出光佐三の菩提寺・法然寺〜出光佐三map(4)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)供養井戸/唐津街道赤間宿跡(宗像市)

2019年09月17日

出光佐三の墓所〜出光佐三map(5)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)

※前回「出光佐三の菩提寺・法然寺〜出光佐三map(4)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」から続く。

 (5) 出光佐三の墓所

1出光佐三の墓所 ・所在地
 福岡県宗像市石丸2丁目8の北西部
 七社神社後方の杜の西陵斜面。
 同北西麓の端部(JR線路際)の供養井戸(小屋あり)から右斜めに小丘陵を上る。



 ・ 前述「法然寺」から北へ→舞鶴橋(JR教育大前駅)の手前を右折、JR線路に沿って里道を下る→突当りに「供養井戸(小屋)」がある(この間、約350m、徒歩5.5分)→ここから右斜めに約100mほど丘陵の斜面を上る。
 又は、熊越池公園駐車場から、徒歩で熊越池公園を右回りに半周し、石段を上り、左折し、直進すると、その突当り(JR線路)の手前右側に供養井戸がある(約300m、徒歩約4.5分)。

 ・この供養井戸(次回掲載)と出光佐三の墓所との係わりは分からないが、その墓所の入口の目印になることは確かで、ここから右斜め上に付いている、人ひとり通れるくらいの幅の緩やかな坂道(墓道)を約100m(徒歩2分ほど)上るとで「出光佐三の墓所」に着く。


5出光佐三家墓道 ・この墓道には、一列の石畳(※画像)が飛び石に敷き詰められている。

 ・石畳みを踏みながら墓道を上ると、左側の林のなかに突然、大きくて立派な墓所が表れる。



 ・「出水佐三の墓所」は、長い御影石の石段の上に設置されており、墓所の入口には「鉄扉」が設置してある。
 

6出光佐三家墓所 ・上記出光佐三展示室で「自由お参りができる」と言われたが、気持ちの上で、この鉄扉を開けてそのなかに入ることが憚(はばか)られたので、石段の途中から御影石の竿墓を見上げて合掌した。



 ・「出光佐三の墓所」と聞いて訪れたのだったが、「出光佐三家の墓所」(中央に寄せ墓、両サイドに竿墓も数基あり)と言ったほうがよいのかもしれない。とはいえ、ここに納められておられる人たちの名前などは見ていない。

 ・昭和56(1981)年3月7日、95歳で亡くなった出光佐三の遺骨は、郷里(赤間)に埋葬されたと聞いていたので、その埋葬地がここなのだろう。
 ここの地名は「石丸」だが、石丸は「赤間地区」に含まれるので、出光佐三の遺骨はこの墓所に埋葬され、よってここを「出光佐三の墓所」というのだろう。


 [付記]

 付記1・このほかの「出光佐三の墓」…北鎌倉の東慶寺(鎌倉市山ノ内1367)に「出光佐三夫妻の墓」(五輪塔墓)があるらしい。ここに建てられた経緯は分からないが、分骨されているのだろうか。
 なお、東慶寺(明治前は女人縁切寺として知られていた)には、明治以降の功成り名遂げた著名人の墓が多いと聞く。

 付記2・明治44年(1911)に出光興産が創業した地・門司には、出光佐三の事跡、出光興産創業史料や収集美術品等を展示する(公益財団法人)出光佐三記念美術館(門司)」(北九州市門司区東港町 2-3)がある。
 また、東京には、公益財団法人出光美術館(千代田区丸の内3-1-1帝劇ビル9階)がある。

 付記3・出光姓の家
 赤間宿跡を歩いていていると、「出光…」「イデミツ…」と書いた表札や看板、石碑、墓などを目にするので、赤間地区には「出光姓」の家が多々あることが分かる。その家々と出光佐三とのつながり云々については聞かない。もともと出光姓は、宗像市内に多い姓で、赤間から近い徳重、土穴、富士原などでも見かける。

 ※出光佐三mapのトップ→「海賊とよばれた男〜出光佐三map(1)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。
 →「出光佐三展示室〜出光佐三map(2)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。
 →「出光佐三の生家〜出光佐三map(3)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。

 ※次回→「供養井戸/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。

keitokuchin at 17:00│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by 6姉妹5番目   2019年09月30日 06:19
4 海賊と呼ばれた男 出光佐三のこと赤間宿の事
いろいろ聞かせてください。
2. Posted by keitokuchin   2019年09月30日 17:17
 コメントありがとうございます。私は、赤間の住人ではないので聞きかじりになりますが、知り得た範囲のことをお応えします。
 出光佐三生家の案内碑には「明治8年赤間に生まれた。幼少期は地元の小学校で学び、福岡商業を経て、神戸高商を卒業し、酒井商会に入社した」と書いてあるが、現在、生家とされている家が建ったのは明治26 年で、それ以前、ここは道路だったので、この家で佐三が生まれたとは言えないが、赤間で生誕したのは確かなようで、成人するまでは赤間で育ったのは確かです。宗像大社を信仰し、宗像に対する愛郷心は強く、数々の郷土の事業に寄附を行ったたようです。
 赤間宿については、現在、順次投稿中の「赤間宿まち歩き(1)〜街道MAP/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」〜を御笑覧ください。

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