2007年01月

2007年01月15日

エッセースト中村進の社会時評 「チカーン」

中村進
((株)荏原計器製作所会長、日本圧力計温度計工業会副会長)

お化けにチカーンと東急の横浜駅で叫ばれた、当然駅員が駆けて来て電車から降りて下さいと言われた。電車のドアーが閉まるのをこじ開けての問答になったが、他の乗客の協力も得られず当の被害者のお化けも雲と霞に消えていた。痴漢された被害者がいないので駅員はドアーの手を離し電車は発車した。

お化けの正体は淑女でも女性でも女でもない正に化け物であった。所要で横浜のみなとみらいに行く途中で目黒線から東横線に乗換えシルバーシートのボックス席に女性が一人掛けていたのでそこに座った。

当世の風俗では珍しくもないが、目の前の女性が気が付いたら化粧を始めた。女性が身だしなみとして美しく装う容姿を眺めるのは幾つになっても男として楽しい。しかし、電車の中での公衆の面前で仮粧とは頂けない、顔を叩いて唇を塗りたくり逆毛を立ててスプレーを噴射し始めた。当方にスプレーの噴気は来なかったが、思わず読みかけの本で扇いで迷惑している意思表示をした。スプレーの噴気の先には他の乗客も居て直接掛かっているのをお構いなくだ。

それが終わったら沢山の薬の袋を出しペットボトルの水で流し込んで、私は病人なのだとうそぶいた。長距離列車に乗ったように二人掛けの真ん中に座り、靴を脱いで私の横に両足を投げ出しその傍若無人ぶりは目に余るものがあり、他の乗客からもひんしゅくをかい中年の女性が下車際に注意していった。

その浅ましい姿は正にお化けで、私の横の席にはお化けの小道具一式が入った頭陀袋置いてあった。しかも私は病人だからこのボックス席を独り占めしても良いのだ、あんたは若いからこの席に座る資格がないとの論理にはただ呆れるばかりであった。

横浜駅の停車時間は他の駅より多少長く、そのお化けは降りがけに私の足を蹴っぽて出て行きやがった。思わずこん畜生と後を追い肩のあたりをこずいたら“チカーン”と騒がれて今乗ってきた電車に飛び乗った。

後の状況は書き出しの通りで、「『彼女は嘘をついている』おれはやっていない」の小林知樹氏の衝撃の痴漢冤罪手記の映画化に刺激されて、自分が経験したおぞましい悪夢が甦り書く気になった。

電車に乗る機会は少ないが必ず片手にカバンを持ち吊革を持つのを習慣としている、小林知樹氏ではないが痴漢をしてない実証は困難だ。今回行為をあえて言えば痴漢でなく暴漢であるはずだ、しかもお化けは自分の行為を正当化するためにチカーンと叫んで遁走した。一般論として痴漢は女性に対して卑怯な恥ずべき行為である、もしも、自分の痴漢行為が家族を始め社会に積み上げた実積と信用を汚し、残り少ない人生では修復不可能である。

お化けの“チカーン”の言葉に正当性があり、不名誉な痴漢の汚名は3ヶ月たっても心の傷として消えないとは腹立たしい。

(2007年1月5日記)



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2007年01月09日

エッセースト中村進の社会時評 「人の道」

中村進
((株)荏原計器製作所会長、日本圧力計温度計工業会副会長)

我が国は‘04年に人口のピークを打ち、人口減少の局面に政府は年金維持、企業は労働力と消費購買力を心配している。

06年はモーツアルト生誕250年で音楽の都ウィーンやザルツブルクは盛り上がった。スイスは国土や人口は少ないが、雄大なアルプスの観光と精密機械や化学・医薬の分野があり、フランスといえば芸術の都でファッションやブランドで観光立国として世界中から注目されるなど、国土や人口の大小を競うことはない。

我が国には四季の美しい自然があり、伝統工芸・芸術や現代においては工業製品の極小技術やマンガに代表されるキャラクターなどは、鳥獣戯画・信貴山絵巻など世界に誇る伝統文化があり、今後も世界に観光や技術や芸術など充分に発信する能力がある。人口が国のパワーを示すバロメーターの時代は過ぎ、ゆとりと安らぎや新たな文化の発信こそ国富の根源で、民度の高さが国力を表して心配ではない。

仏教は慈悲を説きキリスト教は愛を説く、60数年前我が国は米国との戦争に負けて、精神文化もキリスト教の浸透で愛を知り、愛のない結婚などありえなくなった。それ以前の結婚は慈悲のみで結婚したとも覚えないが、結婚にいたる形式は地域内の見合いや男女間の相愛であった。

我が国の社会には米国のような男女間の愛を育む仕組みがないままに、恋愛至主義のみ先行した。当時に米国の映画で見て憧れた生活で、教会やダンスホールや地域の連携やボランテアなど、出会いのサポート・システムが無いままに、愛のない結婚なんてと諦めている。

私の時代は伝統文化?が色濃く残っていて、弾みで恋愛結婚した人以外は見合い結婚をしていた。10年一昔といえば、一昔以上後の不器用な人達の結婚観は女性に選択権が移り、結婚の条件は学歴が高く背が高く収入が高い人を望み、俗に三高と言われた。三高の条件を満たしえない男は、女性に好きと告白する勇気と気概と自信が無く言えず、身近に独身者が多いのはもったいない。

至近な例だが“慈悲の見合い結婚”をした私は、パートナーに私に対する幻想や実像に気が付かないようにお願いしている。と言って、頼まれても生身の男と生活していれば、鼻に付くことや虫唾のはしるおぞましい事も経験する、それを気付くな、見るな、では済まされないことが多い。そこで慈悲の心が総てを洗い流して、“見ざる、聞かざる、言ざる”の三猿状態でなんとか結婚状態を持ち耐えているらしい。

最近は恋愛結婚が全盛の状態は男女の出会いが機会均等に与えれてなく、不慣れ出遅れ気後れて不参加組が多く結婚を諦めた独身者が多い。首尾よく恋愛結婚しても、やがて“火の玉の如くの熱愛”の熱が冷め、愛が薄れて幻想や実像に気が付く時期が、遅かれ早かれ到来する。幻想や実像に神のような愛情を持って堪えうるか諦めるかの選択で、愛のない生活に区切りを付ける人達が多数見受けられる。

米国の都会でも地縁から解放せれて自由をお謳歌しているが、砂漠化した都会で結婚を望む出会いのない人々が、新しくスピード・デイトなる見合いの場があると報道された。一人7分毎に順繰りに相手を替えて、生涯の伴侶を探す新たなシスレムが注視されている。5分、3分と時間を短縮しメリーゴーランドのように、素早く相手を峻別することまで望まれている。

伝統文化の見合結婚の我が国でも“恋愛なくして結婚なし”の状態は、再び米国に歯向かうことのないよう仕組まれた結果が、人口減少として60有余年経って結実した。米国の陰謀に対抗するためには、我が国も伝統回帰して見合い結婚を見直し、あらたな結婚観を構築しないと明るい未来はない。

年末のテレビでい野生動物の番組を見た、大自然の中で種の保存の本能で雄と雌との生活圏は別だが、交尾の時期のみ出会って子育ては、もっぱら雌単独でする光景を見た。もちろん夫婦で微笑ましく涙ぐましく子育てをする鳥など夫婦の形はさまざまだ。

人間として生き物として仏教的な輪廻の世界に生きるには、輪廻転生と命を繋ぎ愛欲だけでは繋げない。総てを包含し愛憎を超越した慈悲の心こそ未来永劫に繁栄する日本人の“人の道”である。

(2006年12月30日記)


keiryou_keisoku at 15:52|PermalinkComments(0)TrackBack(0) エッセースト中村進の社会時評