2010年04月

2010年04月30日

村主章枝選手(アラサーの星)再始動に期待

30読売新聞) ※左の画像は、本日の読売新聞に掲載されていた村主章枝さんの写真
 (「BIG」の発売をアピールするフィギュアスケートの村主章枝さん・2006年9月撮影)。

  今日の読売新聞を読んでいて、凛々しい顔をした村主章枝さんの写真に目が留まった。

  この写真は、「スポーツ立国第1部 支援[5] toto助成率アップに期待」の記事欄に掲載されていたが、2006年スポーツ振興の財源確保の切り札「BIG」が発売されたときに撮影されたものである。
  当時の村主章枝さんは、フィギュアスケート全日本選手権優勝、トリノ冬季オリンピック(伊)4位など輝いていた。

  村主章枝さん(29)は、今年2月のバンクーバー冬季五輪(カナダ)に出場できず、先月、30代になっても頑張る「アラサーの星になりたい」と言って現役続行を宣言しスポンサー探しに奔走された。
  村主章枝さんのファンとしては、彼女の優雅な滑りをこのまま埋もらせてしまうのは惜しいと思い、その決意の実現を陰ながら応援していた。(※3/12のブロク「村主章枝選手、背水の陣の心境」に記載)。

  スポンサー企業として村主章枝さんの選手活動を支援しようというオファーは、10社以上あったらしい。
  4月1日、村主章枝さんは、サニーサイドアップ(スポーツマネジメント会社・東京)に入社したが、同6日、彼女のフィギュアスケートを支援するスポンサー兼所属企業は、「陽進堂」(医薬品製造販売・富山市)になったという。
  同社の下村健三社長は、村主章枝さんが「アラサーの星になりたい」と宣言した決意に共鳴して支援を決めたとも聞く。
  何とも嬉しい限りで、本当に日本のフィギュアスケート界の「アラサーの星として輝いてほしい。これからもファンとして村主章枝さんの応援を続けたい。

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2010年04月28日

紫色のジャーマンアイリス(紫といえば…)

紫色のジャーマンアイリス ※左の画像は、開花した紫色のジャーマンアイリス(花壇)。

  昨日~今日は、風が強く、黄砂が舞い、晴れているのか曇っているのか分からないような変な天気だった。昨日は、強風に煽られて、庭のヤツデ一本が根元からボッキリ折れた。新しい枝が伸び、新しい葉をたくさん付けていたが、一瞬に消滅。こんな形での自然剪定は、あまり楽しいものではない。

  また、ジャーマンアイリスの茎が数本倒れていたので、支え棒を立てて起こしたりもしていたが、今朝、L字に折れ曲がった一本の茎の先に、紫色が鮮やかなジャーマンアイリスの花が開花。
  紫外線の強いこの季節、庭ではシランやオオツルボほかの紫色の花が開花しだしている。そして、これらの紫色の花を観ていると、紫色が好きだった亡養母のことを思い出す。

  紫といえば、2月に行った別府観海寺温泉郷に、以前、紫雲荘という名の共済ホテルがあった。研修会で泊まったこともあったが、当時、同宿した某氏が「紫雲は死運みたいでよくないね」と言っていたことを思い出した。今は、某寺院の施設に変わっている。
  そういえば、よく通る路沿いに紫恩という名の葬儀場がある。某氏の言葉を借りれば、さしずめ死怨とでもいうのだろうか。否、仏教徒としては「四恩」(心地観経)に当てた方が良いだろう。

  ヤツデが折れた後だったからか、ちょっと暗い話にもなったが、もちろん紫色のジャーマンアイリスも紫一色ではなく、中央に縁起のよい黄色の舌がある。今、外は風雨が強い。

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2010年04月27日

孔大寺権現は蔵王権現か(1)

  孔大寺神社下宮(遥拝所)で、中壇に設置してある神像は何なのかと思い、暗い拝殿に上がって拝観した。
  それは、「役の行者像」だった。いうまでもなく役の行者は修験道の開祖である。

  「孔大寺神社」の神は、往古より「孔大寺権現」と呼ばれていたようだが、「孔大寺権現」は、修験道の本尊「蔵王権現」であるという伝承も残っているようだ。
  この「役の行者像」を観て、やはり、「孔大寺権現」は、「役の行者」が感得した修験道の本尊「蔵王権現」であった可能性は高いのではと思った。

  さらに、「孔大寺神社」は、神社名に孔大寺という寺名を冠しており、神仏習合の名残のようにも思える。かつ鎮座地の山名も「孔大寺山」である。
  「孔大寺山」は、宗像四塚連山の主峰(標高499米)で、かつて「孔大寺山」を主峰とする修験があったことを意識して、地元の人たちが、ここに「役の行者像」を設置したのではないのだろうか。

  また、「孔大寺神社」の主神、大己貴命、少彦名命は、出雲(熊野)神だが、修験のメッカ吉野、熊野の熊野神でもある。
  それに医薬祖神の記載もあるが、これは、「孔大寺権現」が疱瘡にご利益あるというところからその名が付けられたのではないかと思う。医薬神の名は、かつて医道も行った修験の神のイメージにも合う。
  とはいえ、一般的に「孔大寺神社」の神は、「孔大寺権現」の名で呼ばれることの方が多く、「孔大寺権現」は「蔵王権現」のことで、もとは「孔大寺の蔵王権現」として信仰されていたのではないのだろうか。

孔大寺説明碑

 ※つづく→「孔大寺権現は蔵王権現か(2)~荒い神の伝承」。
 
 ※別記参照→「孔大寺山の神域」。

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2010年04月25日

シンピジウムの花(白色)と大祭

シンピジウム開花  天候不順が続いていたなかで、久しぶりに今日は、快晴で風もなく暖かかった。
  朝、植木鉢のなかで背を伸ばしていた五連のシンピジウム(白・ピンク系)の花が一斉に咲きだした。
 (※左の画像)

  先に咲いた二連のシンピジウム(黄色)とあわせると七連の花が並び、かなり美しい。
  取引の花屋さんに連絡したら、「(一般家庭で)、一鉢に多くのシンピジウムの花を、しかも一斉に咲かせるのは結構難しく、きっと良いことがありますよ」と言われ、かなり気分が良かった。

  そして、今日は当家の大祭(大先祖供養)、このような日に、なかなか花をつけるのが難しいシンピジウムが、しかも供養に相応しい白い花のシンピジウムが一斉に開花したことは嬉しく、有難いことだと思った。

  あわせて、庭のチューリップの花だが、例年だと、大祭を行う日には散ってしまっていたのに、なぜか今年は日持ちしていた。夕方には、不思議と思うほど一斉に散ってしまったものの、この花も今日の大祭の一翼を担って、頑張って咲いていてくれたのかと思うと嬉しかった。
  これらの花々に合掌、そして、これからも日々供養を怠りなく行い、日々身の回りで起きる諸々の事柄が少しでも良い方向に動くことを願った。


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2010年04月24日

オステオスペルマム開花

オステオスペルマム  今年の春は、日々、日夜寒暖の差が激しく、なかなか春が来たと言えない。雨も多い。
  早々に庭で開花した花は、咲いている期間が長く、開花しても良いのにと思う花がなかなか咲かなかったり。

  そんななかで、今年はもう咲かないと思っていた白〜薄紫色のオステオスペルマムが数輪咲いた(※左上の画像)。

  オステオスペルマムの花の色は多いが、数年前、薄紫色系の花2種類を中央花壇に植えたら、年々地面を這うように増え続け、花壇の一画を覆いつくしてしまったので、昨年、摘花したが、そのすべてを根元から切ってしまったので、ひょっとしたら絶やしてしまったかもしれないと思っていたのだ。
  改めて生命力の強い花だと思った。そして、春の到来を確実に感じとっていたのだ。
  今日は、久しぶりに日差しがよく暖かかったが、風が強く冷たかった。まだまだ寒暖の差の大きい日々は続くようで、なかなかスッキリしない春だ…。


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ミュージカル「火の鳥〜鳳凰編〜」を観た(NHK教育)

劇団わらび座火の鳥鳳凰編
  昨夜、NHK教育TV「劇場への招待」で、劇団わらび座のミュージカル「火の鳥〜鳳凰編〜」を観た。



  悪逆非道の限りを尽くした片目片腕の盗賊我王(パク・シンハさん)は、猜疑心から愛した女速魚(椿千代さん)を殺した後、腑抜け状態になり、良弁上人(本間識章さん)に連れられ旅をしていたとき、飢えに苦しむ人々に助けを求められ、「俺はお経も読めないしお前たちを救うことなんて出来るわけがねえ」と叫ぶが、追い詰められて、片手(右手)で一本の立ち木に「魔霊退散」と記した魔除けの像を彫った。
  我王が仏師として目覚めるこの場面は、何度観ても感動する。

  しかし、この仏師誕生は、後に大仏殿鬼瓦の制作を巡り、仏師茜丸(戒本みろさん)と競い合うこととなり、その結果、勝負に負けた茜丸に、我王が過去に行った悪逆非道を暴露され、右腕も斬り落とされて失うことになって行く。茜丸は、若き日に、我王から利き腕の右手を傷付けられていたのだ。

  その後、茜丸は、火炎に巻き込まれ焼け死ぬが、その死の瞬間に、自らが探し求め続けていた念願の「火の鳥」を目にする。

  手塚治虫氏の原作本では、このとき茜丸は、皮肉にも憧れの「火の鳥」から、「おまえは死ねば すぐちいさな虫になって生まれ変わるのよ…虫が死んだらカメに生まれかわります・・・おまえにはもう永久に・・・この世がなくなるまで人間に生まれるチャンスはないの!」と告げられる。

  その後、隠遁した我王のもとに、それまで会ったこともないプチ(今泉由香さん)が、兄を弔ってやってほしいと茜丸の骨を持ってやってくる。皮肉にも我王は、茜丸の供養を引き受けることになる。
  「火の鳥」は、因果応報や輪廻転生などを説いた壮大な仏教物語である。

  このミュージカルを観ていて、かつて手塚治虫氏の劇画「火の鳥」に魅せられて、何度も繰り返し読んでいたことを思い出した。あれからもう20年にはなるだろう。書棚に眠ったままになっているその全巻を取り出して再度読み直してみようと思った。

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2010年04月22日

孔大寺山の神域

水舎  孔大寺山で、登っていた石段(自然石)の道が、いったん途絶えて、なだらかな山道となったが、その後に、また急峻な石段道が待ち構えていた。途中、右側に水舎があったが、この季節、くみ出せるほどの水は溜まっていなかった(※左の画像)。

  この日、この辺りから上一帯には霊気が立ち込めて、今まで登ってきたところとは、がらりと雰囲気が違っていた。

  この先で、急に足が重く感じて歩行が止まり、その場に立ちすくみ、辺りを見渡した。まだ昼の2時なのに、あたりには薄いガスが立ち込めて夕暮れのように薄暗い。ここから見える石段の先もガスで霞んでいた。
  突然、雨が「ザー」と音を立てて降ってきた。急いで傘を取り出して、開いたときは、雨は止んでいた。ほんの一瞬のことであった。
  この雨は、「雨に非ず、露払い清浄水である」との神示を聞き、同行していたHaさんに、「すぐ、ここに山の神々が下りて来られますよ」と告げて、急いで、眼前の石段の一つを祓い清め、祭壇に見立てて、お神酒とお供物を供えた。

  静寂を破るように、成長した雄鶯の大きな鳴き声が耳に入ってきた。その声は、すぐ右真横の木立のなかから聴こえて、まさに「法華経」と題目を唱えているかのようでもあった。修験道では、法華経を基本経典とするので、この鳴き声を聴いていて、やはり孔大寺権現は、修験道の本尊蔵王権現なのだと思ったほどだった。

  続いて山上で「ゴー」という轟音が鳴り響いた。風もなく、木々が揺れることも、葉音がすることもなく、その轟音だけが、一気に山を下りてきて、祭壇近くでピタッと止まった。説明のつかない一瞬の現象であった。
  気付くと、私たちは、孔大寺山の神々に取り囲まれた山中に立っていた。先ほどからこの一帯に立ち込めていた霊気は、私たちが、既に孔大寺山、若しくは孔大寺神社の神々の直轄神域に足を踏み入れたことを知らされていたのだ。

  祭壇前に跪いて、心経1巻を奏上した。
  その直後、また雨が、「ザー」と音を立てて降りだした。と思った途端、すぐに降り止み、続いて、「ゴー」という轟音が間近で発生し、その音は山上方向に向かって進み消えた。この間、やはり無風で、すべて一瞬の出来事であった。これほどはっきりと神々の到来、去来を間近に感じることは稀で、この日は、ここで下山せよと言われているのだと悟った。

  この後も、一羽の雄鶯だけは、神々しい鳴き声を響かせて私たちを見送った。偶然のように、この場に行き合わせることができて、幸せに満ちた感じだった。Haさんも目に見えない神々の力を感じたようで、心が洗われる思いだったと言った。合掌。

 ※別記→「孔大寺権現は蔵王権現か(1)」。

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2010年04月19日

大腸内視鏡検査を受けた

フリージャー  今、庭で黄花のフリージャーが満開である(※左の画像)。

  黄色の花は、幸運を招くというので、ここ数日、毎日、眺めては幸運を願っている。


  そして、この黄花のフリージャーが咲いている間に、大腸内視鏡検査の日を迎えたので、これは幸運だ、きっと何事もないと思った。

  しかし、検査前に自宅で飲用したマグコロールP等長液(下剤)は効いた。最初はポカリスエットのような味だったので飲みやすいと思ったが、180mlを1時間以内に飲むとなると、だんだん胸がつかえてきた。何しろ下剤だから、飲んだ後の本番が・・・すごかった。

  胃腸科病院での検査時間は、わずか20分程度のことだが、その間に、断続的に襲ってくる腹痛には悩まされた。幸いポリープなどはなかったので、ほっとした。
  最近、それらを超える除去手術をした知人がいるが、きっと辛かっただろうと思った。その気持ちが、少しだけでも伝わってきた。

  入院していた時間は、検査時間を含めわずか2時間余のことだったが、病院の外は激しい雨が降っていた。
  帰宅して一番に、雨に濡れても美しい黄色のフリージャーを、笑顔で愛でた。幸運ありがとう。


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2010年04月18日

ヤフードームで

ヤフードーム  TVで、ヤフードームであったソフトバンクVS東北楽天戦を観ていた。
  ソフトバンクが1対0でかろうじて勝ったが、昨夜は3対8でぼろ負けだった。

  実は、昨夜、久しぶりにヤフードームに行き、1塁側外野席で、高いトランペットの音を聞きながら、応援団に混じってソフトバンクを応援した。
  張り切って、わざわざ外野席に入って応援して、応援したチームが敗れたら、やはり疲れた。今日は、1日、家に引きこもり、明日は、健診だ。


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2010年04月16日

孔大寺山中の桜の古木

文政四年寄進石段碑  孔大寺神社下宮(宗像市)から、その後方に続くほぼ直線の平坦な参道を歩くと、やがて参道は、絶え間ない石段(自然石)を登る山道に変わる。

  以前、登ったときは、真夏だったためか、一面に生えた背丈の高い雑草と蜘蛛の巣に悩まされたが、初春のこの時季、雑草などに悩まされるようなことはなかった。
  先月2日にあった孔大寺神社大祭礼の約1か月後でもあり、参道の整備がされていたこともあるのかもしれない。

  そんな山中の参道を登っているとき、足元の石段のあちこちに散らばって落ちている桜の花びらに目が留まった。
  落花して間もないと思えるそれらの桜花は、雨に打たれ、雨上がりの濡れた石段にへばり付いていた。
  思わず立ち止まり、檜の樹林に囲まれた薄暗い林のどこに桜の樹があるのかと辺りを見回した。

  そして、少し上の左側の林のなかに、なんとか身を乗り出すように立っている1本の桜の古木があるのに気付いた。
  足元に落ちていた桜の花びらがなかったら、この桜の樹に気付かずに通り過ぎていたかもしれない。

  桜花は全て散り、枝分れした太い枝で枯れているものもあったが、こんな日当たりの悪い林のなかで、頑張って幹を太らせ、枝を伸ばして、花を咲かせたのかと思った。
  檜林のなかに、たった一本生えている桜の古木という取り合わせは珍しいが、もう少し前に訪れていたら、開花中の桜を観ることができたのだろう。
  
  この古木は、多分、ソメイヨシノで山桜ではないとは思うが、もしこの孔大寺山に鎮座されるという孔大寺権現が、奈良大峰山・吉野山の金峯山寺蔵王堂に鎮座される蔵王権現であったとしたら、蔵王権現と桜は関わりが深く、この山に桜の古木が残っていたとしてもおかしくはない。
  本当は、もっとあったのではないかと思ったくらいだった。

  そして、この後には、最初の難関とも思われる急峻な坂にそそり立つように積み上げられた石段が待っており、このように石段の参道を登っていると、やはりこの山には蔵王権現を頂く修験の存在があったのではないのかと彷彿する。

  なお、石段について、「文政四年奉寄進石段」(※左上の画像)や「明治三十年一月奉寄進石段八百拾段」等と彫られた石碑を参道の途中で見かけた。
  この山中に、びっくりするほど多い数の石段を積み上げて参道を作り、或は修復した当時の人々の、その数もさることながら、その企画力と労力、そして信仰心の強さには敬服させられる。

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