2009年11月

2009年11月30日

インフルエンザ予防(うがいと石鹸での手洗い)

  先日(11/24)近くの医院で「季節性インフルエンザ」の予防ワクチン注射をうってもらった。予約なしで行ったら、最初は断られたが、丁度キャンセルが出て大丈夫だった。
  なお、「新型インフルエンザ」のワクチンのことを尋ねたら、同医院では、「希望者が少ないので割り当てがない」と言われた。そんなことがあるのだな。

  今回の「季節性インフルエンザ」のワクチン注射の効果が表れてくるのは、2週間後とのこと。
  それまでの間に、築上町、豊前市や長崎市での法事にJRなどを使って出かけるので、自分の身は自分で守らなければならないと思った。

  ところで、いずれのインフルエンザであれ、予防ワクチンの注射を受けなかった場合でも、その撃退方法がある。つまり、外出先から帰宅したときに行う「うがい」と「手洗い」で大部分は防げるそうだ。
  特に「手洗い」は、石鹸をつけて、手の甲や指と指の間を含めて1分以上洗うと良いらしい。

  TVで、緑茶石鹸のカテキンパワーにインフルエンザ撃退効果があるという番組を観たことがあったが、緑茶石鹸に限らず、どの石鹸にもインフルエンザ撃退効果のある物質が含まれているらしい。
  ホテルには、石鹸あったかな。ボディソープでもよかったのかな。聞き忘れた。


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2009年11月29日

ハナハトマメマス(16)〜高等小学二年実母の写真

  当初、ハナハト会アルバムに納められていた篠栗尋常高等小学校時代の集合写真の数々を何度見ても、どこに亡実母が写っているのか分からなかった。実母は、高等小学校の頃、どんな顔をした少女だったのだろうと、その面影を想像し何度もアルバムをめくっていた。

  ところが、ある日、「高等小学二年の卒業記念」と記した集合写真を見ていて、最前列に写っている1人の少女に目が留まった。
  顔を少し右に傾け、正座して両手をセーラー服のスカートの上に置き、かすかに微笑んでいる可愛い少女の顔が、中学生の頃の長女の顔立ちと似ていた。
  ハナハト会アルバムのなかで、実母だと思うのは、唯一この写真のみだったが、何だか安堵した。これまで何度も見直していながら、どうして今まで気付かなかったのだろう。

  高等小学二年とは、尋常高等小学校高等科二年(当時の高等科は二年間)のことで、現在に当てはめると中学二年の年齢13歳に該当する。この写真の被写体は、生徒76人(男子41人・女子35 人)と教師22人で、各人の顔は小さいが画像は割りと鮮明であった。

  昭和6(1931)年4月に篠栗尋常高等小学校に入学し、生まれて初めて「ハナ ハト マメ マス」の文字を知った子供たちが、「高等科」を卒業した年は、昭和14(1939)年3月(満14歳)である。
  実母は、その3年後に当時貝島炭鉱資材課に勤務していた夫(私の実父)と結婚、その後、数年の間に、出産、夫戦死、離縁とあわただしく幸、不幸の時を経験した。戦争がすべてを狂わせた。

  実母らが還暦を迎えた昭和60(1985)年11月に「小学校出てから五十年」と題した「ハナハト会アルバム」を発行した(実際は小学校出てから四十六年である)。当時、アルバムを購入した50人の名簿が残っていた(当時既に卒業生76人中、16人の消息は不明)。

  昨年、平成20(2008)年8月実母が死亡(満83歳)し、同年末同上名簿のうち実母を除く49人に喪中ハガキを出したが、届いたのは39人だった。しかし、そのなかで生存を確認できた人は1人のみで、現在何人の同窓生が生存しておられるのかは分からない。
  実母らの年代の人たちの青春時代は、15年に及ぶ戦争と、戦後の困苦を背負って生きた時代であった。そして、その陰をその子たちも背負い引きずってきた。
  当家の因縁に翻弄されたひとつの時代が終わった。(おわり)

※(注)「ハナハトマメマス(1〜16)」は、亡実母が残したアルバム「ハナハトマメマス」を見て、いろいろ思い出したことなどを交えて書いた。
2008年12月30日に書き始め、その後、何度も中断したが、本日で一応区切りをつけた。

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2009年11月28日

ハナハトマメマス(15)〜山中の滝行(その6)

  この日以前の滝行では、修得した修験の作法や九字印、真言にとらわれるあまり、ややもすると格好よく行おうとしていたところがあった。
  しかし、滝行は他人に見せるものではなく、滝の神を前にして自らの守護神(霊)と静かに向かい合うものだった。
  得とくした作法や九字印、真言を封じた静の滝行を行ったことによって、御守護神の印明があることを悟った。

  当時、御守護神がどなたで、その使命が何かを知りたいと求め、気持がはやり、いきり立ってもいたが、滝にはいきり立って入るものではなかった。いきり立てば隙ができるという戒めが金縛りという形で示されたのだと思った。
  この滝行を通じて、必要なときに必要なことを教えてもらえるという確信ができた。この確信を得て、恐らくこれが最後の滝行になるのだろうと感じた。
  そして、この年の年末、御守護神から唯一無二の言葉をいただき、その後、順次、求めていたことの回答をいただくことができた。

  「ハナハト会」(故実母の尋常高等小学校同窓会)アルバムのなかにあった「於金出観音坂」の写真を見ていて、すっかり忘れていた篠栗町金出山中の御手洗滝で行った上述滝行を思い出した。(つづく)

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2009年11月26日

ハナハトマメマス(14)〜山中の滝行(その5)

  御手洗滝(篠栗町金出山中)での滝行中に起きた金縛りが、どれほどの時間続いたのかは分からない。

  あたりがかすかに明るくなりだした頃、突然、「説明のつかない現象」により金縛りから解放された。

  目に見えない強い力が、胸にドンと当たり、押されるように上半身が後ろに傾いた。
  両足が硬直した状態で立っていたので、そのまま後ろに倒れこむことはなかったが、次の瞬間、バウンドするように、後ろに反り返った上半身が、前に振り戻された。
  そして、上半身が前に突き出るように傾いた、と同時に、それまで硬直していた右足が前に一歩踏み出した。
  金縛りが解けた瞬間だった。

  そのまま、よろけるような足取りで滝場を出た。救われたと思ったが、心身は、疲れきっていた。

  金縛りが解ける直前の「説明のつかない現象」とは・・・。
  あのとき、夜明けのほのかな明かりのなかに、幻のように滝場の入口付近に横向きに座っている1人の行者(顔は見えない)の姿が見え、その行者が組む印明(明は聴こえなかったが)を目にしていた。
  行者の右手から発された刀印の波長が、私の胸をめがけて飛んできたのだった。

  救い神が現れるとき、このような幻のような現象を目で視て、不思議な力を体感することがある。
  偶然のように見える現象を御守護神や先祖の神仏の仕組みだと覚り、素直に感謝することができれば、必ず光明を得ることを悟った。
  この印明とその威力を見せられ、そのときどきに自らを守護する印明があることを悟った。
  必要なときに必要な印明を授かることができれば自らを守り、他の人たちを救うことができるのだと悟った。(つづく)

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2009年11月24日

ハナハトマメマス(13)〜山中の滝行(その4)

  (※本稿は、2009.7.4に記載した「ハナハトマメマス(12)
   〜山中の滝行(その3)」の続き)。

  午前4時、あたりはまだ真っ暗闇だったが、もう入滝しても大丈夫と思い、御手洗滝(篠栗町金出山中)での滝行に入ることにした。

  まず、滝口にある「蝋燭立て」に、灯明を一本点した。暗闇のなかで滝行を行うときは、この一本の灯明が重要な役割を果たす。
  つまり、滝に入り、滝を背にして振り向くと、この灯明が真正面に見えるので、暗闇のなかで唯一見える灯明に、視線を集中することによって精神の集中ができるからだ。
  ところが、この日の滝行では、それどころではない思わぬ試練が待ち構えていた。

  今回の滝行は、誰もいない無人のなかで行う単独夜滝修行であり、無言で静かに滝に入り静かに出る静の滝行であった。
  静の滝行では、入滝に際して修験で用いる護身法、九字印を封じ、入滝後は、不動明王等の真言を唱えずに、念仏のみを唱える。
  しかし、これでは気合が入らないという気持が、心のどこかにあった。これが災いした。
  この気持が、心の迷いを生み、心に隙間をつくった。

  念仏を唱えだした途端、突然、全身が硬直し、滝の中で身動きができなくなった。「金縛り」にあったのだ。
  もちろん、その時点で声も出なくなった。
  滝の神仏に、迷いの心を読まれたのか、或は、本物の修験者となれるのかを試されたのか。
  いずれにしろ自らの心に隙間を作ったことには違いなかった。

  凍るような冷たい水の感触が、両足首から伝わってきて足が震えだした。しかし、足が動かず、足を持ち上げることもできなかった。
  また、硬直した体の背中を容赦なく打ちつける滝水、全身が冷えて行く。
  全身が震えているのは分かるのだが、自らの意思で合掌した両手を離すことも、体を揺することもできなかった。
  滝行中の金縛りは、全身の体温を奪っていく。
  誰もいない滝のなかで、このまま死ぬのかと思ったが、死の恐怖を超越する修験者にはなりきっていない自分がいた。
  このとき、はっきりと滝行の怖さを自覚した。(つづく)

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2009年11月23日

深夜、あるホテルにて

  先々週のことだが、会社勤めをしていたときの元社員と、ある温泉ホテルで一泊した。
  予約の電話をしたとき、「一部屋だけ空きがある」と言われ、どんな部屋でも構わないと思い予約した。
  フロントで、係員に「景色が抜群の良い部屋を用意しています」と言われ、「ありがとうございます」と返事した。
  しかし、全館満室の最後に予約した者に、良い部屋を用意するというのも何か変だなと思わないでもなかった。
  案内された部屋は、和室が二間あり、そのいずれの和室からも窓いっぱいに広がる明媚な景色が見え、確かに良い部屋であった。

  一室に布団を並べて寝た。
  彼は、早くに眠りに着いたが、私は、寝る前にコーヒーを3杯飲んだせいか、なかなか眠れず、深夜、布団から出て、隣の和室に行き、窓際に置いてある椅子に腰掛けて、手帳に書き込みをしていた。

  時計が午前2時を回ったとき、静まり返った部屋の入口付近で、突然、「パチッ」と生木が裂けるような音がした。
  ドキッとはしたものの、そのときは、それ以上の思いはなかった。しかし、その後、間隔を置いて、「パチッ」という音が鳴り続けたので、さすがに気になった。
  入口付近に行き、耳を澄ましていたら、その音は、部屋の中央の天井で鳴っていることが分かった。時計は、午前2時半になっていた。

  新しい天井ではないので、こんなに生木が裂けるような音が続くのは変である。丁度草木も眠る丑三つ時、浮かばれない霊魂が動きだす時間帯であった。
  部屋の明かりをつけているのに、どうして音が鳴るのか。椅子に戻り、部屋のなかを改めて注視した。
  この部屋で何があったのだろうか。
  姿は見えないが、何かの霊魂が何かを教えようとしているのだった。その正体が分からないが、このような霊魂と、また波長があってしまった。

  霊魂を祓うための神仏具は手元にない。黙って静かに15分間、想念による修験の印明のみで音を鎮めるべく部屋を凝視した。
  最終的には、霊魂が気づいてくれたことに安堵したのか、自縛が解けて飛び去ったのかは分からなかったが、突然、音が止まった。
  午前2時45分だった。
  確かに風景が見えて良い部屋だったが、この部屋を最後の予約客の私たちに案内されたのにも、コーヒーを飲みすぎて眠れなかったのも、意味があってのことだったのだろう。念仏、合掌。

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2009年11月22日

「ミューズの晩餐」11〜12月

091121ミューズの晩餐[松尾潔氏]  ※画像は、
  松尾潔氏。
  (「ミューズの晩
  餐/テレビ東京

  からお借りしまし
  た)。





  毎週土曜の夜10時半、欠かさず観ている番組に「ミューズの晩餐」(司会:寺脇康文さん)がある。
  毎週、音楽とかかわり深い一流のゲストが登場、音楽とのふれあいを語られる。
  川井郁子さんのバイオリン演奏もあり、それだけでもすばらしいが、この演奏に合わせて、ゲストがオリジナル曲を披露されることもあり、感動する。

  昨夜のゲストは、平井堅さんやChemistry、EXILEさんらをプロデュースした音楽プロデューサーの松尾潔さんだった。
  音楽プロデューサーは、ミュージシャン・アーティストの影の存在なので馴染みがないが、歌手の特性を生かして曲がヒットするように導く重要な仕事を担っていることがよく分かった。
  そして、松尾潔さんがプロデュースしたEXILEの曲『Ti Amo』(日本レコード大賞を受賞)を、川井郁子さんがスペシャルライブでヴァイオリン演奏をされた。感激というほかない。

  今月のゲストには、このほか、料理家の平野レミさん(シャンソン歌手)や、歌のおねえさんのはいだしょうこさん(元宝塚)さんらが出演していたが、来週は、スキーヤーの三浦雄一郎さんが出演するという。三浦雄一郎さんの名前を見て、若い時代、スキーに興じていたことを思い出した。

  12月のゲストのラインナップが発表された。
  なんと、市村正親さん、山口智子さん、南こうせつさん、渡辺真知子さんらのすばらしい歌手が並んでおり、今から楽しみだ。

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2009年11月20日

今夜のBS熱中夜話は中島みゆきさんだった

20091021-中島みゆき  ※画像は、中島みゆきさん(新曲「愛だけを残せ」)。中島みゆきのアーティスト情報-Yahoo!ミュージックからお借りしました。

  中島みゆきさんは、今月紫綬褒章受章。

  11月4日には、新曲「愛だけを残せ」をリリース、映画「ゼロの焦点」(11月14日公開)の主題歌である。

  中島みゆきさんの歌は、いつ聴いてもすばらしい。
  中島みゆきさんの歌で、「りばいばる」など、カラオケで歌える曲も数曲あるが、多くは、いざ自分で歌おうとするとなかなか歌えない。
  じっくりと聴くというか、心に染み入るように聴かせる歌が多い。

  今夜の「BS熱中夜話」は、「中島みゆき」(前編)だった。
  スタジオにはみゆきファン30人が集合し、中島みゆきさんの歌の魅力を述べあった。
  また、2002年紅白歌合戦で中島みゆきさんが歌った「地上の星」のノーカット放送は、特に圧巻だった。
  妻と一緒に観ていて感動したが、ここでいろいろ解説をするつもりはない。
  次週の「BS熱中夜話」の「中島みゆき」(後編)も楽しみだ。



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2009年11月19日

宗像にて(冷えこんだ日に)

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  ※上の画像は、宗像大社刀剣展に出品の刀 月山貞一(人間国宝)作 宗像大社復興期成会長出光佐三奉納(奈良 現代)。画像は、宗像大社公式HPからお借りしました。

  15日(日)、Haさんと、宗像市武丸〜八所宮御手洗池〜海老津駅〜宗像大社(菊花大会、神宝館刀剣展等)〜道の駅むなかた等に出かけた。しかし、急激な冷え込みの対策を怠っていて、あっさり風邪をひいた。でも、流行の新型インフルでも季節性インフルでもなかったのでよしとしよう。風邪が治ったら、まず季節性インフルの予防接種をうけよう。

(1)宗像市武丸付近
  まず、最初に行った宗像市武丸付近に着いた頃、カーラジオから松任谷由実さんの歌声が聞こえてきた。少しボリュームを上げたら、私が松任谷由実さんを好きだと知っているHaさんが、「よく分かりますね」と言って笑った。「松任谷由実スイート」(FM福岡放送)の番組だった。

  武丸に向かった理由は、「白鯰の恩返し」の伝説地(宗像遺産37登録)を訪ねてみようと思ってのことだった。
  9月21日〜26日のブログで、「白・黒なまず様」に係わる「豊玉神社(嬉野市)」や「大森神社(福津市)」を掲載したとき、実はこの「白鯰の恩返し」に登場する白鯰を祀る神社を、その最終章に書きたかった。しかし、このブログを書き終わるまでに現地に行けず書けなかった。
  このことを思い出して武丸まで足を伸ばしたのだったが、この日、気温が急激に低下することを計算に入れておらず、こんな寒いなかで、行ったことのない場所を探すのは酷だと思い断念した。もっと事前に具体的な情報の収拾をしておくべきだったと反省した。→「武守神社〜白鯰の恩返し1(宗像市)」。

(2)八所宮御手洗池
  武丸まで来たので、隣の吉留にある八所宮御手洗池を確認に行った。
  6月8日のブログ「八所宮参拝記(2)」のなかで、「神聖地であるべき御手洗池の現況を見落としてしまった」と書いていたが、その確認しよう思ってのことだった。
  御手洗池は、「古代斎場跡」の真向かいの道路際に現存していた。池の周りを樹木が覆い、森の中に池が隠れていたが、私の記憶のなかに残っていた池の風景には、樹木などなかった。
  池は道路より低い位置にあり、土色に濁っており、今はこの池で手を洗うことはできない。汚い池のイメージは以前のままだが、本当に湧き水が出ている池なのだろうか。
  道路際に由来碑が建っていたが、その横に、仏像や動物などの置物(陶器)が置いてあった。よくみると、「捨てた人は回収してください」と書いた貼り紙が貼り付けてあった。誰かが捨てたものだった。多分、このような貼り紙をしても回収に来る人などいないと思う。こんなものの回収は、行政で無料にできないのかと思うが、不心得者が後を絶たないのは困ったものだ。

  ここで、ほんの数分、外気に触れていただけなのに、体が冷え切ってトイレがしたくなり、JR海老津駅に行った。
  海老津駅前の通りにあったコンビニが閉店していた。このコンビニでパンなどを買ったのが半年前のことたっただけに、何か寂しかった。

(3)宗像大社菊花展・神宝館刀剣展
  宗像大社参道で宗像観光協会主催の第39回西日本菊花大会(1~21日)が開かれていた。出品されている菊は約3000鉢もあるそうだ。
  丁度、この日は、七五三とも重なって人出が多かったが、ここでも冷えた。寒かったので、参拝は辺津宮と松尾宮のみにとどめ、神宝館に行った。

  Haさんは、神宝館にいったのは初めてで、沖津宮のビデオを見た後、沖ノ島で発見された国宝の数々を見て感嘆していた。

  神宝館では、宗像大社の御祭神に奉納された刀剣を紹介する宗像大社刀剣展(1~23日)もあっていた。刀剣や刀装具などなかなか豪華なものだった。(※上の画像参照)。

(4)道の駅むなかた
  午後4時を過ぎ、あたりは暗くなりかけていたが、道の駅むなかた(宗像市江口)に立ち寄った。
  入口にインフォメーション、その左にレストラン「はまゆう」、右に物産直売所「みあれ玄海」があった。「みあれ玄海」では、玄界灘で水揚げされた魚介類や朝採りの野菜ほかの物産が販売されていた。その他「情報提供施設」やトイレなども併設されていた。
  車を乗り降りするとき、寒い外気に触れると、異常ともいえる寒さに震え上がった。帰宅後、喉が腫れ、発熱、あっさり風邪をひいていた。情けない話だ。

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2009年11月18日

加藤ミリヤさんの「WHY」本日発売!

加藤ミリヤさんWHY  ※左の画像は、
  加藤ミリヤさん
  のシングルCD
  「WHY」の
  ジャケット。











  本日、加藤ミリヤさんの15枚目のシングル「WHY」が発売される。
  昨夜、ネット最新音楽PV・アニメソング無料視聴・加藤ミリヤ「WHY」で試聴した。
  ロックテイストのラブソングで「SAYONARAベイベー」の続編とも言われるような内容との説明があった。

  確かに「どうして私じゃだめなの」という切実な乙女心の想いには、特に男性は心を揺さぶりそうだ。
  でも、「錆びついた景色のなか、またいつもの道を行く、今日で最後って言い聞かせながら、勝手な奴にあいにいく」なんて歌詞は、女性に限ったことではないように思える。
  この歌詞の内容ソックリに、今どきの女性に振り回されている草食男子も多いのではないのかと思う。実は、女性と男性を置き換えても聴いてもよいってこと。

  先日、近くの大学の学園祭に加藤ミリヤさんがゲストで呼ばれていた。若い人に混じって拝聴したいと思っていたが、丁度その日、供養ごとが入ったので行けなかった。
  今、加藤ミリヤさんは、大学生の人気でも、共感できるナンバーワンの歌手ではないのだろうか。
  若くはない私でも、加藤ミリヤさんの歌を聴いていると、そこに若い自分がいるような気持ちになるから不思議である。


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