2011年04月

2011年04月30日

壱岐島にて(1)

9男岳6展望  ※左の画像は、壱岐島男岳展望台からの眺望(平野部が見えない)。

  壱岐島(長崎県)に、地元の人たちの招待で行ってきた(一泊)。
  地元のHさん運転の軽自動車に乗り、駆け足で島をほぼ一周した。

  壱岐島は、最高峰の岳の辻でも標高は213mしかなく、長崎県下第2の平野もあるなだらかな台地の広がる島であるというが、車で走っていて感じたことは、とにかく曲がりくねった坂道、山道が多く、これでなだらかというのだろうかと思うほどだった。
  特に幹線道路を外れ脇道に入ると道幅が狭くなり、離合できないところや、急斜面になるところも多かった。
  Hさんは、地元の人だけに、それらの道を迷うことなくスピードを上げて通り抜けられたが、不安はなかった。
  なお、信号機は、幹線道路でも少なく、脇道にはまったくなかった。その脇道の交差点をウインカーを出さずにスピードを上げて走り抜ける車に出合ったこともあった。

  一般の壱岐観光コース以外で行きたいところはないかと聞かれたので、すかさず忍見宿禰(おしみのすくね)に係る神道発祥地という月読神社を挙げた。(月読神社参拝後、係わりのあると思われる箱崎八幡宮と男岳神社を追加)、また、神功皇后の新羅侵攻に係りのあるという天手長男(あまのたながお)神社、聖母宮(しょうもぐう)。さらに式内社の一つ兵主(ひょうず)神社、本宮八幡神社などを挙げた。

  要するに神社ばかりだったが、因みに壱岐島は神の島といわれるほど神社が多く、その数は神社庁登録150社のほか未登録150社以上、うち式内社24座(/全国3132座)の記録があるそうだ。

  Hさんには大変な負担をかけてしまったが、かなりのスピードで、壱岐市立一支国博物館や古墳群などの観光コースを含めて上記希望地をすべて回っていただいた。感謝、感謝だった。(つづく)

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2011年04月29日

鉢植えシンピジウムがほぼ満開

30シンピジウム  現在、当家で、鉢植えのシンピジウムは、3鉢残っている。

  そのうちの1鉢で、シンピジウムの花が、ほぼ満開になった。
(※左の画像)。


  極寒の時期に、何を勘違いしたのだろうと思ったほどに早々と5本の茎が伸びて蕾をつけ、冬を越した。その蕾が、ほぼ開花した。

  今年の天候不順、寒暖の激しさに振り回されっぱなしで、シンピジウムを育てるのに、こんなに神経を使った年はなかった。
  日々、昼夜の気候、気温等をみながら、陽にあてたり、玄関に取り込んだり、かなり気をかけていただけに、今は何もしなくて良いのでホットとしているところ。

  なお、ほかの1鉢は、つい寒気に当ててしまって、蕾のうちに枯らしてしまい、かわいそうなことをした。残りの1鉢は芽が出なかった。

  それにしても、今年の気象は、やはりおかしい。これからも何が起きるか分からない。そのときの対策については、当家は無為無策。
  だが、国も無為無策のようだ。

  話は飛躍する…今、大震災対策は、船頭多くて船動かずというが、それは、一人で死ぬ気で船を動かすことのできる本当の船頭(プレジゼント)がいないからではないのか。自分で船を動かすことのできないプレジゼントであっても、それを取り換える仕組みがない。
  この国の船が、どのような航路を描いて進もうとしているのかも、何も見えてこない。ホッとできない話。

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2011年04月28日

白色チューリップ〜大震災四十九日慰霊

27白チューリップ  今年は、妙にチューリップの開花時期が長かった。
  例年だと、この頃には、チューリップの花は咲き終わっているのだが、今日、最後の花が咲いた。
  それが白い花だったので、つい何か供養ごとでもあるのだろうかと思ったりもした。

  部屋に戻りテレビを観ていると、東日本大震災での大津波に襲われて死亡した大川小学校(石巻市)の児童、教職員らの合同慰霊祭の様子が映し出された。
  何とも痛ましい四十九日法要だった。

  そうだったのか、今日は、震災日から数えて四十九日だったのか。
  そう思うと、この白いチューリップが被災死亡者を悼む慰霊の花のようにも思えてきた。
  急いで庭に戻り、白いチューリップの前でしゃがんで合掌、多くの被災死亡者慰霊の祈りを捧げた。
  欣求浄土、南無阿弥陀仏…。


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2011年04月27日

PRAY FOR JAPAN 「アイのうた〜東日本大震災チャリティ・アルバム」

  昨日、レディー・ガガさんが自らデザインしたリストバンド「WE PRAY FOR JAPAN 日本の為に祈りを」を販売、その利益を東日本大震災支援金として寄付したという記事を書いた。

  では、日本では…。
  昨夜の「流派-R」を観て、同被災地支援に向かって総勢79組のアーチストが立ち上がり、邦楽コンピレーション・アルバム「アイのうた〜東日本大震災チャリティ・アルバム」を期間限定で配信していることを知った。
  つまり、このアルバムの売上金を義援金として、日本赤十字社を通して被災地に寄付するという。

  なお、「流派-R」では、「がんばれ!日本! 邦楽79組からの音楽エール」として、このアルバムに収録しているAIさん(story)ET-KINGさん(晴レルヤ)青山テルマさん(守りたいもの)Hilcrhymeさん(大丈夫)を紹介。

  これ以外の参加者も、すべてユニバーサル・ミュージック所属アーチストで、DJ MAYUMI(Let It Go)導楽(Shining Star)、徳永英明(夢を信じて)、DREAMS COME TRUE(何度でも)、FILLMORE(AZIAN LUV feat. JOYSTICKK, CIMBA)MUNEHIRO(ヒノマルパワー〜君の力〜)ほかを収録。()内は収録曲。
  「iTunes Store」、「mora」、「mora win」などで、2011.4.2~9.3まで期間限定配信、価格3,000円(税込)。

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2011年04月26日

レディー・ガガさん来日か(東日本大震災支援)

レディ・ガガ  米国の歌手のなかで、一早く東日本大震災支援の行動を起こしたのが女性歌手のレディー・ガガ(LADY GAGA)さんだったという。それを知ったのは、流派-R(2011.4.19TVQ)の放送を観てのことだった。
  レディー・ガガさんは、「WE PRAY FOR JAPAN 日本の為に祈りを」と書いたリストバンドを自らデザインして販売、その利益を寄付したという。

  肉体の露出度の多い衣装(ほとんど裸)と奇抜なメイクで踊りながら歌うレディー・ガガさんのイメージからは想像もできなかったことだけにビックリすると同時に、その思いやりの気持の素晴らしさに感動したりしたものだった。

  レディー・ガガさんが、歌の世界で不動の地位を確固たるものにしている背景には、セクシーさや奇抜さだけではなく、こういった人を思いやる心があり、それが歌に反映していたからなのだろうと改めて思った。本当に人は見かけだけで判断してはいけないものだ。

  昨日(4/22)の「ネタりか」に、「レディー・ガガの被災地慰問の前に立ちはだかる、重大な問題とは」という記事が掲載されていた。
  それによると、表向きは6/25に行われるMTVの被災地支援イベント出演だが、実は次のような計画が練られているという。

  6月下旬頃からレディー・ガガさんが「岩手県や宮城県の被災地を回り、その様子をビデオカメラに収めて、世界にリアルタイムで発信していく計画」で、「MTVの視聴者は全世界で6億人を超える」ので、これにより6億人の目が被災地に向くと、その効果は計り知れないだろうというのである。

  実にありがたいことだが、重大な問題とは、やはりレディー・ガガさんの「露出度の高い衣装とミステリアスなメーク」、避難所にいる年配の方たちは彼女のことを知らない人たちが多いと思われるので、「避難所にその格好で行かれては『不謹慎だ!』ということにもなりかねない」のではという。

  年配者には、レディー・ガガさんの露出度の高い生肉ドレスの類は刺激が強すぎるのかなあ。でも、被災地の皆さんが元気になってもらえるのだったら、多少、刺激が強すぎても良いような気もしないでもないのだが。

  それにしても、このチャリティーを提案されたとき、レディー・ガガさんは、「ファンのみんな一人一人にも支援してもらいたくて、その方法を示すために私がいる」と二つ返事で承諾したというのだから、被災者の人たちも、きっとその気持に感謝し、何かあっても『不謹慎だ!』ということにはならないのではないかと思う。

  これまで、レディー・ガガさんといえば、セクシーさにばかり気を取られて気付かなかったが、こんなにも日本の大震災被災者支援に熱心な女性歌手であったということを改めて知り、彼女を観る目が違った。感激している。

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2011年04月25日

八女の黒木の大藤/(付記:須恵町大日堂の小藤)

  「八女市黒木町の素盞鳴神社にある国指定天然記念物黒木の大藤の開花」の始まりを紹介する記事を観た(毎日新聞福岡地域版)。
  これまでに数回、この黒木の大藤を観に行ったことがあるが、確かに淡い紫色のカーテン模様を観ているようで見事なものだった。
(黒木瞳さんのように美しい)。

  福岡県内には武蔵寺(筑紫野市)、上高場大神宮(筑前市)、吉祥寺(八幡西区)ほか、多くの大藤の名所があり、この季節になると、藤の花の美しさに惹かれて、これらをよく巡ったものだ。
  そして、その老木の太い幹から発散されるパワーも享受した。

  小さな藤棚だったらいたるところで見かけるが、見かけたときは同じように足を止めていた。
  これらの小さな藤棚が大藤と言われ多くの花の房を垂れ下げるまで成長するには相当の年月を要するものだろう。
  そして、成長した大藤の花を愛でるのは次の世代の人たちだろうと思いつつ、その樹の前でゆっくりと成長していく藤の木の息の長さにしばし感嘆する。

甲植木大日堂藤棚八重桜   先の須惠町ウォーキング参加中に乙植木大日堂境内で小さな藤棚をみかけたことを思い出して行ってみた。

  藤の花の数は少ないものの、30センチくらいの花の房が垂れ下がっていたので、それだけでも満足した。

  藤棚の横で咲いている八重桜は満開を過ぎ、もう白っぽく色あせて散花中だった。
  また、大日堂の施錠中の扉の格子から中を覗くと、大日如来座像(真鍮)と阿弥陀如来像(石仏/五十七番とある)、板札(合屋氏ら世話人8名)が安置してあった。
  (※なお、須惠町(須恵町)では観音谷大日堂の木像大日如来坐像が有名で、乙植木大日堂をそのミニ版と考えることができれば、天台系修験を含め天台宗建正寺信仰圏の存在の一つとして捉えることができるのだがと思った)。

  乙植木大日堂境内には、一つの根元から2本に分かれて伸びた樟ほか枯れかけて剪定された数本の古木があり、かつては杜をなしていた様子が伺え、あるいはここは旧本合(もったい又はもたい)村の産神鎮座地であったのかもしれないと思った。
  ここは、JR香椎線の線路沿いの田畑のなか(現在、一戸隣接)にあるので、運行中の列車内からも見える(JR須恵駅から徒歩10分、駐車不可)。  

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2011年04月24日

微笑みがえし…田中好子さん

candies微笑みがえし  今、キャンディーズのCDを求める人たちが殺到しているとのこと。
  ファンってありがたいね。

  You Tubeを開いたら、4/19に投稿された「微笑みがえし」があった。

  田中好子さん(スーちゃん)が亡くなったのは、4/21の夕方だったので、投稿は、その2日前、すごいタイミングだなあと思った。

  キャンディーズが引退した(1978.4.4)頃に、「夜のヒットスタジオ」で放送されたものだと思うが、この映像を観ていて、田中好子さんって、若いときと容姿がちっとも変わっていないように思えた。やはり素敵な人だった。

  そして、「何年たっても・・・」、「青春の思い出そのまま・・・」に、それぞれの人生を歩いて行こうと歌った歌は悲しくてもイキイキしていて…、今でも立派に通用するよね。

  「春一番が掃除した」とお別れの歌を歌い、キャンディーズを引退したのと同じ4月に逝ってしまった田中好子さんに、ファンは、「お別れなんですね」と言って送るのでしょうね。
  この歌に励まされて青春を謳歌し、それぞれの生き方ができた人たちの微笑みが、逝った田中好子さんへの「お祝いがえし」なのかもしれませんね。

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2011年04月23日

さようなら、田中好子さん

candies画像  昨日、田中好子さんが亡くなったとのニュースをみた。
  笑顔の愛くるしい人だったので、何かしら近親感を覚える女優さんだった。
  かつてのキャンディーズファンにとっても、スーちゃんを失ったことは、大変悲しいことだろう。

  元キャンディーズ三人の交友は今でも続いていたというので、本当に一人欠けると気落ちするよね。
  死は、いつか訪れることで、絶対に避けることはできないことだが、それが早く訪れると、どうしても「どうしてなの?」と思いたくなる。

  東日本大震災で多くの子どもたちや若い人たちも命を落とし、最近では、クレーン車が通学児童の列に突っ込み、多数の児童が死んだというニュースを聞いた。生きていれば、これからまだどんな可能性だって期待できたものにと、暗い気持になっていた。
  そんなときに舞い込んだ田中好子さん死亡のニュースだった。

  田中好子さんは、55歳だったという。30代から病気と闘いながら、あんなにも明るい笑顔をふりまいて、多くの人たちに感動を与え続けてきた人だった。それだけに、やはり残念。
  私たちも、少しでも田中好子さんのように、周りの人たちに喜びを与えるような生き方をしたいものだ。
  ご冥福を祈ります。


※話は違うが、昨日、ライブドアブログ投稿画面が変更され、その操作に苦労している。基本画面の変更には戸惑う。今、この変更に使用者の苦情が殺到中という。だろうな。

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2011年04月22日

SONGS松任谷由実「(みんなの)春よ、来い」

4  一昨日(4/20)、放送予定直前に起きた東日本大震災(3/11)で放送中止となっていた「SONGS松任谷由実」(NHK)が放送された。

  しかし、冒頭で、松任谷由実(ユーミン)さんが、「今夜は、復興への祈りを込めて私の歌を皆さんにお届けしたい」と言われたので、多分、東日本大震災発生後に急遽撮りなおされたものではないかと思う。

  さらに、松任谷由実さんは、何か自分でできることはないかと思い、初めてのチャリティを行うことを決め、代表曲「 春よ、来い」を日本中の皆と歌い皆で元気になりたいと考えたという。

  もともと、この「春よ、来い」は、同名のNHK連続テレビ小説(平成6年10月〜翌年9月)の主題歌として作られたものだったが、その放送中に阪神淡路大震災(平成7年1月17日)が起きた。

  ドラマ「春よ、来い」は、主演の安田成美さんが中途で降板し中田喜子さんに代わるなどの混乱もあり、視聴率は低迷したままだったのと裏腹に、松任谷由実さんが歌った主題歌「春よ、来い」はヒットした。

  そして、阪神淡路大震災当時、被災者の人たちが最も励まされた歌となり(※平成23年1月16日、神戸新聞アンケート調査結果)、現在に歌い継がれ感動を与え続けている。
  だから、松任谷由実さんは、この歌を皆で歌って、東日本大震災被害地の復興にも役立てたいと考えられたのではないかと思う。

  そこで、松任谷由実さんは、松任谷正隆さんとNHK・SONGSと一緒に、NHK東日本大震災チャリティ企画 ユーミン×SONGS「みんなの春よ、来い」プロジェクト…「春よ、来い」をみんなで歌おうをプロデュースした。(※詳細は番組HP=http://www.nhk.or.jp/songs/yuming/index.html参照)

  松任谷由実さんは、この企画に応募した人たちの思いを込めた「春よ、来い」の歌声を、新しい「 (みんなの)春よ、来い」としてインターネットで配信し、その収益を全額被災地に寄付したいと考えておられる。
  そして、「この取り組みは、歌声の千羽鶴」だと言われ、この日の「SONGS」では、これまでに集められた歌声を集めて編集放送された。そのなかには安田成美さんもいた。多くの人たちの「春よ、来い、早く、来い」の歌声に込めた鎮魂と復興への祈りが心に響くようだった。

  このほか、番組内で、大ヒットした多くの人たちのいろんな想いを込めて作ったという「 守ってあげたい」や、人生は思い通りには行かないことも多いが、大切な人と寄り添いながら前を向いて歩いて行きたいという想いを綴ったという「 ダンスのように抱き寄せたい」(※映画「RAILWAYS」主題歌)、それに、親から子へ受け継がれて行く命のつながりを描きたいと想って作ったという「 バトンリレー」(※第一生命グループソング)が披露された。
  後の2曲は、先日発売、購入したアルバム「Road Show 2011」に収録されている。

  なお、NHK総合・「SONGS松任谷由実」は、2011.4.26(火) の
25:00-25:29(=27日(水)午前1:00〜1:29)=※九州ブロックは、26:00〜26:29に再放送されるようだ。

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2011年04月21日

豊山神社(福津市)は旧豊前坊社だったのか(2)

(前回の続き)
  豊山神社は、享保元年(1716)英彦山から勧請されたというが、その勧請年の根拠は知らない。
  また、豊山神社の祭神は、保食神、加具槌神だというので、英彦山神社(英彦山神宮)と4摂社、11末社及び高住神社(旧摂社豊前坊社)等の祭神を調べてみたが、同上神を祭る神社はなかった。

  因みに英彦山神社の主祭神は、天忍骨尊(天忍穂耳尊)と伊佐奈伎尊、伊佐奈美尊(修験時代の彦山権現=三所権現)で、高住神社(旧摂社豊前坊社)の祭神は、天照大御神、豊日別命、「天火明命(あめのほあかりのこみこと)」、「火須勢理命(ほすせりのみこと)」、少彦名命(すくなびこなのみこと)の五柱である。

  ただ、高住神社(豊前坊社)の神は、農耕神(五穀豊穣、牛馬蕃息)、防火鎮火などの神とも言われており、豊山神社(豊前坊社)が高住神社(豊前坊社)の神を勧請したのではないかと考えた場合、農耕神として勧請した神がいつしか保食神、防火鎮火神が加具槌神となったと考えられなくもない。

  以下の記述は、あくまでも、そのように考えての私見(推測)である。
  ここで保食神と置き換えられた神ではないのだろうかとして注目できるとしたら「天火明命」のである。
  保食神については、以前、本ブログで、大歳神社の祭神として祭られている保食神は、実際は大歳神(皇祖神・饒速日尊)ではないのかと思っていると書いてきたが、そのように考えると、天火明命とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと/先代旧事本紀))、つまり大歳神(皇祖神・饒速日尊)だからだ。
  (※2009.12.21「水仙の花が出迎え(大歳神社)」、
  2009.6.21「八所宮参拝記(10)/大歳宮の石祠」参照)。

  加具槌神は、火之加具槌神と言われるように火の神で、同じく火の神とも称される「火須勢理命」(古事記に登場神)と置き換えられたとは考えられないだろうか。

  なお、加具槌神は、伊佐奈美尊(伊弉册命)が最後に生んだ火神で、その母伊佐奈美尊を死に追いやり、父伊佐奈伎尊(伊弉册命)から十拳剣で殺される。
  火須勢理命は、木花開耶姫が、燃え盛る火のなかで生んだ三神の第二子 (一子火照命、三子火遠理命)で、父は瓊々杵尊であり、加具槌神とは同一神ではない。(おわり)

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