豊山神社(福津市)は旧豊前坊社だったのか(1)SONGS松任谷由実「(みんなの)春よ、来い」

2011年04月21日

豊山神社(福津市)は旧豊前坊社だったのか(2)

(前回の続き)
  豊山神社は、享保元年(1716)英彦山から勧請されたというが、その勧請年の根拠は知らない。
  また、豊山神社の祭神は、保食神、加具槌神だというので、英彦山神社(英彦山神宮)と4摂社、11末社及び高住神社(旧摂社豊前坊社)等の祭神を調べてみたが、同上神を祭る神社はなかった。

  因みに英彦山神社の主祭神は、天忍骨尊(天忍穂耳尊)と伊佐奈伎尊、伊佐奈美尊(修験時代の彦山権現=三所権現)で、高住神社(旧摂社豊前坊社)の祭神は、天照大御神、豊日別命、「天火明命(あめのほあかりのこみこと)」、「火須勢理命(ほすせりのみこと)」、少彦名命(すくなびこなのみこと)の五柱である。

  ただ、高住神社(豊前坊社)の神は、農耕神(五穀豊穣、牛馬蕃息)、防火鎮火などの神とも言われており、豊山神社(豊前坊社)が高住神社(豊前坊社)の神を勧請したのではないかと考えた場合、農耕神として勧請した神がいつしか保食神、防火鎮火神が加具槌神となったと考えられなくもない。

  以下の記述は、あくまでも、そのように考えての私見(推測)である。
  ここで保食神と置き換えられた神ではないのだろうかとして注目できるとしたら「天火明命」のである。
  保食神については、以前、本ブログで、大歳神社の祭神として祭られている保食神は、実際は大歳神(皇祖神・饒速日尊)ではないのかと思っていると書いてきたが、そのように考えると、天火明命とは天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと/先代旧事本紀))、つまり大歳神(皇祖神・饒速日尊)だからだ。
  (※2009.12.21「水仙の花が出迎え(大歳神社)」、
  2009.6.21「八所宮参拝記(10)/大歳宮の石祠」参照)。

  加具槌神は、火之加具槌神と言われるように火の神で、同じく火の神とも称される「火須勢理命」(古事記に登場神)と置き換えられたとは考えられないだろうか。

  なお、加具槌神は、伊佐奈美尊(伊弉册命)が最後に生んだ火神で、その母伊佐奈美尊を死に追いやり、父伊佐奈伎尊(伊弉册命)から十拳剣で殺される。
  火須勢理命は、木花開耶姫が、燃え盛る火のなかで生んだ三神の第二子 (一子火照命、三子火遠理命)で、父は瓊々杵尊であり、加具槌神とは同一神ではない。(おわり)

keitokuchin at 02:04│Comments(0)TrackBack(0)

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