイの言葉を切り取りながら、
プロフェッショナルに文章を組み立てもの。
証言者の数は26名にも及ぶ。
渡邊美佐さん、加瀬邦彦さん、村井邦彦さんなど、
もちろんジュリー所縁の方々も証言者として名を連ねる。

1.ニッポンの文化、風俗の教科書とするのもよし、
2.昭和の時代への郷愁を感じるのもよし、
3.評伝のようにも読むのもよし、
4.芸能人のゴシップ記事が踊る低俗な週刊誌のように読むのもよし、
5.お金持の人の生活を覗き見するようなピーピング気分で読むのもよし、
楽しみ方はいろいろだ。
俺はどうかというと、ほとんど5ですね(笑)

皆さん御承知のとおり、彼女の人生は、
大きく2つの時代に分けられる。
60年代〜70年代中頃までの、
時代のアイコンとして自由奔放に疾駆していた時代。そして、
70年代後半〜晩年までの、
加藤和彦と結婚、スタイリッシュ夫婦として、
ハイソサエティな生活をしていた時代。

本はどの章から読んでもいい構成で、
年末年始に、パラパラと拾い読みしていたら、
結局、全て読み返すことに。
2年以上前に購入し既読の本だが、とても面白く読み返した。
証言者の視点により綴られるので、
同時期の事柄でも証言者それぞれの受け止めがあり、
肯定あり否定あり、とても興味深いのだ。
非常に面白くて読み応えがある。

でも、とっても哀しくなるもの事実。
55歳の若さで亡くなる現実、
さらには加藤和彦さん(実はアルバムもほとんど所有)も、
後年、自死するという現実。奔放で危険でアンニュイな若い頃の章を読んでも、
結末が分かっているので、
どの頁をめくっても、面白いけれど…悲しい。

鳥居教会での彼女の葬儀では、
ジュリーが棺の前方左側を担いだとのこと。

もし彼女が今の時代を生きていたら、
「つまらない時代ね」などと高級車に銀髪で、
六本木あたりを疾駆しているかもね。

それにしても、頁を飾る彼女のポートレートがもうカッコいいこと。

keinatumeg at 23:49コメント(4)トラックバック(0)70年代のジュリー 

2015年12月29日

TVで歌う姿をあまり観ていない。
俺、中学三年生。受験時期と重なるシーズン。
意図的にTVは観ないようにしていたのだと思う。
晴れて受験も終わり、その直後に、欲しかった他のレコードと一緒に、
シングル盤を購入した。もう84年3月中旬。
新曲発売から1月半もたった頃だ。
結果、俺の遅い購入時期が原因か、芳しくないチャートアクション。
自虐ネタのタイトルも、
笑えなくなってしまった。
大津さんも井上さんも鬼籍に入って随分経つ。

どん底



84.2.1発売
作詞:大津あきら
作曲:井上大輔
編曲:井上大輔
オリコン最高位18位(9週チャートイン)
7.1万枚 7DX−1280

ぶよぶよしたイントロが馴染めないが、
マイナー調の得意のメロや、
硬過ぎる衣装(本番前にドライヤーを当てて柔らかくしていたとか)からか、
動き難くそうなアクションなんかも割と好き。
裸のモンローがちらちらするホログラムを衣装にしちゃうところ、
ダイヤ柄で統一されたEXOTICSのビジュアルもとっても素敵。
※ダイヤ柄は前年暮の武道館ライブ「沢田君からのメリークリスマス」の衣装を継承?
ジュリーの着る真っ白な首元たっぷりのタートル、あれ欲しいなあ。

どん底衣装















この曲を聴く度に、
シングル売り上げ下降期の寂しい気分、
近未来感覚のビジュアルイメージ、そして、割と生々しい歌詞が、
こんがらかって、なんとも言えない、
独特の輪郭の定まらない不思議な感覚に襲われる。
これは、他のシングル曲にはない感覚だ。

男と女のぎりぎりの情景や心理を描いた歌詞は、
どこか「勝手にしやがれ」を連想。狙ったのかなぁなんて思うのです。
ある時、その旨を発言したら、一緒にするな!とお叱りを受けたことも(苦笑)。

84年の渡り鳥ツアー、
俺の地元・釧路で公演(7月11日)があった時、
この曲を演奏した確かな記憶があるが、
ツアー後半の日程では演奏されていないような…。セットリスト落ちした??
その後、現在までライブ演奏されたことあったかな?記憶曖昧。
ジュリー御自身もこの曲に関してあまり愛着もないように思える。

発売から1年後…
高校一年生の時、所属していたクラブの、
卒業生を送る会のような催し。
突然、先輩から、何か歌うよう指示があり、
焦りと戸惑いの中で、何故かこの曲を歌った俺。
大学浪人が決定していた先輩に、
「(「どん底」なんてタイトルの曲を歌って)僕への当て付けか?」などと
冗談半分に言われた記憶がある。

これ、以前にも書いたネタ。
うーんネタ切れ。 どん底はこんなもんか。 

何っ?今年もあと2日?よいお年を。

keinatumeg at 23:36コメント(2)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2015年12月22日

近所の商店街で、
古本市が開催されており、寒空の下、
小銭を持って覗いて来たのだが、こういうのもなかなか乙なもので、
非常に宜しい。大江健三郎など5冊を選ぶ。
さて、先月後半、東京出張の際に、
初日は行くだけの、フリーな状態であったので、
銀座で喉から手が出るほど欲しかった、ボルサリーノを購入。
やはり直営店は品揃えが違うものだ。
北海道は雪など注意する旨、店員より忠告があったが、
勿体なくて滅多に被らぬとの返事をしておいた。
俺もこれでジュリー気取りである。齢47にして、ようやくボルサリーノに辿り着く。
歳はとるべきものだなぁ。な〜んて。帽子は自宅まで郵送して貰う。

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その出張に行く際には、自宅から
新千歳空港直結の最寄りの駅まで妻の運転する車で送ってもらったのだが、
隣接する商業施設の本屋で、「ロックジェット」誌を買って、
見送りに来た、娘に手渡した。
特集は尾崎豊。我が家には人から貰った彼のCDが、
オリジナル盤やら編集盤やら6〜7枚あり、彼女は自室にそれを持ち込み、
棚に並べて、すぐ手の届く所に常備、聴きこんでいるのだ。要はお気に入りなのである。
雑誌にはオリジナル盤ごとの解説が掲載され目を通すべきと進言。
まずはオリジナル盤を数百回聴いたのちに、編集盤を聴くべきと、忠告している。

その「ロックジェット」、沢田研二の記事も掲載。ありがたいものである。
沢田研二のことなんぞもうどこの雑誌も取り上げぬ。
我が国の至宝を故意に無視するような為体である。
公演中のカラーグラビアなど本当に貴重、佐藤睦さんの気骨溢れる文章も好感がもてる。
(ジュリーこと沢田研二、という言い方はどうも…。本人も嫌がると思う。)
加瀬さんの逝去に際して沈黙を守ったジュリーに対して、
「加瀬さんのいないジュリーの寂しさはいかばかりか。マスコミに語る言葉などない。」
その通り!
今年のツアー、ファンの前で、会場ごとに違った様々なエピソードを語ってくれた。
マスコミなんぞに簡単に語られるような、二人の間柄ではないのだ。

平成2年の大晦日だったか?

21世紀に伝えたい曲をテーマにした紅白歌合戦に落選した折、
マスコミに感想を求められたジュリーは、
「僕はこの体ひとつで伝えてく」と語っていたことを、ふと思い出した。


keinatumeg at 21:58コメント(0)トラックバック(0)10年代のジュリー 

2015年10月25日

攻めまくりの前作から、
若干落ち着いた、こなし感もある、82年作。
しかし、ボーカルは時に尖り、時にまろやか、
ジュリー33歳、アルバムとしてライブ盤なども含め27枚目。
初めてkenji Sawada with Exoticsとクレジット。
ポール・マッカートニーのタッグ・オブ・ウォーや
松田聖子のパイナップルといったアルバムがヒットしていた時期。

80年代初頭の喧騒と狂乱が一段落、
サウンド的には落ち着いたAOR風。
今回は大沢誉志幸という才能を発掘。
曲調はポップで聴きやすく、ジュリー史上最も夏を感じさせる作品。
3分〜4分台前半のコンパクトに纏まった曲が10曲。
発売当時は小粒な曲が多いと生意気にも思った愚かな俺、
いやいや今も頻繁に聴く愛聴盤になろうとは。

TVでバラエティやコントでも活躍、メディアへ露出度も高く、
歌番組では80年代アイドルと対峙、チャート上位に常に進出。一方、
音楽的にも新しい才能を取り込む嗅覚と新時代性は世間的にも認知。
斬新な衣装とバンドを従えお茶の間の圧巻する謎のベテラン。
僕らガキ共にも幅広くアピールした時代、

それが「A WONDERFUL TIME.」のすべて。

僕らの世代(68生まれ)のジュリーは、
多分ここのイメージ。沢田研二と聞いて82年頃を思い浮かべる奴は多いのでは。
多感な中学二年生でした。
個人的にもとっても楽しく懐かしい記憶の82年。

ジャケ




A WONDERFUL TIME.
1982.6.1発売
最高位14位、オリコン100位内13週
4.9万枚
28MX-1100

A-1おまえにチェックイン
A-2 Paper Dream
A-3 Stop Wedding Bell
A-4 Why Oh Why
A-5 A Wonderful Time
B-1 We Began to Start
B-2氷づめのHoney
B-3 Zokkon
B-4パフューム
B-5素肌に星を散りばめて

現在(いま)となっては、
横文字タイトルが古めかしく恥ずかしいが、

ヒットシングルを冒頭に配し、
端正でクールなシティポップ風のA-1、
クレイジーに盛り上がるジュリー版‘卒業’のA-3、
すっかり定着し抑え気味、松田聖子「今夜もソフィストケース」と途中まで同メロ佐野作A-4。
ジュリー版‘避暑地の出来事’A-5
ぐっとテンポを落としステージ映えしたB-1
ジュリーならでは、ありえないシチュエーションのラブバラードB-4、
あなたに今夜は〜の再来、キラキラ胸キュンソングのB-5。

どの曲もファンには忘れがたい、
ジュリースタンダードの数々。この頃がファンとして一番楽しかったという方も。
俺的にはA-3,5,B-4,5あたりがキラーチューンかなあ。
下世話な本人作のB-3なんてのも収録されているが、
これもまた「A WONDERFUL TIME.」の大事な構成要素。
ジュリーのお気に入りの自作曲のはず。
次作は全曲ジュリー作詞作曲…なんて噂もあった。

レコードのクレジットを見ると、
総合プロデーサーは加瀬邦彦、音楽面では木崎賢治。
エンジニアは飯泉俊之という盤石の布陣。
ジャケのパパラッチに追われるプールサイド、というコンセプトもいかす。
82.3.20〜4.20までREC期間。ということは、
同窓会タイガース「色つきの女〜」がヒットチャートを駆上がり、
全国縦断コンサートが敢行される中、並行し、
このアルバムの録音がなされていたこととなる。

サウンドシティで録音、
テイクワンスタジオでミックス作業。

参加ミュージシャンは、
ほとんどの演奏をEXOTICSが行い、
パーカッションに、浜口茂外也、ペッカー。
A−3では、加瀬さんがハンドクラッピングを、
B−1では、木崎さんが口でパーカッションをやっているようだ。
コーラスでは、佐野さん、銀次さん、大沢さん、EVEの三人。
A−1でのチュルルコーラスに、
佐野さん、銀次さん、大沢さんの3人とジュリーが担当している話は有名だが、
ジュリーの声が際立つミックスのため?
他の方のお声は俺の耳にはよく判別がつかない。
そのようなミックスでなくとも、ジュリーの声はよく立つが。
A-4の佐野さん、B-2の大沢さんの声はよく解るけど。

アルバム発売後、
すぐに全国縦断コンサートが開始され、
広島平和音楽祭へ参加を挟み、
非常に勢いのあるライブが8月後半まで全国展開。
その後、レコード売り上げに陰りが出てこようとは、
当時の俺はこれっぽっちも思っていない頃でした。

以上、「A WONDERFUL TIME.」に愛を込めて、
勝手にレビュー。TIMEの後には必ず「.」を忘れずにね。

keinatumeg at 22:01コメント(0)トラックバック(0)80年代のジュリー 

2015年09月27日

これまで一切情報はシャットアウト、
全く内容を知らぬまま、ライブ当日に。
ただ「加瀬さんに捧げるTOKIO」的なスポーツ新聞の見出しは目にした。
故にTOKIOは演るのだろう、ぐらいの認識。
でも頻繁に演る曲だし、他にも加瀬さん作曲の重要曲は数曲取り上げるのだろうと
安易な予想はしていた。まぁいつものことだろうと。
しかし、開演までの客席の会話を耳にする中で、
加瀬さんが占める割合が極めて高いことを知り、
場合によっては涙する状況に陥ることも知る。
加瀬さんが作った曲は、俺自身、好き指数が相当高く、
オープニングに流れる「僕たちほとんどいいんじゃない」を聴きながら、
今日のライブへの期待が高まるばかり。

ちなみにここ3年間は娘と来ていたのだが、
4月から中学生となり、
部活や勉強に忙しい。休日ならまだしも、さすがにウィークデイは一緒に来られない。
というワケで、今回は久方振りに独りでの参戦である。
仕事を強引に切り上げ、
大通り公園で開催中のオータムフェスタを横目に会場入り。

ジュリー、ゆっくりと登場。

1.危険なふたり
2.恋は邪魔者

(ご挨拶)
お待たせしましたー、札幌です。
御心配おかけしましたが、無事、予定通りにここで出来ることをうれしく思います。
心待ちにしていてくれた皆さん、本当に有難うございます。
おかげ様でグレースも無事、生還してきました。
鉄人バンド共々、最後まで一生懸命に努めます(頼りなさげに、体をクネッとする)

3.許されない愛

1〜2曲目は、
登場したジュリーが嬉しくて眩しくて、
音が耳に慣れていないせいもあるのか、気付かなかったが、
あれ?声の調子が悪い?という気付きあり。しかも相当に。
3曲目の最後の咆哮のような叫びが、
苦しそうで、切れ切れになっている。どうしたのだろう?

4.死んでもいい
5.白い部屋
6.追憶
7.あなたへの愛
8.胸いっぱいの悲しみ

5曲目のサビは相当に辛そう。
周りの客も、異常事態に気付いているようで、
固唾を飲んでステージを見つめているという雰囲気。
キーが高めの曲ばかり。更に後半転調しさらにキー上がる曲が連続する。
顔を紅潮させ、くしゃくしゃにして歌うジュリー。
なんとか声を出そうといろんな歌い方を試しているような時もある。
70年代の珠玉のシングル曲が次々と演奏され、
懐かしい曲、久振りの曲・・・。
本来であれば瞳うるうるという瞬間だが、
不調のジュリーには、拷問のような選曲が続き、
俺もステージを観ながら、大丈夫か…おい…と、思わず力が入ってしまった。
この3〜8曲目の流れがこの日、一番に辛そうな場面。
歌詞が出てこなくて、ぐしゃっと歌ってしまう場面もあり。

9.お前がパラダイス
10.夕なぎ

9曲目のアクションが不調の声を助けた感あり。

(MC)
一寸待ってね。すいませんねぇ(と、水を飲む)自分でもやっていてイヤになっちゃう。
(声の調子が悪いなんてプロとして)あるまじきこと。
そもそも正直な話、神戸の日にダルくて。その時は熱もあった。
でも歌詞も間違えなくて、多少熱があるほうが、良いのかも。
帰ったのが23日、その日病院は開いていなくて。
変な救急に行って、専門医がいないのも嫌だし。
昨日ようやく医者に行って、薬もらってきた。
寝て、薬飲んで、寝て、食べて、寝て…の繰り返し。38.9度まで熱が上がった。
咳をしたくなくて、我慢したら、吃逆みたいになる。
それだけでも筋肉が痛くなっちゃう。横隔膜のあたり、ハラミの部分ね(笑)
明日(札幌でコンサート)やれるかな〜と、うなされるワケ。
寝ながら、繰り返し繰り返し、歌詞を思い浮かべていた。
そうしたら、また、咳が出る。そこいこうとするとなかなか進まない(歌詞の予習をしようにも出来ないという意味か?)
最悪の場合、中止も考えた。でもスタッフが既に行っているしな〜と。
いろんな事を考えていたら、夕方6時半には38.9度。
薬も何時間も開けないと飲めないし。体温計をずーっつと持っていた。
あ、あ、あ…と発声練習してみると、案外、声が出た。
♪あ、なったーが、き、えてー(と「白い部屋」のサビをワザと苦しそうに発声練習の延長ふうに歌う)
コンサートはイケるかな〜と。すいませんね〜、全然イケていなかった(笑)
やっているうちに、上手く歌える方法を見つけられるかなという希望だけで、
コトを進めるのは、無謀かなあ。と。
今日はひとつどうか温かい目で見てやってほしい。
薬飲んで水ばかりのんでいると便秘になるのよ(笑)
すいませんね〜、そこら辺で近所のオバちゃんと会話しているみたいで(爆笑)。

と、以上のような昨日・今日の状況を、自虐的に笑いも交えてお話しされ、

3月11日に新曲を出しました。東日本大震災をテーマにしたもの。
鉄人バンドに曲をお願いし、僕が歌詞をつけました。
全ての被災地に祈りを込めて…

11.泣きべそなブラッドムーン
12.涙まみれFIRE FIGHTER
13.こっちの水苦いぞ
14.限界臨界
15.ウィンクでさよなら
16.バイバイジェラシー
17.甘いたわむれ
18.恋のバッド・チューニング
19.ねじれた祈り
20.きわどい季節

後半は、さすが沢田研二!
調子が悪いなりに、声もグングン出ているように聴こえ、
曲に合わせてのアクション、身のこなしがぴたっと決まり過ぎ。
16曲目の内股のアクションや19曲目の身をよじりセクシーな歌声はジュリーならでは。
20曲目では、ふくよかで艶のある歌声が、
会場全体を柔らかく包む極上な瞬間となった。

本編終了して、
アンコールを求める拍手に合わせて、ジュリーと連呼する声も。

パープルの綺麗なストールがジュリーに良く似合う。

(MC)
・嫌になって帰った方はおりませんか?そういう人がいてもおかしくない状況。
・(励ます声が会場あちこちから)恐縮です。
・加瀬邦彦さんが亡くなったということで、今回は加瀬さんの曲を集めた。
・昨日は熱がある中、加瀬さんにお願いした。「加瀬さん、熱、下げてね」と。
・自死といわれているが、まだまだ生きたかった。
元気になりステージに上がりたかったと僕は信じる人間です。
・ツアー曲を朧げに考えている頃、加瀬さんの曲は1曲もそこにはなかった。
・複雑ではあるが、亡くなったので、加瀬さんの曲をやるべきかなあと。
若かりし頃、一緒に歩んでくれた人。
・ヨーロッパ進出の頃も、プロデューサーの仕事ばかりでなく、
マネージャー的な事もしてくれた。
・ヨーロッパでは、面白い事が沢山あった。
・フランスもあまり美味しい食べ物はなかったが、タルタルステーキは旨かった。
・加瀬さんが「こんな食べ物日本にはないよね〜」と。「いや、ありますよ」と僕。
・皆気を使うし、ファンに囲まれるしで、放っておかれたので、
タイガースの頃は単独行動が多かった。
・独りで食事にいくことも多かった。
その頃行った赤坂のレストランで「タルタルステーキ」を食べた。
・「ステーキ…タルタルって何ですか?」と尋ねると
「ハンバーグの生ですね」といわれた。
・いろいろな食材が入っていて旨かった。加瀬さんから、その店の場所を尋ねられた。
・加瀬さんのよく行く、ふぐやさんの近く。
もうあるのかどうか分からないが、場所を教えといた。
・おフランスは水が不味い。レストランで汲んでもらうと、沈殿物が出来る。
・エビアンやヴィッテルのミネラルウォーターを注文した。
その頃まだ、ボォルヴィックはなかった。
・加瀬さんが「あん えびあん しるぶぷれ」と注文すると、ビールが運ばれて来た。
・僕はその頃、フランス語を仕込まれていたので、
得意げに「あん、えびあん、しるぶぷれ」(いかにもフランス語的な発音)と
注文すると…またビールが来た(爆笑)
・加瀬さんがJALから貰った実用書のようなものを出して、
「あくあ、みねらーる」とか言ったら、ようやく注文通りの水が来た。
・パリのオペラ座の近くに「オオサカ」という日本料理店があったが、
フランス人になりきろうと、行くのを我慢した。
・どうしても食べたくなったら、中華料理店に行った。炒飯や焼きそばが嬉しかった。
・「パリの哀愁」という、いやらしい映画の撮影の時、
ブルゴーニュでは加瀬さんとホテルは同室だった。
・パリでは、売れていなかったので、あまり良いホテルではなかった。
・ポーチドエッグというのが旨いと聞いて、ふたりで身振り手振りで注文。
(鶏が卵を産む真似をするなど、大爆笑)
・フランス語で、壊すを「カセ」という。※「カセ、カセ〜」と言いながら、
膝で卵を割る真似など、爆笑。
・帰国する前に熱を出したこともあり、加瀬さんは出掛けずに、
タオルを替えてくれるなど看病してくれた。
・その頃は、パリで曲も売れて、渡辺美佐さんも宿泊する、
よいホテルに宿泊するようになった。加瀬さんの部屋とは繋がっていた。
・僕にかまわず出掛けてくるように言っても「いや、マネージャーとして…」とか言って看病してくれた。
・日本手拭のような気の利いたものはホテルには無い。
風呂場のシャワーにある手袋みたいなもの(垢こすり?)を絞って額に当ててくれた。
・思わず加瀬さんに「好きです…」と言いそうになった(笑)
・ソロ2曲目の「忘れられない愛」(?)を作ってもらってヒット。
・「危険なふたり」からは衣装もやってくれ、
早川タケジにも合わせてくれた。いろんな人と合わせてくれた。
・引っ込み思案で奥手の僕(笑)を、全面に引き出してくれた。
・亡くなったとの一報に泣いた。「君に伝えるのは僕の責務」と鳥塚さんからの電話を受けた。
・ふたりで「どうして?」と。リハビリや再発などで絶望的になったのかと。
・あの加瀬さんが諦めるのか…と、情けなくもあり、哀れでもあり、
もったいなくもあり、電話口でふたりで泣いた。
・この年齢になって、人の死で泣くのは久し振り。
・今回は新曲以外、全て加瀬さんの曲。
こんなダミ声では想いは伝わらないでしょうが。
・押しつけがましいと思う人もいるかもしれませんが、供養。
・今日の悪声、誠に申し訳ないが、御静聴ありがとう。見守ってくれてありがとう。

以上のようなお話を15分程度。
面白おかしく会場の笑いを誘いつつも、ジュリーの想いに、グッとくる内容。
仕事関係を超越し、以前に歌詞にもあるが、兄と弟のような、
他人には踏み込めない間柄の加瀬さんとジュリー。
加瀬さん不在の大きさを改めて感じる。

ここで鉄人バンド登場、紹介があり、
「よろしゅうごぁいますか〜、あと3つです!!」と演奏は始まる。

AC
21.TOKIO
22.気になるお前
23.海に向けて

本日のジュリーは、
「(悪声で)ごめんね〜」といった雰囲気の、
茶目っ気のあるアクションも多かった、特に、膝まづくアクションでは特にそう。
観客もうれしい選曲に歓喜しながらも、
ハラハラしながらステージを見守ったという印象。

しかし、
今回のステージは残念だったかというと、全然そうではなく、
不調ながらもプロのステージを務める姿が、
近年一番の想いで深いコンサートとなった。

やはり、俺は加瀬さんの曲が好きだ。
どの曲も爽やかで心の琴線に触れるのだ。
当時のジュリーが、溌剌とステージを務める姿が、
現在のジュリーと二重写しになる。本当に不思議だ。
バイバイジェラシーなど、これからも、演奏してほしい。
演奏が始まった時は、うれし過ぎて、何の曲だか分からなかったよ。


俺といえば、こう立ち続けるコンサートは、
脹脛あたりからパンパンになり、腰から肩にかけてはバリバリになるという体たらく。
どうにかしなければならん。

keinatumeg at 10:21コメント(3)10年代のジュリー 

2015年09月13日

仕事で東京にいた頃、
北海道に戻る前の最後の休日であり、
寄宿舎の仲間と東北に出掛けたその帰りのこと。

随分と値が付いていたのだが、
東京で頑張った自分への御褒美などと勝手な理屈を捏ねて、
新宿で写真集「僕の中の男たち」を購入した。

数週間前に、偶然、中古屋で見つけ、
年譜などで表紙は目にしていたものの、
実際に手に取るのは初めてということで、相当興奮したものだ。
相当な美品であり、また、地方にいては、二度とお目にかかれぬと
後々後悔せぬように思い切っての購入であった。

70年代中頃の独特の暗さを湛えた表紙のジュリーの眼差しが、
俺に見つけられるのを、長い間、じっとそこで待っていたような気がしたものだ。


IMG_0405





76年12月23日発売
(↑武道館ライブの日だね)
定価1800円
株式会社ワールドレジャー 撮影:稲越巧一

想像のとおり、
写真集全体は地味で暗い印象。
男・沢田研二の様々な側面を切り取るのがテーマなのだろう。
その後の展開される派手な創り込みは微塵もなく、
ごくごく自然体な写真、そして地味なトーンで統一されている。

とは言っても、
変な写真も多数あり。
火消し姿、剣道の防具姿、とび職姿、バンカラ姿など、
あえて男臭いものばかりわざわざ選択してコスプレしておる。
またビキニパンツ姿で海辺ではしゃぐ姿も前半かなりの頁を割いており、
男臭さといい、ビキニパンツといい、そっち系の方は堪らないものがあるかもしれない。
長い髪の毛、全体をきっちり撫で付けている姿があるかとおもえば、
ある写真は、頭髪の前髪はきっちり撫で付け、横の髪のみザンバラだったりと、
何とも言えない不安感をこちら側に与えてくる。
どこか変な感じなのだ。確信犯か。

体中オイルをテカテカに塗り褌一丁の姿など、やり過ぎ感は相変わらずだが、
一方、フツーの兄ちゃん然とした写真もまたありで、
和服姿、レザージャケットでバイクに跨る姿など、

全体を通じて、匂い立つような男の色気がある。

昔は76年のジュリーについて、
リアルタイムで経験していない最後の年であるかことから、
俺にとって謎の一年であったが、随分と音源や書籍、映像等で、
全体のイメージが掴めてきた。
あとはタイムマシンで実際のロックンツアーを経験するのみだ。
ツアー初日の渋谷公会堂がいいか、
名古屋球場がいいか。悩ましい。え〜い、全部経験しちまえ。

ところで、俺のお気に入りは、
使い込まれたコンビの革靴のアップも捨てがたいが、
ほぼほぼ最後に掲載される和田誠氏が描く、
このジュリーが一番好きかも。

IMG_0406


ファンになり38年、
たまーにこのような偶然の邂逅があり俺の自制心を攪乱し、
財布の紐を緩めさせる恐ろしい出来事が待ち受けるのだ。

keinatumeg at 21:11 

2015年09月08日

9月17日が近づく。
東芝EMI時代の諸作品の再発の日だ。
購入しようかどうか躊躇うこの頃、金の問題ではない。
これ以上モノを増やすことに対する躊躇いである。
そもそも全て所有済みだ。ほぼ発売日に購入している。

妻はモノを持たないことを信条としており、
断捨離に至上の喜びを感じている。
私物はトランクひとつで間に合うのではなかろうか。
一方、俺様ときたら、衣類や靴や眼鏡の類を何種類も買い揃え、
お気に入りの作家や音楽家の作品は、すべて揃わないと気が済まぬタイプ。
コレクター気質とでもいおうか。
私邸を建てた際に、たくさんの収納スペースを拵えたために、
家中は一見スッキリ見えるが、
私物はかなりの分量に及ぶ。

新生ジュリーを発信した85年作から、
かのツインドラムのバンドと紡ぎだした地味目の作品群、
豪華作家陣を要し少々の話題作。それを推し進めた重心低い単純(シンプル)な奴。
キレイ系のものを間に挟みつつ、
ジュリーイメージに寄り添う少し痛い作品まで、
白盤、黒盤を加えた全13作品。

当時から現在も愛聴盤、
頻繁に聴いたもののその後あまり聴かない奴、
当初は?だったけれど最近は妙に愛おしい奴
売れる期待〜売れなくて当たり前の時代へ。
まあ、どいつもこいつも可愛い奴ばかりだ。

俺様自身、高校2年生の洟垂れ坊主の頃より、
浪人、大学、就職して2年目…と最も人生の変遷が激しい時期と合致する。
人生の成長と挫折、妬みや僻みや嫉みに満ち溢れ、
かつプライドが高いというどうしようもない性格の頃であり、
かの13作品の事を考えると、
妙な郷愁を覚えることこの上ない。

音質も気になる処で、
今月にはおそらく2〜3枚は試しに購入するに違いない。
年の瀬頃には13作全て収納棚に、並んでいることだろう。
CDを並べた揃いの背を眺めて御満悦、
セロファンすら切らずの作品もあるかもしれない。

ああ、なんて進歩のない俺様なのだ。
でも、澤會より提示のあった収納BOXには食指が動かず。
25周年再発時の同種のそれの事例もあることで、
どういうものか大体見当がつく。
愚者は経験に学ぶという奴だ。

keinatumeg at 22:4480年代のジュリー90年代のジュリー 

2015年08月30日

先月のとある金曜日に、
札幌市内で行われた、南佳孝さんのライブに出掛けた。
クールで気障な雰囲気がたまらなく好きだ。
ギターやピアノで弾き語りの、
ライブが出来る機材やスペースのある喫茶店での独演である。
夜は当然、酒もでる。客は50人もいただろうか?

憧れのミュージシャンを至近距離で観るのは、
極上の贅沢であるが、実力派のベテランも地方ではソロでやるしかないのが現状で、
ライブの宣伝も殆どなく、御本人のHPでも頻繁に閲覧して情報を入手していないと、
うっかり見逃してしまう。
ソロも悪くはないが、東京でのライブのように、バンドの中心で歌う雄姿も
たまには観てみたい。

ところで、
佳孝さんは、近年は積極的に邦楽のカバーも取り上げ、
この日もオリジナルや外国のカバー曲と併せてそれを披露。
その中の1曲で「君をのせて」も演奏する。
これ、ジュリーの曲よねぇ…(吃驚!)という反応の女性客達も見受けたが、
一寸意外。

このブログでも当時書いたのだが、
「君をのせて」は、06年の「ボッサ・アレグレ」という
ボサノバアレンジの企画モノCDの1曲として公式に世に出ている。
(同作品では「花の首飾り」や「シーサイド・バウンド」も収録)
なので、その晩は、
佳孝さんの音源を聴きこんでいるコアなファンばかりが、
集っているものと、勝手に思い込んでいたからだ。

曲を演奏後、佳孝さんは、ジュリーについてのコメント。

以前に2曲(「シルクの夜」(84)「SAYONARA」(92))、曲を書いたことがあるが、
御礼に、ということでしょう、樽で京都の漬物が沢田さんから届いたことがある、と。
また最近、自宅近くで音楽仲間とバーベーキューをしていたら、
偶然、沢田さんのスタッフ(だった人?)もいて、
その方が、沢田さんは、旅行のお土産をスタッフに配るなど、
非常に律儀な人なのだと言っておったとのこと。

意外な場所で、ジュリーのエピソードが聴くことが出来、じんわりうれしい。
ついつい、ライブ中の1コインのお酒が進むのであった。
もう少ししたら、
忘れそうなので、ここに記しておく。

そして、今日、札幌でのコンサートチケットが、澤會より届いた。

keinatumeg at 23:24おまけですう。 

2015年08月14日

特に今年に入ってから、慢性的に忙しい日が続き、
世間的には朝方勤務とか夕活などという言葉もあるようだが、
わが社はまるで関係なく、家で晩御飯を食べることも、ほとんどない。
どうやら現在の部署にいる限り、こういう状況がエンドレスで続きそうだ。
そんなことで、季節の移ろいを感じることもないままに、
お盆時期を迎えたのだが、ここ数週間、北海道でも暑い日が続き、
寝苦しさの中に、季節を感じてしまう状況だ。

さて、自宅でパソコンの電源をONにすることもないことから、
ブログ更新からも遠ざかり、ジュリーと向き合う時間も滅法少なくなってしまった。
必然的に距離も遠のき、ジュリーが現在、どういう状況なのかもさっぱり分からずで、
澤會からのインフォにより、最低限の情報を後付で知る程度。
加瀬さんの死に心痛し、
札幌公演の「お嬢さんお手上げだ・明治編」を観たのだが、
僕自身、それ以外、ジュリーに纏わるネタもない。

そもそも、新作に心酔しているなら、
現在のジュリーの状況にも興味が湧いていることと思うが、
購入した当初こそ何度か聴いたが、その後はさっぱり聴き返すことがない。
作品の良し悪しではなく、音楽を、楽しめるか否かと問うた場合、
そういう基準だけで判断すると、自分の場合は後者となってしまうのだ。
どうか誤解しないでほしい。改めて言うが、作品の良し悪しのことではないのだ。
あくまでも音楽を音楽として聴けるかどうかという問題だ。
新作に思い入れが湧かない関係で、
現在の、ジュリーとの距離が出来てしまっている原因となっているのも事実。
案外その距離が心地良かったりするかもしれない。

ただ、暑い毎日の中、
先日、むしょうに「きわどい季節」が聴きたくなり、
夜中、ヘッドフォンを付けて、CDを何度かリピートした。
涼やかで艶やかで、とても良い。
こころの琴線に触れるような感覚で、
すーっと沁みてくるがわかる。一服の清涼剤の役割を担ってくれるのだ。
僕もこういう曲の良さが分かるような年齢になったのかと、
独り心うちふるわせてみたりして。
ジュリーとの距離も、また、縮まってくる予感。

お盆休みの今日の庭仕事はほどほどにして、
カキ氷に、ソーダシロップをたっぷりかけて食べたい気分。
短い夏を満喫したい。

keinatumeg at 12:4010年代のジュリー 
自己紹介
けいなつめぐ(keinatumeg)
趣味は音楽、服飾、車、音楽は洋楽邦楽JAZZ等なんでも好き!沢田研二は特別に好きで世界一のグレイティストシンガーだと思っております。♂、北海道在住、AB型、68年生
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