2005年02月22日

                        ▼▼▼引越まーす▼▼▼

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
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2005年02月21日

★最も根元的且つ普遍的なものを顕在化させるにはそれなりの仕掛けが不可欠なのだというアナロジー★

2/20付け「finalventの日記」のなかに「意識とは迷いであり、愛の認識とは虚偽である」という極めて本質的なエントリがある。つうか、どれだけの人があの内容を表層であっても誤謬なく理解するだろうか。おそらくかなり少ないだろうと推察される。仮に多くの人があの文章を理解するのなら(それならそれで別に構わないのだが)俺様が今後小説を書く意味がまるで失われることになる。彼が書いたものは、「私とはどういうものか」という最も根元的な疑問に対して答えんとしているものであるし、驚くべきことに、大枠としてはその答えが濁り少なく提示されていると認識するが、表現する物件の性質に対しては表現形態が、歴史的に既にそう証明されているように、充分ではないと思うのだ。
 
その階層のことを多くの人に伝える為には、物語の勢いを借りたドラマチックな突破力というものが必要なのではないかと俺様は思う。素粒子同士の正面衝突実験には大型の加速器を必要とし、そしてそれらを正面衝突させたときにこそ長らく隠されていた根元的ななにかが一般の元に顕在化するという衝撃的な開眼構造。それらのものはそのような強い衝撃力でもってしか突破・貫通できない堅牢な外殻を有しているように思う。
 
まぁなんというか、今日まで特に書かずにいたのだが、俺様が2ヶ月前に成田行きの機内で「おおお、そうだったのか!!」とさらにどかんと来たことがあって、それは見性以来の衝撃度だったのだが、その時に理解されたことと同じことをfinalventさんが書いているので、なんとなくリンクを貼るような気分でこういうエントリを書いてみた。
 
  
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2005年02月20日

★獅子身中の破壊願望★

みなさん、コメントどうもっす。
 
戴いたコメントに対するレスが最近なおざりになっていて済みません。先日受領したあるコメントに関連してエントリを1本書こうとしていたのですが、綺麗に書けず当該エントリは取りやめ、コメント欄は放置、という状態になっておりました。かといって今更遡ってレスするのも気が進まず、このエントリによってまとめて「けむりん拝」ということでご容赦頂きたく思います。正直言いまして、戴くコメントというのは暖かく嬉しいものであります。
 
それと、4つ前のエントリで、切込氏には当分絡まないと思う、と書きながら、先ほどの自殺関連でのエントリでは切込BLOGはおろか、初めて「週間木村剛」にまでトラバしてしまったっす。うはははは。何考えてるんだ俺は。
 
自分の気分屋っぷりには自分自身改めて驚かされます。つうか、何か約束めいたことを表明すると、その刹那からそれと全く逆の行動を取りたくなってしまうという、破壊願望に似た「困ったちゃん」が自分のなかにいるのを何時も感じています。まぁそれを認識して彼を認めやんわり生暖かく見守っているから、意識的且つ無意識的にガス抜きされて、大事には至らないのかも知れません。まぁそんな感じです。
 

 
実際、このBLOG重すぎ。今もこのエントリの確認に10分かかった。まじ消えたかと思ったけど、異次元の世界での漂流から帰ってきてくれて良かった。つうか、例のニッポン放送の買収に絡み既存株主を地獄に落とすMSCBを発行したほりえもんなど、軽蔑の対象にこそなれ、サービスを依頼する対象からは完全に離れてしまったんだけどね。つうか何人破滅したんだろ、あれで。
 
というわけで他への引っ越しが今度こそ確定したわけだけど、俺様自身のニューヨークからの引っ越しが迫っている現在、近日中に実行することができるかどうか。でももう彼には一気に愛想が尽きた。これだけは確か。
  
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★西武鉄道の前社長小柳皓正氏が自殺したわけだが★

これでコクド関連の自殺は二人目か。これら二件ともが本当に自殺なのか、あるいは自殺に見せかけられたアレなのかは別として、ちょっと自殺について語ってみる。

自殺はいつも外部への窓が閉じられた閉鎖的空間でのみ起こる。外部の視点というフレッシュエアーが入る所で、自分の価値観を揺るがす外側の価値観が銀河ほども存在することを知りながら、その後に「さてそれでは」と自殺する構図は見たことがない。問題は何時も孤立化であり、閉鎖化、そしてその終着点である思考の自己循環なのである。

思考の自己循環、人間が危険化するときには何時もこの構造が現れる。個人レベルでは自殺、他殺を含めた自他への物理的・精神的攻撃。また外部への窓が閉じられればその規模を問わず、人間は集団的に自己循環を始め、集団の中で自己の一部を攻撃し、集団でもって他者を攻撃する。日本でもあらゆるフェイズで頻繁に行われる社会的イジメがそうだし、国家単位でこの構造が現れたのが現代の北朝鮮であり大戦中の日本帝国であり911直後のアメリカでありイスラエルだ。

閉じられた諫早湾の水が徐々に腐っていくのは必然だ。閉じられた窓は開けられなければならない。もちろん人間は基本的に怠惰であるから、内側に閉じこもりたい気持ちは理解できる。それが集団化している場合は、集団が個人が宿命的に抱える孤独を癒してくれるような錯覚を伴うからなおさら甘美に映り、外側の窓を閉じるどころか塗り込めたくなるのだ。しかし言うまでもなく、それらは幻想であり、暗幕が空けられれば瞬時に不確かになる脆き輪郭だ。暗幕で遮られた講堂で集団で見る映画に他ならないのだ。

また、孤立化は、孤立している時間が長ければ長いほど取り返しが付かないものになると錯覚される。時々人は外側の世界があることに薄々気付いたりするのだが、その取り返しの付かなさから本来は救済そのものであるはずの木洩れ日の進入を塞ごうと暗幕のほころびの修復に必死になる。その姿は、まるで穴の開いたボートから水を掻き出すかのようだ。もちろん彼らは愚かだ。なぜなら若さとは相対であり、生きている限り人は、残された時間を永遠的概念に変えて短からず楽しむことができる。生とは、言うまでもなく、チャンスなのだ。

このBLOGに訪れてくれるすべての若者たちに私が伝えることができるのは、物凄く単純だ。どんな価値観にも外側が存在し、そして命ある限り、全ての人は窓の外にでるチャンスを有する。本人が思っている以上にその脱出はあっけないものだ。過去がそうであったように、人間は未来の全てをどのようにも選択できる。会社を辞めること、日本を離れること、それらは意外なほどにあっけなく、その瞬間に200%悪夢は醒める。そしてそれらは、少なくとも日本人である限り、誰にでも選択可能だ。

小柳皓正氏は首つりのロープにネクタイを使ったという。最期の最期までネクタイを外せなかった彼の辿った悲しき運命に、われわれは学ぶべきだと私は思う。それによって彼を私の中で生かしてやろうと私は思う。
 
  
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2005年02月18日

★ほとんどがチップ込みで一人20ドル程度となかなかお得なんですよ、ええ。★

雰囲気が良いわりに一杯だけ飲んで帰るならお得感がかなり感じられるのがニューヨークの一流ホテルのバーだ、ということがどれだけ一般に認識されているか分からないが、小説の取材も兼ねてこのところ何カ所かに探検にいっている。昨日は、鮨を食った後「パレス(The Palace)」と「ピエール」に行ってきた。今日は、ブルックリンでニューヨーク1のピザを食べた後「ウォルドルフ・アストリア」と「マンダリン・オリエンタル」に突撃予定。
 
これ以外に最近行ったのが、セントレジス、ペニンシュラ、フォーシーズンズ、プラザ。あとマンハッタンの一流ホテルといったら何処があるだろう。セント・モリスとトランプ・インターナショナルぐらいか。一通り行ったら、近日中に俺様的ランキングを発表するつもり。現在の所、フォーシーズンズがダントツリードしているが、これに肉薄する所があるかどうかが焦点。もし他にこのホテルは一流だ、という所があったら教えて欲しい。ぜひランキングに加えたいと思う。よろぴく。
 
 
  
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2005年02月16日

★信じてもらえなくても良いけど、もう既にずいぶんなもてっぷりなんです実際★

昨日は急に来訪者が増えたのだが、その理由がよく分からない。近々プチブル生活の片手間にさらりと20万部程度売れる小説を書いて、「作家様」の肩書きさえも手に入れて益々世界各国の女の子にモテまくってしまおうという、精力全開で体中の血管にも精液が回ってしまって血液がピンク色になってしまっていて受験勉強も手に着かないんですどうしたらいいのでしょうかという高校三年生か、あるいは先日誰もが認めるほど顔がかわいいくて腰も細くてスタイル抜群なくせに胸だけは信じられないくらいでかいという22歳のコロンビア人の女の子にあなたみたいな男の人が凄くタイプなのと明るく告白されながらそれでもさほど有頂天にも成らず「おー、そうなんだ。つうか、何でもっと早く言ってくれないんだ、そうしたら毎日がもっと楽しかったのに。でもきみにそう言ってもらえると嬉しいよ。ありがと」などと余裕たっぷりに返しておきながら心の中では「俺の魅力もついに地球の裏側の麻薬の国の女の子にまで認められるようになったか。これは結構嬉しいぜ、うんうん」となどと超勘違いしたりしている36歳の馬鹿野郎のどちらかでなければ描けない超脳天気な野望を平然と抱きまくっている俺様は、あまりBLOGに注力しすぎてしまうとその達成感からガスがゆるゆると抜けてしまって長編作品への活力が削がれてしまうだろうと考え、ここのところBLOGとの距離をコントロールしていたりする。だから最近ほとんどトラックバックも打たないのだが、だからこそ昨日の突然の人口増加にはちょっと意外感があった。俺様の漠然とした感覚では、こういう運営姿勢においては、一日100〜200人程に来訪戴くというのがちょうど良い湯加減なのかもしれないねなどと思ったりしているのだけど、こうして文章にしてみるとかなり勝手なことを考えてるんですね、俺って。なんだか申し訳ない。なんだか申し訳ないのだけれど、そんな脳天気な試みを一度は追いかけてみたいので、このBLOGは内容も更新ペースもともに暫くのんびりになることをご容赦下さい。

という、下らないエントリをさっそく投下するのであった。おわり。

 
  
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2005年02月15日

★俺にとっての「普通」がかなり一般的ではないことに何時も驚いてしまうんですが★

  元ネタは久しぶりの切込隊長BLOG。しかし今回は本文に関心があるのではなく、当該コメント欄の幾つかを引用する。

     13 名前: ななしさん :2005年02月14日 22:48 [RES]

    宅間に「氏」をつける隊長の神経を疑う。

  35 名前: ななしさん :2005年02月14日 23:19 [RES]

  お願いします本気です隊長、宅間に「氏」をつけるのはお願いです止めてください
  宅間は人間ではありません自ら鬼畜になりました
  礼儀正しい隊長の癖で人名には何でも「氏」をつけてしまわれるのですね。
  とても素晴らしい癖ですが、今回ばかりはお願いです。宅間は鬼畜です
  人間ではないんですお願いします。
  胸がつぶれそうです。

なんというか、やっぱりこういう感情が一般的なんすかね。だとすると、俺様は相当異端だということになる。

ちなみに、唯一共感できたのが次のコメント。

  46 名前: ななしさん :2005年02月14日 23:35 [RES]

  > 同署員が駆け付けた際、少年は2階の職員室で血の
  >ついた刺し身包丁を左手に持って立ち、たばこを吸っ
  >ていた。

  不謹慎で申し訳ない。
  このときの、少年の気持ちを考えると涙が出てくる。
  この時の気持ちは、一生少年の脳裏に焼き付いて消えな
  いだろう。
  なんというか、人生で初めて、自分で自分の人生を動か
  した手ごたえを感じていたんじゃなかろうか。
  そこに行き着くまでの彼の人生を思うと悲しい。

んでもって、超久しぶりに書き込んだ俺様のコメントがこれ。

  64 名前: けむりん :2005年02月15日 00:28 [RES]

  おひさ。

  俺は、>>46の考え方に共感する。
  そういうことを書くのは簡単ではないのだけれど
  それを見る人のことも考えて境界線ぎりぎりのところから
  書かれた46の文章と知性が好きだ。

  それと、宅間「氏」のことだけど、
  宅間氏と自分との差異があまりに少ないという苦悩を
  抱えながら生きていく強さを持たない人のなんと多きことか。

  その弱さが「人間的」なのかもしれないけど、
  その強さが「人間的」なのかも知れないとも思う。

つまり、俺様は宅間という存在の中に俺様自身の姿を見ている。彼という窓を通して自分の姿が見えるといおうか。

宅間という人間は非常にドストエフスキィ的人物であったと思うのだが、いずれにしても、彼を自分と違うエリアに隔絶するためには何処かで「こちら側」と「向こう側」を線引きしなければならない。しかし、その線引きは容易ではなく、そういう試みをある程度確かなものにするためには結局、「自分」と「自分以外のもの全て」というところで線引きすることに帰結する。

その境界線から孤立感が発生する。さらには自分の一部が引き裂かれ始める。他人には隠し通せても自分には隠蔽できないその一部分が自己認識の歪みを引き起こし、自己欺瞞へと堕ちていく。

正直さだと思う。他人なんか幾らだって騙したって良いさ。自分だけには正直でいなければいけないと思う。自分が見捨てたら、誰が「流れによってはどんなこともやりかねない自分」というそのか弱い一部分を見守ってやれるのだろう。

でもこういう感性って、驚くほどに一般的ではないんだよね。だからもう、殆どのシチュエーションに於いて人に自分の受け止め方を説明する気さえ起こらないことが多いんだけど、ここはまぁ自分のBLOGだから一応書いてみた。

(どうでも良いことだけど、今回は切込BLOGへのトラックバックはなし。つうか、当分彼には絡まないと思う)

 

  
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2005年02月14日

★パリ旅行のアレンジが完了したっす★

昨日一日、ああでもない、こうでもない、と頭を捻りながら三月のパリ旅行の予約を全て済ませた。生まれてこの方、かつ、今後たとえ地球が逆回転したとしてもパックツアーを利用することなどありえない俺様は、当然ながら今回も全ての航空券とホテルを自分で予約した。他人の旅行になど興味がない人も沢山いるだろうが、大金持ちではなく単なるぷちぶりぃな俺様がどんな旅行日程を組むか興味のある人も一人や二人くらいはいるだろうし、なにより俺様自身が書き記しておきたいことから、その外枠だけでも記しておくことにする。
 
3/3 ニューヨークより成田に到着。成田エクスプレスを使って東京駅へ向かい、「フォーシーズンズホテル東京・丸の内」にチェックインする。ここでワイフと合流する。できる男は、出発の前日も疎かにしない。旅行とは日常からの乖離なのだからそのプロセスにも気を使わなければならない。つうか、ニューヨークからの疲れをここの温泉で洗い流して一気にリフレッシュしたい。そういう狙いもある。
 
3/4 成田から全日空ファーストクラスでパリへ。航空券は貯まっていたマイレージで発券した無料航空券だ。なんといっても、パリはホテルも含めてクレジットカードに負担が掛かる街なので結構嬉しい。二人合わせて24万マイルを消費したが、実際に買うとなると二人分で320万するということなので、わりと良いマイルの使い方だったと思う。言うまでもないことだけど、キャビアはいつものように大盛りにして貰う。
 
3/4-2 時差があるのでパリには同日の16:25に着く。タクシーを使って、最初のホテル「プラザ・アテネ」に向かう。ここでは三泊する。アヴェニュー・モンテーニュ沿いの部屋をリクエストするために、デラックスを予約した。つうか、久しぶりのパリの景色を窓から眺めたとき、涙を流してしまわないかかなり心配だ(ときどき自分のセンチメンタリズムが恥ずかしくなることもあるのだけど、まぁ事実なんだから仕方がない)。
 
3/7 「プラザ・アテネ」をチェックアウトし、二件目のホテル「ル・グラン(フランス語の発音ではル・グホントテル)」に向かう。オペラ・ガルニエの隣に建つホテルで、ワイフを初めてパリに連れてきたときに利用した想い出のホテルだ。
 
3/10 「ル・グラン」に三泊したあと、ロイヤルバレエを観るためにロンドンに向かう。ロンドンに一泊した後またこのホテルに戻ってくるので、荷物の殆どは預けたままで空港へ。14時のブリティッシュ・ミッドランド航空を利用する。
 
3/10-2 ヒースロー空港に着いたらタクシーに乗って一日だけの滞在先「サヴォイ」へ向かう。かなり急いで向かう。なぜなら、16時にアフタヌーンティの予約をしているからだ。スコーンを食べなきゃロンドンに来た意味の半分が失われるのだから切実だ。例の三段重ねを平らげたら少し部屋で休んで観劇へと出掛ける。ロイヤルオペラハウスはホテルから歩いて5分の距離だ。おそらく期待以上の吉田都のバレエを観て満足した後は、パブに行きフィッシュアンドチップスを食べる。物凄くカジュアルな料理だが、イギリスに行くと一度は食べないと収まらないから不思議だ。
 
3/11 昼までホテルでゆっくりした後、空港に向かう。14時の便でパリへと向かう。一時間のフライトだが、一時間の時差があるのでパリには16時に着く。一路グホントテルに向かう。
 
3/12 気分転換も兼ねホテルを変える。最後の滞在先は、フォーシーズンズ・ジョルジュ・サンク」だ。プラザ・アテネとならんで一度は泊まってみたかったこのホテルに三泊する。スパに興じながらゆったりとパリの情景を心に刻む。夜のエッフェルのダイアモンド・イルミネーション(いま俺が勝手に作った言葉)を見つめながら、そう遠くない未来、16区のパッシーにアパルトマンを所有するぞと心に誓う。
 
3/15 ホテルを出発し、シャルル・ドゴールへと向かう。暮れゆくパリの情景を網膜に刻みつつ、18:30の全日空で成田へと向かう。キャビアはもちろん大盛りだ。
 
以上。
 
 
 
 
  
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2005年02月10日

★最後の砦★

なんというか、最近の日本の詐欺大国化を見ても、誠実さというものの大切さを声高に唱えることは時代遅れにあるかのような錯覚に陥りやすいのだけれど、それでもそれは、私が唯一守り続けていきたい最後の砦だ。それだけを大事にしていきたいと、そう思っている。
 
finalventの日記を私が気に入っているのは、彼が誠実だからだ。いつも根底にそれを確かに感じるのだけれど、今日のエントリの冒頭「なぜブログを書くか… 」は、少しぐっときた。彼は遺書としてあのBLOGを書いている。俺は、勝手にその遺書の受け手だと勘違いしている。そして、彼の短き命を、俺様が既に書き始めそしてこれから書くであろう幾つかの小説の中で普遍化したい、と物凄く烏滸がましいことを考えている。物凄く烏滸がましいのだけれど、そうしたいと願っている。それが俺様の夢であり、成すべきことだ。
 
 
  
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2005年02月09日

★メダパニを掛けられた人々★

いま、TV-JAPANでサッカー北朝鮮戦の結果を見ていた。結果についての評論は、日本のサッカーファンのほとんどがなかなかの批評力を持っているし、何を言ってもそれらのどれかの焼き直しになりそうだから止めておく。ちなみに俺様は、中学・高校とサッカーをやっていた。
 
それはともかく、主将の宮本に「やったーという感じですか、ほっとしたという感じですか」と締めの質問で聞いていたマスコミの文脈に鼻笑いがでた。そういう聞かなくても分かるだろ、ということを聞くことの罪の大きさを彼らは自覚していない。大衆の想像力が破壊されるのだ。低級な答え合わせを強要され続けると人間の能力(脳力)は確実に退化する。それが最近の犯罪傾向にもろに顕在化していると思うのだが、それを幇助しているマスコミがいざ事件が起こってみるとまるで白雉のように被害者側に同情した顔を見せるのだから失笑してしまう。あれが本当に無邪気なダブルスタンダードだとするならば、人間というのは何処までも滑稽な喜劇役者だと思う。生真面目に生きれば生きるほど逆相関で滑稽さが増してしまうのだ。これは宗教儀式にも通じるものがあるが、混乱というのは何処までも恐ろしく、かつ爆笑的である。メダパニ(ドラクエの混乱魔法)から解けてしまったどうやら極少数の俺様としては、多数を憂うのではなく、むしろ指を差しながら生真面目な奴らを嘲笑して馬鹿にしておくしかやるかたはなし。それが健康を保つための限られた自己防衛手段のひとつだと思う。
 
つうか、ひょっとしたら99%の人間がメダパニに掛かっているのかも知れない位のことは一応疑ってみたらどうなんだろう。ドラゴンクエストでも全員が掛かることがあるんだからさ。つうか、滑稽ショーも壮大だったから最初はびっくりしたけど、最近そろそろ退屈してきたよ。
  
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2005年02月08日

★プチブル道、猫まっしぐらシリーズ1〜メイソン・ピアソンを買ってきた〜★

以前、やこ。さんのエントリで見かけて以来、ずっと気になっていた英国製最高級ヘアブラシ【メイソン・ピアソン】を買ってきた。このヘアブラシは「ヘアブラシのロールスロイス」と呼ばれている、らしい。つうか、「〜のロールスロイス」という形容って時々見かけるけど海外でもコンセンサスになっているのだろうか。ただそういう懐疑があったとしても、こういう表現には抵抗力が全くなく、すっかり売り手の狙い通りにいそいそと買いに行ってしまうのが、プチブル道まっしぐらの俺様のかわいいところだ。 (こちらのBLOGもご参照)
 
ということで、いろいろ探したのだけれどバーニーズ・ニューヨークの本店で見つけることができた。といっても、希望の「エクストラ・ラージ・ブリッスル」(商品一覧参照)は在庫がなく、猪毛100%のものは「ポケット・ブリッスル」しかなかった。税抜き65ドル。日本のウェブでは7400円だからさほど変わらないように思えるが、「エクストラ・ラージ・ブリッスル」はウェブで検索すると定価195ドル、割引後175ドルとでているから、日本の代理店のほうが(16800円)安く買えるようだ。
 
で、使用感なのだが、やっぱりイイ!猪毛が堅いので瞬間かなり硬質なあたりがあるが、次の瞬間からはその気持ちよさから手が離せなくなる。おお、これは良い、なんで今まで使わなかったんだろ、という気さえする。とするとやっぱり最大の「エクストラ・ラージ〜」が欲しくなるもので、「世界の名品はその本拠地で」がポリシーの俺様は、3月にロンドンに行ったときに求めてみたいと思っているが、一泊二日だから時間があるかな。バレエを観るだけでなく、英国では必ずアフタヌーン・ティーのスコーンを食べなければいけないから、ちょっと難しいかも知れない。
 
このヘアブラシ、二、三十年は軽く使えるらしいです。だったらプチブルでなくても買わない選択肢など有り得ないだろ、という逸品でした。俺様は、将来的には自分の子供にも買い与え、家族ぐるみで一人1本体制にしようと考えている。
  
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★関係体的、あまりに関係体的★

着々とパリ旅行の計画が具体化している。それとともに二日前まであれほどぐったりしていた気分ががらりと変わり、希望が身体に満ちあふれているかのようだ。余所余所しかったニューヨークの街もどこか親和的にさえ見える。
 
こういうとき、人間が「関係体的(今、俺様が作った言葉)」であることがしみじみと再確認される。それ以外の条件はほぼ変わらないのに、一月後に訪れるパリが、「私というもの」に太く直結し、「私というもの」そのものを変えてしまったのだ。そしてその新たなる関係性は、まるで新たに載せられた大きな分銅のように既存の全ての分銅の重心を微妙に変えてしまう。それだけで人間には劇的な変化が訪れてしまうのだ。
 
刹那に繰り返される選択とは、誠に厳しいものだと私は思う。人間は息をつく暇さえも与えられずその選択を要求される。そしてそれは例外なく決定的だ。そういう厳しさをわれわれは何時も忘れようとするものだが、時々思い出してテンションの数値を補正することが必要なのだろうな。でなければ、その弛みがもたらす鞭のような自業自得が、取り返しの付かない局面になってわれわれの顔を容赦なく打つのだから。
 

 
英国のロイヤルバレエのウェブサイトをチェックしたら、幸運なことに、先日来すっかりファンになってしまった吉田都が主演する演目が私たちのパリ滞在中に組まれているのを見つけた。よって一泊二日でロンドンを訪れ三月十日のプログラムを見てくることにした。でもパリの滞在が短くなるのは例え一日であっても耐えられないので、旅行全体の日程を二日増やして、ロンドン一泊パリ十泊とした。つうかパリの滞在がこれによって逆に一泊増えたのだけれど、私というのは何時もこのように子供っぽいのだ。減らしたくなかったから、むしろその間隙を付いて一泊増やす、ただそれだけ。そこに大した理由などないのだけど、こういう子供っぽさが日本でのサラリーマン生活を甘受できずに今のような生活に繋がったのだから、俺様のもっとも大切にすべき部分といえるのだ。
 
既存の航空券の関係上、ニューヨークからパリに行くのに成田を通過していくのだが、この旅行が終わったら、六月末にカプリ(&ローマ)に行くまで3ヶ月ほど日本に滞在しようと考えている。海外に滞在しているという俺様の特異性のひとつが失われるわけだから、日本に帰ればこのBLOGの存続も若干怪しくなるわけだが、また一からやり直すことなど考えられないから、その期間中も細々とでも更新は続けていきたいと考えている。ま、俺様の特異性は、その世界観の広大さにこそ有り、それだけでなくそこに人に頭を下げないですむ経済力が付与されている、というシュールなところなんだからね。
 
禅を知りながらも、徹底的に欲望的である、という深いほうの仏教理解と実践を今後も続けていくつもりだから、その期間中も気が向いたときには時々このBLOGを覗きに来てくれると嬉しっす。よろしこ。
 
  
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2005年02月06日

★あかん、もう我慢できん★

もうだめだ。
 
ヨーロッパが、パリが、恋しすぎる。 
つうか、この街にいてやるべきことは殆どやり尽くしてしまった。 
 
・・・。 
・・・。
 
というわけで今、3/6発の成田パリ・ファーストクラスをふたり分予約した。 
今回は、10日ほど滞在しようと思う。 
こういう風に俺を突然衝動させたのは、
さっきまで、一度も行ったことのないフランスの地方都市、ルーアンの夢を見ていたからだ。 
夢を現実にする、というのは正にこういうことを言うのだろう。
 
久しぶりのパリ。 
ほぼ5ヶ月ぶりのパリ。 
自分の時間を自由に使えるってなんて素晴らしいんだろう。 
個人投資家のベネフィットとは此処にこそあるのだと思う。
 
経済的自由がもたらす時間的、選択的自由。 
俺は、勝ち続けていく者にのみ許された必然的自由を完遂していこうと思う。 
それが、疑いを持ち続け、イメージし続けた者にのみ与えられる、拓かれた道なのだから。
 
 
  
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2005年02月04日

★アポロシアターに行ってきた★

昨日、アポロシアターに行ってきた。名前も聞いたことがないという人は多くないとは思うが、ハーレムにあるソウルミュージックの殿堂である。ここでは、毎週水曜日に「アマチュアナイト」を開催していて、プロを夢見る素人達が観客のブーイングに晒されながら彼らなりの夢の実現を目指すのだ。
 
まぁ一度くらいは行っておこうか、という軽いノリで見に行ったのだが、これがなかなか面白かった。よく日本人のインプレッションなどでは「みんな素人とはいえ信じられないほど上手い」というバカとしか思えない無知な感想が散見されるが、クラシックを聴く俺たちにとっては、そのほとんどがサルの瞬間芸だ。クラシックと比較してどないすんねん、という人生を浪費している呑気な人間特有の疑問ももしかしたらあるかも知れないが、俺様が言っているのは、どちらも表現である限り、クオリティに対する批判は逃れられないということだ。そういう至極まともな視点(聴点?)から聴けば、優勝したセミプロだと思われる女の子以外は、今後の可能性の「か」の字も感じることのできないカスの集まりに過ぎなかった。
 
それでも面白かったのは何故か。当然、この「シロウトのど自慢大会」を支える司会者やバックバンドやスタッフが一流だからだ。冷蔵庫に残ったどんな食材でも美味しい料理にしてみまっせ、というお昼のバラエティ。これが現在の「アマチュアナイト」の姿だ。実際、マイケル・ジャクソンやボビー・ブラウンや数々の大物がここから排出されたが、近年はそういう実績がないことが、このショーの建前の形骸化とスターダムへのルート変更が既に過去のものになっているということを物語っているように思う。だから、模範的な観客としては、そういうしょっぱい事実に1ミリも気付いていないふりをして、やんややんやと楽しんであげる、という暗黙の上に求められた姿勢を完遂するのだ。
 
特に面白かったのが、本編の始まりの前に行われる「ソウルトレイン」。これは観客が受動的観客なのではなくてここでは能動的参加者であることを念押すことを目的として開催される観客10人ほどをステージに招いての即興ダンスコンテスト。どうやら「ジャパニーズ?エニィジャパニーズ?」と探していたから、日本人は毎回一人選出されるようだ。今回のわれわれの晴れなる日本人代表選手は、英語も全く分からない20〜22歳程度の大人しそうな女の子。場違いオーラを遺憾なく発揮している。そのダンスはみんなびっくりの聖子ちゃんダンス(俺様が今勝手に作った言葉。アイドル時代の松田聖子のようなリズムを取るだけの蟹のような動き)だった。誇らしいことこの上ない。でも、楽しかった。大いに爆笑した。なんというか、こういう点でも、どこか冷めた視線を織り込みながらそれでも爆笑する、というのが「アマチュアナイト」の基本線なのだなぁと思った。
 
いや、楽しいよ。実際。この前の日曜日に行ってきた教会のゴスペルよりまじお勧め。
  
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2005年02月03日

★昨日に対する拘りなど微塵もない★

相変わらず買い物三昧の日々が続いている。もう秋冬のコートは充分買っただろうと思っていたのだが、マジソンアベニューに出掛けたときにジャン・フランコ・フェレに入ったら、彼特有の建築的デザインの物凄く格好いいコートが半額で売りに出されていたのでついつい買ってしまった。半額で2000ドル。日本じゃ定価でも到底買えないだろうなと思うとついうっかり買ってしまうのだ。男だてらに秋冬のコートを6つも持っているヤツはあまり多くないんじゃないだろうか。ほとんどがアルマーニなので一年前に買ったばかりのジル・サンダーのラムのコートがしょぼく見えてしまう。ここ数年で、思えば遠くへ来たもんだ。あまりにも高速で服が増えていくものだから、先日ついにクローゼットの鉄製の棒が曲がってしまった。金属疲労もあったんだろうけど。そればかりでなく、二週間前に4本まとめて買ったアルマーニのパンツやエンポリオで大量買いするTシャツや普段使いのセーターなど、買うだけ買って一度も着てないものが10点ほどある。俺は狂っているんだろうかとたまに思うけど、じつはそんなに心配していない。買えるんだから仕方がない。ただ、そろそろ止めないとリモワのジャンボトロリーを三個持ってきているとはいえ日本に持って帰るのに支障が出そうだ。
 
俺様がファッションに目覚めたのはここ一、二年のことだけど、ひとたび何かに熱中するととことんまでやってしまう性質のせいで此処まで来てしまった。年間20回以上も海外のスパトリートメントを受けたり、先日はついにネイルケアにも手を染めてしまって、いま手も足もクリアーのマニキュアが塗られていたりするのだけれど(欧米では男もマニキュアするんだよ、念のため)、正直楽しくて仕方がない。俺は物心付いてから30歳の見性時までずっと自分という殻の中で退屈しきってきたからだ。だから「変化」に身を任せて過去の自分をゴミ箱に捨てることになんの抵抗もない、というか快感ですらある。ビジネスクラスが常態化するとエコノミークラスに乗っていた自分が終わり(死に)、新しい自分が始まる(生まれる)。ファーストクラスに乗るようになるとビジネスクラスに乗っていた自分が終わる。アルマーニを着るようになるとアルマーニを知らなかった自分が終わり、クラシックやバレエ鑑賞に目覚めるとそれまでホールに行かなかった自分が終わる。全く別の自分になるのだ。一週間前にヴァン・クリーフ&アーペルに行ったときに4億2000万円のピンクダイヤの指輪を着けさせて貰った後のワイフは何かが終わったような表情をしていた。何か強いものをを経験する(通過する)と、何かが終わる。終わらせなきゃダメなんだよ、と俺は思う。「変わらない何か」なんてものは自分というミクロにも、社会や通念というマクロにも有りはしないんだから。そういう高所からのダイビングを経過することができたものだけが、自由に世界を遊泳できるのだから。
 
  
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2005年01月30日

★俺様の愛する対象は須く尊敬できる対象であること:シャロン・ストーン★

シャロン・ストーンといえば、IQ200という信じられない数値を叩き出したりしていることが有名だったりするのだけれど、そんなことよりも俺様にとっては単純に【俺様的ハリウッド女優美人ナンバーワン】を十年以上にわたって続けているめちゃめちゃ好みの憧れの女性だ。もちろんその魅力とは、美と妖艶さに加えて知性がその容貌に絶妙にバランスされているという点を俺的にはたまらなく感じているのだからIQも全くの無縁というわけではないのだけれど(バカ丸出しの顔はどうしても好きになれない)。いずれにしても、メグ・ライアンなどを良いという人が全く分からない(グウィネス・パルトロウは上品だからちょっと好き)。
 
それはともかく、そんなシャロン・ストーンが現在ダボス会議に出席しているらしくて(つうか、ハリウッド女優にはおおよそ無縁の所のはずだが)、マラリアに苦しむタンザニア大統領のスピーチに即座に同調してその場で蚊帳代金1億円集めたらしい(元ネタは此方)。蚊帳一張り500円として20万張り分だから単純に計算して40万〜80万人の命を救済できる金額だ。
 
人口がこれ以上爆発的に増えるのは芳しくないんだからどんな形であれ人口増加の抑制は悪くないとかそんなマクロ的な視点は何れにしても私の自己中心性から自由になるものではないのだからこの際どっちだって良い。そんなことより人が一生を生きるに辺り、「数十万の人間の命を救済する」という具体的結果をどれだけの人間が実績できるだろうか。そうしたいという理想論でなく実際に実績を残す。殆どの人がそれを願い一生を掛けてもその一万分の一もできないことを、たったの一日、正確には一時間ほどで完結させてしまうこの人の才知に息を飲んだ。一瞬の思い付きを行動に直結させて、状況(戦況)を正確に読み、おそらくその状況に置ける本人の提供資金としては最も的確(効果的)であろう1万ドルという雪だるま式雪だるまの核の設定。その精緻な戦略性に裏打ちされた彼女の実現能力そのものに、人間存在の本来はあるはずのない意味とか高貴さを幽かに見たような気がして、僕は涙を溢れさせてしまった。斯くありたいと私は思う。斯くのごとき自己存在の事後的意味を愚かしくも求めたいと私は思う。
 
  
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2005年01月27日

★エレガントな憂鬱★

なんといか、最近全く筆が進まない。書くことがないわけではない。毎日、それなりに色々なことをしているし、美しい物にも触れている。新たな情報が蓄積されることのない刺激のない生活を送っているとは思わない。ただ書くモチベーションが充満しないのだ。
 
それが何故なのかはっきりとは分からない。毎日の生活に実感として欠落がないからなのかも知れない。最近の俺様を包み込んでいるムードは、コートダジュールの「ル・キャップ・エステル」辺りで海を見ながらのんびり過ごしている感覚に相似している。安らぎに満ち安定しているからこそ変化を求めない、そういう感じだ。株のトレードの方も、精神の安定を優先させてギャンブル度を極端に低下させているから、先週月曜日以降の大きなゲインはないが、日々の貴族的生活を保証する以上の金額は充分に得られている。俺はこうして幕間つなぎをしながら、次に絶対的チャンスが訪れるまでひたすら息を潜めて全力を投じるべきタイミングを待つのだ。
 
経済的不安がなく、最小単位ではあるが家族の愛も充分すぎるほど得られていて、何処までも美しき世界観を獲得しているから「フィクションとしての神」などに頼らなくても死や存在などに対する根元的悩みもない。名誉や美醜や影響力の行使に対する欲求はあれども、それを主観的に求める自分を客観的に見下ろす自分を半身として持っているからそれがオーバードライブすることもない(退屈さから意識してオーバードライブさせることは時々あるけれども)。そういうエレガントな憂鬱のなかで人は傷を覚悟してまでコミュニケーションを求めようとするのだろうか。よく分からないし、非常なる気分屋の私としては明日になればいつものようにがらりと行動が変わってしまうような気もするのだけれど、そういうわけでBLOGの更新もなんだかゆったりとならざるを得ないのだ。
 
今日はニューヨークフィルのコンサートに行ってきた。ラフマニノフのピアノコンチェルト1番と、ラベルのDaphnis et Chloé (complete)であったが、悪くない音だったと思う。ロリン・マゼールの刻みはさほどドラマチックな物ではなかったが、それがゆえ普遍的な感じがした。ああいう音は嫌いではない。ただクリストフ・エッシェンバッハが指揮するパリ管のように一音一音立ち止まって深く掘り下げているかのような厚みは感じなかったし、ミュンヘンで聴いたズビンメータのように何年経っても新鮮な驚きが回顧されるものでもないだろう。あくまでニューヨークらしい音であったと言えばそれまでだけど。しかしその洗練された音は、今の俺の状態を良く象徴しているような気がした。そろそろアフリカのサファリに行くべき時が近づいていると言うことかも知れないし、正直、パリが恋しくなってきた。アメリカという国そのものを代表するニューヨークは何処までも便利だし、金を稼ぎそれをもとに消費を楽しむには最も適した環境だから一年のうち一定期間は滞在しようと思うけれど、長期間ここに居続けるにはあまりに退屈だ。
 
 
  
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2005年01月24日

雪の降る、場所に貧富の区別まるでなし。その残酷なまでの平等を、黙してただ見つめる。人間の計らいの小さきことを、ただそこに映し見る。

ニューヨークは昨日から近年まれに見る大雪が降り、街中にもれなく厚手の白い絨毯が敷かれているかのようです。除雪車がひっきりなしに通るのだけど、気温が低く(寒暖計で−15℃、体感温度で−20℃を軽く越えている)殆ど溶けることがないので車道を黒く染め直すには至っていない。
 
なんというか、あまり内面を率直に言い表すのは恥ずかしくもあるのだけれど、俺様は太陽の陽光とか今回のような雪の降り方などが均質であることがとても好きだ。どれだけ深遠な思想を開陳しようとも、人に対してこれほどまでの平等性を発揮することがまるで叶わない俺様としては、こういうわれわれを支える全ての現象に、静かなる憧れを抱き、また深き安心を感じてしまう。こういう残酷な平等に包み込まれているからこそ安心して眠ることができる。そう再確認させる今日であった。
 
もちろんこの平等性は、社会的平等意識とはまるで次元を異にする物だ。社会的には人間は徹底的に不平等であり、俺様もそれを自覚的に利用している。また、人間として生きていくためには品格こそ最も重視するべき事柄であるとも思う。存在へのプライドとでも言い換えられようか。しかしながら、そういう差異を全て飲み込んでしまう絶対的な平等というものを腹を据えて見つめ、時に全てを預けてみたくなるのだ。
 
 
 
  
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2005年01月21日

★今、テレビで大統領の就任式を見ている

今、主要チャネルのほとんどが、10時から4時間程度の大枠を使って大統領の就任式を生中継している。こういうものをゆったり見られるのもアメリカに住んでいるときだけなので、昼間からビールを飲みながら見ておくことにした。
 
なんというか、最近株の取引もかなり好調で、そのためか割と穏やかに毎日を過ごしている。BLOGの更新が遅くなっているのも多分そのためで、コミュニケーションというのは、みなさんご存じのように、それがどのような物であれ傷を受けることから不可避なので、たまにはBLOGから離れて心安らかに過ごしてみたいみたいと思ったのだろう。
 
おかげでずいぶん活力も戻った。また、明日辺りから日々の出来事の記録とその雑感を中心にぼちぼちと更新を再開したいと思う。袖振れ合うも多生の縁。粉雪が舞いかねぬこの季節、このBLOGを見に来てくれている読者のみなさんの日々の健康をお祈りします。
 
 
  
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2005年01月18日

★その戦場での圧倒的有利性★

恥ずかしいとか一応口先では言っていても所詮こんなことは俺様にとってのプライベートな問題であって他人には本質的に関係のない話なので何度でも憚らずに言うが、俺様は一週間に五回マンハッタンの英会話スクールに通っている。目的はふたつ。一つ目は単純に英語を日本語のようには話せないから。二つ目は他者とのコミュニケーションが楽しく楽しくて仕方がないからだ。
 
これはずいぶん前にもコメント欄で少し書いたことだが、俺様はそこでも毎日俺様的ファッションを通している。クラスメイト達はニューヨークに住みながらも英語を学ぶ必要がある人たちだから、基本的にごく一部の例外を除いて金銭的余裕は限りなく少ない。おおよそ半数近くが仕事をもっているが(しなければならない人たちだが)、英語もできないのに高収入な仕事に就ける道理がない。学校はマンハッタンのど真ん中にあるが、学校経営の寮に入っている人を除き、マンハッタンに住めている生徒は5%いるかいないかだろう。ほとんどがメトロで30分以上かかるクイーンズかブルックリンかニュージャージーに住んで毎日そこから通っている。
 
そういう状況下でアルマーニを中心とした格好の俺は否が応でも目立つ。というか、例えファーストクラスに乗るときでさえ俺の格好は際だっているのだからなおさらだ。普通の人間ならばこういう服を着ていくのをきっと避けるのだろうが、隠蔽がもたらす刹那的な利益よりもそれがもたらす長期的な不利益を看過しない俺様は、普段着のままを通すことを選択しているのだ。つまり俺様が株式投資によって利益を生み続ける投資家であることは現時点に置いては事実であり、その大きな属性を隠蔽したところから始まるコミュニケーションに如何ほどの意味があるだろうか、ということだ。
 
にわかには信じてもらえないかも知れないが、俺様は全ての人をリスペクトしている。精確には、全ての人間存在をリスペクトしている、と言った方がよりいいのかも知れない。これは誰かに証明する必要のないプライベートな価値観であるが、これはもちろん俺様の華厳的世界観に裏打ちされている。好きとか嫌いと言った表層的かつ生理的な嗜好は確かに人並みにあるが、深層においては「そんなことを言っても否が応でも人間は本質的に平等でありリスペクトせざるを得ない存在なのだから仕方がないだろう。事象を点で見るのではなく流れを見やがれ、この野郎! 目を細めざるを得ないだろうが、この野郎」という動かし難き状況なのだ。
 
俺は、半ば趣味といっても良いが、ここ数年来人間を見続けてきた。人間とはいかなる物かを観察してきた。自分という窓を通して彼らを観察し、彼らという窓から自分を覗き込んできた。そしてそれなりに整理が進みつつある。であるから、人間の持つ宿命的な諸問題、つまり悲しみや孤独や争いや欺瞞や喜びなどの人間の混乱に関わる諸問題の表層的発露に対しては、比較的既知のものとして冷静な対応が可能だ。だから今回も自分を隠蔽せずにコミュニケーションに臨めた、というのもある。
 
もちろん、人間のルサンチマン(ネガティブな思考)はほぼ底なしだから、大胆な境界越えを試みつつも充分な慎重さと時には諦めも必要だ。しかしながら、これはもう奇跡といっても良いくらいなのだが、俺は彼らのほとんどと、俺が当初望んでいた以上の良好な関係を築けている。教師を含めた延べ20カ国以上の人間と延べ50人以上の人たちと。
 
コミュニケーションのありようが変容する瞬間というのは何時もエキサイティングだ。そのひとりひとりに応じた配慮を保ちながら時には攻めに転じる。ある入力に対して出力がどう返されるのかを見据え、最適な次の戦略を瞬間的に探す。もちろん俺様はこの戦場に置いて常に有利だ。俺のような失策の多い武将でも、ぬぐい去ることのできない相手へのリスペクトが俺の目の光彩に貼り付いているからだ。そしてあるとき、昨日まで確かにあった相手の分厚い壁が少しだけ溶ける瞬間が訪れる。これが快感なんだ。一度知ったら簡単に止められるわけがない。きっとケミカルで強い反応がそこに仕掛けられているのだと俺は思う。
 
そして俺は明日も快感を求めに英会話学校に出掛けていく。この快感を得るためという条件で考えた場合、「お互い努力せねばコミュニケーションが成立しない」ということが大前提になっている海外の英会話学校以上にこれに適した場所を、俺は知らない。
  
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