2008年02月

2008年02月28日

乃木希典伝記「斜陽に立つ」完結に関して

  毎日新聞日曜版に70回連載されていた古川薫の「斜陽に立つ」は、2月24日の紙面で、「自敬に徹した最後のサムライにとって、世上の毀誉褒貶(きよほうへん)は無縁のざわめきでしかなかった」の言葉を最後に、明治天皇崩御の後を追って自刃した乃木希典・静子夫妻の殉死で完結した。既に二人の息子(勝典26歳、次男保典24歳)は、ともに戦った旅順戦役(南山と二百三高地)で亡くしており、ここに乃木伯爵家は断絶した。
  私は、子供の頃、乃木大将の話を繰り返し祖母から聞かされていた。その中には、次のような話もあった。私が人参を嫌いと言って食べなかったら、決まって「乃木大将は子供の頃人参が嫌いで、母親から毎日人参を食べさせられた」という話をされ、人参を食べさせられた。お陰で私は人参を食べられるようになった。ところが、どういうわけか私の子供や孫は、幼児のときから人参が好きだった。私の子供の頃と味付けが変わっていたのだろうか。
  また、誰かの話と重なっているかもしれないが、「乃木大将は、妻との結婚のとき、わざと遅れてきて、男は私事より公務が大事として、女は男に従うのだということを示した」とも言われたような記憶がある。乃木は妻子に対しては冷たく粗暴であったという説もあるらしいが、心底では妻子をこよなく愛していたと思う。本書では、結婚当初、静子を嫌った姑寿子が離縁させようとしたとき、乃木は「あれ(静子)がこの家を去るときは死骸になってでるときです」と言ったと表現している。それゆえに、妻は夫と生死を共にするほど、夫によく従ってきたのだと思う。私には、そんな器量はなさそうだ。
  私は、学生時代、3年間、旧乃木邸や乃木神社のある赤坂乃木坂に近い麻布霞町(当時の地名)に住んでいた。旧乃木邸や乃木神社にも足を運んだ。あまり鮮明には記憶していないが、赤坂の一等地にありながら、乃木公園の上にあった旧乃木邸の一角は妙に静かであった。乃木神社は、現在の形に再建される前の小さな社であった。真偽のほどはわからないが、乃木夫妻が相対死したときの血が染み付いた畳2枚がご神体になっているというような話を当時からずっと信じ込んでいた。
  今は、あまりあちこちと正見行脚をする機会が少なくなってしまっているが、以前、古賀市薬王寺の集落内にある白鬚神社の拝殿に、乃木大将とステッセル中将が会見した「水師営の会見」の絵馬が掲げてあるのを発見し感激した思い出がある。乃木は、この会見の様子を写真に撮ろうとした英米国の記者に対して、敗軍の将が後々まで恥辱を残すような写真は日本武士道の精神に反すると拒否し共に帯刀してくつろいでいるスナップ写真しか撮らせなかったという。この神社は、拝殿に格子戸があり錠がかかっていたので、格子戸の間から覗き込んでこの絵馬を見た記憶がある。
  今まで乃木についての伝記は、桑原嶽著「名称乃木希典−司馬遼太郎の誤りを正す−」や吉川寅二郎著「嗚呼至誠の人乃木希典将軍」など数冊読んでいるが、ただその生死に対する潔さだけが心のどこかに刻まれていた。
  潔いといえば、乃木資料館に「乃木将軍をいたみて」と題して「いさぎよく今まで見えし秋の霜きえて朝日の光まばゆき」と詠った椿山荘老生の句が保管されている。司馬遼太郎のように乃木将軍を愚将と見る人たちも多いが、やはり明治天皇の寵愛を受けた実直で潔い名将と見る人たちも多い。
  私もこのような潔い人になろうと思い、そのような生き方をしてきたつもりであったが、どこでどう取り間違えたのか潔さが短気となり、若いときから回りの者とよく摩擦を起こして、随分と損をした生き方をしてきたような気がする。今、潔さは残っているのだろうか。
  この「斜陽に立つ(古川薫著・安久利徳画)」は単行本となり、5月に毎日新聞社から刊行される予定という。

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2008年02月24日

フィギュアは村主章枝と太田由希奈を応援

7082497ebe58894e4c66be63b28511d0-o[1]  HDDに録画していた四大陸フィギュアスケート2008フリー(2月16日TV放送分)を観た。といってもその全部を観たわけではなく実際に観たのは、表情のアーティストといわれている村主章枝の演技だけである。
  8年以上前からの村主ファンとして、村主の演技の観賞だけは欠かせない。特に彼女のスパイダルシーエンスの流れはとても流暢で美しい。この村主は、既に27歳。現在20歳前のスケーターが主流になっているこの世界でよく頑張っていると思う。
  村主は、「長い間やっていれば色々なことがあると思う(もしもスケートと出会っていなければこんなに苦しむことはなかった)」、「過去は変えられないけど、それを生かして次に臨むことはできる(もしもスケートと出会っていなければ滑る喜びを表現することはできなかっただろう)」、「スケートをしていてすごく学ぶことがいっぱいある、それがスケートをやっている理由、スケートは人生の勉強」と言い切る。
  試合に勝ち負けはつきものだが、勝っても負けても、スケートができる間は滑り続けたい、これが自分の人生だといって、常に前向きに生きて行こうとしている彼女の決意が、その演技のなかに現れているので、観ていて励まされる。
  ついでにいうと、女子フィギュアスケーターで応援している選手がもう1人いる。それは法大の太田由希奈(21歳)である。
  2004年の四大陸フィギュアスケートで優勝したが、その後、右足首を痛めリンク上から姿を消していた。現在もその傷は完治はしていないらしいが、それでも滑り続けようという情熱があり、昨年復帰して全日本選手権に出場していたので嬉しかった。成績はかつてのようには振るわなかったとはいえ、氷上のミスエレガンスといわれている彼女の優雅な演技は健在であった。ジャンプではないイーグルがすばらしく、特に持ち味のひとつであるスパイダルが優雅である。
  ※村主章枝選手の画像は、http://sports.livedoor.com/photo/detail-4166.htmlからお借りしました。

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尾形智矩さんの逝去を悼む

  昨年10月26日のブログ「緒方9…緒方荘志賀へのこだわり」の,遼粗に「かつて私の知人に尾形智矩(苅田町)という衆議院議員がいたが、この尾形は緒方と同じ発祥で、古代の海人族で体に蛇の尾の入れ墨をしたことから起こった姓である」と書いていたが、今日の毎日新聞の日誌欄に、この尾形智矩さんの訃報が載っていた。
  そこには、「尾形智矩さん71歳、元福岡県苅田町長、元自民党衆議院議員、町長から衆議院議員に転じた後、現職町長の告発で住民税の不正流用疑惑が表面化。東京地検特捜部が乗り出したが不起訴処分になった=20日」と掲載されていた。
  この不正流用疑惑事件の背景には、反尾形派との政治的対立があったのだと思うが、この事件を契機に彼が国政から退去したのが残念であった。まだ40歳代だったと思う。人は絶頂期に有頂天になり、それを快く思わない人たちに陥れられたり、自ら落とし穴に落ちることがあるので、自重と用心が肝要である。その後、町内には支持する人も多く苅田町議として活躍されたのは救いであった。
  彼とは、青春時代にともに東京で過ごしたが、彼は友愛青年同士会を組織しそのリーダーとして、また私は未来を開く青年会議を創設し政治活動に青春の情熱を燃やしたなかであった。私は、30歳代のある時期を境にして政治活動からまったく離れてしまったものの、この両組織からは多くの政治家が育った。現在も衆議院議員や県議会議員として活躍している当時のメンバーもいる。かつての青年も今や老年、若いときはただひたすら前を向いて突き進むだけで、自分が歳をとることなど考えもしなかった。
  尾形智矩さんの逝去を悼みます。


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2008年02月14日

意味のないバレンタインチョコ

  聖バレンタインデーに、職場で女子社員が男子社員に義理チョコを送るのが習慣みたいになっているが、意味のない習慣だと思っている。特定の男性に好意を持っている女性が、その人に自分の気持ちをこめてそっと贈り、愛の告白をするというのが、そもそもの始まりだったと聞いている。それが現在、そんなほのかな想いも伝わらない義理チョコの習慣に変わってしまったのは、悲しいことだ。
  チョコを贈るというのは、日本独自のものらしいが、もらって一番困るのは「女子職員一同」と書かれたチョコ。義理チョコでも、あげるのであれば、個々人が自分の気持ちをこめてあげるべきで、それを誰かに便乗するかのように「一同」としてあげるのは感心しない。もらった方も個々人の気持ちがまったく伝わってこないので有難くない。こんなことは、皆を誘いあってすることではない。また、一同でもらっても、お返しは個々人にしなければならないので負担をかけることになる。
  話はそれるが、慶弔などで「一同」として出すのは、自分のない人がすることであまり感心しないが、必要により「一同」とするときは、幅広いカンパ等により相応の額を包むときであると思っている。



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2008年02月13日

太陽の花と月のしずく

太陽の花と月のしずく
  これは、2002年に安道里香さん(詩と歌)と花田久美子さん(曲)が出されたCDのタイトルである。
  私は、この歌を当時PCで聴いていたが、一人で車を運転しているときに聞きたいと思って、これまで大事に保管していた。いつも気にかけながら実に5年も保管していたことになる。というのも私の車にはCDを聴く装置がなかったからである。しかし、今回やっと念願のCD付き車の走行がかなった。さっそく積み込みスイッチを入れた。里香さんの透き通るようなすばらしい歌声が耳に飛び込んできた。ここで、全12曲収められているうちの里香さんの歌を数曲を紹介したい。
  何度も何度も耳に響く「おなかの赤ちゃん」「ようちえんだいすき」「ルナンジェラ」の歌詞、彼女の子供好き、そして本当に子供を大事に思う心が伝わってくる。
  「La Luna」もすばらしい。ルナと語りかける言葉を、ついつい勝手にルネと聴いてしまい、私の好きなミュージカル歌手の新妻聖子が演じた台詞劇サド侯爵夫人ルネとミックスしたりしていた。実は、新妻聖子のCD「夢の翼」と「愛をとめないで」も一緒に積み込んでいる。里香さんの歌声は、新妻聖子ともよく似たところがあり心が癒される。
  「Angef Love」は、詩曲とも里香さんで、やさしさと愛に満ちた彼女の会心の一曲ではないかと思う。愛は、ときめき、心が痛む。彼女の歌声から、そのやさしさとときめきが伝わってくる。
  さらに文句なしに感激するのは「Tempo Feliz」である。「たんぽぽを見てごらん、輝いて咲いているんだよ、私だってできることがきっときっと何かある、だからちょっと待ってて、見守っていてね」。野に咲くたんぽぽを見て、こういう生き方を説くってすばらしいと思いませんか。だから彼女には多くの人がついてきて、人を育てることも上手なのだと思う。
  私のたんぽぽ好きは、これまで何度もブログに書いているが、里香さんもたんぽぽに同じように愛情を注いでおられるのが嬉しい。彼女のありのままの自然でこだわりのない力強い考え方は、こんなところにもあるのだろう。それ故に、私と同じように誤解されることもあるのだと思う。
  彼女は頭脳明晰で学識あり瞑想による宇宙交信能力もある。密教でいう大日如来の宇宙である。だからこのように明るくすてきな詩曲が次々に生まれてくる、まさに天運に導かれている人。「太陽の花と月のしずく」は、まさに宇宙からのメッセージ。ぐいぐいと彼女の歌声に引き込まれていく。
  今は、コンサート活動も多いという。もっともっと多くの人たちに彼女のすばらしい歌を聴いてほしい。いつも陰ながら活躍を祈っている。


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2008年02月12日

蝋燭に竜の顔付きジャバラができる

  昨朝のこと、2/7に節分祈祷札を受け取ったEが蝋燭の背に自分の名前を書いて奉納した蝋燭を灯明立てに立てて、明を灯していたところ、燃える炎の下縁で蝋がきれいな蛇腹を造っているに気付いた。
  燃え残り2cmのところで竜の形が完成したので、灯明の明かりを消して、その竜体を取り外した。きちんと長三角形の頭と顔を付け、突端の口先部分は舌を巻いたようなねじ巻き状になっている。蛇腹の部分は、きれいな弓形に反っており、全体の長さは5~6cmある。当道場において蝋燭蛇腹ができたのは実に久しぶりのことである。
  これは、きっと神が、Eの産まれたばかりの長男誕生を祝福され、男として竜のように強く行きぬくことを示され、かつこの子が同家の神事仏事を担う人であることを示されたのである。同家にとってこの子は、正に天まで届くほどの期待の星である。おめでとう。


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