まずは設置したあんたがやってみろ

 通勤の乗り換え口に設置された鏡の上部には、「今日も笑顔でさわやかに(どうでも良すぎて覚えてない)」みたいな標語が書いてある。

 見るたび思う。
「まずは、これを設置したあんた(この言葉でGOした人ら)が毎日やってみろ」
 と。

 朝から多くの人は疲れた顔をしているのに、わざわざそういう上っ面のスローガン掲げるあたり、煽りスキル高いよなーと眺めている。

 どうでもいい別件なのだが、このブログに公開設定なるものがあることを忘れていた。
 ある程度書いたエッセイをブラウザに残したままにしておいたら、ログインし直しになり「おじゃん」になってしまった。
 それはまぁ、機会があればまたでいいか、ということにした。
 

仕事の遅れとハンドメイド

 なんとなくまた最近、できるだけ毎日日記をつけるようにしたいとも思うようになった。
(エッセイは結構カロリー使う)

 仕事に復帰してからというもの、わかっちゃいたがなかなかに忙しい。初週はともかく、九月の三週目からは毎日残業続きだ。
 五ヶ月の休職明けにも関わらず、話はずっといたかのよう持ちかけられることも多いし、プログラムの解析やら、差分確認やらと、何かと神経を使うことも多い反面、必要以上のコミュニケーションもなく、他者への気づかいが減っているのは嬉しいところだ。
 正直、それ、そっちで解決してくれねーかなぁと思うことも多いが、言ってもしょうがないので数を減らすことに尽くしている。


 それはそうと、ここ半年くらい何を思ったのかレジンにハマり、俗に言うハンドメイドをやり始めた。
 SNSってだめね、キラキラし過ぎてて。
 自分の作品のチープさを痛感して病みそうになる。
 実際、そうして辞めていった人はきっとたくさんいるんだろう。
 そうならないように、見すぎないように、感じ取り過ぎないようにしないといけないなと思う。
 過去の自分のものと比較して、確実に技術は上がってるのだから、成果と言えるのだろう。
 比べるのは他人ではなく、過去の自分と。
 そうありたい。

復帰と、休職の意味と、自分をHSPと認めた話

 いよいよ復帰が目前になった頃、状況確認と称して本社から呼び出しがかかった。
 休職前から相手方の希望はわかっていたが、それでも僕は現在の現場に復帰するつもりでいたのだ。
 初めからその前提で、休職していたし、本社もそれを了承しているものだのばかり思っていたからだ。

 結論から言うとこの日は、「現場の撤退」を求められた。
 会社としての立場や理屈自体には異論はなかった結果だ。
 ただ、面談を始めて開口一番に「同じことを繰り返さないために、何か対策はあるの?」と聞かれたことには辟易した。
 それと、自社のベテラン社員と、多くの社員がいる現場で働いてもらってその人達から君の様子を逐次聞けるようにしたいと言われた。
 それはなんていうか理由は分かるが、目の届く範囲、監視のもとで仕事してもらいたいという風に僕には聞こえた。

 精神科医の方とも話したが、その言い方を意訳すると、
「休職するようになったのはメンタルの弱さが原因だ。だから、それを回避するための対策をお前が自分で立てろ」
 なんて言っているように捉えられる、と。
 優しく意訳すれば、自分の身を守る方法はなにか考えたの?だろうが、原因が僕のメンタルの弱さであるという言い方には変わりない。
 前回でも書いたが、それなりに本を読んだり悩んだりしたとは伝えたが、「そんなものは誰でもやってるからさぁ」と半笑い。
 本来、そういう環境調整などは現場の中に求めるものであって、休職者を糾弾してやるようなことではない、と精神科医の方も仰っていて、その点は多少救われた。
 ほかにも、本社の担当は「俺が君に対して行ったサポートは十分だったと認識している」だとか、「現場の〇〇さんもメンタル脆いところがあるからさぁ」みたいな発言を繰り返し行った。
 その時は場の雰囲気に呑まれてしまったが、後に十五年の付き合いがある同業者の友人に話したら、
「サポートが万全なら休職者なんか出ないだろクソが。転職しろお前」
 と言われ、確かにと思ってしまった次第だ。
 判断力が死んでるなぁ、言われるがままになっているなぁ、とまた一つ反省した。
 (その後で、HSPには持ち帰って一度熟考する時間が必要だったのでは? と思い直した)

 その後、現場の上司とも話をしたが、戻ってきてほしいと言う現場上司に対して本社の担当は、
「ハルは本当に仕事できるんですか?」
 そう、面と向かって宣ったらしい。
 直接僕にバラし、「担当なんてそんなもんだよ」って笑う様には、現場の上司もクソだなと思うし、本社担当もクソだし、ため息しか出てこない。
 ここ数年、給料もまったく変わらないとか、そういうのも本社の担当は僕のことを「メンタルが弱くて仕事ができないやつ」と見ていたことがわかり、驚くよりも納得してしまった。
 それでこの反応ね、と。
 
 現場の撤退を求められていたが、紆余曲折経て、結局今の現場に復帰することと相成った。
 正直なところ「どっちもクソ」という気持ちになったが、より「どっちがマシ」かということと、やり残したことの尻拭いと幕引きを自分の手でしたいということ、なにより、本社担当の言いなりになってたまるかというなけなしの反骨心で決めた。
 本当は転職も考えたが、やはり五ヶ月というブランクは印象によくないからまずは復帰をアピールし、傷病手当など、回収できてないお金を回収してからにしたかった。
 はした金とはいえ、金は金だ。本来得られるはずだったお金は可能なら正当な手続きに則ってしっかり回収したい。
 今はこれがbetterだという判断。
 本音は、ずっと休んでいたいものだが……。

 復帰を決めてからはあっというまで、復帰してからも少し経つ。
 久しぶりの通勤電車は相変わらず、久しぶりの現場も相変わらず。
 現場の上司たちよりも、お客様のほうがよほど嬉しそうにしてくれた。
 
 前回、その2で内向的な傾向だうんたらと書いたが、もう少し踏み込んで最近は僕はHSP、もしくはHSSという傾向があるのではないか、とセルフチェックで思うようになった。
 個人的にはより7:3くらいかなと。
 毎度同じようなことを書くが、セルフチェックだし、病気でもないし、傾向だ。それを言い訳にするのではなく、自分自身の行動、思考の仕方と照らして、得心する形に近い。
 ゆえに、だからその枠組みに自縄自縛になって、できない理由にするのではなくて、どうしていけるかを考えるために使っていきたい。
 ごちゃごちゃ書いてるがつまりは「特性として受け止めて、短所から長所に変換していきたい」のだ。
 今ならそれができる気がするし、この五ヶ月、ただ辛かったですで終わらせたくない。
 理想の自分自身という最強のライバルと戦い続けて、随分成長したと思う。

 HSPだなと思った直近の出来事は、他者が残業してるのに、自分が定時で上がるということへの罪悪感だ。
 でも、こう念仏のように唱えた。

 自分の仕事は終わってるのだ。
 この罪悪感は、妥当か?
 他者が発する帰るのはずるい、帰りたい、疲れたなどの負の雰囲気を感じ取って、わざわざ触れなくていい禍根に首を突っ込んでいるのではないか?
 他者の声なき要求より、自分の心の要求を優先する必要は本当にあるのか?
 そもそも、詳細すら知らないことのために残ったところで、できることはないのではないか。
 それなら早く帰った方が有益だ。

 自分に繰り返し問い続けないと、あまりにも無意識に、自然に、過剰な希望に応えるという、同じ轍を踏みそうになる。
 一晩中、わりと翌日までモヤモヤが続く。結構これはしんどい。
 でも、これは辞めたほうがいいし、自分に優しくないんだとわかるようになったから、成長だ。

 仕事のことでいえば、僕がお客様都合で休日出勤したり、リリース対応で徹夜作業したり、トラブルで終電で帰ろうが、他の人は手伝おうとは言ってくれないし、言ってくれてもできることもないし、残ってもいないのだ。
 自分の範囲の仕事が終わったから帰る。
 その誰しも自然にやることが、僕にはとても難しい。
 
 そう。
 この「難しい」という理由を知れたことに、休職はとても意味があった。
 知れたなら多分コントロールできるようになる。
 そうなれることが、また一つ階段を上がるということなのだろう。

復帰と、これからと、内向的な性格の難しさの話 その2

 上げ忘れていた記事の更新。9/1分

 この一か月くらい、まともな生きる力を充電できたと感じてから、ようやくなんとかせねばと考え始めた。

 自分がどうあるべきか、どうありたいのか、何ができて、できないのか。
 ぐっちゃぐちゃに絡まった考え方、ひん曲がった決めつけや勘違い。
 他人が言うこと、印象におびえて、見栄や虚勢を張り、考えなくていい言い訳、やらなくていい言い訳を探して、一番後回しにしてきたようにも、逃げてきたようにも思う。
 せめてそれくらいからは脱却したい。
 薄ら笑いを浮かべて、へこへこしてきた自分に心底うんざりしたんだ。そんなことがしたかったから、心が痛むまで何かをしてきたのか?

 同時に腹も立った。疑問も湧いてきた。
 いや、めっちゃ頑張ってたじゃん。今あるものをよりよくしたいと考えてきた。できることは精一杯やってきた。
 なんであんな言い方されなきゃならないのか。
 わたしだけが本当に悪かったのか? どうしてだ。
 休職するほど追い詰められてまで、なぜ「君の心が弱いことが悪い」と責められなきゃいけない。
 わたし悪くない。考えれば考えるほど、疑問だ。
 今までわたし自身を追い詰めていた劣等感は消えないけれど、考えれば考えるほど違和感しかない。

 仕事をしてきて、他者にどれだけ迷惑をかけたか。
 身バレもあるから細かくは書かないが、事実として迷惑よりも、実績が上回っていたからこそ、何年も同じ現場で迎え続けられていたのではないのか。
 そのくせ精神が疲弊したら迷惑だっていう理屈はおかしいじゃないか。
 その責任はわたしが取らなければならないものなのか。
 我に返って、納得がいかないことにようやく気付いた。

 こう、我に返ったのにはきっかけがある。
 読んでいた本の中で、内向型やHSPという傾向がある人間の存在を説明しているものがあった。
 なんとなく言葉は知っていたが、あまり分類わけすることも好きではなかったから深くは知らなかったが、いろいろ読み漁るほどわたし自身の悩みや苦しみと近しい事象がたくさん載っていた。
 はたと、わたしが欲しかったものにも気づいた。
 わたし自身が「納得して」自分を許せる理屈だ。
 他人が励ましてくれるか、認めてくれるか、理解してくれるか、ということではなかったようだと、また迷うんだろうけど今は少しわかった気がする。
 そしたら、何を他人に求めていたの今度はわからなくなった。今は、ぽいってしちゃっていいのかもしれない。

 極端なネガティブ、完璧主義だったり。
 他者の感情、場の空気、物事のバランスに敏感だったり。
 好奇心のままにマイペースに向かっていき、他者を真似するのではなく、好きなようにやったらいいんだと。
 富や地位を求めることが本質ではなく、自分の心が満たされるかどうか。
 こう書いてしまうととてもありきたりで、どこでも聞くような話ではある。
 でもこの納得は、これまで感じたことがなかった。
 何度も読んだことがある話ではあったのだが、理由は分からないけど今回はこれまでとは違った。

 きれいさっぱり割り切ることはできないし、同じように悩むことはまたあるだろう。
 少なくとも今は、こうしたいということはある。
 目指すは、半分の力で二倍の成果を上げること。
 変人だと後ろ指差されることを甘受し、誇れるようにしたい。
 この目標には根拠があるのだが、スピリチュアルな話も絡んでくるのでここでは避ける。
 眉唾な話も混ぜるが、俗に言う霊感というものがわたしにはある。これまで不思議な体験もいくつもしてきた。
 某宗教団体にも所属しているが、休職をしてとあるきっかけで深く祈りを捧げる機会も生まれた。
 結果、身内の不幸も回避できたし、友人の悩みや旅行にも一つよい出来事をもたらすことができた。
 眉唾、偶然と一笑してしまえばそれまでだが、わたしは確かに「届いた」と感じたものだ。
 次は、自分の番だ。
 一番難しいけど、一番大切なこと。

 内向的な人の話をしよう。
 先に宣言しておくが、外向的な人を落とす意味はない。あくまで傾向であり、自己判断に基づいた主観である。

 人の感情や場の空気に敏感で、警戒心も高く、リスクやストレスに対しても敏感。
 自己の納得感や充足感を大切にし、少しの刺激で満足する。
 そういうものらしい。
 例えば限界値が、外向的な人が満足できるところの七割などというと、溢れた三割分は許容オーバーということだ。
 社会に住む人は外向的な傾向を持つ人が多いらしく、その向きに作られているのだという。
 なので、内向的な傾向が強い人には社会に適応するために必要な、エネルギーの消費量割合が増えるという話。
 代わりに得られるのは細やかな気遣いやら、共感性やら、独特なアイデア性やら、少々変わった特性らしい。
 言ってしまえば、「変わっている」と呼ばれる人々が多いのだという。

 故に、社会のレールに乗っかってやるだけではなく、自分が望む方へ、より人の少ない方へと向かっていく方が結果としていいという内容。
 昔からの右向け右ができないとか、どうにもならない生きづらさ、違和感、劣等感やら、「普通」でありたいという願いは、着地点がズレていたようだ。
 何度目かの、それを受け入れる決心をした。

※複数の書籍等の内容をかいつまんでるし、そもそも自己満の記述なので意味が飛び飛びになるのはご容赦を。

復帰と、これからと、内向的な性格の難しさの話 その1

 休職をしてから早四か月が経ち、お腹がすくようになったりと、「生きる」上で本来持っていた体の機能を取り戻せた実感がある。
 傷病手当の申請はしているが、基本給からの支給であり、現状家賃を払える程度しかもらえない。僕の給料は基本給に手当がいろいろくっついた上での支給だったために、基本給からの計算ではどうしてもこうなってしまう上に、年金や税金などは変わらず払わなければならない。
 病気になって手当をもらっているのに、保険料を払っているのはおかしな話だなぁと素人目に見て思うとこともある。

 とりあえず、生きようとする機能は戻った。
 抜け毛は……まあ増えた気もするが、以前ほどでもない。
 もう何か月も生活できるだけの貯金もない。

 つまらない身の上話になるが、もともと貯金がないのは、新卒三か月ですぐ会社を辞めた上で、なかなか次の職に就くことができずに止むを得ず溢れた分の生活費をリボなどで積み残していたことと、前に勤めていたところの給料が安かったこと、大学時代の奨学金は毎月定額、保険料、税金などなど昇給に応じて引かれる分も増えていったことも大きい。
 前職でもSEをやっていたが、現場で後輩を指導する立場にいながら、コード一つも書けない他社の新卒より、年収で数十万程度の差で僕の方が少なかったことに本当に絶望したものだった。
 社内でエースだとおだてられながらも、役職の順番待ちだと言われ、手当もない。残業も一部給与に含まれていたために、仕事を頑張るメリットもない。
 働いても働いても、何一つとして生活が変わる未来が見えなかったことが、本当に辛かった。
 このまま命《時間》が尽きていく感じがしたことへの、焦りもあった。

 ここまで言っておいて、手の平を返すようだが、前職の悪評を愚痴りたいわけじゃない。むしろ、本当に感謝をしている。
 どこにも就職できずにいた僕を拾ってくれたこと。
 いろいろあったけれど、親身になって話を聞いてくれたこと、仕事を任せてくれたこと。
 新卒~前職の期間がもっと短ければ、また少し違っていた結果にはなっていたかもしれない。
 だから、給料の話はあるが、前提としては僕がマイナススタートであったことが悪い。
 ただ、やはり任される仕事の難易度、責任に応じたお金はほしかった。
 社内の人とも仲がよかったし、退職は苦渋の決断だった。

 転職をして、まずは先に書いた「リボ払い」を払い終えることに注力したこともあり、それは二年くらいかかって完済した。……が、いかんせんマイナススタートなので貯めるところまで余力がなかった。
 そこからようやく収支がプラスになったので……ということで、大した額もないという話。
 余談だけど、人によっては「なんでそんなにお金ないの?」ってとなるかと思い、一応語っておく。

 家族にも、大人になってもなおたくさん迷惑をかけてしまった。
 今の会社に勤める直前、アラサーになってようやく自動車教習所に通える時間が作れた時に、自力ではどうにもできず父にお金を借りた。
 今の会社に勤め、リボも返してからようやくできたお金を封筒に詰め込み、年末の帰省時に父に手渡した時のあの顔は、一生忘れることはないだろう。

 閑話休題。
 本来ここで語りたかったことは、「次はどうするか」ということだ。
 ようやく考えられるようになった、復帰という二文字。実際、九月からの予定だ。
 仕事のことを思えば胸がザワザワするが、薬のおかげかリミッターがかかっている。
 家でやれることにも「飽き」が出てきた。
 であれば、外に向かうこともいいだろう。
 そう思うようになった。思えるようになった。
 また働けるようになれば、お金の問題は時間が解決してくれるだろうから、心配はしていない。

 復帰の話を口にしたら、不安視する声も返ってくる。
 あえて言おう。一番僕が不安なのだ。
 とはいえ、ただ復帰するだけでは同じことの繰り返しにもなりかねない。
 それだけはどうしても嫌だし、意味もない。
 だいいち、前に書いたように「今までと同じような働き方はできないんだ」と感じたのだから、何かをしなきゃいけない。
 今の現場の人たちへの恩もあるし、信頼もあるがゆえに、ある程度は自由に任せてもらえる意味でも、仕事の仕方として向いている実感もあるものの、身を引く展開や、(都合がいいだけの)信頼を失うことも考えておかなきゃいけない。
 また揺らいでしまうかもしれないが、今改めて感じていることは、くだらない何かに振り回されて、病気になったりする方がよほどリスクが大きい。
 おかしくなっていることは、「いや当たり前でしょ」っていうことすらわからなくなる。
 自覚できてないし、他人からの言葉を受け入れる余裕もなくなっていた。
 本当に反省しかない。迷惑をかけた人たちには感謝しかない。

 この数か月、たくさん本を読んだ。
 アニメも見て、たまに泣いた。漫画も読み漁った。
 新しい小説のサンプルも書いている。
 レジンもたくさん作った。
 数年ぶりにガンダムのプラモデルも作った。本当に心が躍った。
 水槽を眺め、病気の魚の隔離をし、イモリが脱走したことに焦り、部屋の中に潜む蚊に何度も刺されたし。
 ゲームも何本もクリアして、生涯乗ることがないレーシングカーを走らせることを楽しんだ。
 顔も知らない友人たちは、休職をした僕のことを何も言わずに受け入れてくれた。ボイスチャットで遊んだり、一緒に遊ぶのも無理をしなくていいと言ってくれたし、体調を慮ったりもしてくれた。
 ほぼ、一人でいたが苦にはならなかった。
 先日、親族が亡くなって葬儀にも出た。何年か前に亡くなった、一番尊敬している祖父のことを思い出し、あとで少し泣いた。
 昔、その祖父にも手紙を書いたことも思い出した。家を出て、一人暮らしをする時だっただろうか。ちぎったノートのページ、裏表何枚かに汚い字で精一杯の思いも込めた。じじいが泣いていた、と祖母が後で教えてくれたっけ。
 別所《ブログ》でも、エッセイを書くことをやめるのはもったいないと言ってくれる方もいた。そんなことを言ってくれる人はなんというか十年単位で一度か二度、あったかなというくらいで、単純かもしれないけれど本当に嬉しかった。
 ここ何年かで失ってきた時間を、少し取り戻せた気がした。

 もう、うんざりしたんだ。嫌になった。
 いつもいつもいつもいつも、悩んでいたんだ。
 なぜ、ほかの人たちと同じようにできないのか。
 ルールだ、常識だ、不満があってもそういうものだと割り切れないのか。気にしてもしょうがない、変えられないんだと笑って済ませられないのか。
 ストレスを発散しているつもりでも、ゲームでいう最大HPが徐々に削られていく感覚が付きまとい、体が傷んでいく(誤字ではなく、しっくりくる比喩)感覚。

 いわゆる「普通の日常」が送れない。自分がなんのために生まれてきたのかがずっとわからない。
 毎日同じ時間に起きて学校や会社へ行ってさ、退屈な授業や仕事をこなし、ほどよくサボったり、文化祭とか学園祭とかのイベントに参加したりして。
 生活に困らない程度のお金、成果を上げ、なんとなく社会人らしい振る舞いも身に付き、会社の飲み会も楽しみ、いい感じに転職をしたり、恋人を作ったり、結婚して子供ができて、車や家を持ち……みたいな。

 ――憧れがあった。
 ここでは言ってないかもしれないけれど、僕は小学生~高校まで不登校で通信高校出身。中学校ではいじめられたりもした。未だにちょっと異性が怖い。
 だから毎日学校に行って、友達と楽しく休み時間に遊ぶ。それすらも憧れていた。
 叶わなかったけど、後悔はない。

 今、ようやく疑問を持つことができた。
 休職をするまで、僕は何をしてきたのだろう。
 先の記事を読んだけど、我ながらもうほんと笑っちゃうくらいひどい。幻聴聞こえたりしてるんだもの。まともじゃない。

 「考えすぎだよ」とか、「おじさんに何言っても変わらないよ」とか、呆れ混じりに肩を叩かれて、繊細で劣等感がひどくて完璧主義な自分を責めた。
 自分と同じ轍を踏んでほしくないからと後輩を育てようとしたならば、違う会社の若手なんか放っておけ、新人だって君がいなくても勝手に成長する、仕事なんか適当にやってりゃいいんだと、笑われた。
 なんなら、終業後に会議室を借り、賃金が発生しないように勉強会をやろうとしたら、上司から「俺の許可なしに勝手なことをするな」と本気で怒られた。(ちなみに、お客様の役職の方に直談判して、上司には内緒で開催してた)
 ほんとさ、そんなことを言われるために、身を削っていたわけじゃないんだよ。話しても無駄なんだとか、やるだけアホらしいとか、そんな諦観を持つことが僕のやりたかったことか。
 ……断じて「否」である。ほんと、ふざけんな。

書きたいことはまだまだあるので、続きはその2に譲る。
近いうちに、また。



チャーム本店

リンクシェア アフィリエイト紹介プログラム

マクロミルへ登録

プロフィール

ハル

記事検索
アクセスカウンタ
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ