本木の大日堂と大日如来 (福津市)海中出現阿弥陀如来/宗像四国西部霊場第57番(福津市本木)

2019年07月02日

祥雲寺 (福津市本木)

 ※前回「本木の大日堂と大日如来(福津市)」から続く。

 所在地:福岡県福津市本木2083

 (1) 本木川自然公園・ほたるの里→祥雲寺へ

 ・「本木川自然公園・ほたるの里」入口(石碑あり/右下に駐車場・本木川あり/本木1957)から左に緩やかに上る道幅の狭い坂道(舗装あり)を550m直進し、同公園の南部を横切る小橋(祥雲寺橋)を渡ると、本木川上流左岸の谷あいに建つ「祥雲寺」に到る。

1祥雲寺前本木川ほたるの里上流 ・「祥雲寺」の前を流れる本木川の上流は、この先さらに南に遡るが、「本木川自然公園・ほたるの里」は、この先の上流域も整備して伸びている。
(※画像1)



 ・なお、この本木川上流の清流域に自生しているのは「ゲンジボタル」で、その乱舞を観賞できる時期は、毎年5月下旬〜6月上旬の間であるが、これ以外の時期には、森林浴を楽しむ公園としても整備されている。


 (2) 祥雲寺の門前

 ・本木川に面して建つ「祥雲寺」は、その左岸の山の傾斜地に建っており、正面側には石垣が積まれており、その右端方の前面道路上に3本の檜(ひのき)が生えており、左端方に本堂正面入口に上る石段(17段)が作られている。


2祥雲寺石段、石柱、掲示板 ・その石段の下方(石垣の前)の道路面に「曹洞宗可久山 祥雲寺」と刻した御影石の石碑、及び法話や法要などの行事予定等を貼り出す掲示板が建っている。(※画像2)



 ・今回訪れたとき、掲示板に「報恩師誕会四月二十九日(月)十時より」と書いた紙が貼り出されていた。
 「この恩師とは、曹洞宗の宗祖道元禅師のことを言っているのか」と、そのときは漫然と思って観ていたが、後で考えたら、道元禅師の生誕日は「正治二年(1200) 一月二十六日(陰暦では一月二日)」だったので合っていない。
 そこで、いろいろ思いめぐらしたが、結局のところ確認しておらず分からない。


 (3) 祥雲寺の史料

 ・「祥雲寺」について、手持ちしている下記2史料に次の記事があり、「祥雲寺」は、応永31年(1424)=室町幕府4代将軍足利義持の時代、曹洞宗博多「明光寺」(※明治43年(1910)福岡市博多区中呉服町から吉塚3-8-52に移転)の二世僧天性が開基した古刹であることが分かる。

 ・「祥雲寺 ヒロエン 禪宗洞家 佛堂六間半五間 可久山と號す。博多明光寺に属せり。應永三十一年に天性といふ僧開基せりといふ。」(筑前國續風土記附録)
 ・「祥雲寺 可久山と号す。谷梢に在。幽僻にして愛すへし。禅宗洞家博多明光寺に属せり。應永三一年明光寺二世僧天性開基せりといふ。宗像家の時貮町の寺産有。今は寺産なし。」(筑前國續風土記拾遺)


 (4) 栢の大木(かやのき)

3祥雲寺石段上、栢木 ・石段を上ると、山門石柱があり、すぐ左側に一本の大きな樹が枝葉を広げていた。
 この樹木は、栢木(かやのき)らしいが、どれくらいの樹齢があるのだろうか。(※画像3)


 ・境内敷地内には、このほかには、これといって大きな樹木はなかったが、庭木がきれいに剪定されてすがすがしかった。


 (5) 山号額と両山紋図

 ・本堂入口の外鴨居には、「可久山」と書いた祥雲寺の山号板額が掲げてあるが、「可久山」から天の香具山を連想したが、その意味は調べていない。

 ・その下のサッシ引き戸の中央のガラス面2枚に、曹洞宗の「両山紋」が描かれている。

4祥雲寺山号額と宗紋つまり、曹洞宗大本山永平寺(福井県)の「久我竜胆(こがりんどう)紋」(右側)と、大本山總持寺の「五七の桐(ごしちのきり)紋」(左側)、の両本山の宗紋である。
(※画像4)


 ・因みに、このうち「久我竜胆紋」は、もともと久我家(村上天皇を祖とする源氏の一門)が使った家紋であり、曹洞宗の宗祖道元禅師が、その村上源氏の嫡流・源(久我)通親(みちちか)の実子だったことから、明治8年以降、それまでの後醍醐天皇と係わる「菊御紋」に替えてこの紋が曹洞宗の宗紋の一つとなったようである。また、同時期、もう一つの宗紋となった「五七の桐紋」は、菊御紋の裏紋だった。

 ・なお、この「久我竜胆紋」を、宗像市内に五か寺ある「西山浄土宗」の一部の寺で観たことがある。なぜ宗派の違う寺が曹洞宗と同じ宗紋を使っているのか不思議だったが、それは西山浄土宗の宗祖西山上人が、同上道元禅師の父・源(久我)通親(みちちか)の猶子(養子)だった縁(道元禅師と義兄弟)によるようだ。

 ・蛇足すると、小生は、永年修験道の修行をしてきたが、もともと我が家は曹洞宗で、小生の名は、その教書「修証義」から一字を頂いており、日々「修証義」を読み、曹洞宗の大本山にも旅した。そのため同宗の寺院に遭遇すると何かしら心が和むことがあるが、祥雲寺の境内に入ったときもそのような気分になった。特にこの山間の静寂な地での座禅修行は最適のようにも思えた。


 (6) ほたるの里霊園と大観音

 ・祥雲寺入口の南方に「ほたるの里霊園 曹洞宗祥雲寺」と刻した自然石(丸石)がある。(※画像5)

5祥雲寺ほたるの里霊園碑 ・この山峡の日当たりの良い場所に設けられた広い霊園は、まさに静寂な「ほたるの里」の奥地にある霊園といった感じがする。





 ・ここがこの霊園の入口であり、ここを右に上ると大駐車場があり、白衣姿の背丈の高い「観世音菩薩立像」(大観音)と、「ほたるの里霊園管理事務所」(常駐者在)が建っている。


6祥雲寺大観音立像 ・この大観音は、「合掌観音」と称され、両手を合せた立ち姿に作られ、この霊園に眠る故人に合掌し、その慰霊をされておられるのだろう。(※画像6)
 「オンアロリキャソワカ」



  (7) 祥雲寺の大蟹伝説

 ・宗像伝説風土記に、次のような「祥雲寺の大蟹(かに)」伝説が残されている。

 ・昔、本木村の山奧の谷川には、大きな臼のような蟹が住んでいた。この蟹は何百年も生きて、世辞にたけていたので、祥雲寺の和尚に問答をしかけては、答えに窮した和尚を次々に食い殺していた。そうして何代目かにこの寺に、太っ腹の知恵者の和尚がきた。和尚は大変な意気込みで蟹のくるのを待っていた。するとまもなく蟹がのそのそとやって来て、「両眼天に向かい、手が八足とはい如何」と問答をしけてきた。和尚は、蟹が言い終わるのも待たず、「この蟹奴じゃろが。喝(かつ)」と怒鳴りつけた。さすがの蟹も、ほうほうの体で逃げ出したので、和尚は、追いかけて、如意で力いっぱい蟹の背中をたたき、その背を真っ二つに割った。今でも蟹の背中がくぼんでいるのは、このとき和尚に叩かれた傷の跡だという。それ以後、祥雲寺の和尚は、枕を高くして寝ることができたという。


 (8) 阿弥陀堂と地蔵堂

 ・上記「合掌観音像」へ行く坂の途中にある阿弥陀堂と地蔵堂については、次回別記する。

 ※次回→「海中出現阿弥陀如来/宗像四国西部霊場第57番(福津市本木)」。

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