「辻井戸(赤間宿下町)・大黒屋・今井神社」唐津街道赤間宿23(宗像市)「赤間本町(古町)通り・浄万寺」唐津街道赤間宿25(宗像市)

2019年10月17日

「石松邸(橋口屋)・吉田邸・石松邸(蔦屋)」唐津街道赤間宿24(宗像市)」

 ※前回「辻井戸(赤間宿下町)・大黒屋・今井神社/唐津街道赤間宿23 (宗像市)」から続く。


 [石松邸(橋口屋)]

1石松邸橋口屋 所在地
 福岡県宗像市赤間3丁目3-12

 ※赤間宿下町・下の番(東側)
 ※石黒屋酒造松尾本家跡の(右側の路地を挟んで)右隣。



 「明治初期の建物で、以前は荒物屋でした。先代は金具職人としてろうそくの金型(全国にも数人しかいない)を作っていました。」map

 ・道路(街道筋)に面して建つ切妻造の家屋の平入りに作られた一階、及び二階の木製枠の総ガラス戸や二階窓際に取り付けてある「欄干」が一際目を惹く。
 因みに、1階の総ガラス戸は6枚+(右側に)腰板上ガラス戸、左側の路地側には四段枠入りガラス引き戸あり、二階はガラス戸7枚+雨戸、同左側に2枚ガラス戸+雨戸がある。

 ・現在、この家屋を管理されている後継者の薦田様は、明治維新後の歴史を刻んだ「橋口屋」の屋号を持つ町家を「自分の代で家を潰すわけには行かない」との考えで、積極的にその保存に努めておられる。

 ・例えば、現在、赤間宿通り活性化推進協議会が行っているイベント〜赤間宿祭り、九州大道芸まつり、あじさい祭等々〜に積極的に参加され、イベント当日は、玄関戸を開け、町家を内部を開放され、また、友だちの皆様の協力などもあって、かつての先代の作業場(玄関のそば)を会場にして「手作り雑貨」の展示と販売もされている。あまりにも貴重な活動で、頭が下がる思いである。

・イベント当日、玄関から中に入り、上記作業場跡の横を走る土間から「中の間」に入ると、吹き抜け構造の高い天井を見上げて感歎し、古民家特有の丈夫な梁や古柱、手すり、神棚(三宝荒神様)などの木々にも目を奪われる。
 因みに橋口屋の建て方は、2階の窓を小さく作るような赤間宿の独特の構造ではなく、また内部の状況も含めて、どちらかといえば博多の町家的な古民家のように思える。


 [吉田邸]

2吉田邸 ・所在地
 福岡県宗像市赤間3丁目3-7

 ※赤間宿下町・下の番(東側)
 ※上記橋口屋の右三軒目。




 「明治初期の建物で、戦前まで箪笥や長持ち建具等の家具製造販売をしていました。二階の窓右側に鏝絵があります」map

 ・切妻瓦葺二階建て、妻入り部の玄関や一階、二階の窓はすべてサッシに変わっているが、壁は漆喰のままのようで、特に二階部分に取り付けてある鏝絵は目立つ。


3吉田邸鏝絵 ・錦絵のデザインは「丸に儀」なので、建築当時の当主の名前に「儀」の文字が入っていたのか、或は、当家(吉田邸)は、代々「儀」の文字のつく名を名乗ったのだろうか、と思ったりもした(未確認)。


 ・話が脱線するが、この「」の文字は、戦死した小生の実父の名前の一字なので、必ずこの前を通るときは敬礼又は合掌してしまう。

 ・因みに、赤間宿通りで、「鏝絵」が紹介されている家は、この吉田邸だけである。
 ただ、赤間上町の門司家(旧吉野酒屋=現在同所に出光佐三展示室あり)の二階にも鏝絵があるように思えるのだが、その前に突き出している店舗用屋根が邪魔して確認出ない。


 [石松邸(蔦屋)]

4石松邸蔦屋 ・所在地
 福岡県宗像市赤間2丁目4-17

 ※赤間宿下町・下の番(西側)
 ※赤間搆口🚥の北側の西列2軒目の家屋。



 「兜造りの屋根と蔀戸が残っており、江戸期の造作を残す貴重な建物です」map

 ・この家屋は、畦町宿跡で観た兜造りの建物と同じように「入母屋造りの屋根」の妻側を切り込んで前部に二階部分の屋根を突き出すことにより、切妻の先端部分が前部の屋根の上で兜を被っているように見える造作だった。(※建築の専門家ではないので表現に間違いがあるときはご容赦)。

 ・ところで、兜造りの名があるのは、武将が兜を被っているように見える例えから生まれたものではないかと思うが、この兜屋根を観ていて、ひょっとしたら石松家は戦国武将の流れを汲んだ家系だったのかもしれないなどとも思った。

 ・「兜造りの屋根」に気を取られて、道路の反対側から屋根、及び二階の木枠のガラス窓や白壁ばかりを観ていたが、mapには「蔀戸が残っており」ともあるので、道路を横切り建物に近づいて一階の造作を観た。

 ・目(間)がつまった格子が並ぶ千枚格子戸のようなに玄関戸と窓の板戸と腰戸、そして、そのうちの板戸が蔀戸(しとみど)になっており、実に見事な造作である。

 ・蔀戸は、寺院建築では今も時々見かけるが、現在の民家建築ではまず見かけない。特に道路に面している家では、蔀戸をあげるとその戸が道路にはみ出し、特に自動車の運行の邪魔になりそうなので、石松邸でも、現在、この蔀戸を上げることはあまりないのではないかと思う。

 ・この家屋は、多分、江戸末期の建築ではないかと思っているが、mapには、詳細な建築時期が書いてなく、ただ「江戸期の造作を残す貴重な建物です」とのみある。ただ、いずれの時期に作られた建物であっても、この建物の文化財的価値、評価は高いものがあると思う。

 ・そもそも石松姓は、宗像大宮司氏貞の本城(蘿嶽城)があった蔦ヶ岳の「」(ヒカゲノカズラ)を表す姓(蔦=石松)でもあり、特に、当家石松邸の屋号は「蔦屋」で、この屋号は、正に「蔦=石松」である。

 ※別記参照→「蘿神社〜ヒカゲノカズラ・石松など(宗像市陵厳寺)」。


 ((余録))

 以下は、小生の感想であり、当家で確認したことではない。

 ・石松邸蔦屋の兜造りの屋根は、武将の兜を思わせ、また蔀戸(しとみど)は、外部からの攻撃のしにくさと内部からの防御のしやすさを思わせるが、上記したように、もし石松家が戦国武将の流れを汲んだ家系だったとしたら、先祖は、宗像大宮司氏貞に仕えた家臣団の一だったかもしれない。

 ・赤間宿は、宗像氏貞が城山(蔦嶽・蔦ヶ岳)に本城(蘿嶽城)を構えた戦国末期には、その城下町であり、江戸時代になってもその家臣団が住み続けたと考えられなくもない。

 ・氏貞の主要な家臣団になかに石松氏一統があり、赤間の隣接地・陵厳寺には石松氏一統の祖神を祭る田永神社(田永宮)や、石松氏も係わりのある蘿神社があり、また同・吉留には石松氏が奉斎した平山天満宮もある。

 ・石松氏は、上記の「橋口屋」や赤間須賀神社の石松林平・伴六碑を含め、城山の山麓地帯(宗像市吉留、土穴、陵厳寺、徳重、赤間、遠賀郡岡垣町など)に広く分布している。

 ※別記参照→「蘿嶽城の築城と破却(宗像市陵厳寺・城山)」。
 →「田永宮と石松但馬守尚李碑E脹糞(宗像市陵厳寺)」。
 →「蘿神社〜境内八社考(宗像市陵厳寺)
 →「猿田峠の西東(12)〜平山天満宮と大師堂(宗像市)」。
 →「赤間宿上町(北部)〜赤間宿まち歩き(2)/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。


 [赤間搆口と釣川一番定石]

5赤間構口6釣川定石一番碑







 ※別記参照→「赤間宿搆口/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。
 ※別記参照→「釣川定石一番碑、道標碑、虚空蔵菩薩堂ほか〜辻田橋付近2/唐津街道赤間宿跡(宗像市)」。

 ※次回→「本町(古町)通り・浄万寺/唐津街道赤間宿跡25(宗像市)」。

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