Kengoのブログ

ボーカリスト、ボイストレーナー吉田研吾の独り言です。ネタです。ツッコミです。

振り返りつつ

あけましたね。


今さらながら、2016年の振り返りしてみます。


2016年は、なんか日記をつけてみようと思って1月から毎日つけてたんです。

スマホアプリとPCサイトと連動して使えるサービスがあって、どっちからも更新出来て便利なのでそれを使ってました。


とりあえず6月まで律儀に毎日やったけど、6月いっぱいで疲れちゃって終了〜。

で、しばらくほっといて、気付いてみたらそのサービス自体が終わってて、

書いた記事全部消えてたーあははー。


せっかくそれ見ながら振り返ろうと思ったのに。。


しょうがないからあんまり更新してなかったこのブログを頼りに振り返ってるナウ。



1月に「僕、滅多に体調崩しません」とかブログに書いてましたけど、

見事に崩しません。2016年も、ずっと崩しませんでした。

喉の炎症とか、鼻炎で少し鼻がズルズルしたとかはあったけど、

熱出すこともなく、寝込むこともなく。



で、僕にとって2016年の大きな出来事の一つが、2月にテレビ出演したことですかね。

あと、夏には東京カラオケグランプリという大きなイベントで審査員をさせていただきました。


テレビにせよイベントにせよ、審査員をさせていただく機会があった年でしたね。

そういう経験をさせていただくことで、僕自身が学べることがたくさんありました。

とても面白かったです!



最近はずっと「やりたいことやろう」と思って生きてますが、

ここ数年の抱負を振り返ってみました。


2014年:やりたいことをやる

2015年:自分らしく

2016年:ワクワクすることをやる


でした。


2014年以降は、とにかく自分の心の赴くままに過ごしてました。



よく、テレビとかのお仕事をすると周りから、

「どういう経緯で出ることになったの?」

と聞かれるのですが、

だいたいはご担当者の方が僕のホームページをご覧になって、そこからご連絡いただくことがほとんどなんです。


ちなみに、2014年に雑誌の取材のお話をいただいた時も同じような感じでした。


コネとかツテとかではないし、自分で営業したわけでもないんです。


普段から自分が好きなことやってると「なんか知らないけど面白いことが起こる」って聞いてたんですが、

たぶんそれだと思いますw

それこそ、2014年あたりから雑誌やらテレビやらイベントやらのお仕事のご依頼をいただくことが多くなったので、タイミング的にもね。



そんなこんなで、2016年はワクワクすることもたくさん経験出来ました。

思えば、「とらわれずに生きる」って感じだった気がします。

こうすべき、こうした方がいい、こうするもんだ・・っていうものにはとらわれず、

自分はどう思うか、どう感じるか、どう考えるか、どうしたいのか、それを行動基盤にしてました。

なにをするにしても、行動をする要因は外的なものではなく「自分軸」で。



そんなこんなで、2017年もとにかく自分の心のままに行動します。

やりたいことはやる、やりたくないことはやらない。

外的要因にとらわれず、自分軸で動く。

ワクワクすることをやる。


あとは、ある程度「行動」に移すこともしたいと思ってます。

形にするというか。


自分が「これ面白そう」とか「これやってみたいな」と思った時に、

変に頭で考えすぎるとしらけてしまって行動を起こさなかったりすることもあるんですよね。

まぁ、それでもいいっちゃいいんですが、

それもなんだかちょっと残念だしつまらないので、

ちょっとしたことでも直感で動いてしまうのもまたいいかなと。


行動すると何かしら気分が変わったり新鮮な気持ちになったりして面白いですからね。


だから、やりたいことを行動していく年にしようかなと思ってます。


今年もよろしくお願いします!

いいこと

今日も、なんだかんだで忘年会的な。

またしても、忘年会しようって言ったわけじゃなく、ひょんなきっかけで集まろうってことになり、友人たちと集まりました。


手土産で持ってきてくれた揚げ物でワイワイ。


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で、僕がどうしても食べたくてお取り寄せしておいたTop'sのチョコアイスケーキ。


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クリスマス限定ってことで注文しておいたんですー。

大好きなTop'sのチョコレートケーキがアイスケーキになるなんて、それはもうチェックしないわけにはいかないです。


おいしかった!

・・けど、個人的にはやっぱり普通のチョコレートケーキが好きかもw



最近は人と集まると、色々と考え方とかを話すことが多いです。

で、仲良い人って同じようなタイミングで同じような考え方をしてたり、

共感できたりするのでおもしろい。


とりあえず「やりたいことやる」、「"べき"で動かない」っていうのがみんなの共通事項だということが分かりましたw



そんな話をしながら揚げ物食べてたら、

顔になったよ。


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偶然の産物。

こういうのなんかいいよね。


よく、偶然こういうことがあったりすると、

「なんかいいことあるかなぁ?!」

とか言ったりするじゃないですか。


(ちなみに今回はそういう話にはなってないんだけど、よくあるケースでね。

お釣りが777円だったとか、そういうの。)



僕はね、その起こった事実自体が「いいこと」じゃん!って思うんですよ。

ちょっとしたいいことがあったから未来にもいいことあるかなぁ〜っていうポジティブ思考ももちろんいいんですけど、

その瞬間の「ちょっとしたいいこと」を味わって楽しめばいいんじゃないかなっていう。


食べてくうちになぜかこんな顔が出来上がって、

「顔になってるー!かわいいー!」

みたいに盛り上がれること自体が、いいこと。楽しいこと。

ワクワクするよね。


見えない先のことばっかり考えちゃうより、

その瞬間のちょっとしたことでもしっかり味わって楽しめれば、

未来も「いい」状態になります。

「今」の積み重ねが「未来」になるわけだから。



だから、「今」、「ここ」で、「ワクワク」するのが大事なんじゃないかなと。



と、ちょっとしたことでもいちいちこんなに深く考える僕は結構めんどくさいヤツですw

忘年会っつーか

今日は友人と

ランチして

フリータイムでがっつりカラオケして

食事して

帰ってきました。


思えば、時期的になんだか忘年会みたいな感じになったけど、

「年末だから忘年会やろうよ!」

なんて話では一切なく、

要はカラオケ行きたくなったから行っただけですw



なんか最近、色々とらわれないようになってきました。



「クリスマスはこうするもんだ」


全然気にしません。

一人だろうが、チキンやケーキを食べなかろうが、気にしない。

特別なことをするつもりは全くなくて、

クリスマスだろうがなんだろうが「今日という一日」に何も変わりはないので、

その時したいことをするだけ。



「年末だから大掃除しなきゃ・・・」


しませーん。

なぜなら、したくないから。

そもそも、普段から結構こまめにしっかりめの掃除をしてたりするので、汚くはないし。

むしろ、普段「どうせ年末に大掃除するから」とか思ってると、

それまでほったらかしになったりするし。

だったら気が向いた時にやってた方がよっぽどきれいなんです。



「年賀状書かなきゃ・・・」


書きませーん。

もう、去年から年賀状出すのやめました。

連絡を取りたい人には年始に関わらずちゃんと連絡取りますから。

義理で・・とか、付き合いで・・っていうの、したくないので。

そういう人付き合いは、気持ちが伴ってないので嫌なんです。

人とはちゃんと心が通った付き合い方をしたいので、「〇〇だからやらなきゃ」はしません。



別に、伝統行事や風物詩みたいなものを否定してるわけじゃないんです。


ただ、中途半端な形でとらわれてるのってどうなの?って思ってるんです。

「そういうもんだから」っていう浅い考えで動いてしまっていると、

そのせいで振り回されて一喜一憂したり、

それをする本来の意味がないがしろになったりするでしょ。


「やりたくないのにやらなきゃ」とか、

「本当はこうしなきゃいけないのに出来ない自分はダメだ」とか、

「自分はこんなに頑張ってるのに」とか、

なるでしょ。



行事、しきたり、色々ありますけどね、

それにいちいち振り回されるんじゃなくて、

自分の心、気持ちがどういう方向に向いてるのか、

自分は本当はどうしたいのか、

そこが一番大事なんじゃないかなっていう話。



で、脈絡ないけど肉食ってきたからその写真を載せてみる。

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ツイッターやめちゃいました

何気にちょいちょいつぶやいてたツイッターですが、思い切ってやめちゃいました。

今日、アカウントを削除しました。

(今までフォローしてくださってた方、ありがとうございました!)


荒れたとかモメたとかでは全然ないんですよ。

なんか嫌なことをされたわけでもなければ、嫌な人がいるからとかでもないです。



ツイッターって色んな意味で気軽なところが特徴ですよね。

何気ないことをつぶやいたり、ちょっと思ったことをつぶやいたり。


あと、直接知らない人やあまり面識がない人とも気軽に絡めるんですよね。

だから、知り合い以外の人からもフォローしていただいたり、

いいねやコメントをいただけたりするんです。


自分の情報を不特定多数の人に発信したり、つながったりやり取りしたりするにはいいツールだと思うんです。



ただ、それだけに自分にとって引っかかる部分も出てきまして。


誰かにフォローされると、


「この人はなんで僕のつぶやきを見たいんだろう?何を求めてるんだろう?」


とか余計なことを考えてしまったり、

何かつぶやく時も、


「僕が発したことに不快になったり、異論がある人もいるんじゃないだろうか」


って気にしてしまったりしてたんですね。


あと、人様のつぶやきを読んでいて疲れてしまったり。。



だんだん自分にとって「自然体」で「楽しく」使えてない感じになってきて、

どこか僕の中で「他人軸」になりそうな感じがあったんです。

どうせ発信するなら「自分軸」で発信したいんですよね。



別にツイッターが悪いわけでも、ツイッターを使ってる人が悪いわけでもなくて、

単純に僕の中で「自然」に「自分軸」で使いにくいツールになってしまったんですよね。


そんなこんなもあって、ツイッターと連動させてたブログも更新が滞ってた気がします。


なんだかんだでブログは好きなんですよね。

なのでブログは普通に続けていきます。

Facebookやインスタグラムも続けます。



ということで、ツイッターはやめちゃいましたが、

これからも地味に発信し続けますー。

歌い継がれる

僕が昔やっていたVOEMというユニットのオリジナル曲で、「白い旋律」というクリスマスソングがあるんですね。

出来たのは2002年だったので、今からもう14年も前になるんですね・・!


個人的にすごく気に入ってるし、当時いろいろな楽曲コンテストで受賞したこともある曲なんです。

でも、今はもうユニット活動をやめてしまったし、CDも完売してしまったので、

その曲が人に聴かれる機会はもうあんまりないんだな〜と思ってました。

(だから、ちょいちょいこのブログでも紹介したりしてました。)



そしたら先日、とある方から

「この曲、毎年クリスマスになるとイベントで歌わせてもらってるんです!」

というお話を聞きました!

なんと、もう10年連続で歌い続けてくださっているそうです。

しかも結構ご好評いただいているとかなんとか。

イベントでも、この曲が流れるとその場にいる人たちが一斉に静かになって聴き入ってくれるそうです。


いや〜、嬉しすぎますよー!

歌ってくれる人がいて、聴いてくれる人がいて。

本当にありがたいことです。


そんなお話を聞いたので、この曲をYouTubeにアップしちゃいましたー。






あと、せっかくなので、他にも僕が作曲を担当した冬の曲たちをご紹介。


VOEMの後に組んだ蒼音(そうおん)というユニットの、

「Fallin' Snow」

Fallin' Snow from 蒼音 on Myspace.





江川かをりさんが歌う、

「Angels' Christmas Carol」





どれもこの時期にぴったりなので、ぜひぜひ聴いてみてください!

自分のセンサー

久々すぎるブログ更新です。

2ヶ月くらい間が空いちゃった。。

ツイッターとかインスタグラムとかではちょいちょい投稿してたんですけどね。

で、それと連動してFacebookにも投稿してました。


こうSNSが増えてくると、じっくりブログを書こうっていう感じじゃなくなってきちゃいますねー。

(一通り僕のSNSのリンク貼っときました。)



最近は、なんだかちょっと語りたい時にブログ書くみたいな感じになってます。

だから語るのがめんどくさい時は滞っちゃってます。



今日見た夢で、ちょっと意味深な言葉が出てきて印象的だったので書いてみたいと思います。



「自分の『センス』を大事にしなさい。

よく家電とかで何かを感知する機能のことを『なんとかセンサー』というだろう。

センサーの元はセンス、つまりセンスとは『感じる』ということ。

自分の感じたものが大事なんだ。」




っていうセリフが何度か出てきたんです。


夢の中のシチュエーションでは、どうやら僕が誰かに対してこのセリフを言ってる感じだったんですが、

僕がこんな立派なことを言えるとは思えないので(笑)、

なんだったのか不思議な感覚です。



でも最近つくづく

「自分の本当の気持ち」

とか

「自分が感じた(感じている)こと」

っていうのが重要だと思っています。


生まれた時から、「こういうものだ」、「こうすべきだ」、「こうした方がいい」、「これはよくない」などなど、

学校や社会から色々なルールを与えられて育っていきます。


どうしてもその中で、


「本当は自分はこうしたいのに」

「本当は自分はこれは嫌なのに」


という感情はおざなりになっていきます。


ルールにあてはめると、


「こうしたくても我慢しなくてはいけない」

「嫌でもこうしなきゃいけない」


ってなるから。


それって、


「あなたがどう感じるか、どうしたいかは全然重要じゃないんですよ。

どうあるべきかが重要なんですよ。」


って言われてるようなもんです。



僕も以前は、


「こうしたい」とか「こうしたくない」っていうのは個人の勝手な欲、エゴ、わがままであるから、

そんなものを人前に出すのは恥ずかしいことであり秩序を乱す行為で、社会的モラルやルールに反する。

人同士が関わる社会なんだから、もっと協調性を持つべき、

空気を読むべき、

周りに合わせるべき、

自我を抑えるべき。


って思ってました。


至極まっとうなことに聞こえますよね。

実際、社会ってそういうもんだし、それが良しとされてますよね。


でも、その「そういうもんだ」、「それが良し」としてしまうのが怖いところだと思うんです。


そんなに自分の素直な感情を抑えて大丈夫なんですか?

人間ってそんなに自分の感情を抑えて生きられるもんなんですか?

だったらなんのための感情なの?


っていう。


一方で、


自分らしさが大事、

個性が大事、

自分のやりたいことをやりなさい、

好きな事をやりなさい、

得意なことを活かしなさい、


っていうこともよく言われますよね。


でもね、それって「こういうもんだ」の社会に従ってたら押しつぶされちゃうんですよ。

だって、「どうしたいか、どうしたくないかは重要じゃなくて、こうあるべきが重要」って言われてるんだから。


だから「好きな事が分からない」、「やりたいことが分からない」っていう人が多いんじゃないかなと思うんです。

それに、「仕事なんてやりたいこととか得意なことだけで出来るもんじゃない。嫌な事でも頑張ってやらなきゃいけない」って思っちゃってるから、

やりたいことでもなく、得意なことでもない仕事を「無理矢理」「頑張って」やってる人が多いのかなと思います。

だから「自分はこんなに頑張ってるのに!(好き好んでやってるわけじゃないのに!)」って他人を責めるんです。


通勤電車がギスギスしてるのとか

ストレス社会だとか言われるのとか

終電近くや週末になると酔いつぶれてる人が多いのとか

過労で死んじゃう人がいるのとか

お年寄りや障害者や妊婦さんに冷たいのとか

お客さんが店員さんに対してあたりが強いのとかって、


そういうところからきてるんじゃないですかね?


・・と僕は思っちゃいます。


自分の素直な感情に従ってても、


ちゃんと仕事になるし、

それほど人の迷惑にならないし、

それほどダメ人間にもならないし、

そんなに秩序も乱してないし、

なんなら他人に優しくなれちゃうし、


結構大丈夫なもんですよ。


自分の素直な感情、気持ち、本心を大事にするというのは、

まずそこに優劣や善悪を付けないこと。

こう思ってはいけないとか、

こう感じるのは悪いこととか、

しない。


そして、その感情に従った行動をとってしまうこと。

これが一番難しい・・!

これまで自分の中で「ダメ」としてたことをすることになるから。


寝てたいなら寝坊する、

サボりたいならサボる、

行きたくないなら行かない、

やりたくなければ断る、


「そんなの現実的に考えて無理!」

とか言ってないで、やっちゃう。


ほーら、難しいでしょw


その難しいことがなかなかできないから、結局「楽」な方にいっちゃうんだよね。


本当の意味で「楽」なことは難しくて、

本当は難しいことをするのが「楽」っていう変な感じ。



人間にはすごーく高機能な「センサー」が搭載されてるんですよね。

それは一人一人違うものを感じるセンサーで、

その人自身を楽しく幸せにするために最適に作られてるんですよ。

で、その人自身がちゃんと楽しく幸せにしていれば、

周りの人も楽しく幸せにしてあげられるんですよ。

だからちゃんと自分に搭載されているセンサーの機能を最大限に活かすことが、

自分自身を活かすことになるんじゃないですかね。



と、こんなことを書いてたら、僕の今日夢で見たセリフはとても重要なことのような気がしてきたので、もう一回書いておきます。



「自分の『センス』を大事にしなさい。

よく家電とかで何かを感知する機能のことを『なんとかセンサー』というだろう。

センサーの元はセンス、つまりセンスとは『感じる』ということ。

自分の感じたものが大事なんだ。」

ギャップ

生徒さんと話してて、僕に対して持たれてる印象と現実に結構ギャップがあるなーと思いました。



●規則正しい生活してそう


確かに基本的にいつも体調崩さないので元気なんですが、規則正しくはないですw

超夜更かし(寝るの朝方)だし、午前中は基本的に寝てるし。

寝る時間も起きる時間も、食事する時間も毎日適当だし。

バラバラのめっちゃくちゃです。



●野菜ばっかり食べてそう


野菜あんまり好きじゃないですw

基本肉食です。なおかつ、味濃いもの、脂っこいもの、ジャンキーなもの大好きです。

ヘルシーとか体に良さそうとか素材そのままのとか、興味ないです。

「好物はカロリー」と言った渡辺徹さんの言葉に激しく同意です。



●あんまり食べなそう


すげー食いますw

人から驚かれるくらい食います。



●繊細そう


まぁ、細かいところもあるし、結構いろんなことに気付いたりしやすいので、

そういう意味では繊細かもしれないけど、神経は図太い人間だと思ってます。

言いたいこと言うし、やりたいことやるし、やりたくないことやらないし。

人からどう思われるかあんまり気にしないし、人から言われたことで傷つくとかもあんまりないです。

大概のことは、「あなたはそう取るんですね」で片付きます。




・・・っていう。


そういう印象を持たれることが多いみたいなので、自分の話すると驚かれます。


でも、本当に体調崩さないんですよね。

結構まめに検査にも行ったりするんですが、数値は全体的にほぼ正常。



これは僕の勝手な持論なんですけど、

体調崩す時っていうのは、内面から来てるものが大きいんじゃないかと思ってるんです。

それこそ「病は気から」というか、何かしらのサインというか。

精神や心が満たされてて元気なら、イコール体も元気なんじゃないかなっていう。

逆に、精神や心が病んでたり無理してたりすると、それが体に表れるんじゃないですかね。



だから不規則でも、寝たい時に寝たいだけ寝てるから大丈夫なんです。

無理に早く寝ようとか早く起きようとすると、逆にストレスです。僕の場合。


素晴らしい食生活とは言えなくても、自分に無理をしてないから大丈夫なんです。

頑張ってヘルシー志向にしてみたり、意識的に野菜を食べるようにしてみたり、

そういうことを気にしてた時の方がよっぽど体調崩すことが多かったです。


諸々気にしなくなってから、体調崩さなくなりました。

不思議なもんですね。


一般的に言われてる「健康的な生活」から逆行すればするほど健康になっていく自分。

まぁ、こういうのは個人個人によって違うと思うので、僕と同じものを推奨するわけではありませんよ。


しいて言えば、


「こうすべき、ああすべき」

「こうしなきゃ、ああしなきゃ」

「こうした方がいいから」


で判断して行動するのをやめることはオススメしますがw


僕が常にハッピーで元気になれたのは、それをやめたからです。

自己肯定感

最近、心理とか生き方とかについて色々と勉強していて、


「自己肯定感」


っていうのがすごく大事なんだなと感じています。


表記通り、自分を肯定する感覚。


逆に言えば、


自分を否定してしまいがちだったり、

自分の価値が低い(価値がない)と感じてしまったり、

自分なんか・・と卑下してしまったり、

自信がなかったり、すぐ不安になったり、


そういった感覚が強いと、自己肯定感が低いということになります。

低いと、自分を守ろうと必死になってしまうんです。


例えば、


他人の目や評価を気にしすぎて自分を良く見せようと必死になったり、

自分がいかに優れているか、価値の高い人間かを必死に誇示してしまったり、

他人からうらやましいと思われそうなことをアピールしてしまったり、

他人を認められず批判的になったり、

やたらと他人にアドバイスをしたがったり、


などなど。


要は、色んなことが「他人軸」になってしまうんですよね。

自分で自分を認められてないから、なんとか他人に認めてもらおうとしちゃう。

他人から肯定してもらおうと必死になっちゃう。


だから、自分の価値になんとか他人が納得しそうな理由や裏付けを求めます。


お金を持ってるからすごい、

高価な物を持ってるからすごい、

見た目が良いからすごい、

地位や名誉や資格があるからすごい、

こんな経験や実績があるからすごい、

忙しいからすごい、

友人知人が多いからすごい、

人から慕われたり役に立ってるからすごい、

あんなことやこんなことが出来るからすごい、


など。

これって全部、その後に「でしょ?だからそんな自分を認めて!」って付くわけです。



でも、こういった物質的な価値観っていうのは、あくまでも「脆い」んです。

上には上がいるから。

自分よりちょっとでも優れてるように見える人がいると、簡単に崩れるんですよね。

「どうせ自分なんて・・」ってなるんです。


あと、他人って自分の思い通りにはならないんですよね。

人それぞれ色んな価値観や感じが方があるから。

どんなに「こう思ってほしい!」と思っても、なかなか簡単にそのようにはいかない。

当然ながら、全員から同じように(良いように)思ってもらうことなんて無理なわけです。


いずれにせよ、一番根底となる自分自身が「肯定」してないので、

どんなに物質的なもので満たそうとしても、

どんなに他人から認められても、

結局土台がないから崩れちゃうんですよね。



単純に、


他人から「こうしろ」と言われて行動するのと、

自分が心から「こうしたい」と思って行動するのって、


どっちが前向きか、どっちが生き生き出来るか、どっちが楽しいか、

って考えたら、当然後者ですよね。


他人軸になるっていうのは、他人の価値観に自分が合わせに行くということ。

だから、他人から「こうしろ」と言われて動くのと同じことなんです。

それでは弱いし脆いし辛いですよね。



そもそも、絶対的な「ダメ」なんてないんです。

これが出来なきゃダメもないし、

こうじゃなきゃダメも、こうあるべきもない。


相対的なものはありますよ。

この資格を取るためには、勉強しなきゃダメだし、何点以上取らなきゃダメ・・とかね。

そういう何かの対象があって、それに対してどうかっていう相対的なものなら。


その相対的な対象が自分にとってどうしても必要なことなら頑張ればいいけど、

気が進まなかったり、やろうと思ってもなかなか出来なかったり、

だからこそうまく行かなかったり、

そんな状態でもその対象に合わせに行く必要ありますかね?

そもそもそれ、本当に自分が欲してることなんですかね?


本当に欲してるなら「自分軸」のはずだから、

生き生きするし、楽しいし、うまくいくはずなんです。



あと、一般の概念を対象にして相対的に考えると、


何歳で結婚してないとダメとか、

定職に就いて働いてないとダメとか、

職を変えすぎたらダメとか、

家事が出来ないとダメとか、

協調性がないとダメとか、

努力しなきゃダメとか、

苦労しなきゃダメとか、

あきらめちゃダメとか、

逃げちゃダメとか・・、


そういうもっともらしいこと色々言われてますけど、

それも全て「他人軸」なんですよね。

だから、そんな他人軸に合わせる必要ないんです。


一般概念ってもしかしたら多数の人が考えてることなのかもしれないし、

それが「素晴らしいこと」とされてるのかもしれないけど、

言っても結局は誰かの意見や価値観であり、

それがマジョリティだと思わされてるだけで、

あくまでも「相対的なもの」です。

それが絶対的な「正解」でもなければ、「善」でもないし「良し」でもない。



大事なのは、自分にとって何を相対的な対象としたいか。

それは自分で選んでいいんですよ。

何かに合わせる必要は全くないんです。



・・とは言っても、一般的に言われてることって気になるし、

他人からの評価も気になるし、

「他人から良く見られたい」という気持ちは誰にでもありますよね。

僕もそうですし。

厳密に言えば、僕も「かつては」そうでした。



個人的な話をすれば、最近は一般概念も他人の目も評価も気にならなくなってきました。

それより大事なのは自分自身が何をしたいか、どうしたいか、どうありたいか。

自分の人生だからね、きちんと自分の軸で動きたいなと思って。


僕自身にしっかりと自己肯定感が養われてるのかどうかは分からないですが、

言えるのは、僕は基本的に何があっても「大丈夫」だと思ってます。

何があっても、なんとでも出来るし、なんとでもしてもらえるし、なんとでもなると思ってます。

そういう意味では根拠のない自信はあるのかもしれないです。

だからあんまり先々のことは考えてないし、

だからこそ恐怖や不安はほぼないです。

ってことは、どうあれ楽しいってこと。



別に、人より優れたところが多いとは思ってないんですよ。

大富豪なわけでもないし、

たいそうな資格があるわけでもないし、

出来ないことも苦手なこともいっぱいあるし、

結構自堕落だし、

独り身だし、いい年だし(笑)。


僕よりすごい人なんていっぱいいるし、そんな人だらけだと思ってます。

でも、それでいいんです。

人は人、自分は自分だから。




で、自分がそう思えるようになったのはなんでかな〜って考えてみたんです。

ありがたいことに、「人」に恵まれてたのかなと思います。


自己肯定感は幼少期の育てられ方がだいぶ影響するらしいんです。

僕が親からずっと言われてきたことを思い返してみたら、


「なんでも恐れずやってみなさい」

「出来ないと思うから出来ない、出来ると思えば出来る」

「あなたなら大丈夫」



って、ことあるごとに言われてた印象があります。

考えてみたらこれって全て「肯定」なんですよね。

何かを心配されることはあっても、

「やめとけ」とか「どうせ無理」みたいな否定的なことは一度も言われたことがないです。


あと、基本的に「よそはよそ、うちはうち」精神だったので、

他人と比較してどうこう言われることもなかったです。



幼少期や学校に通っていた頃は、クラスメイトの中には僕に否定的なことを言って来た人もいました。

周りと比べて劣ってたりおかしなところがあれば、それを指摘されたり。

学校って特にそういう「周りと比べてどうか」っていうのがあらわにされる場所ですよね。


だから、人より優れたことをして(物質的なものに頼って)自分の価値を維持しようと、

他人から認められようと必死だったこともありました。

でも、両親を含めて自分の周りの近しい人たちには、否定的なことを言う人はいませんでした。

今でもそうです。

だから感謝の気持ちでいっぱいです。


思えば、認められたくて必死な時って、一番自分を否定していたのは

まぎれもない「自分自身」だったんだと思います。



だから僕も自分の周りの人に、


「ダメじゃないよ」

「大丈夫だよ」

「無理しなくていいんだよ」

「好きなこと、得意なこと、気が向くことをやってればいいんだよ」



って言い続けていきたいと思います。

それが事実だから。

夏休み

世間の夏休みももう終わりですねー。

(とっとと終わったらいい、そんなもんw)


「夏休みはあったんですか?」

とよく聞かれますが、ないっちゃないし、あったっちゃあった。


この日から何日間は夏休みだー!っていう形で休みを取ったわけではないので、

いわゆる、まとまって数日間連休があって何か特別なことした・・的なことはないです。



でも、レッスンがない日は必然的にお休みになるので、そういう日は普通にありましたよ。

一応軽く連休っぽいものもあったので、それが夏休みといえば夏休みかなっていう。


そんな連休があった日は見事に台風だ低気圧だなんだで雨ばっかりで、

基本的に家にこもってました。

(だったら晴れてたらアクティブにどっか出かけてたのかと言うとそういうわけでもない。)



僕にとって一番夏休みっぽい雰囲気だったのは、姪っ子甥っ子を預かった日かなー。

弟夫婦が二人してジャスティンビーバーの来日コンサートに行くから、

子供たちを預かってくれないかと。


そんなこんなで小4の姪っ子と小2の甥っ子を一日うちで預かりました。

一日中家にいても退屈しちゃうかなーと思って、

どっか出かけられそうな場所を色々考えてました。

近所に映画館があるから子供が楽しめる映画見に行ってもいいかなーとか、

としまえんとか行ってもいいかなーとか。



で、いざうちに2人が来てみたら、

「YouTube見たい!」

と。


うち、テレビでYouTubeが見られるので、大画面で見たいと。

ちなみにうちのテレビ、52インチありますw



で、なんか色々動画を見てたら、まー次から次へと色々見たがる。


「どっか行きたいとこある?」


と僕が話を振ってみるも、


「んー」


と、二人ともカラ返事。



しまいには僕の方がどっか行きたくなっちゃって、


「ねー、どっか行こーよー。おもちゃとか見に行かない?」


「んー、いいよーー。」


と、まるで大人と子供逆転の会話。



そこそこの時間になって来ちゃったので、

とりあえず近所の西友のおもちゃ売り場行きまして。


「好きなもの買ってあげるよ」


って言ったんだけど、特別すごく欲しいものがあったわけでもないようで、

反応鈍い。

子供喜ばせるって難しい。


一人一個ずつ好きなの買ってあげて、夕飯の買い出し。


「なんでも食べたいもの言って」


って言ったら、

寿司食いたいと言いながら一番高い刺身盛り合わせ(船盛り)をカゴに入れるちゃっかり者たち。


お菓子も好きなもの好きなだけ買っていいよって言ったんだけど、

すっげー吟味して一個ずつくらいしか買わない子たち。


遠慮しちゃってるのかな?とも思ったんだけど、

その割には一番たっけー船盛り買ったしな。


食に関しては貪欲なのかな?

・・うん、まぁ僕はそうだなw



考えてみたら僕も、

金額気にせずなんでも好きなもの買っていい

って言われても、欲しいものってないかも。


しいて言えば、おいしいもの好きなだけ食べたい。

あと、飛行機のファーストクラスとかホテルのスイートルームとかは経験してみたい。

物よりも経験なのかなー。(カッコいいこと言ってみる。)




で、家に帰ってからはボードゲームして、

テレビのバラエティとか見つつ食事の準備して、夕食。


刺身が1種類につき4切れずつ入ってるんですよ。

だから、一人1切れずつ食べたあとの残り一枚争奪戦。

本気でジャンケン。

もちろん僕も本気。



食後はアイスとかお菓子とかつまみつつ、

テレビとかYouTube見ながらグダグダ。



気付いたんだけど、僕、あんまり「子供に合わせる」ってことをしなかったかも。

同等な感じ。

なんなら僕も大きな子供。(40手前のクソじじぃですが。)


もちろんね、子供ってまだ自力じゃ生きていけないし、

秩序とかも分かってない部分も多いわけ。

だから、本人の生命と人間界の秩序に関わる部分だけは

こちらが気を付けて注意したりしたけど、

それ以外は本人の意思におまかせって感じだったな。

一人の人間というか。


だから僕も言いたいこと言うし、やりたいことやる。

あちらも同じ。

大人だけが我慢することもないでしょ。

子供だからって押さえつけて我慢させることもないし。

で、落としどころを見つける。

そうすると結構楽しいんですよね。


たぶんだけど、

もし僕が全てを子供に合わせようとしたり、

大人だからということで常に戒めたり何かを教えようとしてたら、

お互いに面白くない。


だから、

大人は大人で一人の人間、

子供も子供で一人の人間、

なんかちょっと違う人間同士。

そんな関係性を楽しんでみました。



思えば僕は小さい頃ほど、大人っぽいとかしっかりしてるとか言われて来ました。

でも大人になるほどに思考が自由になって行って、

それに伴って子供っぽくなっていく自分を実感してます。


ある意味ではわがままだし、

ある意味では奔放だし、

我慢したくないし、

嫌なことしたくないし、

人に甘えるし、

楽しいことだけしてたいし。


子供の頃とか若い頃はそういうのは許されないもんだと思って

ひたすら自分を戒めてきた気がするけど、

年とともに逆行するかのように「いーじゃんそれで」と思ってます。

その感じ、なんか好きなんですよね。

で、その方がなんだか不思議と色んなことがうまく行くんですよね。



そんな夏休み。

不安は単なる思考グセ

僕、最近はあんまり不安とか恐怖とかを持たないんですよ。

何があっても大概のことは大丈夫だと思ってるので。



でも、ふとした瞬間に、

ちょっとしたことに「不安」を感じてしまっていた自分に気付いたんです。


小さいことなんですよ。

しかも、別に案ずるようなことでもないんですよ。


昔の、いろいろ未熟だった頃だったらまだわかるけど、

(今でも未熟だけど、今よりもってことね)

いまだにそこ不安になる?っていう。


言ってしまえば、

そんな心配しなくたって今はもう十分これもあるしあれもあるし・・・

っていう、満たされてる状態なのに。



それを人に話したら、


「え?なに言ってんの?(笑)」


って言われましたw


そう、

事情を知ってる人から見たら

笑っちゃうくらいなんてことないようなこと。



自分でも

「え?なんでそんなこと不安になってんの?」

って思えるくらいのこと。


それでも、不安に感じるんだな〜って実感しました。



そう考えるとね、不安っていうのは、


どんなに物があっても、

お金があっても、

技術や知識や経験があっても、

環境に恵まれてても、


そういうのに関係なく出てくるもんだなと。


「これがあれば安心」


なんて無いんだなと思いました。



ってことは、

不安なんて内から出てくる単なる自分の

「思考グセ」

でしかないわけ。



満たされてるし、

恵まれてるし、

自分でも「大丈夫」って分かってるはずなのに、


それでも勝手に出てきちゃう。


もうほんと、クセだよね。



もはや、

「こんなことでいちいち不安に思ってちゃいけない!」

とも思わないです。


クセっておもしろいな〜

っていう受け入れ態勢。


気付いてみるとおもしろいな〜

っていうむしろ笑える態勢。



だって、

今まで何か不安に思ってたことが

そのまま実現したことなんて今まで一度もないから。

多少それらしいことがあったとしても、

思ってるほど大したことにもならないし、

それこそ大概は「大丈夫」だから。


逆に、実際何かやばい状況になる時って、

自分の想定外のことの方がよっぽど起こる。

自分の乏しい頭で事前に思いつくくらいのことなんて

たかが知れてるわけ。


そもそも不安って「未来」のことだからね。

未来のことを100%予知できる力なんて自分にはないわけ。



だったらもう、リアルタイムで

「これマジやっべーぞ」

っていざなったら

「さぁどうするべ」

って考えれば別にいいやと。

その時もその時で大概は「大丈夫」だろうし。



だから不安が出てきたら、



ほー、これを不安に思うんだ。

で、それをふまえて自分はどうしたい?

それを拭い去るために必死に今何かする?

それして安心する?

安心するんだったら必死にやってみればいいけど。

でもどうせまたすぐ不安になるし、

やってもやっても満たされないし、

それでも、それ、する価値ある・・?

だったらもう、

そのままでいいんじゃない?

「今」、自分が「どうしたいか」

「今」、自分は「何してたら楽しいか」

でいいんじゃない?



ってしてしまえばいいやと思ってます。


とにかく、「今」が大事。ほんとに。
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