社労士むらけんの労務のツボ!

日々の業務を通じて感じたことや労務のツボを、たまに脱線しながら(笑)つづっていきます♪

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番外編終了 〜そして〜

 約20回にわたり、ブログ番外編ということで、自分の生まれから現在までを綴らせていただいたことにより、自分の過去としっかり向き合うことができ、とても良かったと思っています。

 過去自分が選択してきたことの積み重ねに少しは納得できました(笑い)

 自分はマイナス思考かなと思っていたんですが、結構プラス思考と言うか、よくも悪くもなんとかなるで、走って来れました。

 過去を悔やんでも仕方ない。今後に生かすことがだいじですよね

 自分自身を認めるいい機会となりました。

 こんなブログに付き合ってくださった方々、本当にありがとうございます。

 

 

 そして社労士の世界に入って、早4年余り。

 そもそも、社会保険労務士の「社」の字もしらなかった、いちスーパーの店員だった僕は、いまこうして、社労士として、毎日充実した日々を送らせていただいてます。

 足を悪くしてしまったことも今は心から必然だったと思うことが出来ます。そのきっかけがなければ、今はありません。

 これまで、充実した日々を送ることができたのも、今まで出会ってきたたくさんの方々が僕にたくさんのことを与えてくださったからこそだということも、今回改めて痛感しております。

 本当に心から感謝しております。ありがとうございます。

 皆さんには、助けていただいてばかりで、時には義理を欠いたり、全然恩返しできていない自分が情けないのですが、これから挽回していきます(笑)ので、待っててくださいね(苦笑)

 

 

 そして、皆さんにご報告があります。

 このたび私、社労士むらけんは、明日平成19年9月1日より、「村上賢吾社会保険労務士事務所」を開業させていただく運びとなりました。

 ぐるっぽメンバーの ひでさん、soraさんケンタさん がいるグーゲン事務所に引っ越します!!

 皆さんには恩返ししていくといいながら、より一層皆さんのお力をお借りすることになってしまいそうですが(笑)、1社でも多くの事業の発展とそこで働く従業員の皆さんの安心と幸せに貢献できるよう、全力で頑張ります。

 改めてまして、今後とも社労士むらけんを宜しくお願い申し上げます。

勤務社労士として4年余りが経ち〜

 社労士という職業を始めて、実務ではどういったことをしているのか?と言うことについては、このブログで毎日発信させていただいてますので、改めて綴ることはありません。

 

 この4年余りの間に変わっていったことがあります。

 それは「この仕事を通して誰に喜んでもらうか?」という僕の気持ちです。

 入所当所は、とにかく「所長や事務所の同僚に認められたい、喜んでもらいたい」という一心でした。ですから、気持ちは事務所の内部に向いていました。

 それが入所してから、数ヶ月を経過して顧問先とのやりとりに慣れてくると、今度は、「顧問先の社長に喜んでもらいたい」と思うようになりました。社長が喜ぶような提案。退職の問題であったり、残業の支払い方であったり・・・。社長の都合を重視して、社長の思いの通りに法律テクニックを駆使して、社長が喜ぶ提案をする。。。

 

 でもあるときに立ち止まりました。

 それって、ときには、従業員の方々にとって不利益な事だったり、不都合なことだったんじゃないかって。

 「社長ばかりを見つめて仕事をしていて本当にいいのか?」

 そもそも僕は、なぜ社会保険労務士になったのか?

 僕の初心は?

 社会保険労務士の役割は「事業の健全な発展と労働者の福祉(幸せ)の向上に寄与すること」

 自分が前職のとき、労働者として、がむしゃらに働いてきて、労働に関する法律やルールについて何も知らなかったことの無念さ、そういったことを知らない事業主も従業員の方々も当たり前のようにたくさんいる現実。

 両者が正しい知識を知らないことによる余計な誤解や、事業運営上に起こるトラブル。国としてせっかく労働者や事業主に貢献する制度があるにも関わらず、知らないがために損をしてしまう現実。

 労務とは、「労働者(従業員)の幸せのために務める(全力を注ぐ)こと」  

 従業員の方々が生き生き安心して働けなければ、会社なんて発展しないはずだという信念。

 そういった大事な事をわすれていたんじゃないか?って思いました。

 そういった思いを自分の軸に据えれば、同じ案件に対しても会社に対する提案の仕方が全然変わってくるはずです。

 顧問料を支払うのは社長です。

 社長の意向を無視することが出来ないのも事実。

 でも社長の意向を全部汲み取ることが、会社のためになるとは限らない。

 自分が、アドバイスしようと思ったことに対して従業員の立場から考えると、どう思われるだろうか?

 従業員の方々も納得してくれるアドバイスでなければならない。

 従業員の方々の思い、悩み、疑問にもっと自分は目をむけなければならない。

 そういった自分の基本姿勢は決してブレてはならない、と今は思っています。

勤務社労士スタート!

 社労士事務所に入所してすぐに壁にぶち当たりました。

 僕は「事務」というものを今までやったことありませんでした。

 ですから、事務職からすると、本当に当たり前のことも知らないし、できない。

 最初は印鑑の押し方、朱肉と赤インクの違い、郵送料金の違い、電話応対の仕方・・・初歩の初歩からつまづきました。

 赤スタンプで印を押すところを、黒インクで押してしまったり、印鑑を押し忘れたり、ただ書類を書き写すだけの作業も書き間違ってしまったり、切手を貼らずに郵便に出してしまったり・・・最初の1ヵ月はやることなすことがミスだらけ。

 事務所の所長夫婦も冗談ではなく「この人は、もたないかもしれない・・・・」と思ったといいます(苦笑)

 自分自身、事務は始めてとはいえ、「どうしてこんな子供でもできるようなことを間違えたり、わすれてしまうんだろう・・・向いてないのかな・・・」と真剣に悩みました。

 1.「だろう仕事厳禁!!」

  (本当にそれが正しいのか?確認したか?常に疑問を持つこと!!)

 2.最後に必ず確認・確認・確認!!

  (正確なチェックリストを作成し、それに基づいて確認すればミスは有り得ない!!)

 3.常に探究心を持ち、工夫に努める!!

  (理由・根拠を深く理解すれば、効率のアップ、スキルの拡大につながる!!)

 そんなことをA4の用紙にコピーして机に貼っていました。

 

 なつかしい思い出です。初心忘れるべからずですね。

 そんな時期を乗り越え、すこしづつ、できることが増え、周りに認められ始め、顧問先に感謝されたりするにつれて、ちょっとずつ「やっていけるかな」という自信が出てきました。

 その後は所長夫婦曰く、「水を得た魚」のように社労士業務に没頭していきました。

 

 仕事の内容もやりがいがあって、楽しかったのはもちろんですが、この職業について、一番新鮮だったことは、「世界が広がったこと」です。

 前の仕事は、スーパーの店員だったので、極端に言うと、一つの店というか、所属していた会社、その業界しか世界がありませんでした。狭い世界で画一的なものの捉え方しかしていなかったように思います。

 今は規模・業種を問わず、札幌で事業を営んでいる会社と立場、年齢を問わずそこで働く人たちとの、たくさんの出会いがあります。

 色んな考え方。生き方を出会いによって感じることで、自分自身の成長や学びに生かすことが出来る。その中で考え方に共感した人達(なかま)が増えていく喜び。

 人のご縁、まわりの方々のおかげで、今の自分があるんだなと本当に思います。

就職先がない!

 合格発表の後、さっそく社労士事務所の求人を探しました。

 ところが就職情報誌、職安などを見てみても、募集している事務所がありません。

 社労士事務所は、その殆んどが、社労士ひとり、夫婦、もしくはアルバイトを1、2名雇って事業を行っており、多くを雇用して事業を行っている事務所は一握りでした。

 そこらへんの見通しが甘かったです。資格を取れば有る程度スムーズに就職出来るだろうと勝手に思ってました。

 1ヵ月ほど、求人が見つからず、焦っていた僕は、職安でやっとひとつの求人を見つけました。

 「社労士事務所事務員募集。パート&時給で」

 迷いはありませんでした。とにかく社労士の実務に触れて経験を積むことが大事です。お金は二の次です。

 「とにかく、お金などの条件はどうでもかまいませんから、働かせてください」

 そんな必死さが伝わったのか、書類選考・面接の結果、パートでいいなら、ということで採用していただきました。

 拾っていただいた所長には、本当に感謝です。

 

 こうして、やっと夢にまで見た実務の世界に入りました。

 でもすぐに壁にぶち当たりました・・・。

受験生時代

 5月に退職した時点で、本試験まで残り3ヶ月。

 今までの遅れを取り戻すために、毎日自転車で学校に通う日々が始まりました。

 週6日、8時半〜20時くらいまで勉強して帰るの繰り返し。

 当時日韓ワールドカップが開催していて、多少誘惑にも負けたこともありました(笑)

 週1日は、休んでパチンコ行っては生活費の補填を稼いでいました(苦笑)

 そんな生活ですから、この3ヶ月は、殆んど誰とも話す機会が無かった・・・。

 僕のブログを読んでくださっている方の中には、受験生の方もいらっしゃると思いますが、試験が近づけば近づくほど、プレッシャーとの戦いで心を削られました。

 僕の場合は、会社を辞め、背水の陣で向かっていましたから、試験に落ちた場合の今後を考えると、心が凍りつく感じでした(苦笑)

 不安と緊張で眠りが浅くなることもあったなぁ。

 

 丁度先日の26日、社労士試験が行われました。

 受験生のみなさん、本当におつかれさまでした。今はゆっくり心身をやすめてくださいね。

 そんなこんなで、8月に本試験を受験しました。

 でも実際、受験した後のほうが精神的にやられたかも(笑)

 というのも、自己採点では、合格ラインギリギリだったんです。

 毎年合格ラインは上下するので、合否の確信が得られず、合格発表まで振り回されました。

 11月。運命の合格発表。インターネットで確認。

 だけど、回線が混雑していて、なかなか繋がらない・・・。

 約1時間が経過・・・やっと繋がる・・・・

 結果は合格!!

 嬉しいのと、ホッとしたのと、色んな感情が混ざり合って家で一人で叫んでいました(笑)

 このときは、「これで社労士として働ける!仕事ができる!」と簡単に思っていました・・・。

会社を退職しました

 「本社のシステム室にポストを作ったから、そろそろ働いて欲しい」

 平成13年10月も過ぎた頃、人事部から電話がありました。

 休職にも限界があったようです。

 一応歩けるようにはなっていましたが、売り場に立てる状態ではありませんので、僕には選択の余地がありませんでした。

 今考えると、色々配慮してくださった会社の方々には本当に感謝です。

 こうして、約5年いた旭川に別れを告げ、札幌に居を移しました。

 配属先は、あらかた時間通りに仕事が終わるので、大原簿記専門学校の社労士講座を受講しました。

 最初は勉強もそれなりに順調でした。模試の結果もまずまず。

 このままいけば、来年八月の本試験にも間に合いそうです。

 しかし、年が明けて、会社の決算が近づくにつれ、状況が変わります。

 残業も増え、講義に出席できる機会が減りました。

 平成14年3月。模試の結果は最悪。

 その時決断しました。どうしても社労士試験に合格したかった僕は、会社を辞めて、試験勉強に専念することにしました。

 貯金は恥ずかしながら、殆んどありませんでしたが、退職金と失業手当で半年くらいの生活はなんとかなるだろうと。

 しかし、問題がひとつ。

 両親が反対するに決まっていたからです。

 父親は、職業を変えること、将来独立することについて、自分自身が苦労しているだけに息子にはそんな苦労はさせたくないという思いが強かったのです。

 3回目の説得で、なんとか了解してもらいました(笑)

 そして平成14年5月10日、僕は会社を退職したのです。

社会保険労務士との出会い

 資格大全集は、大体その難度の順で紹介されています。

 年齢的にも1年くらいで取得が出来て、そこそこ飯を食べていけそうな資格がねらいです。あまり仕事の内容にはこだわりがありませんでした(笑)

 僕は先頭からひとつひとつ資格の説明を読んでいきました。

 まずは、弁護士・・・ハイ、消えた!(笑)

      会計士・・・以下同文(笑)

      税理士・・・1年ではムリ

      司法書士・・・以下同文

      あといくつかの資格に目を通しましたが、ピンと来るものが無い。

 そして、運命の出会い(笑)

 「社会保険労務士」

 ・・・・なんだそれ!?ずいぶん長い名前だな。聴いたことがないなぁ・・・

 それが最初の印象でした。

 でも、仕事の内容について読むと、「労働及び社会保険の業務をスムーズに運営し、企業の発展と労働者の福祉向上 を目的として、昭和43年に創設されました。企業を経営していく上での四大要素である「人、モノ、金、情報」の中で最も重要とされる「人」に関するエキスパートが社労士です」

 「これだ!」と思いました。

 これまでがむしゃらに働いてきて、感じてきた疑問、会社のスタンス、衛生管理者の勉強として労働に関する法律に興味をもったこと・・・・・・。ぼんやりしていたものが一気に繋がってはっきりした想いでした。

 幸い(?)試験の難度もがんばって勉強すれば、1年くらいで合格できる可能性もあり、独立開業も目指せるとのこと。

 「衛生管理者の試験が終わったら、社会保険労務士の勉強をしよう!」

 2ヶ月の入院の間、しっかり勉強することが出来た僕は、衛生管理者の試験に合格し、退院して自宅療養中に社労士の勉強を始めました。

 平成13年9月のことでした。

 

 【余談】

 入院して手術をし、約1ヵ月左足を伸ばしたままで安静を余儀なくされた僕の足は、完全に固まってしまいました。

 リハビリを開始して曲がるように努力しましたが、一向に良くなりません。

 そこで先生は「再手術」を選択しました。

 その手術内容はというと・・・・

 手術台に乗せられた僕を4人の大柄な医師が見つめています。

 僕は下半身麻酔をかけられ、足の感覚がなくなったと同時に4人の医師が僕の伸びきった左足を持ち上げました。下半身麻酔ですから、僕は意識はあるのでおなかの辺りにかけられたカーテン越しにその光景が目に入ります。

 そして、おもむろに一人の医師が号令をかけだしました。

 「いっ、せいの、せっ!」

 4人の医師が持ち上げた左足を力づくで膝から下を曲げたんです

 麻酔が掛かっているので、痛みは感じませんでしたが、バキッという音と衝撃はつたわりました・・・・。

 そして無事(!?)手術終了。

 おかげで、手術前よりは膝が曲がるようになりました(笑)

 先生、ありがとう(笑)

 

会社員時代

 「衛生管理者の資格を取ってくれないか?」

 入院中の僕に支店の上司から連絡が入りました。

 労働安全衛生法では、常時労働者が50人以上いる事業場において、国家資格ある衛生管理者の選任が義務付けられています。

 僕の所属店においては、衛生管理者の資格を持っている人が足りなく、毎年試験を受けても仕事が忙しいので、合格者がなかなかでないということで、入院中の僕なら勉強に専念できるだろうということのようでした。

 衛生管理者の試験は、主に労働基準法および労働安全衛生法から出題されます。

 「(まぁいいか)わかりました。受験してみます。」

 教材を上司から受取り、勉強を始めました。

 「ふ〜ん。労働に関する法律ってこんなことが決められているのか・・・。法定労働時間・・・年次有給休暇・・・変形労働時間制・・・割増賃金・・・事業主の労働環境や安全衛生に関する配慮義務・・・」

 勉強していくと、案外身近な知識ですから、興味深く、頭に入っていきます。

 とともに、「自分は働く身でありながら、労働に関する法律について全く知らなかったんだなぁ・・・」と思いました。

 と同時に一つの思いも湧いてきました。

 「自分自身、労働に関する法律を全く知らなかったので、今まで何も疑問に思わなかったけど、僕は休日返上で、長時間働いてきた。だけど、残業代も殆んどもらってないし、休日の振り替えもしてもらえてないし、そもそも会社はそういった知識を教えてくれなかった・・・。正しい知識を身につけていなかったから、会社の方針や処遇の仕方が当たり前のことなんだと思い込んでいたかもしれないな・・・」

 ぼやけた感じで、そういったことを思いながら勉強していました。

 このときはまだ、「社会保険労務士」という言葉も知りませんでした。

 

 入院中、今後の自分の方向性についても考えていました。

 僕が勤務している会社は、体力勝負といったところがあり、自分の両足の状態では、正直な話、復帰するのは難しいと感じていましたし、これ以上無理をして、足を悪化させたくはないと考えていました。

 30歳を目前にして、転職するならここ数年しかない。

 でもどういった職業に就けばいいのだろう!?

 もはや体力では勝負できないので、やはり専門性が高く、どんな会社でも必要とされる知識で勝負できる職業に就きたい!

 資格を取るのがいいのだろうか??

 資格ってどんなのがあるのだろう。何の資格をとろうか???

 数日後僕は、病院の外出許可を得て、本屋さんへ行き、資格大全集(笑)を買ってきました。

 

 

会社員時代

 入社5年目。平成13年6月30日。

 僕は、おもちゃ、TVゲーム、自転車、サンリオ(キティちゃん)、子供服、子供スポーツ、ベビー服、ベビーカー・・・等、子供に関する商品の売り場全般の責任者をしていました。相変わらず、がむしゃらに働いていました。

  その日の夜です。ベビー服部門の月間売上予算がギリギリ達成されたので、ベビー部門担当の部下のお祝いにみんなで居酒屋で飲んでいました。

 宴もたけなわ、さぁ帰ろうかと席を立とうとしたところ、僕はスッテンコロリン転んでしまいました。

 「飲みすぎたかなぁ・・・」と思って立ち上がろうとしましたが、左足が言うことをききません。麻痺した感覚と激しい痛みが入り混じり、左足を地面につけることができません。

 とにかく同僚の肩を借りて帰宅し、翌日さらに悪くなり、発熱もしていたので、上司に病院へ連れて行ってもらいました。

 診察してもらうと、「左足全体が菌に感染している。うちの病院では手をつけられないので、とにかくかかりつけのお医者さんに見てもらいなさい」といわれました。

 あわてて、札幌に戻り、高校時代から膝の手術をしてもらっている先生に診てもらうと「すぐ入院して手術しないと手遅れになって足を切断しないといけなくなる」と言われました・・・。

 言われてみると、その1週間前から微熱がつづいていて、大学時代に手術した傷口から血が出ていたことがありました。

 仕事の忙しさに事の重大さに気づかなかった。

 結局2ヶ月間入院することになりました。

 

会社員時代

 大学は1年多く行きました(苦笑)。

 両親には本当に申し訳なかったと思っています。

 でも5年目があったからこそ、気持ちの上で社会に出る準備をすることが出来たと思っています(モノは言い様

 卒業後就職したのは某道内スーパーです。

 理由は、大学から本社が歩いていける距離で一番最初に内定をもらったから(笑)

 というのは冗談で、自分が売れると思うものを仕入れて、売り場を作って、販売するという小売業に興味があったからです。

 複数有る小売業の中でこの会社を選んだ理由は、当時採用を担当していたMさんの人柄に惚れたことと、同じく内定をもらっていた後に同期となる人たちと、とても気があったので、この人たちと一緒に仕事がしたいと思ったからです。

 入社後の配属先は、旭川市。自衛隊駐屯地横にある店舗でおもちゃ、TVゲーム、自転車部門の担当でした。

 知らない街でのいきなりの一人暮らし。(当たり前)知り合いも同期入社した一人だけだったなぁ。

 でも同じ店の先輩社員の方々や売り場のパートのおばちゃんたちがとってもいい人ばかりで、楽しく仕事は出来ました。

 でも仕事はハードでした。

 僕は、変なところで負けず嫌いなんでしょうね。

 入社してからは、とにかく早く仕事を覚えようと思って、朝早くから夜遅くまで、休日も返上で働きました。開店前におもちゃや自転車をを搬入して、売り場を作って、開店中は販売をして、閉店後に売り場の手直しをしたり、自転車の組み立てをしたりの繰り返し。肉体労働者です(笑)

 販売計画の作成や売上分析は家に帰ってからやってました。

 ひとより長い時間、仕事をすればまわりに認めてもらえるんじゃないかって思い込んでいたんですよね。なんでも自分でやらなきゃ気がすまない性格ということもありました。

 今も当時の同期の仲間と定期的に飲むのですが、「あのときのお前は、取りつかれたように仕事に没頭していて、心配だった。もっと要領のいい仕事の仕方もあっただろうに・・」と言われます(苦笑)

 とにかく入社してからずっと、アクセル踏みっぱなしで5年くらいが過ぎました。

 

 

 

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プロフィール

1972.札幌市生まれ。
社労士事務所Synergy代表。
大学卒業後、地元のスーパーに就職。自転車、おもちゃ売場等の責任者として6年勤務するも、過労により持病の膝が悪化し緊急入院。医者から「もう立ち仕事はできないよ。」と言われて自分の将来に希望を失うと共に、会社の労務管理に疑問を持ったのがきっかけで「社労士」という職業を知る。翌年会社を退職して資格取得に専念。
その後市内の社労士事務所で約4年半、修業させていただき、平成19年9月1日独立開業し、現在に至る。
私のひととなりをまずは、知っていただければと思い、自分の生まれから開業に至るまでを「むらけんブログ 自己紹介カテゴリ」で綴っています。

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