酉(福鶏)の干支色紙を頂いた御井寺の「蝉丸塔」 ̄鐇擇蠹(高良山麓巡り27)

2017年01月20日

御井寺の天狗像=愛宕山太郎坊(高良山麓巡り26)

 前回「御井寺駐車場内の小堂:薬師堂か(高良山麓巡り25)」からつづく。

 (1) 御井寺天狗像と高良下宮社役行者像

1御井寺門前下 ・御井寺駐車場に面した新道の対面に御井寺の現参道口がある。
 その10mほど先、正面の石段の上に「天台宗高良山御井寺」の看板を(左柱に)掲げた「御井寺山門」がある。(※画像1)

 (御井寺所在地:福岡県久留米市御井町222)。


 ・その山門前の石段を上っているとき、突然、同行していた女性の一人が「怖い顔したものがあります!」と叫んだ。それは、山門前(石段上)の左側にあった。(※画像2)

2御井寺天狗 ・確かにいかめしい顔をした割と大きな石造僧形坐像だ。
 一寸観たとき、兜巾を付け、修験衣を着ていたので、高良山修験道に相応しい「役行者(役小角・役優婆塞)神変大菩薩像」か、と思ったが、「高鼻」(頭部が一部破損している)で、左手に「羽団扇」を持っているので、これは明らかに「天狗像」だ。

 ・もっとも修験道開祖「役行者」は、呪術を駆使し鬼神を使役し「別格大天狗(石鎚山法起坊)」とも称されたが、上記のように「羽団扇」を持つ形に作られた「役行者像」はない。

 ・因みに「役行者」は、生存中に「高良山を訪れた」との伝承があり、高良下宮社(久留米市御井町837)神殿の裏側に、製作時代は分からないが石造の「役行者像」が残っている。ただし、表面が削り取られており、原形を留めていない。この「役行者像」は、かつて高良山麓にあった高良山修験道の拠点寺院千住院極楽寺」(廃寺)にあったものだが、同寺は、明治5年(1872)の修験道禁止令で廃寺された。
 (※別記→「高良山麓巡り(10)~「役行者堂」(高良下宮社)」)。

 ・なお、修験者の信仰が深かった高良山内の愛宕神社本殿にも(愛宕修験の開祖でもある)「役行者像」があったというが、こちらは、明治維新政府の神仏分離令により廃仏毀釈されたのか。

 (2) 高良山天狗=愛宕神社天狗(愛宕山太郎坊)か

 ・御井寺内で、たまたま植木の根元の清掃をしておられた僧侶さんに、同山門前の石造天狗像について尋ねたら、「高良山の天狗です。明治より前の高良山は神仏習合の山で、山岳修行の象徴として天狗がいたと言われています。この像は、もと愛宕神社にあったものです」と言われた。

 ・当初、「高良山の天狗」と聞いたとき、一瞬、高良山には山麓に「高樹神社」があるので、高良山の天狗とは、英彦山高木神社の「彦山豊前坊天狗」のことかと思ったが、次に、この像が、「もと愛宕神社にあったもの」だと聞いて、高良山の天狗とは「愛宕神社の天狗」、つまり「愛宕山(岳)栄術太郎坊天狗(愛宕山太郎坊)」だったのかと思った。

 ・先に「高良山巡り21」で、高良三泉(朝妻、磐井、徳間)の一「徳間の清水」について、「徳間の清水は、愛宕神社の天狗が独鈷で掘り当てたという伝説もあるらしい」と書いたが、その「愛宕神社の天狗」である。なお、徳間の清水は、愛宕神社の南東約700mの山麓にある(久留米市高良内町)。

 ・ただ、天台宗の山だった高良山にいた「高良山の天狗」を、真言宗系かとも目される「愛宕神社の天狗(栄術太郎坊)」と同じにして良いのかと、少し気にはなった(※下記)。
 だが、愛宕神社境内にある由緒記に、愛宕神社は、万治三年(1660)に四十九代高良山座主秀賀法印が「隈山」に勧請し、寛文十年(1670)五十代座主寂源僧正が現在地の「礫山」に遷座した、とあり、高良山座主が山城國(京都)から「愛宕神社」を勧請したのであれば、当然その祭神(※下記)の使徒(脇士)である天狗(愛宕山栄術太郎坊)も供に来るはずなので、その辺のことは気にする必要はないのだろう。

 なお、勧請された愛宕神社の当初の鎮座地「隈山」とはどこなのか。何気なく久留米大学御井学舎の辺りだったのかと考えてはみたが、かつて隈山と称されていた地区は広範囲(御井町〜国分町)で、近年その一帯の地形は、都市開発、バイパス工事などもあり原形を留めないほどに目まぐるしく変わってしまっており、よく分からない(未調)。

 (3) 愛宕神社付記 前ε羯蛎膰現(将軍地蔵菩薩)と脇士

 ・先に「高良山麓巡り(3)・(4)」に「愛宕神社」(久留米市御井町1)を掲載したとき「愛宕神社の天狗像」について書いていなかったの、今回若干付記しておきたい。(※別記→「高良山麓巡り(3)~岩不動・愛宕神社(その1)」。→「高良山麓巡り(4)~岩不動・愛宕神社(その2)」)。

 ・「愛宕神社」は、県道750号沿いの「高良玉垂宮(高良大社)二の鳥居」の前から、県道を少し上ったところの右側「礫山」(つぶてやま)に鎮座している。県道側にある参道口は裏参道口で、表参道口は、「愛宕神社一の鳥居」(石鳥居/大正6年建立)が建っている旧府中宿矢取(久留米市御井町441付近、近くに矢取公民館がある)にあった(※画像3)。

17愛宕神社鳥居と山 ・この「愛宕神社一の鳥居」から正面に愛宕神社が鎮座する「礫山」を望むことができる(※画像3)が、現在、この一の鳥居のすぐ先を九州自動車道が横断(参道を分断)しており、かつてここにあった愛宕神社表参道下部の石段道は消滅しており、直登できない。
 したがって、北側の九州自動車道高架下の出目隧道〜祇園山古墳、又は南側の十三隧道〜岩不動を迂回して、残存している表参道上部の石段道を上ることになる。


 ・愛宕神社は、明治維新前は「青天寺」とも称した神仏習合の社寺であり、当時、本殿(本堂)には祭神火加具土命(ほのかぐつちのみこと)」=(軻遇突智大神・加具土之神・愛宕大神/火盗災難除去の戦神)の本地仏である「将軍(勝軍)地蔵菩薩像」を安置していた。
 そして、将軍地蔵菩薩は、修験道では神仏習合の「愛宕山大権現」の名で呼ばれていた。

 なお、この本尊「将軍地蔵菩薩像」は、明治の廃仏毀釈の難を逃れ、臨済宗妙心寺派「福聚寺」(久留米市合川町2-1)の本尊として現存している。

 ・また、愛宕神社本殿に、愛宕山大権現の脇士(名代、使徒、警護)として安置されていた修験道開祖「役行者像」(石鎚山法起坊とも称した別格大天狗)は、上記したように廃仏毀釈の難にあったのではないか。

19愛宕神社岩不動 ・一般的には、愛宕山大権現の脇士として「不動明王」や「愛宕山栄術太郎坊天狗」を安置することが多いので、この愛宕神社の場合、「不動明王」は、当初、本殿ではないが、表参道南脇道の岩不動(三尊磨崖種子)境内にある不動明王石像がそれに該当するのかと思った。
 (※画像4は岩不動境内)。

 しかるに、石造の背面の岩肌に朱色の塗料を塗った磨崖種子(梵字)があり、その種子は、左:ベイシラマンダヤ(毘沙門天)、中央:イー(地蔵菩薩)、右:カンマン(不動明王)で、この「イー」が将軍地蔵菩薩(愛宕山大権現)を指しているのだったら、ここではカンマン(不動明王)の種子がそれで、また「毘沙門天(ベイシラマンダヤ)」を脇士に加えていることになる。

 (4) 愛宕神社付記◆前ε羯咳表兮析宰慧袈

27愛宕神社神馬石造 ・愛宕山大権現の脇士たる「愛宕山栄術太郎坊天狗像」(以下「太郎坊天狗」と書く)は、明治初年(1868)以前は、現愛宕神社境内で「馬の石造」(明治9年(1876)3月奉納)が置いてあるところに置かれていた。
 (※画像5は、もと天狗像が置かれていた場所にある馬の石造)。

 かつてここに置いてあった天狗像が上記「御井寺山門」前に遷され保存されている「御井寺の天狗像・高良山の天狗像」と通称されている「愛宕山太郎坊天狗像」(※画像2)である。
 愛宕神社表参道(石段)を上ったところ(愛宕神社社前)に鎮座して愛宕神社守護役(悪霊退散・諸難消滅)を担っていた太郎坊天狗は、今は御井寺山門前に遷って御井寺守護役を担っていることになるのか。

 ・先に「真言宗系の愛宕神社の天狗(栄術太郎坊)」と上記したのは、この太郎坊が真言宗開祖弘法大師(空海)の十大弟子(高僧真済、真雅、実恵、道雄、円明、真如、杲隣、泰範、智泉、忠延)のひとり「愛宕聖の真済上人」の異称とされるからだが、しかし、愛宕大権現を信奉した愛宕修験は、「大宝年間(701〜704)、役行者と泰澄が山城国(京都)愛宕山に登り愛宕山太郎坊天狗の神験に遭い朝日峰に神廟を設立した」ときに始まるというので、真済上人(800〜860)の時代より一世紀ほど古い。

 ・全国的には「四十八天狗」がよく知られているが、なかでも、「愛宕神社の天狗」は、「愛宕山太郎坊」と呼ばれた「大天狗」の一で、この「愛宕山太郎坊」を含む「比叡山次郎坊、飯綱三郎坊、鞍馬山僧正坊、大山伯耆坊、彦山豊前坊、白峰相模坊、大峰山前鬼坊」を「八大天狗」といい、このほかにも「日光山東光坊、羽黒山金光坊」などの大天狗がいた。
 このうち「愛宕山太郎坊」を一番に記すので、愛宕山太郎坊を「天下一の大天狗」と称しその眷属・使徒も最高に多いという。

 ・高良山には、「四十八天狗」に含まれる「筑後の天狗」という年寄格の天狗(実態不詳)がいたというので、ひょっとしたらこちらが「高良山の天狗」であった可能性もありそうだ。
 因みに、年寄格の格付けは分からないが、天狗には、別格大天狗(役行者石鎚山法起坊)や大天狗のほかに、小天狗、烏天狗、青天狗、木の葉天狗、巨大天狗、怨霊天狗等々といった格付(区分・名称)ものあったらしい。
 ※別記参考→「上秋月愛宕神社にて(1)~太郎坊天狗(朝倉市)」。
    →「愛宕神社へ(2)旧太郎坊社・太郎坊橋(宗像市冨士原)」。
    →「太郎坊神社跡から冨士原原口阿弥陀堂へ(宗像市)」。

 ※つづく→「御井寺の「蝉丸塔」(高良山麓巡り27)」。

keitokuchin at 02:28│Comments(0)TrackBack(0)

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