筑前竹槍一揆と井上勝次の墓碑(福津市本木)祥雲寺 (福津市本木)

2019年06月27日

本木の大日堂と大日如来 (福津市)

 ※前回「筑前竹槍一揆と井上勝次の墓碑(福津市本木)」から続く。

1大日堂「本木の大日堂」(※画像)

 所在地:
福岡県福津市本木1872。








 (1) 本木大日堂へ

 ・県道30号飯塚福間線(本木河内🚏)から分岐して「本木川自然公園・ほたるの里」に向かう道幅の広い里道を進むと九州自動車道のガードがあるが、その少し手前を右折し、緩やかな細い坂道を上る。この坂道は、昭和63年(1988)7月に新設された「本木の大日堂(大日如来)の参道」(施工者駒井建設)である。

 ・坂道の先にある広場は、左(南)側の小丘陵の北側を削り取って平らにした段差のようで、この右(北)側と奥部(西側)は段差の上となっている。「本木の大日堂」は、この広場の奧部に建っているので、その手前部分は、叢となっている。

 ・この壇上の空き地に立って、左(南)側の崖上や、右(北)側の崖下を見ていると、かつてここには神社の社殿があり、右下に参道があったのではないかなどと思えるような雰囲気があった。そこで、つい、この本木の大日堂の本尊「大日如来像」を作った楠木の原木があったという「天満宮」の社名が脳裏を過ぎった。しかし、当地の字名は「河内」であり、現在、本木八幡宮境内に鎮座している「天満宮」の遷宮前の鎮座地の字名は「石畠」だから、それはない。

 …筑前國續風土記附録に「天満宮イシバタケ」、また同拾遺に「天満宮 石畠といふ處に在」との記載あり。

 ・因みに、現在、本木八幡宮境内神社で、遷宮前に「河内」に鎮座していたのは、同上附録に記載のある「天神社」一社であるが、その河内の社地が当所だったのかについては未調。
 ※別記参照→「本木八幡宮(7)〜境内神社△修梁召10社(福津市本木)」。


 (2) 本木の大日如来・由来(俗説)

 ・本木の大日堂の本尊「大日如来像」を作った楠木の原木が、かつて「石畠の天満宮」にあったという上記伝承は、筑前國續風土記拾遺に次の記事がある。

 「天満宮 (本木村)石畠といふ處に在。宗像末社記に老松社といへるは此社にや。…俗説に往昔此社の楠の木を伐って大日の像三躰を彫刻す。其にて作るを此村(※本木村)河内に安置す。依て村の名を本木といふにて刻めるを糟屋郡須恵村に置、なるは那珂郡那珂村にありといへり。其木の根株朽残りて今に在。又大木の棟樹(あふち)も有。」

 「大日堂 (本木村)河内という處に在。世俗の所謂本木の大日是也。坐像二尺余昔の佛像ハ朽損せし故、近年今の像造りて古像は躰中に籠たりといふ。」


2大日堂絵馬 ・俗説とはいえ、「本木の地名の由来」を伝える伝承であり、本木村の人々は大事な「大日さま」として今なお守り続けておられるのだろう。




 ※画像は、堂内に掲げてある「大日如来顔面絵馬」。

 ・福津市教育委員会の文化財案内には、もとの「大日如来の古像」が作造された時期についての記載はないが、現「本尊大日如来像」は、寄木造の坐像で、寛政四年(1792)福岡の仏師佐田文蔵慶始が本体の修理と宝冠、光背、台座の新調を行ったとしている。
 また、本体底板の墨書から、このとき、元からあった「大日如来の古像」の頭部だけを使って体部全体を新調したことが分かるという。

 ・上記俗説によると、一本の楠の木を三分割し、その「末(すえ)」の部分の木を刻して作った大日如来像を糟屋郡須恵村(現須惠町)に置き、また「中(なか)」の部分の木で刻して作った大日如来像は那珂郡那珂村(現那珂川市or福岡市博多区の一部か…那珂郡那珂村は現那珂川市ではなく現福岡市博多区の一部との説がある)に置いたということで、これらは、「末(すえ)=須恵村」「中(なか)=那珂村」と両村名の地名と結びつけているような印象がある。

 ・この俗説にいう大日如来像が古像なのか、現像なのか、また古像は、いつの時代に誰が作ったものかも分からないが、現在、須惠町と那珂川市or福岡市博多区の一部にはそれぞれ、古い大日如来像が残っている。
 これらは、「本木の大日如来像」と同形の法界定印を結ぶ「胎蔵界大日如坐像」だが、上記俗説に該当するものかどうかは分からない。

 ・因みに「須惠町の秘仏・大日如来像」(佐谷大日堂)については、毎年4月第一日曜に御開帳があり、数回拝観したことがあるが、本木のものよりは一尺ほど坐高が高いように思えた。そして、この像は、平安時代、伝教大師が宗像の大樹(材質不詳)で作った三体の大日如来像のうち、その樹の末(すえ)の部分で作ったものだという。本木のそれとよく似た伝承があるものだ。

 ・「那珂川市の大日如来像」は、拝観したことがないが、遍明院大日堂(浄法寺882)にあるらしい。この像は、本木の大日如来像が現在の形に修理新調されたのと同じ寛政四年(1792)に作られたものらしい。
 ・また福岡市博多区東光寺町の大日如来(大日寺)も拝観したことがないが、平安時代の作もと聞いた。

 ・なお、小生は、これら三体の大日如来像は、案外、本木の大日堂にある三体の仏像なのかもしれないと思ってみたこともあったが、確証はない。


 (3) 宗像四国西部霊場第72番・本尊大日如来

 ・本木の大日堂は、拝殿内に須弥壇を設けた胴長の木造瓦葺のお堂で、昭和63年(1988)7月に屋根修理、平成6年(1994)6月に格子戸及び外装工事が施されたので、現在、痛みなく、がっちりとしている。
 また、一部漆喰もある板壁、格子戸や格子窓などが美しい外容を呈している。 

 ・この大日堂の入口は、敷地空間が狭い樹林が茂る左(南)側を向いており、なぜか、参道及び入口側の広場の方を向いていない。

 ・「宗像四国西部霊場本木第七十二番本尊大日如来」と書いた板札は、この大日堂の入口の左横の板壁にが打ち付けてある。
 この西部霊場を巡る春の千日詣りときには、団参者が訪れ、堂内(拝殿板張り)に座して勤行する。

 ・因みに、四国八十八ヶ所霊場第七十二番札所は真言宗善通寺派の我拝師山 延命院 曼荼羅寺(香川県善通寺市)で、本尊は大日如来である。

 ・本木の大日堂は、普段は、入口(引き戸)が鎖南京錠などで二重に施錠してある。管理されている人たちが毎日鍵を開け堂内の清掃やお花、お水、お供物等を供える等のご奉仕をされているが、一般の人は事前許可なしに堂内(拝殿)に上がることはできない。
 だが、その入口の格子戸の間から堂内を覗き込むことができる。

 ・奧の須弥壇の中央に安置されているのが「本尊大日如来坐像」(寄木造像高36.7cm)で、その左右に安置さている仏像は、「附菩薩形坐像」(一木造像高56.5cm)と「附大日如来坐像」(一木造像高42.5cm)である。
 これら三体の仏像は、平成14年8月28日福間町(現・福津市)有形文化財(彫刻)に指定されたが、現在、いずれも、漆箔彩色等が剥げ落ち、破損、風化が進んでいることは否めない。


3大日堂十三仏 ・なお、お堂の外の左側(広場の西端の段上)に比較的新しい感じのする「十三仏」の石仏が並んで置いてあるのに気付いた。水道蛇口と水盤もあるが、詳細は調べていない。
(※画像)


 ※次回→「祥雲寺 (福津市本木)」。

keitokuchin at 19:31│Comments(0)

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