(´;ω;`)

1:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:16:53.64 ID:FL+ICrcx0
需要があったら書きます。



3:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:21:17.30 ID:1eux2Y5K0
君の心のキャンバスに忘れないようかーちゃんとの思い出を記していきなよ



4:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:22:33.82 ID:FL+ICrcx0
ありがとうございます。
ただまとまってないので読みにくいかと思いますがご容赦ください。



5:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:24:11.28 ID:FL+ICrcx0
母が62歳で他界してその時私は27歳でした。
突発性の難病で発覚した時点で手が施せないものでした。



6:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:26:01.62 ID:FL+ICrcx0
沢尻エリカが主演の「太陽の歌」だったかな?
あれと同じ病気でした。

ただあのドラマ以上に深刻な病気だったらしく最高で余命10年と言われました。


元記事:
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news4viptasu/1408897013/
http://2ch.sc/



7:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:27:38.57 ID:FL+ICrcx0
ただ最大限生きた人が10年というだけで実際は3〜5年程度だそうです。

うちの母も約3年で亡くなりました。



8:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:29:50.00 ID:FL+ICrcx0
病状はさっくりいうと「小脳委縮症」
小脳が日に日に小さくなっていく難病で原因は謎、治療法もなかった。
ただ進行を遅らせる薬はありました。



9:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:32:40.55 ID:FL+ICrcx0
私が24歳の時、地元を離れ東京で仕事に就いて一か月が過ぎた時に
父親から「週末帰ってこれるか?母ちゃんのことで大事な話があるんだ」と言われ実家に帰りました。
前から膝が悪いと何度かヒアルロン注射を打ちに病院に連れて行ったことがあったので「足がそんなに悪いのか?」
と思いながら実家に帰りました。



10:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:36:47.86 ID:FL+ICrcx0
帰ってみると父親と母親と地元で一人暮らしをしている姉と
家族全員集合し父親がポツリと話し始めました

「母ちゃんは足が悪いんじゃなくて小脳が縮んでいく難病なんだってこの前ちゃんと検査して分かった。」

何を言っているのかわかりませんでした。
母親は何を言うでもなく下を向いたまま黙っていました。



11:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:39:11.39 ID:FL+ICrcx0
「どういうこと?」私は父親に尋ねると
「治らない病気だ。治療法もないし、手の施しようがないってお医者さんが…」
目を真っ赤にさせながら涙こそ見せなかったが話す父親が印象的だった。



12:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:42:55.70 ID:FL+ICrcx0
その時すぐ姉は泣きだした。鼻声で「手術とか…助からないの?」と父親に言っていたが「ダメみたいだ」
今考えるとその時泣かなかった自分がなんだかむなしく思えた。
気丈にふるまっていたが頭の中は真っ白だった。

その後姉の鼻をすする音と、父親の貧乏ゆすりの音だけが響き何とも言えない空気が流れた。



14:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:44:46.20 ID:FL+ICrcx0
誰もいなそうだけど書きますね。

沈黙の後に母がぽつりと言った。
「しょうがないね。」

その言葉は今でも鮮明に覚えている。その日母親が話した唯一の言葉だった。



16:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:45:08.20 ID:y0DTWk0l0
いるよー



17:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:47:25.47 ID:Ts71wlYa0
見てる
うちの母親がじきに62才だわ



18:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:47:34.76 ID:FL+ICrcx0
沈黙を嫌い私が話した。
「しょうがないね。ただ、今ここでどうこう言っても始まらないし、夜も遅いから解散しようか?」
その時自然と母親の手を握っていた。

「そうだな!」
父親が少し元気な声で言ってそのまま解散となった。



19:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:51:23.78 ID:FL+ICrcx0
ありがとうございます。遅くて申し訳ないです。

その夜姉と私は泣きながらネットで病気のことを調べたり、今後のことを話し合った。
病気のことを調べるたびに絶望した。なんにも方法がないことを痛感させられた。

姉は実家に戻ると言っていたが大切な試験の前で勉強が大変な時期でもあった。

「おれが今の仕事辞めて戻ってくるから。長男だからね。」
ぐちゃぐちゃの顔で言った。



20:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:53:16.29 ID:FL+ICrcx0
あと病気だからって特別扱いされたり心配されたりするの嫌がるからなるべく普通でいよう。
と姉と約束した。

そして週明けに東京に戻り辞表を出した。



21:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:56:22.54 ID:FL+ICrcx0
すぐに受理され翌日には退職できた。試用期間扱いだったため問題ないとのことだった。
三日後には引っ越しをし実家に戻った。

母親にはこっぴどく叱られた。
「この程度のことで仕事をやめるな。お母さんは元気だから」
フラフラしか歩けない母親に言われ涙が出そうになった。



23:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:58:13.52 ID:FL+ICrcx0
父親と姉には感謝されたが母親は少し嫌そうな顔をしていた。
その後知ったのだがエンディングノートに息子が帰ってきてくれたのがうれしかったって。

あまのじゃくな母親らしいと家族で笑ったのはいい思い出。



25:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:01:10.77 ID:FL+ICrcx0
家に帰ってすぐ自由の利く仕事を探し、知り合いの所で働き始めた。
父親は定年をしていたので私が仕事に行ってる間は父が介護をしていた。

私の家での仕事はご飯づくりとトイレの介助だった。



26:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:04:10.25 ID:FL+ICrcx0
基本的に病状が急変するようなものではなく入院生活はほとんどなく家で大半を過ごしていた。
病院の先生もいい人ですぐに難病認定をとってもらい、要介護もつけてくれた。

金銭的には負担も少なくすんだ。



24:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 01:59:21.12 ID:46bVZUPu0
すまん、もう泣いてる



27:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:07:54.18 ID:FL+ICrcx0
私も泣きながらです

病状的には筋力がだんだんなくなっていく病気でした。
歩けなくなって握力が無くなっていき手が震えていく。

徐々に進行すると思っていたが割と早く進行していき、1年後には自分でお箸を使うことは出来なかった。

父親が食べさせる姿は今でも忘れられない。
こんなに愛していたんだって初めて知ったから。



28:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:11:00.60 ID:FL+ICrcx0
母親はわがままだった。

「入院なんかしたくない。」
「最後くらい家にいたい。」
介護疲れするくらい父は頑張っていた。
おれがいない間の家事も頑張っていた。
もちろんヘルパーさんもいたが負担は大きかった。

おれは一週間の休みをもらい父親に旅行をプレゼントした。



29:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:14:35.54 ID:FL+ICrcx0
その間家事や母親の介護もした。
ずっとそばにいてやりたかった。

母は「お父さんのことありがとう。私がいなくなっても父ちゃんと仲良くやってくれ」
震える声で「まだ先の話だから!それにあの父親にはあんたがいなきゃダメだろ?」って言った。
何度も母親は「ごめんね」って言っていた。

謝りたいのはこっちだ。親不孝な息子でごめんって。



31:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:18:01.51 ID:FL+ICrcx0
病気が発覚して半年後のことだった。付き合っていた彼女を紹介した。
母親は「彼女なんて連れてきたの初めてだ!」とはしゃいでいた。
少しでも安心させてやりたかった。
おれが今こうして幸せなのはあなたのおかげだって。

その頃には病気のせいなのか口が上手く回らなくなってきていた。



32:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:20:52.72 ID:FL+ICrcx0
ろれつが回らなくなり段々何を言ってるかわから無くなってきた。
亡くなる直前くらいの時は4回聞いて断片的に聞き取れるレベルだった。

姉も毎週末帰ってきてはくだらない話をしていた。
母親は聞いているんだか聞いていないんだかわからない感じだったが少し楽しそうだった。



33:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:24:38.51 ID:FL+ICrcx0
病気が発覚して2年目のこと姉の結婚が決まった。
母親は「こんな姿のまま式には出たくない」
とわがままを言っていた。

このころには座椅子に座っていてもフラフラ揺れて今にも倒れそうな状態だった。
支えていないと倒れそうになるのでずっとそばで支えるのがおれの役目だった。

旦那さんに無理言って母親のために式を早めたのは今でも母親にはないしょだそうです。



34:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:27:56.72 ID:FL+ICrcx0
式当日も「行かない!」と駄々をこねてました。
ばっちり衣装もそろえていたくせにね。

式は車椅子で私がずっと付き添っていました。
父親も式ではいろいろと忙しかったので私が全て世話をした。

母親はばっちり決めた衣装にメイクでした。
ヘルパーさんにあれこれ注文を付けながらメイクをしていた姿はいい思い出です。



35:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:29:45.88 ID:33f6P5pi0
式には出られたのか。良かった。



36:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:31:35.11 ID:FL+ICrcx0
式の最後に姉が手紙を読んだ。
病気のことは触れなかったが最後に「こんな娘でごめんね」って言ったのが印象的だった。

母親の泣いている姿はこれが最初で最後だった。

車椅子の横にいた私がずっと母親が手を握っていた。力こそなかったがなんだか力強く握られていたような気がした。



37:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:36:50.14 ID:FL+ICrcx0
式も終わりいつも通りの生活に戻った。日に日に弱っていく母親は何ともいたたまれなかった。

「彼女大切にしなさい。あの子泣かせたらダメだから!」
「私はいなくなるけど、あの子はずっとお前のそばにいてほしい」
そんなさびしいこと言うなよ。母ちゃんももっと長生きしろよ?
何度も言いたかったが言えば母親が辛くなると思い口はしなかった。



38:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:37:29.84 ID:FL+ICrcx0
誤字だらけだ。読みにくくてごめんなさい。



39:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:38:35.02 ID:5RbPjY2O0
いや、大丈夫。気にしないで、続けてくれ



40:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:41:26.16 ID:F4Thc69Q0
俺の母も去年11月に亡くなった 吐き出すのもいいと思うよ



41:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:41:47.39 ID:gE2KZM1eO
見てるよ
大丈夫気にすんな

親父を亡くして来年で3年になる俺だ



42:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:42:46.15 ID:FL+ICrcx0
「親らしいことがしてあげられなくてごめん。お前の世話してあげたいのに世話になるばっかりで…」
「何不自由ない生活して、大学まで行かせてもらったんだよ?今度はおれが恩返しする番だから」

このやり取りを何度もした。その後部屋で何度泣いたか知ってるか?



43:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:44:44.40 ID:FL+ICrcx0
姉が結婚して1年経ったある日子供が出来たと言ってきた。
一同喜んで「おめでとう」と言った。母親もうれしそうだった。

もうこのころには寝たきりで食欲もなく何もできないような状態になっていた。



44:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:47:30.45 ID:FL+ICrcx0
姉が帰った後、母と二人きりで話をした。
「私は孫の顔を見ることができないだろうな」
死期を悟っていたようだった。
「ちゃんと孫の顔見てからにしな?人生の楽しみの一つだろ?」
嫌な予感がした。実際にこれは現実となってしまったけど。



45:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:52:12.84 ID:FL+ICrcx0
それから2か月後病院の定期検診ののち
父「気道が極端に狭くなってるらしく自立呼吸が出来なくなるかもしれないってお医者さんが…」
私「窒息死とかの可能性もあるってこと?」
父「ああ、それで言葉は喋れなくなるが喉にパイプを通す手術をするのがいいって」
正直このころには自分の中では最後が近いのはわかっていた。
私「母ちゃんはどうしたいって?」
父「…嫌がってる」
私「そっか…」



46:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:55:09.33 ID:FL+ICrcx0
父親はどんなことをしてでも母を長生きさせたかった。
それは私だって一緒だ。ただ母親は「植物人間みたいな状態でいきたくない」と毎日言っていた。

私「じゃー母ちゃんの意思を尊重してあげよう?最後くらい全部わがまま聞いてやろうよ?」
それでも父親は一切納得しなかった。毎日のように説得していたが答えは「嫌!」だった。



47:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:57:33.63 ID:FL+ICrcx0
ある晩いつものようにご飯を食べ、母はいつものようにトイレに行き
10時ころに寝た。おれもいつものように「おやすみ」と言ってかすれ声で母も「おやすみ」と言った。

普段通りのことだったがこれが母親との最後の言葉になった。



48:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 02:59:04.66 ID:FL+ICrcx0
次の日の朝、父親が母を起こした。
「うん」と言った後一切起きない母に何度か声を掛けたが動かなかった。

もう息をしていなかった。



49:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:00:50.90 ID:FL+ICrcx0
父親は慌てておれを起こした。
すぐに看護師さんを呼んで看護士さんが救急車を呼んだ。

忘れたように呼吸をしない。かと思うと少し呼吸をしてはまた無呼吸の繰り返しだった。



50:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:03:17.71 ID:FL+ICrcx0
慌てていた父親に「落ち着け!」って何度も行ったが無理だったよね。
とにかく救急車で一緒に行けと言って私は家のことや各所に連絡をした。

看護士さんは「もう無理だと思う…」と私に伝えて帰って行った。
泣きじゃくりながら姉に電話をしてすぐに家を飛び出した。



51:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:06:17.11 ID:FL+ICrcx0
救急の治療室の前に着くと父と姉が泣きながら椅子に座っていた。
「もうダメなんだ…」と思って座って姉の手を握って「大丈夫?」と何度も聞いた。
父は落ち着かず部屋の前を何度もうろうろしていた。



52:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:08:31.26 ID:FL+ICrcx0
お医者さんが出てきて話を聞いたところ「まだ生きてはいるが、いつ呼吸が止まるかもわからない」
不思議なもんでスッと落ち着いてしまった。

「終わりなんだ」

悲しいとかの感情が無くなってしまった。



53:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:12:19.89 ID:FL+ICrcx0
その後病室に移って何度も呼吸が止まりその度にお医者さんが肺に空気を送るポンプで呼吸を無理やりさせていた。

父親はガリガリに痩せてしまった母親の手を握り「置いてくな。お母さん…息してくれ」と言っていた。
姉もずっとそばで「頑張れ!」って言っていた。

不思議なものでやっぱりこの時は時間が流れていないように感じた。



54:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:14:57.67 ID:FL+ICrcx0
親戚一同も集まりその対応を私がしていた。

するとお医者さんが「ご家族だけにお話があります」
別室に連れていかれ話をした。

「これ以上続けても意識が戻ることはないでしょう。ただ人口呼吸器をつければ延命は出来ます。どうしますか?」

父親は泣きながら「お願いします。」と何度もか細い声で言っていた。



55:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:18:24.11 ID:FL+ICrcx0
私と姉は母親の意思を知っていた。
「父ちゃん…母ちゃんが望まない治療はやめてあげよう?」
私がそう言った時私は病院について初めて涙があふれた。
父親は私の話が耳に入っていなかったらしく「助からないのか?」と先生に何度も聞いていた。

「もうやめてあげよう?ね?」

姉のこの一言で最後は父親も決心し、そっと最後を迎えてあげられた。



56:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:20:45.87 ID:FL+ICrcx0
その後、葬儀の準備に大慌てだった。逆に忙しかったことで悲しさは薄れていた。

ただ父親は相当滅入っていて葬儀屋が話しかけても頓珍漢な返答をしていた。
父親の代わり私が段取りなどをすべて打ち合わせた。



57:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:22:51.41 ID:FL+ICrcx0
葬儀が終わり遺品の整理をしていた時に
数枚の写真とエンディングノートが見つかった。
エンディングノートはヘルパーさんが代筆したもので写真もヘルパーさんに入れてもらったとのことだった。



58:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:25:08.20 ID:FL+ICrcx0
写真は七五三の時、姉の大学の入学式、私の大学の入学式、家族みんなでとった写真が入っていた。
なんでもお財布に入れずっと取っておいたものだったそうだ。
その写真を見て家族みんなで大泣きしました。



59:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:28:12.90 ID:FL+ICrcx0
エンディングノートは「ごめんね。今まで散々迷惑を掛けました。ありがとう。これから姉も息子も立派に独り立ちできるはずだから幸せになりなさい。」
父親への感謝もあった。ただノートはとっておかないことにしようということでお寺に頼んで供養してもらった。



60:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 03:32:10.82 ID:FL+ICrcx0
そして何度も泣きながら少し前に一周忌を迎えた。

今でも思い出すことはたくさんあるし、ふと寂しさを感じるときもあります。
ただ、自分としては最後までそばにいてあげられた。生きてるうちにいろいろしてあげられた。
って思うと少し親孝行できたかなって思っています。

みなさんもまだ親がいるのであれば親孝行たくさんしてほしいなって思います。

拙い文章で大変申し訳ないですが、これで終わりです。


ご質問等あればお答えしていきます。



61:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 04:00:41.76 ID:I6d/EOm00
こんな言い方失礼かもしれないが、一年近く側にいてあげれて、お母さんも嬉しかっただろうね。
自分なんてオヤジが即入院。薄れゆく意識の中手を握り返してくれたのが最後の会話だった…
ぽっかりと空いた心を埋めるのはかなりの時間が必要だよね



62:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 04:15:20.72 ID:y0DTWk0l0
おつかれ。自分も母の看病をしながら家族全員で看取る経験をしたよ。もう四年になるか。
意識してるわけじゃなくて、不思議と笑顔とか怒られたことばっかり浮かぶんだよなぁ。
そらしばらくは寂しくて泣くことも多かった。
でも母親の明るい面ばっかり浮かぶせいか、なんだかんだで前向きに生きてけるようになるんだなって感じてる


63:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 05:07:32.28 ID:CEN7y9p+O
>>62
いつか俺にも、前向きになれる日が来るんだろうか。
同じく家族で在宅看病しながら、今月始めに母親を家で送り出した。
おっさんなのに頭から母親の事が離れない。
嫁や子供や父親に見られてない時には、気が付かない間に涙が溢れてる。
もう一度だけ、かぁちゃんの飯、食いたかった。


64:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 07:17:04.26 ID:y0DTWk0l0
>>63
正直、前向きになれたのは割と最近で他界して2、3年経ってからです。
恋人に母の話をするうちに、母似だと言われて驚きました。恋人は会ったことないんですもん母にw
あーお母さん生きてる、って感じました。もちろん肉体は死んでますけど、記憶として自分が話すことで生きてるんだって。今考えると話をするということが一種の治療だったんでしょうね。
だから63さんも今はたくさん悲しんでいいと思います。私もそうでした。時間の長短は問題ではありません。
時間がかかっても、ご家族とお母さんとの記憶を共有して話せるようになっていったら、自然と前向きになっていけるような気がします。
末筆ですがあくまで私見です、小童が失礼しました。



65:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 13:12:48.32 ID:KzQF74ip0
俺は数年前母が脳梗塞で倒れて幸い無事手術は成功して今は元気に生活してるけど今でも倒れた時の事を思い出すと生きた心地がしなかったよ 今度母ちゃんに何かしてあげよう



67:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 19:08:16.24 ID:Z50fqtK50
去年の今は元気だったのに今年ゴールデンウイーク前に死んだ
親父…
何にも親孝行出来なかった



66:名も無き被検体774号+:2014/08/25(月) 18:33:21.81 ID:FL+ICrcx0
1です。

同じような経験している方がいるんだと思うと自分だけじゃないって思えて少しホッとしました。

いつも親孝行しなきゃって思ってたのに最後の4年間しか親孝行できなかったことが悔しくて仕方ありませんでした。
悲しさよりも悔しさ歯がゆさが今でも残っています。

悲しみはいつか風化すると思います。実際だいぶ吹っ切れています。
親孝行をなるべくしてあげてほしいなって思って書いてみました。


コクヨ エンディングノート もしもの時に役立つノート B5 LES-E101