供養井戸/唐津街道赤間宿跡(宗像市)赤間宿上町(北部)〜赤間宿まち歩き(2)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)

2019年09月19日

赤間宿まち歩き(1)〜街道MAP/唐津街道赤間宿跡(宗像市)

 ※前回「供養井戸/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」から続く。

1赤間宿想像絵巻図















 ・画像1は、「唐津街道赤間宿往時の想像絵巻」〜五卿西遷之遺跡碑の前に建っている案内板をデジカメで写したもの。

 ◇「赤間宿」について

 ・「赤間宿」については、街道の駅赤馬館歴史資料展示室で戴いた「赤間宿まち歩きMAP」(パンフレット) には、次のように書いてある。

 「赤間宿は、江戸時代の筑前福岡藩内に27か所あった宿場の一つで、北は芦屋へ通じ、東は長崎街道の木屋瀬へ通じる分岐点の宿場でした。当宿場には緩やかな傾斜の南北約600mの通り(上町、下町)と中程から西へ約200mの通り(古町)がありました。
 また、宗像郡一帯における中心的な位置にあり、芦屋、波津、鐘崎、神湊、津屋崎、福間の七浦から三里ほどの等距離にあるため、『七浦三里』といわれ、物資や魚の集散地として栄えました。
 明治時代になると、石炭産出で賑わう筑豊地方をバックに繁栄し、明治初年編纂の『福岡県地理全誌』によると、農業約30人に対して、商業約300人、工業約50人と記され、大多数が商家で、多くの人で賑わったと言います。」


2赤間宿上町南の辻行燈 ・この「赤間宿まち歩きMAP」を見ながら、所々に「赤間宿」と記した「辻行灯」(※画像2)が置かれている旧唐津街道筋を、赤間上町(東構口)から赤間下町(西構口)までと、+古町通りを歩く。


 ※赤間宿の辻行灯はも杉板で作られており、夜になるとほのかな明かりが灯る。

 ・このうち赤間宿上町の南部(赤間上町🚥より南)〜赤間宿下町間の街道筋(メイン道路)は、現在、福岡県道503号(町川原赤間線)と県道75号(若宮玄海線)と重なっており、車の通行量がかなり多く、加えて歩道もないので、「赤間宿のまち歩き」には、常に車の往来に最大限の注意を払わねばならない。

 ・このことは、先に掲載した「唐津街道畦町宿」の街道筋の「まち歩き」とは大いに違うところである。
 つまり、畦町宿の場合は、県道503号線が旧街道筋とほぼ平行に作られているので、この街並みを歩いていても車と出会うことはほとんどない。

 ・街並みの古い家屋のなかには、老朽化による荒廃や、空き家になったりして撤去されたものも多く、この状況は今も続いているが、それでもところどころに古い家屋が残っている。
 これらは、江戸末期、明治、大正年間に建てられたものではないかと思うが、よく残されたもので、赤間宿歴史的風致範囲の主幹をなしている。今後、行政の手が施されないと、これらの家屋もいずれなくなっていくのではないかとも思われる。

 ・白壁造りの町家(問屋場、商家等)の建物(家屋)は、畦町宿より赤間宿の方が多く観られ、なかには漆喰鏝絵、兜造り、蔀戸(しとみど)、千本格子的障子戸を施した家も残っている。

 ・兜造りの家屋は、畦町宿跡でも見かけたが、畦町に2軒あった「うだつ」を有する家屋は、赤間宿では見かけなかった。

 ・宿場町と言えば、時代映画や時代小説で必ず見聞する「本陣、脇本陣、郡奉行所、町茶屋、旅籠等」が思い浮かぶが、赤間宿には、それらに該当すると思われる家屋は残っていない。

 ・現在、「赤間上町🚥」で、赤間宿の街道筋が分断されているが、ここを横切る道は、往時はなく、赤間宿のありし時代には、この辺りにも家屋が並んでいたことは、前述した「筑前名所図会」でも分かる。

 ・そのため、今回の「まち歩き」において、「赤間宿上町」は、この赤間上町🚥を境に「北部」と「南部」に分けて記入することとする。続いて「赤間宿下町」、「赤間宿古町」の順で書き進める。


3赤間宿下町通り ・「赤間宿まち歩きMAP」に載っている家屋、史跡(石碑、辻井戸、寺社)等については、そのマップの説明を、極力そのまま転記する。なお、その転記文には(map)と付記する。



 ・もちろん、このMAPに載っていないものについても、歩いている途中で気になった個所や画像は載せたいし、説明ができれば説明も加えたい。
 なお、既に本ブログに載せているものについては、その旨を「別記参照→…」と記し、説明を簡略するようにしたい。

 ※次回→「赤間上町(北部)〜赤間宿まち歩き(2)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。

keitokuchin at 22:54│Comments(0)

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