稀勢の里の連覇に湧いた春場所千秋楽から早くも1週間が経ちました。


http://www.hochi.co.jp/sports/sumo/20170328-OHT1T50039.html
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横審、春場所13勝・照ノ富士の夏場所綱取りに否定的   

 大相撲の横綱審議委員会(横審)の定例会合が27日、東京・両国国技館で行われ、大関・照ノ富士(25)=伊勢ケ浜=の夏場所での綱取りに関して否定的な見解で一致した。

 照ノ富士は春場所で13勝の優勝同点。2場所連続優勝かそれに準ずる成績という内規に照らし合わせれば来場所は綱取りとなるが、横審はカド番を4度繰り返したこの1年の成績を問題視した。北村正任委員長(75)は「内規は絶対的なものではない。準優勝、優勝で上げるなら横審はいらない。(成績が)安定しないと議論にならない」と長期的視点の必要性を説いた。


今回は、横審が来場所の照ノ富士の綱取りに否定的とのことで、横綱昇進条件について取り上げたいと思います。

内規では
「2.大関で2場所連続優勝した力士を推薦することを原則とする。」
「3.第2項に準ずる好成績を挙げた力士を推薦する場合は、出席委員の3分の2以上の決議を必要とする。」
とあります。

本来の基準であれば、優勝決定戦までもつれた末の準優勝ですから、綱取りとなってもおかしくはないはず。
なぜ否定的なのか。


横審がなぜこのような意見となっているのか。
このことを考える前に、まずこれまで紆余曲折のあった横綱昇進条件の変遷について振り返らねばなりません。
内規が制定されたのが1958年のことですから、それ以降について振り返ります。
昇進の基準はこれからご覧いただく通り変わっていきますが、内規の文面自体は変わりません。

第1期 ~1970年(良い成績あげたんだから横綱にしよう時代)
この期間中は大鵬、柏戸といった大横綱が誕生していますが、柏戸、栃ノ海は直近2場所で準優勝にも絡まない場所があったのにも関わらず昇進するなど、割とゆるい条件で昇進が決まっていました。
そして最後に準優勝にも絡まずに昇進となったのは1970年の玉の海(10勝→13勝(同星準優勝))でした。
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(玉の海はその後4回優勝しました)

この時代は「準ずる成績」の解釈が今とは違っていたと思われます。準優勝ではなく、優勝に限りなく近いくらいの意味で使っていたのではないでしょうか。(あまり詳しくありません)

第2期 ~1988年(優勝、準優勝に限るようになる時代)
この期間中は段々と内規が厳密に運用されるようになってきます。
最後に大乃国が準優勝2回で昇進となっています。
この時代が1988年に終了するのは、この年を最後に双羽黒が引退したことに深く関係します。
双羽黒は1986年に昇進しますが、この時の成績は12勝(準優勝)→14勝(準優勝・決定戦)と優勝無しで昇進を果たしました。
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しかし、その後も優勝することはなく、そのまま引退となり、初めて優勝経験のない横綱となりました。
これを受けて、横審は内規を更に厳密に運用するようになります。

第3期 ~2013年(優勝しか認められない時代)
この期間の条件は単純明快。
2場所連続で優勝すること。
この条件中に4横綱時代がありましたが、今思うとすごい奇跡だったのですね。
この時代も、日本人横綱がいない期間が伸びてくることで段々と変わってきます。

第4期 ~現在
2013年稀勢の里が13勝で準優勝したことを機に、状況が変わります。
当時の北の湖理事長が「翌場所でハイレベルな優勝をすれば横綱昇進の可能性もある」と発言したことで風向きが変わりました。
翌場所の稀勢の里は11勝と昇進とはなりませんでしたが、基準が甘くなった帳尻を合わす形で2014年3月場所にて鶴竜が優勝し(前場所は準優勝)、昇進を果たします。
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その後、稀勢の里が準優勝→優勝という成績を残し、昇進を果たしたのはご存知の通りです。




優勝力士と星の差があまりにも離れているというのならともかく、決定戦にまでもつれた照ノ富士は綱取りとならないのはどういうことなのか。

次回(来週)に続きます。