2014年11月

2014年11月24日

『矜持・應心』

こんにちは。
更新がだいぶ遅れてしまい申し訳ございません。
3年の高瀬です

外の空気が冷たくなり、日吉の銀杏並木も葉が散り始め本格的に冬になることを実感している今日この頃です。私はとても冷え性なのでもう既に冬眠したいです。ぬくぬくと暖かい部屋でこたつに入りながらみかんを食べて…というのが夢です。

というのは冗談で、こんなにも嫌な冬ですが今年の冬はいつにも増して私たちにはとても大切な季節となります。
それはなぜか。そう、冬という季節は春の一つ前の季節だからです。

同期がさんざん言っていますが、先日正式に代交代をしました。私たちのチームは現4年生が関さん一人でしたので、関さんのポジションが交代しただけで他の役職は何も変わりません。従って、まだまだ未熟ではありますが私が引き続き女子主将を務めさせて頂きます。
役職関係では何も変わりませんが私たちは更なる進化に向けて様々なことを話し合い、二つの大きな目標とチームのスローガンを決めました。
今日はこの3つについてお話したいと思います。(ここ最近私は技能知についてお話させて頂いていましたので、その続きを期待されていた方がいましたらすみません。もう少し勉強したらまたまとめます!)

まず、二つの目標について。
「一部昇格」(春)
「インカレ8以上」(秋)
以上としました。大学も春学期秋学期と分かれているように、私たちの試合のシーズンも大きく分けて二回あります。この波を、自分たちがしっかり意識して高めていけるように二つの目標を立てました。まず、春学期はリーグで一部に昇格することを最大の目標に据えて皆で頑張ろうと思っています。秋学期ではインカレに全ての照準を合わせていきたいと考えています。どちらも目標を立てることは簡単ですが、そのためには誰が、何を、いつしなければならないのか、を明確にする必要があります。当たる相手も勝つべき相手ももう分かっています。その相手にしっかり勝ちきりチームに一勝をもたらす覚悟とイメージを各々が持つことが一番大切だと思っています。どんな練習をしていても常に実践。全ては試合で勝つために、一人一人が覚悟を持って練習に取り組んでいきます。

そしてチームスローガンについてです。
今年は「矜持・應心(きょうじ・おうしん)」に決めました。今年は、といいましても今までこれといって決めて来たわけではありませんが、今年のチームの軸となる言葉を決めて目標達成に向けて頑張ろう!という気持ちで考えました。
「矜持」というのは、「誇りを持って堂々と振る舞うこと」です。「應心」とは、これは造語ですが、「応援や期待、支援、様々な心に應える(こたえる)」という理由から考えました。また、「應」は「慶應」の「應」です。私たちがこの大学名を背負って新しい歴史を刻んでいきたい、という意味も含んでいます。
私たちのチームで大切にしていることはいくつかありますが、その一つが「代替不可能な選手になること」です。その人にしか出来ない、この人でなければ駄目なんだ、と思われるような選手であることが私たちのひとつの心掛けです。それはチームにも置き換えられて、慶應というチームでなければ駄目なんだ、と思われるような代替不可能なチームになりたいと思っています。勝つことはもちろん目標です。でもただ勝つだけでなく、このメンバーのいるこのチーム、この学校でなければ意味がない。むしろ、このチームが勝つからこそ意味があるのだ、と思われることが今の私たちのチームの軸です。このスローガンはこのような皆の希望や目標などが全て詰まったものになっています。この言葉を胸に、強い慶應を復活させ、更にはバドミントン界に新たな新風を巻き起こすが如く慶應バドミントン部の歴史にも、バドミントン界にも革新を起こせるチームにしていきます。様々な方々のご支援にしっかりと感謝し、常に進化し続ける私たちを今後もよろしくお願い致します。

これからもっともっと寒くなってきますが、冬も驚く熱い心で地面に深く、深く根を生やし、春にはきれいな花が咲くよう日々頑張ります!

長文、駄文失礼致しました。


keio_badminton at 20:20|PermalinkComments(2)

2014年11月16日

ついに主務です!

こんにちは。
今期、主務を務めさせていただくことになりました文学部3年の内堀光馬です。


先日の早慶戦を境に代替わりし、ついに最上級生となりました。
正直なところ、仕事などやることはふりかかってくるので、実感は感じでいるのですが、まだまだ最上級生の立場に違和感を感じずにはいられません。

副務として活動していた時に、先輩たちが抜けて自分が上になった時に分からないことがないようにしとこうと考え、前表さん、関さんには事ある毎に色々聞きにいっていました。
それでも実際に最上級生になってみると、さっそく分からない仕事が出てきてあたふたしているという現状です。

しかし、すべての物事がマニュアル通りにいくなんて甘い考えで、マニュアルにない事に出会った時にどう対処すべきか、自分で考えて行動することの重要性に気付かされました。よくよく振り返ってみると、この一年間で前表さん、関さんは自分たちで考えて決断している場面が多々あったことに気付き、改めて先輩たちの頼もしさ、凄さを感じています。

恐らく歴代の主務の先輩方もそのような場面で強い意志をもって決断を下していたと思うと、僕も主務としてもっと強い意志を持ち、決断を下す勇気を持たなければと思います。

現在マネージャー陣は男女合わせて3人しかおらず、仕事の進め方に関しても、模索しながらの毎日です。

それでも僕らなら必ず出来ると信じ、協力しながら部の運営を全力でサポートしていきます。

まだまだ未熟で至らぬ所が多々ありますが、今後ともよろしくお願い致します。




keio_badminton at 13:24|PermalinkComments(0)

2014年11月13日

科学できないのは

秋の夜長に読書、良いですよね。読書好きです。
ただ自分の中では、‘読書の秋’ではなく、読書は冬にするものだと思ってます。
運動や芸術もなぜ‘秋’なのか知りません、知らなくてもいいと思ってます。
でも何故か、‘天高く馬肥ゆる秋’の由来は知ってるので、そのうち調べようと思います。


こんにちは
今期、副将を務めることになりました3年の西村武浩です。


代交代して、1週間が経ちました。
部室が広く使えるようになって(笑)、
最上級生としての立場をなんとなく感じてます。


なにを書こうかと考えていると、ふと自分が日々考えていることが
ほとんどが部やバドミントンについてのことで、
早くも最上級生の大変さを感じつつある今日この頃です。
部やバドミントンについて考えてる時間以外の時間は読書か睡眠かゲームしてるかで
お世辞にも勉学に励んでいるとは言えません(笑)。
が、1つだけ今年しか出来ないな、と思ってることがあって、
それは多分この1年の行動とか考えのもとにしようと思ってることがあります。

「今までで最高だと思った瞬間は?」

と聞かれたことがあります。
おそらく自分の中でも、その瞬間瞬間で最高だと思ったことは
何度もあるとは思います。でも、最高だった瞬間が短かったり
少なかったりしたからか、瞬時にその問いに答えることができませんでした。
答えられなかったからどうかしたか、というわけではありませんが
聞かれて、自分の中にそんな瞬間が印象に残ってることが少ないんだと思いました。
だからこの1年、最高だったといえる1年にしようと思います。
1年を振り返って最高だったといえれば、消えない最高が自分の中に残せる。
言葉にすると、安っぽくなる感じが否めないですが、自分の中に残ればそれで
いいかなと。


短いですが、この辺で。
乱文失礼しました。



keio_badminton at 11:11|PermalinkComments(0)

2014年11月10日

代交代!



こんにちは。今年度、高田前主将よりバトンを受け継ぎ、主将を務めさせて頂くとこになりました、経済学部3年の紙谷優明と申します。

昨年度は高田主将のもと、「自主性」をキーワードにチーム作りをしてきました。バドミントンの競技に対しても、それ以外の部分に対しても、自主的に取り組めるチームを目指してきました。4年生の指導のもとで、1年間をかけて少しずつチームのまとまりながら自分達から積極的に動けるようになってきているのではないかと感じます。特にバドミントンの競技面に関しては継続して竹鼻コーチにご指導頂き、少しずつではありますが心も体も強くなってきているように感じています。

ただ、昇格するにはまだまだ足りません。確かに4部上位クラスのチーム力はついてきているのかもしれません。でもそれでは昇格できない。そういった視点から、今年の目標は「3部で上位に食い込む」ことに設定しました。そのために、私達は競技に関してはもちろん、部に関わる全てに全力で取り組んでいく所存です。
そして春には必ず昇格し、秋に3部で上記の成績を残してみせます。

OB,OGの方々にはたくさんのご支援を頂いております。監督、コーチの方々には熱いご指導を頂いております。バドミントンに全力で向き合える環境は整っています。あとは、私達自身の心次第です。
必ず、目標を達成すべく、全力で臨んでいきます。
これから一年間、よろしくお願い致します。


keio_badminton at 10:10|PermalinkComments(0)

2014年11月01日

主将の高田です。


時は幕末、、、世間で尊皇攘夷の風が吹き荒れる中、土佐藩の志士坂本龍馬は日本を改革しようと立ち上がりました。
龍馬は文久2年(1862)3月24日、土佐を脱藩します。各地を転々とし、桶町の千葉道場に身を寄せます。同年10月、千葉重太郎と共に勝海舟を暗殺しようとしますが、龍馬は勝海舟の話に感銘を受け、その場で弟子入りを志願、門下生となります。
その後、龍馬は西郷吉之助や土方楠右衛門と会談、土方と薩長和解の方策について打ち合わせ、続いて桂小五郎と会談を行うなど薩長の和解に努めます。そんな中龍馬は、和解には貿易による実質的結びつきが必要だと考えました。長崎に亀山社中を設立、亀山社中の活動を通して龍馬は幕府の経済封鎖に困窮する長州藩に接触したのでした。第二次長州征伐に関しては、西郷に長州藩のため武器弾薬の購入の名義貸しの了解を得たり、武器を下関に運び込んだりするなど、経済的結びつきによって薩長の隔たりをなくしていきました。
そして慶応2年(1866)1月10日、薩長の秘密会談が行われました。 しかし両藩は体面にこだわり、同盟の具体的な話が出ぬまま十日余りが過ぎてしまいます。龍馬が桂を訪ねて詳細を聞くと、薩摩藩側から同盟の話は出ず、会談を打ち切って帰国すると答えました。なぜ長州から持ちかけないのか問うと、「長州は今危機的状況。長州から同盟を持ちかけては、援助を請うているようなもの。だからできない。」と答えました。そこで龍馬は、もう一度薩摩との会談に応じるよう桂を説得、西郷のもとへ走り直談判します。その中で龍馬は長州の事情を説明し、同盟の話は薩摩側からを切り出すよう要請しました。そして21日、西郷から同盟の話が切り出され、薩長同盟が成立したのです。不仲だった薩長を結びつけ、革命に至ったわけです。


、、、ここまでおよそ4年間です。
4年もあれば一国の歴史すらも大きく動かすことができる、とてつもないスケールの偉業を成し遂げることができるのだと、しみじみ感じます。前置きが長くてすみません。

さて、龍馬が脱藩し薩長同盟の仲立ちに奔走した期間と同じ4年間、僕には一体何ができたでしょうか。チームのために何ができて、自分自身どれだけ成長できたでしょうか。

毎日練習後につけていたノートを見返してみると、あの時は考えが浅かったなとか、ああしとけばもっと良かったんじゃないか、と色々と反省点ばかりが見えてしまいます。
納得のいく結果になったことなんて一握りで、悔しかったことのほうがはるかに多いです。
しかし、考える→やってみる→振り返る→考える……という普通の、ごく当たり前のことができるようになったことも、この部に所属して必死に取り組んだからなのかなと思います。
反実仮想なので何とも言えませんが、他の団体に所属して大学生活を送っていたら、こんなに物事に必死になり、真剣に組織のことを考え、メンバーと苦楽をともにして競い合うことはなかったと思います。
未熟も未熟ですが、この先、生きていく上での基礎ができたことは4年間での成果と言えるはずです。

教科書ではさほど大きくピックアップされるわけではないにもかかわらず、好きな偉人ランキング上位常連の坂本龍馬。その愛される理由は、考え、実行に移す行動力、人を動かせる人間性など、ごくごくシンプルなところにあるのかもしれませんね。単純だけど難しいこと…、それができる人ってかっこいいですよね。

主将を一年間務め、考え、実行して人を動かすその難しさを実感してきました。
難しいと感じるなりにも、チームを良くする、結果を出すためにはどうすれば良いか考えて行動した経験はできました。心から嬉しく思います。
主将を任せてもらった一年間、本当に充実したものでした。

厚くご支援ご指導してくださったOBOGの皆様、プレー面運営面でサポートしてくださった監督コーチの皆様には感謝の念に堪えません。
竹鼻コーチという素晴らしい方にバドミントンを教えていただいたことも僕にとっての宝です。
そして、ともに頑張ってきた同期のみんな、頼りない主将にここまでついてきてくれた後輩たち、本当にありがとう。
言葉でどうこうはこの辺にしておいて、全ての恩は明日コートでお返しするようにします。

明日はこの一年間積み重ねてきた努力の成果を思いっきり出し切ろう!
打倒早稲田!!!


慶應義塾體育會バドミントン部主将
高田大地


keio_badminton at 23:30|PermalinkComments(0)