http://student.mynavi.jp/freshers/column/2013/03/15_1.html
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徳川15将軍、最も知られていないのは誰?

二百六十余年にわたって長期政権を保った徳川幕府。その歴史のなかで15人が将軍として名を刻んだ。ところで、この15人の名前言えますか? 多くの人がおそらく全員の名前まで言えないのではないでしょうか。ましてや、「何をした人?」と言われて答えられる人なんて、どのくらいいるのでしょうか。ということで、20代の社会人にアンケート。「あなたは、徳川15将軍を知っていますか?」

今回はそれぞれの将軍について「よく知っている」「それなりに知っている」「全く知らない」の選択肢を選んでもらい、その知名度をランキングしました。


徳川15将軍知名度ランキング
1位 知名度91.6% 初代:家康(江戸幕府開府)
2位 知名度83.2% 三代:家光(参勤交代の義務化・鎖国の強化)
3位 知名度81.5% 五代:綱吉(生類憐れみの令)
4位 知名度76.8% 八代:吉宗(享保の改革・質素倹約)
5位 知名度72.9% 十五代:慶喜(江戸幕府最後の将軍)

13位 知名度24.9% 十一代:家斉(寛政の改革)
14位 知名度24.5% 九代:家重(勘定吟味役の充実)
15位 知名度18.1% 十代:家治(田沼時代)
※知名度は「よく知っている」「それなりに知っている」の回答数の合算

【全文はこちら】







結構予想通りな結果なわけですが、
家治、家重あたりを知っている人がここまでいるとは思いませんでした。
(管理人が無知なだけかもしれません)



そこで勉強のため徳川家重について調べてみました。

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ん?
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ん?
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Wikipediaによると
女性説

実は女性であったと、とする説がある。
吉宗が他の候補者たちを差し置いて将軍後継に選ばれた要因の一つが嫡男・家重がいることであった。このため「女子を男子と偽って嫡男とする」ことで、自身の将軍選定レースに有利に働くように、いわゆる偽装していた、という推測である。後に吉宗には男子(徳川宗武、徳川宗尹)が誕生しているが、吉宗は兄弟の順序を重んじ家重を後継としたものの、(家重は女性であるため)大御所として政治の実権を握り続けた。

言語不明瞭で側近の大岡忠光にのみ聞き取れる声でしか話しておらず、将軍の声を聞いた人がほとんどいなかった、とされるのがこれも、女声であることを悟られぬ為の方策だったとする。

通説では大奥に入り浸りだったとされるが、その割には子供が二人だけと少ない。

前述の遺骨調査についての報告書の家重の項目に、曖昧な表記や意味不明な比較が目立つ。

頭蓋骨や骨盤が女性のような形であった。骨盤の写真が他の将軍たちの骨盤写真と異なり、家重だけは正面から撮影されていない。

歴代の将軍は遺骸を収められる際には胡座の姿勢をとるのが通例だが、家重のみは正座の姿勢で収められていた。これは女性が埋葬される際にみられる特徴である。

ただし、以上はあくまで推察の域を出ず、確たる史料による裏付けはない。


そして評価は

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無能な将軍だったが、幕閣の大岡忠光や父・吉宗の遺産もあって、平穏を保ったと言われている。

その一方で、忠光や田沼意次のような優秀な側近を見出して重用していたり、勘定吟味役(勘定所の監査役)を充実させていることから、
井沢元彦は「人事能力は優れている」「隠れた名君である」と評し、『徳川実紀(江戸幕府の公式記録)』の評価を、脳性麻痺ゆえに知性も低いという偏見、あるいは抜擢した意次の低評価によるものとしている。また、甲斐素直も言語障害があっても頭脳は怜悧で強力なリーダーシップで政治実権を握った将軍であり、徳川綱吉同様、幕閣に不人気だったために低評価になったとの見方をしている。



吉宗の後だから知名度が少ないのでしょうか。。

また一つ勉強になりました。