大橋建一ブログ

元新聞記者、前和歌山市長の大橋建一のブログです。

大橋建一のコラム(惰学記、余談独談)と活動日誌は2014(平成26)年4月28日以後、 ライブドアブログで発信いたします。当分の間、これまでの大橋建一ホームページ(http://www.ken-ohashi.jp/)は残していますので、古いコラムなどはそちらをご参照 くださいますようお願いします。

715日から17日まで、和歌山ユネスコ協会顧問として第73回日本ユネスコ運動全国大会参加のため仙台に行ってきた。3連休で往路は飛行機が取れず、14日に和歌山を出発、新幹線で東京まで行き、その晩は新聞社の元同僚や市長時代に和歌山で縁があった人たちと飲み会で遅い帰宅。翌朝、上京中の娘夫婦と孫の顔を見てから新幹線で仙台入りした。

 会場は仙台国際センター*1。立派な大ホールと大小かなりの数の会議室を持つ立派なコンベンションセンターである。ユネスコ*21946年の設立だが、敗戦国日本は1951年まで加盟を許されず、平和を希求する精神に賛同した民間人の運動として1947年の仙台を皮切りにユネスコ協会が次々設立され、現在では全国に300近い地域ユネスコ協会がある。民間ユネスコ運動は今年70周年を迎え、発祥の地・仙台で記念大会が開催されたのである。

大会には45都道府県と22ヵ国から600人以上が参加し、ノーベル平和賞受賞者ラジェンドラ・クマール・パチャウリさんの気候変動(地球温暖化)に関する特別講演*3、「教育、科学、文化の発展を通じて世界の平和を確立する」というユネスコの基本理念と若者たちの感覚のギャップをテーマに仙台の青年部メンバーが行った発表、東日本大震災の被災地ならではの体験と活動に関するいくつかの報告など興味深く、中身の濃い大会だった。

さて、仙台市の南隣、仙台空港*4がある名取市には「名取熊野三山」がある。仙台市との境界に近い市北西部の丘陵地帯に、熊野神社(旧新宮社)、熊野那智神社、熊野本宮社が「本物」の熊野三山になぞらえたような配置(縮景)で存在している。熊野神社は全国に3,135もある*5が、三社が縮景の形で勧請されているのは名取市だけという。12世紀、名取に住む足の不自由な娘が熊野権現に朝晩祈り、「足がよくなったら熊野さまに48回参る」と願をかけ、旅行く人に自分の編んだわらじを贈っていたら足が動くようになり、他の人の病気を治す力まで授かった。そこで熊野まで往復4ヵ月の参詣を47回繰り返したが、年には勝てず最後の1回が果たせない。その時京都から高貴の人の病気治癒祈願を依頼する使者が訪れ、共に京に上り、治癒に成功、褒美に熊野三山勧請を認められた――というのが「名取の老女」伝説で、15世紀に誕生した「護王」という能になり、最近、「名取ノ老女」という題で復曲*6された。名取市は、この熊野三山を観光名所として売り出している。

熊野と深い縁がある名取市のことを大会参加者に知ってもらいたいと、和歌山ユネスコ協会は大会閉幕後の16日午後、「名取ノ老女」に関する講演会*7を開き、翌日現地で「名取熊野三山ピースウォーク」を実施、地元の方々始め約30人が参加した。ウォークは縮景とはいえ全行程10㎞以上で、坂の上り下りが多い難コース。私は前日の深酒が祟って足首が痛み出し、途中から地元の方の車に乗せてもらう有様*8で、名取の老女に笑われそうだ。
名取熊野三山地図
「ぷらっとなとり」と題した名取の観光パンフレットに掲載された名取市観光マップ。北西(左上)
に熊野本宮社、その少し東南東(右下)に熊野神社(旧新宮社)、ずっと南に熊野那智神社がある。
位置関係は実際の熊野三山にかなり似ており、本宮社、熊野神社の右側を流れる名取川が熊野川に
見立てられている。那智神社のあたりが最も標高が高く、階段を230段ほど降りて行くとちっちゃな
「那智の滝」がある。この辺りは那智が丘と呼ばれる新興住宅地で、宅地開発以後、「那智の滝」
に水がほとんど流れなくなったという

*1 仙台国際センターは仙台市の施設で、1991年開館の6カ国語同時通訳設備を持つ国際会議場を備えたコンベンションセンター。この施設により同市は国際会議観光都市に指定された。市中心部の西、広瀬川右岸の青葉山公園内にある。

*2 ユネスコはUnited Nations Educational, Scientificand Cultural Organizationの略称。国際連合の経済社会理事会の下に置かれた教育、科学、文化の発展と推進を目的とした専門機関だが、最近は世界遺産指定ばかりが目に付く。

*3 パチャウリさんは「どこかの国の大統領が、地球温暖化はフェイクだ」と言っているがと皮肉を交えつつ、地球温暖化の実態をいくつものデータを示して説明。若い世代が温暖化に立ち向かうためのヒントをいくつも示した。

*4 仙台空港は名取市と、さらにその南の岩沼市にまたがって建設されている。

*5 熊野三山協議会の調べでは、熊野神社は全国に3135社あり、そのうち736社が東北にあるという。

*6 現在200番以上の古典の能が行われているが、歴史的にはこれらの他にも2000番から3000番程度の曲が作成されている。これら廃曲となった曲の中には、「名取ノ老女」のように現代になって再演を試みられるものもあり、これを「復曲」という。

*7 講演会の講師には、考古学者で名取市文化財保護審議会委員の恵美昌之氏と、能の宝生流教授嘱託会メンバーで、名取市郷土史研究会会員の守睦夫氏の2人を招いた。恵美氏は翌日のウォーキングにも参加して現地説明を引き受けてくださった。

*8 和歌山のユネスコ協会メンバーのうち3人は、帰路の飛行機の時間の関係で、熊野本宮社から最寄り駅まではタクシーに乗った。仙台空港1659分発のピーチで1825分に無事関西空港に着陸した。名取熊野社
今回の集合場所は東北本線南仙台駅からバスで10分余の熊野神社(旧新宮社=写真の後方中央が
本殿)で、そこから山道を登って那智神社へ、さらに坂道を下るような形で本宮社に向かった

 「誕生日はいいもんだ」は196869年ごろ活躍したピンキーとキラーズ(略称ピンキラ)の12枚目のシングルである。還暦以上の歌謡曲ファンならご存知の通り、ピンキラはボーカルの今陽子(ピンキー)と男性4人(ギター2人、ベース、ドラム)のユニットで、山高帽とステッキ姿のピンキーと殺し屋スタイルの男4人の対比がトレードマークだった。

ピンキラは19687月に「恋の季節」(岩谷時子作詞、いずみたく作曲)でレコードデビューした。この曲は、当時16歳だった今陽子の伸びのある見事な歌唱で同年最大のヒットとなり、オリコン歴代最高の17週連続1位を記録、売り上げは200万枚を超えた*1。その年のNHK紅白歌合戦には、男女混成グループとして初出場*2を果たしたが、賞レースでは、レコード大賞を取ってもおかしくない実績にもかかわらず、「新人賞」とされた*3

 69年には同じ岩谷、いずみコンビで「涙の季節」「七色のしあわせ」「星空のロマンス」をリリース、それぞれオリコン10位以内に入るスマッシュヒットとなったが、70年以後は徐々に勢いをなくし、結成から4年後の722月には今陽子が脱退、ソロに転向した。

「誕生日はいいもんだ」は、ヒットが出なくなった70年にリリースされた。この年サントリーが「ハッピー・バースデイ」のような誕生日ソングを日本にも作ろうと、「1億人の誕生日の歌」を公募した。元野村コンピュータシステム社長の石川郁郎氏(19222005)の詞が採用され、岩谷時子が補作詞し、いずみたくが作曲、ピンキラが歌った。あまりヒットはしなかったが、私は「夜のヒットスタジオ」などで何度か聴いた覚えがある。

さて、713日は私たち夫婦のたった一人の孫(男児)の2歳の誕生日である。和歌山と九州、遠く離れているので、会う機会は年に何度かしかないが、顔を見られるとなると、夫婦ともどもソワソワしてしまうのは、どこのお祖父ちゃんお祖母ちゃんも同じだろう。

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前に余談独談が2回続いたので、帳尻合わせに惰学記が続きましたご了承ください。

 

*1 「恋の季節」の総売り上げ枚数は207.7万で、歴代18位である。

*2 前に「いろは歌シリーズ」の「グッドナイト」で書いた(「百歌自典」に所収)が、1967年までの紅白歌合戦では男女デュエットや男女のユニットによるヒット曲は、便宜的に白組か紅組かが事前に決められ、白組になったら女性は除外、紅組になったら男性抜きで歌われていた。松尾和子が60年にソロで「誰よりも君を愛す」を歌い、62年には橋幸夫が1人で「いつでも夢を」を、吉永小百合はマヒナ抜きで「寒い朝」を歌ったことは書いたが、同じ62年の紅白に初出場したダニー飯田とパラダイスキングは、当時九重佑三子とユニットを組んでいたのに、九重抜きで「グッバイ・ジョー」を歌った。

*3 この年のレコード大賞は黛ジュンの「天使の誘惑」だったが、どっちが大賞にふさわしかったかといえば、「恋の季節」を選ぶ人の方が多いと思う。

 「ZOKKON命」と書いて「ぞっこんLOVE」と読むらしい。布川敏和、本木雅弘、薬丸裕英のユニット、シブがき隊が198355日にリリースした5枚目のシングルである。

 タイトルが「ぞ」で始まる曲は極めて少なく、「百歌自典」という本になった前回のシリーズ*1に載せた「曲名が『ぞ』で始まる歌」にも7曲しかリストアップされておらず、うち2曲は別の曲の「続編」で、「続」がつくタイトル*2だった。今回も曲選びは大変な苦戦で、悩んだ挙句に、ようやく前回リストにはなかった「ZOKKON命」にたどり着いたので、前回に続きジャニーズ系グループの話になることは、どうかお見逃しいただきたい。

 シブがき隊の3人は「青葉城恋唄」のさとう宗幸が教師役で出演したTBS系のドラマ「2B組仙八先生*3(19814月~823)に出演したジャニーズ系タレントで、825月に「NAINAI 16」でレコードデビュー、続く「100%…SOかもね」「ZIG ZAG セブンティーン」もヒットした。82年デビューのアイドルは大豊作で、「花の82年組」と呼ばれたことは前に何度も書いたが、同年末の第24回レコード大賞では、並みいる女性アイドルたち*4を抑えてシブがき隊が最優秀新人賞を獲得、その年の紅白歌合戦にも初出場している。ちなみに、同年デビューの女性アイドルはその年の紅白には誰も出ていない。

 さて、シブがき隊は86年の「トラ!トラ!トラ!」「スシ食いねえ」のころまでヒットを出し続け、紅白にも5年連続出場したが、ほぼ同時期に活躍し、一時代を築いたチェッカーズに比べると、人気もCD売り上げも風下に立っていた。さらに85年末には同じジャニーズ事務所から少年隊が、翌年には光GENJIがデビューして脚光を浴びるようになり、シブがき隊は彼らに押し出されるような形*48811月に解隊した。その後はご存知の通り本木と布川は主に俳優、薬丸はマルチタレントとして芸能活動を続けている*5

 

*1 前回「いろは歌シリーズ」では、「ぞ」は童謡「ぞうさん」を書いた。

*2 曲名が「ぞ」で始まる歌として「百歌自典」にリストアップしたのは▽象牙海岸(竹内まりや)▽ぞうさん(童謡)▽ぞうさんのあくび(ブレッスンフォー)▽象さんのすきゃんてぃ(うしろゆびさされ組)▽族(氣志團)▽続・オヤジの心に灯った小さい灯(里田まい&藤岡藤巻)▽続・竹とんぼ(堀内孝雄)の7曲である。

*3 「2B組仙八先生」は7910月末から1年半続いた武田鉄矢主演の「3B組金八先生」の姉妹編で、金八先生第1部終了後半年間放映された岸田智史主演の「1B組新八先生」に続いて1年間放映された。シブがき隊の3人のほか三田寛子も出演していた。

*4 82年デビューの女性アイドルには小泉今日子・三田寛子・堀ちえみ・中森明菜・松本伊代・早見優・石川秀美らがいた。薬丸はシブがき隊時代に石川秀美と交際をスタートさせ、後に結婚した。布川の元妻・つちやかおりも82年デビューのアイドルの1人だった。なお、布川によると、シブがき隊の3人はみんな小泉今日子のファンで、歌番組で共演すると、3人ともキョンキョンの隣の席めがけて猛ダッシュしたそうだ(20169月=よみうりテレビの「よしもと 今田八光のおしゃべりジャングル」)。

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