梅谷寺観音堂にウォーキング(2)(宗像市)武丸正助絵馬など(宗像市光蓮寺にて)

2011年09月10日

梅谷寺観音堂にウォーキング(3)(宗像市)

IMG_0103梅谷寺観音(前回つづき)
  ※左の画像は、梅谷寺千手観音立像(拝観不可)の写真。
  この画像は、梅谷寺観音堂(宗像市村山田1329)内に掲示してあった写真を転写したもの。
  画像を観た限りでは、温和な顔立ちと柔軟な衣をまとった「十一面千手観世音菩薩立像」(一木造金泥塗像)というべきか。

  梅谷寺観音堂の柱に、本地仏と功徳日を記した次の書板が貼り付けてあったが、この功徳日に参拝者が多いのだろうか。

  「孔大寺蔵王大権現本地仏観世音菩薩 功徳日 
1月朔日百日向 2月晦日百日向 3月4日百日向 4月18日百日向 5月18日百日向 6月18日百日向 7月10日四万六千日向 
8月24日四千日向 9月20日六千十日向 10月29日千日向
11月7日六千六十日向 12月19日千六百日向」

  この本地仏の説明では、明確に梅谷寺(千手)観世音菩薩は、孔大寺蔵王大権現の本地仏であると記されていた。
  つまり、孔大寺山(孔大寺神社/宗像市池田)の孔大寺権現は、修験道の本尊蔵王大権現だということで、やはり、孔大寺山は吉野山・金峯山寺(奈良県吉野町)などの修験道の影響を受けた霊山だったということだ。
  (※本ブログ2010.4.17~「孔大寺権現は蔵王権現か(1)(2)(3)(4)(5)」参照)。

  また、梅谷寺観音堂の軒柱に、「宗像西部四国霊場第58番村山田 本尊千手観世音菩薩」と記した書板が貼り付けてあったが、通常拝観はできない。(御開帳は4月17日頃/要確認)。

  「宗像遺産・文化遺産編(宗像市)」には「梅谷寺千手観音立像」とあり、「正安三年(1301)卯月(4月)五日に、仏師でもあった僧定盛が宗像大宮司長氏の援助により制作」(背面に刻字)と紹介されている。

  千手観世音菩薩と書いたり千手観音立像と書いたりしているが、同一のもので、宗像市では、梅谷寺千手観音立像は、上記正安三年(鎌倉時代)の彫像として宗像市指定文化財(彫刻)に指定しているとのこと。

  だが、「宗像伝説風土記(上妻国雄著)」の「梅寺観世音寺の南天」の頁には、一部、筑前國續風土記拾遺の説を受けていると思われるが、次のような記述があった。

  「十一面千手千眼観世音菩薩(は)、源信僧都作で…はじめ後冷泉帝のとき宗像大宮司氏高、勅命を奉じて孔大寺に安置していたが、宗像大宮司26世氏勝のとき、本木村の山草堂に…飛んで来られた…。
  正安3年4月5日、宗像大宮司49世長氏のとき、本木村の山草堂が焼失した。このときも観音さまは躬ら火焔の中から飛んで、梅谷寺に難をお逃れになったので、人々はその霊験に感嘆して、不焼観音と呼んだ…。
  …境内の南天の実を盗むと、急にひどい腹痛が起る…」

  無論、前述「宗像遺産・文化遺産編(宗像市)」は、この平安時代に遡る源信僧都( 942~1017)作、及び後冷泉帝(1045~1068)勅命説には否定的である。

  ただ、この説が何の根拠もなく筑前國續風土記拾遺に取り上げられたとも言い難く、私は、この説に見合う平安時代に彫像された千手観音立像が存在していたが、火災などで損傷したので、鎌倉時代に、当時の写実的な仏像彫像様式を取り入れて檜材一木造りで作り直された、ということなのかもしれないと思っている。

  塀の前を右に行く山道(最近、この道を覆っていた夏草が刈り込まれたように見受ける)があったが、この道がどこに通り抜けるのかの見当がつかなかったので、登ってきた道を下った。

  宗念寺(前述/宗像市村山田1305)の下から、所々に残っている曲がりくねった旧道なども辿りながら、途中、光蓮寺(西山浄土宗福岡浄念寺末/宗像市村山田1056)薬師堂(孝子武丸正助絵馬あり)などを見学した後、JR東郷駅に向った。(おわり)

keitokuchin at 01:27│Comments(2)TrackBack(0)

トラックバックURL

この記事へのコメント

1. Posted by 森 征生   2012年09月16日 10:37
5 昨日 花田良博さん(同窓生)よりお話を聞きました。大変歴史のある仏像が村山田に残っている事にびっくり致しました。機会有れば拝観させて頂きます。現在は名古屋在住で宗像には時々帰省して居ります。山田のお地蔵さん。武丸の正助村は機会ありお参り致しました。ありがとうございました。 昔の思い出でに遠足などで良く登った城山にも登りこんなに簡単にいけるとは思いませんでした。
2. Posted by keitokuchin   2012年09月16日 14:29
森様、コメントありがとうございます。旧村山田の地域(日の里の一部を含むなど)は広く、歴史遺産の多い地区だと思っています。藪になって立ち入れず、心残りになっているところもあります。なお、山田のお地蔵さんについては、2009年07月20日「正見行脚炎天下に山田地蔵尊などを参拝」を書いています。郷土の遺産を大事に思う人たちがおられることを知り感激です。御活躍を祈ります。

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
梅谷寺観音堂にウォーキング(2)(宗像市)武丸正助絵馬など(宗像市光蓮寺にて)