2011年03月

2011年03月31日

久しぶりに春の陽気

雪柳と水仙  3月も終わりにして、久しぶりに春の陽気…、 公園の桜(ソメイヨシノ)の花は、一気に開花したかな。
  当家の庭では、雪柳と八重の水仙の花が一気に咲いた。(※左の画像)

  でも、まだまだ東北の震災地は寒い。震災被災地にも早く春の陽気が訪れることを願う。

  昨日、福島第1原発1~4号機の廃炉が発表された。想定外のことを想定せずに事故が起き、速い対応と決断ができなかったトップの判断の甘さが、国民、否、世界の人々に犠牲を強いることになる。
  この国には信頼に足りうるpresidentはいないのか。こんなことを考えだしたら、気が沈む。

  当地でも春のイベント中止の案内が届いた。こんな案内を目にすると、また気が沈む。
  沈んだ気持を少しでも高揚させるべく、イベントは規模を縮小してでもしてよかったのでは…、
  東北地方大震災被災者応援イベントと題して、できるだけ多数の参加を呼びかけて行い、収益金の一部を被災地に回すことができたらよかったのに、と思っていた。

  でも、やっぱり、客足は止まってしまうものなのだろうかなあ。
なかなか春の陽気のようには、皆の気持は一気には晴れない。

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2011年03月29日

釘付けになったFNS音楽特別番組「上を向いて歩こう」

  先日(3/27)、FNS音楽特別番組「上を向いて歩こう」〜うたでひとつになろう日本〜お台場・フジテレビ生中継を観た。
  東日本(東北関東)大震災の被災者や復興に向けて支援する人を、歌で応援するという趣旨のもと企画された番組だった。

  司会は、草剛、高島彩さん、先ずは、坂本冬美さんの「上を向いて歩こう」の熱唱で始まり、続く参加アーティストがそれぞれ被災者へのお見舞と応援メッセージを述べて応援歌を歌った。

  坂本冬美さんに続いたアーティストは、槇原敬之、ゴスペラーズ、平原綾香+TAIRIKU(ヴァイオリン)、エレファントカシマシ、
JUJU、南こうせつ、伊藤由奈、倉木麻衣、TUBE、さだまさし、
LOVE PSYCHEDELICO+コーラスグループVOJA、
松浦亜弥+堂珍嘉邦+鈴木雅之+布施明+杏里、aiko、
ウエンツ瑛士+小池徹平、スガ シカオ、氷川きよし、森山良子、
森山直太朗、AI、喜納昌吉、ゆず、藤井フミヤ、加山雄三、一青 窈、
松任谷由実 with Friends Of Love The Earth(ディク・リー=シンガポール、イム・ヒョンジュ=韓国、amin=中国、シュイ・クゥ=中国)さんと豪華メンバーが続き、さらに木村充揮+近藤房之助さんによる「見上げてごらん夜の星を」。

  そして全員で「上を向いて歩こう」の大合唱。最後に森山良子さんが「みんなで力を合わせて頑張りましょう」と言って幕を閉じた。
  本当にアーティストの皆さんもみんなで応援しているんだね。
協力しよう。

※日本赤十字社義援金の郵便振替口座は、00140-8-507
 口座名は、「日本赤十字社東北関東大震災義援金」である。

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2011年03月28日

ミューズの晩餐お別れは「♪ひまわり」だった

川井郁子さん  「ミューズの晩餐」(川井郁子、寺脇康文出演/テレビ東京)は、昨秋(2010.10.2)、100年残る名作映画を毎回1作紹介して、ヴァイオリニスト川井郁子さん(※左の画像)がその映画のテーマソングをヴァイオリン演奏するという構成にリニューアルしていた(ピアノ演奏は朝川朋之さん)。

  ところが、最近は1回1作ではなく、映画評論の芝山幹郎、渡辺祥子、清藤秀人、竹内伸治さんらが選んだ名作と音楽を複数紹介するような形になっていたので、少し大雑把になってきたなと思っていたら、先週(2011.3.26)の放送で「ミューズの晩餐」の番組そのものが終了した。

  「何だ、そうだったのか」、まったく気付いていなかった鈍感さに呆れたが、毎週欠かさず楽しみに観ていただけに、かなり残念。
  川井郁子さんのヴァイオリン演奏には、心が癒されるので…これまでにDVDに録画した分はかなり貴重。

  「ミューズの晩餐」のお別れ曲として、川井郁子さんが自ら選んで弾いた映画のテーマソングは、ひまわり」(作曲ヘンリー・マンシーニ)だった。
  そして、この「ミューズの晩餐」の最後を飾る「♪ひまわり」をしみじみと聴かせてもらった。 ありがとうございました。

  ※付記1  映画「ひまわり」(1970年公開/ヴィットリオ・デ・シーカ監督)は、戦争によって引き裂かれる夫婦の悲恋物語で、ともにイタリアを代表する俳優ソフィア・ローレン(女優)と、マルチェロ・マストロヤンニが主演した。
  ソフィア・ローレンといえば、「いるかに乗った少年(Boy on a Dolphin)」のタイトルで記憶しているのだが、映画「島の女」(1957)を思い出す。
  この映画は、字幕スーパーインポーズで観たので、彼女の魅惑的な音声や歌声に惹き付けられて、またその肉体美にも魅せられて、何度も映画館に足を運んだものだった。
  もちろん、映画「ひまわり」も観たが、画面いっぱいに映し出されるひまわりの花に圧倒された。
  元来、ひまわりの花をみると、映画「原爆の子」(新藤兼人監督、乙羽信子主演/1952)で観たひまわりが一瞬にして萎れる画面が思い出されて、あまり好きではなかったのだが、映画「ひまわり」を観たときからその印象が和らいだものだった。
  なお、ソフィア・ローレンについては、「ブログログイ」2009/09/18の記事「映画・イタリアの太陽〜ソフィア・ローレン」がお勧めです。

 ※付記2  「ミューズの晩餐・川井郁子」関連で記憶している本ブログ掲載記事を下記にまとめた。
□2009.5.15ビルボードライブ福岡閉店?(川井郁子さん・渡辺真知子さん)
□2010.9.12安蘭けいさんと春野寿美礼さん出演
□2009.11.22ミューズの晩餐11〜12月
□2010.7.25「ゲゲゲの女房」から中村中さんに飛ぶ
□2010.10.2ミューズの晩餐リニューアル(ゴッドファーザー)
□2010.10.16ティファニーで朝食を
□2010.10.21風と共に去りぬ
□2010.10.26ニュー・シネマ・パラダイス
□2010.11.4羊たちの沈黙
□2010.11.26マリリン・モンロー・・・□2010.12.28ヴァイオリンを持つ川井郁子さん(ぐらんざ1月号表紙)
□2011.2.16上原ひろみさん、グラミー賞受賞の快挙!

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2011年03月27日

「村主章枝のフィギュアスケートにここがわかればもっとオモシロイ!」を読んで

29PHP  村主章枝さんのやたら長いタイトルの著書だが、昨年(2010.11.29)購入して以来、ずっとカバンに入れて持ち歩き、ヒマを見つけては読んでいた。
  実際、何度読み直したものかは記憶にないほど。
 (※本ブログ2010.11.28「村主章枝選手の健闘に拍手(GPフランス大会)」参照)。

  でも、大好きな村主章枝さんのフィギュアスケートにかける想いがビンビン伝わってきて、何度読んでも楽しかった。

  佐藤信夫コーチは試合に臨むまで絶対に褒めない人のようで、最後の最後まで細かい注意をするらしいが、村主章枝さんは最後の最後になると開き直ってしまうタイプのようだ。
  でも、「そこがあなたの良いところ」と言われたこともあるらしい。

  親からは「ダメだったときも、寝るとコロッと忘れて、必ず次もまた頑張るというところが、あなたのエライところだ」とよく言われるらしい。
  だからか、周りから「もう辞めたら」と言われても、辞めないで頑張れるんだ…ネ?

  親は、村主章枝さんの選手活動に家の有り金のすべてを使い果たしていたので、フィギュアスケートを続けたいといっても援助できるお金はないという。それでも続けたいと、開き直ると、援助者が現れた。

  村主章枝さんは、成熟した自分にしかできない表現があるという。
「作品に対する理解の深さや、苦しさや葛藤といった人生のつらい部分も経験したからこそできる表現は、若い選手たちには出せない」、「ものすごく可憐で美しい表現もできるけれど、コケティシュで面白い表現もできる。表現の振れ幅を広く持つということは、私にしかできない」と言い切る。

  すごい自信だが、それでなければ過酷なスケジュールや選手権出場なども果たすことはできない、また、援助者(陽進堂)もきっと村主章枝さんのこの心意気と表現力に期待をかけてくれたことだろう。

  村主章枝さんの、このやたら長いタイトルの著書
村主章枝のフィギュアスケートにここがわかればもっとオモシロイ!」(PHP研究所1,260円)を何度も読み直し、ますますファンとして村主章枝さんへの期待を強くした。

  また、これからの村主章枝さんの復活に向けての頑張りと再登場は、これからの復興に掛ける東北関東大震災被災者の皆様にとってもきっと励みになるに違いないとも思った。

 ※なお、村主章枝さんは、大震災被災者にメッセージを送っている。
→2011.03.20村主章枝からのメッセージ/Message from Fumie Suguri。

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2011年03月26日

加藤ミリヤさんの被災者応援ソング(Mステ)

[LOVE is…]  昨夜のミュージックステーション(テレ朝)は、東北関東大震災の被災者への応援ソング特集だった。
  この日の出演者は、Mステからのこの特集要請に応えて急遽駆けつけたアーティストたちだという。

  皆それぞれの持ち歌を一所懸命に歌っていたが、やはり皆、ライブで訪れたことのある地が大震災で跡形もなくなっているだけに沈痛な表情に終始していたなあ。
  でも皆の励ましの気持はきっと被災者に届いていると思う。

  このアーティストのなかに加藤ミリヤさんがいたことは嬉しかった。
加藤ミリヤさんが贈った応援ソングは、2007年にリリースした「LOVE is…」だった。この曲を選んだ理由は、この曲にすごく勇気付けられたといったファンがいたからだという。
  そして、この日のために歌詞の一部分を作り変えた、とも言っていた。

  加藤ミリヤさんならではの選曲だと思い聴いていて、ああ、後半部分が変わっていると思った。
  「何があっても 手を繋ぎ私たちは生きてゆこう」、そうありたい。
きっと加藤ミリヤさんの励ましのこの応援ソングも被災者の心に届いていると思う。

 「・・・I am here with you どうかbaby piease…永遠に続く愛の証を約束しよう 夜明けを待っていよう 愛をもっと if you
make a promise baby yeah yeah yeah…LOVE is…this 
何があっても 手を繋ぎ私たちは生きてゆこう 悲しいことがあっても
Trust you baby ずっと あなたのこと信じてるよ


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2011年03月25日

永田洋子の獄中死(瀬戸内寂聴さんの記事を読んで)

  「婦人公論3/22号」に瀬戸内寂聴さんが緊急インタビューという形で、誰もがあまり触りたくない永田洋子(ひろこ)の獄中死について述べられていた。

  瀬戸内寂聴さんには、「愛と命の淵に 瀬戸内寂聴・永田洋子往復書簡」(福武書店、1987年)という著書があるように、永田洋子と交流があったからだろう。

  インタビューの見出しは、「誰もが非難するあなたを放っておけなかった理由」だったが、複雑な思いで全文を読んだ。

  先2月5日東京拘置所で病死(多臓器不全)した永田洋子(65歳)に対して、瀬戸内寂聴さんは、「死刑でなく、せめてでも病死してくれてよかったと、ホッとしました」とコメントしてあった。

  ふと、現在、東北地方太平洋沖大地震(大津波)で九死に一生を得て避難した複数の老人が、疲労と寒さに耐え切れず死亡したというニュースを目にしたとき、状況がまったく違い比較できることではないが、永田洋子らが極寒の棒名山等で若い仲間を凍死させた事件と、寒さと死という面では共通性を感じた。
  人は、防寒ができなければ生きて行くことはできないものなのだ。一刻も早い防寒救済を望む。

  永田洋子は、拘置所内で毎年大晦日から2月の間、決まって体調を壊し苦しんでいたというが、それは、71年大晦日から翌年2月の極寒の時期にかけて、総括という名のもとに群馬県棒名山中で連合赤軍の仲間12人を殺害し、印旛沼近辺で2人を殺害した報いを受けていたものだろう。

  瀬戸内寂聴さんは、永田洋子がその時期に体調を壊したのは、当初、脳腫瘍のせいというよりは「心因性のものだと思っていました」と述べられ、「2月5日に亡くなったと知って、ああやっぱりと思いましたね」と言われている。

  永田洋子は、亡くなる頃には寝たきりで、誰が誰かの判別もできないような病状になっていたというが、40年の獄中生活を経て、同じ時期に自分が殺した仲間たちの霊に引っ張っていかれたのかもしれない。

  また、瀬戸内寂聴さんは、「彼女の体は自分が殺害した14人の仲間たちのことをはっきり覚えていた」とも述べておられたが、毎年、殺害した時期になると、自分が殺害した仲間の亡霊に苦しめられていたからではなかったのか。

  当時、もともと、こんな事件を起こすような人ではなかったであろう永田洋子が、このような事件を起こすような状況に追い込まれていった背景には、何かがあったのかも知れない、つまり、霊的には何か得体の知れない怨霊、悪因縁に引きずられていったのかもしれない。
  冷静になったとき、随分と反省したのだろうが、起こしてしまったことは戻すことができない。

  連合赤軍の残党は、この後、あさま山荘事件を起こし、世間から完全に見放された。同時に日本から若者たちの過激な反政府的運動は衰退していった。
  そして、今日、憎悪の対象にでもなれるような大宰相は現れず、また若者たちの政府批判的エネルギーもない時代が訪れた。本当に国難に対処できる時代になったのだろうか。

  霊界に旅立った人のことを悪く言うことはできない。故永田洋子と彼女にかかわった人たちの霊魂がすべて極楽往生することを祈念して追悼する。南無阿弥陀仏。

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2011年03月23日

「婦人公論3/22号」(表紙の私・戸田菜穂)を読んだ

22婦人公論表紙篠山紀信撮影  雑誌「婦人公論3/22号」が発売(3/7)されたとき、戸田菜穂さんの表紙写真を観て、戸田菜穂さんのファンとして迷わず買っていた。

  しかし、直後の東日本(東北関東)大震災発生(3/11)で、なぜか読む機会を失し、最近になってやっと読んだ。

  戸田菜穂さん(36歳)は、昨年(H22)10月に結婚して以後、すごい愛妻振りを発揮されているようで、この雑誌のなかにも、ダンナさんをほめる言葉がたくさん並んでいた。
  特に何事においても、医師であるダンナが言う「大丈夫だよ」という言葉にはすごい説得力があり安堵するようなことも書かれていた。

  近著「恋俳句レッスン」で、「戸田菜穂、恋俳句に挑む」の章のなかに並んでいる俳句は、ほとんど婚約中だった彼のことを詠んだものだという。
  確かに、この本を、発売されてすぐに購入して読んだが、彼のことを詠んだ俳句ではないかとは思っていた。
  そして、今も戸田菜穂さんは、この本にあるような恋心で新婚生活が続いているようで、幸せそう。女優業は続け、これからの自分の変化を楽しみたいらしい。

  今度は、大震災の被災地で苦闘を続けている被災者の皆様の励みになるような俳句ができたら良いですね。

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2011年03月22日

彼岸のおはぎ(呼び名)

  昨日は、春のお彼岸の中日だった。朝、和菓子店(製造販売)の開店時間に合わせて、「おはぎ」を買いに行ったが、もうその購入者の行列が出来ていた。

  店の入口には、「今日はお彼岸のお中日です。おはぎ有ります。」と書いた張り紙がしてあり、お彼岸の中日に、今も仏壇に「おはぎ」をあげて供養される人たちが多いのだなと思うと、何か微笑ましい風景を見たかのようでもあった。

  「おはぎ」のあずき餡は傷みやすいので、1時間ほど仏壇に上げた後、家族で頂いたが、その間に、家族全員で勤行した。

  ところで、「おはぎ」と書いたが、今は、春のお彼岸なので「ぼたもち」と言うのが正しいのかもしれない。
  でも、今は、上記和菓子店にも「おはぎ」と書いてあったように、年中「おはぎ」というのが一般的になっているようだ。

  因みに、この「おはぎ」の呼び名は、春が「ぼたもち(牡丹餅)」…実は炭鉱のボタ山を想像したりしていたことがあったが…で、秋は「おはぎ(御萩)」である。あずきの形を季節の花になぞらえたものらしい。

  ところで、夏は「つきしらず(搗・着き知らず)」…「よぶね(夜船)」だっか、、冬は「よつき(夜月)」…「きたまど(北窓)」だっかな。
  普通の餅は、搗くときに音がするが、ぼた餅は音がしないので「搗き知らず」と言っていたものが、いつしか搗が着、月に転訛し、「夜船」はいつ着いたか分からない、冬の「夜月」は「北窓」から見えないなとど飛躍した言葉遊びになったものらしい。

  それにしても「おはぎ」は、季節ごとに呼び名が変わっていたというのだから、なかなか風流だ。

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2011年03月21日

石油入荷規制(SSは日曜休業)

  近くのガソリンスタンドで、車のガソリンを入れに行ったとき、一枚のチラシをもらった。
  標題に「東北地方太平洋沖地震にともなう給油所日曜日営業の休業について」とあり、「…石油類の入荷が規制され、平常どおり入荷することが困難になって…、被災地優先の観点から…日曜営業を休業…」と書いてあった。

  また、いつも灯油を配達してくれる灯油屋さんも、「大地震の影響で、平常どおりの入荷が難しいので、当分の間、一見のお客さんはお断りしようと思っています」と言っていた。

  石油関連で、こんな話を聞いただけでも、大地震、大津波、福島第1原発などの被害地の並々ならぬ窮状、死闘の状況をうかがい知ることができる。
  石油ショックの頃を思い出したが、この大地震等の影響は単に石油関連のみに留まるものではなく、今後の日本経済全体に影響を及ぼして行くことを覚悟しておかねばならない。

  先日、個人義援金を銀行窓口で振り込んだが、その後も所属している各種団体から義援金募集(1口1万円以上)のお願いが届き、そのつど協力している。心でつなぐ善意の輪が広がることを願う。


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2011年03月20日

追悼護摩供を行った

  昨日、「彼岸の間に(東日本大震災で亡くなった人たちの)追悼護摩を焚くことにした」と書いたが、同夜、追悼護摩を焚いた。

  先ずは午前中に彼岸の墓参をしてからと思っていたが、朝から下痢症状が続き、墓参は昼過ぎからとなった。下痢の原因は何なのかと、いろいろ考えてみたが、思い当たる節がなかった。

  折りしもこの日、総本山金峯山寺から「修験道・大峯奥駈修行DVD」が届き、そのパッケージを観ていたら大峯山峰入り修行を行ったときの気力が甦ってきて、下痢症状も治まっていたので、追悼護摩はこの夜に行うべきだと思った。

  夜、先ず香炉で線香と抹香による先祖の彼岸供養と六道回向を行った後で護摩を焚いた。
  当初、六道六観音の名号(天道・如意輪観音、人道・不空羂索観音、修羅道・十一面観音、畜生道・馬頭観音、餓鬼道・千手観音、地獄道・聖観音)を唱えたが、すぐに不動明王御真言に変わり、最後は般若心経、念仏で締めくくった。

  恐らく、何が起きたか分からないままに大震災・大津波等の犠牲になり逝った人たちが多いだろうと思うとすごく痛ましいが、この人たちの魂が中有(ちゅうう)で彷徨うことなく成仏されることを願った。

  高く燃え上がる護摩の炎の勢いが相当強かったが、心身は快調だった。このとき、朝の下痢症状は、この多くの被災死者の追悼かつ成仏護摩供を心身ともに苦しまずにスムーズに行えるようにするために、神仏が私の身体を中から洗い流し清浄にされていたのではないのかと感じた。

  (付記)一時期、上記人道で准胝観音の名号、御真言を唱えていたことを思い出したが、今はまったく唱えていない。

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