2014年08月

2014年08月26日

薬王寺温泉「偕楽荘の湯」に初めて行った

2524薬王寺 福岡県古賀市薬王寺温泉に、日帰りの公衆温泉施設「偕楽荘」(古賀市薬王寺381・営業10~23時・定休水曜・092-946-3866)があることは、以前から知っていたが、これまで利用したことがなかった。

 今年(2014)の夏は、本当に梅雨が明けたのかと思うほどに雨が多く、平成24年8月豪雨による被害の報道を見ていて気が沈むことも多い。
 ちょっと晴れ間が見えたとき、知人が訪れ、薬王寺温泉も谷あいにあるけど、砂防ダムが完備しているので、気晴らしに車で薬王寺温泉「偕楽荘」に行ってみようということになった。

 「偕楽荘」は、薬王寺白髭神社から薬王寺温泉旅館街(「鬼王荘」「福龍荘」「快生館」)に向かう途中、左側の道沿いの平地に建っている平屋建ての公衆浴場だ。

 「偕楽荘」には初めて行ったので、以下の状況を書き留めておく。
2523薬王寺・たくさん車が停まっている砂利敷駐車場の一画に駐車。
・玄関を入り、自動券売機で入場券を購入、靴箱のキーとともにカウンターに渡してロッカーキーを受け取る。
 なお、入場料は700円(子供半額)だった。

 ・浴場は場内の奥にあり、洗い場には石鹸水、シャンプー、洗面室にはドライヤーの設置あり。
 ・ジェットバス、バイブラバスの浴槽は広くはないが、適温でよく温まる。
 なお、全浴場の温泉水は、すべてラドンとメタホウ酸含有量の高い天然水だという。

 ・勵明薬湯が目玉湯で、偕楽荘の独自調合による八種類の漢方薬草を詰めた布袋が湯に浸してある。湯はカレー色に濁って湯の中は見えず、薬草のにおいが強く、入浴すると皮膚がヒリヒリしだすので、長湯はできない。

 ・露天風呂は、夏場はぬる湯といい、水温38度。熱い湯が好きな人は不向きだと思う。しばらく浸かっていたが、体は一向に温まっているふうではなかった。

 ・スチームサウナは、よく汗が出で、一時的に体重が減ったようだ。入口に置いてあるマットを持って中に入り、腰掛床に置き、その上にタオルを敷いて座る。使用後は、持って出て洗って返す。

 ・場内の飲料水は、すべてラドン天然水で、口に柔らかく飲むと甘く、胃腸にも良いと好評、有料販売もある。

 ・ラウンジ、貸切個室、仮眠室、ホットヨガ、足裏・ボディケア、マッサージ機、土産品売店、大広間、レストラン(メニュー1000円前後、かわいいお姉さんが給仕してくれる)などもあった。

 帰宅後も体の湯冷めがなく、寝るまで暖かかった。やはり、伝統ある薬王寺温泉の湯。ちょっとだけ気が晴れたのかな。

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2014年08月25日

花壇の白ユリに合掌

白ユリ 盂蘭盆の前後頃、当家花壇はかつて白ユリ御殿といわれるほど、白ユリ(高砂異種)の花が埋め尽していた。
 特に養母が亡くなった夏が最高で、養母が好きな花だったので、以来、養母供養花としていた。

 その後、年々開花数が少なくなって行き、開花のない夏もあったが、昨年48輪開花、そして雨の日が多い今夏は、8月9日開花以来92輪、最盛期に比べるとまだ少ないものの、その復活ぶりを喜んでいた。

 そんなとき広島市北部土砂災害(平成26年8月豪雨被害の一)のニュースを見て、かなり心が沈んだ。またもや人間の知恵を超える自然災害の恐ろしさ、ただただ沈痛な想いで哀悼し、白ユリに合掌した。



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2014年08月20日

上秋月愛宕神社にて(2)~愛宕将軍地蔵(朝倉市)

 前回「上秋月愛宕神社にて(1)~太郎坊天狗(朝倉市)」からつづく。
100上秋月愛宕神 「上秋月愛宕神社(愛宕社)」(朝倉市上秋月森園)の神殿須弥壇に祀られている三体の御神像(立像)は、向って左が「太郎坊天狗」(前回記載)、中央が「愛宕神(本地仏将軍地蔵菩薩)」、右が「不動明王」である。

 愛宕神とは、火の神・軻遇突智大神のことで、古事記では「迦具土之神」と書き、火之夜芸速男(ヒノヤギハヤオノカミ)、火之毘古神(ヒノカガビコノカミ)の異称もある。

 迦具土之神は、出生時に母伊弉冉神に火傷を負わせ死に至らしめ、父伊弉諾神に切り殺されたが、そのとき体から飛び散った血肉から山の神八柱が化生したことから、荒行を行う山岳修験に相応しい荒ら神、山の神として山城国愛宕山愛宕修験の主神(愛宕神)とされた。

 愛宕修験は、愛宕山白雲寺(愛宕社)を中心として広がり、その本尊勝軍地蔵(将軍地蔵)菩薩(蓮華三昧経による)は、迦具土之神(愛宕神)と神仏集合して本地仏とされ、「愛宕権現」の神号で呼称された。
 明治維新の神仏分離で、愛宕神社(愛宕社)から「愛宕権現」の呼称は消えたが、上秋月愛宕神社のように本地仏がそのまま残ったケースはある。

 かつて白雲寺(愛宕社)から勧請された愛宕神(愛宕権現・迦加具土之神)の本地仏勝軍(将軍)地蔵菩薩は、甲冑を身に纏い、左掌に如意宝珠を置き、右手に武器又は錫杖を握り、恐い形相をしているものが多く、軍馬に乗馬しているものもある。

 勝軍地蔵(将軍地蔵)菩薩が、修験道で祭祀される蔵王権現や不動明王と同じように恐い形相をしているのは、荒ら神の本地仏ゆえで、また、火伏(防火)神としても祭祀されている愛宕神(三宝荒神、竈神)も同様のお姿をしている。

 恐い形相をした仏は、聞き届けの悪い衆生に向かって仏の慈悲を伝えるための姿だというが、心に病を抱えている人たちや祟りを信じない人たちには通じないかもしれない、つい、こんな懸念を抱いてしまうことがある。

 なお、かつての愛宕修験では、あわせて愛宕太郎坊天狗不動明王の信仰も盛んだったので、愛宕神(愛宕権現・迦具土之神)を勧請した各地の愛宕社(愛宕神社)で、この二神を合祀することもあり、上秋月愛宕神社は、その類であったのだろう。

 上秋月愛宕神社事跡由来に、上記愛宕三神仏の勧請時期の記載がないが、「筑前町村書上帳(青柳種信)」に「上秋月村松尾椿森一愛宕社 立毘沙門天・太郎侍・不動明王三軆共四尺余 外不動座像一 堂弍間四方 畑中小森 南向」の記述があったので、少なくとも江戸期の文政3年(1820)以前には鎮座していたことが分かる。
 ただ、同書には、愛宕神(将軍地蔵)の名がなく、毘沙門天の名があるが、確かに毘沙門天は、甲冑を身に纏った将軍地蔵と酷似しているので同一視されることがある。

(付記)上秋月愛宕神社の社地は、かつて椿の森と呼ばれていたところで、神功皇后がこの地方の豪族羽白熊鷲を討った時に設けた七ツ森(后、宮園、開屋、三府、会所、宮岡、椿)に陣所の一つであるという。
 上秋月を含む当地方には松峡八幡宮、目配山、大己貴神社を初め多くの神功皇后伝承(地名由来)があり、いつか記したいものだ。

※参照→「佐田高木神社へ(1)~佐田安谷・県道工事中 (朝倉市)」。

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2014年08月19日

上秋月愛宕神社にて(1)~太郎坊天狗(朝倉市)

98上秋月愛宕神社 前に掲載した「愛宕神社へ(2)旧太郎坊社(宗像市冨士原)」で、「太郎坊とは、愛宕の太郎坊と言われた大天狗」と書いたとき、脳裏には、以前訪れた「上秋月愛宕神社」(朝倉市)で観た「太郎坊天狗」神像が思い浮かんでいた。

 上秋月愛宕神社(朝倉市上秋月森園・椿森)を知ったのは、「邪馬台国甘木・朝倉説」の講演で甘木市(当時)を訪れた安本美典先生(産能大教授)に同行したときだったと思うが、随分以前ことでいつだったか覚えていない。

 その頃の私は、安本美典先生は、平塚川添遺跡から近い馬田や筑前高田辺りに邪馬台国があったと考えておられるのかな、と思っていた。
 だが、このとき訪れたのは、奈良(現在、手持ち地図にこの地名が載っていないが、草場川にかかる「奈良崎橋」はある)、大塚(天神社大塚古墳)、弥永(大己貴神社)、女男石、上秋月、日向石(高倉山=多々羅か)・仁鳥(荷持田村説、大神宮=卑弥呼祭神か)方面だったように記憶している。

 邪馬台国云々は別の機会に譲るとして、今回、それ以来久しぶりに訪れた「上秋月愛宕神社」に話を戻す。
 「上秋月愛宕神社」には、三体の御神像が祀られているが、このうち「太郎坊天狗」の神像(立像)は、神殿須弥壇に向かって左側に安置してある。

 「太郎坊天狗」とは、山城國(京都)愛宕岳栄術太郎坊(愛宕山)で12年間修行し「愛宕の大天狗」とも称された愛宕聖の「真済上人」のことで、「真済上人」は、真言宗・弘法大師(空海)の十大弟子(真済、真雅、実恵、道雄、円明、真如、杲隣、泰範、智泉、忠延)のひとりに数えられる高僧である。

 なお、「上秋月愛宕神社御事跡由来(林敏弘)」に、上秋月愛宕神社の「太郎坊天狗」の神像について次のように記してあった。
 「天狗は星の化身であると信じられてきた」。
 「(天狗像は)山伏姿で、口は鳥の如く、鼻が高く、羽団扇を携え、両脇に翼をもっており、自由に空を飛び、人々に禍福を授ける神として祭られている」。

 また「天狗には大天狗(日光の東光坊、羽黒の金光坊、比叡の次郎坊、飯綱の三郎坊、鞍馬の僧正坊、愛宕の太郎坊、大山の伯耆坊、英彦山の豊前坊、白峰の相模坊、大峰の前息坊など)、小天狗、烏天狗、木の葉天狗の別がある」との付記もあった。
 これらの山々は、かつて修験道で繁栄した神仏習合の霊山で、修験者なら一度は入山してみたい山々であろう。

 このうち、上秋月周辺には、田代(豊山神社)や下渕(大平山麓の水場)に(英彦山の)豊前坊があり、また、かつて英彦山の大行事社(豊前坊)といわれた高木神社(江川、黒川、佐田ほか)も多く、甘木朝倉一帯は天台系の英彦山(彦山)修験道の牙城であったと思われるが、そのなかに真言系の愛宕の太郎坊(愛宕神社)が鎮座していることになる。

※つづく→「上秋月愛宕神社にて(2)~愛宕将軍地蔵(朝倉市)」。

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2014年08月17日

ピラミッド形古代遺跡は九州山門にも(堤古墳群)

 今、奈良県明日香村坂田には、「都塚古墳が日本では例のない、階段状に石が積まれたピラミッドのような形をしていたことがわかった」として、考古学ファンが押しかけているという。
 6世紀後半の方墳(一辺41~42m)で、高句麗式の古墳であり、石舞台古墳の近くにあるので、早々と馬子の父・蘇我稲目の墓との見解がでるなど、何とも騒々しそうだ。

 (私は、以前、近鉄飛鳥駅で自転車を借りて「都塚古墳」(金鶏塚)に行き、石室を覗き込んだことがあったが、当時、円墳か方墳かなどは分からなかったし、蘇我稲目の墓説などを聞いたこともなかった。・・・これまでまったく注目されていなかった古墳が、どうしていきなり蘇我稲目墓となるのだろうか)。

 高句麗(朝鮮半島)の影響は、飛鳥より九州の方が遥かに早く、九州には飛鳥よりも古い方墳もあり、それらがピラミット形かどうかについては意識されていないと思う。

 ところでピラミッド形と言えば、「堤古墳群」の調査報告書に、「埃及(エジプト)のピラミッド築くが如きも亦之に類するものなり」との記事がある(「邪馬台国探見記」渡邊村男著/大正4年柳河新報社刊)。

 「堤古墳群」は、福岡県みやま市瀬高町山門にあり、一辺220m余の正方形の台地上(集落・耕地)にある巨石群で、3世紀末〜4世紀初頭築造と推定されているが、山門=ヤマト(邪馬台国)卑弥呼の墓という説もある(「誰にも書けなかった邪馬台国」村山健治著)。

 「堤古墳群」の多くは未調査だが、当地が飛鳥・大和よりは遥かに早く開けたことは確かで、九州倭国(九州筑紫王朝)の一画をなしていたと思う。

 上記「都塚古墳」ピラミット類似の記事を観ていて、ふと「堤古墳群」を思い出したが、考えてみると、以前よく古代ロマンを求めて訪れていた瀬高町(旧山門郡含む)には、最近、足を運んでいない。

 ※参照→「筑後には巨大ピラミッドがある(東洋医学史研究会宇田明男)」。



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2014年08月14日

盂蘭盆に初めてのひまわり開花

花壇のひまわり 前回(6/22)、「ひまわりの種を植えた」で、「過去数度植えたことがあったが、そのつどなぜか失敗していた」と書いていたが、今日、初めて一輪のひまわり(直径約10cm)が花壇で開花したので嬉しかった。

 今回植えた種は市販の種2袋だったが、育ったのは、切り花用のひまわりで4本。開花したのは、このうちの最も大きく育ったもの(茎の高さは1m)。
 大きな葉は、いずれもバッタなどに食われて穴だらけだが、盂蘭盆の間の殺虫は慎む。

 思っていた原爆慰霊の日の開花には間に合わなかったが、盂蘭盆に開花したので、ご先祖の供養花になったと思っている。

 最近、新聞折り込み広告で、紙面一面に、青空の下で美しく咲き誇るひまわり群の写真が載っていたものを見たが、葬祭場の広告だった。
 現在放送中の朝の連続テレビ小説「花子とアン」は、主要人物が次々に死んで逝く暗い物語だが、そのスターティング画面にも、ひまわり群の画面がでている。
 前回(上記)、映画「原爆の子」の、原爆投下で溶け落ちるひまわりについて記していたが、やはり、ひまわりは夏の供養花なのかもしれない。
 太陽(天)に向かって咲くひまわりの花は、霊魂の昇天を表しているのだろう。合掌。

 なお、ほかの3本のひまわりは、茎が細く高さも低いが、それぞれ蕾を付けているので、これから順次咲いてくれると思っている。


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2014年08月13日

加藤ミリヤ「YOU... feat.仲宗根泉(HY)」がMV発表された

 仲宗根泉(HY)」 「いま、知っておきたいエンターテインメント情報」に、加藤ミリヤ 「YOU... feat. 仲宗根泉(HY)」MV発表が載っていた。

 加藤ミリヤさんがHY仲宗根泉さんとコラボした新曲で、9月3日リリースというが、歌手デビュー10周年記念曲の一つなのだろうか。
 かなり静かな音調のように思えたけど、片思いの憂いを語っているからなのだろうか。
 でも、情感あふれるミリヤ調に変わりなく、HY仲宗根泉さんとは雰囲気的にすごく合っており、美しいメロディになっていると思う。
 ※初回生産限定盤¥1,556+tax.、通常盤¥1,204+tax。

 ところで最近、「NHK紅白歌合戦スタッフ大幅入れ替え、演歌を減らす見込み」というニュースを読んだが、どんな歌手を選ぶのだろうか。私は、以前から、どうして加藤ミリヤさんが選ばれないのだろう、と思っている一人。



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2014年08月10日

誰もいなかった観光地・秋月城址にて(朝倉市)

 昨土曜日(8/9)の朝、鹿児島県東方沖を北上中と大型台風11号進路予報が伝えられていたが、強い風は吹いておらず雨も降っていなかった。
 こんな日の秋月(朝倉市=旧甘木市)は、きっと観光客で混雑しておらず、ゆっくり秋月城下の散策を楽しめるだろうと思い、久しぶりに秋月までドライブしてきた。

1眼鏡橋 渋滞もなく秋月(旧秋月街道)に入り、途中、眼鏡橋付近で車を停め、清流の野鳥川に掛かる築約200年(文化7年=1810)という眼鏡橋(県文化財、一眼の石橋=長崎橋)上を歩いている時藤原里奈さんが思い浮かんだ。

 確か藤原里奈さんが「るり色の砂時計の7代目ナビゲーター」となったとき、初めて訪れたところがこの眼鏡(めがね)橋だったような記憶がある。

 眼鏡橋の傍の川岸に生えているモミジの葉の一部が少し色づき始めていた (※画像1) 。

 再び車に乗り、旧秋月街道を上ったが、台風接近警戒のためか、道沿いの店舗等は閉まっており、人影もまったく見えなかった。
 今回は、城下散策が目的だったので秋月総合案内所駐車場に駐車したが、さすがに、ほかに駐車している車はなかった。(駐車料金は400円で100円値上がり)。

 隣の秋月ラーメン店で昼食をしようと思ったが、やはり、ここも店じまい、秋月城下の杉の馬場沿いに並ぶ店舗もすべて閉っており、結局当地での昼食は抜き。

2杉の馬場 これまでに何度となく秋月を訪れているが、特に週末はいつも観光客で混雑している杉の馬場で、猫の子一匹いない無人の景色を見たのは初めてのことだった(※画像2)。
 まったく人のいない観光地を歩くのは静かではあるが、何かしら異様な不気味さもあり、ゆっくり楽しめるというような雰囲気にはなれなかった。

3瓦坂 瓦坂(大手門跡)の石橋(※画像3)を観ていて、以前、桜吹雪が舞う季節に訪れたとき、この橋が掛かっている濠の水面に浮かぶ「花いかだ」が美しかったことを思い出したが、今の季節の杉の馬場は、葉桜の並木である。




4垂裕神社石段 高台の垂裕(すいよう)神社(祭神は八幡神、福岡藩黒田家分家の秋月藩祖黒田長興、秋月の乱などの死者などを合祀)を参拝後、正面の急斜面に加工自然石を積み上げて作った石段参道(※画像4)を下っているとき、石段を踏みつけた右足かかとが急に痛み出して歩けなくなり、その場に座りこんだ。


 右足の靴下をおろし、持っていた「キンカン」(金冠堂鎮痒消炎外皮剤)をかかと付近に塗っているとき、2年前の夏、行脚中に左足足底筋膜炎が発症して歩行困難となったことが、脳裏をよぎった。(※参照→2012.8.9)。

 だが、その治療のときに作った足底装具(靴の中敷)は、常時右の靴にも敷いており右足かかとのガードはできている筈だから、この痛みは足底筋膜炎ではないだろうと思い直す。
 靴を履き直し、石段に尻餅を付きながら、右足のかかとに負担がかからないように注意して石段途中の踊場まで下りた。

5秋月城之碑 この下に続く石段は下りずに、たまたま雨の用心のために手に持っていた雨傘を杖代わりにして、この右横の林の中にある脇社・湊川神社(祭神楠正成)と黒田長成書の秋月城之碑(※画像5)の前を通り抜けて、梨園(長野幸水園)の坂道を、垂裕神社神門=黒門(県文化財・旧秋月城大手門を移設)まで下った。




6黒門 さらに石段道を避けて、黒門(※画像6)から長屋門(県文化財・内馬場御裏御門)の裏側→秋月中学正門へと横に進み、秋月中学正門前の坂を下って杉の馬場(武道館前、トイレあり)に戻った。 



7長屋門前 確かに、ゆっくり散策が可能な日ではあったが、思わぬアクシデントに見舞われ、現時点でこれ以上歩くことは無理と判断、ここで休んでいる間に同行者が上記駐車場に戻り、車を運転してきてくれたので、同乗して帰宅した。
(※画像7は長屋門表側の前の石段と濠跡)。

 風呂で温めた後、湿布したら緩和したので、どうも石段の下りで右足を石段に着けたとき、足首筋の踏み違いを起こしたのかもしれない。大事にならなくてよかったが、修験者としては失格だ。

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2014年08月09日

ザ・ピーナッツ2時間SPを観た

ザ・ピーナッツ 昨夕、TVで台風11号の進路を観ながら一喜一憂してはいたが、7時になったら、楽しみにしていた「ザ・ピーナッツ2時間SP」(BS-TBS)に迷わずチャンネルを切り替えた。


 ザ・ピーナッツが1959年のデビューから1975年の解散までにレコーディングした曲は150曲ともいわれるが、そのうちの50曲を、貴重映像を交えての一挙放送は圧巻だった。

 「可愛い花」や「ふりむかないで」「恋のフーガ」など、なつかしくて思わず口ずさんだ。
 だが、「浮気なあいつ」は、元気な声で歌っているが、やはり寂しかった。

 そういえば、ザ・ピーナッツが「モスラ」(蛾)に仕える双子の妖精(小美人)として出演した映画「モスラ」が公開されたときは、一刻も早く観たくて映画館(有楽町だったか)に足を運んでいたことを思い出した。
 今も時々「モスラの歌」が脳裏に響いてくることがある。

 それから、2012年、姉の伊藤エミさんの訃報を聞いたときは悲しかった。気づかないうちに、どんどん時は流れる。
 

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2014年08月06日

ハ・ジウォンの「奇皇后」が始まった

奇皇后 韓国時代劇「トンイ」の放送が終わったとき、韓流ドラマはくどくどと長過ぎて疲れるので、もう観ないようにしようと思っていたが、BSプレミアムで「奇皇后」が始まった途端、あっさりとその思いを打消した。

 何のことはない、理由は、ハ・ジウォン主演の最新作品だからだ。
 ハ・ジウォンは、演技力に定評のある女優だが、私は、「チェオクの剣」で、憂いに満ちたハ・ジウォンの表情に引き込まれてしまい、たちまちファンになった。

 そして、「ファンジニ」で、悪女的な磨きのかかったハ・ジウォンの美しさに魅了された。
 「私の愛、私のそばに」といった作品もあったが、やはり時代劇の方が彼女の魅力が引き立つ。
 「奇皇后」は、その3度目の時代劇で、舞台設定は元王朝最後の皇后だといい、見逃す手はないと思った。

 第1回は、「チェオクの剣」と同じような剣士のいでたちで登場、ハ・ジウォンの活劇役は地についているが、その剣士が奇皇后に変身する。見どころの多い51回の長丁場、楽しみに観ることにしよう。


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