白・黒なまず様のいる神社(2)~大森神社(福津市)白・黒なまず様のいる神社(4) ~旧蓑生郷宗社・大森神社

2009年09月23日

白・黒なまず様のいる神社(3)~大森神社の大なまずの由緒

大森神社絵馬

  大森神社(福津市)の入口に建っていた「由緒」説明板(奉納:大森宮氏子総代一同)」を読んでいたら、その後半部分に、大森神社の「なまず(鯰)」についての次のように由緒が述べられていた。

  「応仁・文明年間に渉りし応仁の乱興り、たまたま往時、河津民部少輔 藤原興光、武職、社職兼任の責を以て、大内家の命をうけ山城国舟岡山の合戦に参加せし砌、不覚にも吾が身に深手を負い、困迷傷心[※混迷傷心のことか]の態となり。たまたま戦場と本陣との間に大河あり、渡ることを得ず危機に面したり。
  其の折、河西に大鯰、背に鞍を置き出現いたし。興光 速やかに乗り移り、対岸の本陣に無事帰参。家臣の手厚き看護を蒙り一命を得たりと。其の後、何者たりかを尋ねども知れず、大森六社宮の御祭神の権化なると覚り、鯰魚は使神なりと尊宗せり。
  以後、蓑生郷の産子、なまず喰する事なしと云う伝え也。」

  上記「由緒」に対し、以下補足(要修正あり)する。
  「由緒」板を読んでいると、京都で起きた「応仁の乱」(応仁1年(1467)5月〜文明9年(1477)11月)の最中に河津興光が参戦した「舟岡山の合戦」があったように読み取れるが、「舟岡山の合戦」があったのは、既に「応仁の乱」が終息して34年後のことである。
  因みに、「舟岡山の合戦」は、永正8年(1511)に洛北の舟岡山(京都市北区の船岡山、見学したことある)で起きもので、発端は永正5年(1508)に細川高国・大内義興(大内氏第30代当主)の支援で足利義稙が将軍職に復帰したことに対し、その後、前将軍足利義澄が細川澄元・赤松義村らの支援を得て将軍職奪還を図ったところにあった。この騒乱は、舟岡山の合戦で足利義澄が大敗し終結した。

  当時、大森神社を宗社とする宗像郡蓑生郷は、大内氏の所領筑前国内にあり、同郷地頭職(神職も兼ねていたのか)河津興光は、大内義興の命を受け足利義稙方としてこの舟岡山の合戦に参陣したのあろう。

  守護大名大内氏は、応仁の乱(当時の大内家当主は第29代大内政弘で山名宗全に与力、細川勝元と対立)をはさんで、室町幕府との関わりの中で台頭し、次の大内義興の時代には、室町幕府管領代(将軍後見)、7か国守護となるなど全盛期を迎えた。なお、蓑生郷を含む筑前国は、既に大内氏第28代当主大内教弘の時代には大内氏の所領となっていた。

  「福岡縣神社誌」に、文明11年(1478)、第29代大内政弘が、当時の地頭河津掃部助弘業の要請を受け入れ、当時、廃絶していた大森神社を再興したとの記述がある。当時、大森神社と言っていたのかどうかは分からないが、多分、上記「由緒」に、河津興光が「大森六社宮の御祭神の権化なると」と書かれてあり、その以前となるので「大守六社宮(大守六宮)」と呼ばれていたかもしれない。

  大森神社の東方の内殿地区を流れる「大内川」(西郷川の上流)の名は、大内氏所領時代の名残なのだろうか。
  また、大森神社の東南400mの所に、大内氏が創建したという太平寺(曹洞宗)がある。「ふくつ巡礼ぐるぐるスティ(福津市観光協会作成パンフレット)に、「大内義興が長禄元年(1457年)に創立。寺宝として阿・吽の水竜の彫刻、釈迦涅槃図等がある」と書いててあったが、大内義興の生誕は文明9年(1477年)であり、義興の創立などは絶対にありえない。この創立年号が正しければ、義興の祖父、大内教弘の時代になる。いずれにしろ太平寺は、大内氏所領時代の名残りなる寺院ではあるのだろう。

  鯰を大森神社の使神とした経緯について、次のような記述が「福岡縣神社誌」に載っていた。
  「・・・興光、之れ故郷の産神大森権現、殊には我祖の生国伊豆箱根両権現、三島大明神の加護なりとし、厚く感謝をなし、同九年春鯰魚使神を合祀せり、此の時より西郷三百町の産土鯰魚を喰ふ事を禁制す、今に至る迄然るなり、現に皮膚病の神として崇敬者甚だ多し」。

  大森神社の産神を「大森権現」としているが、当地に「伊豆箱根両権現」と同じような神仏混淆や修験道の信仰があった証とみてよいのだろうか。
  また「鯰魚使神」を合祀したとあるが、本殿に合祀したのか、或は境内神社に祭ったのか、谷底神社が関係しているのか。「由緒」の祭神名のなかには「鯰魚使神」の名は書かれていない。(つづく)

  ※画像は、舟岡山の合戦で創を被った河津興光を背に乗せて河を渡る大なまず(鯰)を描いた絵馬(大森神社/平成13.7.3奉納)。
  この絵馬にも「応仁の乱、大内家の命をうけ山城国舟岡山の合戦・・・」との記載があるが、上述のとおり応仁の乱と舟岡山の合戦は時代が違う。応仁の乱の文字は消した方がよいのではないかと思う。

keitokuchin at 00:42│Comments(0)TrackBack(1)

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1. 狗奴国  福津市 西郷川  [ 邪馬台国 下関 ]   2015年02月03日 00:15
続日本紀の博多は福津市 勝浦の博多浜である。 続日本紀の飯盛山は福津市の飯盛山か。

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