2023年09月28日
MERCI。そしてここから。
こんにちは。最後の部員日記を書かせていただきます。四年の牧野です。
ラスト部員日記、いよいよきたかーという気持ちです。大学に入ってからのどんなレポートより力が入ってしまいます。
留学後部活に復帰してからまだ2ヶ月しか経っておらず、かつリーグ戦も途中なので、引退の実感はわきません。しかしそんなことを言っても、約1ヶ月後の早慶戦は待ってはくれないので、自分に発破をかける意味も込めて書いていきたいと思います。言いたいことが多くて長くなってしまいそうなので、前半はさらっと読んでいただけると幸いです。笑
<バドミントン>
小学校2年生からバドミントンを始めて、早いもので15年が経ちました。幼馴染に誘われ地域のスポ少でなんとなく初めたら、いつのまにか兄妹ふたりも巻き込んで、バドミントンが生活の中心になっていました。小さい頃は壁打ちが大好きで、夜中に始めては近所迷惑だと親に怒られていた記憶があります。(今からは信じられないですが、小学生時代は長距離ランニングもけっこう好きでした笑)15年間の中には受験や留学で他の期間と比べてバドミントンから離れていた時期もありますが、それでも常に「自分は、バドミントンをしている人間」という意識があったように思います。そしてそんな意識が最も大きかったのが、大学での四年間でした。
一年生の時、新型コロナの影響で1学期は実家で課題をして犬と遊ぶだけの生活を送り、同期より遅れてバドミントン部の門を叩きました。個人ではインハイに出られなかったので、大学では絶対にインカレに出たくて、そこで会おうと高校同期と話したことがきっかけでした。(今思い返すと、白く輝く神殿…ではなく、記念館で練習できるのかっこいいなーというのも少しありました。)しかし最初は、高校までとは違う「自律した」大学の部活の雰囲気に圧倒されました。
私はバドミントンに限らず自分に甘い性格です。もはや定説となっているので驚かれるかもしれませんが、このことを実感するようになったのは大学で部活に入ってからです。竹本さんからノックの時に「まだ足りない、もっと頑張れ」と言われ続け、ペアを組んでいただいたみなみさんからももっと粘れとたくさん言われました。高校では周りのレベルが自分より遥かに高くても、根性だけは取り柄だと言われていたのに、いつからこんなに頑張れなくなったんだろう、と自分の中で考えました。しかし釈然としないまま、みなみさんに引っ張っていただき、2年の東日本代替試合がやってきました。
インカレがかかる本戦の試合はセッティングで負け、インカレ決定2回戦もファイナルセッティングで負けました。私は試合中ずっとみなみさんに引っ張ってもらうことしかできませんでした。あんなに頑張って引っ張ってくれて、あと一歩で届きそうだったのに、応えることもできなかった。そう思うと、今までの自分の試合の中で一番悔しくて、試合後はすごく久しぶりに泣きました。
そして高校時代から今までを振り返ると、練習も試合も、いつも自分より大きな何かにプレッシャーを与えてもらい、その存在に「ついていく」ことを目的としていたことに気が付きました。それまで私はついていくことができれば「頑張った」と言えるのだと思っていましたが、それではその存在に追いつくことはできないし、何も与えることはできないのです。これはチームでも、ペアでも同じでした。
本当に「頑張った」と言えるのは、自分を客観的に見て必要なことを考え、日々の意識に落とし込んで継続した時だと思います。その上でいろいろな人がお互いに刺激を与え合うことが、最初の頃に慶應バド部から感じた「自律」の正体であり、自分にも必要なことだとわかりました。
バドミントン部に入ってこのことに気づくことができて、私は本当にラッキーでした。もしも大学でバドミントンをやめていたら、それまでの自分の「頑張り」に違和感を持つことなく終わっていました。きっと大学が終わっても、バドへの気づきはこれからも増えていくんだろうなと思います。
インカレを逃した後、自分なりに突き詰めて考え、練習してきたつもりです。リーグ戦で前より勝てたり、都学生や関東選手権で8に入ったり、少しは結果も出るようになりました。だけどまだ満足がいく結果は得られていません。これからの1ヶ月にもそのチャンスはあるので、最後まで全力で頑張ります。
___
バドミントンをして得たものはなんですかと聞かれたら、私は迷わず「人との繋がり」と答えます。きっと全国大会に出られていても、私が得たものの一番はこれでした。ここからは、そんな方々に伝えたいことを書きます。
<先輩方>
この文章を書くにあたり、自分が関わらせていただいた先輩方の引退前の部員日記を読んで、気がつくと全員の文章に今さら「いいね」を押していました。それくらい、皆さんの文章からはバドミントン・そして体育会バド部に対する愛が溢れていました。日本で一番長い間、そんな熱い気持ちが受け継がれるこの部活に入ることができて、自分は恵まれていたとあらためて感じます。
思い返せば、下級生の頃は今より練習への姿勢も全然適当で、上級生からしたら甘えたやつだったとおもいます。だけど、練習ではたくさん打って、時には叱ってもらいました。それ以外でも、たくさんご飯に連れていってもらって、困ったら助けてもらいました。こんな上級生、こんな人間になりたいと思わせてくれる人ばかりで、今でもずっと支えられています。本当に、ありがとうございます。これからもたくさん頼らせてもらうと思いますが、よろしくお願いします。
<岩田監督・青木コーチ・竹鼻コーチ・矢野コーチ・上田コーチ・柴田コーチ>
岩田監督をはじめとする監督・コーチの皆様には、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。選手として、社会人として、最前線で戦われてきた監督・コーチの皆様の言葉には、今まで自分に足りていなかった深く突き詰めた考え方が詰まっていました。
競技の外でも、部のことやそれ以外のことでたくさん気にかけていただきました。なかなか教えてくださったことをすぐできるようにはなれませんでしたが、根気強く指導していただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
<日吉組>
ご存知でない方のために少し説明させてください。日吉組は、竹本さん(R4)、三島さん(R5)を首長とする慶應体育会バドミントン部内の地方出身メンバーによる集い???です。
…とりあえず、怪しい団体などではありません。
真面目に書くと、私の大学生活は日吉組の方々にたくさん支えられてきました。やっぱり部活して一人暮らしはいろいろ大変だし、地元に帰りたくなる時も一度や二度ではなかったです。それでもみんなで定期的にご飯に行ってそれぞれの地元トークをしたり、花火したりするのは本当に楽しくて、いまでは日吉が第二の地元みたいになりました。いつまでできるかはわからないけど、せめて今年度が終わるまでは恒例の誕生日会を全員分やりましょう。
<後輩>
まずは留学が終わっていきなり部に戻ってきて、少しの間だけ先輩面するような私を、受け入れてくれてありがとう。そして男子のみんなは、後輩だけでなく同期も、女子のリーグに対して応援をしてくれたり、練習相手をしてくれたりしてありがとう。
私は先輩として、みんなに何か返せているでしょうか。普段できているかわからないので、伝えたいことを書かせてください。
私がこの文章の前半、自分の大学生活を振り返って言いたかったことは、簡単にいうと「受け身ではいけない」ということです。自分で考えて日々試行錯誤する。そういうひとがたくさんいるほどその集団は強いです。もうやってる人もいると思いますが、それが部員全員に共通するものになって欲しいです。
それから、最近部活でよく聞く話題として、「結果」に関するものがあります。
体育会である以上、ひたすら勝利を目指す考えはもちろん必要で、そうあるべきだと思います。だけど結果を出そう出そうと思ってると、時には視野が狭まって逆効果になります。実際、私もそうなりやすいです。視野が狭くなってどんどんマイナスに流れていきそうなときは、まず周りと話してみてください。必ず今より状況は良くなると思います。
それが無理なときは、「自分で自分を奮い立たせられる何か」を持ってください。というのも、小さなことで気分が変わりやすい人(これも私です)は、その度にまわりに相談するのも憚られると思います。そういうときは、自分が前向きになれるスイッチをもっておくといいです。例えば自分のいい感じだった試合の動画、思い出のもの、憧れの選手の動画など、なんでもいいです。
私は以前これを人に言われて、2016年のリオデジャネイロ五輪決勝、タカマツペアの動画をよく見ます。詳しいいきさつは省きますが、この試合、深夜にリアルタイムで見て泣くほど感動しました。あの時から人生が変わったなと思います。YouTubeにあるので、みんなも試しにラスト10分だけでも見てみてください。
これからの体育会生活、いろんなことがあると思うけどみんななら大丈夫です。何かあったら(なくても)いつでもご飯行こうね。ずっと応援してます!!
<女子>
女子のみんなには本当にたくさんのことで感謝しています。部室とかで何気ない会話をできるのもすごく楽しいです。だけどまずは、この部活に入ってくれてありがとう。
私たちの部は、年がら年中人不足です。体育会をやっていると、それも当然だと思います。練習はきついし、授業中は眠くなるし。そこに男子女子は関係ないかもしれないけど、この生活をしていくには、相当な覚悟が必要だと思います。そんな中でも、大学でバドミントンをすることを選んで、一緒に頑張ってくれて、本当に嬉しいです。この部活の女子は、私の知っている限り代々ほんとうに負けず嫌いです。各代で雰囲気は変わっても、そこだけはこれからも変わらないでいてください。
今年入ってくれた二人のマネージャーも、いつもたくさんの仕事を引き受けてくれて、すごく感謝しています。これからも一緒に練習をする中で、いつかは選手のみんなに負けないくらい、バドが好きになって欲しいです。
もうすぐ入れ替え戦があります。入れ替え戦ってだけで緊張するし、春と同じ相手だけど、今度はこっちが挑戦者です。たくさんのことを考えてしまうと思うけど、最後は自分たちらしく、笑顔で粘っていこう。
<同期>
正直、一番書くことに悩みました。
同期って、「部活という仲間の中の、さらに仲間」だと思います。私たちの学年はどんなだったかな。
個性が強くて、まとまりがないともよく言われます。
でもやっぱり、部活で一番長い間一緒にいた存在にかわりはないです。その時間、すごく楽しかったよ!
寝坊癖があって、すぐ論破してくるけど時々いいことをいう人
好きな音楽を布教しようとうるさいけどなんか趣味が合ってしまう人
フラ語手伝うのほんとに眠いし大変だったけど、後輩思いなのには定評がある人
酒癖わるいけどバドに真剣でたくさんアドバイスをくれる人
ふわふわかわいいキャラかと思ったら実はすごく自分をもってる人
完璧人造人間かと思ったらちゃんと血が通ってて安心した人
不満も出ないくらい、自分を犠牲にして部のために全力を尽くしている人
みんなのおかげで乗り越えられたことがたくさんありました。きっとみんな、お互い少しはそう感じているんじゃないかと思います(願います)。
素直じゃないひとの集まりだし、自分も途中抜けてすごく迷惑をかけたけど、なんだかんだで私はこの同期が好きです。最後の早慶戦は、必ず全員が揃ってほしいと思います。
少し早いけど、四年間本当にありがとう。
___
さすがに書きすぎました。
感謝の気持ちは、言葉より結果で表したいです。
もちろん最後の舞台である早慶戦もそうですが、まだ昇格をかけた入れ替え戦が残っています。必ず勝って、恩返しをします。
慶應義塾体育会バドミントン部
法学部政治学科4年 牧野桐子
ラスト部員日記、いよいよきたかーという気持ちです。大学に入ってからのどんなレポートより力が入ってしまいます。
留学後部活に復帰してからまだ2ヶ月しか経っておらず、かつリーグ戦も途中なので、引退の実感はわきません。しかしそんなことを言っても、約1ヶ月後の早慶戦は待ってはくれないので、自分に発破をかける意味も込めて書いていきたいと思います。言いたいことが多くて長くなってしまいそうなので、前半はさらっと読んでいただけると幸いです。笑
<バドミントン>
小学校2年生からバドミントンを始めて、早いもので15年が経ちました。幼馴染に誘われ地域のスポ少でなんとなく初めたら、いつのまにか兄妹ふたりも巻き込んで、バドミントンが生活の中心になっていました。小さい頃は壁打ちが大好きで、夜中に始めては近所迷惑だと親に怒られていた記憶があります。(今からは信じられないですが、小学生時代は長距離ランニングもけっこう好きでした笑)15年間の中には受験や留学で他の期間と比べてバドミントンから離れていた時期もありますが、それでも常に「自分は、バドミントンをしている人間」という意識があったように思います。そしてそんな意識が最も大きかったのが、大学での四年間でした。
一年生の時、新型コロナの影響で1学期は実家で課題をして犬と遊ぶだけの生活を送り、同期より遅れてバドミントン部の門を叩きました。個人ではインハイに出られなかったので、大学では絶対にインカレに出たくて、そこで会おうと高校同期と話したことがきっかけでした。(今思い返すと、白く輝く神殿…ではなく、記念館で練習できるのかっこいいなーというのも少しありました。)しかし最初は、高校までとは違う「自律した」大学の部活の雰囲気に圧倒されました。
私はバドミントンに限らず自分に甘い性格です。もはや定説となっているので驚かれるかもしれませんが、このことを実感するようになったのは大学で部活に入ってからです。竹本さんからノックの時に「まだ足りない、もっと頑張れ」と言われ続け、ペアを組んでいただいたみなみさんからももっと粘れとたくさん言われました。高校では周りのレベルが自分より遥かに高くても、根性だけは取り柄だと言われていたのに、いつからこんなに頑張れなくなったんだろう、と自分の中で考えました。しかし釈然としないまま、みなみさんに引っ張っていただき、2年の東日本代替試合がやってきました。
インカレがかかる本戦の試合はセッティングで負け、インカレ決定2回戦もファイナルセッティングで負けました。私は試合中ずっとみなみさんに引っ張ってもらうことしかできませんでした。あんなに頑張って引っ張ってくれて、あと一歩で届きそうだったのに、応えることもできなかった。そう思うと、今までの自分の試合の中で一番悔しくて、試合後はすごく久しぶりに泣きました。
そして高校時代から今までを振り返ると、練習も試合も、いつも自分より大きな何かにプレッシャーを与えてもらい、その存在に「ついていく」ことを目的としていたことに気が付きました。それまで私はついていくことができれば「頑張った」と言えるのだと思っていましたが、それではその存在に追いつくことはできないし、何も与えることはできないのです。これはチームでも、ペアでも同じでした。
本当に「頑張った」と言えるのは、自分を客観的に見て必要なことを考え、日々の意識に落とし込んで継続した時だと思います。その上でいろいろな人がお互いに刺激を与え合うことが、最初の頃に慶應バド部から感じた「自律」の正体であり、自分にも必要なことだとわかりました。
バドミントン部に入ってこのことに気づくことができて、私は本当にラッキーでした。もしも大学でバドミントンをやめていたら、それまでの自分の「頑張り」に違和感を持つことなく終わっていました。きっと大学が終わっても、バドへの気づきはこれからも増えていくんだろうなと思います。
インカレを逃した後、自分なりに突き詰めて考え、練習してきたつもりです。リーグ戦で前より勝てたり、都学生や関東選手権で8に入ったり、少しは結果も出るようになりました。だけどまだ満足がいく結果は得られていません。これからの1ヶ月にもそのチャンスはあるので、最後まで全力で頑張ります。
___
バドミントンをして得たものはなんですかと聞かれたら、私は迷わず「人との繋がり」と答えます。きっと全国大会に出られていても、私が得たものの一番はこれでした。ここからは、そんな方々に伝えたいことを書きます。
<先輩方>
この文章を書くにあたり、自分が関わらせていただいた先輩方の引退前の部員日記を読んで、気がつくと全員の文章に今さら「いいね」を押していました。それくらい、皆さんの文章からはバドミントン・そして体育会バド部に対する愛が溢れていました。日本で一番長い間、そんな熱い気持ちが受け継がれるこの部活に入ることができて、自分は恵まれていたとあらためて感じます。
思い返せば、下級生の頃は今より練習への姿勢も全然適当で、上級生からしたら甘えたやつだったとおもいます。だけど、練習ではたくさん打って、時には叱ってもらいました。それ以外でも、たくさんご飯に連れていってもらって、困ったら助けてもらいました。こんな上級生、こんな人間になりたいと思わせてくれる人ばかりで、今でもずっと支えられています。本当に、ありがとうございます。これからもたくさん頼らせてもらうと思いますが、よろしくお願いします。
<岩田監督・青木コーチ・竹鼻コーチ・矢野コーチ・上田コーチ・柴田コーチ>
岩田監督をはじめとする監督・コーチの皆様には、本当にたくさんのことを学ばせていただきました。選手として、社会人として、最前線で戦われてきた監督・コーチの皆様の言葉には、今まで自分に足りていなかった深く突き詰めた考え方が詰まっていました。
競技の外でも、部のことやそれ以外のことでたくさん気にかけていただきました。なかなか教えてくださったことをすぐできるようにはなれませんでしたが、根気強く指導していただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
<日吉組>
ご存知でない方のために少し説明させてください。日吉組は、竹本さん(R4)、三島さん(R5)を首長とする慶應体育会バドミントン部内の地方出身メンバーによる集い???です。
…とりあえず、怪しい団体などではありません。
真面目に書くと、私の大学生活は日吉組の方々にたくさん支えられてきました。やっぱり部活して一人暮らしはいろいろ大変だし、地元に帰りたくなる時も一度や二度ではなかったです。それでもみんなで定期的にご飯に行ってそれぞれの地元トークをしたり、花火したりするのは本当に楽しくて、いまでは日吉が第二の地元みたいになりました。いつまでできるかはわからないけど、せめて今年度が終わるまでは恒例の誕生日会を全員分やりましょう。
<後輩>
まずは留学が終わっていきなり部に戻ってきて、少しの間だけ先輩面するような私を、受け入れてくれてありがとう。そして男子のみんなは、後輩だけでなく同期も、女子のリーグに対して応援をしてくれたり、練習相手をしてくれたりしてありがとう。
私は先輩として、みんなに何か返せているでしょうか。普段できているかわからないので、伝えたいことを書かせてください。
私がこの文章の前半、自分の大学生活を振り返って言いたかったことは、簡単にいうと「受け身ではいけない」ということです。自分で考えて日々試行錯誤する。そういうひとがたくさんいるほどその集団は強いです。もうやってる人もいると思いますが、それが部員全員に共通するものになって欲しいです。
それから、最近部活でよく聞く話題として、「結果」に関するものがあります。
体育会である以上、ひたすら勝利を目指す考えはもちろん必要で、そうあるべきだと思います。だけど結果を出そう出そうと思ってると、時には視野が狭まって逆効果になります。実際、私もそうなりやすいです。視野が狭くなってどんどんマイナスに流れていきそうなときは、まず周りと話してみてください。必ず今より状況は良くなると思います。
それが無理なときは、「自分で自分を奮い立たせられる何か」を持ってください。というのも、小さなことで気分が変わりやすい人(これも私です)は、その度にまわりに相談するのも憚られると思います。そういうときは、自分が前向きになれるスイッチをもっておくといいです。例えば自分のいい感じだった試合の動画、思い出のもの、憧れの選手の動画など、なんでもいいです。
私は以前これを人に言われて、2016年のリオデジャネイロ五輪決勝、タカマツペアの動画をよく見ます。詳しいいきさつは省きますが、この試合、深夜にリアルタイムで見て泣くほど感動しました。あの時から人生が変わったなと思います。YouTubeにあるので、みんなも試しにラスト10分だけでも見てみてください。
これからの体育会生活、いろんなことがあると思うけどみんななら大丈夫です。何かあったら(なくても)いつでもご飯行こうね。ずっと応援してます!!
<女子>
女子のみんなには本当にたくさんのことで感謝しています。部室とかで何気ない会話をできるのもすごく楽しいです。だけどまずは、この部活に入ってくれてありがとう。
私たちの部は、年がら年中人不足です。体育会をやっていると、それも当然だと思います。練習はきついし、授業中は眠くなるし。そこに男子女子は関係ないかもしれないけど、この生活をしていくには、相当な覚悟が必要だと思います。そんな中でも、大学でバドミントンをすることを選んで、一緒に頑張ってくれて、本当に嬉しいです。この部活の女子は、私の知っている限り代々ほんとうに負けず嫌いです。各代で雰囲気は変わっても、そこだけはこれからも変わらないでいてください。
今年入ってくれた二人のマネージャーも、いつもたくさんの仕事を引き受けてくれて、すごく感謝しています。これからも一緒に練習をする中で、いつかは選手のみんなに負けないくらい、バドが好きになって欲しいです。
もうすぐ入れ替え戦があります。入れ替え戦ってだけで緊張するし、春と同じ相手だけど、今度はこっちが挑戦者です。たくさんのことを考えてしまうと思うけど、最後は自分たちらしく、笑顔で粘っていこう。
<同期>
正直、一番書くことに悩みました。
同期って、「部活という仲間の中の、さらに仲間」だと思います。私たちの学年はどんなだったかな。
個性が強くて、まとまりがないともよく言われます。
でもやっぱり、部活で一番長い間一緒にいた存在にかわりはないです。その時間、すごく楽しかったよ!
寝坊癖があって、すぐ論破してくるけど時々いいことをいう人
好きな音楽を布教しようとうるさいけどなんか趣味が合ってしまう人
フラ語手伝うのほんとに眠いし大変だったけど、後輩思いなのには定評がある人
酒癖わるいけどバドに真剣でたくさんアドバイスをくれる人
ふわふわかわいいキャラかと思ったら実はすごく自分をもってる人
完璧人造人間かと思ったらちゃんと血が通ってて安心した人
不満も出ないくらい、自分を犠牲にして部のために全力を尽くしている人
みんなのおかげで乗り越えられたことがたくさんありました。きっとみんな、お互い少しはそう感じているんじゃないかと思います(願います)。
素直じゃないひとの集まりだし、自分も途中抜けてすごく迷惑をかけたけど、なんだかんだで私はこの同期が好きです。最後の早慶戦は、必ず全員が揃ってほしいと思います。
少し早いけど、四年間本当にありがとう。
___
さすがに書きすぎました。
感謝の気持ちは、言葉より結果で表したいです。
もちろん最後の舞台である早慶戦もそうですが、まだ昇格をかけた入れ替え戦が残っています。必ず勝って、恩返しをします。
慶應義塾体育会バドミントン部
法学部政治学科4年 牧野桐子
keio_badminton at 22:00|Permalink│Comments(0)│
2023年09月27日
一年半、ありがとうございました。
皆さんこんにちは。総合政策学部四年のウン・アンジェラです。最後の部員日記を書かせていただきます。
私は高校からバドミントンを始めましたが、カンボジアと日本とのレベルの差はかなり大きいです。 私の高校のサークルは大学のサークルのようなものです。それでも、私は本当にバドミントンに夢中になりました。 2020年に慶応義塾大学に合格して以来、バドミントン部への入部を決めていました。1年半前に日本が国境を再開し、日本に移住し、春学期が始まるとすぐに入部しました。 レベルの違いにショックを受けましたが、最初のリーグ戦で惨敗したことをきっかけに、もっと上手になりたいという気持ちが高まり、引退までに公式戦で勝つことを目標にしました。
練習は大変で、ここに来て1年5ヶ月の間、体をしっかり休めていなかったと思います。 私も燃え尽き症候群に陥ったことはあり、辞めたいという考えが一度も頭をよぎらなかったと言ったら嘘になります。 でも、練習中にアドレナリンが出ると、バドミントンをやめたくなくなります。
4年生になりましたが、色々考えた結果、早慶戦を最後に引退することにしました。 理由はいくつかあります。 卒業までに日本での滞在はあと1年残っており、帰国しなければなりません。 「なぜ私は日本に来たのですか?」 「やらずに後悔することは何ですか?」 その理由は個人的なものと将来の進路に関するものがあります。
でも、私は本当に、一年後自分が後悔しないように、帰国までにやりたいことを全部やろうと思っています。このような身勝手な理由で誠に申し訳ございません。
新しい国に移住することは、新しい環境に適応しなければならないなど大変なことです。バドミントン部に参加することで、日本での生活がとても快適になりました。 小さなホームシックの発作はあったものの、バドミントン部は私に帰る場所を与えてくれました。 そのことに私は永遠に感謝し続けるでしょう。
私が部活から得た最も重要な人生の教訓は規律です。 一つのことに集中して、それをうまくやり遂げること。 バドミントンの場合はノックです。 そして私はこの考え方を日常生活に応用しています。
入団1年半、ようやく今回のリーグ戦で2試合勝利することができました。 この勝利をコーチ、OBさんとOGさん、そしてチームメイトに捧げたいと思います。 彼らのアドバイスとサポートがなければ、私は決してこれを達成することはできなかったです。
本当にありがとうございました。
慶應義塾体育会バドミントン部
総合政策学部4年 ウン・アンジェラ
私は高校からバドミントンを始めましたが、カンボジアと日本とのレベルの差はかなり大きいです。 私の高校のサークルは大学のサークルのようなものです。それでも、私は本当にバドミントンに夢中になりました。 2020年に慶応義塾大学に合格して以来、バドミントン部への入部を決めていました。1年半前に日本が国境を再開し、日本に移住し、春学期が始まるとすぐに入部しました。 レベルの違いにショックを受けましたが、最初のリーグ戦で惨敗したことをきっかけに、もっと上手になりたいという気持ちが高まり、引退までに公式戦で勝つことを目標にしました。
練習は大変で、ここに来て1年5ヶ月の間、体をしっかり休めていなかったと思います。 私も燃え尽き症候群に陥ったことはあり、辞めたいという考えが一度も頭をよぎらなかったと言ったら嘘になります。 でも、練習中にアドレナリンが出ると、バドミントンをやめたくなくなります。
4年生になりましたが、色々考えた結果、早慶戦を最後に引退することにしました。 理由はいくつかあります。 卒業までに日本での滞在はあと1年残っており、帰国しなければなりません。 「なぜ私は日本に来たのですか?」 「やらずに後悔することは何ですか?」 その理由は個人的なものと将来の進路に関するものがあります。
でも、私は本当に、一年後自分が後悔しないように、帰国までにやりたいことを全部やろうと思っています。このような身勝手な理由で誠に申し訳ございません。
新しい国に移住することは、新しい環境に適応しなければならないなど大変なことです。バドミントン部に参加することで、日本での生活がとても快適になりました。 小さなホームシックの発作はあったものの、バドミントン部は私に帰る場所を与えてくれました。 そのことに私は永遠に感謝し続けるでしょう。
私が部活から得た最も重要な人生の教訓は規律です。 一つのことに集中して、それをうまくやり遂げること。 バドミントンの場合はノックです。 そして私はこの考え方を日常生活に応用しています。
入団1年半、ようやく今回のリーグ戦で2試合勝利することができました。 この勝利をコーチ、OBさんとOGさん、そしてチームメイトに捧げたいと思います。 彼らのアドバイスとサポートがなければ、私は決してこれを達成することはできなかったです。
本当にありがとうございました。
慶應義塾体育会バドミントン部
総合政策学部4年 ウン・アンジェラ
keio_badminton at 09:57|Permalink│Comments(0)│
2023年08月26日
はじめまして No.6
こんにちは。この度慶應義塾体育会バドミントン部にマネージャーとして入部させて頂きました、新潟県立高田高等学校出身、理工学部2年の鈴木夏生と申します。今回が初めての部員日記ですので、自己紹介と今後の目標について書かせて頂きます。
私は、最寄りのコンビニまで徒歩30分かかり、周りには田んぼしかないような、田舎で約18年間過ごしてきました(私はそんな地元が大好きですが!)。幼い頃は、男勝りな性格だったのに加え、周りには遊ぶ場所がジャスコしかなく、アニメも少女漫画も全く刺さらなかったので、外で遊ぶか、釣りか、今となってはゾッとしますが、虫取りばかりしていました。そのため、自然と体を動かすことが好きになり、中学まではスケート、新体操に明け暮れていました。ピアノやバイオリンなど楽器にも興味があり習いましたが、一番初めに習うドレミの歌も弾けないままです(笑)。スポーツや新しいことに挑戦するのが好きだったので、中学ではテニス部、高校では女子バスケットボール部に所属していました。
振り返ってみると、私の人格形成に大きく影響を与えたのは部活動だったと感じます。人間関係であまりエネルギーを使いたくなかった私が、自分以外の誰かのために真剣に考えたこと、本気で人とぶつかったことで、精神的にも成長させてくれたように感じます。
高校時代ハードな生活を送っていたため、上京してスローな生活を送ることに憧れていた私は、昨年、スローライフを送り、それなりに満足していました。しかし、私の周りには部活動や研究など、なにかにコミットしている友人ばかりで、高校時代を思い出すと同時に何かに本気で取り組んでいることに羨しさを感じました。
入部前に同期に友達がいたおかげでバドミントン部の雰囲気はなんとなく知っていたため、見学に行き、私が感じていたのと同様明るく、仲がいい上、みなさんが厳しい練習に真剣に取り組む姿勢を見て、すぐに入部させていただきました。
入部してから約3カ月が経ちますが、日を追うごとにこのチームをサポートしたい、力になりたいという思いが強くなっています。それは、日々の厳しい練習にひたむきに取り組む姿を見ているからだけではなくて、部員のみなさんの人柄もあります。入部してから、多くの方と関わってきましたが、どの方々も人として尊敬する所があります。
入部して分からないことだらけで、先輩方、同期だけでなく、後輩にまで頼ってしまいますが、その都度暖かく真剣に応えてくださいます。さらに、入部してはじめのまだ馴染めていない頃、選手ではないのでプレーの話はできず、関わり方が難しく感じたと思いますが、気さくに話しかけてくださり、暖かく接してくださいました。
みなさんありがとうございます。長い間マネージャーがいなかったため、仕事が明確化されていませんでしたが、様々な仕事を提案・任せていただき、感謝とともにとてもうれしく感じています。
現役の部員だけでなく、OB・OGの方々と関わる場面も多々ありました。部活の相談はもちろんのこと、それ以外の相談や様々なご支援に胸がジーンとする想いです。本当にありがとうございます。
これからも日々の練習がより円滑に行われるよう、チームに貢献できるように考え、努力する心持ちですので、以後何卒よろしくお願いいたします。
駄文でしたが最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
理工学部2年 鈴木夏生
私は、最寄りのコンビニまで徒歩30分かかり、周りには田んぼしかないような、田舎で約18年間過ごしてきました(私はそんな地元が大好きですが!)。幼い頃は、男勝りな性格だったのに加え、周りには遊ぶ場所がジャスコしかなく、アニメも少女漫画も全く刺さらなかったので、外で遊ぶか、釣りか、今となってはゾッとしますが、虫取りばかりしていました。そのため、自然と体を動かすことが好きになり、中学まではスケート、新体操に明け暮れていました。ピアノやバイオリンなど楽器にも興味があり習いましたが、一番初めに習うドレミの歌も弾けないままです(笑)。スポーツや新しいことに挑戦するのが好きだったので、中学ではテニス部、高校では女子バスケットボール部に所属していました。
振り返ってみると、私の人格形成に大きく影響を与えたのは部活動だったと感じます。人間関係であまりエネルギーを使いたくなかった私が、自分以外の誰かのために真剣に考えたこと、本気で人とぶつかったことで、精神的にも成長させてくれたように感じます。
高校時代ハードな生活を送っていたため、上京してスローな生活を送ることに憧れていた私は、昨年、スローライフを送り、それなりに満足していました。しかし、私の周りには部活動や研究など、なにかにコミットしている友人ばかりで、高校時代を思い出すと同時に何かに本気で取り組んでいることに羨しさを感じました。
入部前に同期に友達がいたおかげでバドミントン部の雰囲気はなんとなく知っていたため、見学に行き、私が感じていたのと同様明るく、仲がいい上、みなさんが厳しい練習に真剣に取り組む姿勢を見て、すぐに入部させていただきました。
入部してから約3カ月が経ちますが、日を追うごとにこのチームをサポートしたい、力になりたいという思いが強くなっています。それは、日々の厳しい練習にひたむきに取り組む姿を見ているからだけではなくて、部員のみなさんの人柄もあります。入部してから、多くの方と関わってきましたが、どの方々も人として尊敬する所があります。
入部して分からないことだらけで、先輩方、同期だけでなく、後輩にまで頼ってしまいますが、その都度暖かく真剣に応えてくださいます。さらに、入部してはじめのまだ馴染めていない頃、選手ではないのでプレーの話はできず、関わり方が難しく感じたと思いますが、気さくに話しかけてくださり、暖かく接してくださいました。
みなさんありがとうございます。長い間マネージャーがいなかったため、仕事が明確化されていませんでしたが、様々な仕事を提案・任せていただき、感謝とともにとてもうれしく感じています。
現役の部員だけでなく、OB・OGの方々と関わる場面も多々ありました。部活の相談はもちろんのこと、それ以外の相談や様々なご支援に胸がジーンとする想いです。本当にありがとうございます。
これからも日々の練習がより円滑に行われるよう、チームに貢献できるように考え、努力する心持ちですので、以後何卒よろしくお願いいたします。
駄文でしたが最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
理工学部2年 鈴木夏生
keio_badminton at 17:16|Permalink│Comments(1)│
2023年08月19日
はじめまして No.5
こんにちは。私、この度慶應義塾体育会バドミントン部のマネージャーとして入部させていただきました、白百合学園高校出身、経済学部2年の野田ありさと申します。
まずはじめに、バドミントン部にとって初めてのマネージャーとなる私を、温かく迎え入れてくださり、マネージャーとしての役割を確立できるよう支えてくださっている皆様に心から感謝申し上げます。
初めての部員日記ですので、自己紹介と今後の目標について書かせて頂きます。
私の誕生日は2004年3月29日で、白百合学園では幼稚園から高校を卒業するまで15年間ずっと、同級生の中で「末っ子」の位置におりました。
更に家族の中では「一人っ子」ですので、ご想像いただけるかと思いますが、「頼られる存在」からは程遠い人生を過ごしてまいりました。
小学校では演劇部、中学、高校では料理部に入りましたが、残念ながら後輩から慕われた記憶はございません。
そんな私を見兼ねた両親は、私自身の希望もありましたが、中学3年と高校1年生の夏休みの間、アメリカ•サンディエゴの高校に短期留学に行かせてくれました。
このホームステイ経験が私を大きく成長させてくれたのは間違いありませんが、その後はコロナ禍を経て、受験期を乗り越えて志望大学に入り、お世話になった塾で講師のアルバイトをし、何となくテニスサークルに入って家とキャンパスを往復する日々を送っておりました。
ふと一年間を振り返り自身を見つめ直してみると、充実感を得られていない自分がいる事に気付きました。では何をしたいか?と考え、今からでも必死に打ち込める事を見つけたい、誰かを支える側のスキルを身につけたい、という思いが過ぎりました。そして、悶々とした春休みを過ごしていた矢先、バドミントン部のマネージャー募集が目に留まり、運命を感じました。早速見学をさせていただき、初めはシャトル拾いに翌朝から数日間も筋肉痛に泣いた「情けない」私ではありましたが、部の雰囲気がとても居心地良く、このチームの活躍をサポートする新しい事に挑戦したい!と心は踊りました。そして、今に至ります。
色々と試行錯誤を繰り返す日々でありますが、男子女子共にチームがもっと効率的に部活動に専念できる環境作りに尽くしたいと思っております。
又、バドミントンのイメージにあった『みんなで楽しめるレジャースポーツ』が、最速スピード感と息をのむ頭脳戦が繰り広げられる競技としてのカッコ良さ!を間近に見るようになってからは楽しさ倍増、もっとバドミントン界が盛り上がれるようなお手伝いもしたいと思うようになりました。
そして、最後に、私の人生で初めて「あいつは頼りになる」なんて言って頂けるような日が来るよう、縁の下の力持ち精神で頑張ります。
まだまだ「頼りない」ですが、これからどうぞ宜しくお願い致します。
以上駄文でしたが、最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
経済学部2年 野田ありさ
まずはじめに、バドミントン部にとって初めてのマネージャーとなる私を、温かく迎え入れてくださり、マネージャーとしての役割を確立できるよう支えてくださっている皆様に心から感謝申し上げます。
初めての部員日記ですので、自己紹介と今後の目標について書かせて頂きます。
私の誕生日は2004年3月29日で、白百合学園では幼稚園から高校を卒業するまで15年間ずっと、同級生の中で「末っ子」の位置におりました。
更に家族の中では「一人っ子」ですので、ご想像いただけるかと思いますが、「頼られる存在」からは程遠い人生を過ごしてまいりました。
小学校では演劇部、中学、高校では料理部に入りましたが、残念ながら後輩から慕われた記憶はございません。
そんな私を見兼ねた両親は、私自身の希望もありましたが、中学3年と高校1年生の夏休みの間、アメリカ•サンディエゴの高校に短期留学に行かせてくれました。
このホームステイ経験が私を大きく成長させてくれたのは間違いありませんが、その後はコロナ禍を経て、受験期を乗り越えて志望大学に入り、お世話になった塾で講師のアルバイトをし、何となくテニスサークルに入って家とキャンパスを往復する日々を送っておりました。
ふと一年間を振り返り自身を見つめ直してみると、充実感を得られていない自分がいる事に気付きました。では何をしたいか?と考え、今からでも必死に打ち込める事を見つけたい、誰かを支える側のスキルを身につけたい、という思いが過ぎりました。そして、悶々とした春休みを過ごしていた矢先、バドミントン部のマネージャー募集が目に留まり、運命を感じました。早速見学をさせていただき、初めはシャトル拾いに翌朝から数日間も筋肉痛に泣いた「情けない」私ではありましたが、部の雰囲気がとても居心地良く、このチームの活躍をサポートする新しい事に挑戦したい!と心は踊りました。そして、今に至ります。
色々と試行錯誤を繰り返す日々でありますが、男子女子共にチームがもっと効率的に部活動に専念できる環境作りに尽くしたいと思っております。
又、バドミントンのイメージにあった『みんなで楽しめるレジャースポーツ』が、最速スピード感と息をのむ頭脳戦が繰り広げられる競技としてのカッコ良さ!を間近に見るようになってからは楽しさ倍増、もっとバドミントン界が盛り上がれるようなお手伝いもしたいと思うようになりました。
そして、最後に、私の人生で初めて「あいつは頼りになる」なんて言って頂けるような日が来るよう、縁の下の力持ち精神で頑張ります。
まだまだ「頼りない」ですが、これからどうぞ宜しくお願い致します。
以上駄文でしたが、最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
経済学部2年 野田ありさ
keio_badminton at 09:57|Permalink│Comments(0)│
2023年07月30日
はじめまして No.4
こんばんは。私、この度慶應義塾体育会バドミントンに入部させていただきました、東京都立国立高校出身、商学部1年、浜崎拓馬と申します。最初の部員日誌なので、自己紹介と目標について書かせていただきます。
私がバドミントンを始めたのは中学生のときでした。私は地元の公立中学校に通い、小学生時代からの友達の誘いでバドミントン部に入部しました。通っていた中学校に元々バドミントン部はなく、僕らの入学と同時に中学校に勤務し始めた先生が部をつくったため、僕らの代が最初のバドミントン部員でした。先輩がいなかったため、バドミントンの練習において他の中学よりも効率的な練習がしづらい環境ではありましたが、熱心な顧問の先生や他の中学との合同練習において他校の先輩などからバドミントンを教わり、バドミントンに真剣に打ち込みました。また、自分達で考えて練習を行うことも多々あったので、自分で何が足りないかを考えて自分の力にあったメニューを考える力が身につけられました。高校でもバドミントン部に入学したのですが、部活全体で真剣にバドミントンに取り組むような雰囲気ではなく、自分も部活に行かなくなることが増え、充実した3年間とは言い難いものでした。そして、慶應義塾大学に入学しました。入学当初はバドミントンサークルに入ることを考えていたのですが、体育会バドミントン部やバドミントンサークルなどの体験会に参加し、バドミントン部で先輩方が真剣にバドミントンに取り組む様子を見て惹き付けられ、また、自分の中でも学生生活の中で何か一つのことに真剣に取り組みたいと考えていたため、体育会バドミントン部への入部を決意しました。入部したからには、一日一日の練習に常に全力で取り組み、コーチやOB・OGの方々、先輩、同期の仲間などから多くのことを吸収してしていきたいです。
次に私の体育会バドミントン部における目標をお話ししたいと思います。目標は辛くても粘り続けることです。高校時代に怠惰な生活を続けていた僕は、メンタルに問題があり、辛くなるとすぐに手を抜いてしまったり、諦めてしまう癖があります。そのため、どんな練習でもくらいつき、バドミントンに関わらず、いかなることでも諦めない癖をつけたいです。
ご精読ありがとうございました。
私がバドミントンを始めたのは中学生のときでした。私は地元の公立中学校に通い、小学生時代からの友達の誘いでバドミントン部に入部しました。通っていた中学校に元々バドミントン部はなく、僕らの入学と同時に中学校に勤務し始めた先生が部をつくったため、僕らの代が最初のバドミントン部員でした。先輩がいなかったため、バドミントンの練習において他の中学よりも効率的な練習がしづらい環境ではありましたが、熱心な顧問の先生や他の中学との合同練習において他校の先輩などからバドミントンを教わり、バドミントンに真剣に打ち込みました。また、自分達で考えて練習を行うことも多々あったので、自分で何が足りないかを考えて自分の力にあったメニューを考える力が身につけられました。高校でもバドミントン部に入学したのですが、部活全体で真剣にバドミントンに取り組むような雰囲気ではなく、自分も部活に行かなくなることが増え、充実した3年間とは言い難いものでした。そして、慶應義塾大学に入学しました。入学当初はバドミントンサークルに入ることを考えていたのですが、体育会バドミントン部やバドミントンサークルなどの体験会に参加し、バドミントン部で先輩方が真剣にバドミントンに取り組む様子を見て惹き付けられ、また、自分の中でも学生生活の中で何か一つのことに真剣に取り組みたいと考えていたため、体育会バドミントン部への入部を決意しました。入部したからには、一日一日の練習に常に全力で取り組み、コーチやOB・OGの方々、先輩、同期の仲間などから多くのことを吸収してしていきたいです。
次に私の体育会バドミントン部における目標をお話ししたいと思います。目標は辛くても粘り続けることです。高校時代に怠惰な生活を続けていた僕は、メンタルに問題があり、辛くなるとすぐに手を抜いてしまったり、諦めてしまう癖があります。そのため、どんな練習でもくらいつき、バドミントンに関わらず、いかなることでも諦めない癖をつけたいです。
ご精読ありがとうございました。
keio_badminton at 19:51|Permalink│Comments(0)│
2023年07月23日
はじめましてNo.15
こんにちは。この度慶應義塾体育会バドミントン部に入部させて頂きました、慶應義塾女子高等学校出身、医学部2年の鈴木恵子と申します。昨年12月に途中入部させて頂き、私は最下級生としての大変な時期を体育会でほとんど過ごしていないにも関わらず優しく接してくれる同期のみんなにすごく感謝しています。また、塩谷さんのように上手いわけでもないのに何でわざわざ医学部から途中入部してきた?と疑問に思っていらっしゃる方がほとんどだと思いますが、それでも迎え入れて下さった先輩方にもこの場をお借りして感謝申し上げます。
最初の部員日記ですので、自己紹介と今後の目標について書かせて頂きます。私がバドミントンを始めたのは高校生の時で、それまではフィギュアスケートをやっていました。季節限定で街中に現れる仮設スケートリンクへ親に連れて行ってもらうことが本当に大好きで、どうしても習い事としてスケートをやりたいとお願いして始めました。最初の頃は楽しくてしょうがなく、でも少しずつレベルが上がって行く中で、辛いことばかりになりました。スケートは小さい頃から始める子が多く、自分と同年代の子はみな上のチームに入っていて私の周りは年下の子が多数でしたし、スケートをやっていける子は気の強い子ばかりでした。スケートは1日休むと感覚を取り戻すのに3日かかると言われているスポーツで、毎日練習に行かなきゃと追われているような感覚でした。また私は運動音痴すぎて成長が遅く、その分人より努力しないとと思って、ランニングと階段ダッシュから一日が始まり、リンクから帰ってきた後も自宅の前で1時間以上ジャンプトレや体幹、筋トレをやるというような毎日で、でもそれも空振りばかりで成長にはほとんどつながっていないように感じ心身ともにかなり追い込まれてしまいした。スランプという言葉を使えるほどの実力はありませんでしたが、怖くてジャンプが跳べない自分の弱さが情けなく、涙を堪えながら帰る日の方が多かったと思います。腰の疲労骨折も経験しました。もちろん全てが辛いことというわけではなく、やっていてよかったと思うことも何度もありましたし、何より努力するということの意味とそれでも乗り越えられないものがあることを学べて、スケートに出会えたことが今の自分に活きていると感じています。(当時高層マンションに住んでいたので1階から43階まで毎朝非常階段を何千段も駆け上がっていました笑 今の家はそこまで高いマンションではないですが、階段駆け上がりとランと縄跳びの朝のルーティーンはその頃から毎日ずっと続けています。なので、体育会の男子のみなさんと比べたら全然ですが、体力は少しならあるので、ノックやダッシュで一回息が上がってもすぐ回復できるところが私の唯一の僅かな強みかなと思います… (ただあまりにも足が遅すぎて、ダッシュのメニューでは最後の最後みんなが落ちてきてからやっと少し追いつき始める感じなので、自分では頑張って走っていても手を抜いているように見えてしまうのが悩みです…あとトムジェリやリレーをするとほぼ必ず私のチームが負けます、本当にすみません。氷の上を滑れても、陸の上の短距離の遅さは小さい頃からで、もうどうしようもなさそうなので、2周目以降の代走制度又は特別ハンデの導入の検討を心から御願いしたいです…) 他にも日々自主的に色々やっているわりに私のバドのレベルがとても低いので、他の人にこういう話をしたり誰かかが見ているところでやったりすることは恥ずかしくて今までほとんどしてきませんでしたが、最近先輩にあんまり頑張っているように見えないと直接何回か言われたことが悲しかったので、一部だけ書かせて頂きました。結果が全ての世界なので、私がどうこう言える立場では全くありませんが)高校受験のために少しスケートをお休みし心が大分楽になったので、それをきっかけに高校ではスケートとは別の競技に挑戦することにしました。以前からラケットスポーツに興味があったのと、初心者でも入りやすそうな雰囲気であったという理由で選んだバドミントン部は、上下関係はそれなりにありましたが、練習内容自体はとても緩く活動日数も少なかったため、地域のクラブチームにお邪魔させて頂いたり、父やダブルスのペアだった今は休部中の松本藍里と体育館を借りて自主練したりしていました。しかしスケートをやっていた頃のように色々毎日試行錯誤しながら自主的にトレーニングや練習を頑張っても、センスのある子と私には何か隔たりがあり、自分の限界を感じることが多く、高校生の間にバドミントンを頑張ってやり切って、大学以降は自分の向いてない運動は辞めるか、日頃の走る習慣のおかげで中学の頃から長距離走だけはクラスで上位だったので、努力で補える面も多いし陸上長距離をするかにしようと思っていました。しかし、高校最後の引退試合に後輩の申し込みミスで出場することができなくなってしまい、そこで今までやってきたことを出し切って終わろうと思っていた私にはあまりにも不完全燃焼すぎました。そして慶應大学医学部に内部推薦で進んだ後、悩んだ末バドミントンを続けることに決め、医学部体育会バドミントン部に入部しました。慶應女子のOGで全塾体育会にも過去に所属していらした方つながりでこの全塾体育会の先輩からも入部のお誘いは少し頂いていたのですが、医学部の勉強との両立は難しいだろうし、私が体育会についていけるわけないと思って医学部のバドミントン部に決めました。そこでもみな真面目に練習しており先輩や同期も優しくいい環境でバドミントンができていたのですが、専用の体育館を持っておらず外部の体育館を予約して活動していたため、抽選や費用の問題で本来の活動曜日でも練習できないことが多くありました。部員と自主練はよくしていましたが、そのような日々の中で、少しでももっと強くなりたいなら練習の質量ともにより充実していて厳しい環境に身を置くべきなのではと思い始めました。そんな時高校でずっとダブルスのペアだった松本藍里が体育会に途中入部し、一緒にまた体育会で頑張らないかと誘ってもらったことをきっかけに体験させて頂き、昨年12月にこのバドミントン部に入部させて頂きました。
入部までの経緯についてとても長くなってしまったので、次に目標を述べさせて頂きます。小さな目標ですが、まずは試合で安定したラリーができるようにしたいです。今のブレブレの体ではどうにもならないと思うので、体幹や自重の筋トレは中学の頃から日課にしていますが、それ以外にも最近会員登録した地元のジムに行ったり、食生活を改善したりするなどして、体作りの面からしっかり努力していこうと思います。
今の私は練習時にノックを出して頂くだとか、上手い方に相手をして頂くだとか、何かをしてもらうということしかなく、何も部活に寄与できていないので、今後成長して貢献し部活で僅かでも必要とされる人になれるよう努力しようと思います。その時その時置かれた状況の中で、目の前の1つ1つに今自分ができるベストを尽くしきれているかということを自身に常に問いかけながら、練習ができる環境や、一緒に打ったりサポートをして下さったりする方々への感謝を忘れず、残りの限られた時間で少しでも強くなれるよう日々精進していく所存です。医学部の勉強は大変な時もありますが、勉強だけやっていたらそれは周りの医学部生と同じだし他の人もできることなので、そこで勉強とスポーツをともに頑張って初めて得られるものを目指し、両方全力で取り組みたいと思います。
以上長々とした駄文になってしまいましたが、ご精読有難う御座いました。これからも宜しく御願い致します。
慶應義塾體育會バドミントン部
医学部2年 鈴木恵子
最初の部員日記ですので、自己紹介と今後の目標について書かせて頂きます。私がバドミントンを始めたのは高校生の時で、それまではフィギュアスケートをやっていました。季節限定で街中に現れる仮設スケートリンクへ親に連れて行ってもらうことが本当に大好きで、どうしても習い事としてスケートをやりたいとお願いして始めました。最初の頃は楽しくてしょうがなく、でも少しずつレベルが上がって行く中で、辛いことばかりになりました。スケートは小さい頃から始める子が多く、自分と同年代の子はみな上のチームに入っていて私の周りは年下の子が多数でしたし、スケートをやっていける子は気の強い子ばかりでした。スケートは1日休むと感覚を取り戻すのに3日かかると言われているスポーツで、毎日練習に行かなきゃと追われているような感覚でした。また私は運動音痴すぎて成長が遅く、その分人より努力しないとと思って、ランニングと階段ダッシュから一日が始まり、リンクから帰ってきた後も自宅の前で1時間以上ジャンプトレや体幹、筋トレをやるというような毎日で、でもそれも空振りばかりで成長にはほとんどつながっていないように感じ心身ともにかなり追い込まれてしまいした。スランプという言葉を使えるほどの実力はありませんでしたが、怖くてジャンプが跳べない自分の弱さが情けなく、涙を堪えながら帰る日の方が多かったと思います。腰の疲労骨折も経験しました。もちろん全てが辛いことというわけではなく、やっていてよかったと思うことも何度もありましたし、何より努力するということの意味とそれでも乗り越えられないものがあることを学べて、スケートに出会えたことが今の自分に活きていると感じています。(当時高層マンションに住んでいたので1階から43階まで毎朝非常階段を何千段も駆け上がっていました笑 今の家はそこまで高いマンションではないですが、階段駆け上がりとランと縄跳びの朝のルーティーンはその頃から毎日ずっと続けています。なので、体育会の男子のみなさんと比べたら全然ですが、体力は少しならあるので、ノックやダッシュで一回息が上がってもすぐ回復できるところが私の唯一の僅かな強みかなと思います… (ただあまりにも足が遅すぎて、ダッシュのメニューでは最後の最後みんなが落ちてきてからやっと少し追いつき始める感じなので、自分では頑張って走っていても手を抜いているように見えてしまうのが悩みです…あとトムジェリやリレーをするとほぼ必ず私のチームが負けます、本当にすみません。氷の上を滑れても、陸の上の短距離の遅さは小さい頃からで、もうどうしようもなさそうなので、2周目以降の代走制度又は特別ハンデの導入の検討を心から御願いしたいです…) 他にも日々自主的に色々やっているわりに私のバドのレベルがとても低いので、他の人にこういう話をしたり誰かかが見ているところでやったりすることは恥ずかしくて今までほとんどしてきませんでしたが、最近先輩にあんまり頑張っているように見えないと直接何回か言われたことが悲しかったので、一部だけ書かせて頂きました。結果が全ての世界なので、私がどうこう言える立場では全くありませんが)高校受験のために少しスケートをお休みし心が大分楽になったので、それをきっかけに高校ではスケートとは別の競技に挑戦することにしました。以前からラケットスポーツに興味があったのと、初心者でも入りやすそうな雰囲気であったという理由で選んだバドミントン部は、上下関係はそれなりにありましたが、練習内容自体はとても緩く活動日数も少なかったため、地域のクラブチームにお邪魔させて頂いたり、父やダブルスのペアだった今は休部中の松本藍里と体育館を借りて自主練したりしていました。しかしスケートをやっていた頃のように色々毎日試行錯誤しながら自主的にトレーニングや練習を頑張っても、センスのある子と私には何か隔たりがあり、自分の限界を感じることが多く、高校生の間にバドミントンを頑張ってやり切って、大学以降は自分の向いてない運動は辞めるか、日頃の走る習慣のおかげで中学の頃から長距離走だけはクラスで上位だったので、努力で補える面も多いし陸上長距離をするかにしようと思っていました。しかし、高校最後の引退試合に後輩の申し込みミスで出場することができなくなってしまい、そこで今までやってきたことを出し切って終わろうと思っていた私にはあまりにも不完全燃焼すぎました。そして慶應大学医学部に内部推薦で進んだ後、悩んだ末バドミントンを続けることに決め、医学部体育会バドミントン部に入部しました。慶應女子のOGで全塾体育会にも過去に所属していらした方つながりでこの全塾体育会の先輩からも入部のお誘いは少し頂いていたのですが、医学部の勉強との両立は難しいだろうし、私が体育会についていけるわけないと思って医学部のバドミントン部に決めました。そこでもみな真面目に練習しており先輩や同期も優しくいい環境でバドミントンができていたのですが、専用の体育館を持っておらず外部の体育館を予約して活動していたため、抽選や費用の問題で本来の活動曜日でも練習できないことが多くありました。部員と自主練はよくしていましたが、そのような日々の中で、少しでももっと強くなりたいなら練習の質量ともにより充実していて厳しい環境に身を置くべきなのではと思い始めました。そんな時高校でずっとダブルスのペアだった松本藍里が体育会に途中入部し、一緒にまた体育会で頑張らないかと誘ってもらったことをきっかけに体験させて頂き、昨年12月にこのバドミントン部に入部させて頂きました。
入部までの経緯についてとても長くなってしまったので、次に目標を述べさせて頂きます。小さな目標ですが、まずは試合で安定したラリーができるようにしたいです。今のブレブレの体ではどうにもならないと思うので、体幹や自重の筋トレは中学の頃から日課にしていますが、それ以外にも最近会員登録した地元のジムに行ったり、食生活を改善したりするなどして、体作りの面からしっかり努力していこうと思います。
今の私は練習時にノックを出して頂くだとか、上手い方に相手をして頂くだとか、何かをしてもらうということしかなく、何も部活に寄与できていないので、今後成長して貢献し部活で僅かでも必要とされる人になれるよう努力しようと思います。その時その時置かれた状況の中で、目の前の1つ1つに今自分ができるベストを尽くしきれているかということを自身に常に問いかけながら、練習ができる環境や、一緒に打ったりサポートをして下さったりする方々への感謝を忘れず、残りの限られた時間で少しでも強くなれるよう日々精進していく所存です。医学部の勉強は大変な時もありますが、勉強だけやっていたらそれは周りの医学部生と同じだし他の人もできることなので、そこで勉強とスポーツをともに頑張って初めて得られるものを目指し、両方全力で取り組みたいと思います。
以上長々とした駄文になってしまいましたが、ご精読有難う御座いました。これからも宜しく御願い致します。
慶應義塾體育會バドミントン部
医学部2年 鈴木恵子
keio_badminton at 16:45|Permalink│Comments(0)│
2023年07月21日
はじめましてNO.3
こんにちは。私、この慶應義塾体育会バドミントン部に入部させていただきました、東京都立青山高校出身、商学部1年、岸本航と申します。最初の部員日誌なので、自己紹介と今後の目標について書かせていただきます。
私がバドミントンを始めたのは中学生の時でした。
当時はただ学校で一番強い部活がバドミントン部だったからという単純な理由で始めただけでしたが、顧問の先生がとても熱心で練習試合や部活外のバドミントンスクールにも連れて行ってくれたこともあり、二年生の時には都大会でも個人戦でベスト8までは勝ち上がることができ、中学校初めにしては頑張ったのではないかと思いバドミントンには悔いもないかと思っていました。しかし三年生になったときに私のバドミントン人生の大きな分岐点となり、現在慶應義塾大学へ入学しバドミントン部に入ったきっかけにもなった事件が起こりました。その事件とはなんと塾高からスポーツ推薦の便りがに届いたのです。実は私の父親は慶應義塾大学の体育会ラグビー部であったということもあり、スポーツ推薦が来た時には家族のだれよりも喜んでいて塾生時代の友人にその話をして、バドミントン部の新年会に行かせていただき、塾講コーチの古谷コーチと現主将の松元さんをはじめとする多くのOB・OGの皆様、現役生の方とお話をする機会を設けてくれたほどでした。しかし当時の私といえば慶應と聞いても賢い大学なのだろうというようなイメージしか持っておらず、初対面の人と話すととても緊張してしまう性格だったこともあり、私の意志を置いてけぼりにし勝手に話を進めていく父に何勝手なことをしてくれてるんだという思いを抱いていたのを今でも覚えています。
しかし実際に新年会にうかがわせていただき、慶應義塾やバドミントン部についてお話を聞かせていただく中で私自身も塾校に行きたいと思い、なぜ父がそこまで自分に慶應を勧めていたのかその時ようやくわかりました。それからは塾講に通ったらどんな生活が待っているのだろうかと想像を膨らませる日々が続き何としてでも塾校に合格したいと考えていました。
しかしそのように塾講への思いが増して言っていたのにも関わらず、結果は不合格でした。
自分の学力では塾講に筆記試験で受かるだろうとは思いもしなかったので、一般受験はせずに高校は結局都立青山高校に通うことになりました。高校ではバドミントンを続けるかどうかも迷っていしまい、吹奏楽部やダンス部など様々な部活の見学に行っていました。しかし結局バドミントン部に入部していて、弱小校ではあったものの気の合う友人もいたので、この環境で三年間頑張っていこうと思った矢先、新型コロナウイルスによる部活停止が起こってしまいました。僕の高校は都知事の小池百合子氏や東京都教育委員会が訪問に時折来ることもあり、コロナ対策が特に厳しく高校一年生の間は部活がほとんどできませんた。そして二年生となり自分たちの代になり部活も規制はあるものの行えるようになったら今度は大量の新入生が入部し体育館は常に飽和状態になり平日の練習では羽を打てている時間が5分もあればいいような状態が続きました。思うように部活に取り組むことができず引退を迎えてしまい、自分の高校生活におけるバドミントンには大きな後悔を残したまま大学受験に取り組むことになりました。しかし、そんな時にまた父親から慶應義塾大学を推薦で受けてみないかとの話がありました。高校時代において後悔があったことはもちろんなのですが、私自身も憧れの慶應でバドミントンをしたいと思い慶應義塾大学を目指すことを決意しました。そして慶應義塾大学に入学しました。
最後に私の体育会バドミントン部における目標を話したいと思います。
それは早慶戦に出場することです。現在の私の実力では到底叶わない目標ではありますが、先輩方のバドミントンに対する姿勢を見習って、日々の練習に全力で取り組みます。また早慶戦という慶應義塾を代表する場に出るものとしてふさわしい人間性を養っていく所存ですので、これからよろしくお願い致します。
駄文でしたが、ご精読ありがとうございました。
私がバドミントンを始めたのは中学生の時でした。
当時はただ学校で一番強い部活がバドミントン部だったからという単純な理由で始めただけでしたが、顧問の先生がとても熱心で練習試合や部活外のバドミントンスクールにも連れて行ってくれたこともあり、二年生の時には都大会でも個人戦でベスト8までは勝ち上がることができ、中学校初めにしては頑張ったのではないかと思いバドミントンには悔いもないかと思っていました。しかし三年生になったときに私のバドミントン人生の大きな分岐点となり、現在慶應義塾大学へ入学しバドミントン部に入ったきっかけにもなった事件が起こりました。その事件とはなんと塾高からスポーツ推薦の便りがに届いたのです。実は私の父親は慶應義塾大学の体育会ラグビー部であったということもあり、スポーツ推薦が来た時には家族のだれよりも喜んでいて塾生時代の友人にその話をして、バドミントン部の新年会に行かせていただき、塾講コーチの古谷コーチと現主将の松元さんをはじめとする多くのOB・OGの皆様、現役生の方とお話をする機会を設けてくれたほどでした。しかし当時の私といえば慶應と聞いても賢い大学なのだろうというようなイメージしか持っておらず、初対面の人と話すととても緊張してしまう性格だったこともあり、私の意志を置いてけぼりにし勝手に話を進めていく父に何勝手なことをしてくれてるんだという思いを抱いていたのを今でも覚えています。
しかし実際に新年会にうかがわせていただき、慶應義塾やバドミントン部についてお話を聞かせていただく中で私自身も塾校に行きたいと思い、なぜ父がそこまで自分に慶應を勧めていたのかその時ようやくわかりました。それからは塾講に通ったらどんな生活が待っているのだろうかと想像を膨らませる日々が続き何としてでも塾校に合格したいと考えていました。
しかしそのように塾講への思いが増して言っていたのにも関わらず、結果は不合格でした。
自分の学力では塾講に筆記試験で受かるだろうとは思いもしなかったので、一般受験はせずに高校は結局都立青山高校に通うことになりました。高校ではバドミントンを続けるかどうかも迷っていしまい、吹奏楽部やダンス部など様々な部活の見学に行っていました。しかし結局バドミントン部に入部していて、弱小校ではあったものの気の合う友人もいたので、この環境で三年間頑張っていこうと思った矢先、新型コロナウイルスによる部活停止が起こってしまいました。僕の高校は都知事の小池百合子氏や東京都教育委員会が訪問に時折来ることもあり、コロナ対策が特に厳しく高校一年生の間は部活がほとんどできませんた。そして二年生となり自分たちの代になり部活も規制はあるものの行えるようになったら今度は大量の新入生が入部し体育館は常に飽和状態になり平日の練習では羽を打てている時間が5分もあればいいような状態が続きました。思うように部活に取り組むことができず引退を迎えてしまい、自分の高校生活におけるバドミントンには大きな後悔を残したまま大学受験に取り組むことになりました。しかし、そんな時にまた父親から慶應義塾大学を推薦で受けてみないかとの話がありました。高校時代において後悔があったことはもちろんなのですが、私自身も憧れの慶應でバドミントンをしたいと思い慶應義塾大学を目指すことを決意しました。そして慶應義塾大学に入学しました。
最後に私の体育会バドミントン部における目標を話したいと思います。
それは早慶戦に出場することです。現在の私の実力では到底叶わない目標ではありますが、先輩方のバドミントンに対する姿勢を見習って、日々の練習に全力で取り組みます。また早慶戦という慶應義塾を代表する場に出るものとしてふさわしい人間性を養っていく所存ですので、これからよろしくお願い致します。
駄文でしたが、ご精読ありがとうございました。
keio_badminton at 15:49|Permalink│Comments(0)│
2023年07月13日
はじめましてNO.2
こんにちは。私、この度慶應義塾体育会バドミントン部に入部させて頂きました、千葉県立薬園台高校出身、法学部法律学科1年、猪塚諒と申します。最初の部員日誌なので、自己紹介と今後の目標を書かせて頂きます。
私は中学入学後にバドミントンを始めました。母がバドミントンをやっていたので、バドミントンという競技自体には幼い頃から触れていました。当時からバドミントンに対して楽しそうだという印象はありました。
小学生の頃は他のスポーツをやっており、中学生になってバドミントン部に入部しました。私の通っていた中学校のバドミントン部には顧問の先生含め、部員の中にも経験者はおらず、まさに手探り状態で練習に取り組んでいたのを覚えています。部員がとても多く、練習では3,4面しか使えなかったので、ゲーム練はほとんど出来ませんでした。(弱小校にも関わらず、私の代だけで30人ほどいました。)そのため、部活が休みの日には部活仲間と近所の体育館でゲーム練をしていました。そのゲーム練の楽しさがバドミントンを更に好きになるきっかけになりました。
その後高校でもバドミントン部に入部しました。部員は高校から始めた先輩3人と自分の学年だけだったので、経験者である私は1年生の頃から大会に参加する機会に恵まれました。初めの大会では高校生のラリーに圧倒され、様々な課題が見つかりました。その後、他の部員と切磋琢磨して実力をつけ、最後の大会では地区では勝てるようになりました。しかし、県ではあまり勝てず、悔いが残っていました。
高校でのバドミントンに悔いが残っていた私は、大学入学後もバドミントン部に入部したいという思いがありました。入部を決意したきっかけはリーグ戦の観戦でした。先輩方のレベルの高いラリーをみて、自分が練習についていけるか不安になったのと同時に、先輩方のようにもっとバドミントンが上手くなりたいという思いも生まれ、入部を決意しました。
大学4年間での目標は、大会に出場し、しっかりラリーをした上で勝ち切って、悔いのない形で終わることです。入部して間もないにも関わらず、既に多くの面で課題が見つかっています。見つかった課題を克服していき、以上の目標を達成できるよう、精一杯部活動に取り組む所存です。
実力面でも精神面でも未熟な私ですが、以後よろしくお願い致します。
駄文でしたが、ご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
法学部法律学科1年 猪塚諒
keio_badminton at 08:23|Permalink│Comments(0)│
2023年07月09日
はじめましてNo.1
こんにちは。はじめまして。このたび、バドミントン部に入部させていただいた、経済学部1年の廣橋和と申します。最初の部員日記ということで、自己紹介と今後の目標をメインに書かせていただきたいと思います。
[自己紹介]
私がバドミントンを本格的に始めたのは中1のときで、きっかけは小学校時代にバドミトンを友達としたことが楽しかった記憶があったことです。(今もそうですが)かなりの負けず嫌いだったこと、また、双子の弟も同じ中学校のバドミントン部に入部していたということもあり、私はバドミントンにのめりこんでいきました。バドミントンが大好きになっていきました。試合の主な成績はブロック大会の予選で1度だけ入賞しただけで、目標にしていた結果を出すことはできませんでしたが、人生で初めて、本気で取り組めるものと出会えて本当に良かったと思っています(現在もバドミントンとゲームくらいしかない😢)。あと、(かなりどうでもいいのですが)夏休みにひたすら練習して、顧問の先生が塩分補給という体で持ってきた梅干しをたくさん食べたのが思い出深いです。
また、高校に入学してからもバドミントン部に入部しました。しかし、新型コロナウイルスによる長期にわたる部活動の停止や活動時間の短縮により、中学生の頃に抱いていた「もっとうまくなりたい」という気持ちは徐々に消えていき、一方で「エンジョイ勢でいいかな」「弟とときどき体育館で打つ程度でいいか」という気持ちが強くなっていきました。そして、バドミントン競技に対する熱意が冷めきっていたため、高3時の引退試合にも出場しませんでした。もちろん中学生の引退試合で感じた凄まじく悔しい気持ちを感じることもありませんでした。
體育會バドミントン部に興味を持ったきっかけは第一に、前述しましたが、とにかくバドミントンが大好きだからです(1度は冷めてしまったものの、高3の春が終わったころから本格的に勉強生活にはいると、ホームシックみたく、バドミントンシックになり、受験終わったら絶対にバドしようと決めていました)。そして、体験入部の際に自分自身と先輩方の桁違いのレベル差を体感したにもかかわらず、山下さんたちがやる気さえあれば大丈夫と言ってくださったので、入部したいという意思がさらに強くなり、結果的に入部させてもらいました。
[目標]
私はバドミントンに関して、自信を持ったことが(特に高校生以降)ありません。一方、プロの選手にしろ、體育會にいる強い先輩方にしろ、プレイを見ていて「自分が絶対に勝つ」という自信が伝わってくるような気がします。そのような圧倒的な自分に対する信頼感、自信を日々の練習を積み重ねることによって成長させていきたいと思っています。
あと、私は入部して驚いたことがあります。それは、ノックやパターン練習の際に、練習者に対してほかのノッカーの人たちがポジティブで温かい言葉(例えば、「できる!」だとか「がんばれ!」だとか)をかけていたことです。私の高校ではそのような声掛けがあまり積極的に行われていなかったため、自分がやってもらったとき嬉しかったです。私も自分のことばかりではなく、積極的に声掛け、応援をできるようにしていきたいです。
そして、少し関係ないのですが、1日1日を大切にし、めんどくさがらずにすぐに行動する人、自分に厳しい人になります。
以上駄文でしたが、ご精読ありがとうございました。これから、よろしくお願いします。
[自己紹介]
私がバドミントンを本格的に始めたのは中1のときで、きっかけは小学校時代にバドミトンを友達としたことが楽しかった記憶があったことです。(今もそうですが)かなりの負けず嫌いだったこと、また、双子の弟も同じ中学校のバドミントン部に入部していたということもあり、私はバドミントンにのめりこんでいきました。バドミントンが大好きになっていきました。試合の主な成績はブロック大会の予選で1度だけ入賞しただけで、目標にしていた結果を出すことはできませんでしたが、人生で初めて、本気で取り組めるものと出会えて本当に良かったと思っています(現在もバドミントンとゲームくらいしかない😢)。あと、(かなりどうでもいいのですが)夏休みにひたすら練習して、顧問の先生が塩分補給という体で持ってきた梅干しをたくさん食べたのが思い出深いです。
また、高校に入学してからもバドミントン部に入部しました。しかし、新型コロナウイルスによる長期にわたる部活動の停止や活動時間の短縮により、中学生の頃に抱いていた「もっとうまくなりたい」という気持ちは徐々に消えていき、一方で「エンジョイ勢でいいかな」「弟とときどき体育館で打つ程度でいいか」という気持ちが強くなっていきました。そして、バドミントン競技に対する熱意が冷めきっていたため、高3時の引退試合にも出場しませんでした。もちろん中学生の引退試合で感じた凄まじく悔しい気持ちを感じることもありませんでした。
體育會バドミントン部に興味を持ったきっかけは第一に、前述しましたが、とにかくバドミントンが大好きだからです(1度は冷めてしまったものの、高3の春が終わったころから本格的に勉強生活にはいると、ホームシックみたく、バドミントンシックになり、受験終わったら絶対にバドしようと決めていました)。そして、体験入部の際に自分自身と先輩方の桁違いのレベル差を体感したにもかかわらず、山下さんたちがやる気さえあれば大丈夫と言ってくださったので、入部したいという意思がさらに強くなり、結果的に入部させてもらいました。
[目標]
私はバドミントンに関して、自信を持ったことが(特に高校生以降)ありません。一方、プロの選手にしろ、體育會にいる強い先輩方にしろ、プレイを見ていて「自分が絶対に勝つ」という自信が伝わってくるような気がします。そのような圧倒的な自分に対する信頼感、自信を日々の練習を積み重ねることによって成長させていきたいと思っています。
あと、私は入部して驚いたことがあります。それは、ノックやパターン練習の際に、練習者に対してほかのノッカーの人たちがポジティブで温かい言葉(例えば、「できる!」だとか「がんばれ!」だとか)をかけていたことです。私の高校ではそのような声掛けがあまり積極的に行われていなかったため、自分がやってもらったとき嬉しかったです。私も自分のことばかりではなく、積極的に声掛け、応援をできるようにしていきたいです。
そして、少し関係ないのですが、1日1日を大切にし、めんどくさがらずにすぐに行動する人、自分に厳しい人になります。
以上駄文でしたが、ご精読ありがとうございました。これから、よろしくお願いします。
keio_badminton at 01:31|Permalink│Comments(0)│
2023年07月05日
はじめましてNo.14
こんにちは。この度慶應義塾体育会バドミントン部に入部させていただきました、西武台千葉高校出身、総合政策学部2年の駒井琴羽と申します。まずはじめに、途中から入部したにも関わらず暖かく迎え入れてくださったたくさんの方々に心から感謝申し上げます。初めての部員日記ですので、自己紹介と今後の目標を中心に書かせていただきます。
私は幼い頃から空手とバドミントンのどちらかの習い事が毎日ありました。そのため、アンパンマンやプリキュアなど年頃の女の子が見ていたものを見れる時間はほとんどなく、その子達を羨ましく思ったこともありました。(私もたまごっち育てたかったです。)そんな気持ちもあった一方で、私はそれでもどちらの競技も全力で頑張りたいと思っていたため、中学校ではバドミントン部に入部し、部活の後そのまま道場に通うといった忙しくも充実した日々を送りました。バドミントンで結果を出すことは叶わなかったのですが、空手では中学校2年生の夏に形で世界大会出場への切符を掴み取ることができました。しかし、大会に向けて強化練習に参加したり、他の道場の練習(道場破りではないです)にのりこんだりと今まで以上に厳しい練習をしていく中で、バドミントンと空手という二足の草鞋を履いた私は、幼い頃から空手一本で戦ってきた選手と比べれば圧倒的に不利な状態にいることをあらためて実感させられました。今思えば、この時になって初めて私は自分の弱い部分や苦手なことから逃げずに向き合おうとしたのだと思います。そこから上手な選手や自分の動画をひたすら見て気づいたことや、先生や親、友達など色々な人にもらったアドバイスをノートに書き出して、自分の弱い部分を徹底的に洗い出し、ひとつひとつ改善していくようにしました。空手の形は現在は演武となっており「正しい型」というものがあるため、それを忠実に再現できるように、頭から足まで、いや、髪の毛の先まで(少し盛りましたがそのくらいのイメージで)ミリ単位の調整を身体に染み込むまで繰り返しました。そこでふと、今まで枷と感じていた「バドミントン」をむしろ逆に自分の強みにできるのではないかと考えました。するとそこから不思議なことに静と動、一見相反するように思える2つの競技にも似たような部分が見つかり、空手に、バドミントンに、活かせるものはないかと日々考えていくうちに、どちらの競技も本当に面白いと思えるようになりました。その努力が報われてか、大会では3位に入賞することができ心の底から嬉しかったと同時に私は完全に燃え尽き症候群となり、なにをするにもやる気が起きなくなってしまいました。
そんな心にポッカリと穴があいてしまったような気持ちで日々を過ごしながら、高校では空手もバドミントンも辞め、「JKライフ」なるものを送りたいと受験勉強に勤しんでいた時期もありましたが、結局高校でも気づけば朝から晩までバドミントン漬けの日々を過ごしていました。(携帯を解約し、SNSも全て削除して髪も切り、襟足をどんどん刈り上げていくようになりました。)その反動か大学では髪を金髪にしたこともありますが、ブリーチに耐えられなかったために髪がちぎれてしまったことがトラウマとなり、現在はエッセンシャルのCMのサラサラ髪を目指して髪質改善を頑張っています。
高校の部活に入部した当初は同期が皆中学生の頃に成績を残していて顔見知り同士だった中で私は「空手の子」という認識でした。それがすごく悔しかった私は、平日は朝4時に起きて10時半に帰宅し、土日は一日練という生活に必死についていき、死に物狂いで練習しました。しかし、現実はそう甘くなく、今までとは違った遥かに質の高い練習を受けても自分が上手くなっている実感がわかずに焦り、無理が祟って松葉杖生活を送ったり、持病の喘息や貧血が悪化したりと何もかもうまくいかない時期もありました。そんな時、顧問の先生から部長をやってみないかとお話をいただき、今までの自分を少しでも変えたかった私はぜひ務めさせていただきたいとお願いしました。それからは、顧問の先生から厳しいお声がけをいただくこともたくさんあり、今でこそ本当に感謝しかありませんが、当時は精神力も決して強い方ではなかったので正直自分の不甲斐なさに心が折れたこともありました。しかし、バドミントンの技術面でも精神面でも高校に入る以前と比べるとはるかに成長できたように思います。西武台千葉高校のバドミントン部で3年間全力で活動することができて本当に良かったと心の底から思う一方で、大学では新しいことに挑戦してみたいとも考えていたため、入学当初はバドミントン部への入部は考えていませんでした。しかし、幼い頃からスポーツに全力で取り組む日々を当たり前のように送ってきた私は、なにかにのめり込んで本気で取り組めること、そもそも一生懸命になれるものに出会えたこと自体、本当に幸せなことだったのだと大学に入ってからつくづく思うようになりました。
また、なによりバドミントンが好きだということに気づきました。
そうしてほぼ1年遅れとなってしまいましたが体育会バドミントン部に入部をさせていただける運びとなりました。入部してから自分の中で色々と目標を決めていたのですが、この間の春のリーグ戦で1つ大きな目標ができました。それは人から応援してもらえるような選手になることです。春のリーグ戦で同い年の鈴木のプレーをみて本当に感動したと同時に「こういった人がこれから上達していくし、人から応援されるんだろうな」と強く思いました。そして、そんな選手になりたいとも思いました。
自分のなりたい選手像に近づくためにこれからどうしたら良いのか、どうある必要があるのか、答えを出すことはまだできていませんが、まずは一球でも多く相手のコートに返し、相手が嫌になるまで粘り強くプレーをすることを普段の練習から意識し続けたいと思います。また、日々の練習の中で小さな目標をいくつか立てて、それを達成できるように練習に取り組み、3日後、1週間後、1ヶ月後の自分がどう変われているか、たとえ大きな変化ではなくとも少しずつでも確実に前に進んでいければと思います。
ここまで浅い話を長々と綴ってしまいましたが、私はバドミントンから一度離れたことで自分が思っている以上にバドミントンが好きだということを再確認することができました。私が今自由に好きなことをさせてもらえていることは本当に本当に幸せなことです。先ほどは当たり前のようにスポーツに取り組んでいたと書きましたが、決して当たり前なんかではありません。「ただいまー、おかえり、今日どうだった?、あのね今日はねー」そんな風に出迎えてくれる家族が大好きで「頑張ってね」といってもらえる環境がある、それを当たり前に感じてしまえるような日々が大好きで幸せです。
部活でもそんな初心を常に忘れず、今までお世話になった方々、特に今までずっとサポートし続けてくれている家族に自分のプレーを通して少しでも恩返しができるように、日々ひたむきに努力していく所存ですので、以後何卒よろしくお願いいたします。
駄文でしたが、最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
総合政策学部2年 駒井琴羽
私は幼い頃から空手とバドミントンのどちらかの習い事が毎日ありました。そのため、アンパンマンやプリキュアなど年頃の女の子が見ていたものを見れる時間はほとんどなく、その子達を羨ましく思ったこともありました。(私もたまごっち育てたかったです。)そんな気持ちもあった一方で、私はそれでもどちらの競技も全力で頑張りたいと思っていたため、中学校ではバドミントン部に入部し、部活の後そのまま道場に通うといった忙しくも充実した日々を送りました。バドミントンで結果を出すことは叶わなかったのですが、空手では中学校2年生の夏に形で世界大会出場への切符を掴み取ることができました。しかし、大会に向けて強化練習に参加したり、他の道場の練習(道場破りではないです)にのりこんだりと今まで以上に厳しい練習をしていく中で、バドミントンと空手という二足の草鞋を履いた私は、幼い頃から空手一本で戦ってきた選手と比べれば圧倒的に不利な状態にいることをあらためて実感させられました。今思えば、この時になって初めて私は自分の弱い部分や苦手なことから逃げずに向き合おうとしたのだと思います。そこから上手な選手や自分の動画をひたすら見て気づいたことや、先生や親、友達など色々な人にもらったアドバイスをノートに書き出して、自分の弱い部分を徹底的に洗い出し、ひとつひとつ改善していくようにしました。空手の形は現在は演武となっており「正しい型」というものがあるため、それを忠実に再現できるように、頭から足まで、いや、髪の毛の先まで(少し盛りましたがそのくらいのイメージで)ミリ単位の調整を身体に染み込むまで繰り返しました。そこでふと、今まで枷と感じていた「バドミントン」をむしろ逆に自分の強みにできるのではないかと考えました。するとそこから不思議なことに静と動、一見相反するように思える2つの競技にも似たような部分が見つかり、空手に、バドミントンに、活かせるものはないかと日々考えていくうちに、どちらの競技も本当に面白いと思えるようになりました。その努力が報われてか、大会では3位に入賞することができ心の底から嬉しかったと同時に私は完全に燃え尽き症候群となり、なにをするにもやる気が起きなくなってしまいました。
そんな心にポッカリと穴があいてしまったような気持ちで日々を過ごしながら、高校では空手もバドミントンも辞め、「JKライフ」なるものを送りたいと受験勉強に勤しんでいた時期もありましたが、結局高校でも気づけば朝から晩までバドミントン漬けの日々を過ごしていました。(携帯を解約し、SNSも全て削除して髪も切り、襟足をどんどん刈り上げていくようになりました。)その反動か大学では髪を金髪にしたこともありますが、ブリーチに耐えられなかったために髪がちぎれてしまったことがトラウマとなり、現在はエッセンシャルのCMのサラサラ髪を目指して髪質改善を頑張っています。
高校の部活に入部した当初は同期が皆中学生の頃に成績を残していて顔見知り同士だった中で私は「空手の子」という認識でした。それがすごく悔しかった私は、平日は朝4時に起きて10時半に帰宅し、土日は一日練という生活に必死についていき、死に物狂いで練習しました。しかし、現実はそう甘くなく、今までとは違った遥かに質の高い練習を受けても自分が上手くなっている実感がわかずに焦り、無理が祟って松葉杖生活を送ったり、持病の喘息や貧血が悪化したりと何もかもうまくいかない時期もありました。そんな時、顧問の先生から部長をやってみないかとお話をいただき、今までの自分を少しでも変えたかった私はぜひ務めさせていただきたいとお願いしました。それからは、顧問の先生から厳しいお声がけをいただくこともたくさんあり、今でこそ本当に感謝しかありませんが、当時は精神力も決して強い方ではなかったので正直自分の不甲斐なさに心が折れたこともありました。しかし、バドミントンの技術面でも精神面でも高校に入る以前と比べるとはるかに成長できたように思います。西武台千葉高校のバドミントン部で3年間全力で活動することができて本当に良かったと心の底から思う一方で、大学では新しいことに挑戦してみたいとも考えていたため、入学当初はバドミントン部への入部は考えていませんでした。しかし、幼い頃からスポーツに全力で取り組む日々を当たり前のように送ってきた私は、なにかにのめり込んで本気で取り組めること、そもそも一生懸命になれるものに出会えたこと自体、本当に幸せなことだったのだと大学に入ってからつくづく思うようになりました。
また、なによりバドミントンが好きだということに気づきました。
そうしてほぼ1年遅れとなってしまいましたが体育会バドミントン部に入部をさせていただける運びとなりました。入部してから自分の中で色々と目標を決めていたのですが、この間の春のリーグ戦で1つ大きな目標ができました。それは人から応援してもらえるような選手になることです。春のリーグ戦で同い年の鈴木のプレーをみて本当に感動したと同時に「こういった人がこれから上達していくし、人から応援されるんだろうな」と強く思いました。そして、そんな選手になりたいとも思いました。
自分のなりたい選手像に近づくためにこれからどうしたら良いのか、どうある必要があるのか、答えを出すことはまだできていませんが、まずは一球でも多く相手のコートに返し、相手が嫌になるまで粘り強くプレーをすることを普段の練習から意識し続けたいと思います。また、日々の練習の中で小さな目標をいくつか立てて、それを達成できるように練習に取り組み、3日後、1週間後、1ヶ月後の自分がどう変われているか、たとえ大きな変化ではなくとも少しずつでも確実に前に進んでいければと思います。
ここまで浅い話を長々と綴ってしまいましたが、私はバドミントンから一度離れたことで自分が思っている以上にバドミントンが好きだということを再確認することができました。私が今自由に好きなことをさせてもらえていることは本当に本当に幸せなことです。先ほどは当たり前のようにスポーツに取り組んでいたと書きましたが、決して当たり前なんかではありません。「ただいまー、おかえり、今日どうだった?、あのね今日はねー」そんな風に出迎えてくれる家族が大好きで「頑張ってね」といってもらえる環境がある、それを当たり前に感じてしまえるような日々が大好きで幸せです。
部活でもそんな初心を常に忘れず、今までお世話になった方々、特に今までずっとサポートし続けてくれている家族に自分のプレーを通して少しでも恩返しができるように、日々ひたむきに努力していく所存ですので、以後何卒よろしくお願いいたします。
駄文でしたが、最後までご精読ありがとうございました。
慶應義塾體育會バドミントン部
総合政策学部2年 駒井琴羽
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