2017年02月

2017年02月26日

昼掛八幡宮◆素凖惰發粒馬(宗像市朝町)

 前回「昼掛八幡宮(宗像市朝町)」からつづく。

1昼掛八幡宮絵馬源平壇ノ浦 (8) 絵馬

 ・昼掛八幡宮本社殿の拝殿内に下記9枚の「絵馬」が掲げてある。

 ・下記ぐ奮阿痢峅菎蝓廚蓮⊂生が勝手に想像して付けたものであり、よく分からないものもあり間違っているときはご容赦。


  壇ノ浦合戦図か
  額縁に書いてある「奉献」以外の文字かすれて読めない。
  絵馬には、安徳天皇御座船が描かれているようにも思えるが全体に色落ちが進んいる。
  壇ノ浦義経八艘飛び図
 「奉納明治四拾四年…(?)吉日」、奉納者5人(読みづらい)。
  源義経が平教経に追われて八艘飛びで逃れている。
  屋島合戦図か
 「奉納大正参年参月吉日」、奉納者6人(読みづらい)。
  源平富士川合戦之図
 「奉納昭和拾壹年貮月吉日伊勢参宮記念」、奉納者16人名あり。
  乗馬疾走図
 「奉掲明治四年二月吉日」。
  元禄歌舞伎図か
  奉納年不明 奉納者21名。何の場面か思い出せない。色褪せつつある。
  三十六歌仙図の一か
 「安政六巳未年」奉納か、ほか読めない。
  饅頭菓子製造店舗風景か
  奉納年不明(額縁墨字薄く読めない)。
  桜井駅楠正成図か
 「奉寄進干時明治三十一年戊戌三月吉祥 参宮同行當村谷口藤市・竹重忠四郎」。
 …正成は、湊川で、九州から反転した尊氏軍と対戦し敗死した。正成は、戦いに先立ち、後醍醐天皇の菊水旗と上差し矢を桜井村の坂口八幡宮(矢納神社)に奉納したという。現在、忠君愛国の象徴だった正成を知る人は少ないが、絵馬は時代世相を伝える。ふと「青葉茂れる桜井の…」の歌詞が浮かんできた。
 ※つづく→「朝町(昼掛)観音堂[宗像四国東部29・番外86](宗像市朝町)」。

2昼掛八幡宮絵馬源平義経3昼掛八幡宮絵馬源平屋島
4昼掛八幡宮絵馬源平富士川
5昼掛八幡宮絵馬乗馬
6昼掛八幡宮絵馬江戸
7昼掛八幡宮絵馬歌仙
8昼掛八幡宮絵馬菓子製造
9昼掛八幡宮絵馬武将 

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2017年02月24日

昼掛八幡宮(宗像市朝町)

 前回「野坂神社(6)〜境内神社(宗像市野坂)」に、宗像市野坂地区に隣接する朝町地区に八幡宮(八幡神社)が二社(中村と昼掛)あると書いたが、今回は、そのうちの一社「昼掛八幡宮(八幡神社)」について書き留めておく。
 (※本稿は、2015.6.19、小生の参拝メモによる)。

 (1) 鎮座地(宗像市朝町312)

1昼掛八幡宮前の県道 ・「昼掛八幡宮」は、福岡県道75号線(若宮玄海線)の宮若市・宗像市の市境の宮若市に近い沿線上…先に書いた「弥ヶ谷天満宮(宮若市山口)」の記事中にある「百合丘霊園宗像」(宗像市朝町238-6)の入口から、県道の緩やかな坂道を青葉台東口や自由ヶ丘南(各🚥あり)方向に650m下った右側…の小丘陵上にある。

 (2) 由緒

 八幡宮 ヒルカケ(神殿方五尺・拝殿二間三間・祭禮九月廿一日・石鳥居一基・奉祀中津内膳)三十戸の産神也。いつれの年に本村より勧請せしや。社内に若八幡宮・祇園社・貴船社・大日堂あり」(筑前國續風土記附録)
 八幡宮 昼掛に在。本村の八幡宮を勧請して此所の産神とす。祭禮九月十九日社内に貴布祢祠若宮祇園社あり。奉祀上に同じ。」(筑前國續風土記拾遺)

 ・「本村」とは、(宗像市)朝町中村(本村)の朝町八幡宮(祭神:仲哀天皇、譽田天皇[応神天皇]、神功皇后)のこと(※別記参照→「正見行脚 朝町八幡宮(宗像市朝町)」)。
 ・「奉祀」の中津氏とは、王丸村(宗像市王丸)在、王丸には「王丸八幡宮」がある。(※別記→「王丸八幡神社と黒尾明神社 (宗像市)」。

 (3) 石段参道・鳥居跡・庚申塔等

2昼掛八幡宮参道石段(下・中段)  石段参道

 ・県道75号(歩道あり)に面して数台、駐停車できる場所があり、参道は、その右方から小丘陵の法面を垂直に上る石段である。

 ・石段は、崖法面の三段に区分された保護壁(ブロック谷積工)の間にあり、その段区部分の二カ所に踊り場がある。


3昼掛八幡宮参道石段上段 ・石段の数は、計68段ある(下段19段、中段33段、上段16段)。

 ・「石段設置年月碑」(安永三年<1774>甲午二月吉日)」〜上段の石段を上り詰めると両横にあり、この石段が作られた年月が分かる。


4昼掛八幡宮石鳥居跡  石鳥居跡

 ・近年まで、参道石段の二壇目の踊り場(石段中段・上段の間)に、当神社所在地の目印となっていた「石鳥居」一基(左貫部分欠落)が建っていたことを記憶しているが、今は現存していない。


 ・この旧「石鳥居」は、「八幡宮」の額束を掲げた古いもので(建立年月は覚えていないが)、上記「由緒 弋載の「石鳥居」だったと思う。
 ・現在、その跡地には、柱穴の丸い窪みがある(雨水が溜まる)礎石2個(一対)が残っているが、その他は撤去されている。 
 ・鳥居の倒壊、撤去時期は、定かでないが福岡西方沖地震(2005.3.20)以後だったか。

5昼掛八幡宮幟立石(右)と石仏  幟立石・石仏・庚申塔ほか

 ・「幟立石」一対(明治三十八年<1905>十一月一日・戦役紀念)〜石鳥居跡(礎石)の両横に建っている。



 ・八幡神は戦勝神でもあり、日露戦争[明治37年(1904)2月8日〜明治38年(1905)9月5日]で我が国が勝利したことを記念して、或は当地から出征した人たちもおられたのかもしれず、暗に戦没者供養を兼ねて建立されたものかもしれない。

6昼掛八幡宮幟立石 ・浮彫「石仏」一体(不詳)〜右側の幟立石の後方にある。
 ・「庚申尊天」碑一基(宝永四年<1707>三月吉日)〜石仏の右横にある。

 ・石造台座や石片〜幟立石(左側)の左後方にあるが詳細不明。


 (4) 手水鉢・石灯篭・狛犬(境内敷地内中央参道)

 ・「石段設置年月碑」(安永三年<1774>甲午二月吉日)」〜参道石段上部の両横にある(前述)。

7昼掛八幡宮中央参道 ・「手水鉢」一基(御廣前・寛延三年<1750>四月吉祥)〜石段を上り詰め境内敷地に入りすぐ右にある。

 ・「石灯篭」一対(八幡宮、寛延三庚午年<1750>十一月吉祥日)〜境内敷地中央参道(石段の上から拝殿に直進する石踏み道)の途中に建っている。


 ・「狛犬」一対(平成二年<1990>三月、谷口實六十七歳、谷口シマ八十一歳)〜拝殿前にある。
 ・「石灯篭」一対(昭和六十一年<1986>三月改修記念、昼掛谷口利夫七十七歳)〜拝殿前(狛犬の後ろ)に建っている。

 (5) 本社殿(拝殿・渡殿・神殿)

 ・「本社殿」(木造瓦葺)は、昭和3年<1928>改築、以後つど修理されてきたものだと思う。上記拝殿前の「石灯篭」の記銘から、昭和61年<1986>3月にも改修されたことが分かる。

 ・拝殿の規模について、上記「由緒 廚砲蓮崘凖惰鶸峪梓屐廚箸△襪、「江戸末期から近代にかけての神社拝殿の変化に関する研究(園田將人)」には、「地理全誌/横一間入一間半、現寸法/5820×9584、昭和3年(1928)築」と記している。ただし、これらの寸法の単純比較はできない。
 
 ・「金壱百円中野吉三郎碑」や「当社改築碑(寄附者列記)」が本社殿の左側(下記境内神社,鉢△隆)にあり、ともに建立年が分からないが、昭和3年本社殿改築に係わるものかもしれない。

 ・拝殿内の「絵馬」(9枚)については、次回掲載。

 (6) 境内神社

 ・昼掛八幡宮本社殿の左右に、5社の石祠が置かれているが、上記由緒にある若八幡宮(若宮)・祇園社・貴船社(貴布祢祠)の三社と重ねながら以下の該当社名を推測した。

8昼掛八幡宮拝殿左方   貴船社(貴布祢祠)
 …祭神:高龗神(たかおかみのかみ)

 ・本社殿に向かって左にある石祠の内部に「貴布祢宮」(草書体)と読める木額(神額)が入れてあったので、この石祠は「貴船宮=貴船社(貴布祢祠)」ではないかと思う。


9昼掛八幡宮境内貴船社 また、石祠の壁面に「明治四十年十一月 與舩宮 木殿石段改築 産子中」の文字があり、與舩宮とは貴船宮のことだと思えるので、同年、同社の木造社殿を石祠に改築したと解釈すればよいのか。であれば「貴布祢宮」の木額は、改築前の同社木造社殿に掲げてあった神額なのか。

  若八幡宮(若宮)
 …祭神:大鷦鷯命(おおさぎのみこと:仁徳天皇)
 上記,寮倔の後ろに記銘のない小石祠があるが、その前にかつて小鳥居が建っていたと思われる礎石があるので、構造規模から観て「若八幡宮」(若しくは祇園社)ではないかと推測した。
  旧:八幡宮石祠
 上記△留κにある割と大きな石祠には、「八幡宮 明治六年二月」の記銘があり、昭和3年本社殿改築時以前の同神殿祠だったのではないかと推測した。もしそうであれば、上記「由緒 廚痢嵜静臓(方五尺)は、このとき一時石祠に改築されていたことになるのか。
  祗園社
 …祭神:牛頭天王・スサノオ命
 本社殿の右側に唯一鎮座している石祠には、「文久二壬戌年六月吉日」の記銘があるが社名がなく、消去法で「祇園社」(若しくは若八幡宮)ではないかと推測した。
  熊野神社
 …祭神:熊野大神櫛御気野命(くしみけぬのみこと)か
 中央参道の右方にある石祠に「熊野神社 明治二十八年八月」の記銘がある。

 (7) 境内仏堂

10昼掛八幡宮境内熊野社と仏堂 ・境内中央参道の右方に小仏堂(木造瓦葺)一宇が建っている。

 ・上記「由緒 廚法崑臚堂あり」と記されているので、当地における神仏習合の跡を思わせるが、現堂内に大日如来像はない。


 ・お堂内に安置されている3体の仏像は、傷んでいるが、不動明王立像、多聞天立像(毘沙門天像か)、及び阿弥陀如来坐像ではないかと思う。
 なお、当お堂は、宗像四国東部霊場札所には入っていないが、たまに訪れる巡礼者もおられるようだ。
 巡礼者が訪れるといえば、昼掛八幡宮石段下の荒堀川際にある「昼掛いぼぬき地蔵尊」もお詣りされている。(※別記→「昼掛いぼぬき地蔵尊(宗像市朝町)」)。

 つづく→「昼掛八幡宮◆素凖惰發粒馬(宗像市朝町)」。

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2017年02月18日

岩佐美咲さんの「鯖街道」を聴いて

 今回の寒波到来(2/8)と同時に肩関節炎が出てPCを触れなくなっていたが、2/16春一番が吹いてからやっとリハビリと止痛薬が効いてきたようで、本日久しぶりに開いた。

岩佐美咲「鮎街道」 この間、先月リリースされた岩佐美咲さんの「鯖街道」を繰り返し聴いていた。

 実は迂闊にも、彼女の歌…小浜の港に鯖が揚がる頃 溢れる涙は枯れるでしょうか終わった恋を塩漬けにして根来坂越える 京は遠ても十八里 未練背負い一人旅 あなたが愛しいああ鯖街道…を聴くまで「鯖街道」の場所を勘違いしていた。


 当初「鯖」という字を目にし、すぐに「鯖大師像」が安置されている福岡県宗像市鐘崎港の「鯖大師堂」(宗像四国東部霊場番外)が脳裏に浮かび、そこから四国霊場番外・八坂寺「鯖大師」が思い浮かんだため、鯖街道は徳島県(海部郡海陽町)に在ったのかと思い込んでいた。
 なお、江戸時代、宗像市鐘崎港と赤間宿を結ぶ旧鐘崎道も鯖街道と通称されていた。(参照→「平等寺白鬚神社の神霊:追記2「神功皇后絵馬」(宗像市)」。

 この歌の舞台「鯖街道」は、歌詞に「小浜・根来坂・京」の地名があるので、若狭湾の小浜港(福井県小浜市)と京都を結ぶ旧・若狭街道なのだ。

 「鯖」が陸揚げされるのは、何もこの小浜港に限ったことではないので、この道筋のみを「鯖街道」というのも解せなくもないが、何せ近世、帝が居られた京都に運ばれる「鯖」の道筋だったから、特にここのみが「鯖街道」と称されたのかもしれない。

 この「鯖街道」(若狭街道旧道)の途中には険しい嶺南山系越えの難所があり、冬季に旬の鯖(魚介類含む)を運ぶのにはかなり難儀していたという歴史がある。現在、この旧道は、一部残っており、ここを歩くハイカーはいるが、鯖が箱ばれることはないので、「鯖街道」の名は、鯖が運ばれた時代の歴史の道を指す言葉なのだろう。

 とはいえ、岩佐美咲さんが歌う「鯖街道」は、この歴史の道と女の恋心を重ねた哀愁を歌ったもので、彼女の歌声は、実に情感を誘う。実際に岩佐美咲さんは、小浜港を訪れ、漁師や市場の人たちとも言葉を交わし、すごい人気とか。
 彼女の笑顔も素敵だが、歌声も素敵で、AKB48のイメージを抜け出した本当に期待される若手演歌歌手だと思う。
 ※別記参照→「岩佐美咲さんがうたコンに出演」。

 小浜港と言えば、雲仙小浜温泉(長崎県)や沖縄などにもあるが、この歌を聴いていて、海水の美しい若狭湾内の「鯖街道」の起点となっている小浜港にも数度訪れていたことを思い出した。そして、小浜市出身の友人と学生時代の一時期アパート同居生活を送ったことも思い出した。今どうしているのだろう。

keitokuchin at 23:41|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2017年02月06日

観行院虚空蔵堂の参道通行不可 (高良山麓巡り29)

 前回「水明荘(石橋家別邸)の前庭を歩く(高良山麓巡り28)」からつづく。

 (1) 放生池の北東部の車道沿い、「放生池中の島」の後方ガードレールに接して、「←虚空蔵菩薩 大祭日一月十五日 大祭日九月十五日」と書いた縦長の看板が建っている。(※画像1)
 虚空蔵菩薩は、十三仏の一で、人々に知恵を授けてくれるという。
 …高良山観行院虚空蔵菩薩:福岡県久留米市御井190。

1虚空蔵口看板 この辺り車道は、対面の丘陵の麓を削り放生池(御手洗橋より北部分:北池)の東側の池を埋めて作ったものではないのだろうか。
 そう思ったのは、厳島神社石祠が鎮座している放生池(北池)内の「中の島」の後方(東側)が車道と接しており、「中の島」になっていないからだ。


 なお、ここを通る高良山登山車道が開通したのは昭和36年(1961)と言われ、この頃から放生池の水が濁ったと聞く。

2虚空蔵口石標 (2) 道路対面の石垣の間にある斜面坂の路地(表参道口)を上ると、すぐ右に「虚空蔵堂・東へ200m 神籠石の終点がみられます」と書いた縦長の標識が建っている。 (※画像2)
 これと同じ形の標識を、放生池・御手洗橋ほかでも見かけたので、久留米市の公式観光標識なのかもしれない。

 (3) この先、路地の突当りに、丘陵の縁に作られた虚空蔵堂へ上る表参道石段(コンクリート製16段)がある。(※画像3)

3虚空蔵参道口石段 この石段を上ると右折し、この先にも、じぐざくに上る石段(約80段)が続くが、なぜか、この右折部分に二つのカラーコーンに結びつけたポールが置いてあり、この先には上れないようになっていた。
 この丘陵は、御井寺の裏山に続く峰で孟宗竹がたくさん繁茂しているので、一瞬「ここもイノシシ出没危険区域となっているのか」と思ったが、改めて辺りを見直すと、その石段の下の崖面に張られているビニールシートに気付き、崖崩れが起きているのだと分かった。


4吉見嶽口道 (4) 虚空蔵堂へ上るには、吉見岳へ行く道(※画像4)を少し歩くと、左方から上る脇参道(石段)もある。
 だが、表参道に、参拝者は脇参道に回るようになどの表示がなかったので、今は、虚空蔵堂の参拝できないのかもしれないと思い、そちらには回らなかった。


 後で聞いたら、やはり現在、虚空蔵堂の参拝はできないようで、本尊虚空蔵菩薩像は、御井寺に移され、上記看板にある1月15日、9月15日の大祭は御井寺で行っているのだと思う。(下記参照)

 (5) この虚空蔵菩薩のある観行院は、明治以前の「高良山二十六寺」と言われた寺院の一つで、「久留米ん昔話 (高良山の史跡)」には、「高良山観行院の虚空蔵菩薩(御井)」の記事が載っている(※下記は小生の意訳)。

 「今から千百年ほど前の貞観(じょうがん)年間(859~877)に「隆鑑法師」(高良山八世座主宗照の門弟)が、百日間の虚空蔵求聞持法(※修法書に従い虚空蔵菩薩を観想・想念しその御真言を1日1万回×100日間称える)を修法中に感得した虚空蔵菩薩の御姿を彫像し、この尊像を観行院に安置した。往古から『この虚空蔵菩薩を参拝すると御利益がある』と言われている。」

 上記事績から、ふと「観行院」の寺院名は、「虚空蔵菩薩想修行院」という意味なのかと、そんなふうに想った。

 なお、虚空蔵菩薩の御利益とは、虚空蔵菩薩は知恵を授ける神とされるが、ここでは、下記(7)のように「足手」(身体健康)、「商売繁盛」をあげている。
 以前、取引のある仏壇屋さんから「朝倉市上秋月:仁鳥の粟島神社(朝倉市日向石600)の奉仕者に、粟島さまの御真言を書いた額の注文を受けたが、その御真言が分からないので教えてほしい」と言われ、神仏混淆の時代、御祭神少毘古那神は虚空蔵菩薩と神仏集合していたので、虚空蔵菩薩の御真言を書いて渡したことを思い出した。ということは、虚空蔵菩薩は「婦人病」にも御利益があることになる。

 (6) 古来より「虚空蔵求聞持法」と言えば、真言宗開祖空海が土佐(高知県)室戸岬の御厨人窟(みくろどうくつ)で行った事績…修法中、口のなかに聡明な虚空蔵菩薩の化身・明けの明星が飛び込んできて虚空蔵菩薩と一体となり、悟りを開き「空海」と名乗ったという…があまりにも有名で、真言密教の秘法とまで言われている。
 しかるに、宗派を超えこの修法に挑戦したした僧はおり、ここ高良山でも天台密教僧が行ったことが分かる。そのときに彫像された虚空蔵菩薩像であれば国の重文級に匹敵するものなのかもしれない。(私は、この彫像を観たことはない)。

 (7) 大祭に係わる次の記事「虚空蔵さん」が御井町誌に載っている。
 「一月十三日、九月十三日に祭りが行なわれる。足手の神様(かみさん)といわれているが、本来は商売繁盛の神様で、参ると小遣いに不自由しないといわれる。祭りの日、御井寺は虚空蔵さんに十円硬貨を紙に包んでおく。お参りをした人はそれをいただいて財布に入れておく。いつのまにか包み紙がすり切れて、出てきた硬貨は知らないうちに使われると御利益(ごりやく)があるといわれている。そのとき頂いたお金は、次のお祭りに参拝して倍にしてお返しする。十円の場合は二十円返す。」

 (8) 虚空蔵堂表参道口と高樹神社との間の三叉路には、「高良山の自然と史跡をだいじにしましょう」ほかの看板・標識、幟等が林立している。
(※画像5)
5吉見嶽口看板 ・今はここを通っていない西鉄バスの「高樹神社前」バス停の旧標識。
 ・「高良山北谷」の公式標識(吉見嶽城址まで800m、琴平神社を祀る、永世和平の碑と記す)。
 ・「←吉見嶽城址」の標識。
 ・「Cコース←琴平神社、吉見嶽」のウォーキング用標識。
 ・日本料理青柳荘(※愛宕神社県道口の手前にある)の看板や、手打ちそば(※吉見嶽方向に曲がってすぐ左にある)の看板・幟。その他省略。

 今回の高良山麓巡り(2016.11.13)は、ここで時間切れとなった。

 ※今回のトップ→「高良山放生池の周辺を散策(高良山麓巡り13)」。
 ※次回→「朝妻の清水・味水御井神社(1)(高良山麓巡り30)」。

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