ことば
とある打合せの席で
「それを記号論的に言うとですね・・・・・」
「違うだろ。もう一度、記号論を最初から勉強しなおせよ。」
ってなやりとりがありまして、それを隅っこの方で聞いてる私がおりましたが・・・
「キゴウロン?ッテ何デスカ?・・・オイシイデスカ?」。。。

物事、現象、観念、感情なんかを言語や信号、図像、象徴で代理して表現する機能を持つ記号(sign)。それで世界的な基本原則や,社会文化の特徴分析をおこなう学問が記号学だか記号論だかいうらしい。。。
わかるような、わからないような・・・(-_-;)
それが建築やデザインとどんな関係があるのかだろか?
もうちょっと調べて見たいと思います。
「それを記号論的に言うとですね・・・・・」
「違うだろ。もう一度、記号論を最初から勉強しなおせよ。」
ってなやりとりがありまして、それを隅っこの方で聞いてる私がおりましたが・・・
「キゴウロン?ッテ何デスカ?・・・オイシイデスカ?」。。。

物事、現象、観念、感情なんかを言語や信号、図像、象徴で代理して表現する機能を持つ記号(sign)。それで世界的な基本原則や,社会文化の特徴分析をおこなう学問が記号学だか記号論だかいうらしい。。。
わかるような、わからないような・・・(-_-;)
それが建築やデザインとどんな関係があるのかだろか?
もうちょっと調べて見たいと思います。
とあるサイトで募集していた川柳。。。。
応募したら十傑ってのにえらばれました(^o^)
お題は『ゴールデンウィーク』
『出勤中 休みと気付き いと悲し』

最近は減ってきたけど、金曜に「これ月曜の午前中までね」ってな仕事が多く、悲しくなってきた心境をうたってみました。
そうゆう生活って曜日感覚がなくなってくるんですだ(-_-)
んでもって、電車の中でOFFモードの人たちに会って休みと気付くって感じ・・・
川柳を創ることが脳の活性化のためにいいらしいと聞き、頑張って創った作品ですが、何ももらえません・・・(-.-)
でも、決められた文字数で何かを表現するって意外に難しいけど面白かったりする。。。。
応募したら十傑ってのにえらばれました(^o^)
お題は『ゴールデンウィーク』
『出勤中 休みと気付き いと悲し』

最近は減ってきたけど、金曜に「これ月曜の午前中までね」ってな仕事が多く、悲しくなってきた心境をうたってみました。
そうゆう生活って曜日感覚がなくなってくるんですだ(-_-)
んでもって、電車の中でOFFモードの人たちに会って休みと気付くって感じ・・・
川柳を創ることが脳の活性化のためにいいらしいと聞き、頑張って創った作品ですが、何ももらえません・・・(-.-)
でも、決められた文字数で何かを表現するって意外に難しいけど面白かったりする。。。。
「日本人はひとまねばかりだ」「ひとまねから入ると独創的でなくなってしまう」なんて言葉、よく聞くんですよねぇ・・・
そのせいか、「ひとまね」って言葉にネガティブなイメージを持っちゃってます。
「独創的」に対してあこがれみたいな感じや「ひとマネ」って言葉に一段低くみていたり。。。。。
でも、この言葉を聞いて、「ああっ、こういう過程で独創性って育てていけばいいんだ」という事に気づかされ、「最初はものまねでもいいんだな」って思えるようになりました。

「守・破・離」とは、ある物事を習得するための学びの3段階を示す言葉だ。
「守」は、教えを正確かつ忠実に守り、技法を身につける段階。
「破」は身につけた技や形を洗練させ、自己の個性を創造する段階。
「離」はそれを前進させ、新しい独自の道を確立させる最終段階だ。
私流の「守」は、まず真似をすることから始まる。何事も一人前になりたければ、まずはモデルになる人を見つけ、その人のやり方をよく観察して、真似ることからスタートするべきだ。
この「守」である程度の結果を出せるようになったら、今度は異なる方法にチャレンジする。これが「破」の姿勢だ。
その上で、自分なりの方法を手にし、自分流を確立させる。これが「離」の境地だ。
(「一生ものの仕事の習慣」より抜粋 小山政彦著/PHP研究所)
最初に「守・破・離」の言葉を聞いたのは、その昔の剣術の修行段階を表す言葉としてでした。
師匠の言う事を「守」り、そのことをベースに自分なりに工夫して教えを「破」り、最後に独自の方法を編み出し「離」れていく。。。
問題なのは「ひとマネ」ではなく、その後そこからどのように進んでいくか、そのことなんですよね。
これからはいろんなことを習得するのに肩の力が抜いて出来そうな気がする。。。。
でも、道のりは遠いなぁ~(-_-;)
そのせいか、「ひとまね」って言葉にネガティブなイメージを持っちゃってます。
「独創的」に対してあこがれみたいな感じや「ひとマネ」って言葉に一段低くみていたり。。。。。
でも、この言葉を聞いて、「ああっ、こういう過程で独創性って育てていけばいいんだ」という事に気づかされ、「最初はものまねでもいいんだな」って思えるようになりました。

「守・破・離」とは、ある物事を習得するための学びの3段階を示す言葉だ。
「守」は、教えを正確かつ忠実に守り、技法を身につける段階。
「破」は身につけた技や形を洗練させ、自己の個性を創造する段階。
「離」はそれを前進させ、新しい独自の道を確立させる最終段階だ。
私流の「守」は、まず真似をすることから始まる。何事も一人前になりたければ、まずはモデルになる人を見つけ、その人のやり方をよく観察して、真似ることからスタートするべきだ。
この「守」である程度の結果を出せるようになったら、今度は異なる方法にチャレンジする。これが「破」の姿勢だ。
その上で、自分なりの方法を手にし、自分流を確立させる。これが「離」の境地だ。
(「一生ものの仕事の習慣」より抜粋 小山政彦著/PHP研究所)
最初に「守・破・離」の言葉を聞いたのは、その昔の剣術の修行段階を表す言葉としてでした。
師匠の言う事を「守」り、そのことをベースに自分なりに工夫して教えを「破」り、最後に独自の方法を編み出し「離」れていく。。。
問題なのは「ひとマネ」ではなく、その後そこからどのように進んでいくか、そのことなんですよね。
これからはいろんなことを習得するのに肩の力が抜いて出来そうな気がする。。。。
でも、道のりは遠いなぁ~(-_-;)
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