朝町(昼掛)観音堂[宗像四国東部29・番外86](宗像市朝町)延壽寺「朝町薬師堂(観音堂)」(宗像市朝町)

2017年03月03日

朝町山ノ口遺跡(宗像市朝町)

 前回「朝町(昼掛)観音堂[宗像四国東部29・番外86](宗像市朝町)」からつづく。

 (1) 朝町山ノ口遺跡「案内板」の所在地

1朝町山ノ口遺跡公園北面 「朝町山ノ口遺跡」の「案内板」と「保存古墳(1基)」は、福岡県宗像市朝町2丁目24-6の芝生公園内にある。
 (旧:宗像市大字朝町字山ノ口)

 …「青葉台🚥」(団地内市道)―「青葉台西口🚥(県道401号)」間の南側(台地の西端)。


(注)
 ※前回「朝町(昼掛)観音堂」からウォーキングでは、同お堂前の市道(坂道上る)→「青葉台🚥」(四つ角)左折→(青葉台西口🚥方向に坂道下る)「朝町山ノ口遺跡←」標識板左折→右側にある。(※この間約630m、徒歩約10分)。
 なお、「青葉台🚥」手前の、「青葉台中央公園」手前又は先を左折してもよい。この辺り一帯で宅地造成前に朝町山ノ口遺跡が発掘された。

 (2) 同上「案内板」の内容

 「朝町山ノ口(あさまちやまのくち)遺跡
  所在地 宗像市大字朝町字山ノ口
  遺跡の時期  6世紀(今から1400年以上まえ)

2朝町山ノ口遺跡案内板 23基の古墳が発掘調査され、横穴式石室の中から大小の鉄鉗(かなはし)・金槌(かなづち)という鍛冶具(かじぐ)が出土しており、鉄器づくりをおもな仕事としていた人たちの墓地であったことがわかりました。公園内には円墳を1基保存しています。
  平成6年3月 宗像市教育委員会」。

(注)
 ※鉄鉗とは、鍛冶屋(鉄器製造工)が加工中の鉄材を挟むときに使う金箸(かなばし)のこと。
 ※古墳は、標高40m前後の低丘陵上にあった群集墳で、横穴式石室、又は竪穴式石室を有する小型円墳、6世紀後半〜7世紀の築造と推定されている。
 ※公園内に唯一現況保存されている円墳1基は、当初発掘された古墳(22基)の調査より後年に発見され、同遺跡に追加されたもので23号墳と称され、計23基となる(下記)。

 (3) 鍛冶工具と鍛冶集団

 当地(青葉台)は、宗像市でも宮若市との境界を接する内陸部の丘陵地にあるが、玄界灘に流出する釣川の上支流の一朝町川流域に位置しているので、古代は、川舟を通して海岸部との交通の便は良かったと思われる。

3朝町山ノ口23号墳南面 このような地に、6世紀後半から7世紀にかけて築造された古墳群(朝町山ノ口遺跡)から鍛冶工人が使う鉄鉗や金槌を始めとする大小の鍛冶工具が多数出土し、そのなかには国内級と目されるものもあったので、当時、当地に古墳を造成できるほどの力がある有力鉄器生産者(鍛冶工人)の集団がいたと推測される。

 宗像地方を含む北部九州は、大陸に近く、外来技術が入りやすい地の利があり、特に海洋族であった宗像氏は早く(弥生時代)から外来技術を取り入れ鉄器製造を行っていたと考えられ、その技術を引き継いできた鍛冶集団が6世紀に当地に定着し宗像族を支えていたのかもしれない。
 当地でどのような鉄器が製造されていたのかが分からないが、武器武具、馬具、農機具、或は祭祀儀礼用具などもあったかもしれない。

 なお、海洋族(海人)の宗像族は、宗像沿岸部や沖ノ島等で単独祭祀を行い宗像族(宗像王権があったとも考えられる)の繁栄を祈願していたと考える。
 因みに、宗像地方にヤマトの勢力が及んだのは、7世紀後半ではないかと思われるので、沖ノ島祭祀遺跡を大和朝廷の国家祭祀遺跡と考えるのは無理がある。
 7世紀後半、宗像地方がヤマトの勢力下に入ったことにより宗像族の沖ノ島祭祀も消滅し、それに合わせるように当地における鍛冶集団の足跡も消えたのではないかと思う。(以上は私見である)。

 (4) 最大級の鉄鉗と金槌

4鉄鉗と金槌 「宗像遺産文化遺産編」によると、最も大きな「鉄鉗」は、長さ47cm…6世紀後半造成と推定される朝町山ノ口遺跡5号墳の主体部から出土、また、同「金槌」は、長さ21.4×幅6.3×厚さ5.3cm・重さ3650g…同時期造成の同6号墳の主体部から出土したという。
 なお、この鉄鉗、金槌を含む出土品(鍛冶工具ほか)の数々は、九州国立博物館(福岡県小郡市)に保管されているという。

 (※画像は宗像遺産掲載の鉄鉗と金槌を転写)

 (5) 朝町山ノ口遺跡23号墳

 昭和57年(1982)~58年(1983)、大型住宅団地(現青葉台)の造成が始まる前、朝町山ノ口地区(現青葉台2丁目)で、朝町山ノ口遺跡の発掘(当時古墳22基…上記5、6号墳含む)が行われ、調査後、これら22基の古墳はすべて消滅した。

5朝町山ノ口23号墳東面 その後、昭和61年(1986)、朝町字浦谷(現青葉台1丁目)で住宅団地拡張工事が始まる前、浦谷遺跡古墳群の支群の発掘が行われたとき、前回、山ノ口側で手を付けていなかった雑木など藪で覆われた丘陵西縁面(平和農産工業蟒衢地)で新たに古墳一基が発見された。


 この古墳が、上記「案内板」が建っている芝生公園内にある円墳で「朝町山ノ口遺跡23号墳」と命名された。この時点で朝町山ノ口遺跡内の古墳数は「23基」に訂正された。

4朝町山ノ口23号墳西面 なお、同公園は、同年以降に雑木藪を撤去し平地に整地し保護壁を作り、見通し(見晴らし)の良い団地丘陵縁の芝生公園に生まれ変わった。
 そして、同公園内に23号墳を現況保存、古墳の推定墳丘径は11〜13m、主体部には横穴式石室が埋まっている。


 なお、浦谷遺跡古墳群機Ν(青葉台1丁目の自由ヶ丘南小学校側)も発掘調査後消滅、このほか青葉台の周辺には、朝町百田遺跡、朝町山添遺跡、朝町町ノ坪遺跡等の古代遺跡や古墳群が集中しており肥沃な地帯であったことが伺える。(参考資料「浦谷古墳群仰敢妻鷙霆」)。

 ※つづく→「延壽寺・朝町薬師堂(観音堂)」(宗像市朝町)」。

keitokuchin at 16:23│Comments(0)TrackBack(0)

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