東禅寺の所在地・由緒記板(宮若市湯原)西郷川花園=菜の花、全開!! (福津市)

2017年04月17日

東禅寺の山門(旧名島城裏門)ほか (宮若市湯原)

 前回「東禅寺の由緒記板(宮若市湯原)」からつづく。

 東禅寺の由緒記板に、東禅寺の文化財として、本尊釈迦如来座像、梵鐘(県重要文化財)、芭蕉句碑、大般若経六百巻、山門(名島城裏手門)、が記してあるが、今回は、これらについて記しておく。

 (1) 山門(名島城裏手門)

1山門 「東禅寺の山門」は、野面積みの高い石垣の中央に造られた参道石段を上った正面(本堂の前方)に建っている。(※画像)

 その傍らに、この山門の由来を記す「当山十二世石鏡梅重・旧名島城之裏門を移す・明治廿年四月十日」と刻した小碑が建っている。
 それ故、この山門が「旧名島城之裏門」であったことが分かる。



2山門 名島城(福岡市東区)は、小早川隆景、小早川秀秋の後を受けて慶長6年(1601)、黒田長政が筑前入府時に入城した城で、翌慶長7年(1602)に廃城され、その資材の多くは、慶長11年(1606)に完成した福岡城に移されたと理解していたので、ここで「旧名島城之裏門」の文字を観たときは意外だった。



3山門・鐘楼 旧名島城の遺構の一部である「6本柱の旧名島城之裏門」が東禅寺に移され現存し「山門」として使われていることなど、知っている人は少ないのではないかと思う。(※画像)
 この小石碑だけでは、その経緯が分からないものの、確かに貴重な文化財をここで観るなど驚きだった。

 このことだけでも東禅寺が格式の高い寺院だったのではないかと思えた。

4名島城碑と地蔵 なお、この「旧名島城之裏門を移す」と刻した小石碑の前、植え込みの中に、物静かに立っている小地蔵像(石仏)の姿も印象に残った。(※画像)

 きっと東禅寺参詣者を門前でお迎えしているのだろう。



 (2) 梵鐘・本堂・掲額ほか

5東禅寺梵鐘二つ 東禅寺には、2本の梵鐘=本堂前に建保三年(1215)鋳造の梵鐘(福岡県重要文化財)があり、鐘楼に平成2年鋳造の新しい梵鐘があるが、この「東禅寺の梵鐘」については別記している。
 また、鐘楼は、山門の左側、野面積みの高い石垣の上に造られており、ここからの眺めは抜群であることも別記した。

 ※別記→「正見行脚「東禅寺の梵鐘」(宮若市湯原)」。

6東禅寺額と梵鐘 本堂前部の軒下に立ってその軒下に釣り下げてある一回り小さい重文梵鐘と、その先にある鐘楼の大きな梵鐘を同時に観るコントラストはよい。(※画像)

 重文梵鐘の左横、本堂正面外鴨居に「東禅寺と墨書した木額が掲げてある。(※画像)

 なお、「黄龍山」の山号は書いてない。

 あいにくご住職不在のときに訪れ、本堂の戸が施錠されていたので堂内に入ることができなかったが、内陣には釈迦三尊像(本尊釈迦如来座像)が安置されているのではないかと思う。

7本堂 また、大般若経六百巻も本堂に保管されているのか。大般若経六百巻(大般若波羅蜜多経)とは、唐代の玄奘三蔵が大乗仏教の基礎的教義・般若経典類(仁王経と般若心経を除く)を集大成した膨大経典群である。目にすれば、思わず合掌したくなるようなもので、それだけでも御利益をいただけそう。


 (3) 芭蕉句碑ほか

8芭蕉句碑 本堂前の庭の片隅に、石碑が二つあったが、一つの石碑の横に「芭蕉句碑 寛政元年己酉建之」と刻した小石碑が建っていたので、この自然石の石碑が芭蕉句碑だと分かった。(※画像)

 それにしても建てられたのが寛政元年(1789)とは古い。


 この芭蕉句碑は、世間でその所在を知られていないのではないかと思う。それにしても、何という句なのか、彫られている刻字が読めず分からなかったが、ぜひとも説明が欲しいところだ。

9禅の心碑 もう一つの石碑は禅の心は冬薔薇(ふゆさうび・ふゆばら)と詠ったものだと思う。(※画像)
 誰の句でいつの建立なのか、多分、刻してあったのかとは思うがよく観ていなかった。
 南無釈迦牟尼仏。
(※東禅寺参拝記おわり)

 ※つづく→「日吉神社(旧吉川総鎮守) 宮若市下」。

keitokuchin at 01:52│Comments(0)TrackBack(0)

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