大橋建一ブログ

元新聞記者、前和歌山市長の大橋建一のブログです。

大橋建一のコラム(惰学記、余談独談)と活動日誌は2014(平成26)年4月28日以後、 ライブドアブログで発信いたします。当分の間、これまでの大橋建一ホームページ(http://www.ken-ohashi.jp/)は残していますので、古いコラムなどはそちらをご参照 くださいますようお願いします。

 考えてみれば、榊原郁恵*1は不思議なタレントである。活動開始は1976年の暮れで、7711日に歌手デビューしているから、芸歴42年近いかなりの「大スター」である。デビュー同期は高田みづえ、清水由貴子、大場久美子、香坂みゆき、狩人、松山千春、太川陽介、清水健太郎ら*2だが、この年のレコード大賞最優秀新人賞は清水健太郎だった。

歌手としては代表曲の「夏のお嬢さん」(78年7月リリース、笠間ジュン・佐々木勉作詞、佐々木勉作曲)以外にヒット曲はほとんどない*3。「夏のお嬢さん」ですら、オリコンチャートでは11位止まり。厳しい芸能界を、大ヒット曲なしに生き延びてきたわけだ。

 やや太めで、健康感?が好感度だった榊原郁恵は、アイドル歌手の傍らドラマやC Mなどでも活躍しており、「夏のお嬢さん」と、そのすぐ後にスタートしたTBS系の学園ドラマ「ナッキーはつむじ風」(7810月~803月)で大ブレーク、81年から7年間続けた舞台「ピーターパン」で人気は不動のものとなった。87年に渡辺徹と結婚、2子出産(89年、96年)後も、料理番組や「ものまね王座決定戦」など数々の番組の司会・アシスタントなどで活躍を続けている。特に、ABC-テレ朝系の「芸能人格付けチェック~主婦芸能人に品格はあるのか」第1(13104)で最後まで正解を続けたのに感心した*4

 さて、「夏のお嬢さん」には2つの特徴がある。1つは女性アイドルの歌なのに主人公が男の子なこと*5で、もう1つは、サワリの歌詞「アイスクリーム ユースクリーム 恋する季節」である。曲の季節が夏なのでアイスクリームが出てきて、後のユースクリームは単なるダジャレかと思っていたが、実は「ice-cream」と「I scream」を掛けた歌詞で、screamには「はしゃぐ」という意味があるので、「アイスクリーム ユースクリーム」は「私もあなたもはしゃぎます」ということだったのである。私は最近まで全く気がつかなかった。

 

*1 榊原郁恵は195958日生まれ。7学年後輩の小泉今日子と同じ神奈川県厚木市出身である。同じホリプロ所属だった山口百恵の1学年下(生まれ年は同じ)だが、デビューは4年遅い。高2の時、ホリプロの第1回タレントスカウト・キャラバンで優勝、芸能界入りしたのは有名だ。

*2 ウィキペディアによると、同期の高田みづえ、清水由貴子と3人で「フレッシュ三人娘」と呼ばれたというが、記憶に残っていない。高田は若嶋津(のちの二所ノ関親方)夫人となり、欽ちゃんファミリーとしても活躍した清水由貴子は母の介護に疲れ? 自ら命を絶った。最優秀新人だった清水健太郎は覚せい剤に蝕まれ逮捕を繰り返している。人生いろいろである。

*3 7710月の「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」、781月の「いとしのロビンフッドさま」の2曲は小ヒットした。

*4 榊原郁恵は「品格シリーズ」の第2弾、第4弾にも出演したが、この時はパートナーの成績が悪く、撃沈している。

*5 イルカの失恋ソング「なごり雪」も男の歌だが、あれはもともと伊勢正三が「かぐや姫」の歌として作った曲のカバーである。

 96歳の母が129日に入院した。その日の朝、胸のあたりが痛いと言い出し、いろいろ世話になっている和歌山市内の病院で診察を受けたところ、骨粗しょう症の進行による胸骨の圧迫骨折と分かり、即入院となったのである。96歳にしてはしっかりしている母だが、入院時は痛みとショックのせいか「お迎えが来たみたい」などと口走り、病室で23日ボーッとしていたので、私たちも「病院から帰って来られるかしら」と心配していた。

 以来、妻と私に加え、昔、父が県知事だった時代に大橋家でお手伝いさんをしてくれていて、今も何かと母の面倒を見てもらっている近在の女性の手助けを得て、毎日、昼と夜の食事時間に様子を見に行く日々が続いた。最初のうちは痛みがひどく、どうなることかと思ったが、入院3週間目あたりから少し楽になったのか顔色も良くなり、食欲が出てきて、「お迎え」どころか、「早く家に帰りたい」が口癖になるほどの驚異的な回復を示した。

 入院から2カ月余り、病院では「もう、いつ退院しても大丈夫ですよ」と言ってくれているが、とはいえ、帰宅にはいろいろ準備が必要である。これまでは<要支援2*1で、トボトボではあっても手すりを頼りに歩くことができたが、リハビリ中の今は歩行器がないと歩くのが難しい。入院中の再認定の結果、<要介護3*2へと“3階級特進”しており、トイレも入浴も大変である。特にトイレが寝室から遠いので、寝室のすぐそばにある書庫を、トイレと洗面所に改造して自力で行けるようにした。さらに、車いす用に自宅南の庭にある門から母専用の玄関*3に続く飛び石の通路をスロープに直すなど改修した。

 それでも、父が死去した後の1977年に建てた築40年以上の家である。通路は狭く、部屋と部屋の間には、つまずきそうな出っ張りがいっぱいある。帰ってきて母が本当に生活が可能か、不都合はないか検証が必要である。そこで、42日の午後に一時帰宅の許可をもらい、2時間ほど家に連れ帰って本人にもいろいろ試してもらった。結果はまずまずだったが、室内では車いすは使用困難で、病院から借りた歩行器も幅が広くて使えないなど、課題がいくつかあることも分かり、来週ケアマネージャーや医師を交えて相談する。

 さて、介護する側である。間もなく71歳を迎える妻は、以前から不整脈だったが、昨年8月の人間ドックで心房細動と診断され、一時はちょっとした坂道も息切れがして歩けないような状態だった。今は循環器内科で処方された薬が効いているが、心配は心配である。1歳上の私の方は前にも書いた通り、116日に脊柱管狭窄と椎間板ヘルニアの内視鏡手術をして以後も右脚に痛みがあり、ちょっと歩いたり、合わない椅子に座ってパソコンに向かったり、左向き以外の姿勢で長く横になったりすると、かなりの痛みに襲われ、しばらく安静が必要だ。持病を抱えた高齢社会の典型のような我が家で、老老介護は大変だ。

 

*1 「要支援」は日常生活を営むうえで、その一部に支援が必要で、このままでは将来的に要介護状態になる可能性がある状態で、「2」は病気やケガの影響により、支援に要する時間が多くかかる状態。
*2 「要介護3」は日常生活動作が著しく低下し、立ち上がりや歩行が自力ではできず、排泄や入浴、衣服の着脱などにもほぼ全面的な介護が必要な状態。 
*3 1975年に父が死去してから、母は知事公舎を出てしばらく仮住まいをしていたが、当時東京で生活していた母の両親と妹を呼び寄せ、和歌山市の南端・内原の地に2世帯住宅を建てて住むようになった。祖父母らの死去後、奥の住居は空いていたが、2002年、私たち夫婦が和歌山に戻った際、母が庭の南に玄関のある奥の住居に移り、母が住んでいた東に玄関がある市道に面した側の住居に私たちが入った。奥の住居は最初から高齢者用だったはずだが、40年以上前の設計のせいか、段差や通路幅などの配慮が全くない。

 「涙くんさよなら」は浜口庫之助(191790)が作詞作曲し、坂本九が歌った。浜口は歌手として*1スタートしたが、すぐに作詞作曲家に転身、「僕は泣いちっち」(守屋浩=1959年)、「愛して愛して愛しちゃったのよ」(田代美代子、和田弘とマヒナスターズ=65年)、「星娘」「星のフラメンコ」(西郷輝彦=6566年)、「バラが咲いた」(マイク真木=65年)、「夜霧よ今夜も有難う」(石原裕次郎=67)など数多くのヒット曲*2を世に出した。

 「涙くんさよなら」は、その浜口の全盛期といえる19655月にリリースされたが、ウィキペディアによると、最初はあまりヒットしなかったという。ところが、当時「ポエトリー」「キューティ・パイ」といったアメリカン・ポップスのヒット曲を出し、米国でも日本でも人気のあったジョニー・ティロットソンがこの曲に英語の歌詞をつけ、「Goodbye Mr.Tears」というタイトルで(B面は日本語版)同年9月に発売、これが話題となって坂本九のレコードも売れ出し、12月にはマヒナスターズが、翌年4月にはジャニーズ(元祖!真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦)が、「う」の入った「涙くんさよなら」のタイトルでシングル盤を発売した。以後、カバーした歌手は枚挙にいとまがない*3

テレビ番組でもこの曲は度々使われた。TBS系で91年から2004年まで断続的に放映された昼の帯ドラ「天までとどけ」シリーズ*4の主題歌として、91年から2000年まで(92年を除く)使われ、川越美和、Emu、安達祐実、Blue-Eye-Land(島谷ひとみの別名)が歌った。また、2013年にはソフトバンクのCM・白戸家シリーズに坂本九バージョンが登場。記憶に新しいところでは、NHKの朝ドラ「ひよっこ」にも登場した。大晦日の「ひよっこ紅白特別編」では桑田佳祐が浜口庫之助に扮して歌い、「ひよっこ」最終週では、矢田部一家がテレビの歌合戦番組*5に出場して歌った。確かに今も歌い継がれる名曲だ。

 

*1 ウイキペディア(以下の注釈もウィキペディアに依拠したものが多い)によると、浜口庫之助は終戦直後から1950年代にかけて浜口庫之助とアフロバーノ」などのバンドリーダーとして活躍、「アフロバーノ」は5355年のNHK紅白歌合戦にも出場した。

*2 浜口庫之助作詞作曲のヒット曲は、本文のほか、「夕陽が泣いている」「風が泣いている」(スパイダーズ=6667年)、「花と小父さん」(伊東きよ子=67年)、「粋な別れ」「港町 涙町 別れ町」「恋の町札幌」(石原裕次郎=676972年)、「みんな夢の中」(高田恭子=69年)、「へんな女」(水原弘=70年)、「花の手拍子」(英亜里=70年)、「もう恋なのか」「空に太陽がある限り」(7071年)など。坂本九では「エンピツが一本」(70年)がある。どれも歌詞もメロディーも歌いやすい、親しみの持てる曲である。作曲だけのものでは、「黄色いさくらんぼ」(スリーキャッツ)、「恍惚のブルース」(青江三奈)、「愛のさざなみ」「人生いろいろ」(島倉千代子)、「ちいさな恋」(天地真理)など、作詞だけのものでは「有難や節」(守屋浩)がある。

*3 「涙くんさよなら」をカバーした歌手の主な人を上げると、ジミー・オズモンド、伊丹幸男、天地真理、栗田ひろみ、三田寛子、ダ・カーポ、BOROTHEALFEE、トワ・エ・モア、ビリー・バンバン、国仲涼子、TOKIO、五木ひろし、フランク永井など数えきれない。浜口自身もセルフカバーしており、坂本九の娘・舞坂ゆき子もアルバムに収録している。

*4 「天までとどけ」シリーズは、新聞記者の綿引勝彦と岡江久美子が夫婦役の丸山家を中心とするホームドラマ。91年にスタートし、99年の第8シリーズでいったん完結した。2000年からは「新・天までとどけ」として、警察官一家の杉本家とその周辺の物語が展開された。主題歌の「涙くんさよなら」は「天まで~」の第1、第4~第6シリーズに川越美和(第2シリーズの主題歌「大好きを上げたい」も川越が歌った)の歌で、第3シリーズはEmu、第78シリーズは安達祐実の歌で流れた。2000年の「新・天まで~」の第1シリーズではBlue-Eye-Land(島谷ひとみ)が歌った。

*5 「家族そろって歌合戦」は66年から80年までTBS系列で続いた視聴者参加番組、それぞれの家族がゾウさんチーム、ウサギさんチームなどなって歌を競い合う。「ひよっこ」最終週はこの番組に有村架純ら矢田部一家が出場する筋立てになっていた。

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