2007年03月20日

近代・日本・画についてのメモ[14-1]

「なぜ、日本画の技法で絵を描くのですか?」という質問を、僕はよく受けます。しかし、「なぜ、あなたは油絵で描くのですか?」という質問はあまり、というか、僕に限っていえば、聞いたことがありません。しかし、むしろ、このことのほうが「なぜ?」と思うことがあります。

たとえば、「現代美術」という場で、なぜ、日本画の技法を使って絵画が描かれることに特別な意味があると考えられ、油画はそう思われないのでしょうか。日本の長い歴史においては、油画技法のほうが新参です。江戸時代末期、日本で初めて本格的な油絵を描いた高橋由一の作品は、当時は新奇なものとして扱われていました。しかし、今の日本の美術のなかで油絵は、ずっと昔からここにあったかのように、絵画技法の中心を成すものとしてあります。油絵は日本の近代化のなかで、そのような「なぜ?」という疑問が思い浮かぶことがないほど、われわれのなかに内面化され、その起源は忘れ去られているのです。

しかし、それは「日本画」という概念についても、同じことがいえます(「日本画」は、ずっと昔からこの国にあったかのように思われています)。「日本画」と「洋画(=油絵)」は、日本近代の、身元があまり大っぴらされることのない双子の兄弟、とも言えるのではないでしょうか。そして彼らの末の弟が「現代美術」なのかもしれません。ですから、先の段落で<「現代美術」という場で>と書きましたが、「現代美術」と書くことにもまた抵抗を感じます。その概念もまた、自明のものとすることに、どこか釈然としない思いがあるからです。

僕が美術大学で籍を置いておいていたのは、「絵画科日本画専攻」でした。同じ絵画科には油画専攻がありました(油画専攻はたしか100人以上、日本画専攻は30人程度の定員でした。ここでも絵画を学ぶことにおいて、油絵のほうがポピュラーだということがわかります)。では両者の違いとはどこにあるのでしょうか? 基本的には技法の違いです(油画=メディウムに油+油絵具、支持体にキャンバス/日本画=メディウムに膠(にかわ)+岩絵具、墨、支持体に和紙、絹)。

日本の美術大学は、表現したい「内容」ではなく、「技法」によって専攻が縦割りされています。学生時代、他の専攻の学生から、「日本画クラスって、襖に絵を描いてるの?」と、平然と言われていたのを思い出しました。他の専攻がどのような作品をつくっているのか、ほとんど知らないわけです。話がズレましたが。

では、そうした素材や技法から「日本画」をアイデンティファイできるのでしょうか。和紙や膠、岩絵具という素材の特殊性やその魅力を、多くの日本画家は「日本画」を成すものとして語ってきました。僕も昔、そんなこと言ってたような記憶もあります(…苦笑)。しかし、メディウムとしての膠は、とくに日本だけで使われているわけではないし、そもそもこの技法は中国を源流として、アジアの各地にも受け継がれています(だとすれば、むしろ「東洋画」と呼ぶべきだろう、と言う批評家もいます)。<…つづく>


僕は美術科のある高校に通っていたのですが、進級時に専攻を決めるときに、デザインや彫刻でなく、絵がやりたかったので、当然油絵を選ぼうと考えていました(絵を描くっていえば油絵だろうと、素朴に思ったので)。結局なぜか日本画を専攻することになったのですが、そのきっかけについては(どうでもいい内容ですが)以前ここに書きました。

●ケンゴさん、なぜ日本画を専攻したのですか?[1][2][3][4]

●松山賢氏のブログにも同じ内容の記事がありました。→日本画を専攻した理由1



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この記事へのコメント
冒頭の質問者のように、どうもまだ釈然としないところがあります。
それは、なぜ「日本画」の画材で描くのか、ということではなく、なぜ「現代美術」の領域で「日本画」の画材で描くのか?ということに発していると思います。
京都にいた経験からいうと、「日本画」というのは画材の違いでだけではないと思います。
須田国太郎や坂本繁二郎のような「洋画」において「日本画」というものが体現し、ある完成を見て、その発展(というか模倣)を今の「日本画」が受け継いでいると考えます。

私のブログのリンクは途中までしか書いていないので、油絵を専攻した理由、のようなところで終わっています。
Posted by 松山賢 at 2007年03月20日 10:58
コメントありがとうございます。
このエントリ、[14-1]とあるように<…つづく>なのです。長いのでふたつに分けました。
後半部分の[14-2]もなるべく早くアップします。

<近代・日本・画についてのメモ>は、僕が大学院生の頃から書きためていたメモから始まっているのですが、それまでは勉強不足で(たとえば天野一夫さん(O美術館、当時)や加藤弘子さん(東京都美術館、当時)の展覧会や、北澤憲昭さんの『眼の神殿』を読むまで)「日本画」とその概念の成立についてほとんど知りませんでした。
Posted by ケンゴ at 2007年03月20日 15:13
ただ、僕にとってはその当時から(というより高校の美術科時代から)、油絵の具も日本画材も相対的なもので、どちらに主従があるということはあまり考えたことはありません。高校時代にそういう授業がある学校にいて、たまたま日本画を選択しただけだったとう、よく言えば素直で悪く言えばバカだったのでしょう(笑)。
まず最初にそうした環境があった、ということは書いておきます。
Posted by ケンゴ at 2007年03月20日 15:13
個人差はあるでしょうが「なぜ、日本画の技法で絵を描くのですか?」と言う質問の本意は、「チューブから出せばそのまま使える絵具でない技法を選択した理由は?」と言うことだったりするんではないでしょうか?
油彩、アクリルを使う人には質問は無くても、テンペラや、あるいは油絵具をわざわざ顔料とメディウムから作っているような人には、同じような質問が浴びせられているような気もします。
Posted by こしだ at 2007年03月21日 12:12
これは絵の具だけではなくて、美術作品をつくるためのあらゆる素材にあてはまることでしょうね。
どうして、「現代美術」という場で、例えば伝統的、旧来の工芸的な扱いにくい素材を作家はわざわざ選んで使うのか、ということだろうと思います。
理由は大きくふたつあるのではないでしょうか。

ひとつは、作家の身体感覚に基づく個人的な感覚、とでもいえばいいのかどうかわかりませんが、その素材に対する素朴な意味での嗜好、そして、その素材を扱う行程と作品の完成後の状態が、その作家にとって「しっくり」している、というようなことです。これは作家個々の問題なので、作家それぞれの感覚、というようなことばしか思いつかないですが(それも僕の書いているようなことばが適当かどうかもわからない)、もちろん作家個人の内面の問題だけではなく、作品をつくるにあたってその作家に与えられていた環境の問題も、同様に大きく素材の選択に関わって来ると思います。
Posted by ケンゴ at 2007年03月21日 21:48
もうひとつは、素材自体がもつ批評性の問題です。すなわち、その素材自体が持つ歴史性、政治性などを対象化して、あえてその素材を選択するということです。ここでは素材の選択自体に、作家としての作品づくりにおける批評的な視点のひとつがあると考えられます。

「現代美術」という場で作品をつくる作家にとって、このふたつの理由が混在している場合が多いのではないか、と僕は考えます。このふたつの理由は互いに関わりなく矛盾する関係にあるかもしれませんが、作家自身の身体感覚と、素材や形式との因果関係を疑わない、矛盾のない作品のほうが、むしろ貧しいといえるのではないか、といいつつ僕もまだよくわからず書いているのですが。
Posted by ケンゴ at 2007年03月21日 21:50