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先日、いつの間に秋になったのか?と思うような白い羊さんがいっぱいの青空が見られました。
この6月、いつの間にか梅雨に入っていたものの、まるで夏のように暑い晴れ間と突然の豪雨、梅雨らしくないですね。いつの間にかアジサイも枯れてきてるし。

それはさておき、本題なのですが、オリジナルテレビアニメ「VIVY(ヴィヴィ)」が先日の土曜日に最終回を迎えまして、本当はその放送中に書きたかった話題だったのです。だいぶ遅くなりました。
劇中世界に「アラヤシキ」という塔があって、アラヤシキは世界中のAIの制御を担い、AIのデータベースともなっていて、ネットワークの中心になっている電波塔です。100年間の間に建造が進んで高くなり、100年後の世界では頂上が見えなくなるほど高くなる・・・アラヤシキの高さがAIの発展の指標ともされていました。
なんでアラヤシキという名を付けたのか説明は劇中に出てこないのですが、おそらくは、AIがいつか人間を超え、時空をも超える存在になろうとしていることを暗示していたのでしょうか。近年のアニメには他にもこの「アラヤシキ」漢字で「阿頼耶識」という名を冠するものが登場することがあるようなのですが、そもそも、阿頼耶識(あらやしき)とは何なのでしょう?この手の話に深いかたは御存知かもしれませんが。
阿頼耶識とは、大乗仏教の一派でのみ伝わる概念で、人間の持つ感覚である眼識、耳識、鼻識、舌識、身識、意識、末那識(まなしき)に続く第8の感覚のことです。
5つめまでは、いわゆる五感に相当します。意識は精神的な感覚、第六感と言うよりはそのまま、心で感じる意識ということかも。末那識は6番目までの感覚の背後で働く自我意識のこと。阿頼耶識はさらに深い、個人の存在の根本にあるもの、だそうです。

日本の漫画で、おそらく一番始めにこの阿頼耶識を物語に出したのは、車田正美先生の有名な人気作「聖闘士星矢(セイントセイヤ)」ではないかと思います。もしかしたらもっと早く出している作品があったかもしれませんが。
車田正美先生って独特で独自の神がかった作品を先進的に描いてきているんですよね。あらゆる神話にも精通しているようですし。後の作品で、心を持ったロボットの獣に乗って戦う「B"t X (ビートエックス)も好きでした。(月刊少年エースで連載・完結)
僕は小学生の頃から星と星座が好きで、昼間の空で定点回転するUFOを見たことがあったせいもあり宇宙に興味深々、星が大好きでした。
当然のように聖闘士星矢にも心惹かれてコミックスを読み漁ったものですが、長い地上編の後に海王ポセイドン編があり、そして冥界編へ。原作最後の舞台は冥王ハーデスが支配する冥界編となります。
冥界、それは死後の世界で、罪人が行く冥府の世界、いわゆる地獄です。
その冥界編で、舞台が地上から冥界に移る前に出てきたのが、乙女座(バルゴ)のシャカが残した「阿頼耶識」という言葉。
それは、阿頼耶識=エイトセンシズ(第8感)に目覚めて、冥界へ行き冥王ハーデスを倒せ、というメッセージでした。
車田正美先生が連載初期の頃からこの構想を持っていたのかどうか分かりませんが、初期の頃から「第6感を超えた第七感(セブンセンシズ)=小宇宙(コスモ)」という話が出てくるので、第8感も後々出すつもりがあったのかと思います。
末那識も第7感である小宇宙に当てはまりそうな感じありますし。
そして、聖闘士星矢の中では、阿頼耶識=エイトセンシズは、「小宇宙(コスモ)の最奥にあるため常人は生前に気づくことはできないもの。通常は死後に第1感~第七感が途絶えた後に発現する。生きているうちにエイトセンシズに覚醒した者は、生きたまま地上と冥界を行き来できる。」というものでした。
これが阿頼耶識と考えれば、なんとなく分かりやすい?ですね。
死者の霊魂、僕は残留思念の精神体はある程度残るものだと思っています。現在の科学で捉えられないものでも、科学的な論理立ての上で考えたい。
個人的に宗教は信じませんので宗教は参考にしません。ただ、宗教にも根本には真実が関係しているのかも、とも思っていますが。悟りの境地に入った宗教の開祖は、まさに死の寸前まで行き生きながらにエイトセンシズに目覚めて死後の世界を体感して戻っている可能性があるのかもしれませんし。それも、臨死体験ではなくてですね。臨死体験は、死のストレスを感じた脳がストレスを緩和するために脳内麻薬により見せる幻覚であるとも言われています。死後の世界についてお花畑の天国のイメージを持っていて、それが幻覚となって現れる、という説。まあ、それはさておき、物質世界で生きている我々が目や耳でなかなか感じられない霊的なものが、肉体を失い第6感まで全て(ついでに第7感も?)の現実の感覚を失うことで、やっと感じられるようになる。そういうことが現実にあってもおかしくないのではと思うんです。

僕が考えるに、霊魂(残留思念の精神体)は脳を持っていないので生きた人間のようにあれこれ考えるののが難しくなる、その反面、あれこれと悩むことがなくなる。虚ろな存在だけど、虚ろに記憶も残っている。知っている人、会いたい人がいればそこへ引き付けられて向かうのでは?眼球で見ているわけではないけど、周りを感じとって、目で見ているのと同様に、ぼんやりと見えていて、声も聞こえるんだと思うんですよね。虚ろな存在だからこそ、自分の心身とも健康だった時の姿に、なんとなく戻る。病気もケガも無い。老いていればある程度若返る?たぶん、自分の持っていた本来の自分のイメージになるという感じなのかな、と思います。
脳が無くなったら記憶はどうなるの?という疑問もありますが、心臓を移植したら心臓提供者の記憶と心が無意識的に引き継がれたなんていう話もありますよね。本当かは分かりませんが、命を脈動させる心臓には記憶も心もつながっているという、なんとも非科学的な話ですが、我々の感情には常に心臓が関わっていますので、あり得そうな感じがします。同様に脳が失われても心と記憶はある程度残って漂うのではないかと。
すでに認知症になっている場合どうなのかな?というのもありますが、脳細胞がどうなっていても、きっと、その奥には細胞を超えた記憶が残っているような感じだと思うんですよね。肉体から解き放たれることで、その辺も解放されるのではないかと。
周囲の景色もぼんやり見えていて、なんとなく自然豊かな場所へと集まるのではないかと思います。それが「天国」なのかな。
また、空間をある程度超越していて、遠くからでも見守っているのかも。うちの両親はまだ健在ですが、その時が来れば、ずっと見守っていてほしい、こちらも時々でも、語りかけたりしたいと思います。
ただ、何か自分を縛る強い思いがあったりすると地縛霊みたいになってしまうんだと思うんですけど。僕自身は霊感があるのか無いのか分からないのですが、そういう残留思念のようなものは絶対あると思っているので、心霊スポットみたいな場所には絶対行きません。なんとなく、取りつかれそうな気がするんですよね。ある意味、理解者だから?

あと少し補足します。
前にVIVYの感想の時に「次元」の話を妄想して書きました。
線が1次元、面が2次元、立体が3次元、時間が4次元という考え方。
つまり、立体に時間があることでこの現実世界は成り立っている。
タイムマシンで過去に行って歴史を変えてしまうと、そこから世界(宇宙)が分岐する。そういった分岐した世界(宇宙)が本のページのようにバラバラと存在するのが5次元、そんなことが有り得るのか、案外そういうものなのか、などと思ったわけですが。
考えてみると、精神体同士でだけ感じられる世界があるならそれも1つの別次元なのではないかと思うんですよね。それが5次元とか6次元と言えるのではなのかと。
立体と時間のように密接に重なっているんだけど、こちらからははっきりとは感じられない次元がある。こう考えると、少しSFっぽく思えませんか?きっと、いつかそれも科学的に分かる時が来るのかもしれません。



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