2009年06月

2009年06月30日

梅雨の合間に咲いたサフランモドキ

サフランモドキ  梅雨の合間に、元気に咲いていた「サフランモドキ」(※左の画像)が、今日の強雨に打たれて全部萎れてしまった。
  10年ほど前、知人に貰って庭に植えた球根2個が増えたものだが、数はさほど多くない。
  雨が降った数日後に咲くことが多いので「レインリリー」の別名もあるらしいが、梅雨の間に咲くと、梅雨の雨に打たれて萎れてしまうので、はかない。
  最初、名前が分からず、勝手に「ピンクの玉スダレ」と言ったりしていたが、正しくは「サフランモドキ(彼岸花科)」というらしい。
  図鑑によると、原産地は西インド諸島(自生する多年草)で、江戸時代後期の弘化2年(1845)に渡来した。当時、間違って「サフラン」と呼ばれていたらしい。
  明治7年、「サフラン(アヤメ科)」とは別の花と分かり、「サフランモドキ」の名に変わったという。だから、「サフラン」の花と似ていなくても仕方がないが、似ていないのに「モドキ」というのは紛らわしいなあ。
  そういえば、花壇に植えていた淡紫色の花が咲く「サフラン」は、いつの間にか絶えた。だとしたら、可憐なピンクの花を咲かせる「サフランモドキ」の方が強いのかなあ。

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2009年06月29日

夏越大祓

  全国の神社仏閣で、明日、今年前半の間に身や心に降り積もった罪、穢れを祓い清める夏越大祓・茅輪くぐり神事等を行う所が多い。
  私も家族とともに人形や車形等に諸災消除を託して、清浄化を祈る。今年前半が過ぎたが、心身ともに苦しい日々が多かった。筋肉痛でブログを書けない日々が続いたこともあった。そして、現在、心が冴えない日が続いている。心の状況は、すぐに身体症状に現れてくる。
  さまざまな苦しみは、「我昔所造諸悪業・・・」のなせる業、それを解くための試練なのかもしれない。神仏前で「懺悔」を唱えよう。
  夏越大祓で、ここを乗り越え、健康で、新しい道が開けることを祈る。あわせて心を寄せ合って歩く善意の人たちが、同じく健康で、新しい道が開けることを祈る。   

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2009年06月28日

BONNIE PINKさん「Happy Ending」

ボニーピンクさん  昨日、「AI VISION PRESS(アイビジョンプレス)7月号」の表紙が「加藤ミリヤさん」だったので嬉しかったと書いたが、「AI VISION PRESS」のページをめくり読み進めていたら、「BONNIE PINK(ボニーピンク)さん」の写真と記事が載っているのに気付いた(※左の画像)。
  6/25のブログにBONNIE PINKさんのことを書いたばかりだったので、すぐに目に付いた。
  その日ブログに掲載した画像は、BONNIE PINKさんが「嫌われ松子の一生」で演じたソープ嬢綾乃役の顔写真をネットから借りたものだが、今日の画像は、「AI VISION PRESS」に掲載されていたBONNIE PINKさんのニューアルバムジャケット写真。
  比較してみるとやはりイメージが違う。
  「ウエンズディJ★POP(5/13)」で、貫地谷しほりさんが「ボニーさんは、本業は歌手なのに・・・お芝居がうまく・・・女っぽさを感じて」とサプライズメッセージを送っていたが、この二枚の写真を見比べただけでも、歌手と芝居をこなせる人に思える。
  今年、BONNIE PINKさんが発表した10枚目のニューアルバムのタイトルは「ONE」。
  BONNIE PINKさんは、J★POPのなかで、このタイトルテーマを「世界中を回って、いろんなプロデューサーやミュージシャンと仕事をさせてもらって共通項があちこちに見つかって手をつないで最後は皆で輪になって一つになれたような気がしたので世界は一つというイメージでONEとした」と言っていた。
  ジャケット写真にも、世界は一つというイメージが込められているらしい。
  世界は一つと、すごく気持ちのスケールが大きい人だと思う。そのミュージックビデオには、貫地谷しほりさんが出演している。お互い「ステキな人」、「かわいらしい人」と褒めあっていた。
  また、「ある日、ボニーは夢の中で作曲します。思い浮かんだメロディから辿りついたのは海の底の情景でした。何事もあきらめずに続ければ変わらぬ美しさ出会えるという願いを込めて」作ったという曲が「Happy Ending」。
  「浮き沈んで海底に見た景色、そこには美しい現実がまだあった、ねぇ信じてごらんHappy Ending、君が手を伸ばした、その先にあるよ・・・」。
  本当に現実は汚い、うそ、だまし、だまされ、詐欺マガイのことが横行し、信じられない言動に翻弄され、気持は浮き沈む、気持が弱るといつでもうつ的症状に陥るなどの様相がどこそこに一杯ある社会、美しい情景はいまや海の底にしかないのか、いや、信じられる人たちもきっといるよ、そんな複雑な思いで聴いた。
  でも、BONNIE PINKさんの歌は、「Joy」や「A Perfect Sky」にしても、じっくりと落ち着いて聴けるのが良い。聴いていて癒される曲に出会うとホッとする。本当にステキな歌手だと思う。

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2009年06月27日

7月のアイビジョン表紙、加藤ミリヤさん

加藤ミリヤさん  福岡で、若者の指示を受けているフリーペーパーに「AI VISION PRESS(アイステーション発行)」がある。毎月、その表紙を誰が飾るのか、いつも興味を持って見ている。
  今日、「AI VISION PRESS(2009-07)」を入手することができた。
  7月号の表紙を飾っているアーチストが加藤ミリヤさん(※左の画像)だったので、思わず「オッ」と呟いた。6月号の松任谷由実(ユーミン)さんと同じくらい嬉しかった。
  シンガーソングライター加藤ミリヤさんは、今月21歳になったという。これからは、大人の魅力が全身から発散するような作品が生まれてくるだろうと期待している。
  本誌には、NEW ALBUM「Ring」2009.7.8on saleのCD(初回限定盤のみCD+DVD)や、Ring tour 2009(9.25.fri19:00~Zepp Fukuoka)の案内があった。CD収録曲は、SAYONARAベイベー以下15曲で圧巻。
  なかでも先月発表された曲、「Love Forever」(加藤ミリヤ×清水翔太)には、加藤ミリヤさんの新たな魅力が一杯詰まっていると思う。個性の違う二人が作った愛のコラボレーションソングは、ウェディングソングとしても歌われているという。
  この曲を初めて聴いたとき、絶対にヒットすると思ったが、着うたで発表以来、常にベスト5に入っているほどの快挙。
  (5/20の本ブログ・さわやか「Love Forever」(加藤ミリヤ×清水翔太)参照)。
  「一貫しているメッセージは、人は誰もが独りってことで。でも、独りだとしても同じ気持をみんなで共有することはできる・・・。そのために心をかき鳴らして発信した作品なので、何かを受信してもらえたら嬉しい」と書いてあったが、こういう気持を持ち続けて、自分の心と葛藤し苦悶しながら曲を作るので、加藤ミリヤさんの曲は、心を打つ作品となるのだろう。  

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2009年06月26日

本尊供養会で話したこと

  本尊供養会の最中に、故五條順教管長の遺影を掲げて、「如来寿量品第十六偈(自我偈)」を唱え、その回向を行った。
  また、供養会の後、次の話をした。
  〆712日、首羅山(久山町)で死体(遺体)に遭遇したこと。
  古賀町の男性で身元はすぐに分かったらしい。
  この半月ほど前、この人の乗用車が麓に放置されていたので、家族から捜索依頼が出て、地元消防団を中心とした捜索隊が山狩りをしていたらしい。そんなことがあったことをまったく知らない私たちが、山狩りで見つからなかった遺体に引き寄せられるように山中に入り込み発見することになった。身元が分かっただけでも救いであった。南無阿弥陀仏。
  ∈77日、「八所宮」(宗像市)を参拝したとき、思いもよらず「長福寺(長宝寺)観音堂」を開扉していただき、「秘仏十一面観音像」ほかの仏像にお会いすることができたこと。希望する人たちと再訪する機会が訪れることを期待する。
  7月に今の仕事を退き、ここ10年余、保留していた神仏供養ごとを再開する。
  供養会の後、TVで「松本サリン事件犯人と呼ばれて・・・」を観た。本来、弱い立場の市民を守るべき警察やマスコミが、犯人でもない人を犯人に仕立てていく怖さ、そして、それらと戦いながら、サリンに倒れた妻を守りぬいた人の家族愛に感動した。
  その後、BSTV「永遠の歌姫・・・」で、美空ひばりの歌声を聴きながらこのブログを書いた。やはり美空ひばりは、昭和を代表した歌の女王だ。癒される!!。

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2009年06月25日

BONNIE PINK・嫌われ松子の一生

嫌われ松子の一生出演BNNIE PINK  BONNIE PINKライブ(7/18DRUM LOGOS)のCMを観ていたら、貫地谷しほりさんの映像が流れた。BONNIE PINKさんのライブと貫地谷しほりさんとは何か関係があるのだろうか。
  そういえば、「ウエンズディJ★POP(5/13)」で、貫地谷しほりさんが、「嫌われ松子の一生という映画がすごく好きなんですけど、そのなかにBONNIE(ボニー)さんが出て・・・本業は歌手なのにすごいお芝居がうまくて、役柄ですごく女っぽさを感じて・・・ステキだなと思います」と、サプライズメッセージを送っていたのを思い出した。
  この貫地谷しほりさんのメッセージのなかに出てきた映画「嫌われ松子の一生」(中谷美紀さん主演)は、2006年に上映された。
  同時期にTV(内山理名さん主演)でも放送されたが、当時、私は、この両方とも、主人公川尻松子の浮沈の激しい棲さましい生き方にひきつけられて、食い入るように見た。
  特に映画「嫌われ松子の一生」では、まずサイケ調の色彩映像に度肝を抜かれ、暗い映画なのに挿入歌がやたら明るく、松子の悲喜こもごもの人生のスピーディな展開に目を見張ったものだった。
  この映画にBONNIEさんが出ていたのか、すぐには思い出せなかったのでネットを開いてみて思い出した。雪乃(松子)と黄金タックを組んだソープ嬢で、仙台に帰ると言って立ち去った綾乃役をしていたのがBONNIEさんだった。
  あっという間に現れて、消える短時間の出演だったが、確かにBONNIEさんで、今の彼女のイメージとは違うような役をされていたのだ。
  ところで、松子の人生を狂わせた出発点は、病弱な妹の存在ではなかったのかと思う。松子の人生には、出発点から幸・不幸がついて回った。
  人生の転機が訪れたときに、ことごとく結果的に不幸への道を選んでいってしまった。不幸の波長の方に強く引っ張って行かれてしまったのだろう。
  映画のことではあるが、人生には幸福への想念が大事だと思う。
※画像は、「嫌われ松子の一生」の綾乃役をしたBONNIE PINKさん。goo 嫌われ松子の一生 オフィシャルサイトhttp://kiraware.goo.ne.jp/からお借りしました。

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2009年06月24日

高倉神社(岡垣町)にて

高倉神社境内  Tさんと八所宮を参拝した後、その西麓の道を上り海老津(岡垣町)に出て、高倉(岡垣町)にある「高倉神社」に立ち寄ってみた。
  高倉神社には、これまで何回か立ち寄っているが、立ち去ると、なぜか境内の様子を明確に思い出せない。
  初めて高倉神社を訪れた頃から、ずっと、祭神は、高倉天皇、若しくは高倉以仁王であると思い込んでいた。しかし、そうではなく、岡湊神社(芦屋町)の主神と同じ「大倉主命(おおくらぬしのみこと)」と「菟夫羅媛命(つぶらひめのみこと)」を祀ってあるのだと知ったのは、つい近年のことだった。
  旧遠賀郡21か所の総社といい、境内には、大楠や神功皇后手植えの「綾杉」(1559年戦火で樹皮だけを残し樹内は空洞/樹齢約1800年)、鋳物師大江貞盛が芦屋窯で造った銅製の「毘紗門天像」(高さ約2.7m/室町時代後期制作)などがあるが、主神(水神)の由来を含め鎮守の由緒を未だに飲み込めないでいる。
  興味を持ち、参拝に行ってみたいと思いながら実現していないことは、社殿の南に聳える霊地高津峰の山腹に湧出するという乳垂の霊泉。この泉水は流れて乳垂川となり神前を流れているという。
  ひょっとしたら旧地(元宮)跡に近いのかもしれないが、ここも多分、夏草の茂っていない頃でないと立ち入れないと思う。
  この日、Tさんは、綾杉の近くにあった大理石で作られた「五円(御縁)」の彫刻の穴(※左上の画像参照)を、良縁に御縁があるようにと祈ってくぐっていたが、穴が宙に浮いているような形なので、意外とくぐりにくかったようだ。

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2009年06月23日

遊助さんの「たんぽぽ」を聴いた

  昨日のブログに、宮城夏喜さんの「心のたんぽぽ」を転記した後で、ふと、最近発表された遊助(上地雄輔)さんの「たんぽぽ」の歌のことが思い浮かんだ。
  最初は、私の好きな花の「たんぽぽ」という歌の題名に目が留まったのだった。だが、歌を聴いてみて、どうして「たんぽぽ」という題名になったのか分からなかった。
  この歌は、泣き歌の最終回で披露され大反響があったらしいが、これは見ていない。
  「MUSIC JAPAN」で、遊助さんが「たまたま詩を書いているうちに、僕は4月生まれで、春生まれのたんぽぽはしっくりくる。ラップを書いているうちに「ありがと」の「と」と「たんぽぽ」の「ぽ」が韻を踏んだので」と言っていたが、「おこそとのだったら大丈夫なの?」と聞かれると、「何ですと?」と、その意味が分からないふうだった。
  本当なのかな。
  もっとも、「ありがと」ではなく「ありがとう」なのではないのかな、と思ったりしていたのだか・・・。
  「ミュージックステーション」では、「注目のウェディングソング!」として紹介された。
  最近は、木村カエラさんの「Butterfly」、MINMIさんの「アベマリア」など、実にウェディングソングが多く、それぞれに素敵な歌だと思って聴いてはいるが、男性歌手のものでは、この「たんぽぽ」以外には知らない。
  遊助さんは、「結婚式を見ていて男の人が読む手紙がないなと思って」、「男の人は最後にちゃんとした挨拶をするが、僕はそれができないなと思って」作ったと言っていた。そんなものなのかな?。
  冒頭の語りで、「もしいるなら神様 届けたいよ 花束 春生まれのたんぽぽ そして言うよ何度も・・・」とあり、男女の出会い、結婚生活の葛藤、年老いて行つても変わらぬ愛などを、小さくて可憐でも、力強く美しい花を咲かせ、やがて綿毛となって風に乗って散って行く「たんぽぽ」の花の一生に託して歌ったのではないのかと思った。
  ともかく、変わらぬ夫婦の愛を歌った歌詞、そして、それを笑顔で歌う遊助さんの温和な表情もよい。聞いていて一緒に笑顔になれたら、幸せの「気」をいただける歌だと思う。
  歌詞の一部を、書き写した。

  「僕らは同じ時代に偶然生まれてきた
  親の胸に抱かれ愛されてきた
  僕らは広い地球で偶然惹かれあって
  これから先共に生きると誓ったんだ・・・・・・」

  「僕らは同じ時間を手を取り過ごしてきた
  どんなに辛く苦しいときも離さずに
  気付いていたんだ僕らは幸せになることを
  お互い爺ぃ婆ぁになっても笑ってんぞ・・・・・・」。

  命が尽きるまで生涯の伴侶を愛し続けることができたら本当に幸せなことだと思う。
  (6月24日、CD発売)。

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2009年06月22日

「心のたんぽぽ」の詩

20  毎日新聞(6/20)に掲載されていた「心のたんぽぽ」の詩(下記)が目に留まった。

  心のたんぽぽ いりませんか
  いっぱいのやさしさで 出来ています。

  お国に一つ持っていれば
  わた毛になって とんでって
  みんなの心で めを出します。

  心のたんぽぽ いりませんか
                  よごれた心 洗います。
 
                  きっとあらそいなくせます。

  とても心をうつ詩だと思いませんか。
  この詩は、1999年、当時、沖縄県塩屋小5年生だった宮城夏喜さんが、沖縄慰霊の日(6/23)に行われた沖縄戦没者追悼式で朗読した平和の詩です。
  それから10年、今年も明日、沖縄慰霊の日を迎えるが、宮城夏喜さんは現在20歳、大坂府太子町の産廃処理会社で働いているという。
  今年1月4日、成人式に参加するために郷里の大宜味村に帰省したが、派遣切りの世情のお陰で同級生50人のほとんどが列席していたという。何かやれ切れない話だ。
  小学生の目線で詠んだ詩を、成人した現在の目線で見直したとき、どのように感じたことだろう。
  宮城夏喜さんは、忘れかけていた「たんぽぽのわた毛」の気持を思い出し、大人の目線でその気持の大切さを改めて見直されたようだ。
  「何かに追われるように向きになっていた自分」に「そんな必要ないかなって気付いた」という。
  宮城夏喜さんは、きっと「たんぽぽのわた毛」の詩のような心の美しい素敵な人なのだと思った。

  私も肩を怒らし、人と争って人生を生きてきたが、そんな必要はなかったのかなと思う。
  私は、たんぽぽが大好きだが、どうして好きなのだろう・・・。
  あんなに地表を這って、輝くような美しい花を咲かせても、すぐにわた毛となって飛んで行く。
  自分が頑張って咲かせた花は、何だったのか。
  わた毛となって飛んでいって多くの人たちを幸せにしたのだろうか。
 ※画像は、毎日新聞(6/20)の掲載記事を写す。

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2009年06月21日

八所宮参拝記(10)/大歳宮の石祠

  八所宮の境内社で、菊御紋が刻まれた「大歳宮」の石祠に目が留まった。
  この石祠がいつの時期に祀られたものかは確認しなかったが、日向天孫族の神武天皇東進伝説を伝える八所宮の境内に出雲族の「大歳宮」の神が祀られているのに興味をそそられた。
  大歳宮(大年宮)、又は大歳神社(大年神社)の神は、当然「大歳尊(大年尊)」である。
  「大歳尊」は、「鐃速日尊」の若い頃の名前で、日向天孫族の天照大神を皇祖とする一族にとっては甚だつごうが悪い神であった。
  にもかかわらず「大歳宮」の石祠に皇室を示す菊御紋が刻みこんであるのはなぜか。
  この「大歳宮」奉斎者が、「大歳尊(鐃速日尊)」を大和朝廷の本当の皇祖であるとして祀ったからではないのか。
  皇祖天照大神が、鐃速日尊「天照国照彦天火明希甕玉鐃速日尊(アマテラスクニテラスヒコアメノホアカリクシミカダマニギハヤヒノミコト)」から「大日霊女貴尊(オオヒミコムチノミコト)」に置き換えられたのは、蘇我氏により皇祖直系の子孫物部守屋が滅ぼされた時代に遡る。
  蘇我氏は、この戦いの勝利を正当化するために皇国史の塗り替えを行う必要が生じ、蘇我氏一族の聖徳太子により「天皇記、国記、臣連…」等が編修された。
  蘇我氏滅亡のとき、蘇我蝦夷が自邸に保管していたそれらの史書を炎のなかに投じたが、船史恵尺(フナフヒトノエサカ)が炎のなかから「国記」のみを取り出した。
  後にこの書をもとにして古事記、日本書紀が作られたため、皇祖天照大神が「鐃速日尊(大歳尊)」から「大日霊女貴尊」に置き換えられた。同時に「鐃速日尊(大歳尊)」の事績の抹消が進められたと思う。
  しかし、なおも物部氏一族が強力に割拠していた地区で、天照大神を「鐃速日尊(大歳尊)」として祀ることを完全に抹消することができなかった。
  現に八所宮のある宗像市に隣接する宮若市にある「天照神社」は、今でも「鐃速日尊」を主神として祀っており、その地方には強力な鞍手物部氏一族が存在していた。
  ところで、八所宮の前神官さんは、2年ほど前に亡くなられ、現在の神官さんは、岡垣町波津の神官さんが兼務されているというが、その波津には「大年(大歳)神社」がある。
  考えてみると、スサノオノミコト(祇園神)の九州(日向)進攻に従軍した「大歳尊(鐃速日尊)」(スサノオノミコトの第五子)の足跡を巡る試みは、平成5年(1993)以降中断したままになっている。
  いろんなことを思い出し考えさせられた今回の八所宮参拝であった。
  また再訪参拝する機会が訪れることを祈っている。(本稿おわり)。

 ※八所宮参拝記仝戎夕劼砲
 ※八所宮参拝記⊇〜大社大宮司清氏献詠歌碑を見て。 
 ※八所宮参拝記「神世七代」のうち四代の神々を祀る。 
 ※八所宮参拝記ほ霈。 
 ※八所宮参拝記ニ榁脇(長福寺観音堂)。 
 ※八所宮参拝記小さな地蔵像と前掛け
 ※八所宮参拝記Г覆鵑犬磴發鵑犬磴亮稾
 ※八所宮参拝記本地堂のなぜなぜ?(その1)
 ※八所宮参拝記本地堂のなぜなぜ?(その2)

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