2018年11月

2018年11月30日

退院後2か月検診

 11/28福岡山王病院で退院後2か月の診察を受けに行った。
 PSA検査の結果は「0.00」に下がっていた。にもかかわらず医師は、月1回のゴナックス80mgの皮下注射とビカルタミド錠80mgの毎朝服用について、突然「2年続ける」と言われた。
 先月まで1年と言われていたのに、なぜ2年に延びたのか、「この治療を続けて再発した人はいない」と言われたけど、かなりショックを受けた。

 また、放射線照射治療の後遺症に加えて、この注射、薬剤によるホットフラッシュ、下半身の火照り、だるさなどの副作用で熟睡できない辛さを訴えてみたら、「考える」の一言で具体的な話はなかった。仕方なく、近くの薬局で「命の母A」を買って服用してみようかと思っている。

 帰宅後、皮下注射をした腹部が腫れあがり痛い上に、胸がむかつき発熱、翌日になっても熱が引かず、寝込んだ。風邪のようには思えなかったが、夕食後、ジキニンを服用して寝たら、熱は治まった。だが、前日から便秘症状が続いている。

 そんなとき、Iさんが送ってくれた「闘病記-八十六歳ガンに挑戦 やりたい事はなんでもやれ/森田眞弘/崙書房出版900円」という図書が届いた。
 86歳という高齢でリンパがんの手術を受けた著者の闘病日記がリアルに書かれており、一気に読んだ。今もその後の闘病生活は続いているものと思うが、前向きの姿に共感した。辛くても前向きに頑張って生き抜く意思、この意気は必要だね。

 まだ、腹部の腫れは引かず、今回の腫れの広さと痛みは最高、ちょっと触れただけで痛い。
 この腹部への皮下注射による痛みは、概して1週間から10日ほど続く。これまで、たまに痛み、腫れが早く治まるときもあったので、看護士さんの腕もあるのかもしれないが、やはり、この注射、好きではない。それにしてもやはり2年は長いな。


keitokuchin at 16:25|PermalinkComments(0)

2018年11月28日

久我美術館の森の紅葉 (須惠町)

 前回「皿山公園の紅葉・黄葉(須惠町)」から続く。

 前回の須惠町立歴史民俗資料館前から散歩道「ささやきの小径」を15分ほど歩くと静寂な佇まいのなかに建つ「久我記念館」(福岡県糟屋郡須惠町須惠77-1)の裏側に着く。

 (なお、車の場合、一番田🚥付近の案内板に従って藤浦団地に入り突当りの坂道を上ると、途中に数台分の駐車場がある)。

 「久我記念館」は、江戸時代の須恵器(黒田藩須惠御用窯製の磁器)の常設展示館となっているが、時々美術展なども開催されている。
 11月中〜下旬、この久我記念館を囲む森の一部では、順次色づく楓の緑葉、黄葉、紅葉が観られる。
 ここに植えられている楓の本数は多く須惠町の晩秋の紅葉の名所となっている。
 今回、撮った写真の一部を掲載しておく。

1久我美術館裏玄関2久我美術館玄関3久我美術館左4久我美術館左側5久我美術館左方6久我美術館しゃくなげの郷9久我美術館東屋前7久我美術館前から8久我美術館東屋10久我美術館東屋森と落ち葉11久我美術館東屋付近落ち葉12久我美術館後方森

keitokuchin at 00:10|PermalinkComments(0)

2018年11月27日

「日吉神社の銀杏」とその黄葉 (福津市内殿)

1日吉社・銀杏 ・福津市内殿の笑尺(わらいじゃく)という集落の奥まったところに日吉神社が鎮座している。

 ・この日吉神社の境内に、大小2本の銀杏の樹が生えている。
(※画像1)

 ・所在地
 福岡県福津市内殿110番地
 日吉神社境内




 (1) 神木・銀杏の黄葉

 ・最近、福津市では、この「日吉神社の銀杏」を「福津三十六景」の一つに数えてPRしているので、広く知られる存在となり、特に11月中〜下旬には、車でこの銀杏の黄葉を見学に行く人が増えている。


2日吉社・銀杏 ・この季節、「一の鳥居」が建っている境内広場に車を停めて、その奧を観ると、石段を挟んだ一段高い石垣・玉垣の右後方に、黄色く染まった銀杏の葉が観える。

 これが、美しく黄葉した日吉神社の銀杏の葉である。
(※画像2)




 ・この樹が生えている場所は、日吉神社の拝殿の右手前で、そこに、まっすぐに伸びた大小銀杏樹が2本並んで立っている。


3日吉社・銀杏 ・このうち幹の大きい方が、この神社のご神木で、樹齢は約500年、また、胸高の幹周りは約5.5m、樹高は30mあるという。

 ・11月中旬頃は、まだ木枝には緑を残す葉と、黄葉した葉がミックスしており、ちらほらと散り行く黄葉も観られる。
(※画像3)



 ・そして、日が進むと、日々、地面に散り積もった落葉が地表を覆い、美しい黄金の絨毯を敷き詰めたようになる。


 (2)地元で聞いた話

 ・ふと、数年前の夏(2010=平成22年7月17日)に、参拝に訪れたとき、当時日吉神社総代(宗像大社氏子会副会長)をされていた中村昇様とお会いし、次のようなお話しを伺ったことを思い出した。

 ・「銀杏の葉が落ちると辺り一面が黄色に染まりとても美しい。だが、この葉は、腐葉土にならないので、氏子さんらが履き集めて(山に、だったか)捨てに行かねばならないので大変です。」

 ・黄葉を観るだけの者にとっては、その美しさに癒されるが、その裏では、毎年、思いもよらぬ氏子さんらのご苦労があっているのだと、このとき初めて知った。

 ・また、「この銀杏の木には、昔から大きな蛇が棲みついていると言われています。以前、村のものが木に登って、蛇の抜け殻を見つけたことがあったので、ひょっとしたら幹の中に空洞ができており、そこに今も蛇が棲みついているのかもしれない。」というようなお話もされていた。

 ・きっと、この神社を守り続けている蛇神さまかもしれないが、この銀杏の樹は、これからもこの神社の神木として、地元の人たちも守り続けて行かれることだろう。合掌。

 ※なお、次回以降、この「内殿の日吉神社」について、若干触れておくことにする。

 ※つづく→「日吉神社〜盗難、廃屋、厄神社など(福津市内殿)」。

keitokuchin at 00:30|PermalinkComments(0)

2018年11月26日

皿山公園の紅葉・黄葉(須惠町)

 (1)須惠町立歴史民俗資料館前

1皿山公園黄葉 11月下旬になると、須惠町立歴史民俗資料館(福岡県糟屋郡須惠町上須惠21-3)の前にある広場の道路に面した部分に植えられている広葉樹(楓、銀杏、櫨など)が、紅葉・黄葉する。
(※画像1、2)


 ここは、皿山公園の入口に当たる場所で、唯一、紅葉(楓、櫨)、黄葉(銀杏)が観られる場所でもあり、この季節、カメラを持って訪れる人たちも多い。

2皿山公園紅葉 確かに楓の色濃い紅葉は美しく、また黄色に染まった銀杏の葉、そして、その落ち葉が地表を黄金色に染めているさまもよい。





 なお、ここには駐車場(無料)もあり、また、陽当たりも良く、ここから須惠町(西方)〜志免町方面の景観も楽しめる。

 (2)よか処やまもも

3やまもも- この数十米先に、「よか処やまもも」(須惠町上須惠239-1)というお食事処があるが、その玄関近くに植えてある楓の紅葉を愛でることもできる。
(※画像3)



 やまもも(山桃)の樹は、須惠町のシンボル樹木であり、その名を店名に付けたのだろうが、御膳物を注文すると小さな山桃の実が付いていた。因みに御膳物には名物団子汁御膳(1200円)ほかがあり、立ち寄って食事をした。

4やまもも和室窓 昼時で、お客が多く、幸い空いていた奥の和室に通されたので、この和室の窓から、窓の外に生えている楓の紅葉を含めて、庭の景色も観賞できた。
(※画像4)



 ただ、庭に小石仏が置いてあり(※画像4の左側の岩の前)、玄関、店内などで各種祈祷札が目に付き、また、レジ前に今月の神さまの言葉などの配布用チラシが置いてあるなど、お食事処としては違和感もあった。  

 ※次回→「久我美術館の森の紅葉 (須惠町)」に続く。

keitokuchin at 11:33|PermalinkComments(0)

2018年11月25日

紀平梨花さんがまた金!!(2018フランス杯)

 前回「紀平梨花さんが金。やったね!! (2018年NHK杯)」の末尾に、「まだフランス杯が残っているが、GP2018に出て欲しいと願う。」と書いていた。

紀平梨花 その紀平梨花さん(関大)が、フランス杯(フィギュアスケートGPシリーズ6戦)で、シングル2位から、フリーで逆転の「金」。

 (総合205.92の高得点)


 「またもや、やったね!!」。
 そして、初のGP(グランプリ)2018出場が決まった。

 この16歳の新星のGP進出には、世界が目を見張ったのではないだろうか。GP2018(12/6開幕)で優勝する可能性も目に浮かぶ。応援しよう!!

 これで、GP2018には、5人(男2人=羽生結弦、宇野昌麿、女3人=宮原知子、坂本花織、紀平梨花)の日本人選手が出場することになった。楽しみ。

 「人生をかけてスケートをやっている。遊んでいる暇はない。」(紀平梨花)

 ※追記:11/29羽生結弦選手は、怪我の回復ならずGPファイナル出場辞退を発表した。スポーツにはどうしても怪我が付いて回る。ゆっくり養生し完治を祈ります。

 ※次回→「紀平梨花さん=GPファイナル初出場初優勝!!」。

keitokuchin at 19:33|PermalinkComments(0)

2018年11月24日

高良山公園の紅葉 (高良山麓巡り46)

 前回「印鑰神社・宗崎の観音・六地蔵幢(久留米市御井町宗崎) 高良山麓巡り45」から続く。

1高良山茶屋前から久留米市街を望む 11月下旬、高良山には、紅葉を楽しめる場所が数か所ある。

 今回は、「高良山公園」(久留米市御井町1)の紅葉を撮ってきた。



 「高良山公園」というのは、高良大社本坂石段下・三の鳥居(赤鳥居)前の「高良山茶屋」、その横の駐車場・展望所付近をいう。
 ただし、ここは、この展望所から久留米市街や宝満山の山並みを遠望する、加えてその下方、県道(高良山登山道路)ヘアピンカーブ周辺に植えられた楓の紅葉を眺める公園であり、人が動き回るような場所はない。

 ときとぎ歩道のないこの県道(車道)を歩いている人を見かけるが、紅葉の季節には、特に車の交通量も多いのでハラハラする。

2高良山公園ヘヤピンカーブ車道沿 紅葉美の加減は、年によって違うし、期待しすぎてがっかりすることもある。

 でも、毎年、この季節には紅葉祭もあり紅葉狩りに訪れる人たちが後を絶たない。



 車で訪れる人たちが多いが、山麓の二の鳥居から続く自然石の長い石段参道を歩いて上り下りする人たちも多い。
 なお、ここは高良山の山腹なので、この季節、風も冷たく、気温が下がり冷え冷えとすることもあり、その方の注意も必要である。

 ※次回→「印鑰神社の桜(高良山麓巡り47)」。

keitokuchin at 00:38|PermalinkComments(0)

2018年11月22日

御手水滝と御手水瀧観音堂・瀧見観音(志免町)

1御手洗滝と観音堂 ・先に記した「志免平成の森公園を歩く(志免町) 」で、芝生広場の奥の山峡にある「御手水滝と観音堂」は別記するとしていたので、今回記す。「御手水滝(瀧)」は、「おちょうずのたき」と読む」。(※画像1)


 ・所在地:福岡県糟屋郡志免町吉原660志免平成の森公園内

 ・小生は、平成初期に志免平成の森公園建設工事が始まる以前に、時々、「御手水瀧観音堂」(本尊瀧見観世音菩薩)の参拝に訪れていた。
 ・この途中は、今は芝生広場となって、以前とは様子が変わっているが、御手水滝(瀧)と観音堂の周辺は、その頃と殆ど変わっていない。


 (1) 御手水滝(瀧)

 ・山峡の水は、観音堂の左後背の崖の中腹に埋め込まれた丸いコンクリート製の土管(配水管)から流れ落ち、観音堂の左下方を流れている。(※画像2)
 なお、本稿では、便宜上、滝と瀧(固有名詞)を使い分けているが、同じ意味である。

2御手洗滝 ・土管の下方にある盤石の段差(斜面)が急斜面になっており、この部分を「上段の滝」といい、また、観音堂のある崖下にある小さな段差を「下段の滝」と称しているが、見た目には疑問も多い。
 確かに、上段の滝の下方には、火炎が赤く彩色された滝の守護仏「不動明王」の石像が置いてあるので、ここを滝と称するのかもしれないが、ここで滝行はできない。


 要するに上段、下段にしろ、ここは、谷あいのごつごつとした盤石の上を川水が流れている山川の風景であり、落差のある崖から流れ落ちる滝というイメージはない。

 ・谷の奥の崖の途中(上段の滝の上)に埋め込まれた土管は、下水管のように見えて甚だ情緒がないが、にもかかわらず、やはり、ここから落差を以て流れ落ちている水流が御手水滝ではないかと思う。以前から、当地を訪れる度に抱いている疑問である。

 ・崖の上に数軒の住宅が見えるが、これらは、この丘陵が住宅団地開発で出来た桜丘の住宅の一部で、この部分には多くの住宅が立ち並び、その後方に、大きな池=「御手水池(おちょうずのいけ)」(志免町桜丘3-24)がある。(※画像3)


3御手水池 ・この池の周囲は「桜丘中央公園」として整備されているが、この御手水池が御手水滝の水源である。
 なお、御手水池には、御手水滝入口の左にある階段を上り公園「西口」に出れば歩いて数分で行ける。


 ・「御手水」は「御清水(おしょうず)」と同意とされるので、この池は湧水池で、古来、神聖池だったと想像する。
 
 ・現在、崖上と御手水池との間に、区画された多くの住宅が建っているので、昔のこの辺りの崖上の様子を伺うことができない。
 だが、昔は、溢れた池の水が崖から流れ落ちる水路があったのかもしれない。或は、地下水となった池の水が崖の途中(今と同じような場所)から流れ落ちていたのかもしれない。
 そのいずれにしろ、この崖から流れ落ちる水を御手水滝という方が相応しく思えるが、今は昔の滝の光景を観ることはできない。

 ・もし、今、ここで修行者が滝行を行うとしたら、水量は多くはないが、やはり土管から流れ落ちる水を背にして行うしかない。かつて参拝に訪れた頃、そこで滝行をするという行者さんと会ったことがあるが、現在もここで滝行があっているかどうかは分からない。
 なお、小生は、ここで滝行をしようと思ったことはないが、参拝時に観音堂前で手錫杖を振ったことはある。
 今も森に囲まれた静寂な地で精神統一には適している。


 (2) 御手水瀧観音堂

4御手洗滝観音堂石段 ・この観音堂は、
糟屋郡三十三ヶ所観音霊場第十三番霊場 御手水瀧観音堂(本尊瀧見観世音菩薩)
と称する。
  (※瀧は滝の旧字)。

(※画像4)



5御手洗滝観音堂灯篭1 ・石段の上に一基の砂岩質の石燈籠が建っているが、「奉寄進」「文化五天」「六月」(1808)の文字が読めるので、この霊場は、既に江戸中期には開かれていたことが分かる。
 (※画像5)





6御手洗滝観音堂 ・石段を上り詰めた場所の奥に設置してある割と大きく頑丈な石祠が「御手水瀧観音堂」である。(※画像6)

 ・その中に石造「本尊瀧見観世音菩薩坐像」(割と大きい)が安置されている。


 ・正面の観音開きの重い石扉が少しだけ開いており、中を覗き込むことはできるが、暗くてその全体像を確認することはできない。  

7御手洗滝観音堂石祠 ・この石祠を覆う木造の覆い屋兼拝殿があり、祭壇が設置され、線香、香炉、蝋燭立、花瓶等の仏具が置かれ、花瓶には新しい生花が入っており、拝殿内の清掃も行き届き、参拝、奉仕者がおられることが伺える。(※画像7)


 ・石段の入口付近に、「郡中第十六番札(所)」と刻した古い石碑が立っているが、この「第十六番」は、上記の「第十三番」とは符合していないので、ひょっとしたらこの「第十六番」は、三十三観音霊場ではない別の霊場、例えば糟屋郡(旧表糟屋郡)中八十八ヶ所霊場などの札所番号だったのだろうか。

 ・石祠の前や拝殿内には、雑然と大黒天像、地蔵菩薩像、弘法大師像ほかが置いてあり、また、石段を含む観音堂や滝の周辺の地表上を注意して見ていると、不動明王像(火炎彩色有や無し)、地蔵菩薩像、弘法大師像、三宝荒神像、観音菩薩像、文殊菩薩像ほか、23体の石仏が置いてあるのに気付き、少なくとも江戸時代以降、当地が修験や民間信仰の霊場となっていた歴史の長さを感じる。

 (3) 史料

 ・筑前国續風土記附録「(表糟屋郡吉原村) 村の南三町斗に瀑布あり。御手水(ヲテウズノ)瀧と云。水の落下る所は八間はかりあり。瀧の側に観音堂有。」
 ・筑前国續風土記拾遺「(表糟屋郡吉原村) 御手水瀧 村の坤三町斗に在。 水勢強からすといへとも、谷底の盤石に傳ひ、 一條の逬泉屈曲緩急段々に断て又連る。 其間長くして最奇観也。 上流に大なる池有(水面壱町) 夏日其水を引時殊によろし。 側に観音堂有。」

 ※リンク1→「お寺巡りの友 御手水瀧観音堂(瀧見観世音菩薩)」。リンク2→「福岡県の滝 御手水の滝」。

 ※本稿「志免平成の森公園」関連
 →「ツワブキの花咲く季節になった(困難に負けぬ)」。
 →「志免平成の森公園を歩く(志免町) 」。
 →「松ノ尾古墳群(志免町)
 →「吉原の板碑(志免町)」。

keitokuchin at 15:12|PermalinkComments(0)

2018年11月20日

吉原の板碑(志免町)

 前回「松ノ尾古墳群(志免町)」から続く。

 (1) 板碑広場

 ・俗に「吉原の板碑」と称されている板碑は、公式には「観応三年銘梵字石碑」といい、平成3~4年(1993~1994)、志免平成の森公園の建設が進められるなかで調査が行われ、平成8年(1996)5月31日に福岡県指定文化財(考古資料)となった。

 ・所在地:糟屋郡志免町吉原892(志免平成の森公園内)


1吉原の板碑覆い屋 ・この「吉原の板碑」は、志免平成の森公園の「東口」(吉原888)の丘の上、即ち、東口から斜面に設けられた階段を上ると、少し平らに開けた芝生の丘「板碑広場」があり、その一画に建つ社祠を思わせる覆い屋(白木造り銅板葺)のなかに建っている。
 ただ、覆い屋の前面に張られているガラスが反射し、そのなか板碑が、よく観えない。(※画像1)



2吉原の板碑周辺 ・この「板碑広場」は、一見すると上部が平坦に削られた円墳を思わせる形状があり、また、ここには、かつて堂宇があったのではないかと考えられ、発掘調査もされたようだが、何も発見されなかったらしい。(※画像2)


 (2) 祟り地蔵

 ・ここは、平成の森公園・松ノ尾丘陵の頂上(標高50.5m)から続く東の尾根の末端部に当たるが、この丘陵の公園化計画が進む以前は、一面の竹やぶで、この板碑も竹藪のなかに埋もれるように建っていたという。

 ・このかつての竹藪のなかに板碑があることは、以前から知られていたが、地元の人たちは、なぜか、この板碑のことを「祟り地蔵」と称し近づかなかったという。

 ・この地の南方の谷あいに「地蔵谷池」があるが、してみると、この「地蔵」とは、この板碑のことで、この「板碑地蔵」をもって「地蔵谷」の呼称が生まれたのかもしれない。因みに、前回、この「地蔵谷池」の水源は、その南方の丘陵、桜山王日吉神社(桜丘5-4-11)がある森だと記した。

 ・ところで、この板碑が「祟り地蔵」と称されたことについて、勝手に次のような推測(思い付き)をした。
 板碑の刻「観応三年」(1352)は、南北朝時代の観応の擾乱(1346~1352)の最中で、正平一統の崩壊により復活した北朝方(足利尊氏)の年号であるが、その後、1358年(南朝/正平13年、北朝/延文3年)、南朝方の懐良親王が大宰府を抑え征西府を置き当地方を掌握したことにより、北朝年号でこの板碑を建立した「吉原村若衆二十四人」に災いがあったのかもしれない、そんなことを考えてみたが、何の根拠もない。


 (3) 板碑の銘文

3吉原の板碑[志免町HP] ・現在、板碑(石碑)を覆っている「覆い屋」の前面に取り付けてある嵌め殺しのガラスが反射して、そのなかの石碑が見えにくく、直接その刻字を読むことも、また、石碑をきれいに撮影することもできないので、その前に建っている「観応三年銘梵字石碑(吉原の板碑)案内板」や「志免町HP」「県・有形文化財HP」等を見ながら、以下、板碑の形状、刻銘等について記す。

(※画像3・志免町HP掲載の画像を転載)。



4吉原の板碑図 ・形状〜方柱状。
 ・石材〜花崗岩(自然石)
 ・正面〜北西向き。
 ・地表上の大きさ
〜高さ120cm、幅45cm、厚さ40cm。
 (※画像4・案内板掲載の板碑測量図)



 ・刻字(上相部)〜円(直径30cm)内に梵字の「バン」(大日如来)の薬研彫。
 ・刻字(下相部)〜「十方佛土中 唯有一乘法 無二亦無三 除佛方便説 観応三年十一月九日 吉原村若衆二十四人 敬白 蓮融

 ※「十方佛土中 唯有一乘法 無二亦無三 除佛方便説」は、長文の法華経方便品のほんの一部分である。

吉原の板碑説明 ・この偈文を、案内板は「仏法の世界のなかには唯一の心理しかない。それは二つとなく、ましてや三つもない。皆さんが教わった仏の教えは一つの方法であって、真実ではないので、それを除くことです。」と説明している。


 ・なお、「県・有形文化財HP」には、この銘文は、隣町(須惠町)の佐谷神社に残る「正中二年(1325)銘梵字板碑」にもあるとあるが未確認。

 ※「観応三年(1352)十一月九日」に「蓮融」という僧侶の提唱で先祖供養、後生安泰等を祈念して「吉原村若衆二十四人」が建立したということか。蓮融についての詳細は不明。
 
 ・なお、「県・有形文化財(考古資料)HP」に、「吉原村若衆二十四人の記述は、惣の中核をなす若衆と考えられ、老若からなる惣組織の年齢階梯制を示す貴重な資料であるとともに、吉原村の自衛・自治組織の一端をも物語る資料である」との記述があるが、よく分からない。

 ※県・有形文化財や志免町HP、案内板等に、板碑にある「観応三年という年号は南北朝時代、北朝方の足利直義が使用したもので貴重」などとの説明があるが、足利直義は同年二月に死亡(太平記には毒殺)しており、この板碑が建立された十一月には既に生存していないので、この説明は分からない。
 観応三年という年号は、南北朝の一時的な和議により成立した正平一統が崩壊したとき、北朝方の足利尊氏が復活した年号ではないのか。その時点(三月)には既に直義は他界していた。
 

 ※次回→「御手水滝と御手水瀧観音堂(瀧見観音)志免町」。

keitokuchin at 18:18|PermalinkComments(0)

2018年11月18日

松ノ尾古墳群(志免町)

 前回「志免平成の森公園を歩く(志免町)」から続く。

 (1) 松ノ尾古墳群の概要

1松ノ尾古墳群2.3号 ・松ノ尾古墳群は、桜丘3丁目の北東部につながる丘陵の末端部・志免平成の森公園内に存在する10基(※古墳広場に1〜9号墳、丘陵の頂上部に10号墳あり)の古墳の総称である。
(※画像1)


  [所在地] 福岡県糟屋郡志免町吉原892。

 ・松ノ尾古墳群は、古墳時代前期〜後期(4〜7世紀)の長期間に亘り順次造られて行った古墳と推定されている。なお、10基のうち7基の古墳は、当地方では珍しい「方墳」である。

 ・桜丘丘陵は、月隈丘陵の一部で、月隈丘陵内では、桜丘古墳群、観音浦古墳群、萱葉古墳群(かつてボタ山があった)などの古墳群が存在していたが、現在、それらの古墳群はすべて消滅し、その跡地は住宅地となっている。


2松ノ尾古墳群1〜9号配置図 ・そのようななかで、唯一、開発が遅れ、住宅地とならず、幸運にも「志免平成の森公園」内の小丘陵なかに取り込まれるように残されたのが「松ノ尾古墳群」である。
(※画像2)



 ・志免平成の森公園整備が進んだ平成5年(1993)頃以前、時々、この小丘陵の西奧部にある御手水滝観音堂の参拝に訪れていたが、隣接している当小丘陵には雑木が鬱蒼と生い茂り、近づき難く、一度も足を踏み入れたことはなかった。

3松ノ尾古墳群1・2.3号 ・それだけに、現在のように公園化され、特に芝生に覆われた「古墳広場」で9基の古墳を一目瞭然のように観賞できることは驚きでもある。
(※画像3)




 ・因みに「方墳」は、福岡県では祇園山古墳(久留米市)がよく知られているが、出雲系、古代物部氏系、倭国・九州王朝系などの古墳と指摘する説もある。


 (2) 松ノ尾古墳群1〜10号墳の案内

 ・現地に建っている志免町教育委員会の古墳案内を見ながら松ノ尾古墳群1〜10号墳について、次のようにまとめておく。

  [古墳広場]

 ・古墳広場は、駐車場の後ろ(南側)の丘陵山麓の芝生で覆われた傾斜地にあり、ここに設置されているローラースライダーの遊具を挟むように「松ノ尾古墳群10基のうちの9基(1〜9号墳)」が保存されている。

 ・1号墳方墳、古墳時代前期築造(1650年前)。

4松ノ尾古墳群1号 ※最初に1号主体部(「組合せ式木棺墓」/※画像4の左側)が築造されて、その後に、2号主体部(「箱式石棺墓」/※画像4の右側)が並べるような形で築造された。
(※画像4:発掘当時)


 ※1号主体部から管玉折れた鉄剣が出土。鉄剣は意識的にいられていたので弔いのときに剣を折る風習があったのではないかと推測されている。なお、2号主体部は発掘以前に盗掘されていた。

 ・2号墳・3号墳・4号墳・5号墳・7号墳・8号墳方墳
 ・6号墳円墳。…詳細の案内なし。


5松ノ尾古墳群9号 ・9号墳
 〜「石棺系竪穴式石室
 ・石室から手鎌が出土
 ・古墳時代前期後半築造(約1600年前)。

(※画像5、復元された主体部のレプリカ、現地に保存)


 ※古墳の近くで、弥生時代中期(約2000年前)の穀物貯蔵庫4基が発見され、この東側200mで同時代の住居址(松ヶ下遺跡)が見つかったので、この周辺一帯には弥生時代の生活圏があったと考えられる。
 なお、松ヶ下は、松ノ尾丘陵の下方という意味だろうか。

 
  [丘陵頂上部]

6松ノ尾古墳群10号 上記古墳広場から南方に、丘陵をほぼ直線的に上った丘陵の頂上(標高50.5m)の平坦部(30×40m)で古墳1基=(10号墳)が発見され、発掘調査後、現在、同地にはターザンロープの遊具が作られている。(※画像6)



7松ノ尾古墳群10号 (2) ・10号墳
円墳=直径6m、周溝幅1m、「横穴式石室」=広さ約3畳。
 古墳時代終末築造(約1350年前)。
(※画像7:発掘当時)  


 ※大化2年(646)の薄葬令で古墳が造られなくなって以降、この10号墳の「横穴式石室」は、平安時代(約1200年前)まで墓地として再利用されたことが、出土した土師器、須恵器、鉄鏃等の年代測定で判明した。 


8松ノ尾10号墳 ※かつて、この松ノ尾の丘陵と隣接する桜丘に「桜丘古墳群」があったといい、その石室は、「横穴式石室」だったと言われているが、この古墳群は桜丘住宅団地の開発ですべて消滅しており、その詳細は不詳。(※画像8)


 ※松ノ尾古墳群(及び志免町内の古墳)の出土品や考古資料は、「志免町歴史資料室」に展示してある。
 ※松ノ尾古墳群調査報告書は、「福岡県糟屋郡志免町所在平成の森公園建設に伴う古墳群の発掘調査報告」(志免町教育委員会/1993刊)がある。


 (3) 付記:「桜山王宮日吉神社」との係わり。(私見)

 ・この「松ノ尾古墳群」の存在は、周辺が志免平和の森公園として整備される以前から知られており、当時から「松ノ尾古墳群」の名で呼ばれていた。
 ・そのため、小生は、この「松ノ尾」は当地の地名で、この小丘陵を「松ノ尾山(丘陵)」というのかと理解していた。
 (糟屋郡志免町大字吉原字松ノ尾)。

 ・本項は、「松ノ尾」の名から「松尾神社(松ノ尾神社)」や「松尾大神(松ノ尾大神)」、或は、松ノ姓や三階松の神紋を用いた倭国(九州王朝)の末裔などが思い浮かび、小生が、この「松ノ尾」の名から連想したアプローチ(私見)である。
 考えがまとまっていないが、以下、雑記する。

 ・松尾神社の主神松尾大神=大山咋命(比叡神)は、古代宗像氏や物部氏、秦氏などとの係わりが知られている。

9桜山王日吉神社 そこで松ノ尾古墳群の近く(10号墳の南方約850mの丘陵上)にある大山咋命を主祭神とする「日吉神社」(※桜山王宮日吉神社/※画像9)と、松ノ尾の地名や松ノ尾古墳群(被葬者)は係わりがあるかもしれないと考えた。

 ※日吉神社鎮座地:糟屋郡志免町桜丘5-4-11。

 ・この「日吉神社」は、当松ノ尾の小丘陵のすぐ南方にある地蔵谷池の水源の森の丘陵上にある磐座を御神体としている。

 ・因みに大山咋命は、大歳神(大年神・饒速日命)の子で古代物部氏と係わる。
 また、秦氏が奉斎したとも伝わる京都・松尾大社の起源は、宗像大社内に鎮座する松尾神社ともいわれ、主神松尾大神・大山咋命の妻神は、宗像三女神の一市杵島姫命で宗像氏とつながる。

 ・同日吉神社の配神の一「瀬織(津)姫命」は、宗像三女神の一湍津姫神と同神説があり、また、神饒速日命の妻神説もあり、宗像氏や物部氏とつながる。
 ・同配神の一「八幡神」は、近くの宇美八幡宮の八幡神(応神天皇)と考え、宇美を3世紀の魏志倭人伝にいう不弥国との係わりで考えると、九州倭国ともつながる。

 ・雑然としているが、要は、もし松ノ尾古墳群がこの日吉神社と係わっていると考えることができたら、この古墳の被葬者は、「方墳」という形式の古墳を数多く有していることも併せて考えても、少なくともヤマトとは係わりのない人たちとなる。これは、周辺地域の古墳のすべてにいえることかもしれない。

 次回→「吉原の板碑(志免町)」。

keitokuchin at 23:56|PermalinkComments(0)

2018年11月16日

「志免平成の森公園」を歩く(志免町)

 ・「志免平成の森公園」は、志免南小学校の裏(南)側、志免町桜丘3丁目の北東部にある松ノ尾丘陵(標高50.5m)とその山下の一部を整備して設けられた。
 ・所在地:福岡県糟屋郡志免町吉原660ほか。
 …総面積約6如C鷦崗譴△(76台)。

 ・公園内の駐車場側からの入口は3か所(芝生広場表口、古墳広場口、東口)あり、丘陵頂上の展望台に行くには、そのいずれもからも急坂(階段あり)を登らねばならないが、別に桜丘3丁目からさほど登らないで頂上に直行する西口もある。

  芝生広場

1志免平成森キャンプ場入口 ・芝生広場入口(公園表口)は、志免南小学校裏側の小川(右側)と駐車場の南西にある住宅地(左側)の間の里道を2分ほど歩くと、その突当りにある。
(※画像1)



 ・芝生広場内には、管理棟、炊事棟、トイレなどの施設があり、小川沿いにバーベキューやキャンプ等のサイトが設けられている。
 今回、出かけた日が日曜で天気もよかったからか、数組の家族がバーベキューを楽しんでおられた。
 (なお、バーベキュー、キャンプは、下記の都市整備課に事前届け出が必要とのこと)。


2志免平成森小川 ・この小川は、御手水滝から流れ出る川水を流す浅い水路(整備された石畳あり)で、その川水が緩やかに流れている。
(※画像2)




 なお、5月下旬〜6月中旬の夜には、この小川を餌付けで養殖された蛍が飛び交うらしい。


3志免平成森スズメ蜂注意 ・また、小川に沿った「石畳の遊歩道」を歩いていたとき、左側の芝生のなかにある「スズメバチに注意」と書いたスズメバチの絵入りの看板が目に付いた。
(※画像3)



 凶暴な「スズメバチ」に対する注意喚起を呼びかけるものだが、実際にスズメバチに出合ったら、どうしょうかな。


4志免平成森展望所へ ・芝生広場の奥の山峡に「御手水滝と観音堂」(※別記)があるが、その手前の左側から「頂上展望台」に登る急坂の階段遊歩道がある。
(※画像4)

 なお、西口を除き、上記したように駐車場から展望台に行く道は、つごう3か所あり、どの遊歩道を選んでも急斜面の坂道、及び階段道を上らねばならない。


  頂上展望台

5志免平成森展望台 ・上記の階段遊歩道は、途中で二股になっているが、ここを右折すると桜丘3丁目の「西口」に出てしまうので、左折して、さらに少し登ると、前方に丘陵の頂上に作られた「展望台」が見えてくる。(※画像5)


 ・木製の強固な展望台の階段を上り詰めても、その周りを埋め尽くしている樫や赤い実が満開のモチノキなどの樹木が高く成長して枝葉を広げ、四周の風景を遮っており、展望台としての役割を万全には果たしていない。

6志免平成森展望台から桜が丘 ・それでも二か所、樹木の間から眺望できる個所がある。
 そのうちの一か所からは、西側に隣接する高台、桜丘2丁目の住宅団地の一部を望むことができる。
(※画像6)



7志免平成森展望台から志免 ・また、もう一か所は、ここから北方の眺望で、乙犬山の遠望、「旧志免鉱業所の櫓」と、その右前方に広がる志免町の中心地を望むことができる。
(※画像7)




 ・展望台の横には、「ターザンロープ」や「平均台」などの木製遊具が設置されており、子供たちが掛け声大きく遊んでいた。また、休憩用の「木製ベンチ」も設置されている。
 また、ここは「松ノ尾古墳群10号墳」が設けられた場所である(※次回別記)。


  東口

 ・頂上から、まっすぐ北に下ると古墳広場に到るが、右(南東)に下ると、途中、「吉原の板碑(板碑広場)」(※別記)を経て、平成の森公園「東口」(吉原888)に到る。


8志免平成森展望台下(北側) ・「展望台」から「吉原の板碑広場」に下る途中の林のなかには、急斜面をジクザクに上下する階段が設けられている。(※画像8)
 なお、この道を登りに選んでも、かなり労力を要するだろう。



9志免平成森東口 ・「東口」は、駐車場前の手前(東側)の里道を南(地蔵谷池方向)に200mほど上った右側にあり、ここは「吉原の板碑(板碑広場)」のすぐ北下にあり、同板碑を見学には便利な出入口である。
(※画像9)


 ・前回記した「ツワブキ」の群生は、多分自生ではないとは思うが、この東口の北側の日陰の斜面にある。
 ※前回別記→「ツワブキの花咲く季節になった」。


  古墳広場

 ・駐車場のすぐ後方(北側)にある丘陵を「古墳広場」という。

10志免平成森古墳広場 ・ここに「松ノ尾古墳群1〜9号墳」がある(※次回別記)。
 ・芝生で覆われた丘陵の斜面上に、並んで築造されている土饅頭が古墳で、方墳、円墳、石棺、木棺等の群集墳か。(※画像10)



11志免平成森ローラースライダー ・この古墳群の間に、丘陵を下り下りる103mの「ローラースライダー」が設置されている。
(※画像11)
 休日には、子供たちがこの「ローラースライダー」を滑り下りる姿がみられる。


 ・なお、この間の道を南方にほぼ直線的に登ると頂上展望台に到る。
 また、右隅の9号墳の後ろから山裾を横ばいする遊歩道を進むと、上記「芝生広場」の炊事棟、トイレに到る。

12志免平成森全体図 ・志免平成の森公園は、自然林に囲まれた憩いの公園ではあるが、何しろ丘陵を切り開いた公園で、丘陵部分は山登りとなるので、ウォーキングなどに利用する高齢の人たちは少ないように思う。
(※画像12)


 なお、公園を一周するのに要した時間は、休憩含め1時間。

 (※備考〜開園時間9時〜17時<7、8月は19時まで>年末年始休園。管理は志免町都市整備課Tel:092-935-1106)。

 ※次回→「松ノ尾古墳群(志免町)」。

keitokuchin at 15:42|PermalinkComments(0)