野坂神社(5)〜一之宮[住吉]・二之宮[八幡](宗像市野坂)高良山放生池の周辺を散策(高良山麓巡り13)

2016年11月04日

野坂神社(6)〜境内神社(宗像市野坂)

 前回「野坂神社(5)〜一之宮[住吉]・二之宮[八幡](宗像市野坂)」からつづく。

 現在、野坂神社(宗像市野坂904)境内に鎮座している神社について、先に「野坂神社(4)〜野坂神社境内概要(宗像市野坂)」に掲載した内容と一部重複する部分もあるが、そのときに掲載した順にまとめて下記する。

18野坂神社 そのうち、天満神社(一部)、疫神社、小木神社については、明治の神社統合令によるものかもしれないが、既に戦前の「村社住吉神社」の境内神社として鎮座していた(福岡縣神社誌)。
 これ以外の境内神社は、戦後(昭和年26年前後頃か)、一宮住吉神社合祀の二宮八幡神社を含め野坂神社境内に遷されたものだと思う。

 (12) 幸神社(サヤノカミシャ)

19野坂・幸神社内額 ・幸神社の社祠(木造瓦葺拝殿神殿一体形の単独社殿)は、野坂神社参道石段の途中、二之宮鳥居(三の鳥居)の右方にある藤棚の右横に建っている。

 ・お籠堂とも思える小拝殿内(神殿前)に『幸神社』の神額が掲げてある(※画像)。

 ・当地遷宮前の鎮座地は、野坂字下後畑という。

20野坂・幸神社鳥居額  ・社殿の前には、「幸神社」の石額束(※画像)を掲げた石鳥居(明治三十六年癸卯五月建立)が建っている(※上の画像の右側の鳥居)。

 ・筑前國續風土記附録(以下附録という)にある「幸ノ社 サヤノハル」のことか。

 ・幸ノ社で祀る「幸ノ神(サヤノカミ)」は、「塞ノ神」のことで、辻の神として「庚申神」や「道祖神」などと同一視されることもある
 ・幸ノ神とされる当社祭神は、大己貴智神、鈿女神で、大己貴智神(大国主命)は国土の守護神で「塞ノ神」とされることもあり、また、鈿女神(天鈿女命:アメノウズメノミコト)は、夫の猿田彦神と合わせて村の守り神である「道祖神」とされることがある。

 ・宗像百八神(宗像大神の末社)の一「廻田道祖神」は、野坂にあったといい、この幸神社がそれに該当するのだろうか。廻田道祖神とは、田を廻り、田を守る道祖神なのだろう。

21野坂・幸神社鳥居年 ・幸神社社祠の右後方に2社、小さな「石祠」が置いてある(※画像)。

 このうちの一社は、附録にある「萩ノ社 サヤノハル」か。
 また一社は、附録にある「貴船社 エゲ」か、「若宮社 シンマチ」なのだろうか。

 なお、附録には、「吉田明神 ヲコヤ (吉田六郎太夫長利の霊を祭るといふ)」も載っている。

 (13) 磯邊神社(ソベジンジャ)

 ・磯邊神社(=曽部神社)の社祠は、参道石段の途中、石造手水鉢の左方、二個の自然石台石の上に設置してある「石祠」である。

22野坂・磯邊神社鳥居額 ・社祠の前には「磯邊神社」の額束を掲げた「石鳥居」(大正貮癸丑九月吉日 宗像郡南郷村野坂區民建之)が建っている。

 ・磯邊神社(以下「磯辺神社」という)は、「曽部神社」(ソベジンジャ)とも言われていたようで、当地遷宮前の鎮座地は、磯辺山(ソベヤマ)の頂上にあり、その跡地が叢のなかに今も残る。

 ・磯辺山(ソベヤマ)は、野坂神社の南方、磯辺峠(通称:猫峠)の西側にある標高286mの低山だが、宝満山修験春入峰と係わる霊山で、また、その北麓に広がる野坂にとっても農業に欠かせない水源を有する霊山で、頂上に慈雨をもたらす八大龍王を祀った。

 ・筑前國續風土記附録に「八大龍王 ソベヤマ 石祠 石鳥居一基」の記載があるが、この「八大龍王(社)」は「磯辺神社(曽部神社)」のことだろう。

 ・野坂でひとたび旱魃が起きたときは、村民らは磯辺山頂の石祠の前で八大龍王に祈願する雨乞い神事を催行し、修験者がその奉祀をしていたとも考えられる。明治維新による修験道廃止後も、戦時中(昭和19年)まで山頂での雨乞い神事が行われたと伝わるが、遷宮後は、その慣例はなくなった。

 ・なお、「曽部神社」を日向(ひむか)の襲とする説があるが、野坂に「遠の朝廷」があったとする考えもあり、九州王朝や鞍手郡物部王国との係わりが考えられなくもない。
 ※別記「野坂神社(3)〜磯辺山と磯辺神社(曽部神社)・修験道(宗像市野坂)」。

 (14) 一棟六神社祠

23野坂神社境内六社 ・野坂神社神殿の右方に次の六社が入る(謂わばアパート式)木造瓦葺社殿がある。
・これらは、野坂に一之宮・二之宮が勧請される以前に、野坂の各所に鎮座していたと思われるが、古代の野坂は、鞍手郡に属していたこともあり、鞍手郡(現宮若市含む)を本拠地とした古代物部氏と係わる思われる祭神も多い。

  「福智神社」(フクチジンジャ)
 ・祭神は、伊弉諾命、大己貴命、保食命か。福智山(直方市/旧鞍手郡)の福智神社三宮(福智権現社、鳥野神社)や福智山修験と係わるか。旧鎮座地不詳。

  「三王神社」(サンノウジンジャ)
 ・祭神を大山咋神とする「山王神社」のことか。大山咋神は、山王権現の神仏習合神で、物部氏祖神饒速日命と同神の大物主神とも同神とされる。山王権現を奉祀する天台宗や天台系修験道(宝満山等)との係わりも伺える。附録に「山王権現 ナカヤマ」とある。旧鎮座地は字中山地区。

  「五穀神社」(ゴコクジンジャ)
・祭神は豊宇気比売神。旧鎮座地は字恵下。

  「熊野神社」(クマノジンジャ)
 ・祭神は、伊弉冊尊、事解男命、速玉男命。野坂の西方にある許斐山(271m)の熊野権現を信奉する熊野修験と係わりがあるのか。附録に「熊野社 イマイン」とある。旧鎮座地は字今院。

  「須賀神社」(スガジンジャ)
 ・祭神は須佐之男命・牛頭天王。附録に「祇園社 フクセン」とある。

 Α心吉神社」(ココロヨシジンジャ)
 ・祭神は、倭姫命、国常立命、宇賀魂神。倭姫命、国常立命は九州王朝とも係わる神か。かつて許斐山麓にあった心吉神社と同じく野坂村の中村氏(中村求馬)が奉祀した神社なのだろうか。心吉神社は所主神社(地主神)との説もある。附録に「心善社 ヒロム子」とある。旧鎮座地は字廣宗。
 ※別記「王丸の(旧)「心吉神社」について(宗像市)」参照。

 (15) 三扉境内神石祠(社)

 ・野坂神社神殿の右方に神社名のない三扉石祠があるが、多分、福岡縣神社誌にある次の村社住吉神社の境内神社三社ではないかと思って記す。

12野坂神社境内社・神輿藏  「天満神社」(テンマンジンジャ)
 ・祭神は菅公(菅原神・菅原道真)。附録に「天満宮四所 シンマチ センビキマル ヨシエバル ヲゝ井 石鳥居あり。」とある。このうちのいずれかが戦前の境内神社で、ここには戦後合祀された天満神社(天満宮)も含まれているのではないかと思う。

 ・「野坂神社」の額束を掲げる一の鳥居の両柱に「「奉納菅公一千廿五年祭 維持昭和三年四月」の刻がある。昭和3年(1928)当時の野坂神社の社名は、「一之宮住吉神社」なので不具合あり。この鳥居は、その刻字から某天満宮の鳥居を移築し額束を付け替えたものだと推察できる。
 上記附録の記事を「ヲゝ井 石鳥居あり」と読むと、昭和3年再建の大井天満宮鳥居となるが、天満宮四所にそれぞれ石鳥居があったのだったら、どの天満宮鳥居だったかは分からない。なお、拾遺には「大井社」と記載。

  「疫神社」(エキジンジャ)
 ・祭神は、蘇民将来〜厄気を祓う神。詳細不詳。

  「小木神社」(ヲギジンジャ)
 ・祭神は、小木大明神 (※小木阿蘇神社の場合は、阿蘇大神・健磐龍命、八幡大神・応神天皇、甲佐大神・八井耳玉命)。附録に「小木社 ヲギ」(小木)とある。。

 ・天文16年(1547)、宗像大宮司正氏が長門國豊浦郡の一宮(下関市の長門一宮)を勧請し野坂村一宮(現:野坂神社)を造営したときの棟札に「奉建立小木大明神拝殿一宇社家地頭重矩」とあり、しばらく「小木社」に鎮座していたので「小木大明神」と言われた。

 ※なお、附録に「一之宮社内に彌勒堂あり」とあるが、明治維新政府による神仏分離や修験道廃止により起きた廃仏毀釈で消滅したものか。野坂は、神仏信仰の篤い地域だったので彌勒菩薩像まで毀釈されたとは思えないのだが(未調)。

  (※本稿「野坂神社」終わり。…本稿トップ→「野坂神社(1)〜鎮座地(宗像市野坂)」)。

※追記:野坂地域の隣接地鎮座の八幡神社(八幡宮)
 〜野坂の二宮八幡神社は、野坂神社に合祀されて無くなったが、野坂地域(野坂から分離した原町を含む)の隣接地には八幡神社(八幡宮)が五社…宗像市王丸の王丸八幡神社、光岡の光岡八幡神社、朝町の朝町(本村・中村)八幡神社と昼掛八幡神社、及び宮若市山口地区の山口八幡神社…鎮座している。
 ・別記「王丸八幡神社と黒尾明神社 (宗像市)」。
 ・別記「光岡八幡宮と大樟のパワー(宗像市)」。
 ・別記「山口八幡宮(1) 正徳二年の旧鳥居 (宮若市山口)」〜。
 ・別記「昼掛八幡宮(宗像市朝町)」。
 ・別記「朝町八幡宮(宗像市朝町)」。

keitokuchin at 20:07│Comments(0)TrackBack(0)

トラックバックURL

コメントする

名前
 
  絵文字
 
 
野坂神社(5)〜一之宮[住吉]・二之宮[八幡](宗像市野坂)高良山放生池の周辺を散策(高良山麓巡り13)