野球部ブログをご覧のみなさんこんにちは! 

最近寝る前にビールを一缶空けるのが日課になりつつあります、
ピッチャースタッフの横山頼太郎と申します。出身校は都立国立(くにたち)高校です。
ちなみに一番好きなのはアサヒスーパードライ。 
今年の同期にアサヒビールの内定者がいないのは残念ですね...  

さて、横谷からの紹介にもあったように、彼ほどではありませんが僕も走ることが好きです。
スタッフ転向後も何かとトレーニングを続けています。 
理由はいくつかありますが、あえて一つ挙げるとしたら、一つ上のピッチャースタッフだった原田さんがスタッフ転向後に10kgも太ったのを目の当たりにしたからですね笑
僕は逆に10kg弱痩せました!



世間話はさておき、僕の大学野球について思いつくままに書いていこうと思います。
多分すっごく長いです。つまらなかったらすっ飛ばしてもらって最後の方だけでも。  


高校時代、僕は控えのピッチャーで、今までの野球人生を振り返ってみてもレギュラーだった経験はありませんでした。このままでは終われない。大学でも野球を続けていつの日か神宮のマウンドに立つんだと意気込み、慶大野球部の門を叩きました。 



そんな僕がまず大学野球に入って感じたのは周囲とのレベルの差です(当たり前ですけど) 
エース、主将、四番など、それぞれのチームで中心を担っていた選手ばかりが集まる中、正直四年間やっていけるかどうか不安でした。
一年生の頃は先輩も怖かったし、今振り返るととにかく一日一日を乗り切るので精一杯だったなと... 
実家通いで朝は毎日4時半起き、あほみたいに走らされてばかりだったあの頃、初めの一か月は死ぬんじゃないかと思いました。それでも続けてこられた理由は正直よくわかりません笑

そんなこんなで二年生になり、寮にも入って(僕は高関寮でした!)相変わらず野球漬けの毎日を過ごしながら迎えた春のキャンプ。
...長いこと付き合っていた彼女に振られました。野球と私どっちが大事なの!?みたいなよくある感じで振られました。 


それからです。僕がチームで一番走っていると自負出来るくらい走るようになったのは。 走っているときだけが全てを忘れられる。何も考えなくていい。ただタイムを刻んでいくことに集中すればいい。雑念を振り払い、全ての欲を断って走った...おかげかはわかりませんが、なんとか新人戦のメンバーに食い込めるかどうかというところまで実力を伸ばすことが出来ました。 

きっかけはどうあれ、あの時期に野球だけに集中できたのはよかったと思います。しかし、部員は知っている人も多いですが新人戦前の塾高との練習試合で笑えるくらいひどい結果を残すことになったのです。

1/33ホーマー6失点(無四死球) 


周りも声をかけづらそうでしたし、いじられるのも中途半端。
試合後、LL(グランドの両翼間を弧に沿って走るランニング)44本走ったのは忘れません!

 
とにかく悔しい、それだけがそのときの練習の原動力でした。 
自分の実力のなさを無様な形で突きつけられる結果に終わりました。

正直きついですこれは。高校生に打たれたのが悔しい。結果が出ないのが悔しい。自分の実力の無さが悔しい。しかし、そんな僕に対して当時ピッチャースタッフであった二つ上の小嶋さんは、「俺はお前のことを新人戦のどこかで使いたいと思ってる」と言って下さいました。

理由はわかりませんが、そうやって見てくれる人がいるのに腐るわけにはいきません。 それからの練習量は、質はともかく、今までの僕の中では一番だったと思います。その後の練習については端折りますが、結果として新人戦の法政戦で1イニング、リリーフとして神宮のマウンドに立つことができました。最後まで見捨てずにいてくれた小嶋さんに感謝です。
 (余談ですが、僕が二年春の新人戦で付けた背番号は14。実は父も慶應の野球部のOBで投手。初めて神宮のマウンドに立ったのが二年春の新人戦で、なんの因果か背番号は同じく14だったそうです!)

 


140kmhの速球が投げられるわけではない。すばらしい変化球を持っているわけでもない。

そんな自分がどうやったら試合に出ることができるのか、そればかりを考えて練習をしてきてました。下手くそなりに考えて考えて、それで新人戦にも出られて、三年春にはB軍のオープン戦にも連れて行ってもらえるようになりました。順調とまではいきませんが、それでも目標に向かって毎日を過ごしていました。 


ちょっと飛ばして三年夏に僕がスタッフに転向したことについて書きたいと思います。 
毎年ピッチャーの中からは1人スタッフを出すことになっています。僕らが今までお世話になったピッチャースタッフの先輩には原田さん、小嶋さん、景山さん(H24年卒OB)らがいます。 

誰しも選手としての目標を掲げてこの野球部に入ってきているわけですから、スタッフ決めは毎年毎回、困難を極めるわけです。当然僕らの代も簡単には決まりませんでした。 三年になって、オープン戦でも投げられるようになり、まだまだこれからと思っていたのでスタッフにはなるつもりはありませんでした。

ではなぜスタッフに転向したのかと言われると...長くなるので結論だけ言えば、誰かがやらなくてはいけないことを、嫌々でやらされる人がやるくらいなら自分がやってやろうと思ったからです。なんだかこれだけだと聞こえはいいですし、そんな簡単に考え方が変わるのか?と言われそうですよね。
正直な話、あれから、自分が選手を続けていたらと思わない日は一日もありません。大袈裟ではなく。

 
でも自分がやりたくないから誰かに押し付けるとか、自分のことしか考えていなかったら組織は機能しません。自分さえよければ、自分の思う通りにさえなれば、そんな独りよがりな考え方をしていては誰にも信用されなくなると思います。 学生が中心となってやっていることなので、誰かがやらなくてはいけないことは常に自分のこととして、ときにはいやなことでも誰かが解決してくれることとは限りません。
それでもスタッフをやっていて嬉しいと思えることもいっぱいありました!

 現在リーグ戦でリリーフを務めている佐伯(4年/慶應義塾高校出身)は去年の夏にC練から一気にリーグ戦投手まで上り詰め、今年の春には石崎(4年/平塚江南高校出身)が、そして秋は土屋(4年/慶應湘南藤沢高校出身)がはじめて神宮のマウンドの土を踏みました。 夏キャンプ後には大下(4年/宇部商業高校出身)A練に上がりました。怪我により今は戦線を離脱していますが、それでも努力を続ける彼の姿には頭が上がりません。




そうやって同期のピッチャーが結果を出していくのは素直に嬉しいです。 それはもう自分のことのように!


悔しいという気持ちはほとんどありません。スタッフになったその日から選手の目標が僕の目標でもあり、そのためにここまで頑張ってきたので。選手としての想いはもうすでに同期や後輩たちに託しています。


他にも紹介したい同期はたくさんいます。下級生の頃から突出していた選手が少ない僕らの代のピッチャーは、多かれ少なかれ辛酸をなめてきた選手ばかりだと思います。 それでも諦めず、上級生になっても、そして今でも練習に励む四年生の姿を見ると僕も気が引き締まります。

最後まで諦めずにやった結果、リーグ戦に出られた選手。この四年間で見違えるほどうまくなった選手。そんな選手たちをみて、自分がこの野球部で信じてやってきたことは間違ってなかったと周りの選手が教えてくれました。 同期のピッチャー陣にはこの場を借りてお礼を言いたいです。ありがとう!この代でピッチャースタッフをやってよかった!

そんなわけで今に至ります。(スタッフになってからのことはかなり端折りましたすみません笑)




どうでしょうか、ここまで思いつくままに書いてみたのですが、なんだか言いたいことが言えているのかどうか...最近考えていることも書こうと思っていましたが、趣旨から大きく脱線しそうだったので途中まで書いて消しました笑 ここでチームの話をすると、秋季リーグ戦は四校が勝ち点3で並ぶ大接戦となっています!
 慶應が優勝するには今週の明治対立教で明治が二勝一敗で勝ち点を取り、慶早戦で二連勝するしかありません。今週はただ祈ることしかできず歯がゆい気もしますが、これから慶早戦までの間、さらに気を引き締めて練習に臨むだけです! 

長くなりましたが、そろそろ次の人にバトンを渡したいと思います。


 次は弊部が誇る九州男児、鷲﨑一誠(4年・内野手/佐賀西高校出身)です!

彼は時間にルーズで、同じ授業に遅刻しそうなときにのろのろしていたので、「なぜそんなにマイペースなんだ!」と急かしたことがありますが、「俺からしたらお前の方がマイペースだわ」と言われ、それから彼といるときは遅刻覚悟、時間は忘れるようにしています。(遅刻しそうだったから急かしたのになぜかそんなことを言われ、それに言い返せなかった理由もいまだによくわからないです笑) 



最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました!!
これからも塾野球部への変わらぬご支援ご声援をどうぞよろしくお願いします。


(4年・学生スタッフ・横山頼太郎/国立高校出身)