2010年11月

2010年11月30日

長崎・浜ぶらコース龍馬伝スポットをさるく(1)土佐商会跡

土佐商会跡  ※左の画像は、土佐商会跡。

  先日、長崎市に行ったとき、予定外の空き時間が2時間できたので、浜ぶらコース(浜の町界隈)をさるいてきた。

  この浜ぶらコースでの「龍馬伝」(NHK大河ドラマ)登場スポットは、(1)土佐商会跡、(2)大浦慶居宅跡、(3)長崎まちなか龍馬館の3箇所だった。

  築町から中島川に架かる鉄橋(橋の中ほどにエミリオ・グレコの水浴の女の彫像が立っている)を渡ると、正面の頭上に客船の船首をイメージしたゲートが見える。ここが浜市アーケード街の入口だ。

  鉄橋の袂(西浜町電停前)に、第1スポット・「土佐商会跡」と書いた石碑が建っていたので、この浜市アーケード街入口付近に、後藤象二郎(高島炭鉱経営者)が運営し、岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)が在駐した土佐藩の貿易機関「土佐商会」があったのだろう。

  また、この「土佐商会跡」石碑がある一画には、海援隊旗がたなびき、夕顔丸のモニュメントもあった。今年(平成22年)の3月に設置されたもので、製作者は藤原健太郎氏である(※左下の画像)。

夕顔丸モニュメント  夕顔丸は、土佐藩所有の蒸気船(600t)で、慶応3年(1867)6月、坂本龍馬らがこの船上で「船中八策」を書いたという事蹟を記念して、このモニュメントが製作されたようだ。

  なお、土佐海援隊(隊長坂本龍馬)は、ワイル・ウェフ号の遭難により窮乏の危機にあった海外貿易商社の亀山社中が、土佐藩の救済により立ち直り名前を変えたもの。

  この後、買い物客などで賑わい、歩行者の多い浜市アーケード街(360m)を直進した。(つづく)

keitokuchin at 23:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月29日

「長崎さるくマップブック」の長所・短所

長崎さるくmapbook2010  昨日、「龍馬伝」(NHK大河ドラマ)の放送が、龍馬暗殺で幕を閉じた。

  「龍馬伝」の舞台の一つが長崎市であり、龍馬を演じた福山雅治が長崎市出身のシンガーソングライターといこともあり、今年の長崎市は、龍馬人気でわきに沸いたという。

  先日(25日)所用で長崎に行ったとき、少し空白時間ができたので、地区を選んで龍馬スポットをさるいてみようと思った。

  実は、「長崎さるくマップブック」(社団法人長崎国際コンベンション協会発行)を買っていたので、これを観れば、好きなスポットをすぐに選べると思っていた。
  しかし、実際にページをめくってみたとき、裏切られたと思った。

  さるく(歩くコース)地区が細かくページごとに区分されているのは良いのだが、その地区が長崎市内のどの辺にあるのかとなると、…? ? ? となった。
  例えば、「12」という地区は、長崎市のどの辺にあるのかと思って全体マップを開いたとき、全体マップのどこにも、この「12」という表示がないのだ。

  だから、長崎市内の全体マップ(町名など)を分かっていない人にとっては、簡単には、長崎市のどのあたりに各区分の地区があるのかを見つけるのは難しい。

  観光客の視点に立つ広報に携わったことのある人だったら、おそらく、このようなマップの作り方はしないのではないのかと思った。

  時間もなかったので、タクシーで浜の町に行き、アーケード街などをぶらぶらさるいてきた。
  その場所まで行ってしまえば、このマップは役にたった。
  だが、細かい部分では、マップに載っているスポット、道順などで説明不足なところもあり、その近くでうろうろしたり、行き過ぎて引き返したりしたこともあった。もう少し工夫がほしいってことかな。

keitokuchin at 22:43|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月28日

村主章枝選手の健闘に拍手(GPフランス大会)

28_フランス大会・フリー村主章枝【坂本清】  ※左の画像は、フィギュアスケート GPシリーズ第6戦:エリック・ボンパール杯女子フリー村主章枝【坂本清】からお借りしました。

  最近、あまりフィギュアスケートのTV放送を観ていないが、応援しているアラサーの星・村主章枝選手(陽進堂所属)が出場したときだけは、忘れずに観ている。

  村主章枝選手の今季グランプリシリーズ第一戦となった・カナダ大会では、ジャンプミス続出し、過去最低の総合9位で終わっていただけに、今回のフランス大会に期待していた。

  しかし、村主章枝選手は、ショート5位で好発進したものの、シェヘラザードほかの曲に乗って舞ったフリー演技で、ジャンプミスや転倒もあって、総合8位となった。
  メダルは逃したが、村主章枝選手の躍動感のある美しいスケートは健在で、気力溢れる演技だったと思う。相応の努力と練習の賜物なのだと思い心から拍手を送った。

  ところで、6月に「ニーチェ哲学 氷上でも」と言っていた村主章枝選手が、最近、哲学書ではないが、「村主章枝のフィギュアスケートにここがわかればもっとオモシロイ!」(PHP研究所1,260円)を発刊した。じっくり読んでみようと思っている。

keitokuchin at 22:07|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月26日

マリリン・モンロー

maririn[七年目の浮気]  ※左の画像は、「七年目の浮気」の一シーン。


  HDDに録画したままにしていたマリリン・モンロー主演の「お熱いのが好き」特集(11/6放送「ミューズの晩餐」)を観た。

  マリリン・モンローは、この映画「お熱いのが好き」が上映(1959)された3年後(1962)に死亡(36歳)した。

  マリリン・モンローが出演した映画は30本というが、当時、日本の映画館で上映された映画は、すべて観に行っていたと思う。
  憧れのマリリン・モンローだった。

  そして、マリリン・モンローの死が、あまりにも唐突すぎたので、今でも疑問のまま脳裡に残っている。

  マリリン・モンローの死体が発見されたときの様子は、全裸で、自宅ベッド上で受話器(電話)を持っていたというが、ロス市警は、睡眠薬の飲みすぎによる自殺と発表した。
  しかし、ジョン・F・ケネディ大統領(1963暗殺)やロバート・ケネディ司法長官(1968年暗殺)との交際も明るみに出て謀殺ではないかとも噂されたが、真相は分からない。

  それだけに、マリリン・モンローの名を聞くと、連動して、今でもケネディ大統領の名前が思い浮かぶ。
  ケネディ大統領は、キューバ危機をいち早く対処し強いアメリカを世界に示した。当時、大いに尊敬する最大級の人だったが、その死もあまりにも衝撃的だった。

  キヨスクで買った今週の週刊現代(12/4号)の表紙に、原幹恵さんが載っているのをみていて、今は胸が大きいセクシーなタレントも多いと思ったが、マリリン・モンローのセクシーさは、それとは違い、すべての観客が引き込まれて行くようなセクシーさがあった。

  演技においてもコミカルなコメディセンスがあり、キュートなあいくるしいというのか男をひきつけて離さないような歌唱力の魅力もあった。

  また、マリリン・モンローといえば、すぐに脳裏に浮かぶシーンがある。それは、地下鉄の通気溝の上で噴き上げる風でめくれるロングスカートを両手で押さえている「七年目の浮気(1955)」の一シーンだ。
  この場面は、「ミューズの晩餐」のなかでもあった(※左上の画像)。

  たまたま放送されたマリリン・モンローのこの映画特集を観ていて、忘れていた記憶が一気に思い起こされた。脳裏に刻まれた記憶は、何かの弾みでよみがえってくるということなのだろうかな。

  なお、川井郁子さんのバイオリン演奏は、「I wanna be Loved by you」だった。

keitokuchin at 23:59|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月23日

博多っ子ロマン「川上音二郎・貞奴物語」(博多座)予約

12川上音二郎・貞奴  「ぐらんざ11月号(2010)」(西広案内発行)の演劇頁に左の画像が掲載されていた。
  よく見慣れていた川上音二郎と貞奴のツーショットだったので、すぐに眼に留まった。

  「日本の女優第一号の川上貞奴と、新演劇の祖川上音二郎」と書かれた説明文を読んだ後で、この頁のタイトルキャッチコピーを見て、この画像掲載の意味が分かった。

  そこには、「博多っ子の長谷川法世、ギンギラ太陽’Sの大塚ムネト、博多っ子コンビによる博多っ子のための博多っ子音二郎夫婦のぐらんどろまん」と書いてあった。

  長いキャッチだが、毎年12月に博多座で公演される市民檜舞台の一つの演題に、今回、博多っ子ロマンの「川上音二郎・貞奴物語」が上演されることが決まったというのである。

  文章は、演劇エッセイスト高尾輝樹さんが書いたものだが、「法世さんがなかなか手の中を明かしてくれないのでどんな芝居になるのか開けてびっくり玉手箱…」とあるように、公演内容については、まったく述べられていない。

  ただ、音二郎と貞奴の「壮年期の配役は大塚ムネトと、これもギンギラの上田裕子(やすこ)が扮する」とあった。

  貞奴は、神楽坂の一流の芸者さんで、日本舞踊が抜群に上手く、特に「娘道成寺」の舞を大得意としていたという。
  亡くなった従妹(花柳流名取)が大得意としていた舞が「娘道成寺」で、その亡従妹が生前よくそんな話をしていた。

  ところで、貞奴役の上田裕子さんが着物姿で日本舞踊を舞うイメージが全くわかないが、今回の「川上音二郎・貞奴物語」公演で、貞奴が「娘道成寺」を踊るシーンはあるのだろうか。

  ともあれ、今回の公演は、「博多出身の新演劇の祖・川上音二郎の百回忌に因んだ記念公演」でもあり、また、配役は分からないが、花柳流師範の徳永玲子さんも出演すると聞いたので観劇してみようと思い、チケット予約をした。
  なお、公演は12月12日(日)11時と16時の2回のみである(A席7,000円)。

※(追記)
2010.12.5川上音二郎・貞奴復活(法世博多まんなかを読んで)
2010.12.12波乱万丈の川上音二郎・貞奴物語を観劇(博多座)
2010.12.29法世さんの博多まんなか43は「音さんの正月」

keitokuchin at 22:38|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月22日

黄葉…銀杏、サルスベリなど

  今日の毎日新聞「週間漢字(読めますか)」のテーマは、「紅葉いろいろ」だった。
  出題されていた漢字の読みは、「錦木」(にしきぎ)、「裾模様」(すそもよう)、それに「黄葉」(こうよう)の三漢字だった。

  まず、「錦木」は、ニシキギ科の落葉低木で、その紅葉の美しさを絹織物の錦に例えたものだという。

  次の「裾模様」は、着物の裾に付けた模様のことだが、1911年の尋常小学唱歌「もみじ」で「山のふもとの裾模様」と歌われたことから、このテーマのなかで取り上げられたようだ。

  最後の「黄葉」は、落葉樹が黄色に色づくことで、紅葉は「もみじ」とも読めるが、黄葉は「もみじ」と読めない、とある。

  ところで、「黄葉」といえば、身近なところで銀杏の黄葉が思い浮かび、早速、近くにある銀杏並木に行ってみたら、すべての銀杏の葉が黄葉していた。
  また、銀杏は、真っ直ぐ天に向かって伸びるので、神社のご神木となっているものも多く、たとえば、博多の鎮守・櫛田神社のご神木、その大銀杏の葉も、今、黄葉の真っ最中だった。

  銀杏の黄葉は、師走に入ると地面に舞い散り、辺り一帯を黄金色に埋めつくすが、その光景もまた壮観である。
  ふと、昨年12月14日本ブログに書いた「黄金色に染まる靡神社境内(銀杏落葉)」のことを思い出した(画像あり)。

  さて、当家の庭にも、黄葉している樹がある…サルスベリである。
  数年前、サルスベリの小さな苗木を貰ってきて植えたものだが、現在、樹高70cmに成長し、春、一人前に葉を付け、その葉が今、一人前に黄葉している。
  当家では、楓(紅葉)の樹が枯れて以来の黄葉で、来年の成長が楽しみだ。

  今日の「週間漢字(読めますか)」を読んでいて、そのなかの一つ「黄葉」に思いが至った次第。

keitokuchin at 23:17|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月21日

五体投地礼を108回行う

  昨昼、7日に金峯山寺で得度した人が来訪、尊仏蔵王権現に対し108回の五体投地礼を以って得度受戒の御礼をすることになった。

  もちろん、五体投地礼とは、立ったり座ったりしながら尊仏の名を唱え、座ったときに両膝、両肘、額を地につけて頂礼することで、仏教では最高の礼法といわれている。

  久しく108回の五体投地礼をしていなかったので、一緒に実施しようと思い、シャツの上から白の半衣を着用した。
  得度者は、白の半衣の上から白の長衣を着ていた。

  五体投地礼の回数を数えるために108本のマッチ棒を準備して畳の上に置き、1回終わるごとにマッチ棒1本を指で摘み、前に撥ねた。その間の所要時間は15分程度だった。

  「終り」と言うと、「半分終わって休憩ですか」と、意外な言葉が返ってきた。
  「いや、108回終わりました」。
  「まだ108回はしていないと思っていたので、途中休憩かと思いました」と。
  まだ余力があるのかと思いきや、「疲れました」と本音、その後、「太ももにこりが出た」とも言っていた。

  このところ肌寒い日が続いていたが、この日は、陽射しが強く、気温が上昇、さすがに、この五体投地礼を終えたときには、共に全身から汗がドッと噴き出した。

  同夜、入浴前に、「少しこわばっているかな」と思っていた左ふくらはぎがつった(こむら返り)。その激痛が治まるまでの数分間は、生きた心地がしなかった。
  何事も頭で考え、体を動かさない習慣がつきつつある最近の状況に対する神仏の戒めなのだろうか。反省。合掌。


keitokuchin at 22:47|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月19日

COMA-CHIさん活動休止?

12 ※左の画像は、COMA-CHIさんの素敵なショット(2009.12)。

  10/13のCOMA-CHI Official Blogで、
RHYMESTERさんのシングル「Walk This Way」にCOMA-CHIが参加!!、「トーキョー・ショック配信スタート!!」の記事を読んでいたが、曲は聴いていなかった。

  ところが、今日、HDに録画していた前回の流派-Rを観ていたら、「RHYMESTERトーキョー・ショック feat COMA-CHI」の字幕が出て、その曲をCOMA-CHIさんが歌っていた。

  20年前、下北沢を原点として出発したRHYMESTERさんらが、
下北沢「Walk This Way」を発表、そして、当時と少しも変わっていないというRHYMESTERさんらのB.Boy+Girlイズムに合わせてコラボするCOMA-CHIさんは、やはり凄いラッパーだ。

  ところで、今日のCOMA-CHI Official Blogに、「皆さんにお知らせがあります」として、「明日のLIVEで、COMA-CHIとしてのソロLIVE活動を一時休止する事になりました。…DJと組んでやってきた今までのCOMA-CHIというスタイルはこれがおそらく最後になるかと思います。」とあったのには、ビックリした。

  一瞬、「ええーッ」という驚きと、またかという思いが交錯した。

  だが、「表現者としてもう一歩、自分自身と向き合いながら時間をかけてより良いものを生み出したい。少し内にこもる期間を、体と心が必要としているみたい」とあり、そうなのかと思った。

  なんだか考える暇もないほど活躍されているCOMA-CHI さんの心境が分かるような気もして納得し、何か安堵もした。
  COMA-CHI さんは、立派な先祖が御守護しておられるので大丈夫、一段階段を登りパワーアップしたCOMA-CHIさんの再登場を期待している。今後も応援したい。

  COMA-CHIさんの一番好きな曲は、COMA-CHI「TIME 2 PARTY feat. AK-69 」。

keitokuchin at 23:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月18日

瀬奈じゅんさん「三銃士」で博多座出演か

ミュージカル三銃士
  ※上の画像は、「ミュージカル三銃士」のチラシの一部分、
   右から2人目が瀬奈じゅんさん。

  先日、博多座のロビーで、「ミュージカル三銃士」のチラシに眼が留まり、すぐに手に取った。「9月3日初日→28日千穐楽」とある。

  一瞬、「え、えっ?、この日付けは何?」と思ったが、来年のこと。
  「もう来年の案内か?」、考えてみれば、今年も来月は、師走だ。
  それにしても、来秋のチラシが、もうできているのか。
  「早いな」と思ったけど、デザインは、東京・帝劇(帝国劇場)のチラシと同じだから、作るのは造作ないってことか。

  帝劇で、「ミュージカル三銃士」が上演されることは、元宝塚歌劇団月組のトップスターだった瀬奈じゅんさんのオフィシャル ウェブサイト「JUN SENA」のScheduleを開いてみていたので知っていた。 

  そこには、「2011年7月17日(日)〜2011年8月26日(金)まで、帝国劇場にて、三銃士に出演することが決定しました!」、と書いてあり、そのチラシも掲載されていたが、博多座出演の記事はなかった。
  だから、博多座で「ミュージカル三銃士」のチラシを眼にするまでは、博多座公演のことを知らなかった。
  帝劇公演の千穐楽は8月26日だから、そのすぐ後、9月3日から博多座で始まるということだ。

  本ブログの、2009.7.7「瀬奈じゅんさん博多座で観たかった」や、2009.12.25「瀬奈じゅんさん宝塚退団間近か」で、「瀬奈じゅんさんを博多座で観たかった」と書いていたように、瀬奈じゅんさんの博多座出演を待ち望んでいた一人ではある。
  瀬奈じゅんさんは、宝塚退団後に「ミュージカル三銃士」で博多座の舞台を踏むことになるのかな。

  瀬奈じゅんさんの役はミレディで、男役でも主役でもない。
  しかし、ミレディは、冷酷なロシュフォールやリシュリュー枢機卿、そして隠された恋に悩むアンヌ王妃などに取り入ったり、主役のダルタニアンや三銃士(アトス、アラミス、ポルトス)らを引っ掻き回す、いや、全登場人物を引っ掻き回す、いわば三銃士の物語には、なくてはならぬ妖麗な美女である。

  このミュージカルの演出内容は分からないが、三銃士の主要な場面には必ずミレディが登場するはずで、この重要な役どころを演じる瀬名じゅんさんに期待…、でも、まだ来秋のこと、待ち遠しいね。

keitokuchin at 23:30|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2010年11月17日

博多座で松平健公演を観た日に…奥様のご冥福を祈ります

2010年11博多座公演・松平健  11/15、博多座で、松平健公演(忠臣蔵、唄う絵草子)を観劇した。

  往路、列車の人身(死亡)事故があり、乗車予定の列車が運休したので、「今日は、幸先が悪いな」と思った。
  急ぎタクシーに乗り換え、開演11時には間に合った。

  第一部は「忠臣蔵」。忠臣蔵は、人情(刃傷)劇で、テーマは死である。
  吉良邸討ち入り後、大石内蔵助らがお預けとなった細川藩下屋敷の場を観ていたとき、ふと、学生時代に旧細川藩下屋敷(東京都港区高輪)に行ったときのことが脳裏を過ぎった。

  当時、同所には、雑木が鬱蒼と生い茂り、その中に高いコンクリート塀で囲まれた一画があった。多分、ここが大石内蔵助などが切腹したところだと思い、その塀を乗り越えて中に飛び降りた。
  長く封印されてきた土地のようで、今なら絶対に中に入るようなことはしないが、当時は、まだ若く、興味本位で怖さ知らずだった。

  第二部は、「唄う絵草子」。マツケンサンバなど、松平健さんと腰元ダンサーズの舞踊は艶やかで楽しかった。

  本日特別の第三部、真島茂樹さんと「みんなで踊ろうマツケンサンバ2(振り付けなど)」も楽しんだ。
  (この第三部には、松平健さんは出演してなかった)。

  そして終幕後、博多座を出て携帯電話を開いたときのことである。「本日午前3時頃、松平健さん(56)の妻・元女優松本友里(本名・鈴木友里子)さん(42)が東京目黒区の自宅で首つり自殺」という新着ニュースを目にした。
  今、観てきたばかりの松平健さんの舞台で、そんな悲劇があっていたような様子を感じなかったので、「まさか」と思った。

  だが、考えてみると、第二部終了時に、あると思っていた出演者紹介がなく、カーテンコールもなく、あっけなく終わったような感じがしていた。
  きっと、松平健さんは、朝、妻の訃報を聞き、悲しみの気持を抑えて舞台を勤め上げ、帰京を急いでおられたのだろう。

  松平健さんが、第二部終幕時の挨拶で、博多座を「はたたざ」と言い間違えて、「はかたざ」と訂正されたとき、何故か一瞬、墓(はか)の文字が浮かんだことも思い出した。
  続いて、今日は、皆様と夢のような楽しい時間を過ごしましたが、家に帰ったら、また厳しい現実の生活に戻ってしまいますね、というような挨拶をされたので、それを聞いて観客は、ドッと笑ったが、その現実とは、今朝突然松平健さん自身を襲った悲しい現実を言っておられたのかもしれない。
  今日の博多座観劇は、出かけるときから帰るときまで、人の死の問題を突きつけられていたような気がした。

  なお、10/19の本ブログ「岡田有希子さんの幻の曲復活」のなかで、岡田有希子さんの自殺のことにも触れていたが、松本友里(ゆうり)さんは、この岡田有希子さんと芸能界デビューが同期だった。
  奇しくも1984年にアイドル歌手としてデビューした二人が時代を経て、ともに自殺という最後を辿ったことは何とも痛ましい限りだ。

  これまでに数度、自殺の現場を目撃した者としては、その痛ましさを表現する術はなく、只ただ死者の霊に対して、ご冥福を祈り、合掌するばかりです。南無阿弥陀仏。

(瀬奈じゅんさん「三銃士」で博多座出演かは、ここクリック)

keitokuchin at 18:05|PermalinkComments(0)TrackBack(0)