2007年02月01日

ΦΑΙΔΩΝ

私の言いたいことがわかるだろう。そこでは、ありうべきもっとも不条理なインテリアに囲まれて、名前のない相手とともに、いっさいの身分(アイデンティティ)から自由になって死ぬ機会を求めて入るような、地理も日付もない場所、そうした場所の可能性が予感されるのだ。

そこで人は、何秒、何週間、あるいは何ヶ月におよぶかもしれない不確定な時間を過すだろう。逸することができないと直ちにわかるであろう機会が、絶対的な自明さをもって現れるまで。その機会は、絶対的に単純な悦びという、形なき形をもっていることだろう。

「これらについては秘教の教義のなかで語られている根拠があるのだが、それによると、われわれ人間はある牢獄の中にいて、そこから自分自身を解放して逃げ出してはならないのである。これは、ぼくにはなにか高邁な、容易にはその真意を見抜けないような思想のように思われる。それにもかかわらず、少なくともこのことも、ぼくには正しく語られていると思われる。すなわち、神々はわれわれ人間を配慮するものであり、われわれ人間は神々の所有物のひとつである、と。」



keishimishima at 21:14│Comments(0)clip!Sprache und Geshichte 

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