現役部員の感想③

私が東日本大震災被災地を私が訪れたのは、今回が初めてだった。

 

陸前高田を訪れた際、一番ははじめに見たものは、車内から見える田舎の風景だった。
草木が広がり、本当に震災があった場所なのだろうか、と感じてしまうほどだった。
しかし、ボランティアセンター付近には、多くの瓦礫の山があり、
震災の影響により残された跡が残されていた。
唯一残された、震災が起こり崩れてしまった建物を見た時は言葉を失った。

 

目の前に広がっていた田園風景は、大震災から今までかかった時間と
そして復興を願う多くの人々の手によってなされたものなのだと、改めて実感した。

 

車の中で目の前に広がる風景を見ながら、
私が東日本大震災のときは何をしていたのだろうか、と考えた。
電車は止まり、駅構内にもいることはできず、電車復旧まで喫茶店を探しても、
お店から人は出されている状態。そのおかげで、道路には歩くのが困難なほど人がいて、
歩く人々は皆携帯を持ち、家族や知人に電話をかけているが繋がらない。
私も何度も家族に電話をかけ、連絡をとることができず、とても不安になった。
その時間、家族は皆、バラバラの場所におり、無事かどうかも分からない。
幸いなことに、家族は皆無事で、次の日には家族でそろって食事をとることができた。

 

麻痺していた交通網は、震災の次の日の日が変わる頃には動き始めていた。
今思うと、私のいつもの「日常」が戻ってくるのは早かった。
被災地にいた人々の日常は、何年もの時が経っているにも関わらず、未だ戻っていない。
津波の被害にあった人々の不安は、私には比べものにならない。
家族はどこにいるのか、生きているのか、不安はこれだけではだろう。
ボランティアの中で、自分の背丈よりも遥かに高い瓦礫を網に乗せ、洗い、
その中から遺品などを見つける作業というものがあった。
私はボランティアセンターの人の「髪の毛一本でも、爪の一枚でも、
残された人々は返してほしいと望んでいる」という言葉が頭の中に残った。
残された人々は未だに私が一晩感じたことを何年もの間感じているのだと思うと、
私がこの場所に来るのはなんて遅かったのだろうと思った。
 

私は震災から数日でいつもの日常が戻ってきたために、
この震災のことを考えることが少なくなっていたことを改めて思った。
震災の被害のない、平和な場所で過ごす日々は私の心を
震災のことまで忘れさせているのだと感じた。
今回ボランティアに参加することで東北大震災のことを考えるようになった。
そして、復興が進んでいるとはいえ、未だ復興活動が行われていることを忘れてはいけない。
復興が完了したとしても、多くの人々がなくなり、
残された人々が今も、苦しんでいることを忘れてはいけない。
情けない話だが、今回ボランティアに参加することができたからこそ、思うことができた。

 

最後に、我々現役部員のボランティア活動に参加させていただけたことを、
心よりお礼申し上げます。

 

現役部員の感想②

はじめに

自分は201481日から201483日まで
慶應理工チームとして陸前高田ボランティアに参加した.
震災から三年経ち,世間の関心が薄れていく中
このような機会を得ることができて,とてもラッキーである.
一緒にいく方たちはプロの方ばかりで安全面でも安心できる.
とても環境の整ったボランティア活動であった.

 

自分はボランティア活動には初めて参加するので,
すべてがわからないので不安があった.特に具体的に何かというわけではないが,
何か底知れないものがあったように感じる.

今回は慶應理工から40代の佐藤先輩,現役42代の黒須,相木,
小林,中山という構成であった.

実際に津波の被害にあった地域についたが,第一印象としては
広大な荒れ地があるだけだと思った.被害に会う前の姿を知らないので,
こういうものなのかなとあまり実感がわかなかった.
しかし,ところどころに家屋の残骸がそのままの姿で残ってたり,
家の基礎が残っていたりして,昔の様子が少しうかがえた.
印象的だったのは切り崩された山と土を運ぶ巨大なベルトコンベアと
作業する重機の多さであった.切り崩されている山は剥げていて,
巨大なベルトコンベアは異様な光景であった.
作業用の重機が多く走っていて復興中であることを感じられた.
道に瓦礫はなく,走れる状態ではあったが,空き地は整備されていないため,
雑草が生い茂っていた.三年経ったと考えると,
あまり復興していないなという印象を受けた.
 

作業一日目は古川沼での遺骨,遺留品の捜索.
どのようにやるのだろうと思ったが,作業自体は地味で,
大きく盛られた砂山を少しずつ崩し,砂利をふるいにかけて水で洗い,
砂利の中に紛れた遺骨や遺留品を探すというものであった.
遺骨は出てこなかったが,茶碗やガラスの破片が多く出てきた.
また,ボロボロになった靴もでてきて,人々の生活の痕跡を感じた.
作業中に畠山先生とこの作業をする意味をお話しいただいた.
行方不明者の家族は今も遺骨や遺品が本当に少しでもいいから
戻ってきてほしいと願っている.しかし,もう
3年もたつし,
いつかは諦めなければならない.その諦め方にもいろいろある.
ボランティアの人が大勢来て懸命に捜索してくれて出てこなくて諦めるのと,
なにもせずに諦めるのでは天と地ほどの差がある.
多くの人がこれだけ頑張ってくれたから,もういいかなと遺族の方が思ってくれるまで
ボランティアは続いていく.また,ボランティアの輪は広めていかなければならない.
今回得た経験を持ち帰って友達に話し,少しでも被災地のことを気にかけてくれる人を増やす.
そうして彼らがまた話していくことで多くの人がつながっていく.
そのつながりを絶やしてはいけないのである.

今このような作業で遺品や遺骨がでてこなくても,
我々の作業は無駄ではないということを感じることができた.
 

初日の夜,畠山先生のお話を聞いた.
畠山先生は普段関東の方で仕事をして,道場で道院長もやってらっしゃるそうだ.
そして土日には陸前高田に来てボランティアに来る人を受け入れている.
自分はこの話を聞いた時,にわかには信じられなかった.
自分だったらそんなことできる気がしないと思ったからであった.
しかし,実際にそれを成し遂げている人がいる.その情熱に自分は感動した.
本当にやろうと情熱を持って行えば,人は成し遂げる事ができる.
そう学ばせていただいた.そう思った時,一気に畠山先生に対する尊敬の念が湧いてきた.
一般の人が成し得ない大変なことをしている人は
それだけで人から尊敬される存在になるのだなと,このとき気づいた.
 

作業二日目は,気仙沼けんか七夕祭りの会場周辺の草刈りを行った.
普段扱うことのできない刈払機も操作方法を教えていただき,いざ実践.
簡単に見えて意外と難しい物だった.ちょうど丘の上に神社があり,登ってみた.
震災時,この丘に人々は避難して助かったらしい.登ってみると,
お世辞にも大きい場所ではなく,ここに多くの人が避難していたと考えると,
なんとも言えない気持ちになった.
丘の中腹あたりで階段が壊れていたのでそこまで波が来ていたはずである.
とても高い位置まできていて,本当に驚いた.
陸前高田では避難場所が丘の下にあったために避難場所は波で流されてしまった.
丘の上に登ろうにも急だったためにお年寄りが多く,
登るのに苦戦して人々が渋滞してしまった.
そのうちに波が来て大勢の人が犠牲となってしまった.
そのような場所が多かったのが陸前高田の特徴であり,
改善していかなければならない点である.
 

帰りの車ではへとへとで疲れて寝てしまっていた.
この二日間で自分ができたことは本当にほんのわずかであるが,
そのわずかが復興に少しでも貢献できてくれれば幸いである.
実際に現地に行って得たものは大きい.何より自分の目で見て,
肌で感じることが一番大切である.今回ボランティアに参加できて,
一つまた経験を積むことができた.
また,機会があればぜひ参加したいと思う.
ボランティアを行う上でお世話になった人すべてに感謝します.ありがとうございました.

 
 

現役部員の感想①


私は2014年8月初めて陸前高田ボランティアに参加しました。
最初は大学が夏休み期間ということもあり、時間にも少し余裕ができる時期なので
試しに行ってみよう、
程度の気持ちで参加を決めました。
 
現地に到着した時、
場所が比較的内陸のほうであったせいか被災地というより
のどかな
田舎だな、という感想を持ちました。しかし海に近づくにつれ、更地が目立ち、
コンクリの部分のみが残った建物も目につくようになりました
(
これらの建物は震災のときの津波の被害を忘れないよう、残しているのだそうです)。
今まで津波や被災地の様子はテレビやネットでしか見たことがなく
別の世界の出来事のように思えていましたが、
現地に実際来てみて本当にこの地で
大変なことが起きたのだと実感
しました。

最初のボランティア内容は、土砂をふるいにかけて遺品を捜索したり、
ガレキやガラスを分別したりする作業でした。骨が出てくるかもしれない、
ということは容易に想像がつきましたが、石に髪の毛が付いているかもしれないので
注意するようボランティ
アセンターの方に言われた時は、なんだか人の死が生々しく感じられました。
スコップを使って土砂を移したりするのはなかなか骨が折れる作業でしたが、
基本的に土砂を振るったり分別したりするのが主な作業であり、
休憩もこまめにとられていたので、テスト明けのなまった体でも
それほど体力的に厳しい作業ではあり
ませんでした。
ボランティア活動では初めて会う方が大半でしたが、作業を行っていくうちに
不思議と一体感が感じられて楽しかったで
す。

作業は夕方前には終わり、夜はジンギスカンと新鮮なお刺身をご馳走になりました。
ジンギスカンは初めて食べましたし、あんなにおいしいウニを食べたのは初めてで、
そういう意味でもいい体験になりました。

最終日は昼過ぎまで草刈りを行いました。
草刈りといえば鎌など手作業でしか行ったことはありませんでしたが、
ここでは草刈機を使いました。簡単に使い方を教わり、
実際に草を刈ってみましたが、
地面ギリギリまで刈るのはすごく難しかったです。草刈りの後、
この場所は住民が避難場所へ移動したにも関わらず、津波の被害にあってしまったという
悲劇が起きた場所なのだと聞き
ました。小高い山には津波がきた高さが示されており、
津波の被害の激しさを感じました。

今回のボランティア活動はこれで終了でした。私たち現役部員はこれであとは寝ながら帰るだけでしたが、
運転を担当してくださった方々にはまだ運転が残っていました。
ただでさえボランティア活動で疲労が貯まるというのに、
行き帰りの長距離運転を平然とこなす方々には感謝と共に、ボランティアへの大きな熱意を感じました。

まだ1回だけではありますが、
このボランティア活動を通してさまざまなことを感じ、
体験することができました。行ける機会、時間があればまた参加したいと思います。

 

ボランティア活動報告


こんにちは、佐藤です。

いつのまにやら、すっかり寒くなりました。
体育館で道着になるのが辛くなってくる時期です。

今年は気付けば夏が終わっていて、気持ちの良い秋も一瞬。
私事ですが、社会人となり1年が過ぎていくのが速いこと速いこと。

と、言い訳をするにしても、
遅くなりすぎました夏に行われたボランティアの報告をさせていただきます。
報告が遅くなりましたこと、大変申し訳ありません。

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それでは以下、夏真っ盛りに行われました活動の報告です。
今回はようやく私も参加できたため、私の感想も交えつつ
参加した現役による感想文を順次掲載致します。

また、小堤監督が自身のレポートをFBに挙げておられますので
まだご覧になられていない方は是非そちらもチェックを。

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ボランティア活動報告

スケジュール

8月1日夜   東京出発
8月2日未明  陸前高田到着
      10時    作業開始
      15時  作業終了 
8月3日10時  作業開始
      12時    作業終了
             午後  陸前高田出発

参加者は、小堤監督、三茶関係者の方4名、
OB1年目1人、現役部員4名の計9人。

今回の主な作業内容は
1日目:遺骨収集
2日目:草刈
でした。

それでは詳細を。 
1日目 古川沼での遺骨・遺留品の収集 

陸前高田にはまだ207名の行方不明者がいる。 
多くの場所で復興工事が進んでいくことは、捜索できる場所が無くなることでもある。 

今回作業した海岸の隣にある古川沼では、 
行政や事業者の協力を得て沼の底から砂を集積してもらっていたが、 
すぐ隣では重機を使った工事が迫っており活動が時間との戦いであることが窺えた。 

『可能性の残る場所は工事の前に何としても捜索したい。 
最後まで探してあきらめるのと、探さずにあきらめるのでは遺族の方の気持ちも変わってくるだろう。』 
との言葉が印象的だった。 


現場へ行ってみると沼の底からすくい上げられた小高い土砂の山。   
その山から砂をすくい、ふるいにかけ、水で洗い、 
ガラス・木材・瓦礫・燃えるゴミに分別していく。 
髪の毛一本でも、手がかりになるかもしれないという。 
手作業で石や生活用品の断片を一つ一つ分けていく。 
残念ながらその日は遺留品と呼べるものは見つからなかった。 

IMG_1799  IMG_1797


50人ほどで一日かけて見ることができたのは山のほんの一部。 
それでも、この作業を行うことができるのは我々のようなボランティアだけであり、 
必要なことだと強く感じた。 

2日目 気仙町けんか七夕まつり会場の草刈  

けんか七夕祭りとは、お盆に山車と山車を激しくぶつけ合うおまつりで900年の歴史があるとか。 
その会場と周辺の草刈が2日目の仕事だった。 

普段使い慣れない草刈機や鉈を使い、草を刈っては積み上げてを繰り返す。

一面原っぱのように草が生えているが、中を歩くと、 
家の基礎の部分が残っていて住宅街だったことがわかる。
この辺一帯も、相当の高さまで浸水し亡くなった方もいるのだという。
今後再び家が立ち並ぶことは恐らくない。
それでも伝統ある祭は今年もこの場所で行われる。

image  写真


山に囲まれ、海風が気持ち良く、夜は星がきれいな陸前高田は
まるでゲーム「僕の夏休み」に出てきそうな、
日本の田舎の夏休みを象徴するかのような風景を持つ。

二日間たっぷり日焼けし汗を流すと気持ちがリセットされて
とても元気をもらった自分としては、町の魅力がよくわかり
迫力ある思いのこもったお祭りが今年も行われ、多くの方が楽しめればと感じた。


二日間見た陸前高田では・・
2年前に私が来た時には無かった巨大なベルトコンベアが、
一面平地になった土地で異様な存在感を放っていた。
山を削った土を運んで、かさ上げをするのだという。
トラックを使うと10年かかる作業が1年半でできる画期的な方法で
希望の架け橋と呼ばれているのだとか。それでも全ての作業が終わるまであと5年。
2年前には瓦礫の山や更地だった場所に農地と店ができ
大きなスーパーマーケットやコンビニもできていたが、鉄道は復活せずバスが代替している。
 
活動当初から使わせていただいている拠点 には
調理道具から寝具、長靴や軍手など活動に必要なものがそろっており、
ボランティアの仕事を割り振ってくれるサポートステーションでの応対からも、
震災から3年間活動を続けてきた少林寺団体の積み重ねてきた歴史を感じた。

これからこの町がどうなるのか。
頼りにされ、復興に向けてできることがあるうちは
自分のできることをやっていきたいし、部としても活動を継続すべきだと感じた。
何より、陸前高田に来ることが、震災を風化させず心に留めることを一番後押ししてくれる。
そして一度来てしまうと町の魅力に魅せられて、また来たいと思ってしまう帰路でありました。

監督をはじめ部のOBの方々、陸前高田でお世話になっている多くの方からの支えがなければ

成り立たない活動であり、今回の私の経験でした。本当にありがとうございました。

来年で震災から4年目。
日々感謝の気持ちを忘れず精進していきたいものです。
ブログも、もう少し頻繁に情報を発信できればと思います。
それでは、失礼致します。    image (1)






 

感想文②(5/16-18)

私が東日本大震災被災地を訪れたのは、これが初めてでした。


初めての陸前高田に対する印象は、割と淡白なものでした。
車内から見た景色は、トラックやショベルカーなど
工事用車輌が比較的多いことを除いては
そこまで普通の田舎と変わりないのでは、そんな印象
しかし移動の車中で目前の田園風景が辺り一帯瓦礫の山だった
という話を聞き、しかもその場所は、
海が間近に存在するような場所ではなかったため
改めて津波の恐ろしさを推測できました。
またそれと同時に、そこに山のようにあったという
辺り一帯の瓦礫が処分され、畑や田んぼが広がっているのを見て、
復興が着実に進んでいるということも分かりました。


陸前高田の風景を見ているうちにしかし私は一つの違和感を覚えました。
山村風景地域の割にほぼすべての建物が新しすぎる、
綺麗すぎるということです。
それはもともとあった建物が津波により流されてしまい、
新しく建てられたものなのでしょう。
今の陸前高田には新築の建物が多くありました。

 
今回私たちが行ったボランティア活動は
住宅跡地を畑に変える耕作作業、それからマツの若木の植林でした。
正直私にはたった
2日間の作業で本当に役に立っているのだろうか
という不安がありましたが、現地の人から、
「わざわざ陸前高田に来てくれて、
  一生懸命作業をしている姿を見ているだけでもうれしい」
という言葉をいただいたとき、参加してよかったと思いました。
少しでも私たちの活動が復興支援の一部となり、
現地の人の助けとなってくれればとてもうれしいです。


私が今回の活動に参加してみて特に強く実感できたことは、
当初のイメージと比べて復興が大分進んでいるということと、
その一方で今この瞬間にも復興に向けての作業は
現在進行形で行われているということです。
ひたすら土砂を運び続けるベルトコンベアーの光景、

3
年が経った被災地に少林寺拳法チーム以外にも
多くのボランティア団体が活動する姿、毎度読めない活動内容の現実、
…などが示すように、現地での復興活動は未だ終わりを見せません。
実際に陸前高田に赴いたからこそ、このことを忘れてはいけない、
そう感じました。


最後に、私たち現役部員のボランティア活動費を
ご支援いただきました
OBの先輩方、
それからこの度の活動に携わった全ての方々に感謝申し上げます。
ありがとうございました。



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