「赤馬館・芳村呉服店跡(赤間宿下町)」唐津街道赤間宿(宗像市)「ハナウタコーヒー・早田薬局跡」唐津街道赤間宿21(宗像市)

2019年10月03日

「勝屋酒造・問屋場跡・お茶屋(脇本陣)下町新屋跡」唐津街道赤間宿(宗像市)

 ※前回「赤馬館(赤間宿下町)/唐津街道赤間宿(宗像市)」から続く。

 ◇[勝屋酒造合名会社]
 ・所在地:福岡県宗像市赤間4丁目1-10
 〜旧赤間宿下町の町家・街道の駅赤馬館の左(南)隣

 「勝屋酒造の建物外観」

1赤間の勝屋酒造楢の露 ・明治初期から中期にかけて建てられたとされている勝屋酒造の木造店舗兼主屋(煉瓦煙突含む)は、国登録有形文化財(建造物)となっている。




 ・なお、建築時期の明治初期〜中期については、「明治20年(1887)建築」説が有力である。

 ・道路から店舗を眺めると、桟瓦葺きの屋根、漆喰白壁の外壁の二階建ての町家が見られる。

 ・一階の右側に、店舗入口と事務所があり、内部は、この入口から土間が左側にあり、ここに商品が陳列してあるのではないかと思うが、ここにある外窓には間隔が詰まっている千枚格子がはめてある。

 ・二階は、天井が低そうに見えるが、その白壁の中央部分に、窮屈そうにも見える小さな格子窓が二つ作られている。このような二階の外観は、赤間宿跡を歩いていると多々観られるので、当地特有の構造なのだろう。

 ・また、二階外壁の両方の隅に、「化粧切石」がはめ込まれてあり、外観の見場の良さにも気を使っていた様子が伺える。
 ただ、白壁のなかにクロス形に埋め込まれている木材が何を意味しているのかは分からない。
 
2赤間勝屋酒造の玉 ・店舗入口の上(一階の桟瓦葺屋根の上)に浮いているように作られている銅板葺小屋根の下に、日本酒醸造元のシンボルである大きな「杉ぼて」が吊り下げてある。



 ・その左横に、主力銘酒(宗像大社御神酒)「楢の露」を強調した茅葺片屋根付きの木製デザイン看板額(浮かし彫り文字)が掲げてある。

 ・看板額の中央に、横書きの大きな文字(書道体、金箔貼)で「楢の露」とあり、その下に[ナラノツユ](黒色小文字)のフリガナが付されている。
 また、右に「勝屋酒造…」(縦書き小文字)、同左に「醸造元」と書いた板が貼り付けてある。


 「煉瓦の煙突」

 ・一階の左側に増築されたような形の平屋部分があり、その左(外側)に、自家用車駐車スペースと瓦屋根付き塀、及び屋敷入口の屋根付き門等がある。

3赤間勝屋酒造の煙突 ここから斜めに、店舗の後方を眺めると、酒醸造元のかつてのシンボル塔ともいえる「レンガ(煉瓦)造り煙突」(高さ10mくらいか)が見える。
 後背には城山の遠景も見えている。


 ・酒の醸造過程に酒米を蒸す作業があるが、この煙突は、その作業中に出る煙を外に出すものだった。

4赤間勝屋の煙突 ・現在、この作業は、ボイラーで行っていると思われるので、煙突の必要がなくなっているが、老舗酒造店では今も、その煙突をシンボル塔として残している所が多い。風情を感じる風景である。



 「酒蔵の外壁」

5赤間勝屋酒造右裏赤馬館裏庭から ・煙突は、前回掲載の赤馬館の裏庭(職員駐車場)からも見えるが、この駐車場から、その横に立ちはだかるように建っている勝屋酒造の酒蔵の横壁を観ることができる。



 ・赤間宿の商家の建物は、間口七間(民家は三間半)とされていたようだが、この間口から奥に鰻の寝床のように長く伸びた土地に、隣地に接して建物を敷地一杯に建てているケースが多く観られるので、このように隣地に駐車場、庭、空き地があると、この奥に伸びる建物の横壁が観られることになる。

 ・ふと、これと同じような状態で酒蔵の外壁の景色を観た記憶がある。それは、津屋崎(福津市)の「藍の家」の裏庭から観た、隣地に立ち塞がるように建つ明治7年創業の老舗「豊村酒造の酒蔵」(明治末期築/代表銘柄「豊盛」)の外壁だった。


 「勝屋酒造の概史」

 ・勝屋酒造は、寛政2年(1790)、三郎丸(宗像市/JR赤間駅の北東)で創業したといわれる老舗で、初代山本善市から数えて現当主の山本博次は七代目だという。

 ・明治6年(1873)の筑前竹槍一揆で、三郎丸の酒蔵が打ち壊され、醸造が不可能となり、後に赤間に移転したという。

 ・当初、移転したところは、現在地の南方(船津医院の北方)で、当時は「荒武屋」の屋号で営業していたと聞いたような気もする(未確認)。

 ・それまで現在地には、江戸時代の問屋場(人馬継所)の業務の一部を引き継いだ特定郵便局と鉄道貨物の取扱所があり、その後、これらの施設が移転した後、この土地を入手し、明治20年(1887)頃、ここに店舗兼主家を作り移転したということか。

6赤間勝屋錦絵 ・当時のものと思われる勝屋酒蔵の錦絵が残っているが、そこには「清酒麓壽泉醸造元(傘マークの下に田の商標)筑前赤間町 勝屋 田中忠吉」の文字が入っている。



 ・勝屋の店主の山本姓ではなく、田中姓で、商標も田中の「田」を用いてあるので不思議極まりないが、当時は、田中忠吉という人に勝屋酒蔵の醸造・経営を任せていたということなのだろうか。

 ・赤間宿は、宗像四塚の一城山(蔦ヶ岳・369m)の南山麓にあり、地下水(伏流水)が豊富で酒造店(松尾大黒屋、門司吉野屋、出光蛭子酒屋、古くは出光恵比須屋本家、伊豆酒造本家など)が軒を連ねていたが、現在、当地で営業を続けている店は、勝屋酒造だけである。

 ※なお、赤間3丁目2-12に「立石酒店」があるが、ここは酒造店ではなく、地酒専門の販売店である。


 「勝屋酒造の日本酒の銘柄」

7赤間勝屋酒造銘柄 ・勝屋酒造の酒が、城山の伏流水の恩恵を受けていることは、この店のメイン清酒である「楢の露」が「城山の水の酒」と銘打っていることでも分かる。




 ・店内には、二つの井戸があり、ここから汲みだされる水が城山の伏流水で、確かに現在もその恩恵を受けいるといえる。

 ・なお、「楢の露」の名は、宗像大社の御神木の「楢ノ木」の名を戴いて命名されたもので、この清酒は、宗像大社の御神酒となっている。宗像大社は、旧宗像郡全土(現宗像市、福津市)の惣社で、境内に生えている御神木の楢ノ木の側に勝屋酒造築の永代献酒誓碑がある。

 ・また、勝屋酒造には「沖ノ島」という銘柄の清酒があり、この銘柄からも勝屋酒造が宗像大社を深く信仰していることが伺える。
 沖ノ島は、宗像三女神の一「田心姫神」(瀛津嶋姫)を祭祀する「沖津宮」がある女人禁制の孤島で、世界文化遺産となって以来、現在、神官や特別に許可された人たち以外の渡航は禁止されている。

 ・なお、沖ノ島には、腐らない水とも言われる御神水が湧出しているが、簡単に渡れる島ではなく、渡ったとしてもこの御神水の持ち帰りは制限されており、多量の水を使用する清酒の製造に用いることはできない。

 ・したがって、清酒「沖ノ島」には、宗像大島の「中津宮の御神水」が使われているようだ。
 「中津宮の御神水」とは、宗像三女神の一湍津姫が鎮座する中津宮の境内で湧出し、延命招福の霊水とも称される「天真名井」のことだろう。

 ・若干、話が脱線するが、小生は、かつて沖津宮で現地大祭が行われていた時代に一度だけ沖ノ島に渡ったことがあり、そのとき、ペットボトル1本分の御神水を戴いて持ち帰り、我が家の敷地に浄めとして撒いたことがあった。
 また、宗像大島の中津宮の参拝に出かけたときには、必ず「天真名井」まで谷を下りて、その霊水を一口いただくようにしているが、あるとき、この谷を流れる天の川の下流(一の鳥居付近)で、手にしている念珠を洗い浄めたこともあった。

 ・勝屋酒造の清酒の銘柄には、上記「楢の露」「沖ノ島」のほかに、大吟醸「麓寿泉」、米だけの酒「蔵酒」、勝運の酒「勝正宗」、地酒「玄界灘」、歴史の酒「赤間宿」や生原酒(しぼりたて、にごり酒)、甘酒、リキュール「酒中八仙」、「養生訓」などがある。

 ・このうち、「麓寿泉」は、上掲の錦絵に載っているように、勝屋酒蔵の初期の清酒で、宗像四塚の一、城山(蔦ヶ岳/赤馬山)の麓から湧きだす寿の清泉(伏流水)を思わせる大吟醸酒である。「勝正宗」は、勝屋酒造の屋号に相応しい定番の銘柄だと思う。「玄界灘」や「赤間宿」は、地場を高揚させる地酒らしい銘柄である。

 ・
これら「楢の露」を初めとする勝屋酒蔵の清酒は、世間に広く知られており、わざわざ遠来から直購入に訪れる人たちもいると聞く。
 ・毎年10 月中旬頃から酒の仕込みを始めて、12 月中頃から新酒ができ始めるので、勝屋酒蔵では、新酒の出荷ができる毎年2月(第4土日頃)に「酒蔵開き」を行い、蔵出しされたばかりの新酒の提供と販売を行う。これに合せて「赤間宿まつり」が開催されるので、この日の赤間宿跡は大いに賑わう。


 ◇[赤間宿問屋場跡]

8赤間宿問屋場跡 ・勝屋酒造店舗の左方の平屋の前に「問屋場跡」と書いた現地案内碑がある。







 「問屋場は、宿場で最も重要な施設で、大きく二つの仕事があった。一つは、人馬の継立業務で、常時十数頭の馬と駕籠が置かれ、宿場人足百数十名がいた。もう一つは、幕府公用の書状や品物を次の宿場に届ける飛脚業務であった。明治維新後、当地は飛脚業務を引き継ぐ特定郵便局と鉄道貨物の取扱所となった。平成24年2月作成」(現地案内碑)


10赤間問屋場跡 ・江戸時代に、当地に、宿場の要ともなる問屋場(人馬継所)が設けられていたが、明治維新で問屋場は廃止され、その業務の一部を引き継いだ特定郵便局と鉄道貨物の取扱所があったようだ。



9問屋場 ・この各種取扱所があったことが分かる錦絵が残っている。(※画像)
 ・明治20年(1887)頃、勝屋酒蔵は、この取扱所の跡地の一部を買い取り、現在の店舗兼主家を建築し、移転した。



 ◇[赤間宿下町のお茶屋(脇本陣)新屋跡]
 ・所在地:宗像市赤間3丁目4-16

11赤間勝屋P脇本陣 ・勝屋酒造の前の道(旧街道)を挟んで対面に、勝屋酒造倉庫兼車庫、及び来客用駐車場があるが、江戸時代、ここには、赤間宿下町の新屋(あたらしや)という屋号を持った「お茶屋(脇本陣)」があった。


12お茶屋脇本陣新屋図面  「お茶屋(脇本陣)跡 赤間宿には上町と下町に1軒ごと、合計2軒あった。ここにあったのは、下町の新屋(あたらしや)という屋号の町茶屋。上級武士が参勤交代のときに宿泊した。(平面図)平成24年2月作成」(現地案内碑)
 ・現地案内碑に貼付してある平面図を見れば、このお茶(脇本陣)の広さが伺える。


 ・赤間宿ができた当時に作られた「お茶屋(脇本陣)」ではないかと考えられ、屋号は「新屋」だが、この「下町のお茶屋・脇本陣」の方が、上町にあったもう一軒のお茶屋・脇本陣(※下記)よりは古かったようだ。だが、明治維新後、ともに消滅した。


 ※付記
 ◇[赤間宿上町のお茶屋跡(脇本陣)]

 ・もう一つの「赤間宿上町のお茶屋(脇本陣)」は、幕末、大藩の薩摩藩が赤間宿を利用するようになり、大藩だけに従臣も多く、下町のお茶屋新屋の脇本陣だけでは間に合わなくなったために、新たに設けられたともいう。

 ・その場所は、現在、赤間宿上町を分断している県道29号線上…「赤間上町🚥」内の東側にあった。

13赤間上町🚥 赤間宿上町の唐津街道筋が、この県道ができて分断されるまでは、現在、県道となっている場所にも家々が軒を連ね、その家々の一つに、この上町の「お茶屋(脇本陣)」があったのである。



 ・現在、多くの車が往来しているこの道路を観ていて、今となっては、ここに街道筋の町並みがあったことを思い浮かべるのは難しい。残念なことだ。

 ・なお、「お茶屋(本陣)」は、現城山中学内の東部分にあったが現存していない。また、現在、出光佐三生家が建っている場所に、この本陣と宿場街道筋を結ぶ道路があったが、この道路も現存していない。

※次回→「ハナウタコーヒー・早田薬局跡/唐津街道赤間宿21(宗像市)」。

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