赤間宿上町(北部)まち歩き/唐津街道赤間宿跡(宗像市)「赤馬館・芳村呉服店跡(赤間宿下町)」唐津街道赤間宿(宗像市)

2019年09月24日

赤間宿上町(南部)まち歩き/唐津街道赤間宿(宗像市)

 ※前回「赤間上町(北部)まち歩き/唐津街道赤間宿(宗像市)」から続く。

 ◇赤間宿上町(南部)を歩く (赤間上町🚥より南側)

 ・赤間上町🚥の南側の通りが、現在、唐津街道赤間宿のメインストリートになってはいるが、特に赤間上町🚥付近を含む赤間宿上町通りの古民家は、壊されているところも多く、その跡地は、新築の家が建て替わっている所もあるが、空き地(駐車場含む)のままとなっている所も多い。
 このまま、古民家に行政や観光協会等の手が加えらずに成り行き(家主)任せにしていると、古民家はさらに減少し、往古の風致を懐かしむことはできなくなるような気もする。


 [出光万兵衛の生家 (恵比須屋)]

1赤間恵比須屋 ・所在地:
 福岡県宗像市
 赤間5丁目1-19。









 「出光万兵衛(1882~1964)は、明治15年赤間に生まれた。海軍兵学校を卒業後、海軍大学に進み、甲種学生となった。大学を卒業後、海軍少佐となり、英国に駐留。帰国後、いくつかの艦長を歴任した後、少将に昇進し、昭和天皇の侍従武官として忠勤に励んだ。昭和10年、海軍中将に昇進し、昭和11年海軍兵学校校長に就任。舞鶴要港部司令官を最後に予備役となった。」(mapと現地案内碑をmix)

 ・赤間上町🚥から約80m、道路の東側にある切妻造(木造板張り瓦葺2階建て)の家屋で、平入り1階の左部分は店舗とシャッター付き駐車場に改装されており、右側の玄関引き戸は木造板製、その両横の板壁の前に赤間宿辻行灯と案内碑が設置してある。江戸時代末期頃の築造か。


1-2W.MOON ・なお、店舗に改装されている部分だが、以前「出光動物病院」だったと記憶しているが、最近「W.MOON」(耳つぼ・数秘術、体・心ケア/土・日・祝日午後OPEN)に変わっている。




1-3恵比須屋左煉瓦壁 ・現在、左隣が空き地となっているので、そちら側から見える壁面はレンガ造となっている。
 また、裏の方に長く連結している木造瓦葺の家屋もある。




 さらにここからは見えないが、裏には庭や畑等もあり、かなり大きな敷地を有している。

 ・現地案内碑の見出しは、単に「出光万兵衛生家」となっているが、mapには「出光万兵衛生家(恵比須屋)」と「恵比須屋」の屋号を載せている。

 ・この屋号の表記を見たとき、現在、赤間須賀神社の境内にある「恵比須神社」は、もとは、この屋敷内に祀られていたのかもしれないと思った。
 ※別記参照→「赤間の須賀神社(2)祭神、由緒、境内神社等/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。

 ・さらに、この家は、「庄屋・恵比須」と言われた所で、江戸時代、この家の主は数代赤間の「庄屋」を務めた家柄だった。
 また、家業として宿屋(元は酒屋)を営んでいたので、「宿屋・恵比須」とも言われていたと聞いた。
 そう考えると、左側の奧(裏)に長く連結している家屋がある、と上記したその家屋は「宿屋」の遺構が今に残っているということなのだろうか。

 ・明治維新で、特に明治22年(1889)、九州鉄道(現JR九州鹿児島本線)の開通後、唐津街道「赤間宿」は「宿場」としての機能が完全に失われてしまったので、同家の家業だった「宿屋」は廃業となり、また、庄屋の制度も廃止され、農業に従事した。この家から、日本海軍の軍人「出光万兵衛」(三男か)が誕生したのである。

 ・今次大戦で日本が敗戦し、海軍将校だった出光万兵衛は、公職追放されたが、昭和39年、82歳の天寿を全うした。
 だが、往時、赤間では、郷土で誇るべき軍人としてその名が知られていたので、今日、この家の案内碑やmapに生家としてその名が残されたのだろう。
 なお、スポーツキャスターの出光ケイ(出光紀子)はその孫である。

 ・因みにこの家の斜め前に、同じく赤間で最も誇るべき人物としてあげられている出光佐三の生家(下記)があり、同じ出光姓ではあるが、親族ではなかったと思う。


 [蛭子屋] (赤間宿で最も古い町屋)

 ・所在地: 宗像市赤間5丁目1-18。

2赤間兜屋根蛭子屋 「筑前竹槍一揆で襲われた赤間宿内3軒の内の1軒で、兜造りの家屋を残す赤間宿内で最も古い建物です。醤油・酢・味噌などを製造し、両替・質屋・荒物業を営んでいました。」(map)


 ※別記参照→「筑前竹槍一揆と井上勝次の墓碑(福津市本木)」。

 ・上記「出光万兵衛の生家(恵比須屋)」の右隣にある木造瓦葺2階建てで、切妻の妻入りの2階の壁面に、漆喰白壁の部屋が突き出して作られているようにも見え、そのため切妻屋根が兜のように残ったような感じにも見えてしまう。
 なお、白壁のなかに二つ付いている四角の窓(縦長サッシ窓)のコントラストが良い。

 ・1階の左半分が部屋窓(サッシ)、右半分が4枚引き戸(サッシ)である。
 なお、右端の手前に「出光不動産」の看板が架かっているが、隣接している右隣の家も同家なのだろうか。(未確認)。

 ・この家屋は、赤間宿で最も古い建物と言われが、江戸時代末期頃の建物だろうか。
 古い家を保存するために、よく補修工事などもされているようで、漆喰壁の上塗りもされてあり、その白壁が美しい。

 ・「恵比須屋」と「蛭子屋」と、おなじ発音の「えびすや」の屋号を持つ家が二軒並んで建っているので紛らわしいが、赤間では恵比須神と蛭子神とは同神とみなされており、現在、赤間須賀神社境内の恵比須神社には、赤間宿内の各所にあった蛭子神社のすべてを合祀しているようだ。
 ここは恵比須屋(本家)の分家で、ここにも蛭子神が祀ってあったのだろうか。


 [出光佐三生家]

 ・所在地:宗像市赤間4丁目11。

3赤間出光佐三生家右から写す 「出光興産の創始者である出光佐三(1885~1981)の生家です。出光佐三は、愛郷心が強く、地域の振興に物心両面で尽くしました。小説『海賊とよばれた男』(百田尚樹著)のモデルとなった人物です。」(map)

 ・上記「蛭子屋」の斜め前にある切妻造(木造漆喰白壁瓦葺2階建て)平入りの家屋で国指定登録文化財、明治26 年(1893)築。
 ※別記参照→「海賊とよばれた男〜出光佐三map(1)」/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。
 ※別記参照→「出光佐三の生家〜出光佐三map(3)」/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。


3-2grin time ※出光佐三生家の右隣、空き地(駐車場)の奧の建っている新築の家は、「grin time」…狭い空間にぎっしりと並べられている雑貨(生活用品)の数々を販売している。(水・日・祝日の10時~16時営業)宗像市赤間4-11-2。



 [出光佐三展示室・吉野家酒造店跡]

 ・所在地:宗像市赤間5丁目1-3。

4出光佐三展示室 「平成28年11月の開室で出光佐三にまつわる資料を常時展示しています」(map)
 
 ・「出光佐三展示室」は、出光佐三生家の70m先の東側に設けられている。


 ・この建物は、木造瓦葺2階建て、複合L字形切妻白壁造りの古民家(もとは酒造)である。右側の切妻の妻入りの左前面に横向きの切妻が接合し、その横向き部分の一階に突き出た店舗部分のみを借り受けて設けられており、説明者が常駐している(月曜休み)。
 なお、店舗の上の2階部分の白壁面に「鏝絵」が施してあるようだが、店舗の上の元看板部分が邪魔してよく見えない。

 ・店舗鐘看板の部分は、白塗りとなっているが、ひょっとしたら、以前ここに店舗名の「吉野家酒造」、或は醸造酒「吉野盛」のの銘柄名などが書いてあったのかもしれない。そんなことを考えたりもした。
 当家の家主さんは門司様といい、当初、その名の一字を採って、「門の松」という銘柄で醸造酒を売り出したが、その後、その銘柄を「吉野盛」に変更したら売り上げが伸びたというような話を聞いたことがある。
 「門の松」は、正月のイメージが強く、正月以外の出荷に抵抗感があったと思われるが、「吉野盛」は、春、吉野山の山麓を一面に染める白山桜、或は春爛漫の染井吉野桜を想起させ、いつの春のイメージで季節感を越えた親しみやすいネーミングだったと思う。

 ・2019.9.4 船の模型『沖ノ嶋丸』が展示室に入った(ガラスケース入)とのニュースを聞いた。早速、見学に訪れた。画像など…※別記参照→「出光佐三展示室〜出光佐三map(2)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。


 [桝屋] (もと菓子商)

 ・所在地:宗像市赤間4丁目10-7。

5赤間宿枡屋 「お菓子の製造、卸、小売販売を続けた家で、中の隅には明り取りがあり、横には長いレールがあり、奥行きの深い建物であることが分かります。」(map)




 ・上記「出光佐三展示室」の斜め前にある木造瓦葺2階建て、複合L字形切妻白壁造りの建物のようにも思える。
 つまり、左側の切妻の妻入りの右前面に横向きの切妻が接合し、玄関は左側にある。玄関(サッシ引き戸)の左側は木造窓枠、右側はサッシ窓となっている。

 ・二階の左側の窓は、サッシ窓だが、右側は、古風の木造模様枠と木造木枠の格子窓になっており風情がある。

 ・また、左隣の新築住居の玄関前ポーチから、左横のトタンで覆われている壁面が見えるが、建物はこの奥にまで続いている。赤間宿には、所謂、ウナギの寝床となっているようなところも多い。築年不詳。

0ふらり赤間宿イラスト ・「ふらり唐津街道筑前赤間宿」のイラスト図に「店看板〜一枚板でできた古い屋号の店看板がかかっています」と書いて、「(家紋か商標) 桝屋」と書いた看板のイラストが載っている。
 以前、この一枚板の木彫り文字の看板は、玄関の外側に掲げてあったが、最近、外された。
 この玄関前の看板が外されたのは、菓子業を閉業されたからことによる。



 現在、通常は、店舗内を見学することができないが、毎年2月の赤間宿まつりのときには店内を一般開放されると聞いた。子息は九大出光教授である。


6赤間宿枡屋2階の看板 ・なお、玄関の上の2階の壁には、別の看板が掲げてある。そこには、「菓子(その下は薄くなって読めない) 株式会社 (家紋) 桝屋」とある。




 ・この「家紋」は、薄くなって見えづらいが、多分、「井桁に一文字」と言われる家紋の変形か。かなり珍しい家紋である。或は、独自で作られた商標かもしれない。


 [その他の古民家(抜粋)]

 ・不詳1(上中ノ番)…[古民家たらいま]

7不詳1 ・赤間宿には、所謂、ウナギの寝床となっているようなところも多いと上記したが、桝屋の左、一軒置いて左に一膳飯屋を思わせるような外観をした家の横壁を見るとそれがよく分かる。



7-2不詳1-2 つまり、その左側が空き地(駐車場)となっているので、そこからこの家の横面の外観のすべてが一目瞭然に見渡せるのである。





 なお、木造二階建て白壁の家で、最近、玄関に白暖簾が架かっているのに気付いたが、古着、雑貨店なのだろうか。築年不詳。所在地:宗像市赤間4丁目10-9。

 (※追記) 後日、聞いたところでは、ここは、今年(2019)6月に東吾優希店主(22)が、赤間宿跡を盛り上げるための若い人たちも集まるような色々なイベントを開き、人々の新たな出会いや交流ができる場所にしたいという思いで古民家を活用して開いた「古民家たらいま」だという。
 店名の「たらいま」は「ただいま」の方言か、宗像の人たちが「たらいま」といって帰ってこれるような場所にしたいという思いで命名されたものかもしれない。
 確かに古着店もしており、落語会も開いたという。また、国際短編映画祭の上映会場にもなるなど、今後、赤間宿活性化推進協議会主催の各種イベントにも積極的に参加されるのではないかと思う。


 ・民芸酒場 時代屋

8民芸酒場時代屋 桝屋の右30mにあり、「民芸酒場 時代屋」と白字で書いた木製看板が掲げてある。最初「時代屋」の文字のみが目に入り、民芸品・古物商の店舗かと思ったが、民芸酒場だった。


 店内に入っていないので、中の様子が分からないが、夜の営業時間に入店すると、店内には、きっと民芸品が並べてあるのかもしれない。
 木造2階建瓦葺、2階正面部分のみに白壁も見られる。築年不詳。所在地:宗像市赤間4丁目10-2


 ・不詳2(民家)…茅葺屋根 

9不詳2 つい最近、住宅が壊され、空き地となった、その左隣に建っている家の横壁が道路から見えるようになった。
 傷みもあるが、屋根部分を覆っているトタンの下に見えているのは茅か。


 この家を改めて見ると、もとは入母屋の茅葺屋根の家だったように思える。赤間宿で茅葺屋根の跡を残すような家屋を殆ど目にしないので、保存してほしい家だと思った。築年不詳。所在地:宗像市赤間5丁目1-14

 ※次回→「赤馬館・芳村呉服店跡(赤間宿上町)まち歩き/唐津街道赤間宿(宗像市)」。

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赤間宿上町(北部)まち歩き/唐津街道赤間宿跡(宗像市)「赤馬館・芳村呉服店跡(赤間宿下町)」唐津街道赤間宿(宗像市)