2012年12月

2012年12月31日

コロッケさんの「あおいくま」

コロッケさん 今年の星の運勢は「大凶」と出ていたが、一年を振り返って見ると、「やはり」と思い浮かぶことがある。
  たとえば、頚椎症足底筋膜炎等の激痛で肉体的に苦しんだことや、ある人たちに裏切られ精神的に落ち込んだことなど。

  いずれも命に係わるようなことではないけど、でも、どんなときにも支えてくれ、励まし、アドバイスをしてくれた人たちもいた。その面ではありがたい感謝の年であったのかもしれない。
  
  ところで、物まね芸人のコロッケさん(※画像)が、「つらいときや苦しいときには必ず、母から言われた[あおいくま]を口にすると乗り越えられる」と言っていたことを思い出して、私も、それを口にしたら、気持ちの上で救われたことがあった。

  因みにコロッケさんの「あおいくま」とは、次の言葉の頭文字を並べたもの。
       …焦るな
       …怒るな
       …威張るな
        …くさるな
       …負けるな

  どんなときにも、何があっても焦らない、まず、これができれば、ものごとを好転させる力がわいてきそう。
  本当に「あおいくま」は、心を支えてくれる教えだと思う。合掌。


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2012年12月30日

「未来の党」→「生活の党」継承は必然

  「未来はや分裂・国民への詐欺的行為だ」…これは、昨日(2012.12.29)の毎日新聞「社説」の見出しだが、とてもいただけない。

  内容は、(日本)「未来の党」が衆院選挙で大敗し、小沢氏が党首嘉田氏を追い出して分党し交付金だけ手にするのは詐欺的行為だとして、小沢氏批判をしていることだった。

  私は、あまり、こんな強烈な言葉を使って個人攻撃をすることは好きではない。

  選挙前に急遽結党した「未来の党」に小沢氏ら「国民の生活が第一」が合流して選挙戦を戦ったが大敗した。
  この時点で、嘉田氏は早々に大敗の責任をとって党首を辞任して、滋賀県知事の方に専念する道を選ぶべきだったと思う。

  それをせずに、自分と親しい阿部知子氏を共同代表に据えて小沢氏を押さえ込もうと画策すれば、小沢氏グループが反発するのは当然のことで、これを以って小沢氏批判をすることは筋違いだと思う。

  「要するに嘉田氏はお飾りに過ぎず、実態は小沢党だった…」と記してあったが、こんなことは最初から分かっていたことで、選挙民の誰もが承知していたことだと思う。
  嘉田氏を担いで勝ったのならともかく、大敗したのだから、嘉田氏は選挙の顔にもならなかったということで、選挙が終わればお引取願う、こんなことは社会ではよくあることで批判されることでもない。
  亀井静香氏が早々に離党したことでも分かるように、選挙後、嘉田氏の役割は終わっているのである。

  「卒原発を掲げた嘉田氏が代表だから投票した人もいるだろう…小沢氏らにとって卒原発の訴えも…単なる道具だったのではないか」と書いてあった。
  無論、嘉田氏が代表だから未来の党に投票したという人もいただろうが、名の知れぬ嘉田氏が代表だから負けたのも事実である。
  多くはバックに小沢氏がいるからと思って投票した人たちの方が多かったのではないか、また、小沢氏がバックに隠れたから負けたと思っている人たちもいる。

  「卒原発」だが、選挙前に唐突にこんなよく分からないことを言い出したから投票数が伸びなかったのではないのか。
  自民党が大勝した背景には、多くの国民が原発稼動を期待しているということで、「卒原発」(脱原発を含む)は、あまり受け入れられなかったということではないのだろうか。
  
  小沢氏が何度も政党を作っては壊したことに対しても「政党は自らの権力闘争の道具であっていいはずがない」として批判してあったが、所詮、政治とは権力闘争の具であると思っているものにとっては、それが何故いけないのか分からない。

  「未来の敗北は有権者の多くがとっくにそれに愛想を尽かしている証明である」として締めくくってあったが、敗北したのは、小沢氏が表に出なかった嘉田氏の未来の党ではなかったのか。
  嘉田氏もまた権力に執着して、自分の取るべき行動を見誤ってしまったのではないのか。

  小沢氏らが、早々に「生活の党」に衣替えして交付金を手にする道を採ったことは至極当然のことで、賢明なことだ。
  きっと小沢氏らが民主党を出たとき、もたもたしていて時期を逸し交付金を受取ることができなかった反省もあってのことだと思う。

  今、少数政党になった小沢氏らを批判しても、何の得もなく、今後の出方を見守っておけばよいことだと思っている。

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2012年12月29日

椎ヶ元観音の由緒(8)〜観音像修復(福津市)

820椎ヶ元観音寄付者2012_10_08前回「椎ヶ元観音の由緒(7)〜「椎ヶ元の名称由来」(福津市大石)からつづく。

  椎ヶ元観音堂の外壁面に、「平成六年四十三回椎ヶ元観音開扉寄付者名簿」が掲示してある。

  1993年(平成5年)に地元大石の人たちが、老朽化で損傷の激しかった秘仏本尊観音像(木像・立像)を修復し、末永く維持して行くために浄財を募り、それに応じた人たちである。

  大石区の世帯数は24世帯と聞いたが、名簿を見る限りでは、その世帯数から想像される人数を遥かに超えているので、大石地区以外の人たちも寄附を寄せられたのだろう。

  それだけ多く椎ヶ元観音を信奉する人たちがおられるということで、きっと現世利益をもたらしてくれる慈悲が深い観音様なのだろう。
  さらに寄せられた寄附額は2千万円近くあり、これらの寄附が集まった背景には、観音様自身の蔭の働きがあったことはいうまでもなかろう。

  この費用で整備された内容は、前述(1)に記した円筒「記念碑」によると、「平成六年(1994)四十三回御開扉(椎ヶ元観世音御本尊修復、厨子改装、トイレ新設、裏参道拡張舗装、専用駐車場設置、藤棚階段取付)」とある。

  観音像の修復は、奈良文化財技術協会が行い、痛みが激しくその尊顔からは、聖(正)観音か十一面観音かの判断ができななったそうだが、観音像の造作時期については、美術工芸調査で平安中期と分かったらしい。

  私は、この観音像を実際に(写真でも)観たことがないので、その作像時期の判断のしようがないが、平安中期というからには、肉付きのある柔らかい容姿の上に翻波式(ほんぱしき)の繊細で流暢な衣文が施されているのかもしれない。

  奈良時代後期以降、一木造りの仏像は、柔らかい材質の榧(かや)で造られることが多いが、「椎ヶ元観音案内板」には「桧一木造り」と記してある。いずれにしろ一木造りの仏像であり、衣文の彫り方次第では、奈良時代後期にまで溯る可能性もあると思う。

  1994年(平成6年)4月10日に秘仏本尊観音像修復成就を祝う御開帳法要が宝蓮寺(奴山)導師によりが執行されたという。
  次の御開帳は、その33年後、ということは2027年か。多くの人たちがその恵を得ることを願いたい。

 ※つづく→「椎ヶ元観音境内の庚申塔など(福津市大石)」。

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2012年12月28日

リングワンダリング(輪形彷徨)・祈祷院院主の思い出

  毎日新聞の「余禄」(2012.12.27)に「安倍晋三首相指名の光景」は、いつかみたリングワンダリング(輪形彷徨)かというような評がされていた。
  リングワンダリングについては、今昔物語の「迷わし神に憑かれた男が長岡京の廃都をさまよい歩く話」を例にして、「迷って同じ場所に戻ってくる現象を、登山用語でリングワンダリング(輪形彷徨)と呼ぶ。
  人間の利き足による歩行の偏りで、真っすぐ歩いているつもりが円を描くのだ」と説明してあった。

  この記事を読んでいて、ふと祈祷院(八女市)の前住職(故中野晃道師)から聞いた話を思い出した。

  「修験修行の行脚中に、この寺(当時無住寺)に迷い込み、ここで寝起きするうちに、ここは死者の魂が霊界に吸い込まれていく寺だと感じ、怖くなって、夜逃げするように逃げ出した。
  夜通し歩いて、もうここまでくれば大丈夫と思い、ある家の軒下で仮眠した。
  ところが、朝、目が覚めると、ある家と思っていたのは、何とこの寺のお堂で、逃げ出したつもりが舞い戻っていたのだった。
  これに懲りず、その後、何度も逃げ出したが、毎回同じことを繰り返し、とうとう逃げ切れないと悟り、この寺の住職になった。」
  この話、利き足によるリングワンダリングだと論じてよいのだろうか。

  例えば、車を運転中に道に迷い、うろうろしたとき、同じ道を何度も通っていることがある。これは利き足とは言い難い。

  こんな例を考えていると、安倍晋三首相の復帰劇にしても、利き足だけではどうも説明できない必然的リングワンダリングがあるのではないかとも思えてならない。


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2012年12月23日

パク・ソルミさん(11)~ 「キム・マンドク」放送終わる

パク・ソルミさん(マンドムでオ・ムンソン)  今年8月、 李明博が竹島に上陸し、日韓対立と騒がれたが、日本のテレビから韓流が消えたわけでもなく、今はまた対立緩和への施策が動き出している。とかく政治というものは、何がどうなるのか分からない。

  というわけで、パク・ソルミさんが出演していた「キム・マンドク〜美しき伝説の商人〜」(BS-TBS)も、放送中止にはならなかったので、ずっと観ていた。そして、先週(12/12)、やっと30回の長いドラマが終わった。
  パク・ソルミさんが演じたオ・ムンソンは、主役のキム・マンドム(イ・ミヨンさん)を引き立てる、大変な悪女役だった。
  物慾にかられてどこまで悪知恵を働かせてマンドムを苦しめるのかと、はらはらして観ていたが、最後は、多くの人々を怒らせてどんどん追い詰められていって没落する。

  オ・ムンソンは、真からの悪女ではなかったのだろうが、どこかで方向が間違ったのだろう。
  罪なき人たちを苦しめるのは、人としてしてはいけないことだけど、最終回を観ていて、こんな悪女でも、改心すれば成仏できるのだろうと思えた。勧善懲悪、性善説や性悪説などを思わせるドラマにも思えた。

  あえて、こんな人気が出そうにない悪女役〜成りあがり、有頂天、不安、恐怖、落涙など目まぐるしく変る役〜を演じきったパク・ソルミさんは、やはり、見せてくれるすばらしい女優さんだと思う。
  そして、その抜群の美しさに惹き付けられる。

  パク・ソルミさんは、最近のニュースによるとJTBCドラマ「親愛なるあなたへ」(終了)に続いて、SBS「日曜日が良い‐ジャングルの法則2」にも出演するとか、ドラマでの活躍復活ですね。

 ※前回→「パク・ソルミさん(10)~親愛するあなたに没頭」。
 ※次回→「パク・ソルミさん(12)~いよいよ結婚か」。

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2012年12月21日

筑紫神社参拝(筑紫野市原田)

16  ※画像は、筑紫神社脇参道。

  五郎丸古墳館を見学した後、近くの筑紫神社(つくしじんじゃ)を参拝した。
  久しぶりに訪れたので、記憶が曖昧になっているが、参道前を横切る道路の車の往来が激しく、こんなところだったかなあと思いながら歩いた。参道に入ったときも、記憶のなかにあった神池がなかったので怪訝な顔になっていた。

  筑紫神社の神は、古来、往来する人々をことごとく食い尽くしたので、「つくし」の神といわれたという伝説があり、なかなか怖い神様だったようだ。
  そして、この「つくし」の神が筑紫(つくし)国の国名の由来となったというので、かなり古い時代に鎮座されていたのだろう。

  古代、九州に筑紫王朝(九州王朝)があった時代に、筑紫国を統治していた筑紫君が祖神を祀ったとも考えられる。
  五郎丸古墳の被葬者と関連づけて考える説もあるらしい。
  筑紫君といえば、筑紫君磐井の名が思い浮かぶが、この磐井も九州王朝の流れをくむ王だったと思われる。
  また、後に、社司として筑紫神社を奉齋した筑紫氏もその流れを汲む者であったと思う。

  冬の風が冷たく駆け足の参拝となったが、境内の五所神社にもお参りし、山内淑郎記念碑(かつて三国峠を開通させた人)や尊王烈士碑なども見学した。

  なお、拝殿横にあった由緒板を写してきたので、下記に転記する。

「筑紫神社(延喜式名神大社)、 祭神:筑紫の神(ツクシノカミ)〜 筑紫の国魂・筑紫の国號起源・氏神、玉依姫命、坂上田村麿。
  祭神を筑紫の神といい、筑紫の国魂である。奈良時代の筑後国風土記の神話によると、「筑前と筑後の境となる山に荒ぶる神いて、峠を行きかう人を多く取り殺していた。その神は命尽(イノチツクス)の神と呼ばれた。後にこの神を祀って筑紫の神と呼ぶようになった。」とされ、奈良時代以前から当社は在ったと推察される。筑紫の語源は、当社の神号から起った。
  筑紫の神が白日別神(しろひわけのかみ)・五十猛命(いそたけるのみこと)という説もあるが、断定はできていない。
  後世に玉依姫命(竈門神社から勧請)、坂上田村麿を祭祀した。
  当社は延喜式神名帳(927)に名神大とあり、朝廷より尊崇されていた。
  日本三大実録によると「貞観元年(859)筑紫神社従四位下を奉授され、元慶三年(879)に筑紫神社従四位上を授く」とある。
  類聚符宣抄に天元二年(979)の官符に「住吉・香椎・筑紫・竈門・筥崎等の宮は大宮司を以て、その貫首となす」とある。
  鎌倉時代から筑紫村の地頭籍であった筑紫氏が社司を兼ねていた。その後、享徳二年(1453)社殿が造営された。それ以前にも社殿はあったと推測されているが、記録としては残っていない。
  筑紫氏は応仁・文明の頃より筑紫村を去り勝尾城(鳥栖市)に移居し武威を振るっていたが、島津勢により落城した。神領は没収、神宝や古文書類も兵火にかかり当社は荒廃した。
  寛文二年(1662)に荒廃した社殿を再建、延宝八年(1680)火災で焼失したが再興した。古い石の鳥居は元禄十二年(1699)に建てられた。拝殿の「筑紫宮」の額も同年に寄贈された。
  現在の本殿は貝原益軒の愁訴により正徳二年(1712)に黒田藩主から資材を賜り再建されたものだ。
  明治維新の近代社格制度により明治五年(1872)に郷社に定められた。
  大正四年(1916)に上原田の若宮神社が飛地神幸境内地として編入され、県社に昇格した。
  昭和九年(1934)には拝殿が造営され、昭和六十三年(1988)には筑紫神社幣殿を中心とした改修、五所神社、若宮神社の建て替え、金刀比羅社の改修が行われた。
  年中行事:1月1日〜3日歳旦祭・3月15日粥占祭(秋季大祭)・7月19日およど(夏祭)・夏越の祓・10月20日例祭(秋季大祭)
  附記:粥占祭は、当社に古くから伝わる伝統神事であり、2月15日に炊いた粥を鉢(文化二年造)に盛って神殿に納め、3月15日に粥面に生えたカビの色合いと毛草によりその年の作物および風水・病害の判断をするものである。筑紫野市無形文化財に認定されている。  平成16年12月吉日奉納筑紫神社崇敬会」

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2012年12月20日

五郎山古墳と同古墳館(筑紫野市原田)

IMG_0959  天気が良かったので、JR原田駅(福岡県筑紫野市原田)の正面に見える五郎山公園(丘陵)を散策してきた。
  国指定史跡・五郎山古墳から琴平神社まで歩いたが、途中誰にも会わず、やはり冬の風は冷たく、こんな日に散策などする人はいないのか。

  五郎山古墳は、丘陵の頂上部分に築かれており、二段築成と呼ばれる円墳(高さ7m、墳丘の直径32m前後)で、古墳の玄室の壁面には装飾壁画が施されている。
  この壁画は、10日前に五郎山古墳館(公園の入口近くに建つ)に予約しておけば見学することができるが、古墳内のガラス越に見えるのは壁画の右半分で、色褪せているので鮮明には見えない。また、今の時期は、ガラス面に水滴がつくので見えにくい(秋が良い)。

IMG_0960  それより、五郎山古墳館内に実物大に作られているレプリカの方が鮮明でわかりやすい。
  カンテラに見立てた灯りを持って、狭い羨道(横穴式)を這って真っ暗な模型の古墳石室内に入るのも楽しい。案の定、頭をぶつけた。

  ところが、この模型には、羨道の壁面が切断されるように横に動く仕掛けがあり、このとき照明につつまれるので、楽々の上に鮮明に復元された壁画を思う存分観賞できる。

  五郎山古墳の築造は、6世紀後半(推定)で、近くに式内社筑紫神社があり、被葬者は筑紫君と関わりある人物かも知れないと考えられているそうだ。
  多分、筑紫君と称された九州王朝と係わりのある人物なのだろう。


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2012年12月19日

渋井陽子さん大阪国際女子マラソン2013出場へ

16  昨日発表された第32回大阪国際女子マラソン(2013.1.27)の招待選手のなかに、野口みずき(シスメックス)、渋井陽子(三井住友海上)、福士加代子(ワコール)さんらの名前があった。

  先日(12/16)の全日本実業団女子駅伝2012に三選手とも出場していたが、いずれもチーム優勝はならず。
  特に三区で、渋井陽子さんが10位、福士加代子さんが11位でタスキを受取り、肩を並べるように飛び出した。実は、この二人が競り合ってどこまで順位を上げるかと期待して観ていた。

  ところが、福士加代子さんが10人抜きで2位に上り区間新・優秀選手賞を獲得したのに、渋井陽子さんは10位をキープするに留まり二人の間に大きな差が空いてしまった。
  渋井陽子さんは、足も開いていたし調子が悪そうには見えなかったけど、当初併走した福士さんのスピードに惑わされてしまったのかなあ。
  でも、駅伝だし大負けしたわけではないので、大阪国際女子マラソンの足慣らしと思えば上々だ。

  大阪国際女子マラソンは、2013夏の世界選手権の代表選考会を兼ねているといい、渋井陽子さんに変らぬ声援を送りたい。

  三井住友海上のCMで、最後に渋井陽子さんが振り向く、あの表情いい、「挑戦は美しい」の字幕があるが、まだまだ前を向いて走るという彼女の闘志を感じる(※画像)。

  渋井陽子さんは、目標としていたロンドンオリンピックへの出場を逃し、オリンピックにはまったく縁がない、気付いたら33歳になっていたというけど、マラソンを止めたいという気持ちはないと言っているので、彼女が走り続ける間はずっと応援する。

※前回→「渋井陽子選手、名古屋マラソン4位!」(2012.3.11)。
※次回→「感動! 渋井陽子選手→福士加代子選手ボトルリレー(大阪国際女子マラソン)」。

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2012年12月03日

「イ・サン」でソン・ヨン逝く(ハン・ジミンさん)

ハン・ジミン  昨夜、「イ・サン(74)最後の肖像画」(NHK)で、サンの側室宜嬪(ウィビン=ソン・ヨン)が亡くなる場面を観ていて、思わずもらい泣きしてしまった。
  「イ・サン」では、これまで多くの登場人物が亡くなったが、涙が出たのは今回だけ。

  清純な心の持ち主だった宜嬪を演じたハン・ジミンさんが、見るからに清純な感じのする女優さんだから感涙したのか。
  「オールイン運命の愛」で、初めてハン・ジミンさんを観たときから随分経っているけど、今でも清純な感じは変わらない。観ていてすがすがしい女優さんだ。
  宜嬪が亡くなった後の「イ・サン」、楽しみが半減しないかな。

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