くすんだ幸せは、儚い思い出

 仕事の息抜きに、ちょっとだけパソコンの前を離れてコンビニに向かっていた。
 その途中、道ゆく人々に見向きされない花壇の隅に咲く四片(よひら)が「ここにいる」と僕を呼んだ気がした。
 足を止め、丸い花の塊を眺める。
 半分が深い青、もう半分が淡い桃。
 この、梅雨を象徴とする丸っこい花が、青と桃に色づくカラクリを知っていてもなお、そんなことなどつまらない、どうでもいいと感じさせるほど。
 僕が望んだ通りの紫があった。
 スマホの電源ボタンを二回、短くクリックしてカメラを起動し、二枚の写真を撮る。
 まるで失くしていた探し物が見つかった時のように僕は歓喜したが、さすがに仕事中に登録するわけにもいかなかったから、終業後まで待って、僕はツイッターに投稿をした。

 終業後、帰宅途中で海水魚の用品を買いに寄り道をする。
 入れたカニやらエビやらが悪さをしているみたいで、ツツウミヅタとマメスナギンチャクという2種類のサンゴがちぎられてしまう事態が頻発していたので、止むを得ず療養のためのケースを買う必要があった。
 終業後二時間は経っていただろうか。
 酒と吐息と汗と香水臭さが混じり合う電車の中で、ふとスマホのロック画面をみると、ツイッターに返信があった。
 少し前に僕が言った言葉が原因で、なんとなく、もう接することはないんだろうな、と思っていた人からの返信に、マスクで覆った口元が綻ぶ。すぐに返信をした。
 その人からの返信はだいたい、2時間おきくらいのやりとりだろう、という見込み。
 だいたいいつもそんな感じで、何年かきている。
 普段関わりがあるとは言えないけど、それでもなんとなくちゃんと存在を認知していて、僕は結構その女性のこと気にかけている。
 僕のお節介であるのには違いないのだが、たまにSNSできつそうな文面を見るとどうにも心配になる。

 まだ大学生だった頃、一度だけスカイプで話をしたこともある。
 四年生の時の冬だったと思うのだが、特にしんどかった時期に、ちょっとだけ話をして随分と救われたんだ。
 たった一言、胸に響く言葉があって、それはもう覚えていないだろう、しょうもない物だったのだろう。
 それでも僕には、大切な瞬間。

 ふと、僕は小さい頃、読みたくない分厚い童話のページで作った押し花のことを思い出した。久しぶりに作ってみたくなった。
 そのことをその人につい漏らしてしまうと俄然やる気が湧いて、たまには栞でも作ってみることにした。 
 ネットで本を使わなくても押し花を作る方法を探し、栞になりそうな材料を調べ、蚊に刺されながらアジサイを求めて広い公園を練り歩き、百均に行ってラミネート素材を吟味して、中身に込めるシールを眺めて。
 四枚作り、うち一枚をあげたいなーと思った。
 叶わないだろうなーと思っていたことは、やっぱり叶わなかった。
 まあわかってたことだから。
 埋まらない距離、離れない距離、変わらない距離。
 僕は知っている。ヤマアラシのジレンマを。
 少し前寂しくなった時に、声が聴きたいなぁと恥ずかしながら思ってしまったものだ。
 
 栞は、残念ながら押し花の水分の抜き方が足りてなかったのか、色が落ちてしまった。
 なんだか遥か彼方の、小さい頃のくすんだ思い出のようで、これはこれでいいかなーって思った。
 むしろ、このくすんだ色に、僕の儚い幸せが詰まっている。
 そう、胸が温かくなるんだ。

六月には別れがつきもの

 始まりは緩やかなギターの音色。
 僕は音楽のことはさっぱりわからないが、初めから終わりのように下っていくその切なさが、水のように流れ落ちてきて、胸に染みる。
 いつかに置いてきてしまった青春とか、捨てようとしていた恋慕とか、期待も絶望もできないありきたりな未来とか。
 そんなことを思い出す。
 
 いつだって、いつだって、目の前にある未来を受け入れるしかなく。
 何度だって、何度だって、過去の時間の切れ端に思いを馳せる。
 思えば、僕にとっての六月というのは、僕にとっての終わりの月でもある。

 去年の六月末、僕は塾をやめたし。
 大学の進学が決まったのも六月末だし。
 高校生の時の六月末、僕はコンビニのバイトもやめたし。

 そして、今の職場も六月末でおさらばすることになった。
 また六月の終わりに別れがやってくる。

 今の仕事もなんだかんだ続いていて、転職をしてから10ヶ月弱になる。
 絶対につかないと決めていたIT業界に首を突っ込んだが、思ったよりも続いている。
 後輩もできた。ほとんど関わりもないけど。

 今の僕は多分、塾の先生をしていた時よりも、わずかに口数は減ったように思う。
 暗いとか冷たいとか言われることもあるが、大半は喋る必要がないから喋らないだけ。言い換えれば、口は災いのもと、がちょっと身にしみたとも言えるかもしれない。

 最近はちゃんと、小説だって書いてますよ。
 なんというか、前向きになったというわけじゃないけど、やっちゃいけない理由を探すのをやめたんだ。
 
 手に入れたいと自覚して、手を伸ばすということは、誰かもしらない人たちが「悪いことだ、みっともないことだ、罪深いことだ」って言ってることもあるけれど。
 ついでに言えば、常識とかマナーとかモラルを「糞食らえ」っていうくらい嫌悪している。
 こいつらに共通しているのは二つ。

 礼儀と、思いやり。

 けれど、こういうことを大仰に、声高に、過剰に口にする人々はつまるところ、自分がよければそれでよくて、ただ言葉を免罪符に他人を批判したいだけなんだろう、と見えてしまったわけだ。
 もっとわかりやすく言えば、自分が得をしたくて、自分が迷惑をかけられたくなくて、自分が他人よりも優れていたい。
 これに尽きる。
 礼儀と思いやりなんて、誰かに強制されるもんじゃないだろう?
 僕らは自分の思い通りに他人を動かそうとし過ぎている。
 
 今一度、苦しくて納得の行かない瞬間の気持ちは置いといて、「そういうこともあるさ」と笑える勇気を持ちたい。
 我慢もつきものだが、笑って済ます思考の代謝をあげていきたい。

 理由は簡単。
 笑ってれば、案外嫌なことも忘れるし消化できるから。
 笑ってる方が、きっと、もっと、ずっと楽しいから。
 別れすらも笑っとけば、なんとなくいい終わり方ができそうじゃない?

気持ちが分かった気がする

 五月十四日。
 お祭り嫌いな僕は何年かぶりに、ハッピを来た連中に紛れていた。
 目の前は手ぬぐいで作ったはちまきの群れ、足下は中身のなくなった容器、見上げればビルの外壁に描かれた見目麗し二次元の少女たち。
 日曜日の秋葉原。
 中央改札を出てヨドバシでタブレットのケースを書い、昭和通り口へ少し歩いたところ。
 僕は秋葉原の地理には疎いので、大抵迷子になるわけだが、その日は仕事を早引きした母親と一緒だったので心配なかった。
 というか、母親のが秋葉原に詳しいことに今気づいた……。
 それはさておき。
 この日の目的は、三カ月ごとくらいに参拝している神田明神のお祭りに行くこと、だったのだが。
 そこへと続く大きな交差点はホコ天(歩行者天国)になっていて、とんとことんとこ響くお囃子も、疲れからかイマイチ覇気のない掛け声も、遠くからでもすぐに分かるほどで、参加者より見物客の方が盛り上がっている雰囲気だった。
 人だかりの最後方について、少しじっとしていると、わっと歓声が上がる。
 そっちを見ると、お神輿の上にハッピ姿の若い男性三人が乗り、扇子を持って踊っていた。
 お神輿が動く。
「邪魔だ邪魔だ! 下がれよ!」
 なんてハッピ姿の坊主頭に怒られつつ、ジリジリと下がっていく波に呑まれ、けれどそのおかげでお神輿も間近で見ることができた。
 お神輿といえば、子供の頃強制的に担がされて嫌な思い出しかないが、蚊帳の外から眺めるには、なるほど確かにいいもんだ。

 行きつ戻りつするお神輿も一通り堪能した僕らは、大鳥居へと足を向ける。
 道端に座り込んで酒を呷る男衆に浅草のなんとかっていう(名前忘れた)お祭りもそうだと母は笑った。
 道路の真ん中で踊る子供たちを横目に僕は、
「あー、あの子はビデオ撮られて大きくなってから恥ずかしくなるやつだな」
 と、僕も幼稚園の集会っぽい行事で、歌いながら、飛び跳ねながら、くるくる回っていたのをビデオテープに撮られていて恥ずかしくなったことを思い出していた。
 大鳥居の前は交差点よりもさらに人が増えた。
 一歩も前に進めないとはまさにこのこと。立ってる隙間があるだけ、通勤電車よりイージーなのが幸い。
「裏口から入ろうか」
 母親の提案に、僕はとりあえず乗っかった。
 裏口があるなんてこと自体初耳。
 人をかき分けて交差点まで戻り、一本路地に入る。
 人の流れに沿って歩くと、急な石階段を見つけた。
「おっ? これじゃない?」
 一段の高さがある階段を上がっていくと、広い場所に出た。
 ぐるっと周囲を見渡すと、どうやら境内に入れていたらしい。
 大鳥居から本殿へはお神輿のために道が空けられていて、本殿ではちょうどお祓いの神事が行われていた。
 頭の上からツクシのようににょきっと伸びる多数の自撮り棒。向いているのは自分ではなく、お神輿の方。
 なるほどこういう風に使うのが正しいんだ(違)。
 ぼやー、っとお祓いする様を眺め、やがて飽きた頃、
「おみくじ引こうか」
 と、正月ほどではない窓口の列に並び、さらっとおみくじを引いてみた。
「十九番」
 巫女さんに短冊状の紙をもらって列から離れて、母と一緒に中身を確認する。
 一言でいえばこう。
“くよくよしてんなバーカ”
 なるほど、的確だ。
 おみくじを結んだ僕らは最後に屋台をぶらっと見て回る。
 中でも電球ソーダなるものに僕は興味を引かれた。フラスコの形をした透明な容器に、体に悪そうな赤や青の液体が入り、口の部分にちっこい電球らしきものがくくりつけてあった。
 買う? と聞かれて僕はすぐに否定した。あんなん処分に困るだけだし。あーでも、電球が光るとこは少し見てみたかったかも。

 気づけば夜の帳が下りている。
 夕飯を食べるべくJRで神田へ行き、僕が友達とよくいくチェーンの居酒屋に入った。
 とりあえずビールを頼み、乾杯もせずにジョッキを呷る。
 何品か適当に注文して、普段交わさないような言葉のやりとりをする。
 僕と母親が二人でいると、必ず先日亡くなった祖父の話になる。
 もっとこうしたかった、ああしたかった、という母の話に耳を傾け、祖父がまだ会社に勤めてた頃の出張の時のことが出た。
 東京で、一度だけ居酒屋でこうしてじいちゃんと飲みにきたことがある。その時のじいちゃんの気持ちが、息子と来てようやくわかった気がした。
 そんなことを言われて僕は気恥ずかしくなってしまった。
 僕が最近思うのは、きっといくら言葉を尽くして語っても、その人が亡くなったときには、もっと話したかったとか、こうしたかったとか、そういう思いを抱くのだろうってこと。
 そんなこと生きてる人に対して言えるわけもなかったが、あと二十年、三十年なんてあっという間なんだろう。
 その時僕は、どこで、何をしているのだろう。
 この世を去って行く人々は、どこへ向かうのだろう。
 そんな答えの出ないことを、ずっと考えていた。
 
 

何もかも捨てたくなる瞬間、つまらない時間

何もかも捨てて、命さえも捨ててしまいたくなる瞬間なんて、僕の人生の中では数え切れないほどある。
 分かるのは、その行為が何も残さないことくらい。
 僕はいつだって、他人の視線に、他人の評価に振り回されてばかりいる。何かに何かの理由が必要なんだ。あの人がどう思ってるか、会社からの評価はどうか。
 そんな僕自身ではどうにもならないものにいつも振り回されている。

「そろそろ書こうか」

 長期休暇の度に会う僕の友人が、先日ラインでGWの予定を立てる話の中で言った。
 ここ二か月ほど、僕は何度かこのブログも消してしまおうと思った。
 誰も読んでくれていないと思っていたし(更新していないから当然のことで)、僕の心の中もなんだかどんよりと曇り空で、流れに身を任せることすらしんどくて、ただ生活を営むだけで精一杯だったし。
 言うまでもなく、ただの言い訳。
 けれどなんとなく、「あー、そうか。また書かなきゃな」なんて柄にもなくその気になってしまった。
 日々いろいろ感じることはあるけれど、その多くは飲み込んで握りつぶしておくのが吉、と思っている。
 余計なことは言わないに限る、ということだと思ってもらって相違ない。

 この下書きを作ってからも、早二週間経ってしまっている。
 この下書きは一旦ここまでにしておこう。

人の残滓は灰と線香の香りがする

 二月三日の節分も越し、しばしば話題にしている占いの中での新年を迎えた。
 こっちの時間から見た年末(一月の終わり)に、一年の中で忘れられていた出来事が、全て駆け足で訪れたようで。
  いつもよりもずっと僕は打ちひしがれて、歳を取って老け込んでしまったようで。 しばらく引きこもりたい衝動にも駆られている。
 よく考えたら引きこもりたいのはいつも通りなのかもしれないけど、それよりかは僕の中では高レベルの強敵だ。
 特に現在進行形で堪えているのは、一部の人はご存じの通り、祖父が亡くなったことだ。
 亡くなった祖父は僕がこの世界で一番尊敬している人で、それは生涯変わることはないと確信している。
 次第に衰える体に大きな失望や、悔しさ、上手くいかない苛立ちを抱えているのは、母からの話を聞くだけでも分かるのに、おくびにも出さずに人の悩みを聞いて大声で笑い飛ばす。
 自分の死後の始末すら、ある程度は自分で済ませながらも、いつまでも新しい知識を得ていこうという貪欲さ。
 何より有言実行で、胸の内の芯がぶれずに貫ける姿は、カッコイイなぁと、こうなりたいなぁと、幾度となく思ったものだ。
 もうすでに、祖父が亡くなってから三週間近く経つ。
 先月二十三日から祖父が住んでいた北海道まで飛び、そのまま葬儀にも参列して、二十五日に東京へ戻ってきた。
 あれほど泣いたのも本当に久しぶりで、これを書く今ですら、電車の中なのに目の奥が熱くなってしまう。
 人のいない家のいうのは、本当に時間が止まってしまうのだと身に染みた。
 動くのは窓の外に流れる雪の粉のみで、テレビの音も、ビールの栓を開ける音も、廊下が軋む音もしない。
 幼いころから親しんだ、冷たい引き戸を開けても、そこには誰もいない。いつもそこにいた存在が、ぽっかりと欠けている。
 僕の記憶も、幼い頃のまま凝固されていて、ただ都合のいい楽しい思い出だけが残っていて、時間の残酷さに押しつぶされてしまう。  もうあの家にあるのは、焼かれて小さくなった人だったモノを納めた入れ物と、線香の香り、あとは……10年くらい前に作ったガンダムのプラモデルの、寂しげな視線だけだ。

 話が変わるが、骨片を詰めたばかりの箱を持ち続けた人はそういないだろう、と思う。
 ひと言で言えば、温かいのだ。それもいつまでも。
 初めは木箱の底も熱いのだが、次第に人肌くらいになり、それがずっと続く。
 少なくとも数時間、手放すまでずっと温かい。
 今思えば、人の残滓である白い棒の欠片を砕くあの時間も、僕の宝物である。
 わかるだろうか。
 僕はようやく、人を送るということの意味が、分かった気がしたものだ。だからこそ、残された祖母が、
「私ももうすぐ行くからね」
 と涙ぐんで口を真一門に閉じた祖父にかける言葉は、どうしても居たたまれなくて。
 でも、そんなこと言ったらいかん、なんて言えるわけもなかった。祖母のほとんど動かない指が、僕の指を握っているだけで十分だと思えた。
 駆け抜けるような数日間から帰ってからというもの、どうも僕の調子がおかしい。
 ひどく精神的にやられてしまって、時々意識がない瞬間が生まれるようになってしまった。
 気づけば用意した食事がなくなっていたり、赤なのに横断歩道を渡っていたりする。
 ぼんやりと何かを考えているのかもしれないが、それも分からない。
 そのうち事故にでも遭うんじゃないかと思っている。
 さすがに、葬儀を上げる順番を乱すわけにはいかないな、と思いつつ。
 腐り落ちそうな脳みそで考えてふと浮かぶのは、帰宅してからだったか、ツイッターで僕の元同級生が「生きるってなんだろうね」と僕に言った疑問。
 人が死ぬという、必然の事象に振り回される僕は、今もまだ答えを知らない。


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