大橋建一ブログ

元新聞記者、前和歌山市長の大橋建一のブログです。

大橋建一のコラム(惰学記、余談独談)と活動日誌は2014(平成26)年4月28日以後、 ライブドアブログで発信いたします。当分の間、これまでの大橋建一ホームページ(http://www.ken-ohashi.jp/)は残していますので、古いコラムなどはそちらをご参照 くださいますようお願いします。

 はしだのりひこ(19452017=本名・端田宣彦、作曲者としては本名を使うことが多かった)は、1960年代後半から70年代初頭にかけて数々のヒット曲を世に出したシンガーソングライターである。68年にザ・フォーク・クルセダーズに参加、「帰って来たヨッパライ*1」「悲しくてやりきれない」などのヒットを飛ばし、フォークル解散後は、「風」「さすらい人の子守歌」などのシューベルツ、「花嫁」のクライマックス、「嫁ぐ日」のエンドレス*2など、次々ユニットを結成しては解散を繰り返してきたことは広く知られている。

「花嫁」は、シューベルツ*3703月、メンバーだったベースの井上博の腎臓病による死去(23歳の若さだった)で解散を余儀なくされた後、はしだが中島陽二、坂庭省吾、ボーカルの藤沢ミエと組んで「はしだのりひことクライマックス*4」を結成、そのデビュー曲として711月にリリースされた。作詞は北山修、作曲は端田宣彦と坂庭省吾。藤沢ミエの素人っぽいボーカルと、家族の反対を押し切り歯を食いしばって彼のもとに向かう花嫁という歌詞設定がマッチして大ヒット、同年のオリコン年間チャート7位を記録、ミリオンセラーとなった。この曲でクライマックスは同年の紅白歌合戦に出場している*5

この曲は昭和のフォーク歌謡の名曲で、カバーした歌手は美空ひばり、小柳ルミ子、天地真理、いしだあゆみ、坂本冬美ら枚挙にいとまがない。カラオケでも私を含めオジサンの人気曲である。ネット上の情報を総合すると、この曲のモデルは、後に端田の妻となる2歳下の女性で、彼女が端田の出演するコンサートを聴きに夜汽車に乗って行く姿を知った北山が、花嫁として端田と結ばれる日を願って端田のメロディーに詞をつけたという。その妻は03年に病に倒れ、闘病生活の末08年に死去した。この間、端田は看病と子育てなど家事に専念したが、自身もパーキンソン病を患い、昨年12月に妻の元へ旅立った。

 

*1 「帰って来たヨッパライ」は、アマチュア時代のフォークル(加藤和彦、北山修と平沼義男、井村幹生、芦田雅喜の5人グループ)が「イムジン河」などと共にレコーディングしたLPの収録曲で、はしだのりひこは参加していない。この2曲が関西で話題を呼び、フォークルがプロデビューすることになった時に平沼ら3人が抜け、はしだが加わった。テレビやステージで「ヨッパライ」を演奏する時は、もちろん、はしだも参加していた。

*2 いずれのユニットも正式名は「はしだのりひことシューベルツ」「はしだのりひことクライマックス」「はしだのりひことエンドレス」だが、ウィキペディアによれば、シューベルツ、クライマックスは、はしだを含むメンバー全員を指すのに対し、エンドレスは、はしだ以外のメンバーを指すそうだ。

*3 はしだのりひことシューベルツのメンバーは、はしだ、杉田二郎、越智友嗣、井上博。

*4 はしだのりひことクライマックスは、「花嫁」が大ヒットしたにもかかわらず、計4枚のシングルとライブアルバム1枚を出しただけで解散となった。スタジオアルバム製作途中でメンバーの意見が対立し、空中分解したとされる。

*5 はしだのりひこの紅白出場は、この時のエンドレスでの1回だけである。

 10月の3連休前日の金曜日だった5日に、「『新・松江の今昔 郷土誌*1』出版記念披露会」が開催され、私も出席した。松江といっても島根県の県都・松江市のことではなく、和歌山市の西北部、紀の川の北側・河西地区の一角を占める松江地区のことである。

一昨年3月ごろ、松江地区の連合自治会長、川崎敏弘さんから突然、「『松江の今昔』の新版を作りたいんやけど、編集を手伝ってもらえんやろか」と持ち掛けられた。私が市長をやめてから暇そうにしていたのと、新聞社時代に紙面編集の仕事を長くやっていたことを知って、白羽の矢を立てられたというか、言葉は悪いが、目をつけられたわけである。

 松江地区は、戦前は紀伊水道に面して白砂青松の浜がきれいな農業・漁業の盛んな村だったが、1940年、太平洋戦争開戦の1年前に当時の住友金属工業(現・新日鐡住金)がこの地に製鉄所を建てることになった。戦争準備のための国策軍需工場で、海寄りの土地130万坪(429㌶)が事実上有無を言わせぬ形で買収され、和歌山製鉄所が操業を開始した。

終戦後も、製鉄所は軍需を民需に替えて発展の一途をたどり、松江地区も企業城下町として大いに賑わったが、その半面、粉塵、ばい煙、振動など住民の我慢の限界を超えるほどの公害が蔓延、昭和50年(1975年)前後には公害をめぐる紛争がピークに達していた。

 旧版『松江の今昔』はまさにその時期に松江在住の元教員、川崎正夫氏*2が渾身の思いを込め、緻密な取材を重ねて執筆し、1979年に別冊の『公害編』も併せて刊行したもので、大昔から当時までの松江の歩みと文物を網羅した郷土誌の決定版と言えるものだった。

 私の役目は、旧版の内容を公害編も含め網羅しつつ、次代を担う若い人たちにも読みやすいよう難しい言葉遣いを改めることと、旧版刊行後から現在まで39年間の松江地区や製鉄所の動きをまとめることであった。事務局を務めてくれた和歌山市松江連絡所前所長、岡本實さんの全面的なバックアップを受けて記録、年表、写真など資料が次々届き、私はそれを文章にまとめるだけだったが、結局それに2年半もかかってしまったわけである。

 新版は、冒頭に地区の最近の取り組みとして、松江小学校の児童の安全を守るために結成された地区住民による「お帰りパトロール隊」に触れた。今から15年前、2003年に和歌山市にほど近い大阪府熊取町で起きた小学生女児連れ去り事件*3をきっかけに、「他人事ではない。地域の子どもは地域で守らねば」と、機運が高まり翌年4月に発足した。以来15年、松江の活動が「お手本」となって市内各地区に「見守り隊」が次々生まれた*4

さらに新たに地域に誕生した施設の話を置き、その後に旧版に綴られた昔の松江、公害、災害、社寺、学校編を、最近の内容を増補し収録した。地域の方々による思い出話をいくつか集め、警察、消防、南海加太線などについても分かる範囲で触れた。B5223*5

 

今昔本01

*1 「郷土誌」は、「その地方の地理・歴史・社会・生活・民間伝承などの記録や研究をまとめた書物」という意味だが、どういうわけか装丁段階で「郷土史」に化けてしまい、やむなくそのまま出版することにした。出版記念披露会のタイトルが「郷土誌」になっていたのはそのためである。

*2 川崎正夫氏(19082002)は和歌山県と大阪府で40年にわたって教員を務め、退職後、ふるさと松江の当時の姿を嘆いて公害防止の活動に取り組んだ。市の真摯な姿を見て、1972年ごろ当時の自治会役員らが郷土誌執筆を依頼、それを受けた氏は5年の歳月をかけて綿密な取材を重ね、「松江の今昔」と別冊の「公害編」を書き上げた。1987年、勲五等瑞宝章受章。

*3 2003520日、大阪府熊取町の小学校4年生、吉川友梨ちゃん(事件当時9歳)が学校の社会見学からの帰宅途中に忽然と姿を消し、現在も犯人特定や逮捕に至っておらず、不明女児も依然として友梨ちゃんには消息不明のままである。

*4 松江地区では、発足当時のパトロール隊に見守られた小学生の何人かが成人して、いまパトロール隊員になっている。

*5 部数に限りがあるが、頒価は1000円、問い合わせは松江連絡所(073-455-0022)へ。


 「ハッピーサマーウェディングモーニング娘。(以下モー娘)9枚目のシングルで、2000416日に4期生の吉澤ひとみ*1、石川梨華、辻希美、加護亜依が加わった新メンバーで最初のシングルとして同年517日に発売された。作詞作曲はもちろんつんく♂である。リリース時のメンバーは、1期生*2=中澤裕子、飯田圭織、安倍なつみ、2期生=保田圭、矢口真里、市井紗耶香、3期生=後藤真希と4期生の計11人。ただし、CD発売4日後に市井紗耶香が「卒業」したので、テレビなどには概ね10人編成で歌われた。

これは個人的な意見だが、この10人組の時期、すなわち翌01415日に初代リーダーの中澤が卒業するまでの11カ月間がモー娘の最盛期で、この間に「ハッピーサマーウェディング」に続いて、9月にシドニー五輪のTBS系列テーマ曲「IWISH」、12月に「恋愛レボリューション21」のシングル2枚がリリースされ、それぞれ大ヒットしている。

ハッピーサマーウェディング」の歌詞はジューンブライドを意識したもので、生涯の伴侶と思える彼氏と出会った年頃の娘が、これまで育ててくれた両親に感謝しつつ、彼を紹介するという内容である。999月、後藤真希が加わって大ブレークした「ラブ・マシーン」以来の定番である「ハイハイ」「ヤイヤイ」とか「Pala Pala」「Fuwa Fuwa」といったお囃子というか合いの手はこの曲でも健在で、それに加えてモー娘の曲としては初めて2番と3番の歌唱の間に、両親に彼氏を紹介するセリフが入る*3構成になっている。

 この曲でメンバー入りした吉澤が今年96日朝、酒気帯び運転で自転車をはね、ひき逃げしたとして逮捕・起訴されたのは周知の通りである。モー娘卒業後2015年に9歳年上のIT企業社長と結婚、翌年男児を出産後もママタレとして活躍していたのに、この事件でタレント生命を失った。4期メンバーの中では彼女が最もタイプだった*4だけに、残念だ。

 

*1 吉澤ひとみの「吉」は、正しくは口の上の士が「土」である。

*2 モー娘1期生にはもう1人福田明日香がいたが、994月に「学業優先」を理由に卒業した。ウィキペディアによると、彼女はその後、別のユニットで芸能界復帰、結婚、出産、離婚を経て今はソロ活動をしているという。

*3 このセリフは、オリジナルバージョンでは中澤が担当、彼女の卒業後は、テレビや舞台で歌う場合、それぞれの時期のリーダーたちが担当を引き継いでいった。

*4 私がフォローできるモー娘のメンバーは03年加入の6期生までだが、16期のメンバーの中で最も応援していたのは後藤真希である。最近彼女が久しぶりにテレビに登場した番組があったので、予約録画したが、まだ見ていない。なお、5期生は高橋愛紺野あさ美小川麻琴新垣里沙の4人、6期生は藤本美貴、亀井絵里道重さゆみ田中れいなの4人である。

↑このページのトップヘ