<こころのスケッチ>

神戸元町にあるカウンセリング・オフィスの窓から見た日々の由無しごとを、こころのままにスケッチしてみました。

様々な方とお会いしていると、いろいろと気づかされることがあります。

その一つが「行動・からだ・イメージ・ことば」。

 

たいていの問題は、特に子供の場合は行動面での問題に端を発しますね。

たとえば学校に行きたがらない、とか、暴れだして困るとか。

そういう時には、周囲が「なぜそんなことをするの?」と理由を尋ねても、

はっきりした答えが返ってこないことが多いようです。

 

もっともはっきりした原因がわかれば、あまり問題としては深くならないで済みます。

周囲も対応を考えやすいからです。

 

ところが理由や原因がはっきりしない、あるいははっきりしてもなかなか対応が難しい時は周囲もどうすればよいか悩んでしまいますね。


こんな時は周囲があまり原因探しをせずに、行動の不調に波長を合わせてつかず離れずの落ち着いた対応を取れるようになると、なぜか今度はからだの不調を訴えてくることがあります。

行動がからだのレベルに収まってきたとでも言うのでしょうか。

 

人間の心理的エネルギーというものは、必ずしも最初からこころの問題として姿を見せるとは限りません。最初は、まず行動として自分の中に納まりきれないあふれるエネルギーを自分以外の物や他者にぶつけます。

 

いらいらした男の子が壁に穴をあけたり、女子中学生が誰かをのけ者にして自分たちのストレスを解消するなんて言うのもそうかもしれません。

 

しかし周囲がその破壊的なエネルギーに破壊されずに、あふれ出ててくるエネルギーの入れ物として機能してくるようになると、次第に溢れ出すエネルギーは自らの中へと収まっていきます。

 

そして周囲の果たしてくれた容器としての働きを、今度は自らの「からだ」が果たしてくれるようになり、今度は「からだのレベル」に問題が移っていくような気がします。

 


長くなるので「からだのレベル」については続きはまた次回。

*こころのスケッチ<1063>*

美しい・・・
日本の歌、民謡と言えばなんだか古臭いイメージもありましたが、このCDを聞いた途端、目から鱗・・・。
そのCDがこれ

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「あわいびと」というトリオの作品。普段はそれぞれで活躍されているのでしょう。東日本大震災をきっかけに東北を思う気持ちから作品を作り始めたそうです。歌は 美鵬成る駒(びほ なるこま)さん、尺八は佐藤錦水(さとう きんすい)さんん、そしてピアノは中村力也さん。まさしく日本民謡と西洋和音の融合ですが、それがこんなにも新鮮な響きをもたらしてくれるとは。
素晴らしい・・・。あんまり感激したので、動画を探したら全曲アップされていました。その中から3曲だけ紹介します。









興味のある方は動画を探してみてください。

*こころのスケッチ1062* 今回取り上げる「障害と人生を考えさせられる映画」は、涙なしには見られない「エール!」
見てきましたよ!とっても良かったですよ!!
現在上映中なのでネタバレはできませんが、とりあえず予告編を!



なんといっても、フランス映画祭2015で観客賞の最高賞を受賞した作品ですから悪いわけがありません。
ストーリーは、家族の内、両親と弟が聴覚障害を持っている家族の中で唯一の健聴者の娘・ポーラを通して、家族の愛や聴覚障害の家族の中で育った健聴の子ども(CODAコーダといいます)の自立を巡る葛藤を描いています。コーダは聞こえない世界と聞こえる世界の両方を生きていて、ポーラは聞こえない世界に住む両親や弟っと聞こえる世界に住む人々との橋渡しを手話通訳の役割を務めてきました。そのことはポーラに取っても家族にとってもごく当たり前のことだったのです。

確かにそうでしょう。聴覚障害を持つ両親から生まれた健聴の子どもの問題は、ろう文化の中でも話題となっています。私は以前ろうの子どもや成人の方々を関わりを持っていましたし、今でも聴覚障害を含め様々な障害に関心を持っています。ですから、ポーラのように障害を持つ方々と健常の方々の橋渡しをする人々の存在はとても大切な問題だと思っています。

しかし身近な存在だけに、彼らは家族から離れてくことが難しいという現実もあります。周囲の健聴者との手話通訳だけでも外部に頼むとなると自由は利きません。そういう意味ではCODAの子どもたちは自らの自立と家族の関係が大きな問題となるのでしょう。この映画はそこの部分に光を当てて描かれていました。

とは言えこの映画は聾者の世界をきちんと描いた作品として評価される映画だと思います。また作品としてもとても感動を誘う映画であり、登場人物の演技も素晴らしいものでした。
興味のある方はゼヒ一度ご覧ください。

今日見た映画はこれ
「パパが遺した物語」

まず予告編を紹介します。



この映画、現在神戸では上映中なのでネタバレはできません。
ですから私の感想程度になってしまいますが、実に心を揺さぶられる作品でした。

まず何より父親役のラッセル・クロウが渋い!!
映画「ビューティフル・マインド」を見て大ファンになった私としては、これだけで大満足。

その父親は自分の運転の不注意から事故を起こし、妻を死なせてしまいます。
それは一人娘のケイティにとっては、大切な母親を突然失う、という大変な対象喪失体験でした。しかしけなげにもその哀しみを父親の前では見せないケイティ。しかしある時、同じような年代の子どもが母親の胸に抱かれる姿を見て思わず胸に秘めた哀しみを溢れさせてしまいます。

それ以後、罪悪感もあってか、父親で小説家のジェイク(ラッセル・クロウ)は心に傷を抱えながらも、男手一つで幼い娘ケイティを育てますが、事故の後遺症もあり躁うつ病になって入院生活を送ることになります。
その間、再び大切な家族(父親)を喪失する体験を積み重ねることになるケイティ。

躁うつ病は克服したものの、ジェイクは事故の後遺症である全身のけいれん発作にたびたび悩まされるようになります。そしてついにジェイクはその発作での転倒で後頭部を打ち付け・・・・・。

ネタバレはできませんが、とにかく愛する家族の度重なる対象喪失体験を経て、人を愛することに臆病になります。

確かにこういう対象喪失体験は長くその人の人生に影を残すでしょうね。
胸にぽっかりと空いた満たされない空虚感や虚しさを紛らわすために、アルコールや行きずりの男性との無節操な性体験を積み重ねていくケイティの哀しみや虚しさの思いが伝わってきてたまらない気持ちになりました。

ケイティは自らを救うためでしょうか、ソシャルワーカー(と映画では言っていましたが、むしろカウンセラーと理解して良いと思いますが)になり、同様の辛い体験をして緘黙状態の少女とも関わっていきます。
このエピソードも私の立場としては、大変興味深く感じられましたね。

「傷ついた治療者」というキーワードがありますが、人を癒すためには自らがまず自分の哀しみや心の傷を自らの力で癒す体験が必要とされます。つまり「私治す人、あなた治される人」ではなく、「同行二人」という関わりがお互いの傷をいやすことをもたらすのかもしれません。

自分の仕事とも関連して、色々なことを考えさせられた映画でした。

興味があればぜひ!

う~む、考えさせられてしまうシステムがありました。
匿名でいじめ情報を報告して、さらに全国で共有できる「うきわネットワーク」。

うきわ
(スクリーンショットにより作成)

日本全国の学校から「あなたがうけている」あるいは「見聞きした」いじめをこのサイトで報告することで、登録している学校に知らせることができる、というサイトです。

いじめを報告するメッセージは報告の対象となった学校のみ閲覧できる仕組みで、一般には公開されないそうです。もちろんこのシステムに登録していなければ、報告は生きませんし、閲覧もできませんが、学校別の発生件数だけは知ることができるようです。

報告は匿名でもできるようなので、その分はハードルが下がります。ただ、果たして信頼性が確保されるかどうかは疑問のところもありますね。

しかしネットを利用した方法としてはこれまでにない画期的な方法だと言えるかもしれません。

さてこれは上手く機能するかどうか?
いずれにしてもいじめを学校内だけに閉じ込めず、社会の目にオープンにしようという試みとしては注目されるかもしれませんね。




今回見た映画は、現在上映中ですが「奇跡の2000マイル」

オーストラリアの広大な砂漠およそ3000キロを踏破した女性の驚くべき実話を映画化­したものですが、なんとも言えない映画でした。

人間関係がどうにも煩わしく、どこにいても居場所のない女性が、ふと思いついたのがラクダを調教し、それを連れて約3000キロの砂漠を横断しようという、考えてみりゃ無茶な冒険。

予告篇はこちら



もっとも「冒険」などと言うものは、そもそも無茶なことに決まっていますが、それにしても砂漠を横断なんて・・・。
ただ、彼女の冒険は「冒険」ではなく、むしろ自分自身を見つめる旅だったようです。

幼い頃に母親が自死し、その後父親から見捨てられたような感じで親戚の家にもらわれていく。
自分自身の存在感や尊厳自体がはがされていくような体験は彼女自身の生きていく実感を奪い取ったのかもしれません。

酷暑の地で生存ぎりぎりの体験を通して、もしかしたら生きている実感を味わいたかったのでしょうか。
実話なのでご本人にお話を聞くのが一番なのでしょうが、なんだか永遠に続くかのような砂漠が彼女の人生を象徴しているようでした。

ネタばれになってはいけないのでストーリーすべては書けませんが、「生と死」「生きていくことと死んでいくこと」を身体を使って実感させてくれるような映画でした。

興味を持たれた方はゼヒどうぞ。

久しぶりの記事更新ですが、どうしても取り上げたい新聞記事がありました。
それは内閣府が行った18歳以下の自殺人数を日付別に分析したところ、9月1日が突出して多い、という事実です。

記事によると、1972~2013年の42年間に自殺した子どもの総数は1万8048人で、日付別に合計したところ、最も多かったのは9月1日(131人)で、4月11日(99人)、4月8日(95人)、9月2日(94人)、8月31日(92人)が続いたそうです。

また、7月下旬から8月上旬は40人以下の日が多いものの、8月20日以降は連日50人を超える子どもが自殺をしているという事実も明らかになり、夏休みや春休みなどの終わりが近づくと、自殺者が増える傾向が浮かび上がったということです。

この記事を読んでの感想は、「なんでもっと早くこの調査をしなかったのか?」ということがまず最初。
この事実を知っただけで、周囲の大人や学校関係者はこの事実の重さに身の引き締まる思いをするのではないでしょうか。

明らかに、「また、学校が始まる」ということが、自殺のキッカケになっているのですから。

もっとも自殺者数自体は少しづつ減少傾向にあるようですが、それと逆相関で学校生活のプレッシャーが高まって来ているのが見て取れます。

もっと詳細に分析する必要があるかもしれませんが、やはり想像できるのは「いじめ」の問題。
世間でこれだけ「いじめ」の問題について騒がれていても、ニュースや新聞での報道は後を絶ちません。もっともそれは子どもたちの社会だけではなく、大人の社会の中でも同様です。
先日問題にあった障害者施設での虐待なども同じでしょう。


最近の安保法案やIS等のテロリズム、広島・長崎を含む戦争の中で行われて来た残虐な行為などなど、最近は人間の残虐さ・残酷さについて、実感を持って考えさせられる日々が続いています。

人間の中に潜む「悪」や「憎悪」などの破壊的な部分はどうすればコントロールできるのだろうか?

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*神戸のカウンセラー//臨床心理士によるこころのスケッチ1057*

さて今日も張り切っていきましょう。
なんといっても今日は昨日紹介した「もうダメだ」のB面の曲「墓参り」を紹介しますね!!



どうやら昨日のオヤジさんは(歌詞の中では)亡くなってしまったようです。
その後、残された後家さんが、気楽で楽しい墓参りをしている光景のようです。

A面と比べると、歌唱力はアップしたものの
曲自体のインパクトと哀愁に欠けるかも・・・。

残された奥さんに妙に艶めかしい色っぽさを感じるのは、
それはそれでなかなか味わいがあるものですが、
それにしても、A面・B面ともに歌詞の内容の無さは目を引くものがありますね。


しかし一体このオヤジレコードなるレーベルは何を考えて居るんだろう・・・(-_-;)


*オフィス岸井のHPでもブログ<時々 静かに>が快調に更新中!*

*神戸のカウンセラー//臨床心理士によるこころのスケッチ1056*

な、な、なんだ、これは・・・・
以前お送りしたブラジルのテクノ演歌「嫁がゆるさへん」に
『劣るとも、優らない』いやいや『優るとも、劣らない』、
いやいやどっちもどっちのいい勝負ソングの登場です!

イントロの木魚がなんとも言えない哀愁を漂わせています。
しかし、なんだかな~~これって・・・・・(-_-;)



*オフィス岸井のHPでもブログ<時々 静かに>が快調に更新中!*

*神戸のカウンセラー//臨床心理士によるこころのスケッチ1055*

これはオモロイ!
スキンヘッド・ヘルメット!


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<写真はhttp://jyo.dunked.com/costom-made-helmets より>

まさか本当に人間の頭皮を貼った・・・・・わけではないでしょうね、
やっぱり!!(-_-;)

同サイトにはこんな写真も!!
ビックリ!!

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おいおい・・・(-_-;)


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